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韻文

索引 韻文

韻文(いんぶん)とは、聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表された文章。散文の反意語。多く詩において用いられる。 一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。俳句、和歌、漢詩、連歌、連句、四行詩、脚韻詩などの韻文詩なども韻文に含まれる。.

253 関係: Antilabe基本律原口一博おふくろさん騒動おもろさうしたとえ話たんぽぽ (小説)なぞなぞふらんす堂うろんな客すっぱい葡萄千字文古壮字古代エジプト文学古エッダ古文 (文体)台湾の文学叙事詩叙事詩的映画向島百花園吉野利弘坪内稔典坂口安吾大和田建樹女性終止定型詩宮古島島民遭難事件宮沢賢治対句尋常小学唱歌尋常小学読本唱歌山路一遊島原 (京都)上古音中井竹山中国文学中国文明中華民国国歌中高ドイツ語中間韻世界征服者の歴史三島由紀夫賞三島由紀夫文学館三国志演義の成立史九つの薬草の呪文平曲二行連今西幹一仮名 (文字)...当道座御製後花園天皇後藤郁子後柏原天皇俗語論北村薫北方十字軍園芸國士無双ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブムペール・ギュントナーサリーライムペドロ3世 (アラゴン王)マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラマヌ法典チャラカ・サンヒターネメシス (戯曲)バラッドバーバラ・カートランドバースムーサモーリス・ド・ゲランヤージュニャヴァルキヤ法典ユースフ・ハーッス・ハージブラヨークランスロまたは荷車の騎士リブレット (音楽)リベラル・アーツリズムルノー・ド・モントーバンレーモン・ルーセルロメオとジュリエット (ベルリオーズ)ロンドー体ヴァージニア・ウルフブリュ物語ブィリーナプラトンパスティヒューマニズムヒトーパデーシャビアトリクス・ポタービザンティン小説ピューティア大祭ピアノと管絃楽のための「リトミカ・オスティナータ」テルツァ・リーマティトゥス・リウィウスデボラディル=リフィーナファウストドナルド・クヌースドナウの水の精ダルマ・シャーストラダルマ・スートラダグラス・ホフスタッターベトナム周興嗣アルバニア俳句協会アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服アルテュス王アンドルー・マーヴェルアーソナアーサーの甥、ガウェインの成長記アテーナーアデレイド・クラプシーアイザック・ウォッツインド占星術イーリアスイギリス文学エンブレマタエヴゲーニイ・オネーギンエフゲニー・オネーギン (オペラ)オデュッセイアカチュール・マンデスカール・シュピッテラーガイウス・マエケナスガウェイン卿と緑の騎士キエフ大公国ギリシア文学ゲーデルの不完全性定理コロン (記号)コストラーニ・デジェーシャルル・ボードレールシートン動物記シェイクスピア別人説ジャーミージャック・モーデュイジョヴァンニ・パスコリスプートニクの恋人スタンザゾロアスター教タイの文化唱導円融天皇児童文学児童文化全国高等学校文芸コンクール八景具平親王光源氏石上露子石勒神曲祭文 (漢文)福田昇八禅林墨跡秋田喜三郎穎才新誌筆記紀安雄縦書きと横書き美しい星 (小説)瑠璃明王無形文化遺産無著韻律韻律 (韻文)韻律 (言語学)韻脚韻母韻文詩韻書鎌倉文化遊び聖アレクシス伝類韻類語西遊記の成立史駢文騎士道物語計量文献学詩学 (アリストテレス)詩経読売文学賞高山長幸賭博者 (プロコフィエフ)鷹の井戸黄金の角黙字辞 (文体)茅野蕭々鈴木光男阿来赤松満祐著作家蓮田一五郎虹の橋 (詩)Psychedelic Insanity押韻折口信夫抒情詩掛詞李イク松山宣言松岡操検校武田信玄武楽毎日書道展毛利元敏法句経添削湊川神社湯浅源経信源雅兼漢詩演劇の歴史木村草弥未来本多政敏本間雅晴月のゆくへ月見戯曲明治書院明星 (文芸誌)海燕の歌斎藤秀三郎新猿楽記方法序説文学文章読本日夏耿之介日本十進分類法日本三景日本伝統芸能日本語の表記体系日本文学散文散文のトリスタン散文詩散曲手習い曲水の宴書き初め曽根寸斎 インデックスを展開 (203 もっと) »

Antilabe

Antilabe(ギリシャ語)とは、演劇や詩のテクニックで、1つの韻文行を2人以上の登場人物、声、存在に振り分けること。.

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基本律

基本律(きほんりつ)とは、中心となる法則のこと。.

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原口一博

原口 一博(はらぐち かずひろ、1959年7月2日 - ) は、日本の政治家。国民民主党に所属する衆議院議員(8期)、国民民主党代表代行(初代)、国民民主党政治改革・行政改革推進本部長。 佐賀県議会議員(2期)、総務大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(地域主権推進担当)、衆議院総務委員長、民進党副代表、民進党常任幹事会議長、民主党佐賀県連代表などを歴任。.

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おふくろさん騒動

おふくろさん騒動(おふくろさんそうどう)は、作詞家・川内康範が作詞した楽曲「おふくろさん」の歌詞を、同曲の歌い手である歌手・森進一が勝手に改変したとして、2007年(平成19年)に発生した騒動である。.

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おもろさうし

『おもろさうし』(おもろそうし)は、琉球王国第4代尚清王代の嘉靖10年(1531年)から尚豊王代の天啓3年(1623年)にかけて首里王府によって編纂された歌謡集。「おもろ」の語源は「うむい(=思い)」であり、そのルーツは祭祀における祝詞だったと考えられており、「そうし」を漢字表記すれば「草紙」となり、大和の「草紙」に倣って命名されたものと考えられる。全22巻。.

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たとえ話

たとえ話(譬え話、たとえばなし)は、複雑な分かりにくい内容を、比喩によって具体的なものの話に置き換えて分かりやすく説明する、短く簡潔な物語のこと。散文でも韻文でも綴られることがあり、道徳的ないし宗教的な教訓を示すことが多い。特に西洋においては、この広義のたとえ話のうち、人間が中心になっているものを、動物や植物、無生物、自然界の力などを擬人化して登場させるものと区別する用語法が一般的になっており、人間中心で、より日常的な物語となる前者を「parable」と呼んでおり、狭義での「たとえ話」はその訳語である。これに対し、超自然的、非現実的な物語としての後者は「fable」と呼ばれ、日本語では「寓話」と訳されることが多い。たとえ話はまた、類推(analogy)のひとつのタイプである。 広義のたとえ話は、洋の東西を問わず古代から用いられており、例えば仏典の中にも、涅槃経の「五味相生の譬」や、法華経の「法華七喩」のようなたとえ話が伝えられている。.

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たんぽぽ (小説)

『たんぽぽ』は、川端康成の未完に終わった最後の長編小説「解題――たんぽぽ」()近藤裕子「小説家の視力」()。愛する人の体が突然見えなくなる「人体欠視症」という病に侵され、のどかなたんぽぽの花咲く田舎町の精神病院に預けられた娘の心の深淵を探る物語。独創的な構成により、人間の「愛」「性」「狂気」「運命」「言葉」など難解なテーマを織り込んだ作品で、生涯の最後に「魔界」の新たな展開に挑んだ川端の意欲が看取される実験小説である秋山駿「不思議な作家」()「『たんぽぽ』序説―言葉と生命―」()川嶋至「美神の反逆――『たんぽぽ』」(新潮 1972年7月号)。『美神の反逆』(北洋社、1972年10月)に所収。、「第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉 第五節 〈愛〉の相克『たんぽぽ』」()「第9章 抱擁する『魔界』――たんぽぽ」()。『大和物語』の「生田川伝説」(菟原処女の伝説)や、三井寺伝承の能・民話との関わりも指摘されている作品でもある佐伯彰一「解説」(『たんぽぽ』新潮社、1972年9月)。、「第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉 第六節 謡曲『三井寺』『生田敦盛』『求塚』」()。 川端はこの物語を、1964年(昭和39年)から断続的に執筆していたが、完結を見ないままに1972年(昭和47年)4月16日のガス自殺により絶筆となった川端香男里「『たんぽぽ』覚書」(『たんぽぽ』新潮社、1972年9月)。に再録。。.

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なぞなぞ

なぞなぞ(謎謎、なぞ)は、問いかけに対して、とんちを利かせた答えを要求する言葉遊びを用いたクイズである。ただし普通のクイズとは違って正解は事実に基づくものではなく、言葉の意味をこじつけた駄洒落・洒落が多い。韻を踏んでいたり、何かに見立てられたりする。転じて、言葉によって婉曲的にわからせる事についてもなぞなぞという。.

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偈(げ、gāthā)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」という。.

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ふらんす堂

ふらんす堂(ふらんすどう)は、日本の出版社。代表は山岡喜美子。 詩歌、とりわけ俳句に強みを見せる出版社。社名の由来は萩原朔太郎の詩「旅上」から。ふらんす堂友の会会員向け会報誌『ふらんす堂通信』(季刊)があり、通信投句欄(選者:石田郷子)、短歌投稿欄(選者:東直子)を設けている。句集に与えられる賞として「田中裕明賞」(第1回は2010年)を主催している。.

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うろんな客

『うろんな客』(うろんなきゃく、The Doubtful Guest)は、絵本作家のエドワード・ゴーリーによるアメリカの大人向け絵本。1957年刊行。日本では柴田元幸の訳により2000年に発行された。ゴーリーの初期作品の一つであり柴田訳 (2000)、巻末「〈うろんな客〉とは誰か ゴーリーとルーリー」より。、ゴーリーの代表作の一つに挙げられている濱中編 (2002)、50頁。。.

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すっぱい葡萄

本作を扱った既知で最古の印刷物/ウィリアム・キャクストンの出版物『イソップ寓話』(1484年3月26日刊)の1ページ。この挿絵において、葡萄は農作物として描かれている。 Milo Winterの手になる挿絵/"''The Æsop for Children'' "(1919年刊)より。 「酸っぱい葡萄」(すっぱいぶどう)は、イソップ寓話の一つで、その邦題(日本語題名)の一つ。原題(古代ギリシア語題名)は "Ἀλώπηξ καί σταφυλή" (ラテン翻字:Alópex kái staphylé、和訳:狐と葡萄)、ラテン語題名は直訳した "La vólp e l'ua "、英題も直訳した "The Fox and the Grapes " で、邦題にも直訳した「狐と葡萄(きつねとぶどう)」がある。.

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千字文

『千字文』(せんじもん)(中国語ピンイン:qianziwen)は、子供に漢字を教えたり、書の手本として使うために用いられた漢文の長詩である。1000の異なった文字が使われている。.

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古壮字

古壮字(こそうじ、英語:Zhuang logogram)は、チワン語(壮語)固有の文字体系。 現在の中国南部の広西チワン族自治区に住むチワン族(壮族)の祭祀者がチワン語の記録のために、漢字をそのまま利用したり、漢字の構成方法を使って作り出した。 形が漢字と同じく四角い枠に入るので方塊壮字(ほうかいそうじ)とも呼ばれる。チワン語では未成熟な文字という意味でサーウディプ(sawndip 、古壮字:)と呼ばれている。.

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古代エジプト文学

古代エジプト文学(こだいエジプトぶんがく)は、古代エジプトのからローマの属州であった時代の終わりまでにかけてエジプト語で書かれた、エジプト文学の源流をなす文学である。シュメール文学と共に、と考えられている。ただし、「古代エジプトの文学」という場合、通常の「文学」より広い意味を有し、文字で記されたテクスト全般を「文学」として扱うことが多く、ピラミッドの内部や棺の内側に記される宗教文書も含めて研究されてきた経緯がある吉村(2005)p.173。 エジプト文字(ヒエログリフとヒエラティックの双方)は紀元前4千年紀後半、先王朝時代のエジプトの後期に出現した。紀元前26-22世紀のエジプト古王国の時代までには、 、や手紙、宗教的な讃歌や詩、傑出した高位の行政官の経歴を列挙する自伝的追悼文などの文学的作品が存在していた。エジプトの物語文学が生まれるのは紀元前21-17世紀のエジプト中王国初期になってからである。これはリチャード・パーキンソンによれば、知的な階級の勃興、個人に関する新しい文化的感受性、先例のない高い識字水準、文字資料へのアクセスなどの結果としてもたらされた「メディア革命」であった。しかしながら、識字率は全人口の1%にも満たなかった可能性がある。従って、文学の創造は選良によるものであり、官庁やファラオの王宮に付随した書記官階級に独占されていた。ただし、古代エジプト文学がどの程度王宮の社会政治体制に依存していたかについては現代の学者の間でも完全な意見の一致は得られていない。 エジプト中王国の音声言語であるが紀元前16-11世紀のエジプト新王国期には古典言語となり、この時期に新エジプト語として知られるが初めて書き物に出現した。新王国の書記官たちは中期エジプト語で書かれた数多くの文学テクストを正典として写本し、中期エジプト語は神聖なヒエログリフのテクストを口誦するための言語であり続けた。「セバイト」(教訓)や伝説的な物語など、中王国時代のジャンルの一部は新王国でも一般的であり続けたが、的なテクストのジャンルは紀元前4-1世紀のプトレマイオス朝時代になるまで復興しなかった。人気のある物語としては『シヌヘの物語』や『』、重要な教育的テクストとしては『』や『』などがある。新王国時代までには、神聖な神殿や墓の壁に記された記念の落書きが独自の文学ジャンルとして繁栄するようになっていたが、これらにも他のジャンルと同様の定型的な表現が用いられていた。正当な著者を認知することは一部のジャンルでしか重要とされておらず、「教訓」ジャンルのテクストでは偽名が用いられ、有名な歴史的人物に偽って帰されていた。 古代エジプト文学は幅広い媒体によって保存されてきた。パピルスの巻物や束、石灰岩や陶磁器のオストラコン(破片)、木の筆記板、石造の記念建築、(石棺に書かれた文章)などである。このような形で保存され、現代の考古学者たちにより発掘されたテクストは、古代エジプト文学の小さな部分を見せてくれるに過ぎない。にあたる地域は湿潤な環境がパピルスとインクによる文書の保存に適さなかったため、あまり伝わっていない。他方で、数千年間に亘り埋もれ、隠れていた文学がエジプト文明辺縁の乾燥した砂漠地帯の集落から発見されている。.

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古エッダ

古エッダの写本2冊。流布本ともいえる王の写本(写真上)と、異本の一つフラート島本(下)。 古エッダ(こエッダ、Elder Edda)とは、17世紀に発見された北欧神話について語られた写本。9世紀から13世紀にかけて成立したとされている、古ノルド語で書かれた歌謡集(詩群)である。主に北欧神話や北欧の英雄伝説について語っている。一般に「古エッダ」と呼ばれているものは発見された王の写本をその根底としている。 本来「エッダ」とはスノッリ・ストゥルルソンの『エッダ』(スノッリのエッダ、新エッダ)のことを指していたが、その中で言及されている古い詩の形式や、後に再発見されたそのような形式の詩を指す言葉としても用いられるようになったため、この2つを特に区別するために「古エッダ」と呼ばれるようになった。しかし現在ではエッダよりも後に編纂されたとされている。 『エッダ』が「散文のエッダ」と呼ばれるのに対して、古エッダは「詩のエッダ」「韻文のエッダ」「歌謡エッダ 」(Ljóðaedda, Poetic Edda) と呼ばれることもある。また下記の経緯により「セームンド(セームンドル、サイムンドル)のエッダ」(Sæmundaredda) と呼ばれていたこともある。.

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古文 (文体)

古文(こぶん)とは、中国古代の文体名。散文の一種。.

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台湾の文学

台湾の文学(たいわんのぶんがく)は、長期的な政治的、地理的な制約により中国文学の支流または辺陲文学として捉えられることが多く、その発展には大きな制約が存在した。また外部からの統治者による広義の植民地として一貫された書写系統が確立されることがなかった。その状況下で原住民の口承文学、中国古文、白話文、日本語、台湾語などによる多様な言語による台湾文学が成立することとなった。 このような多様な言語が生み出す意識形態、省籍矛盾、植民地文化などの衝突は台湾文学を根本で定義することが困難な情況を生み出している。 台湾の文学は日本統治時代の新文学、反共文学及び現代主義文学をその発祥とし、1970年代以降に懐郷、郷土、政治、女性文学が登場し、2000年代に更に新しい形態が登場し台湾文学の中の重要な地位を占めるに至っている。このほか励志文学やネット文学などが多元化の潮流に合わせ発展、相互競争を繰り返しながら新しいメディアで紹介され、新しい台湾文学の一面を形成している。現在映像メディアの脅威にさらされながらも、台湾の文学は旧来の様式を基礎に新たな様式を創造し発展を続けている。.

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叙事詩

多くの演劇の題材に用いられるアジアの代表的叙事詩『ラーマーヤナ』(インドネシア、サヌール海岸) 叙事詩(じょじし、epic)とは、物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。 口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。.

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叙事詩的映画

叙事詩的映画(じょじしてきえいが、Epic film)は、壮大なスケールで人間ドラマを描くことに重きをおく映画のジャンルである。歴史映画や冒険映画といった類似したジャンルとの違いは、本ジャンルが他ジャンルに比して、より大掛かりな視野をもつという点である。高い製作価値、賞賛される作曲家による圧倒的な音楽スコア、客を呼べるスターによる出演陣の全体的効果をもつ映画作品であることが多く、その代償として、最高級の製作費を必要とする。叙事詩から派生した映画ジャンルであり、歴史的事件、英雄伝、神話・伝承を語る長篇の韻文である叙事詩との共通点を持つ。.

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向島百花園

向島百花園入場門 向島百花園(むこうじまひゃっかえん)は、東京都墨田区東向島三丁目にある都立庭園で、江戸時代に発祥をもつ花園である。みどころは早春の梅と秋の萩である。隅田川七福神の発祥の地であり佐原鞠塢が所有していた、ともいわれる「福禄寿」が祭られている。.

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吉野利弘

吉野 利弘(よしの よしひろ、1940年4月25日 - )は、日本の英語学者。立教大学名誉教授。.

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坪内稔典

坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人。京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。.

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坂口安吾

坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。 戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた奥野健男「坂口安吾――人と作品」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)『新潮日本文学アルバム35 坂口安吾』(新潮社、1986年)。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された都筑道夫「安吾流探偵術」(『日本探偵小説全集10 坂口安吾集』)(東京創元社、1985年)。 坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家とはいえないが、その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている三枝康高「作品解説」(文庫版『白痴・二流の人』)(角川文庫、1970年。改版1989年、2008年、2012年)三島由紀夫「内容見本」(『坂口安吾全集』推薦文)(冬樹社、1967年)。 晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家である。またアンコウを共食いと言い好んで食べた。坂口安吾『明日天気になれ』.

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大和田建樹

大和田 建樹(おおわだ たけき、安政4年4月29日(1857年5月22日) - 明治43年(1910年)10月1日)とは、日本の詩人、作詞家、国文学者。東京高等師範学校(現・筑波大学)教授。 「鉄道唱歌」「故郷の空」「青葉の笛」などの作詞者として知られている。.

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女性終止

女性終止(フェミニン・エンディング、feminine ending)という言葉は、文脈によって様々な意味を持つ。.

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定型詩

定型詩(ていけいし、rythmed verse, fixed verse)とは、詩節の数やその配列、順序、韻律などに規則的な形式を持っている詩である。日本においては短歌や俳句、川柳、中国での律詩や絶句、欧米でのソネットなどが例として挙げられる『日本国語大辞典 9』、小学館、2001年第2版、547頁「定型詩」項。。 これに対して、制限を持たない詩のことを自由詩という。.

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宮古島島民遭難事件

宮古島島民遭難事件(みやこじまとうみんそうなんじけん)は、日清修好条規の結ばれた1871年(明治4年)、琉球王国の首里王府に年貢を納めて帰途についた宮古、八重山の船4隻のうち、宮古船の1隻が台湾近海で遭難し、台湾東南海岸に漂着した69人のうち3人が溺死(1名は高齢のため脱落説あり)、台湾山中をさまよった生存者のうち54名が台湾原住民によって殺害された事件である。現在の日本史教科書では、「琉球漂流民殺害事件」と記述されている。日本では長く「琉球漁民殺害事件」と記述されてきたが、「宮古島民台湾遭難(遭害)事件」、「台湾事件」などと称され、統一した呼称はない。台湾では遭難船が到着した場所に因み、「八瑤灣事件」(はちようわんじけん)、あるいは「台湾出兵」と一連のものととらえて「牡丹社事件」と称する。 日本政府は、事件に対し清朝に厳重に抗議したが、原住民は「化外の民」(国家統治の及ばない者)であるという清朝からの返事があり、これにより、日本政府は1874年(明治7年)、台湾出兵を行った。.

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宮沢賢治

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。 仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、創作作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。生前彼の作品はほとんど一般には知られず無名に近かったが、没後草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。そうした経緯もあって日本には広く愛好者がおり、出身地である岩手県花巻市は彼の故郷として有名である。.

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対句

対句(ついく)とは、中国文学の技巧のひとつで、2つの句の対応する文字どうしが同一の品詞に属するように文を作ることをいう。韻文・散文の両方に用いられる。対句を主要部とした文章を駢文と呼ぶ。近体詩では特に対句を重んじ、律詩では原則として頷聯(3句めと4句め)・頸聯(5句めと6句め)が対句になっている必要がある。.

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尋常小学唱歌

尋常小学唱歌(じんじょうしょうがくしょうか)は1911年から1914年にかけて文部省が編纂した尋常小学校用の唱歌 (教科)の教科書。先に編纂された『尋常小学読本唱歌』を引き継いだものである。第一学年用から第六学年用までの全6冊。1学年ごとの収録曲は20曲。.

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尋常小学読本唱歌

表紙 緒言(p.1) 尋常小学読本唱歌(じんじょうしょうがくとくほんしょうか)は1910年(明治43年)、文部省が初めて編集した尋常小学校の唱歌教科書。.

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山路一遊

山路 一遊(やまじ いちゆう、1858年11月22日(安政5年10月17日) - 1932年(昭和7年)8月19日)は、日本の教育者である。号は天放。弟に、佃一予・山路一善がいる。1902年(明治35年)から1913年(大正2年)まで滋賀県師範学校長を、1913年(大正2年)から1923年(大正12年)まで愛媛県師範学校長を務め、両県の師範教育に大きな足跡を残した。教育功労により、1919年(大正8年)に勲四等瑞宝章を受章、1923年(大正12年)に従四位に叙された。著書に『読書法』『常識の研究』などがある。.

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島原 (京都)

京都市 島原大門 江戸時代の島原遊郭。歌川広重、1830年代 島原(しまばら)は京都市下京区に位置する花街の名称。「嶋原」とも書く。正式名は西新屋敷といい、6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。島原は1976年に京都花街組合連合会を脱会し、現在は輪違屋のみが正式なお茶屋の鑑札を有し、置屋兼お茶屋の営業を行っている。.

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上古音

上古音(しょうこおん、または、じょうこおん)とは、周代・漢代頃の中国語および漢字音の音韻体系をいう。字音を今音(現代音)と古音(古代音)に分け、古音を上古・中古・近古の3つに分けたものの1つである。.

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中井竹山

中井竹山(なかい ちくざん、享保15年5月15日(1730年6月29日) - 享和4年2月5日(1804年3月16日))は江戸時代中期の儒学者である。大坂の学問所 懐徳堂の四代目学主として全盛期を支える。中井甃庵の長男。中井履軒は実弟。中井蕉園は子。中井碩果、並河寒泉は孫。中井桐園(履軒の孫)は碩果の養子。中井木菟麻呂は桐園の子。 名を善太、元服後に積善と改名。字は子慶。号は竹山、同関子、渫翁、雪翁など。.

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中国文学

中国文学(ちゅうごくぶんがく)とは、中国語で書かれた文学のこと。それらの作品や作家を研究する学問のこと。.

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中国文明

中国文明(ちゅうごくぶんめい)また中華文化(ちゅうかぶんか)は、中国大陸における文明・文化などの総称である。中華文明とも。世界最古の文明の一つであり、東アジアにおける中心文化でもある。歴史的には同文化圏内で広大な地域や人口を保有し、各地の文化は四千年もの発展を経て、「共通性を持ちながらも、鮮明な地方特色を帯びている」という中国独自な特徴になった。そして、中国大陸だけでは限らず、台湾・香港・マカオ・シンガポール等の中華圏や、日本・韓国・ベトナム・モンゴル等の漢字文化圏の国々にもかなり重要な影響を与えた。.

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中華民国国歌

中華民国国歌(ちゅうかみんこくこっか)は中華民国の国歌。しばしば三民主義(ウェード式:San Min Chu-i;)という名で呼ばれる。.

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中高ドイツ語

中高ドイツ語(ちゅうこうドイツご、独:Mittelhochdeutsch)とは、高地ドイツ語の1050年頃から1350年頃にかけての段階のことをいう。それより前は古高ドイツ語(およそ750年~1050年)、それより後の時代については初期新高ドイツ語(1350年頃から1650年頃まで)と呼ぶ。.

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中間韻

中間韻(ちゅうかんいん、internal rhyme or middle rhyme)とは韻文の1行の中に発生する押韻で、それは行の中間で起こる。 中間韻は現代のラップ、ヒップホップ音楽でも広範囲に使われている。1980年代のラキムがそのパイオニアと言われている。.

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世界征服者の歴史

『世界征服者の歴史』(せかいせいふくしゃのれきし、ペルシア語: تاريج جهانگشاء Ta'rīkh-i Jahān-gushā'/Ta'rīkh-i Jahān-gushā'ī)とは、『集史』などと並び、モンゴル帝国を語る上で重要な歴史書。モンゴル帝国の政治家・歴史家のジュヴァイニー(ジュワイニー)によって1260年に完成された。全3巻。原名はペルシア語でタリーヒ・ジャハーン・グシャー(イー)(Tārīkh-i Jahān-gushā(ī))という。 1252年、のちにイルハン朝を創設するフレグの命令でモンゴル帝国の首都カラコルムのモンケの宮廷に派遣されたジュヴァイニーは、モンゴル帝国の広大さに衝撃を受けるとともに、その成立までの過程に関心を抱いた。そして友人からの勧めもあり、モンゴル帝国成立に至る歴史書の執筆を始めたのであった。途中、バグダードの戦いへの参戦とバグダード陥落後のバグダード太守任命などを経て、1260年に完成した。.

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三島由紀夫賞

三島由紀夫賞(みしまゆきおしょう)は、作家・三島由紀夫の業績を記念し新潮社の新潮文芸振興会が主催する文学賞『決定版 三島由紀夫全集第42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)。略称は「三島賞」。新潮社は新潮社文学賞(1954-1967年)、日本文学大賞(1969-1987年)を主催してきたが、それに代わるものとして、三島没後17年の1987年(昭和62年)9月1日に創設され、翌1988年(昭和63年)に選考・授与が開始された。 三島由紀夫は新潮社と付き合いが深く、『愛の渇き』『潮騒』をはじめ、書き下ろしの小説を何冊も出し、晩年は『豊饒の海』四部作を雑誌『新潮』に連載した。没後は新潮社から全集が出され、小説と戯曲の多くが新潮文庫に収録された。新潮社が芥川賞・直木賞と同種のカテゴリーを要求しつつ新しい才能を求めるべく打ち出したのが、三島由紀夫賞と山本周五郎賞である。.

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三島由紀夫文学館

三島由紀夫文学館(みしまゆきおぶんがくかん)は、山梨県南都留郡山中湖村平野の山中湖文学の森公園内にある文学館。三島由紀夫唯一の文学館として、1999年(平成11年)7月3日に開館した。公的機関での三島資料の保存・利用を希望する三島の遺族の意向と、「山中湖文学の森公園」建設の構想が一致したことから、三島文学の研究と普及を基本理念として設立された。運営は山中湖村教育委員会。初代館長は佐伯彰一工藤正義「三島由紀夫文学館」()。2008年(平成20年)晩春からは松本徹。2017年(平成29年)5月からは佐藤秀明が館長である。三島由紀夫文学館は、フランス発行の『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009』において2つ星となった。 館内には、三島由紀夫の全初版本をはじめ、直筆原稿、創作・取材ノート、肉筆資料、絵画、書簡、肖像写真、著書、研究書、翻訳書、初出誌、映画・演劇資料などが保管され、一部を展示している。映像や検索用パソコンなどによる資料写真や解説も紹介され、三島の生涯や文学を垣間見ることができる。 三島と山中湖は特に強い縁はないが、自衛隊の体験入隊では、山中湖近辺で山地踏破訓練をしており、小説『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』『蘭陵王』『恋と別離と』『蝶々』などには山中湖が登場する。『暁の寺』創作・取材ノートでは、三島がスケッチした山中湖一帯の地図が描かれ、富士山、旧鎌倉往還(現在・国道138号線)、北富士演習場や周辺の地名が記されている。.

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三国志演義の成立史

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九つの薬草の呪文

九つの薬草の呪文(ここのつのやくそうのじゅもん、Nigon Wyrta Galdor、The Nine Herbs Charm)とは、10世紀Gordon (1962:92-93).

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平曲

平曲(へいきょく)は、語りもの音楽の一ジャンルもしくは一演奏様式吉川(1990)pp.37-38。盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語った『平家物語』のメロディおよびその演奏様式で、物語琵琶平曲をはじめとする物語琵琶のなかに『浄瑠璃姫物語』と称する演目を手がける一派があり、かれらのレパートリーの総称として後世「浄瑠璃」の呼称がうまれている。吉川(1990)p.43のひとつ。.

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二行連

二行連(にぎょうれん;二行連句、対句、couplet, カプレット、カプリット、クプレ)は2行で1組の韻文(詩)。通常押韻され、同じ韻律を持っている。文化によっては、それぞれの文化に関連した装飾的な伝統を持っている。たとえばアフリカでは部族の精神的指導者が主に用いる。.

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今西幹一

今西 幹一(いまにし かんいち、1936年2月26日 - 2009年5月1日)は、国文学者。元二松学舎大学学長・名誉教授。近代文学、とりわけ近代詩歌・短歌研究を専門とし、佐藤佐太郎・正岡子規など歌人研究に業績をあげた。『佐藤佐太郎短歌の研究―佐藤佐太郎と昭和期の短歌』により、第6回日本歌人クラブ評論賞を受賞。 大阪市出身。大阪府立高津高等学校を経て、1967年に関西学院大学大学院文学研究科修士課程日本文学専攻を修了、1970年に同博士課程単位取得満期退学。大阪府立箕面高等学校教諭などのかたわら、研究に勤しむ。1976年より山梨英和短期大学助教授、1982年同教授、1988年より二松学舍大学の教授。2005年から2009年まで同学長。.

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仮名 (文字)

仮名(かな)とは、漢字をもとにして日本で作られた文字のこと。現在一般には平仮名と片仮名のことを指す。表音文字の一種であり、基本的に1字が1音節をあらわす音節文字に分類される。漢字に対して和字(わじ)ともいう。ただし和字は和製漢字を意味することもある。.

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当道座

当道座(とうどうざ)とは、中世から近世にかけて日本に存在した男性盲人の自治的互助組織。.

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御製

御製(ぎょせい)とは、天皇や皇族が手ずから書いたり作ったりした文章(政令の類は除く)・詩歌・絵画などをいう。一般に歴代の天皇が詠まれた和歌を御製と称する。また「御製」と書いて「おおみうた(大御歌)」と和語で読む場合(歌会始など)もある。日本では天皇および皇室、皇族に関する敬語の一つである。.

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後花園天皇

後花園天皇(ごはなぞのてんのう)は、室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日) - 寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱は彦仁(ひこひと)。 本来は皇統を継ぐ立場にはなかったが、称光天皇の死後に皇位を継いだ。8親等以上離れた続柄での皇位継承は南北朝合一を除くと53代658年ぶりである(称徳天皇→光仁天皇以来)。以後、この天皇の系統が今上天皇をはじめとする現在の皇室に連なっている。.

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後藤郁子

後藤 郁子(ごとう いくこ、1903年 - 1996年)は、日本のプロレタリア・ロマン派詩人。戸籍名は、内野郁子。旧姓が後藤でペンネームとなっている。夫は内野健児(新井徹)。夫と、当時、日本統治下の朝鮮半島における民族差別を目の当たりにしたことと、治安維持法の名の元に、文芸等文化活動の検閲などによる無茶苦茶な弾圧を知る。しかし、そんな社会状況の元での詩作活動等を継続、プロレタリア詩誌「詩精神」に代表される幾つかの詩誌編纂に携わった。.

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後柏原天皇

後柏原天皇(ごかしわばらてんのう、寛正5年10月20日(1464年11月19日)- 大永6年4月7日(1526年5月18日))は、室町時代、戦国時代の第104代天皇(在位:明応9年10月25日(1500年11月16日) - 大永6年4月7日(1526年5月18日))。諱は勝仁(かつひと)。.

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俗語論

『俗語論』(ぞくごろん、ラテン語:De vulgari eloquentia(デー・ウルガーリー・エーロクェンティアー))は中世のイタリアの作家ダンテ・アリギエーリの著書。ダンテがフィレンツェを追放された前後の1302年から1305年の間に執筆されたと考えられている。本来は全4巻のところが2巻の14章で断絶している。1巻では古典ラテン語と口語(俗語)の関係、文語にふさわしい俗語について論じ、2巻では詩歌を扱っている。.

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北村薫

北村 薫(きたむら かおる、本名:宮本 和男、1949年12月28日 - )は、日本の小説家、推理作家。埼玉県北葛飾郡杉戸町生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。.

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北方十字軍

北方十字軍(ほっぽうじゅうじぐん)あるいはバルト十字軍は、カトリック教徒の王であるデンマーク、スウェーデン、ポーランド、そしてリヴォニア帯剣騎士団、ドイツ騎士団によって開始された十字軍のことで、北ヨーロッパおよびバルト海沿岸南東の異教徒に対して行われたカトリック教会諸国の同盟による遠征である。 スウェーデンとドイツによるフィンランド南部、ラップランド、カレリアとルーシ(ノヴゴロド共和国)の正教会地域に対する遠征もまた「北方十字軍」の一部と考えられている。エリック・クリスチャンセン著『北方十字軍』ニューヨーク: ペンギン・ブックス 1997年 ISBN 0140266534.

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園芸

 一般的に園芸(えんげい)は、以下のように解釈されている。.

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國士無双

『國士無双』(こくしむそう)は、1932年(昭和7年)製作・公開、伊勢野重任原作・脚本、伊丹万作監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画である''國士無双''、日本映画データベース、2013年1月3日閲覧。''國士無双''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月3日閲覧。''國士無双''、 日本映画情報システム、文化庁、2013年1月3日閲覧。''國士無双''、日活データベース、2013年1月3日閲覧。。新字体表記『国士無双』。先駆的映画表現が評価され昭和7年度キネマ旬報ベストテン6位を獲得、諧謔と風刺の精神をもつ明朗な「ナンセンス時代劇」として知られ、『赤西蠣太』(1936年)と並ぶ伊丹の代表作であり、サイレント時代の日本の喜劇映画の代表作とされる岸, p.194.

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ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブム

ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブム ペール・ダニエル・アマデウス・アッテルブム(Per Daniel Amadeus Atterbom、アッテルボムとも、1790年1月19日 - 1855年7月21日)は、スウェーデンのエステルイェートランド地方出身の作家、ロマン主義の詩人。主に抒情詩を書き、スウェーデンに於ける最初の近代詩人として名高い。また、アッテルブムはスウェーデン・アカデミーのメンバーであり、ウプサラ大学にて哲学、美術の教授でもあった。 1810年から1813年にかけて機関誌『フォスフォロス』に自身の詩、論文を発表し、文学革新運動に携わった。 1817年から1819年にかけてドイツとイタリアへ旅行していた時に思想家のフリードリヒ・シェリングに出会い、シェリングよりロマン派の影響を受けた。.

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ペール・ギュント

『ペール・ギュント』(Peer Gynt )は、ヘンリック・イプセンが1867年に作った戯曲(劇詩)。韻文で書かれた。自由奔放なペール・ギュントが旅に出て年老いて帰ってくるまでの物語。全5幕。 元々は舞台上演を意図して書かれた作品ではなかったが、1876年2月24日、クリスチャニア(現オスロ)の国民劇場で初演された。その際、イプセンの依頼でエドヴァルド・グリーグが劇音楽を作曲している。後にグリーグはこの音楽の中から4曲ずつを選び、2つの組曲に改作した(詳細はペール・ギュント (グリーグ) を参照)。 劇音楽は後に同じくノルウェーの作曲家ハラール・セーヴェルーも作曲している(同様に2つの組曲が編まれた)。また、ドイツの作曲家ヴェルナー・エックがこの戯曲をオペラ化、アルフレート・シュニトケがバレエ音楽を作曲している。.

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ナーサリーライム

ナーサリーライム (Nursery Rhymes).

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ペドロ3世 (アラゴン王)

ペドロ3世(Pedro III、1239年 - 1285年11月11日)は、アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯(在位:1276年 - 1285年)。シチリア王(在位:1282年 - 1285年)。 ペドロ3世とはスペイン語の呼び名であり、アラゴン王としてはペーロ3世(Pero III、バレンシア王としてはペーラ3世(Pere III、バルセロナ伯としてはペーラ2世、シチリア王としてはピエトロ1世(Pietro I)。大王(lo Gran、el Gran、il Grande、el Grande)と呼ばれる。ハイメ1世(征服王)と2番目の王妃であるハンガリー王アンドラーシュ2世の王女ヨラーン(ビオランテ)の息子。アラゴン王国最大の君主のひとりである。.

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マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラ

マルティアヌス・ミンネウス・フェリクス・カペッラ(羅:Martianus Minneus Felix Capella)は古代末期の異教徒の著述家で、初期中世の教育を構成した自由七科の体系を発展させた最初の人物の一人。マルティアヌス・カペッラと呼ばれることが多い。カッシオドルスによれば、彼はアプレイウスと同じくアフリカ属州マダウルス(現在のアルジェリアスーク・アフラース県に属する)の出身で、カルタゴで法学の教育を受けたともいわれる。 月に存在するクレーターのカペッラは彼にちなんで名づけられた。.

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マヌ法典

大洪水のさなか、マヌと7人の賢者の乗る船がマツヤ(ヴィシュヌの化身)によって守られている場面(1965年) 『マヌ法典』(マヌほうてん、サンスクリット語: मनुस्मृति)は、紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている法典(ダルマ・シャーストラ)。世界の創造主ブラフマーの息子にして世界の父、人類の始祖たるマヌが述べたものとされている。バラモンの特権的身分を強調しており、バラモン中心の四種姓(カースト制度)の維持に貢献した。.

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チャラカ・サンヒター

『チャラカ・サンヒター』(チャラカ本集)は、アーユルヴェーダ(インド医学)の医学書で、北西インドの都タキシラを中心とするアートレーヤ学派の医学がまとめられている。アグニベーシャのテキストをチャラカが改編し、それに長年にわたって多数の人物の手が加えられたものであるとされている。実用的・専門的な医学書として、2000年に渡って使わた。『チャラカ・サンヒター』の原典はすでになく、写本やそのほかの刊行物も、それぞれ内容が大きく異なっている 跡見学園短期大学紀要24。 スシュルタの『』(スシュルタ本集)、ヴァーグバダの『』(八科精髄集)、の『病因論』(Rug-vinischaya, または『ニダーナ』。インド医学で初めて一つのテーマを専門的に論じた医学書)と並び、アーユルヴェーダを代表する古典医学書のひとつである矢野道雄 『科学の名著 インド医学概論 チャラカ・サンヒター』 朝日出版社、1988年。アーユルヴェーダは古典の段階で医学体系として完成しており、これらは現在でもテキストとして参考にされている。.

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ネメシス (戯曲)

『ネメシス』(Nemesis)は、ノーベル賞を遺したアルフレッド・ノーベル作の4幕の悲劇。韻文で書かれている。亡くなる直前に書かれ、死の床にある間に印刷された。しかし、ノーベルの死後、印刷物は3部を残して破棄された。現存する版(スウェーデン語とエスペラント語)は、2003年にスウェーデンで出版されたもので、エスペラント版からスロベニア語版にも翻訳された。 2005年、Richard Turpin演出、Rickard Forsgren、Sara Isaksson(ベアトリーチェ・チェンチ役)主演で、Strindbergs Intima劇場にて初演された。また、スウェーデンの女流作家リサ・マークルンドの推理小説『ノーベルの遺言』(2006年)もこの劇にインスパイアされたものである。 Category:スウェーデンの文学 Category:19世紀の戯曲 Category:アルフレッド・ノーベル.

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バラッド

バラッド「2羽のカラス」(アーサー・ラッカム のイラスト) バラッド(ballad)は、イギリスなどで伝承されてきた物語や寓意のある歌のことであり、通常は詩の語りや、語るような曲調を含む。過去の出来事についての韻文による歴史物語であり、武勇伝やロマンス・社会諷刺・政治がテーマとなるが、バラッドの内容はほとんど必然的に破局が訪れる。 フランス語のバラード(ballade)に相当する語である。この項目におけるバラッド以外としてのバラッド、バラード(フランスの詩やクラシック音楽、ポピュラー音楽でのジャンル)についてはバラードを参照。.

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バーバラ・カートランド

バーバラ・カートランド(Dame Mary Barbara Hamilton Cartland、1901年7月9日 - 2000年5月21日)は、イギリスの作家。歴史家、脚本家、政治演説者、講師のほか、テレビやラジオで司会者なども務めた。多作で知られ、20世紀で商業的な成功を収めた作家の1人である。作品は723作にも上り、36か国語に翻訳され、ギネス世界記録に「1年で最も多くの小説を出版した」記録で1976年から登録されており、その記録は未だに破られていない。バーバラ・カートランド名義では数え切れないほどのロマンス小説を執筆したが、結婚後の名であるバーバラ・マッコーコデール名義の作品も存在する。執筆した作品は700冊以上で、小説だけでなく演劇作品、詩歌、ドラマ、雑誌の記事、オペレッタなど、売り上げは7億5000万部以上と伝えられ、別の情報では10億部とも言われる。19世紀のヴィクトリア朝の純愛ロマンスが得意で、作品のカバーなどに肖像画風のデザインを採用していた。 カートランド・プロモーションズのトップとして、2000年に亡くなるまでロンドンで最も有名な名士、イギリスでもっとも有名なタレントであった。DBE、CStJ。.

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バース

バース(ヴァース)は、英語で.

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ムーサ

ムーサ(, )またはムサは、ギリシア神話で文芸(; ムーシケー、ムシケ)を司る女神たちである。複数形はムーサイ(, )。英語・フランス語のミューズ (英語・フランス語単数形: 、フランス語複数形) やミューゼス (英語複数形) としても知られる。 ムーサたちはパルナッソス山に住むとされている、またヘリコン山との関係が深い。ムーサたちを主宰するのは芸術の神・アポローンである。しばしば叙事詩の冒頭でムーサたちに対する呼びかけ(インヴォケイション)が行われる。なお『ホメーロス風讃歌』にはムーサたちに捧げる詩がある。.

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モーリス・ド・ゲラン

モーリス・ド・ゲラン(Maurice de Guérin、1810年8月4日 - 1839年7月19日)は、フランスの詩人。南フランスのタルヌ県ケーラの貴族の家に生まれる。トゥールーズの神学校を出た後、パリのコレージュ・スタニスラスで学ぶ。四十数篇の韻文による習作と、数篇の散文による詩、日記『緑の手帳』などを作る。日記作家のウジェニー・ド・ゲランは実姉で、彼女から生涯愛情を受けた。1839年に結核で息を引き取る。.

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ヤージュニャヴァルキヤ法典

『ヤージュニャヴァルキヤ法典』とは、3世紀から4世紀にかけてつくられたダルマ・シャーストラのひとつ。聖仙ヤージュニャヴァルキヤがダルマ(社会的宗教的義務)について説くというスタイルをとっており、韻文体で書かれている。.

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ユースフ・ハーッス・ハージブ

Жүсіп Баласағын)の肖像 ユースフ・ハーッス・ハージブ (アラビア語:يوسف خاصّ حاجب - Yūsuf Khāṣṣ Ḥājib; 中国語:玉素甫・哈斯・哈吉甫; キルギス語:Жусуп Баласагын - Yusuf Balasaghuni - ジュスプ・ベラサグニン; ウイグル語:يۈسۈپ_خاس_ھاجىپ - Yüsüp Xas Hajip; 1018又は1019年頃 - ?)は、カラハン朝の大侍従(ウルグ・ハーッス・ハージブ)。11世紀にカラハン朝の首都であったベラサグンで生まれ、最初期のテュルク語文学作品のひとつである『クタドゥグ・ビリグ』(Kutadgu Bilig,『幸福になるために必要な知識』の意味)の作者として知られている。.

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ラヨーク

ラヨーク(раёк)は、ロシア語で、字義通りには「小楽園」ほどの意味。拡大解釈によって、野外市や縁日での見世物小屋(とりわけ「のぞき部屋」のたぐい)を意味するようになり、「アダムとイヴの楽園追放」などが最も人気のテーマである。見世物じたいは、拡大鏡を通してボックス内を覗き込まなければならず、リズミカルなジョークが演出に使われる。 ラヨークは、ユーモラスなトークショーといった意味にも使われる。この場合にのぞきは無い。「喋りのラヨーク」こと「ガヴァリーティ・ライカム(говорить райком)」は、韻文を用いてユーモラスに、早口でまくし立てることを意味する。ラヨークは、ショーの場合にせよ語りの場合にせよ、「ラヨーシニク」と呼ばれる放浪の芸術家によって行われてきた。 「低俗な(または露悪的な)娯楽」を表す楽曲の題名にも利用され、有名な例に、ムソルグスキーの歌曲「ラヨーク」や、ショスタコーヴィチの世俗カンタータ「反形式主義的ラヨーク」がある。.

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ランスロまたは荷車の騎士

『ランスロまたは荷車の騎士』(ランスロまたはにぐるまのきし、Lancelot, le Chevalier de la charrette)は、1177年 - 1179年(1181年とも)頃 クレティアン・ド・トロワとゴドフロワ・ド・ラニー(Godefroi de Lagni/Godefroy de Lagny)により著作された韻文の騎士道物語。.

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リブレット (音楽)

リブレット(libretto, 複数:libretti)は、オペラ、オペレッタ、仮面劇(マスク)教会および世俗オラトリオ、カンタータ、ミュージカル、バレエといった長時間にわたる音楽作品で使われるテキスト、つまり台本のこと。librettoはイタリア語で、libro(本)に指小辞を付けた派生語である。リブレットにはすべての歌詞とト書きが含まれる。さらにこの言葉は、ミサ、レクイエム、教会カンタータといった典礼作品の歌詞を指すこともある。.

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リベラル・アーツ

自由七科と哲学 リベラル・アーツ(liberal arts)とは、.

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リズム

リズム(rhythm)は古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός - rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった徳丸吉彦『音楽理論の基礎('07)第10回「リズムと時間構造」』、放送大学学園東京テレビジョン放送局・放送大学学園東京デジタルテレビジョン放送局、放送日2010年2月25日など。。 時間軸の中に人間に知覚されるような2つの点を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものをリズムという。律動(りつどう)と訳される。.

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ルノー・ド・モントーバン

ルノー・ド・モントーバン(Renaud de Montauban)は、「フランスもの」などに登場する騎士。12世紀フランスの武勲詩、『エイモン公の4人の息子』(Quatre Fils Aymon)などで活躍する。『狂えるオルランド』などのイタリア文学の影響で、日本ではイタリア語名でリナルド(Rinaldo)と呼ばれることが多い。 エイモン公(イタリア語ではアモーネ公)の息子であり、モントーバンに領地を持っているので、ルノー・ド・モントーバン(Renaud de Montauban)と呼ばれる。 従兄弟には魔法使いのモージ(マラジジ)がおり、愛馬バヤールと魔法の剣フロベージュ(イタリア語名はフスベルタ)を所持している。.

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レーモン・ルーセル

レーモン・ルーセル(Raymond Roussel、1877年1月20日 - 1933年7月14日)は、フランスの小説家、詩人。奇想と言語実験的作品がダダイスト、シュールレアリスト達に高く評価された。『アフリカの印象』『ロクス・ソルス』、および言語の難解さで著名な『新アフリカの印象』などがある。.

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ロメオとジュリエット (ベルリオーズ)

劇的交響曲『ロメオとジュリエット』(Roméo et Juliette)作品17(H.79)はエクトル・ベルリオーズが作曲した交響曲。「合唱、独唱、および合唱によるレチタティーヴォのプロローグ付き劇的交響曲」(symphonie dramatique)と銘打っている通り、大編成のオーケストラに独唱、合唱をともなう大規模な作品である。シェイクスピアの悲劇『ロメオとジュリエット』を題材とする。.

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ロンドー体

ンドー体(roundel, ロンデル、ラウンデル)は、アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーンが考案した、英語詩に使われる韻文の形式。.

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ヴァージニア・ウルフ

ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、イギリスの小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)、『波』The Waves(1931年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。.

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ブリュ物語

『ブリュ物語』(ブリュものがたり、Roman de Brut または Brut)は、詩人ウァース(ワース)作のグレートブリテン島の歴史を扱った韻文作品。.

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ブィリーナ

ヴィクトル・ヴァスネツォフ画「英雄たち」(1898年)。左からドブルィニャ・ニキーティチ、イリヤー・ムーロメツ、アリョーシャ・ポポーヴィチ。いずれもブィリーナに登場する勇士たちである。サンクトペテルブルク、ロシア美術館 ブィリーナ()は、ロシアに伝わる口承叙事詩。代表的なブィリーナとして、イリヤー・ムーロメツの物語がある。なお、日本語ではヴィリーナとも表記される。.

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プラトン

プラトン(プラトーン、、Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。 プラトンの思想は西洋哲学の主要な源流であり、哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」という趣旨のことを述べた“ヨーロッパの哲学の伝統のもつ一般的性格を最も無難に説明するならば、プラトンに対する一連の脚註から構成されているもの、ということになる”(『過程と実在』)。ちなみに、ホワイトヘッドによるこのプラトン評は「あらゆる西洋哲学はプラトンのイデア論の変奏にすぎない」という文脈で誤って引用されることが多いが、実際には、「プラトンの対話篇にはイデア論を反駁する人物さえ登場していることに見られるように、プラトンの哲学的着想は哲学のあらゆるアイデアをそこに見出しうるほど豊かであった」という意味で評したのである。。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られる。現存する著作の大半は対話篇という形式を取っており、一部の例外を除けば、プラトンの師であるソクラテスを主要な語り手とする。 青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、イストミア大祭に出場した他、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われているディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』3巻4節。(中野好夫訳、1984年、pp.

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パスティ

パスティ(pasty/pastiep.、hogen; pasti、西コーンウォール方言: tiddy/teddy oggy/oggin)は、イギリスのコーンウォールに関連する具入りのペイストリーである。別名にコーニッシュ・パイがある。パスティはパイとは異なり、通常丸い平面のペイストリーに具を置いて、折り曲げて包み、縁に折り目をつけ閉じる。この結果、半円形になる。伝統的なコーニッシュ・パスティは牛肉、薄切りジャガイモ、ルタバガ(Swedish turnip「スウェーデンのカブ」とも呼ばれる)、およびタマネギを具とし、焼いて作る。様々なフィリングのパスティが販売され、全種類のパスティを販売する店もある。.

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ヒューマニズム

ヒューマニズム()、人文主義(じんぶんしゅぎ)あるいは人本主義(じんぽんしゅぎ)という概念は、歴史的な変遷を経て多義的に用いられている。.

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ヒトーパデーシャ

『ヒトーパデーシャ』(हितोपदेश 、「有益な()教訓()」の意)は、主に動物を主人公にしたインドの寓話集。散文に韻文を交える。ベンガル地方のダヴァラチャンドラ王の宮廷でナーラーヤナによって書かれたと伝えられる。『パンチャタントラ』の伝本のひとつであるが、大幅に手が加えられている。本来5巻からなる『パンチャタントラ』を4巻にまとめ直し、多数の話が追加・削除されている。.

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ビアトリクス・ポター

ヘレン・ビアトリクス・ポター( 、1866年7月28日 - 1943年12月22日)は、ピーターラビットの生みの親として知られるイギリスの絵本作家。ヴィクトリア時代の上位中産階級に生まれ、遊び相手も少ない孤独な環境で育つ。教育は家庭で行われ生涯学校に通うことはなかった。幼いころから絵を描くことを好み、多くのスケッチを残している。さまざまな動物をペットとして飼育し、キノコにも興味を持ち学会に論文を提出したこともあった。絵本作家としての原点は、1902年に出版された『ピーターラビットのおはなし』本記事に記載のあるビアトリクス・ポターの作品のうち、『ピーターラビットの絵本シリーズ』に含まれる作品のタイトル、およびその作品に登場する動物たちの名前の日本語表記は、すべて福音館書店版(2007)『ピーターラビット全おはなし集』に準拠する。で、これは元家庭教師の子どもに描いて送った手紙が元になっている。39歳で婚約するが、わずか1か月後に婚約相手が死去する。その後、たびたび絵本にも登場する湖水地方において念願の農場を手に入れ、47歳で結婚した。結婚後は創作活動も少なくなり農場経営と自然保護に努めた。死後、遺灰はヒル・トップに散骨されている。 創作活動の期間は十数年と長いものではなかったが、ピーターラビットの絵本シリーズは児童文学の古典として、世界各国で親しまれている。持ち前の観察力により生き生きとした動物を描き、秀れた絵と文で構成された作品の裏側にはポターの束縛と抑圧からの解放、自由への憧れが込められていると見るものもいる。自身のプライバシーを守ることに厳しく、散骨場所は夫にさえ教えなかったため不明となっている。関連商品の販売を提案、積極的な著作権の管理など実際家としての一面も持つ。湖水地方特有の羊、ハードウィック種の保護、育成に尽力し、羊の品評会では数々の賞を獲得するなど畜産家としても成功を収めた。生前から設立されて間もないナショナル・トラストの活動を支援しており、遺言によりナショナル・トラストに寄付された土地は4000エーカー以上であった。.

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ビザンティン小説

ビザンティン小説は、帝政ローマ時代の古代ギリシアのロマンス小説のリバイバルを表す。この分野に含まれる業績は12世紀におけるビザンティン帝国のビザンティンギリシア人によって書かれた。.

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ピューティア大祭

ピューティア大祭(ピューティアたいさい、英語:Pythian Festival、または、Pythian Games)は古代ギリシアの大祭で、デルポイの聖地に全ギリシアから市民が訪れて開催されたアポローン神の祭儀である。大祭は8年に一度開催される音楽競技を奉納していたが、後に隣接し、重税を課す都市クリッサとの戦争に勝利してからは体育競技を加え4年に一度の大祭に変更される。アポローンを称えるために、芸術分野の競技や、後にはオリュンピア大祭と似て、全ギリシア的に祝われた4つの古代競技祭典中の一つでもあった。.

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ピアノと管絃楽のための「リトミカ・オスティナータ」

ピアノと管絃楽のための「リトミカ・オスティナータ」(Ritmica ostinata per pianoforte ed orchestra)は、伊福部昭が作曲したピアノ協奏曲。1961年に完成。1969年に最初の改訂、次いで1971年に改訂。同時に2台ピアノのために編曲。1楽章形式。 リトミカ・オスティナータとは、「執拗に反復する律動」という意味である。文字通り、五拍子や七拍子といった日本語の韻文の奇数律動の反復を基礎として、六音音階による旋律が展開するダイナミックな楽曲である。中国で見た四方の壁全面に仏像がはめ込まれた堂の迫力と感動が、創作のヒントとなったという。 初演は1961年10月9日、東京交響楽団の定期演奏会にて、上田仁指揮、金井裕のピアノによって行われた。 戦災によって楽譜が失われていた『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』(1941年)から一部を引用している。これはもう一つの代表作『シンフォニア・タプカーラ』(1954/1979年)にも同じことが言える。後に『協奏風交響曲』は1997年にNHKの資料庫からパート譜が揃って発見され、蘇演された。 長らく前述の初演稿、及び1971年改訂の現行稿の二版が確認されていたが、2016年に1969年再演の実況録音が公開。その内容から両者と異なる編曲で演奏されていたことが判明した。よって当曲は2017年現在1961年初稿、69年再演稿、71年最終稿の三版の存在が確認されている。.

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テルツァ・リーマ

テルツァ・リーマ(Terza rima, 三韻句法)は、押韻したverse(韻文、詩)のスタンザ(連、詩節)の形式で、3つの連動した押韻構成から成り立っている。最初に使ったのはイタリアの詩人ダンテ・アリギエーリである。.

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ティトゥス・リウィウス

ティトゥス・リウィウス(Titus Livius, 紀元前59年頃 - 17年)は、共和政末期、帝政初期の古代ローマの歴史家。単にリウィウスと呼ばれることが多い。アウグストゥスの庇護の下に『ローマ建国史』を著した。.

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デボラ

デボラはヘブライ語でミツバチという意味。聖書中の人名でもある。.

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ディル=リフィーナ

ディル.

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ファウスト

『ファウスト』(Faust)はドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲。全編を通して韻文で書かれている。『ファウスト』は二部構成で、第一部は1808年、第二部はゲーテの死の翌年1833年に発表された。.

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ドナルド・クヌース

ドナルド・エルビン・クヌース(Donald Ervin Knuth, 1938年1月10日 -)は数学者、計算機科学者。スタンフォード大学名誉教授。 クヌースによるアルゴリズムに関する著作 The Art of Computer Programming のシリーズはプログラミングに携わるものの間では有名である。アルゴリズム解析と呼ばれる分野を開拓し、計算理論の発展に多大な貢献をしている。その過程で漸近記法で計算量を表すことを一般化させた。 理論計算機科学への貢献とは別に、コンピュータによる組版システム TeX とフォント設計システム METAFONT の開発者でもあり、Computer Modern という書体ファミリも開発した。 作家であり学者であるクヌースは、文芸的プログラミングのコンセプトを生み出し、そのためのプログラミングシステム WEB / CWEB を開発。また、MIX / MMIX 命令セットアーキテクチャを設計。.

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ドナウの水の精

『ドナウの水の精』(どなうのみずのせい、)は、ヨーゼフ・バイヤーが作曲したバレエ音楽。ほとんどがヨハン・シュトラウス2世の楽曲で構成されている(全体の77%)。.

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ダルマ・シャーストラ

ダルマ・シャーストラ(サンスクリット:धर्मशास्त्र、)は、広義には紀元前6世紀ころから19世紀中葉まで絶えることなく書き続けられてきたインド古法典の総称でダルマ・スートラを含む『南アジアを知る事典』 (1992)。狭義には、とくにダルマ・スートラと区別して紀元前2世紀ころから西暦5世紀ないし6世紀にかけてサンスクリットで記された法典で、主なものとしては『マヌ法典』や『ヤージュニャヴァルキヤ法典』がある藤井 (2007)。.

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ダルマ・スートラ

ダルマ・スートラ(dharma suutra)は、ヴェーダ文献における律法経のことであり藤井(2007)、紀元前6世紀から紀元前2世紀にかけて叙述、記録された、ヴェーダの祭式学(カルパスートラ)に附属した法文献の総称。特定のヴェーダ学派の教義と結びつく性格を有する。.

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ダグラス・ホフスタッター

ダグラス・リチャード・ホフスタッター(Douglas Richard Hofstadter、1945年2月15日 - )はニューヨーク生まれのアメリカの学者。2014年現在、インディアナ大学ブルーミントン校教授。専門は認知科学および計算機科学。ホフスタッターは多くの一般書を執筆しており、その中でも特に有名なのが『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』(1979)。 ホフスタッターは1980年に同書でピュリッツァー賞の一般ノンフィクション部門を受賞した。この本は人工知能の問題を高エネルギー物理学、音楽、芸術、分子生物学、文学、といった多彩なテーマに絡めて記述し、多くの人々の興味を惹いた。この本がきっかけになって、人工知能分野へ進むことを決めた学生も大勢いると言われている。.

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ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称 ベトナム()は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。 国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと相対する。.

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周興嗣

周 興嗣(しゅう こうし、470年? - 521年)は、中国南北朝時代における南朝の王朝である斉および梁に仕えた官僚で文章家。字(あざな)は思纂。初学者むけの漢字習得用・習字用のテキストとして知られる『千字文』の撰者である。.

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アルバニア俳句協会

アルバニア俳句協会(アルバニアはいくきょうかい、Haiku-Kulbi Shqiptar)はアルバニアの文学団体井浦伊知郎『アルバニアインターナショナル』、社会評論社、2009年8月、pp311-313。。.

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アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服

マルティン・デル・バルコ・センテネラの叙事詩『アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服』の初版の表紙 『アルヘンティーナとラ・プラタ川の征服』(Argentina y conquista del Río de la Plata)は、1602年に出版されたマルティン・デル・バルコ・センテネラによる叙事詩である。現在アルゼンチンがある地域とほぼ同じ場所を「アルゼンチン」として表現した最初の文献として知られている。 この本は、教訓としての意味もある歴史書であり、道徳書でもある。ルネサンスのころの一般的な文学とは異なり、15世紀の史学史的な部分もある叙事詩である。 叙述にはオッターヴァ・リーマを使っており、28のパートに分かれた歌唱で表現されている。韻文には、テノールの概念も含んだラテン語法を使うなど、教養の高さがうかがえる。文学としては標準的なものだが、当時の南アメリカの状況を表した数少ない文献の一つであり、歴史書としては重要である。特に、XVIIの歌では、目撃者としてトゥパク・アマルがビルカバンバでしたことを記述している。 1612年に同じ名前の文学作品をが著している。ラプラタ川の発見、ブエノスアイレスでの人口減少、アルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカの政治、サンタフェの誕生などを記述している年代記となっている。 当時この書物の知名度は高く、大西洋・アンデス山脈・ラプラタ川で囲まれた地域を「アルゼンチン」と呼ぶのを定式化した。.

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アルテュス王

『アルテュス王』(Le roi Arthus)作品23(「アルチュス王」と記述されることもある)は、エルネスト・ショーソンが1886年から1895年にかけて作曲した3幕6場による叙情的悲劇。フランス語の台本はショーソン自身によって書かれた。.

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アンドルー・マーヴェル

アンドルー・マーヴェル(Andrew Marvell, 1621年3月31日 - 1678年8月16日)は、イングランドの形而上詩人、風刺作家、政治家である。1659年から1678年にかけて何度か庶民院の議員となった。共和政期には、ジョン・ミルトンの同僚、友人であった。マーヴェルの詩は、「はにかむ恋人へ("To His Coy Mistress")」といった恋愛の詩から、貴族のカントリー・ハウスや庭を想起して書かれた「アップルトン屋敷に寄せて("Upon Appleton House")」や「庭("The Garden")」、政治的挨拶である、「クロムウェルのアイルランドからの凱旋に寄せるホラティウス風オード("An Horatian Ode upon Cromwell's Return from Ireland")」、そして後には個人的かつ政治的風刺作品の「フレックノー("Flecknoe")」や「オランダの性格("The Character of Holland")」といったものがある。.

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アーソナ

アーソナ(Urthona)は、ウィリアム・ブレイクによる、独自の象徴体系に基づく神話の登場人物である。 四人のゾアたち(Zoas)の一人であり、創造的イマジネーションを象徴する、北(North)のゾア(Zoa)である。.

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アーサーの甥、ガウェインの成長記

『アーサーの甥、ガウェインの成長記』(De Ortu Waluuanii Nepotis Arturi、英表記 The Rise of Gawain, Nephew of Arthur)は、中世ラテン語で書かれた散文の騎士道物語。作者不詳(の作という説は現在は有力視されない)。12世紀または13世紀成立。アーサー王物語の流れを汲み、アーサーの甥であるガウェイン卿の出生、少年時代、初期の冒険を描く。フランス韻文ロマンス『ゴーヴァンの幼年時代』の散逸によって失われた、ガウェイン卿の若年期の詳細を補う貴重な文学資料である。注目すべき点としてギリシア火薬にたいする言及も見られる(下節で詳述)。 なお、人名を原文のラテン語のままでいえば、本作の題名は『アルトゥルスの甥ワルウアニウスの成長』である。.

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アテーナー

アテーナー(古典ギリシア語:Ἀθηνᾶ, Athēnā、イオニア方言:アテーネー、ドーリス方言:アタナ、叙事詩体:アテーナイエー)は、知恵、芸術、工芸、戦略を司るギリシア神話の女神で、オリュンポス十二神の一柱である。アルテミス、ヘスティアーと同じく処女神である。 女神の崇拝の中心はアテーナイであるが、起源的には、ギリシア民族がペロポネーソス半島を南下して勢力を伸張させる以前より、多数存在した城塞都市の守護女神であったと考えられている。ギリシアの地に固有の女神だが、ヘレーネス(古代ギリシア人)たちは、この神をギリシアの征服と共に自分たちの神に組み込んだのである。 日本語では主に長母音を省略してアテナ、アテネと表記される場合が多い。.

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アデレイド・クラプシー

アデレイド・クラプシー(Adelaide Crapsey, 1878年9月9日 - 1914年10月8日)はアメリカ合衆国の詩人。.

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アイザック・ウォッツ

アイザック・ウォッツ(Isaac Watts、1674年7月17日 - 1748年11月25日)は、イギリスの牧師、讃美歌作家である。イギリスで初めての創作讃美歌集を出版。イギリス讃美歌の父と呼ばれる。.

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インド占星術

インド占星術(インドせんせいじゅつ、Jyotiṣa)は、インドに伝わる占星術のこと。インド本国の他、ネパールやチベットなど周辺の地域でも行われている。 もともと、白道上の月の位置に着目したナクシャトラ(中国系暦法・占星術では二十七宿という)を用いた占星術だったが、ヘレニズム時代にギリシアから太陽と月、5惑星とラーフ、ケートゥといった九曜、十二宮と十二室に基づくホロスコープ方式の占星術を取り入れて、現在のナクシャトラ(白道二十七宿)と黄道十二宮を併用した形になったと言われているが、古い時代のことなのではっきりしたことはわかっていない。 また仏教に取り入れられたものは、簡略化(月の厳密な度数で決めず、1日に1つというように割り当てる)・仏教化し 『宿曜経』 にまとめられ、密教の一部として中国に伝えられた。さらに、平安時代には日本にも伝えられて宿曜道となった。.

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イーリアス

イーリアスの表紙(1572年・Rihel社) 『イーリアス』(Iλιάς, Ilias, Iliad)は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品である。.

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イギリス文学

イギリス文学(イギリスぶんがく、もしくは英文学、British literature/English literature)とは、イギリスの文学、及びそれらの作品や作家を研究する学問のこと。アメリカ文学と合わせて英米文学と呼ぶこともある。なお、英文学 English literature と言った場合、英語による各地域の文学を含むことがある。 ポストコロニアル理論の発展と共に、いわゆる英文学の領域も広がりつつあり、Englishes と複数形で語ることにより、20世紀前半までの帝国主義的な英文学の枠組みをこわそう、という動きも現在では見られる。 Eng.

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エンブレマタ

『エンブレマタ(エンブレム集, Emblemata)』は、イタリアの法学者アンドレーア・アルチャートによってラテン語で書かれた最初のエンブレム・ブックである。1531年の初版以降、16世紀だけで少なくとも100以上の版を重ね、19世紀までに更に100近い版を上乗せするという、近世ヨーロッパのベストセラー作品となった。なお、「エンブレマタ」は、エンブレムを表すギリシア語の複数形である。この本のタイトルは複数あるが、一般的には『エンブレマタ』で通用する。.

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エヴゲーニイ・オネーギン

レーピンの手による、オネーギンとレンスキー 『エヴゲーニイ・オネーギン』(Евгений Онегин)は1825年から1832年にかけて執筆されたアレクサンドル・プーシキンの韻文小説である。三人称形式で書かれている。ピョートル・チャイコフスキーによってオペラ化された。ウラジーミル・ナボコフによる英訳も有名である。現在手に入る日本語訳には岩波文庫の池田健太郎訳がある。.

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エフゲニー・オネーギン (オペラ)

『エフゲニー・オネーギン』(ロシア語原題:Евгений Онегин)作品24は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲のオペラ。『エウゲニ・オネーギン』、『イェヴゲニー・オネーギン』などとも表記される。アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』が原作で、作曲者自身とシロフスキーがリブレットを書いた。チャイコフスキーの全10作のオペラの中では最も頻繁に上演される作品である。.

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オデュッセイア

『オデュッセイア』(古代ギリシア語イオニア方言:ΟΔΥΣΣΕΙΑ, Ὀδύσσεια, Odysseia, ラテン語:Odyssea)は、『イーリアス』とともに「詩人ホメーロスの作」として伝承された古代ギリシアの長編叙事詩広辞苑 第五版 p.383。 オデュッセイア.

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カチュール・マンデス

チュール・マンデス(Catulle Mendès, 1841年5月22日 - 1909年2月8日)は、フランスの詩人・文士・評論家。カテュール・マンデス、カチュル・マンデス、カテュル・マンデスとも呼ばれる。 ボルドーにおいてユダヤ系の家庭に生まれる。『ある夜の物語』(Roman d'une nuit )の「気紛れな諷刺」(Revue fantaisiste )の出版によってたちどころに悪名を馳せたために、早くにパリで名を揚げるも、1月間の拘留と罰金500フランを命ぜられた。高踏派運動が興ると当初からそれと手を組み、処女詩集『ピロメラ』(Philoméla, 1863年)において比類のない押韻の技巧を発揮した。その後の著書においてマンデスは、「典雅な韻文というものは、著しい独創性がというよりも、むしろ他の作者の巧妙な模倣が特徴となる」と論評している。マンデスの多芸多才や豊かな創造力は、一連の評論や(いくつかの脚本を含む)戯曲、長編小説や短編小説に表れている。マンデスの短編は、フランスお家芸の自由奔放な「説話物語」(conte )の伝統を受け継いでいる。ルノワールなどと並ぶフランス初期のワグネリアンの一人として著名であり、1880年の長編小説『童貞王』(Le Roi vierge )において、バイエルン王ルートヴィヒ2世とワーグナーについて扱っている。 1866年に詩人テオフィル・ゴーチエの娘で翻訳家のジュディットと結婚するが、後に別居し、愛人の女性作曲家オーギュスタ・オルメスの許に走った。ちなみにルノワールの絵画「ピアノの前のマンデスの娘たち」はいずれもジュディットの子ではなく、オルメスとの間の子供である。 1909年2月8日の早朝に、サン=ジェルマン=アン=レーの鉄道のトンネル内で轢死体となって発見された。前日に夜行列車でパリを発っていることから、まだ列車がトンネル内を通行している最中に、駅に着いたものと思って車輛の扉を開けたものと推測される。.

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カール・シュピッテラー

ール・フリードリヒ・ゲオルク・シュピッテラー(Carl Friedrich Georg Spitteler、1845年4月24日-1924年12月29日)はスイスの詩人。1919年にノーベル文学賞を受賞した。.

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ガイウス・マエケナス

イウス・キルニウス・マエケナス(Gaius Cilnius Maecenas、 紀元前70年4月13日 - 紀元前8年10月)は、共和政ローマ期からユリウス・クラウディウス朝期にかけて活躍した政治家である。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの外交・政治面のアドバイザーであり、軍事面を掌ったマルクス・ウィプサニウス・アグリッパと並ぶアウグストゥスの腹心であった。また、アウグストゥス時代に輩出した新世代の詩人・文学者の最大の支援者としても知られ、皇帝アウグストゥスの文化面の補佐役でもあった。 後世、マエケナスの名前は「裕福さ」を示すものとなり、文化・芸術家の保護者としての意味も持つようになった(#メセナの語源を参照)。.

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ガウェイン卿と緑の騎士

『ガウェイン卿と緑の騎士』(がうぇいんきょうとみどりのきし、Sir Gawain and the Green Knight)は、イングランドで書かれた作者名不詳の物語。韻文である。1300年代後半、イングランド北西部、現在のマンチェスター周辺で書かれたとされる。作者は名前が明らかでないため、この作品の名を取って「ガウェイン詩人」(Gawain Poet)、あるいはもう一つの代表作"Pearl"の名を取って「パール詩人」(Pearl Poet)と呼びならわされている。用いられている言語は中英語であり、イングランド北西部方言である。.

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キエフ大公国

フ大公国(キエフたいこうこく)は、9世紀後半から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家である。正式な国号はルーシ(古東スラヴ語: Русь)で、日本語名はその大公座の置かれたキエフに由来する。 10世紀までにキリスト教の受容によってキリスト教文化圏の一国となった。11世紀には中世ヨーロッパの最も発展した国の一つであったが、12世紀以降は大公朝の内訌と隣国の圧迫によって衰退した。1240年、モンゴル来襲によってキエフは落城し、事実上崩壊した。.

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ギリシア文学

リシア文学とはギリシア語で書かれた文学作品の総称。最も古くかつ最も知られた古代のホメーロスから現代の作家にいたるまで、その歴史と展開は幅広い。ヘレニズム文化のもとでギリシア語は古代東地中海世界の共通語となったため、非ギリシア人による著作も多い。古代から中世にかけての言語状況に関してはギリシア語の項を参照。.

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ゲーデルの不完全性定理

ーデルの不完全性定理(ゲーデルのふかんぜんせいていり、)又は単に不完全性定理とは、数学基礎論における重要な定理で、クルト・ゲーデルが1930年に証明したものである。;第1不完全性定理: 自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。;第2不完全性定理: 自然数論を含む帰納的公理化可能な理論が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を証明できない。.

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コロン (記号)

ン は、欧文の約物のひとつ「:」である。自然言語、数学、コンピュータ言語等に用いられる。.

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コストラーニ・デジェー

トラーニ・デジェー(Kosztolányi Dezső 1885年-1936年) は、 ハンガリーの著名な 詩人、 小説家、 ジャーナリスト。.

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シャルル・ボードレール

ャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire()、1821年4月9日 - 1867年8月31日)は、フランスの詩人、評論家である。.

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シートン動物記

『シートン動物記』(シートンどうぶつき)とはアメリカの博物学者アーネスト・トンプソン・シートンの全著作物に対する日本での総称。主に自身の体験や見聞を基に創作された動物物語55編を指す。日本でつけられた題名であるため、正確に対応する原題や他国語での訳題は存在しない。.

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シェイクスピア別人説

ェイクスピア別人説(シェイクスピアべつじんせつ)は、「ストラトフォード・アポン・エイヴォンのウィリアム・シェイクスピアなる人物によって書かれたとされている作品は、実のところ他の作者もしくは“ウィリアム・シェイクスピア”という共有のペンネームを用いた作家集団によって書かれたものではないか」という話題を巡って18世紀以来続けられてきた学術的な議論である。 当然のことながら一般にシェイクスピアの作品はシェイクスピア自身によって書かれたものと認められているが、懐疑派は「本当の作者」の候補としてフランシス・ベーコンやクリストファー・マーロウ、第17代オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアーなどを含む多くの人物の名を挙げている。.

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ジャーミー

ヌールッディーン・アブドゥッラフマーン・ジャーミー(نورالدین عبدالرحمن جامی、Nur ad-Dīn Abd ar-Rahmān Jāmī、1414年 - 1492年)は、15世紀にイラン(ペルシア)で活躍したスーフィー、詩人。雅号の「ジャーミー」は、彼の出身地であるジャームの名前から取られている黒柳『ペルシア文芸思潮』、232頁。ジャーミーが活躍したティムール朝時代は近世ペルシア文学が衰退期に差し掛かった時代であり、その中で優れたペルシア語詩を残したジャーミーは「詩人たちの最後」「最後の詩人」と呼ばれている堀川「ジャーミー」『中央ユーラシアを知る事典』、242頁。また、詩作、神学以外にハディース、アラビア語文法、音楽についても深い学識を有していた。.

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ジャック・モーデュイ

ャック・モーデュイ(Jacques Mauduit, 1557年9月16日 – 1627年8月21日)はフランス後期ルネサンス音楽の作曲家。16世紀後半のフランス人作曲家では最も革新的な一人で、新しい方法で声楽と器楽を結び付け、イタリアからヴェネツィア楽派の壮麗な分割合唱様式を導入した。ピエール・ド・ロンサールの葬儀のために作曲した《死者のためのミサ曲》によって有名。.

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ジョヴァンニ・パスコリ

ョヴァンニ・プラキド・アゴスティノ・パスコリ(Giovanni Placido Agostino Pascoli、1855年12月31日-1912年4月6日)は、イタリアの詩人、古典学者。.

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スプートニクの恋人

『スプートニクの恋人』(スプートニクのこいびと)は、村上春樹の長編小説。.

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スタンザ

タンザは、文学や音楽の歌詞において、定型詩(ていけいし)を構成する数行を、1つのまとまりとしてとらえるための単位である。言語が内包するシラブルから生まれるリズム、つまり韻律(いんりつ)を活用して作られる韻文(いんぶん)に対する用語である。 通説としては、「韻を踏む(いんをふむ)」という言葉でお馴染みの押韻(おういん)を含んだ、4行以上からなる詩に対して使う。行と行のあいだに空白やインデントが置かれている場合は、その前後のまとまりはそれぞれ別のスタンザであるととらえる。空白の行か句読点でスタンザを区切るのが印刷上の慣習なので、現代詩のほとんどは、印刷されたページ上でスタンザを恣意的に表すことが可能である。 イタリア語で部屋を意味する「Stanza」が語源である。日本では連(れん)と訳されることもある。さらに複数の連をまとめたものを節(せつ)や詩節(しせつ)ともいう。.

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ゾロアスター教

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、 、、、中国語:祆教(けんきょう・シェンジャオ/xiān jiào))は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教である。『アヴェスター』を根本経典とする。.

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タイの文化

ンナラの像(バンコク、ワット・シーラッタナーサーサダーラーム) 伝統衣装(Chut thai)を着た女性 伝統的結婚式 タイの文化はインド起源のバラモン文化を中心にし、それに仏教思想の影響を受けたものが多い。例えば彫刻はほとんどが仏像に限られ、建築も仏教寺院建築が主である一方、寺院の壁画にヒンドゥーの起源の説話が挿入されていたり、ヒンドゥー教の神々・生物が装飾として置かれていたりと美術面ではヒンドゥー的要素がむしろ顕著である。絵画も主なものは寺院の壁画である。古典劇及び古典文学もこれらの影響を強く受けており、伝統的タイ文学はほとんどが韻文である。 大きなムアン、領国の中心部にある中心都市、王国の首都などにおいて、芸術様式が発展した。これを王室芸術と呼ぶ。一方、小さなムアンやムラでは伝統に従って芸術品を制作する考えが強かった。これを民衆芸術と呼ぶ。.

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唱導

唱導(しょうどう)は、仏法を説いて衆生を導く語りものであり、数ある日本の話芸にとって、その源流のひとつでもある釈(2011)pp.9-14吉川(1990)p.40。日本史上では、とくに中世において大きな展開を遂げた。唱導はまた「唱道」とも表記し、「演説」「説法」「説教」「法説」「法談」「講義」など様々に呼称される五来(1988)pp.484-485。本来的には、唱導ないし説経とは仏教の経典を講じ教義を説くことであって、それ自体は文学でも芸能でもなかったが、文字の読み書きのできない庶民への教化という契機から音韻抑揚をともなうようになったものである荒木「解説・解題」(1973)pp.313-317。それはまた、比喩・因縁など文学方面の関心を強めることにもつながり、これを「唱導文学」と称する。 唱導は、古代の中国においても盛んで、ことに東晋代の高僧で仏教の中国化に功のあった廬山の慧遠はその達人であったといわれる。.

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円融天皇

円融天皇(えんゆうてんのう、天徳3年旧3月2日(959年4月12日) - 正暦2年旧2月12日(991年3月1日); 在位:安和2年旧9月23日(969年11月5日) - 永観2年旧8月27日(984年9月24日))は、第64代天皇。諱は守平(もりひら)。 村上天皇の第五皇子で、母は右大臣藤原師輔の娘・中宮安子。冷泉天皇の同母弟。.

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児童文学

児童文学(じどうぶんがく)は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品およびジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いているエンターテイメント作品群であるヤングアダルト小説(ライトノベルや少女小説)や漫画などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。国や世代を超えて読みつがれる名作や、幅広い世代に受け入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。だが、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書あるいは児童図書と呼んで扱っている。.

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児童文化

児童文化(じどうぶんか)は、広義には児童生活におよぼす文化的影響の総和、狭義には児童文化財の内容や子ども自身の文化的活動を表すもので、日本独自の概念である。1930年代に心理学者の波多野完治によって作られた概念とも、あるいは既に1922年に峰地光重の『文化中心綴方新教授法』の中で既に使われ、1920年代を通して綴り方教育運動の中で使用されているともいうが、いずれにせよ本格的に使われ始めたのは、1920年代後半から1930年代にかけてである。これには明治から大正時代にかけて巌谷小波や鈴木三重吉らによって子どものために興された童心芸術運動が背景にあるとされる。具体的は絵本、児童文学、唱歌、詩歌、紙芝居、児童劇などといったもので、それらは児童文化財とも呼ばれた。.

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全国高等学校文芸コンクール

全国高等学校文芸コンクール(ぜんこくこうとうがっこうぶんげい-)とは、1年に1回全国高等学校文化連盟および読売新聞社が主催する文芸賞である。.

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八景

八景(はっけい)とは、ある地域における八つの優れた風景を選ぶ、風景評価の様式。10世紀に北宋で選ばれた瀟湘八景がモデルとなり、影響を受けた台湾、朝鮮、日本など東アジア各地で八景が選定されてきた。なお八景以外にも、四景、十景、十二景などの例も見られる。.

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具平親王

具平親王(ともひら しんのう)は、平安時代中期の皇族。第62代村上天皇の第七皇子、母は女御荘子女王(醍醐天皇の第三皇子代明親王の次女)。官位は二品・中務卿。後中書王(のちの ちゅうしょ おう)、千種殿(ちぐさ どの)、六条宮(ろくじょうの みや)左京六条に営んだ豪邸に因む。の通称がある。.

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光源氏

光源氏(ひかるげんじ)は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。平安時代の公卿。一世源氏。近衛中将、大将、大納言、内大臣、太政大臣、准太上天皇を歴任。広大な四町の邸宅を造営し六条院と呼ばれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。 なお「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称で、本名が「光」というわけではない。.

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石上露子

石上 露子(いそのかみ つゆこ、1882年(明治15年)6月11日 - 1959年(昭和34年)10月8日)は、日本の作家、歌人。大阪府富田林市出身。 雅号はゆふちどり。新詩社の社友となり、「明星」等に短歌、詩、小説等を発表した。本名杉山 孝(すぎやま たか)。代表作は「小板橋」。.

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石勒

石 勒(せき ろく、274年 - 333年8月)は、五胡十六国時代の後趙の創建者。字は世龍。上党郡武郷県(現在の山西省楡社県の西北)出身の羯族であり、匈奴別部の羌渠の血を引いている。元の名を㔨と言い、幼名は匐勒と言った。祖父は耶弈于、父は周曷朱(又の名を乞翼加)。前趙の将軍として各地を攻略し、王浚・劉琨・段匹磾・曹嶷といった敵対勢力を次々と滅ぼした。劉聡の死際には後事を託されたが、劉曜と対立すると自立して後趙を樹立し、前趙を滅亡に追いやって華北に覇を唱えた。奴隷から皇帝まで昇った、中国史上唯一の人物。.

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神曲

『神曲』(しんきょく、)は、13世紀から14世紀にかけてのイタリアの詩人・政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。 地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数「3」を基調とした極めて均整のとれた構成から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界文学史にも重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で書かれていることが特徴である。.

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祭文 (漢文)

祭文(さいぶん)とは、中国における漢文の文体(文語文)の一種。祭時において神霊に対し誦される文章で、死者を葬送するもののほか、雨乞いや除災、求福を目的とする文がある興膳(1988)p.121。道教における祭文は特に「青詞」と呼ばれる明の嘉靖帝によって登用された内閣大学士の厳嵩は青詞を得意としたことから「青詞宰相」と呼ばれた。。.

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福田昇八

福田 昇八(ふくだ しょうはち、1933年1月29日 - )は、日本の文学者(イギリス文学)、翻訳家。勲等は瑞宝中綬章。学位は文学修士(東京大学・1959年)。熊本大学名誉教授、日本スペンサー協会会長。 熊本大学文学部教授、九州ルーテル学院大学人文学部教授などを歴任した。.

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禅林墨跡

圜悟克勤筆、東京国立博物館蔵、国宝) 虚堂智愚筆、東京国立博物館蔵、国宝) 与円爾印可状』(無準師範筆、東福寺蔵、国宝) 宗峰妙超筆、妙心寺蔵、国宝) 禅林墨跡(ぜんりんぼくせき)とは、禅林高僧の真跡のこと。印可状・字号・法語・偈頌・遺偈・尺牘などがある。単に墨跡ともいい、墨蹟・墨迹とも書く。 墨跡という語は中国では真跡全般を意味するが、日本においては禅僧の真跡という極めて限った範囲にしか使わない習慣がある。その二義を区別するため、近年、後者を多くは禅林墨跡といい、その書風を禅宗様という(本項で単に墨跡は禅林墨跡を指す)中西慶爾 p.595峯岸佳葉(決定版 中国書道史) pp..127-128小松茂美 pp..26-27。.

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秋田喜三郎

秋田 喜三郎(あきた きさぶろう、1887年(明治20年)3月17日 - 1946年(昭和21年)4月12日)は、国語教育学者で戦時中文部省で初等教育国語教科書の編纂に携わった。.

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穎才新誌

『穎才新誌』(えいさいしんし)は、近代日本ではじめての全国的子供向け雑誌。陽其二により1877年に創刊され、1901年ないし1902年頃に廃刊と言われている。毎週土曜日発行の週刊誌であり、発行は製紙分社(東京印刷会)による。価格は当初8厘だった今田絵里香 『「少女」の社会史』 勁草書房、2007年。ISBN 978-4-326-64878-8。.

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筆記

記(ひっき、英語:writing)とは、書き記すこと広辞苑第六版「筆記」。あるいは筆で書くこと。また、それによって書かれたもの。.

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紀安雄

紀 安雄(き の やすお、弘仁13年(822年) - 仁和2年5月28日(886年7月3日))は、平安時代前期の貴族・儒学者。氏姓は苅田首のち紀朝臣。助教・苅田種継の子。官位は従五位上・周防守。.

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縦書きと横書き

日本語の雑誌広告(1938年(昭和13年))。広告本文は右縦書きと右横書きが用いられ、商品のラベルには英語に倣い左横書きが用いられている。 英語の新聞(1918年11月11日付)。左横書きされている。 北京の紫禁城、乾清宮の内部。玉座の上に、「正大光明」と1行1文字の右縦書きされている。 世界に存在する文書は、その言語および表記する文字体系の組合わせによって文字を書き進める方向(書字方向)が異なる。書字方向には、大きく分けて縦書き(たてがき、縦組み)と横書き(よこがき、横組み)がある。.

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美しい星 (小説)

『美しい星』(うつくしいほし)は、三島由紀夫の長編小説。三島文学の中では異色のSF的な空飛ぶ円盤や宇宙人を取り入れた作品で、執筆当時の東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の不安・世界終末観を背景に、宇宙的観点から見た人間の物語を描いている「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」(読売新聞 1964年1月19日号)。に所収「世界の破滅に抗して」()。読みどころとなっている作中後半の、人類滅亡を願う宇宙人と、滅亡の危機を救おうとする宇宙人との論戦は「『美しい星』――人類滅亡を議論する思想小説」()、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章を意識していたことが、三島の創作ノートに記されている「『美しい星』創作ノート」()。三島自身が非常に愛着を持っていた小説でもある「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和39年5月27日付)。、に所収。 1962年(昭和37年)、文芸雑誌『新潮』1月号から11月号に連載され、同年10月20日に新潮社より単行本刊行された井上隆史「作品目録――昭和37年」()山中剛史「著書目録――目次」()。なお、この年には長男・威一郎が誕生している。 翻訳版は、スウェーデン(典題:Den vackra stjärnam)、中国(中題:美麗的星)などで行われている。三島は英訳を強く希望し、当時ドナルド・キーンに何度も翻訳依頼したが、キーンはこの小説を気に入らなかったために英訳は実現しなかった。.

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瑠璃明王

璃明王(るりめいおう、ユリミョンワン、)は、高句麗の第2代王(在位:前19年 - 後18年)であり、姓は高、諱は類利(るいり、ヌリ)、または解儒留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟にと百済の始祖となる温祚とがいる。『三国史記』高句麗本紀では琉璃王・琉璃明王、『三国遺事』王暦では瑠璃王、広開土王碑文では儒留王と表記される。また、『魏書』に「朱蒙の死後、子の閭達(ろたつ、リョダル)が王位を継ぎ、閭達の死後その子の如栗(じょりつ、ヨリュル)が王位を継ぐ」とあり、この如栗が瑠璃明王に相当するとも考えられる。.

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無形文化遺産

無形文化遺産(むけいぶんかいさん、)は、民族文化財、フォークロア、口承伝統などの無形文化財を保護対象とした、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の事業の一つ。2006年に発効した無形文化遺産の保護に関する条約に基づく。無形文化遺産に対して、ユネスコの世界遺産は建築物など有形文化財を対象とする。関係して2001年から3回行われた傑作宣言による90件を引き継いて含まれる。 これまでに対象とされた無形文化遺産は、各国の音楽、舞踏、祭り、儀式のほか、インドのヨーガ(2016年)、日本の和紙(2014年)、和食(2013年)など伝統習慣、工芸など多岐にわたる。.

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無著

無著(無着 むじゃく / むぢゃくAsaṅga アサンガ)は、インドの大乗仏教唯識派の学者。生没年は不詳だが、310 - 390年ころの人とされる。.

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韻律

韻律(いんりつ).

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韻律 (韻文)

詩などに用いられる文の形式である韻文は、言語、文化的背景および韻文の形式に応じた特定のリズムに基づいて作られる。これは聴覚的に、ある定まった形象を感覚させる一定の規則ということができる。このリズムあるいは規則を韻律(いんりつ)という。 韻律は言語の音韻的性格に基づいている。(リズム#言語におけるリズムを参照) 例えば日本語の伝統的韻律では、モーラ(拍)が最小単位となり、5拍・7拍を基本とする七五調・五七調などがよく使われる。フランス語でもこれに似て、韻文では時間的最小単位である音節が一定数繰り返される(5音節、6音節など)。 またアクセント・強勢や音節の長さ、あるいは声調が重視される言語も多い。例えば古典ギリシャ語とラテン語では音節の長短、英語やドイツ語ではアクセント・強勢、中国語(漢詩)では声調(平仄)に関して特定のパターンが用いられる。イタリア語やスペイン語では、フランス語と同様の音節数に加え、アクセントのパターンが重視される。(日本語ではこのタイプの韻律は、現代の歌詞などでわずかに例があるものの、一般的ではない。).

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韻律 (言語学)

言語学における韻律(いんりつ)あるいはプロソディー(Prosody)とは、発話において現れる音声学的性質で、その言語の一般的な書記記録からは予測されないものすべてをいう。具体的には抑揚あるいは音調、強勢、音長、リズムなどを含むが、これらのうちで文脈によって異なりうるものを指すのであって、その言語で決まっているアクセント(高低アクセントあるいは強勢アクセント)、声調言語の声調、音長を弁別する言語における長母音・短母音の区別といった性質は含めない。 韻文における韻律は、基本的にはそれを構成する単語の形(アクセントパターン、声調、音節・モーラ数など)に基づいて定められたものであり、無関係ではないが別の概念である。.

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韻脚

verse(韻文、詩)における脚(pes; foot)は、韻脚(いんきゃく)、詩脚(しきゃく)あるいは音歩と訳され、詩のrhythm(リズム、律動)の基本単位として、多くのmeter(韻律、格調)に用いられる。 例えば「Shall I compare thee to a summer's day?」(ウィリアム・シェイクスピア『Sonnet 18』)は、5つの韻脚から成っている。(「//」は韻脚の区切りで、太字は強いアクセント)。.

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韻母

韻母(いんぼ)とは、中国語の音節の構成要素の一つ。1音節内で声母(頭子音)の後に続き、声調を除いた母音を中心とした部分をいう(声調も韻母に含める場合がある)。 韻母は、介音(半母音)・主母音・尾音(鼻音か二重母音を構成する補助的な母音)で構成される。韻母の中における部位を表す用語としては、介音を韻頭、主母音を韻腹、尾音を韻尾と呼ぶ。 また韻文の押韻や韻書の分類には、介音を除いた韻腹と韻尾部分および音節全体にかかっている声調(四声)を区別したものが用いられ、これを韻(いん)と呼ぶ。.

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韻文詩

韻文詩(いんぶんし)とは、詩用語。脚韻詩、頭韻詩などがある。 散文詩とは対にある。 もともと韻文とは、詩と同義であり、散文と対立する漢文用語。一定の韻に属した語を並べることで、声調を整えた文が、韻文。中国、インド、欧米において発達した。しかし、しだいに押韻の要素を持たない詩的な文が、散文詩として、19世紀末から殊に急速な発展を遂げる。.

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韻書

韻書(いんしょ)とは、漢字を韻によって分類した書物。元来、詩や詞、曲といった韻文を作る際に押韻可能な字を調べるために用いられたものであるが、音韻は押韻の必要以上に細かく分類されており、字義も記されているので、字書などの辞典のもつ役割も果たした。 韻とは声母(頭子音)・介音(半母音)を除いた音節後半部(主母音+韻尾)とかぶせ音韻である四声の違いを区別したもので、たとえば『広韻』では206韻の韻目(押韻可能な韻の類別。代表字によって~韻と呼ばれる)が立てられ、同韻内では声類、等呼の違いによる小韻(完全に声母・韻母・声調を同じくするグループ)によって漢字が分類されている。.

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鎌倉文化

運慶作「世親像」 「六道絵」(聖衆来迎寺蔵) 鎌倉文化(かまくらぶんか)は、鎌倉幕府の成立した12世紀末から幕府が滅亡した14世紀前半にかけての日本の文化。王朝国家からの自立を指向する本格的な武家政権が東国に開かれた時代であり、各方面で新しい文化的所産が生まれた。.

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遊び

油彩画で、当時のヨーロッパにおける様々な遊びを網羅しようとした風俗画の傑作。 遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯(ゆうぎ)がある(詳細後述)。 遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、それに加わらない他者にとってその行動がどう作用するかは問わないのであり、たとえ他者への悪意に基づく行動であっても当人が遊びと認識するのであれば、当人に限ってそれは遊びとなる(むろん、他者はそれを容認しない)。.

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聖アレクシス伝

『聖アレクシス伝』(または『聖アレクシスの歌』、仏:La Vie de saint Alexis)は、11世紀成立の古フランス語の韻文聖人伝。 『ローランの歌』以前に成立した初期文学作品の一つであり、フランス語史、フランス文学史上、重要な作品とされる。作者不詳。詩形式は十音綴五行で一詩節を構成しており、計125節625行。脚韻ではなく半諧音を用い、定数の詩節である点を除けば、後の武勲詩との共通点が多い。文体の面でも一詩句と統辞法的単位の一致、繰り返し句、詩節同士の連結法などに口誦文学の影響を見ることができる。.

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類韻

類韻(るいいん、母音韻、Assonance)は、句(フレーズ)やセンテンスの中に押韻を生む母音の響きの繰り返し。頭韻や子音韻とともに詩の素材の1つである。.

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類語

類語(るいご).

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西遊記の成立史

和園長廊の西遊記画 本項では、中国明代に成立した長編白話小説で、四大奇書の一つである『西遊記』の成立過程について概説する。『西遊記』は唐代初期を舞台とし、三蔵法師がサルの孫悟空、ブタの猪八戒、水怪の沙悟浄らを供に、幾多の苦難を乗り越え、経典を求めて天竺(インド)を目指して旅するという神怪小説である。実在の僧侶玄奘が、仏典を求めるため国禁を犯し、16年の歳月をかけてインドとの間を往復した史実を踏まえてはいるが、各地に伝わった三蔵伝説や猿にまつわる逸話などを吸収し、南宋代の都市で語られた講談や元の雑劇で発展した。元末期頃(14世紀)に大枠の話が成立した後、いくらかの改編を経て、明代中期の16世紀に、長篇小説として完成する。現存する最古のテキストは、1592年初版の『新刻出像官板大字西遊記』(世徳堂本)であり、その後清代にかけて様々な刊本が発刊された。.

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駢文

駢文(べんぶん)とは、中国の文語文における文体の一つ。「駢体」または「駢体文」ともいう。散文・韻文に対立する文体で、魏・晋のころに形成され、六朝時代から唐にかけて盛行した。.

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騎士道物語

騎士道物語(きしどうものがたり、フランス語:Roman courtois or Roman de chevalerie, 英語:Romance or chivalric romance, スペイン語:Libros de caballerías or Romance)とは中世ヨーロッパに発展した文学のジャンルで騎士道をテーマとする韻文および散文の物語。宮廷文学、ロマンス、騎士道ロマンス、騎士文学、騎士道小説ともいわれる。騎士の武勲や恋愛を取上げている。 11世紀頃からフランスを中心に発達し、吟遊詩人により歌われた武勲詩が発展したものである。初期は韻文作品のみだが、後期には散文作品も作られた。 それまでのラテン語ではなくフランス語、スペイン語などのロマンス諸語で書かれたという点も重要である。つまり重々しさのない言葉で語られた。後に恋愛小説を意味することになる「ロマンス」のはしりとなる。 本来は騎士の武者修業(Knight-errant)について書かれた物語であるが、典型的なストーリーは、騎士が見知らぬ土地を冒険し、美しい貴婦人の為に住民達を苦しめる強大な敵(しばしばドラゴンや巨人といった想像上の怪物を含む)を倒し王に認められるというもので、ヒロイック・ファンタジーや恋愛小説の原型といえる。 騎士道物語は16世紀までが最盛となるが、その後下火となる。 17世紀、セルバンテスによる、騎士道物語をパロディにした小説『ドン・キホーテ』がその画期と見なされている。 しかし騎士道物語とよく似た主題あるいは筋書きは、映画(『スターウォーズ』など)や漫画、ロールプレイングゲーム(『ドラゴンクエスト』シリーズなど)に形を変えて繰り返されている。.

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計量文献学

計量文献学(けいりょうぶんけんがく)とは、文献の特徴を数値化し、統計学的手法を用いて文献の分析や比較を行う方法、またはそれに関する学問分野。文体に注目して計量文体学(英語:Stylometry)などの名も使われる。.

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詞(し)は、中国における韻文形式の一つ、あるいは歌謡文芸の一つ。 宋代に隆盛したので宋詞(そうし)ともいう。唐・五代では曲・雑曲・曲子詞(きょくしし)とも呼ばれた。また詩に対して詩余(しよ)とも言われ、長短不揃いの句で構成されることから長短句(ちょうたんく)ともいう。曲に合わせて詞が書かれたので、詞を埋めるという意味で填詞(てんし)、音楽に合わせるという意味で倚声(いせい)とも言われる。日本語では詩(し)と同音であるため、区別しやすく中国語音からツーと呼ばれることがある。 後代には音楽に合わせて作られるのではなく、前人の作品の平仄に合わせて作られるようになったため、詩と同様、朗読される詩歌の一種となった。.

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詩(し、うた、poetry, poem; poésie, poème; Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 英語のpoetryやpoem、フランス語のpoésieやpoèmeなどの語は、「作ること」を意味するギリシア語ποίησις (poiesis)に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は西周のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに詩経と称される)。日本では明治になるまでは「詩」といえば漢詩を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。文学の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『新体詩抄』などを起源とする。 印刷技術が普及した後は詩の多くは活字で提供され「読まれる」ようになったが、詩は文字の発明以前から存在したとも言われFor one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman.

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詩学 (アリストテレス)

『詩学』(しがく、Περὶ Ποιητικῆς、De Poetica、Poetics)は、文学理論について論じた古代ギリシャの哲学者・アリストテレスの著作。著作中では、『弁論術』とともに、創作学に関する著作である。また、この著書は、古代ギリシアの哲学者プラトンによる『国家』とともに、物語論の考え方の起源とされている。.

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詩経

『詩経』(しきょう、)は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。 西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという。孔子刪詩説には疑問も多いが、論語・為政篇にも孔子自身が詩句を引用していることから、その時代までには主な作品が誦詠されていたことが窺い知れる。 現行本『詩経』のテキストは毛亨・毛萇が伝えた毛詩(もうし)である。そのため現行本に言及する場合、『毛詩』と呼ぶことも多い。または詩三百・詩三百篇・或いはただ単に三百篇・三百五篇・三百十一篇とも呼ばれる。.

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読売文学賞

読売文学賞(よみうりぶんがくしょう)は読売新聞社が制定した文学賞で、1949年に第二次世界大戦後の文芸復興の一助として発足した。小説、戯曲・シナリオ、随筆・紀行(第19回より創設)、評論・伝記、詩歌俳句、研究・翻訳の6部門に分類し、過去1年間に発表された作品を対象とする。 受賞作品は選考委員の合議によって決定される。受賞者には正賞として硯、副賞として200万円が授与される。年度受賞者は翌年の2月1日に発表するため、受賞年度の表記で混乱が生じることがある。.

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高山長幸

山 長幸(たかやま ながゆき/ながよし、1867年8月7日(慶応3年7月8日) - 1937年(昭和12年)1月19日)は、明治から昭和にかけての衆議院議員(6期)、銀行家、帝国商業銀行取締役会長、東洋拓殖総裁等を歴任。号は孤竹。勲四等瑞宝章。.

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庭堅「苦笋賦」(1099年) 賦(ふ)とは、古代中国の韻文における文体の一つ。唐の詩や宋の詞などと並び、漢帝国を代表する文芸である。戦国時代に端を発し、形を変えながら遅くは清に至るまで存続した。 漢詩が歌謡から生まれたのと考えられるのに対し、賦はもとより朗誦されたものと考えられている。文体の性格としては漢詩と散文の中間に位置する。賦は元来国ぼめの性質を持つとされ、都城の賛美に使われたほか、あらゆる場所・物・感情を網羅的に表現する手段として用いられた。漢代の賦は抒情的要素が少なく、事物を網羅的に描写する。時代が下ると抒情的な性格も強まっていき、また駢儷文や近体詩などの影響を受けるようになる。 賦についての研究・評論は清代において最盛期を迎える。しかし、過度に修辞的で現実的な感情に欠け、道義的主張が曖昧であるとして、20世紀の間は長らく、賦は中国の文人の批判するところとなった。このような歴史的経緯もあって、中国の賦文学研究は1949年から文化大革命の終わる1976年までほぼ消滅しかけていた。それ以降は、賦の研究は徐々に以前の水準を取り戻しつつある。 日本では『古今和歌集』においてかぞえうたと解釈され、和歌の理論の中に取り入れられているが、漢文体の賦やそれに類する日本語の文学作品の制作が試みられた時期もあった。また西洋においては賦に類似するものとして頌歌が挙げられる。.

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賭博者 (プロコフィエフ)

ボリショイ劇場225周年記念の100ルーブル硬貨(裏面)。「賭博者」の舞台が描かれている 「賭博者」()Op. 24は、セルゲイ・プロコフィエフの作曲したオペラ。フョードル・ドストエフスキーの同名の小説を原作とし、リブレットは作曲者自身による。題名は「賭博師」とも表記される。.

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鷹の井戸

『鷹の井戸』()は、アイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツによる一幕物の戯曲であり、1916年に初演され、1917年に出版された。古代アルスター神話の英雄であるクー・フーリンの物語をもとにしてイェイツが作り上げた5作の戯曲のうちの1作である。日本の能の特徴を多数取り入れた英語の芝居としては最初に書かれたものである。.

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黄金の角

金の角(おうごんのつの、Guldhornene) は、デンマークの南ユトランド地方のトゥナ(Tønder)の北にあるガレーフス村(Gallehus)で発掘された長短2本1対の金の角である。1639年に長い1号が、1734年に短い2号がそれぞれ見つかった。後者は前者の発見場所から15〜20m離れたところから出土した。これらは5世紀のものとされている。.

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黙字

黙字(もくじ)とは、単語や文を表す綴りの中で、発音されない表音文字や、読み上げられることのない字素のこと。.

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辞(じ)は、以下のことを指す。.

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辞 (文体)

辞(じ)は、古代中国における韻文の文体の一つ。春秋戦国時代、南方楚地方の巫祝の音楽に起源を持つとされ、句中句末に「兮」字を多用する独自の形式と、悲歌慷慨の文学ともいうべき豊かな抒情性を特徴とする。漢代には分類上賦の一類に含められることが多く、あるいは並列して辞賦とも呼ばれる。屈原の手になるとされる『楚辞』の「離騒」の系譜に連なることから、屈賦(くつふ)・騒体賦(そうたいふ)などの別称もある。.

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茅野蕭々

茅野 蕭々(ちの しょうしょう、本名儀太郎、1883年3月18日 - 1946年8月29日)は、日本のドイツ文学者、詩人。.

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鈴木光男

鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - )は、日本の経済学者。東北大学経済学博士、東京工業大学名誉教授。ゲーム理論を専門とし、日本の第一人者として中村健二郎ら有数の研究者を育てるとともに、『ゲーム理論入門』などの著書を残した。東京工業大学教授(工学部社会工学科、理学部情報科学科)、東京理科大学教授(工学部経営工学科、経営学部)を歴任。 学徒勤労動員の著書でも知られる。瑞宝中綬章受章者(2013年)。.

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阿来

阿来(1959年—)は、中華人民共和国の小説家、詩人、脚本家。蔵族。代表作に小説『塵埃落定』。現職は四川省作家協会主席、中国作家協会第八届全国委員会主席団委員。.

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赤松満祐

赤松 満祐(あかまつ みつすけ/まんゆう)は、室町時代中期の武将、守護大名である。室町幕府侍所頭人、播磨・備前・美作守護。赤松義則の嫡男。兄弟に義雅、祐尚(祐之)、則繁など。従兄弟に有馬持家、満政。子に教康。生年は文中2年/応安6年(1373年)説もある。.

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著作家

著作家(ちょさくか)とは、文章を書くことを職業とする人。著述家(ちょじゅつか)、文筆家(ぶんぴつか)、作家(さっか)、小説家(しょうせつか)、執筆屋(しっぴつや)、ライター (writer) 、物書き(ものかき)などともいう。.

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蓮田一五郎

蓮田 一五郎(はすだ いちごろう、天保4年3月5日(1833年4月24日) - 文久元年7月26日(1861年8月31日))は、幕末の水戸藩士。桜田門外の変の襲撃者(桜田烈士)の一人。水戸藩寺社方手代。名は正美。幼名は仙之介。市五郎は誤記とされる。墓所は茨城県水戸市松本町の常磐共有墓地。明治22年(1889年)5月靖国神社に合祀。贈正五位。.

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虹の橋 (詩)

虹の橋(にじのはし、英語:Rainbow Bridge)とは、飼っていたペットを亡くした人々のあいだで語られている、比喩的な場所、または神話的な場所のことである。また、この場所をうたった散文詩(韻文)のことである。.

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Psychedelic Insanity

Psychedelic Insanity(サイケデリック インサニティ)は、宝野アリカと片倉三起也による日本の音楽ユニット、ALI PROJECTの9作目(インディーズから通算)のオリジナルアルバム。 『Dilettante』以来2年2か月ぶりのオリジナルアルバム。収録曲数・最終トラックがインストゥルメンタルとなることに前作との共通点がみられる。.

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押韻

押韻(おういん)とは、同一または類似の韻をもった語を一定の箇所に用いることをいう。圧韻ともいう。リズムを作って響きの心地よさや美しさを作り出す。 中国文学で、押韻される文を韻文という。中国文学における韻文には詩・詞・曲・賦などがある。転じて他言語の文芸作品で押韻するものにもこの語を用いる。.

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折口信夫

折口 信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。 歌人としては、正岡子規の「根岸短歌会」、後「アララギ」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。1924年(大正13年)北原白秋と同門の古泉千樫らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。.

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抒情詩

抒情詩(じょじょうし)は、詩歌の分類の一種。詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。叙情詩とも言うが、「汲み出す」の意味から「表現する」を表すようになった漢字「抒」を使うのが本来的である。叙事詩と劇詩とともに詩の三大区分の一つである。 抒情には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある。.

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掛詞

掛詞(かけことば)とは、和歌などにおける修辞技法の一つ。.

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李イク

李 煜(り いく)は、十国南唐(江南)の第3代(最後)の国主。後主とよばれる。君主としての政治的能力はほとんどなく、それよりも文学的・芸術的な才能のほうがはるかに優れていた。特に韻文の一種で、勃興しつつあったジャンルである詞の大成者として知られる。父の元宗李璟も芸術方面で評価されているため南唐二主と並称されている。.

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松山宣言

松山宣言(まつやませんげん)は、1999年9月12日、松山にて有馬朗人、芳賀徹、上田真、金子兜太、ジャン・ジャック・オリガス、宗左近の各氏によって全世界の詩人に向けて発出した、21世紀において短詩型文学としての俳句の可能性と方向性を示唆する宣言。.

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松岡操

松岡 操(まつおか みさお、1832年(天保3年) - 1896年(明治29年)9月5日)は、日本の儒者、医師。柳田國男ら「松岡5兄弟」の実父。松岡賢次と命名されるが、明治初期に、改名の自由が許されるようになり操に改名した。号を約斉という。.

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検校

検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称。檢校とも書いた。 元々は平安時代・鎌倉時代に置かれた寺院や荘園の事務の監督役職名であったが室町時代以降、盲官の最高位の名称として定着した。 江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。 検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当、勾当、座頭などがあった。.

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武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。.

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武楽

武楽(ぶがく)は、「武の美」を主題に、武士が研鑽した武芸や、武士のたしなみであった能や茶の湯などの武士文化を融合した総合芸術である。2005年に源光士郎(みなもと こうしろう)が創案した。 -------------------------------------------------------- 概要 武楽は、「武の美」を主題に、当時の武士が実際に稽古した古武術や、武士のたしなみであった能や茶の湯などの武士文化を融合させ再構成し、琵琶や箏・鼓・笛・和太鼓といった和楽器の演奏を組み合わせた文化芸術。(出典1)  演武の形は、能装束を着用し、居合刀や薙刀、木剣、舞扇を使って、武道の技と技の間を能の舞の所作で連環している。  雅楽は公家、歌舞伎は民衆を中心に愛されたが、室町時代に足利将軍家に庇護され大成した能は、武士の美意識を強く反映しており、武術にその能の要素を融合して美しさという観点から武士文化の芸術性を再構築したものである。(出典2) 「武の美」 武楽が主題とする「武の美」の要素 ①術理の美:技や型、磨き上げられた身体操法に現れる機能美 ②間の美:時間・空間・音の余白、間と均衡(きんこう)の美、静謐(せいひつ)と閃耀(せんよう)の美 ③たしなみの美:武士が文武両道の教養人として身に着けていた能や茶の湯、香道や詩歌などのたしなみの美 ④刀剣武具・装束の美:武士の祈りや思想哲学、美意識が込められた意匠 ⑤生き様の美:己を磨き他者を敬愛し、勇気と覚悟、正義感と自制心を持って信念を貫く求道の美 ⑥平和思想:「戈(ほこ)を止むるを武となす」に現れる平和を求める心 など。 武楽は、形の美だけでなく、こうした「武」の機能美や武士のたしなみ、死生観、生き様や精神性、思想哲学までをも含む武士美学の要素を「武の美」としてまとめ、それぞれを個々にではなく、ピカソの絵のように多面的に和(あ)えて一つの作品上に構成し、芸術文化として再構築した表現体系である。(出典3) 主な演目 『邪気祓い』 『鬼切』 『日蝕』 『屋島(四方斬)』 『鬼神』 『高砂 祝舞』 『敦盛』 『羽衣』 『叢雲』 『田村 鬼体』 『献武式』 『鬼蜘蛛』 『紅葉狩』 『櫻花』など(出典4) 出典・参考文献 1.

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歌、唄(うた)とは、声によって音楽的な音を生み出す行為のことであり、リズムや節(旋律)をつけて歌詞などを連続発声する音楽、娯楽・芸術のひとつである。歌謡(かよう)世界大百科事典,平凡社「歌謡」、歌唱(かしょう)大辞林「歌唱」「歌謡」とも言う。 また歌・歌謡は、文学における用語でもあり、詩の一形式または韻律文芸の総称で、和歌などを指す。これについても本項で述べる。.

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毎日書道展

毎日書道展(まいにち・しょどうてん)とは、毎日新聞社と、その関連団体である一般財団法人「毎日書道会」が主催する書道の公募展である。.

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毛利元敏

毛利 元敏(もうり もととし、嘉永2年5月3日(1849年6月22日)- 明治41年(1908年)4月2日)は、長門長府藩の第14代(最後)の藩主。 第12代藩主・毛利元運の六男。母は土屋彦直の娘・欽麗院。同母姉に毛利宗家の長州藩主・毛利元徳の正室・安子がいる。正室は正親町三条実愛の娘(毛利敬親の養女)・保子。側室に美濃子がいる。官位は従二位。幼名は宗五郎。子に毛利元雄、乃木希典の養子となった乃木元智、毛利邦樹、多栄子(三条公輝室)らがいる。.

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法句経

『法句経』(ほっくきょう)、または『ダンマパダ』(Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた、韻文のみからなる経典である。語義は「真理(法。dhamma)の言葉(pada)」である。様々なテクストから仏陀の真理の言葉だけを取り出し、偈(詩)の形にしたもので、編纂者は法救(ほっぐ。Dharmatrāta)と考えられる。パーリ語仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。スッタニパータとならび現存経典のうち最古の経典といわれている。かなり古いテクストであるが、釈迦の時代からはかなり隔たった時代に編纂されたものと考えられている。.

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添削

添削(てんさく)とは、作文、レポート、答案、文章、詩歌などを、書き加えたり削ったりすることで直す作業のことである。 添削は、教師が学習者(児童・生徒・学生など)の答案や作文、レポートなどを点検する際に行われる学習指導の1つである。添削されたものは学習者が復習などに活用したり、文章や作品をよりよいものにするために参考にしたりする。 普通、添削は赤色の筆記用具を使って行う。そのため、添削された作品あるいは添削された部分を、朱書き(しゅがき)や赤入れ(あかいれ)などということもある。ベネッセコーポレーションの進研ゼミにおける赤ペン先生は、まさに通信教育における添削指導の一例である。.

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湊川神社

1961年(昭和36年)当時の湊川神社。市電の架線が見える。 湊川神社(みなとがわじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目にある楠木正成を祭る神社。地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。建武中興十五社の一社で、旧社格は別格官幣社である。.

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湯浅

湯浅(ゆあさ)は和歌山県有田郡湯浅町の市街地の名称。国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 醤油蔵が並ぶ北町通り(角長前).

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源経信

源 経信(みなもと の つねのぶ)は、平安時代後期の公家・歌人。宇多源氏、権中納言・源道方の六男。官位は正二位・大納言。桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信。.

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源雅兼

源 雅兼(みなもと の まさかね、承暦3年(1079年) - 康治2年11月8日(1143年12月15日))は、平安時代後期の公卿。村上源氏の出で、右大臣・源顕房の八男。従三位・権中納言。薄雲中納言と呼ばれた。 白河院の近臣として信任厚く、長治元年(1104年)堀河天皇の五位蔵人となり、嘉承2年(1107年)の崩御まで務める。天永2年(1111年)からは鳥羽天皇の五位蔵人を務め、弁官の労にて永久5年(1117年)正月、従四位下に叙される。保安3年(1122年)から、鳥羽・崇徳二代の蔵人頭を務め、大治5年(1130年)十月参議左大弁となる。天承5年(1131年)に従三位・権中納言に至る。長承3年(1134年)治部卿を兼ね、長承4年(1135年)病気により辞職して出家。礼部禅門と呼ばれた。 学才に優れ、朝廷の政務にも通じており、白河院・鳥羽院の信頼が厚かった。白河院は藤原通俊や大江匡房と並んで評価をしたといい(『古事談』)、鳥羽院は雅兼の出家後も、しばしば呼び出して重要事について相談したとされる(『今鏡』300段)。また、源師時は、天下を支える名臣として、源師時・藤原忠宗・源師俊とともに雅兼を挙げている(『長秋記』長承2年9月5日条)。 詩歌もよくし、家集として『中納言雅兼卿集』(83首)がある。『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集に9首が入集。.

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漢詩

漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した中国の国家芸術としての詩のこと。中華文明の伝来に伴い、8世紀から日本でも詠まれた。.

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演劇の歴史

演劇の歴史(えんげきのれきし)では、西洋、アジア、日本における演劇の歴史について、その概要を扱う。.

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木村草弥

木村 草弥(きむら くさや 1930年2月7日-)は、日本の歌人、詩人。 本名は重夫(しげお)。.

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未来

未来(みらい、futur、Zukunft、future)とは、.

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本多政敏

本多 政敏(ほんだ まさとし、承応2年8月9日(1653年9月24日)- 正徳5年3月19日(1715年4月22日)) は、加賀藩の執政、加賀八家本多家第三代当主。 父は加賀藩家老本多政長。正室は前田孝貞の娘。子は本多政質、本多政惇、本多政昌、西洞院時光室、栗津右近室、前田貞直室、三田村孝言室。幼名萬作。通称主殿、安房。諱は政良、政在、政敏。号天淵。官位は従五位下安房守。.

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本間雅晴

本間 雅晴(ほんま まさはる、1887年(明治20年)11月27日 - 1946年(昭和21年)4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等。陸士19期、陸大27期恩賜。 太平洋戦争(大東亜戦争)においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは米軍にも知られているものの、戦後はバターン死の行進における部下の行為の責任を問われて銃殺刑に処された。.

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月のゆくへ

『月のゆくへ』(つきのゆくえ)は荒木田麗女が明和8年(1771年)に成した、二巻三冊の歴史物語。「月のゆくえ」「月の行方」「月の行衛」とも。荒木田の代表作の一つである。 内容は、虚実を織り交ぜながら平家一門の興亡を鏡物に倣った雅文体で綴ったもので、巻一(二冊)で高倉天皇、巻二で安徳天皇の事績を述べ、『今鏡』と『増鏡』の間にあたる『弥世継』の代わりになるものとしている。荒木田は『平家物語』と『源平盛衰記』を主な資料としつつ、その博識を生かして和漢の故事・詩歌などを引いて物語に趣を添えている。 伊勢神宮の神宮文庫に、荒木田興正妻直女の写本が残る。.

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月見

望月 月見(つきみ)とは月、主に満月を眺めて楽しむこと。観月(かんげつ)とも称する。 なお、鶏卵の黄身を満月に例えた料理もその形から月見という(後節参照)。.

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戯曲

戯曲(ぎきょく)は、演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。戯曲を書く者のことを劇作家と呼ぶ。.

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明治書院

明治書院(めいじしょいん)は、東京都新宿区にある日本の出版社。.

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明星 (文芸誌)

与謝野鉄幹 明星(みょうじょう)は、1900年(明治33年)4月から1908年(明治41年)11月まで刊行された、詩歌を中心とする月刊文芸誌である。 同人結社東京新詩社の機関誌として、与謝野鉄幹が主宰となり創刊。1908年(明治41年)11月の第100号で廃刊となった。 誌風はロマン主義的であり、高踏的・唯美的傾向が強く、西洋文学の紹介にも熱心だった。.

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海燕の歌

海燕の歌」(うみつばめのうた、)は、ロシアの作家マクシム・ゴーリキーが1901年に作った詩である。プロレタリア革命の到来を予言した詩として、ソ連、東側諸国、共産主義者・社会主義者の間でもてはやされた。 ウミツバメ.

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斎藤秀三郎

斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日)は、明治・大正期を代表する英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。.

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新猿楽記

『新猿楽記』(しんさるがくき)は平安時代中期の学者藤原明衡による作品。ある晩京の猿楽見物に訪れた家族の記事に仮託して当時の世相・職業・芸能・文物などを列挙していった物尽くし・職人尽くし風の書物である。その内容から往来物の祖ともいわれる。.

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方法序説

『方法序説』(ほうほうじょせつ、方法叙説とも、Discours de la méthode)とは、1637年に公刊されたフランスの哲学者、ルネ・デカルトの著書である。 刊行当時の正式名称は、『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(方法序説)。加えて、その試みである屈折光学、気象学、幾何学。』()であり、元来は3つの科学論文集を収めた500ページを超える大著だった。今日の『方法序説』として扱われているテキストは、その書籍中の最初の78ページの「序文」部分であり、自身の方法論の発見・確立や刊行に至るまでの経緯を述べている。 序説と訳されるDiscoursは、Traitéが教科書のように体系的に書かれた論説であるのに対して、形式ばらない論考の意であり、デカルト自身がメルセンヌへの書簡で「方法の試み」であると呼んでいる。哲学的な内容はその後に出版された『省察 Meditationes de prima philosophia』とほぼ重なっているが、『方法序説』は自伝の記述をふくみ、思索の順序を追ってわかりやすく書かれているため、この一冊でデカルト哲学の核心を知ることができる。当時、多くの本がラテン語で書かれることが多い中、ラテン語の教育を受ける可能性が低かった当時の女性や子供たちでも読めるように、フランス語で書かれ、6つの部分に分かれている。 なお初版は、宗教裁判によって異端とされることを恐れて、偽名で発行された。.

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文学

ジャン・オノレ・フラゴナール『読書する女』(1772年) 文学(ぶんがく)とは、言語表現による芸術作品のこと。文芸ともいう。それらを研究する学問も文学と称されるが、これについては文芸学で扱う。狭義には、詩・小説・戯曲・随筆・文芸評論などを典型的な文学の例とする。 西洋での文学(、、、、)はラテン語のlittera(文字)及びその派生語litteratura(筆記、文法、教養)を語源とし、現在では主に以下の意味を持つ。.

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文章読本

『文章読本』(ぶんしょうどくほん)は、谷崎潤一郎が読者向けに文章の書き方、読み方を分かりやすく記した文章講座の随筆集。川端康成や三島由紀夫をはじめ、他の作家も同じタイトルを踏襲した文章講座をそれぞれ出版している。本項ではおもに谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫の『文章読本』について述べる。.

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日夏耿之介

日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年(明治23年)2月22日 - 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の詩人、英文学者。本名は樋口國登(ひぐち くにと。通称は圀登)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人など30数種類を数える。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。 詩人としては自らゴスィック・ローマン詩體と称す高踏的で荘重幽玄な詩風であり、その神秘主義的な象徴詩は他に類をみない個性を放っている。また訳詩、文学論考、随筆などの幅広い著作があり、明治・大正期の文学論でも知られる。.

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日本十進分類法

日本十進分類法(にほんじっしんぶんるいほう『日本十進分類法 新訂10版 本表・補助表編』、標題紙裏。、Nippon Decimal Classification; NDC)は、日本の図書館で広く使われている図書分類法である。最新版は新訂10版(2014年12月発行) - 日本図書館協会 JLA出版物。もり・きよし(森清)原編、日本図書館協会分類委員会改訂。.

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日本三景

日本三景(にほんさんけい)は、日本の3つの名勝地のことである。.

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日本伝統芸能

日本伝統芸能(にほんでんとうげいのう)は、日本に古くからあった芸術と技能の汎称。特定階級または大衆の教養や娯楽、儀式や祭事などを催す際に付随して行動化されたもの、または行事化したものを特定の形式に系統化して伝承または廃絶された、有形無形のものを言う。詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道などがある。.

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日本語の表記体系

日本語の表記体系(にほんごのひょうきたいけい)では、日本語の文章等を文字によって表記するための系統的な方法について解説する。本項目では現代日本語の表記体系とその歴史を扱っている。日本語の概略に関しては日本語を参照。.

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日本文学

紫式部 日本文学(にほんぶんがく)とは、日本人が書いた文学、日本で発表された文学、ないしは日本語で書かれた文学作品、もしくはそれらの作品や作家を研究する学問のこと。 夏目漱石 日本文学の歴史は極めて永く、古くは7世紀までさかのぼる。同一言語・同一国家の文学が1400年近くにわたって書き続けられ読み続けられることは世界的に類例が少ない。1000年頃に紫式部によって書かれた『源氏物語』は世界的に知られ、近世の松尾芭蕉も現在の俳句ブームにより広く知られている。近代以降の日本文学においても、夏目漱石・谷崎潤一郎などが世界的に高い評価を受けており、これまで2名のノーベル文学賞受賞者(川端康成・大江健三郎)を出している。 古代・中世の日本文学は中国の文化的影響が著しく、日本が仏教を受け容れたことからインド文学の間接的影響もみられる。中国文学の影響は江戸時代にもみられるが、いずれの時代においても日本人作家の独創が顕著にみられる。明治維新以降は欧米の文化的影響を強く受けたが、英米文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学などを短期間のうちに摂取・模倣し、日本独自の高度な近代文学を創造していった。近代日本文学は中国・朝鮮の近代文学の形成に大きな影響を与えた。第2次世界大戦後の日本文学も、三島由紀夫・安部公房・村上春樹などの作品が世界的に広く読まれており、現代の世界文学に多大な影響を与えている。.

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散文

散文(さんぶん)とは、小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。.

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散文のトリスタン

散文のトリスタン(Tristan en prose)は、13世紀のフランスの散文作品。それまで韻文で書かれてきたトリスタンとイゾルデの説話を、長大なロマンスにまとめたものである。トリスタン伝説を初めてアーサー王物語に組み込んだ作品でもある。また、『ランスロ=聖杯サイクル』が大きな成功を収めたあとに書き始められた最初の重要な散文作品で、『散文のトリスタン』の後半部は『ランスロ=聖杯サイクル』に大きく影響を受けている。.

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散文詩

散文詩 (さんぶんし、仏:Poème en prose, 英:Prose poetry) は、文学上のジャンルの一つである。フランス近代詩人アロイジウス・ベルトランが『夜のガスパール』にて創出、後にボードレールが『小散文詩』(『パリの憂愁』)で完成させたとされる。日本では萩原朔太郎が初期の重要な散文詩人として知られる。.

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散曲

散曲(さんきょく)とは、曲の一種であり、口語による韻文形式または歌謡文芸の一つ。元・明・清代に隆盛した。 「散套」(さんとう:散曲套数の略、単に套数とも言われる)と「小令」(しょうれい:詞の小令とは異なる)の2種類がある。「散套」は同一の宮調を用いて構成された組歌形式のものであり、長短不揃いで押韻は一韻到底であった。雑劇の歌詞と性質を同じくし、作家が重複することもしばしばであった。「小令」は短く単独のものであるが、重複可能である。また2・3の曲調で構成される「帯過曲」があるが、これは小令の一体として分類されている。 雑劇とともに元代に隆盛し、総称して元曲と言われる。 馬致遠の「借馬」、姚守中の「牛訴冤」、睢景臣の「高祖還郷」、劉致の「上高監司」といった作品が有名。多く雑曲と作家が共通するが、散曲だけの作家に張可久、貫雲石らがいる。 さんきよく さんきよく.

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手習い

手習い(てならい)とは、毛筆で仮名や漢字を書く練習をすること。「手」とは手跡、すなわち筆跡のことである。.

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曲(きょく).

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曲水の宴

御常御殿の襖絵に描かれた曲水の宴(京都御所) 曲水の宴(きょくすいのうたげ(えん)、ごくすいのうたげ(えん))は、水の流れのある庭園などでその流れのふちに出席者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披講するという行事である。流觴(りゅうしょう)などとも称される。略して曲水、曲宴ともいう(『広辞苑』第2版)。.

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書き初め

書初をする人 書初展覧会で展示中の、小学生の手になる優秀な書初作品 書初/書初め/書き初め伝統的表記は「書初」もしくは「書初め」であって、「書き初め」とは記さない。季語としての「かきぞめ」も、「書初」か「書初め」と記すことが、(現代なら「書き初め」でもかまわないが、伝統的表記のほうが感じが好いという理由で)推奨される。(かきぞめ)とは、日本の年中行事の一つで、新年になって初めて毛筆で字や絵を書くことを指す。同義語として、試毫(しごう)、試筆/始筆(しひつ)、筆始/筆始め(ふではじめ)、試簡(しかん)、試免(しめん)、試穎(しえい)、試春(ししゅん)、試觚(しこ)が、類義語として、初硯(はつすずり)「季語」のセッションで詳説しているが、「新年になって初めて硯を使うこと、また、そのようにして作った墨で字を書くこと」を指す語であり、「書初」と同義とする辞書としない辞書がある。「書初」と「初硯」は、もたらされる結果が同じとは言え、厳密には同義ではない。特に詩歌での表現ともなると歌い込まれる情景に明らかな違いがある。特に季語としては、同義ではないと考えたほうが無難である。、吉書始/吉書始め(きっしょはじめ)、吉書がある。 旧暦時代には当時の正月2日すなわち旧暦の1月2日に行われた。新暦導入以降現在(明治4年以降現在)は、通常、新暦の1月2日に行われる西角井正慶編「年中行事事典」東京堂出版、1958年(昭和33年)、p.

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曽根寸斎

曽根 寸斎(そね すんさい、 寛政10年(1798年) – 嘉永5年 9月2日(1852年10月14日))は、江戸時代後期の日本の篆刻家である。 名は政醇または隼、字を翔卿、号は寸斎の他に印禅居がある。通称定左衛門。本姓は林氏。江戸の人。.

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