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木々高太郎

索引 木々高太郎

木々 高太郎(きぎ たかたろう、1897年5月6日 - 1969年10月31日)は日本の大脳生理学者・小説家(推理作家)・詩人。本名:林髞(はやし たかし)。長男は医学博士で精神衛生学者の林峻一郎(1930年-2008年)。.

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ぷろふいる

『ぷろふいる』は、日本の探偵小説専門誌。1933年に京都で創刊された。1933年5月号から1937年4月号まで、4年間で全48冊刊行。発行はぷろふいる社。 第二次世界大戦以前では最も長く続いた探偵小説専門誌だった。.

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南沢十七

南沢 十七(みなみざわ じゅうしち(文献によっては「なんざわ としち」となっているものがあるが、これは誤り)、1905年(明治38年)3月10日 - 1982年(昭和57年)9月26日)は日本の探偵小説・科学小説家、翻訳家。ペンネームの「十七」は17歳のときに父親を亡くしたことによる。代表作に『緑人の魔都』などがある。 本名である川端 男勇(かわばた まさお)名義では科学者の伝記の翻訳や、ノンフィクションの執筆を行った。別名義に本名をもじった川端 勇男(いさお)や、巳貴 千尋、米田 華舡がある。雑誌『科学画報』の編集長を務めた。 中国研究家の米田祐太郎は叔父。.

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古武弥正

古武 弥正(こたけ やしょう、1912年9月19日-1997年11月13日)は日本の心理学者。医学博士。「人間における条件反射の研究」などで顕著な業績を挙げた。 関西学院大学名誉教授、元関西学院大学学長、兵庫医科大学名誉教授、元兵庫医科大学理事長。 勲二等旭日重光章受章(1984年)、毎日学術奨励賞(1955年)、兵庫県功労者表彰(1971年)、西宮市民文化賞(1983年)。.

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吉野賛十

吉野 賛十(よしの さんじゅう、1903年(明治36年)1月25日 - 1973年(昭和48年)10月15日)は日本の小説家。推理小説を多く残し、代表作に「鼻」などがある。別名義に東 一郎(あずま いちろう)。本名は永田東一郎。童話作家の日野多香子は娘。.

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多磨霊園

噴水塔 多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128万0237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当する。 関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。 長い歴史を持ち緑の多い公園墓地であり、著名人の墓地も多数所在する。.

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大下宇陀児

大下 宇陀児(おおした うだる、1896年(明治29年)11月15日 - 1966年(昭和41年)8月11日)は日本の探偵小説作家。本名、木下龍夫。別名、XYZ。.

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宝石賞

宝石賞(ほうせきしょう)は、岩谷書店のちの宝石社が主催していた推理小説、評論を対象とした公募新人文学賞。.

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宮木高明

宮木 高明(みやき たかあき、1911年1月30日-1974年1月9日)は、薬学者。.

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小栗虫太郎

小栗 虫太郎(おぐり むしたろう、1901年(明治34年)3月14日 - 1946年(昭和21年)2月10日)は、日本の小説家、推理作家、秘境冒険作家。東京都千代田区外神田出身。本名は小栗 栄次郎(おぐり えいじろう)。漢語カタカナルビと西洋の知識に彩られた、極度のペダントリー(衒学趣味)的作風で著名。代表作は、デビュー作『完全犯罪』、推理小説の三大奇書の一つといわれる『黒死館殺人事件』、秘境探検小説の連作『人外魔境』など。.

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山路ふみ子

山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉12月6日)は、女優・実業家・社会事業家。兵庫県神戸市長田区出身。本名・大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)。.

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山梨県出身の人物一覧

山梨県出身の人物一覧(やまなしけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する山梨県出身の人物の一覧表である。.

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山梨県立甲府第一高等学校の人物一覧

山梨県立甲府第一高等学校人物一覧(やまなしけんりつこうふだいいちこうとうがっこうじんぶついちらん) 山梨県立甲府第一高等学校の主な出身者・教員・関係者など。.

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山梨県立文学館

山梨県立文学館(やまなしけんりつぶんがくかん)は、山梨県甲府市貢川の「芸術の森公園」内にある文学館である。同公園内には山梨県立美術館もある。建物は地上2階地下1階、延床面積6168 m2。.

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岡本彰祐

岡本 彰祐(おかもと しょうすけ、1917年(大正6年)1月9日 - 2004年(平成16年)11月1日)は日本の医学者。止血剤:ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸、抗血栓薬:アルガトロバンの開発者として知られている。.

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岡本歌子

岡本 歌子(おかもと うたこ、1918年(大正7年)4月1日 - 2016年(平成28年)4月21日)は、日本の医学者。止血剤:ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸の開発者の1人。.

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中島健蔵

中島 健蔵(なかじま けんぞう、1903年(明治36年)2月21日 - 1979年(昭和54年)6月11日)は、フランス文学者、文芸評論家。ヴァレリーやボードレールなどを翻訳紹介する一方、当時まだ無名だった宮澤賢治の作品に光を当て、戦後はいわゆる進歩的知識人の一人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会の再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力した。中国切手の世界的なコレクターとしても有名である。.

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世界SF全集

『世界SF全集』(せかいエスエフぜんしゅう、函の表面では『21世紀の文学 世界SF全集』と表記されている)は、早川書房が1968年(昭和43年)10月から1971年(昭和46年)8月にかけて刊行した、SF小説の叢書(全集)である。全35巻。.

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平野威馬雄

平野 威馬雄(ひらの いまお、1900年(明治33年)5月5日 - 1986年(昭和61年)11月11日)は、横浜市出身の詩人・フランス文学者。同人誌「青宋」主宰。日本詩人クラブ創設会員。大杉栄との交流の縁から、平野の父とも個人的に交友関係のあったジャン・アンリ・ファーブル関係の著作の翻訳をいくつか手がけたことでも知られている。松戸 淳(まつど じゅん)という変名で好色文学の翻訳も手がけた。2度の結婚で9人の子を持つ。.

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今東光

今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽仏門に入った後は今春聽が戸籍名、今東光が筆名となった。自筆年譜には「午前5時、日輪と共に生る。依て父母之に命名して東光」とある。)、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。.

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伝七捕物帳

『伝七捕物帳』(でんしちとりものちょう)は陣出達朗らによる日本の時代小説シリーズ。捕物作家クラブ(現・日本作家クラブおよび日本文芸家クラブ)参加の多数の作家による合同企画として「黒門町の傳七捕物帳」と題して京都新聞に連載された後、陣出達朗が単独で『伝七捕物帳』シリーズを執筆した。 高田浩吉主演による劇場映画シリーズ、中村梅之助主演によるテレビドラマシリーズなど、たびたび映像化されている。.

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強き蟻

『強き蟻』(つよきあり)は、松本清張の長編小説。『文藝春秋』に連載され(1970年1月号 - 1971年3月号)、1971年4月に文藝春秋から刊行された。夫の遺産を根こそぎ確保しようとたくらむ女性の、周到な殺害計画を描くピカレスク長編。 これまで3度テレビドラマ化されている。.

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徳川夢声

徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。 いわゆる「3つの袋」と言われる、結婚式のスピーチで定番の起源を作った人ではないかと言われているが、その真相は不明である。.

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後藤譽之助

後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。.

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医師

医師(いし、doctor)とは、医療および保健指導を司る医療従事者。医学に基づく傷病の予防、診療および公衆衛生の普及を責務とする。 米国では、伝統的に医師は英語で「」と称される。また、専門分野ごとに「内科医 (physician)」と呼ばれたり「外科医 (surgeon)」と呼ばれたりもする。欧米で医師の一般名称「physician」に対して外科医だけが「surgeon」と呼ばれている理由は、中世より「内科学」=「医学」とされており、「内科医」=「医師」であったことによる。「外科医」の仕事は初期の頃は理容師によって行われ、医療補助職として扱われており、現在での義肢装具士や理学療法士等のような存在であったことから、別の名称があてられることになった。すなわち医師である内科医が診察診断を行いその処方に基づいて理髪師(外科医)が外科的治療を薬剤師が内科的治療(投薬)をそれぞれ行うという建前であった。しかし時代が進むにつれ外科医も薬剤師も独自に治療を行うようになり彼らも医者とみなされるようになっていった。その他に、フランス語では médecin(メドゥサン)、ドイツ語では Arzt(アルツト)である。 また、博士の学位を持っていない医師までも doctor と呼ぶことは、日本、英国、オーストラリア、ニュージーランド、等で行われている。ただし、英連邦諸国では、外科医は、学位にかかわらず、今日なお「ミスター」で、「ドクター」とは呼ばない。本来なら「master.

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マルキ・ド・サド

マルキ・ド・サド(Marquis de Sade, 1740年6月2日 - 1814年12月2日)は、フランス革命期の貴族、小説家。マルキはフランス語で侯爵の意であり、正式な名は、ドナスィヤン・アルフォンス・フランソワ・ド・サド(Donatien Alphonse François de Sade )。 サドの作品は暴力的なポルノグラフィーを含み、道徳的に、宗教的に、そして法律的に制約を受けず、哲学者の究極の自由(あるいは放逸)と、個人の肉体的快楽を最も高く追求することを原則としている。サドは虐待と放蕩の廉で、パリの刑務所と精神病院に入れられた。バスティーユ牢獄に11年、コンシェルジュリーに1ヶ月、ビセートル病院(刑務所でもあった)に3年、要塞に2年、サン・ラザール監獄に1年、そしてシャラントン精神病院に13年入れられた。サドの作品のほとんどは獄中で書かれたものであり、しばらくは正当に評価されることがなかったが、現在その書籍は高い評価を受けている。サディズムという言葉は、彼の名に由来する。.

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フランス犯罪小説大賞

フランス犯罪小説大賞(Prix du Roman d'Aventures)は、フランスの推理小説の賞。パリのシャンゼリゼ出版社でマスク叢書(fr)の刊行を始めたアルベール・ピガス(Albert Pigasse)により1930年に創設され、基本的に年に1回授与されている。対象となるのはマスク叢書の編集者が企画した作品(翻訳作品を含む)。受賞作は5万部の刊行が保証される。 選考は当初はジョゼフ・ケッセルなど著名な小説家が担当していたが、のちに映画やテレビの関係者も加わるようになった。 また当初はフランス語で書かれた推理小説のみを対象にしていたが、1982年にイギリスのルース・レンデルが受賞したのを皮切りに、翻訳作品の受賞も増えている。なお、ルース・レンデルの受賞以前の1969年に、例外的にフィンランドの推理作家マウリ・サリオラが受賞している。 フランス冒険小説大賞と呼ばれることも多く、2000年刊行の『海外ミステリー事典』でも項目名は「冒険小説大賞」(記事執筆:権田萬治)とされているが、のちに権田萬治自身が、「Roman d'Aventures」は直訳すると冒険小説だが実際には心理サスペンス小説という意味が強いとして、「犯罪小説大賞」に言い換えている。そのため、ここではそれに従った。また、ロマン・アバンチュール大賞と表記されることもある。.

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イワン・パブロフ

イワン・ペトローヴィチ・パブロフ(イヴァーン・ピトローヴィチ・パーヴロフ, Ivan Petrovich Pavlov, 1849年9月14日(グレゴリオ暦9月26日) - 1936年2月27日)は、帝政ロシア・ソビエト連邦の生理学者。.

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カッパ・ブックス

ッパ・ブックスは、光文社により、1954年から2005年まで発行された、ソフトカバータイプの新書レーベル。.

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ジョルジュ・シムノン

ョルジュ・シムノン(1963年) ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon, 1903年2月13日 - 1989年9月4日)は、ベルギー出身のフランス語で書く小説家、推理作家。 息子のマーク・シムノン(1939 - 1999)は映画監督で、女優ミレーヌ・ドモンジョの夫であった。.

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儚い羊たちの祝宴

『儚い羊たちの祝宴』(はかないひつじたちのしゅくえん)は、2008年に新潮社から刊行された米澤穂信の短編推理小説。.

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全日本大学ミステリー連合

全日本大学ミステリー連合(ぜんにほんだいがくみすてりーれんごう)は、1975年に日本の6つの大学のミステリー同好会により結成された団体。全日本大学ミステリ連合とも表記される。 当初は全国規模の団体だったが、関西ミステリ連合が出来たこともあり、現在は関東の大学のミステリー同好会の集まりとなっている。毎年夏に、推理作家をゲストに招いて合宿を行っている。.

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六条御息所

六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ、ろくじょうみやすどころ)は、『源氏物語』に登場する架空の人物である。桐壺帝時代の前東宮(前坊)の妃で、六条京極(現在の京都市下京区本塩竈町附近)に住まいを構えていることからこの名がある。光源氏の最も早い恋人の一人。 強い嫉妬のあまり、生霊として人を殺すなどの特異性から、多くの作品の題材ともなってきた。.

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火の記憶

『火の記憶』(ひのきおく)は、松本清張の短編小説。『三田文学』1952年3月号に『記憶』のタイトルで掲載、のちに現在のタイトルに改題・改稿の上、『小説公園』1953年10月号に再掲載、1955年8月に短編集『悪魔にもとめる女』収録の1編として、鱒書房(コバルト新書)より刊行された。 木々高太郎の勧めに応じて、『或る『小倉日記』伝』と同時期に書かれた作品。 1961年・1978年にテレビドラマ化されている。.

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社会派推理小説

会派推理小説(しゃかいはすいりしょうせつ)は、推理小説のジャンルの一つで、用語としては日本では1960年代頃から使用されている。.

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福士幸次郎

福士幸次郎(ふくし こうじろう、1889年11月5日 - 1946年10月11日)は、日本の詩人。.

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米(こめ、rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう「米」「稲」「飯」といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数ある。例えば英語圏ではすべてriceという同一の単語で扱われる。.

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米田三星

米田 三星(よねだ さんせい、1905年2月12日 - 2000年1月23日)は日本の小説家、医師。.

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紀田順一郎

紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - )は、日本の評論家、翻訳家、小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。 神奈川県横浜市中区生まれ。横浜国立大学神奈川師範学校横浜中学校から慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部卒。 本名は佐藤 俊(さとう たかし)。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。.

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点と線

『点と線』(てんとせん)は、松本清張の長編推理小説。『旅』1957年2月号から1958年1月号に連載され(連載時の挿絵は佐藤泰治)、加筆訂正の上、1958年2月に光文社から単行本が刊行された。後に電子書籍版も発売されている。 福岡市香椎の海岸で発見された男女の情死体に疑問を持った2人の刑事の事件捜査を活写し、F・W・クロフツらによって確立されたアリバイ崩しのスタイルを継承したミステリー長編。著者の最初の長編推理小説であり、松本清張ブームを巻き起こした作品である。 1958年に東映系で映画化、また2007年にテレビドラマ化されている。.

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生年別推理作家一覧 19世紀

生年別推理作家一覧 19世紀は、19世紀生まれの推理作家の一覧である。 日本で活動する推理作家および、日本語訳のある日本以外の推理作家名を掲載する。また、推理小説にゆかりの深い翻訳家、評論家、編集者名も併せて掲載する。.

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産経児童出版文化賞

産経児童出版文化賞(さんけいじどうしゅっぱんぶんかしょう)は、学校図書法の施行にあわせて1954年(昭和29年)に産業経済新聞社が創設した賞で、児童文学の賞の一つ。同社主催のもと、次世代を担う子供たちに優れた本を与える目的で制定された。現在の後援はフジテレビジョンとニッポン放送で、JRグループが協賛、協力は東京都飯田橋にあるホテルメトロポリタンエドモント。.

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甲賀三郎 (作家)

賀 三郎(こうが さぶろう、1893年(明治26年)10月5日 - 1945年(昭和20年)2月14日)は、小説家・作家・推理作家、戯曲作家。本名は春田 能為(はるた よしため)。.

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直木三十五賞

木三十五賞(なおきさんじゅうごしょう)は、無名・新人及び中堅作家による大衆小説作品に与えられる文学賞である。通称は直木賞。 かつては芥川賞と同じく無名・新人作家に対する賞であったが、次第に中堅作家中心に移行、現在ではほぼキャリアは関係なくなっており、長老級の大ベテランが受賞することも多々ある。.

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頭脳パン

頭脳パン(ずのうパン)は、石川県金沢市の金沢製粉が製造する「頭脳粉」を原料としたパン。.

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顔 (松本清張)

『顔』(かお)は、松本清張が1956年10月に出版した短編集。及び当該短編集に収録された表題作の短編小説、またはそれを原作とする映画、テレビドラマ。.

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西郷札 (松本清張)

『西郷札』(さいごうさつ)は、松本清張の短編小説。1951年3月『週刊朝日別冊・春季増刊号』に掲載され(掲載時の挿絵は岩田専太郎)、1955年11月に短編集『西郷札』の表題作として、東京高山書院から刊行された。 本作品は『週刊朝日』「百万人の小説」に入選し、第25回直木賞候補作となった。松本清張の処女作と位置づけられている。 佐藤慶による朗読CDが、2003年に新潮社より発売された。.

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論創ミステリ叢書

論創ミステリ叢書(ろんそうミステリそうしょ)は、論創社が2003年10月より刊行している推理小説の叢書。.

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黒い手帖 (松本清張)

『黒い手帖』(くろいてちょう)は、松本清張のエッセイ集。『随筆 黒い手帖』とも呼ばれる。1961年9月に中央公論社より刊行された。後に電子書籍版も発売されている。.

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鈴木清 (教育学者)

鈴木 清(すずき きよし、1906年10月15日 - 1982年9月2日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授、元東京女子体育大学学長(在任期間: 1970年 - 1980年)。静岡県出身。 東京文理科大学卒業。1961年「自我意識の発達に関する研究」で東教大文学博士。 横浜国立大学教授、東京教育大学教授、70年定年退官、名誉教授、東京女子体育大学教授・学長。1974年、東京都立高等学校入学者選抜研究協議会会長に就任し、学校群制度廃止・新学区制導入などを推進したことでも知られる。.

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蘭郁二郎

蘭 郁二郎(らん いくじろう、1913年9月2日 - 1944年1月5日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家。本名は遠藤 敏夫。林田葩(はな)子というペンネームもある。.

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藤本事件

藤本事件(ふじもとじけん)とは1951年(昭和26年)に熊本県菊池郡で発生した爆破事件および殺人事件である。地名を取って菊池事件と呼称する場合もある。 被告人はハンセン病患者であり、差別に基づく冤罪であったとの主張がある 65~68頁。.

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金来成

金 来成(キム・ネソン、1909年旧暦5月29日 - 1957年2月19日)は、大韓民国の小説家。平安南道(ピョンアンナムド)生まれ。 1935年に日本の探偵小説専門誌『ぷろふいる』でデビューし、のちに朝鮮半島で探偵作家、大衆文学作家として活躍した。韓国推理小説の創始者とされる。.

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陣出達朗

陣出 達朗(じんで たつろう、1907年(明治40年)2月14日 - 1986年4月19日)は、石川県出身の日本の時代小説家。第3代日本作家クラブ会長。.

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抜打座談会事件

抜打座談会事件(ぬきうちざだんかいじけん)は、博友社刊行の雑誌『新青年』の1950年4月号に掲載された「探偵作家抜打座談会」によって、日本の推理小説界の本格派と文学派が対立を深めた事件。.

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探偵小説四十年

『探偵小説四十年』(たんていしょうせつよんじゅうねん)は、江戸川乱歩による、探偵小説作家としての自伝作品である。10年以上にわたり連載され、連載期間、ページ数ともに、乱歩最大の作品である。 連載中の1954年(昭和29年)11月に、『探偵小説三十年』として岩谷書店から出版された(著者還暦記念)。また、完結後の1961年(昭和36年)7月に、『探偵小説四十年』として桃源社から出版された(菊判三段組562ページ、定価1300円、初版は限定)。現在では、光文社より、江戸川乱歩全集第28、29巻『探偵小説四十年(上)』、『探偵小説四十年(下)』として刊行されている。.

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推理小説

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推理作家一覧

推理作家一覧は、日本及び世界各国で活躍する、名を残す推理作家の地域別五十音順一覧である。Wikipedia内に記事が存在する人物を中心とする。.

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林峻一郎

林 峻一郎(はやし しゅんいちろう、1930年-2008年)は、日本の精神科医。 大脳生理学者で直木賞作家の木々高太郎の長男として、東京に生まれる。1954年慶應義塾大学医学部卒。精神科医となり、1974年「日本における機能性精神障害の診断ステレオタイプ考究 計量精神病理学の立場より」で神戸大学医学博士。『三田文学』編集主任、創作活動ののち慶大医学部精神科助手、パリ大学医学部精神神経科助手、北里大学教授。1980-82年国際協力でペルーのリマに滞在した。.

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東京コープ販売

東京コープ販売(とうきょうコープはんばい)は、1960年代にデラックス・マンションを供給した高級分譲住宅会社の草分け的存在である。.

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東西ミステリーベスト100

東西ミステリーベスト100(とうざいミステリーベストひゃく)は、1985年に『週刊文春』で実施された、推理小説のオールタイムベスト選定企画。推理作家や推理小説の愛好者ら約500名がアンケートに回答し、結果は『週刊文春』1985年8月29日号および9月5日号で発表された。1986年12月には文藝春秋編『東西ミステリーベスト100』として文春文庫より刊行された。 2012年、『週刊文春』2013年1月4日臨時増刊号として、リニューアル版が27年ぶりに発表された。.

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松本清張

松本 清張(まつもと せいちょう、1909年(明治42年)12月21日 - 1992年(平成4年)8月4日)は、日本の小説家。 1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす。以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される。また、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近代史・現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鴎外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。.

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森田雄蔵

森田 雄蔵(もりた ゆうぞう(1910年(明治43年)11月23日-1990年(平成2年)1月29日))は日本の小説家。.

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森類

森 類(もり るい、1911年(明治44年)2月11日 - 1991年(平成3年)3月7日)は、日本の随筆家。.

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椿八郎

右から椿八郎、伊藤初代、山田ます。1920年春、カフェ・エランにて 椿 八郎(つばき はちろう、1900年4月18日 - 1985年1月27日)は、日本の作家。眼科医。本名は藤森 章。 長野県東筑摩郡松本町(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て、慶應義塾大学医学部卒業後、1925年同大眼科教室助手となった。その後は満鉄長春医院眼科医長、満鉄撫順医院眼科医長を歴任し、1946年引き揚げし、東京電力病院眼科医長などを歴任した。 大学在学中、本名で正木不如丘主宰の同人誌『脈』に小品を発表。1949年『宝石』に「カメレオン黄金虫」を発表し推理小説作家として登場した。1951年に『宝石』に発表した「扉」が翌年の第5回探偵作家クラブ賞候補作となる。1963年、木々高太郎、白石潔らとともに同人誌『詩と小説と評論』を創刊。1978年、日本医科芸術クラブ大賞受賞。 日本探偵作家クラブの会員章である「ポーの指輪」の提唱者、佐藤春夫の「火眼記」のモデルでもある。.

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氷川瓏

氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年(大正2年)7月16日 - 1989年(平成元年)12月26日)は、日本の作家。探偵小説家。東京都出身。.

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江戸川乱歩

江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步、男性、1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。 ペンネーム(江戸川乱歩)は作家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。.

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江戸川乱歩賞

江戸川乱歩賞(えどがわらんぽしょう、通称:乱歩賞、英称:)は、1954年、江戸川乱歩の寄付を基金として、日本推理作家協会(旧:日本探偵作家クラブ)により、探偵小説を奨励するために制定された文学賞。.

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渡辺啓助

渡辺 啓助(わたなべ けいすけ、1901年(明治34年)1月10日(1900年末?) - 2002年(平成14年)1月19日)は、日本の推理作家。本名は渡辺圭介。渡辺伊太郎・渡辺ツネの次男で、画家の渡辺東は娘、推理作家の渡辺温は実弟である。秋田県秋田市生まれ。 セメント技師の父の赴任のため、生後まもなく北海道谷好村(現・北斗市)に、次いで1905年東京都深川に、1912年茨城県高鈴村(現・日立市)に転居。茨城県水戸中学校(現 茨城県立水戸第一高等学校)を経て、1920年青山学院高等部英語師範科入学。1925年同校を卒業し、群馬県立渋川中学校(現 群馬県立渋川高等学校)で英語教員となるが、翌1926年辞職し九州帝国大学(現 九州大学)法文学部史学科に入学。西洋史を専攻した。 大学在学中の1928年、渡辺温とともに江戸川乱歩名義でエドガー・アラン・ポーの短編を翻訳、「ポー、ホフマン集 世界大衆文学全集30」(改造社)に掲載。1929年、「新青年」の企画「映画俳優による探偵小説競作」に、当時の人気俳優岡田時彦のゴーストライターとして、処女作「偽眼(いれめ)のマドンナ」を発表。 1930年大学を卒業し、福岡県八女中学校の歴史教師になる。この頃の教え子に、小島直記、中薗英助がいる。 筆名を渡辺圭介→渡辺啓介→渡辺啓助と変えながら、「新青年」誌に短編を発表。1935年には第一作品集「地獄横丁」を刊行。1937年、茨城県立龍ヶ崎高等女学校に転任するが、校風を嫌い翌年辞職し上京、以後創作に専念。 1942年、大日本帝国陸軍報道部の嘱託により美川きよとともに「新青年」から大陸に派遣され、内モンゴルのオルドス地方などを視察。この見聞を元にして書かれた作品は3期連続で直木賞候補に推される。 終戦後は家族の疎開先である群馬県渋川町に落ち着き、昭和20年代をほぼこの地で過ごすことになる。「新青年」や「宝石」「講談雑誌」などに多数の短編を書いたほか、連載長編「東京ゴリラ伝」「悪魔の唇」を手掛けた。1954年東京に戻る。1957年には、今日泊亜蘭、矢野徹らとSF同人「おめがクラブ」を設立。1960年から1963年には、木々高太郎に代わって日本探偵作家クラブ(現・日本推理作家協会)4代目会長を務める。この頃から小説の発表は減り、絵・書や詩作などの表現活動を盛んに行うようになる。晩年は鴉に材をとり絵筆をふるった。また、文芸サークル「鴉の会」を主宰した。戦前の「新青年」をはじめとする探偵小説界を知る最後の生き証人であった。.

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源内焼六術和尚

『源内焼六術和尚』(げんないやきむじゅつおしょう)は小栗虫太郎の短編探偵小説。『ぷろふいる』第4巻第1号(1936年1月号)に発表、加筆修正の上『二十世紀鉄仮面』(春秋社、1936年9月)に収録。作中に、読者に解読結果が示されない暗号文が登場することで知られる。 小栗によれば、もとは『完全犯罪』でデビューする前の1926年(大正15年)頃に書いた習作だという。.

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或る「小倉日記」伝

『或る「小倉日記」伝』(あるこくらにっきでん)は、松本清張の短編小説。『三田文学』1952年9月号に発表、翌年に第28回芥川賞を受賞した。 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)在住であった松本清張が、地元を舞台に、森鷗外が軍医として小倉に赴任していた3年間の日記「小倉日記」の行方を探すことに生涯を捧げた人物を主人公として描いた短編小説である。 それまで朝日新聞西部本社に勤務しながら執筆活動を行っていた清張が、上京後小説家に専念するきっかけとなった作品。.

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海野十三

海野 十三(うんの じゅうざまたはうんの じゅうぞう、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。日本SFの始祖の一人と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。.

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新青年 (日本)

『新青年』(しんせいねん)は、1920年に創刊され、1950年まで続いた日本の雑誌。発行は博文館(末期は同社解体のため、江古田書房→文友館→博友社に移籍)。 1920年代から1930年代に流行したモダニズムの代表的な雑誌の一つであり、「都会的雑誌」として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。国内外の探偵小説を紹介し、また江戸川乱歩、横溝正史を初めとする多くの探偵小説作家の活躍の場となって、日本の推理小説の歴史上、大きな役割を果たした。また牧逸馬、夢野久作、小栗虫太郎、久生十蘭といった異端作家を生み出した。平均発行部数は3万部前後、多い時は5-6万部に達していたと言われている。また内務省警保局による調査では、1927年(昭和2年)当時約1万5000部、第18巻第1号(1937年2月1日発行)が3万部、第19巻第3号(1938年2月5日発行)が2万1000部となっている。 日本の探偵小説を語る上で欠かすことのできない雑誌であるが、探偵小説専門誌でもなければ小説専門誌でもなく、現代小説から時代小説まで、さらには映画・演芸・スポーツなどのさまざまな話題を掲載した娯楽総合雑誌であった。.

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日本の小説家一覧

日本の小説家一覧(にほんのしょうせつかいちらん)は、日本の小説家の一覧。.

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日本エッセイスト・クラブ賞

日本エッセイスト・クラブ賞(にほんえっせいすと・くらぶしょう)は、日本エッセイスト・クラブが主催するエッセイについての賞である。新人エッセイストを待望、これを激励する意をもって1952年に制定。文芸作品等創作を除く一切の評論、随筆等の中より各関係方面の推薦を受け、日本エッセイスト・クラブに設けられた選考委員により選考する。会員は受賞できない。.

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日本推理作家協会

一般社団法人日本推理作家協会(にほんすいりさっかきょうかい、Mystery Writers of Japan, Inc.)は、日本の推理作家団体。 江戸川乱歩が中心となって、1947年に設立された探偵作家クラブが前身。探偵作家クラブ賞(現在の日本推理作家協会賞)の授与、『探偵小説年鑑』の編纂などで、日本の推理小説界の発展に貢献。1954年より江戸川乱歩賞制定。1963年より法人格を有している。.

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日本推理作家協会賞

日本推理作家協会賞(にほんすいりさっかきょうかいしょう)は、毎年日本推理作家協会(元・探偵作家クラブ→日本探偵作家クラブ、江戸川乱歩が1947年6月21日に設立)が授与する文学賞。その年発表された推理小説の中で最も優れていたものに与えられる。推協賞と略称される。 第1回(1948年)から第7回(1954年)までは探偵作家クラブ賞、第8回(1955年)から第15回(1962年)までは日本探偵作家クラブ賞、第16回(1963年)以降は日本推理作家協会賞と名前を変えて続いている。その伝統から、ミステリー界で最も権威ある賞と見做されている。 創設当時は長編賞、短編賞、新人賞があったが(新人賞は第1回のみ)、第5回(1952年)からは部門の区別がなくなった。第29回(1976年)から再び、長編部門、短編部門(および評論その他の部門)に分かれた。部門別に分かれてからの受賞者数は、長編部門の60人に対して、短篇部門が29人と半分以下である(2017年現在)。これは長編部門はダブル受賞(複数の同時受賞者が出ること)が多いのに対して、短篇部門は該当作なしの年が多く、また受賞者が出てもほとんどが単独受賞だからである。 受賞するのに、日本推理作家協会の会員である必要はない。また1度でもどれかの部門を受賞した作家が再受賞することは、内規によって禁じられている。.

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日本文学報国会

団法人日本文学報国会(にほんぶんがくほうこくかい)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)5月26日に設立された文学団体。情報局の実質的な外郭団体であった。.

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10月31日

10月31日(じゅうがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から304日目(閏年では305日目)にあたり、年末まであと61日ある。10月の最終日である。.

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1897年

記載なし。

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1936年

記載なし。

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1969年

記載なし。

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5月6日

5月6日(ごがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から126日目(閏年では127日目)にあたり、年末まではあと239日ある。誕生花はシャクナゲ。.

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