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第一高等学校 (旧制)

索引 第一高等学校 (旧制)

東大駒場Iキャンパス1号館 第一高等学校(だいいちこうとうがっこう、英語: First Higher School, Japan)は、現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身となった旧制高等学校である。「旧制一高」とも呼ばれる。.

1829 関係: 加勢清雄加瀬俊一 (1920年入省)加賀山之雄加賀山朝雄加藤信幸加藤周一加藤祐三郎加藤進 (会計検査院長)加藤正治加藤新平加藤於兎丸労働歌力石雄一郎力武常次城戸四郎埼玉県出身の人物一覧原口統三原島鮮原亨吉原彪原嘉道原勝郎 (歴史家)原秀四郎原田謙次原龍太原龍三郎ちくたくぼんぼんど根性ガエルしろばんばあゝ玉杯に花うけていいだもも半井清十十虫は夢を見る十河信二千代田区立九段中等教育学校千代田区立番町小学校千代田区立麹町小学校千頭暎臣千頭清臣千谷七郎千葉大学千葉三郎千葉医科大学 (旧制)千葉県立成東高等学校南原繁南部陽一郎南雲道夫南方特別留学生古垣鉄郎古屋亨...古屋恒次郎古在由秀古田幸男古田足日古荘嘉門古茂田甲午郎古池信三友永英夫名取忠彦名和武吾妻光俊向坊隆吉富滋吉山博吉吉岡荒造吉田富三吉田冨士雄吉田精一吉田静致吉田謙次郎吉田茂 (内務官僚)吉田洋一吉瀬維哉吉野信次吉野良彦吉野源三郎吉村哲三吉村豊文吉植庄亮吉沢伝三郎吉沢清次郎吉河光貞吉澤義則君島一郎 (野球研究者)君島清吉坪井忠二坪井誠太郎坪内逍遥坂の上の雲坂千秋坂口謹一郎坂上田村麻呂坂倉準三坂田幹太坂田祐坂村吉正坂本義和坂本百大堺利彦堀口定義堀尾輝久堀内謙介堀米庸三堀越二郎堀辰雄堀鉞之丞堀源一郎塚本健塚本虎二塩尻公明塩野季彦塙英夫増原惠吉増田清 (建築家)増村保造多久安信夏粛初夏目家どろぼう綺談夏目漱石大原一三大同病院・だいどうクリニック大場智満大塚万丈大学予科大学入学資格検定大岡信大島破竹郎大島正健大島正徳大島正満大下宇陀児大久保偵次大久保利武大久保昭男大佛次郎大喜多寅之助大内力大倉真隆大石重成大町文衛大熊喜邦大畑末吉大瀬甚太郎大達茂雄大館市大西新蔵大谷光照大谷四郎大賀小四郎大賀一郎大阪府立生野高等学校大野俊一大野公男大野達之助大野龍太大野連治大野正男大野晋大逆事件大来佐武郎大東流合気柔術大村仁太郎大森義太郎大森洪太大橋忠一大橋武夫 (政治家)大河原良雄大河内正敏大泉黒石大澤三之助大木操大成高等学校 (東京都)天の血脈天野貞祐太宰施門太刀川平治太田一郎太田圓三太田政弘外尾健一外国語学校 (明治初期)外満州奥田義人奥田教久奥野信太郎奥野誠亮妹尾義郎学制改革学習院大学硬式野球部学生帽学生野球学生時代 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加勢清雄

加勢 清雄(かせい きよお / かせ きよお、1882年(明治15年)7月13日『新編日本の歴代知事』222頁。 - 1971年(昭和46年)11月24日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』331頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。.

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加瀬俊一 (1920年入省)

加瀬 俊一(かせ しゅんいち、1897年10月23日 - 1956年9月9日)は、日本の外交官。太平洋戦争終戦当時の駐スイス公使で、戦後西ドイツ大使を務める。外務大臣秘書官や国連大使を務めた加瀬俊一(としかず、加瀬英明の父)とは同姓同名の別人である。外務省内では彼と区別するため「大加瀬」と俗称されていた。.

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加賀山之雄

加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年12月30日 - 1970年8月7日)は、日本の鉄道官僚、第2代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1949年-1951年)。.

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加賀山朝雄

加賀山 朝雄(かがやま ともお 1926年(昭和元年)12月31日 - 1999年(平成11年)10月25日)は、元日本国有鉄道常務理事、元日本交通公社専務。享年72。.

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加藤信幸

加藤 信幸(かとう のぶゆき、1920年1月2日 - )は日本出身の元サッカー選手。ポジションはハーフバック。 東京帝国大学へ進学し運動会ア式蹴球部へ入部。4年次には主将を務めた。戦後の1947年に田辺製薬へ加入。1950年代に全日本実業団サッカー選手権大会で強さを誇った同クラブの中心選手として活躍した。 日本代表としては戦前、戦後を通じて活躍した。1942年8月8日の東亜競技大会で代表デビュー。1951年3月にインドで開催された第1回アジア競技大会に出場するなど国際Aマッチ1試合に出場した。.

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加藤周一

加藤 周一(かとう しゅういち、1919年(大正8年)9月19日 - 2008年(平成20年)12月5日)は日本の評論家。医学博士(専門は内科学、血液学)。妻は評論家・翻訳家の矢島翠。 上智大学教授、イェール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学およびミュンヘン大学客員教授、ブリティッシュコロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長などを歴任。哲学者の鶴見俊輔、作家の大江健三郎らと結成した「九条の会」の呼びかけ人。岩村清一海軍中将は大叔父。.

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加藤祐三郎

加藤 祐三郎(かとう ゆうさぶろう、1903年(明治36年)3月30日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。第二次世界大戦末期の情報局第二部長として録音盤事件に際会。戦後は公職追放を経て、東北開発株式会社の副総裁を務めた。.

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加藤進 (会計検査院長)

加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本の昭和期の官僚。正三位勲一等瑞宝章。北海道札幌市出身。.

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加藤正治

加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1952年(昭和27年)3月16日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授。第11代中央大学学長、初代総長。日本郵船副社長加藤正義の養子になった。旧姓平林。.

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加藤新平

加藤 新平(かとう しんぺい、1912年(明治45年)3月29日 - 1999年4月2日)は、日本の法学者、京都大学名誉教授。専門は法理学・法哲学。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。京都大学名誉教授。沢内村名誉村民第一号。.

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加藤於兎丸

加藤 於兎丸(かとう おとまる、1896年(明治29年)7月19日『新編日本の歴代知事』1001頁。 - 1983年(昭和58年)8月11日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』169頁。)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。官選県知事。.

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労働歌

労働歌(ろうどうか、)とは、歌の種類である。本義としては作業歌(さぎょううた)や仕事歌(しごとうた)などと呼ばれる、特定の労働をテーマとした民謡を指す。狭義として労働運動の歌や労働者を励ます歌を労働歌と呼び、革命歌、組合歌、反戦歌などを含む。.

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力石雄一郎

力石 雄一郎(ちからいし ゆういちろう、1876年6月30日 - 1933年3月17日)は、日本の内務官僚。政友会系官選府県知事。.

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力武常次

力武 常次(りきたけ つねじ、1921年3月30日 - 2004年8月22日)は、日本の地球物理学者。東京大学名誉教授、東京工業大学名誉教授。理学博士。.

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城戸四郎

1952年城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹会長。現在の松竹社長迫本淳一は孫。.

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埼玉県出身の人物一覧

埼玉県出身の人物一覧(さいたまけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する埼玉県出身の人物の一覧である。さいたま市出身の人物一覧も参照。.

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原口統三

1946年 原口 統三(はらぐち とうぞう、1927年1月14日 - 1946年10月25日)は、日本の詩人。『二十歳のエチュード』の著者として知られる。.

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原島鮮

原島 鮮(はらしま あきら、1908年(明治41年) 2月18日 - 1986年(昭和61年) 12月26日)は、日本の物理学者、教育者。東京帝国大学理学博士、東京工業大学名誉教授。分かりやすい教科書執筆に定評があり、物性論や統計力学、特に表面張力の研究に取り組んだ。旧制第一高等学校、九州帝国大学、東京工業大学、国際基督教大学、東京神学大学で教授を歴任し、東京女子大学では学長を務めた。実子に原島文雄がいる。クリスチャンであり、温厚な人柄で知られた。.

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原亨吉

原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、数学史家、フランス文学者、大阪大学名誉教授。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。 1955年大阪大学文学部助教授、1963年パリ大学に留学し1965年博士号を取得し帰国、1970年教授、1974年評議員、フランス政府よりパルム・アカデミーク勲章を授与、1982年定年退官し名誉教授、天理大学教授。1982年に「パスカルの数学的業績(“L'ŒUVRE MATHEMATIQUE DE PASCAL”)」で日本学士院恩賜賞を受賞、1989年勲二等瑞宝章受章。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。.

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原彪

原 彪(はら ひょう、男性、1894年(明治27年)11月24日 - 1975年(昭和50年)12月17日)は、日本の政治家、政治学者。衆議院副議長。本名は彪之助。.

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原嘉道

原 嘉道(はら よしみち(かどう) 1867年3月23日(慶応3年2月18日) - 1944年8月7日)は、日本の官僚、弁護士、法学者、政治家。第9代中央大学学長、帝国弁護士会名誉会員。田中義一内閣の司法大臣や枢密院議長を歴任した。男爵、法学博士。幼名は亀太郎。.

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原勝郎 (歴史家)

原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月26日) - 1924年(大正13年)1月12日)は、日本の歴史学者。文学博士。.

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原秀四郎

原 秀四郎(はら ひでしろう、明治5年7月18日(1872年8月21日) - 1913年(大正2年)3月2日)は明治時代の歴史地理学者。帝国大学で坪井九馬三に学び、東北地方古代史の研究で文学博士号を得、國學院大學等で地理、歴史を教えた。.

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原田謙次

原田 謙次(はらだ けんじ、1893年8月8日 - ?)は、日本の歌人、小説家。 長崎市生まれ。第一高等学校中退、東京外国語学校イタリア語専修をへて、1920年早稲田大学英文科卒。吉江喬松、島崎藤村に師事し、歌人、詩人となる。小説一編のほかイタリア文学の翻訳もある。.

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原龍太

原 龍太(はら りゅうた、嘉永7年10月15日(1854年12月4日) - 大正元年(1912年)12月30日)は、土木工学者、工学博士。吾妻橋、御茶ノ水橋、江戸橋などの橋梁の設計・施工、馬車鉄道の敷設工事、上下水道の付設など、各種の公共工事に携わる。従四位勲三等。.

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原龍三郎

原 龍三郎(はら りゅうざぶろう、1888年7月15日 - 1968年12月30日)は、日本の応用化学者。工学博士。東北帝国大学工学部名誉教授。文化功労者、日本学士院会員。日本化学会名誉会員。.

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ちくたくぼんぼん

『ちくたくぼんぼん』は、勝田文による日本の漫画作品。 『コーラス』(集英社)にて2009年4月号から2011年10月号まで連載された。単行本は全3巻。.

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ど根性ガエル

『ど根性ガエル』(どこんじょうガエル)は、吉沢やすみによる日本の漫画、またはそれを原作としたアニメ作品である。.

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しろばんば

『しろばんば』は、井上靖の自伝的長編小説である。『主婦の友』に1960年(昭和35年)から連載された。その後、続編として『続しろばんば』が連載された。双方とも中央公論社から単行本として刊行され、後に前者を前篇、後者を後編とし、改めて『しろばんば』として新潮社より文庫本として刊行されている。 題名の「しろばんば」とは雪虫のこと。本作品の舞台であり、作者自身が幼少時代を過ごした静岡県の伊豆半島中央部の山村・湯ヶ島では、秋の夕暮れ時になればこの虫が飛び回る光景が見られた。.

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あゝ玉杯に花うけて

『あゝ玉杯に花うけて』(ああぎょくはいにはなうけて)は、佐藤紅緑による小説、またはそれを原作とした映画。題名は旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯」にちなむ。.

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いいだもも

いいだ もも(本名:飯田 桃(読み同じ)、1926年(大正15年)1月10日 - 2011年(平成23年)3月31日)は、東京府東京市出身の作家、評論家。 多元主義的共産主義者。『21世紀への構想』研究会主宰。『近代日本社会運動史人物大事典』編集委員。男性。別名の宮本 治は「宮本百合子と太宰治をアウフヘーベンする」との意図によるという。.

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半井清

半井 清(なからい きよし、1888年3月31日 - 1982年9月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選府県知事、北海道庁長官、横浜市長。.

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十十虫は夢を見る

『十十虫は夢を見る』(てんとうむしはゆめをみる)は、幹本ヤエによる日本の漫画。『ミステリーボニータ』(秋田書店)にて、2010年(平成22年)4月号より連載中。単行本は「ボニータ・コミックスα」から刊行され、2017年7月時点で既刊9巻。2012年に『もっと!』(同社刊)に短編「打ち水の女」が掲載され、単行本第4巻に収録された。.

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十河信二

十河 信二(そごう しんじ、1884年4月14日 - 1981年10月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。愛媛県西条市市長(在任1945年 - 1946年)、第4代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1955年 - 1963年)。「新幹線の父」と呼ばれた。西条市名誉市民第一号。.

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千代田区立九段中等教育学校

千代田区立九段中等教育学校(ちよだくりつ くだんちゅうとうきょういくがっこう)は、東京都千代田区にある公立中等教育学校。校舎は2つに分かれており、1~4年生がいる九段校舎が九段北二丁目にあり、5,6年生がいる富士見校舎(旧区立九段中学校)が富士見一丁目にある。九段校舎が主であり、所在地もこちらを使用している。.

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千代田区立番町小学校

千代田区立番町小学校(ちよだくりつ ばんちょうしょうがっこう)は、東京都千代田区六番町にある公立小学校。.

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千代田区立麹町小学校

千代田区立麹町小学校(ちよだくりつ こうじまちしょうがっこう)は、東京都千代田区麹町二丁目に位置する公立小学校。.

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千頭暎臣

千頭 暎臣(ちかみ てるおみ、1902年(明治35年)8月11日 - 1983年(昭和58年)2月27日)は、元三菱信託銀行社長、会長。.

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千頭清臣

千頭 清臣(ちかみ きよおみ、1856年12月5日(安政3年11月8日) - 1916年(大正5年)9月9日)は、日本の教育者、内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名・徳馬。.

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千谷七郎

千谷 七郎(ちたに しちろう、1912年9月24日-1992年6月26日)は、精神病理学者。 鳥取市生まれ。鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)卒、第一高等学校理乙卒、東京帝国大学医学部卒、同精神神経科講師、1950年東京女子医科大学教授、1957年「精神科とCortisone様作用物質」で東京女子医科大学医学博士、のち名誉教授。日本文化会議会員。.

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千葉大学

記載なし。

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千葉三郎

千葉 三郎(ちば さぶろう、1894年1月25日 – 1979年11月29日)は、昭和期の政治家。 宮城県知事、労働大臣のほか、東京農業大学学長も務めた。.

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千葉医科大学 (旧制)

旧制千葉医科大学 (きゅうせいちばいかだいがく) は、1923年 (大正12年) 4月に設立された旧制官立大学。略称は千葉医大。 本項は、旧制第一高等学校医学部・旧制千葉医学専門学校 (千葉医専) などの前身諸校を含めて記述する。.

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千葉県立成東高等学校

千葉県立成東高等学校(ちばけんりつ なるとうこうとうがっこう)は、千葉県山武市成東にある県立高等学校。略称「成高」(なるこう)。.

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南原繁

南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。.

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南部陽一郎

南部 陽一郎(なんぶ よういちろう、1921年1月18日 - 2015年7月5日 産経新聞 2015年7月17日閲覧 大阪大学 2015年7月17日閲覧)は日本出身、アメリカ国籍の理論物理学者。シカゴ大学名誉教授、大阪市立大学名誉教授、大阪大学特別栄誉教授、立命館アジア太平洋大学アカデミック・アドバイザー。専門は素粒子理論。理学博士(東京大学 1952年)。 日本の福井県福井市出身。自宅が大阪府豊中市にあり、シカゴに在住していた。1970年に日本からアメリカ合衆国へ帰化した。.

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南雲道夫

南雲 道夫(なぐも みちお、1905年5月 - 1995年2月6日朝日新聞大阪版 1995年2月8日 27面)は、日本の数学者。理学博士、大阪大学名誉教授。解析学の分野で多くの独創的な業績がある。.

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南方特別留学生

南方特別留学生(なんぽうとくべつりゅうがくせい)は、太平洋戦争中の1943年から1944年にかけて、大日本帝国政府が東南アジアの各占領地区から招いた国費留学生である。略称は南特(ナントク)。.

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古垣鉄郎

古垣 鉄郎(ふるかき てつろう、1900年(明治33年)9月20日 - 1987年(昭和62年)3月8日)は、日本のジャーナリスト、外交官。筆名は中馬 藤十郎。.

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古屋亨

古屋 亨(ふるや とおる、1909年1月6日 - 1991年6月20日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士、政治家。衆議院議員、自治大臣兼国家公安委員会委員長。正三位勲一等旭日大綬章。.

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古屋恒次郎

古屋 恒次郎(ふるや つねじろう、1864年9月28日(元治元年8月28日) - 1912年(大正元年)10月25日340頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。)は、日本の薬学者、教育家。薬学博士224-225頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。。千葉医学専門学校教授ふ52頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月6日閲覧。。正五位勲五等。.

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古在由秀

古在 由秀(こざい よしひで、1928年4月1日 - 2018年2月5日)は、日本の天文学者交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日、こ 436頁。。専門は、天体力学。最後の東京天文台長・初代国立天文台長である藤井旭「初代国立天文台長 古在由秀先生が文化功労者として選出 顕彰記念祝賀会が開催」『天文ガイド』2010年4月号 誠文堂新光社、26頁。。2016年現在、群馬県立ぐんま天文台名誉台長、東京大学・総合研究大学院大学・国立天文台の各名誉教授でもある。.

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古田幸男

古田 幸男(ふるた ゆきお、1930年9月28日 - 2014年4月8日 )は、フランス現代思想の翻訳・研究者、法政大学名誉教授。 東京生まれ。1945年海軍兵学校(78期)中退、1950年第一高等学校文科乙類卒業、1953年東京都立大学仏文科卒、1955年同大学院修士課程修了、1960年東京医科歯科大学非常勤講師、1961年法政大学第一教養部講師、1968年助教授、同年フランス留学、1970年教授、2001年定年退職、名誉教授。2010年瑞宝中綬章を受章。 安士正夫に師事し、ルネ・ジラール、エドガール・モランなどを翻訳した。.

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古田足日

古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年11月29日 - 2014年6月8日)は、日本の児童文学作家・評論家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。.

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古荘嘉門

古荘 嘉門(ふるしょう かもん、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉『日本近現代人物履歴事典』453頁。 - 1915年〈大正4年〉5月11日)は、幕末の熊本藩士、明治から大正期の内務官僚・政治家。群馬県知事(官選第6代・第8代)、三重県知事(官選第11代)、衆議院議員(5期)、貴族院勅選議員。幼名・鶴喜。.

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古茂田甲午郎

古茂田 甲午郎(こもだ こうごろう、1894年(明治27年)10月9日 - 没年不明)は、日本の建築家。 大正8年(1919年)に文部省入省後、営繕技師として勤務していたが、関東大震災後の大正13年(1924年)に大学時代の恩師である佐野利器に請われて東京市に転じた。その後は東京市の学校建築に関する責任者として勤務し、特に復興小学校の実務により「当時の学校建築の権威」と評された。.

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古池信三

古池 信三(こいけ しんぞう、1903年4月3日 – 1983年10月7日)は、昭和期の日本の政治家・官僚。郵政大臣、KDD(現・KDDI)会長・社長。1974年勲一等旭日大綬章受章。岐阜県高山市名誉市民(1974年)。.

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友永英夫

友永 英夫(ともなが ひでお、1908年(明治41年)12月6日 - 1945年(昭和20年)5月14日)は、日本の海軍軍人。潜水艦を専門とする技術士官として、自動懸吊装置、重油漏洩防止装置を開発し、2度にわたり海軍技術有功章を受章した。第二次世界大戦中にドイツへ赴き、その帰途でドイツの降伏を迎え、乗艦していた「Uボート」艦内で庄司元三とともに自決。最終階級は海軍技術大佐。.

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名取忠彦

名取 忠彦(なとり ただひこ、1898年(明治31年)11月26日 - 1977年(昭和52年)2月20日)は、日本の経営者。戦後の山梨中央銀行頭取。.

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名和武

名和 武(なわ たけし、1892年(明治25年)11月28日 - 1972年(昭和47年)6月22日)は、日本の海軍軍人。海軍技術士官として主に蓄電池の開発に業績を残した海軍技術中将である。特D型蓄電池の開発で海軍技術有功章を受章『海軍アドミラル軍制物語』139頁-140頁。.

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吾妻光俊

吾妻 光俊(あづま みつとし、1903年11月9日 - 1973年4月21日)は、日本の法学者。専門は、民法・労働法・社会保障法。一橋大学名誉教授。恩師は末弘厳太郎。門下に蓼沼謙一(第8代一橋大学学長、元労働法学会代表理事)、横井芳弘(中央大学名誉教授、元労働法学会代表理事)など。.

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向坊隆

向坊 隆(むかいぼう たかし、1917年3月24日 - 2002年7月4日)は、日本の応用化学者、元東京大学総長。専門は電気化学で、金属の腐蝕、原子炉材料を研究し、日米原子力協力協定のまとめ役となり、原子力委員会委員長代理、日本原子力産業会議会長を務めた。1992年文化功労者。.

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吉富滋

吉富 滋(よしとみ しげる、1901年(明治34年)4月『新編日本の歴代知事』956頁。 - 1946年(昭和21年)10月18日『朝日新聞』(東京本社発行)1946年10月19日朝刊、2面の訃報より。)は、日本の内務・厚生官僚。官選高知県知事。.

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吉山博吉

吉山 博吉(よしやま ひろきち、1911年(明治44年)12月1日 - 2007年(平成19年)5月2日)は、日本の実業家、第4代日立製作所社長・会長、電気学会会長、環太平洋産業連関分析学会会長等を歴任した。.

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吉岡荒造

吉岡 荒造(よしおか こうぞう、1878年 - 没年不詳)は、日本の台湾総督府官僚。.

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吉田富三

吉田 富三(よしだ とみぞう、1903年(明治36年)2月10日 - 1973年(昭和48年)4月27日)は、日本の病理学者。福島県石川郡浅川村(現・浅川町)生まれ。 ラットの腹水癌である吉田肉腫と腹水肝癌の発見で実験腫瘍学に新たな扉を開いた。財団法人癌研究会癌研究所長、日本学士院会員、日本学術会議会員・副会長(第6期)、国語審議会委員(第1-6期)などを務めた。テレビディレクターの吉田直哉は長男である。.

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吉田冨士雄

吉田 冨士雄(よしだ ふじお、大正13年(1924年)7月5日 - 平成2年(1990年)7月28日)は、山梨県出身の大蔵官僚、サントリー株式会社副社長。.

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吉田精一

吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)は、日本の国文学者。近代文学専攻。.

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吉田静致

吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。.

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吉田謙次郎

吉田 謙次郎(よしだ けんじろう、安政2年12月16日(1856年1月23日) – 1927年(昭和2年)以後)は戦前日本のドイツ語教師。金沢藩貢進生、第一高等学校教授、独逸学協会学校附属独逸語専修学校講師。.

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吉田茂 (内務官僚)

吉田 茂(よしだ しげる、1885年9月2日 - 1954年12月9日)は、昭和時代の内務官僚、貴族院議員。岡田内閣の内閣書記官長、米内内閣と小磯内閣で閣僚を務めた。戦後、公職追放にあう。 同時代の外務官僚で、戦後に内閣総理大臣を務めた吉田茂は同姓同名の別人であり注意を要する(下記参照)。.

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吉田洋一

吉田 洋一(よしだ よういち、1898年7月11日 - 1989年8月30日)は、日本の数学者。.

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吉瀬維哉

吉瀬 維哉(よしせ しげや、1922年7月4日 - 2003年12月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。.

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吉野信次

吉野 信次(よしの しんじ、1888年(明治21年)9月17日 - 1971年(昭和46年)5月9日)は、大正、昭和期の日本の商工官僚、政治家。第1次近衛内閣の商工大臣、貴族院議員を経て、戦後は、自由民主党参議院議員となり、第三次鳩山一郎内閣の運輸大臣を歴任した。大正デモクラシーを主導した政治学者吉野作造の弟に当たる。.

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吉野良彦

吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。.

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吉野源三郎

吉野 源三郎(よしの げんざぶろう、1899年(明治32年)4月9日 - 1981年(昭和56年)5月23日)は、編集者・児童文学者・評論家・翻訳家・反戦運動家・ジャーナリスト。昭和を代表する進歩的知識人。『君たちはどう生きるか』の著者として、また雑誌『世界』初代編集長としても知られている。岩波少年文庫の創設にも尽力した。明治大学教授、岩波書店常務取締役、日本ジャーナリスト会議初代議長、沖縄資料センター世話人などの要職を歴任した。.

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吉村哲三

吉村 哲三(よしむら てつぞう、1887年(明治20年)3月10日『新編日本の歴代知事』997頁。 - 1967年(昭和42年)3月1日)は、日本の内務官僚、実業家。政友会系官選県知事、鳥取市長、鳥取銀行頭取。.

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吉村豊文

吉村 豊文(よしむら とよふみ、1905年8月19日 - 1990年11月25日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。奈良県生まれ。.

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吉植庄亮

吉植 庄亮(よしうえ しょうりょう、1884年4月3日 - 1958年12月7日)は、日本の歌人、政治家。.

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吉沢伝三郎

吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924年2月8日 - 2003年4月15日)は、日本の哲学・倫理学研究家。ニーチェを主とした近代ドイツ哲学研究で著名。東京都立大学名誉教授。社会学者吉澤夏子の父。.

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吉沢清次郎

吉沢 清次郎(よしざわ せいじろう、1893年2月6日 - 1978年4月2日)は、日本の外交官。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学を卒業後、1917年外務省に入省。1937年からアメリカ局長、1940年からカナダ特命全権公使に任じられた。外務次官を経て、1948年世界経済調査会理事長、1955年インド特命全権大使となる。1956年にはネパールとの外交関係樹立に伴いネパール大使を兼任。原子力委員会参与、日加協会会長などを歴任した。.

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吉河光貞

吉河 光貞(よしかわ みつさだ、1907年1月16日 - 1988年4月17日)は、日本の検察官、司法・法務官僚。.

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吉澤義則

吉澤 義則(よしざわ よしのり、1876年8月22日 - 1954年11月5日)は、日本の国語学者、国文学者、歌人。 氏名の表記は吉沢義則とされることも多い。.

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君島一郎 (野球研究者)

君島 一郎(きみじま いちろう、1887年(明治20年)4月16日 - 1975年(昭和50年)4月25日)は、日本の銀行家、野球研究者。元朝鮮銀行副総裁。.

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君島清吉

君島 清吉(きみじま せいきち、1889年(明治22年)4月16日『新編日本の歴代知事』902頁。 - 1966年(昭和41年)1月11日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』423頁。)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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坪井忠二

坪井 忠二(つぼい ちゅうじ、1902年(明治35年)9月9日 - 1982年(昭和57年)11月19日)は、日本の地球物理学者、随筆家。東京大学名誉教授。理学博士で、寺田寅彦の弟子として知られている。.

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坪井誠太郎

坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1986年9月22日)は、日本の地球科学者。専門は、地質学・鉱物学・岩石学。.

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坪内逍遥

坪内 逍遥(つぼうち しょうよう、旧字体:坪內逍遙、1859年6月22日(安政6年5月22日) - 1935年(昭和10年)2月28日)は、日本の小説家、評論家、翻訳家、劇作家。小説家としては主に明治時代に活躍した。代表作に『小説神髄』『当世書生気質』およびシェイクスピア全集の翻訳があり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。本名は坪内 雄蔵(つぼうち ゆうぞう)。別号に「朧ろ月夜に如く(しく)ものぞなき」の古歌にちなんだ春のやおぼろ(春廼屋朧)、春のや主人など。俳句も詠んだ。.

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坂の上の雲

秋山好古・真之兄弟が明治13年から15年まで下宿していた旧旗本佐久間正節屋敷の存在した場所。麹町区土手三番町(現:千代田区五番町) 東京陸軍士官学校(明治40年) 『坂の上の雲』(さかのうえのくも)は、司馬遼太郎の歴史小説。明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描く。 『産経新聞』夕刊紙上で、1968年(昭和43年)4月から1972年(昭和47年)8月にかけて連載された。.

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坂千秋

坂 千秋(さか ちあき、1895年8月28日 - 1959年5月29日)は、日本の内務官僚、政治家。内務次官、県知事、北海道庁長官、貴族院議員。.

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坂口謹一郎

坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年11月17日 - 1994年12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。.

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坂上田村麻呂

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の公卿、武官。名は田村麿とも書く。姓は忌寸のち大忌寸、大宿禰。父は左京大夫・坂上苅田麻呂。官位は大納言正三位兼右近衛大将兵部卿。勲二等。贈従二位。 忠臣として名高く、桓武天皇に重用されて、軍事と造作を支えた一人であり、桓武朝では二度にわたり征夷大将軍を勤める。蝦夷征討に功績を残し、薬子の変では大納言へ昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、軍神として信仰の対象となる。現在は武芸の神として親しまれ、多くの伝説、物語を生んだ。 坂上宝剣では坂家。.

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坂倉準三

坂倉 準三(さかくら じゅんぞう、1901年(明治34年)5月29日 - 1969年(昭和44年)9月1日)は、日本の建築家。 ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践した。1937年(昭和12年)のパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、世界でも高い評価を受けた。 妻は西村伊作の次女の坂倉ユリ(1912-2007)。息子に同じく建築家の坂倉竹之助、孫にはヒップホップMCのSPHEREがいる。.

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坂田幹太

坂田 幹太(さかた みきた、1879年(明治12年)12月13日 - 1958年(昭和33年)10月18日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。県知事、貴族院議員。旧姓・水谷。.

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坂田祐

坂田 祐(さかた たすく、旧姓・中村、1878年2月12日 - 1969年12月6日)は、日本の陸軍軍人、教育者、関東学院院長。学校法人関東学院の基礎作りに貢献した。.

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坂村吉正

坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年-1983年)は、衆議院議員(4期)。.

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坂本義和

坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - 2014年10月2日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授、国際基督教大学平和研究所顧問。専門は、国際政治学、平和学。戦後の進歩的文化人を代表する人物の一人であり、学問的活動とともに、論壇で発言し続けた。父は東亜同文書院教授の坂本義孝。.

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坂本百大

坂本 百大(さかもと ひゃくだい、1928年 - )は日本の哲学者。専門は科学哲学、記号論理学、記号学、生命倫理、心の哲学。青山学院大学名誉教授。心身問題に対するひとつの解答として原一元論を提唱した。.

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堺利彦

堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) - 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。.

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堀口定義

堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - )は、詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年第一高等学校に入る。1940年高等文官試験に合格。1941年東京帝国大学法学部政治学科卒、大蔵省入省。1960年熊本国税局長。1961年国税庁徴収部長。64年直税部長。1965年原子燃料公団理事。67年動力炉核燃料事業団理事。1969年関西の忠勇社長。75年相談役。1976年大阪証券金融社長。かたわら詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。1984年勲三等旭日中綬章受勲。1989-91年日本詩人クラブ会長。.

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堀尾輝久

堀尾 輝久(ほりお てるひさ、1933年1月5日 - )は、日本の教育学者。東京大学名誉教授。専攻は教育学、教育思想史。 元NHKアナウンサーの杉山邦博は実兄。美術史家で文化女子大学教授の堀尾真紀子は妻。.

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堀内謙介

堀内 謙介(ほりのうち けんすけ、1886年3月30日 - 1979年11月1日)は、日本の外交官。.

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堀米庸三

堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1975年12月22日)は、山形県河北町生まれの歴史家。専攻は西洋中世史。.

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堀越二郎

堀越 二郎(ほりこし じろう、1903年6月22日 - 1982年1月11日)は、日本の航空技術者。位階は従四位。勲等は勲三等。学位は工学博士(東京大学・1965年)。零戦の設計者として有名。 新三菱重工業株式会社参与、東京大学宇宙航空研究所講師、防衛大学校教授、日本大学生産工学部教授などを歴任した。.

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堀辰雄

堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家。 それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した『新潮日本文学アルバム17 堀辰雄』(新潮社、1984年)。肺結核を病み、軽井沢に療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。 戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造、中村真一郎、福永武彦、丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。戦争末期からは結核の症状が悪化し、戦後はほとんど作品の発表もできず、闘病生活を送ったが48歳で死去した。.

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堀鉞之丞

堀 鉞之丞(ほり えつのじょう、生没年不明)は、愛知英語学校出身の理学士。儒学者・堀杏庵の子孫にあたる。1891年(明治24年)、衛生試験所技師。第一高等学校教授。1908年10月30日から1914年4月30日まで尾張徳川家の御相談人、1914年9月から同家の家令を務め、1917年に明倫中学校と附属博物館を愛知県に譲渡し、名古屋の同家所有地の整理・処分を進めるなど、家政改革を推し進めた。.

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堀源一郎

堀 源一郎(ほり げんいちろう、1930年5月19日 - )は、日本の天文学者である。 東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区西日暮里)出身 - 内のページ。。荒川区立真土小学校(現・荒川区立ひぐらし小学校)から東京市立第二中学校(現・東京都立上野高等学校)に進み、その後第一高等学校を経て学制改革で東京大学を再受験し、東大理科に入学した。 萩原雄祐の弟子で、専門は師の萩原と同じく天体力学。本と文房具をコレクションしていることでも有名。ハードSF研究所客員研究員でもある。.

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塚本健

塚本健(つかもと たけし、1931年8月1日- )は、日本の経済学者、東京大学名誉教授。.

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塚本虎二

塚本 虎二(つかもと とらじ、1885年8月2日 - 1973年9月9日)は、キリスト教無教会主義の伝道者、新約聖書研究家。.

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塩尻公明

塩尻 公明(しおじり こうめい、1901年11月6日 - 1969年6月12日)は、日本の哲学者、神戸大学名誉教授。J・S・ミルが専門だが、宗教的な人生論を多く書いた。.

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塩野季彦

塩野 季彦(しおの すえひこ、明治13年(1880年)1月1日 - 昭和24年(1949年)1月7日)は、日本の司法官僚、政治家。司法大臣である。思想検事の主流として活動し、「塩野閥」などと言われた派閥を形作っていたことで知られている。.

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塙英夫

塙 英夫(はなわ ひでお、1912年10月25日 - 1988年)は、日本の作家、左翼活動家。 東京生まれ。本名・正。千葉県立匝嵯中学校を経て第一高等学校に進学するが、伊藤律らと非合法政治活動に加わり、1931年、校友会雑誌に発表したものが問題となり検挙され中退。満州で農村工作に当たる。1941年、「アルカリ地帯」が『中央公論』懸賞小説に当選し掲載、検挙され奉天の監獄に入る。敗戦後、引き揚げの手助けをして1947年帰国。1953年、引き揚げの経験を描いた『背教徒』で芥川賞候補、同年「すべて世はこともなし」で再度候補。日本教職員組合関係の仕事に就いて翻訳を行った。.

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増原惠吉

増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年(明治36年)1月13日 - 1985年(昭和60年)10月11日)は、日本の内務・防衛官僚、政治家。香川県知事(官選、公選)、参議院議員(自民党)『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』566頁、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、防衛庁長官を歴任した。.

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増田清 (建築家)

増田 清(ますだ きよし、1888年(明治21年)9月9日 - 1977年(昭和52年)2月9日)は、福島県伊達郡桑折町出身の建築家。主に大阪を拠点に活動した。現在知名度は低く「知られざる名建築家」「戦前活躍しながら忘れられていた名建築家」、などと紹介されている。なお、女優で随筆家の阿川佐和子は孫にあたる。.

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増村保造

増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1986年11月23日)は、日本の映画監督、脚本家である。.

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多久安信

多久 安信(たく やすのぶ、1890年(明治23年)1月7日『新編日本の歴代知事』109頁。 - 1959年(昭和34年)3月2日『朝日新聞』(東京本社発行)1959年3月3日夕刊、3面の訃報より。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、東京市助役。.

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夏粛初

夏 粛初(か しゅくしょ、1889年 - ?)は中華民国の政治家。別号は旭初。中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。.

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夏目家どろぼう綺談

『夏目家どろぼう綺談』(なつめけどろぼうきだん)は、テレビ朝日系列で、2016年1月3日1:10 - 2:10(JST)に放送された単発テレビドラマである。第14回テレビ朝日21世紀新人シナリオ大賞作品。主演は桐谷健太。 文豪・夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』の「誕生秘話」をフィクションとして描いたものである。.

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夏目漱石

夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。 その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。 夏目漱石誕生之地碑.

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大原一三

大原 一三(おおはら いちぞう、1924年7月1日 - 2005年11月3日 )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(当選7回)。議員を引退後、大原財政経済研究所を主宰。宮崎県東臼杵郡北方町(現在の延岡市)出身。行財政改革の専門家として著書も多数。.

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大同病院・だいどうクリニック

大同病院(だいどうびょういん)は、愛知県名古屋市南区白水町にある医療機関である。.

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大場智満

大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日-)は、日本の大蔵官僚、元財務官。東京都杉並区出身。国際金融の専門家として、日本の金融自由化を推進した。.

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大塚万丈

大塚 万丈(萬丈、おおつか ばんじょう、1896年11月24日 - 1950年3月8日)は、日本の実業家。元経済同友会代表幹事。発足直後の経済同友会において、「企業民主化試案」を取りまとめた。.

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大学予科

日本における大学予科(だいがくよか)とは、大学令(1918年公布、1919年4月1日施行)または各帝国大学官制に基づいて設置され、1955年(昭和30年)まで存在した高等教育機関である。 教育内容は現在の大学教養課程に相当する。特定の旧制大学に附属し、専門教育を行う大学本科、すなわち学部に進学する前段階としての予備教育を行う機関であった。基本的に旧制高等学校と同じ教育が行われたが、学部の設置状況に合わせて、文科・理科のどちらかのみを置くことも可能だった。官立大学と公立大学の予科は3年制であったが、私立大学予科は、政府の認可基準の問題などから2年制を採る場合もあり、後期になって3年制と2年制の2部を併置する予科も多く登場した。 しかし、第二次世界大戦の激化に伴う繰上げ卒業と学徒出陣に沿って行われた修業年限の短縮と、終戦後の修業年限の復旧を経て、戦前より2年制だった予科も1年延長され、最終的に全ての大学予科は3年制に統一された。大学予科は学制改革によって、新制大学の教養部や学部、あるいは附属の新制高等学校に改組されて廃止された。3年制大学予科の入学資格は旧制高等学校(3年制)と同じく旧制中学校4年修了程度であるのに対し、2年制大学予科は旧制中学校卒業程度であった(中学卒業後、第2学年に編入可能な3年制予科もあった)。.

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大学入学資格検定

大学入学資格検定(だいがくにゅうがくしかくけんてい、University Entrance Qualification Examination)とは、2004年度(平成16年度)以前の日本で実施されていた、日本の大学に入学する学力の有無を判定し、試験合格者は高校卒業者と同等の資格が得られる国家試験のことであった。大検(だいけん)と略称されていた。 2004年度(平成16年度)末に廃止され、2005年度(平成17年度)より高等学校卒業程度認定試験(高認)に移行している。.

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大岡信

大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人、評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。.

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大島破竹郎

大島 破竹郎(おおしま はちくろう、1882年(明治15年)12月 - 1953年(昭和28年)6月12日『読売新聞』1953年6月13日朝刊、7面の訃報より)は、日本の官僚。佐賀県知事、高知県知事、郡山市長を歴任した。.

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大島正健

大島 正健 (おおしま まさたけ、安政6年7月15日(1859年8月13日) - 昭和13年(1938年)3月11日) は日本人の宗教家・教育者・言語学者。札幌農学校(現在の北海道大学)の第1期生であり、クラーク博士の教育指導を直接受けた一人となった。クラークの 'Boys, be ambitious' (青年よ、大志をいだけ) との言葉を後世に残す上で大きな役割を果たした。.

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大島正徳

大島 正徳(おおしま まさのり、1880年11月11日 - 1947年4月21日)は、日本の哲学者、教育家。.

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大島正満

大島 正満 (おおしま まさみつ、1884年6月21日 - 1965年6月26日) は 日本の生物学者 (動物学)。理学博士、農学博士。 シロアリの防除法などの研究を行ったが、台湾勤務時代にスタンフォード大学に留学し、D.S.ジョーダンのもとで魚類研究を行った。特にサケ科の淡水魚類を中心に動物学の研究を行い、「サラマオマス」(サクラマスの亜種、現在はタイワンマスと呼ぶ) を命名した。2001年より台湾の2000元札にタイワンマスが印刷されている。台湾では、20数種類の淡水魚の新種を命名し、台湾淡水魚の父と呼ばれている。.

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大下宇陀児

大下 宇陀児(おおした うだる、1896年(明治29年)11月15日 - 1966年(昭和41年)8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。別名、XYZ。.

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大久保偵次

大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月15日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は日本の大蔵官僚。銀行局長時代に帝人事件の被告となるも無罪判決を受けた。関場家の養子となっていたため、前半生では関場偵次と名乗る関場家は長男、次男が早世したため大久保を養子とした。のちに三男関場保(明治大学教授)が誕生するが、大久保は大蔵省課長時代まで関場姓を名乗っていた。。.

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大久保利武

大久保 利武(おおくぼ としたけ、慶応元年4月13日(1865年5月7日) - 昭和18年(1943年)7月13日)は、明治時代の内務官僚、貴族院議員、日本赤十字社常議員。位階勲等爵位は正二位勲一等侯爵。.

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大久保昭男

大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - )は、イタリア文学者。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。.

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大佛次郎

大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年(明治30年)10月9日 - 1973年(昭和48年)4月30日)は、日本の小説家・作家。神奈川県出身、本名は野尻 清彦(のじり きよひこ)。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、ノンフィクション、さらには新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影(正英)は兄。.

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大喜多寅之助

大喜多 寅之助(おおきた とらのすけ、慶応2年11月20日『明治弁護士列伝』pp.49-50(1866年12月26日) - 1961年(昭和36年))は、名古屋市長。弁護士。.

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大内力

大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授・信州大学名誉教授。専攻はマルクス経済学の経済理論、経済政策。.

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大倉真隆

大倉 真隆(おおくら まさたか、1925年1月3日 - 1990年1月)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、横浜銀行頭取。.

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大石重成

大石 重成(おおいし しげなり、1906年(明治39年)10月29日 - 1984年(昭和59年)10月25日)は、日本の鉄道技術者。.

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大町文衛

大町 文衛(おおまち ふみえ、1898年(明治31年)3月27日 - 1973年(昭和48年)1月10日)は、昆虫学者、随筆家。三重大学名誉教授。文豪大町桂月の次男。コオロギ類の研究で知られ、「コオロギ博士」と呼ばれた。.

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大熊喜邦

大熊 喜邦(おおくま よしくに、1877年1月13日 - 1952年2月25日)は、日本の建築家。妻木頼黄・矢橋賢吉の後を引き継いで国会議事堂の建設を統括した。.

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大畑末吉

大畑 末吉(おおはた すえきち、1901年10月17日 - 1978年4月25日)は、ドイツ、北欧文学者、翻訳家。.

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大瀬甚太郎

大瀬 甚太郎(おおせ じんたろう、1866年2月9日(慶応元年12月24日) - 1944年(昭和19年)5月29日は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育学者。文学博士。号は金城。 近代日本における体系的な教育学の樹立者、西洋教育史学の開拓者として評価されている。.

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大達茂雄

大達 茂雄(おおだち しげお、1892年(明治25年)1月5日 - 1955年(昭和30年)9月25日)は、日本の内務官僚、政治家。小磯内閣で内務大臣、第5次吉田内閣で文部大臣を務めた。参議院議員1期。.

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大館市

大館市(おおだてし)は、秋田県北部に位置する市。市の北境で青森県と接している。.

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大西新蔵

大西 新蔵(おおにし しんぞう、1892年(明治25年)7月17日 - 1988年(昭和63年)1月31日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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大谷光照

大谷 光照(おおたに こうしょう、1911年(明治44年)11月1日 - 2002年(平成14年)6月14日)は、日本の宗教家で浄土真宗本願寺派第23世宗主、伯爵。諱は光照。法名は勝如上人。院号は信誓院。 昭和天皇の従兄弟にあたる。.

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大谷四郎

大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 1990年11月9日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、サッカージャーナリスト。東洋紡元社長の大谷一二は実兄。また、俳優の大谷亮介は長男、高畑裕太は孫である。.

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大賀小四郎

大賀 小四郎(おおが こしろう、1910年(明治43年)11月3日 - 1991年(平成3年)2月24日)はドイツ文学者、外交官。兵庫県西宮市の甲陽中学校出身(七回卒)。配偶者はヴァイオリニストの諏訪根自子。.

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大賀一郎

大賀 一郎(おおが いちろう、1883年(明治16年)4月28日 - 1965年(昭和40年)6月15日)は日本の植物学者。.

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大阪府立生野高等学校

大阪府立生野高等学校(おおさかふりつ いくのこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Ikuno High School)は、大阪府松原市新堂一丁目にある公立高等学校。.

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大野俊一

大野 俊一(おおの しゅんいち、1903年1月29日 - 1980年3月26日)は、ドイツ文学者、比較文学者。.

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大野公男

大野 公男(おおの きみお、1926年(大正15年)6月4日‐ 2017年(平成29年)7月24日)は、日本の化学者。理学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授・元北海道情報大学学長。東京都出身。父の大野龍太は元大蔵次官、弟の大野正男は弁護士で元最高裁判事、長男の大野英男は物理学者で東北大学教授。.

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大野達之助

大野 達之助(おおの たつのすけ、1910年 - 1984年5月10日)は、日本史学者、博士。駒澤大学教授。 東京生まれ。第一高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。1958年より駒澤大学文学部歴史学科教授。1971年「聖徳太子の仏教と政治に関する研究」で博士(文学、駒澤大学)。日本仏教史を専門とした。.

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大野龍太

大野 龍太(おおの りゅうた、1892年11月15日 - 1957年2月6日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官。.

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大野連治

大野 連治(おおの れんじ、1904年(明治37年)3月21日『新編日本の歴代知事』114頁。 - 1991年(平成3年)11月16日『現代物故者事典 1991〜1993』129頁。)は、日本の内務官僚。官選青森県知事。.

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大野正男

大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は日本の弁護士。最高裁判所裁判官。 東京府出身。小学生時代に父の大蔵次官大野龍太が帝人事件で逮捕され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。 第一高等学校 (旧制)を経て、1951年、東京大学法学部卒業。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件、西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当した。 1993年4月に最高裁判事に就任。 1997年9月に定年退官。.

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大野晋

大野 晋(おおの すすむ、1919年(大正8年)8月23日 - 2008年(平成20年)7月14日)は、日本の国語学者。文学博士。学習院大学名誉教授。.

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大逆事件

大逆事件(たいぎゃくじけん、だいぎゃくじけん)とは、1882年に施行された旧刑法116条、および大日本帝国憲法制定後の1908年に施行された刑法73条(1947年に削除)が規定していた、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪、いわゆる大逆罪が適用され、訴追された事件の総称。日本以外では皇帝や王に叛逆し、また謀叛を企てた犯罪を、大逆罪と呼ぶことがある。.

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大来佐武郎

大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年11月3日 – 1993年2月9日)は、日本の元官僚、エコノミスト。 第二次世界大戦後の日本を代表する国際派のエコノミストであり、外務大臣(第108代)や総合研究開発機構研究評議会議長を務めた。.

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大東流合気柔術

大東流合気柔術(だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ)は日本武術の一派、中興の祖とされる武田惣角により広められた。 陸奥会津藩の殿中武術を参考に編纂された武術とされている。 略称で合気柔術と呼ばれることが多い。.

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大村仁太郎

大村 仁太郎(おおむら じんたろう、文久3年(1863年)-明治40年(1907年)6月5日))は、明治期のドイツ語学者・教育者。.

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大森義太郎

大森 義太郎(おおもり よしたろう、明治31年(1898年)9月26日 - 昭和15年(1940年)7月28日)は日本のマルクス経済学者。筆名に成瀬光雄がある。.

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大森洪太

大森 洪太(おおもり こうた、1887年(明治20年)6月10日『大日本法曹大観』p.4 - 1946年(昭和21年)5月24日)は、日本の司法官僚、判事、検事。.

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大橋忠一

大橋 忠一(おおはし ちゅういち、1893年12月8日 – 1975年12月14日)は、昭和期の外交官・政治家。衆議院議員(3期)。カンボジア大使。.

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大橋武夫 (政治家)

大橋 武夫(おおはし たけお、1904年(明治37年)11月24日 – 1981年(昭和56年)10月3日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。自由民主党所属の衆議院議員。労働大臣、運輸大臣、警察予備隊担当大臣などを歴任。.

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大河原良雄

大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年2月5日 - 2018年3月29日)は、日本の外交官、外務省官僚。駐米大使、駐豪大使、世界平和研究所理事長などの重職を歴任した。東京帝国大学卒。紺綬褒章受章者。.

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大河内正敏

大河内 正敏(おおこうち まさとし、1878年(明治11年)12月6日 - 1952年(昭和27年)8月29日)は、物理学者であり実業家である。 東京府出身。子爵。理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。身長は180cmと長身だった。妻は大河内信古の娘で、婿養子となった。息子は大河内信定、大河内信敬。孫の一人に女優の河内桃子がいる。無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。.

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大泉黒石

大泉 黒石(おおいずみ こくせき、1893年(明治26年)10月21日/1894年(明治27年)7月27日 - 1957年(昭和32年)10月26日)は日本の作家、ロシア文学者。自称「国際的の居候」。アナキスト的思想を盛り込んだ小説『老子』『人間廃業』などのベストセラーがある。.

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大澤三之助

大澤 三之助(おおさわ さんのすけ、1867年7月22日(慶応3年6月21日) - 1945年(昭和20年)7月26日)は、日本の建築家。東京美術学校等で後進を指導した。.

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大木操

大木 操(おおき みさお、1891年10月19日 - 1981年8月13日)は、日本の官僚、政治家。日中戦争期から太平洋戦争末期までの戦時期において衆議院書記官長を務めた。その退任後は、貴族院議員となり、また、東京都副知事を務めた。.

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大成高等学校 (東京都)

大成高等学校(たいせいこうとうがっこう)は、東京都三鷹市上連雀六丁目にある私立高等学校。.

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天の血脈

『天の血脈』(てんのけつみゃく)は、安彦良和による日本の漫画である。『月刊アフタヌーン』(講談社)2012年3月号から2016年11月号まで連載された。単行本はアフタヌーンKC(講談社)より2016年10月までに全8巻が刊行された。 作者が過去に手がけた『虹色のトロツキー』や『王道の狗』とならび「安彦近代史3部作」と称される。.

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天野貞祐

天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年9月30日 - 1980年3月6日)は、大正・昭和期の日本の哲学者・教育者・文学博士。京都帝国大学名誉教授。甲南高等学校校長。第二次世界大戦後は第一高等学校校長・文部大臣(第3次吉田内閣)を務めた後に獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。文化功労者。武蔵野市名誉市民。.

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太宰施門

太宰 施門(だざい せもん、1889年4月1日 - 1974年1月11日)は、フランス文学者、京都大学文学部名誉教授。名前の読み方は「しもん」あるいは「よしかど」とされることもある。 岡山県倉敷市児島出身。東京帝国大学文学部卒。1919年第一高等学校教授在職中にフランス留学を命ぜられ、1920年出発、1921年京都帝国大学助教授に任ぜられ、1923年帰国し着任、京都帝大に仏文研究室を開設。1931年オノレ・ド・バルザック「人間喜劇」の研究で文学博士、論文の題は「ラ、コメヂ、ユメーヌの研究」。 1933年教授、17・19世紀の文学を研究、1949年定年退官。 歌舞伎にも造詣が深く著書もある。太宰治の筆名の由来とされることもあるがはっきりしない。.

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太刀川平治

太刀川 平治(たちかわ へいじ、1877年(明治10年)4月7日 - 1966年(昭和41年)2月15日)は、日本の逓信技官、電気技術者、電気工学者、工学博士。元東京電燈研究所所長、元東京電力顧問、元電気庁参与、電気学会名誉員。.

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太田一郎

太田 一郎(おおた いちろう、1924年5月27日 - )は、日本の経済学者、歌人、評論家。 東京四谷生まれ。3歳で父を失う。第一高等学校でいいだもも、中村稔らを知るが、1945年空襲で家を焼かれ、戦後肺結核を発病し清瀬療養所に入る。ここで結城昌治、福永武彦を知る。退院後1952年東京大学経済学部卒業、国民金融公庫に入る。かたわら吉行淳之介らと雑誌『世代』に短歌、評論を寄稿。国民金融公庫では調査部長、総務部長、理事を務め、1983年帝京大学経済学部教授。1995年定年。.

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太田圓三

太田 圓三 (おおた えんぞう、太田円三、1881年(明治14年)3月10日 - 1926年(大正15年)3月21日)は明治・大正期の土木技術者・鉄道技師。詩人・木下杢太郎の実兄。動物学者である太田嘉四夫の叔父。.

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太田政弘

太田 政弘(おおた まさひろ、1871年11月16日(明治4年10月4日) - 1951年(昭和26年)1月24日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監(第30代)、関東長官(第6代)、台湾総督(第14代)、貴族院議員。.

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外尾健一

外尾 健一(ほかお けんいち、1924年(大正13年) - )は、日本の法学者。専門は労働法。東北大学名誉教授・元東北学院大学教授。台湾・台北市出身.

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外国語学校 (明治初期)

外国語学校(がいこくごがっこう)は、1873年(明治6年)4月発布の「学制二編追加」により制度化された中等あるいは高等相当の教育機関である。.

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外満州

東北三省(濃い赤)、東四盟+旧熱河省(赤)、'''外満州'''(薄い赤、ロシア極東の一部) 外満州(外満洲、がいまんしゅう、Outer Manchuria)は、満州地域のうち、1858年のアイグン条約と1860年の北京条約で、清からロシア帝国に割譲された部分である。北満州(北満洲、きたまんしゅう)ともいい、中国では外東北、北鮮卑と呼ばれる。.

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奥田義人

奥田 義人(おくだ よしと/よしんど、ぎじん、万延元年6月14日(1860年7月31日)- 大正6年(1917年)8月21日)は、日本の農商務官僚、政治家、教育者。衆議院議員(当選2回)、貴族院議員(勅選)、第1次山本内閣で文部大臣兼司法大臣を歴任したほか、晩年には請われて東京市長も務めている。また中央大学の創設者の一人で、第2代学長。 鳥取県出身、幼名は留三郎『鳥取県郷土が誇る人物誌』167頁。法学博士。正四位、勲一等瑞宝章、勲一等旭日大綬章、男爵。贈 従二位(没次陞叙)。.

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奥田教久

奥田 教久(おくだ のりひさ、1919年2月1日 -2010年 )は、大日本帝国陸軍大尉。戦後は科学ジャーナリスト、エンジニアとして活動した朝日新聞社論説委員。科学技術庁原子力局長期計画専門部会総合文化会委員・核燃料分科会委員。後に朝日カルチャーセンター社長。1939年、第一高等学校、1942年、東京帝国大学工学部卒。陸軍第三期航空技術候補生出身。カトリック教徒。 朝日新聞社が他社に先駆けてネルソン法方式を採用する際の主幹を務め、コンピュータ製版化を達成。.

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奥野信太郎

奥野 信太郎(おくの しんたろう、1899年〈明治32年〉11月11日 - 1968年〈昭和43年〉1月15日)は、日本の中国文学者、随筆家。.

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奥野誠亮

奥野 誠亮(おくの せいすけ、1913年(大正2年)7月12日 - 2016年(平成28年)11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。「おくの せいりょう」と呼ばれることもある(有職読み)。浪速製氷冷蔵社長、奈良県議、御所町長を務めた奥野貞治の子。 奈良県御所市出身。みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会初代会長。平城遷都1300年記念事業協会特別顧問。奈良大学理事。.

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妹尾義郎

妹尾 義郎(せのお ぎろう、1889年(明治22年)12月16日 - 1961年(昭和36年)8月4日)は、仏教運動家。広島県比婆郡東城町生まれ。 「私有なき共同社会」を提唱、仏教者の立場から資本主義を批判した。.

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学制改革

学制改革(がくせいかいかく)とは、学校の制度、特に学校の種別体系を改革することである。日本では、第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、1946年(昭和21年)3月5日と7日の第一次アメリカ教育使節団の調査結果によりアメリカ教育使節団報告書に基づいた教育課程の大規模な改編のことを指す。.

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学習院大学硬式野球部

学習院大学硬式野球部(がくしゅういんだいがくこうしきやきゅうぶ、Gakushuin University Baseball Club)は、東都大学野球連盟に所属する大学野球チーム。学習院大学の学生によって構成されている。 東都大学野球連盟での優勝回数は、2006年秋季終了時点で1部が1回、2部で4回、3部で7回、4部が6回となっている。.

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学生帽

日本の学校で一般的な形の学生帽(鹿児島県立甲南高等学校の制帽) 学生帽(がくせいぼう)とは、学校に在籍する児童、生徒、学生が被る帽子で、通常は男子用のものを指す。省略形は学帽。その学校で定められている形式を意味する場合には制帽とも呼ばれる。なお、現代の小学生が通学などの際にかぶる黄色い帽子は、通学帽と呼ばれる。.

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学生野球

学生野球(がくせいやきゅう)とは、その国における大学、高等学校およびそれら準ずる学校法人組織に所属する野球部が主体となって行われる野球競技の一般呼称である。日本において狭義の意味で大学野球のことを示すことが多いが、日本国内の一般的な扱いは運営組織の構成上の関係から、大学野球と高校野球を合わせたものをこう呼んでいる。.

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学生時代 (小説)

学生時代(がくせいじだい)は、久米正雄の初期短編集。 作家・久米正雄の第二短編集で、久米の第一高等学校および東京帝国大学時代のことなどを題材にした「競漕」「受験生の手記」「母」「艶書」「選任」「文学会」「鉄拳制裁」「嫌疑」「復讐」「密告者」「求婚者の話」を収め、1918年に新潮社より刊行された。 戦後はこれらに「万年大学生」を加え、新潮文庫、角川文庫、旺文社文庫、から刊行されたものが読み継がれている。 「(青空文庫 以下同じ)」は、受験と恋に破れて自殺する青年を描いたもので、短編集中の代表的作品。 「」は帝大競艇部のレースに久米が参加した経験を描き、夏目漱石に称賛された。 「母」は芥川龍之介の「」と同様に、一高在学中の校長新渡戸稲造をモデルにしたもの。.

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学校に関する日本初の一覧

学校に関する日本初の一覧(がっこうにかんするにほんはつのいちらん)は、日本の学校に関する日本初の事物の一覧である。.

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学校騒動

学校騒動(がっこうそうどう)とは学校における騒動・紛争である。学校紛擾とも言う。.

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学校法人根津育英会武蔵学園

学校法人根津育英会武蔵学園(がっこうほうじんねづいくえいかいむさしがくえん)は、東京都練馬区に本部を置く学校法人。 自ら略して武蔵学園と自称することもあるが、「学校法人武蔵学園」という名称の法人は他に複数ある。.

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学歴貴族

学歴貴族(がくれききぞく)とは、近代日本において、特定の学歴で一目をおかれ、貴族称号のように機能していることを比喩した言葉である。戦前においては旧制高等学校出身者がその典型であった。.

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実吉雅郎

実吉 雅郎(さねよし まさお、1893年(明治26年) - 1967年(昭和42年)9月4日)は東京都出身の実業家。日揮の創業者。実父は実吉安純、岳父は島徳蔵、野田卯一とは義理の兄弟にあたる。.

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宝蔵院流高田派

宝蔵院流高田派(ほうぞういんりゅうたかだは)とは、高田吉次(高田又兵衛)の系統の宝蔵院流槍術。.

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宮城長五郎

宮城 長五郎(みやぎ ちょうごろう、1878年9月5日 - 1942年6月25日)は、明治から昭和にかけての裁判官、検察官、政治家。司法大臣、貴族院議員。旧少年法および矯正院法(少年院法の前身)の成立に尽力した人物として名高い。.

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宮古啓三郎

宮古 啓三郎(みやこ けいざぶろう、慶応2年4月8日(1866年5月22日) - 昭和15年(1940年)4月9日)は、日本の衆議院議員(壬寅会→立憲政友会)、弁護士。.

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宮尾舜治

宮尾 舜治(みやお しゅんじ、1868年2月1日(慶応4年1月8日) - 1937年(昭和12年)4月3日『日本近現代人物履歴事典』505頁。)は、日本の官僚、外地行政官、政治家。官選県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。新潟県出身。.

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宮島幹之助

宮島 幹之助(みやじま みきのすけ(かんのすけとも読む)、明治5年8月12日(1872年9月14日) - 昭和19年(1944年)12月11日)は、寄生虫学者。正字表記は宮嶋幹之助。.

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宮崎一

宮崎 一(みやざき はじめ、1886年(明治19年)11月21日 – 1951年(昭和26年)10月10日)は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。.

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宮崎謙太

宮崎 謙太(みやざき けんた、1899年(明治32年)10月『人事興信録』第14版 下、ミ85頁。 - 1959年(昭和34年))は、日本の内務・文部官僚。官選佐賀県知事。.

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宮崎龍介

宮崎 龍介(みやざき りゅうすけ、1892年(明治25年)11月2日 - 1971年(昭和46年)1月23日)は、大正・昭和期の編集者・弁護士・社会運動家。孫文の盟友の宮崎滔天の長男。母は前田案山子の三女・槌子。有夫であった歌人・柳原白蓮と駆け落ちした白蓮事件で知られる。竜介とも。.

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宮入慶之助

宮入 慶之助(みやいり けいのすけ、慶応元年5月15日(1865年6月8日) - 1946年4月6日)は日本の寄生虫学者、衛生学者。九州帝国大学教授。.

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宮田為益

宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月『新編日本の歴代知事』130頁。 - 1955年(昭和30年)7月2日)は、日本の内務・厚生官僚。官選岩手県知事。.

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宮脇倫

宮脇 倫(みやわき りん / ひとし、1904年(明治37年)3月5日『新編日本の歴代知事』325頁。 - 1963年(昭和38年)3月28日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』1216頁。)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選埼玉県知事。.

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宮脇梅吉

宮脇 梅吉(みやわき うめきち、1883年(明治16年)9月12日 - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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宮村才一郎

宮村 才一郎(みやむら さいいちろう、1893年(明治26年)6月『人事興信録』第14版 下、ミ102頁。 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。官選県知事。旧姓・大島。.

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宮澤俊義

宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。.

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宮木高明

宮木 高明(みやき たかあき、1911年1月30日-1974年1月9日)は、薬学者。.

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守山恒太郎

守山 恒太郎(もりやま つねたろう、1880年4月27日 - 1912年2月12日)は、東京都出身の野球選手。.

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守屋美賀雄

守屋 美賀雄(もりや みかお、1906年3月 - 1982年10月18日)は、日本の数学者。高木貞治門下の一人。専攻は整数論。父親は守屋荒美雄(すさびお)で、帝国書院、関東第一高等学校、吉祥女子中学校・高等学校の創立者。洗礼名は「ミカエル」。理学博士。1949年から始まったイールズ声明(1949年占領軍総司令部民間情報部最高教育顧問官イールズが全国の大学をまわって、講演の中で共産主義者を大学から追放すべきだと主張していた)では、1949年5月15日に北海道大学でイールズの講演に対し、カトリック信者として真っ向から反対している。.

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守島伍郎

守島 伍郎(もりしま ごろう、1891年5月23日 - 1970年6月4日)は、日本の外交官、政治家。衆議院議員。.

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守随憲治

守随 憲治(しゅずい けんじ、1899年3月10日 - 1983年2月7日)は、近世日本文学研究者、東京大学教養学部・実践女子大学名誉教授。 東京府東京市本所区小梅町(現在の東京都墨田区向島)生まれ。第一高等学校を経て、1923年東京帝国大学国文科卒、25年第一高等学校教授、37年東京帝大文学部助教授、45年文学博士、49年東京大学教養学部教授、59年退官し名誉教授、実践女子大学教授、1961年同大学および短大学長。1971年に再び学長を務める。74年関東短期大学学長。76年関東学園大学学長。浄瑠璃、歌舞伎など近世劇文学の研究を行い、著作集全6巻がある。特に『役者論語』の注解で高い評価を受けた。.

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官僚たちの夏

『官僚たちの夏』(かんりょうたちのなつ)は、城山三郎による日本の小説。『週刊朝日』に『通産官僚たちの夏』のタイトルで連載された後、1975年に新潮社より改題単行本化された。異色の官僚と言われた佐橋滋をモデルに、高度経済成長を推進した通産官僚たちの姿を描く。 本作は2回テレビドラマ化されており、1996年1月にNHKの『土曜ドラマ』枠で、2009年7月から同年9月までTBSの『日曜劇場』枠で放送された。.

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宗左近

宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。本名は古賀 照一(こが てるいち)。法政大学名誉教授。 文芸誌『同時代』同人。.

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宗兵蔵

宗 兵蔵(そう ひょうぞう、1864年3月29日 - 1944年1月30日)は、関西を中心に多くの建築物の設計を手がけた建築家。関西建築界の重鎮として活躍した。.

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宇佐美勝夫

宇佐美 勝夫(うさみ かつお、1869年6月21日(明治2年5月12日) - 1942年(昭和17年)12月26日)は、日本の内務官僚、政治家。幼名は慎平。富山県知事、東京府知事、貴族院議員などを歴任した。 山形県士族宇佐美駿太郎の弟。.

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宇野利雄

宇野 利雄(うの としお、1902年4月8日 - 1998年11月29日)は、日本の数学者。.

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宇野精一

宇野 精一(うの せいいち、1910年〈明治43年〉12月5日 - 2008年〈平成20年〉1月7日)は、日本の儒学者、国語学者。東京大学名誉教授、尚絅大学名誉学長。國語問題協議會名誉会長、斯文会理事長。日本会議顧問。 父は儒学者の宇野哲人(東方学会初代理事長ほか)。長男宇野茂彦は中国文学者で中央大学教授。.

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宇沢弘文

宇沢(宇澤) 弘文(うざわ ひろふみ、1928年(昭和3年)7月21日 - 2014年(平成26年)9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。東京大学名誉教授。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。従三位。 1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章、2009年ブループラネット賞。Econometric SocietyのFellow(終身)。1976年から1977年までEconometric Society会長。 浅子和美、吉川洋、小川喜弘、清滝信宏、松島斉、宮川努、小島寛之、岩井克人らは東大時代、宇沢ゼミ出身。デイヴィッド・キャス、カール・シェル、ミゲル・シドロスキーらは博士課程指導学生。ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・アカロフらは、シカゴ大学時代、宇沢の授業を受けたことがある。数学者の宇澤達は長男。 経済学者の田中秀臣は宇沢が生前ノーベル経済学賞受賞候補であったと推測している。.

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安岡正光

安岡 正光(やすおか まさみつ、1896年(明治29年)2月15日 - 1962年(昭和37年)4月20日『山梨百科事典』増補改訂版、943-944頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選山梨県知事。.

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安岡正篤

安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。.

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安川第五郎

安川 第五郎(やすかわ だいごろう、1886年(明治19年)6月2日 - 1976年(昭和51年)6月25日)は、日本の実業家。安川電機社長、九州電力会長、日本原子力発電初代社長、日本原子力研究所初代理事長、日本原子力産業会議会長、1964年東京オリンピック組織委員会会長。.

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安井英二

安井 英二(やすい えいじ、1890年9月18日 - 1982年1月9日)は、日本の内務官僚・政治家。岡山県知事・大阪府知事・文部大臣(第1次近衛内閣)・内務大臣兼厚生大臣(第2次近衛内閣)・神祇院総裁・貴族院議員などを歴任する。.

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安倍能成

安倍 能成(あべ よししげ、1883年(明治16年)12月23日 - 1966年(昭和41年)6月7日)は、日本の哲学者、教育者、政治家。法政大学教授、京城帝国大学教授、第一高等学校校長、貴族院勅選議員、文部大臣、貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長を歴任し、学習院院長などを務めた。.

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安積得也

安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17日『新編日本の歴代知事』275頁。 - 1994年(平成6年)7月27日『朝日新聞』1994年7月30日朝刊の訃報より。)は、日本の内務官僚、社会評論家、詩人。官選県知事。.

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安田巌

安田 巌(やすだ いわお、1910年3月31日 -1996年8月24日)は、広島県広島市出身の官僚、教育者。厚生事務次官、医療金融公庫総裁、安田学園理事長を歴任した。 広島の私学・安田学園創立者・安田リヨウの長男。戦後の1949年、厚生省保険局長に就任。戦時及び戦後の混乱で乱雑となった厚生年金台帳の整理に尽力し、また海外視察の経験を基にして台帳整理の機械化導入を指示した。1959年には厚生事務次官に就任。1960年、医療金融公庫総裁となる。退官後の1978年、母リヨウ死去に伴い安田学園理事長に就任。1996年、広島市内の病院で死去。享年86。.

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安田篤 (植物学者)

安田 篤(やすだ あつし、1868年9月8日 - 1924年5月12日)は、日本の菌類学者である。.

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安藤広近

安藤 広近(あんどう ひろちか、天保6年7月16日〈1835年8月10日〉 - 没年不明)とは、江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師、日本画家。.

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安良城盛昭

安良城 盛昭(あらき もりあき、1927年5月10日-1993年4月12日)は、昭和期の歴史学者。沖縄大学学長などを歴任する。.

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安良岡康作

安良岡 康作(やすらおか こうさく、1917年9月14日 - 2001年10月1日)は、日本の国文学者。東京学芸大学名誉教授。日本中世文学、国語教育専攻。.

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寮歌

寮歌(りょうか).

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寮歌の一覧

寮歌の一覧(りょうかのいちらん) 本項では、旧制高等教育機関の代表的な寮歌を学校別に列挙する。太字は各学校で最も代表的な寮歌。寮歌は判明しているだけで 2,500曲以上はあると考えられており、ここに挙げたものはごく一部である。.

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寺崎英成

寺崎 英成(てらさき ひでなり、1900年12月21日 - 1951年8月21日)は、日本の外交官、元・宮内省御用掛。.

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寺石正路

寺石 正路(てらいし まさみち、1868年10月17日(慶應4年9月2日) - 1949年(昭和24年)12月23日)は、高知県の郷土史家。考古学者。作家。.

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寺田和夫

寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。兄は文芸評論家・フランス文学者の寺田透。.

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寺田勇吉

寺田 勇吉(てらだ ゆうきち、1853年7月17日(嘉永6年6月12日) - 1921年(大正10年)10月11日)は明治時代から大正時代にかけての日本の文部官僚、教育者。 東京高等商業学校(一橋大学の前身)、日本橋高等女学校(日本橋女学館高等学校の前身)校長、日本体育会体操学校(日本体育大学の前身)女子部長、九段精華高等女学校長を歴任した。.

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寺田透

寺田 透(てらだ とおる、1915年(大正4年)3月16日 - 1995年(平成7年)12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。.

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寺阪英孝

寺阪 英孝(てらさか ひでたか、1904年1月27日 - 1996年4月3日)は日本の数学者。専攻は幾何学。大阪大学名誉教授、理学博士(1938年)。正四位勲二等瑞宝章。 幾何学基礎論の研究者。また、1957年以来、結び目理論の研究をおこなっている。趣味は、絵画鑑賞と植物を育て賞でること。.

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寺沢寛一

寺沢 寛一(てらざわ かんいち、1882年7月15日 - 1969年2月5日)は、日本の理論物理学者・数学者。日本学士院会員、東京帝国大学名誉教授、東京帝国大学総長事務取扱、理学部長、高等逓信講習所所長、千葉工業大学学長、電気通信大学学長などを歴任。多年にわたり東京帝国大学理学部物理学教室の運営に力があった。著書「自然科学者のための数学概論」は応用数学の名著として名高い。.

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富安風生

富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、愛知県出身の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。.

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富田勇太郎

富田 勇太郎(とみた ゆうたろう、1883年8月12日 - 1946年2月24日)は、日本の官僚、銀行家。大蔵省理財局長、満州興業銀行初代総裁。.

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富永太郎

富永 太郎(とみなが たろう、1901年(明治34年)5月4日 - 1925年(大正14年)11月12日)は、日本の詩人、画家、翻訳家である。.

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小原直

小原 直(おはら なおし、1877年(明治10年)1月24日 - 1967年(昭和42年)9月8日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。岡田内閣、阿部内閣、第5次吉田内閣で司法大臣・法務大臣などの閣僚を務める。新潟県長岡市出身。.

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小原新三

小原 新三(おはら しんぞう、1873年(明治6年)3月13日『新編日本の歴代知事』740頁。 - 1953年(昭和28年)6月27日『和歌山県史 人物』101-102頁。)は、日本の内務・朝鮮総督府官僚。官選県知事、錦鶏間祗候。俳号・烏兎(うと)。.

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小坂狷二

小坂 狷二(おさか けんじ、1888年6月28日 東京市 - 1969年8月1日 東京都)は、日本の鉄道車両工学の専門家、エスペランティストであり、日本のエスペラント運動の父とも称される。エスペラント著作ではKenĵi OSSAKAと自署した。 子に火山学者で東京工業大学名誉教授の小坂丈予(おさかじょうよ,エスペラント単語のĝojo(喜び)に由来する名)がいる..

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小堀鞆音

小堀 鞆音(こぼり ともと、文久4年2月19日(1864年3月26日) - 昭和6年(1931年)10月1日)は、日本画家、故実家。東京美術学校助教授、文展審査員、帝室技芸員などを務めた。.

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小宮豊隆

小宮 豊隆(こみや とよたか、1884年(明治17年)3月7日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は日本の独文学者、文芸評論家、演劇評論家、日本学士院会員。 夏目漱石の門下生として、大正6年に始まる『漱石全集』編纂に長く関わり、伝記等多くの優れた著作を残した。他方、漱石を崇拝する余り神格視することが多いとして、「漱石神社の神主」と揶揄されることが戦後の一時期にあった。 漱石の『三四郎』のモデルとしても知られる。俳号の逢里雨(ほうりう)は、豊隆の音読み(ほうりゅう)に別の字を宛てたもの。子に同じく独文学者の小宮曠三がいる。.

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小山内薫

小山内 薫(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。日本の演劇界の革新にその半生を捧げた。.

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小山昇 (法学者)

小山 昇(こやま のぼる、1917年8月1日 - 2015年10月22日)は、日本の法学者。北海道大学名誉教授及び北海学園大学名誉教授。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「訴訟物論」)。専門は、民事訴訟法を含む民事系手続法全般。北京生まれ。.

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小岩井浄

小岩井 浄(こいわい きよし、1897年(明治30年)6月9日 ‐ 1959年(昭和34年)2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士。愛知大学第3代学長。.

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小島徹三

小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(10期)。弁護士。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。.

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小島信夫

小島 信夫(こじま のぶお、1915年(大正4年)2月28日 - 2006年(平成18年)10月26日)は、日本の小説家・評論家。.

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小島源三郎

小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年(明治7年)11月15日『人事興信録』第4版、こ34頁。 - 1934年(昭和9年)5月19日『日本人名大辞典』755頁。)は、日本の内務官僚、弁護士。官選秋田県知事、静岡市長。.

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小川三知

小川 三知(おがわ さんち、1867年7月1日(慶応3年5月29日)- 1928年(昭和3年)10月24日)は大正から昭和初めに活躍したステンドグラスの工芸家。 橋本雅邦に学んだ高い日本画の素養と、アメリカで修行して身に付けた複雑な色調を生み出すガラス技法で、アール・ヌーヴォー、アール・デコ風でありながらどこか日本情緒を感じさせる作品を生み出し、日本初のステンドグラス作家といえる存在である。.

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小川平吉

小川 平吉(おがわ へいきち、1870年1月2日(明治2年12月1日) - 1942年(昭和17年)2月5日)は、日本の政治家、弁護士。号は射山。東京府平民『人事興信録.

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小川亮

小川 亮(おがわ まこと、1924年5月12日 - )は、元山口県徳山市(現・周南市)市長、元岡山県副知事。.

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小川琢治

小川 琢治(おがわ たくじ、明治3年5月28日(1870年6月26日) - 1941年11月15日)は、日本の地質学者、地理学者。和歌山県田辺市出身。.

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小川郷太郎

小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1876年(明治9年)6月9日 - 1945年(昭和20年)4月1日)は、大正・昭和期の日本の財政学者、政治家。京都帝国大学教授、拓殖大学学監、衆議院議員、商工大臣、鉄道大臣などを歴任。従三位勲一等法学博士。.

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小川晃一

小川 晃一(おがわ こういち、1927年 - )は、日本の政治学者。法学博士。北海道大学名誉教授。北海道における欧米政治思想史研究の第一人者。群馬県館林市生まれ.

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小平邦彦

小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者。.

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小平権一

小平 権一(こだいら ごんいち、古い文書では「權一」。1884年1月6日 - 1976年8月1日)は、日本の衆議院議員、農林官僚。.

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小平浪平

小平 浪平(おだいら なみへい、1874年1月15日 - 1951年10月5日)は、日本の技術者・実業家で、株式会社日立製作所の創業者である。 東京帝国大学工科大学電気工学科(現東京大学工学部)を卒業し、日立製作所取締役社長や同社の専務取締役などを歴任した。 1910年には、国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成させた。.

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小出満二

小出 満二(こいで みつじ/まんじ、1879年8月13日 - 1955年5月29日)は、農政学者。 兵庫県養父郡伊佐村生まれ。第一高等学校卒、1906年東京帝国大学農科大学卒、同助手、1910年鹿児島高等農林学校要員としてドイツ、英国へ留学、13年米国をへて帰国、14年鹿児島高等農林学校教授、1918-20年シドニー大学交換教授。21年文部省督学官、1928年九州帝国大学農学部教授、1936年鹿児島高等農林学校校長を兼ねる。1938年東京高等農林学校(現東京農工大学)校長。45年定年退官、東京高等農林学校名誉教授。1945年正三位、没後勲二等旭日重光章受勲。吉村証子は六女。.

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小倉謙 (警察官僚)

小倉 謙(おぐら けん、1911年4月21日 - 1977年7月23日)は、日本の内務・警察官僚。第64代警視総監。.

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小矢部市立蟹谷小学校

小矢部市立蟹谷小学校 (おやべしりつ かんだしょうがっこう)は富山県小矢部市にある公立小学校。.

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小粥正巳

小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の元大蔵官僚。過去に、大蔵事務次官、内閣総理大臣秘書官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。.

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小田常胤

小田 常胤(おだ つねたね、1892年3月10日 - 1955年2月11日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 立ち技を中心にして隆盛を極めた大正・昭和期の講道館にあって、それまでの古流柔術等を更に発展させた“常胤流”と呼ばれる独自の寝技技術を構築、旧制第二高校や旧制第四高校を指導して高専柔道の発展に大きく貢献し、寝技の大家と知られた。 なお、名の正確な読みは“つねたね”だが、文献によっては“じょういん”とも記されており、海外でもそちらの名がよく通っている。.

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小田切磐太郎

小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日(1869年11月6日) - 1945年(昭和20年)9月22日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』112頁。)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士、実業家。官選県知事、衆議院議員。.

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小田省吾

小田 省吾(おだ しょうご、1871年5月2日 - 1953年12月12日)は、日本の歴史学者。専門は朝鮮史。.

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小田村寅二郎

小田村 寅二郎(おだむら とらじろう、大正3年(1914年)3月2日 - 平成11年(1999年)6月4日)は、日本の学者。公益社団法人国民文化研究会理事長。亜細亜大学教授。.

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小畑忠良

小畑 忠良(おばた ただよし、1893年(明治26年)3月16日 - 1977年(昭和52年)10月11日)は、日本の実業家、官僚、弁護士。大政翼賛会事務総長、愛知県知事。.

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小菅芳太郎

小菅 芳太郎(こすげ よしたろう、1931年 - )日本の法学者。ローマ法・西洋法制史の研究者。北海道大学名誉教授・元日本大学教授。東京都出身。.

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小高敏郎

小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。  .

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小野塚喜平次

小野塚 喜平次(おのづか きへいじ、1871年2月10日(明治3年12月21日) - 1944年(昭和19年)11月27日)日本初の政治学者の一人とされる。東京帝国大学総長。.

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小野哲

小野 哲(おの あきら、1900年(明治33年)4月 - 1978年(昭和53年)9月21日)は、日本の鉄道官僚、政治家。官選千葉県知事、参議院議員。.

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小野義一

小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。.

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小野義彦

小野 義彦(おの よしひこ、1914年 - 1990年)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。 仙台第二中学校から第一高等学校へ進んだが、1933年に左翼活動のため中退。後に大阪商科大学を卒業し、同助教授となるが左翼活動のため入獄。戦後、大阪市立大学教授。1969年、「戦後日本資本主義論」で大阪市大より経済学博士号を取得。1978年、大阪市大を定年退官してからは、岐阜経済大学教授を務めた。マルクス主義の立場から資本主義批判をおこなった。.

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小野清一郎

小野 清一郎(おの せいいちろう、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)3月9日)は、日本の法学者、弁護士。専門は刑法、刑事訴訟法、法哲学。学位は法学博士。東京大学名誉教授、法務省特別顧問。日本学士院会員、勲一等瑞宝章・文化勲章受章者。岩手県盛岡市出身。盛岡小野組の一族である。 仏教の影響を受け、客観主義の法哲学・刑法理論を展開し、大場茂馬以来の後期旧派理論を継承する。戦後の刑法学会に多大な影響を与えた。東京裁判では海軍側被告人の弁護人をつとめた。親鸞に造詣の深い仏教研究者でもあった。.

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小金義照

小金 義照(こがね よしてる、1898年2月28日 – 1984年2月11日)は、日本の政治家・官僚。郵政大臣。.

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小柳篤二

小柳 篤二(おやなぎ とくじ、1883年(明治16年)8月1日 - 1985年(昭和60年)12月23日)は、日本のドイツ文学者。元東京高等学校独語主任教授、日出学園名誉園長。.

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小柳牧衛

小柳 牧衛(こやなぎ まきえ、1884年7月13日 - 1981年12月21日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、新潟市長、衆議院議員、参議院議員。幼名・畋之助。.

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小柴昌俊

小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年(大正15年)9月19日 - )は、日本の物理学者・天文学者。1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功したことにより、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。日本学士院会員。 学位は、ロチェスター大学Ph.D.、東京大学理学博士。称号は日本学術会議栄誉会員、東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授、明治大学名誉博士、東京都名誉都民、杉並区名誉区民、横須賀市名誉市民、杉並区立桃井第五小学校名誉校長。勲等は勲一等旭日大綬章、文化勲章受章。.

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小林千秋

小林 千秋(こばやし ちあき、1900年(明治33年)11月『新編日本の歴代知事』748頁。 - 1949年(昭和24年)7月『和歌山県史 人物』190-191頁。)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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小林好日

小林 好日(こばやし よしはる、1886年8月19日 - 1948年2月11日)は、日本の国語学者。.

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小林存

小林 存(こばやし ながろう、1877年(明治10年)6月6日 - 1961年(昭和36年)3月10日)は、日本のジャーナリスト、民俗学研究家、歌人、俳人。名は「ぞん」とも読む。号は粲楼(さんろう)、粲楼学人、烏啼(うてい)。新潟県中蒲原郡横越村(現・新潟市江南区)出身。.

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小林巳智次

小林 巳智次(こばやし みちじ、明治26年(1893年)11月15日 - 1977年1月17日)は、日本の法学者。農学博士。専門は民法、産業法、農業法。特に、入会権、永小作権、農林に関する法律を研究。.

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小林利蔵

小林 利蔵(こばやし としぞう、1912年 - 1973年)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは一塁手、二塁手、三塁手。.

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小林光政

小林 光政(こばやし みつまさ、1892年(明治25年)1月13日『新編日本の歴代知事』110頁。 - 1962年(昭和37年)7月9日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、読売新聞社専務取締役。.

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小林秀雄 (批評家)

小林 秀雄(こばやし ひでお、1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日)は、日本の文芸評論家、編集者、作家。.

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小林登

小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - )は、日本の医学者、小児科医。東京大学医学部名誉教授、国立小児病院名誉院長、医学博士。.

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小林恭二

小林 恭二(こばやし きょうじ、1957年11月9日 - )は 日本の小説家、俳人。メタ・フィクション的なユーモアに富んだ作風で知られる。専修大学文学部教授。.

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小林愛雄

小林 愛雄(こばやし あいゆう、家族・友人間の親称 ちかお、1881年11月30日 - 1945年10月1日)は、日本の詩人、作詞家、翻訳家である。日本で初めてオペラの創立に尽力したことで知られる。元早稲田実業学校校長。.

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小村欣一

小村 欣一(こむら きんいち、1883年(明治16年)5月13日 - 1930年(昭和5年)12月29日)は、大正・昭和初期の外交官、貴族院議員、華族(侯爵)。.

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小栗一雄

小栗 一雄(おぐり かずお、1886年7月8日 - 1973年1月20日)は、日本の内務官僚。県知事、警視総監。.

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小栗貞雄

小栗 貞雄(おぐり さだお、1861年12月29日(文久元年11月28日) - 1935年(昭和10年)3月16日)は、明治期の製薬実業家、政治家。.

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小正裕佳子

小正 裕佳子(こまさ ゆかこ、1983年5月17日 - )は、日本の疫学者(修士(保健学))、獨協医科大学特任講師、ニュースキャスター。元NHKアナウンサー。.

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小池欣一

小池 欣一(こいけ きんいち 1919年4月14日- 2008年7月4日)は、日本の官僚。元内閣官房副長官(事務担当)。従三位勲一等。東京府出身。.

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小池正晁

小池 正晁(こいけ まさあき、明治17年(1884年)2月23日 - 昭和16年(1941年)6月18日)は、日本陸軍の軍人。貴族院議員・陸軍軍医総監・正三位・勲二等・医学博士・男爵。男爵・小池正直の長男。東京市小石川(現・東京都文京区小石川)出身。.

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小沢久太郎

小沢 久太郎(おざわ きゅうたろう、1900年12月19日 - 1967年9月18日)は、昭和期の内務官僚・参議院議員・郵政大臣。.

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小浜八弥

小浜 八弥(おばま はちや、1891年(明治24年)12月8日 - 1973年(昭和48年)4月6日『日本近現代人物履歴事典』139-140頁。)は、日本の農林官僚。官選静岡県知事、農林次官。旧姓・稲富。.

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尾崎勇次郎

尾崎 勇次郎(おざき ゆうじろう、1873年(明治6年)3月1日『愛媛県史 人物』110頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。旧姓・片山。.

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尾崎秀実

尾崎 秀実(おざき ほつみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1944年(昭和19年)11月7日)は日本の評論家・ジャーナリスト・共産主義者。朝日新聞社記者、内閣嘱託、満鉄調査部嘱託職員を務める。 近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。 共産主義者であり、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し、最終的にゾルゲ事件として1941年(昭和16年)発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。 共産主義者としての活動は同僚はもちろん妻にさえ隠し、自称「もっとも忠実にして実践的な共産主義者」として、逮捕されるまで正体が知られることはなかった。.

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尾崎紅葉

尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日(慶応3年12月16日) - 1903年(明治36年)10月30日)は、日本の小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持つ。江戸生まれ。帝国大学国文科中退。 1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称され(紅露時代)明治期の文壇の重きをなした。1897年(明治30年)から『金色夜叉』を書いたが、未完のまま没した。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生がいる。 俳人としても角田竹冷らとともに、秋声会を興し正岡子規と並んで新派と称された。.

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尾崎放哉

放哉の碑「こんなよい月をひとりで見て寝る」(神戸市・須磨寺大師堂) 尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。「層雲」の荻原井泉水に師事。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。鳥取県鳥取市出身。.

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尾上柴舟

尾上 柴舟(おのえ さいしゅう/しばふね 1876年(明治9年)8月20日 - 1957年(昭和32年)1月13日)は、日本の詩人、歌人、書家、国文学者。.

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尾高朝雄

尾高 朝雄(おたか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者。専門は法哲学。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。.

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山口健二

山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。.

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山口大学

山口大学に入学した7学部の全ての1年生は最初に大学の共通教育を学ぶために、共通教育棟がある吉田キャンパスに通うことになっている。そして2年生以降は専門教育を学ぶために各学部のあるキャンパスに通学することになっている。また山口大学に通学している全ての学生に対してICチップが内蔵された写真付きの学生証を発行しており、身分証明書としての役割を果たすとともに、プリペイドカード(およびミールカード)としてお金をチャージすることによって学生食堂や売店で使用することができる(使用可能店舗は確認できるところで第1学生食堂ボーノ、学生生協ショップヴェルデのみ)。さらに各講義に出席する際には、学生証を各教室に設置されてあるIC受信装置に通すことによって出欠を確認する出欠確認システムを導入しており、学生は各キャンパス内でのみ出欠をインターネットで確認することができる。このシステムは現在主に共通教育棟で学んでいる学生に使用されている(ただしそのシステムの確認を学生がする際には、キャンパス内からインターネットの接続をしなければならない)。また学生はインターネットを使った修学支援システムを使って、講義の履修登録および修正、成績の確認、講義のシラバスを確認することができる(このため紙のシラバスは廃止されることになった)。対外的には、「学び」の楽しさを見つけることを目的とする大学情報誌「Academi-Q(アカデミック)」を配布している。 山口大学はTOEICの点数を卒業要件に定めている。.

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山口好一

山口 好一(やまぐち こういち、1903年11月 - 1969年3月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。弁護士。.

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山口光秀

山口 光秀(やまぐち みつひで、1927年9月16日 - 2004年7月26日)は、日本の官僚。元大蔵事務次官、元東京証券取引所理事長。従三位勲一等瑞宝章。.

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山口熊野

山口 熊野(やまぐち ゆや、元治元年11月11日(1864年12月9日) - 昭和25年(1950年)6月24日)は、日本の実業家、政治家。紀勢本線敷設の功労者。.

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山口高等学校 (旧制)

旧制山口高等学校(きゅうせいやまぐちこうとうがっこう)は、山口県吉敷郡山口町(現山口市)に設立された官立旧制高等学校。 1886年(明治19年)11月に、第一(東京)、第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校(後に高等学校)として山口市亀山地区に設立されたものと、1919年(大正8年)に山口市糸米地区に設立されたものがある。略称はともに「山高」(やまこう)であり、特に区別する場合は前者を「旧旧山高」、後者を「再興(旧制)山高」と称する。.

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山口鋭之助

山口 鋭之助(やまぐち えいのすけ、1862年3月9日(文久2年2月9日) - 1945年(昭和20年)3月4日)は明治時代から大正時代にかけての日本の物理学者、官僚。理学博士。.

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山口政二

山口 政二(やまぐち まさじ、1887年(明治20年)8月6日 - 1927年(昭和2年)2月23日)は、衆議院議員、弁護士。.

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山宮允

山宮 允(さんぐう まこと、1890年4月19日 - 1967年1月22日)は、日本の詩人、英文学者。 山形県出身。山形県立荘内中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)、第一高等学校から1915年東京帝国大学英文科卒。1914年在学中に中心となって第三次『新思潮』を創刊、ほかに豊島与志雄、山本有三、井出説太郎(土屋文明)、柳川隆之介(芥川龍之介)、草田杜太郎(菊池寛)、成瀬正一、久米正雄、佐野文夫、松岡譲がいた。1917年川路柳虹らと詩話会を結成、1918年評論集『詩文研究』を上梓する。第六高等学校教授、東京府立高等学校教授、法政大学教授を務めた。ウィリアム・バトラー・イェーツやウィリアム・ブレイクの翻訳紹介を行った。1951年1月、母校である山形県立鶴岡南高等学校の校歌の作詞をする。.

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山岡国利

山岡 国利(やまおか くにとし、1882年(明治15年)2月『新編日本の歴代知事』1088頁。 - 1945年(昭和20年)3月25日)は、日本の内務・農商務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・奥、旧名・堅次。.

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山崎元幹

山崎 元幹(やまざき もとき、1889年(明治22年)7月7日 - 1971年(昭和46年)1月24日)は昭和期の実業家。南満洲鉄道株式会社(満鉄)最後の総裁としてその終戦処理をおこなった。.

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山崎猛 (政治家)

山崎 猛(やまざき たけし、1886年(明治19年)6月15日 - 1957年(昭和32年)12月27日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第38代)・運輸大臣などを務めた。.

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山崎直方

山崎 直方(やまさき なおまさ、明治3年3月10日(1870年4月10日) - 昭和4年(1929年)7月26日)は、日本の地理学者。高知県生まれ。日本の近代期の地理学の功労者で、しばしば「日本近代地理学の父」として称えられている。専門は地形学であるが、人文地理学でも功績がある。.

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山崎正董

山崎 正董(やまさき まさただ、明治5年5月11日(1872年6月16日) - 昭和25年(1950年)5月29日)は日本の医師(産婦人科医)。私立熊本医学校教授、愛知県立医学専門学校校長、熊本医科大学学長(1925-1932)。60歳の定年後は好きな旅行、歴史に没頭。『横井小楠』『肥後医育史』を著す。1932年と1933年に沖縄を旅行した写真が発見され、写真集ができた。貝や沖縄の古瓦も蒐集した。.

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山川幸雄

山川 幸雄(やまかわ ゆきお、明治元年1月28日(1868年2月21日) - 1922年(大正11年)5月26日)は戦前日本のドイツ文学者。ドイツに15年間留学して法律を学び、帰国後第三高等学校、第一高等学校でドイツ語等を教えた。 妻は歌人山川柳子で、子に舞台演出家山川幸世、歌人山川弥千枝がいる。.

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山下啓次郎

山下 啓次郎(やました けいじろう、慶応3年12月18日(1868年1月12日) - 昭和6年(1931年)2月6日)は明治・大正期の建築家である。 東京帝国大学工科大学(のち東京大学工学部)卒業。同級生に伊東忠太らがいた。司法省に勤め、五大監獄を設計する。 妻の直子は「日本のミスコン優勝者第一号」の末弘ヒロ子の姉。ジャズピアニスト、山下洋輔は祖父・啓次郎の事跡を尋ね、小説『ドバラダ門』を書いた。.

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山下元利

山下 元利(やました がんり、1921年2月22日 - 1994年3月14日)は、滋賀県出身の日本の政治家。衆議院議員、防衛庁長官を務めた。息子に元参議院議員の山下英利がいる。.

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山之内一次

山之内 一次(やまのうち かずじ、1866年12月12日(慶応2年11月6日) - 1932年(昭和7年)12月21日)は、日本の内務・鉄道官僚、政治家。第1次山本内閣の内閣書記官長、第2次山本内閣の鉄道大臣、貴族院勅撰議員。.

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山座円次郎

山座 円次郎(やまざ えんじろう、慶応2年10月26日(1866年12月2日) - 大正3年(1914年)5月28日)は、明治・大正期の日本の外交官。外務省政務局長、駐中国特命全権公使。.

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山住克己

山住 克己(やまずみ かつみ 、1898年10月11日 - 1986年2月19日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。.

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山形清

山形 清(やまがた きよし、1893年(明治26年)9月10日 - 1991年(平成3年)2月23日)は、日本の外交官。.

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山内確三郎

山内 確三郎(やまのうち かくさぶろう、1871年8月2日 - 1947年1月20日)は、日本の司法官。司法次官、東京控訴院院長。族籍は東京府平民人事興信所、1925年、pや69(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年7月10日閲覧。。法学博士。.

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山内恭彦

山内 恭彦(やまのうち たかひこ、1902年7月2日 - 1986年10月14日)は、日本の理論物理学者。東京大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1938年)。神奈川県生まれ。祖父は山内堤雲(六三郎)。.

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山縣昌夫

山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4日 - 1981年(昭和56年)3月3日)は、日本の船舶工学者。東京大学名誉教授。.

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山田幸五郎

山田 幸五郎(やまだ こうごろう、1889年9月10日 - 1982年7月23日)は、日本光学界の先駆者、海軍軍人、理学博士。最終階級は海軍技術少将。主に幾何光学中心に、光学機械、光学兵器の開発に寄与した。.

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山田幸男 (藻類学者)

山田 幸男(やまだ ゆきお、1900年8月14日 - 1975年7月6日)は日本の藻類学者である。.

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山田珠樹

山田 珠樹(やまだ たまき、1893年2月26日 - 1943年11月24日)は、日本のフランス文学者。東京帝国大学の助教授および司書官を務めた。フランス文学者として、辰野隆、鈴木信太郎らと東大仏文科を興し、司書官として、関東大震災後の東大図書館の復興に力を尽くした。また、森茉莉の最初の夫としても知られる。.

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山田秀三

山田 秀三(やまだ ひでぞう、1899年6月30日- 1992年7月28日)は、日本のアイヌ語地名研究家、官僚、実業家。 東北地方・北海道他、多数の地名を現地実証重視で研究した。北海道曹達株式会社の経営者でもあった。.

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山田稔 (テレビドラマ監督)

山田 稔(やまだ みのる、1926年6月23日 - 1995年8月25日)は日本のテレビドラマ・映画監督。東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)出身。旧制第一高等学校理科甲類卒業。.

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山田美妙

山田 美妙(やまだ びみょう、1868年8月25日(慶応4年7月8日) - 1910年(明治43年)10月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家。言文一致体および新体詩運動の先駆者として知られる。二世曲亭主人、美妙斎、美妙子、樵耕蛙船、飛影などの号も用いた。 SF・推理小説作家の加納一朗は孫。.

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山田爵

山田 𣝣(やまだ じゃく、1920年11月3日 - 1993年6月21日)は、日本のフランス文学者。.

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山田肇

山田 肇(やまだ はじめ、1907年8月23日 - 1993年8月17日)は、日本の演劇学者、明治大学名誉教授。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に医師の長男として生まれる。1929年第一高等学校卒、32年東京帝国大学文学部美学科卒。大学在学中から心座に関わり、新興劇団協議会書記局員、鏑木清方の長女と結婚、杉山誠と親交を結んだ。1938年明治大学で西洋演劇を教え、45年文芸科兼任教授、46年新演劇人協会事務局長、1947年木下順二らの「ぶどうの会」に参加、48年築地小劇場代表取締役、49年明大文学部創設により正教授となる。1955年、ガルシア.

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山田英雄 (警察官僚)

山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。.

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山田雄一

山田 雄一(やまだ ゆういち、1930年9月15日 - 2012年4月7日)は日本の心理学者、元明治大学学長(2000年〜2004年)・経営学部名誉教授。専門は経営心理学。.

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山田新一郎

山田 新一郎(やまだ しんいちろう、1864年9月1日(元治元年8月1日) - 1946年(昭和21年)3月2日『山田新一郎 山田テヨ 追想録』)は、日本の教育者、内務官僚、神職。政友会系官選鳥取県知事。.

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山田文雄

山田 文雄(やまだ ふみお、1898年 - 1978年)は、昭和期の経済学者。東京帝国大学経済学部教授、愛知大学第7代学長。.

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山際正道

山際 正道(やまぎわ まさみち、1901年6月12日 - 1975年3月16日)は第20代日本銀行総裁。大蔵次官。東京出身。.

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山脇春樹

山脇 春樹(やまわき はるき、1871年7月11日(明治4年5月24日)『新編日本の歴代知事』591頁。 - 1948年(昭和23年))は、日本の農商務・内務官僚、教育者。官選県知事、山脇高等女学校長。旧姓・畑田。.

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山里忠徳

山里 忠徳(やまざと ただやす、1848年(嘉永元年) - ?)は、日本の武士、武術家。流派は東軍新刀流剣術、宝蔵院流高田派槍術、一心流薙刀術、日置流弓術。特に剣術と槍術で有名であった。.

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山村聰

山村 聰(やまむら そう、1910年(明治43年)2月24日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の俳優・映画監督。映画やテレビドラマのクレジットによっては山村聡の表記もある。 生涯で出演した本数は195本に上る。.

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山根常男

山根常男(やまね つねお、1917年1月2日-2007年9月)は、社会学者。 高知県生まれ。名古屋で育つ。姉は詩人の水野八重子。第一高等学校卒、1940年東京帝国大学文学部社会学科卒、中華民国北京国立新民学院講師。応召し、ニューブリテン島で敗戦を迎える。名古屋市立女子専門学校(のち名古屋市立女子短期大学)教員、1949年岐阜大学講師、1951年南山大学助教授、1959年大阪市立大学助教授、教授、1977年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授、91年定年退任。 南山大学時代に名古屋大学の村松常雄のもとでフロイト精神分析を学び、ミシガン大学に学んでイスラエルのキブツを調査した。家族社会学。.

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山根銀二

山根 銀二(やまね ぎんじ、1906年1月27日 - 1982年9月14日)は日本の音楽評論家。ベートーヴェン研究家として知られる。1934年から『朝日新聞』に音楽批評を執筆し、続いて『東京日日新聞』、1946年から再び『東京新聞』『讀賣新聞』の音楽批評を担当。『東京新聞』での批評は1961年まで続いた。.

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山本忠興

山本 忠興(やまもと ただおき、1881年6月25日 - 1951年4月21日)は、日本の電気工学者、発明家、教育者。.

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山本喜誉司

山本喜誉司(やまもときよし、1892年 - 1963年)は、日系ブラジル人社会で活躍した農業家。戦後混乱期のブラジル日系人社会/日系コロニアをまとめた人物。コロニア天皇とまで云われた実力者でブラジル日系人社会で知らない人はいない。コーヒー栽培の害虫駆除に有効なウガンダ蜂の研究で、母校東京大学から農学博士を授与をうけている。 芥川龍之介の妻文子の母方の叔父で、芥川とは旧制東京府立第三中学校時代の親友であった。.

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山本高行

山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 1961年5月17日)は、日本の官僚。.

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山本有三

山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年(明治20年)7月27日 - 1974年(昭和49年)1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。本名は山本 勇造(やまもと ゆうぞう)。日本芸術院会員、文化勲章受章者。 社会劇・歴史劇を次々に発表し、大正末期より小説に転じる。政治家としては戦後に貴族院勅選議員に勅任され貴族院が廃止されるまでこれを務めた後、第1回参議院選挙に全国区から出馬して当選、参議院議員を1期務めた。.

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山本悟 (侍従長)

山本 悟(やまもと さとる 1925年7月14日 - 2006年12月17日)は、日本の官僚。総理庁、自治省から宮内庁次長(1978年 - 1988年)に転じ、侍従長(1988年 - 1996年)を務めた。.

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岡實

岡 實(おか みのる、1873年9月12日 - 1939年11月20日)は、日本の農商務官僚、大阪毎日新聞社会長。.

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岡崎嘉平太

岡崎 嘉平太(おかざき かへいた、1897年(明治30年)4月16日 - 1989年(平成元年)9月22日)は、日本の実業家。 1972年岡山県賀陽町(現・吉備中央町)名誉町民。1978年、勲一等瑞宝章受章。1985年、岡山県総社市名誉市民。1985年、岡山県名誉県民。1987年、中国洛陽市名誉市民。.

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岡崎勝男

岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年7月10日 - 1965年10月10日)は、日本の政治家、外交官。元内閣官房長官・外務大臣。第二次世界大戦後、吉田茂によって推進された対米協調外交において重要な役割を担った人物。.

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岡崎次郎

岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年6月29日 - 1984年?)は日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。.

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岡義武

岡 義武(おか よしたけ、1902年10月21日 - 1990年10月5日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。専門は、政治史、日本政治史。.

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岡田家武

岡田 家武(おかだ いえたけ、1904年 - 1970年)は、中国語名を馬謝民、後には馬植夫といい、華西大学(四川大学の前身の一つ)教授を務めるなど、主に中国で活動した日本の地球化学者。.

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岡田實麿

岡田 實麿(おかだ じつまろ、1878年2月1日 - 1943年8月18日)は、日本の英語教師。戦前の受験英語指導で小野圭次郎・山崎貞と並んで知られている。.

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岡田忠彦

岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年3月21日 - 1958年10月30日)は、日本の官僚・政治家、衆議院議員(8期)。第35代衆議院議長。.

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岡田信一郎

岡田 信一郎(おかだ しんいちろう、1883年(明治16年)11月20日 - 1932年(昭和7年)4月4日)は、大正・昭和初期に活躍した建築家である。大阪市中央公会堂(原案)や東京府美術館、歌舞伎座、明治生命館などの設計で知られる。.

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岡田美知代

岡田(永代) 美知代(おかだ(ながよ) みちよ、1885年(明治18年)4月15日 - 1968年(昭和43年)1月19日)は、日本の文学者、雑誌記者。田山花袋の小説『蒲団』のヒロイン、横山芳子のモデルとして知られる。 広島県甲奴郡上下町(現・府中市上下町)に豪商の長女として生まれ、1898年(明治31年)9月神戸女学院に入学するが、文学への志深く、1904年(明治37年)2月退学して上京、1905年(明治38年)、花袋に師事、4月女子英学塾(現・津田塾大学)に入学する。上京の途次、既知の永代静雄と京都で会い親密な仲になる。静雄との関係が花袋に知れて帰郷するが、その後『蒲団』が発表される。再度上京して永代との間に長女千鶴子を儲け、1909年(明治42年)1月花袋の養女として永代と結婚。長女を産んだのち11月いったん永代と別れるが、翌年4月再びともに富山へ行き1911年(明治44年)3月長男太刀男出産。この間、いくつかの短篇を雑誌に発表する。花袋の『妻』、『縁』にも登場する。「ある女の手紙」は花袋への意趣返しの意味を持つ美知代の作品である。 1926年(大正15年)、永代と別れ、「主婦之友」記者として太刀男を連れて渡米、花田小太郎と再婚するが、花田は結核のため単身1927年(昭和2年)帰国。1944年(昭和19年)、戦争のため帰国。実妹万寿代の嫁ぎ先の広島県庄原市に住んだ。 第一高等学校・明治大学で教鞭を取り、草創期の駿台高等豫備學校講師だった岡田實麿は兄。 岡田美知代の生家は上下歴史文化資料館となっている。.

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岡田鯱彦

岡田 鯱彦(おかだ しゃちひこ、1907年12月28日 - 1993年8月4日)は、日本の国文学者、推理小説作家・小説家。.

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岡田良平

岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日(元治元年5月4日) - 1934年(昭和9年)3月23日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の文部官僚、政治家。号は恭堂。 旧制山口高等学校(山口大学の前身の一つ)校長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、文部次官・大臣、東洋大学学長、大日本報徳社社長、産業組合中央会会頭、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。.

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岡田武松

岡田 武松(おかだ たけまつ、1874年(明治7年)8月17日 - 1956年(昭和31年)9月2日)は、千葉県東葛飾郡布佐町(現・我孫子市)生まれの気象学者。第4代中央気象台長を多年に亘り務めた。.

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岡田文秀

岡田 文秀(おかだ ふみひで、1892年(明治25年)11月25日 - 1989年(平成元年)11月19日『日本近現代人物履歴事典』120頁。)は、日本の内務・厚生官僚。官選県知事、厚生次官、海軍司政長官。旧姓・吉岡。.

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岡邦雄

岡 邦雄(おか くにお、1890年(明治23年)1月15日 - 1971年(昭和46年)5月22日)は科学史家。山形県米沢市生まれ。東京物理学校(現在の東京理科大学)卒。1924年旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)助教授。文化学院大学部設立に助力し、教師も務める。1932年に共産主義活動を理由に一高を解雇され、同年、戸坂潤らとともに唯物論研究会の創立に参加した。治安維持法により1938年に逮捕されたが終戦後に釈放され、鎌倉アカデミアで教えた。技術論論争の論客としても知られる。1936年には糟糠の妻と6人の子を捨て、26歳のロシア語翻訳者桝本セツとの恋愛に走ったことで世間を騒がせ、新聞には、自らが唱えた新しきモラルの実践か、と揶揄された。息子に元日本労働組合総連合会社会政策局長の桝本純。.

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岡野敬次郎

岡野 敬次郎(おかの けいじろう、1865年11月9日(慶応元年9月21日) - 1925年(大正14年)12月23日)は、日本の官僚、政治家、法学者。男爵。法制局長官(第11代、第13代、第15代)司法大臣(第25代)、農商務大臣(第33代)、文部大臣(第41代)、枢密院副議長(第9代)、東京帝国大学法学部教授、中央大学学長を務めた。.

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岡松参太郎

岡松 参太郎(おかまつ さんたろう、1871年9月23日(明治4年8月9日) - 1921年(大正10年)12月15日)は、日本の法学者(専攻は民法学)。京都帝国大学法科大学(現在の京都大学法学部)教授。儒学者の岡松甕谷の三男。.

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岡松成太郎

岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年9月29日 - 1991年7月18日)は、日本の官僚。元商工次官。.

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岡正雄 (内務官僚)

岡 正雄(おか まさお、1882年(明治15年)12月 - 1948年(昭和23年)10月3日)は、日本の内務・警察官僚。憲政会系官選県知事、内務省警保局長。.

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岡本かの子

岡本 かの子(おかもと かのこ、1889年3月1日 - 1939年2月18日)は、大正、昭和期の小説家、歌人、仏教研究家。本名カノ。東京府東京市赤坂区(現東京都港区)青山南町生まれ。跡見女学校卒業。漫画家岡本一平と結婚し、芸術家岡本太郎を生んだ。小説家として実質的にデビューをしたのは晩年であったが、生前の精力的な執筆活動から、死後多くの遺作が発表された。耽美妖艶の作風を特徴とする。私生活では、夫一平と「奇妙な夫婦生活」を送ったことで知られる。.

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岡本一平

岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年(明治19年)6月11日 - 1948年(昭和23年)10月11日)は、日本の漫画家、作詞家。妻は小説家の岡本かの子。画家・岡本太郎の父親である。 また同じく風刺漫画家かつ洋画家の池部鈞の義兄。.

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岡本桜

岡本 桜(おかもと さくら、1878年(明治11年)4月3日 - 1935年(昭和10年)2月22日)は、「ガス王」とも称された実業家。.

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岩崎小弥太

岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月3日 - 1945年(昭和20年)12月2日)は、日本の実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。.

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岩崎允胤

岩崎 允胤(いわさき ちかつぐ、1921年(大正10年)1月7日 - 2009年(平成21年))は、日本の哲学者。一橋大学名誉教授。日本平和委員会代表理事、唯物論研究協会委員長等を歴任。.

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岩崎勲

岩崎 勲(いわさき いさお、1878年(明治11年)2月25日 – 1927年(昭和2年)1月18日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士、弁理士。.

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岩上夫美雄

岩上 夫美雄(いわかみ ふみお、1898年(明治31年)4月25日『新編日本の歴代知事』181頁。 - 1986年(昭和61年)12月28日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』81頁。)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選秋田県知事。.

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岩元禎

岩元 禎(いわもと てい、明治2年5月3日(1869年6月12日) - 昭和16年(1941年)7月14日)は、日本の哲学者。夏目漱石の『三四郎』に登場する広田先生のモデルであるとする説がある。 士族の長男として鹿児島県に生まれる。1889年に鹿児島高等中学造士館を卒業(第1期)後、1891年、第一高等中学校(第一高等学校の前身)本科を卒業。1894年に東京帝国大学文科大学(現在の東京大学文学部)哲学科を卒業。 ラファエル・フォン・ケーベルに師事。大学卒業後は大学院に在籍しつつ浄土宗高等学院(現在の大正大学)でドイツ語と哲学を、高等師範学校で哲学を教える。1899年から第一高等学校でドイツ語を教える。極めて採点が厳しい名物教授として知られ、安倍能成や山本有三もまた岩元の採点により落第の憂き目を見た学生の一人だった。学習院高等科時代の志賀直哉に家庭教師としてドイツ語を教えていたこともある。また、一高では哲学の授業も担当し、授業の冒頭で述べ且つ教科書の表紙に書かれていた自身の言葉『哲学は吾人の有限を以て宇宙を包括せんとする企図なり』がある。 著書に、歿後に編まれた『哲学概論』(近藤書店、1944年)がある。哲学碑が横浜市鶴見区の總持寺の墓所に建立されている。遺された蔵書は鹿児島大学に岩元文庫として保管されている。 弟の岩元禧は沖縄県知事、鹿児島市長。岩元禄は建築学者。洋画家藤島武二は父のいとこにあたる。.

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岩元禄

岩元 禄(いわもと ろく 1893年5月23日- 1922年12月24日)は日本の大正期の建築家。逓信建築の先駆け、斬新なデザインの作品を設計したが、病気のため早世した。.

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岩倉具栄

岩倉 具栄(いわくら ともひで、1904年2月8日 - 1978年11月2日)は、東京府出身の英文学者、貴族院議員。法政大学教授。D・H・ローレンスの研究者。勲等は勲三等。その他の栄典は藍綬褒章。爵位は公爵(華族制度廃止まで)。.

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岩田新

岩田 新(いわた あらた、1882年 - 1947年)は、日本の法学者。民法学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。日本で初めて事情変更の原則を論じた。国際私法の大平善梧一橋大名誉教授や商法の吉永榮助一橋大名誉教授は岩田ゼミ出身。なお、民法の後継者は輩出していない。.

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岩永裕吉

岩永 裕吉(いわなが ゆうきち 、1883年(明治16年)9月13日 - 1939年(昭和14年)9月2日)は、日本の通信事業経営者。.

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岩波茂雄

岩波 茂雄(いわなみ しげお、1881年8月27日 - 1946年4月25日)は、日本の出版人、岩波書店創業者。貴族院多額納税者議員。 次男の岩波雄二郎は岩波書店・二代目社長。孫の岩波律子は岩波ホール支配人。次女小百合は岩波書店会長の小林勇の妻。.

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岩淵悦太郎

岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 - 1978年5月19日)は、日本の国語学者。.

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岸信介

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。.

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岸田日出刀

岸田 日出刀(きしだ ひでと、1899年2月6日 - 1966年5月3日)は、日本の建築学者。造形意匠の権威。.

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岸道三

岸 道三(きし みちぞう、1899年12月1日 - 1962年3月14日)は、日本の実業家・財界人。経済同友会代表幹事(第10代)・日本道路公団初代総裁。.

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岸辺成雄

岸辺 成雄(きしべ しげお、1912年6月16日 - 2005年1月4日)は、日本の音楽学者。東京大学名誉教授。.

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島居辰次郎

島居 辰次郎(しますえ たつじろう、1905年9月12日 - 1997年10月4日)は、日本の逓信官僚。海上保安官、海上保安庁長官。広島県尾道市出身。.

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島秀雄

島 秀雄(しま ひでお、1901年(明治34年)5月20日 - 1998年(平成10年)3月18日)は、昭和初期 - 中期の鉄道技術者。元日本国有鉄道(国鉄)技師長(1955年 - 1963年)。元宇宙開発事業団(NASDA。宇宙航空研究開発機構初代理事長(1969年 - 1977年)。大阪府出身。.

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島薗順次郎

島薗 順次郎(しまぞの じゅんじろう、1877年3月12日 - 1937年4月27日)は、医師、内科学者、医学博士。和歌山県和歌山市出身。.

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島津久基

島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月16日 - 1949年(昭和24年)4月8日)は、国文学者、東京大学文学部名誉教授。 鹿児島県生まれ。島津氏分家・花岡島津家の出身。東京帝国大学卒。第一高等学校教授ののち、東京帝大助教授を1926年まで務め病気のため辞職、東洋大学教授ののち、1943年再度帝大教授。『源氏物語』岩波文庫版で、本文の傍らに主語を記する方式を初めて用い、現在も踏襲されている。その他古代・中世の伝説・説話・物語文学を研究。.

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崎間敏勝

崎間 敏勝(さきま びんしょう、1922年(大正11年)8月23日 - 2013年(平成25年)4月5日)は、沖縄県出身の政治家。野底武彦らと琉球独立党を結成するなど、琉球独立運動に挺身した。.

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川島宇一郎

川島 宇一郎(かわしま ういちろう、1841年11月17日(天保12年10月5日) - 1904年(明治37年)12月15日)は、明治時代の滋賀県の政治家。.

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川崎卓吉

川崎卓吉 川崎 卓吉(かわさき たくきち、明治4年1月18日(1871年3月8日) - 昭和11年(1936年)3月27日)は、日本の官僚、政治家。広島県賀茂郡広村(現・呉市広町)生まれ。.

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川崎庸之

川崎 庸之(かわさき つねゆき、1908年1月16日 - 1996年11月3日)は、日本の歴史学者、東京大学・和光大学名誉教授。.

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川崎勉

川崎 勉(かわさき つとむ、1908年(明治41年)8月27日 - 1997年(平成9年)4月22日 )は、日本の実業家。日本鉄鋼連盟(鉄連)欧州事務所長を歴任。経済学博士。 三重県出身の政治家・川崎克の長男。弟は衆議院議員の川崎秀二。妻は大審院次長検事、大阪控訴院検事長を務めた金沢次郎の長女。.

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川崎舎恒三

川崎舎 恒三(1886年(明治19年)9月21日 - 1952年(昭和27年))は、日本の実業家、技術者。.

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川嶋孝彦

川嶋 孝彦(かわしま たかひこ、1897年2月23日 - 1958年2月23日)は、日本の官僚。内閣統計局長。位階勲等は従三位勲二等旭日重光章。太平洋戦争前から戦中にかけて政府上層部に統計制度の刷新を建議した。戦後の1945年11月には人口調査を実施するほか、統計制度改革案を政府および連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)に提出し、戦後の統計制度改革の端緒を開いた。文仁親王妃紀子の祖父。悠仁親王の曽祖父に当たる。 なお、文書等において「川島」と表記される例が多いが、本名は「川嶋」である。.

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川上眉山

川上 眉山(かわかみ びざん、1869年4月16日(明治2年3月5日)- 1908年(明治41年)6月15日)は、明治時代の小説家。大阪生まれ。本名亮、別号に煙波山人。.

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川井章知

川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)『新編日本の歴代知事』576頁。 - 1987年(昭和62年)11月2日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』186頁。)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。.

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川俣晃自

川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 1999年7月5日)は、劇作家、小説家、フランス文学者、東京都立大学名誉教授。.

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川端康成

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家、文芸評論家。大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人である。大阪府出身。東京帝国大学国文学科卒業。 大学時代に菊池寛に認められ文芸時評などで頭角を現した後、横光利一らと共に同人誌『文藝時代』を創刊。西欧の前衛文学を取り入れた新しい感覚の文学を志し「新感覚派」の作家として注目され、詩的、抒情的作品、浅草物、心霊・神秘的作品、少女小説など様々な手法や作風の変遷を見せて「奇術師」の異名を持った原善「川端康成」()。その後は、死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品、連歌と前衛が融合した作品など、伝統美、魔界、幽玄、妖美な世界観を確立させ、人間の醜や悪も、非情や孤独も絶望も知り尽くした上で、美や愛への転換を探求した数々の日本文学史に燦然とかがやく名作を遺し、日本文学の最高峰として不動の地位を築いた羽鳥徹哉「作家が愛した美、作家に愛された美―絶望を希望に転じ、生命の輝きを見出す」()羽鳥徹哉「川端文学の世界――美についての十章」()。日本人として初のノーベル文学賞も受賞し、受賞講演で日本人の死生観や美意識を世界に紹介した。 代表作は、『伊豆の踊子』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など。初期の小説や自伝的作品は、川端本人が登場人物や事物などについて、随想でやや饒舌に記述している。そのため、多少の脚色はあるものの、純然たる創作(架空のできごと)というより実体験を元にした作品として具体的実名や背景が判明し、研究・追跡調査されている「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()。 川端は新人発掘の名人としても知られ、ハンセン病の青年・北條民雄の作品を世に送り出し、佐左木俊郎、武田麟太郎、藤沢桓夫、少年少女の文章、山川彌千枝、豊田正子、岡本かの子、中里恒子、三島由紀夫などを後援し、数多くの新しい才能を育て自立に導いたことも特記できる「新感覚――『文芸時代』の出発」()「第一編 評伝・川端康成――非情」()「第二部第五章 新人才華」()。また、その鋭い審美眼で数々の茶器や陶器、仏像や埴輪、俳画や日本画などの古美術品の蒐集家としても有名で、そのコレクションは美術的価値が高い。 多くの名誉ある文学賞を受賞し、日本ペンクラブや国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺した(なお、遺書はなかった)「『美しい日本の私』――ノーベル賞受賞」()「第三部第八章 末期」()。.

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川端玉章

川端 玉章(かわばた ぎょくしょう、天保13年3月8日(1842年4月18日) - 大正2年(1913年)2月14日)は、明治時代に活躍した日本画家。本名は滝之助。東京美術学校の教授を務め、川端画学校を開設するなど後進の育成に努め、美術学校の同僚だった橋本雅邦と並び評された。.

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川端香男里

川端 香男里(かわばた かおり、男性、1933年(昭和8年)12月24日 - )は、日本のロシア文学者、東京大学文学部名誉教授。川端康成記念会理事長。結婚以前の旧姓は山本。.

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川田順

川田 順(かわだ じゅん、1882年(明治15年)1月15日 - 1966年(昭和41年)1月22日)は、歌人、実業家。住友総本社常務理事。 漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。.

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川田正澂

府立一中校長時代の川田正澂(1928年頃) 川田正澂(かわだ まさずみ、文久3年12月27日(1864年2月4日) - 1935年12月9日)は、日本の教育者。享年73。.

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川西進

川西 進(かわにし すすむ、1931年10月24日 - )は、日本の英文学者、東京大学名誉教授。 神奈川県逗子市生まれ。父は川西實三、姉に川西薫(女子学院理事)、兄に川西剛(東芝副社長)。第一高等学校から1954年東京大学教養学部教養学科イギリス科を卒業。1962年同大学院英文科博士課程中退。1956-1959年アーモスト大学に学び卒業。矢内原忠雄にキリスト教を学んだ。1966年東大教養学部助教授。1981年教授、1992年定年退官、名誉教授、フェリス女学院大学教授。2002年退職。.

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川越丈雄

川越 丈雄(かわごえ たけお、1884年11月1日 - 1966年3月11日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵次官、法制局長官。.

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川村秀文

川村 秀文(かわむら ひでふみ、1898年(明治31年)『新編日本の歴代知事』345頁。 - 1981年(昭和56年)3月2日『朝日新聞』(東京本社発行)1981年3月3日夕刊、11面の訃報より。)は、日本の内務・厚生官僚。官選千葉県知事、学校法人川村学園理事長・学園長。.

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川村竹治

川村竹治 川村 竹治(かわむら たけじ、明治4年7月17日(1871年9月1日) - 昭和30年(1955年)9月8日)は大正から昭和にかけて活躍した官僚・政治家。満鉄社長、司法大臣等を歴任。.

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川村貞四郎

川村 貞四郎(かわむら ていしろう、1890年(明治23年)7月23日 - 1987年(昭和62年)6月18日『日本近現代人物履歴事典』175頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選山形県知事、東洋インキ製造 (株) 社長。旧姓・古橋。.

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川村麟也

川村 麟也(かわむら りんや、1879年9月11日(明治12年) - 1947年(昭和22年)10月31日)は、日本の医師、病理学者である。ツツガムシ病の研究で知られる。 。-->.

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川淵洽馬

川淵 洽馬(かわぶち こうま、1883年(明治16年)8月15日 - 1946年 (昭和21年)10月1日)は、日本の警察官僚、政治家。官選県知事、高知市長、衆議院議員。旧姓、宮崎。川渕と表記される場合がある。.

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工藤巌

工藤 巌(くどう いわお、1921年12月18日 - 1998年8月25日)は、日本の政治家。岩手県知事(1期)、衆議院議員(5期)、盛岡市長(3期)。 文教政策に精通。衆議院議員時代には文教委員長を務めたほか、知事在任中には岩手県立大学の総合大学としての設立を決めた。.

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工藤幸雄

工藤 幸雄(くどう ゆきお、1925年3月20日 - 2008年7月5日)は、詩人、ロシア・ポーランド文学者、元多摩美術大学教授。仲谷鴻介(なかや こうすけ)という筆名もある。.

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巻正平

巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995年10月13日)は、日本の評論家。.

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上原淳道

上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。 上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学、1943-1945年学徒兵として従軍。1948年東大卒業、大学院入学。1953年東大教養学部専任講師、1955年助教授、1967年教授、1982年定年退官。名誉教授の称号を辞退、関東学院大学教授。1987年退職。1999年脳出血で逝去。 中国史学者であったが、一度も中国に行くことはなかった。「読書雑記」として、1963年から死去まで毎年ガリ版刷(のちコピー)の一枚通信を刊行し続けた。「読書雑記」は上原淳道が信頼できると判断した人にしか送付されず、信頼できないとみなされた者は途中で送付を打ち切られた。上原の死後勝子夫人により、全441号を複写収録した単行本が私家版で発行された。.

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上田勤

上田 勤(うえだ つとむ、1906年11月12日 - 1961年3月2日)は、英文学者。 北海道函館市生まれ。第三高等学校卒、東京帝国大学英文科卒、第四高等学校教授、第一高等学校教授ののち、戦後、東京大学教養学部イギリス分科主任教授を務めるが在職中に急逝した。現代英国小説を専攻し、モーム評伝のほか、オルダス・ハクスリー、ヘンリー・ジェイムズ、アレグザンダー・ポープなどを翻訳した。.

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上田耕一郎

上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年(昭和2年)3月9日 - 2008年(平成20年)10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。長く参議院議員として活動するとともに、党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任した。日本共産党前議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は実弟。.

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上田敏

上田 敏(うえだ びん、1874年(明治7年)10月30日 - 1916年(大正5年)7月9日)は、日本の評論家、詩人、翻訳家。「柳村(りゅうそん)」と号したため、上田柳村名義でも執筆活動を行った。 1905年(明治38年)に本郷書院から刊行された訳詩集『海潮音』で知られ、日本にベルギー文学やプロヴァンス文学、象徴派や高踏派の詩を紹介した。 『海潮音』に収められたドイツの詩人カール・ブッセの詩『山のあなた』より「山のあなたの空遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。 噫(ああ)、われひとゝ尋(と)めゆきて、 涙さしぐみかへりきぬ。 山のあなたになほ遠く 「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。」や、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩『落葉(らくよう)』より「秋の日の ヰ゛オロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。…」は、現在もなお名訳として広く読まれている。 また、父の上田絅二(うえだ・けいじ)は江戸幕府の官吏として仕えた人物で、1864年(文久3年)に旗本の池田長発が正使を務めたいわゆる「横浜鎖港談判使節団」では乙骨亘という名前で理髪師として海外を視察、母の上田孝子は博士号を修得している才女、祖父の乙骨耐軒は儒学者、母・上田孝子の妹で上田敏の叔母にあたる上田悌子は岩倉具視が正使を務めたいわゆる「岩倉使節団」に日本人初の女子留学生として当時16歳と、最年長の年齢で津田梅子、永井繁子、山川捨松、吉益亮子と共にアメリカへ渡った帰国子女、父・上田絅二の兄で上田敏の伯父にあたる乙骨太郎乙は洋学者として日本の国歌である『君が代』を提案した人物とされ、いとこに『浦島太郎』や『池の鯉』で有名な作詞家の乙骨三郎を持つなど、生粋の名門に生まれたことでも知られる。 小説家としても、唯一の小説である『うづまき』を1910年に著しており、享楽主義者である主人公の牧春雄は作者の上田敏の経験がモチーフになっている。また島崎藤村の長編小説『春 (小説)』に登場する「福富」は上田敏がモデルである。 日本にヴェルレーヌの詩やジョリス=カルル・ユイスマンスの詩を紹介したのも上田敏である。.

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上野基三

上野 基三(うえの きぞう、1890年(明治23年)11月8日『大衆人事録』 - 1953年(昭和28年)12月11日衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。.

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上野直昭

上野 直昭(うえの なおてる、1882年11月11日 - 1973年4月11日)は、日本の美学者。日本学士院会員、東京藝術大学名誉教授。.

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上野英三郎

上野英三郎博士とハチ公像(三重県津市・久居駅前) 上野 英三郎(うえの ひでさぶろう、1872年1月19日(明治4年12月10日) - 1925年(大正14年)5月21日)は、日本の農業土木学者である。農学博士う35頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年5月29日閲覧。。東京帝国大学教授。日本の農業土木、農業工学、農業農村工学の創始者であり、また東京都渋谷駅前に銅像が建つ忠犬ハチ公の飼い主としても知られる。.

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上野桜木

上野桜木(うえのさくらぎ)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は上野桜木一丁目及び上野桜木二丁目。郵便番号は110-0002。.

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上野景福

上野 景福(うえの かげとみ、1910年1月3日 - 1996年2月5日)は、英語学者、東京大学・昭和女子大学名誉教授。祖父は明治期に外交官を務めた上野景範。.

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上村健太郎

上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の内務官僚、航空自衛官である。初代航空幕僚長。.

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上村彦之丞

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。渾名は「船乗り将軍」。.

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上村清延

上村清延(かみむら きよのぶ、1879年(明治12年)1月23日 - 1957年(昭和32年)11月1日)は、日本のドイツ文学者。 鹿児島県出身。東京帝国大学独文科卒。1943年「近代独逸文学と東洋」で九州帝国大学文学博士。第七高等学校教授、第一高等学校教授、旧制浦和高等学校教授、日本大学教授。1950年定年退任。現代ドイツ文学を専攻。東洋文学・思想のドイツ文学への影響を研究。.

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上條秀介

上條秀介(かみじょうしゅうすけ、1893年12月22日 - 1956年5月19日)は日本の医師。1928年(昭和3年)に昭和医学専門学校(現・昭和医科大学)を設立し、日本病院協会(現・日本病院会)の初代会長も務めた。勲四等瑞宝章、従五位に叙された。.

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与謝野秀

与謝野 秀(よさの しげる、1904年7月7日 - 1971年1月25日)は、日本の外交官。.

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不破哲三

不破 哲三(ふわ てつぞう、1930年1月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党中央委員会常任幹部会委員、党付属社会科学研究所所長。前党中央委員会議長。元衆議院議員。“不破”はペンネームで本名は上田 建二郎(うえだ けんじろう)。 日本共産党元副委員長の上田耕一郎は実兄。『道ひとすじ 不破哲三とともに生きる』(中央公論新社)の著書上田七加子は妻。.

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不破武夫

不破 武夫(ふわ たけお、1899年 - 1947年12月27日)は、日本の法学者。.

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不敬罪

不敬罪(ふけいざい)とは、国王や皇帝など君主や、王族や皇族など君主の一族と宗教、聖地に対し、その名誉や尊厳を害するなど、不敬とされた行為の実行により成立する犯罪。 絶対君主制など、主権者たる君主と国家の存立を同一視する体制において定められることが多い。現在では、法の下の平等や思想・良心の自由、表現の自由の観点から、君主制を採用している国家でも、刑罰が廃止・失効している場合がある。サウジアラビアなどのイスラム諸国やデンマーク、オランダ、スペイン、タイ王国、カンボジアは、現在も不敬罪が存在する数少ない例である。.

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両角良彦

両角 良彦(もろずみ よしひこ、1919年10月4日 - 2017年8月11日)は、日本の官僚。通商産業事務次官。ナポレオン研究家。.

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師範学校

師範学校(しはんがっこう)とは、教員を養成する学校であり、戦前の日本および日本の植民地に存在した、初等・中等学校教員の養成(師範教育)を目的とした中等・高等教育機関とされ、教員養成機関のひとつ。 1872年(明治5年)9月からの約1年間、「師範学校」は東京に設置された日本初の教員養成機関(後の東京高等師範学校。東京教育大学を経た現在の筑波大学の前身)の固有名称であった。これが1873年(明治6年)8月に他の6大学区での官立師範学校設立に伴い「東京師範学校」と改称したため、以降「師範学校」は教員養成機関の総称となった。 修了までの年限は高等小学校卒業後4年(後に5年)、中等教育課程(旧制中学校等)修了者は1年(後に2年)。.

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中原歵

中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日『現代物故者事典 1991~1993』431頁。)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。.

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中垣信夫

中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー。神奈川県出身。.

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中学受験

中学受験(ちゅうがくじゅけん)とは、中学校の入学試験を受験することである。特にこの試験を中学入試(ちゅうがくにゅうし)と言う。本記事では中学校の入学試験以外にも、前期中等教育の学校、すなわち中学校・中等教育学校前期課程・特別支援学校中学部などの入学試験と入学についても扱い、特に断らない限り「中学校(等)」「前期中等教育(の学校)」という表記は前掲の全てを含む。同様に「私立中学(等)」という表記は選抜制でない公立中学以外の全てを含む。.

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中学造士館

中学造士館(ちゅうがくぞうしかん)は、明治期、鹿児島県に存在した中等教育機関(旧制中学校)。.

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中山巳代蔵

中山 巳代蔵(なかやま みよぞう、1867年10月27日(慶応3年10月1日)『人事興信録』3版、な96-97頁。 - 1921年(大正10年))は、日本の内務官僚、実業家。官選栃木県知事。.

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中山平次郎

中山 平次郎(なかやま へいじろう、1871年7月20日(明治4年6月3日) - 1956年(昭和31年)4月29日)は、明治後期から昭和前期にかけての日本の病理学者、考古学者。死没時の称号、位階勲等および学位は九州大学名誉教授正三位勲二等医学博士。 本来の職業は病理学者であるが、後世に残した業績は考古学分野での成果が大半を占めることから、一般には考古学者として知られている。.

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中島力造

中島 力造(なかじま りきぞう、安政5年1月8日(1858年2月21日) - 大正7年(1918年)12月21日)は倫理学者。同志社英学校最初の学生のひとりで開校当初元良勇次郎、上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけた。.

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中島健蔵

中島 健蔵(なかじま けんぞう、1903年(明治36年)2月21日 - 1979年(昭和54年)6月11日)は、フランス文学者、文芸評論家。ヴァレリーやボードレールなどを翻訳紹介する一方、当時まだ無名だった宮澤賢治の作品に光を当て、戦後はいわゆる進歩的知識人の一人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会の再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力した。中国切手の世界的なコレクターとしても有名である。.

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中島琢之

中島 琢之(なかじま たくし『昭和物故人名録』、1885年(明治18年)3月29日『全国市長銘鑑』pp.104-105 - 1956年(昭和31年)7月14日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、津山市長、医師。.

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中島義道

中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、日本の哲学者、作家。元電気通信大学教授。マスコミ曰く「闘う哲学者」。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。イマヌエル・カントが専門。.

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中島賢蔵

中島 賢蔵(なかじま けんぞう、1904年(明治37年)11月5日 - 1968年(昭和43年)8月11日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』878頁。)は、日本の内務官僚、政治家。官選山梨県知事、初代天理市長。.

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中島敏次郎

中島 敏次郎(なかじま としじろう、東京都出身。1925年9月2日(2008年6月27日提出、2011年12月21日閲覧) - 2011年12月13日)は、日本の外交官。条約局長、北米局長、駐シンガポール大使、外務審議官、駐オーストラリア大使、駐中国大使、最高裁判所判事、皇室参与、あさひ法律事務所顧問等を歴任。妻は第61代警視総監、のちに自由民主党衆議院議員、田中栄一の次女であった康子。.

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中島敦

中島 敦(なかじま あつし、1909年(明治42年)5月5日 - 1942年(昭和17年)12月4日)は、日本の小説家。.

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中川健藏

中川 健藏(なかがわ けんぞう、1875年(明治8年)7月16日 - 1944年(昭和19年)6月26日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員。.

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中川宋淵

中川 宋淵(なかがわ そうえん、1907年3月19日 - 1984年3月11日)は昭和の臨済宗の禅僧。俳人としても知られた。本名は中川基(なかがわ もとし)。号は密多窟。 山口県玖珂郡岩国町(現・岩国市)出身。東京帝国大学文学部卒業。山梨県の向嶽寺で得度。山本玄峰に師事し、昭和26年(1951年)、その跡を継いで静岡県三島市の龍沢寺に住し、多くの弟子を育成した。また、昭和24年(1949年)からはたびたびアメリカ合衆国に渡り、禅道場を開いた。 高見順とは第一高等学校時代の同級生でその後も交流があり、高見が臨終間際となった際には、高見のもとを訪ねて読経をして死を見届けた。 俳人としては飯田蛇笏に師事し、句詩文集として「詩龕」を刊行した。.

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中川小十郎

中川 小十郎(なかがわ こじゅうろう、1866年2月18日〈慶応2年1月4日〉 - 1944年〈昭和19年〉10月7日)は、明治・大正・昭和時代の日本の政治家(貴族院議員等)で、官僚(文部省官僚等)、教育者(京都法政学校〈現・立命館大学〉創立者等)、実業家でもある。丹波国南桑田郡馬路村(現・京都府亀岡市馬路町)生まれ。著名な親族としては、息子の流政之(彫刻家)と孫の中川祐夫(刑法学者)がいる。文人としての筆名は非常に多く、「蓑笠亭主人」「青梅学人」「青梅生」「青山隠士」「竹筆老夫」「口羽山人」「白雲道人」「白雲老人」「藤の舎主人」「弘川東一郎」「竹軒亭」「磊磊居士」などがある。.

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中平解

中平 解(なかひら さとる、1904年〈明治37年〉1月12日 - 2001年〈平成13年〉11月12日)は、日本のフランス語学研究者。日本民俗語学者。.

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中勘助

中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は東京出身の作家・詩人である。夏目漱石の教え子。日記体随筆で知られる。代表作に『銀の匙』。1964年度朝日賞受賞。.

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中隈敬蔵

中隈 敬蔵(なかくま けいぞう、安政4年9月29日(1857年11月15日) – 大正13年(1924年)3月21日)は、日本の日本の官僚。会計検査院長。.

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中馬庚

中馬庚 中馬 庚(ちゅうまん かなえ/ちゅうま かのえ、明治3年2月9日(1870年3月10日) - 昭和7年(1932年)3月21日)は、日本の教育者、元野球選手。 アメリカ伝来のスポーツである「Baseball(ベースボール)」を「野球(やきゅう)」と訳した最初の人物として知られる。また「ショート・ストップは戦列で時期を見て待機し、動き回ってあちこちを固める“遊軍”のようだ」と説き、「遊撃手(ゆうげきしゅ)」という名称が広まった。1970年に野球殿堂入り(特別表彰)。.

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中野友禮

中野 友禮(なかの とものり、1887年2月1日 - 1965年12月10日)は、日本の実業家。中野式食塩電解法の開発を契機に日曹コンツェルンを築く。.

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中野並助

中野 並助(なかの なみすけ、1883年(明治16年) - 1955年(昭和30年)5月23日)は、日本の検察官。日本の検事総長。弁護士。群馬県南甘楽郡神川村(現神流町)出身。.

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中野善敦

中野 善敦(なかの よしあつ、1896年(明治29年)9月『新編日本の歴代知事』550頁。 - 1972年(昭和47年)12月21日『朝日新聞』(東京本社発行)1972年12月22日夕刊、11面の訃報より。)は、日本の内務官僚、弁護士。官選県知事。.

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中野重治

中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家、詩人、評論家、政治家。福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。 四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。 戦後再び日本共産党に入り、また『新日本文学』の創刊に加わった。平野謙、荒正人らと「政治と文学論争」を引き起こし、戦後文学を確立させた。1947年から50年まで参議院議員を務める。 しかし1964年には日本共産党と政治理論で対立をして除名された。神山茂夫とともに『日本共産党批判』を出版している。 代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。 詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。.

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中野逍遙

中野 逍遥(なかの しょうよう、慶応3年2月11日(1867年3月16日) - 明治27年(1894年)11月16日)は日本の漢詩人。本名は重太郎。字(あざな)は威卿。別号に狂骨子など。.

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中野武二

中野 武二(なかの たけじ、1884年11月15日 - 1947年3月21日)は、東京都出身の野球選手、審判員。中野武営の子。.

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中村古峡

中村 古峡(なかむら こきょう、1881年2月20日-1952年9月12日)は日本の文学者、心理学者。 本名は蓊(しげる)。奈良県出身.

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中村孝也

中村 孝也(なかむら こうや、1885年(明治18年)1月2日 - 1970年(昭和45年)2月5日)は、大正・昭和期の日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。専門は日本近世史。文学博士(東京帝国大学、1926年)。群馬県出身。.

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中村安次郎

中村 安次郎(なかむら やすじろう、1889年(明治22年)5月『新編日本の歴代知事』1110頁。 - 1939年(昭和14年)8月26日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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中村伝治

中村伝治 (なかむら でんじ、1880年(明治13年) - 1968年(昭和43年))は、日本の建築家。 横河工務所(後の横河建築設計事務所)の代表作を多くてがけ、後に横河民輔から横河工務所を受け継ぐ。その他では建築界へのメートル法の導入、工業品規格統一(戦前のJES)のための調査、戦前の建築士法制定運動に尽力する。学会では建築設計資料集成の刊行に携わる。.

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中村彰 (俳優)

中村 彰(なかむら あきら、1916年4月7日 - 1969年12月9日)は、日本の俳優である。本名同じ。.

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中村徳吉

中村 徳吉(なかむら とくきち、明治19年(1886年)- 昭和49年(1974年))は、日本の医師(外科医)。旧姓西村。医学博士『鳥取県大百科事典』 751頁。臨床外科医学会の権威。 検事、弁護士西村卯の実弟。鳥取県士族西村佐司衛(質商・金銭貸付)の二男、中村安五郎の養子猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ナ・七一頁。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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中村元治

中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12月3日『新編日本の歴代知事』1073頁。 - 1982年(昭和57年)9月1日『現代物故者事典 1980-1982』237頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選大分県知事、陸軍司政長官。.

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中村光夫

中村 光夫(なかむら みつお、1911年(明治44年)2月5日 - 1988年(昭和63年)7月12日)は、文芸評論家、作家。本名、木庭一郎(こば いちろう)。第6代日本ペンクラブ会長、文化功労者、日本芸術院会員。私小説批判で有名。.

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中村稔 (詩人)

中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、詩人、弁護士・弁理士、評論家。日本芸術院会員、日本近代文学館名誉館長。.

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中村真一郎

中村 真一郎(なかむら しんいちろう、1918年(大正7年)3月5日 - 1997年(平成9年)12月25日)は、日本の小説家・文芸評論家・詩人。なお旧字体の「眞一郎」名義での出版もある。.

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中村為治

中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 1991年6月30日)は、日本のイギリス文学者。 東京銀座に生まれる。第一高等学校で川端康成と同級。1923年東京帝国大学英文科卒。関西学院英語講師、1926年東京商科大学(現一橋大学)予科教授。同僚の上原専禄と親しかった。1943年、45歳で辞職し、長野県乗鞍高原に隠棲した。農業と翻訳で暮らすが、1967年中部女子短期大学(現中部学院大学)教授となり、1972年まで務めた。 ロバート・バーンズを専門とし、キップリング詩集の翻訳などがある。大江健三郎は少年時代に中村の訳した岩波文庫の『ハックルベリー・フィンの冒険』を愛読した。.

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中村謙一 (鉄道官僚)

中村 謙一(なかむら けんいち、1882年2月 - 1943年2月26日)は、日本の官僚、華族。鉄道省建設局長、鉄道会議議員、鉄道工事統制協会長、土木学会長、災害予防調査会委員、発電調査会委員等を歴任し、貴族院議員も務める。勲三等男爵。墓地は多磨霊園。.

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中村進午

中村 進午(なかむら しんご、明治3年7月21日(1870年8月17日) - 昭和14年(1939年)10月21日)は、国際法学者。東京商科大学名誉教授。七博士建白事件で日露戦争開戦を主張したことでも知られた。.

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中村栄孝

中村 栄孝(なかむら ひでたか、1902年5月1日-1984年1月4日)は、大正・昭和期の歴史学者。.

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中村清二

中村 清二(なかむら せいじ、明治2年9月24日(1869年10月28日) - 1960年(昭和35年)7月18日)は日本の物理学者。.

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中村春二

中村 春二(なかむら はるじ、1877年(明治10年)3月31日 - 1924年(大正13年)2月21日)は、明治末期から大正期の教育者にして成蹊学園の創立者。.

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中村是公

中村 是公(なかむら よしこと、通称: なかむら ぜこう、1867年12月20日(慶応3年11月25日) - 1927年(昭和2年)3月1日)は、日本の官僚・実業家・政治家である。南満州鉄道株式会社(満鉄)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任した。 作家・夏目漱石の親友としても知られ、官僚出身らしからぬ豪放磊落な性格で、「べらんめい総裁」「フロックコートを着た猪」「独眼龍」などの異名をとった。.

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中村敬之進

中村 敬之進(なかむら けいのしん、1895年(明治28年)9月9日 - 1978年(昭和53年)4月12日『日本近現代人物履歴事典』375頁。)は、日本の内務・警察・厚生官僚。官選愛媛県知事、厚生次官。.

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中村拓 (医学者)

中村 拓(なかむら ひろし、1891年(明治24年)3月25日- 1974年(昭和49年)2月7日)は、日本の医学者、生化学者、古地図学者。本業である生化学者としての業績のほか、古地図研究でも多くの業績を残している。.

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中條資俊

中條 資俊(ちゅうじょう すけとし、なかじょうすけとし明治5年11月7日(1872年12月7日) - 昭和22年(1947年)3月1日)は日本の医師、ハンセン病研究者、医学博士、北部保養院(国立療養所松丘保養園)院長、園長。.

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中沢新一

中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の人類学者、思想家、宗教学者。元中央大学総合政策学部教授。明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。.

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丸山嵯峨一郎

丸山 嵯峨一郎(まるやま さがいちろう、慶応4年1月21日(1868年2月14日) - 昭和19年(1944年)2月5日)は、日本の衆議院議員(自由党→憲政党→立憲政友会→政友本党)、弁護士。.

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丸山眞男

丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。 丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。.

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丸山鶴吉

丸山鶴吉の肖像写真 丸山 鶴吉(まるやま つるきち、1883年9月27日 - 1956年6月3日)は、内務・警察官僚、政治家、教育者。警視総監、宮城県知事、武蔵野美術学校校長。広島県沼隈郡松永村(現・福山市松永町)生まれ。.

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丸茂藤平

丸茂 藤平(まるも とうへい、1882年(明治15年)3月25日「丸茂藤平岐阜県岐阜市長就任ノ件」 - 1956年(昭和31年)『愛知県姓氏歴史人物大辞典』556頁。)は、日本の内務官僚、官選岩手県知事。旧姓・両角『人事興信録』第12版 下、マ148頁。。.

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丹生潔

丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1月30日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。世界で最初の、第4のクォークである「チャームクォーク」の発見者。東京出身。従四位。 1971年から名古屋大理学部教授を務め、原子核乾板の実験装置で得られた宇宙線の素粒子反応の中から、特異な様式で崩壊する新粒子を発見。同年の物理学会で、それを「X粒子」と名付けて報告した。この粒子は、広島大学の小川修三(後に名古屋大学)らによって、4つめのクォーク(当時の表現では「第4の粒子」)であると主張されたが、当時においては広く認められるまでには至らなかった。 しかしこのことが、小林誠や益川敏英に4つめのクォークの存在を確信させ、両者が小林・益川理論(クォーク6個の理論)を生み出す契機となった。小林誠は、ノーベル物理学賞の受賞記念演説において、丹生の業績を紹介している。 なお、第4のクォークである「チャームクォーク」は、丹生の発見後にアメリカの科学者ら(サミュエル・ティンとバートン・リヒター)により加速器の実験で再発見、実証され(1974年)、彼らはその功績によって、1976年にノーベル物理学賞を受賞した。 2017年1月30日、骨髄異形成症候群のため死去、91歳。.

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丘浅次郎

丘 浅次郎(おか あさじろう、明治元年11月18日(1868年12月31日) - 昭和19年(1944年)5月2日)は、日本の動物学者。.

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市原豊太

市原 豊太(市原 豐太、いちはら とよた、1902年6月22日 - 1990年8月14日)は、日本のフランス文学者、随筆家。東京生まれ。.

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市古貞次

市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004年3月25日)は、日本の日本文学者。専門は中世日本文学。.

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市川中学校・高等学校

市川中高の各敷地の位置。国土航空写真。 市川中学校・高等学校(いちかわちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、千葉県市川市本北方二丁目にある、学校法人市川学園が運営する私立中高一貫制男女共学校。高等学校では、中学校から内部進学した生徒と高等学校から外部進学した生徒との間で、第2学年から混合クラスを編成する(平成31年度からは第3学年から混合クラスになる)併設型中高一貫校である。略称は「市川」、「市学」などである。.

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市川秀雄

市川 秀雄(いちかわ ひでお、1901年 - 1964年)は、日本の法学者。刑法学者・労働法学者。1961年、博士(法学)(中央大学)題は「刑法における市民法思想と社会法思想」。専門はドイツ刑法。東京都生まれ。.

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市河三喜

市河 三喜(いちかわ さんき、1886年2月18日 - 1970年3月17日)は、日本の英語学者。日本の英語学の祖と言われている。新しい教授法の普及にも力を注いだ。文学博士、東京大学名誉教授、日本学士院会員、語学教育研究所所長。 英語学の新人賞として市河三喜賞が設けられている。.

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万富次郎

万 富次郎(よろず とみじろう、1887年(明治20年)12月16日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。東京市本所区長。.

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三好重夫

三好 重夫(みよし しげお、1898年(明治31年)3月9日 - 1982年(昭和57年)1月19日)は、日本の内務官僚。官選府県知事。.

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三好愛吉

三好 愛吉(みよし あいきち、1871年2月12日(明治3年12月23日) - 1919年(大正8年)2月11日)は、日本の教育者、元第二高等学校校長、元皇子傅育官長。.

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三宅正太郎

三宅 正太郎(みやけ まさたろう/しょうたろう、1887年6月27日 - 1949年3月4日)は、日本の法曹。元判事・弁護士。.

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三島徳七

三島 徳七(みしま とくしち、1893年(明治26年)2月24日 - 1975年(昭和50年)11月19日)は、日本の冶金学者。産業技術進歩に大きな役割を果たしたMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授。.

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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型「第一章」()。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である「第一回 三島由紀夫の誕生」()「十四 ノーベル文学賞の有力候補」()松永尚三「ヨーロッパ・フランス語圏における三島劇」()。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある「三島由紀夫」()。 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」()。 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴「第六回 舞台の多彩の魅力」()「各項〈作品解説〉」()。 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした(詳細は三島事件を参照)。.

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三並良

三並 良(みなみ はじめ、1865年11月20日(慶応元年10月3日) - 1940年(昭和15年)10月27日)は日本のドイツ哲学者、牧師である。 慶応元年(1865年)伊予国松山(現愛媛県松山市)の漢学者・歌原邁の子に生まれ、長じて母方の三並家を継ぐ。同郷の正岡子規の母の従弟であり、松山中学時代の子規が「五友」の一人に数えるなど交流があった。明治16年(1883年)に東京で獨逸学協会学校に入学する。ドイツ普及福音教会のウィルフリード・スピンナーの感化を受ける。明治20年(1887年)に新教神学校に入学する。卒業後、向軍治、丸山通一と共に普及福音教会を設立する。そして、教会の機関紙「真理」の編集に携わる。 明治24年(1891年)に壱岐坂教会の牧師になるが、その後普及福音協会を離れて、ユニテリアンに加わる。明治33年(1900年)に日本ゆにてりあん協会機関紙「六合雑誌」の編集長を務める。後に、ユニテリアンの牧師になり、日本ゆりてりあん協会の会長を務める。第一高等学校、松山高等学校のドイツ語の教授も務めた。 大正8年(1919年)に日本ホーリネス教会の中田重治、無教会派の内村鑑三が起こした再臨運動に対して、日本組合基督教会の海老名弾正らと共に反対論を展開する。 1935年三並の呼びかけにより、普及福音協会創立50周年記念会が開催される。.

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三井甲之

三井 甲之(みつい こうし、1883年(明治16年)10月16日 - 1953年(昭和28年)4月3日)は、日本の文学者、歌人、右翼思想家。本名は甲之助。.

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三土忠造

三土 忠造(みつち ちゅうぞう、1871年8月11日(明治4年6月25日) - 1948年(昭和23年)4月1日)は、明治から昭和にかけての日本の政治家。 讃岐国大内郡水主村(現在の東かがわ市)出身。 長年立憲政友会の衆議院議員として党内にて重きをなし、内閣書記官長を振り出しに文部大臣・大蔵大臣・逓信大臣・鉄道大臣・枢密顧問官・内務大臣(一時運輸大臣も兼務)を歴任した戦前政界の重鎮である。.

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三ヶ月章

三ヶ月 章(みかづき あきら、1921年6月20日 - 2010年11月14日)は、日本の法学者、弁護士(大江忠・田中豊法律事務所)、法務大臣(第56代)。専門は民事訴訟法。1991年日本学士院会員、2005年文化功労者、2007年文化勲章受章。.

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三四郎

『三四郎』(さんしろう)は、夏目漱石の長編小説である。1908年(明治41年)、「朝日新聞」に9月1日から12月29日にかけて連載。翌年5月に春陽堂から刊行された。『それから』『門』へと続く前期三部作の一つ。全13章。 九州の田舎(福岡県の旧豊前側)から出てきた小川三四郎が、都会の様々な人との交流から得るさまざまな経験、恋愛模様が描かれている。三四郎や周囲の人々を通じて、当時の日本が批評される側面もある。三人称小説であるが、視点は三四郎に寄り添い、時に三四郎の内面に入っている。「stray sheep」という随所に出てくる言葉が印象的な作品である。.

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三矢宮松

三矢 宮松(みつや みやまつ、1880年(明治13年)10月23日 - 1959年(昭和34年)1月10日)は、日本の内務官僚、宮内官僚。.

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三谷隆信

三谷 隆信(みたに たかのぶ 1892年6月17日 - 1985年1月13日)は、日本の官僚、外交官、教育者。.

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三谷隆正

三谷 隆正(みたに たかまさ 1889年2月6日 - 1944年2月17日)は、日本の法学者。.

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三輪寿壮

三輪 寿壮(みわ じゅそう、1894年(明治27年)12月15日‐1956年(昭和31年)11月14日)は日本の法律家、政治家。労働農民党書記長、日本労農党書記長、第二東京弁護士会会長、衆議院議員。.

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三郡共立学校

三郡共立学校(さんぐんきょうりつがっこう)は、神奈川県大住郡(のち中郡)金目村(現在の神奈川県平塚市)に存在した学校であり、五郡共立小田原中学校の後身、神奈川県立秦野高等学校および神奈川県立平塚農業高等学校の前身である。.

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三重野康

三重野 康(みえの やすし、1924年(大正13年)3月17日 - 2012年(平成24年)4月15日)は、第26代日本銀行総裁。.

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三枝充悳

三枝 充悳(さいぐさ みつよし、1923年4月18日 - 2010年10月19日)は、日本の仏教学者。筑波大学名誉教授。.

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三松武夫

三松 武夫(みまつ たけお、1876年(明治9年)3月 - 1934年(昭和9年)5月26日)は、日本の農商務官僚。憲政会・民政党系県知事。.

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三村征雄

三村 征雄(みむら ゆきお、1904年11月22日 - 1984年10月16日)は、日本の数学者。.

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三村起一

三村 起一(みむら きいち、1887年8月15日 - 1972年1月28日)は、日本の実業家。住友鉱業(現住友金属鉱山)初代社長、石油開発公団初代総裁などを歴任。.

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三根円次郎

三根 円次郎(みね えんじろう、1873年 - 1935年3月18日)は長崎県大村市出身の日本の教育者である。.

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三樹樹三

三樹 樹三(みき きぞう、1895年(明治28年)1月『新編日本の歴代知事』792頁。 - 1948年(昭和23年)12月15日)は、日本の内務官僚。官選島根県知事。.

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三沢寛一

三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月『新編日本の歴代知事』197頁。 - 1968年(昭和43年)7月15日『朝日新聞』(東京本社発行)1968年7月16日朝刊、15面の訃報より。)は、日本の文部・内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山形県知事、島根県知事、札幌観光協会長。.

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三木清

三木清 三木 清(みき きよし、1897年1月5日 - 1945年9月26日)は、(西田左派を含めた上での)京都学派の哲学者。弟に中国文学者の三木克己がいる。.

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三浦公亮

三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )は、日本の航空宇宙工学者。専門は宇宙構造物の設計。東京大学名誉教授。東京大学宇宙航空研究所助教授、文部省宇宙科学研究所教授を歴任。 チューハイ缶などに使われている「PCCPシェル」や、地図や人工衛星のパネルの畳み方の「ミウラ折り」を考案したことで知られる。.

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下坂藤太郎

下坂 藤太郎(しもざか とうたろう、1868年11月17日(明治元年10月4日) - 1941年(昭和16年)1月12日)は、日本の大蔵官僚、実業家。理財局銀行課長を最後に退官し、台湾銀行理事、副頭取を歴任。東洋製糖(のち大日本製糖)、東洋海上保険(のち日新火災海上保険)、日商(のち日商岩井)の各社長。.

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下田弘

下田 弘(しもだ ひろし、1908年9月2日 - )は、日本の哲学者、武蔵工業大学名誉教授。 女子教育者下田次郎の四男として東京に生まれる。1932年東京帝国大学哲学科卒。1939年第一高等学校教授、1944年病気のため退職。1950年清泉女子大学教授、1956年武蔵工業大学教授となり、1959年から1967年まで図書館長。1979年辞職、名誉教授、1981年勲三等瑞宝章。 三兄が下田武三、長男は東京大学教養学部名誉教授の下田弘之(1940-、英語)、姪にエッセイストの岸本葉子がおり、鎌倉に住む哲学者の伯父さんとして登場する。弟下田吉人(1917- )は外交官で元アルジェリア大使。.

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下田武三

下田 武三(しもだ たけそう朝日新聞大阪版 1995年1月23日 1面、1907年4月3日 - 1995年1月22日)は、日本の外交官。外務事務次官、駐米大使、最高裁判所判事、日本野球機構コミッショナー。東京府出身。 外交官、外務省官僚としてポツダム宣言の翻訳を始め、日米安全保障条約、沖縄返還、日米繊維交渉など、戦後の日米交渉に深く関与した 。 プロ野球のコミッショナーとしては、時代の求めていたプロ野球と野球界の近代化に手腕を振るった。.

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下条康麿

下条 康麿(しもじょう やすまろ、1885年(明治18年)1月20日 - 1966年(昭和41年)4月25日)は、日本の政治家、内務官僚、統計学および社会学者。経済学博士。貴族院議員、参議院議員、吉田茂内閣の文部大臣を歴任した。 厚生大臣を務めた下条進一郎は長男、衆議院議員の下条みつは孫に当たる。.

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下村健

下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。愛称は「シモケン」。.

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下村宏

下村 宏(しもむら ひろし、1875年(明治8年)5月11日 - 1957年(昭和32年)12月9日)は、明治・大正・昭和の官僚、新聞経営者、政治家、歌人。号は海南(かいなん)。 玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力したことでも知られている。拓殖大学第6代学長。.

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下村三郎

下村 三郎(しもむら かずお、1903年1月2日 - 1980年8月4日)は日本の裁判官。弁護士。最高裁判所判事。東京都出身。.

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一高記念賞

一高記念賞(いちこうきねんしょう)は、東京大学が学生の顕彰のために授与する褒賞のひとつ。教養学部および大学院総合文化研究科の前身にあたる旧制第一高等学校同窓会より拠出された一高記念基金によって2004年に制定された。毎年、当該年度において最も優秀な学業成績と学位論文を修め、学業、課外活動、社会活動等において特に顕著な業績を挙げ、他の学生の範となった同学部・同研究科の学生を顕彰するものである。2004年3月に第一回授賞式が行われ、現在まで毎年3月の卒業式・学位記授与式の際に授与が行われる。.

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一戸二郎

一戸 二郎(いちのへ じろう、1894年(明治27年)1月『新編日本の歴代知事』925頁。 - 1938年(昭和13年)10月2日)は、日本の農商務・内務官僚。官選県知事。旧姓・西。.

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九鬼周造

九鬼 周造(くき しゅうぞう、1888年2月15日 - 1941年5月6日)は、日本の哲学者。出身は東京府東京市。京都大学教授。東京帝国大学文科大学(文学部)哲学科卒業、京都帝国大学文学博士。.

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平塚らいてう

平塚 らいてう(ひらつか らいちょう、本名:平塚 明(ひらつか はる)、1886年(明治19年)2月10日 - 1971年(昭和46年)5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニスト、戦前と戦後に亘(わた)る女性解放運動家。戦後は主に反戦・平和運動に参加した。日本女子大学校(現:日本女子大学)家政学部卒「」、2005年に同大学は平塚らいてう賞を創設した平塚の卒業100年を記念して創設された賞『』参照。 平塚は、特に、大正から昭和にかけ、婦人参政権等、女性の権利獲得に奔走した活動家の一人として知られる。結局、その実現は、第二次世界大戦後、連合国軍の日本における占領政策実施機関GHQ主導による「日本の戦後改革」を待たざるを得なかった。しかし、1911年(明治44年)9月、平塚25歳の時、雑誌「青鞜」発刊を祝い、自らが寄せた文章の表題『元始、女性は太陽であった』は、女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして、永く人々の記憶に残ることとなった。 なお、氏名表記は、漢字で「平塚 雷鳥」と書く場合もあり、さらに「平塚 明子(らいてう)」の表記で評論の俎上に上がることもある。また、1908年(明治41年)3月、平塚22歳の時、塩原で、森田草平と心中未遂事件(塩原事件)を起こし、自らの名が広く知られると、本名の「平塚 明(はる)」の名で活動するなど、時期によっても平塚の氏名表記は異なる。.

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平山増之助

平山 増之助(ひらやま ますのすけ、1861年9月5日(文久元年8月1日) - 1914年(大正3年)6月29日)は、明治期の薬学博士、日本陸軍一等薬剤正。下総国出身。族籍は東京府士族ひ1369頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年11月7日閲覧。。.

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平山復二郎

平山 復二郎(ひらやま ふくじろう、1888年(明治21年)11月3日- 1962年(昭和37年)1月19日)は、日本の鉄道省官僚、土木工学者(工学博士)。鉄道省建設局長を最後に退官し、第44代土木学会会長や日本技術士会会長、パシフィックコンサルタンツ社長、ピーエス・コンクリート社長などを歴任。1957年の技術士法制定に奔走し、建設コンサルタント制度の確立に貢献。また、新幹線計画では幹線調査委員会委員としてその実現に貢献した。勲三等。墓地は谷中霊園。.

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平山雄

平山 雄(ひらやま たけし、1923年1月1日 - 1995年10月26日)は日本の医学者である。1981年にイギリス医学情報誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナルへ、「ヘビースモーカーの禁煙妻は肺がんリスクが高値:日本における調査結果」と題するいわゆる「平山論文」を発表した。 満州医科大学外科教授平山遠を父に、京都で生まれる。旧制第一高等学校を卒業し、1946年に満州医科大学を卒業後、厚生省国立公衆衛生院衛生技官を経て、1951年に医学博士を取得し、1951年から1952年にジョンズ・ホプキンス大学へ留学する。1963年から1964年はWHOでインドに勤務し、1965年から国立がん研究センター研究所疫学部長を務める。定年退職後の1985年に予防がん学研究所を設立し、所長として『禁煙ジャーナル』主宰兼禁煙活動家として活動し、1989年に第一生命保険より保健文化賞を受賞する。1995年にがんで死亡する。.

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平山洋三郎

平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、1900年(明治33年)6月22日『平成新修旧華族家系大成』下巻、423-424頁。 - 1970年(昭和45年)10月11日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。)は、大正・昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。.

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平岡倭文重

平岡 倭文重(ひらおか しずえ、1905年(明治38年)2月18日 - 1987年(昭和62年)10月21日)は、作家・三島由紀夫(本名:平岡公威)の母。漢学者・橋健三の次女。加賀藩の漢学者・橋健堂の孫。少年時代の三島由紀夫の文学的才能を発見し、その成長を励ました。.

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平岡梓

平岡 梓(ひらおか あずさ、1894年(明治27年)10月12日 - 1976年(昭和51年)12月16日)は、日本の農商務官僚。内務官僚・平岡定太郎の長男。作家・三島由紀夫の父「II 三島由紀夫の祖先を彩る武家・華族・学者の血脈」()「三島由紀夫伝」(『現代日本文学館』文藝春秋、1966年8月)。有元伸子「平岡家」()。少年時代の三島の執筆活動に大反対し、あえて悪役を買って出たことで、三島の反骨精神を目覚めさせて作家としての成長を間接的に助けた「わが友・平岡梓」()越次倶子「平岡梓」()。息子・三島の死後は、その毒舌的なシニカルさや、ブラック・ユーモアの入り交ざった回想録『伜・三島由紀夫』を著し、貴重な三島資料を残したことで知られる。.

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平三郎

平 三郎(たいら さぶろう、1908年11月5日 - 1969年9月3日)は、日本の技師、緯度観測員。岩手県出身。 旧制第一高等学校の理科室に勤めていたところを、岩手県水沢市の国立緯度観測所(現・水沢VLBI観測所)の当時の所長である木村栄に見いだされ、1923年から同所に勤務。 緯度観測用の眼視天頂儀(望遠鏡)の接眼レンズに1ミクロン以下のクモの糸を貼りつける仕事を40年以上にわたって続け、緯度観測に貢献した。地味ながら高度の精密さを必要とする重要な仕事であり、この技術と観測方法は当時、日本以外にも世界中の天文台で採用され、天文学の研究と発展に大きく貢献することとなった。第二次世界大戦にクモの糸が品切れして輸入も途絶えた際には、クモ図鑑を熱心に調べた末、山野を歩き回ってクモの糸を採集するという徹底ぶりだった。 ほかにも、木村の助手として緯度観測所の多数の施設や機器の修理や調整に貢献しており、高い評価を得た。緯度観測所の日常業務は観測やデータ処理が中心であり、平はそれらの仕事を担った地元の優秀な人材の中心だとの声もある。これらの功績を称えられ、1960年に科学技術長官賞、1967年には第1回吉川英治文化賞を受賞した。 テニスを趣味とし、その腕前は岩手でも屈指であったが、1969年8月31日に大学研究所間の親善のために開催された大会に出場中に脳出血で倒れ、その3日後の9月3日、仙台市立病院で死去。没年齢60歳。没後には勲六等単光旭日章を授けられた。 なお妻の平キヌは、小説家・高橋克彦の母の従姉妹にあたる。.

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平井章

平井 章(ひらい あきら、1899年(明治32年)1月21日『新編日本の歴代知事』462頁。 - 1970年(昭和45年)8月2日『朝日新聞』(東京本社発行)1970年8月3日夕刊、9面の訃報より。)は、日本の内務・厚生官僚。官選県知事。.

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平井隆太郎

平井 隆太郎(ひらい りゅうたろう、1921年2月15日 - 2015年12月9日)は日本の心理学者、新聞学者。立教大学名誉教授。.

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平生釟三郎

平生 釟三郎(ひらお はちさぶろう、慶応2年5月22日(1866年7月4日) - 昭和20年(1945年)11月27日)は、日本の実業家、教育者(甲南学園創立者)、政治家(廣田内閣で文部大臣、貴族院勅選議員、枢密顧問官)。.

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平田禿木

平田 禿木(ひらた とくぼく、1873年(明治6年)2月10日 - 1943年(昭和18年)3月13日)は、英文学者、翻訳家、随筆家。.

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平田昭彦

ラ』で平田が演じた芹沢博士 平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年12月16日 - 1984年7月25日)は、日本の俳優。本名は小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。吉江企画に所属していた。 日本統治時代の朝鮮の京城(現在のソウル)生まれの東京都中野区出身。主に東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。.

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平賀譲

平賀 譲(ひらが ゆずる、1878年(明治11年)3月8日 - 1943年(昭和18年)2月17日)は、日本の海軍軍人、工学者、華族。海軍技術中将従三位男爵、東京帝大総長、工学博士。東京府(現・東京都)生まれ、本籍地は広島県広島市。父は芸州藩士から維新政府に仕えた主計官。兄・徳太郎は海軍軍人。 大正時代から昭和初期にかけて海軍艦政本部で艦艇設計に従事し、妙高型重巡洋艦などの画期的な重武装艦を設計したことで知られる。.

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平野万里

平野 万里(ひらの ばんり、1885年5月25日 - 1947年2月10日)は、歌人、詩人である。本名は平野久保(ひさやす)八角真、明治大学教養論集、1968-03。 埼玉県北足立郡大門町(現:さいたま市緑区)の甚三の次男として生まれる。1890年一家が上京し、本郷森川町三二番地に住んだ。実家は煙草屋を営み、生まれたばかりの森於莵を5歳まで預かった。 本郷区立駒本尋常高等小学校を経て、当時、錦城、共立、日本中学と並んで、東京の四大私立学校の一つに数えられていた有名校郁文館中学に学ぶ。同校を1901年卒業の年、新詩社入社、翌年9月一高入学。1905年東京帝大工科大学応用化学科に進んだ。「明星」に短歌・詩・翻訳などを多数発表している。1907年、歌集『わかき日』刊行。 1908年に大学を卒業、その翌年横浜の会社に入り、1910年満鉄中央試験所の技師として大連に赴任する。その間「明星」廃刊のあと、石川啄木らと「スバル」創刊に尽し、同誌に小説・戯曲を発表している。1912年末から1915年までドイツに留学、帰国後農商務省技師となり、1938年商工省退官まで勤めた。大正前期作歌は一時中断したが、1921年第二次「明星」創刊に参画してから、与謝野夫妻が没するまで与謝野鉄幹、与謝野晶子夫妻と相伴うようにして協力し、同行して作品を発表した。1923年には、『鴎外全集』の編集子も務めている。 妻で歌人の玉野花子とともに、多磨霊園に眠る。.

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平野義太郎

平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1980年2月8日)は、日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。 後藤新平の義理の姪婿で、獄中転向で有名な元日本共産党委員長佐野学、共産党系演劇人でインターナショナル訳詞者の佐野碩、武装共産党時代の党指導者佐野博、鶴見和子・俊輔姉弟とは姻戚に当たる。.

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平野龍起

平野 龍起(ひらの たつき、1888年(明治21年)2月16日『日本の歴代市長』第3巻、p650 - 1945年(昭和20年)8月10日)は、熊本市長。弁護士。.

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平沢要

平沢 要(ひらさわ かなめ、1891年(明治24年)4月11日 - 1957年(昭和32年)5月25日戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、193頁。)は、日本の逓信官僚。.

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平沼騏一郎

平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう、慶応3年9月28日(1867年10月25日) - 昭和27年(1952年)8月22日)は、日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は法学博士。号は機外。 大審院検事局検事総長(第8代)、大審院長(第11代)、日本大学総長(第2代)、大東文化学院総長(初代)、財団法人大東文化協会会頭(第3代)、司法大臣(第26代)、貴族院議員、枢密院副議長(第11代)、枢密院議長(第17・21代)、内閣総理大臣(第35代)、国務大臣、内務大臣(第62代)などを歴任した。.

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平沙の北に

平沙の北に」 (へいさのきたに) は、旧制第一高等学校 (一高) の寮歌の一つ。正式名称は「第十五回紀念祭南寮寮歌」。「平沙の北に」 とは 1番の歌い出しの文言である。.

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平敏孝

平 敏孝(たいら としたか、1893年(明治26年)9月『人事興信録』第11版 下、タ122頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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年度別スポーツ記事一覧

年度別スポーツ記事一覧(ねんどべつスポーツきじいちらん) このページは、それぞれの年度別スポーツ記事に対するインデックスである。各年ごとにその年に起こった重要事項を記す。 2010年代 - 2000年代 - 1990年代 - 1980年代 - 1970年代 - 1960年代 - 1950年代 - 1940年代 - 1930年代 - 1920年代 - 1910年代 - 1900年代 - 1890年代 - 1880年代 - 1870年代 - 1860年代 - 1850年代 - 1840年代以前.

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幸徳秋水

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい、1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。 本名は、幸徳 傳次郎(こうとく でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。.

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幸田成友

幸田 成友(こうだ しげとも、1873年3月9日 - 1954年5月15日)は、日本の歴史学者。.

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幾代通

幾代 通(いくよ とおる、1923年(大正12年)3月30日 - 1991年(平成3年)1月31日)は、日本の民法学者。東北大学名誉教授。従三位勲二等法学博士。.

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乾政彦

乾 政彦(いぬい まさひこ、1876年11月 - 1951年4月)は、奈良県出身の法学者、弁護士、貴族院議員。弟の東季彦と共に佐佐木信綱門下の歌人としても知られた。.

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久原躬弦

久原 躬弦(くはら みつる、1856年1月5日(安政2年11月28日) - 1919年(大正8年)11月21日)は明治時代から大正時代にかけての日本の化学者。理学博士。 第一高等学校(東京大学教養学部の前身)校長、東京化学会(日本化学会の前身の一つ)会長、京都帝国大学(京都大学の前身)理工科大学長・総長を歴任した。研究者としては有機化学を専門とし、特にベックマン転位の研究などで業績を挙げている。.

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久山秀雄

久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年(明治38年)1月23日 - 1971年(昭和46年)8月23日『日本近現代人物履歴事典』423-424頁。)は、日本の内務・警察官僚。陸軍司政官、内務省警保局長。.

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久世庸夫

久世 庸夫(くせ つねお、1875年 - 1945年7月31日)は、日本の政治家、大蔵官僚。 第8,9,12,13代福岡市長。.

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久保亮五

久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学で教授、パリ大学、シカゴ大学、ペンシルベニア大学、ニューヨーク州立大学で客員教授を務めた。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 特に線形応答理論の構築に貢献し、彼の提案した理論は「久保理論」の名でも呼ばれている。 1997年に生前の業績を記念して井上科学振興財団が久保亮五記念賞を創設した。.

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久保栄

久保 栄(くぼ さかえ 1900年(明治33年)12月28日 - 1958年(昭和33年)3月15日)は、日本の劇作家・演出家・小説家・批評家。代表作に『火山灰地』、『のぼり窯』などがある。.

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久米正雄

久米 正雄(くめ まさお、1891年(明治24年)11月23日 - 1952年(昭和27年)3月1日)は、日本の小説家、劇作家、俳人。俳号は三汀(さんてい)。“微苦笑”という語の発明者として有名。永井龍男は義弟(永井の妻が、久米の妻の妹)。息子の久米昭二はNHKの演芸番組のディレクターとなり、女優の音羽美子と結婚した。.

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久松定弘

久松 定弘(ひさまつ さだひろ、1857年1月27日(安政4年1月2日『平成新修旧華族家系大成』下巻、400-401頁。)- 1913年(大正2年)7月7日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』52頁。)は、明治期の哲学者、官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・弘太郎。.

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久松潜一

久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年12月16日 - 1976年3月2日)は、日本の国文学者。文学博士。.

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久曾神昇

久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - 2012年9月23日)は、日本の国文学者、愛知大学第9代学長。勲二等瑞宝章。.

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乙骨三郎

乙骨 三郎(おっこつ さぶろう、1881年(明治14年)5月17日 - 1934年9月19日)は、日本の作詞家、音楽教育者。東京都出身。 東京音楽学校教授や國學院大學講師として西洋音楽の普及、教育に努めた。また『日の丸の旗』『浦島太郎』『池の鯉』といった唱歌の作詞者としても知られる。.

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床次竹二郎

床次 竹二郎(とこなみ たけじろう、慶応2年12月1日(1867年1月6日) - 昭和10年(1935年)9月8日)は、日本の官僚、政治家、衆議院議員、内務大臣、鉄道大臣、逓信大臣、政友本党総裁。鹿児島県士族『人事興信録.

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京華中学高等学校

京華中学高等学校(けいかちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山五丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から外部進学生徒との間で、S特進コース及び進学コースにあっては第2学年から、特進コースにあっては第1学年から、それぞれ混合してクラスを編成する併設型中高一貫校でもある。.

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京都大学の人物一覧

京都大学の人物一覧(きょうとだいがくのじんぶついちらん)は、京都大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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京都府立洛北高等学校・附属中学校

京都府立洛北高等学校・附属中学校(きょうとふりつ らくほくこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、京都府京都市左京区に所在する府立中学校・高等学校である。併設型中高一貫校。.

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府立高等学校 (旧制)

旧制府立高等学校(きゅうせいふりつこうとうがっこう)は、1929年(昭和4年)2月に東京市(現東京都)に設立された公立(東京府立)の旧制高等学校(のち都立高等学校と改称)。.

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広岡謙二

広岡 謙二(廣岡 謙二、ひろおか けんじ、1901年1月27日 - 1995年6月30日)は、日本の内務官僚。石川県知事、警視総監。.

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広島東洋カープ

広島東洋カープ(ひろしまとうようカープ、)は、日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。 広島県を保護地域とし、同県広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島を専用球場(本拠地)としている。また、二軍(ウエスタン・リーグ所属)の本拠地は山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場である。.

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広田弘毅

広田 弘毅(ひろた こうき、旧字体:廣田、1878年(明治11年)2月14日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。旧名は丈太郎(じょうたろう)。 外務大臣(第49・50・51・55代)、内閣総理大臣(第32代)、貴族院議員などを歴任した。第二次世界大戦後の極東軍事裁判で文官としては唯一のA級戦犯として有罪判決を受け死刑となった。.

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広瀬久忠

広瀬 久忠(ひろせ ひさただ、1889年(明治22年)1月22日 - 1974年(昭和49年)5月22日)は日本の官僚、政治家。.

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広瀬豊作

広瀬 豊作(ひろせ とよさく、、1891年11月17日 - 1964年4月12日)は、大正・昭和期の大蔵官僚。鈴木貫太郎内閣大蔵大臣。石川県金沢市出身。.

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広瀬雄

府立三中校長時代の広瀬雄 広瀬 雄(ひろせ たけし、1874年 - 1964年)は、日本の教育者。.

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広津柳浪

広津 柳浪(ひろつ りゅうろう、1861年7月15日(文久元年6月8日) - 1928年(昭和3年)10月15日)は、日本の小説家。肥前国生まれ、本名直人、別号に蒼々園。硯友社同人となり、「残菊」で認められる。「変目伝」「今戸心中」「黒蜥蜴」などの低階級社会の暗部を描いた作品で、悲惨小説、深刻小説と称された。小説家の広津和郎は子。.

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五島慶太

五島 慶太(ごとう けいた、1882年(明治15年)4月18日 - 1959年(昭和34年)8月14日)は日本の実業家。東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者。正三位勲一等。旧姓は小林。.

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五味智英

五味 智英(ごみ ともひで、1908年11月30日 - 1983年3月9日)は、日本の文学者(上代文学)、万葉集の権威である。 長野県下諏訪町出身。旧制諏訪中学、第一高等学校を経て、1935年、東京帝国大学文学部国文科卒業。旧制第一高等学校教授、東京大学教授、文学部長、同名誉教授。学習院大学教授。上代文学会会長等歴任。 1980年11月3日叙勲二等授瑞宝章。 長兄はアララギ歌人でやはり万葉学者の五味保義。.

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五来欣造

五来 欣造(ごらい きんぞう、1875年(明治8年)6月 - 1944年(昭和19年)8月1日)は、日本の政治学者、文学者、読売新聞主筆、明治大学教授、早稲田大学教授、皇化連盟代表。茨城県出身。五来素川(ごらい そせん)や斬馬剣禅(ざんば けんぜん)の筆名での作品を残す。青年時代に植村正久の教えをうけた敬虔なクリスチャンであった。.

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井口洋夫

井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は日本の化学者。東京大学名誉教授。広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。父の井口豊八郎は広島高等工業学校教授を務めた。兄の井口牧郎は元名古屋高等裁判所長官。.

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井坂孝

井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日)- 1949年(昭和24年)6月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。.

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井川忠雄

井川 忠雄(いかわ ただお、男性、1893年2月15日 – 1947年2月18日)は、日本の大蔵官僚、政治家。太平洋戦争開戦前、日米民間人交渉に携わった人物として知られる。.

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井上十吉

井上 十吉(いのうえ じゅうきち、文久2年10月28日(1862年12月19日) - 昭和4年(1929年)4月7日)は、明治期の英語学者、和英辞典編纂者、官吏。ヘボンの影響を脱した最初の和英辞典である『新訳和英辞典』を完成させた。曽孫に井上真紀(歌手)、甥に柴山格太郎(学文社、がくぶん総合教育センター創立者)。.

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井上孝 (都市計画家)

井上 孝(いのうえ たかし、1917年 - 2001年)は、日本の都市計画家。技術者。都市工学者、都市研究者。建設官僚。東京大学名誉教授。東京大学工学部、横浜国立大学工学部教授を歴任し、全国各地の都市計画に関する審議会や委員会委員をつとめて全国各地や海外の計画に関与、また長きにわたり都市計画の研究と人材の育成につとめる。戦後結成された国際住宅都市計画連合IFHPでは初代理事で後に会長。米国生まれ。.

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井上孝哉

井上孝哉の肖像写真 井上 孝哉(いのうえ こうさい、1870年11月7日(明治3年10月14日) - 1943年(昭和18年)11月22日)は、日本の官僚・政治家。元衆議院議員。岐阜県出身。岐阜中学(現在の岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て東京帝国大学(現在の東京大学)卒業。.

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井上密

井上 密(いのうえ ひそか、慶応3年10月2日(1867年10月28日) - 大正5年(1916年)9月13日)は、日本の法学者、政治家。専門は憲法学。.

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井上忠

井上 忠(いのうえ ただし、1926年3月25日 - 2014年9月20日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。.

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井上匡四郎

井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年4月30日 - 1959年3月18日)は、日本の工学者、政治家。工学博士、貴族院議員、子爵。.

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井上哲次郎

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。.

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井上円了

四聖堂(哲学堂) 井上 円了(井上 圓了、いのうえ えんりょう、1858年3月18日(安政5年2月4日) - 1919年(大正8年)6月6日)は、仏教哲学者、教育者。 多様な視点を育てる学問としての哲学に着目し、哲学館(現:東洋大学)を設立した。また迷信を打破する立場から妖怪を研究し『妖怪学講義』などを著し、一方で「お化け博士」、「妖怪博士」などと呼ばれた。.

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井上禅定

井上 禅定(いのうえ ぜんじょう、1911年(明治44年)1月20日 - 2006年(平成18年)1月26日)は、日本の禅僧。元東慶寺住職。相模工業大学教授。学僧として名高く、また自然保護運動でも活躍した。.

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井上赳

井上 赳(いのうえ たけし、1889年7月23日 - 1965年7月20日)は、島根県出身の文部官僚。1930年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心となった。.

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井上良雄

井上 良雄(いのうえ よしお、1907年9月25日 - 2003年6月10日)は、文芸評論家、神学者。.

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井上栄一

井上 栄一(いのうえ えいいち、1917年(大正6年)1月1日 - 1993年(平成5年)3月3日)は、日本の陸軍航空技術将校、科学記者、農林技官、気象学者、農業気象学者、微気象学者、理学博士。元農林省農業技術研究所物理統計部気象科科長、日本農業気象学会永年功労会員。.

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井野碩哉

井野 碩哉(いの ひろや、1891年(明治24年)12月12日 - 1980年(昭和55年)5月19日)は、日本の政治家、官僚。農林大臣(第20代)、拓務大臣、弾劾裁判所裁判長(第30代)、衆議院議員(1期)。戦後の公職追放解除後、参議院議員(3期)、法務大臣などを務めた。兄は満州国最高法院長の井野英一。.

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井本臺吉

井本 臺吉(台吉)(いもと だいきち、1905年4月3日 - 1995年11月9日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長(在任期間 1967年11月2日 - 1970年3月31日)。.

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亀山孝一

亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日)は、日本の内務・厚生官僚、政治家。福島県知事、衆議院議員。.

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亀井高孝

亀井 高孝(かめい たかよし、1886年6月8日 - 1977年10月4日)は、日本の西洋史学者。.

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今井功 (物理学者)

今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は日本の物理学者で、文化勲章受章者。専門は流体力学で、特に航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。.

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今井嘉幸

今井 嘉幸(いまい よしゆき、1878年(明治11年)5月25日 - 1951年(昭和26年)6月30日)は、衆議院議員、弁護士。.

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今井善衛

今井 善衛(いまい ぜんえい、1913年10月5日 - 1996年4月19日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。.

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今井勇

今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。.

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今井秀喜

今井 秀喜(いまい ひでき、1914年 - 2014年5月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。 父、今井登志喜は東京帝国大学文学部の学部長を務めた歴史学者。.

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今井登志喜

今井 登志喜(いまい としき、1886年6月8日 - 1950年3月21日)は、西洋史学者、東京帝国大学名誉教授。.

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今井清一

今井 清一(いまい せいいち、 1924年2月7日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。横浜市立大学名誉教授。専門は日本近現代史・政治史。.

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今井源衛

今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 2004年8月12日)は、日本の国文学者。九州大学名誉教授、梅光女学院大学名誉教授。 三重県四日市市に生まれる。1943年第一高等学校卒業、1947年東京大学国文科卒業、大学院進学、高校教師を経て、1953年清泉女子大学助教授、1956年九大助教授、1971年「王朝文学の研究」で九州大学文学博士、教授昇任。1978年文学部長、1982年定年退官、梅光女学院大学教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 『源氏物語』研究における一方の雄だが、日本古典のレズビアン物語とされる『我身にたどる姫君』の訳註を行ったり、論文「女の書く物語はレイプからはじまる」(『王朝の物語と漢詩文』収録)で、『源氏』などのセックスの多くは強姦であると論じて、三田村雅子らの反論を呼んだ、大胆さをもった研究者であった。 2003年より『今井源衛著作集』全14巻が刊行中。2007年までに10巻分が刊行された。.

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今井敬

今井 敬(いまい たかし、1929年(昭和4年)12月23日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵(現・新日鐵住金)相談役名誉会長、元社長。日本経済団体連合会名誉会長で、第9代経済団体連合会会長。現在は公益財団法人国際花と緑の博覧会記念協会会長、全日本交通安全協会の会長・新潟県知事泉田裕彦後援会相談役、公益財団法人日本国際フォーラム代表理事(会長)、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役などを務める。.

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今道友信

今道 友信(いまみち とものぶ、1922年11月19日 - 2012年10月13日)は、日本の美学者・中世哲学研究者である。東京大学名誉教授、国際形而上学会会長、国際美学会終身委員兼名誉会長、国際エコエティカ学会名誉会長。元哲学美学比較研究国際センター所長。日本美容専門学校校長。日本アスペン研究所特別顧問。離婚歴があり、ギタリストで元BARBEE BOYSのメンバー・いまみちともたか、ピアニストの川口信子は実子。現在の妻、ドイツ人のクリスティネとの間には、ドイツ在住の今道友紀子とニューヨーク市立大学で心理学を助教授として教える、今道友昭がいる。 「エコエティカ」(生圏倫理学)なるものを提唱していた。 息子のいまみちともたかによると、オーディオ・マニアであり、また息子のために趣味で作曲した「子守歌」を大阪万博の際、演奏したという。.

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今東光

今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽仏門に入った後は今春聽が戸籍名、今東光が筆名となった。自筆年譜には「午前5時、日輪と共に生る。依て父母之に命名して東光」とある。)、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。.

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今村均

今村 均(いまむら ひとし、1886年6月28日 - 1968年10月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。 温厚で高潔な人柄と、占領地での軍政・指導能力は高く、名将という評価を受けている。その人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民だけでなく、敵国であった連合国側からも称えられている。.

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今村次吉

今村 次吉(いまむら じきち、1881年3月 - 1943年4月17日)は、日本の官僚、実業家。東京帝国大学卒業。大日本蹴球協會(日本サッカー協会の前身)初代会長。大日本レスリング協会(日本レスリング協会の前身)会長。大日本陸上競技連盟(日本陸上競技連盟の前身)顧問。.

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今村明恒

今村 明恒(いまむら あきつね、1870年6月14日(明治3年5月16日) - 1948年1月1日)は日本の地震学者。.

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今泉嘉一郎

胸像(群馬県みどり市) 今泉 嘉一郎(いまいずみ かいちろう、1867年7月28日(慶応3年6月27日)- 1941年(昭和16年)6月29日)は、日本鉄鋼技術史上の功労者。工学博士。日本鋼管(現・JFEホールディングス)創業者で民営製鉄所を育成し、「日本の近代製鉄の父」「近代産業の父」と称される。.

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仁田勇

仁田 勇(にった いさむ、1899年(明治32年)10月19日 - 1984年(昭和59年)1月16日)は、日本の物理化学者。東京都文京区小石川生まれ。大阪大学名誉教授、関西学院大学名誉教授。.

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仮面浪人

仮面浪人(かめんろうにん)とは、大学に入学・在籍しながら、それとは別の希望する大学や希望する学部の入学試験のための勉強をしている状態にある学生・受験生の日本での俗称。.

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建国大学

建国大学(けんこくだいがく)は、かつて存在した「満州国」の首都・新京(長春)にあった国務院直轄の国立大学。略称は建大。1938年5月に開学、1945年8月満州国崩壊に伴い閉学した。この間に学生を9期生までを受け入れ、約1,400名が在籍した。 板垣征四郎と石原莞爾の「アジア大学」構想に端を発し辻政信により素案が作成されるも後に石原と対立する平泉澄ら創立委員が創立委員長の東条英機の「建国大学創設要綱案」を修正した案で決定された。式典には満洲国皇帝溥儀が出席することもあった。 跡地には現在長春大学がある。.

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建部遯吾

建部 遯吾(たけべ とんご、明治4年3月21日(1871年5月10日) - 昭和20年(1945年)2月18日)は、社会学者、東京帝国大学教授、政治家。 新潟県蒲原郡横越村(現新潟市江南区横越中央)出身。1896年帝国大学文科大学哲学科卒。翌年から講師として母校の社会学講座を担当、1898年ヨーロッパ留学、留学中1900年助教授に任ぜられ、1901年帰国してただちに東京帝大教授。帝大社会学講座の初代担当教授として長く建部時代を築いた。1922年退官。1913年日本社会学院(学会)を創設、主宰した。オーギュスト・コントに依拠した総合的社会学を講じた。対露強硬論を唱えた。その後、衆議院議員をへて1938年貴族院議員。.

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仇浪騒ぐ濁り世の

仇浪騒ぐ濁り世の (あだなみさわぐにごりよの) は旧制第一高等学校第十七回紀念祭東寮寮歌。一般には「仇波」と言う場合が多い。.

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伊原五郎兵衛

伊原 五郎兵衛(いはら ごろうべい、1880年10月8日 - 1952年4月3日)は、長野県飯田市出身の実業家・鉄道経営者。 伊那電気鉄道株式会社専務取締役を務めた後、1928年4月1日に筑摩電気鉄道(現アルピコ交通)社長に就任し、1932年には社名を松本電気鉄道に変更、バス事業を拡大しつつ電車の運行と調和させ、折からの不況下での事業経営にあたった。幼名は恒次、1906年に9代目五郎兵衛を襲名した 。.

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伊原隆

伊原 隆(いはら たかし、1908年6月5日 - 1976年9月24日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。大蔵省理財局長、横浜銀行頭取、全国地方銀行協会会長、横浜商工会議所会頭などを歴任した。.

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伊原敏郎

伊原 敏郎(いはら としお)、1870年5月24日(明治3年4月24日) - 1941年(昭和16年)7月26日)は、日本の演劇評論家、劇作家。青々園(せいせいえん)という筆名を使用したため、伊原青々園としても知られる。.

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伊豆の踊子

『伊豆の踊子』(いずのおどりこ)は、川端康成の短編小説。川端の初期の代表作で、伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にしている「湯ヶ島での思ひ出」(草稿107枚、1922年夏)。『少年』内への引用作品。に抜粋掲載「少年」(人間 1948年5月号-1949年3月号)。に所収。に第5、6、7、9回分掲載「『伊豆の踊子』成立考」(「新感覚派――『文藝時代』の出発」()。孤独や憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が、素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と、彼女との悲しい別れまでが描かれている「三 出世作『伊豆の踊子』の慕情」()。 日本人に親しまれている名作でもあり、今までに6回映画化され、ヒロインである踊子・薫は田中絹代から吉永小百合、山口百恵まで当時のアイドル的な女優が演じている奥野健男「解説――鮮やかな感覚表現」()。.

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伊藤吉之助

伊藤 吉之助(いとう きちのすけ、1885年(明治18年)1月4日 - 1961年(昭和36年)7月7日)は、日本の哲学者。.

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伊藤好道

伊藤 好道(いとう こうどう、1901年12月5日 - 1956年12月10日)は、日本の政治家。左派社会党の衆議院議員(3期)。.

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伊藤久松

伊藤 久松(いとう ひさまつ、1896年(明治29年)9月28日『新編日本の歴代知事』1072頁。 - 1983年(昭和58年)1月4日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』66頁。)は、日本の内務官僚、弁護士。官選大分県知事。.

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伊藤律

伊藤 律(いとう りつ、1913年6月27日 - 1989年8月7日)は、日本の政治運動家、元日本共産党政治局員。岐阜県土岐郡土岐村市原(現・瑞浪市)出身(広島県生まれ日外アソシエーツ『近代日本社会運動史人物大事典』1997年、p340に「出生は父連次郎の勤務先広島」と記述されている(近代日本社会運動史人物大事典編集委員会編 『近代日本社会運動史人物大事典』 日外アソシエ-ツ)。)。幼名は、恵一。中国名は、顧青。.

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伊藤律会見報道事件

伊藤律会見捏造事件(いとうりつかいけんねつぞうじけん)とは、朝日新聞による虚偽報道である。.

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伊藤初代

伊藤 初代(いとう はつよ、1906年(明治39年)9月16日 - 1951年(昭和26年)2月27日)は、川端康成の元婚約者。15歳の時に22歳の川端と婚約し、その1か月後に突然婚約破棄を告げた女性である「父母への手紙」(第一信)(若草 1932年1月号)。、、に所収「あとがき」(『川端康成全集第2巻 温泉宿』新潮社、1948年8月)。に所収。その事件による失意が川端の生涯の転機となり、様々な作品に深い影響を与えたことで知られる長谷川泉「川端康成における詩と真実」()三枝康高「特別レポート 川端康成の初恋」(『川端康成入門』有精堂、1969年4月)。「川端康成の初恋」(図書新聞 1973年1月1日号)。川嶋至「『伊豆の踊子』を彩る女性」(上・下)(北海道大学国文学会 国語国文 第18・19号、20号、1961年3月、12月)。「第三章 精神の傷あと―『みち子もの』と『伊豆の踊子』―」()「第十六章 川端康成の恋」()、。川端の永遠に満たされることのなかった青春の幼い愛は、清潔な少女への夢や、聖処女の面影への憧憬を残し、孤児の生い立ちの克服という命題と融合しながら独自の基盤をなして、川端文学の形成に寄与した長谷川泉「川端文学とノーベル賞――盈虚の美学の微茫な接点」()。 伊藤初代との事件を直接題材にした作品群は、発表当時は刊行本収録されず、川端の数え年50歳を記念した全集に初収録され、川端自身が「あとがき」において当時の日記(実名部分は仮名でみち子)を交えて半生を振り返りながら、そのモデルの存在について初めて具体的に詳らかにした「あとがき」(『川端康成全集』全16巻本。新潮社、1948年5月-1954年4月)。のち、「あとがき」をまとめてに再録。「川端康成・愛の体験」(愛知教育大学国語国文学報 第29号、1976年3月)。に所収。それ以降、その事件と川端文学との関連が論者の間で考慮され始め、川端のノーベル文学賞受賞以後は、より詳細な研究が進み、「伊藤初代」の実名や家族関係などが明らかとなり、川端没後は、さらに新たな事実関係や周辺人物の実名・地名が解明された。 2014年(平成26年)には、川端が初代に宛てた未投函の書簡1通と、初代から川端に宛てた書簡10通が川端の旧宅から発見され、川端が小説内で引用した文面との関連が確認された「川端康成 初恋の手紙発見」(読売新聞 2014年7月9日号・22面) (産経ニュース 2014年7月9日付)。また同年、初代の遺族の証言により、謎であった婚約破棄通告の真相の一端が事実であった可能性が明らかとなり、川端研究再考の一助となった「第一章 死の影のもとに――〈魔界〉の淵源 第七節 喪われた物語『篝火』」()。.

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伊藤和夫

伊藤 和夫(いとう かずお、1927年?月?日 - 1997年1月21日)は、長野県出身の教師。元駿台予備学校英語科講師、同主任。学校法人駿河台学園理事、駿河台大学理事、客員教授。『基本英文700選』、『英文解釈教室』、『ビジュアル英文解釈』などの英語参考書で知られ、「受験英語の神様」、「受験英語界の巨人」刀祢館正明「英語をたどって 5」『朝日新聞』2013年11月13日夕刊1面とも呼ばれる。.

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伊藤貞市

伊藤 貞市(いとう ていいち、1898年9月27日 - 1980年10月10日)は日本の地球科学者。東京大学名誉教授。専門は鉱物学・結晶学。理学博士(東北帝国大学、1939年)。大阪市出身。シカゴ大学などに在籍し、鉱物学者として活躍した伊藤順は、貞市の子息である。.

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伊藤正己

伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。元最高裁判所判事、東京大学名誉教授、日本学士院会員(第2分科(法律学・政治学))。 弟に伊藤正元住友商事社長。名前の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。.

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伊藤武夫

伊藤 武夫(いとう たけお、1887年(明治20年)3月4日 - 1968年(昭和43年)3月4日)は、日本の砂防工学者、農林技官、林学博士。第2代新潟県立農林専門学校校長、元新潟大学農学部学部長、新潟大学名誉教授。.

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伊藤泰吉

伊藤 泰吉(いとう たいきち、1899年(明治32年)12月17日 - 1965年(昭和40年)7月31日)は、日本の政治家、朝鮮総督府官僚。川越市長(6期)。.

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伊藤清 (島根県知事)

伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日『新編日本の歴代知事』795頁。 - 1980年(昭和55年)2月16日『現代物故者事典 1980-1982』29頁。)は、日本の内務官僚、国会職員。官選島根県知事。.

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伊藤漱平

伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2009年12月21日)は、日本の中国文学者。東京大学、二松學舍大学名誉教授。 愛知県碧海郡に生まれる。刈谷中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学支那哲文学科を卒業、大学院に進む、1949年北海道大学助手となり退学、1955年島根大学講師、1960年大阪市立大学助教授、1970年北海道大学中国文学科教授、1977年東京大学中国文学科教授。1986年、定年退官し二松學舍大学教授。2002年春、勲三等旭日中綬章受勲。 『紅楼夢』の訳者として知られ、『伊藤漱平著作集』全5巻がある。.

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伊藤昌哉

伊藤 昌哉(いとう まさや、1917年11月21日 - 2002年12月13日)は、日本の政治評論家。満州生まれ。池田勇人内閣総理大臣の秘書官を経て、政治論壇や宏池会で活動した。愛称は「ブーちゃん」。池田内閣の影の官房長官と呼ばれた。.

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伊東延吉

伊東 延吉(いとう えんきち、1891年(明治24年)5月1日 – 1944年(昭和19年)2月7日)は、日本の文部官僚。.

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伊東忠太

伊東 忠太(いとう ちゅうた、1867年11月21日(慶応3年10月26日) - 1954年(昭和29年)4月7日) は、明治から昭和期の建築家、建築史家である。山形県米沢市出身。号は紅雲。位階・勲等・学位・称号は、正三位・勲二等瑞宝章・工学博士・東京帝国大学名誉教授・米沢市名誉市民第1号。早稲田大学教授。兄に九州帝国大学医科大学学長・九州医学専門学校(現久留米大学)初代校長の伊東祐彦、叔父(父の弟)に、官僚・政治家の平田東助がいる。.

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伊東隆治

伊東 隆治(いとう たかはる、1898年7月 - 1968年3月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。参議院議員(1期)。.

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式正英

式 正英(しき まさひで、1927年1月1日 - )は、日本の地理学者、お茶の水女子大学名誉教授。 東京府荏原郡入新井町(現東京都大田区)生まれ。1948年第一高等学校理科甲類卒業、1951年東京大学理学部地理学科卒業、1953年同大学院前期課程修了、建設省地図調査部地理部勤務、1959年お茶の水女子大学文教育学部講師となり、1961年助教授、1973年教授。1978年文教育学部長、1992年定年退官、名誉教授となる。.

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弥生 (文京区)

弥生(やよい)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は弥生一丁目及び弥生二丁目。郵便番号は113-0032。.

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伴俊男

伴 俊男(ばん としお、1901年(明治34年)5月23日 - 1962年(昭和37年)7月22日)は、医学博士・病理学者。 1947年(昭和22年)に順天堂大学病理学教室の教授に就任し、主に乳腺症・機能性子宮出血・未熟児の病理学的研究を行った。.

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張耀曽

張 耀曽(ちょう ようそ)は中華民国の政治家・法学者。中国同盟会に属した革命派の人物で、後に北京政府の要人となった。字は鎔西。ペー族(白族)。.

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引田重夫

引田 重夫(ひきた しげお、1899年(明治32年)10月『人事興信録』第14版 下、ヒ17頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選岩手県知事。.

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佐山総平

佐山 総平(さやま そうへい、1893年9月1日-1975年2月17日)は、大正時代から昭和時代の鉱山学者。専門は採鉱学。工学博士。北見工業大学初代学長。北海道大学および北見工業大学の名誉教授。栃木県出身。門下生に石濱渉・木下重教・磯部俊郎など.

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佐上信一

佐上 信一(さがみ しんいち、1882年(明治15年)12月19日『日本近現代人物履歴事典』239頁。 - 1943年(昭和18年)11月29日)は、日本の内務官僚。岡山県知事、長崎県知事、京都府知事、北海道庁長官などの要職を歴任した。.

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佐久間鼎

佐久間 鼎(さくま かなえ、1888年9月7日 - 1970年1月9日)は日本の心理学者、言語学者、国語学者。千葉県の生まれ。第一高等学校を経て、1913年に東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修を卒業、大学院に進んで日本語のアクセントを研究した。.

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佐伯恵眼

佐伯 恵眼(さえき えげん)、1873年(明治6年)1月20日 - 1951年(昭和26年)1月25日)は、日本の宗教家、真言宗の僧侶。真言宗総本山醍醐寺第九十六世座主、真言宗醍醐派管長、三宝院門跡、京都専門学校校長(現・種智院大学学長)。.

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佐伯敏男

佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月『新編日本の歴代知事』623頁。 - 1963年(昭和38年)4月8日)は、日本の内務・厚生官僚。官選三重県知事。.

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佐喜眞興英

佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10月26日 - 1925年(大正14年)6月13日)は、沖縄県宜野湾市出身で、民俗学者。 1912年、沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を首席で卒業し。その後上京して1915年に第一高等学校独法科を卒業し、東京帝国大学独法科に入学。在学中から柳田國男に目をかけられた。1921年に帝大を卒業すると、裁判官になり福岡市・東京市・大阪市・岡山県津山市など各地に赴任。1925年、津山にて、肺結核のため31歳で死去。.

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佐々学

佐々 學(さっさ まなぶ、1916年3月14日 - 2006年4月10日)は日本の医師、寄生虫学者、衛生動物学者。戦後日本の復興期に、八丈小島のマレー糸状虫症の研究など、公衆衛生の面で多くの業績を挙げた。.

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佐々木直

佐々木 直(ささき ただし、1907年5月19日 - 1988年7月7日)は山口県出身の第22代日本銀行総裁。.

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佐々木順三

佐々木 順三(ささき じゅんぞう、1890年3月2日 - 1976年5月2日)は日本の教育者、神学者、英文学者。.

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佐竹三吾

佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、日本の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。.

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佐竹義文 (内務官僚)

佐竹 義文(さたけ よしふみ / よしぶみ、1876年(明治9年)11月4日『新編日本の歴代知事』921頁。 - 1952年(昭和27年)12月28日『和歌山県史 人物』213頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。政友会系官選県知事。.

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佐藤基

佐藤 基(さとう はじめ、1898年(明治31年)3月23日 - 1971年(昭和46年)3月31日)は、日本の大蔵官僚。.

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佐藤友熊

佐藤 友熊(さとう ともくま、1866年1月10日(慶応元年11月24日「佐藤友熊北海道札幌区長就任ノ件」)- 1923年(大正12年)9月1日『夏目漱石周辺人物事典』14-17頁。)は、明治から大正期の検察官、警察官僚。関東都督府警視総長、札幌区長。夏目漱石の友人。.

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佐藤一郎 (政治家)

佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年5月1日 - 1993年2月26日)は、昭和時代に活躍した日本の官僚・政治家。参議院議員、衆議院議員。経済企画庁長官。自由民主党に所属した。.

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佐藤亜耶

佐藤 あや(さとう あや、1990年8月8日 - )は、宮城県出身の女性タレント。身長164cm。所属事務所はレプロエンタテインメント。.

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佐藤得二

佐藤 得二 (さとう とくじ、1899年1月30日 - 1970年2月5日)は、日本の仏教学者、作家。.

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佐藤俊夫 (倫理学者)

佐藤 俊夫(さとう としお、1921年 - )は、日本の倫理学者、東京大学名誉教授。.

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佐藤喜一郎

佐藤 喜一郎(さとう きいちろう、1894年1月22日 - 1974年5月24日)は、日本の実業家、銀行家。元帝国銀行頭取、三井銀行社長、日本棋院総裁。.

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佐藤繁彦

佐藤 繁彦(さとう しげひこ、1887年9月24日 - 1935年4月16日)は、日本の牧師、神学校教師。日本におけるマルティン・ルターの研究の開拓者である。.

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佐藤達次郎

佐藤 達次郎(さとう たつじろう、1868年12月20日(明治元年11月7日) - 1959年(昭和34年)7月20日)は、日本の明治から昭和における外科医。初代東京医学専門学校長・第三代順天堂医院長・初代順天堂大学長・女子美術大学理事長を歴任。福井県出身。.

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佐藤藤佐 (司法官)

佐藤 藤佐(さとう とうすけ、1894年1月7日 - 1985年8月29日)は、日本の裁判官、検察官、検事総長。.

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佐藤重遠

佐藤重遠の肖像写真 佐藤 重遠(さとう じゅうえん、1887年12月17日 - 1964年1月5日)は、日本の政治家、教育者、事業家。衆議院議員(4期)。研心学園(現・目白研心中学校・高等学校)設立。 政治家として、また教育者として近代日本における私学教育の振興に大きく寄与。長年の社会貢献により正五位勲三等瑞宝章、藍綬褒章を受章。.

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佐藤正四郎

佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。.

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佐藤清一郎 (医師)

佐藤 清一郎(さとう せいいちろう、1883年(明治16年)1月 - 1965年(昭和40年)5月17日)は、日本の外科医。東京医学専門学校教授、順天堂医学専門学校教授を歴任し、日本外科学会会長。東京府日本橋区出身。.

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佐藤春夫

佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。.

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佐藤晃一 (ドイツ文学者)

佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 1967年7月7日)は、ドイツ文学者、元東京大学文学部教授。.

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佐野洋

佐野 洋(さの よう、1928年5月22日 - 2013年4月27日)は、日本の推理作家、評論家。本名は丸山一郎。.

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佐野文夫

佐野 文夫(さの ふみお、1892年4月18日 - 1931年3月1日)は、日本の共産主義者で戦前の日本共産党(第二次共産党)幹部。.

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佐橋滋

佐橋 滋(さはし しげる、1913年(大正2年)4月5日 - 1993年(平成5年)5月31日)は日本の官僚。元通商産業事務次官。.

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彌永昌吉

彌永 昌吉(いやなが しょうきち、1906年4月2日 - 2006年6月1日)は、日本の数学者。俗字で「弥永」と表記される場合もある。.

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征矢野晃雄

征矢野 晃雄(そやの てるお、1889年1月22日 - 1929年4月26日)は、日本の神学者、哲学者である。 1910年(明治43年)日本基督教会富士見町教会で植村正久に洗礼を受ける。富士見町教会有志青年の寄宿舎山上寮に材料する第一高等学校、東京帝国大学を卒業する。卒業後は、福岡高等学校の教授になる。 1926年(大正15年)に植村正久の死後、東京に戻り東京神学社、東京女子大学で哲学を教える。東京神学社の同僚に高倉徳太郎がいる。 戸山教会(信濃町教会)に転会し、高倉の協力者になった。カント、ヤーコプ・ベーメ、トマス・アクィナス、アウグスティヌスなどの研究を進めた。 1929年(昭和4年)に茅ヶ崎海岸の家で病死する。.

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御茶ノ水

川に架かる御茶ノ水橋から聖橋、および右手の御茶ノ水駅を望む 「東都御茶の水」(歌川広重作) 明治時代の御茶ノ水 御茶ノ水(おちゃのみず)は、東京都文京区湯島から千代田区神田に至る、千代田区神田駿河台を中心とした一帯の地名(通称)。.

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御木本幸吉

御木本 幸吉(みきもと こうきち、安政5年1月25日(1858年3月10日) - 1954年(昭和29年)9月21日)は、日本の実業家。真珠の養殖とそのブランド化などで富を成した人物である。御木本真珠店(現・ミキモト)創業者。ミキモト・パール、真珠王とも呼ばれた。.

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御木本隆三

御木本 隆三(みきもと りゅうぞう、1893年(明治26年)10月27日 - 1971年6月6日)は、日本のイギリス文学者。.

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徳富蘇峰

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)。筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。 小説家の徳冨蘆花は弟。.

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徳島県立城南高等学校

徳島県立城南高等学校(とくしまけんりつ じょうなんこうとうがっこう, Tokushima Prefectural Jonan High School)は、徳島県徳島市城南町二丁目にある公立高等学校。.

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徳川夢声

徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。 いわゆる「3つの袋」と言われる、結婚式のスピーチで定番の起源を作った人ではないかと言われているが、その真相は不明である。.

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徳冨蘆花

蘆花恒春園(東京都世田谷区) 徳冨 蘆花(とくとみ ろか、1868年12月8日(明治元年10月25日) - 1927年(昭和2年)9月18日)は、日本の小説家。「徳冨」の表記にこだわり、各種の文学事典、文学館、記念公園などは「冨」の字を採用している。本名は徳富健次郎(とくとみ けんじろう)。 号の由来は、自ら述べた「『蘆の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然もその見所なきを余は却って愛するなり」からきている。.

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徳田博美

徳田 博美(とくだ ひろみ、1922年11月5日 - 2007年11月27日)は、日本の大蔵官僚。東京府出身。.

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徳永豊

徳永 豊(とくなが ゆたか、1895年5月1日 - 1976年1月4日)は、日本の政治家、弁護士、画家。第7代福山市長(4期)。.

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後藤隆之助

後藤 隆之助(ごとう りゅうのすけ、1888年12月20日 - 1984年8月21日)は、日本の政治活動家。近衛文麿のブレーンとして彼を支え、大政翼賛会の組織局長を務めた。.

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後藤譽之助

後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。.

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後藤格次

後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。.

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後藤比奈夫

後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年(大正6年)4月23日 - )は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。.

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後藤末雄

後藤 末雄(ごとう すえお、1886年10月25日 - 1967年11月10日)は、作家、フランス文学者、比較文学・比較思想史研究者。 東京生まれ。「金座の後藤」と言われる工芸の旧家に生まれ、幼くして母を失う。府立三中、一高を経て、東京帝国大学英文科在学中、和辻哲郎、谷崎潤一郎、木村荘太らと第2次『新思潮』の創刊に参加し、小説家として出発する。1913年、東大仏文科を卒業。華々しくデビューした谷崎に対し、他の同人が創作から脱落していく中で、森鴎外らの愛顧を得て創作を続けるが、大正5年(1916年)、「女の哀話」もの小説を「遊蕩文学」として赤木桁平に攻撃され、なおも創作を続けた。 大正6-7年(1917-18年)には、大作『ジャン・クリストフ』を初訳刊行した、だが同時期に創作の筆を絶ち、1920年、永井荷風の世話で慶應義塾の教員となり、のち慶應義塾大学教授。昭和8年(1933年)、博士論文『支那思想のフランス西漸』を刊行し、儒教のフランス近代思想への影響を解明して、比較思想史の先駆的研究となった。.

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後藤昌次郎

後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日)は岩手県出身の弁護士(東京弁護士会所属)。.

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後藤新平

後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は、日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した(都市計画の項も参照推奨)。 甥に政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和子、哲学者の鶴見俊輔、演出家の佐野碩、義孫に法学者の内山尚三、曾孫に歴史家の鶴見太郎をもつ。.

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保田棟太

保田 棟太(やすだ むねた、1856年9月1日(安政3年8月3日) - 1919年(大正8年)6月28日)は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。.

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信教の自由

信教の自由(しんきょうのじゆう)とは、信仰の自由などから構成される宗教に関する人権。信教の自由(宗教の自由)とは、特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由をいう。 西欧では、教会権力からの自由を求める帰結として確立された。世界人権宣言や市民的及び政治的権利に関する国際規約の共に第18条で規定される。日本国憲法においては20条である。.

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忽滑谷快天

忽滑谷 快天(ぬかりや かいてん、慶応3年12月1日(1867年12月26日) - 昭和9年(1934年)7月11日)は、戦前日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶、文学博士。道号は仏山。 古代禅学及び東洋禅学思想史を研究し、禅仏教を内省主観主義として捉えた「忽滑谷禅学(忽滑谷派)」と呼ばれる禅道思想を確立した。大正天皇の御大礼仏教雑誌『星華』、『達磨禅』創刊者。 曹洞宗大学が大学昇格時に駒澤大学に改まると、初代学長に就任。駒澤大学の建学の理念「行学一如」、その実践項目としての「信誠敬愛」を打ち立てた。.

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俵孫一

俵 孫一(たわら まごいち、1869年6月16日(明治2年5月7日) - 1944年(昭和19年)6月17日)は、日本の官僚、政治家。衆議院議員。商工大臣、立憲民政党幹事長などを歴任した。従二位勲一等。 冶金学者俵国一は弟。浜田市長を務めた俵三九郎は甥。政治評論家の俵孝太郎は孫。.

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志田順

志田 順(しだ とし、1876年5月28日 - 1936年7月19日)は、日本の地球物理学者。.

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志鳥栄八郎

志鳥 栄八郎(しどり えいはちろう、1926年1月24日 - 2001年9月5日)は日本の音楽評論家。 東京府北豊島郡日暮里町(現・東京都荒川区日暮里)で毛筆製造業者の八男として生まれる。旧制駒込中学校(現・駒込中学校・高等学校)在学中の同級生に大滝秀治がいる。文学と音楽に熱中して第一高等学校 (旧制)と慶應義塾大学予科の入試に失敗し、予備校生活を経て、1944年から旭電化工業に勤務。1945年3月10日の東京大空襲で実家が焼失したため、福島県石川郡石川町に疎開。1945年5月、召集令状を受け、二等兵として相模原の通信第一連隊に入営。敗戦後に復員し、1946年1月から日本造船に勤務。1949年、旺文社に転じ、1954年から『高校時代』編集部に勤務。旺文社勤務のかたわら、1952年から『レコード芸術』(音楽之友社)に海外盤試聴記を連載するようになり、音楽評論の道に入る。1955年2月に旺文社を退社し、フリーとなる。 酒好きで胃腸が弱かったため、整腸剤エンテロ・ヴィオフォルムを常用していたが、原材料のキノホルムの副作用により1968年から難病スモンを患い、視力低下や身体の激痛、痺れに苦しんだ。1992年、クラシック音楽興隆会を設立し理事長に就任。晩年は胃のポリープ、脳梗塞、硬膜下出血、腎不全などを患い、75歳で死去した。.

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志賀義雄

志賀 義雄(しが よしお、1901年(明治34年)1月12日 - 1989年(平成元年)3月6日)は日本の政治家、共産主義運動の活動家。衆議院議員、日本共産党中央委員、「日本共産党(日本のこえ)」委員長などを務めた。ソ連共産党から資金援助を受けていた。.

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志賀潔

志賀 潔(しが きよし、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。.

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土屋正三

土屋 正三(つちや しょうぞう、1893年(明治26年)8月『新編日本の歴代知事』506頁。 - 1989年(平成元年)2月6日『朝日新聞』(東京本社発行)1989年2月7日夕刊、11面の訃報より。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、警察大学校名誉教授。.

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土屋清

土屋 清(つちや きよし、1910年10月5日 - 1987年3月22日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家。.

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土屋文明

土屋 文明(つちや ぶんめい、1890年(明治23年)9月18日(戸籍上は1月21日) - 1990年(平成2年)12月8日)は、日本の歌人・国文学者。.

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土岐銀次郎

土岐 銀次郎(とき ぎんじろう、1894年(明治27年)3月『新編日本の歴代知事』434頁。 - 1976年(昭和51年)4月1日『朝日新聞』(東京本社発行)1976年4月2日朝刊、23面の訃報より。)は、日本の内務官僚。官選県知事、東京新聞副社長。旧姓・三宅。.

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土師政雄

世田谷自宅離れにて 世田谷自宅離れにて 土師さんを偲ぶ会 土師 政雄(はじ まさお、1925年9月27日 - 1998年6月9日)は、日本の政治運動家(市民運動)、予備校講師(数学)、評論家。野見隆介名義での著作もある。東京大学工学部卒業。 小田実、吉川勇一らとともに「ベ平連」で活動していたことでも知られる。また水道方式をめぐる算数・数学教育の評論、活動家としても有名。.

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土田直鎮

土田 直鎮(つちだ なおしげ、1924年1月16日 - 1993年1月24日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。元国立歴史民俗博物館長。.

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土肥淳一郎

土肥 淳一郎(どひ じゅんいちろう、1906年(明治39年)11月 - 1997年(平成9年)5月3日)は、日本の医学者、皮膚科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。東京慈恵会医科大学附属青戸病院・東京慈恵会医科大学附属病院院長を歴任し、私学として初の日本皮膚科学会会頭を務めた。医学博士(1937年、東京帝国大学)。 祖父は皮膚科学の権威で日本皮膚科学会創立者土肥慶蔵、父は元国立金沢病院院長で日本皮膚科学会名誉会頭土肥章司。 子の土肥孝夫は、麻布中学校在学中1954年に内郷丸遭難事件で犠牲となった。.

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土方久徴

土方 久徴(ひじかた ひさあきら、明治3年9月14日(1870年10月8日) - 昭和17年(1942年)8月25日)は、第12代日本銀行総裁。.

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團勝磨

團 勝磨(だん かつま、1904年10月16日 - 1996年5月18日)は、日本の発生生物学者。東京都立大学名誉教授。理学博士。.

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北川省一

北川 省一(きたがわ せいいち、1911年 - 1993年1月5日)は、日本の詩人、良寛研究家。 新潟県柏崎生まれ。塗師の父が出奔して母と兄との家庭に育つ。第一高等学校在学時代には絵画、詩を創作。東京帝国大学仏文科に入学するが左翼活動のため1年で中退。郷里で私塾経営などをしたのち再度上京、兵役で千島で特攻訓練をするうち敗戦を迎えた。戦後は郷里で貸本屋をし、たびたび衆議院に立候補するが、田中角栄に敗れ続ける。66歳以後良寛研究家として多くの著書を著す。椎名麟三とは鉄工場の同僚だった。 息子は北川フラム、娘は原広司夫人。.

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北帰行

北帰行(ほっきこう、正字では北歸行) は、日本の歌。原歌は、旧制旅順高等学校(旅高)の愛唱歌(広義の寮歌)。第二次世界大戦後、うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まり、1961年(昭和36年)には歌謡曲としてヒットした。.

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北越学館事件

北越学館事件(ほくえつがっかんじけん)は、1888年(明治21年)、新潟県新潟市にあった北越学館の教頭に就任した内村鑑三と学館の発起人の成瀬仁蔵らの間に起こった事件である。学館紛争とも言う。.

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北軽井沢

北軽井沢(きたかるいざわ)は、浅間山北麓の一帯に位置する群馬県吾妻郡長野原町の大字である。郵便番号377-1412。.

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北辰斜にさすところ

『北辰斜にさすところ』(ほくしんななめにさすところ)は、2007年公開の日本映画。題名は旧制第七高等学校造士館寮歌「北辰斜に」に因む。.

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北村徳太郎 (造園家)

北村 徳太郎(きたむら とくたろう、1895年 - 1964年5月8日)は、日本の造園技師・都市研究者・都市計画家で、東京大学農学部教授も歴任。.

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北村隆

北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の内務・防衛官僚。 岡山県和気郡三石村字三石(現:備前市)に、父北村貫皐、母古美津の長男として誕生。本籍地は岡山県邑久郡太伯村乙子(現:瀬戸内市)。 戦前は内務省警保局の官僚として特高警察や、警保局経済保安課課長、兵庫県警察部長を務めた。戦後はいわゆる「逆コース」に乗って復帰し、保安庁保安研修所、内閣国防会議事務局長などを歴任、叙勲された。.

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北沢敬二郎

北澤 敬二郎(きたざわけいじろう、1889年(明治22年)5月28日 - 1970年(昭和45年)10月25日)昭和期の実業家。元住友本社常務理事。大丸元社長・会長。.

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北海道函館商業高等学校

北海道函館商業高等学校(ほっかいどうはこだてしょうぎょうこうとうがっこう、Hokkaido Hakodate Commercial High School)は、北海道函館市にある公立(道立)の商業高等学校。 通称は学校関係者からは函商(はこしょう)、函館市民からは函商(かんしょう)と呼ばれている。.

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北海道留萌高等学校

北海道留萌高等学校(ほっかいどう るもいこうとうがっこう、Hokkaido Rumoi High School)は、北海道留萌市東雲町一丁目にある道立高等学校。全日制普通科がある。.

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北海道札幌南高等学校の人物一覧

北海道札幌南高等学校の人物一覧(ほっかいどうさっぽろみなみこうとうがっこうのじんぶついちらん) 北海道札幌南高等学校の著名な卒業生および関係者の一覧。.

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ナンバースクール

ナンバースクールは、1948年(昭和23年)まで日本に存在した高等教育機関のひとつである旧制高等学校のなかで、数字を冠した学校群のことである。.

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マント事件

マント事件(マントじけん)は、1912年に第一高等学校(一高)に在学していた菊池寛が、友人の身代わりとなって同校を退学となった事件。.

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マサオ・ミヨシ

マサオ・ミヨシ(三好将夫、1928年 - 2009年10月1日)は、日本生まれの米国の英文学者、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。専門は、英文学(ビクトリア朝文学)、日本文学、比較文学。 東京府生まれ。1945年(旧制)東京府立第五中学校(現小石川高等学校)卒業、49年第一高等学校卒業、51年東京大学文学部英文科卒業、学習院大学助手、同講師時代にフルブライト奨学生としてイェール大学大学院に学ぶ。53年強制送還され学習院に戻るが米国人と結婚していたため再度渡米、ニューヨーク大学において英文学で博士号取得。1963年、博士論文作成中にカリフォルニア大学バークレー校に英文学の助教授(assistant professor)として迎えられ、ヴィクトリア朝英文学専門で教える。その後、教授に。二葉亭四迷、森鴎外、夏目漱石、川端康成、太宰治、三島由紀夫ら近代日本文学を論じた『沈黙の共犯者たち』を刊行し、英文学から離れ、86年から同サンディエゴ校で英文学・比較文学・日本文学の教授、この間、シカゴ大学・ハーバード大学で客員教授。2004年定年となる。日本のナショナリズム批判の先鞭をつけ、大江健三郎のノーベル賞受賞の契機を作った。伊藤和夫、ノーム・チョムスキー、エドワード・サイード、柄谷行人と親しかった。次兄は建設省の官僚であった三好勝彦。.

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チャールズ・ウォルフ (宣教師)

チャールズ・ウォルフ(Charles Wolff、1840年8月20日 - 1919年8月26日)は、オランダ生まれのアメリカ・オランダ改革派教会から日本に派遣された第6番目の宣教師である。 1840年にオランダで生まれた。グイド・フルベッキと親戚であった。アムステルダム・ギムナジウムを卒業した後に、アメリカ合衆国に渡り、フルベッキが学んだオーバン神学校に入学する。神学校在学中にアメリカ・オランダ改革派教会海外伝道局のフェリスに宣教師として日本に派遣してくるように懇願した。 1870年にオーバン神学校を卒業すると、アメリカ・オランダ改革教会より日本派遣宣教に任命される。翌年1871年2月26日に横浜に上陸する。同じ船にアメリカン・ボードのギューリックが乗船していた。横浜港ではジェームス・ハミルトン・バラが船内に迎えに来て、しばらくはバラの家に留まった。最初の2年間はバラの教え子に英語を教えて、横浜で宣教と教育活動に従事する。また、サミュエル・ロビンス・ブラウンとバラの教会で説教をしていた。 1872年の横浜のヘボン宅で開催された第一回在日宣教師会議ではブラウン、バラ、ヘンリー・スタウトと共に改革教会の宣教師として出席した。 1873年2月に青森県弘前市の東奥義塾の初代外国人教師として招かれた。1874年1月には契約が満期になり解雇され、横浜に戻る。横浜のブラウン宅での宣教師会議で、ウォルフは次に長崎に派遣されることになった。ウォルフは長崎のヘンリー・スタウトの元で英語教育に携わった。その時、東奥義塾の3代目英語教師のジョン・イングの後任にという話が持ち上がったが、イングが再契約することになった。 その後、東奥義塾塾長だった吉川泰次郎が名古屋の政府学校(愛知英語学校)に赴任することになり、ウォル英語教師の誘いがあり、1876年に名古屋に移り、宣教師を辞職した。1877年2月に愛知英学校が廃止されると、大阪英語学校、1887年からは第一高等中学校、1886年から1896年、そして1901年から1905年まで学習院などで語学講師を務めた。 晩年は東京青山南町に隠居して、1919年に横浜で死去した。.

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バンカラ

バンカラ(蛮殻、蛮カラ)とは、ハイカラ(西洋風の身なりや生活様式)をもじった語である。明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたもの。一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。夏目漱石の小説『彼岸過迄』(1912年発表)の一節にも登場する語である。.

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ヴィルヘルム・レントゲン

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(、1845年3月27日 – 1923年2月10日)は、ドイツの物理学者。1895年にX線の発見を報告し、この功績により、1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞した。.

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ヘルマン・ホイヴェルス

ヘルマン・ホイヴェルス (Hermann Heuvers、1890年8月31日 - 1977年6月9日)はイエズス会所属のドイツ人宣教師、哲学者、教育者、作家、劇作家である。1923年に来日し、1937年から1940年まで第2代上智大学学長を務めた。.

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プラーゲ旋風

プラーゲ旋風(プラーゲせんぷう)は、1931年(昭和6年)に、ドイツ人ウィルヘルム・プラーゲが欧州の著作権管理団体の代理人として、日本の放送局や演奏家に対して高額の著作権使用料を請求した事件である。.

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デカンショ節

デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であり、学生歌としても広く歌われた。篠山節、篠山デカンショ節ということもある。篠山市無形文化財。 2015年(平成27年)4月24日、文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれた。.

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フレデリック・ウィリアム・ストレンジ

フレデリック・ウィリアム・ストレンジ(Frederick William Strange、1853年10月29日 - 1889年7月5日)はイギリス・ロンドンから1875年3月23日に来日した英語教師。日本における近代スポーツの父とされ、陸上競技やボート、野球といった競技の普及に努めた。スポーツマンシップを説き、学生に課外活動としてスポーツに取り組ませることで、今日の日本の学校において一般化している「部活動」や「運動会」といった活動の礎を築いた。著書『アウトドア・ゲームズ』は日本初のスポーツガイドブックである。ストレンジの半生は長らく不明とされてきたが、高橋孝蔵や渡辺融らの継続的な調査によって2007年頃、明らかとなり、2008年日本体育学会にて発表された。.

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別宮貞徳

別宮 貞徳(べっく さだのり、1927年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。元上智大学文学部教授。.

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別宮貞雄

別宮 貞雄(べっく さだお、1922年5月24日 - 2012年1月12日)は、日本の作曲家。.

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別府節弥

別府節彌(べっぷ せつや、1904年8月3日 - 1992年5月17日)は日本の外交官。初代ダブリン領事。初代ラオス駐箚特命全権大使。元バチカン駐箚特命全権大使。 別名、別府清。.

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別府総太郎

別府 総太郎(べっぷ そうたろう、1883年(明治16年)5月17日 - 1931年(昭和6年)5月16日)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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刺青殺人事件

『刺青殺人事件』(しせいさつじんじけん)は、高木彬光のデビュー長編推理小説。神津恭介シリーズの代表作。.

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嘉治元郎

嘉治 元郎(かじ もとお、1925年8月13日 - 2011年7月23日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。専門は経済学。 父は元朝日新聞社論説主幹の嘉治隆一、叔父は元東京大学社会科学研究所教授の嘉治真三(経済地理学)。妹は英文学者・聖心女子大学名誉教授の小堀玲子。.

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喜多迅鷹

喜多 迅鷹(きた としたか、1926年 - 2015年9月12日)は、翻訳家、画家。 長崎市生まれ。埼玉県立浦和中学校、第一高等学校を経て、1948年東京大学法学部卒。埼玉県立浦和高等学校、東京都立大学附属高等学校教諭のほか、東京都立大学、横浜市立大学講師を務めたが、1971年、学園紛争を機に画業に転向。92年「東京を描く市民の会」創立に参加。94年「彩の国を描く会」を創立、主宰。2001年読売・日本テレビ文化センターで「ペン水彩」講座開講。2002年読売・日本テレビ文化センターで「模写による西洋美術史」講座開講。.

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喜田新六

喜田 新六(きた しんろく、1903年6月24日 - 1964年7月4日)は、日本の歴史学者。中央大学教授。専門は日本古代史。.

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嗚呼玉杯

嗚呼玉杯 (ああぎょくはい) は旧制第一高等学校の代表的な寮歌の一つ。正式名称は、第十二回紀念祭東寮寮歌より正確には、「第十二回紀念祭寮歌」。但し、当時は 5棟あった寮がそれぞれ寮歌を選定していたため、「第十二回紀念祭寮歌」 も 6曲ある(一曲は東大寄贈歌)。区別のために、頁の末尾に 「(三十五年東寮)」 と附記されている。大正8年 (1919年) までの寮歌集での歌名は、「東寮々歌(三十五年)」 であった。参考:。「嗚呼玉杯」や「嗚呼玉杯に花うけて」は通称で、歌い出しの歌詞によっている。 日本三大寮歌の一つとされ、寮歌の中で広く知られている歌の一つである。.

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嗚呼革命

嗚呼革命(ああかくめい)は、日本の革命歌。単に『革命歌』、『革命の歌』とも。第二次世界大戦前の左翼運動での愛唱歌。作詞者は築比地仲助。 詞は、森近運平の発行していた『大阪平民新聞』(堺利彦らの平民新聞とは別)が1907年7月に革命歌を募集した際、築比地が「革田命作」のペンネームで応募した作品。この詞は翌1908年1月の同紙の第15号に、作者名を本名の築比地仲助として『革命の歌』という題で掲載された。 元々はメーデー歌と同じく、一高の「アムール川の流血や」の旋律で歌われていたが、添田唖蝉坊が同じ一高の「嗚呼玉杯に花うけて」の旋律で、「嗚呼革命は近づけり」と歌いまわしした。この際に彼は、詞の構成を変更し全10番を全7番としたため(「アムール川」と「嗚呼玉杯」では一節の長さが異なる)、一部歌詞と曲があわないところがある。.

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周郷博

周郷 博(すごう ひろし、1907年6月14日 - 1980年2月28日)は、日本の教育学者。お茶の水女子大学名誉教授。.

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周恩来

周 恩来(しゅう おんらい、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は中国の政治家。字は翔宇。中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた。毛沢東共産党主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。 妻は鄧穎超、子女は孫維世(養女・文化大革命で迫害死)、李鵬(養子・のちに国務院総理)。.

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呪縛の家

『呪縛の家』(じゅばくのいえ)は、高木彬光の長編推理小説で、神津恭介シリーズの長編第2作。.

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呉建

呉 建(くれ けん、1883年(明治16年)10月27日 - 1940年(昭和15年)6月27日)は、日本の医師、内科学者、洋画家。医学博士(東京帝国大学)、アテネ大学名誉教授。帝国学士院恩賜賞受賞。 1930年代に6度ノーベル生理学・医学賞候補となるがノーベル財団(英語)、結局、受賞には至らなかった。6度の候補は同賞で日本人最多であるノーベル財団(英語)。 チャールズ・シェリントン、ジークムント・フロイト、イワン・パブロフに次ぐ中枢神経生理学の権威とされる。.

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呉茂一

呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。.

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和田小六

和田 小六(わだ ころく、1890年8月5日-1952年6月11日)は日本の工学者。長距離飛行の世界記録を打ち立てた航研機の開発など、東京帝国大学航空研究所長として日本の航空工学の発展に貢献した。東京工業大学学長、東京帝国大学教授、千葉工業大学3代目顧問などを務めた(千葉工業大学50年史より)。 父は木戸孝正で、木戸孝允は義理の祖父に当たる。妻は吉川重吉の娘で、獅子文六の妻の妹。長女・正子の夫は都留重人、次女・綾子の夫は新日本電気会長肥後一郎。長男・和田昭允は東京大学名誉教授で東京大学理学部長、日本学術会議第4部長、理化学研究所ゲノム科学総合研究センター所長を務めた。.

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和田稔

和田 稔(わだ みのる、1922年1月13日 - 1945年7月25日)は、福岡県小倉出身の日本海軍軍人。最終階級は海軍少尉。.

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和田清

和田 清(わだ せい、1890年11月15日 - 1963年6月22日)は、大正後期から昭和前期にかけての東洋史学者。 神奈川県高座郡鶴嶺村(現在の茅ヶ崎市)の豪農の家に生まれる。第一高等学校を経て、1915年に東京帝国大学文科大学史学科東洋史学専攻を卒業、大学院を経て、中央大学予科及び東京帝国大学講師となる。1924年から欧米や中国に留学、帰国の翌年の1927年に東京帝国大学助教授となった。折りしも、留学中に東京帝国大学における東洋史学の基礎を築いた白鳥庫吉・市村瓚次郎が定年退官を迎え、世代交代の最中にあった。和田は池内宏・加藤繁とともに新しい東洋史学科の中心的な地位に立つことになる。1933年に東京帝国大学教授となり、1939年には文学博士となった。また、東洋文庫の運営に参加して満洲語・蒙古語の資料収集に尽力し、後に専務理事を務めた。 池内・加藤より1世代若かった和田は戦時下で迎えた両者退官後の東洋史学科を支えた。また、1951年の定年退官後は東京大学名誉教授となり、次いで日本大学教授及び日本学士院会員となった。明清における中国の周辺地域、特に元滅亡後のモンゴルについての研究をライフワークとしていた。代表的な著作に『東亜史論藪』(1942年)、『中国史概説』(1950年)、『東亜史研究』満洲編(1955年)、同蒙古編(1959年)などがある。 1959年頃から体調を崩し、1961年には日本大学を退任し、1963年に死去。没後従三位勲二等が贈られ、故郷の墓所に葬られた。.

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和達清夫

和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。.

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和辻哲郎

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。.

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アムール川の流血や

アムール川の流血や(アムールがわのりゅうけつや)は、旧制第一高等学校(一高)の寮歌のひとつで、1901年(明治34年)に制作された。正式名称は「第11回紀念祭東寮寮歌」だが、冒頭の歌詞の一節から取られたタイトルで知られている。「嗚呼玉杯」とともに、一高の寮歌として広く知られた。 作詞は塩田環。作曲は栗林宇一とされ、作詞・作曲とも生徒の手で行われたとする点でも最初期の寮歌と言われてきたが、曲の原型は永井建子作曲の軍歌「小楠公」に求められる。同様の旋律で歌う歌には、軍歌「歩兵の本領」、労働歌「聞け万国の労働者」などがある。一高内では本曲の旋律を用いて「征露歌 (ウラルの彼方)」が制作された。.

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アメリカンフットボール

アメリカンフットボール(American football)は、フットボールの一種であり、楕円形のボールを用いて2つのチームで得点を競い合うスポーツ(球技)。略称はアメフトまたはアメフット。米式蹴球あるいは鎧球(がいきゅう)とも。 2009年のプロボウルにおいてパスをキャッチするラリー・フィッツジェラルド.

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アメリカ教育使節団報告書

アメリカ教育使節団報告書(アメリカきょういくしせつだんほうこくしょ、Report of the United States Education Mission to Japan)は、連合国軍占領下の日本において、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団による報告書である。 1946年(昭和21年)3月5日と7日(第一次)、1950年(昭和25年)8月27日(第二次)に来日した。1946年(昭和21年)3月30日に第一次報告書を、1950年(昭和25年)9月22日に第二次報告書を提出した。この報告書に基づき、戦後の学制改革が実施された。その際日本側も、多くの著名な知識人・文化人が協力している。.

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インブリー

インブリー().

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インブリー事件

インブリー事件(インブリーじけん、Imbrie Affair)は、1890年(明治23年)に第一高等中学校の学生が明治学院のアメリカ人宣教師ウィリアム・インブリーに重症を負わせた傷害事件である。.

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ウィリアム・インブリー

ウィリアム・インブリー(, 1845年1月1日 - 1928年8月4日)は、1875年(明治8年)に日本を訪れて以後、40年以上もの長きにわたりキリスト教の布教活動を行ったアメリカ合衆国長老教会の宣教師である。歴代訪日宣教師の中でも顕著な業績を残しているが、彼の業績について言及された文献はきわめて少ない。そのために「インブリー事件」の被害者として最もよく知られる。.

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ウィルヘルム・プラーゲ

ウィルヘルム・プラーゲ(Wilhelm Plage, 1888年10月8日 - 1969年6月19日)は、ドイツの外交官で、後に日本の多くの旧制高等学校でドイツ語を教えた。また欧州の楽曲について日本の放送局などに高額の使用料を請求し、プラーゲ旋風と呼ばれた。 名はヴィルヘルムと表記するほうがドイツ語の発音に近い。.

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ウェルテル効果

ーテ 『若きウェルテルの悩み』初版 ウェルテル効果()とは、マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える事象を指し、これを実証した社会学者のDavid P. Phillipsにより命名された平成15年度厚生科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)自殺と防止対策の実態に関する研究研究協力報告書。特に若年層が影響を受けやすいとされる。 「ウェルテル」は、ゲーテ著の『若きウェルテルの悩み』(1774年)に由来する。本作の主人公、ウェルテルは最終的に自殺をするが、これに影響された若者達が彼と同じ方法で自殺した事象を起源とする(横浜市立大学医学部精神医学教室)。なお、これが原因となり、いくつかの国家でこの本は発禁処分となった。ただし、実在の人物のみならず、小説などによるフィクションの自殺も「ウェルテル効果」を起こすか否かについては諸説分かれている。.

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エリート

リート(élite)は、社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。選良(せんりょう)とも訳される。.

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エリザベス・フィリップス・ヒュース

リザベス・フィリップス・ヒュース(Elizabeth Phillips Hughes, 1851年6月21日 - 1925年12月19日)は、ウェールズの教育者。1884年から1899年までケンブリッジ大学の女子教員養成校ケンブリッジ・トレーニング・カレッジ(The Cambridge Training College for Women Teachers, 現ヒューズ・ホール(Hughes Hall))の校長を務めた後、1901年(明治34年)8月に来日。1年3ヶ月にわたる滞在で3度の地方視察を行い、黒板画やスウェーデン体操を紹介し日本の図画教育や女子体育の発展に影響を与えた。.

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オリンピックの身代金 (奥田英朗)

『オリンピックの身代金』(オリンピックのみのしろきん)は、奥田英朗による日本の小説。『野性時代』(角川書店)にて2006年7月号から2008年10月号まで連載された。2005年に刊行された『ララピポ』以来、3年ぶりとなる長編作品。第43回吉川英治文学賞受賞作。2013年にテレビ朝日開局55周年記念番組「55時間テレビ」の一環としてとしてテレビドラマ化された。 主人公の東京大学院生・島崎国男は、深刻な地域格差や貧富の差に疑問と憤りを抱き、オリンピック妨害という大それた犯行を計画するが、島崎の中に強い信念があるわけではなく、成り行きと運とヒロポンによりテロリストへとなっていく様子は、何とも言えない空疎な恐ろしさを感じさせ、他のサスペンスにはない奇妙な味わいを持っている。.

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カーブ (球種)

ーブ(curveball)は、野球における球種の1つである。比較的遅い球速で投手の利き腕と反対の方向に大きく曲がりながら落ちる。.

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ジャパンナレッジ

JapanKnowledge(ジャパンナレッジ)は、小学館グループの株式会社ネットアドバンスが提供する、有料会員制の知識探索サイト、インターネット百科事典である。小学館グループを中心に国内外の出版各社の辞書・事典コンテンツをデジタルデータとして提供することを目的としている。50種類を超えるコンテンツの総項目数約300万・総文字数約16億のデータに一括検索を実行し、結果を表示する。.

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ジョン・ラスキン

ョン・ラスキン(John Ruskin, 1819年2月8日 - 1900年1月20日)は、19世紀イギリス・ヴィクトリア時代を代表する評論家・美術評論家である。同時に芸術家のパトロンであり、設計製図や水彩画をこなし、社会思想家であり、篤志家であった。ターナーやラファエル前派と交友を持ち、『近代画家論』を著した。また、中世のゴシック美術を賛美する『建築の七燈』『ヴェニスの石』などを執筆した。.

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哲學大辭書

哲學大辭書(てつがくだいじしょ、)は、『大日本百科辭書』に属する一編であり哲学・心理学に関連する分野の項目を編纂した日本の百科事典である。 また各項目の終わりには執筆者の名前も掲載されている。初版初刷の価格は1冊あたり4円50銭(計31円50銭)である。.

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唐順棋

唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督であるキネ旬, p.125.

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冨澤繁信

冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。.

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冲中重雄

冲中 重雄(おきなか しげお、1902年10月8日 - 1992年4月20日)は、内科学者。石川県金沢市生まれ。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章及び勲一等瑞宝章受章。.

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内垣啓一

内垣 啓一(うちがき けいいち、1925年12月20日 - 1989年8月17日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。 島根県出身。京都第一中学校、第一高等学校を経て、1950年京都大学卒。ドイツ文学専攻。1951年に東京大学教養学部助手となり、以後ドイツ文学、ドイツ演劇、比較文学、比較演劇の講師、助教授、教授を務め、1986年定年退官。1960年代から劇団新人会などに所属、演劇誌にもしばしば執筆するほか舞台・オペラ演出も行った。1970年代には『悲劇喜劇』で早野寿郎と対談演劇時評を行った。.

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内山愚童

内山 愚童(うちやま ぐどう、1874年5月17日 - 1911年1月24日)は、日本の仏教者・僧侶(曹洞宗林泉寺住職)・社会主義運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人。.

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内田嘉吉

内田 嘉吉(うちだ かきち、1866年11月18日(慶応2年10月12日) - 1933年(昭和8年)1月3日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 逓信省管船局長、台湾総督府民政長官、逓信次官、台湾総督(第9代)、貴族院議員などをつとめた。.

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内田元亨

内田 元亨(うちだ げんこう、1925年11月 - 1996年12月10日)は、日本の元通産技官官僚。.

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内田祥三

内田 祥三(うちだ よしかず、1885年2月23日 - 1972年12月14日)は、日本の建築学者、建築家。元東京帝国大学総長。.

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内田銀蔵

内田 銀蔵(うちだ ぎんぞう、明治5年1月25日(1872年3月4日) - 1919年(大正8年)7月22日)は、日本の歴史学者。専門は日本経済史。文学博士。日本経済史学の先駆者。.

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内田恵太郎

内田 恵太郎(うちだ けいたろう、1896年(明治29年)12月27日 - 1982年(昭和57年)3月3日)は、日本の魚類学者。.

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内閣総理大臣の一覧

内閣総理大臣の一覧(ないかくそうりだいじんのいちらん)は、日本の行政府の長である内閣総理大臣を務めた人物一覧。.

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内薗耕二

内薗 耕二(うちぞの こうじ、1916年10月9日 - 2006年10月25日)は、日本の医学者(生理学)。階級は海軍中尉。勲等は勲二等。学位は医学博士(東京大学・1950年)。東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授、生理学研究所名誉教授。 東京帝国大学医学部副手、東京大学医学部講師、新潟大学医学部教授、東京大学医学部教授、生理学研究所所長(初代)、岡崎国立共同研究機構機構長(第2代)、静岡女子大学学長、静岡県立大学学長(初代)、静岡県立大学短期大学部学長(初代)などを歴任した。.

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内藤千代子

内藤千代子 内藤 千代子(ないとう ちよこ、1893年(明治26年)12月9日 - 1925年(大正14年)3月23日)は日本の小説家。雑誌『女学世界』に多くの恋愛小説を発表し、女子学生に絶大な人気を誇った。 槍ヶ岳に登頂した初めての日本人女性でもある。.

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内藤多仲

内藤多仲(ないとう たちゅう、1886年6月12日 - 1970年8月25日)は日本の建築構造技術者・建築構造学者。一級建築士(登録番号第17200号)。「耐震構造の父」と評される。「塔博士」とも呼ばれている。.

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内藤寛一

内藤 寛一(ないとう かんいち、1897年(明治30年)9月『人事興信録』第13版 下、ナ8頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察・厚生官僚。官選茨城県知事、陸軍司政長官、昭南市長(シンガポール)。.

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内藤三津子

内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編集者。薔薇十字社元社長。.

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内藤法美

内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)は、東京都出身の作曲家・編曲家・ピアニスト。.

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内藤濯

内藤 濯(ないとう あろう、1883年7月7日 - 1977年9月19日)は、フランス文学者、評論家、翻訳家、エッセイスト。 フランスの作家アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『Le Petit Prince』(直訳すると「小さな大公」)を初めて『星の王子さま』と訳したことや、1908年に雑誌『音楽界』の中で「印象主義の楽才」として日本に初めて作曲家のクロード・ドビュッシーの作品を紹介したことで知られる。.

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内村祐之

内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。専攻は臨床精神医学・神経病理学。東京大学名誉教授、日本学士院会員。プロ野球コミッショナー。.

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内村鑑三

内村 鑑三(うちむら かんぞう、万延2年2月13日(1861年3月23日)- 昭和5年(1930年)3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。.

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内村鑑三不敬事件

内村鑑三不敬事件(うちむらかんぞう ふけい じけん)は、内村鑑三が、不敬を理由に第一高等中学校の教職を追われた事件である。第一高等中学校不敬事件(だいいち こうとうちゅうがっこう ふけい じけん)とも。 旧制第一高等学校本館(1902年以前) 内村は1890年(明治23年)から第一高等中学校の嘱託教員となったが、その年は10月30日に第一次山県内閣のもとで教育勅語が発布された年でもあった。翌1891年(明治24年)1月9日、第一高等中学校の講堂で挙行された教育勅語奉読式において、内村が天皇晨筆の御名(おそらくは明治天皇の直筆ではなくその複写)に対して最敬礼をおこなわなかったことが、同僚教師や生徒によって非難され、それが社会問題化したものである。敬礼を行なわなかったのではなく、最敬礼をしなかっただけであったが、それが不敬事件とされた。この事件によって内村は体調を崩し、2月に依願解嘱した。 東京帝国大学教授の井上哲次郎が激しく内村を攻撃したことで有名である。 日本組合基督教会の金森通倫は、皇室崇拝、先祖崇拝は許されると主張したが、日本基督教会の指導者植村正久はこれを認めなかった。植村は「勅語に対する拝礼などは憲法にも法律にも教育令にも見えないことで、事の大小を別とすれば運動会の申し合わせと同様のもの、このようなことが解職の理由になるのは不合理だし学生のモッブ然とした内村糾弾運動を放置し迎合するのは教育上もおかしい」という論陣を張ったが、さほどの影響はなかった。 山本七平はこの経緯について「日本人が宗教的に寛容だと言うのはこの事件のことを考えると信じがたく、ある一点に触れれば恐るべき不寛容を示すのであって、ただ欧米と不寛容の基準が違うに過ぎない」と述べている。.

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児島喜久雄

児島 喜久雄(こじま きくお、兒島喜久雄、1887年(明治20年)10月10日 - 1950年(昭和25年)7月5日)は、白樺派の画家、美学・美術史の研究者。特にレオナルド・ダ・ヴィンチの研究により知られている。東北帝国大学助教授を経て、東京帝国大学・東京大学教授。.

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児島襄

児島 襄(こじま のぼる、1927年1月26日 - 2001年3月27日)は、日本の作家、戦記作品を多数著した。.

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児玉九一

児玉九一 児玉 九一(こだま きゅういち / くいち、1893年8月 - 1960年5月23日)は、日本の内務官僚。県知事、厚生次官、中国地方総監。.

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入江俊郎

入江 俊郎(いりえ としお、1901年1月10日 - 1972年7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京都出身。.

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全国高等学校ア式蹴球大会

全国高等学校ア式蹴球大会(ぜんこくこうとうがっこうあしきしゅうきゅうたいかい)は、1923年から1948年まで開催された旧制高等学校によるサッカーの全国大会。学制改革により旧制高校が廃止となった1948年まで、太平洋戦争による中止などを挟み25年間開催された。大会が消滅して既に半世紀以上が経過しているため、現在ではあまり認知されていないが、戦前の日本サッカーの発展に大きな役割を果たした大会であった。.

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全日本学生弓道連盟

全日本学生弓道連盟(ぜんにほんがくせいきゅうどうれんめい、以下全学連と略称する)は、日本国内の大学弓道部を統括する競技組織である。本部を日本武道館学生武道クラブ内に置いている。大学弓道部による競技は、一般の弓道に対して学生弓道・大学弓道などと呼ばれる。全学連は一般弓道界の全国組織である全日本弓道連盟(全弓連)とは歴史的経緯を異にしており、現在でも包含関係にはない。また競技規則・試合形式も異なる点が多い。以下この項では学生弓道・大学弓道全般について述べる。.

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八田卯一郎

八田 卯一郎(はった ういちろう、1903年9月10日 - 1989年4月20日 )は、大阪府大阪市出身「時の人」読売新聞 (1970年5月9日) 2016年9月29日閲覧の裁判官、サッカー選手。.

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八田嘉明

八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 1964年4月26日)は、日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。.

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兼子一

兼子 一(かねこ はじめ、1906年(明治39年)12月18日 - 1973年(昭和48年)4月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。元東京大学教授。従三位勲一等瑞宝章。.

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元田敏夫

元田 敏夫(もとだ としお、1882年(明治15年)5月『新編日本の歴代知事』338頁。 - 1958年(昭和33年)3月30日)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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光クラブ事件

光クラブ事件(ひかりクラブじけん)とは、1948年に東京大学の学生による闇金融起業が法律違反によって警察に検挙された事件。「アプレゲール犯罪」の1つとされる。.

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前尾繁三郎

前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。.

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前川國男

前川 國男(まえかわ くにお、1905年5月14日 - 1986年6月26日)は日本の建築家である。.

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前川春雄

前川 春雄(まえかわ はるお、1911年2月6日 - 1989年9月22日)は東京都出身の第24代日本銀行総裁。兄は建築家前川國男。父は土木官僚の前川貫一。.

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前田卓

前田 卓(まえだ つな、明治元年(1868年)6月17日 - 昭和13年(1938年)9月6日)は、明治から昭和時代にかけての女性。前田案山子の次女。夏目漱石の『草枕』の那美のモデルとなった女性である。孫文や黄興ら中国の革命家が日本で作った「中国革命同盟会(のちの中国同盟会)」を支援したことでも知られる。.

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前田多門

前田 多門(まえだ たもん、1884年(明治17年)5月11日 - 1962年(昭和37年)6月4日)は、日本の政治家、実業家、文筆家。.

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前田元敏

前田 元敏(まえだ もととし、安政4年5月4日(1857年5月26日) - 1927年(昭和2年)1月24日)は戦前日本の英学者。土佐藩出身。岐阜県立岐阜県尋常中学校大垣分校初代校長、日本中学校教頭、郁文館中学校教頭。.

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前田直造

前田 直造(まえだ なおぞう、1883年(明治16年)3月10日 - 1943年(昭和18年)4月10日)は、日本の逓信官僚。.

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前田護郎

前田 護郎(まえだ ごろう、1915年6月17日 - 1980年4月17日)は、新約聖書学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校を経て、学生時代から塚本虎二のもとで聖書と信仰を学ぶ。1937年東京帝国大学文学部言語学科卒業後、ドイツに留学、マールブルク大学で文学博士取得、ボン大学、ジュネーヴ大学、イェール大学の講師を経て1950年帰国、1959年「言語と福音」で東大文学博士。東大教養学部助教授、教授を務め、1976年定年退官し、名誉教授。1953年から無教会世田ヶ谷聖書会を主宰し、月刊『聖書愛読』を刊行した。.

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前田陽一

前田 陽一(まえだ よういち、1911年(明治44年)11月3日 - 1987年(昭和62年)11月22日)はフランス文学者、比較文学・哲学研究者。群馬県出身。父はGHQによる占領期に、文部大臣を務めた教育家の前田多門。妹は精神科医・翻訳家で、ハンセン病救済活動で著名な神谷美恵子。.

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副島千八

副島 千八(そえじま せんぱち、1881年(明治14年)8月15日 - 1954年(昭和29年)2月15日『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』136頁。)は、日本の官僚。農林大臣。従三位勲二等。.

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勝田守一

勝田 守一(かつた しゅいち、1908年11月10日 - 1969年7月30日)は、日本の教育学者。東京大学教育学部の同僚であった宮原誠一(社会教育学)、宗像誠也と並んで「3M(スリー・エム)」と称される。.

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勝田主計

勝田 主計(しょうだ かずえ、明治2年旧暦9月15日(1869年10月19日)- 昭和23年(1948年)10月10日)は日本の大蔵官僚、政治家。同郷の俳人・正岡子規や海軍軍人・秋山真之の友人だった。.

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勝沼精蔵

勝沼 精蔵(かつぬま せいぞう、1886年(明治19年)8月28日 - 1963年(昭和38年)11月9日)は、兵庫県神戸市生まれの医学者。医学博士。専門は血液学、神経病学。 名古屋帝国大学医学部教授、第三代目名古屋大学総長、第三代目国立名古屋病院院長を務めた。 生前、1953年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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勝浦鞆雄

府立一中校長時代の勝浦鞆雄 勝浦 鞆雄(かつうら ともお、1850年3月11日(嘉永3年1月28日) - 1926年(大正15年)12月7日)は、日本の教育者。.

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国塩耕一郎

国塩 耕一郎(くにしお こういちろう、1905年(明治38年)9月6日 - 1986年(昭和61年)6月7日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』222頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。最後の官選茨城県知事、日本音楽著作権協会理事長。.

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国崎定洞

国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10月5日 - 1937年(昭和12年)12月10日)は、日本の衛生学者・共産主義者・社会主義者。社会衛生学の創始者。ドイツで日本人の社会主義者グループを組織して、ドイツ共産党日本語部を結成した。しかしソビエト連邦移住後に大粛清により処刑された。.

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国民之友

『国民之友』(國民之友、こくみんのとも)は、1887年(明治20年)創刊、1898年(明治31年)廃刊の月刊雑誌(一時週刊となった)。発刊元は徳富蘇峰の設立した言論団体民友社である。.

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国民英学会

国民英学会(こくみんえいがくかい)は、明治・大正期に著名だった日本の私塾、英語学校。単なる洋学校ではなく、旧制中学校から旧制専門学校相当の教育機関の要素があった。.

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四宮和夫

四宮 和夫(しのみや かずお、1914年10月31日 - 1988年)は、日本の法学者。専門は民法、信託法。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「信託法」)。香川県三豊郡観音寺町生まれ。.

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倉石五郎

倉石 五郎(くらいし ごろう、1899年8月8日 - 1976年5月2日)は、日本のドイツ語学者。成蹊大学名誉教授。中国文学者の倉石武四郎の弟でもある。.

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倉田卓次

倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 2011年1月30日)は、東京都出身の元裁判官。元公証人。弁護士。著述家。ハードSF研究所客員研究員。 兄の倉田正也は三菱化成の研究所長。.

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倉田太一

倉田 太一(くらた たいち、1892年10月28日 - 1969年2月2日)は日本の柔道家(講道館9段)。 京都武専にて柔道修行に励んだのち、広島高等師範学校や旧制広島文理科大学にて後進の指導に当たって広島における柔道の普及・振興に尽力。また選手としては昭和天覧試合へ名誉ある出場を果たした。.

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倉田百三

倉田 百三(くらた ひゃくぞう、または、くらた ももぞう)、1891年(明治24年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月12日)は、日本の劇作家、評論家で大正、昭和初期に活躍した。広島県庄原市には、倉田百三文学館がある。.

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倉田謙

倉田 謙(くらた けん、1881年9月19日 - 1940年1月9日)は、日本の建築家。明治末期から昭和初期にかけて九州帝国大学技師を務め、九州大学(箱崎キャンパス)の校舎を多く設計したことで知られる。.

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倉橋惣三

倉橋 惣三(くらはし そうぞう、1882年(明治15年)12月28日 - 1955年(昭和30年)4月21日)は大正時代から昭和時代にかけての日本の教育者。.

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皆川治広

川 治広(みながわ はるひろ、1875年(明治8年)3月7日『伊予の事業と人物』人事編 p.205 - 1958年(昭和33年)3月7日「シリーズ・関西学院の人びと8.皆川治広」)は、司法官僚、検事、判事。.

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矢代幸雄

代 幸雄(やしろ ゆきお、1890年11月5日 - 1975年5月25日)は、日本の美術史家、美術評論家である。音楽家矢代秋雄は長男。ギリシャ美術史研究者平山東子(矢代秋雄長女)は孫。妻の弟が木村健二郎。.

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矢内原伊作

内原 伊作(やないはら・いさく、1918年5月2日 - 1989年8月16日)は、日本の哲学者、評論家。.

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矢内原忠雄

内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。無教会主義キリスト教の指導者としても知られる。.

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矢内原門

内原門(やないはらもん)とは、東京都目黒区駒場の東京大学駒場Iキャンパスにあった「門」。正規の門ではなく、大学を囲む柵の、駒場商店街方面へ行くのに至便な位置に開けられた幅1メートルほどの通用口の名であった。.

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矢田不二郎

不二郎(やだ ふじろう、1902年(明治35年)8月20日 - 1981年(昭和56年)1月29日)は、大和生命の5代目取締役社長。実妹は小説家の矢田津世子。妹の人生、文学に大きな影響を与えた。.

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矢田部達郎

部達郎(やたべ たつろう、1893年10月24日 - 1958年3月24日)は、日本の心理学者、京都大学名誉教授。 YG性格検査(矢田部・ギルフォード性格検査)を考案した。.

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矢田津世子

津世子(やだ つせこ、本名矢田ツセ、1907年(明治40年)6月19日 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、日本の小説家、随筆家。秋田県南秋田郡五城目町出身。はじめモダン派であったが純文学に転進し、1936年に小説『神楽坂』が第3回芥川賞候補に選ばれる。文章力と美貌を兼ね備えた女流作家として人気を集めた。坂口安吾の恋人とされる。大和生命第5代社長の矢田不二郎は兄。.

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矢鍋永三郎

鍋 永三郎(やなべ えいざぶろう、1880年(明治13年)3月15日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。実業家。.

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矢部貞治

部 貞治(やべ ていじ、明治35年(1902年)11月9日 - 昭和42年(1967年)5月7日)は、日本の政治学者、評論家。東京帝国大学法学部教授、拓殖大学総長などを歴任した。従三位勲一等。政治学博士。旧姓横山。 第二次世界大戦前・戦後を問わず現実政治への関与を行い、戦前は近衛文麿のブレーントラスト「昭和研究会」に参加し、外交部会長を務めた。戦後では東大時代に指導した中曽根康弘の相談役であったことで知られる。中曽根は度々師であったと公言している。 自身の来歴から、近衛に関する多くの伝記研究を編纂執筆している。 政治史研究に関する一次史料として、矢部日記が没後刊行されている。私蔵文書類は憲政記念館が所蔵していたが、現在は一部が政策研究大学院大学に移管され、整理・公開されている。なお他にも、多数の重要な史料を憲政記念館で所蔵しており、遺族からも史料の寄贈を受けているが未整理・非公開のままとなっている。.

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矢野一郎

野 一郎(やの いちろう、1899年2月7日 - 1995年4月17日)は、日本の実業家(元第一生命会長)、剣道家(剣道範士)。.

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矢野仁一

野 仁一(やの じんいち、明治5年5月13日(1872年6月18日) - 昭和45年(1970年)1月2日)は、日本の東洋史学者、京都帝国大学名誉教授。山形県出身。 山形県米沢市生まれ。第一高等学校を経て1899年東京帝国大学文科史学科卒。同助教授となり、1905年清朝の招聘により北京の法政学堂(進士館教習)に勤務、1912年京都帝国大学助教授、1920年教授、1932年定年退官、名誉教授。文学博士。 中国近現代史研究の先駆者の一人であり、戦時期には「中国非国論」を主張して満州国建国を擁護する論陣を張り、戦後は文化大革命を批判した。 『東方学回想 III 学問の思い出〈1〉』(刀水書房、2000年)に、門下生達と座談会での回想がある。.

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矢野真 (外交官)

野 真(やの まこと、1884年8月19日 - 1962年2月4日)は、日本の外交官。.

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矢橋賢吉

橋 賢吉(やばし けんきち、1869年10月24日(明治2年9月20日) - 1927年(昭和2年)5月24日)は日本の建築家、官僚。.

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石原久

石原 久(いしはら ひさし、1866年11月18日(慶應2年10月12日) - 1941年(昭和16年)6月19日)は明治〜昭和期の医学博士、口腔外科医・歯科医。東京帝国大学教授、医科大学における日本で最初の「歯科」教室の創始者。.

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石原忍

石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京府生まれ。石原式色覚異常検査表視力検査表の考案者。視力、色覚、屈折異常など、機能検査表の研究をはじめ、先天性全色盲の発見、この分野の先駆者となった。最初の色神検査表は1929年の第13回国際眼科学会で国際的に認定された。.

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石原初太郎

石原 初太郎 (いしはら はつたろう、明治3年9月6日(1870年9月30日) - 昭和6年(1931年)2月25日)は、日本の地質学者。山梨県出身。四女の美知子(津島美知子)は作家・太宰治の妻。.

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石原周夫

石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1983年12月27日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。.

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石原純

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。.

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石原謙

石原 謙(いしはら けん、1882年8月1日 - 1976年7月4日)は、キリスト教史学者。東京生まれ。日本学士院会員。.

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石原雅二郎

石原 雅二郎(いしはら つねじろう『人事興信録』第14版 上、イ174頁。、1888年(明治21年)3月6日 - 1946年(昭和21年)11月8日『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』36頁。)は、日本の内務・警察官僚、政治家、教育者。官選県知事、津市長、中央大学教授。.

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石坂泰三

石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月3日 - 1975年(昭和50年)3月6日)は、日本の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日~1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は、石坂泰三を嚆矢とする。正三位勲一等。.

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石塚英蔵

石塚 英蔵(いしづか えいぞう、1866年10月31日(慶応2年7月23日) - 1942年(昭和17年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官、日本赤十字社常議員。.

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石岡実

石岡 実(いしおか みのる 1910年1月6日 - 1996年11月23日)は、日本の内務・警察官僚。.

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石川吉右衛門

石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の労働法学者。東京大学名誉教授。.

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石川一郎

石川 一郎(いしかわ いちろう、1885年(明治18年)11月5日 - 1970年(昭和45年)1月20日)は、日本の財界人、経営者。東京帝国大学助教授、日産化学工業社長を経て、旧経済団体連合会(現日本経済団体連合会)初代会長(在任1948年(昭和23年)~1956年(昭和31年))。日産化学工業元社長、元会長。昭和電工元社長、元会長。.

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石川徹

石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日- 1997年〈平成9年〉9月10日)は、東京市芝区高輪生まれの日本の国文学者である。愛知教育大学名誉教授。 中古文学、特に源氏物語と前後の物語(近世以前)研究が専門である。.

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石川誠

石川 誠(いしかわ まこと、1924年 - 1992年2月4日)は、日本の内科医。専門は、消化器病学特に消化吸収。医学博士.

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石川準吉 (総務官僚)

石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3月14日 - 1989年(平成元年)4月14日『現代物故者事典 1988~1990』55頁。)は、日本の官僚、歴史学者。行政管理庁行政管理局長、法学博士。.

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石丸重美

石丸 重美(いしまる しげみ、文久4年1月14日『正四位勲二等石丸重美叙勲ノ件』(1864年2月21日) - 大正12年(1923年)10月18日)は、日本の鉄道官僚、工学博士。貴族院勅選議員。.

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石井亨

石井 亨(いしい とおる、1925年11月11日 - )は、日本の元官僚、元・仙台市長(第26、27期)。 仙台市の政令指定都市昇格や市営地下鉄の開業などの実績があるが、ゼネコンに絡む贈収賄事件で失職した。.

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石井五郎

石井 五郎(いしい ごろう、1888年 - 1951年)は、阪神電鉄の副社長。.

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石井保

石井 保(いしい たもつ、1887年(明治20年)3月15日 - 1976年(昭和51年)2月1日『埼玉人物事典』69頁。)は、日本の内務官僚。憲政会系官選鳥取県知事、台湾総督府警務局長。.

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石井照久

石井 照久(いしい てるひさ、1906年(明治39年)11月23日 - 1973年(昭和48年)7月16日 )は、佐賀県出身の日本の法学者。東京大学名誉教授、成蹊大学長、中央労働委員会委員長(第6代)。法学博士。専門は商法・労働法。戦後の民事法学の基礎を築いた法学者で、現代民事法学の学祖と呼ばれる。.

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石井良助

石井 良助(いしい りょうすけ、1907年(明治40年)12月14日 - 1993年(平成5年)1月12日)は、日本の法制史学者。勲二等旭日重光章、文化功労者、文化勲章。贈従三位 勲一等瑞宝章(没時陞叙)。.

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石井榮三

石井 栄三(いしい えいぞう、1907年(明治40年)2月14日『日本近現代人物履歴事典』38頁。 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の警察官僚。岡山市今村出身。従三位勲二等旭日重光章。旧姓・高原。.

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石井満

石井 満(いしい みつる、1891年2月9日 - 1977年11月13日)は、日本の出版人、教育学者。.

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石井政一

石井 政一(いしい まさかず / せいいち、1898年(明治31年)2月『新編日本の歴代知事』228頁。 - 1997年(平成9年)2月24日『朝日新聞』1997年2月25日朝刊の訃報より。)は、日本の内務官僚、弁護士。官選福島県知事。.

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石井敬吉

石井 敬吉(いしい けいきち、慶応2年11月11日(1866年12月17日) - 昭和7年(1932年)3月10日)は、明治から昭和時代前期の建築家、構造家、建築学者、建築史家。最初の日本建築史研究者として知られる伊東忠太より早く日本建築史の研究を開始する。その後は実際の建築実務に関心を移し、構造と構法に関する研究を進めた。工手学校(現工学院大学)造家学科教員。.

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石田幹之助

石田 幹之助(いしだ みきのすけ、1891年12月28日 - 1974年5月25日)は、日本の歴史学者、東洋学者。國學院大學や大正大学、日本大学などで教授をつとめた。芥川龍之介とは、一高同級生の友人だった。.

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石田和外 (裁判官)

石田 和外(いしだ かずと、明治36年(1903年)5月20日 - 昭和54年(1979年)5月9日)は、日本の裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。.

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石田誠 (医学者)

石田 誠(いしだ まこと、1881年〈明治14年〉- 1959年〈昭和34年〉)は、日本の細菌学者、耳鼻咽喉科医師、富田浜病院初代院長。妻の石田マサヲについても記述する。.

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石田英一郎

石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。.

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石田正

石田 正(いしだ ただし、生年不詳 - 1979年3月4日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁。.

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石谷伝四郎

石谷 伝四郎(いしたに でんしろう、1866年6月12日(慶応2年4月29日)- 1923年(大正12年)12月19日)は、日本の実業家、政治家。鳥取県平民『人事興信録.

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石黒武重

石黒 武重(いしぐろ たけしげ、明治30年(1897年)5月13日 - 平成7年(1995年)1月23日朝日新聞大阪版 1995年1月25日 27面)は、日本の官僚、政治家。山形県知事、法制局長官、民主党初代幹事長などを務めた。.

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石橋五郎

石橋 五郎(いしばし ごろう、1876年1月-1946年)は、日本の地理学者。京都帝国大学名誉教授。.

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石橋和

石橋 和(いしばし やわら、1873年(明治6年)6月3日『人事興信録』第5版、い187頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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石橋茂

石橋 茂(いしばし しげる、1882年(明治15年)5月1日『茨城人名録』p.51 - 1946年(昭和21年)9月15日衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年)は、日本の衆議院議員(立憲同志会→憲政会→立憲民政党)。弁護士。.

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石橋湛山

石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短かさである。 早稲田大学から名誉法学博士(Doctor of Laws)を贈られた。.

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石渡荘太郎

石渡 荘太郎(いしわた そうたろう、明治24年(1891年)10月9日- 昭和25年(1950年)11月4日)は東京都出身の官僚、政治家。位階・勲等は正三位勲一等。.

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石本巳四雄

石本 巳四雄(いしもと みしお、1893年(明治26年)9月17日 - 1940年(昭和15年)2月4日)は日本の地震学者である。シリカ傾斜計や加速度地震計を発明したことで知られる。.

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石本泰雄

石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月5日 - 2015年(平成27年)12月8日)は、日本の法学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際法、特に戦争法研究。法学博士(東京大学、1962年)。2002年より日本学士院会員。和歌山県田辺市出身。.

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石浜金作

石濱 金作(いしはま きんさく、1899年2月28日 - 1968年11月21日)は、日本の小説家。 東京市京橋木挽町出身。父は時事新報記者の石浜鉄郎、兄は経済学者の石浜知行。子供時代は大阪で育ち、第一高等学校を経て1924年東京帝国大学英文科卒。 1921年川端康成らと第6次『新思潮』を創刊。その後、『文藝春秋』の編集同人となる。1924年に『文藝時代』の創刊に携わり、新感覚派の新人作家として活躍する。.

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玉井喜作

ベリア横断直後の玉井喜作 玉井 喜作(たまい きさく、慶応2年5月18日(1866年6月30日) - 1906年(明治39年)9月25日)は、日本のジャーナリスト、教育家、冒険家。札幌農学校でドイツ語教授を務めた後にシベリアを単身横断してドイツに渡り、月刊誌『東亜(Ost-Asien)』を刊行するなどジャーナリストとして活動した。また、玉井は在留日本人の面倒をよくみたことから「私設公使」の異名をとった。.

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玉田昇次郎

玉田 昇次郎(たまだ しょうじろう、1892年(明治25年)5月13日 - 1938年(昭和13年)2月16日)は、日本の内務・警察官僚。官選香川県知事。.

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王希天

王希天(おう きてん、ワン・シテイエン、1896年8月5日 - 1923年9月12日)は中国人の社会事業家、宗教家。関東大震災の直後、陸軍により殺害された。.

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王蔭泰

王 蔭泰(おう いんたい)は中華民国の政治家。北京政府、奉天派に属した。後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)でも要職をつとめている。字は孟群。父は清末民初の政治家・学者である王式通。祖籍は浙江省紹興府。.

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灘尾弘吉

尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月21日 - 1994年(平成6年)1月22日)は、昭和時代の日本の内務・厚生官僚、政治家。衆議院議長(60・61代)、文部大臣(74・75・77・82・83・90代)、厚生大臣(41代)を歴任。.

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獨協中学校・高等学校

協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。。.

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獨逸学協会学校

逸学協会学校(どいつがくきょうかいがっこう)は獨逸学協会によって1883年に設置された私立の旧制学校である。中等教育機関であったが、一時期は高等教育課程である「専修科」も併設していた。.

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獅子内謹一郎

獅子内謹一郎 獅子内 謹一郎(ししうち きんいちろう、1884年(明治17年)3月25日 - 1941年(昭和16年)10月29日)は日本のアマチュア野球選手。早稲田大学野球部の中心選手だった。また、岩手県や満州で後進の育成に努め、「岩手野球の父」とも呼ばれる。守備位置は外野手、三塁手、投手。.

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砂間一良

間 一良(すなま いちろう、1903年2月8日 - 1992年12月12日)は日本のジャーナリスト、政治家。元日本共産党衆議院議員。妻は民医連運動発祥の地とされる、大崎無産者診療所で看護師を務めていた、社会運動家の秋子。.

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硯友社

硯友社(けんゆうしゃ)は、明治期の文学結社。 1885年、尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、丸岡九華によって発足。「我楽多文庫」を発刊し、川上眉山、巖谷小波らが参加し当時の文壇で大きな影響を与える一派となった。 明治36年(1903年)10月の紅葉の死によって解体したが、近代文体の確立など、その意義は大きい。.

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磯崎叡

磯崎 叡(いそざき さとし、1912年8月16日 - 1997年6月19日)は日本の鉄道官僚、第6代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1969年-1973年)。永井岩之丞の孫。 作家・三島由紀夫の父・平岡梓はいとこにあたる。.

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磯部尚

磯部 尚(いそべ ひさし、1875年(明治8年)11月23日 - 1935年(昭和10年)11月1日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。.

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神奈川県立希望ヶ丘高等学校

奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつ きぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区南希望が丘に所在する公立の高等学校。略称は“希高”(きこう)、もしくは神奈川県立横浜第一高等学校から取って“神高”(じんこう)とも言われる。.

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神奈川県立湘南高等学校

内庭 校舎内は船内のイメージ 冷暖房完備の多目的ホール 神奈川県立湘南高等学校(かながわけんりつ しょうなんこうとうがっこう)は、神奈川県藤沢市鵠沼神明五丁目に所在する公立の高等学校。.

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神山閏次

山 閏次(かみやま じゅんじ、1870年11月7日(明治3年10月14日)『人事興信録』第5版、か152頁。 - 1943年(昭和18年)3月8日)は、日本の内務・農商務官僚。官選群馬県知事、錦鶏間祗候。.

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神島二郎

島 二郎(かみしま じろう、1918年4月18日 - 1998年4月5日)は日本の政治学者、日本政治思想史家。立教大学名誉教授。 東京市四谷区出身。丸山眞男と柳田國男に師事し、両者の業績(丸山政治学と柳田民俗学)を架橋したと言われる。戦争に敗れた衝撃から、近代日本の歩んだ道筋を追究した。神島が提唱した「第二のムラ」という概念は近代日本史を解くキーワードの一つと評価されている。.

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神川彦松

川 彦松(かみかわ ひこまつ、1889年12月23日 - 1988年4月5日)は、日本の国際政治学者。.

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神田盾夫

夫(かんだ たてお、1897年6月30日 - 1986年7月19日)は、日本の言語学者、聖書学者(新約聖書学)。 .

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神西清

西 清(じんざい きよし、1903年11月15日 - 1957年3月11日)は、日本のロシア文学者、翻訳家、小説家、文芸評論家。.

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神野勝之助

野 勝之助(かみの かつのすけ、1868年4月29日(慶応4年4月7日)– 1928年(昭和3年)10月5日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、貴族院議員。.

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神津恭介

津 恭介(かみづ きょうすけ)は、高木彬光の推理小説に登場する架空の名探偵。初登場は高木のデビュー作でもある『刺青殺人事件』。.

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神戸正雄

戸 正雄(かんべ まさお、1877年(明治10年)4月19日 - 1959年(昭和34年)10月16日)は、愛知県一宮市出身の法学者、経済学者、政治家(京都市長で、公選第一号の市長。)。文化功労者。 正式には神戸ではなく、神戸の旧字である(カンベとよむ)。 日本における消費税提唱の先駆者として知られる。.

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福原鐐二郎

福原 鐐二郎(ふくはら りょうじろう、1868年8月13日(慶応4年6月25日) - 1932年(昭和7年)1月17日)は明治時代から大正時代にかけての日本の文部官僚。号は蘇洲。 文部次官、東北帝国大学(東北大学の前身)総長、学習院長、帝国美術院(日本芸術院の前身)院長、貴族院議員を歴任した。.

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福富節男

福富 節男(ふくとみ せつお、1919年10月31日 - 2017年12月18日)は、日本の数学者・社会運動家。元東京農工大学教授。専攻は、位相幾何学。.

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福岡易之助

福岡 易之助(ふくおか やすのすけ、1885年 - 1931年)は、秋田県横手市(雄物川町福地)出身でフランス文学の白水社の創業者。俳号は雄川。旧制横手中学校(現秋田県立横手高等学校)から旧制第一高等学校をへて、東京帝国大学仏文科を卒業した。在学中に父が逝去、卒業後、帰郷し酒造業を継ぎ、農業振興にも力を入れる。大正6年、農業振興に見切りをつけ上京。白水社を興してフランス文学の普及につとめる。日本で初めての仏和大辞典を編纂、これらの功績によりフランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章する。姉の福岡珠子(田子静江)の夫、田子一民(盛岡市出身)は、石川理紀之助から教えを受けた政治家で、秋田魁新報(大正4年9月)に『篤農石川翁と九升田(一)~(四) 内務書記官 田子一民』がある。 Category:日本の実業家 Category:秋田県出身の人物 Category:東京大学出身の人物 Category:白水社.

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福島繁三

福島 繁三(ふくしま しげぞう、1888年(明治21年)10月『新編日本の歴代知事』319頁。 - 1939年(昭和14年)8月29日『朝日新聞』(東京本社発行)1939年9月1日夕刊、2面の訃報より。)は、日本の内務・警察官僚。官選埼玉県知事。旧姓・阿久津。.

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福島正夫

福島 正夫(ふくしま まさお、1906年7月11日-1989年12月14日)は、昭和・平成期の法制史学者・弁護士。社会主義法学・比較法学・日本近代法制史などの研究において業績を残した。.

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福井伸二

福井 伸二(ふくい しんじ、明治41年(1908年)1月4日 - 平成2年(1990年)7月16日)は日本の機械工学者、金属工学者(冶金学者)。.

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福地崇生

福地 崇生(ふくち たかお、1932年2月23日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、筑波大学名誉教授。専門は応用計量経済学、経済計画・開発論。経済学博士(東京大学、1960年)。愛知県出身。.

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福田一

福田 一(ふくだ はじめ、1902年4月1日 - 1997年9月2日)は、日本の政治家。自民党衆議院議員、第62代衆議院議長(在任期間・1980年7月17日-1983年11月28日)。自民党では大野伴睦→船田中派に属した後に、無派閥。.

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福田啓二

福田 啓二(ふくだ けいじ、1890年(明治23年)12月1日 - 1964年(昭和39年)3月29日)は、日本の造船工学者、海軍軍人。栄典は、海軍技術中将正四位勲二等(旭日重光章・瑞宝章)。.

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福田赳夫

福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年(明治38年)1月14日 - 1995年(平成7年)7月5日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 衆議院議員、農林大臣(第2次岸改造内閣)、大蔵大臣(第1次佐藤第1次改造内閣・第2次佐藤第2次改造内閣・第3次佐藤内閣・第2次田中角栄第1次改造内閣)、外務大臣(第3次佐藤改造内閣)、行政管理庁長官(第2次田中角栄内閣)、経済企画庁長官(三木内閣)、内閣総理大臣(福田赳夫内閣)などを歴任した。.

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福田歓一

福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 2007年1月7日)は、日本の政治学者。専門は、西欧政治思想史。東京大学名誉教授。.

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福永武彦

福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。.

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福澤諭吉

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体:子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった。 現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的である。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。.

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福本和夫

福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者。科学技術史家・思想史家・文化史家でもある。.

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秦豊助

豊助 秦 豊助(はた とよすけ、1872年9月29日(明治5年8月27日) - 1933年(昭和8年)2月4日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、拓務大臣。.

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秦豊吉

豊吉(はた とよきち、1892年1月14日 - 1956年7月5日)は、日本の実業家、演出家、翻訳家、随筆家、興行師。.

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秦逸三

逸三(はた いつぞう、1880年12月14日 - 1944年5月25日)は、日本で初めて人造絹糸(レーヨン)製造に成功した科学者・実業家。帝国人造絹糸(現・帝人の前身)共同設立者。広島県安芸郡海田町出身。.

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秋山六郎兵衛

秋山 六郎兵衛(あきやま ろくろうべえ、1900年4月11日 - 1971年8月23日)は、日本のドイツ文学者。専門は、E.T.A.ホフマンの『牡猫ムルの人生観』の翻訳、ヘルマン・ヘッセの研究。.

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秋山真之

秋山 真之(あきやま さねゆき、、慶応4年3月20日(1868年4月12日) - 大正7年(1918年)2月4日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階勲等功級は従四位勲二等功三級。勲二等旭日重光章、功三級金鵄勲章を授与された。幼名は淳五郎(じゅんごろう)。 三兄は「日本騎兵の父」と云われた陸軍大将の秋山好古、次兄は朝鮮京城電気重役の岡正矣。子は4男2女。元参議院議員・大石尚子は、真之の孫(二女・宜子の長女)。.

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秋田稔

秋田 稔(あきた みのる、1920年 - 2017年4月28日)は、日本の神学者。恵泉女学園名誉学園長。.

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秋月悌次郎

秋月 悌次郎(あきづき ていじろう、文政7年7月2日(1824年7月27日) - 明治33年(1900年)1月5日)は、日本の武士(会津藩士)、教育者。名は胤栄、字は子錫、号は韋軒。明治維新後は、胤永(かずひさ)と名乗る。婿養子・胤継は、漢学者(文学博士、第六高等学校教頭、懐徳堂講師)。.

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種田虎雄

虎雄(おいた とらお、1883年(明治17年)4月15日~1948年(昭和23年)9月5日)は、日本の官僚、実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の初代社長を務めた。.

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稲垣平太郎

垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – 1976年4月23日)は、日本の実業家・政治家。前参議院議員。 商工大臣(第33代)、通商産業大臣(初代)を歴任した。.

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稲岡耕二

岡 耕二(いなおか こうじ、1929年4月12日 - )は、日本文学者(万葉学者)。古代文学専攻。東京大学名誉教授。.

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稲田周一

周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月26日 - 1973年(昭和48年)2月5日『日本近現代人物履歴事典』57頁。)は、日本の内務・宮内官僚。侍従長、官選滋賀県知事。.

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稲田龍吉

龍吉(いなだ りょうきち、1874年(明治7年)3月18日 - 1950年(昭和25年)2月27日)は、愛知県名古屋市出身の細菌学者。九州帝国大学医学部第一内科初代教授、恩賜財団母子愛育会愛育研究所(現・日本総合愛育研究所)初代所長を歴任。東京大学名誉教授、医学者。.

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稲葉三千男

葉 三千男(いなば みちお、1927年3月10日 - 2002年9月8日)は、日本の社会学者、政治家。元東京都東久留米市長(3期)。東京大学名誉教授。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。 東久留米市議会議員の間宮みきは次女。.

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穂積重遠

積 重遠(ほづみ しげとお、1883年4月11日 - 1951年7月29日)は、東京府出身の法学者。専門は民法。東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。東宮大夫兼東宮侍従長。男爵。勲一等旭日大綬章。.

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窪田静太郎

静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年11月10日(慶応元年9月22日) - 1946年10月6日)は、日本の内務官僚、法学者、社会事業家。法学博士、行政裁判所長官、枢密顧問官。.

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章宗祥

宗祥(しょう そうしょう)は、清末民初の政治家・外交官。字は仲和。.

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竹山道雄

竹山 道雄(たけやま みちお、1903年7月17日 - 1984年6月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者、小説家。日本芸術院会員。第一高等学校教授、東京大学教養学部教授などを歴任した。.

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竹内徳治

竹内 徳治(たけうち とくじ、1899年(明治32年)11月1日『新編日本の歴代知事』907頁。 - 1991年(平成3年)5月10日『現代物故者事典 1991-1993』360頁。)は、日本の大蔵官僚。官選香川県知事。.

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竹内道雄

竹内 道雄(たけうち みちお、1921年3月17日 - 2004年2月27日)は、日本の官僚。大蔵事務次官。.

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竹田復

竹田 復(たけだ さかえ、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)11月7日)は、日本の中国文学者・中国語学者。.

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竹田晃

竹田 晃(たけだ あきら、1930年11月26日 - )は、日本の中国文学研究者。東京大学教養学部名誉教授。明海大学名誉教授。六朝の志怪小説、唐代伝奇小説が専門。元東京大学運動会硬式野球部監督。.

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竹谷源太郎

竹谷 源太郎(たけや げんたろう、1901年(明治34年)2月14日『新訂 政治家人名事典』366頁。 - 1978年(昭和53年)9月12日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』390頁。)は、日本の政治家、内務官僚、弁護士。衆議院議員。.

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竹腰健造

竹腰 健造(たけこし けんぞう、明治21年(1888年)6月25日 - 昭和56年(1981年)7月28日)は、建築家。住友総本店出身で、日建設計の母体の長谷部竹腰建築事務所の長谷部鋭吉と共に創業者の1人である。.

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立原道造

立原 道造(たちはら みちぞう、1914年(大正3年)7月30日 - 1939年(昭和14年)3月29日)は、昭和初期に活動し24歳で急逝した詩人。また建築家としても足跡を残している。父は立原貞次郎(婿養子)、母は立原登免(通称 光子)。次男として生まれる。先祖には立原翠軒、立原杏所などがいる。学歴は東京帝国大学工学部建築学科卒業。学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。戒名は温恭院紫雲道範清信士。墓は東京都谷中の多宝院。賞歴は、辰野賞3年連続受賞、中原中也賞受賞。.

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立作太郎

立 作太郎(たち さくたろう、1874年(明治7年)3月15日 - 1943年(昭和18年)5月13日)は、日本の国際法学者。東京帝国大学教授。.

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笠井信一

井 信一(かさい しんいち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1929年7月25日)は、日本の内務官僚・政治家。貴族院議員。.

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笠耐

耐(りゅう たえ、女性、1934年2月24日- )は、物理教育者、元上智大学助教授。 福岡県生まれ。檀一雄の母と、高岩勘次郎の娘で、兄に高岩淡がいる。夫は笠啓一(1928年広島県生まれ、1950年旧制第一高等学校卒業、文芸評論家)。福岡県立修猷館高等学校を経て、お茶の水女子大学理学部物理学科卒業。上智大学理工学部専任講師、助教授。2004年定年。IUPAP-ICPE(国際純粋応用物理学連合-国際物理教育委員会)メダルを受賞。子は笠潤平(1959年生、香川大学教授)。.

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第10回明治神宮国民体育大会

10回明治神宮国民体育大会(だい10かいめいじじんぐうこくみんたいいくたいかい)は1939年(昭和14年)から翌年にかけて明治神宮外苑競技場を主会場として開催された。 国家総力戦への体制を強化するに当たり、今大会から主催が明治神宮体育会から厚生省になり、大会名称が「明治神宮国民体育大会」となった。これに伴い、聖恩の旗引継ぎ式が7月18日に行われ、明治神宮体育会は解散した。また、今大会より国防競技を採用し、軍事教練的な要素が強くなった。 さらに、明治神宮外苑競技場で行われる中央大会に呼応し、各地方にて地方大会を実施した。.

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第七高等学校造士館 (旧制)

旧制第七高等学校 造士館(きゅうせいだいしちこうとうがっこう ぞうしかん)は、1901年(明治34年)4月鹿児島市に設立された官立旧制高等学校。略称は「七高」(しちこう)。.

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第三高等学校 (旧制)

旧制第三高等学校(きゅうせいだいさんこうとうがっこう)は、京都市および岡山市に所在した旧制高等学校。略称は「三高」。現在の京都大学総合人間学部および岡山大学医学部の前身である。1894年に第三高等中学校(1886年設立)を母体として発足し、初代校長は折田彦市。 三高の淵源は、1869年に大阪で設立された舎密局に求められる。第三高等中学校時代の1889年に京都に移転した。東京の第一高等学校(一高)が「向陵」を称したのに対し、神楽岡(吉田山)の麓にあることから「神陵」を称した。また、一高が「自治」を標榜したのに対し、三高は「自由」を掲げた。.

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第一小学校

一小学校(だいいちしょうがっこう)は、日本の公立小学校。.

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第一幼稚園

一幼稚園(だいいちようちえん)は、日本および中国の幼稚園。.

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第一高等学校 (旧制)の寮歌

一高等学校(旧制)の寮歌(だいいちこうとうがっこうのりょうか)では、旧制高等学校の寮歌のうち、約370曲の歌を有していた第一高等学校 (旧制)の寮歌その他について記述する。以下は寮歌の一覧から記事を分割した。.

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第一高等学校 (旧制)の人物一覧

一高等学校の人物一覧(だいいちこうとうがっこうのじんぶついちらん)では、第一高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者などを記述する。.

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第一高等学校・東京大学弁論部

一高等学校・東京大学弁論部(だいいちこうとうがっこう・とうきょうだいがくべんろんぶ)は、東京大学に存在する弁論部である。.

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第二高等学校 (旧制)

片平にある煉瓦造りの校門と碑(東北大学片平キャンパス) 旧制第二高等学校(きゅうせいだいにこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)4月に宮城県仙台区(現・仙台市)に設立された旧制高等学校。略称は「二高」(にこう)である。.

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第五高等学校

五高等学校.

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第五高等学校 (旧制)

本大学五高記念館(旧・第五高等中学校本館) 第五高等学校(だいごこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)5月熊本区(1889年以降は市制を施行して熊本市)に設立された官立高等中学校を母体とする旧制高等学校。略称は「五高」(ごこう)。.

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第四高等学校

四高等学校.

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第四高等学校 (旧制)

本館 旧制第四高等学校(きゅうせいだいしこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)4月金沢市に設立された官立旧制高等学校。略称は「四高(しこう)」。.

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笹山茂太郎

笹山 茂太郎(ささやま しげたろう、1901年10月15日 - 1982年5月15日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(9期)、秋田県横手市出身。.

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筧克彦

筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日(明治5年11月28日) - 1961年(昭和36年)2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。専門は公法学、法哲学(法理学)、憲法学。.

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筧栄一

筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 2013年5月15日)は、日本の弁護士(登録番号:22838)。検事総長。.

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筑波大学附属小学校

筑波大学附属小学校(つくばだいがくふぞくしょうがっこう、Elementary School, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚三丁目にある国立小学校。筑波大学の附属校。男女共学。通称は「筑附(つくふ)」、「筑小」、「附属小」。.

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筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧

筑波大学附属中学校・高等学校人物一覧(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん) 筑波大学附属中学校・高等学校およびその前身校の主な卒業生・教員・関係者など。.

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筒井省二

井 省二(つつい せいじ、1890年(明治23年)- 1943年(昭和18年)9月11日)は、日本の医師、医学博士、専門は消化器外科 、鶴岡市立荘内病院第5代院長。埼玉県出身。旧・盲腸炎(虫垂炎)手術の戦後普及の礎を築いた。.

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箭内亙

箭内 亙(やない わたり、1875年(明治8年)7月17日 - 1926年(大正15年)2月10日)は、東洋史学者、東京帝国大学教授。号は尚軒。 福島県西白河郡泉崎村出身。1889年(明治22年)福島県立安積中学校に入学、1894年(明治27年)3月卒業の後、仙台市の第二高等学校を経て、東京帝国大学文科卒。1907年に第一高等学校講師となる。1908年満州朝鮮歴史地理調査部部員となり、白鳥庫吉の指導で調査にあたる。1910年(明治43年)に教授となる。1919年(大正8年)東京帝大東洋史学科助教授、ついで1925年から教授を務めた。1926年、胃潰瘍のため死去。享年52。モンゴル史研究に業績を残した。主な著書に『東洋読史地図』『蒙古史研究』など。.

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箕原勉

箕原 勉(みのはら つとむ、1882年(明治15年)8月28日 – 1964年(昭和39年)12月15日)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍造兵中将。工学博士。.

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箕作元八

箕作 元八(みつくり げんぱち、文久2年5月29日(1862年6月26日)- 大正8年(1919年)8月9日)は、美作国(岡山県)津山生まれの日本の男性歴史学者。.

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箕作秋吉

箕作 秋吉(みつくり しゅうきち、1895年10月21日 - 1971年5月10日)は、日本のクラシック音楽の作曲家である。箕作元八の長男として東京都に生まれた。箕作阮甫の曾孫にあたる。東洋音楽大学教授。.

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篠原武司

原 武司(しのはら たけし、1906年(明治39年)4月16日 - 2001年(平成13年)6月30日)は、昭和の鉄道技術者・官僚。元国鉄西部総支配人兼門司鉄道管理局長・鉄道技術研究所長・日本鉄道建設公団総裁。 東海道新幹線建設に際しては、新幹線構想の火付け役となった。また、後の整備新幹線につながる「全国高速鉄道網構築構想」も発表。本四架橋建設構想にもかかわっている。しかしリニアエクスプレス構想には懐疑的で、それよりも山梨県を通る従来方式の中央新幹線を作り、東海道新幹線への集中を緩和する方がよいと考えていた。篠原の回想録をまとめた高口は、篠原は「シビル・エンジニア」と呼ばれることを好んだとしている。.

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篠崎信男

崎 信男(しのざき のぶお、1914年6月21日 - 1998年4月16日)は、日本の人口学者、評論家。 東京出身。別名・神寺人言(じんげんひとよ)。第一高等学校、東京帝国大学理学部数学科から、1939年長谷部言人によって新設された人類学科に移り第一期生として卒業。1961年「血族結婚部落に関する生体人類学的研究」で東京大学理学博士。1943年厚生省に入り、人口問題研究所、同人口資質部長。1984年日本人口学会会長。1984年勲二等瑞宝章受勲。.

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篠田治策

治策(しのだ じさく、明治5年10月12日(1872年11月12日) - 昭和21年(1946年)1月23日)は、明治後期から昭和前期にかけての法学者・拓務官僚。.

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築島裕

築島 裕(つきしま ひろし、1925年10月12日 - 2011年4月11日)は、日本の国語学者。東京大学文学部名誉教授。文学博士。日本学士院会員。鉄道切符の収集家。 訓点資料研究が専門。国語学の分野で功績を残した。.

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米原昶

米原 昶(よねはら いたる、1909年2月7日 - 1982年5月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)*。日本共産党幹部会委員。.

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粟屋仙吉

粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年(明治26年)11月7日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族『人事興信録.

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粟田賢三

粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 1987年2月8日)は、日本の哲学者、編集者。.

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精神貴族

精神貴族(せいしんきぞく)とは、.

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粕谷一希

粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)は東京府出身の日本の評論家、編集者、出版事業家。都市出版株式会社相談役。保守派の編集者として多くの書き手を送り出し、戦後日本の論壇に保守主義、現実主義の潮流を築いた根津朝彦「編集者粕谷一希と『中央公論』―「現実主義」論調の潮流をめぐって―」『総研大文化科学研究』4号、2008,総合研究大学院大学文化科学研究科。.

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細川嘉六

細川 嘉六(ほそかわ かろく、1888年9月27日 - 1962年12月2日)は、日本のジャーナリスト・政治学者。日本共産党参議院議員。.

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細田徳寿

細田 徳寿(ほそだ とくじゅ、1904年8月5日 - 1991年3月25日)は、元大分県知事(1945年 - 1947年、1947年 - 1955年)。官選も含めると第37・39・40代、公選のみでは初代・第2代にあたる。.

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細谷千博

細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。専門は外交史、国際関係論。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、元日本学士院会員、元英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。.

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細谷喜一

細谷 喜一(ほそや きいち、1904年(明治37年)4月『人事興信録』第14版 下、ホ19頁。 - 1980年(昭和55年)11月3日『現代物故者事典 1980~1982』285頁。)は、日本の内務官僚。内閣官房副長官。.

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細谷雄太

細谷 雄太(ほそや ゆうた、1882年 - 1950年)は俳人、医学博士。俳号は細谷不句。別号に柚翁。.

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細郷道一

細郷 道一(さいごう みちかず、1915年11月25日 - 1990年2月15日)は、日本の政治家、内務官僚。神奈川県横浜市長(3期)、自治事務次官を歴任した。.

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縣忍

縣 忍(あがた しのぶ、1881年(明治14年)6月30日永井誠吉著、サンケイ新聞編『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞、1976年、198頁。 - 1942年(昭和17年)1月6日)は、日本の内務官僚、政治家。官選府県知事、樺太庁長官、名古屋市市長。.

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織田萬

織田 萬(おだ よろず、慶応4年7月4日(1868年8月21日) - 昭和20年(1945年)5月26日)『織田萬』(著・赤澤史朗)「立命館大学法学部 創立百周年記念誌(64頁-71頁)」発行・立命館大学法学部(2000年9月22日発行)は、日本の法学者。専門は行政法。京都帝国大学名誉教授、常設国際司法裁判所判事、関西大学学長。財団法人立命館名誉総長。佐賀県須古邑生まれ。.

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纐纈弥三

纐纈 弥三(こうけつ やぞう、1893年12月19日 - 1978年3月15日)は、日本の内務官僚、政治家。警視庁特別高等警察課長、大分県知事、衆議院議員4期、複数の政務次官等を歴任した。.

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美土路達雄

美土路 達雄(みどろ たつお、1917年(大正6年)5月1日 - 1992年(平成4年)11月29日)は、日本の農業経済学者及び教育学者、家政学者。教育学博士(北海道大学)。名寄女子短期大学名誉教授。.

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美濃部達吉

美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年(明治6年)5月7日 - 1948年(昭和23年)5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授。 天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和時代には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した。戦後の1948年には勲一等旭日大綬章を受章。 妻・多美子は菊池大麓の長女である。東京都知事を務めた美濃部亮吉は長男。兄に朝鮮銀行総裁等を務めた美濃部俊吉がおり、その子である商工省および企画院官僚だった美濃部洋次は甥にあたる。同志社大学教授の浜矩子は曾姪孫。.

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美濃部洋次

美濃部 洋次(みのべ ようじ、1900年11月1日 - 1953年2月28日)は、日本の商工官僚。.

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群馬県立前橋高等学校

群馬県立前橋高等学校(ぐんまけんりつ まえばしこうとうがっこう)は、群馬県前橋市下沖町に所在する公立高等学校。男子校。.

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群馬県立館林高等学校

群馬県立館林高等学校(ぐんまけんりつたてばやしこうとうがっこう、Gunma Prefectural Tatebayashi High School)は、群馬県館林市にある県立高等学校であり、全日制普通科(男子)と定時制普通科(男女・4年制)が設置されている。略称は「館高」(かんこう)。.

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羽仁五郎

羽仁 五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。参議院議員。日本学術会議議員。.

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羽生雅則

羽生 雅則(はにゅう まさのり、1889年(明治22年)12月10日 - 1971年(昭和46年)8月8日)は、日本の内務官僚。第1次近衛内閣の内務次官、県知事。旧姓、奥秋。.

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真島利行

真島 利行(まじま としゆき、りこう、1874年(明治7年)11月13日 - 1962年(昭和37年)8月19日)は、日本の有機化学者。大阪帝国大学総長などを歴任。.

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真崎長年

真崎 長年(まさき ながとし、1895年(明治28年)11月『新編日本の歴代知事』1002頁。 - 1965年(昭和40年)11月3日)は、日本の内務官僚。官選佐賀県知事。.

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真野毅

真野 毅(まの つよし、1888年6月9日 - 1986年8月28日)は、日本の弁護士。愛知県生まれ。第二東京弁護士会会長。最高裁判所判事。.

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眞鍋嘉一郎

真鍋 嘉一郎(まなべ かいちろう、正字体:眞鍋 嘉一郞、1878年(明治11年)8月8日 - 1941年(昭和16年)12月29日)は、明治後期から昭和初期の医学者、日本における物理療法(理学療法)、レントゲン学、温泉療法の先駆者。日本内科学会会頭、日本医学放射線学会初代会長を歴任。X線に「レントゲン」の名を初めて使用し日本に定着させたことでも知られ、医聖(いせい)と呼ばれた。.

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結城一朗

結城 一朗(ゆうき いちろう、1904年7月20日 - 1988年9月15日)は、日本の俳優、演劇プロデューサーであるキネマ旬報社, p.622.

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生田勉

生田 勉(いくた つとむ、1912年2月20日 - 1980年8月4日)は、日本の建築家、建築学者。東京大学名誉教授。.

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生田長江

生田 長江(いくた ちょうこう、1882年(明治15年)4月21日 - 1936年(昭和11年)1月11日)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、小説家。.

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生駒高常

生駒 高常(いこま たかつね、1889年(明治22年)7月『新編日本の歴代知事』459頁。 - 1955年(昭和30年)10月16日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』79頁。)は、日本の内務・台湾総督府官僚。台中州知事、官選石川県知事。.

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田島道治

島 道治(たじま みちじ、1885年(明治18年)7月2日 - 1968年(昭和43年)12月2日)は、日本の実業家、銀行家、教育家。 戦後、第二代宮内府長官、初代宮内庁長官を歴任し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にあって宮中改革に尽力した。.

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田島錦治

島 錦治(たじま きんじ、慶応3年9月7日(1867年10月4日) - 昭和9年(1934年)6月28日)は経済学者。号は「赤城」。京都帝国大学初代経済学部長。立命館大学第2代学監。同大学第3代学長。財団法人立命館初代協議員。大日本武徳会弓道範士。日本漕艇協会第三代会長。関西漕艇協会初代会長。帝国学士院会員。.

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田嶋一雄

嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 1985年11月19日)は、日本の実業家。ミノルタカメラ(現:コニカミノルタホールディングス)創業者。和歌山県海南市出身。 座右の銘は「難有り有難し」。.

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田川飛旅子

川 飛旅子(たがわ ひりょし、1914年8月28日 - 1999年4月25日)は、東京出身の俳人・工学者。本名・博。東京府豊多摩郡渋谷町(現渋谷区)生まれ。1933年に日本メソジスト協会中央会堂にて洗礼を受けた。府立六中(現東京都立新宿高等学校)、一高を経て1940年に東京帝国大学工学部卒。卒業と同時に古川電池に入社し電池製作所に配属。戦後に同技師長、役員として勤務。工学者としては『電池及蓄電池』(1953年)の著書があり、1961年に東京大学から博士号を受けている。 一高在学中に短歌に興味を持ち「アララギ」に入会、土屋文明に師事。また中学の時より画家耳野卯三に油絵を習い、1938年「妹の像」で光風会に入選している。古川電気入社した1940年、同僚に勧められて飛旅子の俳号で俳句を始め、同年10月に加藤楸邨の「寒雷」創刊号に投句、「寒雷集」巻頭を取る(二席が永田耕衣であった)。この巻頭を生涯の誇りとした。1946年、澤木欣一らの「風」創刊二号より参加、同人。1947年、古沢太穂らとともに「寒雷」同人。1973年「陸」を創刊・主宰。1979年、『加藤楸邨全集』編集委員を担当。現代俳句協会幹事長、同副会長を歴任。第3回清山賞、第10回現代俳句協会大賞を受賞。 代表句に「遠足の列大丸の中とおる」など(大丸はデパートの名)。鋭くメカニックな観察と乾いた叙情を特徴とする。60歳代で彫刻家ジャコメッティに傾倒し、物をあるがままに見る態度をさらに強くした。川柳などからも学び、「非常口に緑の男いつも逃げ」などのおかしみのある無季句も作っている。.

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田上穰治

上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は日本の法学者。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。一橋大学名誉教授。クリスチャン。紫綬褒章受章。.

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田中不破三

中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12月28日 - 1994年(平成6年)3月8日『現代物故者事典 1994~1996』357頁。)は、日本の鉄道官僚・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。.

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田中広太郎 (内務官僚)

中 広太郎(たなか こうたろう、1888年11月4日 - 1968年1月17日)は、日本の内務官僚。府県知事。.

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田中和夫 (法学者)

中 和夫(たなか かずお、1903年12月26日 - 1998年8月3日)は日本の法学者。専門は英米法、民事訴訟法。一橋大学名誉教授、九州大学名誉教授、獨協大学名誉教授。和歌山県伊都郡山田村(現橋本市)出身。長男は英米法学者の田中英夫。 田中ゼミ出身者には池田光晴(元創価大学教授)、魚谷増男(元愛媛県警察本部長)などがいる。.

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田中誠二 (法学者)

中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、日本の法学者。専門は商法。一橋大学名誉教授、初代法学部長。法学博士。1981年12月12日から1994年まで日本学士院会員。指導学生等に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、吉永榮助(一橋大学名誉教授)、加美和照(中央大学名誉教授)などがいる。.

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田中茂穂 (生物学者)

中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 1974年12月24日)は、日本の魚類学者であり、東京帝国大学の動物学の教授である。「近代魚類分類学の父」として知られる。魚類やサメに関する多くの論文を発表し、著名なアメリカ人科学者であるデイビッド・スター・ジョーダンおよびとともに日本の魚類に関する書籍を共著し、一般性の高い地方名に基づく標準和名を提唱した。.

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田中重之

中 重之(たなか しげゆき、1898年(明治31年)12月15日 - 1985年(昭和60年)4月9日『日本近現代人物履歴事典』319頁。)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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田中英夫 (法学者)

中 英夫(たなか ひでお、1927年1月13日 - 1992年8月20日)は日本の法学者。専門は英米法。東京大学法学部長・名誉教授。.

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田中耕太郎

中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。.

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田中楢一

中 楢一(たなか ならいち、1903年9月13日 - 1973年7月25日)は、日本の内務官僚。兵庫県出身。.

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田中正俊

中 正俊(たなか まさとし、1922年11月14日 - 2002年11月4日)は、中国史・東洋史学者、東京大学文学部名誉教授。 台湾・台南市生まれ。40年東京府立第九中学校卒、43年第一高等学校文科卒、10月東京帝国大学文学部東洋史学科入学、12月学徒出陣で敦賀歩兵連隊に入営、44年9月航空兵に転じ、シンガポール第三航空軍へ向け大阪港を出港するが、10月空襲のためフィリピン戦線のマニラに上陸、12月再度シンガポールへ向かうが敵襲にあい台湾高雄港に避難、45年3月台湾の第八航空師団に転属、台北松山飛行場に勤務、敗戦を迎え46年2月和歌山県田辺港に帰還。復学し、50年東大卒、大学院に進み、51年東洋文庫兼任研究員。54年大学院を退学、横浜市立大学文理学部専任講師、55年助教授、1967年東大文学部東洋史学科助教授、73年教授、81年東洋文庫理事、1983年東大を定年退官、名誉教授、信州大学人文学部教授、85年人文学部長、1988年に神田外語大学外国語学部教授、1995年に退職した。 中国近代史が専門。 熊沢善庵は祖父。.

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田中敬

中 敬(たなか たかし、1923年9月7日 - 2016年12月30日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。.

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田辺淳吉

辺 淳吉(たなべ じゅんきち、1879年6月26日 - 1926年7月13日)は主に大正期に活躍した日本の建築家。清水組(現清水建設)の技師として銀行、学校、邸宅等を設計し、後に独立。 誠之堂、渋沢家飛鳥山邸の晩香廬・青淵文庫などが現存しており、大正期を代表する作品と高く評価されている。これらは、建築と工芸の提携、田園趣味など、アーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けた建築作品として位置づけられている。.

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田辺振太郎

辺 振太郎(たなべ しんたろう、1907年10月1日 - 1987年3月9日)は、日本の科学思想家。 京都出身。東京市本郷区西片町(現・東京都文京区)生まれ。雅号・素楽。1927年静岡県田方郡下大見村・私立大井上理農学研究所に技師として入所、1929年第一高等学校化学教室副手。1932年唯物論研究会の創立に参加。1933年岩波書店編集部勤務、1935-45年理化学研究所助手。磯部甫研究室(元・浅原源七研究室)所属、1945-47年武蔵高等学校(旧制)専任講師(化学)、1953年東京物理学校(現・東京理科大学)卒。のち在野の哲学者として独自の技術論や認識論を展開した。.

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田邊元

辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者。旧字体で表記した場合は田邊 元となる。西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。元京都大学教授、京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。.

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田昌

1929年(昭和4年) 田 昌(でん あきら、1878年(明治11年)6月14日 – 1943年(昭和18年)2月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員。.

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由谷敬吉

由谷 敬吉(ゆたに けいきち、1915年 - 1943年11月26日)は、日本のアマチュア野球選手。東武雄や梶原英夫と並んで、東京大学野球部史上の「名投手三羽烏」と呼ばれる人物の一人。1943年11月26日満州興山で戦死。野球殿堂博物館の「戦没野球人モニュメント」に刻まれている。 鳥取県鳥取市出身。元衆議院議員の由谷義治は叔父。.

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由良三郎

由良 三郎(ゆら さぶろう、1921年10月14日 - 2004年4月3日)は日本の推理作家である。 本名は吉野亀三郎。東京府東京市京橋区銀座の老舗の小間物屋に生まれ、東京府立第一中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学医学部卒業。一高時代は高木彬光との親交もあった。海外留学を経てウイルス学の研究者として実績をあげ、横浜市立大学医学部教授、東京大学医科学研究所教授を歴任。1982年定年退職。1984年『運命交響曲殺人事件』でサントリーミステリー大賞を受賞して推理作家デビューした。 高木彬光と同じ世代でありながら、62歳でデビュー後10年間ほど活躍した。若干古めかしいタイプの探偵小説の作家であった。著作にミステリのトリックを医学的に検証するなどした『ミステリーを科学したら』などのエッセイもある。.

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甲南大学の人物一覧

南大学の人物一覧(こうなんだいがくのじんぶついちらん)は甲南大学に関係する人物の一覧である。.

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甲南高等学校 (旧制)

旧制甲南高等学校(きゅうせいこうなんこうとうがっこう)は、1923年(大正12年)、兵庫県(現在の神戸市)に設立された私立の旧制高等学校である。 なお、本項目では同校(尋常科)の前身である旧制甲南中学校(-ちゅうがっこう)についても記述する。.

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甲賀三郎 (作家)

賀 三郎(こうが さぶろう、1893年(明治26年)10月5日 - 1945年(昭和20年)2月14日)は、小説家・作家・推理作家、戯曲作家。本名は春田 能為(はるた よしため)。.

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熊谷太三郎

谷 太三郎(くまがい たさぶろう、1906年11月3日 - 1992年1月15日)は、日本の実業家、政治家。自由民主党の参議院議員。 ゼネコン・熊谷組の2代目社長。行政・事業の両面で原子力発電所の建設を推進した。.

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熊谷岱蔵

谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月19日 - 1962年(昭和37年)2月19日)は、内科医学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、総長。附属抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任。従二位、勲一等旭日大綬章。.

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熊野英

野 英(くまの えい、1889年(明治22年)8月『人事興信録』第13版 上、ク47頁。 - 1963年(昭和38年)2月3日)は、日本の内務官僚、政治家。官選群馬県知事、松江市長。旧姓・石倉。.

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熊本市

本市(くまもとし)は、日本の熊本県にある市の一つ。同県の県庁所在地、また日本最南端の政令指定都市である。.

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熊本県立済々黌高等学校

本県立済々黌高等学校(くまもとけんりつ せいせいこうこうとうがっこう)は、熊本県熊本市中央区黒髪二丁目にある公立高等学校。.

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熊本謙二郎

本 謙二郎(くまもと けんじろう、慶応3年11月11日(1867年12月6日) - 1938年(昭和13年)10月26日)は戦前日本の英語教育者。東京高等師範学校、学習院、早稲田大学高等師範部教授。.

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畑中武夫

畑中 武夫(はたなか たけお、1914年1月1日 - 1963年11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。.

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畑耕一 (小説家)

畑 耕一(はた こういち、1886年5月10日 - 1957年10月6日)は、大正・昭和時代前期日本の小説家、劇作家、作詞家。俳号は蜘盞子、別名義に多蛾谷 素一。.

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畔柳芥舟

柳 芥舟(くろやなぎ かいしゅう、1871年7月4日(明治4年5月17日) - 1923年(大正12年)2月12日)は、日本の英語学者、第一高等学校教授。 山形県生まれ、本名・都太郎(くにたろう)。東京帝国大学英文科卒。1898年第一高等学校教授。戯号は牛涎子(ぎゅうせんし)。.

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牧野英一

牧野 英一(まきの えいいち、1878年3月20日 - 1970年4月18日)は、岐阜県高山市出身の法学者。専門は刑事法。元東京帝国大学名誉教授、元東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。.

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物集高量

物集 高量(もずめ たかかず、1879年4月3日 - 1985年10月25日)は、東京府出身の国文学者、作家。物集 梧水名義による著作もある。.

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片山敏彦

片山 敏彦(かたやま としひこ、1898年(明治31年)11月5日 - 1961年(昭和36年)10月11日)は、詩人、文学研究者、ドイツ文学者、フランス文学者。ロマン・ロラン、ヘッセ、リルケ、ハイネ、ゲーテらの翻訳も多く、『著作集』全10巻がある。.

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片野重脩

片野 重脩(かたの しげなが、1891年(明治24年)1月21日 - 1978年(昭和53年)3月27日)は、日本の政治家。実業家。衆議院議員(2期)立憲政友会所属。元秋田相互銀行社長。元秋田銘醸社長。元羽後交通社長。.

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牛場信彦

牛場 信彦(うしば のぶひこ、1909年11月16日 - 1984年12月31日)は、日本の外交官、対外経済担当大臣(福田赳夫改造内閣)。世界和平連合会発足当時の理事。 祖父は牛場卓蔵。兄に近衛文麿の秘書官を務めた牛場友彦がいる。弟は国家公安委員会委員を務めた牛場大蔵慶應義塾大学医学部教授。.

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狩野亨吉

狩野 亨吉(かのう こうきち、1865年9月17日(慶応元年7月28日) - 1942年(昭和17年)12月22日)は、日本の教育者。号は君山「狩野亨吉」『秋田大百科事典』(1981)p.203。 第一高等学校の校長、京都帝国大学文科大学初代学長を務める。また、江戸時代の特異な思想家安藤昌益の発見、竹内文書の批判、春画の蒐集でも知られる。.

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狩野良知

狩野 良知(かのう りょうち、1829年〈文政12年〉 - 1906年〈明治39年〉)は、江戸時代から明治時代にかけての武士、漢学者。久保田藩大館城代家老、のち内務属権小書記官「狩野良知」『秋田大百科事典』(1981)p.203。秋田市の都市公園である「千秋公園」の命名者として知られる。秋田魁新報の前身である「聚珍社」「遐邇新聞」も良知の命名である。幼名は国松、のちに深蔵を名乗った。字は君達、号は羽北。京都帝国大学文科大学初代学長を務めた狩野亨吉の父。.

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狩野旭峰

狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - 1925年(大正14年))は、日本の漢学者・漢詩人・ジャーナリスト。.

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直木孝次郎

木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - )は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。兵庫県神戸市生まれ。.

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相原四郎

原 四郎(あいばら しろう相原の子孫は現在姓を「あいはら」と読んでいるが、当時の資料では「あいばら」と振り仮名がある資料が複数あるため後者を優先した。、1879年(明治12年)10月2日 - 1911年(明治44年)1月8日)は、日本の海軍軍人。 日本海軍の最初の搭乗員であり、また日本初の航空事故犠牲者とする見解もある『航空事始』255頁-257頁。相原は仏海軍士官ル・プリウール、田中舘愛橘と協力して日本で最初のグライダー製作および飛行の成功に貢献し自らも搭乗した。この成功は日本における航空工学に則った機体飛行の最初の事例であった。最終階級は海軍大尉。.

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相良守峯

良 守峯(さがら もりお、1895年(明治28年)4月14日 - 1989年(平成元年)10月16日)は、日本の独文学者、東京大学名誉教授、鶴岡市名誉市民(第一号)、勲二等瑞宝章受章、文化勲章受章。贈従三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。山形県鶴岡市出身。幼名は鈇太郎(おのたろう)だったが、鉄太郎(てつたろう)と間違えられることが多かったため、数え23歳の年の瀬に郡長の許可を得て守峯と改めた(『茫々わが歳月』p.7)。.

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相澤英之

澤 英之(あいざわ ひでゆき、大正8年(1919年)7月4日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家、弁護士(相沢法律事務所、登録番号:32425)。東京福祉大学元学長。大蔵事務次官、衆議院議員(9期)、経済企画庁長官、金融再生委員会委員長などを歴任した。妻は女優の司葉子。.

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瀧山養

瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道省官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長や日本国有鉄道(国鉄)技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役などを歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。.

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瀧川政次郎

『日本歴史解禁』より(1950年) 瀧川 政次郎(たきかわ まさじろう、1897年5月26日 - 1992年1月29日)は、日本の法学者。専門は法制史。大阪府大阪市西区出身。法律学の立場から法制史の体系化に尽力する。学位は法学博士。國學院大學名誉教授。.

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瀬川昌世

川 昌世(せがわ まさよ、明治17年(1884年) - 昭和37年(1961年)12月)は、日本の医学者、小児科医、医学博士、瀬川小児病院 第2代院長、社団法人日本陶磁協会 理事。小児科の権威として知られる。.

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瀬藤象二

藤 象二(せとう しょうじ、1891年3月18日 - 1977年10月20日)は、電気工学者。和歌山県出身。.

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瀬戸虎記

戸 虎記(せと とらき、1870年1月17日(明治2年12月16日) - 1920年(大正9年)2月9日『高知県人名事典 新版』410-411頁。)は、日本の教育者。第一高等学校長。.

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白仁武

白仁 武(しらに たけし、1863年12月1日(文久3年10月21日)- 1941年(昭和16年)4月20日)は、日本の内務官僚・実業家。官選栃木県知事、日本郵船社長。.

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白鳥庫吉

白鳥 庫吉(しらとり くらきち、1865年3月1日(元治2年2月4日) - 1942年3月30日)は、日本の歴史学者。文学博士である。専門は東洋史。東京帝国大学(現・東京大学)教授。東洋文庫理事長を歴任した。.

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白鳥敏夫

白鳥 敏夫(しらとり としお、1887年(明治20年)6月8日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、大正、昭和期の日本の外交官・政治家。戦前期における外務省革新派のリーダー的存在で、日独伊三国同盟の成立に大きな影響を与えた。東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。外務大臣を務めた外交畑の長老石井菊次郎も叔父にあたる。また外務官僚の出淵勝次は義兄(妻の姉の夫)にあたる。息子に白鳥正人元北陸財務局長。.

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白蓮事件

1921年(大正10年)10月、事件当時の柳原白蓮と宮崎龍介白蓮事件(びゃくれんじけん)は、大正時代の1921年(大正10年)10月20日、福岡の炭鉱王・伊藤伝右衛門の妻で、歌人として知られる柳原白蓮(伊藤燁子「あきこ」)が滞在先の東京で出奔し、社会運動家で法学士の宮崎龍介と駆け落ちした事件である。新聞紙上で妻白蓮から夫への絶縁状が公開され、それに対して夫・伝右衛門から反論文が掲載されるマスコミのスクープ合戦となり、センセーショナルに報じられた。.

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白雨会

白雨会(むらさめかい)は、無教会派の第一高等学校、東京大学、慶応大学、一橋大学の学生を中心に組織された組織の一つである。.

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白柳美彦

白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、静岡県出身の評論家、翻訳家、児童文学者。少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はしなかったが、事実上の夫婦だった。1982年12月、北畠の死を看取る。.

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白松篤樹

白松 篤樹(しらまつ あつき、1894年(明治27年)7月21日『新編日本の歴代知事』1070頁。 - 1941年(昭和16年)7月9日)は、日本の内務官僚。官選大分県知事。旧名・喜久代、1932年6月に「篤樹」と改名。.

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芝辻一郎

芝辻 一郎(しばつじ いちろう、1883年(明治16年)6月6日 - 1962年(昭和37年)1月12日『山梨百科事典』増補改訂版、456-457頁。)は、日本の内務官僚。官選山梨県知事、川崎市長、沼津市長。.

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芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。.

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芦田均

芦田 均(あしだ ひとし、1887年(明治20年)11月15日 - 1959年(昭和34年)6月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京帝国大学)。 衆議院議員(11期)、厚生大臣(第14代)、外務大臣(第76・77代)、副総理、内閣総理大臣(第47代)などを歴任した。.

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花なき山の

花なき山の(はななきやまの)は旧制山口高等商業学校(山口高商)の代表寮歌。より正確には、山口高商の前身校、旧制 (旧)山口高等学校の寮歌である。鳳陽寮歌(ほうようりょうか)とも呼ぶ。「花なき山の」とは、歌い出しの文言である。.

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芳賀矢一

芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日(1867年6月16日) - 昭和2年(1927年)2月6日)は、日本の国文学者小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎(幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。。帝国学士院会員。.

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芳賀檀

芳賀 檀(はが まゆみ、1903年7月6日 - 1991年8月15日)は、日本の評論家、ドイツ文学者。.

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芹沢光治良

芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年(明治29年)5月4日 - 1993年(平成5年)3月23日)は日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。 晩年には、「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」との信念に拠り、"神シリーズ"と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で独特な神秘的世界を描いた。.

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隈本有尚

本 有尚(くまもと ありたか、1860年7月24日(万延元年6月7日) - 1943年(昭和18年)11月26日)は、日本の教育者、天文学者、数学者、心理学者、占星術師。福岡県立中学修猷館初代館長、長崎高等商業学校初代校長、朝鮮総督府中学校初代校長。.

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隅谷三喜男

隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 - 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。1982年日本学士院会員。東京大学名誉教授、北京大学名誉教授、遼寧大学名誉教授、東北師範大学名誉教授、中国社会科学院名誉高級研究員。1961年、東京大学経済学博士。博士論文は「日本賃労働史論」。キリスト教功労者。.

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遠藤三郎 (政治家)

遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1904年4月15日 - 1971年12月27日)は、昭和時代に活躍した日本の農林官僚・政治家。衆議院議員、建設大臣。自由民主党(藤山派)に所属した。.

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遠藤周作

遠藤 周作(えんどう しゅうさく、1923年(大正12年)3月27日 - 1996年(平成8年)9月29日)は、日本の小説家。随筆や文芸評論や戯曲も手がけた。.

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遠藤隆吉

遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年10月2日 - 1946年2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。文学博士。群馬県前橋市出身。私立巣鴨学園の創設者である。妻は初代東京音楽学校(現東京芸術大学)校長を務めた、貴族院議員・伊沢修二の長女夏。法学者の近藤英吉は娘婿である。.

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遠藤湘吉

遠藤 湘吉(えんどう しょうきち、1916年7月10日 - 1975年10月19日)は、日本の経済学者。東京大学教授。専攻は財政学、学位は経済学博士(1962年)。.

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遠藤源六

遠藤 源六(えんどう げんろく、1872年9月17日(明治5年8月15日)- 1971年(昭和46年)5月13日)は、日本の海軍文官、法制官僚、法学者。行政裁判所長官、枢密顧問官、明治大学教授、法学博士。号・虚舟『20世紀日本人名事典 あ-せ』441頁。。.

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遠藤於菟

遠藤 於莵(えんどう おと、1866年12月28日 - 1943年2月17日)は、日本の建築家。日本における鉄筋コンクリート技術の先駆者の一人で、「日本のペレ」とも評される。.

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選科

選科(せんか)とは、規定の学課の一部のみを選んで学ぶ課程。撰科とも表記された。本科に準ずる課程であり、日本の帝国大学においては、本科の欠員を埋め合わせる形で募集がおこなわれた。.

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道岡秀彦

道岡 秀彦(みちおか ひでひこ、1876年(明治9年)11月15日『新編日本の歴代知事』102頁。 - 1924年(大正13年)11月15日『朝日新聞』(東京本社発行)1924年11月22日朝刊、7面の死亡広告より。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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荻原井泉水

荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年(明治17年)6月16日 - 1976年(昭和51年)5月20日)は、日本の自由律俳句の俳人、俳論家。「層雲」を主宰、尾崎放哉や種田山頭火らを育てた。本名・幾太郎のち藤吉。.

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荻野久作

荻野 久作(おぎの きゅうさく、1882年3月25日 - 1975年1月1日)は産婦人科医、医学博士である。女性の月経周期と妊娠との関連性を研究した先駆的業績で知られる。.

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荒川文六

荒川 文六(あらかわ ぶんろく、1878年11月18日 - 1970年2月9日)は、日本の電気工学者。九州帝国大学総長。工学博士(1911年)。.

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荒木昭太郎

荒木 昭太郎(あらき しょうたろう、1930年 - )はフランス文学者、東京大学名誉教授。日本におけるモンテーニュ研究の第一人者、クラシック音楽にも造詣が深くフレデリック・ショパンに関する著訳書がある。渡辺一夫の門下生。.

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草刈英治

草刈 英治(くさかり えいじ、1891年(明治24年)6月1日 - 1930年(昭和5年)5月20日)は、日本の海軍軍人。ロンドン海軍軍縮条約に反対し自決した海軍少佐である。.

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草鹿龍之介

草鹿 龍之介(くさか りゅうのすけ、1892年(明治25年)9月25日 - 1971年(昭和46年)11月23日)は、日本の海軍軍人、剣道家。海軍兵学校41期生。海軍大学校21期。最終階級は中将。一刀正伝無刀流第4代宗家。.

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鍛治壮一

鍛治 壮一(かじ そういち、1930年(昭和5年)7月6日 - )は、日本の作家、航空評論家。東京市出身。.

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菊川忠雄

菊川忠雄(きくかわ ただお、1901年3月1日 - 1954年9月26日)は、日本の労働運動家・政治家。全日本労働総同盟本部総主事・日本労働組合総同盟総主事・衆議院議員(3期)を歴任した。.

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菊池寿人

菊池 寿人(きくち ひさと、元治元年10月20日(1864年11月19日) - 昭和17年(1942年)9月30日『朝日年鑑 昭和十八年』朝日新聞社、1942年。)は、日本の教育者。.

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菊池寛

菊池 寛(きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、小説家、劇作家、ジャーナリスト。文藝春秋社(2017年現在は株式会社文藝春秋)を創設した実業家でもある。本名は菊池 寛(きくち ひろし)。.

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菊池勇夫 (法学者)

菊池勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 1975年7月13日)は、日本の法学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。.

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菊池誠 (電気試験所)

菊池 誠(きくち まこと、1925年 - 2012年11月6日)は日本の物理学者。長年にわたって電気試験所を拠点に、トランジスタ、半導体など戦後日本のエレクトロニクスの基礎研究をリードした。本来の研究のほかにも多数のエッセイを著している。東京出身。.

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菊池栄一

菊池 栄一(きくち えいいち、1903年8月17日 - 1986年8月25日)は、日本のドイツ文学者。東大名誉教授。 秋田県生まれ。東京帝国大学ドイツ文学科卒業。第一高等学校教授の後、1949年東京大学教養学部教授。1955-57年ハンブルク大学客員教授。62年「イタリアに於けるゲーテの世界」で文学博士。63年定年退官、日本大学教授。80年日本ゲーテ協会会長。.

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菊池正士

菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25日 - 1974年(昭和49年)11月12日)は、日本の原子物理学の第一人者として知られた物理学者。元大阪大学教授。日本学士院会員。文化勲章、勲一等瑞宝章受章者。贈正三位(没時叙位)。.

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菊池武一

菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 1972年4月24日)は、英文学者、翻訳家。高松市出身。 第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部英文科卒業。國學院大學教授を務め、戦後になって古代文学、歴史研究に重きを置く方向付けに尽力する。。また代々木ゼミナールの校長を務めた。フランス文学者で明治大学教授を務めた菊池映二(1929-2002)は子。 日本の文芸、特に室町時代の謡曲文学、仕舞に造詣が深く、笛もよくした。『アイヴァンホー』の翻訳は、上巻刊行後の1965年に入院し、退院後も執筆を続け下巻の原稿を残して没し、菊池が國學院に迎えた高見穎治が校訂して出版された。.

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華厳滝

華厳の滝(けごんのたき)は、栃木県日光市にある滝。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている。.

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菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

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菅原通敬

菅原 通敬(すがわら みちよし、1869年2月16日(明治2年1月6日)– 1946年(昭和21年)12月18日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官、錦鶏間祗候。.

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菅虎雄

菅 虎雄(すが とらお、1864年11月17日(元治元年10月18日) - 1943年(昭和18年)11月13日)は明治-昭和前期のドイツ語学者。書家。号は無為、白雲、陵雲。夏目漱石の親友で、第一高等学校の名物教授としても知られた「第二章 新感覚派の誕生――文壇への道 第五節 [掌の小説]と『感情装飾』」()。芥川龍之介から尊敬され、芥川の処女刊行本『羅生門』の題字の揮毫をした挿話も有名である。.

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萩原雄祐

萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1979年1月29日)は、日本の天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身『現代天文学講座 別巻 天文学人名事典』、284頁。。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員。勲一等瑞宝章・文化勲章受章。贈正三位(没時叙位)。.

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落合太郎

落合 太郎(おちあい たろう、1886年8月13日 - 1969年9月24日)は、日本のフランス文学者。奈良女子大学名誉教授。東京生まれ。.

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落合直文

落合 直文(おちあい なおぶみ、1861年12月16日(文久元年11月15日) - 1903年(明治36年)12月16日)は、日本の歌人、国文学者。元の名は鮎貝盛光といい、初代気仙沼町長の鮎貝盛徳は長兄、朝鮮語学者の鮎貝房之進:(号:槐園,かいえん)は実弟。.

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青の時代 (小説)

『青の時代』(あおのじだい)は、三島由紀夫の5作目の長編小説。光クラブ事件を題材とした作品である。地方の名家に生れ厳格な父親に反感を抱きながら、合理主義に偏執して成長した秀才青年が、大金詐欺被害に遭ったことをきっかけに、自ら高金利の闇金融会社を設立する物語。順調に行くかと見えたカラクリが崩壊し、挫折していく孤独な青春の虚無の破滅譚が、シニカルかつレトリカルで切れ味のいいアフォリズムに溢れた文体で描かれている西尾幹二「解説」()山中剛史「『青の時代』――事件に定着させた自らの青春」()。 1950年(昭和25年)、文芸雑誌『新潮』7月号から12月号に連載された井上隆史「作品目録――昭和25年」()中野裕子「青の時代」()。単行本は同年12月25日に新潮社より刊行された山中剛史「著書目録――目次」()。文庫版は1971年(昭和46年)7月23日に新潮文庫で刊行された。翻訳版はスペイン(西訳:Los años verdes)、中国(中題:藍色時代)で行われている。.

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青山士

青山 士(あおやま あきら、1878年9月23日 - 1963年3月21日)は、静岡県磐田市生まれの土木技術者。パナマ運河建設に携わった唯一の日本人であり、荒川放水路の建設、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮した。.

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青山行雄

青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、よみうりテレビ社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。.

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青井鉞男

青井 鉞男(あおい えつお、明治5年8月10日(1872年9月12日) - 1937年(昭和12年)9月17日)は、日本のアマチュア野球選手(投手)で、学生野球の指導者。 日本の野球史の草分け期に大きな功績を残し、また後進者の育成に大きく寄与したことが讃えられ、1959年(昭和34年)の野球殿堂創設時に初めて特別表彰者として殿堂入りした。.

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青空 (雑誌)

『青空』(あおぞら)は、日本の文芸雑誌。1925年(大正14年)1月に、東京帝国大学在学中の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂らが創刊した同人雑誌である「『青空』と友人たち」()。誌名は、快晴の青空を見たことと、武者小路実篤の詩の一節「さわぐものはさわげ、俺は青空」にちなんで付けられた平林英子「梶井基次郎」(『青空の人たち』皆美社、1969年12月)。に部分所収「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」()「第一部 第一章 同人たち」()鈴木貞美「梶井基次郎年譜」()。梶井基次郎の代表作となる「檸檬」「城のある町にて」が、活字で掲載された最初の出版雑誌として知られる「第一部 第六章 『青空』創刊」()。 参加した同人には、稲森宗太郎、淀野隆三、飯島正、三好達治、北川冬彦、阿部知二、古澤安二郎などがいた「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」()。アマチュアの同人雑誌として創刊されながらも、多様なメンバー構成の点などからも近代文学史の中で果たした役割は大きく、意義のある雑誌である紅野敏郎「解説」(復刻版『青空』近代文学館、1970年)。に抜粋掲載野村吉之助(忽那吉之助)「回想 梶井基次郎」(群女国文 1971年4月号、1972年4月号)。に所収。.

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青柳栄司

青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 1944年8月12日)は、日本の電気工学者。送配電に関する研究に従事し、半真空電球やタングステンアーク灯などを発明。窒素バリウムの製法と適用法を確立した。また電気工学講習所などの設立につくした。信濃国安曇郡上堀金村(現長野県安曇野市)生まれ。.

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青木一男

青木 一男(あおき かずお、1889年(明治22年)11月28日 - 1982年(昭和57年)6月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。 貴族院議員(勅選)、参議院議員(4期)、大蔵大臣、大東亜大臣などを歴任。勲一等旭日大綬章。.

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青木得三

青木 得三 (あおき とくぞう、1885年2月26日 - 1968年7月31日) は日本の文官、経済学者。専門は財政学。秋田県南秋田郡秋田町(現・秋田市)生まれ、東京帝国大学法科大学卒。.

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蝋山芳郎

蝋山 芳郎(ろうやま よしろう、1907年11月15日 - 1999年9月30日)は、日本の国際問題評論家。筆名は高山五郎。蝋山政道、山田勝次郎の弟。息子は蝋山昌一。.

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蝋山政道

蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。.

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静岡高等学校 (旧制)

旧制静岡高等学校(きゅうせいしずおかこうとうがっこう)は、1922年(大正11年)8月静岡市に設立された官立旧制高等学校。略称は「静高」(しずこう)。.

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頼母木桂吉

母木 桂吉(たのもぎ けいきち、慶応3年10月10日(1867年11月5日)- 昭和15年(1940年)2月19日)は日本の政治家・実業家。広島県芦品郡綱引村(現・福山市)生まれ。号は喜陽。.

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須藤新吉

藤 新吉(すどう しんきち、1881年(明治14年)7月4日 - 1961年(昭和36年)12月21日)は、日本の哲学者。元第一高等学校第一文学科主任教授。.

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衞藤瀋吉

衞藤 瀋吉(えとう しんきち、1923年(大正12年)11月16日 - 2007年(平成19年)12月12日)は、日本の国際政治学者。亜細亜大学学長、東洋英和女学院院長、東京大学名誉教授、亜細亜大学名誉教授。 専門は中国を中心とする東アジア政治史、国際関係論。勲等は勲二等瑞宝章。その他の栄典として紫綬褒章(詳細は賞詞の項参照)などがある。 父は、満鉄奉天図書館長・日本図書館協会理事長を務めた衞藤利夫。.

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額田豊

額田 豊(ぬかだ ゆたか、1878年(明治11年)3月23日 - 1972年(昭和47年)7月29日)は、日本の医師、医学者(内科学)および教育者。東邦大学の共同創立者であり、日本大学医学部医学科の初代医学科長でもある。日本大学名誉教授。.

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額田晉

額田 晋(ぬかだ すすむ、1886年(明治19年)12月22日 - 1964年(昭和39年)9月29日)は、日本の医師、医学者(内科学)、医学博士、理学博士。東邦大学および額田医学生物学研究所の創立者。.

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行天豊雄

行天 豊雄(ぎょうてん とよお、1931年1月2日 - )は、日本の経済学者。大蔵官僚、財務官。.

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風間道太郎

間 道太郎(かざま みちたろう、1901年6月6日 - 1988年8月25日)は、日本の平和運動家、伝記作家。 東京出身。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。 戦時中は大政翼賛会文化部副部長を務めるが、ほどなく退き農村生活を送る。大学で尾崎秀実と親しく、1946年尾崎の『愛情はふる星のごとく』を出版。新日本文学会に属し、平和運動家として活動しつつ、伝記などを書いた。.

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飯塚朗

飯塚 朗(いいづか あきら、1907年9月2日 - 1989年2月23日)は、日本の中国文学者、作家。北海道大学名誉教授。中央大学教授の飯塚容は息子。 横浜生まれ。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部支那哲学文学科卒。在学中、同人誌『東大派』を刊行、中国文学研究会で竹内好、武田泰淳、松枝茂夫らを知る。1937年、高見順、武田麟太郎らの『日暦』同人となる。1938年北京に渡り、中華民国新民会調査部に勤務。1943年華北映画公司に勤務。憲兵隊に逮捕され拘留、帰国、1944年応召、中国戦線に出る。1945年敗戦、蘇州で捕虜生活。1946年復員、1947年東宝演劇部嘱託。1951年北海道大学文学部助教授、教授、1971年定年退官、名誉教授、関西大学教授、1978年定年退職。.

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飯盛里安

飯盛 里安(いいもり さとやす、1885年10月19日 - 1982年10月13日)は、日本の分析化学者、理学博士。 1917年9月創立間もない財団法人理化学研究所 (通称:理研) に入所し、主に放射性鉱物と希元素の研究を行う。1919年イギリスに留学し、オックスフォード大学のフレデリック・ソディ教授のもとで放射化学を学んだ。帰国後、日本では未開拓の分野だった放射化学を導入し基礎を築き確立させた功績、放射性鉱物の研究に生涯を捧げた科学者として「日本の放射化学の父」と呼ばれている。太平洋戦争中は、理研の仁科芳雄を中心に進められた原子爆弾開発研究 (ニ号研究) に加わり、ウラン鉱の探索・採掘・精製を行なった。戦後は人造宝石の研究を行い、ビクトリア・ストン、メタヒスイをはじめとする一連の人造宝石 (IL-stoneと総称) の発明者としても知られている「合成猫目石とメタヒスイ」化学と工業、Vol.13, No.4, pp.412 - 414 (1960)。.

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飯沼一省

飯沼 一省(いいぬま かずみ、1892年(明治25年)2月15日 - 1982年(昭和57年)11月14日)は日本の内務官僚、貴族院議員。戦前から戦後にかけ、日本の都市計画行政を牽引した人物の一人である。妻は南弘の娘・櫂子。.

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飛田穂洲

飛田 穂洲(とびた すいしゅう、1886年(明治19年)12月1日 - 1965年(昭和40年)1月26日)は、茨城県出身の野球選手(内野手)、学生野球指導者、野球評論家。本名は飛田 忠順(とびた ただより、とびた ちゅうじゅん)。 日本の学生野球の発展に多大な貢献をしたことから、学生野球の父と呼ばれる。.

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館哲二

哲二 (たち てつじ、1889年8月18日 - 1968年9月27日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、府県知事。旧姓、木津。.

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西尾寿男

西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、日本の鉄道省・運輸省官僚。日本交通公社(現・JTB)初代社長。鉄道弘済会や日本ホテル協会理事長を歴任した。.

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西尾滋

西尾 滋(にしお しげる、1898年 - 1980年7月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。.

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西川正身

西川 正身(にしかわ まさみ、1904年9月15日 - 1988年1月25日)は、日本のアメリカ文学者。 東京生まれ。父は大審院判事となった西川一男。府立四中、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文科を1929年に卒業。母校の府立四中勤務ののち、1935年、東京商科大学予科教授、1951年、東京大学英文科教授、62年、アメリカ文学講座初代教授となる。1963年退官後は教授職には就かず、非常勤講師をしながら研究に専念。勤続年数が少なかったが、1987年、東大名誉教授の称号を与えられる。子はドイツ現代史研究者の西川正雄。 当初は、ウィリアム・シェイクスピア、サマセット・モームなど英国作家も視野に入れて広く英語文学を研究し、のちアンブローズ・ビアスを生涯の研究対象とした。.

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西川治

西川 治(にしかわ おさむ、1925年6月16日 - )は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授。 東京市本郷区(現東京都文京区)に生まれる。1944年、第一高等学校理科卒業。1947年、東京帝国大学理学部地理学科卒業、同副手。1949年, 助手。1955年から1958年まで西ドイツのボン大学に留学。1958年、東京大学教養学部助教授。1961年、「日本における自然地域の変貌」で東京大学理学博士。1971年、教授。1986年、定年退官、名誉教授、立正大学教授。1996年、退職。 その後も、富士学会名誉会長などを務めている。.

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西園寺公一

西園寺 公一(さいおんじ きんかず、明治39年(1906年)11月1日 - 平成5年(1993年)4月22日)は、日本の華族、政治家、実業家。参議院議員、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事などを歴任した。ソビエト連邦のスパイであったことで知られ、ゾルゲ事件に連座して公爵家廃嫡となった。.

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西田信春

西田 信春(にしだ のぶはる、1903年1月12日 - 1933年2月11日)は、日本の戦前の社会運動家・平和運動家。.

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西田郁平

西田 郁平(にしだ いくへい、1881年(明治15年)2月18日 – 1956年(昭和31年)8月11日)は、衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。.

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西谷啓治

西谷 啓治(にしたに けいじ、1900年(明治33年)2月27日 - 1990年(平成2年)11月24日)は、日本の哲学者(宗教哲学)。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授、文化功労者。.

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西野元

西野 元(にしの げん、1875年(明治8年)11月29日 – 1950年(昭和25年)8月3日)は、日本の大蔵官僚、政治家、銀行家。大蔵次官、貴族院議員、枢密顧問官。大蔵省の至宝といわれた人物で、八八艦隊計画成立後に、海軍首脳に対しその実施不可能であることを踏まえワシントン会議に臨むよう訴えた。.

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西村直己

西村 直己(にしむら なおみ、1905年10月8日 - 1980年7月28日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員。.

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西春彦

西 春彦(にし はるひこ、1893年4月29日 - 1986年9月20日)は、大正・昭和期の外交官。太平洋戦争開戦時の外務次官である。.

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馬場えい一

場 鍈一(ばば えいいち、1879年(明治12年)10月5日 – 1937年(昭和12年)12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚、貴族院勅選議員。広田内閣で大蔵大臣、第一次近衛内閣で内務大臣をつとめた。蔵相時代に行った大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政は、官界や財界に大きな混乱を招く結果となった。.

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馬場愿治

場 愿治(ばば げんじ、1860年10月8日(万延1年8月24日) - 1940年(昭和15年)11月13日)は、日本の裁判官。大審院部長で退官後、中央大学学長を務めた法学博士である。.

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馬渡俊雄

渡 俊雄(まわたり としお、1876年(明治9年)12月14日『新編日本の歴代知事』920頁。 - 1946年(昭和21年)2月1日 2014年7月12日閲覧)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。旧姓・加藤。.

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香坂昌康

香坂 昌康(こうさか まさやす 1881年2月2日 - 1967年12月21日)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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香川鉄蔵

香川 鉄蔵(かがわ てつぞう、1888年2月15日 - 1968年12月9日)は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦後にかけて大蔵省に嘱託として勤務した人物。セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスのふしぎな旅』の邦訳者としても知られる。.

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駒場農学校

駒場農学校 駒場農学校(こまばのうがっこう)は、日本の旧制教育機関。現在の東京大学農学部、筑波大学生命環境学群生物資源学類、東京農工大学農学部の前身にあたる農学に関する日本初の総合教育・研究機関であった。.

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駒場東大前駅

駒場東大前駅(こまばとうだいまええき)は、東京都目黒区駒場三丁目にある、京王電鉄井の頭線の駅である。駅番号はIN 03。目黒区最北端の駅。 京王電鉄の駅で唯一、目黒区に所在する。.

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角尾晋

角尾 晋(つのお すすむ、1892年(明治25年) - 1945年(昭和20年)8月22日)は、日本の医学者。原爆被災時の長崎医科大学学長として知られる。東京出身。.

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駒井健一郎

駒井 健一郎(こまい けんいちろう、1900年(明治33年)12月17日 - 1986年(昭和61年)10月2日)は、日本の実業家、第3代日立製作所社長・会長。.

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角福戦争

角福戦争(かくふくせんそう・かっぷくせんそう)とは、田中角栄と福田赳夫によって日本の政治の長期の渡った激しい政争・権力闘争を戦争に例えて呼んだもの。.

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角田豊 (法学者)

角田 豊(すみだ ゆたか、1922年8月19日 - 1978年9月7日)は、法学者。 神奈川県逗子生まれ。第一高等学校、1944年東京帝国大学法学部政治学科卒、同大学院、1943年徴兵、ポツダム中尉。1946年中央労働学園調査部職員、1948年同専門学校助教授、1949年中央労働学園大学助教授、1951年静岡大学文理学部助教授、1964年同志社大学教授。.

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高垣勝次郎

垣 勝次郎(たかがき かつじろう、1893年10月26日 - 1967年4月30日)は、実業家。 旧三菱商事最後の社長で、戦後財閥解体された三菱商事を再興し初代社長も務めた。広島県尾道市出身。東京銀行の最後の頭取及び東京三菱銀行の初代頭取を務めた高垣佑は息子。.

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高専柔道

専柔道の碑、高専柔道がはじまった京都旧武徳殿前に建立されている 高専柔道(こうせんじゅうどう)とは、旧制高等学校・大学予科・旧制専門学校の柔道大会で行なわれた寝技中心の柔道の略称。1898年(明治31年)、東京の第一高等学校と仙台の第二高等学校の柔道部の間で行われた対抗戦に端を発する。 立ち技から直接寝技に引き込むことが認められ、優勢勝ちがないなど、講道館とはルールが異なる。柔道における三角絞めは高専柔道から生まれた技術を講道館柔道が採用した技である。 現在では旧帝大で行われている七帝柔道だけが脈々と100年を超える高専柔道の流れをうけついでいる。 ブラジリアン柔術が注目されるにつれて、技法や理念が近い高専柔道が再評価されている。ブラジリアン柔術と同じく、その源流が講道館柔道であるので相互に乗り入れる事が非常に簡単であり、寝技技術向上の目的で、柔道を練習しながら七帝柔道の練習を並行して行っている講道館柔道修行者もいる。  政財界、文化界にも永野重雄、正力松太郎、井上靖、松前重義ら多くの人材を生み出した。 高専柔道を舞台にした文学作品に井上靖の『北の海』、七帝柔道を舞台にした作品に増田俊也の『七帝柔道記』がある。.

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高島基江

島 基江(たかしま もとえ、1882年2月18日 - 1969年3月28日)は日本の実業家。東洋高圧工業社長、帝国燃料興業総裁、満州合成燃料理事長。.

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高等学校令

等学校令(こうとうがっこうれい)は、近代日本の旧制高等学校について定めた、次の2つの勅令である。.

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高等学校野球 (旧制)

等学校野球(こうとうがっこうやきゅう)とは、日本における学制改革以前の旧制高等学校所属の硬式野球部の学生が行う野球競技のことをいう。旧制の中等学校野球から現在までに至る高等学校野球とは別のもので、現在の大学野球に相当。.

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高等中学校

等中学校(こうとうちゅうがっこう)は、1886年(明治19年)の中学校令により全国に7校設置された官立の旧制学校である。1894年(明治27年)の高等学校令(第一次)公布により、「高等学校」と改称されたが、明治30年代までは、地方における最高学府(カレッジ)としての色彩が強かった。本稿では、主に明治30年頃までの高等中学校および初期の高等学校について記述する(その後の高等学校は、帝国大学進学のための予備教育機関としての機能に特化していくが、以後の展開については旧制高等学校の項参照)。 なお、1911年(明治44年)に公布された高等中学校令による修業年限2年5ヵ月~2年6ヵ月の高等中学校とは別の制度である。この高等中学校令による高等中学校は実際には作られなかった。 また、ヨーロッパのギムナジウムなどの一貫制中等教育機関の訳語として当てられることもある。.

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高田正

正(たかだ ただし、1899年3月26日『日本近現代人物履歴事典』 「高田正」の項『ゾルゲ事件資料集 米国公文書』 438ページ - 1947年1月6日)は、日本の裁判官。ゾルゲ事件で裁判長を務めた。.

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高田淳

淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、中国思想研究者、学習院大学名誉教授。 朝鮮京城に生まれる。大分県出身。父は中国思想史・高田眞治、母方の祖父は英文学者・皆川正禧。1945年第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、47年帰国。52年東京大学中国文学科卒、大学院進学。53年大倉山学院給費生。57年学習院高等科教諭。64年東京女子大学専任講師、助教授、72年東大文学部助教授、74年学習院大学教授、96年定年退任、名誉教授。  魯迅など近代文学、近代政治思想から、古代易学まで幅広く研究した。.

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高田早苗

早苗(たかた さなえ、1860年4月4日(安政7年3月14日) - 1938年(昭和13年)12月3日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の政治家、政治学者、教育者、文芸批評家。法学博士。号は半峰。 衆議院議員、貴族院議員、文部大臣、早稲田大学総長内田満『政治の品位』東信堂、2007年、170頁。などを歴任した。.

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高瀬弥一

弥一(たかせ やいち、1887年7月28日 - 1954年10月5日)は、日本の実業家、町会議員、中学校教諭。正式な表記は髙瀨 彌一。藤沢市の自動車道路、上水道敷設の功労者。和辻哲郎、林達夫の義兄に当たる。.

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高見順

見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。.

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高野岩三郎

野 岩三郎(たかの いわさぶろう、1871年10月15日(明治4年9月2日) - 1949年(昭和24年)4月5日)は、日本の社会統計学者、社会運動家。.

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高野素十

野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人、医師(医学博士)。高浜虚子に師事。虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギスの四S」と称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。.

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高野源進

野 源進(たかの げんしん、明治28年(1895年)3月15日 - 昭和44年(1969年)1月4日)は、日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨県知事・警視総監などを歴任したが、特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。.

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高柳賢三

柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年5月11日 - 1967年6月11日)は、日本の英米法学者。東京大学名誉教授。成蹊大学名誉教授。貴族院勅選議員。 大正・昭和期の代表的英米法学者として知られる。.

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高橋健二 (ドイツ文学者)

橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)は、日本のドイツ文学者でヘルマン・ヘッセやエーリッヒ・ケストナー作品の翻訳者として知られる。.

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高橋偵造

橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 1952年9月26日)は、日本の農芸化学者。.

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高橋幸八郎

橋 幸八郎 (たかはし こうはちろう、1912年6月1日 - 1982年7月2日)は、日本の歴史学者。専門は西洋経済史・フランス史。.

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高橋幹夫 (警察官僚)

橋 幹夫(たかはし みきお、1917年(大正6年)3月17日 - 1989年(平成元年)11月28日『現代物故者事典 1988~1990』372-373頁。)は、日本の内務・警察・防衛官僚。警察庁長官。.

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高橋作衛

橋 作衛(たかはし さくえ、1867年11月5日(慶応3年10月10日)- 1920年(大正9年)9月12日)は、日本の国際法学者、政治家。法学博士、東京帝国大学名誉教授、貴族院議員、法制局長官。.

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高橋里美

橋 里美(たかはし さとみ、1886年(明治19年)11月28日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は男性の哲学者、東北大学名誉教授。文化功労者。.

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高橋英夫 (評論家)

橋 英夫(たかはし ひでお、1930年(昭和5年)4月30日 - )は、日本の文芸評論家、日本芸術院会員。.

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高橋潔 (法曹)

橋 潔(たかはし きよし、1895年1月16日 - 1961年12月29日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。青森県出身。.

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高橋明 (医学者)

橋 明(たかはし あきら、1884年(明治17年)11月5日 - 1972年(昭和47年)3月12日)は日本の医学者。新潟医科大学(現・新潟大学医学部)および東京帝国大学(現・東京大学)の教授、日本医師会会長、学校法人獨協学園理事長などを務めた。泌尿器科学が専門。.

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高橋政知

橋 政知(たかはし まさとも、1913年9月4日 - 2000年1月31日)は、日本の実業家である。.

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高橋敏雄 (内務官僚)

橋 敏雄(たかはし としお、1901年(明治34年)6月『新編日本の歴代知事』300頁。 - 1967年(昭和42年)11月15日)は、日本の内務・厚生官僚。官選群馬県知事。.

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高木友之助 (哲学者)

髙木友之助(たかぎ とものすけ、1923年4月29日-2000年2月10日)は、日本の哲学者。恩師は、阿藤伯海。元中央大学学長・総長。東京両国 (東京都)出身。高木友之助とも表記される。.

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高木幹夫 (東京海上火災保険)

木 幹夫(たかぎ みきお、1899年3月21日 - 1966年8月14日)は、日本の実業家。元東京海上火災保険社長。.

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高木久雄

木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 2014年8月31日)は、ドイツ文学者、京都大学名誉教授、京都外国語大学元学長。近代ドイツ文学専攻。.

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高木彬光

木 彬光(たかぎ あきみつ、1920年9月25日 - 1995年9月9日)は日本の推理小説作家。本名は高木 誠一。津軽方言詩人・医師の高木恭造の甥に当たる。.

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高木八尺

木 八尺(たかぎ やさか、1889年12月25日 - 1984年4月28日)は、日本の政治学者、アメリカ研究者、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 東京帝国大学教授、太平洋問題調査会常任理事、貴族院議員、東京大学教授などを歴任した。.

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高木養根

木 養根(たかぎ やすもと、1912年7月7日 - 1999年1月9日)は、日本の実業家。元日本航空社長。広島県福山市生まれ、岐阜県高山市育ち。.

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高木惣吉

木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大25期首席。最終階級は海軍少将。東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 旧制中学校への進学が叶わない貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校への入校を果たし、海軍大学校を首席で卒業する。健康に恵まれず、海上勤務は少なかったが、軍政方面で活躍。海軍部外に幅広い人脈を有し、ブレーントラストを組織した。太平洋戦争の戦局悪化に伴い首相・東條英機の暗殺計画を立案したが決行直前に東條内閣が瓦解し未遂に終わる。その後は米内光政、井上成美の密命により終戦工作に従事。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。.

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高木憲次

木 憲次(たかぎ のりつぐ、明治22年(1889年)2月9日) - 昭和38年(1963年)4月8日)は、大正から昭和後期にかけての整形外科医。1926年(大正13年)、東京帝国大学教授、後に日本医科大学教授を歴任した。日本の肢体不自由児教育の創始者といわれている。日本の「肢体不自由児の父」と呼ばれる。「夢の楽園教療所」を提唱し,日本で初めて「肢体不自由児調査」という根拠に基づいて肢体不自由養護施設が日本に必要であると説いた。日本初の肢体不自由療育施設である整肢療護園の初代理事長。レントゲン研究の第一人者でもある。.

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鬼頭梓

山口県立山口図書館 鬼頭 梓(きとう あずさ、1926年1月15日 - 2008年8月20日)は日本の建築家。男性。.

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魔球

球(まきゅう)は、主に日本において野球などの球技における変化球を表現する言葉である。また、比喩として掴みどころのないことや、必殺の武器のことを指すこともある。.

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谷口恒二

谷口 恒二(たにぐち つねじ、1894年(明治27年)6月18日 - 1945年(昭和20年)5月26日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官、日本銀行副総裁。.

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谷崎潤一郎

谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.

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谷川徹三

谷川 徹三(たにかわ てつぞう、1895年(明治28年)5月26日 - 1989年(平成元年)9月27日)は、日本の哲学者。法政大学総長などを務めた。愛知県知多郡常滑町(のち常滑市保示町)生まれ。京都帝国大学哲学科卒業。日本芸術院会員。常滑市名誉市民。 ジンメル、カントの翻訳や、文芸、美術、宗教、思想などの幅広い評論活動を行った。詩人の谷川俊太郎は長男。作曲家の谷川賢作は孫。スタイリストの谷川夢佳は曾孫。林達夫、三木清とは同期の友人。.

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谷田部梅吉

谷田部 梅吉(やたべ うめきち、1857年(安政4年4月) - 1903年(明治36年)8月20日『東京物理学校五十年小史』p.53)は、元東京大学図書館長の理学士で、秋田県士族。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。.

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谷村裕

谷村 裕(たにむら ひろし、1916年3月26日 - 1996年10月22日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、東京証券取引所理事長等を歴任。妻恭子は警視総監、台湾総督府総務長官等を歴任した斎藤樹の長女で、司法大臣、鉄道大臣等を歴任した小川平吉の孫。父の谷村金一は盛岡高等農林学校を卒業し、大日本人造肥料社員。次男の谷村啓はNHKアメリカ総局長などを務めた。.

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谷津直秀

谷津 直秀(やつ なおひで、1877年9月8日 - 1947年10月2日)は日本の動物学者。日本の動物生態研究の礎を築いた人物。Ph.D.(コロンビア大学)。.

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豊島与志雄

豊島 与志雄(とよしま よしお、1890年(明治23年)11月27日 - 1955年(昭和30年)6月18日)は、日本の小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者。法政大学名誉教授。明治大学文学部教授もつとめた。日本芸術院会員。.

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豊島章太郎

豊島 章太郎(てしま しょうたろう、1899年(明治32年)11月『新編日本の歴代知事』819頁。 - 1981年(昭和56年)10月30日『現代物故者事典 1980~1982』214頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選愛媛県知事、最後の官選岡山県知事。.

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豊島長吉

豊島 長吉(とよしま ちょうきち、1887年(明治20年)1月『新編日本の歴代知事』272頁。 - 1949年(昭和24年))は、日本の内務官僚。官選栃木県知事。.

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豊島格

豊島 格(とよしま とおる 1930年10月19日 -2009年4月3日)は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。妻は政治家小泉純一郎(元総理大臣)の姉。.

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豊田章一郎

豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。 トヨタ自動車販売代表取締役社長 (第4代)、トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(初代)、経済団体連合会会長(第8代)、学校法人トヨタ名古屋整備学園理事長(初代)、学校法人トヨタ神戸整備学園理事長(初代)などを歴任した。.

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豊田達郎

豊田 達郎(とよだ たつろう、1929年6月1日 - 2017年12月30日)は、日本の実業家。学位は経営学修士(ニューヨーク大学経営大学院)。トヨタ自動車株式会社相談役、公益財団法人トヨタ財団会長(第2代)、学校法人トヨタ学園理事長(第2代)。 ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング社長(初代)、トヨタ自動車株式会社社長(第2代、工販分離前から数えると第7代 トヨタ公式サイト)、トヨタ自動車株式会社副会長、学校法人トヨタ名古屋整備学園理事長(第2代)などを歴任した。.

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鳥居忱

鳥居 忱(とりい まこと、嘉永6年8月22日(1853年9月24日) - 大正6年(1917年)5月15日)は、日本の作詞家。本名は忠一(ただかず)、初名は尾巻(おまき)。忱は通称。父は壬生藩江戸家老・鳥居志摩(忠敦)。.

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鳥羽正雄

鳥羽 正雄(とば まさお、1899年12月13日 - 1979年4月18日)は、日本の林業史学者、城郭研究家。.

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鳥潟右一

『無線と実験』 第1巻第3号の表紙に使われた鳥潟右一の肖像 後列左端が鳥潟。隣が鯨井恒太郎、後列右端が北村政治郎。前列右から2人目が横山英太郎 鳥潟 右一(とりかた ういち、1883年4月25日 - 1923年6月6日)は、日本の工学者。明治から大正期の通信工学の権威である。無線電話機の発明に成功し、逓信省電気試験所長をつとめた。工学博士。.

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鳩山一郎

鳩山 一郎(はとやま いちろう、1883年(明治16年)1月1日 - 1959年(昭和34年)3月7日)は、日本の政治家、弁護士。第52・53・54代内閣総理大臣。位階勲等は正二位大勲位。55年体制最初の内閣総理大臣。.

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鳩山秀夫

鳩山 秀夫(はとやま ひでお、1884年2月4日 - 1946年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法。衆議院議員も務めた。東京府出身。.

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賄征伐

賄征伐(まかないせいばつ)とは、寮に寄宿する生徒・学生が、賄(食事を給仕・調理する人)に対して起こした学校騒動。日本の明治時代を中心に、旧制高等学校などで広く行われた。.

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賀屋興宣

賀屋 興宣(かや おきのり、1889年(明治22年)1月30日 - 1977年(昭和52年)4月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。.

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鴻常夫

鴻 常夫(おおとり つねお、1924年12月14日 - 2016年3月17日)は、日本の法学者・弁護士。専門は商法。東京大学教授を務めた。学位は法学博士(東京大学)(学位論文「社債法」)。東京市赤坂区(現・東京都港区)出身。.

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越智通雄

越智 通雄(おち みちお、1929年4月23日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。.

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鶴田清次

清次(つるた せいじ、文化14年(1817年) - 明治25年(1892年)11月5日)は江戸幕府の御家人、博物学者。開成所で物産学を学び、パリ万国博覧会出品業務等に関わった。明治維新後静岡藩に移り薬園を管理したが、間もなく帰京してウィーン万国博覧会出品業務に関わり、博物局に勤務した。.

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鶴見俊輔

見 俊輔(つるみ しゅんすけ、1922年〈大正11年〉6月25日 - 2015年〈平成27年〉7月20日)は、日本の哲学者、評論家、政治運動家、大衆文化研究者。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人、丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。.

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鶴見祐輔

見 祐輔(つるみ ゆうすけ、1885年1月3日 - 1973年11月1日)は、日本の官僚・政治家・著述家。衆議院議員総選挙第16、19、20、21回当選。参議院議員選挙第3回当選。.

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鶴見憲

見 憲(つるみ けん、1895年(明治28年)4月7日 - 1984年(昭和59年)8月18日)は、日本の外交官。太平洋戦争開戦前の1940年11月から在シンガポール日本総領事を務め、宣伝工作・民族工作を積極的に推進したことで知られる。日本占領時期にはマラッカ州長官を務めた。.

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超然主義

超然主義(ちょうぜんしゅぎ)とは、外の動静には関与せず、超然(平然)として独自の立場を貫く主義をいう。一般的には、大日本帝国憲法発布後、帝国議会開設から大正時代初期頃までにおいて、藩閥・官僚から成る内閣が採った立場を指し、内閣は議会・政党の意思に制約されず行動すべきという主張であるとされる。また、この主義を採る内閣を超然内閣という。 なお、坂野潤治や御厨貴らは、超然主義には本来の意味である議会や政党の存在・主張を無視するという意味の他に、民党・吏党の別なく、どの政党に対しても親疎の差を付けずに公平に扱い党派争いに関与しないという意味でも用いられており、超然主義及び超然内閣が必ずしも政党そのものを無視・否定したものではないとする説を提示している。.

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鷺坂修二

鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2015年10月14日)は、日本の物理学者。専門は、宇宙線物理学。信州大学名誉教授であった。.

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鹿島槍ヶ岳

鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)は、富山県黒部市、中新川郡立山町および長野県大町市にまたがる後立山連峰(飛騨山脈)の標高2,889 mの山別称が、背比べ岳、後立山、羚岳、鶴ヶ岳。新日本山岳誌 (2005)、886-887頁。中部山岳国立公園内にある上部と西側はその特別保護地区、東中腹のがその特別地域、東山麓が普通地域に指定されている。。後立山連峰の盟主とされる日本の山1000 (1992)、384-385頁日本三百名山 (1997)、151頁。 山頂は南峰(標高2,889 m)と北峰(標高2,842 m)からなる双耳峰であり、吊尾根と呼ばれるなだらかな稜線で繋がっている深田久弥 (1982)、181-184頁。山頂部は森林限界を越える高山帯で、1922年(大正11年)10月12日に多くの高山植物が自生している白馬岳や五竜岳を含む周辺の西面は「白馬連山高山植物帯」の特別天然記念物に指定された。日本百名山、花の百名山花の百名山 (1997)、296-299頁、新・花の百名山新・花の百名山 (1997)、241-244頁の一つに選定されている。旧北安曇郡にあった旧美麻村(現在は大町市に合併)を代表する山として鹿島槍ヶ岳の眺望が『信州ふるさと120山』のひとつに選定されている。剱岳、立山と並び、日本では数少ない氷河の現存する山である 信毎web 2018年1月17日。.

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麻生磯次

麻生 磯次(あそう いそじ、1896年(明治29年)7月21日 - 1979年(昭和54年)9月9日)は、日本の国文学者。.

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黒崎幸吉

黒崎 幸吉(くろさき こうきち、1886年(明治19年)5月2日 - 1970年(昭和45年)6月6日)は、日本の聖書学者、キリスト教伝道者。山形県西田川郡鶴岡町(現・鶴岡市)出身。.

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黒川武雄

黒川 武雄(くろかわ たけお、1893年3月5日 - 1975年3月8日)は、日本の実業家、政治家。虎屋15代当主、参議院議員、厚生大臣。旧姓・福田。.

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黒田鵬心

黒田 鵬心(くろだ ほうしん、1885年(明治18年)1月15日 - 1967年(昭和42年)3月15日)は美術評論家である。建築や都市についての評論も行ない、日本において美的観点から都市について言及した最初の論者とされる。本名は黒田朋信。 東京生まれ。東京府立第一中学校(日比谷高校)卒業。同級生に、市河三喜や石塚粂蔵など。中学時代には「白影」の号で短歌を詠み、読売新聞などに投稿した。また、読売新聞主催の作文コンクールに2年連続入選。 第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科(美学専攻)に進み、大塚保治の指導を受けた。在学中は、哲学科の講師を務めていた関野貞を通じて建築学科の後藤慶二、咲寿栄一らと親交を深める。卒業後、読売新聞に入社、文化欄の記者になった。美術評論、建築評論を多く執筆。『建築畫報』の編集に携わる。趣味叢書を企画し、『都市の美観と建築』(1914年)などを刊行した。 1918年、三越呉服店に入社し、PR誌「三越」を編集。この頃から建築評論に距離を置くようになる。 1922年より、フランス人画商デルスニスが開催するフランス美術展(仏展)に関わるようになり、1924年には三越を退社し、デルスニスと共同で日仏芸術社を設立。展覧会によりフランス美術の紹介に努め、作品の販売も行った。しかし、採算を度外視してロダンの大作を搬入したことや、パリで開催した日本美術展の赤字などにより、デルスニスも経済的苦境に陥り、1931年に日仏芸術社は解散した。 この間、文化学院教授などを務める。また、戦後の1949年-1966年は東京家政大学教授を務めた。.

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黒田英雄

黒田英雄 黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年(明治12年)9月2日 – 1956年(昭和31年)11月1日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、貴族院議員、参議院議員。.

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黒金泰義

黒金 泰義(くろがね やすよし、1867年8月12日(慶応3年7月13日)- 1941年(昭和16年)3月24日)は、日本の内務官僚、政治家。憲政会系官選県知事、衆議院議員、函館区長。.

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黒木三次

黒木 三次(くろき さんじ、明治17年(1884年)12月21日 - 昭和19年(1944年)9月30日)は、日本の華族。貴族院議員・帝都復興院参与・司法省委員を務める。位階・勲等・爵位は正三位・勲三等・伯爵。.

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齋藤悠輔

齋藤 悠輔(さいとう ゆうすけ、1892年(明治25年)5月21日 - 1981年(昭和56年)3月26日)は、日本の最高裁判所判事。栄典・称号は、正三位・勲一等瑞宝章・温海町名誉町民(後の鶴岡市名誉市民)。山形県西田川郡温海町(後の鶴岡市)出身。.

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龍粛

龍 粛(りょう すすむ、1890年4月29日 - 1964年2月25日)は、大正・昭和期の歴史学者。専攻は中世史。元東京大学史料編纂所長。萩野由之は舅に当たる。.

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辰野保

辰野 保(たつの たもつ、明治24年(1891年)1月10日帝国秘密探偵社編『第三版 大衆人事録 タ-ワ之部』1930年、タの部149頁。 - 昭和13年(1938年)10月17日)は、日本の陸上競技選手、弁護士、政治家。 父は建築家の辰野金吾、兄はフランス文学者の辰野隆。.

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辰野隆

辰野 隆(たつの ゆたか、1888年3月1日 - 1964年2月28日)は、フランス文学者、随筆家。東京帝国大学教授として多くの後進を育てた。.

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辻山治平

辻山 治平(つじやま じへい、1897年5月 - 1974年7月29日)は、日本の内務官僚。官選県知事、茨城県教育委員長。.

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辻善之助

辻 善之助(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月15日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、戦前の日本の歴史学者。東京帝国大学名誉教授。文学博士。専門は日本仏教史。仏教史研究から日本人の精神と日本文化の形成を探求し実証主義的研究を貫き、日本史学の発展に寄与。兵庫県出身。.

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辻直四郎

辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者・言語学者で、日本におけるインド古典学研究を開拓し、業績は海外の学会でも高く評価された。.

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辻英雄

辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年11月29日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党衆議院議員。.

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辻村伊助

辻村 伊助(つじむら いすけ、1886年4月22日 - 1923年9月1日)は、日本の園芸家、登山家。 神奈川県小田原町(現・小田原市)に素封家の二男として生まれる小田原市立図書館2013『アルプスに跳んだ小田原の登山家 辻村伊助』小田原市立図書館。 東京府開成中学校、第一高校学校を経て、東京帝国大学理学部農芸化学科卒。1906年一高時代、日本初の登山団体「山岳会」に入会し、登山を行い日本アルプスを踏破。1906年木曽駒ヶ岳・宝剣岳でタカネスミレの新産地を発見。1913年渡欧し、翌年、近藤茂吉とグロース・シュレックホルンに登頂した際、下山中雪崩で重傷を負う。入院先の看護師ローザ・カレンと結ばれ、1921年帰国、小田原高等女学校で英語を教える。箱根湯本に高山植物園を開いたが、1923年関東大震災で裏山が崩れ、夫人、3児と共に埋没死。3年後の1926年に遺骨が発見され、比叡山延暦寺に納骨された。.

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迫水久常

迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。.

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近衛文麿

近衞 文麿(このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年)12月16日)は、日本の政治家。栄典は勲一等公爵。 貴族院議員、貴族院副議長(第10代)、貴族院議長(第9代)、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、拓務大臣(第13代)、班列、農林大臣(臨時代理)、司法大臣(第43代)、国務大臣、大政翼賛会総裁(初代)などを歴任した。.

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近角常観

近角 常観(ちかずみ じょうかん、明治3年4月24日(1870年5月24日) - 昭和16年(1941年)12月3日は、日本の明治~昭和期に活動した真宗大谷派僧侶、宗教家。諡は求道院、諱は常観。 真宗大谷派西源寺の住職。東京本郷の求道学舎と求道会館において学生・知識人を感化する。『歎異抄』を中心として、親鸞の精神を説く。『政教時報』『求道』『信界建現』を創刊して、信仰の普及に努める。 岩田文昭、碧海寿広らによって近代以降の日本思想史及び日本精神史に近角が与えた影響の大きさが再検討されている。.

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近藤正二

近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年(明治26年)2月5日 - 1977年(昭和52年)1月22日)は、日本の医師、細菌学者、衛生学者、医学博士。元東北帝国大学医学部学部長、日本衛生学会名誉会員、東北大学名誉教授。.

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霞城館

霞城館(かじょうかん)は、兵庫県たつの市龍野町にある文学館。矢野勘治記念館(やのかんじきねんかん)を併設する。事業主体は、公益財団法人霞城館。.

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錢高組

株式会社錢高組(ぜにたかぐみ、The Zenitaka Corporation)は、大阪府大阪市に本店、東京都千代田区に本社を置く日本の中堅ゼネコンである。三水会及びみどり会の会員企業であり三和グループに属している。 同じ大阪市に本社を置く奥村組・竹中工務店・鴻池組・淺沼組と並ぶ在阪ゼネコンの一つ。創業1705年(寶永2年)以来、300年以上の歴史を持つ。 社名と社章が野村胡堂作『銭形平次 捕物控』の名前の由来となったことでも知られる。.

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茨城県立下妻第一高等学校

茨城県立下妻第一高等学校(いばらきけんりつしもつまだいいちこうとうがっこう)は、 茨城県下妻市下妻乙に位置する県立高等学校。.

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茨城県立下館第一高等学校

茨城県立下館第一高等学校(いばらきけんりつ しもだてだいいちこうとうがっこう)は、茨城県筑西市(旧・下館市域)にある県立高等学校。通称「館一(だていち)」「館高(だてこう)」。.

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茨城県立竜ヶ崎第一高等学校

茨城県立竜ヶ崎第一高等学校(いばらきけんりつりゅうがさきだいいちこうとうがっこう)は、茨城県龍ケ崎市平畑にある県立高等学校。.

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茨城県立那珂湊第一高等学校

茨城県立那珂湊第一高等学校(いばらきけんりつ なかみなとだいいちこうとうがっこう)は、茨城県ひたちなか市山ノ上町に所在した公立の高等学校。.

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茨城県立水戸第一高等学校

茨城県立水戸第一高等学校(いばらきけんりつ みとだいいちこうとうがっこう)は、茨城県水戸市三の丸三丁目にある県立高等学校。普通科全日制のみの男女共学校。2005年(平成17年)から単位制を導入している。.

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茨木市立川端康成文学館

茨木市立川端康成文学館(いばらきしりつかわばたやすなりぶんがくかん)は、大阪府茨木市にある文学館。.

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蜷川新

蜷川新(1918年) 蜷川 新(にながわ あらた、1873年(明治6年)1月14日 - 1959年(昭和34年)8月17日)は日本の法学者、外交官、大学教授。専門は国際法。室町幕府に政所代を世襲した蜷川氏の出身。格闘家の武蔵・TOMO兄弟は曾孫にあたる。.

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霜山精一

山 精一(しもやま せいいち、1884年(明治17年)10月15日 - 1975年(昭和50年)3月12日)は、日本の司法官僚、弁護士。大審院長、最高裁判所判事、貴族院議員。従二位勲一等。.

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茅野蕭々

茅野 蕭々(ちの しょうしょう、本名儀太郎、1883年3月18日 - 1946年8月29日)は、日本のドイツ文学者、詩人。.

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郁文館中学校・高等学校

郁文館中学校・高等学校(いくぶんかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区向丘二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、第2学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校である。ワタミ創業者の渡邉美樹が理事長を務める。.

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胡堂百話

『胡堂百話』(こどうひゃくわ)は、日本の小説家、野村胡堂が、1959年(昭和34年)に発表した随筆集である。.

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郡山義夫

郡山 義夫(こおりやま よしお、1894年(明治27年)6月23日『新編日本の歴代知事』530頁。 - 1987年(昭和62年)3月26日『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』241頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選長野県知事、海軍司政長官。旧姓・山本。.

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郭沫若

郭 沫若(かく まつじゃく Guo Moruo)は中華民国、中華人民共和国の政治家、文学者、詩人、歴史家。原名は郭開貞で、開貞は諱、沫若は号にあたる。字は鼎堂。中国の近代文学・歴史学の先駆者。.

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郷古潔

郷古 潔(ごうこ きよし、1882年11月13日 - 1961年4月28日)は、三菱重工業社長、太平洋戦争時の東條内閣顧問。戦後はA級戦犯として逮捕され、公職追放された。.

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郷誠之助

郷 誠之助(ごう せいのすけ、元治2年1月8日(1865年2月3日) - 昭和17年(1942年)1月19日)は、日本の実業家。日本商工会議所会頭、日本経済聯盟会会長、東京電燈会長、東京株式取引所理事長などを歴任。貴族院議員。.

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能代清

能代 清(のしろ きよし、1906年(明治39年)9月26日 - 1976年(昭和51年)10月18日)は日本の数学者。理学博士。名古屋帝国大学教授、東京理科大学教授を務める。1956年(昭和31年)、「函数論における集積値集合の研究」で第9回中日文化賞を受賞。.

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都築正男

都築 正男(つづき まさお、1892年(明治25年)10月20日 - 1961年(昭和36年)4月5日)は日本の医学者、海軍軍医。「原爆症研究の父」と呼ばれる。最終階級は海軍軍医少将『日本海軍将官辞典』250頁。。.

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舟山正吉

舟山 正吉(ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1996年9月20日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。.

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舞出長五郎

舞出 長五郎(まいで ちょうごろう、明治24年(1891年)9月8日 - 昭和39年(1964年)7月15日)は、日本の経済学者。経済学博士。東京大学名誉教授。日本学士院会員。五女は政治評論家三宅久之の兄で元福島大学経済学部教授三宅皓士の妻。.

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鈴木力衛

鈴木 力衛(すずき りきえ、1911年5月1日 - 1973年6月14日)は、日本のフランス文学者、演劇評論家。 愛知県出身。第一高等学校、東京帝国大学仏文科を卒業後、フランス政府招聘給費留学生としてパリ大学に学び、帰国後は旧制学習院教授等を経て学習院大学文学部教授となった。 モリエール研究の第一人者。晩年に完成した単独訳の「モリエール全集 全4巻」(全作品を網羅してはいないが、全集の刊行冊子に「日本語の芝居として楽しめるモリエールのすべてと称しうる仕事」紹介されている)で、読売文学賞受賞。そうしたフランス演劇研究の成果を元に、新しい流れのフランス演劇も積極的に紹介し、俳優座養成所講師や文学座顧問もつとめ、戦後日本の興隆期の新劇運動に大きな影響を与えた。なお岩波文庫版のモリエール作品集は近年改版されている。 演劇関係以外でも、アレクサンドル・デュマ・ペールの『ダルタニャン物語』、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』、マルセル・パニョル『笑いについて』、アンリ・ベルクソン『笑い』をはじめ多数の訳書がある。 学習院仏文科の骨格をほぼ一人で築き上げてゆき、優秀な教授陣を育成するために腕を振るい、そうした中から篠沢秀夫、豊崎光一、佐伯隆幸、末木利文(演出家)といった人達を育て上げていった。.

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鈴木九萬

鈴木 九萬(すずき ただかつ、1895年(明治28年)4月27日 - 1987年(昭和62年)4月4日)は、日本の外交官。.

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鈴木彦次郎

鈴木 彦次郎(すずき ひこじろう、1898年12月27日 - 1975年7月23日)は、日本の小説家。 東京府生まれ。岩手県選出の衆議院議員・鈴木巌の二男として生まれた。6歳から父の転勤に伴って盛岡に移る。盛岡中学校、第一高等学校をへて東京帝国大学英文科、のち国文科に転じて1923年卒業。高校時代寮の同室だった川端康成、石浜金作、酒井眞人に今東光の五人で第6次『新思潮』を1921年創刊。1923年文藝春秋同人、1924年川端、横光利一らの『文藝時代』に参加。新感覚派の一人とされた。1928-1930年舟橋聖一、村山知義らと心座の新劇運動に携わる。のち農民小説、大衆小説、歴史小説、相撲小説に転じる。 1944年盛岡に疎開し、地方文化人となる。岩手県立図書館長、岩手県教育委員長、東京薬科大学教授、盛岡短期大学教授を務め、岩手日報文化賞を受賞。 1949年に盛岡文士劇を立ち上げ、1962年まで継続した。後に高橋克彦が復活させ現在に至る。.

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鈴木信太郎 (フランス文学者)

鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1895年6月3日 - 1970年3月4日)は、フランス文学者、日本芸術院会員。.

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鈴木信太郎 (内務官僚)

鈴木 信太郎(すずき しんたろう、1884年(明治17年)11月8日 - 1958年(昭和33年)6月27日『山梨百科事典』増補改訂版、518-519頁。)は、日本の内務官僚。官選府県知事、錦鶏間祗候。.

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鈴木喜三郎

鈴木 喜三郎(すずき きさぶろう、慶応3年10月11日(1867年11月6日)- 昭和15年(1940年)6月24日)は、日本の司法官僚、政治家。立憲政友会第7代総裁。旧姓は川島。鳩山和夫の長女カヅと結婚し、鳩山一郎は義弟にあたる。司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中義一内閣の内務大臣を歴任し、衆議院議員から再度貴族院議員となった。犬養毅暗殺後の立憲政友会第7代総裁(在任、昭和7 - 昭和12、1932年 - 1937年)を務めた。.

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鈴木禄彌

鈴木 禄彌(祿彌、禄弥)(すずき ろくや、1923年(大正12年)4月4日 - 2006年(平成18年)12月22日)は、日本の法学者。東北大学名誉教授、東海大学客員名誉教授。専門は民法。 法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「居住権論」)。1998年(平成10年)より日本学士院会員。1967年(昭和42年)松永賞。1986年(昭和61年)紫綬褒章。.

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鈴木竹雄

鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日)は、日本の商法学者。東京大学法学部名誉教授、法制審議会商法部会長、日本学士院会員。.

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鈴木義雄 (日揮)

鈴木 義雄(すずき よしお、1910年(明治43年)10月3日 - 1999年(平成11年)7月23日)は、日本の実業家、通産省官僚。通産省重工業局長、日揮社長・会長、日本輸出入銀行理事などを歴任した。.

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鈴木醇

鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970年3月12日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・岩石学。栃木県宇都宮市生まれ。.

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鈴木虎雄

鈴木 虎雄(すずき とらお、1878年〈明治11年〉1月18日 - 1963年〈昭和38年〉1月20日)は、古典中国文学者。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。燕市名誉市民。.

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鈴木松雄

鈴木 松雄(すずき まつお、1903年(明治36年) - 1978年(昭和53年)9月6日)は、日本の実業家、工学者。東京工業大学電気工学科教授。工学博士(東京帝国大学)。昭和電線電䌫(現・昭和電線ホールディングス)社長・会長・相談役やCQ出版社長、多摩電気工業(現・KOA)社長などを歴任した。.

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鈴木栄太郎

鈴木 栄太郎(すずき えいたろう、1894年9月17日 - 1966年9月20日)は日本の社会学者。農村社会学・都市社会学の泰斗。自然村対行政村の概念を提示。.

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鈴木正雄 (三菱)

鈴木 正雄(すずき まさお、1914年(大正3年) - 2006年(平成18年)11月7日)は、日本の実業家。三菱銀行入行を皮切りに、三菱グループで三菱重工業副社長や三菱自動車販売(現三菱自動車工業)社長・会長などを歴任した。.

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鈴木敬一 (内務官僚)

鈴木 敬一(すずき けいいち、1889年7月25日 - 1973年11月29日)は、日本の内務官僚。府県知事、初代住宅金融公庫総裁。.

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鈴木敬信

鈴木 敬信(すずき けいしん、1905年5月12日 - 1993年1月27日)は、日本の天文学者。専門分野は位置天文学、日食計算論。 東京学芸大学名誉教授。秋田県秋田市出身。一部の人名事典では出身地が東京都になっているものもある。なお、小惑星の鈴木 (小惑星)は、彼に因み命名された。.

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船田中

船田 中(ふなだ なか、1895年(明治28年)4月24日 - 1979年(昭和54年)4月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(当選15回)。第51代・第56代衆議院議長、自由民主党副総裁、従二位勲一等旭日桐花大綬章。 政治家一家として知られた「船田三兄弟」の長兄。衆議院議員で行政管理庁長官をつとめた船田享二は次弟、やはり衆議院議員で運輸大臣や自治大臣などを歴任した藤枝泉介は三弟にあたる。澄夫人は第24代衆議院議長元田肇の五女。参議院議員や栃木県知事をつとめた船田譲は長男で、その長男(孫)の船田元も衆議院議員、その2度目の妻(孫嫁)の畑恵も参議院議員をつめとている。 なお名の「中」は「なか」が正しい読みで、「あたる」は誤読である。.

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船田享二

船田 享二(ふなだ きょうじ、1898年(明治31年)1月13日 - 1970年(昭和45年)3月14日)は、日本の法学者、教育者、政治家。法学の専門はローマ法。教育者として作新学院院長。政治家として衆議院議員(当選3回)、行政管理庁長官、賠償庁長官。政治家一家として知られた「船田三兄弟」の次男で、衆議院議長となった船田中は兄、自治大臣や運輸大臣などを歴任した藤枝泉介は実の弟にあたる。また夫人の船田文子は主婦連副会長をつとめた。.

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阪田泰二

阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 1968年10月7日)は、日本の大蔵官僚。 和歌山県出身。妻は「夢であいましょう」の司会者で、デザイナーの中嶋弘子。.

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阪本瑞男

阪本 瑞男(さかもと たまお、1897年3月6日 - 1944年7月5日)は、日本の外交官。第二次世界大戦中ドイツの将来に悲観的な見通しを持ち『日本の有名一族』、86頁。、日本の対英米戦争への参戦に反対したことで知られている。.

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阿部千一

阿部 千一(あべ せんいち、1893年11月23日 - 1972年9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員、岩手県知事(1955年~1963年)などを務めた。.

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阿部孝

阿部 孝(あべ たかし、1895年8月22日- 1984年)は、英文学者、高知大学名誉教授。 岩手県花巻川口町(現:花巻市)出身。 現在の花巻市鼬弊(いたちべい)にある稲荷神社神主の家に生まれる。花城尋常小学校(現・花巻市立花巻小学校)から旧制岩手県立盛岡中学校に進学。小学校では宮沢賢治より1学年上、中学校では同窓で、中学時代には親交を結んだ。賢治が詠んだ短歌には「這ひ松のなだらを行きて息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る」という一首がある。 第一高等学校を経て、東京帝国大学英文科卒、旧制高知高等学校教授、戦後高知大学教授、学長を務めた。1966年『ばら色のばら』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 英国演劇が専門。.

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阿部秋生

阿部 秋生(あべ あきお、1910年10月24日 - 1999年5月24日)は、日本の国文学者、中古文学専攻、東京大学名誉教授。妻は文学博士阿部俊子。.

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阿部次郎

阿部 次郎(あべ じろう、1883年(明治16年)8月27日 - 1959年(昭和34年)10月20日)は、哲学者、美学者、作家。仙台市名誉市民。.

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赤司道雄

赤司道雄(あかし みちお、1920年 - 1993年2月)は、日本の聖書学・宗教学者、立教大学名誉教授。 第一高等学校を経て、1943年東京帝国大学宗教学科卒、52年東京大学大学院特別研究生修了、助手、50-52年シカゴ大学へ留学、53年立教大学助教授、教授、65年「旧約聖書捕囚以後の思想史の研究 神の応報の問題をめぐって」で東大文学博士。80年シカゴ大学併設ミドヴィル神学校名誉神学博士。86年定年退任、名誉教授。同仁自由キリスト教会牧師。.

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赤司鷹一郎

赤司 鷹一郎(あかし たかいちろう、1876年(明治9年)5月10日 – 1933年(昭和8年)11月7日)は、文部官僚、教育者。錦鶏間祗候。.

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赤坂長義

赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年 、メリーランド大学カレッジパーク校、2009年11月8日閲覧。『CD-人物レファレンス事典 日本編』、「赤坂長義」の項、日外アソシエーツ、2004年。1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマの演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。.

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赤池弘次

ムネイル 赤池 弘次(あかいけ ひろつぐ、1927年11月5日 - 2009年8月4日)は、静岡県出身の、日本の数理統計学者。1970年代に確立した赤池情報量規準(AIC)で知られる。.

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赤池濃

赤池 濃(あかいけ あつし、1879年1月27日 - 1945年9月10日)は、日本の内務官僚、政治家。静岡県知事、警視総監、貴族院議員。.

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赤沼金三郎

赤沼 金三郎(あかぬま きんざぶろう、1865年7月22日(慶応元年5月30日) - 1900年(明治33年)11月5日)は明治時代の教育者、軍人、倫理学者。字は士朗、号は天心狂史、枕戟学人岡村司「文学士赤沼金三郎君伝」『天心遺稿』。死去時の地位は第一高等学校講師陸軍歩兵中尉従七位勲六等文学士。 信濃国諏訪藩に生まれ、地元長野県諏訪郡で小学校教師を勤めた後、上京して第一高等中学校で語学、哲学を学び、寄宿寮で学生自治を主導した。日清戦争に参戦した後、東京帝国大学を卒業し、比較倫理学研究に着手したが、志半ばで死去した。.

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赤木正雄

赤木 正雄(あかぎ まさお、1887年(明治20年)3月24日 - 1972年(昭和47年)9月24日)は、日本の農学博士・政治家。日本において砂防の重要さをいち早く説いた人物で「砂防の父」とも呼ばれる。 兄は中筋村(現豊岡市)村長の赤木一雄、甥に画家の赤木蘇夫二(そぶじ)、政治学者の赤木須留喜(するき)がいる。.

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鵜沢憲

沢 憲(うざわ けん、1886年(明治19年)3月1日『神奈川県名鑑』422頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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鵜澤總明

明治大学駿河台キャンパスの鵜澤總明胸像 鵜澤 總明(うざわ ふさあき、1872年9月4日(明治5年8月2日)- 1955年10月21日)は日本の弁護士、政治家。学位は法学博士。新字体で鵜沢 総明(うざわ ふさあき)とも表記される。 第一東京弁護士会会長、衆議院議員、貴族院議員、大東文化学院総長、明治大学総長などを歴任した。 青山学院大学学長を務めた経営学者の鵜澤昌和は次男。.

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関場茂樹

関場 茂樹(せきば しげき、1876年(明治9年)12月29日 - 1942年(昭和17年)1月7日)は、日本の橋梁設計者。日本の橋梁建設黎明期から橋梁会社技師長として活動し、登録有形文化財の犀川大橋、澱川橋梁などを設計した。.

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関之

関 之(せき いたる、1903年3月19日 - 2001年4月25日)は、検事、弁護士。 長野県諏訪郡上諏訪町(諏訪市)出身。小学校卒業後、専門学校検定試験合格。第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒。1934年検事となり、東京控訴院検事などをへて、1948年発足した人権擁護局の第一課長。1952年公安調査庁総務部長となり、破壊活動防止法の草案を作成する。1963年最高検察庁検事、1966年総務部長。同年弁護士に転じ、中央学院大学教授。1974年定年退任。.

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関野貞

関野 貞(せきの ただし、慶応3年12月15日(1868年1月9日) - 昭和10年(1935年)7月29日)は、日本の建築史学者、東大教授。文化財の保存に努めたことで知られる。.

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関東大学サッカーリーグ戦

関東大学サッカーリーグ戦(かんとうだいがくサッカーリーグせん)とは、関東大学サッカー連盟に加盟する大学サッカー部によるリーグ戦である。協賛は東日本旅客鉄道で、「JR東日本カップ 関東大学サッカーリーグ戦」と称している。.

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関泰祐

関 泰祐(せき たいすけ、1890年10月25日 - 1988年2月10日)は、ドイツ文学者、翻訳家。 京都府生まれ。東京帝国大学独文科卒業。新潟高等学校教授、静岡高等学校教授、第一高等学校教授、水戸高等学校校長を歴任し、戦後は一橋大学教授、学習院大学教授、国士舘大学教授を務めた。 トーマス・マン、ゲーテ、テオドール・シュトルムなどを訳した。ドイツ文学者で東大教授を務めた関楠生は息子。.

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薬師寺志光

薬師寺 志光(やくしじ しこう、1889年(明治22年)-1984年(昭和59年)7月23日)は日本の民法学者。法政大学名誉教授、元愛知大学・國學院大學教授。.

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開成学校

開成学校(かいせいがっこう)は、明治時代初期、東京府に設立された文部省管轄の洋学研究・教育機関で、当時のいわゆる「専門学校」(高等教育機関を意味し、後年の専門学校令に準拠する旧制専門学校とは異なる)の一つである。 「東京大学発祥の地」の碑 / かつての開成学校の所在地(神田錦町)に建立されている.

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開成中学校・高等学校

開成中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、英語名:Kaisei Junior & Senior High School)は、東京都荒川区西日暮里四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校である。 高等学校では、高等学校第1学年に限り、中学校から入学した内部進学生(旧高生)と、高等学校から入学した外部進学生(新高生)を別クラス(5組・6組)にするが、高等学校第2学年からは旧高生と新高生を混合したクラス編成とする併設混合型中高一貫校。長年東京大学合格者数が日本一であることで知られる。.

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開成中学校・高等学校の人物一覧

開成中学校・高等学校人物一覧(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん)は、私立開成中学校・高等学校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。.

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門脇卓爾

脇 卓爾(かどわき たくじ、大正14年(1925年)2月22日 - 平成24年(2012年)12月28日)は日本の哲学者。学習院大学名誉教授。米子日独協会会長。カント哲学の研究者。ボン大学より学位「Doktor der Philosophie」を取得。宗教家・実業家門脇章太郎の長男。門脇家第11代当主。.

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藤原咲平

藤原 咲平(ふじわら さくへい、1884年10月29日 - 1950年9月22日)は、日本の気象学者。アルファベット表記(日本語のローマ字表記)で Fujiwhara となっていることも多いのは、本人がそのように綴ることを好んだためであり、発音として「ふじはら」に近い「ふじわら」であったことの影響でもある。.

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藤原松三郎

藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 - 1946年10月12日)は、日本の数学者・数学史家。第二次世界大戦前において、90編の欧文論文を著し、世界数学者会議で2度の学術講演を行うなど、当時の日本の数学界を代表する数学者であり、また日本数学史、中国数学史、朝鮮数学史をカバーする和漢数学史家としても大きな業績を残した。特に8000枚という膨大な遺稿「日本数学史」は『明治前日本数学史』全5巻(岩波書店、1955-1960)としてまとめられ、現在においても和算史を研究する上で最も重要かつ基本的な文献となっている。.

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藤堂明保

藤堂 明保(とうどう あきやす、1915年9月20日 - 1985年2月26日)は、日本の中国語学者、中国文学者。.

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藤山一郎

藤山 一郎(ふじやま いちろう、1911年(明治44年)4月8日 - 1993年(平成5年)8月21日)は、日本の歌手・声楽家・作曲家・指揮者である。本名は増永 丈夫(ますなが たけお)。本名ではクラシック音楽の声楽家・バリトン歌手として活躍した。東京府東京市日本橋区蛎殻町(現東京都中央区日本橋蛎殻町)出身。東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)卒業(首席)。 東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論とハイバリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。1930年代から1940年代にかけて『酒は涙か溜息か』・『丘を越えて』・『東京ラプソディ』・『青い山脈』・『長崎の鐘』など数多くのヒット曲を世に送った。理論・楽典に忠実に歌ったことから正格歌手と呼ばれ、その格調の高い歌声は「楷書の歌」と評された。1992年(平成4年)、国民栄誉賞を受賞した。.

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藤井實

藤井 實(ふじい みのる、1881年11月保阪、p.141または1880年 - 1963年)は、日本の外交官。また、東京帝国大学在学中の1902年に、特殊な電気計時装置を使った測定で100メートル競走に10秒24という記録を残したとされる人物としても知られる。名前は藤井実と表記されることもある。.

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藤井勝志

藤井 勝志(ふじい かつし、1915年4月13日 - 1996年1月25日)は、日本の政治家。井原市名誉市民。労働大臣、大蔵政務次官などを務めた。叙正三位勲一等旭日大綬章。.

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藤井武

藤井 武(ふじい たけし、1888年1月15日 - 1930年7月14日)は、無教会の伝道者。.

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藤井深造

藤井 深造(ふじい しんぞう、1893年12月13日 - 1970年9月8日)は大正~昭和期の実業家。新生三菱重工業初代社長。 広島県三次郡庄原(現庄原市)出身。.

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藤田健治

藤田 健治(ふじた けんじ、1904年3月8日 - 1993年10月10日)は、日本の哲学研究者、お茶の水女子大学名誉教授。.

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藤田尚徳

藤田 尚徳(ふじた ひさのり、1880年(明治13年)10月30日 - 1970年(昭和45年)7月23日)は、日本の海軍軍人、神職、侍従長。軍人としての最終階級は海軍大将。.

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藤田亮策

藤田 亮策(ふじた りょうさく、1892年(明治25年)8月25日 - 1960年(昭和35年)12月12日)は、日本の考古学者。.

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藤村正太

藤村 正太(ふじむら しょうた、1924年1月9日 - 1977年3月15日)は、日本の推理作家・小説家。社会派推理小説の作家の一人。京城府出身。別名に川島郁夫。 第一高等学校を経て東京大学法学部を卒業。 「私だけが知っている」の脚本執筆陣に参加。 1961年、「孤独なアスファルト」により第9回江戸川乱歩賞を受賞。 1977年、肺結核による肺性心のため死去。 藤村と同じく『宝石』誌の懸賞入選で推理作家として世に出た土屋隆夫は、自著『推理小説作法』のなかで、藤村が藤村操の縁者かもしれない、という推測を記している。その理由は、「藤村」という苗字が共通すること以外に、藤村操が華厳滝で投身自殺したのではなく、その後も密かに生き続けていた、という内容の小説「曰く不可解」の構想を土屋が藤村正太に語ったとき、藤村が「藤村操の遺族が、私の家の近くに住んでいるんですよ」と言ったところから、その発言が「いまさら、藤村操の過去をあばきたてるようなことはしないでくれ。遺族のためにも、ソッとしておいてくれないか」という藤村正太の気持ちではなかったか、と土屋が感じたことによる。.

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藤村操

藤村操 木に彫られた巌頭之感 最期の地(華厳滝) 「藤村操君絶命辞」の碑。青山霊園。 藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月20日 - 1903年(明治36年)5月22日)は北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。.

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藤森秀夫

藤森 秀夫(ふじもり ひでお、1894年(明治27年)3月1日 - 1962年(昭和37年)12月20日)は、日本のドイツ文学者、童謡作家。別名に藤太彦。.

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藤永保

藤永 保(ふじなが たもつ、1926年10月2日 - 2016年1月21日)は、日本の発達心理学者、お茶の水女子大学名誉教授。幼児心理が専門。 山口県下関市に生まれる。神奈川県立横浜第一中学校卒、1948年第一高等学校卒、1952年東京大学文学部心理学科卒業、1954年同大学院中退、東京外国語大学教務補佐員、1955年東京女子大学心理学科助手、1956年専任講師、1960年助教授、1967年教授、1968年お茶の水女子大学助教授、1970年教授、1992年定年退官、名誉教授、国際基督教大学特任教授、1997年定年退任、2006年~9年日本教育大学院大学学長、NPO法人保育子育てアドバイザー協会理事長。2000年 日本教育心理学会名誉会員。正四位。.

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藤木邦彦

藤木 邦彦(ふじき くにひこ、1907年5月3日- 1993年5月6日)は、日本の歴史学者。 熊本市生まれ。1930年東京帝国大学文学部国史学科卒。東大副手、立正大学講師を経て、1939年第一高等学校教授。1949年東京大学教養学部助教授、教授となり、1968年に定年退官、名誉教授、国士舘大学教授。.

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藤木英雄

藤木 英雄(ふじき ひでお、1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。法学博士。従四位勲四等旭日小綬章。長野県松本市出身。.

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蒲原有明

蒲原 有明(かんばら ありあけ、1875年(明治8年)3月15日 - 1952年(昭和27年)2月3日)は、日本の詩人。本名、隼雄(はやお)。東京生まれ。 D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として『独絃哀歌』『春鳥集』『有明集』などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。.

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那珂通世

那珂 通世(なか みちよ、嘉永4年1月6日(1851年2月6日) - 明治41年(1908年)3月2日)は、南部藩出身の明治時代の歴史学者、文学博士。東洋史の概念を初めて生んだといわれる。.

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膳桂之助

膳 桂之助(ぜん けいのすけ、1887年7月21日 - 1951年11月25日)は、日本の農商務官僚、実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲三等。日本工業倶楽部理事、日本団体生命保険社長、経済安定本部総務長官(初代)、物価庁長官(初代)を歴任した。.

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野口尚一

野口 尚一(のぐち ひさかず、1888年(明治21年)12月23日 - 1986年(昭和61年)9月27日)は、日本の機構学者。東京帝国大学教授、工学院大学初代学長。日本機械学会、日本クレーン協会の各会長。『穀粒層を通過する気流に関する研究』で工学博士(東京帝大)。.

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野口遵

野口 遵(のぐち したがう、したごう、通称:じゅん、1873年7月26日 - 1944年1月15日)は、日本の実業家。日本窒素肥料(現・チッソ)を中核とする日窒コンツェルンを一代で築いた。「電気化学工業の父」や「朝鮮半島の事業王」などと称された。チッソの他にも、旭化成、積水化学工業、積水ハウス、信越化学工業の実質的な創業者でもある。 朝鮮半島進出後の野口遵は政商であった。朝鮮総督府の手厚い庇護の下、鴨緑江水系に赴戦江発電所など大規模な水力発電所をいくつも建設し、咸鏡南道興南(現・咸興市の一部)に巨大なコンビナートを造成した。さらに、日本軍の進出とともに満州、海南島にまで進出した。森矗昶、鮎川義介などと共に当時、「財界新人三羽烏」として並び称されていた。.

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野口敏治

野口 敏治(のぐち としはる、1889年(明治22年)5月21日『台湾人士鑑』台湾新民報社、1937年、p.311。 - 1944年(昭和19年)1月14日『朝日新聞』(東京本社発行)1944年1月18日朝刊、4頁。)は、台湾総督府官僚。.

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野坂相如

野坂 相如(のさか すけゆき、明治32年(1899年)1月19日 - 昭和53年(1978年))は、日本の土木技術者、都市計画家。内務官僚として都市計画事業に手腕を揮い、戦後には新潟県副知事を務めた。息子は直木賞作家の野坂昭如。孫は作家、エッセイストの野坂麻央、女優の愛耀子(共に元宝塚歌劇団娘役)、株式会社ジャパンダイニングリンク(英語表記:Japan Dining Link Co., ltd.)代表取締役の野坂龍。.

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野坂昭如

野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年(昭和5年)10月10日 - 2015年(平成27年)12月9日,日テレNEWS24,2015年12月10日)は、日本の作家、歌手、作詞家、タレント、政治家。 放送作家としての別名は阿木 由起夫(あき ゆきお)、シャンソン歌手としての別名はクロード 野坂(クロード のさか)、落語家としての高座名は立川 天皇(たてかわ てんのう)、漫才師としての野末陳平とのコンビ名はワセダ中退・落第(わせだちゅうたい・らくだい)。.

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野上豊一郎

野上豊一郎(のがみ とよいちろう、1883年9月14日 - 1950年2月23日)は、日本の英文学者、能楽研究者。臼川(きゅうせん)と号する。法政大学総長を務め、能研究の発展にも多大な寄与をした。.

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野依秀市

野依 秀市(のより ひでいち、1885年(明治18年)7月19日 - 1968年(昭和43年)3月31日)は、明治・大正・昭和の3つの時代にわたる日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。また、政治家としても活躍して、戦前・戦中・戦後の日本に大きな影響をあたえた。本名同じ。旧名義は野依 秀一(のより しゅういち横田順彌 『熱血児 押川春浪 野球害毒論と新渡戸稲造』 三一書房、1991年、144頁。)。筆名は不屈生。 雑誌『実業之世界』、日刊紙『帝都日日新聞』、仏教雑誌『真宗の世界』等を創刊・運営。「右翼ジャーナリスト」、「言論ギャング」、「ブラックジャーナリズムの祖」等の異名を持つ。敗戦後のGHQ検閲による没収図書は個人では断トツであり、表の言論史では抹殺された存在である。戦後の新右翼である児玉誉士夫や四宮正貴らから師として仰がれている。.

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野球の歴史

この項では、野球の歴史(やきゅうのれきし)について説明する。 ただし、野球の起源に関しては諸説があるため、現在最も有力とされている説を中心に話を進めることとする。.

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野球害毒論

野球害毒論(やきゅうがいどくろん)とは、1911年(明治44年)に朝日新聞(当時の東京朝日新聞)が紙面で展開した野球に対するネガティブ・キャンペーンである。「野球有害論」とも呼ばれる。.

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野球ノ統制並施行ニ関スル件

野球ノ統制並施行ニ関スル件(やきゅうのとうせいならびにせこうにかんするけん、昭和7年3月28日文部省訓令第4号)は、学生野球の統制と健全化を目的として1932年(昭和7年)に文部省から発令された訓令。1947年(昭和22年)廃止。野球統制令(やきゅうとうせいれい)と略称される。.

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野田卯一

野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日 – 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。池田勇人・福田赳夫とともに、「大蔵省の3田」と呼ばれた。.

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野田良之

野田 良之(のだ よしゆき、1912年10月15日 - 1985年10月11日)は、日本の法学者、東京大学名誉教授。専門はフランス法、比較法。.

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野田英二郎

野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の元外交官。.

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野田清武

野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月 - 1963年5月13日)は、日本の農林官僚、満州国官吏。徳島県知事。.

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野村彦四郎

野村 彦四郎(のむら ひこしろう、1848年12月16日(嘉永元年11月21日) - 1895年(明治28年)5月5日)は明治時代の日本の官吏、教育者。旧薩摩藩士。 石川県師範学校(金沢大学の前身の一つ)初代校長、京都府学務課長、体操伝習所(筑波大学体育専門群の前身の一つ)所長、第一高等中学校(東京大学教養学部の前身)および第五高等中学校(熊本大学の前身の一つ)初代校長を歴任した。.

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野村綱

野村 綱(のむら つな、1845年12月17日(弘化2年11月19日) - 1906年(明治39年)5月17日)は明治時代の日本の文部官僚、教育者。旧薩摩藩士。旧名・与八左衛門。 宮崎県学務課長、県立宮崎学校長、鹿児島県会(鹿児島県議会の前身)初代議長、文部省普通学務局次長、宮崎県尋常中学校(宮崎大宮高等学校の前身)校長を歴任した。.

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野村龍太郎

野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安政6年1月25日) - 1943年(昭和18年)9月18日)は、大正・昭和期の土木技術者・鉄道官僚・実業家。.

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野津謙

野津 謙(のづ ゆずる、1899年3月12日 - 1983年8月27日)は、広島県広島市出身の医師(小児科医)、医学博士。サッカー選手、サッカー指導者でもあり、第4代日本サッカー協会会長、アジアサッカー連盟副会長、国際サッカー連盟理事を歴任した。元日本損害保険協会会長の河野俊二は甥に当たる。.

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重友毅

重友毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978年8月11日)は、日本の国文学者。 山口県吉敷郡山口町(現萩)生まれ。第一高等学校を経て、1924年東京帝国大学文学部国文科卒。旅順工科大学予科教授、33年東京体育専門学校教授(-41年)、38年武蔵高等学校教授、49年武蔵大学教授、法政大学教授を兼任、52年「雨月物語の研究」で東大文学博士。56年武蔵大を辞任、58年法政大文学部長(-60年)、66年法政大を定年退任、名誉教授、67年広島女学院大学教授。近世文学を専門とした。著作集全5巻がある。.

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釈宗演

釈 宗演(しゃく そうえん、安政6年12月18日(1860年1月10日) - 大正8年(1919年)11月1日)は、明治・大正期の臨済宗の僧。若狭国(現・福井県)大飯郡高浜村(現在の高浜町)の生まれ。出家前は一瀬常次郎。号は洪嶽、楞迦窟、不可往。 日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師として、よく知られている。.

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金山国治

金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月18日『新編日本の歴代知事』1005頁。 - 1981年(昭和56年)4月14日『現代物故者事典 1980~1982』91頁。)は、日本の内務・警察官僚、陸上自衛官、弁護士。最後の官選佐賀県知事、陸将。.

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金井元彦

金井 元彦(かない もとひこ、1903年11月28日 - 1991年8月6日)は日本の官僚、政治家。青森県(官選1期)および兵庫県(公選2期)の知事、参議院議員(2期)を歴任。.

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金井為一郎

金井 為一郎(かない ためいちろう、1887年3月10日 - 1963年5月22日)は、日本の牧師。.

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金井清 (諏訪市長)

金井 清(かない きよし、1884年12月7日 - 1966年4月26日)は長野県出身の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。.

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金光弥一兵衛

金光 弥一兵衛(かなみつ やいちひょうえ、1892年3月30日 - 1966年12月25日)は日本の柔術家、柔道家(講道館9段・大日本武徳会柔道教士)。 柔術各派や大日本武徳会にて柔道を修行して明治神宮競技大会柔道競技優勝という実績を残す傍ら、大正期から昭和初期にかけ旧制第六高校において柔道を指導し弟子たちと共に膝十字固や三角絞を生み出すなど高専柔道の発展に大きく貢献し、寝技の大家としてその名を知られた。.

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金田一春彦

金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年4月3日 - 2004年5月19日)は、日本の言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究でよく知られている。文学博士(東京大学、1962年)。栄典は瑞宝重光章・勲三等旭日中綬章・紫綬褒章。 その他の表彰歴として文化功労者、東京都名誉都民など。 父の金田一京助も言語学者で東京帝大教授。長男の金田一真澄はロシア語学者で慶應義塾大学教授、次男の金田一秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はゴルフ関係のライター。父・京助の従姉妹の夫に実業家の金田一国士。.

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金田鬼一

金田 鬼一(かねだ きいち、1886年12月10日 - 1963年11月1日)は日本のドイツ文学者、翻訳家。日本にグリム童話を紹介し、NHKラジオドイツ語講座の講師をも担当した。.

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金森久雄

金森 久雄(かなもり ひさお、1924年4月5日 - )は、元経済官僚、経済評論家。.

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金森徳次郎

金森 徳次郎(かなもり とくじろう、1886年3月17日 - 1959年6月16日)は、日本の官僚、政治家、憲法学者。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。.

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長尾優

長尾 優(ながお まさる、1887年(明治20年)5月22日 - 1975年(昭和50年)11月11日)は、日本の大正・昭和期における歯科医大学教授・医学博士。東京医科歯科大学初代学長。香川県出身。.

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長岡半太郎

長岡 半太郎(ながおか はんたろう、1865年8月19日(慶応元年6月28日) - 1950年(昭和25年)12月11日)は、日本の物理学者。土星型原子モデル提唱などの学問的業績を残した。また、東京帝国大学教授として多くの弟子を指導し、初代大阪帝国大学総長や帝国学士院院長などの要職も歴任した。1937年(昭和12年)、第一回文化勲章受章。正三位勲一等旭日大綬章追贈。.

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長岡實

長岡 実(ながおか みのる、1924年5月16日 - 2018年4月2日)は、日本の官僚。大蔵事務次官。.

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長岡隆一郎

長岡隆一郎の肖像写真 長岡 隆一郎(ながおか りゅういちろう、1884年1月15日 - 1963年11月1日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。警視総監、関東局総長、満州国総務庁長、貴族院議員。.

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長岡正男

長岡 正男(ながおか まさお、1897年7月7日 - 1974年11月20日)は、日本の技術者で実業家。第6代日本光学工業(現ニコン)社長。.

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長岡春一

長岡 春一(ながおか はるかず、1877年1月16日 - 1949年6月30日)は、日本の外交官。常設国際司法裁判所判事。法学博士。.

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長島毅

長島 毅(ながしま はたす、1880年(明治13年)6月8日 - 1948年(昭和23年)3月18日)は、日本の裁判官。大審院長を務めた。.

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長崎県立諫早高等学校・附属中学校

長崎県立諫早高等学校・附属中学校(ながさきけんりつ いさはやこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう、Nagasaki Prefectural Isahaya Junior and Senior High School)は、長崎県諫早市東小路町にある公立高等学校・中学校。 学校の略称は、高校が「諫高」(かんこう)、「諫早高校」、中学校が「諫高附属中」、「諫高附中」である。.

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長崎県立長崎西高等学校

長崎県立長崎西高等学校(ながさきけんりつ ながさきにしこうとうがっこう, Nagasaki Prefectural Nagasaki Nishi High School)は、長崎県長崎市竹の久保町に所在する県立高等学校。通称「西高」(にしこう)、「長崎西」。.

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長崎英造

長崎 英造(ながさき えいぞう、明治14年(1881年)8月13日 - 昭和28年(1953年)4月29日)は大正、昭和の日本の実業家。妻は桂太郎の次女・茂子。.

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長崎惣之助

長崎 惣之助(ながさき そうのすけ、明治29年(1896年)6月25日 - 昭和37年(1962年)11月7日)は、日本の鉄道官僚。第3代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1951年-1955年)。.

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長井長義

長井 長義(ながい ながよし、1845年7月24日(弘化2年6月20日)– 1929年(昭和4年)2月10日)は日本の薬学者。号:朴堂『長井長義 長崎日記』13p。 エフェドリンの発見者。日本薬学会初代会頭で、日本の近代薬学の開祖である。 阿波国名東郡常三島村薙刀丁出身(現在の徳島県徳島市中常三島町2丁目)河野『徳島―城と町まちの歴史』。。.

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長延連

長 延連(ちょう えんれん、1881年8月4日 - 1944年4月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事、警視総監。.

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長田裕二

長田 裕二(おさだ ゆうじ、1917年3月13日 - 2003年4月28日)は日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。 参議院議長(第19代)、科学技術庁長官(第34代)、自由民主党参議院議員会長(第16代)、参議院予算委員長、参議院議員(4期)等を歴任した。 元参議院議員の佐藤泰三は縁戚にあたる。.

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長瀬貞一

長瀬 貞一(ながせ ていいち、1886年(明治19年)3月15日 – 1939年(昭和14年)11月14日)は、農商務官僚、農林官僚。.

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長谷川久一

長谷川 久一(はせがわ きゅういち、1884年(明治17年)1月 - 1945年(昭和20年)は、第36代警視総監。 配偶者は、小寺泰次郎の三女昌子。.

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長谷川周重

長谷川周重(はせがわ のりしげ、 1907年8月8日 - 1998年1月3日)は、日本の実業家。元住友化学会長・社長。.

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長谷川才次

長谷川 才次(はせがわ さいじ、1903年(明治36年)10月1日 - 1978年(昭和53年)3月10日)は、時事通信社の初代代表取締役。時事画報社、内外ニュースの創業者。勲一等瑞宝章受章。 同盟通信社在職中から記者として活動し、戦後は保守系言論人としても活動した。1945年の時事通信社創業以来、四半世紀余りにわたって同社を率いたが、労使対立を招いた責任を取って1971年に辞任した。.

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長谷部言人

長谷部 言人(はせべ ことんど、1882年6月10日 - 1969年12月3日)は東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身の人類学者、解剖学者。日本学士院会員。.

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長谷部鋭吉

長谷部 鋭吉(はせべ えいきち、1885年10月7日 - 1960年10月24日)は日本の建築家、実業家。 北海道札幌市生まれ。住友総本店出身で、日建設計の母体の長谷部竹腰建築事務所の竹腰健造と共に創業者の1人である。大阪市北浜の住友ビルディング(旧住友銀行本店・現三井住友銀行大阪本店)や千代田区の日本神学校などが代表作として知られている。.

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長與又郎

長與又郎 長與 又郎(新字体:長与 又郎、ながよ またお、1878年(明治11年)4月6日 - 1941年(昭和16年)8月16日)は、日本の病理学者、男爵。癌研究の世界的権威。号は雷山。.

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長野宇平治

長野 宇平治(ながの うへいじ、慶応3年9月1日(1867年9月28日) - 昭和12年(1937年)12月14日)は、日本の建築家。日本建築士会初代会長。辰野金吾の弟子として知られ、数々の銀行建築を残した。越後国高田(現:新潟県上越市)生まれ。.

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長沢市蔵

長沢 市蔵(ながさわ いちぞう、文久2年7月22日(1862年8月17日) - 大正4年(1915年)4月)は、山梨県出身の衆議院議員(憲政本党)、第一高等学校教授。.

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長沢延子

長沢 延子(ながさわ のぶこ、1932年2月11日 - 1949年6月1日)は、日本の詩人である。群馬県出身。群馬県立桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高等学校)卒業大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)162頁。 4歳で母と死別し、12歳で伯父の養女となった。 1946年に自殺した第一高等学校生の原口統三に強く憧憬の念をいだき、服毒自殺を遂げた。戒名は美徳院温良妙延清大姉。.

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長沢規矩也

長沢 規矩也(ながさわ きくや、正字は長澤、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静盦(せいあん、「ふた」の字)、書斎号は学書言志軒(がくしょげんしけん)。歌人長澤ちづは養女。.

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酔経学舎

酔経学舎(すいけいがくしゃ)は、明治時代、秋田県仙北郡飯詰村(現美郷町)にあった私塾。漢学ほか人文科学全般さらに経済学なども講じた『仙南村郷土誌』(1992)pp.904-907。初代学長は、漢学者・漢詩人にして秋田県のジャーナリズムの草分け的存在であった狩野旭峰である。.

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難波経一

難波 経一(なんば つねかず、1901年1月11日『日外アソシエーツ whoplus』「難波経一(山陽パルプ社長,関東ラグビー協会会長)」の項-1986年2月22日)は、大正・昭和期の官僚、実業家。東京府出身。妻直子は男爵岩倉道倶の二女、岩倉具視の孫娘である人事興信所編『人事興信録 第14版 下』1943年、ナの部173頁。.

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雪ふらばふれふらばふれ

雪ふらばふれ (ゆきふらばふれ) は旧制第一高等学校の最初期の寮歌。狭義の意味での寮歌としては最初の物であるが、広義の意味では同じ一高の「花は櫻木」が先である。正式名称は、寄宿寮寮歌。.

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速水滉

速水 滉(はやみ ひろし、1876年12月23日 - 1943年6月27日)は、日本の心理学者。 岡山県出身。東京帝国大学卒業。旧制山口高等学校、第一高等学校教授、1924年京城帝国大学教授、のち総長。.

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逍遥の歌

『逍遥の歌』(しょうようのうた)は、京都大学の前身の一つである旧制第三高等学校の寮歌。歌い出しは「紅もゆる岡の花」。作詞は澤村胡夷、作曲はK.Y.。旧制第一高等学校の『ああ玉杯』、北海道帝国大学予科の『都ぞ弥生』と共に、「日本三大寮歌」に挙げられることが多い。 なお、他の旧制高等学校や旧制専門学校、大学予科の学生歌や寮歌にも『逍遥の歌』とか『逍遥歌』と称するものが存在するため、区別の必要から歌い出しをタイトルにすることがある(『紅もゆる』など)。.

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進藤純孝

進藤 純孝(しんどう じゅんこう、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)5月9日)は、東京出身の文芸評論家、随筆家、小説家。本名は若倉 雅郎(わかくら まさお)、旧姓は進藤(しんどう)。川端康成・志賀直哉・芥川龍之介などの論考や、同時代の第三の新人を含む昭和文学の評伝で知られるほか、随筆や小説も書いた。.

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逗子八郎

逗子 八郎(ずし はちろう、1903年2月23日 - 1991年7月7日)は日本の歌人、情報局官僚。本名、井上司朗。新短歌運動を推進し、1929年、短歌誌「短歌と方法」を主宰した。.

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陸軍士官学校 (日本)

軍士官学校(りくぐんしかんがっこう、陸軍士官學校)は、大日本帝国陸軍において現役兵科将校を養成する教育機関(軍学校)のこと。通称・略称は陸士(りくし)、士官学校。英語圏では、Imperial Japanese Army Academyとして知られている。.

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M検

1941年頃の日本で行われていた徴兵検査の光景 M検(エムけん)とは、戦前の軍隊・学校・刑務所などで行われた男性の生殖器露出検査を意味する俗語である。 サンスクリット語の男根を意味する「魔羅」に由来する「M」や英語の" Membrum "の頭文字から由来する「M」から取ったものと言われ、男性器を検査することを「M検」と呼ばれるようになった。 M検は1871年春に大阪兵学寮で行われた日本で最初の徴兵検査が始まりである。 この検査を実施したのは堀内利國、長瀬時衡らが、オランダ軍医のアントニウス・ボードウィンからの助言でオランダの海陸軍撰兵検査条例を参考とし、疾病や欠損があれば兵役に適さない者として除外を目的としたものである。集団生活を送る軍隊にとっては性病の蔓延は規律や風紀を乱すものとして厳しく取り締まらなければならない重要事項であるからである。 M検査は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。 「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。 学校では旧制熊本高等学校で入学志願者に対して身体検査の一部として取り入れていたが、1907年に旧制第一高等学校の入学志願者に身体検査の一部として実施したことから、その後、本格化し、全国的に旧制高等学校だけでなく師範学校、大学予科や専門学校まで拡がり、男子入学志願者を対象にM検が行われるようになった。 これは旧制第一高等学校で前年の1906年に在校生を対象に検尿を行ったところ、30~40%の学生が花柳病に罹患していたことが判明し、学生風紀の乱れを正す意味で、花柳病患者は「素行不良者」として高等学校に入学させない方針が採用されたからである。 登楼するような人物は「将来あるエリートとして教育を受ける資格はない」と高等学校が判断したことである。花柳病の罹患の跡があれば例え治癒していたとしても不合格とさせる程の厳格な検査が行われ、身体検査の枠を超えて素行調査の意味合いを持たせていた。M検は花柳病の罹患の他に泌尿器病として、尿、皮膚病、精索静脈瘤、鼠径ヘルニア、色素沈着、包茎、恥垢の検査項目があった。 作家、外村繁は私小説「澪標」で国民徴用令の予備検査で町医者から「ひどい包茎だね」と指摘され、第三高等学校試験の身体検査では医師から「自慰をしているな」と言い渡され、屈辱的な感情で検査場を去った記述がある。同じく、作家の野呂邦暢の私小説「草のつるぎ」で医師に性器を絞り上げられることで娑婆と決別し別世界に這い入ったことを描写している。 このM検は戦後、人権意識の高まりや売春防止法の成立により東京大学では1957年の入学試験で廃止され、他の大学でも次第に廃止されたが、一部の大学では愛媛県の松山商科大学が1970年代まで行っていた。自衛隊では男子自衛官の身体検査として行われていたが、現在では問診で代用されている。広島県警で1988年に採用試験で性病検査の目的で下半身の触診を行ったことで部落解放同盟から人権侵害であるとの申し入れがあった。.

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押川清

押川 清(おしかわ きよし、1881年(明治14年)1月1日 - 1944年(昭和19年)3月18日)は日本のアマチュア野球選手。 早稲田大学野球部の三代目主将を務め、日本初のプロ野球チームである「日本運動協会」(芝浦協会)や、「名古屋軍」(中日ドラゴンズの前身)、「後楽園イーグルス」などの創設者としても知られる。 父は牧師で東北学院創設者でもある押川方義、兄は冒険小説家の押川春浪。長男は劇作家の押川昌一。.

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押川春浪

押川 春浪(おしかわ しゅんろう、1876年(明治9年)3月21日 - 1914年(大正3年)11月16日)は日本の冒険小説作家、SF作家。愛媛県出身、本名は方存(まさあり)。冒険小説のジャンルを定着させ、雑誌『冒険世界』『武侠世界』で主筆を務めて多くの後進の作家、画家育成に尽力した。.

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折原巳一郎

折原 巳一郎(おりはら みいちろう、明治2年8月7日(1869年9月12日) - 1933年(昭和8年)11月13日)は、日本の内務官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。.

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折田彦市

折田 彦市(おりた ひこいち、嘉永2年1月4日(1849年1月27日) - 1920年(大正9年)1月26日)は、明治時代に活動した日本の教育者・文部官僚。旧制第三高等学校(三高)の初代校長として知られている。その前身校も含めれば約30年間にわたって三高の校長を務め、同校の「自由の学風」を築いたとされる。.

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柳井恒夫 (外交官)

柳井 恒夫(やない ひさお、1895年(明治28年)11月6日『日本近現代人物履歴事典』534頁。 - 1981年(昭和56年)7月21日)は、大正・昭和期の外交官、弁護士。.

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柳田國男

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた牧田茂『柳田國男』(中公新書、1972年)。 「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。.

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柳田誠二郎

柳田 誠二郎(やなぎた せいじろう、1893年(明治26年)9月2日 - 1993年(平成5年)11月18日)は、日本の実業家。日本航空社長を務めた。.

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柳澤健

柳澤 健(やなぎさわ たけし、1889年(明治22年)11月3日 - 1953年(昭和28年)5月29日)は、日本の外交官、詩人。.

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柴生田稔

柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。.

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柴田善三郎

柴田 善三郎(しばた ぜんざぶろう、1877年11月 - 1943年8月25日)は、日本の官僚。静岡県出身。.

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柴田雄次

柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年1月28日 - 1980年1月28日)は、東京府出身の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。.

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柴田桂太

柴田 桂太(しばた けいた、1877年9月20日-1949年11月19日)は、日本の植物生理学者・生化学者・微生物化学者。薬学者柴田承桂の長男。弟に化学者柴田雄次がいる。文化功労者・薬学者柴田承二の父。.

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柿沼竹雄

柿沼 竹雄(かきぬま たけお、1868年 8月20日(慶応4年7月3日)『人事興信録』第5版、か133-134頁。 - 1951年(昭和26年)『栃木県歴史人物事典』179頁。)は、日本の文部・内務官僚。官選県知事。.

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林健太郎 (歴史学者)

林 健太郎(はやし けんたろう、1913年1月2日 - 2004年8月10日)は、昭和期に活動した日本の歴史学者(近代ドイツ史専攻)、評論家。東京大学教授・文学部長・総長を務めた。参議院議員を一期務めている。.

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林義郎

林 義郎(はやし よしろう、1927年(昭和2年)6月16日 - 2017年(平成29年)2月3日)は、日本の元政治家、通産官僚。自由民主党所属の元衆議院議員。第1次中曽根内閣の厚生大臣、宮澤改造内閣の大蔵大臣を歴任した。また、日中友好会館会長を務めた。.

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林達夫

林 達夫(はやし たつお、1896年11月20日 - 1984年4月25日)は、日本の思想家、評論家。西洋精神史、文化史、文明史にわたる著作が多い。.

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林茂

林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7月3日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専門は日本政治史。和歌山県生まれ。.

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林若樹

林 若樹(はやし わかき、1875年1月16日 - 1938年7月12日)は明治時代から昭和時代初期にかけての収集家。本名は若吉。父は林研海、伯父に松本良順がいる。.

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林敬三

林 敬三(はやし けいぞう、1907年(明治40年)1月8日 - 1991年(平成3年)11月12日)は、日本の内務官僚、陸上自衛官。東京帝国大学卒業(法学部卒)。初代統合幕僚会議議長。第11代日本赤十字社社長。陸軍中将林弥三吉の息子である。正三位勲一等旭日大綬章。 警察予備隊中央本部長から数えて、14年間もの長期間に渡って自衛隊の頂点にあった。自衛隊創設初期においては旧内務官僚出身者が要職を占め、特に陸上自衛隊においては「内務軍閥」とも呼ばれる勢力が出来上がり、その後の旧陸軍出身幹部との主導権争いの要因の一つとなった。そのため、本来は「選挙を通じて国民から信託された政治家による、民主的正統性(正当性)をもった軍事力(≒防衛官庁および自衛隊)の統制」を意味する『文民統制の原則』が、「文官(官僚)による武官の統制」(文官統制)とされる誤った解釈と運用がまかり通るようになり、その影響は警察予備隊時代から数えると創設から65年にわたり残存することとなった(内局の問題。シビリアンコントロール、日本国憲法第66条も参照)。.

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恩地孝四郎

恩地 孝四郎(おんち こうしろう、1891年(明治24年)7月2日 - 1955年(昭和30年)6月3日)は、東京府南豊島郡淀橋町出身の版画家・装幀家・写真家・詩人。長女は児童文学翻訳家の恩地三保子。 創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている横浜美術館『恩地孝四郎 - 色と形の詩人』13頁。前衛的な表現を用いて、日本において版画というジャンルを芸術として認知させるに至った功績は高く評価されている。.

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恩田経介

恩田 経介(おんだ きょうすけ、1888年4月10日 - 1972年4月18日)は、日本の植物学者。旧姓は小山。.

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恒藤恭

恒藤 恭(つねとう きょう、男性、1888年12月3日 - 1967年11月2日)は、日本の法哲学者。大阪市立大学名誉教授。法学博士。従三位勲二等旭日重光章。学士院会員。芥川龍之介の親友、戦前における日本の代表的法哲学者として著名。また、京都帝国大学法学部教授時代に瀧川事件で辞任した教官の一人としても知られる。旧姓は井川。息子の恒藤敏彦は京都大学名誉教授(物理学)、恒藤武二は同志社大学法学部教授(法哲学と労働法担当)。.

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李家隆介

李家 隆介(りのいえ たかすけ、慶応2年8月(1866年) - 1933年7月23日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、錦鶏間祗候、下関市長。.

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東季彦

東 季彦(あずま すえひこ、1880年(明治13年)1月 - 1979年(昭和54年)7月18日)は、日本の法学者、出版事業家。旧姓乾(いぬい)。商法の権威として知られた。佐佐木信綱門下の歌人でもある。.

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東久世秀雄

東久世 秀雄(ひがしくぜ ひでお、1878年(明治11年)7月19日 - 1951年(昭和26年)11月18日『平成新修旧華族家系大成』下巻、386頁。)は、日本の農商務・宮内官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。.

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東京大学

記載なし。

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東京大学 (1877-1886)

東京大学(とうきょうだいがく)は、明治政府によって1877年(明治10年)4月に設立された日本最初の(官立)大学であり、1886年3月に帝国大学(のち東京帝国大学と改称)に改編されるまで存続した。この時期の「東京大学」を、現在の新制東京大学と区別するため、特に「旧東京大学」と称する場合もある。 加藤弘之 / 東京大学法理文三学部綜理、ついで初代東京大学「総理」。事実上の初代東大学長である.

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東京大学 (曖昧さ回避)

東京大学(とうきょうだいがく):.

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東京大学の建造物

東京大学の建造物(とうきょうだいがくのけんぞうぶつ)では、東京大学の敷地内にある建造物について解説している。.

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東京大学大学院総合文化研究科・教養学部

東京大学大学院総合文化研究科(とうきょうだいがくだいがくいんそうごうぶんかけんきゅうか、英語表記:Graduate School of Arts and Sciences)は、東京大学に設置される大学院研究科の一つである。また、東京大学教養学部(とうきょうだいがくきょうようがくぶ、英語表記:College of Arts and Sciences)は、東京大学に設置される学部の一つである。いずれも、キャンパスの所在地名から駒場と呼ばれる。 教養学部の教育課程は、前期課程と後期課程に分かれている。総合文化研究科と教養学部は一体となって運営されているため、この記事で合わせて解説する。.

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東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部

東京大学大学院農学生命科学研究科(とうきょうだいがくだいがくいんのうがくせいめいかがくけんきゅうか、英称:Graduate School of Agricultural and Life Sciences)は、東京大学に設置される大学院研究科の一つである。また、東京大学農学部(とうきょうだいがくのうがくぶ、英称:Faculty of Agriculture)は、東京大学に設置される学部の一つである。.

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東京大学運動会ア式蹴球部

東京大学運動会ア式蹴球部(とうきょうだいがくうんどうかいあしきしゅうきゅうぶ、Tokyo University Association Football Club)は、東京都文京区にある東京大学のサッカー部。 東大サッカー部と通称される。 「ア式蹴球」とはアソシエーション式フットボールの略で、サッカーのことである。.

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東京大学運動会硬式野球部

東京大学運動会硬式野球部(とうきょうだいがくうんどうかいこうしきやきゅうぶ、The University of Tokyo, Baseball Club)は、東京六大学野球連盟に所属する大学野球チーム。東京大学の学生によって構成されている。同大学には東京大学運動会準硬式野球部など別の野球部も存在するが、硬式野球部のことを指して「東京大学野球部」、「東大野球部」と略称することが多い。.

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東京大学駒場寮

入寮募集期の北寮入口 会議室、通称ピンクルーム。昭和18年12月の落書、学徒出陣式の2ヶ月後である。 東京大学 駒場寮(とうきょうだいがく こまばりょう)とは、東京大学駒場Iキャンパス東部にかつて存在した学生自治寮である。建設当初から1950年の学制改革による改組までは旧制第一高等学校の駒場寄宿寮だった高橋健而老『回想の東大駒場寮』1994年 p12-17。東大紛争などで急進派学生の拠点のひとつになった。駒場Iキャンパス再整備計画の一環として1991年から廃寮がすすめられていたが、2001年8月22日に強制執行が行われるまで大学と自治会のあいだで建物の明け渡しについて争われた。廃寮後跡地に駒場コミュニケーション・プラザが建てられた。.

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東京大学駒場地区キャンパス

東京大学 駒場地区キャンパス(とうきょうだいがく こまばちくキャンパス)は、東京都目黒区駒場に所在する東京大学のキャンパスの一つであり、同大学の本郷地区キャンパス・柏地区キャンパスと並ぶ規模をもつ。「駒場キャンパス」あるいは「駒場」とも呼ばれる。.

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東京大学本郷地区キャンパス

東京大学 本郷地区キャンパス(とうきょうだいがく ほんごうちくキャンパス)は、東京都文京区本郷・弥生に所在する東京大学のキャンパスの一つである。東京大学の本部が設置されており、同大学の駒場地区キャンパス・柏地区キャンパスと並ぶ規模をもつ。 「本郷キャンパス」あるいは「本郷地区」とも呼ばれる。なお、「本郷キャンパス」および「本郷地区」は、本郷地区キャンパスの一部である本郷キャンパス(後述)のみを指すこともあるので注意を要する。.

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東京外国語学校 (旧制)

二葉亭四迷 / 旧外語の併合・廃止に反対し中退、のち新東京外語の教官を短期間務めた 旧制東京外国語学校(きゅうせいとうきょうがいこくごがっこう)は、1899年(明治32年)4月東京市に設立された旧制専門学校である。略称は「東京外語」。 この項では前身である1873年設立の「(旧)東京外国語学校」(旧外語)および改称(1944年)後の「東京外事専門学校」(東京外専)も含め記述する。.

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東京高等学校 (旧制)

旧制東京高等学校(きゅうせいとうきょうこうとうがっこう)は、1921年(大正10年)11月に設立された官立の旧制七年制高等学校。略称は「東高」(とうこう / とんこう)。名称を巡っては、同じく七年制で日本初の私立高校である旧制武蔵高等学校が当初は「東京高等学校」とする予定であったのを、同時期に設立が決まった官立の本校に譲ったという経緯がある。.

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東京高等農林学校

東京高等農林学校(とうきょうこうとうのうりんがっこう)は、1935年(昭和10年)に設立された高等農林学校。農林系旧制専門学校。新制東京農工大学の母体となった。.

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東京農林学校

東京農林学校(とうきょうのうりんがっこう)は、日本の旧制教育機関。 現在の東京大学農学部の前身に当たる農学に関する日本の総合教育・研究機関で、後進の帝国大学農科大学、東京帝国大学農学部からさらに筑波大学生命環境学群生物資源学類、東京農工大学農学部が発祥する。.

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東京農業教育専門学校 (旧制)

東京農業教育専門学校(とうきょうのうぎょうきょういくせんもんがっこう)は、かつての農業教員養成機関としての農林系旧制専門学校。筑波大学生物資源学類の前身となった学校で、帝国大学農科大学付属の農業教員養成所を母体としている。当時、農林学校の教員養成を行っていたのはこの農業教員養成所だけであった。 関東大震災後、第一高等学校と東京帝国大学との敷地交換による農学部の本郷への統合移転構想と文部省の制度改革のあおりを受け、1937年、駒場に残って開校した。 独立に至った背景には、移転構想が1931年に決定し1935年までに移転することとなったが、この時期文部省は教員養成制度改革で制度一本化する構想から、養成所の廃止論が浮上したことによる。結局、関係者や卒業生などの反対運動で撤回され、代わりに単独学校という形での存続が決定された。1898年前後から旧制高等学校レベルの農林系専門学校設立への動きが活発化し、1898年の全国農学校長会議でも「高等学校程度の農学校設立に関する建議」が採択されている。この時農業学校教員の確保に関しても建議がなされる。農業学校教員の養成機関不足は以前から指摘されていたのである。 なお、東京帝国大学農科大学・農学部の付属学校を母体とした専門学校で同時期に発足したもう一方の東京高等農林学校は高等農林学校の系統になるが、この学校は戦前を通して師範学校系か農林学校系かあいまいなままであった。 開校時は本科一科のみであったが、その後農と林、農業化学、農業工学、農村経済という5学科編成に改組されている。この学校は戦後の学制改組で東京教育大学に包括された。.

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東京都立墨田川高等学校

東京都立墨田川高等学校(とうきょうとりつすみだがわこうとうがっこう)は、東京都墨田区東向島に所在する都立高等学校。学生や関係者からは七高・墨高(すみこう)の愛称で親しまれる。.

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東京都立大塚ろう学校

東京都立大塚ろう学校(とうきょうとりつ おおつかろうがっこう)は、東京都豊島区巣鴨四丁目にある都立特別支援学校。.

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東京都立大学

東京都立大学の学校名標 2005年4月1日の首都大学東京開学に伴い、2011年3月31日閉学した。大学そのものはなくなったが東急東横線に都立大学駅の名称は残っている。.

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東京都立工業高等専門学校

東京都立工業高等専門学校(とうきょうとりつこうぎょうこうとうせんもんがっこう)は、かつて東京都品川区東大井に存在した都立高等専門学校。英語表記は Tokyo Metropolitan College of Technology で、略称はTMCT。2010年3月31日をもって閉校した。.

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東京都立九段高等学校

東京都立九段高等学校(とうきょうとりつ くだんこうとうがっこう)は、かつて東京都千代田区九段北二丁目に存在した都立高等学校。.

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東京都立第一商業高等学校

東京都立第一商業高等学校(とうきょうとりつだいいちしょうぎょうこうとうがっこう)は、東京都渋谷区鉢山町に所在する都立商業高等学校。通称は都立一商であるが、多くの在校生や第一商業高等学校を知る企業・大学の関係者らは一商、あるいは第一商業と呼んでいる。.

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東京都立産業技術高等専門学校

東京都立産業技術高等専門学校(とうきょうとりつ さんぎょうぎじゅつこうとうせんもんがっこう、Tokyo Metropolitan College of Industrial Technology)は、東京都品川区および荒川区にキャンパスがある公立高等専門学校。東京都立工業高等専門学校と東京都立航空工業高等専門学校の統合により2006年(平成18年)4月に設置された。略称は「都立産技高専」(TMCIT)。.

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東京都立戸山高等学校

東京都立戸山高等学校(とうきょうとりつとやまこうとうがっこう)は、東京都新宿区戸山に所在する、全日制普通科の都立高等学校。.

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東京都立日比谷高等学校

東京都立日比谷高等学校(とうきょうとりつひびやこうとうがっこう)は、東京都千代田区永田町二丁目にある全日制普通科の都立高等学校。.

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東京都立日比谷高等学校の人物一覧

東京都立日比谷高等学校人物一覧(とうきょうとりつひびやこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立日比谷高等学校およびその前身校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。 ※全般的に多数につき各分野内において省略した。括弧内は卒業年。ただし、中途退学者等は例外あり。.

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東京英語学校

東京英語学校(とうきょう えいごがっこう).

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東龍太郎

東 龍太郎(あずま りょうたろう、1893年(明治26年)1月16日 - 1983年(昭和58年)5月26日)は、日本の医学者・官僚。東京大学名誉教授。 東京都知事(第4・5代)、日本赤十字社社長(第10代)等を歴任した。 位階勲等は正三位勲一等旭日桐花大綬章。学位は医学博士(東京帝国大学)。称号は東京都名誉都民、日本赤十字社名誉社長等。 父・藤九郎は医師。弟の東武雄は、東大野球部の投手として活躍。妻は東京帝国大学総長を務めた山川健次郎(枢密顧問官、男爵)の三女・照子。.

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東郷文彦

東郷 文彦(とうごう ふみひこ、旧姓:本城、 1915年(大正4年)8月18日 - 1985年(昭和60年)4月9日)は、日本の昭和時代の外交官、官僚。旧姓は本城。外務省事務次官、駐アメリカ大使を務めるなど日本の戦後外交におけるアメリカスクール外交官の重鎮の一人であった。 東郷茂徳の娘だった東郷いせと結婚し婿入りして東郷になった。.

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東野芳明

東野 芳明(とうの よしあき、1930年9月28日 - 2005年11月19日)は、東京都出身の美術評論家。.

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東武雄

東 武雄(あずま たけお 1901年-1945年11月2日)は、日本の元アマチュア野球選手。身長5尺8寸、体重20余貫。右投。大阪府出身。戦後、東京都知事を務めた東龍太郎は兄に当たる。.

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東洋大学京北中学高等学校

東洋大学京北中学高等学校(とうようだいがくけいほくちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山二丁目(東洋大学白山第2キャンパス跡地)に所在する私立中学校・高等学校。2015年に、名称を「京北中学校・高等学校」から変更した。高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、第2学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校である。.

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東慶寺

東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。現在は円覚寺末の男僧の寺であるが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった寺を指して御所と呼ぶものの初出は1667年(寛文7年)の銅製燈明蓋の銘文であり「鎌倉御所之塔頭二老海珠庵」とある(井上禅定1955 p.39)。現存する中で最古の寺法離縁状は1738年(元文3年)のものであるが、そこでも寺を指して「松ヶ岡御所様」と記している(高木侃2012 p.26)。。また江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた。.

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松坂佐一

松坂 佐一(まつさか さいち、1898年11月13日 - 2000年3月11日)は、日本の民法学者。現在の倉敷市生まれ。名古屋大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。.

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松尾義夫

松尾 義夫(まつお よしお、1876年(明治9年)11月22日『平成新修旧華族家系大成』下巻、572-573頁。 - 1946年(昭和21年)6月23日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』85頁。)は、明治から昭和期の薬剤師、政治家、華族。貴族院男爵議員。.

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松尾聰

松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉9月28日 - 1997年〈平成9年〉2月5日)は、日本文学者。学習院大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専攻は平安時代文学。 東京大学教授池田亀鑑に師事。学習院高等科の教授時代、教え子に三島由紀夫がいた。5男・松尾光は日本古代史研究者で、博士(史学)号取得者。.

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松岡均平

松岡 均平(まつおか きんぺい、1876年11月28日 - 1960年6月10日)は、法学博士。男爵・松岡康毅の長男。男爵、貴族院議員。東京帝国大学法科教授。.

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松岡譲

松岡 譲(まつおか ゆずる、1891年9月28日 - 1969年7月22日)は、日本の小説家。旧名は松岡 善譲(ぜんじょう)。.

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松島寛三郎

松島寛三郎(まつしま かんざぶろう、1875年4月1日 - 1956年4月22日)は、日本の鉄道技術者・鉄道官僚。京阪電気鉄道常務取締役。.

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松島肇

松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 1961年4月15日)は、日本の外交官。.

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松川道哉

松川 道哉(まつかわ みちや 1924年12月22日 - 2000年11月16日)は、福島県出身の元大蔵官僚。元財務官。.

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松下一

松下 一(まつした ひとし『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』574頁。 / はじめ『新編日本の歴代知事』931頁。、1904年(明治37年)9月 - 1986年(昭和61年)4月12日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選愛媛県知事。.

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松下康雄

松下 康雄(まつした やすお、1926年1月1日 -)は、兵庫県神戸市出身の第27代日本銀行総裁。元大蔵事務次官。.

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松下和則

松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労勲章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。 ヴィクトル・ユゴーなどフランス・ロマン派を専門とした。『スタンダード仏和辞典』などの編纂にも携わった。.

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松平恆雄

松平 恆雄(まつだいら つねお、恒雄、1877年(明治10年)4月17日 - 1949年(昭和24年)11月14日)は、日本の外交官、政治家。.

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松井茂

松井 茂(まつい しげる、1866年11月4日(慶応2年9月27日) - 1945年(昭和20年)9月9日)は、日本の内務官僚、政治家。.

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松田二郎

松田 二郎(まつだ じろう、1900年7月30日 - 1988年4月3日)は最高裁判所判事。静岡県出身。.

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松田竹太郎

松田 竹太郎(まつだ たけたろう、1887年(明治20年)1月16日 - 1944年(昭和19年)5月8日)は、日本の工学者・海軍軍人。最終階級は、海軍少将。 東京府立工業奨励館・東京商工奨励館館長などを歴任。.

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松隈秀雄

松隈 秀雄(まつくま ひでお、1896年6月10日 - 1989年9月30日)は、日本の大蔵官僚。大蔵次官、日本専売公社総裁。.

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松阪広政

松阪 広政(まつざか ひろまさ、1884年(明治17年)3月25日 - 1960年(昭和35年)1月5日)は、太平洋戦争時の司法大臣。A級戦犯として戦後、逮捕された。.

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松野クララ

松野 クララ(まつの クララ、独語名: Clara Louise Zitelmann(クララ・チーテルマン)、1853年8月2日 - 1931年)は、明治時代の幼児教育者。ベルリン生まれのドイツ人女性。.

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松根東洋城

金剛山大隆寺) 松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。.

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松永信雄

松永 信雄(まつなが のぶお、1923年(大正12年)1月16日 - 2011年(平成23年)12月1日、満88歳没)は、日本の外交官、外務省官僚。外務事務次官、駐アメリカ合衆国大使を歴任。.

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松江高等学校 (旧制)

旧制松江高等学校 (きゅうせいまつえこうとうがっこう) は、島根県に設立された官立の旧制高等学校。略称は 「淞高」 (しょうこう)。.

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松波仁一郎

松波 仁一郎(まつなみ にいちろう、1868年1月25日(慶応4年1月1日) - 1945年(昭和20年)11月3日)は、日本の法学者。専門は海商法。大阪府出身。民法典・商法典起草補助委員の一人。.

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松本俊一

松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年6月7日 – 1987年1月25日)は、昭和期の外交官・政治家。.

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松本烝治

松本 烝治(まつもと じょうじ、明治10年(1877年)10月14日 - 昭和29年(1954年)10月8日)は、日本の商法学者(憲法学者ではない)。東京府士族『人事興信録.

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松本重雄

松本重雄(まつもと しげお 1908年4月15日 - 1992年11月14日)は、日本銀行の理事。.

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松本重治

松本 重治(まつもと しげはる、1899年〈明治32年〉10月2日 - 1989年〈平成元年〉1月10日)は、日本のジャーナリスト。財団法人国際文化会館の理事長。アメリカ学会の会長。.

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松本源太郎

松本 源太郎(まつもと げんたろう、安政6年3月11日(1859年4月13日) - 大正14年(1925年)10月29日)は、日本の教育者。宮中顧問官。.

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松本文三郎

松本 文三郎(まつもと ぶんざぶろう、1869年(明治2年5月) - 1944年12月18日)は、インド文化・仏教美術史学者。 加賀国金沢(現石川県金沢市)生まれ。1893年帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)を卒業後、第一高等学校教授、1899年文学博士。1906年京都帝国大学文科大学インド哲学史教授、1908年〜1915年文科大学長、1929年定年退官、名誉教授。1919年帝国学士院会員。1938年東方文化研究所所長。「日本大蔵経」の編集、インド・中国の仏教遺跡調査にあたった。.

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松月秀雄

松月 秀雄(まつづき ひでお、1892年9月18日 - 1993年)は、日本の教育学者。文学博士。東京理科大学学長。.

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松浦寅三郎

松浦 寅三郎(まつうら とらさぶろう、1886年9月12日(慶応2年8月4日) - 1947年(昭和22年)1月15日)は、日本の教育者。女子学習院初代院長。.

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松浦嘉一

松浦 嘉一(まつうら かいち、1891年9月1日 - 1967年8月7日)は、英文学者。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、1916年東京帝国大学英文科卒。夏目漱石門下に連なり、1920年法政大学予科教授、25年東京高等学校教授、第一高等学校教授、1949年東京大学教養学部教授。51年お茶の水女子大学教授、56年定年、57年東京女子大学教授、62年退任、63年鶴見女子大学教授。ジョン・ダンを専門とする。岳父は教育者の巖本善治。.

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松浦鎮次郎

松浦 鎮次郎(まつうら しげじろう、明治5年1月10日(1872年2月18日) - 1945年9月28日)は、日本の文部官僚、教育者、政治家。.

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板垣武四

板垣 武四(いたがき たけし、1916年2月13日 - 1993年8月12日)は1971年初当選の第7代札幌市長。北海道上川郡和寒町出身。.

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村山知義

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 息子の村山亜土は児童劇作家。.

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村山達雄

村山 達雄(むらやま たつお、1915年(大正4年)2月8日 - 2010年(平成22年)5月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 衆議院議員(12期)、大蔵大臣(第82代・第91代・第92代)、厚生大臣(第65代)を歴任。税制通で知られ、消費税導入にもかかわった。.

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村岡範為馳

村岡 範為馳(むらおか はんいち、1853年2月14日(嘉永6年10月14日) - 1929年(昭和4年)4月20日)は明治時代の日本の物理学者。理学博士。 東京大学教授、東京数学物理学会(日本数学会および日本物理学会の前身)初代委員長、第一高等中学校(東京大学教養学部の前身)、女子高等師範学校(お茶の水女子大学の前身)教頭、東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)校長、第三高等学校(京都大学の前身の一つ)工学部主事、京都帝国大学教授を歴任した。 日本人として初めて外国の学術雑誌に主著論文が掲載されるとともに、ドイツ(当時)のシュトラスブルク大学で博士号を取得した。また、国内で初めてX線写真の撮影に成功している。近代日本の物理学分野において、教育・研究の両面で大きな役割を果たした。.

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村上孝太郎

村上 孝太郎(むらかみ こうたろう、1916年(大正5年)6月29日 - 1971年(昭和46年)9月8日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』422頁。)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(1期)。位階は従三位、勲等は勲二等。.

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村上信二郎

村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)11月27日 - 1972年(昭和47年)8月26日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(2期)。従四位勲三等。.

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村上直次郎

村上 直次郎(むらかみ なおじろう、1868年2月26日(慶応4年2月4日) - 1966年(昭和41年)9月17日)は明治時代から昭和時代にかけての日本の歴史学者。文学博士。.

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村井八郎 (内務官僚)

村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月24日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。衆議院議員、福島県知事、郡山市長、川崎市長、会津若松市長を歴任した。旧姓・阿部。.

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村田勉

村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日的川泰宣「」 - 宇宙航空研究開発機構 - 2000年1月?)は、日本の技術者、実業家。火薬の専門家として知られ、日本海軍では艦砲の火薬や固体燃料ロケットの研究をおこない、戦後は日本油脂に勤務し、糸川英夫のペンシルロケットに推進剤を提供した。のちに日本油脂の社長・会長を務める。.

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村田恒 (官僚)

村田 恒(むらた ひさし 1910年11月2日 - 1998年11月14日)は、日本の通産官僚。元日本貿易振興会(ジェトロ)理事長。東京市(現 千代田区)出身。1984年 勲二等旭日重光章。.

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村田正太

村田 正太(むらた まさたか、1884年10月5日 - 1974年12月20日)は、日本の医師、医学研究者。梅毒血清反応「村田法」の創始者。ハンセン病研究者。エスペランティスト。1926年から1933年まで大阪府外島保養院院長を務めたが、外島事件で辞任した。患者を一人の人間として対等に「キミ」と呼び、遇したのは当時としてはたいへん珍しい。その後職に就かず、神奈川県二宮町で個人的研究生活に入る。.

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村田治郎

村田 治郎(むらた じろう、1895年9月23日 - 1985年9月22日) は、建築史家。京都大学名誉教授、明石工業高等専門学校名誉教授 。工学博士(京都帝国大学、1932年)(学位論文「東洋建築系統史論」)。山口県生まれ。 専門は、東洋建築史。中国建築の研究を重点に据え、中国に隣接した地域(インド、イラン、朝鮮など)と日本の関係を広い視野から捉え、建築文化の交渉に関心をむけていた。.

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村松剛

村松 剛(むらまつ たけし、1929年3月23日 - 1994年5月17日)は日本の評論家、フランス文学者。筑波大学名誉教授。立教大学、京都産業大学、筑波大学、杏林大学の各教授を歴任。 女優の村松英子は妹。.

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杉宜陳

杉 宜陳(すぎ よしのぶ、1888年(明治21年)11月6日『伊予の事業と人物』p.126 - 1949年(昭和24年)4月2日)は、日本の衆議院議員(中正倶楽部→立憲政友会)、弁護士。.

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杉山好

杉山 好(すぎやま よしむ、1928年 - 2011年9月10日)は、ドイツ文学、キリスト教学者。東京大学教養学部名誉教授。.

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杉山和男

杉山 和男(すぎやま かずお、1927年4月30日 - )は、日本の官僚。通商産業事務次官。.

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杉山四五郎

杉山 四五郎(すぎやま しごろう、1870年(明治3年)1月6日『日本人名大辞典』1007頁。『日本近現代人物履歴事典』280頁では明治3年1月3日。) - 1928年(昭和3年)6月13日)は、日本の内務官僚、政治家。政友会系府県知事、衆議院議員。.

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杉田直樹

杉田 直樹(すぎた なおき、1887年9月3日 - 1949年8月29日)は、日本の医学者、精神科医。 東京府出身。第一高等学校を経て、東京帝国大学卒。欧米に留学。東京帝国大学助教授、松沢病院副院長、1931年名古屋医科大学教授、戦後名古屋大学教授となるがほどなく死去した。 高校在学時代の友人に谷崎潤一郎がいた。妹の息子に小田切秀雄、小田切進がいる。.

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杉田盛

杉田 盛(すぎた さかり、元治元年5月27日(1864年6月30日) - 1934年(昭和9年)3月6日)は戦前日本の開業医。幼少期を沼津で過ごし、上京して医学を修め、神戸・丹後・隠岐島・盛岡で病院院長を歴任し、横浜、大森に医院を構えた。号は東江・峯州医生・梅所・槑翁。杉田玄白4世孫。.

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杉村陽太郎

杉村 陽太郎(すぎむらようたろう 1884年(明治17年)9月28日 - 1939年(昭和14年)3月24日)は、大正、昭和の外交官、IOC委員。.

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杉本甫

杉本 甫(すぎもと はじめ、1910年8月8日 - )は、日本の実業家で、市川毛織(現・イチカワ)顧問。東京府(現・東京都)出身。.

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杉浦喬也

杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 -2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年-1987年)。従三位勲一等。.

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杉浦重剛

杉浦 重剛(すぎうら じゅうごう、安政2年3月3日(1855年4月19日)- 大正13年(1924年2月13日)は、明治・大正時代の国粋主義的教育者・思想家。幼名は謙次郎。父は膳所藩の儒者杉浦重文。近江国膳所藩(現・滋賀県大津市)出身。 若き日の昭和天皇、秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王の3兄弟に帝王学の一環として倫理を進講する。号は梅窓または天台道士。学生時の渾名は紙魚(しみ)。後に『人格高邁の国士』と評される。理学宗の世界観を確立。.

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杉浦正健

杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年7月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の元衆議院議員(6期)、第77代法務大臣。愛知政治大学院名誉学長。.

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杉浦武雄

杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月20日 - 1963年9月12日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。正四位勲二等。.

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杉浦明平

杉浦 明平(すぎうら みんぺい、1913年(大正2年)6月9日 - 2001年(平成13年)3月14日)は、日本の小説家、評論家。 .

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杉敏介

杉 敏介(すぎ としすけ、1872年5月28日 - 1960年7月2日)は、日本の教育者。第一高等学校、国文教授 - 校長。通称は"びんすけ"。夏目漱石『吾輩は猫である』の津木ピン助のモデル。歌人としても知られ、号は烏山。.

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栃内一彦

栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年8月28日 - 2009年11月8日)は、日本の官僚、実業家。第10代海上保安庁長官。.

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栗原美能留

栗原 美能留(くりはら みのる、1902年(明治35年)7月31日 - 1997年(平成9年)4月24日『日本近現代人物履歴事典』200頁。)は、日本の内務官僚。官選高知県知事。.

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栗山茂

栗山 茂(くりやま しげる 1886年10月6日 - 1971年2月3日)は、日本の最高裁判所判事(任期は1947年8月4日 - 1956年10月5日)。.

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栗栖弘臣

栗栖 弘臣(くりす ひろおみ、1920年(大正9年)2月27日 - 2004年(平成16年)7月19日)は、日本の内務官僚、海軍軍人及び陸上自衛官。第12代陸上幕僚長、第10代統合幕僚会議議長。 自衛隊制服組トップの統幕議長だった1978年(昭和53年)、週刊誌上でいわゆる超法規発言を行い事実上の解任をされた。.

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桝居孝

桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、児童文化史研究家。 東京に生まれ、神奈川県鎌倉市、藤沢市で育つ。第一高等学校卒、東京帝国大学法学部法律学科卒業。公務員として自治省、神奈川県、鹿児島県、大阪府に30年勤務。日本赤十字社職員として大阪府支部、日赤本社に十余年勤務。大阪府教育長在職中に大阪府立国際児童文学館の設立に関与。2011年『日本最初の少年少女雑誌『ちゑのあけぼの』の探索 「鹿鳴館時代」の大阪、京都、神戸』で日本児童文学学会特別賞受賞。.

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桜井安右衛門

桜井 安右衛門(さくらい やすうえもん、1898年(明治31年)1月3日 - 1994年(平成6年)8月9日『現代物故者事典 1994-1996』257頁。)は、日本の内務・厚生官僚。官選栃木県知事。.

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桜井小太郎

桜井 小太郎(さくらい こたろう、明治3年9月11日(1870年10月5日) - 昭和28年(1953年)11月11日)は日本の建築家。日本人初の英国の王立建築家協会建築士である。.

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桜田武

櫻田 武(さくらだ たけし、1904年(明治37年)3月17日 - 1985年(昭和60年)4月29日)は、昭和の経営者。日清紡績(現・日清紡ホールディングス)元社長。日清紡績"中興の祖"#人国記、56-58頁。。日経連会長、名誉会長を務め、"ミスター日経連"とも呼ばれた。「財界四天王」の一人。広島県福山市赤坂町出身。福山市名誉市民。.

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桜花爛漫 (寮歌)

桜花爛漫碑(大阪市立大学杉本キャンパス) 「桜花爛漫」(おうからんまん)は、旧制大阪商科大学予科の逍遙歌の一つ。現在では創価学会でも歌われている。.

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桑原幹根

桑原 幹根(くわはら みきね、1895年8月29日 - 1991年4月11日)は、日本の内務官僚、政治家。愛知県知事を6期24年にわたって務めた。.

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桑原鶴

桑原 鶴(くわばら つる、1902年12月25日 - 1969年7月28日)は、日本の外交官・文筆家。国体明徴運動の指導者のひとりとして知られる。.

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桑原虎雄

桑原 虎雄(くわばら とらお、1887年(明治20年)10月26日 - 1975年(昭和50年)6月5日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

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桑木厳翼

桑木 厳翼(くわき げんよく、1874年(明治7年)6月25日 - 1946年(昭和21年)12月15日『日本人名大辞典』710頁。)は、日本の哲学者。文学博士。.

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梶原茂嘉

梶原 茂嘉(かじわら しげよし、1900年(明治33年)2月8日『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』74頁。 - 1978年(昭和53年)10月9日『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』280頁。)は、日本の農商務官僚、政治家。参議院議員。.

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梶原英夫

梶原 英夫(かじわら ひでお 1911年 - 1943年夏)は、日本のアマチュア野球選手。右投。香川県出身。身長180cm。東京帝国大学野球部に所属し、昭和初期の東京六大学野球で活躍した。.

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梶井基次郎

梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年(明治34年)2月17日 - 1932年(昭和7年)3月24日)は、日本の小説家。感覚的なものと知的なものが融合した簡潔な描写と詩情豊かな澄明な文体で20篇余りの小品を残し、文壇に認められてまもなく、31歳の若さで肺結核で没した「生い立ち」()「文章読本――短篇小説の文章」(婦人公論 1959年1月号付録)。、に所収高橋英夫「存在の一元性を凝視する」()。 死後次第に評価が高まり、今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている平田次三郎「解説」(『現代文学代表作全集第1巻』万里閣、1948年6月)。「III 反響と残映――資料編」()。その作品群は心境小説に近く、散策で目にした風景や自らの身辺を題材にした作品が主であるが、日本的自然主義や私小説の影響を受けながらも、感覚的詩人的な側面の強い独自の作品を創り出している。 梶井基次郎は当時のごくふつうの文学青年の例に漏れず、夏目漱石や森鴎外、有島武郎や志賀直哉などの白樺派、大正期デカダンス、西欧の新しい芸術などの影響を受け、表立っては新しさを誇示するものではなかったが、それにもかかわらず、梶井の残した短編群は珠玉の名品と称され、世代や個性の違う数多くの作家たち(井伏鱒二、埴谷雄高、吉行淳之介、伊藤整、武田泰淳、中村光夫、川端康成、吉田健一、三島由紀夫、中村真一郎、福永武彦、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三、開高健など)から、その魅力を語られ賞讃されている。.

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梶田昭

梶田 昭(かじた あきら、1922年 - 2001年1月7日)は、日本の医師、医学史家、東京女子医科大学名誉教授。.

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梅谷光貞

梅谷 光貞(うめたに みつさだ、1880年(明治13年)12月2日 - 1936年(昭和11年)9月27日「故梅谷光貞位階追陞ノ件」)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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棚橋小虎

棚橋 小虎(たなはし ことら、1889年1月14日 - 1973年2月20日)は日本の労働運動家、政治家。新人会などの学生運動、友愛会、労働総同盟などの労働運動にかかわり、日本労農党や社会党などの結成に関与した。.

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棚橋一郎

棚橋 一郎(たなはし いちろう、文久2年11月12日(1863年1月1日) - 昭和17年(1942年)2月7日)は、岐阜県出身の教育者、漢学者(今でいう倫理学者)。衆議院議員、東京市会議員。.

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棟居喜九馬

棟居 喜九馬(むねすえ きくま、1866年3月25日(慶応2年2月9日) - 1932年(昭和7年)9月2日)は日本の逓信省参事官また、長老派の日本基督教会富士見町教会の長老である。.

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森山松之助

森山 松之助(もりやま まつのすけ、明治2年6月2日(1869年7月15日) - 昭和24年(1949年)4月2日)は、日本統治時代の台湾で活躍した建築家。大阪市出身。台湾総督府営繕課在任中、台湾の多くの官庁建築を手がけたことで知られる。.

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森巻吉

森 巻吉(もり けんきち、1877年(明治10年)5月3日 - 1939年(昭和14年)7月12日)は、日本の教育者。.

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森亘

森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。。叙従三位.

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森律子

森 律子(もり りつこ、1890年10月30日 - 1961年7月22日)は、日本の女優。最初期の女優として、また元代議士を父に持つお嬢様女優として話題を集め、喜劇を得意とした。.

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森田草平

森田 草平(もりた そうへい、1881年(明治14年)3月19日 - 1949年(昭和24年)12月14日)は、作家・翻訳家。本名森田 米松。夏目漱石の門下生の一人であるが、特に私生活での不祥事が多かったことから、門下生の中では異色の存在として扱われることが多い。.

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森谷秀亮

森谷 秀亮(もりや ひですけ、1897年(明治30年)5月17日 - 1986年(昭和61年))は日本の歴史学者。北海道出身。.

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森鴎外

森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.

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森肇 (愛媛県の政治家)

森 肇(もり はじめ、1864年7月10日(元治元年6月7日も之部1119頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年2月8日閲覧。) - 1927年(昭和2年)1月23日)は、日本のジャーナリスト、政治家、衆議院議員(中央倶楽部、当選3回)435頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月11日閲覧。。弁護士。族籍は愛媛県士族。.

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森正隆

森 正隆(もり まさたか、1866年1月9日(慶応元年11月23日) - 1921年(昭和10年)10月28日)は、日本の内務官僚、政治家。政友会系県知事、貴族院議員。.

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森永晴彦

森永 晴彦(もりなが はるひこ、1922年 - 2018年5月2日)は、日本の原子核物理学者である。.

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森有正

森 有正(もり ありまさ、1911年11月30日 - 1976年10月18日)は、日本の哲学者、フランス文学者。.

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森戸辰男

森戸 辰男(もりと たつお、1888年(明治21年)12月23日 - 1984年(昭和59年)5月28日)は、日本の学者、社会思想家、教育者(初代広島大学学長・名誉教授)、政治家(衆議院議員、文部大臣)。広島県広島市、福山市名誉市民。文化功労者(1971年)、勲一等旭日大綬章(1974年)。.

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森於菟

森 於菟(もり おと、1890年(明治23年)9月13日 - 1967年(昭和42年)12月21日)は、日本の医学者。専門は解剖学。専門書の他に、父・森鴎外の回想記と随筆を著した。.

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森敦

森 敦(もり あつし、1912年(明治45年)1月22日 - 1989年(平成元年)7月29日)は、日本の小説家。.

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植草甚一

植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。.

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植村甲午郎

植村 甲午郎(うえむら こうごろう、1894年(明治27年)3月12日 - 1978年(昭和53年)8月1日)は、昭和初期から後期(1920年代 - 1970年代)の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。 第3代経済団体連合会(経団連)会長(1968年(昭和43年) - 1974年(昭和49年) )。.

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植村恒三郎

植村 恒三郎(うえむら つねさぶろう、1882年(明治15年)2月 - 1945年(昭和20年)は、日本の林学者。林政学、森林経理学を専門とした九州帝国大学教授、同名誉教授である。入会権について史的研究を行い、川瀬善太郎に続き入会権公有論を唱える。また樺太に設けられた九州帝大演習林の指導、調査報告を行った。「本邦に於ける林野の入会関係に就て」で林学博士(東京帝大)。.

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植木庚子郎

植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年1月28日 – 1980年3月11日)は、昭和期の政治家、大蔵官僚。法務大臣・大蔵大臣。.

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楠岡豪

楠岡 豪(くすおか たけし 1920年12月15日 - )は、日本の通産官僚。元通産省繊維雑貨局長。.

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楠木正成

楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。父は楠木正遠とされる。息子に正行、正時、正儀がいる。 後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けた。尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。 明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。.

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楠本長三郎

楠本 長三郎(くすもと ちょうざぶろう、1871年3月10日(明治4年1月20日) - 1946年(昭和21年)12月6日)は、日本の内科学者。府立大阪医科大学を昇格させ大阪帝国大学を創設した。その後、大阪帝国大学第二代総長となり、微生物病研究所、産業科学研究所等を設置し、大阪帝国大学拡大に貢献した。位階は正三位。勲等は勲一等。.

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楢崎泰昌

楢崎 泰昌(ならさき やすまさ、1928年9月9日 - 2014年10月21日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党参議院議員(1期)。.

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榎一雄

榎 一雄(えのき かずお、1913年(大正2年)11月11日 - 1989年(平成元年)11月5日)は、日本の東洋史学者、東京大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。.

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槇野勇

槇野 勇(まきの いさむ、1917年(大正6年)4月18日 - 1994年(平成6年)11月2日『現代物故者事典 1994~1996』512頁。)は、日本の警察官僚。警視総監。.

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横堀治三郎

横堀 治三郎(よこぼり じさぶろう、明治4年3月20日『大日本博士録』工学66ページ(1871年5月9日) - 昭和13年(1938年)5月27日『衆議院議員略歴』)は、衆議院議員(立憲政友会)、冶金学者。.

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横山大観

横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日(明治元年9月18日) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、日本の美術家、日本画家。常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。本名、横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。.

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横山英太郎

横山 英太郎(よこやま えいたろう、1883年(明治16年)7月 - 1966年(昭和41年)6月13日)は、日本の工学者(専攻は電気工学、電気通信)。.

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横田正俊

横田 正俊(よこた まさとし、1899年(明治32年)1月11日 - 1984年(昭和59年)7月1日)は、日本の裁判官。第4代最高裁判所長官を務めた。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。なお、前任の最高裁判所長官横田喜三郎と同姓だが、血縁関係はない。.

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横溝光暉

横溝 光暉(よこみぞ みつてる、1897年(明治30年)4月12日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の内務官僚・弁護士。内閣情報部長、官選県知事。.

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横浜市立横浜商業高等学校

横浜市立横浜商業高等学校(よこはましりつ よこはましょうぎょうこうとうがっこう)は神奈川県横浜市南区にある、全日制の商業科および国際学科、スポーツマネジメント科と別科(理容科・美容科)を持つ市立高等学校。.

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横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ

横浜カントリー&アスレチッククラブ(Yokohama Country & Athletic Club, YC & AC)は、神奈川県横浜市中区にある会員制のスポーツクラブ。運営法人は公益社団法人横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブである。.

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横浜公園

横浜公園(よこはまこうえん、Yokohama Park)は、神奈川県横浜市中区にある公園および地名(郵便番号は231-0022)。横浜市役所に隣接し、敷地内に横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアムがある。面積は約63,800m2。市内では山手公園の次に古い西洋式公園で、日本人にも開放されていたものとしては日本最古。.

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横浜公園平和野球場

横浜公園平和野球場(よこはまこうえんへいわやきゅうじょう)は、かつて神奈川県横浜市中区の横浜公園内にあった野球場で、現在は跡地に横浜スタジアムが建っている。通称は「平和球場」(へいわきゅうじょう)。.

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樋口隆康

樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 2015年4月2日)は、日本の考古学者。学位は文学博士(京都大学・1962年)。京都大学名誉教授。 京都大学文学部教授、泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所所長、シルクロード学研究センター所長、財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長などを歴任した。.

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樋口龍峡

樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。.

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橡川一朗

橡川 一朗(とちかわ いちろう、1920年9月3日橡川一朗「」(『駒澤史学』45号、1993年4月) - )は東京都立大学名誉教授、西洋中世史家。中近世ヨーロッパにおける家父長的奴隷制説を提起して、通説と鋭く対立し、特に日本におけるドイツ史研究に大きな影響を及ぼした。また、家父長的奴隷制説を証明する史料として、ドイツのグリム編『ヴァイステューマー』を重視し、その本格的解読に取り組んだわが国の先駆的研究者でもある。日本史についても、安良城盛昭の家父長制的奴隷制論と連携し、『源氏物語』や親鸞などに関して独自の見解を示し、家父長的奴隷制を軸とする射程範囲の広い歴史観を展開していた。.

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橘孝三郎

橘 孝三郎(たちばな こうざぶろう、1893年(明治26年)3月18日 ‐ 1974年(昭和49年)3月30日)は日本の政治運動家、農本主義思想家。農本ファシストであり、超国家主義者でもあった。.

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橋健行

橋 健行(はし けんこう、1884年(明治17年)2月6日 - 1936年(昭和11年)4月18日)は日本の精神科医。医学博士。正五位。 作家・三島由紀夫の伯父。橋倭文重の兄。.

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橋川文三

橋川 文三(はしかわ ぶんそう/ぶんぞう、1922年1月1日 - 1983年12月17日)は、日本の政治学研究者、政治思想史研究者、評論家。明治大学政治経済学部教授を務めた。名は「ぶんそう」「ぶんぞう」双方の読みがある。.

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橋井真

橋井 真(はしい まこと、1902年3月18日 - 1977年11月11日)は、日本の商工官僚。.

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橋爪健

橋爪 健(はしづめ けん、1900年2月20日 - 1964年8月20日)は、日本の詩人、評論家、小説家。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)出身。静岡県旧制沼津中学(静岡県立沼津東高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科中退。1922年第1詩集「合掌の春」を刊行、ダダイスムの影響を受け1924年『ダムダム』創刊に参加。1927年『文藝公論』を創刊、主宰した。戦後は児童読物などを書いた。.

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橋田邦彦

橋田 邦彦(はしだ くにひこ、1882年(明治15年)3月15日 - 1945年(昭和20年)9月14日)は、日本の医学者、教育者。医学博士。号は無適。旧姓藤田。生理学者藤田敏彦の実弟。 「科学する心」を推称、学校教育での自然観察を推進するなど、戦後の科学教育においても影響を与えた。また、興亜工業大学(現・千葉工業大学)の創立に際して、政府代表として関わっている。 日本で最初に「実験生理学」を提唱するなどして生理学者・医学者として多くの業績を上げた。その名声ゆえに近衛文麿・東條英機両首相より文部大臣として招聘された。このため、太平洋戦争敗戦後にGHQよりA級戦犯容疑者として指名されて、服毒自殺をした。.

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橋本一明

橋本 一明(はしもと いちめい、1927年1月1日 - 1969年1月29日)は、フランス文学者。 群馬県出身。第一高等学校を経て、東京大学仏文科卒。一高在学時代には原口統三の影響を受け、フランス象徴派の詩人、特にランボーを研究した。國學院大學教授。.

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橋本圭三郎

橋本 圭三郎(はしもと けいざぶろう、慶応元年9月23日(1865年11月11日) - 昭和34年(1959年)2月14日)は、日本の官僚・実業家。貴族院議員。新潟県長岡市千手町出身。.

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橋本龍伍

橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の五男で、第82代・第83代内閣総理大臣の橋本龍太郎および高知県知事を務めた橋本大二郎の父、衆議院議員橋本岳の祖父である。 少年の頃に結核性の腰椎カリエスに罹って11年に及ぶ闘病生活を送り、生涯杖を離せない身体となった。苦学して第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業、大蔵省を経て吉田学校の一員として文部大臣、厚生大臣等を歴任した。.

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橋戸信

橋戸 信(はしど しん/まこと(文献により一定していない)、1879年(明治12年)3月10日 - 1936年(昭和11年)3月23日)は、日本のアマチュア野球選手(遊撃手、投手)、新聞記者。ペンネームは「橋戸 頑鉄」(はしど がんてつ)。 日本初のプロ野球球団である「日本運動協会」の創設や、都市対抗野球大会の開催に関わり、野球殿堂入りしている。.

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檜山久雄

檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、日本の中国文学者、文芸評論家。 東京生まれ。第一高等学校 (旧制)、東京大学文学部中国文学科卒業。東大在学中より『新日本文学』の編集に携わり、同誌を中心に文芸評論を執筆、大岡昇平が大衆文学を批判した際に反論した。のち広島大学教授、青陵女子短期大学教授。.

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櫻井天壇

櫻井 天壇(さくらい てんだん、1879年(明治12年)10月18日 - 1933年(昭和8年)9月10日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。第八高等学校独語主任教授。会津八一の先輩で義弟。本名は櫻井 政隆(さくらい まさたか)。.

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櫻井錠二

櫻井 錠二(さくらい じょうじ、1858年9月24日(安政5年8月18日) - 1939年(昭和14年)1月28日)は、日本の化学者。.

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櫻井房記

櫻井 房記(さくらい ふさき、1852年9月28日(嘉永5年8月15日) - 1928年(昭和3年)12月12日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育者。 学位制度草創期の理学士。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)初代所長、第五高等学校第5代校長。.

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次田潤

次田 潤(つぎた うるう、1884年(明治17年)4月26日 - 1966年(昭和41年)4月9日)は、日本文学者。岡山県出身。田村剛の兄。.

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正岡子規

松山市にある子規記念博物館 正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉 - 1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。 俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした、明治時代を代表する文学者の一人であった。死を迎えるまでの約7年間は結核を患っていた。.

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正則学園高等学校

正則学園高等学校(せいそくがくえんこうとうがっこう)は、東京都千代田区神田錦町三丁目にある私立男子高等学校である。学校法人正則学園が、運営している。 東京都港区芝公園にある正則高等学校とは、一切関係がない。.

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正田満三郎

正田 満三郎(しょうだ まんさぶろう 1907年 - 没年不明)は、日本の裁判官、法学者。.

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正木千冬

正木 千冬(まさき ちふゆ、1903年(明治36年)12月10日 - 1982年(昭和57年)4月6日)は、日本の経済学者、官僚、ジャーナリスト、政治家(鎌倉市長)。.

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正木不如丘

正木 不如丘(まさき ふじょきゅう、1887年2月26日 - 1962年7月30日)は、日本の作家、医師。本名・俊二(不如丘は俳号または筆名)。.

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正木直彦

正木 直彦(まさき なおひこ、1862年12月17日(文久2年10月26日) - 1940年(昭和15年)3月2日)は明治から昭和初期の美術行政家。文部官僚出身で、東京美術学校(現東京藝術大学)の第五代校長を1901年から1932年までの長期にわたって務めた。号十三松堂。.

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武島羽衣

武島 羽衣(たけしま はごろも、明治5年11月3日(1872年12月3日) - 昭和42年(1967年2月3日)は日本の詩人、国文学者、作詞家。宮内省御歌所寄人。本名・武島 又次郎。.

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武田千代三郎

武田 千代三郎(たけだ ちよさぶろう、1867年5月27日(慶応3年4月24日)- 1932年(昭和7年)5月26日『日本人名大辞典』1138-1139頁。)は、日本の内務官僚、教育者、スポーツ指導者。官選県知事、神宮皇學館長、大日本体育協会副会長、大阪市立高等商業学校長。駅伝競走の命名者として知られる。.

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武部六蔵

武部六蔵 武部 六蔵(たけべ ろくぞう、1893年(明治26年)1月1日 - 1958年(昭和33年)1月19日)は、日本の内務官僚。秋田県知事、関東局総長、企画院総裁心得、満州国総務長官。.

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武藤富男

武藤 富男(むとう とみお、1904年(明治37年)2月20日 - 1998年(平成10年)2月7日)は、満州国、日本の官僚、教育者、キリスト教牧師(伝道師)。恵泉女学園理事長、東京神学大学理事長なども歴任した。 息子・武藤一羊はベ平連出身の社会運動家でピープルズ・プラン研究所創設後、現在は運営委員。.

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武藤長蔵

武藤 長蔵(むとう ちょうぞう、1881年6月9日 - 1942年6月27日)は、日本の経済学者・歴史家(経済史・経済学史専攻)。長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の旧制前身校)の教授を長く務め、同校名誉教授。栄典は従三位・勲三等.

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武蔵中学校・高等学校

武蔵中学校・高等学校(むさしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都練馬区豊玉上に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校である。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校である。.

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武蔵高等学校 (旧制)

旧制武蔵高等学校(きゅうせいむさしこうとうがっこう)は、1921年(大正10年)12月、東京府(現在の東京都練馬区)に設立された私立の旧制高等学校である。略称は「武高」。.

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武林無想庵

武林無想庵(1908年) 武林 無想庵(たけばやし むそうあん、1880年2月23日 - 1962年3月27日)は、日本の小説家、翻訳家。本名は磐雄(いわお)、のちに盛一(せいいち)。.

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歩兵の本領

歩兵の本領(ほへいのほんりょう)は、1911年(明治44年)に発表された日本の軍歌。歩兵を謳った歌であるため歩兵の歌とも呼称される。.

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歓喜の歌

『歓喜の歌』(かんきのうた、喜びの歌、歓びの歌とも。An die Freude / アン・ディー・フロイデ、Ode to Joy)は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で歌われ、演奏される第一主題のこと。.

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殷汝耕

殷 汝耕(いん じょこう)は中華民国の政治家。中国同盟会に属した革命派の人物で、民国期には中国国民党に加入している。後に、親日地方政権である冀東防共自治政府の政務長官となった。字は亦農。兄は殷汝驪。.

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水原秋桜子

水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、日本の俳人、医師・医学博士。秋櫻子とも表記する。本名は水原豊(みずはら ゆたか)。松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、「客観写生」の理念に飽き足らなくなり同誌を離反、俳壇に反ホトトギスを旗印とする新興俳句運動が起こるきっかけを作った。「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。.

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水島三一郎

水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年3月21日 - 1983年8月3日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。専門は構造化学・分子構造・分子科学。分子構造論の世界的先駆者。日本学士院会員。.

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水球

水球(すいきゅう、)は、プールで行われる球技。水泳競技の一種。7名で構成された2つのチームが、プールに作られたコート内で、ゴールにボールを入れあい点数を競う競技である。体のほとんどが水中にあるために反則は分かりにくく、掴む、蹴るといった行為が意図的ではなかったとしても日常的に発生する事から「水中の格闘技」とも言われている。 19世紀後半、イギリスで考案された。夏季オリンピックの種目となっている。プールで行うハンドボールと言える。著名なことでは、過去に日体大水球部が376連勝(連勝記録No.1-ギネス登録スポーツ無敗記録一覧参照)している。.

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水町袈裟六

水町 袈裟六(みずまち けさろく、元治元年3月11日(1864年4月16日) - 1934年(昭和9年)7月10日)は、日本の官僚。大蔵次官、英仏駐在財務官、日本銀行副総裁、会計検査院長、枢密顧問官を歴任。横浜正金銀行頭取。法政大学総長。.

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水野成夫

水野 成夫(みずの しげお、1899年11月13日 - 1972年5月4日)は、日本の実業家。フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長。元日経連常任理事・経済団体連合会理事・経済同友会幹事。元日本共産党員で赤旗(しんぶん赤旗)初代編集長。.

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水野敏雄

水野 敏雄(みずの としお、1893年 - 1981年)は、日本の教育学研究者。島根大学第4代学長。.

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水池亮

水池 亮(みずいけ りょう、1900年(明治33年)6月7日 - 1976年(昭和51年)7月7日『日本近現代人物履歴事典』494-495頁。)は、日本の内務官僚、実業家。内務省警保局長、海軍司政長官。.

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水戸高等学校 (旧制)

旧制水戸高等学校(きゅうせいみとこうとうがっこう)は、1920年(大正9年)4月に茨城県東茨城郡常磐村に設立された官立旧制高等学校である。略称は「水高」(すいこう)。.

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氷上英廣

氷上 英廣(ひがみ ひでひろ、1911年4月10日 - 1986年9月16日)は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。ドイツ文学、比較文学、比較文化専攻。妻は南原繁の長女で歌人であった待子。 東京生まれ。府立一中四修、一高文乙を経て、1933年に東京帝国大学文学部卒業。1936年、旧制甲南高等学校、1946年、一高の各教授を経て、1950年に新制・東大教養学部助教授就任。1957年に教授。1960年から1年間、マールブルク大学へ文部省在外研究生として派遣される。1969年より、大学院比較文学比較文化専攻課程主任教授。1972年、定年退官により武蔵大学教授、1982年退職。 一高時代は文芸部委員となって中島敦らと親交があり、中島からカフカを教えられたという。お互いに作品を校友会雑誌に作品を発表しあっていた。のち『中島敦全集』を編纂し、詳しい解説を書いた。 息子の氷上信廣は麻布中学校・高等学校の前校長。.

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永宮健夫

永宮 健夫(ながみや たけお、1910年6月1日 - 2006年6月3日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は固体物理学で、特に反強磁性体の理論の仕事は名高い。.

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永山時雄

永山 時雄(ながやま ときお 1912年2月11日 - 1999年7月11日)は、神奈川県出身の官僚。旧通商産業省初代大臣官房長。.

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永井荷風

永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。.

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永井松三

永井 松三(ながい まつぞう、1877年(明治10年)3月5日 - 1957年(昭和32年)4月19日)は、日本の外交官。外務次官、駐ドイツ大使。IOC委員、貴族院議員。.

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永井潔

永井 潔(ながい きよし、1916年8月24日 - 2008年9月8日)は、日本の画家。 劇作家・永井愛の父。父は新潟県三条市出身の教育者、母は京都本阿弥家の末裔。 日本美術会の創立に参加、事務局長や附属民主主義美術研究所所長を務める。 硲伊之助らに師事。二科番衆技塾、本郷岡田三郎助美術研究所で学ぶ。 一水会優賞、さくら新人賞を受賞。学校法人中央労働学園理事長となり、法人が経営する東京文科アカデミー、武蔵野外語専門学校の理事長・校長を歴任した。 書籍の装幀にも携わり、児童書の挿絵も描き、絵本雑誌『キンダーブック』、山代巴『荷車の歌』、村山知義『ウィリアム・テル』、筑摩書房『新版小学生全集』、講談社『少年少女世界文学全集』、『世界の名作図書館』、偕成社『ジュニア版世界文学名作選』、『ジュニア版・日本の古典文学』、『ジュニア版日本文学名作選』、岩崎書店『少年少女おはなし世界歴史』の挿絵などでも知られている。『絵で読む名作小説―永井潔挿絵画集』(2006年)も刊行されている。.

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永田武

永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。.

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永野護 (政治家)

永野 護(ながの まもる、1890年9月5日 - 1970年1月3日)は、日本の実業家。政治家。衆議院議員、参議院議員。島根県濱田市生まれ。戦後揃って政経財界で活躍した「永野六兄弟」の長兄。.

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永野重雄

永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 1984年5月4日)は日本の実業家。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。新日本製鐵会長、経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人#回想録、12-16頁「中曽根康弘(述)」。。財界四天王の一人で#財界昭和史、208-221頁。、"戦後の財界のドン"ともいわれた。広島高等師範学校附属小学校#財界人生、43-46、255頁。 - 広島高等師範学校附属中学校 - 第六高等学校 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。正三位勲一等旭日桐花大綬章。広島市名誉市民。 .

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民間人閣僚

民間人閣僚(みんかんじんかくりょう)とは、任命時において国会議員ではない国務大臣を指す。ただし、議員でない軍人が陸海軍大臣たることが制度化されていた大日本帝国憲法下ではこの語はほとんど用いられず、一般的には議院内閣制を明記する日本国憲法施行後に成立した内閣におけるものを指す。なお、衆議院解散などにより任命後に国会議員の身分を失っている国務大臣は民間人閣僚とは呼ばれない。.

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江原万里

江原 万里(えばら ばんり、1890年(明治23年)8月14日 - 1933年(昭和8年)8月7日)は東京帝国大学の教授で無教会伝道者である。 1890年(明治23年)岡山県津山に生まれる。父は津山藩士、母方の祖父は赤穂藩士であった。 第一高等学校に在学中、無教会の指導者内村鑑三の講義を聞き、キリスト教に入信する。東京帝国大学政治学科に在学中に、内村鑑三の弟子らによる集まりである柏会に参加する。帝大卒業後1915年(大正4年)に、住友総本店に入社する。1918年(大正7年)同じく、柏会の黒崎幸吉の妹である黒崎祝と結婚する。 1921年(大正10年)に住友を退職して、東京帝国大学経済学部教授になる。 1927年(昭和2年)病気のために東京帝国大学を休職し、個人月刊誌『思想と生活』(『聖書之真理』)を創刊する。1929年に病のために東京帝国大学を退官するが、月刊誌や聖書講義を通してキリスト教の伝道を行う。 1933年4月、東京帝国大学総長で無教会の同じく信徒伝道者矢内原忠雄の支援で、鎌倉でキリスト教講話会を開き、祖国が国家的立場を超えた正義で根底とすべきことを訴える。その、4カ月後病のために死去する。 江原の説くキリスト教信仰は、武士道を尊び武士的精神を鼓吹する異色のものであった。また、師内村鑑三のように、イエス・キリストと日本を「己の生命の如く」愛するものであった。.

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江口朴郎

江口 朴郎(えぐち ぼくろう、1911年3月19日 - 1989年3月15日)は、日本の西洋史学者。東京大学名誉教授。元日本学術会議会員、元歴史学研究会委員長。.

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江崎岩吉

江崎 岩吉(えさき いわきち、1890年12月1日 - 1986年1月16日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍技術中将。.

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江川卓 (ロシア文学者)

江川 卓(えがわ たく、1927年1月24日 - 2001年7月4日)は、東京都出身のロシア文学者、東京工業大学名誉教授。本名は「馬場 宏(ばば ひろし)」。 フョードル・ドストエフスキーの翻訳・研究などで知られる。NHKのロシア語講座の講師も長く務め、多くの人に親しまれた。.

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江川英文

江川 英文(えがわ ひでぶみ、1898年7月19日 - 1966年8月21日)は、日本の法学者。専門は国際私法。.

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江部淳夫

江部 敦夫(えべ あつお、1877年4月 - 1923年12月4日)は、日本の教育者。旧制高知高等学校(現・高知大学)の初代校長を務めた「」 - 『広報とよさか』1999年11月号、豊栄市、p.22。.

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江東六十四屯

台湾で発行されている中華民国地図。黒竜江省北部の黒河のアムール川対岸に突き出た黄色の部分が「江東六十四屯」である 江東六十四屯(こうとうろくじゅうしとん)は、かつてアムール川(黒竜江)の左岸(東側)に広がっていた広さ3,600平方キロメートルに及ぶ中国人居留区である。中国・黒竜江省黒河市の対岸にあるロシアの都市ブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)の南側(ゼヤ川より東)の一帯に64箇所の村落があったためこう呼ばれる。清朝とロシア帝国の間で1858年に締結されたアイグン条約では、清の領土だったアムール川左岸の外満州はロシアに割譲されたが、黒河の対岸の「江東六十四屯」と呼ばれる地域には大勢の中国人居留民がいたため、アムール川左岸でもこの部分だけはロシア領ながら清の管理下に置かれることになった。.

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江橋節郎

江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 2006年7月17日)は、日本の薬理学、分子生物学者。従三位勲一等医学博士。.

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池内宏

池内 宏(いけうち ひろし 1878年9月28日 - 1952年11月1日)は、東洋史学者。祖父は儒学者の池内大学。.

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池田宏 (内務官僚)

池田 宏(いけだ ひろし、1881年(明治14年)7月30日 - 1939年(昭和14年)1月7日)は、日本の内務官僚、都市計画家。都市計画法(旧法)の制定に携わり、内務省にあって「切れ者」という異名をとった。関東大震災後の東京市助役、京都府と神奈川県の知事(官選)も務めた。.

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池田亀鑑

池田 亀鑑(いけだ きかん、明治29年〈1896年〉12月9日 - 昭和31年〈1956年〉12月19日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。.

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池田克

池田 克(いけだ かつ、1893年5月23日 - 1977年9月4日)は、日本の司法官僚、検事、裁判官。最高裁判所判事。.

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池田勇人

池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正二位。勲等は大勲位。 大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。.

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池田菊苗

池田 菊苗(いけだ きくなえ、1864年10月8日(元治元年9月8日) - 1936年5月3日)は、戦前日本の化学者。東京帝国大学(現東京大学)理学部化学科教授。「日本の十大発明」のひとつといわれるうま味成分、L-グルタミン酸ナトリウムの発見者として知られる。.

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池田欽三郎

池田 欽三郎(いけだ きんざぶろう、1904年(明治37年)1月24日『新編日本の歴代知事』182頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・商工官僚。官選秋田県知事。旧姓・木戸。.

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池谷信三郎

池谷信三郎(いけたに しんざぶろう、1900年10月15日 - 1933年12月21日)は、日本の小説家、劇作家。東京帝國大學法学部、ベルリン大学法科中退。東京生まれ。 暁星小学校、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)、旧制第一高等学校卒業。一高在学時より校友会雑誌に短歌などを発表し創作活動をはじめる。1922年に東京帝大へ入学するが、その年の終わりには休学してベルリン大学へ行き、先にベルリンへ来ていた一高時代の先輩である村山知義の影響を受けヨーロッパの芸術運動に触れる。 1923年9月1日に起きた関東大震災により実家を失い帰国。1925年ベルリン滞在の経験を元に執筆した『望郷』が「時事新報」の懸賞小説に当選。同年村山知義らと劇団「心座」を創設、築地小劇場で「三月三十二日」を上演する。「心座」の解散後は1930年に舟橋聖一らと「蝙蝠座」を結成し戯曲を書いた。結核により33歳で早世。没後1934年に全集(全一巻)が、改造社で刊行され、1936年には菊池寛が主宰する文藝春秋社により池谷信三郎賞(1942年まで)が設立された。.

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池野成一郎

池野 成一郎(いけの せいいちろう、1866年6月25日(慶応2年5月13日) - 1943年(昭和18年)10月4日)は日本の植物学者。日本の植物形態学の先駆者でソテツの精子を発見した。.

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沢田吾一

沢田 吾一(さわだ ごいち、1861年10月26日(文久元年9月23日) - 1931年3月12日)は、日本の数学者、日本の数字・数学史学者。 美濃国厚見郡一色村(現・岐阜市)出身。明治15年(1881年)陸軍省御用掛となり、参謀本部測量課に勤務。1886年第一高等中学校(現・東京都立日比谷高等学校)数学授業嘱託、1887年同教師。1891年帝国大学理科大学物理学科卒。菊池大麓に師事。1896年大学院中退。1892年第四高等学校教授、96年陸軍中央幼年学校教授、97年東京高等商業学校(現・一橋大学)教授。1917年定年退官。東京帝国大学文学部国史学科に入学し、1923年、63歳で卒業。1927年大著「奈良朝時代民政経済の数的研究」を刊行した。.

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沢田廉三

沢田 廉三(澤田廉三、さわだ れんぞう、1888年10月17日 - 1970年12月8日)は、日本の外交官。駐フランス特命全権大使、外務事務次官。世界経済調査会議長。.

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河原忠彦

河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - )は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。.

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河原田稼吉

河原田 稼吉(かわらだ かきち、1886年(明治19年)1月13日 - 1955年(昭和30年)1月22日)は、日本の内務官僚・政治家。林内閣の内務大臣、阿部内閣の文部大臣、官選の大阪府知事などを歴任した。.

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河合栄治郎

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。.

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河上丈太郎

河上 丈太郎(かわかみ じょうたろう、1889年1月3日 - 1965年12月3日)は、日本の政治家。右派社会党委員長、日本社会党委員長を歴任した。息子は衆議院議員・社会党国際局長をつとめた河上民雄。.

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河上徹太郎

河上 徹太郎(かわかみ てつたろう、1902年(明治35年)1月8日 - 1980年(昭和55年)9月22日)は日本の文芸評論家、音楽評論家である。日本芸術院会員、文化功労者。ヴァレリーやジイドを翻訳紹介しフランス象徴主義の影響下に評論活動を展開、近代批評の先駆者となる。シェストフの紹介者としても知られた。 小林秀雄、中原中也、大岡昇平、青山二郎、諸井三郎、吉田健一、白洲次郎たちとの親交も有名。なお夫人アヤ(綾子)は男爵・大鳥圭介の孫にあたる。.

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河内清

河内 清(かわち きよし、1907年4月20日 - 1991年2月11日)は、フランス文学者、静岡大学名誉教授。 愛知県知多郡内海町(現・南知多町)出身。第一高等学校を経て、1930年東京帝国大学仏文科卒業。徳川義忠の家庭教師を務め、31年草村北星の龍吟社に入る。32年藤山工業図書館勤務、38年財団法人東亜研究所(近衛文麿総裁)に入り調査員となる。戦後の47年広島文理科大学および広島高等師範学校講師、48年静岡高等学校教授、49年静岡大学文理学部教授、54年図書館長、62年文理学部長、65年改組により初代人文学部長、67年東京教育大学教授、71年定年退官、静大名誉教授、72年白百合女子大学教授、78年定年退職。(『西吹く風 河内清遺稿集』付載年譜) エミール・ゾラを主とするフランス自然主義を研究し、日本の自然主義との比較をおこなった。.

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河石九二夫

河石 九二夫(かわいし くにお、1895年(明治28年)1月17日 - 1973年(昭和48年)1月28日)は、日本の医師、医学者。 水泳選手で、1932年ロサンゼルスオリンピック銀メダリストの河石達吾は親戚に当たる。.

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河田烈

河田 烈(かわだ いさお、1883年(明治16年)9月24日 - 1963年(昭和38年)9月27日)は、日本の大蔵官僚、大蔵大臣。.

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河相達夫

河相 達夫(かわい たつお、1889年7月26日 – 1966年10月31日『20世紀日本人名事典 あ-せ』761頁。)は、大正 – 昭和期の外交官、外務次官。終戦連絡中央事務局次長やオーストラリア公使等を務めた。旧姓・永井『日本人名大辞典』556頁。。広島県賀茂郡竹原村(現竹原市)出身。.

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河野一之

河野 一之(こうの かずゆき、1907年8月2日 - 2006年6月20日)は、日本の大蔵官僚、実業家。元大蔵事務次官。元太陽銀行頭取、太陽神戸銀行会長、三井住友銀行名誉顧問。.

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河野六郎

河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1998年10月7日)は、日本の言語学者。東京教育大学名誉教授。専門は朝鮮語・中国語。1986年日本学士院会員。1993年文化功労者。兄に哲学者で翻訳家の河野与一がいる。.

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沼波瓊音

沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。.

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沖野悟

沖野 悟(おきの さとる、1901年(明治34年)1月『新編日本の歴代知事』551頁。 - 1964年(昭和39年)5月1日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』286頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。.

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波多野完治

波多野 完治(はたの かんじ、1905年2月7日 - 2001年5月23日)は、日本の心理学者。文学博士。ジャン・ピアジェの発達心理学を中心に学び、アンリ・ワロンなどを紹介、また文章心理学、創作心理学、視聴覚教育などに多数の著作がある。.

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波多野精一

波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎とならぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。また指導学生ではないが、波多野の京大での受講者で波多野から強い影響を受けたとされる人物に三木清がいる。.

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波多野里望

波多野 里望(はたの りぼう、本名 りぼお、1931年9月6日 - 2008年 3月16日)は、日本の法学者。専門は国際法。法学博士(東京大学、1959年)。正五位瑞宝中綬章。父はお茶の水女子大学学長を務めた心理学者の波多野完治。母は同じく心理学者の波多野勤子。弟に心理学者の波多野誼余夫。息子に小説家の波多野鷹。.

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法定

法定.

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泉山三六

泉山 三六(いずみやま さんろく、1896年(明治29年)3月30日 – 1981年(昭和56年)7月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、大蔵大臣(第54代)を歴任。ペンネームは泉山間窓。.

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津島壽一

津島 壽一(つしま じゅいち、新字体:寿一、1888年(明治21年)1月1日 - 1967年(昭和42年)2月7日)は、日本の官僚、政治家。正三位勲一等旭日大綬章。 第二次世界大戦後の外債処理や賠償交渉に道筋をつけたことで知られる。.

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津島雄二

津島 雄二(つしま ゆうじ、1930年1月24日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(11期)、厚生大臣(76・90代)、衆議院予算委員長、自由民主党税制調査会長などを歴任。元大蔵官僚。 現在は田辺総合法律事務所弁護士(第一東京弁護士会所属)、税理士、新生銀行顧問。旧姓は志摩、上野。妻は作家太宰治(本名:津島修治)の長女・津島園子。 長男は自民党衆議院議員の津島淳。.

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津田久

津田久(つだ ひさし、1904年7月30日 - 2002年6月9日)は、日本の実業家。第二代住友商事社長。住友家評議員会委員長、住友老壮会会長。.

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深井鑑一郎

深井 鑑一郎(ふかい かんいちろう、慶応元年(1865年) - 1943年3月24日)は、日本の教育者、儒学者。.

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深代惇郎

深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - 1975年12月17日)は、日本の新聞記者。.

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深田久弥

深田久弥終焉の地(山梨県茅ヶ岳) 深田 久弥(深田 久彌、ふかた きゅうや、1903年3月11日 - 1971年3月21日)は、石川県大聖寺町(現在の加賀市)生まれの小説家(随筆家)及び登山家である。.

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深瀬忠一

深瀬 忠一(ふかせ ただかず、1927年3月1日 - 2015年10月5日)は、日本の憲法学者。北海道大学名誉教授。法学博士(北海道大学、1962年)(学位論文「衆議院の解散: 比較憲法史的考察」)。高知県出身。.

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淵上房太郎

淵上 房太郎(ふちがみ ふさたろう、1893年(明治26年)6月2日『新編日本の歴代知事』1131頁。 - 1976年(昭和51年)2月28日『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』560頁。)は、日本の政治家、内務官僚。衆議院議員、沖縄県知事。.

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淀野隆三

淀野 隆三(よどの りゅうぞう、1904年(明治37年)4月16日 - 1967年(昭和42年)7月7日)は、文芸評論家。フランス文学者。 京都府紀伊郡伏見町(現・京都市伏見区)生まれ。本名・三吉。淀野家は伏見過書町で手広く鉄工所を営んでいた「第一部 第六章 『青空』創刊」()。京都府立京都第二中学校(現・京都府立鳥羽高等学校)を卒業後、1922年(大正11年)に第三高等学校(現・京都大学 総合人間学部)文科甲類に入学「第六章 狂的の時代――三高後期」()「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」()。野球部に入り、一高三高戦で三塁手として活躍した。三高劇研究会に所属し、卒業した先輩の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂と知り合う鈴木貞美編「『青空』の青春――淀野隆三『日記』抄」()。 1925年(大正14年)、三高卒業後に東京帝国大学文学部仏文科に入学。前年に同校に進んでいた梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂の創刊した同人誌『青空』の6月号・通巻4号から同人参加した。息子が法学部を専攻することを望んでいた父親は文学者になることに大反対し、上京前に口論していた。 1927年(昭和2年)2月、 伊豆湯ヶ島に転地療養していた梶井を見舞いに行った。その時、淀野は三高時代から付き合っていた芸妓・政子も伴っていた。淀野の両親は政子との結婚を反対していた。淀野は梶井を通じて川端康成と知り合い、以降長く親交を持つようになる淀野隆三「湯ヶ島の思ひ出など」(世紀1935年1月号)。に部分所収淀野隆『二人だけの「愛・宇宙」六十兆個のバラード』(近代文藝社、2010年12月)。。 1928年(昭和3年)に東京帝国大学卒。同年3月25日には、政子との間に長女・華子が誕生した。名付け親は三高時代からの友人・三好達治であった。淀野はマルセル・プルースト『失われた時を求めて』の部分訳をして作家を志し、法政大学で講師をしつつ文筆活動を送る。一時期にはプロレタリア文学運動にも傾倒するが、梶井基次郎がそれを止めるように助言し、淀野がプルーストの専門家になることを望んだ。 梶井基次郎の死後は、中谷孝雄とともに、梶井の全集編纂を行った鈴木貞美「梶井基次郎年譜」()。その後、家業の「淀野商店」(鉄材、鉄器具)を継ぐため京都市伏見区両替町4丁目-290番地に帰郷した。 戦後、佐藤正彰の世話で1952年(昭和27年)に明治大学文学部教授となった。川端康成は京都に行くと淀野の家に立ち寄り、淀野も鎌倉の川端家を訪問するなど、家族ぐるみの付き合いとなった。川端は淀野の娘・華子を可愛がり、成人した華子は結婚出産後も川端家と交流するようになる。 1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)まで明治大学人文科研究所所長を務めた。1964年(昭和39年)に文学部長となるが病気のため1965年(昭和40年)に辞任。癌を患い1967年(昭和42年)に63歳で没した。淀野の息子の淀野隆(華子の弟)は、サンケイ新聞記者となり、1968年(昭和43年)の川端康成のノーベル文学賞の授賞式にも同行した。.

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渡辺三郎 (工学者)

渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治13年)12月2日 - 1951年(昭和26年)1月8日)は、日本の工学者、実業家、政治家。工学博士、貴族院勅選議員。旧姓・大河原#特殊鋼の父、21-22頁。。「特殊鋼」の命名者。.

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渡辺一夫

渡辺 一夫(渡邊 一夫、わたなべ かずお、1901年9月25日 - 1975年5月10日)は日本のフランス文学者。日本学士院会員。ルネサンス期フランスのフランソワ・ラブレーやエラスムスなどの研究、及び『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の日本語訳で知られる。.

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渡辺勝三郎

渡辺 勝三郎(わたなべ かつさぶろう、1872年2月12日(明治5年1月4日) - 1940年(昭和15年)9月24日)は、日本の内務省官僚。岡山県井原町(現井原市)出身。.

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渡辺銕蔵

渡辺 銕蔵(わたなべ てつぞう、明治18年(1885年)10月14日 - 昭和55年(1980年)4月5日)は、大正・昭和期の経済学者、教育者、政治家、実業家。東宝争議時の東宝社長。.

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渡辺格 (分子生物学者)

渡辺 格(わたなべ いたる、1916年9月27日 - 2007年3月23日)は日本の分子生物学者。慶應義塾大学名誉教授。島根県松江市生まれ。姓は「渡邊」と表記する場合がある。.

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渡辺武 (官僚)

渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年2月15日 - 2010年8月23日)は、日本の官僚。大蔵省財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラスト運営委員会代表。.

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渡辺洋三

渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。.

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渥美俊一

渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。.

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渥美勝

渥美 勝(あつみ まさる、1877年2月13日 - 1928年11月4日)は、日本の国粋主義・民族派の思想家。滋賀県犬上郡彦根町(現・彦根市)出身。.

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清原邦一

清原 邦一(きよはら くにかず、1899年(明治32年)3月27日 - 1967年(昭和42年)11月11日『日本近現代人物履歴事典』192頁。)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。.

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清宮博

清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者『広島県大百科事典〈上巻〉』中国新聞社、1982年、767頁、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。.

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清宮四郎

清宮 四郎(きよみや しろう、1898年5月23日 - 1989年10月22日)は、日本の憲法学者。東北大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。美濃部達吉門下。宮沢俊義とともに戦後の憲法学界をリードした。日本学士院会員。.

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清岡卓行

清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、法政大学教授。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。 また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、 さらに、『萩原朔太郎「猫町」私論』(1974年 文藝春秋刊)をテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。 1996年より日本芸術院会員に選出される(終身)。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で創作活動も行っている(明治大学理工学部教授)。.

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清野長太郎

清野 長太郎(せいの ちょうたろう、1869年5月12日(明治2年4月1日) - 1926年9月15日)は、日本の内務官僚。憲政会系官選県知事、復興局長官。.

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清野暢一郎

清野 暢一郎(せいの ちょういちろう、1896年4月26日 - 1976年2月21日)は、日本のアメリカ演劇研究者。 第一高等学校、1921年東京帝国大学英文科卒。在学中、十一谷義三郎らの『行路』に参加。米国へ留学し演劇を研究、ユージン・オニールを主として研究し、帰国後演劇活動に携わる。東京都立大学を経て1956年中央大学専任講師、1964年教授、1967年定年退職。.

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清水孝純

清水 孝純(しみず たかよし、1930年1月23日 - )は、比較文学者、九州大学、福岡大学名誉教授。 東京生まれ。第一高等学校理科卒業、病気のため学業を中断ののち、東京教育大学国文学入学、仏文学中退、1958年東京大学大学院比較文学比較文化入学、博士課程中退、日本大学講師、69年九州大学助教授、教授、82年『ドストエフスキー・ノート』で第1回池田健太郎賞受賞。1992年定年退官、福岡大学教授。2000年退任。2002年『笑いのユートピア 「吾輩は猫である」の世界』で第11回やまなし文学賞受賞。ドストエフスキー、夏目漱石、ヨーロッパ中世文学などについて著書多数。.

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渋沢信一

渋沢 信一(しぶさわ しんいち、1898年10月11日 - 1983年7月15日)は、日本の外交官。外務事務次官。.

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渋沢元治

渋沢 元治(澁澤元治、しぶさわ もとじ、1876年10月25日 - 1975年2月22日)は、日本の電気工学者。工学博士シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月25日閲覧。100-101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月25日閲覧。。東京帝国大学名誉教授。名古屋帝国大学初代総長(1939年 - 1946年)。子爵・渋沢栄一の甥にあたる。妻は穂積陳重と栄一の長女歌子の長女である。.

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渋沢秀雄

渋沢 秀雄(しぶさわ ひでお、1892年10月5日 - 1984年2月15日)は、東京市出身の実業家・文化人。.

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渋沢正雄

渋沢 正雄(しぶさわ まさお、1888年(明治21年)11月 - 1942年(昭和17年)9月10日)は、日本の実業家。子爵・渋沢栄一の三男シ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月17日閲覧。。日満鉄鋼販売東京シの部289頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月25日閲覧。、石川島自動車製作所、富士製鋼各社長シ42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月17日閲覧。シ之部34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月17日閲覧。。東京石川島造船所専務取締役。日本製鐵常務取締役兼八幡製鐵所長シ47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月24日閲覧。。族籍は東京府平民し71頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月17日閲覧。。.

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湯川寛吉

湯川 寛吉(ゆかわ かんきち、慶応4年5月24日(1868年7月13日) - 昭和6年(1931年)8月23日)は、第5代住友総理事である。.

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湯川盛夫

湯川 盛夫(ゆかわ もりお、1908年2月23日 - 1988年3月16日)は日本の外交官。.

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湯沢三千男

湯沢 三千男(ゆざわ みちお、明治21年(1888年)5月20日 - 昭和38年(1963年)2月21日)は、大正・昭和期の日本の政治家、内務官僚。宮城・広島・兵庫県知事や東條内閣の内務大臣を務め、戦後も自由民主党参議院議員として活動した。.

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滋賀県立彦根東高等学校

滋賀県立彦根東高等学校(しがけんりつ ひこねひがしこうとうがっこう, Shiga Prefectural Hikone Higashi High School)は、滋賀県彦根市金亀町に所在する県立の高等学校。彦根藩藩校以来の200年以上の歴史を持つ。.

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潮恵之輔

潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年(明治14年)8月11日 - 1955年(昭和30年)1月9日)は、日本の内務官僚。後に内務大臣兼文部大臣、最後の枢密院副議長を務める。.

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澤田正二郎

澤田 正二郞(さわだ しょうじろう、新字体:沢田 正二郎、1892年(明治25年)5月27日 - 1929年(昭和4年)3月4日)は、大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者。劇団新国劇を創設して座長をつとめ、澤正(さわしょう)と呼ばれて広く親しまれた。.

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澤田洋太郎

澤田 洋太郎(さわだ ようたろう、1927年(昭和2年) - 2014年(平成27年)は、日本の歴史学者、高等学校社会科教諭。.

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澤柳政太郎

澤柳 政太郎(さわやなぎ まさたろう、1865年5月17日(慶応元年4月23日) - 1927年(昭和2年)12月24日)は、近代日本の文部官僚、教育者、貴族院勅選議員。大正自由主義教育運動の中で中心的な役割を果たす。東北帝国大学初代総長・京都帝国大学第5代総長・成城学園創立者・大正大学初代学長。子の一人に、美術史学者となった澤柳大五郎がいる。.

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澄田智

澄田 智(すみた さとし、1916年9月4日 - 2008年9月7日)は、群馬県出身の第25代日本銀行総裁、元大蔵事務次官。.

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濱口雄彦

濱口 雄彦(はまぐち たけひこ 1896年8月24日 - 1976年10月5日)は、元東京銀行頭取、元全国銀行協会連合会会長。(社)日本陶磁協会第3代理事長。東京府出身。濱口雄幸の長男。 弟に濱口巌根。長女・幸は船後正道(中小企業金融公庫総裁、環境事務次官、大蔵官僚)に、次女・淑は正田巌(日銀監事、皇后美智子の兄)に、三女・宏は桐澤潔(成蹊大学名誉教授)に嫁いだ。.

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濱尾四郎

濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の検事、弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。作家活動は実働足かけ6年に過ぎず、作品量は長短20篇に及ぶだけであるが、戦前派作家として逸することのできない足跡を残している。.

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持田盛二

持田 盛二(もちだ もりじ / せいじ、1885年(明治18年)1月26日 - 1974年(昭和49年)2月9日)は、日本の剣道家。段位は範士十段。「昭和の剣聖」と称される剣道家の一人。.

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服部宇之吉

服部 宇之吉(はっとり うのきち、慶応3年4月30日(1867年6月2日) - 昭和14年(1939年)7月11日)は、中国哲学者。東京大学卒。東京帝国大学教授、ハーバード大学教授、東方文化学院院長などを歴任。帝国学士院会員。福島県出身。.

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服部四郎

服部 四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。.

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服部達

服部 達(はっとり たつ、1922年(大正11年)2月13日 - 1956年(昭和31年)1月1日)は日本の文芸評論家。 第一高等学校理科を経て京都大学文学部独文科卒業。1954年(昭和29年)、奥野健男、日野啓三、清岡卓行、村松剛、島尾敏雄、遠藤周作、吉本隆明たちと「現代評論」を創刊。同年「新世代の作家たち」を発表。1955年(昭和30年)、評論「われらにとって美は存在するか」を「群像」に連載。マルクス主義を背景にしたイデオロギー的批評の全盛期にあって、それとは全く異質な審美的批評の確立を図り、新進批評家として注目を集める。 しかし出版社への借金が嵩み、このことを苦にして、1956年(昭和31年)1月1日、八ヶ岳山麓の清里村キリスト教団清里センター清泉寮から失踪。睡眠薬を服用の上、雪山の中に深く分け入り、凍死を遂げた。当初は行方不明と思われたが、約半年後に小海線鉄橋近くで遺体が発見された。 死後、安岡章太郎、遠藤周作、村松剛の尽力により、遺稿集『われらにとって美は存在するか』(1956年)が審美社から公刊された。安岡は、服部の死を題材にして、小説『舌出し天使』を書いた。.

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服部正也

服部 正也(はっとり まさや、1918年10月13日 - 1999年11月29日)は、日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁。.

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朝比奈泰彦

朝比奈 泰彦(あさひな やすひこ、1881年4月16日 - 1975年6月30日)は日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。薬学博士人事興信所、1925年、あ一〇一頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。。帝国学士院会員、文化勲章受章者。昆虫学者の朝比奈正二郎は次男。.

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朝永三十郎

朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日(1871年3月25日) - 昭和26年(1951年)9月18日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授(西洋哲学)。京都学派を代表する人物の一人。子に物理学者の朝永振一郎。.

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木下広次

木下 広次(きのした ひろじ、1851年2月25日(嘉永4年1月25日) - 1910年(明治43年)8月22日)は明治時代の日本の法学者、教育行政官。法学博士。 第一高等中学校(東京大学教養学部の前身)校長、文部省専門学務局長、京都帝国大学(京都大学の前身)初代総長、貴族院議員を歴任した。.

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木下信

木下 信(きのした まこと、1884年(明治17年)2月8日 - 1959年(昭和34年)6月27日)は、日本の内務官僚、政治家。憲政会系県知事、台湾総督府総務長官、衆議院議員。.

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木下航二

木下 航二(きのした こうじ、1925年12月16日 - 1999年11月19日)は、教育者、作曲家。.

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木下杢太郎

木下 杢太郎(きのした もくたろう、1885年(明治18年)8月1日 - 1945年(昭和20年)10月15日。本名:太田正雄)は、詩人、劇作家、翻訳家、美術史・切支丹史研究家、皮膚科の医学者。大学医学部の教授を歴任し、また、南蛮情緒的、切支丹趣味、耽美享楽的など言われるきらびやかな詩や戯曲を残した。堀花村(ほりかそん)、地下一尺生、葱南(そうなん)、などの筆名も用いた。.

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木内信胤

木内 信胤(きうち のぶたね、1899年7月30日 - 1993年12月5日)は、日本の経済評論家。日蓮宗徒。.

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木内重四郎

木内 重四郎(きうち じゅうしろう、慶応元年12月10日(1866年1月26日) - 大正14年(1925年)1月9日)は、戦前日本の官僚・政治家。.

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木間瀬策三

木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年(明治9年)9月9日『新編日本の歴代知事』429頁。 - 没年不詳)は、日本の内務官僚、実業家。官選富山県知事。.

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木村健康

木村 健康(きむら たけやす、1909年2月26日 - 1973年12月7日)は、日本の経済学者、東京大学名誉教授、成蹊大学経済学部初代学部長。.

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木村秀政

木村 秀政(きむら ひでまさ)は、日本の航空機設計者。航空機研究者。工学者。航空工学教育者。東京帝国大学教授、日本航空学会会長等を歴任。戦後は日本大学で後進の育成にあたり、1974年(昭和49年)から日本大学名誉教授。 日大時代の1961年11月に初飛行ニュースを聞いた人力飛行機開発を学生たちとともに計画。1963年から所属する機械工学科航空専修コースの卒業研究テーマとして研究開発に着手し、日本初の飛行を実現させた。.

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木村駿吉

木村 駿吉(きむら しゅんきち、1866年11月12日(慶応2年10月6日) - 1938年10月6日)は、日本海軍の軍属(教授、技師)、教育者、特許弁理士。.

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木村清司

木村 清司(きむら せいじ、1896年(明治29年)10月12日『新編日本の歴代知事』480頁。 - 1980年(昭和55年)10月18日)は、日本の内務・厚生官僚、弁護士。官選福井県知事。.

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木村敏雄

木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - )は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。.

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末弘厳太郎

末弘 厳太郎(すえひろ いずたろう、1888年(明治21年)11月30日 - 1951年(昭和26年)9月11日)は、大正・昭和期の日本の法学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。研究対象は、民法、労働法、法社会学。川名兼四郎門下。.

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末元善三郎

末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。.

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末綱恕一

末綱 恕一(すえつな じょいち、1898年(明治31年)11月28日 - 1970年(昭和45年)8月6日)は、日本の数学者。東京大学教授、日本学士院会員。.

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本名文任

本名 文任(ほんな ふみのり、1891年(明治24年) - 1968年(昭和43年))は、日本の医学者、防衛官僚である。京城帝国大学教授、警察予備隊本部医務局長、防衛庁衛生監を歴任。「Ueber die Noma」「Noma」はラテン語。論文の日本語テーマは「水癌について」。で東京帝大医学博士、日本大腸肛門病学会会長。日本の膿胸手術における先駆者である。.

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本多丕道

本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年(大正5年)5月11日 - 1990年(平成2年)8月5日『現代物故者事典 1988~1990』565頁。)は、日本の警察官僚。警視総監。.

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本多光太郎

東北大学訪問記念写真。左から本多光太郎、アインシュタイン、愛知敬一、日下部四郎太 本多 光太郎(ほんだ こうたろう、1870年3月24日(明治3年2月23日) - 1954年(昭和29年)2月12日)は、日本の物理学者、金属工学者(冶金学者)。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼、新KS鋼の発明者として知られる。文化勲章受章者。文化功労者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。 1932年に日本人初のノーベル物理学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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本多辰次郎

本多 辰次郎(ほんだ たつじろう、明治元年4月15日(1868年5月7日) - 1938年(昭和13年)7月8日)は戦前日本の歴史学者。山形県立山形中学校長、宮内省臨時帝室編修局御用掛、法政大学、立教大学講師。.

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本多流生弓会

一般財団法人本多流生弓会 (ほんだりゅうせいきゅうかい)は、弓道の流派のひとつ。明治時代に本多利實が日置流尾州竹林派の斜面の構えを正面の構えに改めて大三を取る射法を創始し、彼の弟子たちが本多流と名づけた。現今一般に行われている正面打起しのうち、大三を取る射法は本多利實によるものである。.

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本山文平

本山 文平(もとやま ぶんぺい、1882年 - 1980年9月13日)は、大正時代から昭和時代にかけての日本統治時代の台湾及び日本の官僚。.

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本位田祥男

本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3月8日 - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の経済学者。西洋経済史専攻。協同組合論にも多大な貢献をもたらした。岡山県出身。.

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本間利雄 (内務官僚)

本間 利雄(ほんま としお、1877年(明治10年)3月3日『新編日本の歴代知事』524頁。 - 1970年(昭和45年)2月2日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事。.

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本間喜一

本間 喜一(ほんま きいち、1891年(明治24年)7月15日 - 1987年(昭和62年)5月9日)は、日本の商法学者、教育者、検察官、裁判官、弁護士、司法官僚。愛知大学名誉学長、一橋大学名誉教授。初代最高裁判所事務総長。正四位勲二等旭日重光章。.

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本間長世

本間 長世(ほんま ながよ、1929年7月5日 - 2012年9月15日)は、日本の政治学者・思想史家で、東京大学教養学部名誉教授。専門は、政治文化論、アメリカ思想史。文化功労者。.

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本野精吾

本野 精吾(もとの せいご、1882年(明治15年)9月30日 - 1944年(昭和19年)8月26日)は、大正期から昭和初期にかけて京都を中心に活躍した建築家。日本におけるモダニズム建築の先駆者のひとり。.

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札幌市立柏中学校

札幌市立柏中学校(さっぽろしりつ かしわちゅうがっこう)は、北海道札幌市中央区南21条西5丁目にある公立中学校。.

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札幌農学校

札幌農学校(さっぽろのうがっこう)とは、明治初期に北海道札幌に置かれた教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。.

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朱牟田夏雄

朱牟田 夏雄(しゅむた なつお、1906年6月29日 - 1987年10月18日)は、日本の英文学者。東京大学名誉教授。.

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月村清次郎

月村清次郎(つきむら せいじろう、1878年12月3日 - 1942年1月28日)は日本の弁護士、裁判官。.

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有田八郎

有田 八郎(ありた はちろう、明治17年(1884年)9月21日 - 昭和40年(1965年)3月4日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員(勅選)、衆議院議員。号は澤農。旧姓山本。新潟県平民『人事興信録.

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有松昇

有松 昇(ありまつ のぼる、1900年(明治33年)- 1974年(昭和49年))は、日本の官僚、法学者。.

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有泉亨

有泉 亨(ありいずみ とおる、1906年6月10日 - 1999年12月20日)は、日本の法学者、弁護士。東京大学名誉教授。.

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望月市恵

望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者、信州大学名誉教授。 長野県南安曇郡東穂高村(現・安曇野市)生まれ。旧制松本中学、松本高等学校文科乙類を経て、1925年東京帝国大学文学部独文科卒。立教大学予科教授、静岡高等学校教授、第一高等学校教授、松本高等学校教授ののち、1949年、信州大学教授、退官して名誉教授。 多くのドイツ文学を翻訳。特にトーマス・マンの翻訳で知られる。北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』に旧制松本高校教授時代の姿が描かれている。.

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望月圭介

望月 圭介(もちづき けいすけ、1867年4月1日(慶応3年2月27日) - 1941年(昭和16年)1月1日)は日本の政党政治家。広島県出身。.

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成城中学校・高等学校

成城中学校・高等学校(せいじょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区原町三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校である。高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から入学した外部進学生徒との間において、高等学校1年では別クラス、高等学校2年で混合クラスになる併設混合型中高一貫校である。.

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成立学舎

成立學舎(せいりつがくしゃ)は、明治初期から半ばにかけて東京にあった教育機関。英語をもって主として教授し、今日の予備校の形態をとる上級学校進学を目的とする中等教育機関であったが、設立および廃止年月日は不明。.

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成田勝四郎

成田 勝四郎(なりた かつしろう、1904年(明治37年) - 1982年(昭和57年)10月26日)は、日本の外交官。在ドイツ日本大使や終戦連絡中央事務局第一部長、国連政府代表団代表などを歴任。.

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成瀬正一 (フランス文学者)

成瀬 正一(なるせ せいいち、1892年4月26日 - 1936年4月13日)は、日本のフランス文学者である。ロマン・ロランの翻訳・紹介をおこなった。大学卒業後まもなく創作から研究の道に転じ、九州帝国大学法文学部教授として仏蘭西浪漫主義思想を専門とした。 43歳の若さで病死したが、この時代の良き知識人として、後世の文学や美術研究に大いに寄与した。 パリ留学中の1921年、松方幸次郎のアドバイザーとして松方コレクション(国立西洋美術館)の絵画彫刻の蒐集購入に協力した。.

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成瀬正二

成瀬正二(1925年) 成瀬 正二(なるせ せいじ、1893年12月26日 - 1960年1月29日)は、日本の工学者・海軍軍人。海軍少将正五位勲四等。海軍航空技術廠雷撃部長。.

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戦没野球人モニュメント

戦没野球人モニュメント(せんぼつやきゅうじんモニュメント)は、東京都文京区後楽の東京ドーム内に置かれた野球殿堂博物館内にある記念碑。太平洋戦争などで戦死した中等学校野球・大学野球・社会人野球選手の功績を記念したものである。管理は野球殿堂博物館が行なっている。.

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戸坂潤

戸坂 潤(とさか じゅん、1900年9月27日 - 1945年8月9日)は、日本の哲学者。.

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戸塚九一郎

戸塚 九一郎(とつか くいちろう、1891年3月27日 - 1973年10月13日)は、日本の官僚、政治家。徳島県知事、山口県知事、宮城県知事(第28代)、福岡県知事、北海道庁長官(第25代)、労働大臣(第8代)、建設大臣(第8代、第9代)、北海道開発庁長官(第5代、第6代)、衆議院議員(3期)を務めた。.

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戸川秋骨

戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1939年(昭和14年)7月9日)は、日本の評論家、英文学者、教育者、翻訳家、随筆家。別号は秋骨のほか、棲月・早川鴎村、早川漁郎・蒼梧桐・長帆・かげろふなどhttps://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784820594130。.

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戸田保忠

戸田 保忠(とだ やすただ、1887年(明治20年)9月10日 – 1938年(昭和13年)12月18日)は、農商務官僚、農林官僚。.

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戸谷敏之

戸谷 敏之(とや としゆき、1912年(明治45年)7月 - 1945年(昭和20年)9月)は、日本の経済学者、歴史学者。日本常民文化研究所員。専門は農業経済史。.

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戸沢盛男

戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月『新編日本の歴代知事』1004頁。 - 1954年(昭和29年)7月12日『「現代物故者事典」総索引: 昭和元年〜平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』842頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。佐賀県知事、陸軍司政官。.

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我妻栄

我妻 榮(わがつま さかえ、1897年(明治30年)4月1日 - 1973年(昭和48年)10月21日)は、山形県米沢市出身の日本の民法学者。法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。.

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星野喜代治

星野 喜代治(ほしの きよじ、1893年(明治26年)11月11日 - 1979年(昭和54年)10月14日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。銀行局検査課長を最後に退官し、朝鮮銀行副総裁を務める。第二次世界大戦終結後は同行の特殊清算人に選ばれ、第二会社として日本債券信用銀行の前身となる日本不動産銀行を設立し、頭取、会長を歴任。日債銀相談役。.

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星野直樹

星野 直樹(ほしの なおき、1892年4月10日 - 1978年5月29日)は、日本の大蔵官僚、政治家、実業家。 満州国では国務院総務長官として腕を振るい、満州国の実力者「弐キ参スケ」の一角を占める。第2次近衛内閣の企画院総裁、東条内閣では内閣書記官長を務め、終戦後にA級戦犯として起訴された。終身禁固刑を受けるも釈放され、その後は旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。.

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星野英一

星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。.

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明治十六年事件

明治十六年事件(めいじじゅうろくねんじけん)は、1883年(明治16年)10月に東京大学学生及び同予備門生徒のうち、寄宿舎生の大部分によって行われた賄征伐、暴動事件である。.

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明治大学應援團

明治大学應援團(めいじだいがくおうえんだん)は、明治大学公認の応援団である。.

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春山作樹

春山 作樹(はるやま さくき、1876年(明治9年)8月13日 - 1935年(昭和10年)12月29日)は、日本の教育学者。東京帝国大学教授。文学博士。.

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春爛漫の花の色

春爛漫の花の色 (はるらんまんのはなのいろ) は旧制第一高等学校の代表的な寮歌の一つ。正式名称は、第十一回紀念祭西寮寮歌より正確には、「第十一回紀念祭寮歌」だが、同年に寮歌は五曲作られているため、便宜区別のために、頁の末尾に 「(三十五年西寮)」 と附記されている。。通称は歌い出しの歌詞によっているが単に「春爛漫」と言う場合が多い。.

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春藤嘉平

春藤 嘉平(しゅんどう かへい『新編日本の歴代知事』103頁。、1879年(明治12年)8月27日 - 1953年(昭和28年))は、日本の内務・警察官僚。官選青森県知事、呉市長、川崎市長。.

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春日弘

春日 弘(かすが ひろむ 1885年(明治18年)8月8日 - 1970年(昭和45年)9月12日)は、長野県下高井郡穂波村佐野(現・山ノ内町)出身の日本の実業家。 住友本社理事、取締役。住友金属工業初代社長。ダイキン工業初代会長。JOC日本オリンピック委員会委員。1964年東京オリンピック大会組織委員会委員及び同財務委員。日本陸上競技連盟2代目会長。ヘルシンキオリンピック大日本選手団総監督。ローマオリンピック日本選手団長。大阪府公安委員長。正四位勲二等瑞宝章。国際陸連IAAF功労賞。.

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昌谷彰

昌谷 彰(さかや あきら、1870年 2月13日(明治3年1月13日)『人事興信録』第5版、さ84頁。 - 1946年(昭和21年)10月)は、日本の内務官僚。官選県知事、樺太庁長官。.

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浦和地区

浦和地区(うらわちく)は、埼玉県さいたま市南部の旧浦和市域や浦和駅周辺を指す地域総称。.

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浦和画家

浦和画家(うらわがか)は、埼玉県の旧浦和市(後のさいたま市浦和区など)に多く居住していた文化人・芸術家の総称である。浦和には特に画家が多く居住し、アトリエを構えたことから、浦和アトリエ村が生まれ、「鎌倉文士に浦和画家」として、文学者の多い鎌倉市と並んで称された。現在も首都圏の文教都市の代表格となっている。画家以外にも彫刻家や詩人が居住し、文化人同士の交流も盛んであった。人数は少なくなったが、2000年代以降も画家は居住している。.

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浦和高等学校 (旧制)

旧制浦和高等学校門柱(北浦和公園) 旧制浦和高等学校(きゅうせいうらわこうとうがっこう)は、1921年(大正10年)埼玉県北足立郡浦和町(現在のさいたま市浦和区)に設立された官立旧制高等学校。略称は「浦高」(うらこう)。.

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海原治

海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006年10月21日)は、日本の防衛官僚、軍事評論家。大阪府出身。本籍は徳島県。.

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海軍兵学校 (日本)

海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関である。.

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海潮音 (詩集)

『海潮音』(かいちょうおん)は、上田敏が1905年(明治38年)10月、本郷書院から出版した、おもにヨーロッパの詩人の詩の訳詩集。日本に初めて象徴派の詩を紹介した。 次第に広く読まれ、カール・ブッセの『山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ……』やヴェルレーヌの『秋の日の ヴィオロンの ためいきの……』などは、今なお愛誦されている。.

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浜口庫之助

浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本のソングライター。兵庫県神戸市出身。愛称はハマクラ。東京府立第四中学校卒業、早稲田大学中退。青山学院大学商学部卒業。パーカッショニストの浜口茂外也は子。元女優の渚まゆみは妻。.

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浅尾新甫

浅尾 新甫(あさお しんすけ、1894年3月1日 - 1972年2月22日)は、日本の実業家。従三位勲一等瑞宝章。 父は衆議院議員をつとめた浅尾長慶。妻の父も衆議院議員をつとめた樋口秀雄。衆議院議員の浅尾慶一郎は孫。駐イタリア大使、国際交流基金理事長をつとめた浅尾新一郎は長男。元駐ニュージーランド大使井口武夫(井口貞夫元外務事務次官の子)の妻・捷子は長女。.

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浅草紅団

『浅草紅団』(あさくさくれないだん)は、川端康成の長編小説。旧漢字表記では『淺草紅團』。全61節から成る。川端が30歳から31歳にかけての執筆作で、昭和初頭の浅草の人間模様を見聞記風・叙景詩風に描いた作品である「新感覚――『文芸時代』の出発」()。昭和モダニズム文学とも呼ばれ、この作品の影響で、浅草を訪れる人々が増えるという浅草ブームが起きた「『浅草紅団』について」(文學界 1951年5月号)。、、に所収「第二章 新感覚派の誕生――文壇への道 第七節 『海の火祭』と『浅草紅団』」()「第3章 モダニズムの結界――『浅草紅団』」()。 姉を捨てた男への復讐のために、浅草の街をさまよう不良少年少女パフォーマンス集団「浅草紅団」首領の中性的美少女に案内され、浅草の裏社会に生きる人々の有様を綴る「私」のルポルタージュ風な物語。関東大震災以降の都市の街並、浮浪者、乞食、娼婦、ポン引き、踊子、見世物小屋、エログロ・ナンセンスなどの美と醜が混在する風俗、新旧の現象が、世界恐慌から昭和恐慌の波が押し寄せる不穏な空気感を背景に、抒情的な目線で描かれている。.

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浅香社

浅香社(あさかしゃ)は、落合直文が1893年(明治26年)に結成して主催した短歌結社。名称は、直文が住んだ東京の浅嘉町(現・文京区本駒込3-6-9)に由来する。 直文は東京大学を中退後、第一高等中学校や東京専門学校(現・早稲田大学)などで教鞭をとりながら、国学の研究を行い、浅嘉町に移り住んだ。浅香社には与謝野鉄幹、金子薫園、尾上柴舟、鮎貝槐園(直文の実弟)など集まり、短歌の改革に尽力した。ここから、新詩社(鉄幹)いかづち会(柴舟)などの新たな運動が起こり、発展していった。その後、門流から、与謝野晶子、石川啄木、北原白秋などが輩出し、浪漫的短歌の源流となった。 直文は明治の新時代に古来の和歌が一般人には難しいことから、平易な言葉で作歌できるようにし、また貴族、老人のものであった和歌を若い人でも作歌できるように努めた。また直文は門弟にはまねすることなく、個性をとても大事にした。.

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浅賀長兵衛

浅賀 長兵衛(あさか ちょうべえ、1883年(明治16年)7月30日 - 1945年(昭和20年)4月13日衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。弁護士。.

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浅村廉

浅村 廉(あさむら きよし 1909年11月6日 - 1994年7月6日)は、日本の官僚。.

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斎藤十一

斎藤 十一(齋藤 十一、さいとう じゅういち、1914年(大正3年)2月11日 - 2000年(平成12年)12月28日)は、昭和期の編集者・出版人。 カリスマ性のある人物で、新潮社の「天皇」とも「怪物」とも呼ばれた。新潮社会長の佐藤亮一の参謀として権勢を振るい恐れられた。1960年(昭和35年)から『週刊新潮』に名物コラム「東京情報」を長期連載していた自称オランダ人記者ヤン・デンマンは、斎藤の変名と考えられている。.

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斎藤守圀

斎藤 守圀(さいとう もりくに、1884年(明治17年)8月15日 - 1945年(昭和20年)9月18日)は、日本の内務官僚。官選県知事。.

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斎藤宗宜

斎藤 宗宜(さいとう むねのり、1881年(明治14年)4月 - 1939年(昭和14年)12月20日)は、日本の内務官僚、弁護士。府県知事。.

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斎藤常三郎 (法学者)

斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年)11月20日 – 1951年(昭和26年)7月22日) は、日本の法学者。和議法、破産法の権威者で、神戸商大、京都帝大の各教授、会津短大学長を歴任した。「和議制度の研究」で京都帝大法学博士、日本学士院会員。.

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斎藤光

斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010年7月11日)は、日本のアメリカ文学者。東京大学名誉教授。.

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斎藤秀三郎

斎藤 秀三郎(さいとう ひでさぶろう、1866年2月16日(慶応2年1月2日) - 1929年(昭和4年)11月9日)は、明治・大正期を代表する英語学者・教育者。宮城県仙台市出身。.

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斎藤茂吉

斎藤 茂吉(さいとう もきち、1882年(明治15年)5月14日 - 1953年(昭和28年)2月25日)は、日本の歌人、精神科医。伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期にかけてのアララギの中心人物。精神科医としては青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。長女は百合子、次女は晶子。長男は精神科医で随筆家の「モタさん」こと斎藤茂太、次男は精神科医・随筆家・小説家の「どくとるマンボウ」こと北杜夫で、随筆家の斎藤由香はこの北杜夫の娘にあたる。.

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斎藤阿具

斎藤 阿具(さいとう あぐ、1868年3月11日(慶応4年2月18日) - 1942年(昭和17年)3月1日)は、日本の歴史学者。夏目漱石の友人として知られる。.

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斎藤邦吉

齋藤 邦吉(さいとう くにきち、1909年6月26日 - 1992年6月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(12期)。 自民党内では宏池会に所属し、伊東正義、佐々木義武とともに「大平派三羽烏」と呼ばれた。また、厚生族の重鎮としても知られた。.

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斎藤樹

斎藤 樹(さいとう いつき、1888年(明治21年)6月26日 - 1951年(昭和26年)6月2日)は日本の内務官僚。警視総監、台湾総督府総務長官等歴任。貴族院議員。.

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斯波孝四郎

斯波 孝四郎(しば こうしろう、1875年(明治8年)1月24日 ‐ 1971年(昭和46年)6月13日)は、日本の実業家、技術者。.

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新城和一

新城 和一(しんじょう わいち、1891年(明治24年)5月15日 - 1952年(昭和27年)4月7日)は、日本の文学者。未来社に参加した詩人で、『白樺』同人でもあった。 ドストエフスキー、バルザック、ロマン・ロランなどロシア文学、フランス文学の諸作品を翻訳した翻訳家でもあり、『真理の光』を著すなど評論家としても活動した。 法政大学教授。真城倭一はペンネーム。.

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新居善太郎

新居 善太郎(あらい ぜんたろう、1896年1月16日 - 1984年1月12日)は、日本の内務官僚。官選府県知事。公園緑地施策にも多く関わった。.

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新島淳良

新島 淳良(にいじま あつよし、1928年2月7日 - 2002年1月12日)は、日本の中国文学者、コミュニティー活動家。.

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新井裕 (警察官僚)

新井 裕(あらい ひろし、1914年(大正3年)5月13日 - 2008年(平成20年)5月1日『現代物故者事典 2006-2008』27頁。)は、日本の内務・警察官僚、実業家。警察庁長官、日本航空専務、日本アジア航空会長。.

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新制大学

新制大学(しんせいだいがく)とは、1947年(昭和22年)制定の学校教育法に拠り、高等教育を行う教育機関のことである。 学制改革により学校教育法が施行され、これ以前の帝国大学令や大学令等による大学は旧制大学と呼ばれるようになった。 そして、戦前の旧制大学、旧制高等学校、師範学校、高等師範学校、大学予科および旧制専門学校が4年制の新制大学として再編された。特に新制国立大学の設置については、文部省が総合的な実施計画を立案することになり、1949年(昭和24年)施行の国立学校設置法に基づいて設置された。.

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新田純興

新田 純興(にった すみおき、1897年1月14日 - 1984年8月1日)は、北海道出身のサッカー選手、サッカー指導者。東京帝国大学工学部冶金学科卒業。.

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新田恭一

新田 恭一(にった きょういち、1898年(明治31年)9月24日 - 1986年(昭和61年)1月9日)は、野球指導者、プロ野球監督、ゴルファー。広島県広島市出身。.

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新規矩男

新 規矩男(あたらし きくお、1907年7月30日-1977年9月17日)は、日本の西洋美術史家。.

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新見吉治

新見 吉治(しんみ きちじ、1874年10月9日 - 1974年11月4日)は、日本の歴史学・教育学者。.

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新谷寅三郎

新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年(明治35年)10月30日 – 1984年(昭和59年)12月16日)は、昭和期の政治家・官僚。郵政大臣・運輸大臣。1974年勲一等旭日大綬章受章。.

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新村出

新村 出(しんむら いずる、1876年(明治9年)10月4日 - 1967年(昭和42年)8月17日)は、日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。.

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新渡戸稲造

新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。 国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(東京文化短期大学・現:新渡戸文化短期大学)初代校長。.

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新潟県立新潟高等学校の人物一覧

新潟県立新潟高等学校の人物一覧(にいがたけんりつにいがたこうとうがっこうのじんぶついちらん)とは、新潟県立新潟高等学校の主な出身者・関係者の一覧である。.

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新潟高等学校 (旧制)

旧制新潟高等学校(きゅうせいにいがたこうとうがっこう)は、1919年(大正8年)4月に新潟県新潟市(現在の新潟市中央区)に設立された官立の旧制高等学校。.

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文京区立誠之小学校

文京区立誠之小学校(ぶんきょうくりつせいししょうがっこう)は、東京都文京区西片に位置する公立小学校。2010年度で開校135周年を迎えた。.

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文転

文転(ぶんてん)とは、理系課程で学ぶ者が、文系課程の専攻に鞍替えする行為を言う。 日本では、高校時点で自らの意思で理数系コースに進級した生徒が、理数系の数学等でつまずきはじめ、やむを得ず、大学受験時に志望する学部を、理科系学部ではなく文科系学部にて受験する、といった消極的ニュアンスであることが多い。逆の事例は理転と呼ばれるが、一般的に理転をするには、現在の高等学校のカリキュラムでは困難を伴う場合が多いとされている。(以下を参照).

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日高信六郎

日高 信六郎(ひだか しんろくろう、1893年4月10日 - 1976年6月18日)は、日本の外交官、登山家。駐イタリア、イタリア社会共和国大使、日本山岳会会長。.

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日高第四郎

日高 第四郎(ひだか だいしろう、1896年2月16日 - 1977年12月14日)は、日本の教育学者、文教官僚。.

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日高普

日高 普(ひだか ひろし、1923年10月28日 - 2006年10月16日)は、日本の経済学者、文芸評論家。元法政大学経済学部教授、2017年5月17日閲覧。、名誉教授。専攻は経済原論。経済学博士。.

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日野啓三

日野 啓三(ひの けいぞう、1929年6月14日 - 2002年10月14日)は、日本の小説家。ベトナム戦争を題材にした作品や、現代都市における幻想を描く都市小説といわれる作品などで知られる。.

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日通事件

日通事件(にっつうじけん)は、1968年に発覚した汚職事件。.

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日比野寛

日比野 寛(ひびの ゆたか / ひろし、1866年12月9日(慶応2年11月3日) - 1950年4月2日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。愛知県中島郡大里村(現:稲沢市)出身。旧姓は織田(おだ - )。日本におけるマラソン指導の始祖とされている。.

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日比重雅

日比 重雅(ひび しげまさ、1880年(明治13年)6月『人事興信録』第6版、ひ4頁。 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選鳥取県知事。.

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日本の大学野球

日本の大学野球(にほんのだいがくやきゅう)とは、日本における大学相当の教育機関に所属する野球部が主体となって行われる野球競技の一般総称である。 対象となる組織は、大学以外に高専(高等専門学校。但し、高専チームの部員登録対象は後半期学年に当たる第4学年・第5学年のみ)と短期大学、ならびに大学相当の教育を行う省庁大学校の野球部である。また、6年制を採っている学部生(主に医歯薬関連学部)の場合は、生涯通年として最大4年間までの制限の下でその登録・在籍の対象になっている。.

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日本の医学校

日本の医学校(にほんのいがっこう)は、医師になるための学校として日本で過去設立された医師養成学校の一覧。現在大学医学部の源流である学校も幾つかある。 なお1883年の当時の文部省の医学校通則で、公立医学校には甲種、乙種の別が定められる。甲種はその際、宮城、秋田、千葉、新潟、石川県金沢、愛知、三重県甲種、京都府、大阪、神戸、岡山県、徳島、福岡、長崎、熊本の各医学校が認定された。.

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日本学園中学校・高等学校

日本学園中学校・高等学校(にほんがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区松原二丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校での募集があり、特別進学コース、総合進学コース、スポーツコースの3コースに分かれ、その一部が内部進学生と混合のクラス編成となる、併設混合型中高一貫校。.

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日本寮歌祭

日本寮歌祭(にほんりょうかさい)は、かつて旧制高等学校卒業生を中心とする日本寮歌振興会が主催していた寮歌祭。1961年(昭和36年)10月7日に文京公会堂で第1回が開催され、以後日比谷公会堂や日本武道館などを会場に毎年秋に開催され、日本テレビ系列で1時間の枠組みで放映されたこともあったがただし、1988年(昭和63年)は昭和天皇の重病のため自粛となり開催されなかった。、年月を経るにつれ参加者の高齢化により運営に困難をきたしたことなどから、2010年(平成22年)の第50回開催をもって打ち切りとなった。なお、2001年の第41回以降は、従前は各校の同窓会単位での参加であったのが個人参加と宴会方式の開催に変更され、新宿NSビルイベントホールを会場として開催されていた。 参加校は狭義の旧制高校に限らず、大学予科や陸軍士官学校・海軍兵学校などの旧制教育機関にも門戸を開いていた。また、最初の頃は新制大学側などからの参加もあり、旧制教育機関関係者が主な参加主体になってからも、後身の新制学校OBが旧制時代のOBに混じって参加した例がある(東京高等師範学校→東京教育大学→筑波大学など)。.

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日本体育大学荏原高等学校

日本体育大学荏原高等学校(にっぽんたいいくだいがくえばらこうとうがっこう)は、東京都大田区池上八丁目に所在する私立高等学校。2016年4月1日より「日体荏原高等学校」から「日本体育大学荏原高等学校」に校名を変更した。.

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日本陸上競技選手権大会

日本陸上競技選手権大会(にほんりくじょうきょうぎせんしゅけんたいかい)は、陸上競技の日本一を決める大会である。日本陸上競技連盟主催、トラック競技・フィールド競技の男女合計36種目を実施する。毎年6月に開催し、夏季オリンピック・世界選手権などの国際大会開催年は日本代表の選考会を兼ねている。単に日本選手権とも呼ばれている。.

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旧制専門学校

旧制専門学校(きゅうせいせんもんがっこう)とは、第二次世界大戦までの日本において、専門学校令に基づいて専門教育を行っていた高等教育機関である。 現在の単科大学に近いものとされ、その多くは現在の大学の前身でもある(旧外地の高等教育機関も参照)。 なお現在の日本における専門学校とは、専門課程を有する専修学校が称することができる(学校教育法第82条の4)、実践的な職業等の専門技能を授ける教育機関であり、本項でいう専門学校とは系統を全く別にするものである。.

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旧制高等学校

旧制高等学校(きゅうせいこうとうがっこう)とは、高等学校令(1894年および1918年)にもとづいて設置され、1950年まで存在した日本の高等教育機関である。 教育内容は現在の大学教養課程に相当する。なお、現在の高等学校と混同されることがあるが、現在の高等学校は(後期)中等教育機関であり、旧制の学制においては5年制の旧制中等教育学校(その代表格が旧制中学校)の後半がそれに相当する。 旧制高校の基本的な骨格は、1886年の中学校令により設立された第一から第五、山口、鹿児島の7官立高等中学校のうち、鹿児島を除く6校を1894年に高等学校令によって改組したときに完成する。 この改組により、帝国大学への予備教育を行う高等中学校本科は高等学校大学予科に名称を改め、修業年限が2年制から1年延長された3年制となった。 専門学部は3年制から4年制(医学科のみ4年制のまま)に移行するが、後に学部は順次廃止(帝国大学昇格)ないし専門学校として分離され、高等学校のコースは帝国大学への予備教育を行う大学予科のみとなった。 1918年の高等学校令改正により各地で次々に高等学校が増設され、また中学校4年履修と高等学校3年履修を合体した7年制高等学校が出現し、大学予科は高等科に改称された。.

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旧制薬学専門学校

旧制薬学専門学校(きゅうせいやくがくせんもんがっこう)とは、日本において学校教育法が施行される前の、専門学校令に基づいて薬学に関する専門教育を行っていた高等教育機関のことである。.

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早川宗八郎

早川 宗八郎(はやかわ そうはちろう、1926年3月15日 - 2014年8月26日)は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授、同大学元理学部長、職業能力開発総合大学校元校長、同大学校名誉教授。日本基督教団の牧師でもあった。東京大学工学博士。専門は固体光物性、紛体物性、エネルギー変換物性。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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早稲田大学野球部

1911年、米国遠征でホノルルを訪れた際の早稲田大学野球部 早稲田大学野球部(わせだだいがくやきゅうぶ、Waseda Baseball Club)は、東京六大学野球連盟に所属する大学野球チーム。早稲田大学の学生によって構成されている。卒業生(あるいは4年生次まで在籍した部員、会が入会を認めた者)で構成するOB会の名称は稲門倶楽部。 日本の野球の創成・発展に大きく寄与したことから、慶應義塾大学野球部(慶應)とともに、野球のルーツ校的存在とされている。.

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早稲田中学校・高等学校

早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校である。.

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早慶戦

早慶戦(そうけいせん)または慶早戦(けいそうせん)は、'''早'''稲田大学(以下、「早稲田」)と'''慶'''應義塾大学(以下、「慶應」)との対校戦である。主にスポーツ(特に野球、サッカー、ラグビー、レガッタ)での対戦であるが、スポーツ分野以外でもこの両校の学生サークルが実施する討論会などで使用されることがある。 なお、慶早戦(けいそうせん)は慶應義塾側の呼称であり、同大学の学生や卒業生の間では一般的な呼称であるが必ずしも「慶早」に統一されているわけではなく、慶應義塾でも「早慶戦」の語が用いられることがある。.

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旅順高等学校 (旧制)

旧制旅順高等学校(きゅうせいりょじゅんこうとうがっこう)は、1940年(昭和15年)3月、日本の支配下にあった関東州旅順に設立された官立旧制高等学校。略称は「旅高」。.

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支那思想及人物講話

支那思想及人物講話(しなしそうおよびじんぶつこうわ)は、安岡正篤の政治哲学書である。著者第一高等学校在学時より開始された中国思想史編纂の試みの出版時までの集成。新たに個々の各論の包含する問題に逢着しながら、書き溜めた文章を並列させて提供することにより、体系的叙述の完成に代えた。1921年(大正10年)に玄黄社から出版された。.

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愛媛県立西条高等学校

愛媛県立西条高等学校(えひめけんりつさいじょうこうとうがっこう)は、愛媛県西条市明屋敷に所在する公立の高等学校。.

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愛媛県立松山東高等学校の人物一覧

愛媛県立松山東高等学校の人物一覧(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこうのじんぶついちらん) 愛媛県立松山東高等学校およびその前身校(藩校明教館、旧制松山中学校等)の主な出身者、教員、関係者など。ただし、1949-1952年に設置された松山東高商業科(現・愛媛県立松山商業高等学校)の関係者は除く。.

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数藤五城

数藤 五城(すどう ごじょう、1872年2月2日(明治4年12月24日) - 1915年(大正4年)8月21日)は、日本の俳人、教育者。第一高等学校教授、正岡子規の門人。本名は斧三郎、短歌での筆名は小野三郎。.

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数藤鉄臣

数藤 鉄臣(すどう かねおみ、1896年(明治29年)9月8日 - 1994年(平成6年)3月26日小山「第三十七代知事 數藤鐵臣」407-409頁。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、海軍司政長官。旧姓・村上。.

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教養学部

教養学部(きょうようがくぶ)とは、人文科学・自然科学・社会科学の諸科学にまたがる分野の教育研究を行う、大学における学部の一形態である。(1〜2年次の一般教養課程である「教養部」とは異なる組織であり、そちらは教養課程と専門課程を参照のこと。).

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教育ニ関スル勅語

教育ニ関スル勅語(きょういくにかんするちょくご)または教育勅語(きょういくちょくご)は、明治天皇の勅語として発布された、近代日本の教学の最高規範書「」。1890年(明治23年)10月30日発布、1948年(昭和23年)6月19日廃止。.

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慶應義塾体育会野球部

1928–1929年頃の慶應義塾体育会野球部 慶應義塾体育会野球部(けいおうぎじゅくたいいくかいやきゅうぶ、Keio University Baseball Club)は、東京六大学野球連盟に所属する大学野球チーム。慶應義塾大学の学生によって構成されている。球界に幾多の人材を送り出し、早稲田大学野球部とともに日本の野球の発展を支えてきた、今日ではルーツ校的存在である。OB組織の名称は「三田倶楽部」。 ユニフォームは、グレー色の生地に「KEIO」と表記されたもの。野球帽には、「K」の一文字が取り付けられている。.

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打田峻一

打田 峻一(うちだ しゅんいち、1909年 - 1992年)は、日本の法学者・弁護士・元国家公務員。専修大学名誉教授。多数の門下生(研究者)を育てる。「打田畯一」とも表記される。.

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手塚富雄

手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は日本のドイツ文学者。.

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曽祢益

曾禰 益(新字体:曽祢 益、そね えき、1903年12月5日 - 1980年4月25日)は、日本の官僚・政治家。正三位勲一等。妻は東急グループの創業者である五島慶太の長女・春子である。.

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思へば遠し神の御代

思へば遠し神の御代 (おもえばとおしかみのみよ) は旧制第一高等学校の第九回紀念祭南寮寮歌。.

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普選運動

普選運動(ふせんうんどう)とは、近代日本において普通選挙の実現を求めた運動である。その端緒は明治時代中期(19世紀末)の「普通選挙期成同盟会」の結成に求められ、その後大正デモクラシーのもとで最高潮に達し、1925年(大正14年)の普通選挙法制定により終焉した。.

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時空の旅人

『時空の旅人』(ときのたびびと)は、眉村卓作の小説。(初出の題は『とらえられたスクールバス』)。またそれを原作とする1986年12月20日に公開された日本のアニメーション映画、またはその主題歌。『火の鳥 鳳凰編』と同時上映された。.

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時永浦三

時永 浦三(ときなが うらぞう、1884年(明治17年)4月6日『新編日本の歴代知事』1087頁。 - 1929年(昭和4年)2月7日『朝日新聞』(東京本社発行)1929年2月9日朝刊、7面の訃報より。)は、日本の朝鮮総督府・内務官僚。官選県知事。.

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1890年のスポーツ

記載なし。

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1903年

記載なし。

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1906年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1946年

記載なし。

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1980年の日本

1980年の日本(1980ねんのにほん)では、1980年(昭和55年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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1月14日

1月14日(いちがつじゅうよっか、いちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から14日目に当たり、年末まであと351日(閏年では352日)ある。誕生花はシクラメン、シンビジューム、スイートピー、サフラン。.

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1月9日

1月9日(いちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から9日目に当たり、年末まであと356日(閏年では357日)ある。誕生花はパンジー。.

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5月22日

5月22日(ごがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から142日目(閏年では143日目)にあたり、年末まではあと223日ある。誕生花はフクシア。.

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7月24日

7月24日(しちがつにじゅうよっか、しちがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から205日目(閏年では206日目)にあたり、年末まであと160日ある。誕生花はエンレイソウ、オシロイバナ。.

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9月14日

9月14日(くがつじゅうよっか、くがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から257日目(閏年では258日目)にあたり、年末まであと108日ある。.

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