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耳嚢

索引 耳嚢

耳嚢(みみぶくろ)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・南町奉行の根岸鎮衛が、天明から文化にかけて30余年間に書きついだ随筆。同僚や古老から聞き取った珍談、奇談などが記録され、全10巻1000編に及ぶ。耳袋と表記もされる。.

104 関係: 叙位堀部金丸大岡忠相大岡越前 (テレビドラマ)大石良雄天海太田道灌外法妖怪文書一覧孫叔敖宇治採茶使安倍川もち寛永寺小草履取り小豆洗い小野善鬼山中幸盛山本五郎左衛門不受不施義三峯神社三酸化二ヒ素幽霊乾隆帝亡命井伊直朗仙洞御所伊達村候伊東一刀斎佐渡金山佃祭土屋政直化け猫マジックマッシュルームろくろ首イクチサムハラ神社冷泉為広兎園会光格天皇倉坊主皿屋敷火車 (妖怪)神尾春央祐天秋葉山本宮秋葉神社細川重賢疫神送甲冑師狂歌...隙間女非人青鷺火風狸西米良村馬憑き観世流髪切り鬼火魍魎魍魎の匣魔術鴻池善右衛門鹿政談黒田直邦蘇生金精神金春禅竹長谷川強長谷川政春酒井忠実酒井忠以柳営補任柳生宗矩柳生主馬柳田國男松平康福村正根岸鎮衛根岸衛奮検校死相水野忠之民間薬池袋の女沢庵宗彭本因坊札差戸谷半兵衛明和の大火明珍信家浄瑠璃浅草寺浅間山新耳袋文武両道日野資施日本の近世文学史日本左衛門旗本撤退怪力怪談 インデックスを展開 (54 もっと) »

叙位

叙位(じょい)とは、位階を授けること、およびその儀式。授位(じゅい)ともいう。本項では前近代の日本における叙位について解説する。.

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堀部金丸

堀部 金丸(ほりべ かなまる(あきざね)、寛永4年(1627年)-元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は弥兵衛(やへえ/やひょうえ)。堀部勝綱の子。本姓は源氏(近江源氏)。家紋は四ツ目結二ツ。.

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大岡忠相

大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。.

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大岡越前 (テレビドラマ)

『大岡越前』(おおおかえちぜん)は、1970年から1999年にTBS系列の『ナショナル劇場』で月曜日の20時台に放送されていた時代劇テレビドラマ。なお、2006年3月20日には、ナショナル劇場50周年記念特別企画の1つとして、最終回にあたる2時間スペシャルが放送された。制作はC.A.L。全15部及び2時間スペシャルまで一貫して主演は加藤剛(全402話+スペシャル1本)。なお、本項においては、最終回にあたる2時間スペシャルについては、便宜上単に「最終回」「最終回スペシャル」と表記することがある。また、本項において「再放送欠番」と書かれた回は、2018年現在、地上波放送等で放送されない回であり、一部のCS放送などでは放送されることがある。.

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大石良雄

大石 良雄(おおいし よしお/よしたか)は、江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。 「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られる。.

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天海

喜多院山門前にある銅像 天海(てんかい、天文5年(1536年)? - 寛永20年10月2日(1643年11月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。.

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太田道灌

太田 道灌(おおた どうかん)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。摂津源氏の流れを汲む太田氏。諱は資長(すけなが)。太田資清(道真)の子で、家宰職を継いで享徳の乱、長尾景春の乱で活躍した。江戸城を築城したことで有名である。武将としても学者としても一流という定評があっただけに、謀殺されてこの世を去った悲劇の武将としても名高い。 以降、本項では便宜上「道灌」の呼称を使用する。.

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外法

外法.

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妖怪文書一覧

妖怪文書の一覧(ようかいぶんしょのいちらん)は、書物・巻物・画集などのうち、その全部または相当量が妖怪に関する記述であるものの一覧。年代順に配列する。なおここでは、創作作品(『ゲゲゲの鬼太郎』など)は含めない。カッコ内は著者・発行年。必要なとき国名。.

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孫叔敖

孫叔敖(そんしゅくごう、生没年不詳)は、中国春秋時代の楚の公族、令尹。姓は羋、氏は蔿、諱は敖、または艾猟、字は孫叔。蔿賈の子。蔿敖、蔿艾猟、蔿孫叔とも呼ばれる。 荘王に仕えて楚の富国強兵を成し遂げ、荘王に天下の覇権を握らせた。楚屈指の賢相の一人。.

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宇治採茶使

宇治採茶使(うじさいちゃし)は、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。.

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安倍川もち

安倍川餅(あべかわもち)は、和菓子の一種で静岡市の名物。本来はつき立ての餅に黄な粉をまぶし、その上から白砂糖をかけた物である。現在では、黄な粉をまぶしたものとこし餡を絡めたものの二種類を一皿に盛った物が一般的である。.

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寛永寺

広重『名所江戸百景』より寛永寺清水観音堂が描かれた「上野清水堂不忍ノ池」。 寛永寺(かんえいじ)は、東京都台東区上野桜木一丁目にある天台宗関東総本山の寺院。山号は東叡山(とうえいざん)。東叡山寛永寺円頓院と号する。開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海、本尊は薬師如来である。 徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍15人のうち6人が寛永寺に眠る。17世紀半ばからは皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇ったが、慶応4年(1868年)の上野戦争で主要伽藍を焼失した。.

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小草履取り

小草履取り(こぞうりとり)は、戦国時代以後、男色の流行するにつれて、武士が、草履取りの名目で、召し抱えた少年。 『昔々物語』によれば、15、6歳の美しい少年であり、下に絹の小袖、上に唐木綿の袷を着て、風流な帯をしめ、夏は浴衣染めなどを着て、美しい脇差しをさし、客へ馳走の給仕にもだされ、供にも連れ歩かれなどもされたが、小草履取りが原因でしばしば喧嘩口論がおこったため、慶安年間には禁止されたが、寛文年間ころ再び流行し、のちに再度禁じられたという。 井原西鶴の『大矢数』には、「庄之介とて究竟の者、見立ては小草履を置かれたり」とあり、『好色一代男』には「或は小草履取の鼻すぢけだかきをかやうに仕立て、東国西国の屋敷方、一年ばかり長屋住居の人をだます物ぞかし」とある。 しかし、宝永年間ごろになると、「渡り小姓(わたりこしょう)」といって、小草履取りに似たものが大名、旗本のあいだにかかえられた(『耳嚢』)。.

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小豆洗い

竹原春泉画『絵本百物語』より「小豆洗い」 小豆洗い(あずきあらい)または小豆とぎ(あずきとぎ)は、ショキショキと音をたてて川で小豆を洗うといわれる日本の妖怪。水木しげるのゲゲゲの鬼太郎にも登場したことがあり、鳥取県境港市の水木しげるロードに銅像があるなど、マニアの間では知名度の高い妖怪である。.

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小野善鬼

小野 善鬼(おの ぜんき、生年不詳 - 文禄元年(1592年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての剣豪。一刀流の剣豪・伊東一刀斎の門弟。.

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山中幸盛

山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。尼子氏の家臣。通称は鹿介(しかのすけ)。巷間では山中鹿介の名でよく知られる。幼名は甚次郎(じんじろう)。尼子三傑の1人。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。 尼子十勇士の筆頭にして、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で有名。.

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山本五郎左衛門

『稲生物怪録絵巻』。向かって左が山本五郎左衛門。向き合っているのは平太郎、その上には彼を守る冠装束の氏神の姿が見える。 山本五郎左衛門(さんもと ごろうざえもん)は、江戸時代中期の日本の妖怪物語『稲生物怪録』に登場する妖怪。 姓の「山本」は、『稲生物怪録』を描いた古典の絵巻のうち、『稲生物怪録絵巻』を始めとする絵巻7作品によるもので、広島県立歴史民俗資料館所蔵『稲亭物怪録』には「山ン本五郎左衛門」とある。また、『稲生物怪録』の主人公・稲生平太郎自身が遺したとされる『三次実録物語』では「山本太郎左衛門」とされる。.

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不受不施義

不受不施義(ふじゅふせぎ)とは、日蓮における思想の1つで、不受とは法華信者以外の布施を受けないこと、不施とは法華信者以外の供養を施さないこと。 日蓮の法華経に対する純粋な姿勢も、室町時代に入ると宗派が勢力を拡大していく過程の中で、他宗派との妥協や他宗派の信者からの施しを平気で受けるなど、次第に変質していった。このような状況の中で、室町幕府6代将軍足利義教の頃「鍋かむりの日親」とあだ名された日親が不受不施を主張した。 日蓮宗は安土桃山時代に豊臣秀吉が命じた千僧供養に出仕するかどうかで、受布施派と日奥らの不受不施派に分裂し、その後不受不施派はキリスト教と同じく「邪宗門」と位置付けられて江戸時代を通じて禁圧を受けた。そのような状況の中でも派内で内紛が生じ、明治時代になって日蓮宗不受不施派として再興される日堯らの導師派の系統と、同じく明治時代に不受不施日蓮講門宗となる日講らの不導師派(講門派)の系統に分裂、さらに幾つかの派に分派した。.

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三峯神社

三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。.

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三酸化二ヒ素

三酸化二ヒ素(さんさんかにヒそ)、または三酸化ヒ素は化学式 As2O3 で表されるヒ素の酸化物である。 人工的に生産されるが、天然においても方砒素華(Arsenolite 砒霜、砒華とも)、クロード石(Claudetite 方砒素華の同質異像)として少量産出する。方砒素華は、自然砒、鶏冠石、硫砒鉄鉱といったヒ素鉱物に付随して存在することが多い。毒性が強いことで知られ、上述の鉱物を取り扱う際には特に注意する必要がある。.

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幽霊

枝垂柳の下に古い井戸を配した構図も定石通りだが、本図のお菊の姿は江戸時代からのイメージを打破し悳俊彦『芳年妖怪百景』国書刊行会、2001年、83-84頁。美しく澄んだ空気の中に描かれている。 幽霊(ゆうれい)とは、.

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乾隆帝

皇子時代の弘暦(北京故宮博物院蔵) 即位直後の乾隆帝(ジュゼッペ・カスティリオーネ画、1736年) 乾隆帝(カスティリオーネ画) 乾隆帝 儀礼用甲冑を着けた乾隆帝(カスティリオーネ画、1758年) 乾隆帝(カスティリオーネ画) 乾隆帝の南巡(1765年) 乾隆帝に謁見するマカートニー使節団(1793年、アーノルド・J・トインビー『歴史の研究』より) 晩年の乾隆帝(北京故宮博物院蔵) 乾隆帝(けんりゅうてい)は、清の第6代皇帝。清王朝の最盛期を創出する。諱は弘暦(こうれき)、廟号は高宗(こうそう)。在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。.

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亡命

亡命(ぼうめい)とは、主に政治的な事情により政治家や軍人、学者やスパイなどが他国に逃れることを意味する。また、亡命してきた志士・名士を亡命客と呼ぶ。.

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井伊直朗

井伊 直朗(いい なおあきら)は、越後与板藩の第6代藩主。直勝系井伊家10代。.

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仙洞御所

仙洞御所(せんとうごしょ)は、譲位した天皇(上皇・法皇)の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいう。そこから転じて退位した天皇(上皇・法皇)の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。.

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伊達村候

五代藩主 伊達村候(右側)と正室 護姫の墓 (金剛山大隆寺) 伊達 村候(だて むらとき、享保10年5月11日(1725年6月21日宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P110)- 寛政6年9月14日(1794年10月7日宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P110))は、伊予国宇和島藩の第5代藩主。 第4代藩主・伊達村年の長男宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P110。母は伊達吉村の娘富子宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P110。正室は鍋島宗茂の娘護姫宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P110。側室に田中氏、木原氏、深沢氏、細田氏。子は伊達徳輝(長男)、山口直清(次男)、伊達徳元(三男)、伊達村寿(四男)、娘(丹羽長貴正室、のち植村家利正室)、娘(牧野貞喜正室)、富(花山院愛徳室、のち松平直恒継室)。官位は従四位下。遠江守。大膳大夫。左近衛権少将。幼名は伊織。別名は村房、村隆、政徳、政教など多数。.

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伊東一刀斎

伊東 一刀斎(いとう いっとうさい、生没年不詳)は戦国時代から江戸初期にかけての剣客。名字は伊藤とも。江戸時代に隆盛した一刀流剣術の祖であるが、自身が「一刀流」を称したことはなかったという。諱は景久、前名、前原弥五郎。弟子に小野善鬼、古藤田俊直、神子上吉明ら。 英雄かく生まれり 過去世物語 英傑編(リバティ編集部)2006年(平成18年)6月29日発行 ISBN4-87688-549-4。 -->.

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佐渡金山

佐渡金山の入り口 佐渡金山のシンボル「道遊の割戸」 佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市にある金山である。鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。金山遺跡のうち相川鉱山関係遺跡が「佐渡金山遺跡」として国の史跡に指定されている。.

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佃祭

佃祭(つくだまつり)は、落語の演目の一つ。住吉神社の夏の祭礼で賑わう佃島を舞台に、「情けは人の為ならず」という諺をテーマとした江戸の古典落語である。 現在落語家によって行われる演出は、5代目古今亭志ん生が演じた滑稽噺重視の演出と、3代目三遊亭金馬が演じた人情噺重視の演出の2通りがある。 その他の主な演者は5代目三遊亭圓楽、5代目春風亭柳朝、瀧川鯉昇など。.

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土屋政直

土屋 政直(つちや まさなお)は、江戸時代中期の大名、老中。常陸土浦藩主、駿河田中藩主。.

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化け猫

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マジックマッシュルーム

Psilocybe mexicana ''Psilocybe mexicana''という種(メキシコ、ハリスコ州) マジックマッシュルーム(Magic mushroom, shroomほかに Psychedelic mushroom, Psilocybe mushroom, Psilocybin mushroom)は、トリプタミン系アルカロイドのシロシビンやシロシンを含んだ、菌類のキノコの俗称。種は200以上存在し、世界中に広く自生している。毒キノコだが、主に幻覚作用であり重症や死亡はまずない。日本では『今昔物語』にて古代の呼び方で舞茸(今でいうマイタケとは違う)とされており、後世にも笑茸(わらいたけ)、踊茸などと言及された。多くが20世紀に菌類として同定され、大半はシビレタケ属 Psilocybe や糞を好むヒカゲタケ属 Panaeolus に属し、具体的な種はワライタケ、オオワライタケ、ヒカゲシビレタケ(日本原産)、ミナミシビレタケ (Psilocybe cubensis)、 (Psilocybe Semilanceata) など。 中世、南米のアステカ帝国ではテオナナカトルと呼び、神聖なキノコとして扱ったが、そうした扱いは原住民の間に現代まで続いている。日本では1917年に菌類分類学者の川村清一が中毒症状を起こすワライタケを確認した。欧米では1950年代に、アメリカの菌類研究者のロバート・ゴードン・ワッソンらの実地調査によって、西洋においてキノコの存在が広く明らかにされマジックマッシュルームの名称が広まった。1959年ごろアルバート・ホフマンが幻覚成分を特定してシロシビンとシロシンと名をつけた。栽培されるなどしてLSDと共に「サイケ」の原動力となった。 乱用され、1971年の向精神薬に関する条約がシロシビンを規制したが、その第32条4項は含有成分の自生国における少数集団による伝統的な使用を除外している。アメリカ合衆国ではマジックマッシュルームの所持は事実上禁止されたが自由化のための運動も存在する。欧州では合法であったり、抜け道があったり規制は様々である。例えばマジックトリュフは、オランダで禁止されたキノコに代わって流通する、シロシビンを含むである。日本では2002年から、シロシビンを含有するきのこ類を故意に使用・所持することは規制され、もっぱら鑑賞用となる。アメリカや日本では胞子の所持は合法である。21世紀に入り、成分シロシビンによるうつ病や薬物依存症の治療研究が注目され、日本でも強迫性障害に対するヒカゲシビレタケ抽出物が基礎研究された。.

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ろくろ首

葛飾北斎『北斎漫画』より「轆轤首」 ろくろ首(ろくろくび、轆轤首、飛頭蛮)は、日本の妖怪の一種。ろくろっ首。 大別して、首が伸びるものと、首が抜け頭部が自由に飛行するものの2種が存在する。古典の怪談や随筆によく登場し、妖怪画の題材となることも多いが、ほとんどは日本の怪奇趣味を満足させるために創作されたものとの指摘もある。.

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イクチ

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「あやかし」の名で描かれたイクチ イクチは、日本に伝わる海の妖怪。津村淙庵による『譚海』、根岸鎮衛による『耳袋』などの江戸時代の随筆に記述がある。.

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サムハラ神社

(さむはらじんじゃ)とは大阪府大阪市西区立売堀(いたちぼり)にある神社である。.

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冷泉為広

冷泉 為広(れいぜい ためひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての公卿・歌人。権大納言・冷泉為富の子。官位は正二位・権大納言。上冷泉家6代当主。.

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兎園会

兎園会(とえんかい)とは文政8年(1825年)、曲亭馬琴の呼びかけにより、当時の文人が毎月一回集って、見聞きした珍談・奇談を披露し合った会の名前。.

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光格天皇

光格天皇御胞塚、光格天皇の胞衣を埋納した塚、京都市上京区荒神口通河原町西入清荒神内 光格天皇(こうかくてんのう、明和8年8月15日(1771年9月23日) - 天保11年11月18日(1840年12月11日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日) - 文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。.

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倉坊主

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皿屋敷

皿屋敷(さらやしき)は、お菊の亡霊が井戸で夜な夜な「いちまーい、にまーい...

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火車 (妖怪)

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「火車」 火車/化車(かしゃ)は、悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪である。.

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神尾春央

尾 春央(かんお はるひで、貞享4年(1687年) - 宝暦3年5月5日(1753年6月6日))は、江戸時代の旗本。官位は若狭守。苛斂誅求を推進した酷吏として知られており、農民から憎悪を買ったが、将軍吉宗にとっては幕府の財政を潤沢にし、改革に貢献した功労者であった。.

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祐天

天(ゆうてん、寛永14年4月8日(1637年5月31日)- 享保3年7月15日(1718年8月11日))とは、浄土宗大本山増上寺36世法主で、江戸時代を代表する呪術師。字は愚心。号は明蓮社顕誉。密教僧でなかったにもかかわらず、強力な怨霊に襲われていた者達を救済、その怨霊までも念仏の力で成仏させたという。.

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秋葉山本宮秋葉神社

秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町領家の赤石山脈の南端に位置する、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社。日本全国に存在する秋葉神社(神社本庁傘下だけで約800社)、秋葉大権現および秋葉寺のほとんどについて、その事実上の信仰の起源となった神社であり、もう一方の日本二社(総本廟)秋葉大権現の越後栃尾秋葉山『古来の根本』秋葉三尺坊大権現と並び、『今の根本』と言われる。.

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細川重賢

細川 重賢(ほそかわ しげかた)は、肥後熊本藩6代藩主。第4代藩主・細川宣紀の五男。熊本藩細川家7代。 紀州藩第9代藩主・徳川治貞と「紀州の麒麟、肥後の鳳凰」と並び賞された名君であった。 初めは父・宣紀より1字を与えられて長岡紀雄(ながおか のりお)、兄・宗孝の跡を継いでからは細川重賢と名乗る。改名後の「重」の字は将軍徳川家重より偏諱を賜ったもので、「賢」の字はかつて細川典厩家が通字として用いていたものに由来する(実際、典厩家の当主にも同名の細川重賢という人物がいた)。.

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斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「猯」 寺島良安『和漢三才図会』より「猯」 猯、魔魅(まみ)は、タヌキまたはニホンアナグマのことである。.

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疫神送

疫神送(えきじんおくり)とは、神道の用語で、疫病をもたらすと考えられていた疫神を所属する共同体から外界へと送り出す行事、儀式のことである。.

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甲冑師

冑師(かっちゅうし)とは、甲冑を製作する職人(工人)をいう。具足師(ぐそくし)ともいい、『七十一番職人歌合』では、「鎧細工(よろいざいく)」とも記されている。この他、鎧師・鎧作り・具足細工といった呼称も用いられている。『七十一番職人歌合』の絵には、射向袖(いむけのそで・肩を守る小札)を吊るし、韋緒(かわお)で綴(と)じる様子が描かれている油売り、番匠(大工)、紙すきなどの職人達が烏帽子をかぶっている中、鎧細工は腰刀を所持しているものの、烏帽子は描かれず、かつ、髷もない。この事からも、『職人歌合』が成立した時代では、決して高い地位にあったわけではなく、当時の世間的認識としては、烏帽子をかぶった職人絵の方が地位は上である(防具としての武具は、生活必需品ではない為)。。西洋甲冑を製作する甲冑師は、日本では西洋甲冑師と呼称される西洋甲冑師三浦權利公式サイトを参照。。.

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狂歌

歌(きょうか)とは、社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌(和歌)。.

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隙間女

『隙間女』(すきまおんな)は都市伝説の一種。桜金造の代表作のため、彼から広まった様に思われるが、江戸時代の随筆耳袋には類話がある。江戸時代には民間伝承として広まっていた可能性がある。.

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非人

非人(ひにん)は、主に、.

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青鷺火

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「青鷺火」 竹原春泉画『絵本百物語』より「五位の光」 青鷺火(あおさぎび、あおさぎのひ)は、サギの体が夜間などに青白く発光するという日本の怪現象村上健司 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、3頁。ISBN 978-4-620-31428-0。。別名五位の火(ごいのひ)または五位の光(ごいのひかり)。 「青鷺」とあるが、これはアオサギではなくゴイサギを指すとされる。.

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風狸

鳥山石燕画『今昔百鬼拾遺』より「風狸」 葛飾北斎画『北斎漫画』より「風狸」 風狸(ふうり)は、中国および日本の妖怪。風生獣(ふうせいじゅう)、風母(ふうぼ)、平猴(へいこう)とも呼ばれる。中国の『本草綱目』、日本の鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』、根岸鎮衛の『耳嚢』、『和漢三才図会』など江戸時代の各種文献に名が見られる。.

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丸餅 角餅(切り餅) のし餅 鏡餅 餅(もち、英:Mochi, Rice cake)、モチ、もちとは、広辞苑 第五版【餅】大辞泉【餅】。広義には、粳(うるち)米以外の穀類で作る食品もいう。-->もち米を加工して作る食品。丁寧な、または上品な表現としてお餅、おもちとも。 粒状の米を蒸して杵で搗いた搗き餅(つきもち)と、穀物の粉に湯を加えて練り、蒸しあげた練り餅(ねりもち)の二種類に大別される。日本で餅といえば一般に搗き餅を指し、練り餅は団子という別の区分とされることも多い。.

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西米良村

村所(西米良村中心部) 西米良村(にしめらそん)は、宮崎県の西部に位置する村で、児湯郡に属している。宮崎県内では最も総人口の少ない自治体である。.

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馬憑き

憑き(うまつき)は、死んだ馬の霊が人に取り憑いて苦しめるという日本の怪異。.

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観世流

観世流(かんぜ-りゅう)は能楽における能の流派の一。シテ方、小鼓方、大鼓方、太鼓方がある。.

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髪切り

佐脇嵩之『百怪図巻』より「かみきり」 歌川芳藤 『髪切りの奇談』(1868年) 髪切り(かみきり)または黒髪切(くろかみきり)は、人間の頭髪を密かに切るといわれる日本の妖怪。江戸時代の市街地においてはたびたび噂にのぼったもので17世紀から19世紀にかけて散発的に記録が見受けられる。.

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鬼火

火 (和漢三才図会) 鬼火(おにび)とは、日本各地に伝わる怪火(空中を浮遊する正体不明の火の玉)のことである。伝承上では一般に、人間や動物の死体から生じた霊、もしくは人間の怨念が火となって現れた姿と言われている。また、ウィルオウィスプ、ジャックランタンといった怪火の日本語訳として「鬼火」の名が用いられることもある。.

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魍魎

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「魍魎」 魍魎(もうりょう・みずは)または罔両は、山や川、木や石などの精や、墓などに住む物の怪または河童などさまざまな妖怪の総称。 日本では水神を意味する「みずは」と訓じ、この語は他に「水波」「美豆波」「弥都波」などさまざまな漢字で表記される。.

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魍魎の匣

『魍魎の匣』(もうりょうのはこ)は、京極夏彦の長編推理、伝奇小説。百鬼夜行シリーズの第2弾。第49回日本推理作家協会賞受賞作。2007年12月22日にこれを原作とする映画が公開された。さらに、2008年10月から12月までテレビアニメが放送された。.

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魔術

術(まじゅつ)とは、仮定上の神秘的な作用を介して不思議のわざを為す営みを概括する用語である。魔法(まほう)とも。 人類学や宗教学の用語では呪術という。魔術の語は手品(奇術)を指すこともある。.

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鴻池善右衛門

鴻池 善右衛門(こうのいけ ぜんえもん)は、江戸時代の代表的豪商の一つである摂津国大坂の両替商・鴻池家(今橋鴻池)で代々受け継がれる名前である。 家伝によれば祖は山中幸盛(鹿介)であるという。その山中鹿之助の子の、摂津国伊丹の酒造業者鴻池直文の子、善右衛門正成が摂津国大坂で一家を立てたのを初代とする。初め酒造業であったが、1656年に両替商に転じて事業を拡大、同族とともに鴻池財閥を形成した。歴代当主からは、茶道の愛好者・庇護者、茶器の収集家を輩出した。上方落語の「鴻池の犬」や「はてなの茶碗」にもその名が登場するなど、上方における富豪の代表格として知られる。 明治維新後は男爵に叙せられて華族に列した。.

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鹿政談

鹿政談(しかせいだん)は古典落語の演目の一つ。元々は講釈種の上方落語の演目で、明治の初期に2代目禽語楼小さんが東京に移植した。 主な演者として、東京の6代目三遊亭圓生や6代目春風亭柳橋、上方の3代目桂米朝などがいる。.

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黒田直邦

黒田 直邦(くろだ なおくに)は、常陸下館藩主、上野沼田藩の初代藩主。久留里藩黒田家初代。.

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蘇生

蘇生(そせい、甦生)とは、一度死亡した、あるいはそれに類する状態になった人間が再び生命を取り戻すことである。前者は「復活」、「黄泉がえり」などとも呼ばれる。心臓の鼓動が停止したり、呼吸が止まったりした者に対し、人工呼吸や心臓マッサージを行うが、その方法をまとめて、心肺蘇生法という。.

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金精神

立川神社の金精神 金精神(こんせいしん)は、金精大明神(こんせいだいみょうじん)、金精様(こんせいさま)などとも呼ばれ、男根の形をした御神体を祀った神の一柱である。「金精」以外に、金勢、金清、金生、魂生、根性、根精などさまざまな当て字がされている。広義では男根の形をした御神体を祀った神全般を指すこともある。 同じく男根の形をした御神体を祀った道祖神(塞の神)と混同されることが多いが、基本的に男根形の道祖神(塞の神)と金精神は異なる神である。しかし、栃木県などの一部の地域では金精神と道祖神が習合してしまっている例が多い。.

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金春禅竹

金春 禅竹(こんぱる ぜんちく、応永12年(1405年) - 文明3年(1471年)以前)は室町時代の猿楽師、能作者である。童名は金春七郎、俗名は竹田氏信あるいは貫氏、法名は賢翁禅竹。金春大夫として活躍し、現在の金春流の中興の祖である。孫に金春禅鳳。.

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長谷川強

長谷川 強(はせがわ つよし、1927年 - )は、日本の国文学者、国文学研究資料館名誉教授。専攻は近世小説・演劇。.

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長谷川政春

長谷川 政春(はせがわ まさはる、1939年1月2日 - )は、国文学者。清泉女子大学名誉教授。.

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酒井忠実

酒井 忠実(さかい ただみつ)は、江戸時代後期の大名。播磨国姫路藩酒井家第4代藩主。雅楽頭系酒井家宗家12代。.

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酒井忠以

酒井 忠以(さかい ただざね)は、江戸時代中期から後期の播磨姫路藩第2代藩主。雅楽頭系酒井家宗家10代。.

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柳営補任

柳営補任(りゅうえいぶにん)は、江戸幕府の諸役人の任免記録。編者は幕臣の根岸衛奮(ねぎしもりいさむ)。江戸時代末期の成立。20巻(続編も含むと計25巻)。.

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柳生宗矩

柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。.

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柳生主馬

柳生 主馬(やぎゅう しゅめ)は、江戸時代初期に活動した柳生藩の家臣である。朝鮮出身と伝えられる。彼自身の事績に関する記録は多くはないが、初代柳生藩藩主柳生宗矩から始まる柳生氏と、尾張藩に仕えた柳生利厳に始まる柳生氏(尾張柳生)の決裂の一因となった人物として知られている。.

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柳田國男

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた牧田茂『柳田國男』(中公新書、1972年)。 「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。.

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松平康福

松平 康福(まつだいら やすよし)は、江戸時代中期の大名。老中、老中首座。はじめ5万400石だったが加増され6万余石となる。石見浜田藩の第5代藩主、下総古河藩主、三河岡崎藩主を経て再び浜田藩主。松井松平家6代。奏者番、寺社奉行、大坂城代を経て、老中に抜擢された。.

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村正

村正(むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。同銘で数代あるとみられる。別称は「千子村正」(せんじむらまさ、せんごむらまさ)。 村正は、濃州赤坂左兵衛兼村の子で、赤坂千手院鍛冶の出と伝えられている。しかしながら活動拠点は伊勢であり、定かではない。他国の刀工と同様に、室町末期に流行した美濃伝を取り入れ本国美濃の刀工の作と見える刃を焼いた作もあり、技術的な交流(坂倉関の正吉・正利・正善など・「正」の字が村正に酷似する)をうかがわせる。しかし美濃だけではなく、隣国の大和伝と美濃伝、相州伝を組み合わせた、実用本位の数打ちの「脇物」刀工集団と見られている。その行動範囲は伊勢から東海道に及ぶ。 「村正」の銘は、桑名の地で代々受け継がれ、江戸時代初期まで続いた。同銘で少なくとも3代まで存在するというのが定説である。村正以外にも、藤村、村重等、「村」を名乗る刀工、正真、正重等、「正」を名乗る刀工が千子村正派に存在する。江戸時代においては「千子正重」がその「門跡」を幕末まで残している。 なお、4代目以降、「千子」と改称したと言われているが、これは徳川家が忌避する「村正」の帯刀を大名や旗本が避けるようになったことが原因と考えられている。.

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根岸鎮衛

根岸 鎮衛(ねぎし しずもり / やすもり)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。勘定奉行、南町奉行を歴任した。.

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根岸衛奮

根岸 衛奮(ねぎし もりいさむ、文政4年(1821年) - 明治9年(1876年)8月3日)は、江戸時代末期(幕末)の旗本。根岸衛恭の子。曾祖父は江戸町奉行であり、怪異譚や珍談・奇談・巷説などを収録した『耳嚢』の編者として有名な根岸鎮衛。通称は栄太郎、九郎兵衛。官位は肥前守、備前守。.

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検校

検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称。檢校とも書いた。 元々は平安時代・鎌倉時代に置かれた寺院や荘園の事務の監督役職名であったが室町時代以降、盲官の最高位の名称として定着した。 江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。 検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当、勾当、座頭などがあった。.

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死相

死相(しそう)とは、.

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水野忠之

水野 忠之(みずの ただゆき)は、江戸時代中期の譜代大名で、江戸幕府老中。三河岡崎藩第4代藩主(5万石、後6万石)。忠元系水野家5代。.

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民間薬

民間薬(みんかんやく)は、医療の専門家ではない庶民の間に伝承されてきた薬のことで、その多くが植物起源の生薬である。.

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池袋の女

池袋の女(いけぶくろのおんな)は、江戸時代末期における日本の俗信の一つ。.

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沢庵宗彭

沢庵 宗彭(たくあん そうほう、澤庵 宗彭、天正元年12月1日(1573年12月24日) - 正保2年12月11日(1646年1月27日)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧。大徳寺住持。諡は普光国師(300年忌にあたる昭和19年(1944年)に宣下)。号に東海・暮翁など。 但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれ。紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開いた。書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残している。一般的に沢庵漬けの考案者と言われているが、これについては諸説ある(同項目を参照のこと)。.

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本因坊

一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前 囲碁本因坊発祥の地、京都市中京区寺町通夷川上る東側 本因坊(ほんいんぼう).

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札差

札差(ふださし)は、江戸時代に幕府から旗本・御家人に支給される米の仲介を業とした者。 浅草の蔵前に店を出し、米の受け取り・運搬・売却による手数料を取るほか、蔵米を担保に高利貸しを行い大きな利益を得た。札差の「札」とは米の支給手形のことで、蔵米が支給される際にそれを竹串に挟んで御蔵役所の入口にある藁束に差して順番待ちをしていたことから、札差と呼ばれるようになった。.

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戸谷半兵衛

戸谷 半兵衛(とや はんべえ)は、18世紀から19世紀の本庄宿の新田町(現在の本庄市宮本町と泉町の辺り)に店をかまえ、代々戸谷半兵衛を襲名していた豪商であり、宿役人。店の名の「中屋」にちなんで中屋半兵衛とも呼ばれた(こちらの名の方が認知度は高い)。中半の略称でも親しまれている。中山道で最大の宿場である本庄宿の豪商として全国的に名の知れた商人であった。本店は本庄宿の「中屋」であるが、江戸室町に支店である「島屋」を持ち、代々京都の方の商人とも付き合っていたため、その人脈はかなり広く、才能にも、度胸(行動)にも優れていた(京都にも支店はあった)。中屋は、太物、小間物、荒物などを商った。戸谷家は、経済面の救済だけでなく、文化面でも影響力が強い一族であり、関東一の豪商ともされる(『関八州田舎分限角力番付』に西方筆頭の大関として位置付けられている)。大名への貸し金も多額であった。しかし、その返済は滞り、未回収金は数万両に及び、この為、安政5年(1858年)頃より、幕府への御用金納入に支障をきたし、名字帯刀を取り上げられ、さらに家財闕所等の処分を受けるが、明治期には回復した。.

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明和の大火

明和の大火(めいわのたいか)とは、江戸時代に江戸で発生した大火災である。.

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明珍信家

明珍 信家(みょうちん のぶいえ、文明18年(1486年)? - 永禄7年(1564年)?)は、室町時代末期(戦国時代)の甲冑師。初め安家と名乗り、号は覚意、本姓は藤原氏。通称(官位)は左近将監。甲冑師の一族である明珍家17代に当たる。伝えでは、武田晴信の一字を賜り、信家と改名したとされる。前代(16代目)は明珍義保。18代目として明珍貞家。.

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浄瑠璃

浄瑠璃(じょうるり)は、三味線を伴奏楽器として太夫がを語る音曲・劇場音楽である。 詞章が単なる歌ではなく、劇中人物のセリフやその仕草、演技の描写をも含み、語り口が叙事的な力強さを持つ。このため浄瑠璃を口演することは「歌う」ではなく「語る」と言い、浄瑠璃系統の音曲をまとめてと呼ぶ。 江戸時代初期以降、個々の太夫の口演が「――節」と呼ばれるようになり、その後流派として成立して、現在は義太夫節義太夫節は浄瑠璃の一流派であるが、上方では義太夫節以外の一中節・豊後節・宮薗節などが早くに廃れたため、「浄瑠璃」がもっぱら義太夫節を意味する場合がある。・河東節・一中節・常磐津節・富本節・清元節・新内節・宮薗節(薗八節)の8流派が存在する。 単独で素浄瑠璃として演じられるほか、流派によっては人形劇である人形浄瑠璃として(文楽など)、歌舞伎音楽として、日本舞踊の伴奏として演じられる(流派ごとの上演形態については後述)。 はリンク切れ)、義太夫節に特有の事項なので、当記事ではなく、記事「義太夫節#演出面から見た人形浄瑠璃と丸本歌舞伎」 での言及が妥当であろう -->.

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浅草寺

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある、東京都内最古の寺である。山号は金龍山。本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)。元は天台宗に属していたが第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。全国有数の観光地であるため、正月の初詣では毎年多数の参拝客が訪れ、参拝客数は常に全国トップ10に収まっている。.

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浅間山

浅間山(あさまやま)は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2,568mの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成されており、活発な活火山として知られる。.

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新耳袋

『新耳袋』(しんみみぶくろ)は、現代の怪談・怪異譚を百物語形式で収載した書物である。.

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文武両道

文武両道(ぶんぶりょうどう)とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、秀でていることを指す語。求道的な評価にも用いられる語である。転じて、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に秀でた人物に対しても用いられる。 『平家物語』には、「あっぱれ、文武二道の達者かな」とあり、文武二道(文武一道とは異なる)という語がある。この語は、近世においても用いられている(朋誠堂喜三二著『文武二道万石通』など)。.

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日野資施

日野 資施(ひの すけもち、明和4年(1767年) - 文政元年4月17日(1818年5月21日))は、江戸時代の人物。高家旗本。高家旗本畠山義紀の次男。吉良義央の曾孫にあたる。通称は多吉郎、玄蕃。官位は従五位下侍従、伊予守。 1530石を知行していた高家旗本日野資直の養子となる。天明7年(1787年)12月23日将軍徳川家斉に御目見する。寛政4年(1792年)8月3日家督を相続した。享和2年(1802年)12月20日高家に就任し、従五位下侍従・伊予守に叙任する。文化4年(1807年)3月28日高家を辞任する。文政元年(1818年)4月17日死去、享年52。 なお、根岸鎮衛の著書『耳袋』には資施の体験談として、重病で臥していた家来の住居の前で火の玉(人魂)を見付けたところ、ほどなくその家来が死去したという話が収録されている。 正妻は資直の娘。継室は神保喜内の姉。一男四女あり。長男資盈の早世により、嫡孫資邦が家督を相続した。.

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日本の近世文学史

日本の近世文学史(にほんのきんせぶんがくし)では、江戸時代(近世)の日本文学の歴史を述べる。.

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日本左衛門

日本 左衛門(にっぽん ざえもん、享保4年(1719年) - 延享4年3月11日(1747年4月20日))は、江戸時代中期の浪人の異名。本名は濱島 庄兵衛と言い、諸国を荒らした盗賊(強盗団)の一味で、後に自首して獄門となった。歌舞伎の白波五人男の一人である日本駄右衛門のモデル。.

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旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

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撤退

撤退(てったい retirement and/or withdrawal)とは、戦略においてある部隊が敵地における作戦地域から部隊を後方へ移動すること。戦術論における後退行動とは異なる概念である。.

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怪力

ヘラクレス 怪力(かいりき、かいりょく)とは、人並み外れた素晴らしい筋力、腕力をいう言葉。通常は男性のみに使用される語であるが、力の強い女性のことをしばしば怪力女と称することがある。『古今著聞集』(鎌倉後期成立)では、力女(りきにょ)という語も用いられている。また、「火事場のバカ力」というような語句も使われる(生命の危機等に発揮される力は、戦うか逃げるか反応を参照の事)。.

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怪談

怪談(かいだん)は、怖さや怪しさを感じさせる物語の総称。日本古来のものを限定して呼ぶ場合もある。中でも、四谷怪談・皿屋敷・牡丹燈籠の三話は「日本三大怪談」に数えられることが多い。 怪談(怪奇ジャンルの作品)は日本国内では通常「夏の風物詩」にあげられるが、近年は冬の時期に放映や作品発表が行われるケースもある。.

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