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もののあはれ

索引 もののあはれ

もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている 清水文雄『日本人の心』(比治山大学、1969年2月)。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。.

45 関係: 契沖岩波書店川端康成上智大学平安京平安時代幽玄幕府価値観ロマン主義ヒューゴー賞フリードリヒ・ニーチェホトトギス喜海和辻哲郎ケン・リュウセーレン・キェルケゴールをかしもののまぎれ勧善懲悪国学石上私淑言王朝時代現世紫文要領美しい日本の私―その序説美意識絶対者無常西行講談社現代新書暇潰し比治山大学江戸時代清水文雄源氏物語源氏物語玉の小櫛本居宣長明恵日本の中古文学史日本精神史研究2013年

契沖

契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) - 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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川端康成

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った原善「川端康成」()。その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた羽鳥徹哉「作家が愛した美、作家に愛された美―絶望を希望に転じ、生命の輝きを見出す」()羽鳥徹哉「川端文学の世界――美についての十章」()。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。 代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()。 川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる「新感覚――『文芸時代』の出発」()「第一編 評伝・川端康成――非情」()「第二部第五章 新人才華」()。また、その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い。 多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した(なお、遺書はなかった)「『美しい日本の私』――ノーベル賞受賞」()「第三部第八章 末期」()。.

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上智大学

記載なし。

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平安京

平安京復元模型写真(大内裏付近) 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であった都市である。平安城ともいい、桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城に倣って計画都市として建設された。現在の京都府京都市・京都市街であり、当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存している。明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失った。平安京が置かれてから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を日本史では「平安時代」という。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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幽玄

幽玄(ゆうげん)とは、文芸・絵画・芸能・建築等、諸々の芸術領域における日本文化の基層となる理念の一つ。 本来は仏教や老荘思想など、中国思想の分野で用いられる漢語であったが、平安時代後期から鎌倉時代前期の代表的歌人であり、千載和歌集を撰集した藤原俊成により、和歌を批評する用語として多く用いられて以来、歌論の中心となる用語となった。同じ歌道の理念である有心(うしん)とともに並び用いられることが多いが、本来は別の意味の言葉である。 その後、能楽・禅・連歌・茶道・俳諧など、中世・近世以来の日本の芸術文化に影響を与え続け、今日では一般的用語としても用いられるに至っている。.

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幕府

幕府(ばくふ)は、日本の中世及び近世における征夷大将軍などの武家の最高権力者を首長とする武家政権のことをいう。あるいはその武家政権の政庁、征夷大将軍の居館・居城を指す名称としても用いられる。近衛大将の唐名。.

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価値観

価値観(かちかん、英:sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方広辞苑第六版「価値観」。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となる ものの見方。ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。.

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ロマン主義

マン主義(ロマンしゅぎ、Romanticism、Romantisme、Romantik、Romanticismo、Romanticismo、Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動の一つである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇など様々な芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。 ドラクロワ『アルジェの女たち』(1834年、ルーヴル美術館所蔵).

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ヒューゴー賞

ヒューゴー賞(ヒューゴーしょう、The Hugo Awards)は、前年に発表されたSFやファンタジーの作品および関連人物に贈られる賞である。小説、映像、コミックなど複数の部門があり、各受賞者は毎年の世界SF大会(ワールドコン)中に開催されるヒューゴー賞授賞式において発表される。運営しているのは、ワールドコンの運営母体でもあり、SFファンが会員となる非営利団体、ワールドSFソサエティ(World Science Ficton Society, WSFS)である。.

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フリードリヒ・ニーチェ

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツの哲学者、古典文献学者。現代では実存主義の代表的な思想家の一人として知られる。古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、哲学教授職を希望しつつも、バーゼル大学古典文献学教授となり、辞職した後は在野の哲学者として一生を過ごした。随所にアフォリズムを用いた、巧みな散文的表現による試みには、文学的価値も認められる。 なお、ドイツ語では、「ニーチェ」(フリードリヒ  ヴィルヘルム  ニーチェ )のみならず「ニーツシェ」とも発音される。.

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ホトトギス

ホトトギス(杜鵑、学名:)は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている(「ホトトギス目ホトトギス科」と書かれることもあるが、カッコウ目カッコウ科と同じものである)。日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰「杜鵑」「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などは、中国の故事「杜鵑の啼血」にちなむ。故事の節で説明。、時鳥、子規、田鵑など、漢字表記や異名が多い。.

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喜海

喜海(きかい、治承2年(1178年) - 建長2年12月20日(1251年1月13日))は、鎌倉時代中期の華厳宗の僧。号は義林房。 山城国栂尾高山寺に入って明恵に師事し華厳教学を学び、明恵とともに華厳教学やその注釈書「華厳経探玄記」の書写・校合に携わった。明恵の置文に高山寺久住の一人として高山寺の学頭と定められ、明恵の没後も高山寺十無尽院に住した。明恵の行状を記した「高山寺明恵上人行状」は有名である。弟子には静海・弁清などがいる。 Category:華厳宗の僧 Category:鎌倉時代の僧 Category:1178年生 Category:1251年没.

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和辻哲郎

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。.

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ケン・リュウ

ン・リュウ(Ken Liu、中国語:劉宇昆(リウ・ユークン)、1976年 - )は、アメリカ合衆国の小説家、翻訳家である。SF作品を得意とし、数々の賞を受賞している。中国系アメリカ人。.

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セーレン・キェルケゴール

ーレン・オービエ・キェルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard 、1813年5月5日 - 1855年11月11日)は、デンマークの哲学者、思想家。今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている。 キェルケゴールは当時とても影響力が強かったゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル及びヘーゲル学派の哲学あるいは青年ヘーゲル派、また(彼から見て)内容を伴わず形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者であった。.

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をかし

をかしとは、日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。語源は愚かな物を表す「をこ(痴、烏許、尾籠)」が変化した物という説が有力である。.

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もののまぎれ

もののまぎれは、源氏物語に記された3つの事件で起こった事象を言い、中でも藤壺事件に伴う事象を言う。源氏物語において重要な概念とされ、時に「主題である」とされることもある語である。; 藤壺事件; 女三宮事件; 浮舟事件.

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勧善懲悪

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)は、「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つ。勧懲(かんちょう)とも略す。.

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国学

国学(こくがく、正字・國學)は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。蘭学と並び江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。その扱う範囲は国語学、国文学、歌道、歴史学、地理学、有職故実、神学に及び、学問に対する態度も学者それぞれによって幅広い。.

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石上私淑言

『石上私淑言』(いそ-の-かみ-の・ささめ-ごと)は、本居宣長の記した歌論書。宝暦13年(1763年)に書かれた宣長初期の著作であり、未定稿のまま保管されていたが、没後文化13年(1816年)に刊行された(成立年代については他説あり)。 内容は、もののあはれの説を基軸として和歌のありうべきすがたを論じたもので、通常は『排蘆小船』の和歌観をさらに展開させたものと考えられる。歌は感情の流露であるとし、倫理や道徳概念によって文学を掣肘することに非を論ずる内容であるが、和歌とともに「あはれ」の概念について多く論じられており、和歌論から国学的範疇への移行が見てとれる。 刊行時の書誌は以下のとおり。刊行年文化13年。中断した巻三を除外し、二巻二冊(一冊合本板もある)。岸本由豆流、校訂者斎藤彦麿の序、藤原常彦、片岡寛弘の跋。版元は宣長の著作を多く出版した万笈堂。 Category:歌論 Category:江戸時代の書籍 Category:本居宣長.

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王朝時代

王朝時代(おうちょうじだい)は、日本の歴史における時代区分で、天皇が政治の実権を握っていた時代を指す。.

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現世

世(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、現在の世のこと広辞苑第五版デジタル大辞泉。古くは「げんぜ」とも読む。.

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紫文要領

『紫文要領』(しぶんようりょう)は、江戸時代中・後期の国学者である本居宣長(1730年 - 1801年)による源氏物語の注釈書である。「もののあはれ」を初めて体系的な形で提唱したことで知られる。弟子による写本である東京大学図書館本居文庫蔵本は『源氏物語玉の小琴』の内題を持っている。.

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美しい日本の私―その序説

『美しい日本の私―その序説』(うつくしいにほんのわたし――そのじょせつ)は、川端康成の評論。1968年(昭和43年)12月10日、日本人として初のノーベル文学賞を授与された川端(当時69歳)が、12月12日にストックホルムのスウェーデン・アカデミーで行われた授賞記念講演において演説した芸術観・文化論である『実録川端康成』(読売新聞文化部、1969年7月) 助川徳是「『美しい日本の私――その序説』私注」(福岡女子大学、1969年9月)。 日本人の美の心を端的に語った『美しい日本の私―その序説』は、世界に向かい、広く日本の古典文学・芸術を紹介し、その根底をなす伝統的な日本人の心性や思想の特質、西欧と異なる死生観などを説いた日本文化論であると同時に、現代の日本文学者・川端自身の心根にも、その伝統が脈々と受け継がれていることを宣言した記念碑的な作品である大久保喬樹『日本文化論の系譜―「武士道」から「『甘え』の構造」まで』(中公新書、2003年) 大久保喬樹『川端康成―美しい日本の私(ミネルヴァ日本評伝選)』(ミネルヴァ書房、2004年)『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)。 講演の全文は同年12月17日の朝日新聞ほか各紙に掲載され、翌1969年(昭和44年)3月16日に、旧仮名遣いで講談社現代新書より英訳付きで単行本刊行された。文庫版も同社より刊行されている。翻訳版はエドワード・G・サイデンステッカー(英題:Japan, the Beautiful, and Myself)をはじめ、各国で行われている。.

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美意識

美意識(びいしき、、)とは、人が美しいと感じる心の働き。 美しいと感じる対象は個体差が大きく、時代、地域、社会、集団、環境などによっても大きく異なる。例えば、整然と並ぶものに美を感じるものもいれば、ランダムに並ぶさまに美を感じるものもいる。左右対称を美しいと感じるものもいれば非対称に美を見出すものもいる。無調を心地よいと感じるか否かなども美意識に関連している場合がある。 西欧では華美な装飾や対称の美しさを核とした人工の美をその美意識の中心においているが、日本人の美意識はむしろ自然と対立せず、寺社、庭園に見るように、自然に溶け込むこと、朽ちては再生するプロセスそのものへの馴染み、死をも敵対するものとしては捉えず、侘(わび)、寂(さび)に見るように朽ち果てゆくものへの素朴な同調などが基調になっている。 粋は江戸時代後期の文化文政期の町人の間に生まれた美意識である。 建築において、コンクリート打ち放しを美しいと感じるか否かなどは、近年問いかけられたテーマである。 世阿弥が「秘すれば花」と表現したが、日本人には全体的調和を重んじ自己主張を抑制し隠蔽することによって却って受け手の想像力を刺激し、日本人特有の奥深い表現を成しえるといった側面があるように、その国特有の文化、生活、歴史観などに大きく左右される部分が多い。あるいは、住んでいる環境・自然から受ける影響も大きいと考えられる。自然と対峙するか、自然と調和するかによって美意識は大きく異なる。.

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絶対者

絶対者(ぜったいしゃ)とは哲学用語の一つ。 何者にも依存しないで自立的、自発的な存在を維持することが可能であり、制限や制約などといった事柄にも全く縛られないような究極的な者の事を絶対者と言う。古代より宇宙や善のイデアや神などが人間を超越した絶対者とされてきた。.

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無(む、无)とは、否定を一般化した表現。対義語は有。「定義されていない(未定義)」事とは意味合いが異なる場合がある。.

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無常

無常(むじょう、anicca, アニッチャ、梵: anitya, アニトヤ)とは、生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。非常ともいう。 あらゆるもの(有為法)が無常であることを諸行無常といい、三法印の1つに数える。.

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西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

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講談社現代新書

講談社現代新書(こうだんしゃげんだいしんしょ、Kodansha's new library of knowledge)とは、講談社が発行する教養新書のシリーズである。1964年(昭和39年)4月に創刊した。.

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虹(画像の主虹の上部に薄く副虹が見える) 滝の水飛沫による虹(アイスランド・グトルフォス) 波の水飛沫による虹 虹(にじ)とは、赤から紫までの光のスペクトルが並んだ、円弧状の光である。気象現象の中でも、大気光学現象に含まれる。 太陽の光が、空気中の水滴によって屈折、反射されるときに、水滴がプリズムの役割をするため、光が分解されて、複数色(日本では七色とされる)の帯に見える。雨上がり、水しぶきをあげる滝、太陽を背にしてホースで水まきをした時などによく見ることができる。虹色は多色の一つとも言える。.

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暇潰し

暇潰し(ひまつぶし)とは、時間的余裕が生じた際などに、本来要求されていない行為・作業などを実施することによって時間を消費する代替行為の一つ。 「ひまつぶし」として認知されているもの1つに、本来運搬時に用いる緩衝材であるエアキャップを潰すという行為がある。エアキャップの気泡を潰すことによって発生する軽快な破裂音によって一時的な精神的な充足感を得るというものであり、暇つぶし専用のエアキャップも発売されている(プチプチつぶしを参照)。.

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比治山大学

正.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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清水文雄

清水 文雄(しみず ふみお、1903年(明治36年)6月6日 - 1998年(平成10年)2月4日)は、熊本県出身の国文学者。和泉式部など中古文学・中世文学の研究で有名。作家・三島由紀夫の才能を見出したことで知られる。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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源氏物語玉の小櫛

『源氏物語玉の小櫛』(げんじものがたりたまのおぐし)とは、江戸時代中・後期の国学者である本居宣長による『源氏物語』の注釈書である。「もののあはれ」を提唱したことで知られる。全9巻。宣長が67歳である1796年(寛政8年)成稿、1799年(寛政11年)の刊行。.

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本居宣長

本居 宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。本姓は平氏。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵。自宅のにて門人を集め講義をしたことからと呼ばれた。また、荷田春満、賀茂真淵、平田篤胤とともに「」の一人とされる。伊勢松坂の豪商・小津家の出身で、一族には日本の映画監督・脚本家の小津安二郎がいる。.

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月(つき、Mond、Lune、Moon、Luna ルーナ)は、地球の唯一の衛星(惑星の周りを回る天体)である。太陽系の衛星中で5番目に大きい。地球から見て太陽に次いで明るい。 古くは太陽に対して太陰とも、また日輪(.

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明恵

紙本著色明恵上人像」(高山寺蔵、国宝) ---- 高弁(明恵)が山中の松林の樹上で坐禅を組むすがたを、弟子の恵日房成忍が筆写したものといわれる。 明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される華厳宗は、華厳経にもとづく南都六宗の一学派。奈良時代に隆盛したが平安時代にはいると勢力を失い、天暦元年(947年)に光智が華厳専修道場として東大寺尊勝院を設立してやや衰勢を取り戻したが、それ以後、再び不振に陥った。藤田(1966)p.178。.

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日本の中古文学史

日本の中古文学史(にほんのちゅうこぶんがくし)は、中古(およそ平安時代)の日本文学の歴史である。.

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日本精神史研究

『日本精神史研究』(にほんせいしんしけんきゅう)は、和辻哲郎の著作で、1926年に出版された。.

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2013年

この項目では、国際的な視点に基づいた2013年について記載する。.

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あはれもののあわれ物の哀れ

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