ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

アッツ島の戦い

索引 アッツ島の戦い

青い矢印が米軍の進路、赤い矢印は29日の日本軍最後の反撃の進路 アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい、Battle of Attu)は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、また第二次世界大戦で唯一、北アメリカで行われた地上戦である。.

110 関係: い号作戦占守島占領古賀峯一参謀本部君川丸 (特設水上機母艦)大東亜戦争大本営太宰治太平洋戦争守備隊宇垣纏山崎保代山本五十六山本親雄巡洋艦上陸戦幌筵島伊号第三十一潜水艦伊号第三十五潜水艦伊号第三十四潜水艦佐藤賢了北千島臨時要塞北アメリカ北海道新聞社ペンシルベニア (戦艦)ナッソー (護衛空母)ミッドウェー海戦ネバダ (戦艦)バカヤロー発言ルイビル (重巡洋艦)トーマス・C・キンケイドフロリダ諸島の戦い初霜 (初春型駆逐艦)アムチトカ島アメリカ合衆国アメリカ軍アラスカ州アリューシャン列島アッツ島アッツ島沖海戦アイダホ (戦艦)ウィチタ (重巡洋艦)ガダルカナル島キンケードキスカ島キスカ島撤退作戦サンフランシスコ (重巡洋艦)兵站玉砕...神風 (2代神風型駆逐艦)福留繁秦彦三郎空襲第7師団 (日本軍)第二次世界大戦真田穣一郎田中新一牛島秀彦瀬島龍三白兵戦衣笠丸 (特設水上機母艦)飛行場駆逐艦高射砲護衛空母賽銭黒島亀人辰口信夫防衛研究所防衛省阿武隈 (軽巡洋艦)藤田嗣治野見山暁治長波 (駆逐艦)艦砲射撃若葉 (初春型駆逐艦)若松只一陣地陸軍省陸戦陽動東京東條英機杉山元樋口季一郎橋頭堡武蔵 (戦艦)河出書房新社潮書房光人新社潜水艦朝雲新聞木俣滋郎木村昌福木曾 (軽巡洋艦)戦史叢書戦争画戦艦昭和昭和天皇海軍甲事件日本軍日本放送協会散華 (小説)時化1942年1943年5月12日5月29日 インデックスを展開 (60 もっと) »

い号作戦

い号作戦(いごうさくせん)とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第十一航空艦隊と第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。4月7日に実施された空襲は、大本営発表によってフロリダ沖海戦と呼称された。作戦名はいろは順の最初の文字にあやかって付けられた。.

新しい!!: アッツ島の戦いとい号作戦 · 続きを見る »

占守島

占守島(しゅむしゅとう)は、千島列島北東端の島。ロシア名はシュムシュ島(о.Шумшу)、英語表記はShumshu。サンフランシスコ条約締結以来、領有権の帰属は未確定であるが、ロシアの実効支配下にある。 元禄御国絵図にある地名「しいもし」や鳥居龍蔵の記録にある「シュモチ」はこの島に当たるとされる。 島の名前の由来は、アイヌ語の「シュム・ウシ(南西・<そこに>ある→南西に存在する、或いは南西に入る)」からとする説があるものの、この島の語源を「シー・モシリ(本島)」とし新知島の語源を「シュム・シリ(西島)」とする説や、占守島を「シュム・シュ(油・鍋)」とし新知島を「シュム・ウシ(南西にある、入る)」とする説もあり、山田秀三は「判断がつかない地名」としている。 現在この島の住民は灯台守だけで民間人はいない。また島への上陸はロシア連邦軍の許可が必要で、ペトロパブロフスク・カムチャツキーからヘリコプターで約2時間かかる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと占守島 · 続きを見る »

占領

占領(せんりょう)とは、.

新しい!!: アッツ島の戦いと占領 · 続きを見る »

古賀峯一

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと古賀峯一 · 続きを見る »

参謀本部

参謀本部(さんぼうほんぶ、Generalstab、General Staff office)は、軍隊において高級指揮官の作戦指揮を補佐するための合議機関である。 各国における成立の沿革上、また陸軍・海軍で別個の参謀組織がある場合もあり、そのため参謀部、参謀局、軍令部、作戦部、幕僚監部など種々の訳語が充てられることもある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと参謀本部 · 続きを見る »

君川丸 (特設水上機母艦)

君川丸(きみかわまる)は、川崎汽船の神川丸型級貨物船の三番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。 なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)の二番船として同名の二代目船が建造された。1951年(昭和26年)に竣工後、北米航路で活躍。1972年(昭和47年)にパナマ企業に売却されたが、2年後の1974年(昭和49年)に座礁事故で沈没した。.

新しい!!: アッツ島の戦いと君川丸 (特設水上機母艦) · 続きを見る »

大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと大東亜戦争 · 続きを見る »

大本営

昭和天皇御前の大本営会議の様子(1943年4月29日付朝日新聞掲載) 大本営(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令(奉勅命令)を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸命、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部としての機能を持つ。本来「本営」とは総司令官が控える場所(中世の本陣と同義)で、これを更に仰々しい名にしたもの。 日清戦争と日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争(支那事変)では戦時外でも設置できるよう改められ、そのまま、太平洋戦争終戦まで存続した。連合国からは「」と呼ばれた。 太平洋戦争末期の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流され続けた。このことから現在では、権力者が自己の都合の良い情報操作をして虚偽の情報を発信することを揶揄した慣用として「大本営」「大本営発表」という表現が用いられることがある。 なお、陸海軍連合大演習および陸軍特別大演習においては司令部でなく、天皇の行幸行在所(あんざいしょ)を「大本営」と称した。 現在は防衛省市ヶ谷地区に庁舎遺構が残っている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと大本営 · 続きを見る »

太宰治

太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、日本の小説家である。本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。自殺未遂や薬物中毒を克服し戦前から戦後にかけて多くの作品を発表。没落した華族の女性を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。その作風から坂口安吾、織田作之助、石川淳らとともに新戯作派、無頼派と称された。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『人間失格』がある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと太宰治 · 続きを見る »

太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

新しい!!: アッツ島の戦いと太平洋戦争 · 続きを見る »

守備隊

守備隊(しゅびたい、英:Garrison)とは、ある特定の地点を防衛する部隊の事である。駐屯軍(ちゅうとんぐん)とも。語源は、フランス語のgarnir garnison(防衛の意)とされている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと守備隊 · 続きを見る »

宇垣纏

宇垣 纒(うがきまとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。最終階級は海軍中将。陣中日記『戦藻録』が有名。.

新しい!!: アッツ島の戦いと宇垣纏 · 続きを見る »

山崎保代

山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。太平洋戦争(大東亜戦争)中に、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。.

新しい!!: アッツ島の戦いと山崎保代 · 続きを見る »

山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。.

新しい!!: アッツ島の戦いと山本五十六 · 続きを見る »

山本親雄

山本 親雄(やまもと ちかお、1896年(明治29年)10月13日 - 1980年(昭和55年)11月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと山本親雄 · 続きを見る »

巡洋艦

巡洋艦(じゅんようかん、)は遠洋航行能力・速度等を生かした攻撃力を持たせた軍艦の艦種。ただし定義は国や年代によって異なる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと巡洋艦 · 続きを見る »

上陸戦

上陸戦(じょうりくせん、)は、近代戦争における戦闘形態の一つである。この戦闘を計画として作戦に起こしたものを水陸両用作戦(すいりくりょうようさくせん 、)という。一般的には、敵の支配下にある陸地へ海などの水域を越えて侵攻を試みる作戦の実行に伴って発生した戦闘を主にさす。.

新しい!!: アッツ島の戦いと上陸戦 · 続きを見る »

幌筵島

幌筵島(ぱらむしるとう、ほろむしろとう)は、千島列島の北東部にある島。波羅茂知島(ぱらもしるとう)と表記されることもある。ロシア名はパラムシル島 (о.Парамушир)、英語表記はParamushir。 島の名前の由来は、アイヌ語の「パラ・モシル(広い・島)」「ポロ・モシル(大きい・島)」から。千島アイヌは「ウレシパモシリ(人を多く育てた島)」とも呼んでいた。 ただ、漢字表記で「幌(ほろ)」を「ぱら」や「筵(むしろ)」を「むしる」と読ませるのは無理矢理ではあるが、いわゆる北方領土や北海道本島においてもアイヌ語由来地名の漢字表記にそのような例は数多くあり、こちらは「ほろむしろ」と読む例もあるが一般的には「ぱらむしる」と読むことが普通である。.

新しい!!: アッツ島の戦いと幌筵島 · 続きを見る »

伊号第三十一潜水艦

伊号第三十一潜水艦(いごうだいさんじゅういちせんすいかん、旧字体:伊號第三十一潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の12番艦。 当初は伊号第三十七潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十一潜水艦と改名されている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと伊号第三十一潜水艦 · 続きを見る »

伊号第三十五潜水艦

伊号第三十五潜水艦(いごうだいさんじゅうごせんすいかん、旧字体:伊號第三十五潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の16番艦。 当初は伊号第四十五潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十五潜水艦と改名されている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと伊号第三十五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第三十四潜水艦

伊号第三十四潜水艦(いごうだいさんじゅうよんせんすいかん、旧字体:伊號第三十四潜水艦)は、大日本帝国海軍が運用した伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の15番艦。 当初は伊号第四十三潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第三十四潜水艦と改名されている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと伊号第三十四潜水艦 · 続きを見る »

佐藤賢了

佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895年(明治28年)6月1日 - 1975年(昭和50年)2月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと佐藤賢了 · 続きを見る »

北千島臨時要塞

北千島臨時要塞(きたちしまりんじようさい)とは、千島列島・幌筵島の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。当初は幌筵臨時要塞と呼称した。.

新しい!!: アッツ島の戦いと北千島臨時要塞 · 続きを見る »

北アメリカ

北アメリカ(きたアメリカ、North America、América del Norte、Amérique du Nord)は、アメリカ(米州)の北半の、北アメリカ大陸を中心とした地域である。六大州の1つ。漢字では北米(ほくべい)と表す。.

新しい!!: アッツ島の戦いと北アメリカ · 続きを見る »

北海道新聞社

株式会社北海道新聞社(ほっかいどうしんぶんしゃ、The Hokkaido Shimbun Press)は、ブロック紙の北海道新聞を発行する新聞社である。子会社として道新スポーツなどを持つ。.

新しい!!: アッツ島の戦いと北海道新聞社 · 続きを見る »

ペンシルベニア (戦艦)

ペンシルベニア (USS Pennsylvania, BB-38) は、アメリカ海軍の戦艦。ペンシルベニア級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国2番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては3隻目。 第一次世界大戦型の旧式戦艦で、20ノットという速力と35.6センチ砲は当時のアメリカ海軍戦艦群の標準的な仕様であった。日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃で損傷した後、近代化改修を実施した。これにより外観を一新し、近代戦闘能力を有することになった。.

新しい!!: アッツ島の戦いとペンシルベニア (戦艦) · 続きを見る »

ナッソー (護衛空母)

ナッソー (USS Nassau, AVG/ACV/CVE-16) は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。.

新しい!!: アッツ島の戦いとナッソー (護衛空母) · 続きを見る »

ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; Battle of Midway)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)~7日(6月3日から5日とする場合もある)、ミッドウェー島付近での海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生、日本海軍の機動部隊と米国の機動部隊及び同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は航空母艦4隻とその艦載機多数を一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。.

新しい!!: アッツ島の戦いとミッドウェー海戦 · 続きを見る »

ネバダ (戦艦)

ネバダ (USS Nevada, BB-36) は、アメリカ海軍の戦艦。ネバダ級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国36番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては二隻目。その設計はドレッドノートと同じくらい革新的な物であった。本艦以前の戦艦は防御する部分の重要性に合わせて様々な装甲厚を持っていたが、ネバダは弾薬庫や機関室などの重要部分に最大厚の装甲を施し、それほど重要でない部分の装甲はほとんど無かった。これは「All or Nothing」として知られるようになり、この考え方はドイツ海軍以外の全ての海軍によって採用されることとなった。またネバダの設計官は長距離射撃の弾着は側面ではなく上甲板部に行われることを認識しており、ネバダの甲板部は厚い装甲が施された。.

新しい!!: アッツ島の戦いとネバダ (戦艦) · 続きを見る »

バカヤロー発言

バカヤロー発言(バカヤローはつげん).

新しい!!: アッツ島の戦いとバカヤロー発言 · 続きを見る »

ルイビル (重巡洋艦)

ルイビル (USS Louisville, CL/CA-28) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の3番艦。艦名はケンタッキー州ルイビルに因み、その名を持つ艦としては3隻目。日本では地名のルイビルと同様にルイスビルと表記されることもある。.

新しい!!: アッツ島の戦いとルイビル (重巡洋艦) · 続きを見る »

トーマス・C・キンケイド

トーマス・カッシン・キンケイド(Thomas Cassin Kinkaid、1888年4月3日 - 1972年11月17日)は、アメリカ海軍の軍人。第二次世界大戦中の1943年から45年まで南西太平洋海域の連合国軍海軍司令官および第7艦隊司令官を務めた。.

新しい!!: アッツ島の戦いとトーマス・C・キンケイド · 続きを見る »

フロリダ諸島の戦い

フロリダ諸島の戦いとは、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年8月7日から1942年8月8日の間にフロリダ諸島内のツラギ島、、(現在のソロモン諸島)で行われた日本軍守備隊と米軍との間の戦闘のことである。.

新しい!!: アッツ島の戦いとフロリダ諸島の戦い · 続きを見る »

初霜 (初春型駆逐艦)

初霜(はつしも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。一等駆逐艦初春型の4番艦である。太平洋戦争緒戦では南方作戦・蘭印作戦に従事、以降は北方戦線で行動した。坊ノ岬沖海戦からも生還し、終戦直前に機雷に触雷して沈没した。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初霜」に続いて2隻目となる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと初霜 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

アムチトカ島

1-5 ニア諸島 1 - アッツ島 2 - アガッツ島 3-5 - セミチ諸島 3 - アライド島 4 - ニズキ島 5 - シェムリャ島 6 - ブルダー島 7-15 ラット諸島 7 - キスカ島 8 - 小キスカ島 9 - セグラ島 10 - クヴォストフ島 11 - ダヴィドフ島 12 - 小スィッキン島 13 - ラット島 '''14 - アムチトカ島''' 15 - セミソポクノイ島 アムチトカ島(アムチトカとう)とは、アメリカ合衆国アラスカ州の南西に伸びる、アリューシャン列島のラット諸島に属する島の名前である。約64km(キロメートル)(40mi(マイル))の長さがある。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアムチトカ島 · 続きを見る »

アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

新しい!!: アッツ島の戦いとアメリカ合衆国 · 続きを見る »

アメリカ軍

アメリカ軍(アメリカぐん、United States Armed Forces)は、アメリカ合衆国が有する軍隊。アメリカ合衆国軍(アメリカがっしゅうこくぐん)、合衆国軍(がっしゅうこくぐん)とも呼ばれ、日本では米軍(べいぐん)と略される。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアメリカ軍 · 続きを見る »

アラスカ州

アラスカ州(State of Alaska )は、アメリカ合衆国最北端にある州。アリューシャン列島を含む。北アメリカ大陸北西の端にあり、合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっている。アラスカでは、合衆国本土を"lower 48"(直訳:南方の48州。アメリカ50州からアラスカとハワイを除いたもの)と呼ぶことがある。 アメリカ合衆国の州の中では面積最大であり、東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海を隔ててロシアとも海上の国境がある。2010年国勢調査による人口は710,231人であり、その約半分はアンカレッジ都市圏に住んでいる。州都はジュノー市で、最大都市はアンカレッジ市である。海港アンカレッジはかつてアジアとアメリカおよびヨーロッパを結ぶ航空路線の寄港地として知られた。アメリカ合衆国の州の中では人口密度が最小の州でもある。 アラスカは1867年3月30日にロシア帝国からアメリカ合衆国が買収した。その後幾つかの管理形態の変遷を経て、1912年5月11日にアラスカ準州、1959年1月3日にアラスカ州となった。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアラスカ州 · 続きを見る »

アリューシャン列島

アリューシャン列島(アリューシャンれっとう、Aleutian Islands; 「アレウトの島々」の意)は、北太平洋に弧状に連なり、アメリカ合衆国のアラスカ半島からロシアのカムチャツカ半島にかけて約1,930キロメートルにわたって延びる列島である。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアリューシャン列島 · 続きを見る »

アッツ島

1~5 - ニア諸島 1 - アッツ島 2 - アガッツ島 3~5 - セミチ諸島 3 - アライド島 4 - ニズキ島 5 - シェムリャ島 6 - ブルダー島 7~15 - ラット諸島 7 - キスカ島 8 - 小キスカ島 9 - セグラ島 10 - クヴォストフ島 11 - ダヴィドフ島 12 - 小スィッキン島 13 - ラット島 14 - アムチトカ島 15 - セミソポクノイ島 アッツ島(アッツとう、)はアラスカ州アリューシャン列島のニア諸島最西部にあるアメリカ領の島。東西70km、南北30kmの大きさアッツ島迫る「玉砕」…米軍上陸直前の写真残る 読売新聞 2015年7月11日(土)20時48分配信。熱田島(あつたとう)とも呼ばれる。2015年現在、厳しい上陸規制があるため無人であり、アメリカ沿岸警備隊の巡回以外に上陸者はいない。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアッツ島 · 続きを見る »

アッツ島沖海戦

アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)は、第二次世界大戦中にコマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)#モリソンの太平洋海戦史218頁。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアッツ島沖海戦 · 続きを見る »

アイダホ (戦艦)

アイダホ (USS Idaho, BB-42) は、アメリカ海軍の戦艦。ニューメキシコ級戦艦の3番艦。艦名はアメリカ合衆国43番目の州にちなむ。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: アッツ島の戦いとアイダホ (戦艦) · 続きを見る »

ウィチタ (重巡洋艦)

ウィチタ(USS Wichita, CA-45)は、アメリカ海軍の重巡洋艦。艦名はカンザス州ウィチタに因む。同型艦はない。.

新しい!!: アッツ島の戦いとウィチタ (重巡洋艦) · 続きを見る »

ガダルカナル島

島内にアメリカ合衆国が建てた慰霊碑 ガダルカナル島(ガダルカナルとう、)は、ソロモン諸島最大の島であり、同国の首都ホニアラがある。第二次世界大戦の激戦地で、展開した日本軍部隊の多くが補給路を絶たれ、多数の餓死者を出したことから、略称のガ島から餓島(がとう)とも呼ばれた。その面積は千葉県よりやや広い。.

新しい!!: アッツ島の戦いとガダルカナル島 · 続きを見る »

キンケード

ンケード、キンケイドは、英語圏の姓。複数の綴りがある。.

新しい!!: アッツ島の戦いとキンケード · 続きを見る »

キスカ島

島(キスカとう、Kiska)は、アリューシャン列島西部のラット諸島に位置し、アメリカ合衆国アラスカ州に属する島である。 “キスカ”の名は、この地方に居住していた先住民族であるアレウト族がこの島の呼称として用いていたアレウト語(英字転化:Qisxa)に由来する。.

新しい!!: アッツ島の戦いとキスカ島 · 続きを見る »

キスカ島撤退作戦

島撤退作戦(キスカとうてったいさくせん)は、1943年(昭和18年)5月27日から7月29日に行われた日本軍の北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦のことである。正式名称はケ号作戦。北方部隊指揮官河瀬四郎第五艦隊司令長官が総指揮をとる。 5月下旬から実施された潜水艦による第一期撤収作戦は成果の割には損害が多く、また効率も悪かったため6月下旬をもって打ち切られ板倉光馬 『あゝ伊号潜水艦』 、水上艦艇による撤退作戦に切り替えられた戦史叢書98巻247-249頁「第二期第一次作戦」。第一水雷戦隊司令官木村昌福少将が収容部隊を指揮した第二期撤収作戦において、同艦隊がキスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれず日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれる。.

新しい!!: アッツ島の戦いとキスカ島撤退作戦 · 続きを見る »

サンフランシスコ (重巡洋艦)

ンフランシスコ(USS San Francisco, CA-38)は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ニューオーリンズ級重巡洋艦の5番艦。艦名はカリフォルニア州サンフランシスコにちなむ。その名を持つ艦としては2隻目。.

新しい!!: アッツ島の戦いとサンフランシスコ (重巡洋艦) · 続きを見る »

兵站

兵站(へいたん Military Logistics)は、戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの。戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画し、また、実施する活動を指す用語でもあり、例えば兵站には物資の配給や整備、兵員の展開や衛生、施設の構築や維持などが含まれる。 兵站の字義は「軍の中継点」(Wiktionary 「站」)であり、世界中で広範に使用される英語つまりはでの「logistics」は、ギリシア語で「計算を基礎にした活動」ないしは「計算の熟練者」を意味する「logistikos」、またはラテン語で「古代ローマ軍あるいは東ローマの行政官・管理者」を意味する「logisticus」に由来する。 類義語としては、戦闘を実施する上で部隊の作戦行動を支援する戦闘支援(Combat Support)、作戦行動を行う部隊の軍事的な機能を保持させる後方支援(Combat Service Support)があり、これらに比べて兵站はより広い範囲を指示する概念である。.

新しい!!: アッツ島の戦いと兵站 · 続きを見る »

玉砕

玉砕(ぎょくさい)は、「玉と砕ける」(玉のように砕ける)こと。対義語は瓦全(がぜん)。太平洋戦争における日本軍部隊の全滅を表現する言葉として大本営発表などで用いられた。.

新しい!!: アッツ島の戦いと玉砕 · 続きを見る »

神風 (2代神風型駆逐艦)

本来の漢字は『示申』だが、環境依存文字のため『神』とする(かみかぜ)は日本海軍の2代目神風型駆逐艦の1番艦#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3「艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪」。1922年(大正11年)に竣工した日本軍艦集2600年版p.47「一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。」。日本海軍の艦名としては1905年(明治38年)竣工の初代神風型駆逐艦・神風に続いて2隻目。太平洋戦争中は北方警備、1945年以降は南西方面で輸送や護衛に従事した。ペナン沖海戦、米潜水艦ホークビルとの死闘を経て、シンガポールで無傷で終戦を迎えた。戦後は特別輸送艦(復員船)となったが、1946年に静岡県沖で座礁し、1947年に解体された。.

新しい!!: アッツ島の戦いと神風 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

福留繁

福留 繁(ふくとめ しげる、1891年(明治24年)2月1日 - 1971年(昭和46年)2月6日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校40期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと福留繁 · 続きを見る »

秦彦三郎

彦三郎(はた ひこさぶろう、1890年10月1日 - 1959年3月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。ロシア通として知られ第二次世界大戦終戦時の関東軍総参謀長。戦後はシベリアに抑留された。.

新しい!!: アッツ島の戦いと秦彦三郎 · 続きを見る »

空襲

襲(くうしゅう、Airstrike/Air-raid)は、空中から目標に対して爆弾の投下や機銃掃射などを行うことである。.

新しい!!: アッツ島の戦いと空襲 · 続きを見る »

第7師団 (日本軍)

7師団(だいしちしだん)は大日本帝国陸軍の師団の一つ。北海道に置かれた常備師団として北辺の守りを担う重要師団であり、道民は畏敬の念を多分に含め、「北鎮部隊」と呼んでいた。.

新しい!!: アッツ島の戦いと第7師団 (日本軍) · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: アッツ島の戦いと第二次世界大戦 · 続きを見る »

真田穣一郎

真田 穣一郎(さなだ じょういちろう、1897年(明治30年)11月21日 - 1957年(昭和32年)8月3日)は、日本の陸軍軍人。 第2総軍参謀副長・陸軍省軍務局長・参謀本部第一部長を歴任し、階級は陸軍少将功四級に至る。.

新しい!!: アッツ島の戦いと真田穣一郎 · 続きを見る »

田中新一

中 新一(たなか しんいち、1893年(明治26年)3月18日- 1976年(昭和51年)9月24日)は、大正・昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと田中新一 · 続きを見る »

牛島秀彦

牛島 秀彦(うしじま ひでひこ、1935年1月27日 - 1999年7月12日)は日本のノンフィクション作家、評論家。.

新しい!!: アッツ島の戦いと牛島秀彦 · 続きを見る »

瀬島龍三

島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。 戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた。号は「立峰」。 松尾伝蔵(陸軍歩兵大佐。二・ニ六事件で岡田啓介首相の身代わりとなって反乱部隊に殺害された)の娘婿である松尾の長女である清子が、瀬島の妻。。.

新しい!!: アッツ島の戦いと瀬島龍三 · 続きを見る »

白兵戦

白兵戦(はくへいせん、)は、刀剣などの近接戦闘用の武器を用いた戦闘のこと。現代では、近距離での銃撃戦と格闘戦も一体のものとして捉えており、距離によってCQBやCQCとも分類される。.

新しい!!: アッツ島の戦いと白兵戦 · 続きを見る »

衣笠丸 (特設水上機母艦)

衣笠丸(きぬがさまる)は、国際汽船の衣笠丸型貨物船のネームシップ。日中戦争から太平洋戦争にかけて、特設給炭油船、特設水上機母艦、特設運送船として運用された。.

新しい!!: アッツ島の戦いと衣笠丸 (特設水上機母艦) · 続きを見る »

飛行場

飛行場(ひこうじょう、英語:aerodrome)は航空機が離陸・着陸できる場所をいう。.

新しい!!: アッツ島の戦いと飛行場 · 続きを見る »

駆逐艦

駆逐艦(くちくかん、destroyer)は、19世紀末に出現した艦種である。.

新しい!!: アッツ島の戦いと駆逐艦 · 続きを見る »

高射砲

射砲(こうしゃほう)は、地上から航空機を攻撃するために作られた火砲。敵の弾着観測気球を狙い撃つため、プロイセン軍が使用したのが始まりである。 大日本帝国海軍では高角砲(こうかくほう)と呼んだ。また日本語では低空で進入する敵機を攻撃する比較的小口径の機関砲を「対空砲」「高射機関砲」と呼ぶことも多いが、英語ではいずれもAnti-aircraft Cannonである。ドイツ語のFliegerabwehrkanone 由来の「FLAK」が英語圏でも多く使われる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと高射砲 · 続きを見る »

護衛空母

護衛空母(ごえいくうぼ、Escort carrier)は、第二次世界大戦で使用された小型・低速の航空母艦である。主に船団護送の目的に使われた。 大きさは長さで正規空母の約半分、排水量で1/3であった。低速で武装も少なく、搭載できる航空機の数も少なかったが、ブロック工法、電気溶接などの技術を採用し、短期間で安価で大量に建造することができた。排水量や搭載可能機数は軽空母と似ているが、護衛空母は軽空母と異なり低速であるため艦隊に随伴できず、また艦体や飛行甲板の装甲も劣る。.

新しい!!: アッツ島の戦いと護衛空母 · 続きを見る »

賽銭

賽銭(さいせん)とは、祈願成就のお礼として神や仏に奉納する金銭のこと。元は金銭ではなく幣帛・米などを供えた。 賽は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味。.

新しい!!: アッツ島の戦いと賽銭 · 続きを見る »

黒島亀人

黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: アッツ島の戦いと黒島亀人 · 続きを見る »

辰口信夫

辰口 信夫(たつぐち のぶお、1911年8月31日 - 1943年5月31日)は、第二次世界大戦中の大日本帝国陸軍の軍医。アラスカ州アリューシャン列島のアッツ島の戦いで33歳で戦死した。アッツ島での戦闘中に短い日記を残しており、この日記は日本軍視点からのアッツ島の戦闘状況を伝える歴史資料として名高い。 セブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信徒であった辰口は、アメリカ合衆国で医学の教育を受け医師免許を取得した。伝道のため日本に戻り、東京のアドベンチストサナトリウムで医者として働きながら更なる医学の教育を受けた。しかし、1941年に彼は軍に召集され、軍医として働くことなり医学の勉強を中断させられた。1942年の暮れから1943年初頭にかけて、辰口の所属する部隊は、日本軍が42年10月から占領しているアッツ島に配備された。そして、5月12日に、アッツ島を奪還しようとするアメリカ陸軍が上陸し日米両軍による戦闘が始まり、彼も戦闘に参加した。 戦闘期間中、辰口は日記を記していた。その日記の中で、戦闘中の出来事や野戦病院での負傷者に対する治療への奮闘の様子を記録していた。死亡の経緯には諸説あるが、彼は戦いの最終日に命を落としたものと考えられている。 辰口の日記は死後、アメリカ軍によって発見され、英語に翻訳された。翻訳のコピーはアメリカ軍の内部で広まり、戦争後に本国でも出版された。クリスチャンでありアメリカで教育を受け、悲劇的な最期を遂げた辰口の日記はアメリカで注目を集めた。辰口の日記の抄訳は西洋の戦記家に広く引用されており、特に最後の家族に対して別れを告げるメッセージは有名である。 なお、ポール(Paul)という英語名を名乗っていた。また、日本国外では誤ってネブ(Nebu)と呼ばれていることもある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと辰口信夫 · 続きを見る »

霧 霧(きり)とは、水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり露点温度に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんだ状態。.

新しい!!: アッツ島の戦いと霧 · 続きを見る »

防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies: NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つ。.

新しい!!: アッツ島の戦いと防衛研究所 · 続きを見る »

防衛省

防衛省市ヶ谷庁舎を望む 防衛省(ぼうえいしょう、Ministry of Defense、略称:MOD)は、日本の中央省庁の一つである。 「日本(条文上の表記は、我が国)の平和と独立を守り、国の安全を保つことを目的とし、これがため、陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊(自衛隊法第2条第2項・第3項・第4項で規定)を管理し、及び運営し、並びにこれに関する事務を行うこと」と「条約に基づく外国軍隊の駐留及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定の規定に基づくアメリカ合衆国政府の責務の日本国内(条文上の表記は、本邦)における遂行に伴う事務で他の行政機関の所掌に属しないものを適切に行うこと」を任務とする(防衛省設置法第3条第1項・第2項)。 日本では防衛省だが、英語での名称は他国の国防省と同じである。.

新しい!!: アッツ島の戦いと防衛省 · 続きを見る »

阿武隈 (軽巡洋艦)

阿武隈(あぶくま)は、日本海軍の軽巡洋艦。長良型の6番艦である。その艦名は福島県、宮城県を流れる阿武隈川より名づけられた。.

新しい!!: アッツ島の戦いと阿武隈 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

藤田嗣治

藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 - 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・フジタ(Léonard Foujita)。.

新しい!!: アッツ島の戦いと藤田嗣治 · 続きを見る »

野見山暁治

野見山 暁治(のみやま ぎょうじ、1920年12月17日 - )は、日本の洋画家。文化勲章受章者。.

新しい!!: アッツ島の戦いと野見山暁治 · 続きを見る »

長波 (駆逐艦)

長波(ながなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型の4番艦である。.

新しい!!: アッツ島の戦いと長波 (駆逐艦) · 続きを見る »

艦砲射撃

艦砲射撃(かんぽうしゃげき)は、軍艦が搭載する大砲(すなわち艦砲)で射撃を実施することである。本来の意味としては、標的が艦船であるか地上目標であるかは問わない。 ただし、昨今では艦砲射撃と言えば軍艦を浮き砲台として使用し、陸上の目標を海上から攻撃するニュアンスを含んでいることが多い。 対地射撃を実施する場合は、上陸前支援や、沿岸部での戦闘における支援射撃に活用される。.

新しい!!: アッツ島の戦いと艦砲射撃 · 続きを見る »

若葉 (初春型駆逐艦)

若葉(わかば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和7年8月pp.7-9『達第百六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和七年八月一日 海軍大臣 岡田啓介|驅逐艦 佐世保海軍工廠ニ於テ建造(昭和六年五月起工ノモノ) 初春ハツハル|浦賀船渠株式會社 子日ネノヒ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 若葉ワカバ|潜水艦 呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第六十八潜水艦|神戸三菱造船所ニ於テ建造 伊號第六十九潜水艦|水雷艇 舞鶴要港工作部ニ於テ建造 千鳥チドリ|藤永田造船所ニ於テ建造 眞鶴マナヅル|掃海艇 藤永田造船所ニ於テ建造 第十三號掃海艇|大阪鐡工所ニ於テ建造 第十四號掃海艇|敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島ナツシマ』。 一等駆逐艦初春型の3番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「若葉」に続いて2隻目。艦名は海上自衛隊の護衛艦「わかば」(旧橘型駆逐艦「梨」)に継承された。.

新しい!!: アッツ島の戦いと若葉 (初春型駆逐艦) · 続きを見る »

若松只一

若松 只一(わかまつ ただかず、1893年3月8日 - 1959年11月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。終戦時の陸軍次官。.

新しい!!: アッツ島の戦いと若松只一 · 続きを見る »

陣地

陣地(じんち、position)は、陸戦において地形の優位を得ることを目的とし、部隊、装備などを配備し、築城を施した場所を指す。これをさらに強化したものを要塞と呼ぶ。野戦築城、戦闘陣地(Battle Position, BP)とも呼ばれる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと陣地 · 続きを見る »

陸軍省

軍省(りくぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国陸軍の軍政機関。主任の大臣は陸軍大臣。 陸軍大臣は国務大臣として親任官であり、現役の陸軍中将・陸軍大将が補された。 予備役の陸軍中将・陸軍大将が陸軍大臣に補されることが可能な時期があった。 1903年(明治36年)以降、1945年(昭和20年) に至るまでの主な附属官庁に航空本部・技術本部・兵器廠・造兵廠・科学研究所・被服廠・糧秣廠などがあり、内局に、大臣官房・人事局・軍務局・整備局・兵器局・経理局・医務局・法務局があった。.

新しい!!: アッツ島の戦いと陸軍省 · 続きを見る »

陸戦

戦(りくせん Land warfare)とは陸上での戦闘。陸上戦のことである。武力紛争は、それが展開される地域の区分に従って、陸上は陸戦、海上は海戦、空中は空戦とされ、国際法はおおむねこの区分に従って規定されている。.

新しい!!: アッツ島の戦いと陸戦 · 続きを見る »

陽動

陽動(ようどう、英:Diversion)とは、自分の本当の意図を敵に誤認させることを目標として計画的に実施される作戦行動である。陽動作戦などという。.

新しい!!: アッツ島の戦いと陽動 · 続きを見る »

東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

新しい!!: アッツ島の戦いと東京 · 続きを見る »

東條英機

東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)7月30日(戸籍上は12月30日) - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。現在の百科事典や教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い現在の百科事典、辞典類、学術誌、研究書、文部科学省検定教科書 等における歴史人物名としての表記は「東条英機」。存命当時の『職員録』など印刷物における表記は「東條英機」、御署名原本における大臣副書は「東條英機」であった。。軍人として陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、政治家として内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。.

新しい!!: アッツ島の戦いと東條英機 · 続きを見る »

杉山元

杉山 元 (すぎやま げん/はじめ、1880年(明治13年)1月1日 - 1945年(昭和20年)9月12日)は、大日本帝国陸軍軍人。元帥陸軍大将、陸軍大臣、教育総監、太平洋戦争開戦時の参謀総長。福岡県出身。 陸軍士官学校卒業(12期)、陸軍大学校卒業(22期)。 陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て経験し元帥にまでなったのは二人しかいない(もう一人は上原勇作)。.

新しい!!: アッツ島の戦いと杉山元 · 続きを見る »

樋口季一郎

樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年8月20日 - 1970年10月11日)は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団師団長等を歴任し、最終役職は第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。.

新しい!!: アッツ島の戦いと樋口季一郎 · 続きを見る »

橋頭堡

橋頭堡(きょうとうほ、lodge ment, bridge head, beach head, air head)は、敵地などの不利な地理的条件での戦闘を有利に運ぶための前進拠点であり、本来の意味では橋の対岸を守るための砦(bridge head)のことである。拠点の種類に応じて、更に(狭義の)橋頭堡(bridge head、渡河点に構築するもの)、海岸堡(beach head、上陸戦時に海岸に構築するもの)、空挺堡(air head、空挺降下作戦時に降下点に構築するもの)に分類される。 「堡」が常用漢字外の字であるため、同音の字で書き換えて橋頭保と表記することもある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと橋頭堡 · 続きを見る »

武蔵 (戦艦)

300px 武蔵(むさし)は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦である。当時は武藏と表記された#達昭和15年11月(1)p.1『達第二百四十一號 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造中ノ戦艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十五年十一月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 戦艦 武藏(ムサシ)』。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目にあたる#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ33(原本39頁)『武藏(むさし) 艦種巡洋艦 三檣「バーク」 艦名考國名に採る。 艦歴明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同11月大連港及旅順國占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同占領に從事、同31年月三等海防艦に編入、同37・8年戰役に從軍:大正元年8月二等海防艦に列す。同3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備に從事、11年4月1日軍艦籍より除き、更めて特務艦(測量艦)と定めらる。昭和3年4月1日除籍。(備考)尚ほ此の外に幕末に初代の軍艦とも云ふ可き「武藏」あり、同艦は明治元年11月外國人より購入(製造場所、竣工年月日、及原名等不詳)のものにして、同2年2月品海碇泊中火を失して焼く、同3年安芸、焼残船體を大蔵省に交付す。(要目略)』。大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦でもあった。.

新しい!!: アッツ島の戦いと武蔵 (戦艦) · 続きを見る »

河出書房新社

株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと河出書房新社 · 続きを見る »

潮書房光人新社

株式会社潮書房光人新社(うしおしょぼうこうじんしんしゃ)は、日本の出版社。月刊誌『丸』および書籍の出版・販売を行う。.

新しい!!: アッツ島の戦いと潮書房光人新社 · 続きを見る »

潜水艦

潜水艦(せんすいかん、Submarine、U-Boot、潛艇)は、水中航行可能な軍艦である。.

新しい!!: アッツ島の戦いと潜水艦 · 続きを見る »

朝雲新聞

朝雲(あさぐも)は、防衛省・自衛隊関連のニュースを主とする日本の新聞。朝雲新聞社が発行している。.

新しい!!: アッツ島の戦いと朝雲新聞 · 続きを見る »

木俣滋郎

木俣 滋郎(きまた じろう、1930年7月14日- )は、戦争・兵器・船舶史家。 浜松市生まれ。一橋大学経済学部卒業。工学院大学付属高等学校教諭のかたわら、歴史・兵器を研究。1998年退職。.

新しい!!: アッツ島の戦いと木俣滋郎 · 続きを見る »

木村昌福

木村 昌福(きむら まさとみ、1891年(明治24年)12月6日 - 1960年(昭和35年)2月14日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。静岡県生まれ。 現場叩き上げの指揮官として太平洋戦争の海上戦闘で数々の武勲を立てたが、特に「奇跡の作戦」といわれた『キスカ島撤退作戦』を指揮し、5千名あまりの日本将兵の無血撤退を成功させた事績で名高い。.

新しい!!: アッツ島の戦いと木村昌福 · 続きを見る »

木曾 (軽巡洋艦)

木曾(きそ)は、大日本帝国海軍の球磨型軽巡洋艦の5番艦。艦名は東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。.

新しい!!: アッツ島の戦いと木曾 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

戦史叢書

『戦史叢書』(せんしそうしょ、英題Senshi sôsho)とは防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)によって1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂され、朝雲新聞社(あさぐもしんぶんしゃ)より刊行された公刊戦史である。A5版、各巻500-600頁、定価2200~4200円。.

新しい!!: アッツ島の戦いと戦史叢書 · 続きを見る »

戦争画

『ワーテルローの戦い』 『デラウェア川を渡るワシントン』(エマヌエル・ロイツェ) 戦争画(せんそうが)は、戦争を題材として描かれた戦争記録絵画。ナポレオン戦争など、軍の宣伝や戦意高揚に利用された作品を指すことが多い。戦闘場面や戦士の出征や凱旋、戦時下の市民生活など戦争の諸場面が描かれた 有名なものに「平家物語絵巻」、宮本三郎の「山下・パーシバル両司令官会見図」、ピカソの「ゲルニカ」、戦後のものでは丸木位里・丸木俊の「原爆の図」「沖縄戦の図」など。.

新しい!!: アッツ島の戦いと戦争画 · 続きを見る »

戦艦

アイオワ」1958年に現役を退いた本艦であったが、ロナルド・レーガンの掲げる「力による平和」戦略の一環として生まれた600隻艦隊構想のもと、同型艦とともにミサイル艦として近代化改装を受け、1984年に現役復帰を果たした(2006年除籍)。 戦艦(せんかん、battleship)とは、軍艦の艦種の一つである。強大な艦砲と堅牢な装甲を備え、海戦が主に砲撃戦に頼った時代に、海上決戦の主力となることに特化していた。第二次世界大戦頃までは、各国家の軍事力の象徴的存在であり、世界のパワーバランスを左右する戦略兵器ともされていた。しかし第二次世界大戦において航空戦力の威力が高まり、艦隊主力の地位を航空母艦に譲った。 第二次世界大戦後は、戦艦は運用機会や存在意義自体が失われ、現在では戦艦と呼ばれる艦種を運用する国はない。.

新しい!!: アッツ島の戦いと戦艦 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: アッツ島の戦いと昭和 · 続きを見る »

昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。 幼少時の称号は迪宮(みちのみや)・諱は裕仁(ひろひと)。お印は若竹(わかたけ)。.

新しい!!: アッツ島の戦いと昭和天皇 · 続きを見る »

海軍甲事件

海軍甲事件(かいぐんこうじけん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年(昭和18年)4月18日に、前線を視察中の連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され、山本が死亡した事件である。アメリカ側名称はヴェンジェンス作戦(Operation Vengeance)。.

新しい!!: アッツ島の戦いと海軍甲事件 · 続きを見る »

日本軍

日本軍(にほんぐん、にっぽんぐん)は、広義には日本が有する軍隊のことであるが、狭義には第二次世界大戦以前(以下戦前)の日本が保持していた軍隊(帝国陸軍と帝国海軍の両軍)を指す。第二次世界大戦の敗戦により軍は解体されたため、戦後は旧日本軍(きゅうにほんぐん、きゅうにっぽんぐん)、旧軍(きゅうぐん)などと略称する。また、戦前からの名称・呼称としては陸海軍(りくかいぐん)、帝国陸海軍(ていこくりくかいぐん)、国軍(こくぐん)、皇軍(こうぐん、すめらみいくさ)、官軍(かんぐん)などがある。 戦後、日本の防衛組織として創設された「自衛隊」については、日本国内では「日本軍」と称されることはほとんどない。日本語以外の言語地域では正式には英語名称で「Japan Self-Defense Forces」など「自衛隊」に相当する語で表現するが、「日本軍」に相当する語(「Japanese military」、「Japan Armed Forces」など)で表す場合もある。本項では「旧日本軍」について詳述する。.

新しい!!: アッツ島の戦いと日本軍 · 続きを見る »

日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

新しい!!: アッツ島の戦いと日本放送協会 · 続きを見る »

散華 (小説)

散華」(さんげ)は、太宰治の短編小説。.

新しい!!: アッツ島の戦いと散華 (小説) · 続きを見る »

時化

時化(しけ)とは強風などの悪天候のために海上が荒れること。対義語は凪。動詞化して時化るともいう。気象学の波浪表によると、波高が4mを超えた場合を時化た状態と言い、6m超えを大時化、9mを超えると猛烈に時化ている状態と呼ぶ。時化の状態になると、船の転覆の恐れがあるために漁師は漁に出ることができず、魚市場での不作につながる。.

新しい!!: アッツ島の戦いと時化 · 続きを見る »

1942年

記載なし。

新しい!!: アッツ島の戦いと1942年 · 続きを見る »

1943年

記載なし。

新しい!!: アッツ島の戦いと1943年 · 続きを見る »

5月12日

5月12日(ごがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から132日目(閏年では133日目)にあたり、年末まではあと233日ある。誕生花はアスチルベ。.

新しい!!: アッツ島の戦いと5月12日 · 続きを見る »

5月29日

5月29日(ごがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から149日目(閏年では150日目)にあたり、年末まではあと216日ある。誕生花はナデシコ。.

新しい!!: アッツ島の戦いと5月29日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

アッツ島戦アッツ島玉砕アッツ玉砕

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »