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辻村太郎

索引 辻村太郎

辻村 太郎(つじむら たろう、1890年6月12日 - 1983年7月15日)は日本の地理学者、地形学者。 地形学を中心とした日本における地理学の確立に努め、長く日本の地理学をリードしてきた人物として知られ、日本の地理学の歴史には欠かせない人物である。.

29 関係: 多田文男 (地理学者)富田芳郎山崎直方三好学三沢勝衛式正英信州の地理山脈地生態学ランドスケープランドスケープ・プランニング内田寛一矢沢大二秩父宮記念学術賞田中啓爾芝本武夫萩原尊礼青野寿郎The Geographical Journal東京大学の人物一覧村落地理学橋本福松津屋弘逵渡辺光木崎夏期大学戸谷洋日本の地理学者の一覧日本地理学会日本百名山景観

多田文男 (地理学者)

多田 文男(ただ ふみお、1900年7月3日 - 1978年3月15日)は、日本の地理学者、地形学者。東京大学で長く教鞭を執り、定年退官後は、法政大学、駒澤大学の専任教員を務めた。活断層研究の先駆的研究者のひとりであり、応用地形学分野における河川地形と水害被害に関する研究を主導した。 東京市下谷区(現在の台東区西部)出身。.

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富田芳郎

富田 芳郎(とみた よしろう、1895年4月8日 - 1982年1月8日)は、日本の地理学者。冨田 芳郎とも綴る。.

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山崎直方

山崎 直方(やまさき なおまさ、明治3年3月10日(1870年4月10日) - 昭和4年(1929年)7月26日)は、日本の地理学者。高知県生まれ。日本の近代期の地理学の功労者で、しばしば「日本近代地理学の父」として称えられている。専門は地形学であるが、人文地理学でも功績がある。.

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三好学

三好 学(みよし まなぶ、1862年1月4日(文久元年12月5日) - 1939年(昭和14年)5月11日)は、明治・大正・昭和時代の植物学者、理学博士である。日本の植物学の基礎を築いた人物の一人である。特に桜と菖蒲の研究に関しての第一人者として知られ、殊に桜博士とも呼ばれた。また、天然記念物の概念を日本に広めた先駆者であり、希少植物の保存活動に尽力した。.

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三沢勝衛

三沢 勝衛(三澤 勝衛 みさわ かつえ、1885年1月25日 - 1937年8月18日)は、日本の地理学者。.

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式正英

式 正英(しき まさひで、1927年1月1日 - )は、日本の地理学者、お茶の水女子大学名誉教授。 東京府荏原郡入新井町(現東京都大田区)生まれ。1948年第一高等学校理科甲類卒業、1951年東京大学理学部地理学科卒業、1953年同大学院前期課程修了、建設省地図調査部地理部勤務、1959年お茶の水女子大学文教育学部講師となり、1961年助教授、1973年教授。1978年文教育学部長、1992年定年退官、名誉教授となる。.

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信州の地理山脈

信州の地理山脈(しんしゅうのちりさんみゃく)は、日本の地理学者・斎藤功が命名した、長野県(信州)出身の高名な地理学者らを指す言葉大嶽(2007):119ページ斎藤(2006):11, 264ページ。斎藤が文化層序(ぶんかそうじょ)という概念を提唱するにあたり、彼らの研究水準の高さを称揚するとともに学風の継承・発展を行うために導入した用語である斎藤(2006):264ページ。信州地理アルプス・信州地理山脈斎藤(2006):3, 11ページ・(信州の)地理学山脈とも称する斎藤(2006):11ページ。.

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地生態学

地生態学(ちせいたいがく)とは、地形・土壌・水文、気候などの地因子の相互作用などを景観として把握し研究する分野。景観に対する診断的研究のみではなく、予測的研究も行われており環境・自然保護などの分野における社会貢献が期待されている。.

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ランドスケープ

ランドスケープ 秋の風景 冬景色 ランドスケープ(landscape)は、景観を構成する諸要素。ある土地における、資源、環境、歴史などの要素が構築する政治的、経済的、社会的シンボルや空間。または、そのシンボル群や空間が作る都市そのもの。 ランドスケープ・アーキテクチャー または、ランドスケープ・デザインは、土地が持つ諸要素を基盤にして、都市空間や造園空間、建築群(まちなみ等)といったランドスケープを設計、構築することをいい、そうした職能をランドスケープ・アーキテクトまたは、ランドスケープ・デザイナーという。.

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ランドスケープ・プランニング

ランドスケープ・プランニング(英:landscape planning)とは、 ランドスケープ・アーキテクチュアのうち、都市や地域、地方広域圏、国土保全に至る規模のプランニング・計画策定行為。.

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内田寛一

内田 寛一(うちだ かんいち、1888年3月3日 - 1969年9月28日)は日本の地理学者。日本における歴史地理学の開拓者としられ、他に政治地理学・郷土教育などに功績がある。.

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矢沢大二

沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994年5月29日)は、日本の地理学者である。.

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秩父宮記念学術賞

秩父宮記念学術賞(ちちぶのみやきねんがくじゅつしょう)とは、日本学術振興会が昭和38年から平成7年まで制定していた賞である。.

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田中啓爾

中 啓爾(たなか けいじ、1885年(明治18年)12月8日 - 1975年(昭和50年)1月5日)は、日本の地理学者である。主な専門は地誌学を中心とした人文地理学。また地理教育論にも多大な功績があり、近代期の日本の地理学において非常に重要な人物である。彼の門下には多くの地理教師・地理学者がいる。.

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芝本武夫

芝本 武夫(しばもと たけお、1905年4月25日 - 1992年9月30日)は、日本の林学者。 広島県賀茂郡下見村(現東広島市)出身。旧姓・重藤。今宮中学校卒、第五高等学校卒、1928年東京帝国大学農学部林学科卒、農林省林業試験場勤務、1936年東京高等農林学校教授、1941年東京帝大農学部助教授、1946年教授、1949年東京大学教授。1952年「スギ、ヒノキ、アカマツの栄養並びに森林土壤の肥沃度に関する研究」で東京大学農学博士。1966年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授。1976年退職。.

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萩原尊礼

萩原 尊礼(萩原 尊禮、はぎわら たかひろ、1908年5月11日 - 1999年11月14日)は、日本の地震学者。 東京出身。1932年東京帝国大学理学部地震学科卒。1942年理学博士。1933年東京帝大地震研究所助手、1941年助教授・地震研究所員、1944年教授、1965-1967年東京大学地震研究所所長。1942年機械試験所技師、1948年運輸技官(中央気象台)兼任。1953-1955年ユネスコ派遣専門家としてイスタンブール工科大学勤務。1969年定年退官、名誉教授。1969-1981年地震予知連絡会会長、1981年地震予知総合研究振興会会長もつとめた。1969年紫綬褒章、1978年勲二等旭日重光章受勲、1980年交通文化賞受賞。 イラン大地震や松代群発地震を調査。萩原式電磁型地震計(HES)を考案した。.

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青野寿郎

筑波キャンパス)碑面の字を青野寿郎が書いている。 青野寿郎(靑野壽郎、あおの ひさお、1901年11月25日-1991年7月16日)は、人文地理学者、東京教育大学名誉教授。 愛媛県越智郡桜井村(現・今治市)出身。1932年、東京文理科大学卒(第1回卒業生)野間ほか 編著(2012):218ページ。1947年東京文理大助教授、1949年「本邦鰹釣遠洋漁村の地理学的研究」で東京大学理学博士、東京教育大学教授。1965年定年退官・名誉教授、立正大学教授、1976年退職。日本の漁村・漁業地理学を研究、日本地誌研究所を創設し『日本地誌』全21巻を日本全国から460名を動員して編集。日本地理学会会長(在任:1962年 - 1963年)、名誉会員山本(1992):217ページ。 日本における水産地理学の開拓者であり、青野自身、「地誌学的研究の論文が多いのはオリジナルな研究の結果によるものが多いため当然のことではあるが,これらの研究成果から漁村水産地理学の科学的体系を樹立したいという意欲が強められたことも,ここで述べておきたい.」と著書の冒頭で述べている。.

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The Geographical Journal

The Geographical Journal(ザ・ジオグラフィカル・ジャーナル、地理学雑誌)は、イギリスの王立地理学会が発行する季刊の査読付き学術雑誌。地理学の全分野における研究論文を掲載し、短報や研究レビューも収録している。2001年以降、Wiley-Blackwellとの共同発行となる。 1831年に創刊。2000年までは、論文記事だけでなく学会のニュース記事も掲載していた。年次総会の議事録と会長演説は、継続して毎年9月に掲載している。.

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東京大学の人物一覧

東京大学の人物一覧(とうきょうだいがくのじんぶついちらん)は、東京大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・総長・名誉教授・公職者等は除く)。.

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村落地理学

村落地理学(そんらくちりがく、rural geography)は、農村など村落に関する人文地理学の一分野。農業主体の村落だけではなく、漁村なども含まれるので村落地理学という方が包括的であるが、純粋に漁業のみの村落は少ないので、この分野は農村地理学(のうそんちりがく)という呼称でも多く呼ばれている。また、集落地理学の主要な分野でもある。 一般的には、人口が少なく人口密度が低く第一次産業を主体としている地域に関する地理学という認識で一致している。扱う内容も村落の形態の分析から、産業構造の問題、さらには過疎化の問題など、文化学的な分野、社会学的な分野、経済学的な分野、人口学的な分野など様々な要素が詰まっている。特に村落における産業に着目した場合は、農業地理学(あるいは漁業地理学)ともみなされる。実際この分野の研究ではこの両分野にまたがった成果も多く、明確に区分する事自体あまり意味をなさない。また、産業構造や過疎化や高齢化の問題を扱う場合は、対照分野である都市地理学にもスポットが当てられる事も多い。.

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橋本福松

橋本 福松(はしもと ふくまつ、1883年3月24日 - 1944年2月5日)は日本の地理学者、実業家。旧姓は平沢。 長野県上伊那郡西春近村(現伊那市)生まれ。旧松本藩士の橋本房太の養子となる。上京して正則英語学校卒業。1902年諏訪郡玉川小学校の教員となり、校長の島木赤彦し師事する。のち諏訪高等女学校等で教鞭をとりながら、諏訪湖の研究に打ち込み、1906年に湖底の「曽根遺跡」を発見、1910年には「諏訪地図」を完成させる。 1918年再び上京して岩波書店に入社したが、病気に罹患して帰郷し伊那小学校に勤務の傍ら、「上伊那郡誌」の編纂に携わる。1922年再び上京して地理学専門出版社古今書院を創設。1925年「地理学評論」を創刊。また小川琢治、辻村太郎らの地理学書を多数出版した。.

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津屋弘逵

津屋 弘逵(つや ひろみち、1902年5月10日 - 1988年12月25日)は、日本の地質学者。 岐阜県出身。1926年東京帝国大学理学部地質学科を卒業。1937年理学博士号を取得。1930年、東京帝国大学地震研究所助教授に就任し、1940年に教授に昇格。1945年に研究所所長となる。1963年に定年退官し、東京大学名誉教授となる。 地質学的・岩石学的研究から富士山が3つの火山体からなることを解明した。1973年勲二等旭日重光章受勲、1978年度秩父宮記念学術賞受賞。.

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渡辺光

渡辺 光(わたなべ あきら、1904年9月2日-1984年4月29日)は日本の地理学者。地理調査所(現在の国土地理院)、お茶の水大学などで研究を行った。.

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木崎夏期大学

木崎夏期大学(きざきかきだいがく)とは、1917年(大正6年)8月から毎夏、長野県大町市の木崎湖畔にて開催されている数日間の学術セミナー。.

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戸谷洋

戸谷 洋(とや ひろし、1923年 - 2002年12月6日)は、日本の地理学者、理学博士。東京都立大学名誉教授。専門は自然地理学。.

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日本の地理学者の一覧

日本の地理学者の一覧(にほんのちりがくしゃのいちらん)は、現在に至るまでの日本における地理学者の一覧である(地理に見るべき影響を与えた人物も含む)。.

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日本地理学会

公益社団法人日本地理学会(にっぽんちりがっかい、にほんちりがっかい、英語:The Association of Japanese Geographers)とは、地理学に関する調査・研究を行う日本の学会であり、元文部科学省所管の社団法人で、現在は公益社団法人である。会員数は約3千人。.

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日本百名山

『日本百名山』(にほんひゃくめいざん)は、小説家、随筆家の深田久弥の著した山岳随筆である。初刊は1964年7月に新潮社から出版され日本百名山(1964)、第16回読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞した。 本著は文筆家で登山家でもあった本人が、実際に登頂した日本の各地の山から自身が定めた基準で、100座を選び主題とした随筆集。.

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景観

京都・祇園 景観(けいかん)とは、日常生活において風景や景色の意味で用いられる言葉である中村ほか 編 (1991): 42ページ。植物学者がドイツ語のLandschaft(ラントシャフト)の学術用語としての訳語としてあてたもので、後に地理学において使用されるようになった。辻村太郎『景觀地理學講話』によれば、三好学が与えた名称である。字義的にも一般的な用法としても「景観」は英語のlandscape(ランドスケープ)のことであるが、概念としてはドイツを中心としたヨーロッパのLandschaftgeographie(景観地理学)の学派のものを汲んでいる。 田村明によると、都市の景(街並み)や村落の景(例えば屋敷森や棚田、漁港)など人工的な(人間の手が加わった)景を指すことが多いとしている。使用領域に関して見ると、「景観」の語は行政・司法や学術的な用語として使われることが多い鳥越ほか (2009): 1ページ。日本では2004年に景観法が制定されたが、法律上「景観とは何か」は定義されていない。学術上は、前述の地理学や、ランドスケープデザイン学、都市工学、土木工学、社会工学、造園学、建築学等で扱われることが多い。また、コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観のように、世界遺産レベルで取りこまれる場合もある。.

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