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金文

索引 金文

金文(きんぶん)とは、青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと(「金」はこの場合青銅の意味)。中国の殷・周のものが有名。年代的には甲骨文字の後にあたる。考古学的には、「青銅器銘文」と称されることが多い。また鐘鼎文とも呼ばれる  殷は青銅器文化が発達した時代であり、この文字を器の表面に鋳込む技術は現在でも解明されていない。 金文は『史記』のような後世になって書かれた資料とは違い、完全な同時代資料であるためこの時代を研究する上で貴重な資料となっている。金文は拓本や模写によって研究されてきた。 なお石などに刻まれた文章は石文と呼ばれ、一緒にして金石文と呼ばれる。またこれらを研究することを金石学という。.

68 関係: 十二国十二国記印章古六暦古文古文 (文体)司徒司空墨 (書道雑誌)天命天満大自在天神字統宮城谷昌光官印中国の竜中国の書道史中国暦中国文明三国争乱 春秋炎城形天パウル・セロイスベルンハルド・カールグレン周礼周法高呉大澂ケン允サイ (漢字学)神代文字穆天子伝竜部第三漢字面篆刻篆書体爵位甲骨文字白川静青銅器青銅器時代記録技術の年表詩経説文解字踊り字黹部龠部阿比留草文字赤塚忠金石学金部...金文体Unicode文字のマッピング林泰輔李氏三墳記松本筑峯栗原正峰楊樹達楊沂孫模刻殷墟漢字漢和辞典漢数字最初の書記記録が古い順の言語リスト浅見筧洞書経書道用語一覧2008年北京オリンピックの開会式 インデックスを展開 (18 もっと) »

十二国

十二国(じゅうにこく)は小野不由美の小説『十二国記』シリーズの舞台となる架空の世界の呼称、またはそこに存在する12の国の総称である。.

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十二国記

『十二国記』(じゅうにこくき)は、小野不由美の小説シリーズ。中国風異世界を舞台にしたファンタジー小説である石堂藍『ファンタジー・ブックガイド』 国書刊行会、2003年。完結しておらず、シリーズは継続している。アニメやドラマCDなどのメディア展開も行っている。.

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印章

印章(いんしょう、)は、木、竹、石、角、象牙、金属、合成樹脂などを素材として、その一面に文字やシンボルを彫刻したもので、個人・官職・団体のしるしとして公私の文書に押して特有の痕跡(印影・印痕)を残すことにより、その責任や権威を証明する事に用いるもの。印(いん)、判(はん)、印判(いんはん)、印形(いんぎょう)、印顆(いんか)、印信(いんしん)、ハンコ(判子)ともいう。 しばしば世間一般では、正式には印章と呼ばれるもののことをハンコ、印鑑(いんかん)と呼んでいるが、厳密には印章あるいはハンコと同じ意味で「印鑑」という語を用いるのは正確ではない。古くは、印影と印章の所有者(押印した者)を一致させるために、印章を登録させた。この印影の登録簿を指して印鑑と呼んだ。転じて、印鑑登録に用いた印章(実印)を特に印鑑と呼ぶこともあり、更には銀行印などの登録印や、印章全般もそのように呼ぶ場合もある。.

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古六暦

古六暦(こりくれき)とは、中国暦の中で漢代に伝わっていた黄帝暦・顓頊暦・夏暦・殷暦・周暦・魯暦という帝名や国名を冠した六つの古暦の総称。いずれも太陰太陽暦に属する。甲骨文・金文などに見られる実際の殷・周の暦とは異なっており、戦国時代以降、仮託して作られたものである。 19年に7閏月を設ける章法(メトン周期)が取り入れられ、1太陽年を(=365.25)日、1朔望月を(≒)日とする四分暦であった。よって、後漢の四分暦に対して、古六暦を古四分暦とも言う。 顓頊暦は秦から前漢の太初元年(紀元前104年)の改暦にいたるまで使われた。 また戦国各国は多く建寅の月を正月とする夏暦の夏正を採用し、漢の太初暦以降、歴代の暦でもほとんどが夏正を採用したため、夏暦は中国の伝統的な太陰太陽暦を総称する言葉ともなった。.

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古文

古文(こぶん)は、漢字の書体の一種。広い意味での篆書系統の文字である。 広義には秦の小篆以前に使われていた文字を指すが、狭義には後漢の許慎による字書『説文解字』や魏の「三体石経」に「古文」として使われている文字、さらに出土文物である六国の青銅器・陶器・貨幣・璽印や長沙仰天湖楚墓竹簡・信陽楚墓竹簡・楚帛書といった文書に使われている文字を指す。.

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古文 (文体)

古文(こぶん)とは、中国古代の文体名。散文の一種。.

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司徒

司徒(しと)とは、中国の官名。金文では司土と作る。 西周ではじめて設置され、三公の次に位し、六卿に相当する。田土・財貨・教育などを司った。 前漢では丞相が三公の一つとされたが、哀帝の元寿2年(紀元前1年)に、丞相を大司徒と改称している。 後漢の建武27年(51年)に、大司徒は司徒と改称される。後漢における司徒は司空・太尉とともに三公の一つであった。 献帝の建安13年(208年)6月、曹操が三公制度を廃止して、丞相・御史大夫を置いたことにより、廃止されたが、漢から魏への禅譲が行われると三公制度が復活し、再び司徒が三公の一つとして設置された。魏では王朗・董昭といった長老が任命されたが他の三公同様さほどの実権はなかった。また、三国時代の一国である蜀漢では丞相諸葛亮に次ぐ高官として司徒を置き許靖が任命されている。.

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司空

司空(しくう)は、中国の官名のひとつ。金文では司工と作る。.

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墨 (書道雑誌)

『墨』(すみ)は、芸術新聞社発行の隔月刊書道専門誌。 1976年7月に創刊(発行人は小針代助)され、2009年9月で200号を迎えた。現在の発行人は相澤正夫。タイトルロゴは米フツの「墨」の字。.

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天命

天命(てんめい)とは、天から与えられた命令のことである。 天から人間に与えられた、一生をかけてやり遂げなければならない命令のこと。また、人がこの世に生を授けられる因となった、天からの命令のことである。命数。.

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天満大自在天神

明治時代) 天満大自在天神(てんまん / てんま / そらみつ だいじざいてんじん)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家である菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん)の御霊を神格化した神。別号 日本太政威徳天(にほん / やまと / ひのもと だいじょう / だじょう いとくてん)、大聖威徳天(たいせいいとくてん)、火雷天神(からいてんじん)、大富天神(おおとみ / だいふ てんじん)、北野天満宮天神(きたのてんまんぐうてんじん)、北野天満大富天神(きたのそらみつおおとみてんじん)、実道権現(じつどうごんげん)。天神信仰、天満宮の主神。学問の神で雷神。.

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字統

『字統』(じとう)は、白川静が編纂した字源辞典。昭和59年(1984年)に刊行し、同年、毎日出版文化賞特別賞を受賞、その後、『字統 普及版』(1994年)、『新訂 字統』(2004年)、『新訂 字統 普及版』(2007年)が刊行された。.

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宮城谷昌光

宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - )は、日本の小説家、歴史小説・時代小説作家である。古代中国の偉人にスポットを当てた作品を得意とする。代表作に『重耳』、『孟嘗君』など。本名は宮城谷 誠一(みやぎたに せいいち)。.

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官印

官印(かんいん)とは、中国や日本において身分証明・公的証明のために官吏・役所に配られた官製の印章。元は純粋な実用印であるが、宋代頃からその美術性の高さが評価されるようになり、蒐集・鑑賞の対象、篆刻の参考資料として使用されるようにもなっている。.

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中国の竜

中国の竜(ちゅうごくのりゅう)では、中国における竜について記述する。 竜(龍龍は竜の旧字体であるが、竜は金文にもみられる古い字形である。、音読み: りゅう慣用音の「りゅう」は呉音、漢音は「りょう」。、簡体字: 龙龍の草書体から。、拼音: )は、本来的には中国の神話・伝承や造形美術にみられる想像上の動物を指すが、その概念は朝鮮、日本、ベトナムにも伝播し、それぞれの文化に組み込まれている。また、西洋のドラゴンも竜と翻訳され、逆に東洋の竜は西洋語では dragon (英・仏)などと訳される。ここでは主として中国固有の竜について述べる。.

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中国の書道史

『蘭亭序』(部分)王羲之 中秋帖』王献之書 中国の書道史(ちゅうごくのしょどうし)では、有史以来、清代までの中国における書の歴史について、その背景・書体の変遷・書風・筆跡・書人・書論など書に関連した事跡を記す。.

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中国暦

中国暦(ちゅうごくれき)では、中国の伝統的な暦法を総合して説明する。中国では伝統的な暦法のことを夏暦(かれき)・農暦(のうれき)・陰暦(いんれき)・旧暦(きゅうれき)などと呼んでいる。また、ベトナムなどのように黄暦(こうれき)と呼称する国・地域もある。さらに日本では、中国から輸入した暦のことを漢暦(かんれき)と呼んでいた(日本の暦については「太陰太陽暦#日本」も参照)。 夏暦とはもともと古六暦の一つであるが、辛亥革命以後に太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されるようになると、それまでの伝統的な太陰太陽暦を総称する言葉となった。これは、中国の太陰太陽暦が建寅の月を年始とする夏正であったためである。また、一般的に農暦と呼ばれるようになったのは、農村で今でも広く使われているからである。2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産に登録された。.

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中国文明

中国文明(ちゅうごくぶんめい)また中華文化(ちゅうかぶんか)は、中国大陸における文明・文化などの総称である。中華文明とも。世界最古の文明の一つであり、東アジアにおける中心文化でもある。歴史的には同文化圏内で広大な地域や人口を保有し、各地の文化は四千年もの発展を経て、「共通性を持ちながらも、鮮明な地方特色を帯びている」という中国独自な特徴になった。そして、中国大陸だけでは限らず、台湾・香港・マカオ・シンガポール等の中華圏や、日本・韓国・ベトナム・モンゴル等の漢字文化圏の国々にもかなり重要な影響を与えた。.

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三国争乱 春秋炎城

『三国争乱 春秋炎城』(さんごくそうらん しゅんじゅうえんじょう、原題:春秋淹城、英語題:Spring and Autumn Herind Of Yancheng)は、江蘇衛星テレビにて2008年に放送された中国の歴史ドラマ。全30話。.

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形天

形天(明胡文煥画) 形天(けいてん)は古代中国の神乃至英雄。 「形」字を変えた刑天や邢天の他、「天」字を「夭」とする形夭、刑夭、邢夭といった表記(この場合は「けいよう」)もある。 『山海経』に拠れば、帝(恐らくは黄帝)と中原から遠く離れた西南方に位置する常羊(じょうよう)の山近くで神の座(恐らくは天帝の座)を掛けて争い、敗れて首級を常羊山に埋められるが、なおも両乳を目に臍を口に変え、干(かん。盾)と戚(せき。斧)とを手にして闘志剥き出しの舞を舞い続けたという。なお、後漢は『淮南子』墬形訓に注して、天神が手を断った後に天帝が首を断ったとするが、手を断たれたなら干戚を手にする事も出来ないのでこれは誤伝であろう。 形天の首が埋められた常羊山は神農(炎帝)の生地との説があり、また炎帝神農氏の命で「扶犂(ふり)の楽」という曲と「豊年(ほうねん)の詠」という詩から成る「下謀(かぼう)」を作ったと伝えられる事から形天は神農の臣下であって、一方で常羊山の北方には数箇国を隔てるものの黄帝の末裔の住む軒轅(けんえん)の国があったというので、形天の闘争は炎帝と黄帝との闘争の一齣乃至余波であり常羊山から軒轅国に至る一帯で行われたものであったと考えられる。 劉宋の陶淵明は「読山海経」と題する連作五言詩の第10首でこの故事を題材に「刑天干戚を舞わし、猛志固(もと)より常に在り(刑天舞干戚、猛志固常在)」と詠み讃えたように、後世には敗北してもなお屈しない精神の象徴とされている。 なお、先秦時代の『楚辞』「九歌 国殤」に形天の故事に通じる精神が詠われ、また、夏殷革命の際に湯王に誅せられて刎頸に処された夏の耕(こう)が首の無いまま立ち続けたという似た説話も伝えられている。.

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パウル・セロイス

パウル・レオ・マリー・セロイス(、1912年11月19日 – 1999年8月16日)は、ベルギーの淳心会司祭で、言語学者、中国学者。中国名は司礼義()。 兄(、1911 – 1983)も淳心会司祭で、モンゴルと中国の歴史学者。.

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ベルンハルド・カールグレン

ベルンハルド・カールグレン(Bernhard Karlgren、1889年 - 1978年)は、スウェーデンの中国学、言語学、文献学者。スウェーデンの中国学を学問的な領域まで引き上げた功労者でもある。フルネームはKlas Bernhard Johannes Karlgren(クラース・バーナド・ヨハンネス・カールグレアン)で、他に中国名として高本漢(Gāo Běnhàn)を持つ。中国語の音韻学、特に上古音や中古音の研究で有名。.

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周(しゅう、、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)は、中国古代の王朝。殷を倒して王朝を開いた。紀元前771年の洛邑遷都を境に、それ以前を西周、以後を東周と、2つの時期に区分される。国姓は姫(き)。周代において中国文明が成立したとみられる。.

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周礼

周礼(しゅらい)は、儒家が重視する経書で、十三経の一つ、『儀礼』『礼記』と共に三礼の一つである。 周公旦が書き残したものとされるが、実際には戦国時代以降に周王朝の理想的な制度について記したものと見られ、実際の金文資料や他の先秦の文献に見られる制度とは食い違いを見せている。 『十三経注疏』には、後漢の鄭玄注、唐の賈公彦疏が付けられた『周礼注疏』が収められている。.

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周法高

周法高(しゅう ほうこう、1915年11月6日 – 1994年6月25日)は、中国・台湾の言語学者、文献学者。 中国語の音韻史・文法・金文・訓詁などさまざまな分野に数多くの著書・論文を残した。.

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呉大澂

呉 大澂(ご だいちょう、Wu Dacheng、1835年 - 1902年)。本来の名は「大淳」であって、のちに清の同治帝の名の載淳を避諱して「大澂」に改めた。字は止敬または清卿、号は恒軒または愙斎。清末の金石学者、書画家。.

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ケン允

獫允(けんいん)は、中国の北方と西北方に位置した古代の民族。また玁允、獫狁、玁狁などと呼称される。その形跡は金文と先秦古籍において最古のものを見ることができ、ときには「昆夷」などの名とともに混ぜ書きされるが、居住地区が同じためである。 西周の中期、玁狁が強盛となり、焦獲に移住し、また焦獲から南侵して、鎬・朔方および涇陽にいたって、直接に周王朝を脅かすようになると、周の宣王は大将の南仲に命じて軍を率いて北征させ、合わせて朔方に築城させた。『詩経』采微では、当時の周王朝と玁狁の戦いの状況と兵士の厳しい生活を「薇(わらび)を采り薇を采る、薇また止まんと作す。歸らんと曰い歸らんと曰う、歳また止むことなし。室を靡(す)て家を靡つるは、玁狁の故なり。啓居する遑(いとま)なきは、玁狁の故なり」と描写した。東晋の謝玄はこれを『詩経』中で最高の詩篇と称している。 春秋時代に玁狁は戎狄と呼称され、戦国時代には秦・趙・燕の北の地域に分布した。秦代には蒙恬が30万の軍を率いて撃破したものを北に移し、秦末にはゴビ砂漠の南北を統治して、南は陰山を越え、黄河を渡り、オルドスの沃土を占拠した。漢王朝が創始されると、多くは玁狁を匈奴の先民とみなし、『史記』匈奴列伝には、「唐虞以前には山戎・玁狁・葷粥があった。北蛮に居住し、家畜を放牧しながら移動した」と書かれる。ただしこれは「匈奴その先祖は夏后氏の苗裔である」との説とは矛盾する。近代になって考証家により鬼方・昆夷と玁狁は同一民族の別の名称と考えられるようになった。 Category:匈奴 Category:夏殷周 Category:春秋戦国 Category:中国史の民族.

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サイ (漢字学)

文におけるサイ 甲骨文におけるサイ(サイ)とは、白川静が提唱する漢字の構成要素であり、祝詞を収める箱の形をしめす。.

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神代文字

代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様のものの総称である。江戸時代からその真贋について議論の対象となっており、偽作と主張されているものが多い。.

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穆天子伝

『穆天子伝』(ぼくてんしでん)は、周の穆王の伝記を中心とした全6巻からなる歴史書。『周王遊行』とも呼ばれる。穆王在位55年間の南征北戦(外征)について詳しい。その記録は穆王13-17年、崑崙山への9万里の西征で西王母と会い、帰還後は盛姫という美人に対する情愛についての記録で終わっている。『左伝』の歴史記述様式と違って、穆王を中心とした描写風の随筆になっている。.

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竜部

部(りゅうぶ、旧漢字:龍部)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では212番目に置かれる(16画の最初、亥集の26番目)。 left 「龍(竜)」字は古代中国における伝説上の動物である竜を表す。体が蛇のように長く、鱗や爪をもち、雲を起こし、雨を降らすことができる。『易』文言伝に「雲は龍に従い、風は虎に従う」とある。また神異の霊獣として『礼記』礼運篇には麟・鳳・亀とともに四霊の一つに挙げられている。さらに「龍」字は星座の名であり、四象の1つである東方蒼龍七宿を表した。また星の名であり、木星を指すこともあった。その他、駿馬を指し、「龍駒」という術語を作った。また竜は帝王の象徴であるので、天子しかもてないものに「龍」がつけられ、その御旗を「」、その車を「龍輿」「龍駕」「龍馭」などと呼んだ。 偏旁の意符としては竜や竜に類似した動物に関することを示すが多くはない。ロウやリョウといった音を表す声符として使われることが多い。 龍部はこのような意符を構成要素にもつ漢字を収め、また声符を構成要素にもつ漢字のうち他の部に分類しきれなかったものを収めている。.

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第三漢字面

三漢字面(だいさんかんじめん、Tertiary Ideographic Plane, TIP)は、ISO/IEC 10646の第0群第3面およびUnicodeの第3面。ロードマップにおいては甲骨文字・金文・小篆といった現在一般的には使用されない古代の漢字を将来的に収録する予定の追加面の一つであったが、後述の通り、追加漢字面に入りきらなかった(現代の書体に基づく)漢字が最初に収録される見込みとなった。.

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篆刻

仏法僧宝」印影 篆刻(てんこく)とは、印章を作成する行為である。中国を起源としており、主に篆書を印文に彫ることから篆刻というが、その他の書体や図章の場合もある。また金属(銅・金など)を鋳造して印章を作成する場合も篆刻という。その鋳型に彫刻を要するからである。書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。.

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篆書体

書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。 広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。 公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。.

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爵位

爵位(しゃくい、)とは主に古代から中世にかけての国家や現代における君主制に基づく国家において、貴族の血統による世襲または国家功労者への恩賞に基づき授与される栄誉称号のことである。別称として勲爵、爵号など。官職と爵位を総称して官爵ということもある。.

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甲骨文字

文字(こうこつもじ)とは、中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。 漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。 殷後期(第22代殷王武丁以降)の考古学資料が小屯村(殷墟)で大量に出土した。亀の甲羅(腹甲)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれた。 2017年、ユネスコが主催する世界記録遺産にも登録された。.

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白川静

白川 静(しらかわ しずか、1910年4月9日 - 2006年10月30日)は、日本の漢文学者・東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市出身。.

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青銅器

銅鐸(日本の青銅器) 青銅器(せいどうき)は、青銅で作成した工芸品である。ただし銅銭などの貨幣は青銅製であっても含まない。主に古代に作られ、青銅器が出現してから鉄器が出現する直前までを青銅器時代と呼ぶ。 古代中国では、夏・殷・周・漢で作成された。.

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青銅器時代

青銅器時代(せいどうきじだい)は、考古学ないし歴史学において、石を利用した石器の代わりに青銅を利用した青銅器が主要な道具として使われた時代を指す術語である。.

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記録技術の年表

記録技術の年表 (きろくぎじゅつのねんぴょう) とは、記録技術の歴史に関する年表である。ここでは主要な項目を挙げ、近年の磁気テープ、磁気ディスク、光磁気ディスク、光ディスク、メモリーカードなど各分野の詳細年表については各項目に譲る。.

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詩経

『詩経』(しきょう、)は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。 西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという。孔子刪詩説には疑問も多いが、論語・為政篇にも孔子自身が詩句を引用していることから、その時代までには主な作品が誦詠されていたことが窺い知れる。 現行本『詩経』のテキストは毛亨・毛萇が伝えた毛詩(もうし)である。そのため現行本に言及する場合、『毛詩』と呼ぶことも多い。または詩三百・詩三百篇・或いはただ単に三百篇・三百五篇・三百十一篇とも呼ばれる。.

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説文解字

説文解字(せつもんかいじ、)は、最古の部首別漢字字典。略して説文(せつもん、)ともいう。後漢の許慎(きょしん)の作で、和帝の永元12年(西暦100年)に成立し、建光元年(121年)に許慎の子の許沖が安帝に奉った。本文14篇・叙(序)1篇の15篇からなり、叙によれば小篆の見出し字9353字、重文(古文・籀文および他の異体字)1163字を収録する(現行本ではこれより少し字数が多い)。漢字を540の部首に分けて体系付け、その成り立ちを解説し、字の本義を記す。 現在から見ると俗説や五行説等に基づく牽強付会で解説している部分もあるが、新たな研究成果でその誤謬は修正されつつも、現在でもその価値は減じていない。.

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庭堅「苦笋賦」(1099年) 賦(ふ)とは、古代中国の韻文における文体の一つ。唐の詩や宋の詞などと並び、漢帝国を代表する文芸である。戦国時代に端を発し、形を変えながら遅くは清に至るまで存続した。 漢詩が歌謡から生まれたのと考えられるのに対し、賦はもとより朗誦されたものと考えられている。文体の性格としては漢詩と散文の中間に位置する。賦は元来国ぼめの性質を持つとされ、都城の賛美に使われたほか、あらゆる場所・物・感情を網羅的に表現する手段として用いられた。漢代の賦は抒情的要素が少なく、事物を網羅的に描写する。時代が下ると抒情的な性格も強まっていき、また駢儷文や近体詩などの影響を受けるようになる。 賦についての研究・評論は清代において最盛期を迎える。しかし、過度に修辞的で現実的な感情に欠け、道義的主張が曖昧であるとして、20世紀の間は長らく、賦は中国の文人の批判するところとなった。このような歴史的経緯もあって、中国の賦文学研究は1949年から文化大革命の終わる1976年までほぼ消滅しかけていた。それ以降は、賦の研究は徐々に以前の水準を取り戻しつつある。 日本では『古今和歌集』においてかぞえうたと解釈され、和歌の理論の中に取り入れられているが、漢文体の賦やそれに類する日本語の文学作品の制作が試みられた時期もあった。また西洋においては賦に類似するものとして頌歌が挙げられる。.

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踊り字

踊り字、躍り字(おどりじ)は、主に日本語の表記で使用される約物(特殊記号)の一群で、々、ヽ、ゝなどがある。おどり、繰り返し符号(くりかえしふごう)、重ね字(かさねじ)、送り字(おくりじ)、揺すり字(ゆすりじ)、重字(じゅうじ)、重点(じゅうてん)、畳字(じょうじ)などとも呼ぶ。.

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黹部

黹部(ちぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では204番目に置かれる(12画の4番目、亥集の18番目)。 left 「黹」字は針と糸による衣服や布の縫いとり・刺繍を意味する。 その字形について『説文解字』は「」(「幣」の左上の字、破れた衣の意)と「」(「叢」から「取」を除いた部分の字、草むらの意)の会意文字とする。また金文など古文字の研究からは、衣架に掛けられた衣服に縫いとりのある形に象るといった説もある。 偏旁の意符としては縫いとりや刺繍に関することを示す。 黹部はこのような意符を構成要素にもつ漢字を収録している。 2017年現在、日本における常用漢字、人名用漢字および印刷標準字体にこの部首を含む漢字は収録されていない。.

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龠部

部(やくぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では最後の214番目に置かれる(17画、亥集の28番目)。 「龠」が意味する管楽器 「龠」字は竹製の管楽器、笛の一種を表す。後に「籥」に作る。今で言う排簫(パンパイプ)のことで、多くの管を束ねたものである。音階の調和すること、ハーモニーの象徴として扱われる。また音律と度量衡を理論的に関連させる古代中国の度量衡理論、黄鍾秬黍説において容量の単位ともなり、黍が1200粒入る黄鍾の音律を出す管の容積を1龠とし、2龠が1合である。 小篆の字形について『説文解字』は「品」(3つの穴)と「侖」(秩序の意)の会意文字とするが、金文など古文字を見ると、むしろ「△」部分がなく、二三の穴と管の形に象っていることが分かる。「△」部分は後で付け加えられたもので、人の口あるいは管を束ねることを表していると考えられる。 偏旁の意符としては楽器や音律・和声に関することを示す。龠部はこのような意符を構成要素にもつ漢字を収める。.

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阿比留草文字

阿比留草文字(あひるくさもじ)は、各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている文字である。神代文字の一つともされている。.

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赤塚忠

赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月28日)は、東京大学名誉教授、専門は中国古代思想。文学博士(東京大学、1962年)(学位論文「周代文化の研究」)。 茨城県出身。1936年東京帝国大学支那哲学科卒業、二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎える。その間神戸商業大学予科に勤務、戦後1955年東京大学文学部助教授、1964年教授、1974年定年退官。1983年11月28日死去。叙正四位、叙勲三等授旭日中綬章。 加藤常賢の後任として甲骨・金石文を研究、『古代中国の宗教と文化』(1977年)を主著とする。著作集全7巻がある。.

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金石学

金石学(きんせきがく)は、碑文研究の一種で、中国古代の金属器・石刻の上に刻まれた銘文(金文・石刻文)や画像を研究する学問のことをいう。 その研究対象は、先秦の鐘・鼎・彝器、秦の始皇帝が中国各地に建てた石刻、漢代の画像石、以降の時代の墓碑・墓誌銘、神道碑・記事碑、石経、銅鏡や古銭などである。 中国における金石学の創始者は、北宋の欧陽脩である。彼は、金石や石刻の拓本を蒐集して研究し、『集古録跋尾』10巻を撰した。その後、宋代の劉敞が、古銅器の研究に、器形・文字・歴史の三学があることを提唱した。また、徽宗皇帝は、『宣和博古図』を作らせ、「器形」の研究に資した。現在使用される古銅器の名称の多くは、この書に由来する。さらに、南宋の薛尚功が『歴代鐘鼎彝器款識法帖』20巻を著し、「文字」の解読を推し進めた。 その後、元明時期には、盛んではなかったが、清朝の考証学が発達すると、金石学も再び盛んになった。考証学者の祖である顧炎武に『金石文字記』6巻、朱彝尊に『金石文字跋尾』6巻がある。 金文に関しては、銭坫に『十六長楽堂古器款識考』4巻がある。本書は「文字」に優れ、金文解読において新境地を開いた。また、程瑶田は、『周礼』を中心とした古典の実物と文献との比較に優れていた。清末に出た呉大澂は、『字説』1巻、『説文古籀補』14巻ほかを著した、金文の天才的な解読者である。従来の伝統的な誤謬を多く訂正している。 石刻では、銭大昕の『潜研堂金石跋尾』20巻、武億の『授堂金石文字跋』があり、畢沅の『関中金石記』『中州金石記』や、阮元の『両浙金石志』が著され、地方別の石刻の集録が盛行した。その一方で、時代別に収集する傾向も現れ、王昶の『金石萃編』160巻が、集大成した。その補編としての『金石続編』21巻、陸増祥の『八瓊室金石補正』がある。 中華民国時期では、王国維が師である羅振玉の収集景印した資料を利用して、器形学・金文学(書体論)に新知見を加え、金文解釈一辺倒の清朝の金石学から脱却した。また、歴史学上においても、功績を残した。郭沫若や容庚、徐仲舒、呉其昌、陳夢家といった人々が、王国維の学を継承発展させた。 中国以外では、カールグレンや西川寧、浜田耕作、梅原末治、白川静、東野治之らに、金石学に関する業績が見られる。.

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金部

金部(きんぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では167番目に置かれる(8画の最初、戌集の最初)。 銅 「金」字は金属一般の総称であるが、青銅器時代である先秦時代においては特に銅を指した。漢代の『史記』平準書に価値をもった金属について「金に三等有り。黄金を上と為し、白金を中となし、赤金を下と為す」という記述があるが、後代、この最高の価値をもった金属である「黄金」すなわち金だけを指すようになった(なお「白金」は銀、「赤金」は銅を指す)。また引伸して財貨・貨幣を指す。さらに金属製品を指すことがあり、とりわけ武器(鏃や刀剣)や楽器(銅鑼や鐘、八音の一つ)を意味する。また五行の一つであり、西方・秋・白色などを司る。 字源については『説文解字』は、意符の「土」と声符の「今」を組みあわせた形声文字で、土中から産出されるので「土」に従うとする。しかし、金文を見ると、「全」に左か右に縦に2つの点が置かれた形であり、この2点が製錬された銅塊を表していると考えられている。 偏旁の意符としては金属に関わることを示す。「金」を偏旁にもつ漢字の多くは名詞であり、金属の種類・金属の鋭さを利用した工具や武器、金属製の生活用品、金属製楽器といったものの名称を表す漢字に使われている。このとき左の偏の位置に置かれて左右構造を作ったり、下の脚の位置に置かれて上下構造を作ったりする。偏のときは「釒」のように最後の画が撥ねる形に変形する。ただし、中国の簡体字の場合は簡略化され「钅」となる。 なお、現代中国語では元素には全て漢字1字の名前が付けられており、そのうち金属元素には「金」を構成要素に持つ漢字が当てられている。(鋰、鈉など。詳細は「元素の中国語名称」の項目を参照。常温液体である汞(水銀)は除く)。 金部はこのような意符を構成要素にもつ漢字を収めている。.

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金文体

金文体(きんぶんたい)とは、和文体フォントの一種。中国古代の漢字書体である金文の装飾要素を基にデザインされた装飾文字である。 ただし「金文」を名乗るものの、漢字書体としての金文とは似て非なる存在である(後述)。.

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Unicode文字のマッピング

UnicodeやISO/IEC 10646には、単純計算で U+0000 ~ U+10FFFF の 1,114,112.

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林泰輔

林 泰輔(はやし たいすけ、1854年(安政元年) - 1922年(大正11年))は、日本の漢学者。下総の人。号は進斎。 東京高等師範学校教授を務め、著書『周公と其時代』で学士院恩賜賞を受賞、『亀甲獣骨文字』の刊行で日本の甲骨学の先駆者となる。その甲骨文の研究は羅振玉にも影響を与え、甲骨学の大成に貢献した中西 P.812貝塚(書道全集) PP..13-14。.

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李氏三墳記

李氏三墳記(りしさんふんき)とは、中国の唐代後期、李陽冰によって大暦2年(767年)にものされた墓碑。単に「三墳記」とも呼ばれる。李陽冰の代表作の一つである。 原石は現在西安碑林博物館に保存されている。.

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松本筑峯

松本 筑峯(まつもと ちくほう、大正7年(1918年)9月25日-平成21年(2009年)12月22日は日本の書家、現代破体書道の第一人者。石川県羽咋市に生まれ、茨城県下妻市で育つ。本名は磐祐。東洋書道芸術学会会長。松本書道会名誉会長。月刊書道誌『方円』・季刊書道誌『破体』発行。『破体書道史(中国編・日本編)』他著書多数。 世界各地で個展や破体展を開催。海外でも究極の書芸術「破体」に対しての評価は非常に高く、精力的に破体書道の普及に取り組んだ。大韓民国社会教育文化大賞・中国鎮江市文化交流貢献賞等を受賞している。.

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栗原正峰

栗原 正峰(くりはら せいほう、本名:栗原 正博、1976年 - )は、日本の書家であり教育者である。群馬県伊勢崎市出身。 現日会同人、書道グループ風草舎代表。.

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楊樹達

楊樹達(よう じゅたつ、1885年6月1日 – 1956年2月14日)は、中国の言語学者、訓詁学者。中国語の文語文法書である『高等国文法』などの著作がある。字は遇夫、室名は積微居。 甥の楊伯峻、孫の楊逢彬も古代中国語に関する著作のある学者である。.

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楊沂孫

楊 沂孫(よう ぎそん、Yang Yisun、1813年 - 1881年)。字は泳春、号は子輿、晩号は豪叟。清の学者・能書家。 江蘇省常熟出身。若い時は李兆洛に学問を学び、『管子』『荘子』に精通した。1843年に挙人となり、官職は安徽省鳳陽の知府に至った。書は最初は鄧石如の影響を受けていたが、後に金文・石鼓文・漢碑篆書や唐の李陽冰の要素を吸収し、独自の書風を確立した。.

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模刻

模刻(もこく)とは、書道において、書蹟を石や木に模写して彫りつけ、保存・鑑賞・学書用の書蹟「法帖」を制作すること。「摹刻」(「摹」は「募」の「力」を「手」に換えた字)とも書く。.

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殷墟

殷墟(いんきょ)は古代中国殷王朝後期の首都の遺構。中華人民共和国河南省安陽市の市街地西北郊、殷都区に位置する。.

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漢字

漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.

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漢和辞典

漢和辞典(かんわじてん)は、漢字、漢語(熟語)の意味を日本語で解説した辞典のこと。漢和字典と表記されることもある(読みは同じ)。同種の辞典として漢字辞典(かんじじてん)・漢語辞典(かんごじてん)などがあり、本項ではこれらについても言及する。文字ごとに「拼音」「四声」「韻」「故事成句」「難読地名」や「名付け」などといった追加情報を併記しているものも多く、ピンイン索引から日本語の訓読みと音読みを調べる以外にも漢字の中国語での発音を調べることにも利用される。.

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漢数字

漢数字(かんすうじ)は、数を表記するのに使われる漢字である。十進法の数詞および位取り記数法で用いる。前者は漢字文化圏内で相違があるかもしれない。 中日新聞・東京新聞など、記事中(スポーツ面など一部を除く)でアラビア数字でなく漢数字を用い続けているメディアもある。.

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最初の書記記録が古い順の言語リスト

この記事では言語を(現存する)最古の書記記録の年代順にリストする。記録は完全な文を含むもののみを認める。未解読文字は記録として認めずリストに含まない。また単なる単語あるいは人名などが記録されていたとしてもその言語の記録としては認めない。 ある書記記録は口頭伝承の反映や失われた古い記録の複製などによってその言語のさらに昔の段階を表していることがあるが、ここでは現存する記録の年代のみを扱う。例として古事記に記載される内容はさらに古い書物の内容を含んでいる可能性があるが、日本語が最初に記録された年代としては現存する最古の資料である古事記の成立時期(712年)を採用する。 ある古い言語から派生した新しい言語が最初に記録された時期は慣習的な時代区分によって決定する。例えば古フランス語はラテン語から派生したがその変化は連続的であり、特定の年代を決めることは困難であるため、慣習的に842年のストラスブールの誓いを古フランス語の最古の記録と定める。同様にデンマーク語とスウェーデン語は共に12世紀に古東ノルド語から派生したとし、ノルウェー語は1300年前後に古西ノルド語から成立したとする。.

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浅見筧洞

浅見 筧洞(あさみ けんどう、1915年(大正4年)12月13日 - 2006年(平成18年)1月27日)は、東京都出身の書家。名は精一。謙慎書道会顧問。元大東文化大学教授。.

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書経

『書経』(しょきょう)または『尚書』(しょうしょ)は、政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。儒教では孔子が編纂したとし、重要な経典である五経のひとつに挙げられている。 古くは『書』とのみ、漢代以降は『尚書』と呼ばれた。『書経』の名が一般化するのは宋代以降である。 現行本『書経』58篇のテキストは「偽古文尚書」であり、その大半は偽作された偽書である。.

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書道用語一覧

書道用語一覧(しょどうようごいちらん)は、書道に関する用語の一覧である。.

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2008年北京オリンピックの開会式

式場の「鳥の巣」 北京オリンピックの開会式(ペキンオリンピックのかいかいしき)は、2008年8月8日午後8時8分8秒 (CST) から北京の北京国家体育場(通称:「鳥の巣」)で行われた北京オリンピックの開会式。 日本では、これをNHK総合テレビジョン及びNHK衛星第1テレビジョンにて生中継し、総合テレビの開会式平均視聴率は37.3%(瞬間最高は48.2%)で、1964年東京 (61.2%)、1984年ロサンゼルス (47.9%)、1972年ミュンヘン (40.6%) に次いで歴代4位の高視聴率となった。.

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