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アイヌの一覧

索引 アイヌの一覧

アイヌの一覧(アイヌのいちらん)では、主に日本で有名な、アイヌ民族出身者を列記する。.

103 関係: AINU REBELS吾妻鏡吉良平治郎坂上田村麻呂多原香里多原良子大嶽丸大日本帝国天川恵三郎夷狄の商舶往還の法度奥州藤原氏宇梶剛士宇梶静江安倍氏 (奥州)安藤氏安東ウメ子安東氏小川佐助山道康子山辺安之助山本多助川村カ子ト上士幌町三信鉄道平取町二風谷ダム伊治呰麻呂伝説俘囚北海道アイヌ協会ナイノア・トンプソンチカップ美恵子ハワイ州バチェラー八重子ユーカラヘナウケの戦いホクレアアト゜イアテルイアイヌアイヌ解放同盟アイヌ民族博物館イオマンテオニビシ (人物)カムイノミクナシリ・メナシの戦いコシャマインの戦いシャクシャイン八甲田雪中行軍遭難事件知里幸恵...知里真志保砂澤ビッキ砂澤陣秋辺得平競馬笹村二朗続日本紀義経記結城幸司結城庄司白瀬矗花守信吉違星北斗萱野志朗萱野茂蝦夷類聚国史首長騎手調教師高丸豪族貝澤耕一貝澤正辨開凧次郎郵便鵡川町赤頭葛野辰次郎肖像権野村義一金成マツ長万部町酒井美直陸奥国虻田町OKI (ミュージシャン)東北地方松前ピリカ森竹竹市樺太アイヌ殉職江賀寅三深月ユリア渡党浦川治造浅井タケ新党大地文学日本後紀日本紀略悪路王 インデックスを展開 (53 もっと) »

AINU REBELS

AINU REBELS(アイヌレブルズ)は、日本のバンド。.

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吾妻鏡

『吾妻鏡』(吉川本)右田弘詮の序文 『吾妻鏡』または『東鑑』(あずまかがみ、あづまかがみ)は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成で、治承4年(1180年)から文永3年(1266年)までの幕府の事績を編年体で記す。成立時期は鎌倉時代末期の正安2年(1300年)頃、編纂者は幕府中枢の複数の者と見られている。後世に編纂された目録から一般には全52巻(ただし第45巻欠)と言われる。 編纂当時の権力者である北条得宗家の側からの記述であることや、あくまでも編纂当時に残る記録、伝承などからの編纂であることに注意は必要なものの、鎌倉時代研究の前提となる基本史料である。.

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吉良平治郎

吉良平治郎(きら へいじろう、1886年2月3日 - 1922年1月18日)は、アイヌ民族で北海道の釧路郵便局の逓送人(郵便配達員)である。.

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坂上田村麻呂

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。 忠臣として名高く、桓武天皇に重用されて、軍事と造作を支えた一人であり、桓武朝では二度にわたり征夷大将軍を勤める。蝦夷征討に功績を残し、薬子の変では大納言へ昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神として親しまれ、多くの伝説、物語を生んだ。 坂上宝剣では坂家。.

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多原香里

多原 香里(たはら かおり、1972年10月19日 - )は、アイヌの歴史学者(北海道近現代史とアイヌ民族の運動史を専攻)。政治活動家で、新党大地副代表。北海道札幌市出身。.

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多原良子

多原 良子(たはら りょうこ、1953年1月9日 - )は、北海道鵡川町出身の、アイヌ文化伝承者。2002年11月に「アイヌ女性の複合差別問題フォーラム」を開催。2003年には、マイノリティ女性の実態調査の一環としてアイヌ女性に対するアンケート調査を初めて行った。.

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大嶽丸

歌川国芳画『東海道五十三対 土山』 左より鈴鹿山の鬼神、鈴鹿御前、坂上田村麻呂 大嶽丸(おおたけまる)は、伊勢国と近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたと伝わる鬼神あるいは鬼神魔王。文献によっては大竹丸、大武丸、大猛丸などとも記されている。山を黒雲で覆って暴風雨や雷鳴、火の雨など神通力を操ったという。.

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大日本帝国

大日本帝国(だいにっぽんていこく、だいにほんていこく、大日本帝國)は、日本国の国号の一つ。江戸時代末期に外交文書に使用され始め、1946年頃まで公式に使用された。なお、「大日本帝国」と定めた法律は存在しないため、日本の通称または大日本帝国憲法下の日本の通称の一つとして扱われる。 一般には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布時に憲法典の名称として使用されたことから権威づけられ、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行時までの約58年間、天皇が大日本帝国憲法を通じて統治する日本として使用された国号のひとつとされる。最盛時には現在の日本の領土に加え、南樺太・千島列島・朝鮮半島・台湾・澎湖列島・新南群島などを領有していた他、北東アジアや太平洋にいくつかの委任統治領や租借地を保有した。 以下は国号としての大日本帝国を解説し、また大日本帝国憲法下の日本について記述する。.

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天川恵三郎

天川 恵三郎(あまかわ けいさぶろう、1864年(元治元年) - 1934年(昭和9年)4月5日)は、アイヌの民族活動家。 現在の北海道小樽市の領域にあたるオタルナイにて生まれ、1873年(明治6年)、量徳小学校に第1期生として入学する。のち石狩支庁の浜益村に移住し、農業を営んだ。 1900年(明治33年)頃、旭川の近文で、第7師団の移転に伴うアイヌの土地の詐取的な取り上げに対する返還要求運動に関わり注目され、「アイヌの佐倉惣五郎」と呼ばれるにいたる。 1934年(昭和9年)4月5日死去。.

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夷狄の商舶往還の法度

夷狄の商舶往還の法度(いてきの しょうはくおうかんのはっと)は、16世紀の渡島半島において取り決められた講和。夷狄の商舶往来の法度とも呼ばれる。 「日の本蝦夷」と呼ばれた半島東部シリウチ(現上磯郡知内町)一帯に居住するアイヌの首長チコモタイン(チコモタイヌとも)と、「唐子蝦夷」と呼ばれた半島西部セタナイ(現久遠郡せたな町)一帯に居住するアイヌの首長ハシタイン(ハシタイヌとも)が、安東舜季立ち会いの下で松前大館の城主蠣崎季広と結んだ講和である。当時の季広は、アイヌの首長に対して財宝を分け与えたことからカムイトクイ(アイヌ語:kamuy-tokuy、「神のように素晴らしい友」の意)と称されたという。この講和の際、チコモタインは「東夷尹」(とういのおさ)、ハシタインは「西夷尹」(せいいのおさ)をそれぞれ称する。またハシタインは蠣崎氏の拠点の一つである上ノ国(天河)へと移住している。 この講和によって、他国の商人との交易において蠣崎季広が徴収した関銭の一部をチコモタインとハシタインに支払うこと、シリウチから天河までの地域より北東を蝦夷地とし和人の出入りを制限すること、渡島半島南西部の松前と天河は和人地としアイヌの出入りを自由とすること、シリウチの沖または天河の沖を船が通過する際は帆を下げて一礼することが定められた。この内容については、中世の瀬戸内海における海賊の「海関」との類似性から、アイヌによる「海関」の設置を蠣崎季広が認める代わりに交易の安全性をアイヌ側が保障するという取り引きであったとする大石直正の説がある。.

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奥州藤原氏

毛越寺所蔵の三衡画像(江戸時代) 奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。藤原北家秀郷流を称した。.

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宇梶剛士

宇梶 剛士(うかじ たかし、1962年8月15日 - )は、日本の俳優、タレントである。アベベネクスト所属。.

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宇梶静江

宇梶 静江(うかじ しずえ、1933年3月16日 - )は、日本の詩人、古布絵作家、絵本作家、アイヌの解放運動家であり、著名なアイヌ文化の継承者である。長男は俳優の宇梶剛士。実弟浦川治造とともに、千葉県君津市にて「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」を主宰。.

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安倍氏 (奥州)

安倍氏(あべ し)は、平安時代の陸奥国(後の陸中国)の豪族。.

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安藤氏

安藤氏(あんどうし)は、日本の氏族の一つ。.

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安東ウメ子

安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ 2004年7月15日)は、北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。 ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手として知られる。 音楽家としてはトンコリ奏者のOKIと共にCDアルバムなどを出している。他にアイヌ語講師やアイヌ文化の保存活動も行っていた。.

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安東氏

安東氏(あんどううじ、あんどうし)は、日本の鎌倉時代から戦国時代の末まで、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族である。本姓は安倍を称した。 なお諸史料に現れるアンドウの表記について、主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多いことから世界大百科事典第2版 1998、個人名表記は概ね15世紀半ばまでを「安藤」、以降を「安東」とするが、本稿では便宜上、他氏族との混同を避けるため、氏族名を「安東」で統一して叙述する。なお、安藤氏と表記する場合、他の家系と区別するため津軽安藤氏と呼ぶ例がある小口 1995,書名。.

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小川佐助

小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 1987年10月30日)は日本の競馬騎手、調教師。 1934年に京都競馬倶楽部で騎手となったのち、1937年より日本競馬会(後に国営競馬→日本中央競馬会)の調教師となる。以後八大競走2勝を挙げたニューフォードや、皐月賞優勝馬ニホンピローエース、1977年に中央競馬の年度代表馬となったテンポイント(JRA顕彰馬)などの活躍馬を管理した。1982年、黄綬褒章受章。 アイヌ民族の活動家としても著名であり、北海道アイヌ協会が社団法人化された際には組織の中枢を担った。 甥にそれぞれ騎手・調教師の田所稔と田所秀雄、又甥に田所秀孝、田所清広(義理田所稔の弟子で、後に娘婿として家名を継いだ。旧姓・佐野。)がいる。.

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山道康子

山道 康子(やまみち やすこ、1946年2月20日 - )は、アイヌの活動家。アイヌ名は、『アシリ レラ』(新しい風).

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山辺安之助

山辺 安之助(やまべ やすのすけ(やまのべ、とする場合も)、1867年(慶応3年) - 1923年(大正12年)7月9日)は、白瀬矗の南極探検隊に樺太犬の犬ぞり担当として参加した樺太アイヌ。アイヌ名「ヤヨマネクフ」(Yayomanekuh)。樺太アイヌの指導者として、集落の近代化や、子どもたちへの教育に尽力した。著書に「あいぬ物語」(樺太アイヌ語による口述を金田一京助が筆記)。 right.

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山本多助

山本 多助(やまもと たすけ、1904年7月5日 - 1993年2月13日)はアイヌの文化伝承者・著述家である。北海道釧路市出身。.

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川村カ子ト

川村カ子ト(かわむら カネト 1893年(明治26年)5月 - 1977年(昭和52年)1月6日)は、上川アイヌの長で、旧国鉄の測量技手(ぎて)。国鉄退職後は川村カ子トアイヌ記念館の館長、旭川アイヌ民族史跡保存会長、旭川アイヌ民族工芸会長などを務めた。弟に川村才登、妹・コヨの夫に貝澤藤蔵がいる。.

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上士幌町

上士幌町(かみしほろ ちょう)は、北海道中部、十勝総合振興局管内の河東郡にある町。北海道遺産に選定された、「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」がある。 町名の由来は、アイヌ語の「シュー・オル・ペツ」(鍋を漬ける川)から。伝説によれば、昔この地に忍び込んだ盗賊が村人に見咎められ、鍋を水に漬けたままで逃げたからという(山田秀三著 『北海道の地名』より)。.

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三信鉄道

三信鉄道株式会社(さんしんてつどう)は、現在の東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の前身となる路線を運営していた鉄道会社である。三河川合駅から天竜峡駅までの区間を運営していたが、1943年(昭和18年)に日本国有鉄道の前身である鉄道省に買収(戦時買収)された。社名は「三河国」と「信濃国」を結ぶことから、それぞれの頭文字を一文字ずつとったものである。.

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平取町

平取町(びらとりちょう)は、北海道の日高振興局管内にある町。.

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二風谷ダム

二風谷ダム(にぶたにダム)は北海道沙流郡平取町、一級河川・沙流川本流中流部に建設されたダムである。 国土交通省北海道開発局室蘭開発建設部が管理する特定多目的ダムである。型式は重力式コンクリートダム、高さは32.0m。沙流川の治水と日高地域への利水を目的に建設されたが、建設に際し水没予定地に住むアイヌ民族との軋轢がダム建設差し止め訴訟にまで発展、アイヌ民族の先住性を問う契機となったダム事業として知られている。ダム湖は二風谷湖(にぶたにこ)と呼ばれる。.

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伊治呰麻呂

伊治 呰麻呂史料には伊治公呰麻呂(これはり/これはる の きみ あざまろ)とあるため、これに準じて記される場合も多いが、姓の「公」(きみ)を付けたものである。(これはり/これはる の あざまろ、生没年不詳)は、8世紀後半の日本、奈良時代の東北地方で活動した蝦夷の指導者。姓は公。官位は外従五位下・上治郡大領。 宝亀11年(780年)に伊治城 神護景雲3年2月(769年3月)、伊治郡内(のちの栗原郡城生野村、現・宮城県栗原市築館城生野[つきだてじょうの]と推定される)に築かれた城柵。で宝亀の乱(伊治呰麻呂の乱)を起こした。.

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伝説

伝説(でんせつ; legend; Legende)は、人物、自然現象『世界百科事典』第15巻、804–6頁。 関敬吾「伝説(でんせつ)」の項。等にまつわる、ありきたり日常茶飯事のものではない異常体験を、形式上「事実」として伝えた説話の一種。.

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俘囚

俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。 また、主に戦前戦中には戦時捕虜の身分にあるものも俘囚と呼んだ。.

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北海道アイヌ協会

公益社団法人北海道アイヌ協会(ほっかいどうアイヌきょうかい)は、北海道居住のアイヌの組織。1930年(昭和5年)に設立され、1946年(昭和21年)に社団法人となった。1961年(昭和36年)に北海道ウタリ協会(ほっかいどうウタリきょうかい)に改称し、2009年(平成21年)4月1日に再度、北海道アイヌ協会に改称した。 2009年(平成21年)、釧路支部の一部会員が分離独立し、千島・道東アイヌ協会の設立に至った。この新組織は、北方領土出身者、北千島、中部千島、釧路、根室、十勝、網走のアイヌ民族の結束を固めることが目的である。.

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ナイノア・トンプソン

チャールズ・ナイノア・トンプソン(Charles Nainoa Thompson, 1953年 - )は、アメリカ合衆国の海洋冒険家・社会活動家・政治家である。現在、「ポリネシア航海協会」の会長職にあり、カメハメハ・スクールズの理事、ハワイ大学の評議員も務めている。妻はかつてモデル及びテレビキャスターとしてハワイと日本で活躍したキャシー・ムネノ。.

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チカップ美恵子

チカップ 美恵子(チカップ みえこ、本名・伊賀 美恵子(いが みえこ)、1948年9月2日 - 2010年2月5日)はアイヌ文様刺繍家、文筆家。北海道釧路市出身。『チカップ』とは、アイヌ語の名詞「cikap」で『鳥』という意味。.

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ハワイ州

ハワイ州(State of Hawaii 、Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州である。漢字では「布哇」と書く。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル (2,400 km) にわたっている。州全体が島だけで構成されることではアメリカ合衆国で唯一の州である。アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。130万人を超える人口の他に常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。.

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バチェラー八重子

バチェラー八重子(バチェラーやえこ、1884年6月13日 - 1962年4月29日)は、アイヌの歌人・キリスト教伝道者。「バチラー八重子」とも、表記される。.

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ユーカラ

ユーカラは、アイヌ民族に伝わる叙事詩の総称。アイヌ語で「叙事詩」を意味する。カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカラ」とした方がより忠実としている。またラテン文字表記 (yukar) は知里真志保の表記法による。「ユカラ」ではなく「ユーカラ」と表記されるのはアイヌ語学者金田一京助の影響が大きいと思われる。金田一は第1音節の高アクセントに対応する日本語の表記として長音表記をえらんだ。.

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ヘナウケの戦い

ヘナウケの戦い(-たたかい)は、1643年に渡島半島西部で起こったアイヌの首長ヘナウケによる松前藩との戦い。 寛永20年(1643年)、シマコマキ(現島牧郡島牧村)の首長ヘナウケが松前藩に対して蜂起を開始。松前藩から佐藤権左衛門・新井田権之助・厚谷平蔵らが派遣され、両勢力はセタナイ(現久遠郡せたな町)で交戦する。3月16日(1643年5月4日)には、上級藩士の一人であった南條安右衛門が戦死している。同年5月に佐藤権左衛門らは帰還、その後松前氏の一族にあたる蠣崎利広がセタナイに赴いており、この時に和睦が成立したと見られる。 この蜂起の背景として、まず金掘り(砂金掘り)の存在があげられる。元和2年(1616年)から蝦夷が島(現北海道)においてゴールドラッシュが発生し、多数の金掘りが本州から渡って来た。寛永8年(1631年)にはシマコマキでも砂金の採取が始まっている。アイヌの支配地域において砂金を採取する場合はそこの首長に対しても対価を支払っていたとされ、シブチャリの首長シャクシャインにも親しい関係の金掘りが存在したことから、ヘナウケも同様の関係にあった可能性が指摘されている。 また蜂起の3年前にあたる寛永17年6月13日(1640年7月31日)には内浦岳(現駒ヶ岳)が噴火しており、松前では14日から15日にかけて空が火山灰に覆われ闇夜のような状態になったという。この噴火によって渡島半島周辺は大きな被害を受け、翌年の夏には亀田の金掘りが津軽に逃亡するという事件も発生している。この天災が蜂起の一因になったと見られている。.

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ホクレア

ホクレア(Hōkūleʻa; ホークーレアともいい、こちらのほうが本来の発音には近い)は、.

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アト゜イ

アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1946年 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。「ト゚」(トに半濁点)は (トゥ)の発音を示すアイヌ語片仮名であり、「アト゚イ」は「アトゥイ」と発音する。.

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アテルイ

アテルイ(? - 延暦21年8月13日(802年9月17日))は、平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)。史料には「阿弖流爲」「阿弖利爲」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代では「アテルイ」と呼ばれる。 陸奥国胆沢(現在の岩手県奥州市)へと侵出した紀古佐美率いる朝廷軍を巣伏の戦いで撃退したが、続く大伴弟麻呂率いる朝廷軍、坂上田村麻呂率いる朝廷軍にたて続けて敗北。のち自ら降伏し、田村麻呂も助命を嘆願するが、京の公卿達の反対により河内国で処刑された。 坂上田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイだとする説もある。 本項ではアテルイと共に処刑されたモレ(母礼)についても記載する。.

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アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

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アイヌ解放同盟

アイヌ解放同盟(アイヌかいほうどうめい)は、アイヌによる市民団体。.

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アイヌ民族博物館

アイヌ民族博物館(アイヌみんぞくはくぶつかん)は、北海道白老郡白老町にある博物館。アイヌ語で「大きい湖の集落」を意味する「ポロトコタン」と呼ばれる野外博物館の施設の一つでもあった。2018年3月31日まではポロトコタンと共に一般社団法人アイヌ民族博物館によって運営されていた。.

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イオマンテ

イオマンテを行うアイヌの男性たち。供物を捧げている。(1930年撮影) イオマンテ (iomante) とはアイヌの儀礼のひとつで、ヒグマなどの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界 (kamuy mosir) に送り帰す祭りのことである。 言葉としてはi「それを」+oman「行く」+te「何々させる(使役動詞語尾)」という意味。「それ」とは恐れ多いカムイの名を直接呼ぶ事を避けた婉曲表現であり、従ってイオマンテとは「カムイを行かせる」儀式の意である。また、語頭のiとoの間に渡り音のyが挿入されてiyomante=イヨマンテという発音になることも多い。 単にイオマンテという場合、ヒグマのイオマンテを指すことが多い。本来はカムイであればどんなカムイでも構わず、一部の地域ではシマフクロウのイオマンテを重視する。またシャチを対象とするイオマンテもある。 飼育したヒグマを対象とする儀式はイオマンテ、狩猟によって捕殺した野生のヒグマを対象とする儀式はカムイ・ホプニレ (kamuy hopunire) と呼んで区別することがある。「ホプニレ」とはho「尻」+puni「何々を持ち上げる」+re「使役動詞語尾」で「(カムイを)発たせる」の意味。狩猟で殺した直後の獣のカムイは、魂 (ramat) の形で両耳の間に留まっているという。そこでカムイ・ホプニレの儀式では祭壇を設えてヒグマの頭部を祀り、酒食やイナウを捧げてそのカムイに神々の世界にお帰り頂くのである。.

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オニビシ (人物)

ニビシ(鬼菱、遠仁比之北海道出版企画センター『史料と語る北海道の歴史』中世・近世篇p.90「近世四 シャクシャインの戦い」1985年3月20日、? - 1668年(寛文8年)4月21日)は、蝦夷地に存在したアイヌ民族集団のひとつハエクル(シュムクル)の首長朝日新聞社『朝日 日本歴史人物事典』p.379「オニビシ」1994年11月 - 史料上では、基本的にオニビシは「ハエクル」の頭であると記される。「シュムクル」と「ハエクル」が同じ集団であると指摘したのは海保嶺夫であるが、大井晴男は後世語られる「シュムクル」とオニビシ時代の「ハエクル」を安易に同一視すべきでないと指摘している(大井1992、p.42)。.

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カムイノミ

ムイノミとは、「神に祈る」という意味で、アイヌが、神格であるカムイを天界に帰す儀式である。 例えば、狩りの獲物に対して、肉と毛皮を土産に持って人間界へ来てくれたカムイに感謝し、神の国へ送り帰す。熊送りの儀式「イヨマンテ」などもカムイノミの一種である。.

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クナシリ・メナシの戦い

ナシリ・メナシの戦い(クナシリ・メナシのたたかい:国後・目梨の戦いと表記されることもある)は、1789年(寛政元年)に東蝦夷地(北海道東部、道東)で起きたアイヌと和人の衝突。事件当時は「寛政蝦夷蜂起」と呼ばれた。.

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コシャマインの戦い

ャマインの戦い(コシャマインのたたかい)は、1457年に発生したアイヌと和人との戦い。.

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シャクシャイン

ャクシャイン(沙牟奢允、アイヌ語:サクサイヌ saksaynu または サムクサイヌ Samkusaynu、1606年(慶長11年)? - 1669年11月16日(寛文9年10月23日))は、江戸時代前期のシベチャリ(北海道日高管内新ひだか町静内)のアイヌの首長。.

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八甲田雪中行軍遭難事件

遭難し、直立したまま仮死状態で発見された後藤房之助伍長の像 後藤房之助伍長の像の台座にある文面 八甲田雪中行軍遭難事件(はっこうだせっちゅうこうぐんそうなんじけん)は、1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。.

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知里幸恵

知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日 - 1922年(大正11年)9月18日)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ民族・アイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。 近年、マスコミや各地のセミナー等でその再評価の声が高まっており、また幸恵への感謝から「知里幸恵」記念館の建設運動が活発化している。2008年10月には、NHKの『その時歴史が動いた』で幸恵が詳細に取り上げられ、インターネット書店「アマゾン」の「本のベストセラー」トップ10に『アイヌ神謡集』が入った。また、『アイヌ神謡集』は、フランス語・英語・ロシア語にも翻訳されており、2006年1月には、フランス人作家ル・クレジオが、そのフランス語版の出版報告に幸恵の墓を訪れている。 なお、弟に言語学者でアイヌ人初の北海道大学教授となった知里真志保がおり、幸恵の『アイヌ神謡集』の出版以降、大正末期から昭和にかけて、新聞・雑誌などからはこの姉弟を世俗的表現ながらも「アイヌの天才姉弟」と評された。他の弟の知里高央(真志保の長兄)も、教師をつとめながらちりアイヌ語の語彙研究に従事した。.

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知里真志保

知里 真志保(ちり ましほ、1909年2月24日 - 1961年6月9日)は、アイヌの言語学者。文学博士。専攻はアイヌ語学。姉は、『アイヌ神謡集』の著者・知里幸恵。兄の知里高央も、教師をつとめながらアイヌ語の語彙研究に従事した。 大学での指導教授は、金田一京助。北海道幌別町字登別町(現在の登別市)出身。.

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砂澤ビッキ

澤ビッキ(すなざわ ビッキ, Sunazawa Bikky, 1931年3月6日 - 1989年1月25日)は日本の彫刻家。木彫を専門とする。北海道旭川市出身。.

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砂澤陣

澤 陣(すなざわ じん、1963年 - )旧名 砂澤アウタは日本の工芸家、アイヌ著述家。「後進民族アイヌ」ブログ管理人。.

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秋辺得平

秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年 - )は、日本の社会運動家、アイヌ民族運動家。.

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競馬

(平地競走) 競馬(けいば、)は、騎手の乗った馬により競われる競走競技、およびそれの着順を予想する賭博である。イギリスを発祥とする近代競馬は多くの国々で開催されており、その多くは勝馬投票券の販売とセットの興業として行われている。.

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笹村二朗

笹村 二朗(ささむら じろう、1934年 -)は、北海道ウタリ協会元理事長。元帯広市市議会議員。.

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続日本紀

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。.

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義経記

『義経記』(ぎけいき)は、源義経とその主従を中心に書いた作者不詳の軍記物語で、南北朝時代から室町時代初期に成立したと考えられている。能や歌舞伎、人形浄瑠璃など、後世の多くの文学作品に影響を与え、今日の義経やその周辺の人物のイメージの多くは『義経記』に準拠している。 なお、「源義経(みなもとのよしつね)」の読みは訓読みで「よしつね」であるが、本書では音読みで「ぎけいき」と読む。森銑三は中世・近世期には個人に対する敬意を表す意味で人名を音読みする習慣があったことを指摘し、同様の事例には織田信長の半生を記した『信長記(信長公記、しんちょうき)』の例を挙げている。.

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結城幸司

結城 幸司(ゆうき こうじ、1964年4月 - )は、日本の版画家・木彫作家・アイヌ民族運動家・ロックシンガー。.

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結城庄司

結城 庄司(ゆうき しょうじ、1938年2月20日 - 1983年9月3日)は、アイヌ民族解放運動活動家。.

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白瀬矗

白瀬矗 白瀬 矗(しらせ のぶ、文久元年6月13日井上 (2012)、20頁。(1861年7月20日) - 昭和21年(1946年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。最終階級は陸軍輜重兵中尉。幼名は知教(ちきょう)綱淵 (1990)、23頁。。.

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花守信吉

花守 信吉(はなもり しんきち、生没年不詳)は、白瀬矗の南極探検隊に参加した樺太アイヌの男性。.

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違星北斗

違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) - 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。 アイヌ民族の地位向上のための運動に一生を捧げ、その思想を新聞や雑誌に短歌の形で発表して、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。また道内のアイヌコタンを廻って、まずアイヌ自身が自覚し、団結することが必要であると説いた。 バチラー八重子、森竹竹市と並ぶ、「アイヌ三大歌人」の一人。「アイヌの啄木」と称されることもある。著作に『違星北斗遺稿 コタン』(昭和5年・希望社、現在は草風館より復刊)がある。.

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萱野志朗

萱野 志朗(かやの しろう 、1958年4月 - )は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ民族党の党首。アイヌ民族活動家。.

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萱野茂

萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者(博士(学術))であり、彼自身もアイヌ民族である。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。.

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蝦夷

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。 中央政権の地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。 大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。.

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類聚国史

類聚国史(るいじゅこくし)は編年体である六国史の記載を中国の類書にならい分類再編集したもので、菅原道真の編纂により、892年(寛平4年)に完成・成立した歴史書である。中国の唐代では、詩文の作成や知識の整理のために、古典の中から必要な箇所を抜き書きして分類編纂することが広く行われ、これを類書と称した。この書もまた、類書の形態を踏襲しており、この書を類書として見ることも可能である。 本書の成立時期に言及すれば、『日本三代実録』の部分については、同書は901年(延喜元年)完成であり、その直前に道真が大宰府に流されているために同書部分は後世の加筆であるという説と「三代実録」の編纂には道真自身も関与していたために完成前にその草稿を保有しており、流罪前にその草稿を元にして加筆されたとする説がある。 もとは本文200巻目録2巻系図3巻の計205巻であったが、応仁の乱で散逸したとされ、現存するのは62巻のみである。神祇、帝王、後宮、人、歳時、音楽、賞宴、奉献、政理、刑法、職官、文、田地、祥瑞、災異、仏道、風俗、殊俗という18の分類(類聚)ごとにまとめられており、散逸した部には國學院大學教授の高田淳(出典明記)によれば、東宮、征討、地名など5つの分類があったという。特筆すべきは検索が容易な平安前期の史書で特に先例を調べるのに便宜を図っており、原文主義をとって余計な文章の改変を一切排している。『日本後紀』の多くが失われているため、復元する資料としても貴重である。.

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首長

首長(しゅちょう)は、行政機関(日本の場合は特に地方公共団体)の長を意味する用語で、広い意味では集団・組織を統率する長を意味する言葉である。.

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騎手

騎手(きしゅ)とは、馬に跨り、馬上から馬を操縦する人のことである。 競馬制度は国家・地域によって異なり、それぞれに独自の競馬文化と歴史を有し、開催運営や人材育成のシステムが築かれている。その中において「騎手」という意味の言葉が、競馬の競走への参加に必要な資格ないし公的なライセンスとしての資格称号を指すこともある。.

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調教師

調教師(ちょうきょうし)とは、競馬において厩舎を運営し競走馬を管理することを業とする者のことである。日本の現場では、俗に騎手を逆にした手騎(テキ)と呼ばれている。.

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高丸

丸(たかまる).

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(おに)は、日本の妖怪。民話や郷土信仰によく登場する。 日本語では逞しい妖怪のイメージから「強い」「悪い」「怖い」「ものすごい」「粗い」「大きな」「固い」という意味の冠詞として使われる場合もある(鬼 (曖昧さ回避)も参照)。「仕事の鬼」「相撲の鬼」といった比喩もあり、単独で罵倒として用いられることもある。 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「鬼」 大江町) 追儺の鬼(兵庫県三木市蓮花寺).

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豪族

豪族(ごうぞく)とは、国家や諸侯などの広域政権の領域の内部に存在し、ある地方において多くの土地や財産や私兵を持ち一定の地域的支配権を持つ一族のこと。地域的支配権の源泉は自分自身の所有する財産や武力であり、広域政権の権威を権力の源泉とする地方官は豪族とは呼ばれない。ただし地方官と豪族は排他的なカテゴリーではなく、同一人物が双方を兼ねたり、カテゴリー間を移行したりするケースは多くある。広域政権側が政権安定のために豪族層の政権内への取り込みを行ったり、逆に広域政権の支配力が弱まると地方官が豪族化することがあるからである。.

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貝澤耕一

貝澤 耕一(かいざわ こういち、1946年 - )は、NPO法人 ナショナルトラスト チコロナイ理事長.

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貝澤正

貝澤 正(かいざわ ただし、1912年 - 1992年2月3日)は、元平取町議会議員、元北海道ウタリ協会副理事長。北海道平取町出身。.

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辨開凧次郎

辨開 凧次郎(べんかい たこじろう、1847年(弘化4年)6月 - 1924年(大正13年)10月23日)は、アイヌの家畜商。アイヌ語によるアイヌ名は『イカシバ』(偉大で何でもできうる)。なお、「辨開」を「弁開」と表記することも多い。.

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郵便

郵便(ゆうびん)とは、郵便物を送達する(送り届ける)制度のことである。また、郵便物のこと。 250px日本の郵便配達の様子.

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鵡川町

鵡川町(むかわちょう)は北海道南部、胆振支庁管内勇払郡に設置されていた町。キャッチフレーズは、「ししゃもとタンポポの町」であった。.

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赤頭

赤頭(あかあたま)は、鳥取県に伝わる伝説の人物である。 「赤頭」を「あかがしら」と読む高知県に伝承される妖怪も存在するが両者に深い関係は見られず、別種のものである。.

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葛野辰次郎

葛野 辰次郎(くずの たつじろう、1910年 - 2002年3月27日)は、アイヌ語を話し、伝統に則ったカムイノミを行える数少ない伝承者で、多くのアイヌの精神的指導者として、エカシ(長老)と呼ばれ、同胞から尊敬され続けてきた人物。.

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肖像権

肖像権(しょうぞうけん)とは、肖像(容姿やその画像など)に帰属される人権のこと。大きく分けると人格権と財産権に分けられる。プライバシー権の一部として位置づけられるものであるが、マスメディアとの関係から肖像権に関する議論のみが独立して発展した経緯がある。.

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野村義一

野村 義一(のむら ぎいち、1914年10月20日 - 2008年12月28日)は、北海道ウタリ協会理事長。.

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金成マツ

金成 マツ(かんなり まつ、1875年11月10日 - 1961年4月6日)は北海道幌別郡オカシペッ(現:登別市千歳町)出身のアイヌ女性。正しい和名は金成 广知(まち)。アイヌ名はイメカヌまたは、イメカノ。ユーカラの伝承者として高名である。.

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長万部町

長万部町(おしゃまんべちょう)は、北海道渡島総合振興局北部にある町。南北に伸びた町域を擁し、交通の要衝として昭和時代から栄えてきた町である。.

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酒井美直

酒井 美直(さかい みな、1983年 - )は、元『AINU REBELS』代表。アイヌ民族舞踊家。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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虻田町

虻田の海岸 虻田町(あぶたちょう)は、北海道南西部、胆振支庁管内虻田郡にあった町。 噴火湾(内浦湾)と洞爺湖に挟まれた場所にある。洞爺湖岸には洞爺湖温泉があり、東の壮瞥町にある有珠山、昭和新山観光の拠点としての役割も担う道内有数の観光地である。 本項では、2006年3月27日の虻田町廃止時点での情報を記載する。.

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OKI (ミュージシャン)

OKI(オキ、加納 沖 北海道、1957年-)は、日本のアイヌ民族出身のミュージシャン、音楽プロデューサー。チカルスタジオ所属。 アイヌの血を引く、カラフト・アイヌの伝統弦楽器「トンコリ」の奏者。プレイヤーとしてだけでなく、トンコリやアイヌの伝統歌「ウポポ」によるアイヌ伝統音楽を基調に、ダブ、レゲエ、ロック、アフロ・ビートなど世界のルーツ音楽を取り入れた音楽を制作している。.

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東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

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松前ピリカ

松前 ピリカ(まつまえ ピリカ、1913年 - 1976年)は、北海道平取町出身の民謡歌手。本名、平村花子。 ピリカ(pirka)はアイヌ語で「美しい」「良い」という意味。 平取小学校を卒業後、17歳で芸能の道を志し、旅芸人の一座に参加し、ピリカ花子と名乗った。20歳から松前ピリカを名乗った。美声で知られ、「松前ピリカ一座」を主宰し数十名の団員を引き連れ、各地を巡業し、一世を風靡した。また、津山洋子・高樹一郎らの後輩を養成した。漫才師の東けんじが在籍していたこともある。 ふるさとのための慈善活動をしたことも知られ、彼女およびその他の村民の寄付により、戦前は消防車や「平取号」という名前の飛行機などが寄贈され、戦後は義経公園内の千本桜などを植樹したことが知られる。 平取町内の義経公園内に顕彰碑がある。.

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森竹竹市

森竹 竹市(もりたけ たけいち、1902年2月23日 - 1976年8月3日)は、昭和時代の歌人。アイヌ三大歌人に数えられる。筑堂と号する。.

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樺太アイヌ

樺太アイヌあるいはサハリンアイヌ(からふとアイヌ、、)とは、かつて樺太南部に居住していたアイヌ系民族である。 トンコリやミイラ作りに代表される、北海道アイヌや千島アイヌとは異なる文化・伝統を有することで知られる。1945年のソ連による樺太占領によって大多数の樺太アイヌは樺太を離れ、以後は北海道各所に散在している。.

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殉職

警視庁及び東京消防庁の殉職者を祀る弥生慰霊堂 国防のために殉職した軍人・軍属等を祭る靖国神社 神奈川税務署員殉職事件で殉職した税務官の慰霊碑 殉職(じゅんしょく)とは、一般に、特定の業務に従事する職員が、職務・業務中の事故が原因で死亡することをいう。.

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江賀寅三

江賀 寅三(えが とらぞう、1894年12月5日 - 1968年6月28日)はアイヌ出身の聖公会牧師、後に日本ホーリネス教会の牧師。晩年は超教派の伝道師になり静内に教会を建設する。.

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深月ユリア

深月ユリア(ふかつき ユリア、1984年1月7日 - )は、日本の女優、占い師、モデル、ベリーダンサー、脚本家、ライター。映像制作事務所深月事務所代表。.

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渡党

渡党(わたりとう)は、日本の中世、北海道渡島半島を中心とする地域に住んでいた集団に対する呼称である。.

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浦川治造

浦川 治造(うらかわ はるぞう、1938年11月 - )はアイヌの著名なエカシ(長老)である。アイヌ文化奨励賞受賞者。東京アイヌ協会名誉会長。40代で関東に移住し、現在も関東におけるアイヌのリーダーの一人として活動を続けている。アイヌ古布絵作家の宇梶静江は実姉で、俳優の宇梶剛士は甥に当たる。.

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浅井タケ

浅井 タケ(あさい たけ、旧姓: 山田、1902年4月5日 - 1994年4月30日)は、アイヌの女性。アイヌ語樺太方言の話者としてアイヌ語・伝承文学の記録に大きく貢献した。アイヌ名は、タハコナンナ(Tahkonanna)である。 浅井タケは樺太アイヌ語の最後の話者であった。.

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新党大地

新党大地(しんとうだいち)は、日本の政治団体・北海道の地域政党である。略称は大地、NPD。.

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文学

ジャン・オノレ・フラゴナール『読書する女』(1772年) 文学(ぶんがく)とは、言語表現による芸術作品のこと。文芸ともいう。それらを研究する学問も文学と称されるが、これについては文芸学で扱う。狭義には、詩・小説・戯曲・随筆・文芸評論などを典型的な文学の例とする。 西洋での文学(、、、、)はラテン語のlittera(文字)及びその派生語litteratura(筆記、文法、教養)を語源とし、現在では主に以下の意味を持つ。.

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日本後紀

『日本後紀』(にほんこうき)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『続日本紀』に続く六国史の第三にあたる。承和7年(840年)に完成し、延暦11年(792年)から天長10年(833年)に至る42年間を記す。編者は藤原緒嗣ら。編年体、漢文、全40巻(現存10巻)。.

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日本紀略

日本紀略(にほんきりゃく)は、平安時代に編纂された歴史書で、六国史の抜粋と、六国史以後後一条天皇までの歴史を記す。範囲は神代から長元9年(1036年)まで。編者不詳。漢文、編年体、全34巻。.

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悪路王

悪路王面形彫刻(複製)図像。城里町高久の鹿島神社の拝殿にて 悪路王(あくろおう)は平安時代初期の蝦夷の首長。文献によっては盗賊の首領や、鬼とされることもある。 しばしばアテルイと同一視されるが、ほかにも異称は多く存在し、それらのどこまでが同じ人物でどこまでが別人なのかは、史料によって異なる。また、伝承が残るのは主に岩手県や宮城県だが、奥羽山脈を越えた秋田県や北関東の栃木県、さらに蝦夷とは何の関係もない滋賀県にもゆかりの地とされる旧跡が存在する。 どの伝説においても、坂上田村麻呂ないし彼をモデルとした伝承上の人物によって討たれるところは共通している。.

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