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日本学士院

索引 日本学士院

日本学士院(にっぽんがくしいん、)は、日本学士院法(以下「法」)に基づいて設置されている日本の国立アカデミーであり、文部科学省の特別の機関である。1879年に東京学士会院として発足し、その後帝国学士院に改組された。太平洋戦争後に日本学士院となり現在に至る。.

679 関係: 加藤一郎 (法学者)加藤弘之加藤和也 (数学者)加藤元一加藤武夫加藤新平加藤愛雄基本法埼玉大学の人物一覧埼玉県立浦和高等学校の人物一覧原實原龍三郎半澤洵千葉大学教育学部附属小学校千葉大学教育学部附属中学校千葉県立千葉中学校・高等学校の人物一覧南原繁古事類苑古在由秀古賀逸策古野清人古澤明名城大学の人物一覧名古屋大学の人物一覧名誉会員向山光昭吉川弘之吉川忠夫吉川逸治吉田富三吉田精一吉田耕作吉田民人吉識雅夫坂口謹一郎坂村徹坂本太郎 (歴史学者)堀川清司塚本善隆塚本勝巳塩川徹也塩野宏塩野谷九十九増田四郎大塚久雄大塚金之助大塚正徳大庭脩大内力大内兵衛...大隅健一郎大隅石大隅良典大類伸大阪大学の人物一覧大阪大学大学院経済学研究科・経済学部大阪府立天王寺高等学校大阪府立住吉高等学校大阪高等学校 (旧制)大村智大槻正男大沢文夫大河内一男天文博物館五島プラネタリウム太田博太郎太田朗外村彰奥田昌道奥野高廣妹沢克惟姫路工業大学子島喜久学士学士会学位学校に関する日本初の一覧学校法人北里研究所定永両一客員宮城県仙台第一高等学校宮崎義一宮川米次宮部金吾宮澤健一宮澤俊義宮本又次宮本憲一家永三郎宇井伯寿宇沢弘文安岡正篤安島直円安保正一寺沢寛一富士川游富田正文富永健一富澤純一小宮隆太郎小宮豊隆小山貞夫小島祐馬小川環樹小川鼎三小幡篤次郎小平邦彦小出由岐太小田滋小葉田淳小野清一郎小柴昌俊小林道夫 (哲学者)小林行雄小林誠 (物理学者)小林貞一小林昇小松芳喬小泉修一尾高邦雄尾高朝雄尾藤正英山口和雄 (経済学者)山口益山口高等学校 (旧制)山岡憲二山崎一雄山川民夫山中伸弥山下英男山喜房仏書林山田三良山田康之山田盛太郎山田晶山本達郎岡山県立岡山朝日高等学校岡山県立岡山操山中学校・高等学校岡崎義恵岡義武岡田要岡村総吾岡村誠三岡本佳男岡本舜三岩崎俊一岩崎英二郎岩井克人岩生成一岸本忠三岸本誠二郎島田虔次川島武宜川井直人川田侃川本幸民川本皓嗣上田誠也上田辰之助上田閑照上野直昭上野恩賜公園上柳克郎帝室制度史帝国学士院中原和郎中尾喜久中山伊知郎中島さち子中島文雄中川久定中川善之助中川敬一郎中井猛之進中国工程院中田和居中田秀作中田瑞穂中西重忠中野貞一郎中村宗雄中村元 (哲学者)中村元記念館中村元東方研究所中村清二中根千枝中根元圭丸山眞男市古貞次市河三喜三宅一郎三島中洲三島徳七三上次男三ヶ月章三谷太一郎三重県立上野高等学校下村寅太郎一橋大学の人物一覧干潟龍祥平場安治平岡武夫平川彰平井宜雄平井正穂平野龍一乾崇夫久城育夫久原躬弦久保亮五久保田淳久保正彰久保正彰 (西洋古典文学者)久留勝久野寧久松碩次郎京都大学の人物一覧京都市立西京高等学校・附属中学校京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧京都産業大学の人物一覧京極純一二木謙三広島県出身の人物一覧広中平祐井口洋夫井上明久井筒俊彦井藤半彌井村裕夫今井功 (物理学者)今村荒男今村成和仁科芳雄仁田勇廣川信隆伊原康隆伊藤誠 (経済学者)伊藤貞夫伊藤貞市伊藤正己伊藤正男 (生理学者)伊藤清会津若松市住木諭介佐久間鼎佐々木毅佐々木惣一佐藤三吉佐藤幸治 (憲法学者)佐藤幹夫 (数学者)佐藤彰一佐藤勝彦 (物理学者)御牧克己御津町 (愛知県)徳富蘇峰後藤格次侘美光彦従二位信夫淳平志賀潔土居光知土屋喬雄團勝磨化学遺産化学新書北陸先端科学技術大学院大学北沢新次郎北海道大学の人物一覧ペンシルベニア大学の人物一覧マリウス・バーサス・ジャンセンハース・ビジネススクールメルヴィン・カルヴィンロナルド・ドーアトマス・メンデンホールフィリップ (エディンバラ公)フィリップ・アンダーソンニホニウムダビッド・モルレー別府輝彦喜田宏和算和田光史和田英太郎和田清和達清夫和辻哲郎和栗雄太郎和歌山県立桐蔭中学校・高等学校イアン・ニッシュクラウス・シュテルンケントの花コロンビア大学の人物一覧ジョージ・サンソムスウェーデン・アカデミー冲中重雄内田祥哉内閣 (日本)内藤多仲内村祐之児玉幸多入矢義高入江文郎八木秀次公職追放兵庫県立神戸高等学校の人物一覧前田專學前田惠學前田憲一勝木保次勝本正晃団藤重光国士舘大学の人物一覧国立アカデミー国立科学博物館皇室典範に関する有識者会議矢島羊吉矢内原忠雄石原謙石川千代松石川県出身の人物一覧石川滋石井寛治石井紫郎石井良助石田幹之助石本泰雄玉泉八州男獨協大学の人物一覧獨協中学校・高等学校磯村哲神奈川県立湘南高等学校の人物一覧神川彦松神保道夫神田喜一郎神田茂神谷宣郎福山敏男福岡県立修猷館高等学校の人物一覧福井市文化奨励賞福井伸二福井県立藤島高等学校の人物一覧福井謙一福田歓一福澤諭吉私の履歴書秦佐八郎科学アカデミー秋山虔秋田県立秋田高等学校の人物一覧秋本俊一竹島卓一竹市雅俊竹下守夫竹内啓竹内理三竹内昭夫竹内敏雄第三高等学校 (旧制)の人物一覧第二高等学校 (旧制)第五高等学校 (旧制)第四高等学校 (旧制)筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧箕作麟祥築島裕米内光政米国科学アカデミー細谷千博緒方正規織田敏次羽田亨田宮博田宮猛雄田岡良一田中二郎田中靖郎田中誠二 (法学者)田中耕太郎田中耕一田代和生田仲一成田畑茂二郎田辺市田村三郎甲陽学院中学校・高等学校熊谷尚夫熊谷英彦畠山久尚牧野富太郎特定秘密の保護に関する法律に対する声明の一覧特別の機関特別職益川敏英目加田誠相良亨瀧川幸辰瀬川信久登張正実白い巨塔の登場人物白川英樹百人おどし芦部信喜花房秀三郎隅谷三喜男荒井献荒田吉明荒松雄菊井維大菊池勇夫 (法学者)菊池正士菅野和夫萩原雄祐青山秀夫青柳正規青木正児蝋山政道静岡大学の人物一覧静岡県立沼津東高等学校静岡高等学校 (旧制)須藤新吉飯島澄男飯高茂館龍一郎西塚泰美西尾勝西島和彦 (物理学者)西周 (啓蒙家)西田龍雄西谷啓治西脇順三郎西野忠次郎西村和雄西澤潤一首藤伸夫駒井卓訃報 2008年11月訃報 2012年3月諸熊奎治高垣寅次郎高島善哉高崎史彦高柳広高柳真三高柳賢三高松豊吉高村象平高橋信次 (放射線医学者)高橋萬右衛門高橋里美高橋泰蔵高木八尺高木貞二護雅夫谷口知平谷一郎 (物理学者)豊島久真男貝塚啓明鳥養利三郎鹿島守之助麻生磯次黒川利雄龍田節辻直四郎辻村公一辻清明 (政治学者)近世日本国民史近藤平三郎近藤鎮三近藤淳錦城学園高等学校茨木杉風茅誠司能勢朝次都築忠七都留重人舞出長五郎鈴村興太郎鈴木大拙鈴木弘鈴木禄彌鈴木章鈴木竹雄鈴木鴻一郎鈴木茂嗣鈴木邦彦 (神経化学者)鈴木醇鈴木雅洲鈴木敬興膳宏阿部秋生赤堀四郎赤崎勇鵜飼信成関谷剛男関集三関根正雄薮内清薗田坦間野英二藤原松三郎藤田宙靖藤田貞資藤田昌久藪田貞治郎脇村義太郎野崎一野中郁次郎野依良治野副鉄男野村兼太郎金子武蔵金倉円照金田一京助金谷治長尾真長尾雅人長倉三郎長田重一長谷川修一長谷部言人若山照彦苧阪直行難波精一郎雨宮敬作速水融TPPを考える国民会議柏原正樹柳田國男柳瀬良幹柴田雄次柴田承二林屋辰三郎林巳奈夫林忠四郎掛川市恩賜賞 (日本学士院)恩賜賞 (日本芸術院)恒藤恭揖斐高李遠哲材料強度学来栖三郎 (法学者)東大阪市東京大学の人物一覧東京大学医科学研究所東京学士会院東京都の重要文化財一覧東京都立西高等学校の人物一覧東京都立新宿高等学校の人物一覧東京都立日比谷高等学校の人物一覧東北大学の人物一覧東北大学大学院法学研究科・法学部東北工業大学東畑精一東野治之東洋大学京北中学高等学校松尾浩也松崎蔵之助松本信一松本和子村川堅太郎村上淳一村松岐夫杉捷夫杉村隆杉村惇杉本栄一根岸隆栄光学園中学校・高等学校栄誉会員桜田一郎桑田義備桂壽一梶田隆章梅津八三森亘森田浩介森謙治森重文森本信男植木雅俊検察官適格審査会横田喜三郎樋口陽一橋本宗吉橋本公亘武居三吉武内義範武内義雄武田恒夫武藤清殿堂水島三一郎水田洋永宮健夫永井博 (哲学者)永井美之永田菊四郎江崎玲於奈江頭憲治郎池原季雄沢田敏男河野六郎河本一郎波多野精一法政大学津田左右吉深尾良夫深谷賢治渡辺一夫渡辺武男渡辺浩 (政治学者)清宮四郎湯川秀樹源了圓満屋裕明滋賀秀三滋賀県出身の人物一覧滋賀県立膳所高等学校澤瀉久敬濱清服部宇之吉服部四郎朝永振一郎木原均木村健二郎木村資生木村龜二末川博末延三次末綱恕一末永雅雄本多健一本庶佑本庄栄治郎有馬朗人望月新一望月拓郎戸田正三我妻栄星野英一明六社明治大学の人物一覧春日偉知郎斎藤常三郎 (法学者)斎藤修 (一橋大学)斎藤勇 (イギリス文学者)斎藤真斯波義信新関良三新開陽一新潟大学の人物一覧新潟県立新潟高等学校の人物一覧新明正道文化庁保管文化財一覧文部科学省文部省日本の国家機関日本の行政機関日本学士院日本学士院学術奨励賞日本学士院エジンバラ公賞日本学士院賞日本学術会議日本学術振興会賞日本工学アカデミー日本芸術院日本数学会早石修早稲田大学の人物一覧早稲田大学大学院法務研究科早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧愛知県立明和高等学校教育関係記事一覧教育関係記事一覧 (五十音順)慶應義塾大学の人物一覧手塚富雄1879年1901年1947年 インデックスを展開 (629 もっと) »

加藤一郎 (法学者)

加藤 一郎(かとう いちろう、1922年9月28日 - 2008年11月11日)は日本の法学者である。専門は民法。従三位勲一等。法学博士。東大紛争時の東京大学総長としても知られる。元厚生労働大臣の小宮山洋子は実娘。元自民党参院議員・青木一男は岳父。実父は東京税監理局長や北海道銀行(初代)頭取を務めた大蔵官僚の加藤守一。.

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加藤弘之

加藤 弘之(かとう ひろゆき、1836年8月5日(天保7年6月23日) - 1916年(大正5年)2月9日)は、日本の政治学者、教育家、官僚。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は文学博士(1888年)、法学博士(1905年)。旧名弘蔵(こうぞう)。 外様大名の出石藩の藩士の子に生まれ、出石藩藩校弘道館で学んだ後、済美館や致遠館でフルベッキの門弟として学ぶ。学門一筋で精進し幕臣となり、維新後は新政府に仕える身となる。明六社会員。外務大丞、元老院議官、勅選貴族院議員などを歴任、獨逸学協会学校の第2代校長、旧東京大学法・理・文3学部の綜理を務め、のち帝国大学(現・東京大学)第二代総長を務めた。大日本教育会名誉会員。その後男爵、初代帝国学士院院長、枢密顧問官。.

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加藤和也 (数学者)

加藤 和也(かとう かずや、1952年(昭和27年)1月17日 - )は日本の数学者。シカゴ大学教授。東京大学名誉教授。和歌山県生まれ、愛媛県育ち。.

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加藤元一

加藤 元一(かとう げんいち、1890年(明治23年)2月11日 - 1979年(昭和54年)5月1日)は日本の生理学者、医学博士。 1928年(昭和3年)、1935年(昭和10年)、1937年(昭和12年)の3度ノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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加藤武夫

加藤 武夫(かとう たけお、1883年10月14日 - 1949年4月23日)は、日本の鉱床学者。東京生まれ。なお、劇作家加藤道夫は子供、小説家加藤幸子は孫にあたる。.

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加藤新平

加藤 新平(かとう しんぺい、1912年(明治45年)3月29日 - 1999年4月2日)は、日本の法学者、京都大学名誉教授。専門は法理学・法哲学。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。京都大学名誉教授。沢内村名誉村民第一号。.

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加藤愛雄

加藤 愛雄(かとう よしお、1905年11月30日 - 1992年1月28日)は、日本の地球物理学者。専門は地球電磁気学。.

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基本法

基本法(きほんほう).

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埼玉大学の人物一覧

埼玉大学の人物一覧(さいたまだいがくのじんぶついちらん)は埼玉大学に関係する人物の一覧記事。理工学部出身者は、出身学科が分かる場合など可能な限り理学部、工学部に分ける。 ※多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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埼玉県立浦和高等学校の人物一覧

埼玉県立浦和高等学校(さいたまけんりつうらわこうとうがっこうのじんぶついちらん) 埼玉県立浦和高等学校の主な教職員・出身者・関係者などの一覧。.

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原實

原 實(はら みのる、1930年9月9日 - )は、インド古典学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員,2010-12-14閲覧。。スウェーデン王立学士院外国人会員(文学、歴史、古代学部門)。 東京生まれ。1953年東京大学文学部印度哲学科卒業、同大学院で辻直四郎に師事。満期中退後に、1960年より東大文学部専任講師、1964年12月助教授、1966年ハーバード大学大学院サンスクリット学専攻博士課程修了、Ph.D。1973年オーストラリア国立大学客員教授。 1975年に東大教授、1978年ケンブリッジ大学修士号。1990年スウェーデン王立学士院外国人会員、1991年東大定年退官、名誉教授、国際仏教学大学院大学教授、1996年学長、2002年理事長、2006年退職。2000年より日本学士院会員、2003年1月に宮中講書始の儀で「サンスクリット語について」を進講。 1978年ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ海外フェロー、1987年ウィーン大学客員教授、1988年ハンブルク大学客員教授。2009年インド政府よりパドマ・ブーシャン勲章を受勲。慶應義塾大学言語文化研究所客員所員。.

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原龍三郎

原 龍三郎(はら りゅうざぶろう、1888年7月15日 - 1968年12月30日)は、日本の応用化学者。工学博士。東北帝国大学工学部名誉教授。文化功労者、日本学士院会員。日本化学会名誉会員。.

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半澤洵

半澤 洵(はんざわ じゅん、1879年1月9日 - 1972年9月25日)は、日本の農学者・教育者。農学博士(北海道帝國大學)。日本学士院会員。北海道帝國大學名誉教授。市立名寄短期大学初代学長。北海道札幌市白石区出身。「半沢洵」とも表記される.

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千葉大学教育学部附属小学校

千葉大学教育学部附属小学校(ちばだいがくきょういくがくぶふぞくしょうがっこう)は、千葉県千葉市稲毛区弥生町にある国立大学千葉大学教育学部の附属小学校。略称は千葉附(ちばふ)、附小(ふしょう)、附属小(ふぞくしょう)。千葉大学西千葉キャンパス内にある。.

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千葉大学教育学部附属中学校

千葉大学教育学部附属中学校(ちばだいがくきょういくがくぶふぞくちゅうがっこう)は、千葉県千葉市稲毛区弥生町にある国立大学千葉大学教育学部の附属中学校。略称は千葉附(ちばふ)、附中(ふちゅう)、附属中(ふぞくちゅう)。千葉大学西千葉キャンパス内にある。.

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千葉県立千葉中学校・高等学校の人物一覧

千葉県立千葉中学校・高等学校の人物一覧(ちばけんりつちばちゅうがっこう・こうとうがっこうのじんぶついちらん) 千葉県立千葉中学校・高等学校の出身者および関係者の一覧。.

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南原繁

南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京帝国大学の総長を務めた。東京大学名誉教授。.

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古事類苑

古事類苑(こじるいえん)は、明治政府により編纂が始められた類書(一種の百科事典)である。1896年(明治29年)-1914年(大正3年)に刊行された。古代から1867年(慶応3年)までの様々な文献から引用した例証を分野別に編纂しており、日本史研究の基礎資料とされている。日本最大にして唯一の「官撰百科事典」。.

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古在由秀

古在 由秀(こざい よしひで、1928年4月1日 - 2018年2月5日)は、日本の天文学者交詢社 監修 『日本紳士録 第78版』 交詢社出版局 編集、ぎょうせい 発行、2004年4月5日、こ 436頁。。専門は、天体力学。最後の東京天文台長・初代国立天文台長である藤井旭「初代国立天文台長 古在由秀先生が文化功労者として選出 顕彰記念祝賀会が開催」『天文ガイド』2010年4月号 誠文堂新光社、26頁。。2016年現在、群馬県立ぐんま天文台名誉台長、東京大学・総合研究大学院大学・国立天文台の各名誉教授でもある。.

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古賀逸策

古賀 逸策(こが いっさく、1899年12月5日 - 1982年9月2日)は、日本の電気通信工学者。東京工業大学および東京大学名誉教授。.

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古野清人

古野 清人(ふるの きよと、1899年10月6日 - 1979年3月1日)は、日本の宗教社会学者。 福岡県生まれ。1926年、東京帝国大学文学部宗教学科卒業。民族研究所第三部(中部・西部アジア)・第五部部長(東南アジア・インド太平洋圏)を兼任。 戦後、九州大学教授、東京都立大学教授などを歴任。1975年「キリシタニズムの比較研究」で日本学士院賞受賞。1977年日本学士院会員。 エミール・デュルケーム、マルセル・モースらフランス社会学派の方法を用い、民族学の分野で日本の宗教社会学を研究した。著作集全8巻がある。.

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古澤明

古澤 明(ふるさわ あきら、1961年12月1日 - )は、日本の物理学者(非線形光学・量子光学)。学位は工学博士。東京大学大学院工学系研究科教授。専門は量子テレポーテーションの研究。.

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名城大学の人物一覧

名城大学の人物一覧は名城大学に関係する人物の一覧記事。.

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名古屋大学の人物一覧

名古屋大学の人物一覧(なごやだいがくのじんぶついちらん)は、名古屋大学に関係する人物の一覧記事。.

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名誉会員

名誉会員(めいよかいいん)とは、特定の機構や組織・団体において正規の会員ないし構成員のうち功績ないし業績の優れた者、または正規の会員・構成員ではないが、功績著しい者に贈られる称号。国の栄誉称号としては日本の学術機関である日本学士院や英国の王立建築家協会などが制定している。民間の名誉称号としては主に学会や業界団体などが定めている。.

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向山光昭

向山 光昭(むかいやま てるあき、1927年1月5日 - )は日本の有機化学者。長野県伊那市出身。 東京大学名誉教授。東京工業大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。前社団法人北里研究所基礎研究所有機合成化学研究室 名誉所員兼室長。現在、東京化成工業株式会社基礎研究所技術顧問。.

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吉川弘之

吉川 弘之(よしかわ ひろゆき、1933年8月5日 - )は、日本の工学者(設計学・ロボット工学・信頼性工学)。東京府東京市出身。 勲等は瑞宝大綬章。学位は工学博士(東京大学)。産業技術総合研究所最高顧問、国際科学技術財団理事長、日本学術振興会学術最高顧問、東京大学名誉教授。日本学士院会員。.

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吉川忠夫

吉川 忠夫(よしかわ ただお、1937年1月5日 - )は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員。専門は中国中世思想史。父は中国文学者の吉川幸次郎。.

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吉川逸治

吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術専攻。中国学者・吉川幸次郎の従弟にあたる。.

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吉田富三

吉田 富三(よしだ とみぞう、1903年(明治36年)2月10日 - 1973年(昭和48年)4月27日)は、日本の病理学者。福島県石川郡浅川村(現・浅川町)生まれ。 ラットの腹水癌である吉田肉腫と腹水肝癌の発見で実験腫瘍学に新たな扉を開いた。財団法人癌研究会癌研究所長、日本学士院会員、日本学術会議会員・副会長(第6期)、国語審議会委員(第1-6期)などを務めた。テレビディレクターの吉田直哉は長男である。.

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吉田精一

吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)は、日本の国文学者。近代文学専攻。.

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吉田耕作

吉田 耕作(よしだ こうさく、1909年2月7日 - 1990年6月20日)は日本の数学者。専門は関数解析学および確率論。これらの分野において数々の重要な業績があるが、特に、半群理論において「ヒレ・吉田の定理」(1948年)は国際的によく知られる。日本国内では、関数解析学の草分けであり、後進の育成に尽くし、多数の著作がある。また、(社)日本数学会理事長を計7期務めた(1957年度、1959年度、1962年度、1964年度、1965年度、1967年度、1972年度)。これは、彌永昌吉に次いで2番目の多さである。.

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吉田民人

吉田 民人(よしだ たみと、1931年8月20日 - 2009年10月27日)は日本の社会学者。専門は理論社会学。日本学士院会員。第18期日本学術会議副会長。元日本社会学会会長。東京大学名誉教授。.

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吉識雅夫

吉識 雅夫(よしき まさお、1908年1月20日 - 1993年6月27日)は、日本の船舶工学者、東京大学名誉教授。兵庫県福崎町名誉町民。.

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坂口謹一郎

坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年11月17日 - 1994年12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。.

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坂村徹

坂村 徹(さかむら てつ、1888年10月13日 - 1980年10月18日)は、遺伝学者、植物細胞学、生理学者。教育者。北海道大学農学部名誉教授。広島県広島市幟町(現・中区)幟町出身。 旧制・広島一中(現・広島国泰寺高校)から北海道帝国大学農学部に進み同大学卒業。引き続き植物細胞学・植物生理学を研究し1918年、世界で初めて小麦の正しい染色体数を発見した。この発見は画期的なもので、この後日本で小麦の研究が盛んになり世界の学会をリードした。この研究を引き継ぎ、木原均が小麦の細胞遺伝学的研究でこの分野の新しい領域を切り拓いた。その他生物を利用した微量重金属の検出法などを開発。1919年同大学教授。1941年には植物生理学の集大成「植物生理学」上下二巻を刊行。これは名著として知られ、版を重ねて戦後も学生必読の書となった。 1952年退官。北海道大学名誉教授。1964年日本学士院会員。1976年文化功労者を受章。退官後は広島市に戻り天寿を全うした。 北海道大学の構内に坂村・木原両博士の偉業を讃え、小麦研究記念碑が建立されている。.

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坂本太郎 (歴史学者)

坂本 太郎(さかもと たろう、1901年(明治34年)10月7日 - 1987年(昭和62年)2月16日)は、日本の歴史学者。東京大学・國學院大學名誉教授。文学博士(1937年・東京帝国大学)。専門は日本古代史。静岡県出身。 太平洋戦争終戦直後の混乱した東京大学国史学研究室の再建と、東京大学史料編纂所での史料編纂事業の復活および興隆に尽力した。.

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堀川清司

堀川 清司(ほりかわ きよし、1927年(昭和2年)8月24日 - )は、日本の工学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。工学博士(東京大学)。専門は海岸工学。東京都出身。.

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塚本善隆

塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1980年1月30日)は、浄土宗僧侶、仏教史学者。中国仏教研究の第一人者。.

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塚本勝巳

塚本 勝巳(つかもと かつみ、1948年(昭和23年) - )は、魚類学者であり、ウナギ研究の第一人者。「うなぎ博士」の愛称で知られる。.

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塩川徹也

塩川 徹也(しおかわ てつや、1945年10月19日 - )は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。パスカルを専門とする。 妻塩川浩子はフランス文学者で、江口朴郎の三女。.

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塩野宏

塩野 宏(しおの ひろし、1931年6月13日 - )は、日本の法学者。専門は行政法。東京大学名誉教授。日本学士院長(第26代)。.

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塩野谷九十九

塩野谷 九十九(しおのや つくも、1905年10月12日 - 1983年6月4日)は、日本の経済学者。名古屋大学名誉教授。 ケインズ経済学研究の権威で、ケインズの著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』の初代翻訳者(1941年)。 愛知県出身。1926年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業、1930年東京商科大学(現一橋大学)卒業(高垣寅次郎門下)。その後横浜市立横浜商業専門学校 (旧制)教授、名古屋大学経済学部教授等を歴任。 伊東政吉(一橋大学名誉教授)、飯田経夫(名古屋大学名誉教授)、水谷研治(エコノミスト)、清水義之 (実業家)(元十六銀行頭取)、花田実(元岐阜銀行頭取)、田中博秀(元労働省労働研修所所長)は塩野谷ゼミ出身。 一橋大学を追われた水田洋(名古屋大特別教授、日本学士院会員)を名古屋大学に招いた。 元一橋大学学長で文化功労者の塩野谷祐一は子。『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、1983年に塩野谷祐一により改訳された。.

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増田四郎

増田 四郎(ますだ しろう、1908年(明治41年)10月2日 - 1997年(平成9年)6月22日)は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授。専門は西洋史、西洋経済史。西洋社会・経済史の変遷を、実証研究と、比較社会史・地域史の方法論を用いて研究した。第5代一橋大学学長、日本学術振興会会長、国立大学協会副会長、日本学士院会員等を歴任。文化勲章受章者。.

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大塚久雄

大塚 久雄(おおつか ひさお、1907年5月3日 - 1996年7月9日)は、日本の経済史学者。専攻は英国経済史で、西洋諸国における近代資本主義、近代市民社会の研究で知られ、マックス・ウェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観論の方法を用いて構築した大塚史学は国際的評価を受けた。。.

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大塚金之助

大塚 金之助(おおつか きんのすけ、1892年5月15日 - 1977年5月9日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。近代経済学から始め、ベルリン大学留学後、マルクス経済学者となり、治安維持法で検挙された。日本の降伏後復帰し、日本学士院会員、日本ドイツ民主共和国友好協会会長等を務めた。フンボルト大学名誉哲学博士、ドイツ国立図書館名誉終身閲覧者。.

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大塚正徳

大塚 正徳(おおつか まさのり、1929年3月10日 - )は日本の薬理学者。医学博士。東京医科歯科大学名誉教授。.

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大庭脩

大庭 脩(おおば おさむ、昭和2年(1927年)1月20日 - 平成14年(2002年)11月27日)は、日本の歴史学者。 専門は中国簡牘学・日本木簡学・中国法制史・日中関係史。皇學館大学元学長、関西大学名誉教授、大阪府立近つ飛鳥博物館元館長。正五位。勲三等旭日中綬章。文学博士(関西大学)。.

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大内力

大内 力(おおうち つとむ、1918年6月19日 - 2009年4月18日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授・信州大学名誉教授。専攻はマルクス経済学の経済理論、経済政策。.

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大内兵衛

大内 兵衛(おおうち ひょうえ、1888年8月29日 - 1980年5月1日)は、大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。専攻は財政学。日本学士院会員。.

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大隅健一郎

大隅 健一郎(おおすみ けんいちろう、1904年10月2日 - 1998年3月19日)は、日本の商法学者。京都大学名誉教授。最高裁判所裁判官。 愛知県蒲郡市出身。1973年11月3日、勲一等瑞宝章受章、1977年日本学士院会員、1985年文化功労者、1993年文化勲章受章。.

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大隅石

大隅石(おおすみせき、)は、鉱物(ケイ酸塩鉱物)の一種。化学組成は (K,Na,Ca)(Fe,Mg)2(Al,Fe3+)3Si10Al2O30・H2O、結晶系は六方晶系。大隅石グループの鉱物。 1953年に都城秋穂によって鹿児島県垂水市咲花平で発見された。名前は発見地の大隅半島にちなむ。.

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大隅良典

大隅 良典(おおすみ よしのり、1945年2月9日 - )は、日本の生物学者(分子細胞生物学)。学位は理学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学科学技術創成研究院特任教授・栄誉教授、自然科学研究機構特別栄誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、基礎生物学研究所名誉教授、東京大学特別栄誉教授。福岡市名誉市民、大磯町名誉町民、京都大学名誉博士。 自然科学研究機構基礎生物学研究所教授兼総合研究大学院大学生命科学研究科教授、東京工業大学フロンティア研究機構特任教授などを歴任した。「オートファジーの仕組みの解明」により2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。.

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大類伸

大類 伸(おおるい のぶる、1884年2月2日 - 1975年12月27日)は、日本の西洋史学者。東北帝国大学教授、帝国学士院会員、日本学士院会員。.

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大阪大学の人物一覧

※なお、2007年に統合した大阪外国語大学(現・外国語学部)の人物は大阪外国語大学の人物一覧を参照。.

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大阪大学大学院経済学研究科・経済学部

大阪大学大学院経済学研究科(おおさかだいがくだいがくいんけいざいがくけんきゅうか、英称: Graduate School of Economics)は、大阪大学大学院に設置される研究科の一つである。また、大阪大学経済学部(おおさかだいがくけいざいがくぶ、英称:School of Economics)は、大阪大学に設置される学部の一つである。.

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大阪府立天王寺高等学校

大阪府立天王寺高等学校(おおさかふりつ てんのうじこうとうがっこう、英称:Osaka Prefectural Tennoji High School)は、大阪市阿倍野区に所在する府立高等学校である。愛称は「天高」(てんこう)。.

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大阪府立住吉高等学校

大阪府立住吉高等学校(おおさかふりつすみよしこうとうがっこう)は、大阪府大阪市阿倍野区にある全日制の公立専門高等学校。.

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大阪高等学校 (旧制)

旧制大阪高等学校(きゅうせいおおさかこうとうがっこう)は、大阪府に設立された官立の旧制高等学校。略称は「大高」。.

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大村智

大村 智(おおむら さとし、1935年7月12日 - )は、日本の化学者(天然物化学)。北里大学特別栄誉教授。2015年ノーベル生理学・医学賞受賞。 微生物の生産する有用な天然有機化合物の探索研究を45年以上行い、これまでに類のない480種を超える新規化合物を発見し、それらにより感染症などの予防・撲滅、創薬、生命現象の解明に貢献している。 また、化合物の発見や創製、構造解析について新しい方法を提唱、実現し、基礎から応用までの幅広く新しい研究領域を世界に先駆けて開拓している。 研究以外では、北里研究所の経営再建、女子美術大学への支援や私費による韮崎大村美術館の建設、学校法人開智学園名誉学園長を務めるなど貢献業績がある。 勲等は瑞宝重光章、紫綬褒章、文化勲章などを受勲。.

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大槻正男

大槻 正男(おおつき まさお、1895年3月12日-1980年12月8日)は、日本の農業経済学者。.

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大沢文夫

大沢 文夫(おおさわ ふみお、大澤 文夫、Oosawa, Fumio、1922年12月10日 - )は、日本の生物物理学者。戦後、学問研究では異端とも思える状況の中で、物理学者の立場から生物の研究を開始した。海外の研究に依存しないで日本で独自の研究を展開し、世界的な研究をした。直接の弟子が数百人と多く、弟子以外にも多くの研究者に多大な影響を与えた。日本の生物物理学の創設・開拓・牽引者。名古屋大学名誉教授/大阪大学名誉教授。小谷正雄の直弟子。寺田寅彦の孫弟子。理学博士。作家富士正晴の義弟。.

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大河内一男

大河内 一男(おおこうち かずお、1905年1月29日 - 1984年8月9日)は、日本の経済学者。専攻は社会政策。東京大学総長。専修大学学長。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 松平信綱の末裔で、父は講談や児童向け読み物の作者であり、日本の速記史上の重要人物でもある大河内翠山。長男に経済史家の大河内暁男がいる。.

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天文博物館五島プラネタリウム

天文博物館五島プラネタリウム(てんもんはくぶつかんごとうプラネタリウム)は、東京都渋谷区の渋谷駅前、東急文化会館(2003年解体)8階にあった天文博物館。館名の「五島」は開館当時の東京急行電鉄会長、五島慶太の姓にちなむ。2001年3月に閉館し、館の資料は渋谷区教育委員会が所管する「渋谷区五島プラネタリウム天文資料」に引き継がれた(投影機も同所に解体保存された後、現在は渋谷区文化総合センター大和田で展示保存されている)。当時としては珍しい民間運営のプラネタリウムだった。.

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太田博太郎

太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - 2007年1月19日)は日本の建築史家。第二次世界大戦後に中世の寺院建築や民家の研究をリードした。.

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太田朗

太田 朗(おおた あきら、1917年7月21日 - 2015年12月31日)は、日本の英語学者、言語学者。東京教育大学名誉教授。神奈川県横須賀市生れ。 1950年代以降活発な研究活動を行なった。アメリカ構造主義および生成文法の影響下での業績が多い。.

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外村彰

外村 彰(とのむら あきら、1942年4月25日 - 2012年5月2日)は、日本の物理学者。元沖縄科学技術大学院大学教授、学習院大学理学博士、名古屋大学工学博士。日本学士院賞恩賜賞受賞。文化功労者。日本学士院会員。米国科学アカデミー外国人会員。日本学術会議議員。.

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奥田昌道

奥田 昌道(おくだ まさみち、1932年(昭和7年)9月28日 - )は、日本の法学者。元最高裁判所判事。京都大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉教授。専攻は民法。法学博士(京都大学、1980年)(学位論文「請求権概念の生成と展開」)。日本学士院会員。元同志社大学法科大学院教授。.

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奥野高廣

奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。文学博士。現在でも織田信長研究の権威と評されている。.

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妹沢克惟

妹沢 克惟(せざわ かつただ、1895年(明治28年)8月21日 - 1944年(昭和19年)4月23日)は日本の地球物理学者、地震学者。東京帝国大学地震研究所所長。弾性力学研究者としてしられている。.

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姫路工業大学

2004年に神戸商科大学、兵庫県立看護大学と統合し新設された兵庫県立大学に継承されている。.

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子島喜久

子島喜久(1963年 -)は日本の社会科学研究者。埼玉県生まれ。取得学位、経済学修士。 父親は、国鉄労働組合本部役員、全国労働組合連絡協議会事務局長を歴任した子島利夫()である。 社会人学生を続け大学院時代、日本学士院会員で経済学者の伊藤誠に師事し影響を受け、 経済理論学会、基礎経済科学研究所で「疎外労働の超克」を社会科学の統一的課題として 設定し、専門的な労働分野の研究をしている。 子島は、「瑞々しい感性と人格は、自身の歴史性によって定立される」と人格論を弁証法的に提唱している。.

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学士

学士(がくし、Bachelor)は、「学問を行う者」を原義とする語で、次のような多様な意味がある。.

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学士会

一般社団法人学士会(がくしかい)は、日本の社団法人。旧帝国大学系大学の出身者等を主な会員とする、大学の枠を超えた一種の同窓会組織である。.

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学位

学位(がくい、degree)とは、大学など高等教育機関や国家の学術評価機関等において、一定の教育課程の修了者又はそれと同等の者に対して学術上の能力または研究業績に基づき授与される栄誉称号を言う学位を栄誉称号と規定する出典としては国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)177頁、相賀徹夫編著『日本大百科全書5』(小学館、1985年) 13頁、14頁を参照。その他、新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)495頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)439頁なども参照。。 学位は(1)一定の教育課程を履修し、かつ試験に合格して学業を修めた者(2)学術上価値のある研究を修め、論文または著書を公刊した者(3)学術上または教育上、功績があると認められた者―に授与される称号であり、取得学位(課程博士など)、研究学位(論文博士など)、名誉学位の類型があるほか、国や大学によって博士、修士、学士の学位のほか、短期大学士、専門職学位その他各種の階梯・称号が制定されている相賀徹夫前掲書(小学館、1985年) 13頁、14頁参照。但し、名誉学位については名誉称号としてのみ有効であり、学歴はもちろんのこと、学術上の業績や研究能力の証明にはならない。。 ちなみに学位は大学院の修了資格と不可分の関係にあり、大学院の修了はその大学院の課程が定める特定の学位の取得を意味していた。しかし、今日ではその大学院の修士課程、専門職学位課程、博士課程の定める学位の他に、大学が提携する他大学特に外国にある大学の学位の取得も可能になるダブルディグリー・プログラムや学位の取得はできない代わりに知識や技術の修得のみに徹するノンディグリー・プログラムという教育課程もできるなど、大学院の修了資格としての学位のあり方も変わりつつある。 なお、同時に2つ以上の学位取得する制度として複数学位(ダブル・ディグリー)、共同学位(ジョイント・ディグリー)がある。いずれも複数の学位の取得を意味する点では同義である。但し制度としての複数学位とは、複数の大学が協定を結び、当該大学の課程を修了した者には修了した大学及び協定校の学位も同時に授与される制度をいう。これに対して、共同学位とはひとつの教育課程で複数の学位の授与を目指し教育を施す制度をいう。特に修士号を2つ取得することをダブルマスターと呼ぶことがあるが、高等な学位にいくに従い、こうした制度が年々充実・発展を遂げている。.

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学校に関する日本初の一覧

学校に関する日本初の一覧(がっこうにかんするにほんはつのいちらん)は、日本の学校に関する日本初の事物の一覧である。.

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学校法人北里研究所

学校法人北里研究所(がっこうほうじんきたさとけんきゅうしょ、英称:The Kitasato Institute)は、厚生労働省健康局所管の公益法人であった社団法人北里研究所と学校法人北里学園が統合して設立された学校法人。北里研究所は、1892年(明治25年)に設立された、私立伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)を起源とし、1914年(大正3年)に、北里柴三郎により設立された。1918年(大正7年10月)社団法人北里研究所となる。2008年(平成20年)4月1日に北里大学を設置する学校法人北里学園と統合し、「学校法人北里研究所」となった。本部は東京都港区白金5-9-1。.

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定永両一

定永 両一(さだなが りょういち、1920年6月25日 - 2002年1月27日)は日本の鉱物学者、結晶学者。専門は結晶学、鉱物学。大阪生まれ。.

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客員

客員(きゃくいん、かくいん)とは.

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宮城県仙台第一高等学校

宮城県仙台第一高等学校(みやぎけん せんだいだいいちこうとうがっこう)は宮城県仙台市若林区元茶畑にある県立高等学校。通称は「一高」(いちこう)もしくは「仙台一高」(せんだいいちこう)。生徒の間では校名に入っている「一」よりも「壱」の字が使用されることが多い。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校。 OBでもある劇作家の井上ひさしの「青葉繁れる」のモデルとなった。.

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宮崎義一

宮崎 義一(みやざき よしかず、1919年12月5日 - 1998年5月20日)は日本の経済学者。京都大学名誉教授、経済学博士(北海道大学、1961年)。元日本学士院会員。経済政策に通じ、日本経済の分析を行った。.

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宮川米次

宮川 米次(みやかわ よねじ、明治18年(1885年)2月4日 - 昭和34年(1959年)12月26日)は、日本の医学者、病理学者、細菌学者。東京帝国大学伝染病研究所所長を務め、伝染病・感染症の拡大防止、撲滅などに寄与した。号は「豊山」。.

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宮部金吾

宮部 金吾(みやべ きんご、1860年4月27日(万延元年閏3月7日) - 1951年(昭和26年)3月16日)は、日本の植物学者。北海道札幌市名誉市民。札幌農学校第二期卒業生(現在の北海道大学)。.

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宮澤健一

宮澤 健一(みやざわ けんいち、1925年9月3日 - 2010年1月9日)は経済学者。第9代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。1997年から2010年まで日本学士院会員。元理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、元厚生省社会保障制度審議会会長、財団法人医療経済研究機構所長。神奈川県生まれ。 1962年エコノミスト賞、1977年日経・経済図書文化賞、1983年神戸賞、1998年勲一等瑞宝章。指導学生に清水啓典(一橋大学名誉教授)などがいる。.

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宮澤俊義

宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。.

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宮本又次

宮本 又次(みやもと またじ、1907年3月5日 - 1991年3月12日)は、日本の歴史学者。.

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宮本憲一

宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授、元滋賀大学学長、滋賀大学名誉教授。専門は財政学、環境経済学。日本学士院賞受賞。.

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家永三郎

家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史家(日本思想史)、東京教育大学名誉教授。文学博士(東京大学)。.

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宇井伯寿

宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。.

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宇沢弘文

宇沢(宇澤) 弘文(うざわ ひろふみ、1928年(昭和3年)7月21日 - 2014年(平成26年)9月18日)は、日本の経済学者。専門は数理経済学。東京大学名誉教授。意思決定理論、二部門成長モデル、不均衡動学理論などで功績を認められた。従三位。 1983年文化功労者、1989年日本学士院会員、1995年米国科学アカデミー客員会員、1997年文化勲章、2009年ブループラネット賞。Econometric SocietyのFellow(終身)。1976年から1977年までEconometric Society会長。 浅子和美、吉川洋、小川喜弘、清滝信宏、松島斉、宮川努、小島寛之、岩井克人らは東大時代、宇沢ゼミ出身。デイヴィッド・キャス、カール・シェル、ミゲル・シドロスキーらは博士課程指導学生。ジョセフ・E・スティグリッツ、ジョージ・アカロフらは、シカゴ大学時代、宇沢の授業を受けたことがある。数学者の宇澤達は長男。 経済学者の田中秀臣は宇沢が生前ノーベル経済学賞受賞候補であったと推測している。.

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安岡正篤

安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年(明治31年)2月13日 - 1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。.

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安島直円

安島 直円(あじま なおのぶ、享保17年(1732年) - 寛政10年4月5日(1798年5月20日))は江戸時代中期の財政家・和算家。新庄藩士。本姓は藤原氏。家系は藤原秀郷流の安島氏。仮名は万蔵。字は伯規、号は南山。諱は直円。名は資料によっては安島万蔵とも載せ、新庄藩の資料では安嶋直円ともある。父は新庄藩御勘定頭・安島庄右衛門清英。兄弟に安島弥惣次清茂、伊東平蔵直休がいる。妻は於なを。家禄は80石。寛政10年(1798年)江戸藩邸にて没。江戸(現在の東京都港区三田)の曹洞宗常林寺に葬られた他、国元の菩提寺である出羽国最上郡新庄町(山形県新庄市)は桂嶽寺に分骨された。戒名は祖眞院智算量空居士。位階は贈従五位。和算に長け、同門の藤田定資をして「当代の名人」と言わしめ、江戸時代の数学の発展に寄与、後世の人は関孝和と並んで和算の二大焦点と評した家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典第1巻』(新人物往来社、1993年)408頁参照。。.

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安保正一

安保 正一(あんぽ まさかず、1946年 - )は、日本の工学者。専門は光化学。工学博士。福州大学国際学院院長・国家重点研究所顧問。前大阪府立大学学長顧問・副学長。大阪府立大学名誉教授。兵庫県出身。.

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寺沢寛一

寺沢 寛一(てらざわ かんいち、1882年7月15日 - 1969年2月5日)は、日本の理論物理学者・数学者。日本学士院会員、東京帝国大学名誉教授、東京帝国大学総長事務取扱、理学部長、高等逓信講習所所長、千葉工業大学学長、電気通信大学学長などを歴任。多年にわたり東京帝国大学理学部物理学教室の運営に力があった。著書「自然科学者のための数学概論」は応用数学の名著として名高い。.

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富士川游

富士川 游(ふじかわ ゆう、慶應元年5月11日(1865年6月4日)- 昭和15年(1940年)11月6日)は、日本の医学者、医学史家。旧姓は藤川、幼名は充人。安芸国沼田郡安村大字長楽寺(後に安佐郡に編入、現・広島県広島市安佐南区長楽寺)出身。.

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富田正文

富田 正文(とみた まさふみ、1898年(明治31年)8月20日 - 1993年(平成5年)8月27日)は、は日本の作家・編集者・福澤諭吉研究者。昭和期から平成期の慶應義塾大学職員・名誉博士。第55回日本学士院賞受章。.

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富永健一

富永 健一(とみなが けんいち、1931年7月1日 - )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授、文化功労者、日本学士院会員。専攻は社会学全般、社会学理論、社会変動・近代化、社会階層、経済社会学、組織理論、等々と多岐にわたる。東京・杉並出身。竹内洋は「戦後の社会学をリードした」と評している.

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富澤純一

富澤 純一(とみざわ じゅんいち、1924年6月24日 - 2017年1月26日)は、日本の分子生物学者。国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。 東京都生まれ。日本の分子生物学の黎明期より指導的な役割を担い、RNAによってDNA複製が制御されることを発見したことで知られる。1947年東京帝国大学医学部薬学科卒。薬学博士(東京大学1957年)。日本分子生物学会名誉会員。.

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小宮隆太郎

小宮 隆太郎(こみや りゅうたろう、旧字体:小宮 隆太郞、1928年(昭和3年)11月30日 - )は、日本の経済学者。近代経済学、国際経済学を専攻し、日本経済に関する幅広い分野を実証的に研究した。また、多くの日本の経済論争に中心人物としてかかわっている。2002年、文化勲章受章。.

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小宮豊隆

小宮 豊隆(こみや とよたか、1884年(明治17年)3月7日 - 1966年(昭和41年)5月3日)は日本の独文学者、文芸評論家、演劇評論家、日本学士院会員。 夏目漱石の門下生として、大正6年に始まる『漱石全集』編纂に長く関わり、伝記等多くの優れた著作を残した。他方、漱石を崇拝する余り神格視することが多いとして、「漱石神社の神主」と揶揄されることが戦後の一時期にあった。 漱石の『三四郎』のモデルとしても知られる。俳号の逢里雨(ほうりう)は、豊隆の音読み(ほうりゅう)に別の字を宛てたもの。子に同じく独文学者の小宮曠三がいる。.

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小山貞夫

小山 貞夫(こやま さだお、1936年5月20日 - )は、日本の法学者。専門は西洋法制史。東北大学名誉教授。出身は神奈川県横浜市。.

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小島祐馬

小島 祐馬(おじま すけま、1881年12月3日 - 1966年11月10日)は、東洋史学者・東洋思想史研究者(中国社会思想史)。京都帝国大学名誉教授。号は「抱甕」(ほうおう)。.

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小川環樹

小川 環樹(おがわ たまき、1910年10月3日 - 1993年8月31日)は、日本の中国文学者。字は士解。京都府京都市出身。主著に「唐詩概説」、「蘇軾」など、初心者向けの啓蒙書や訳書も多数著している。.

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小川鼎三

小川 鼎三(おがわ ていぞう、1901年4月14日 - 1984年4月29日)は大分県出身の日本の解剖学者、医史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。元日本医史学会理事長。.

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小幡篤次郎

小幡 篤次郎(おばた とくじろう、1842年7月15日(天保13年6月8日) - 1905年(明治38年)4月16日)は、幕末の中津藩士。明治時代の政治家(貴族院議員)・教育者・思想家。第3代慶應義塾塾長。小幡甚三郎の兄。号は箕田。.

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小平邦彦

小平 邦彦(こだいら くにひこ、1915年3月16日 - 1997年7月26日)は、日本の数学者。東京都出身。日本人初のフィールズ賞およびウルフ賞受賞者。.

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小出由岐太

小出 由岐太(こいで ゆきた、文政3年11月13日(1820年12月18日) - 明治9年(1876年)10月18日)は徳島藩の和算家、暦学者、砲術家。小出兼政養子。土御門家師範代。 徳島藩で大砲鋳造、砲台築造に携わり、維新後名東県洲本小学校、愛媛県讃岐師範学校で西洋算学を教えた。.

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小田滋

小田 滋(おだ しげる、1924年(大正13年)10月22日 - )は、日本の法学者。東北大学名誉教授。文化功労者。日本学士院会員。弁護士。専門は国際法・海法。1976年2月6日から2003年2月5日 まで3期27年間にわたり国際司法裁判所判事を務めた。Doctor of the Science of Law(J.S.D.)(イェール・ロースクール(Yale Law School)、1953年)。法学博士(東北大学、1962年)(学位論文「海洋資源の国際的規制」)。 北海道札幌市生まれ。10歳から台湾・台北市で育つ。父は医学者で台北帝国大学教授を務めた小田俊郎、母方の祖父は台湾の医学教育に尽くした堀内次雄小田滋『堀内・小田家三代百年の台湾 - 台湾の医事・衛生を軸として - 』2002年、日本図書刊行会。電波天文学者の小田稔は兄小田滋「主権独立国家の『台湾』―『台湾』の国際法上の地位―(私の体験的・自伝的台湾論)」『日本學士院紀要』62(1):43-68.

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小葉田淳

小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。.

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小野清一郎

小野 清一郎(おの せいいちろう、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)3月9日)は、日本の法学者、弁護士。専門は刑法、刑事訴訟法、法哲学。学位は法学博士。東京大学名誉教授、法務省特別顧問。日本学士院会員、勲一等瑞宝章・文化勲章受章者。岩手県盛岡市出身。盛岡小野組の一族である。 仏教の影響を受け、客観主義の法哲学・刑法理論を展開し、大場茂馬以来の後期旧派理論を継承する。戦後の刑法学会に多大な影響を与えた。東京裁判では海軍側被告人の弁護人をつとめた。親鸞に造詣の深い仏教研究者でもあった。.

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小柴昌俊

小柴 昌俊(こしば まさとし、1926年(大正15年)9月19日 - )は、日本の物理学者・天文学者。1987年、自らが設計を指導・監督したカミオカンデによって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功したことにより、2002年にノーベル物理学賞を受賞した。日本学士院会員。 学位は、ロチェスター大学Ph.D.、東京大学理学博士。称号は日本学術会議栄誉会員、東京大学特別栄誉教授・東京大学名誉教授、明治大学名誉博士、東京都名誉都民、杉並区名誉区民、横須賀市名誉市民、杉並区立桃井第五小学校名誉校長。勲等は勲一等旭日大綬章、文化勲章受章。.

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小林道夫 (哲学者)

小林 道夫(こばやし みちお、1945年10月19日 - 2015年6月2日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授、龍谷大学特任教授。日本学士院会員。1994年より日本科学哲学会理事。デカルトと自然科学の関係、科学哲学が専門。.

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小林行雄

小林 行雄(こばやし ゆきお、1911年8月18日 - 1989年2月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士、日本学士院恩賜賞受賞者。.

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小林誠 (物理学者)

イタリア国立核物理学研究所所長ニコラ・カビボ(左)と 小林誠 小林 誠(こばやし まこと、1944年4月7日 - )は、日本の理論物理学者。素粒子理論を専門分野とし、小林の名が付けられた「CKM行列 (Cabibbo-Kobayashi-Maskawa matrix)」や「小林・益川理論」で知られる。ノーベル物理学賞、日本学士院賞受賞。文化功労者、文化勲章受章者。名古屋大学の特別教授および素粒子宇宙起源研究機構諮問委員会座長、高エネルギー加速器研究機構の特別栄誉教授、独立行政法人日本学術振興会の理事および学術システム研究センター所長、財団法人国際高等研究所のフェローを務める。.

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小林貞一

小林 貞一(こばやし ていいち、1901年8月31日 - 1996年1月13日)は、日本の地球科学者。専門は地史学・古生物学。理学博士。東京大学教授。 1936年、東京大学理学博士。論文は「On the phylogeny of the primitive nautiloids, with descriptions of Plectronoceras liaotungense, new species and iddingsia (?) shantungensis, new species(原始鸚鵡の系統に就て、並にプレクトロノセラス・リアウタングエンセ(新種)イデイングシア(?)シヤントウングエンシス(新種)の記載) 」。 1944年に東京帝国大学教授に就任。1951年、「佐川造山輪廻とその日本群島の起源に対する意義」で日本学士院賞受賞、1970年~1996年、日本学士院会員。.

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小林昇

小林 昇(こばやし のぼる、1916年(大正5年)11月1日 - 2010年(平成22年)6月3日)は、日本の経済学者。経済学史専攻。立教大学・福島大学名誉教授。 京都市生まれ。東京帝国大学卒。1940年、福島高等商業学校講師。途中3年間の兵役を挟み、福島大学経済学部の設立などに尽力する。1955年から82年まで立教大学経済学部教授。ドイツ経済学史に新地平を開き、特にフリードリッヒ・リストの研究で名高い。 未來社から『小林昇経済学史著作集』(全11巻、1976-79年)が出版されている。死後故人についての回想録、服部正治・竹本洋編『回想 小林昇』(日本経済評論社、2011年12月12日刊)が出版されている。.

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小松芳喬

小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 2000年2月7日)は、日本の経済学者、社会経済史学者。1960年社会経済史学会代表理事。1983年日本学士院会員。1979年日経・経済図書文化賞。.

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小泉修一

小泉 修一(こいずみ しゅういち、1963年 - )は日本の薬学者。山梨大学医学部・大学院総合研究部医学域教授。学位は 博士(薬学)(九州大学)。長野県小諸市出身。.

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尾高邦雄

尾高 邦雄(おだか くにお、1908年10月17日 - 1993年9月11日)は、日本の社会学者。東京大学文学部名誉教授。.

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尾高朝雄

尾高 朝雄(おたか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者。専門は法哲学。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。.

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尾藤正英

尾藤 正英(びとう まさひで、1923年9月1日 - 2013年5月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。.

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山口和雄 (経済学者)

山口 和雄(やまぐち かずお、1907年1月20日 - 2000年5月1日)は、日本の経済史学者。.

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山口益

山口 益(やまぐち すすむ、1895年1月27日 - 1976年10月21日)は、仏教学者、大谷大学教授・学長。京都府京都市生まれ。.

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山口高等学校 (旧制)

旧制山口高等学校(きゅうせいやまぐちこうとうがっこう)は、山口県吉敷郡山口町(現山口市)に設立された官立旧制高等学校。 1886年(明治19年)11月に、第一(東京)、第三(大阪、後に京都へ移転)に次ぐ全国3番目の高等中学校(後に高等学校)として山口市亀山地区に設立されたものと、1919年(大正8年)に山口市糸米地区に設立されたものがある。略称はともに「山高」(やまこう)であり、特に区別する場合は前者を「旧旧山高」、後者を「再興(旧制)山高」と称する。.

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山岡憲二

山岡 憲二(やまおか けんじ、1903年 - 1987年)は、日本の医学者。専門分野は内科学。福岡県出身。1928年九州帝国大学医学部卒業。1944年九州帝国大学助教授、1945年岡山大学教授、1956年九州大学医学部第一内科教授。「血色素並びに胆汁色素の研究」で、1965年学士院賞受賞。1966年名誉教授。1973年日本学士院会員。1987年3月18日死去。84歳。.

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山崎一雄

山崎 一雄(やまさき かずお、1911年3月15日 - 2010年4月10日)は、日本の化学者。専攻は無機化学。日本学士院会員。.

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山川民夫

山川 民夫(やまかわ たみお、1921年10月12日 - )は、日本の医学者、東京大学・東京薬科大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 宮城県仙台市出身。山川章太郎の次男、兄は山川邦夫。1944年東京帝国大学医学部卒、1951年東京大学医学博士。1952年東京大学伝染病研究所助教授、1959年教授、1966年医学部教授、1982年定年退官、名誉教授、東京都臨床医学総合研究所所長、東京薬科大学教授、同名誉教授。1976年日本学士院賞受賞、1987年学士院会員。1991年勲二等瑞宝章、2014年文化功労者。.

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山中伸弥

山中 伸弥(やまなか しんや、1962年(昭和37年)9月4日 - )は、日本の医学者。京都大学iPS細胞研究所所長・教授、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員、日本学士院会員。学位は大阪市立大学博士(医学)。その他称号としては京都市名誉市民、東大阪市名誉市民、奈良先端科学技術大学院大学栄誉教授、広島大学特別栄誉教授、ロックフェラー大学名誉博士、香港大学名誉博士、香港中文大学名誉博士など。文化勲章受章者。「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した。.

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山下英男

山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 1993年5月27日、文献によっては1899年5月21日 - 1993年5月24日)は、電気通信工学者。日本の電子計算機開発の萌芽期に研究を主導し、電子計算機の国産化に貢献した。また国際計数センター、情報処理国際連合の設立にも参画した。情報処理学会の初代会長。 東京生まれ。.

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山喜房仏書林

山喜房仏書林(山喜房佛書林、さんきぼうぶっしょりん)は、東京都文京区本郷東京大学赤門前にある、仏教書専門の書店並びに出版社。 博士学位請求論文の書籍化など、専門書を中心に仏教一般に関する書籍も数多く刊行している。.

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山田三良

山田 三良(やまだ さぶろう、1869年12月10日(明治2年11月8日) - 1965年(昭和40年)12月17日)は、日本の国際私法学者。法学博士。法華会創立者。.

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山田康之

山田 康之(やまだ やすゆき、1931年10月31日 - )は、日本の農学者。京都大学名誉教授。植物分子細胞生物学の研究者である。 大阪府生まれ。京都大学農学部卒業、京都大学大学院修士課程修了。数十年にわたり、京都大学を研究の拠点とし活動。植物分子細胞生物学研究の権威。細胞を大量培養する実験系を確立。これらの培養細胞系を用いて、次々に新しい研究分野を開拓し、植物分子細胞生物学の基礎とその応用に大きく貢献。特にアルカロイドを高産生する培養細胞を用い、その生合成系の解析とその生合成系を遺伝子工学的に改変した分子育種学の新しい道を開く。その研究の成果はネイチャー誌にも掲載され、世界的に高い評価を得ている。 後に、奈良先端科学技術大学院大学長就任。日本人の全米科学アカデミー外国人会員でもある。.

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山田盛太郎

山田盛太郎 山田 盛太郎(やまだ もりたろう、1897年(明治30年)1月29日 - 1980年(昭和55年)12月27日)は、昭和期日本のマルクス経済学者。東京大学名誉教授。愛知県出身。東京帝国大学卒業。.

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山田晶

山田 晶(やまだ あきら、1922年(大正11年)3月7日 - 2008年2月29日)は、日本の哲学研究者で、西洋中世哲学研究の第一人者であった。.

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山本達郎

山本 達郎(やまもと たつろう、1910年(明治43年)6月16日 - 2001年(平成13年)1月24日)は東洋史学者。東京大学名誉教授。元号『平成』の名付け親である。.

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岡山県立岡山朝日高等学校

岡山県立岡山朝日高等学校(おかやまけんりつおかやまあさひこうとうがっこう, Okayama Prefectural Okayama Asahi High School)は、岡山県岡山市中区古京町にある県立の高等学校である。通称は「朝日(あさひ)」。岡山五校の1つ。.

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岡山県立岡山操山中学校・高等学校

岡山県立岡山操山中学校・高等学校(おかやまけんりつ おかやまそうざんちゅうがっこう・こうとうがっこう, Okayama Prefectural Okayama Sozan Junior and Senior High School)は、岡山県岡山市中区浜にある公立中学校・高等学校。通称は「操山(そうざん)」。岡山五校の一つ。.

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岡崎義恵

岡崎 義恵(おかざき よしえ、男性、1892年12月27日 - 1982年8月6日)は、国文学者、文芸学者。高知市生まれ。東京帝国大学卒、1923年東北帝国大学助教授、のち東北大学教授、1955年共立女子大学教授。1965年日本学士院会員。文学博士。 美学に基づく日本文芸学を唱えた。1937年谷崎潤一郎が『源氏物語』の現代語訳を出した際、光源氏と藤壺の密通の場面が削除されたことを批判した。『岡崎義恵著作集』全10巻がある。.

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岡義武

岡 義武(おか よしたけ、1902年10月21日 - 1990年10月5日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。専門は、政治史、日本政治史。.

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岡田要

岡田 要(おかだ よう、1891年8月11日 - 1973年12月26日)は、日本の動物学者。日本学士院会員、文化功労者。 兵庫県相生生まれ。東京帝国大学卒。ヨーロッパ留学後、1929年京都帝国大学教授、同年京都帝大理学博士 「La regeneration chez les Coelenteres(腔腸動物に於ける再生の研究)」 1937年東京帝国大学教授、1953年国立科学博物館館長、また日本動物学会会長などを務め、実験動物学に貢献した。1970年文化功労者。.

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岡村総吾

岡村 総吾(おかむら そうご、1918年(大正7年)3月18日 - 2013年(平成25年)10月26日)は、電子工学者。東京大学名誉教授。東京電機大学名誉学長。工学博士。東京生まれ。.

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岡村誠三

岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 2001年5月2日)は、日本の化学者。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所長。元日本学士院会員。勲二等旭日重光章受章。工学博士。専門は高分子化学。放射線重合の研究を推進し、放射線高分子化学という新しい分野を開拓した。1970年に「放射線重合に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞。.

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岡本佳男

岡本 佳男(おかもと よしお、昭和16年(1941年)1月10日 - )は高分子化学者。名古屋大学名誉教授、特別招聘教授、中国哈爾浜工程大学特聘教授。 世界に先駆けて不斉重合によって、選択的に高分子を一方方向のらせん型に合成したことで知られる(日本経済新聞 2014/3/12)(日本学士院)。また、らせん高分子を使用した鏡像異性体を分離する高速液体クロマトグラフィー用の光学分割カラム充填剤を開発し、その成果は医療や高分子研究に利用されている(日本学士院)。.

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岡本舜三

岡本 舜三(おかもと しゅんぞう、1909年11月3日 - 2004年4月14日)は、日本の応用力学者、文化功労者。埼玉大学第5代学長(1974年 - 1980年)。埼玉大学名誉教授。耐震工学の専門家。東京府出身。.

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岩崎俊一

文化勲章受章に際して文部科学省より公表された肖像写真 岩崎 俊一(いわさき しゅんいち、1926年(大正15年)8月3日 - )は、日本の工学者。東北工業大学理事長。文化勲章受章者。.

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岩崎英二郎

岩﨑 英二郎(いわさき えいじろう、1922年4月29日 - 2017年7月11日)は、日本のドイツ語学者で、慶應義塾大学名誉教授。専門は、ドイツ語の不変化詞の研究。.

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岩井克人

岩井 克人(いわい かつひと、1947年2月13日 - )は、日本の経済学者(経済理論・法理論・日本経済論)。学位はPh.D.(マサチューセッツ工科大学・1972年)。国際基督教大学客員教授、東京大学名誉教授、公益財団法人東京財団名誉研究員、日本学士院会員。 カリフォルニア大学バークレー校研究員、イェール大学経済学部助教授、コウルズ財団上席研究員、東京大学経済学部教授、東京大学大学院経済学研究科教授、東京大学大学院経済学研究科研究科長、東京大学経済学部学部長、財団法人東京財団上席研究員、日本学術会議経済学委員会委員長、武蔵野大学特任教授を歴任した。.

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岩生成一

岩生 成一(いわお せいいち、1900年6月2日 - 1988年3月21日)は、日本の歴史学者。.

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岸本忠三

岸本 忠三(きしもと ただみつ、1939年(昭和14年)5月7日 - )は、日本の免疫学者。元・大阪大学総長、大阪大学名誉教授。IL-6の発見者であり、免疫学の世界的権威としてその名を知られる。医学博士(大阪大学)(1969年)。大阪府富田林市生まれ。文化功労者、文化勲章。2009年、日本人初となるクラフォード賞の受賞者に選出された(平野俊夫、チャールズ・ディナレロとの共同受賞)。.

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岸本誠二郎

岸本 誠二郎(きしもと せいじろう、1902年7月5日 - 1983年4月5日)は、日本の経済学者。.

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島田虔次

島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。1997年(平成9年)から日本学士院会員。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の中国近世・近代思想史研究を牽引した研究者である。.

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川島武宜

川島 武宜(かわしま たけよし、1909年(明治42年)10月17日 - 1992年5月21日)は、日本の法学者、弁護士。専門は民法、法社会学。我妻栄門下。1979年学士院会員、1991年文化功労者。.

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川井直人

川井 直人(かわい なおと、1921年 - 1979年7月3日)は、日本の物理学者・地球科学者。専門は古地磁気学。1945年に京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業。大阪大学名誉教授。.

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川田侃

川田 侃(かわた ただし、1925年6月22日 - 2008年2月14日)は、日本の経済学者。東京大学および上智大学名誉教授。日本学士院会員。従四位勲二等経済学博士。専門は、国際関係論、国際政治経済学。.

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川本幸民

川本 幸民(かわもと こうみん、1810年(文化7年) - 1871年7月18日(明治4年6月1日) )は、幕末・明治維新期の医師および蘭学者。名は裕(ゆたか)、号は裕軒(ゆうけん)。父は三田藩侍医の川本周安。その業績から、日本化学の祖とも言われる。 幸民は化学新書をはじめとする科学技術分野の多数の書物を執筆した。専門性を基礎として、白砂糖、マッチ、銀板写真の試作をし、日本における技術の発展に貢献した。 幸民は日本で初めてビールを醸造したと推定されている。 また当時用いられていた「舎密」の代わりに「化学」という言葉を初めて用いたことでも知られている。.

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川本皓嗣

川本 皓嗣(かわもと こうじ、1939年10月28日 - )は、日本の比較文学者。東京大学・大手前大学名誉教授、日本学士院会員。前大手前大学学長。元日本比較文学会会長。博士(学術)(東京大学、1992年)。.

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上田誠也

上田 誠也(うえだ せいや、1929年11月28日 - )は、日本の地球科学者。専門は地球物理学。東京大学名誉教授で、理学博士。.

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上田辰之助

上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1956年10月13日)は、日本の経済学者、思想史家。一橋大学名誉教授。日本学士院会員。ペンシルベニア大学博士。正三位勲一等瑞宝章、イタリア王国コンメンダトーリ・コローナ・イタリヤ受章。.

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上田閑照

上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。専攻はドイツ哲学、宗教哲学。禅研究、マイスター・エックハルトの研究、東西神秘主義研究、マルティン・ハイデッガーの研究、西田幾多郎、西谷啓治等の京都学派思想の研究などで知られる。.

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上野直昭

上野 直昭(うえの なおてる、1882年11月11日 - 1973年4月11日)は、日本の美学者。日本学士院会員、東京藝術大学名誉教授。.

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上野恩賜公園

上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)は、東京都台東区にある公園。通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも呼ばれる。総面積約53万m2。東京都建設局の管轄。公園内には博物館、動物園等、多くの文化施設が存在する。「上野公園」は台東区の町名でもある。.

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上柳克郎

上柳 克郎(うえやなぎ かつろう、1922年(大正11年)3月5日 - 2007年12月7日)は、日本の法学者。京都大学名誉教授。専門は商法。法学博士(京都大学、1989年)(学位論文「商法の基礎的研究」)。1998年(平成10年)から日本学士院会員。裁判官の稲葉重子は実娘。.

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帝室制度史

『帝室制度史』(ていしつせいどし)は、帝国学士院によって編纂された日本帝室制度の基本的な研究書。第二次世界大戦後に続編が宮内庁書陵部編纂の『皇室制度史料』(こうしつせいどしりょう)に体裁を改めて吉川弘文館から現在も刊行中である。.

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帝国学士院

帝国学士院(ていこくがくしいん、)は、大日本帝国にかつて存在した国立アカデミー。現在は日本学士院に改組されている。 帝国学士院は、研究者に対する顕彰等の事業を通じ、日本の学術の発展を図る目的で設置された帝国学士院規程第1条。。設置根拠は、1906年に勅令として公布された「帝国学士院規程」などに基づく。文部大臣の管理下に位置づけられており、職員として置かれた書記にも文部官僚が任じられた。 会員の定数は60名とされ、勅旨により任じられた。当時の日本は帝国としての勃興期にあたり、それ以降は日本列島だけでなく台湾や南樺太といった外地にも版図を拡大していったが、その広大な領土の各地から優秀な研究者が会員として選任された。また、日本国籍を有しない研究者であっても、日本にとって功績があると認められた場合は客員として迎えられた。 また、貴族院には帝国学士院会員の議席枠が4議席確保されており、井上哲次郎、小野塚喜平次、田中館愛橘らが貴族院議員に就任するなど、帝国議会にも一定程度の影響力を保持した。また、帝国学士院規程第9条を根拠として、万国学士院連合会や国際学士院連盟に加盟しており「沿革」『』日本学士院。、日本を代表するアカデミーとして国際的にも認知されていた。1947年の政令により、帝国学士院規程は「日本学士院規程」に改正され、帝国学士院も日本学士院に改称された。.

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中原和郎

中原 和郎(なかはら わろう、1896年1月16日 - 1976年1月21日)は、日本の生化学者。医学博士。日本学士院会員。がんの生化学的研究で知られる。.

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中尾喜久

中尾 喜久(なかお きく、男性、1912年1月22日-2001年6月21日)は、日本の内科学者。.

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中山伊知郎

中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - 1980年4月9日)は、日本の経済学者。一橋大学初代学長、一橋大学名誉教授。日本における近代経済学の導入に貢献した。1963年から1980年まで学士院会員。1968年文化功労者。第4期日本学術会議副会長。勲一等瑞宝章受章。.

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中島さち子

中島 さち子(なかじま さちこ、1979年6月13日 - )はジャズピアニスト、数学教育者。フェリス女学院中学校・高等学校、東京大学理学部数学科卒業。一女の母。大阪府出身。.

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中島文雄

中島 文雄(なかじま ふみお、1904年11月11日 - 1999年12月28日)は、日本の英語学者。.

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中川久定

中川 久定(なかがわ ひさやす、1931年3月15日 -2017年6月18日)は、日本のフランス文学者。日本学士院会員。.

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中川善之助

中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年11月18日 - 1975年3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授。金沢大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。銀杯一組。東京府(現・東京都)生まれ。.

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中川敬一郎

中川 敬一郎(なかがわ けいいちろう、1920年11月18日 - 2007年3月25日)は、日本の経営史学者、日本学士院会員。.

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中井猛之進

中井 猛之進(なかい たけのしん、1882年11月9日 - 1952年12月6日)は日本の植物分類学者。東大教授、小石川植物園長、ボゴール植物園長、国立科学博物館長。小説家の中井英夫は息子。.

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中国工程院

中国工程院(ちゅうごくこうていいん、英文名:The Chinese Academy of Engineering)は、中華人民共和国における技術分野の最高研究機関であり、また国務院の直属事業単位であり、設立は中国科学院から分かれて独立した1994年とする。 中国工程院のメンバー(院士)は現在600余名であり、中国科学院と共に科学技術関係の「両院」と呼ばれている。.

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中田和居

中田 和居(なかた よしおり、安政元年 - )は、日本の医師、元島根県津和野町長。 安政元年、石見津和野亀井藩の低い士分の二男として生まれ、幼名を秀次郎、長じて和居と改名した。元は医師であったが、日露戦争時に町長となり、54歳で没した。医師としては著名であり、人々から信頼され、死後は「墓の水をいただくだけでも病気は治る」と言われたほどであった。また、「医は仁術」を実行し、その人柄より無理やり町長にさせられ、医業は放棄の状態となり、貧乏した。 町長時には、町の人々のため、町の発展のため尽力し、日露戦争後の功労で勲七等を授けられた。また、先を見越して近傍の山に植林をし、その後昭和の中頃になってから、往年の功績により町から表彰されている。(俳句雑誌『まはぎ』への三男・中田瑞穂の投稿記事『私の父』昭和35年8月より)。 墓地は島根県津和野町の遍證寺にある。 三男・中田瑞穂は新潟大学名誉教授、日本の脳外科の先駆者で、その発展に尽くし、文化功労者、日本学士院会員。またホトトギス派の俳人でもある。 脚注:^内海隆一郎『静かに雪の降るは好き』別冊文芸春秋220号、1997年 文芸春秋.

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中田秀作

中田 秀作(なかた しゅうさく、1948年2月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー。.

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中田瑞穂

島根県津和野町の生誕地 中田 瑞穂(なかだ みずほ、男性、1893年4月24日 - 1975年8月18日)は、日本の脳外科学者、俳人。新潟大学名誉教授。俳号はみづほ。島根県津和野町生まれ。 日本における脳神経外科学の権威で、新潟大学に日本初の脳神経外科を設立した。日本で初めて大脳半球切除手術(いわゆるロボトミー手術)に成功した人物としても知られているが、今日ではこの手術の有効性は否定されている。中田みづほの俳号をもつホトトギス派の俳人でもあり、高浜虚子と親交があった。主著に『脳手術』、『脳腫瘍』等。.

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中西重忠

中西 重忠(なかにし しげただ、1942年1月7日 - )は、日本の生化学者、分子神経科学者。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所所長。Gタンパク質共役受容体に関する世界的権威として知られる。岐阜県大垣市出身。2015年文化勲章。 沼正作と共に、多ホルモン前駆体の構造、遺伝子、進化に関する研究を発表して有名となり、「記憶のもと」と考えられるタンパク質のNMDA型グルタミン酸受容体の構造を世界で初めて解明した。.

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中野貞一郎

中野 貞一郎(なかの ていいちろう、1925年(大正14年)6月24日 - 2017年(平成29年)2月20日)は、日本の法学者。弁護士。専門は民事手続法。大阪府出身。1988年(昭和63年)西ドイツ・ザールラント大学名誉法学博士。1989年大阪大学名誉教授。1996年(平成8年)ドイツ功労十字勲章。1998年(平成10年)より日本学士院会員。1999年(平成11年)勲二等旭日重光章。歿後、正四位(正八位より進階)。中野俊一郎(国際私法学者)の父。.

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中村宗雄

中村 宗雄(なかむら むねお、1894年8月9日 - 1975年8月10日)は、日本の法学者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。.

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中村元 (哲学者)

中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者 著者紹介。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。.

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中村元記念館

中村元記念館(なかむらはじめきねんかん)は、島根県松江市八束町にある記念館である。 中村元(東京大学名誉教授・日本学士院会員)の生誕100周年を記念して、その功績を顕彰し、東洋思想・文化研究の啓発普及を目的として2010年(平成24年)10月10日、中村元の出身地島根県松江市に創立された。 中村元博士の蔵書約3万冊の保護・管理および著作・遺品・書斎の展示公開を行う。 運営は特定非営利活動法人中村元記念館東洋思想文化研究所。平成25年、8月31日-9月1日の2日間、日本印度学仏教学会第64回学術大会の開催。平成26年7月19日-20日の2日間、比較思想学会第41回学術大会が開催され、平成27年11月には、日本仏教教育学会学術大会が開催の予定である。.

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中村元東方研究所

公益財団法人中村元東方研究所(こうえきほうじんなかむらはじめ とうほうけんきゅうしょ)は、東京都千代田区外神田に本部を置く、東洋学(インド学・仏教学を含む)についての研究所。 中村元(東京大学名誉教授・日本学士院会員・文化勲章受章者)によって、1970年(昭和45年)に創設された。.

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中村清二

中村 清二(なかむら せいじ、明治2年9月24日(1869年10月28日) - 1960年(昭和35年)7月18日)は日本の物理学者。.

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中根千枝

中根 千枝(なかね ちえ、1926年(大正15年)11月30日 - )は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった女性の文化勲章受章者としては11人目だが、それまでの女性の文化勲章受章者はすべて芸術系での受章だった。。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。.

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中根元圭

中根 元圭(なかね げんけい、寛文2年(1662年) - 享保18年9月2日(1733年10月9日))は、江戸時代中期の和算家・天文家である。漢学や音楽理論にも長けていた。名は璋。通称を丈右衛門、字は元圭または元珪とする。また律襲、律聚と号する。 近江国浅井郡の人。京都の白山町に住んでいたため白山先生と呼ばれ、銀座の役人を勤めていた。元々は田中由真の門人であり、早くから『新撰古暦便覧』『三正俗解』『授時暦図解発揮』などの著作がある。 享保6年(1721年)建部賢弘の推薦で江戸に招かれ、天文書などの有用な書に限り洋書の輸入を認めるよう徳川吉宗に進言した。これが享保5年(1720年)に禁書の令が緩められたきっかけとされているが、年号に矛盾があり、進言は享保2年(1717年)とする説もある。享保11年(1726年)に『暦算全書』の訓訳を命じられ、同18年(1733年)72歳の時に完成したが、この歳に没している。 音楽理論にもすぐれ、別々に発展していた雅楽・俗楽それぞれの音階の関係を考察し、1692年に1オクターヴを12乗根に開いた十二平均律を『律原発揮』として著している。.

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丸山眞男

丸山 眞男(まるやま まさお、1914年(大正3年)3月22日 - 1996年(平成8年)8月15日)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。新字体で丸山真男とも表記される。 丸山の学問は「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。.

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市古貞次

市古 貞次(いちこ ていじ、1911年5月5日 - 2004年3月25日)は、日本の日本文学者。専門は中世日本文学。.

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市河三喜

市河 三喜(いちかわ さんき、1886年2月18日 - 1970年3月17日)は、日本の英語学者。日本の英語学の祖と言われている。新しい教授法の普及にも力を注いだ。文学博士、東京大学名誉教授、日本学士院会員、語学教育研究所所長。 英語学の新人賞として市河三喜賞が設けられている。.

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三宅一郎

三宅 一郎(みやけ いちろう、1931年(昭和6年)7月30日 - )は、日本の政治学者。兵庫県生まれ。神戸大学名誉教授。日本学士院会員。法学博士(京都大学)。勲二等瑞宝章受章。専門は、政治過程論。とりわけ投票行動。.

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三島中洲

三島 中洲(みしま ちゅうしゅう、文政13年12月9日(1831年1月22日) - 大正8年(1919年)5月12日)は、江戸時代末期から大正時代の漢学者、東京高等師範学校教授、新治裁判所長、大審院判事、東京帝国大学教授、東宮御用掛、宮中顧問官、二松學舍大学の前身となる漢学塾二松學舍の創立者である。重野安繹、川田甕江とともに明治の三大文宗の一人に数えられる。正三位。大東文化協会初代理事長。 本名は毅で、字は遠叔、通称貞一郎、中洲は号。 地元の名族三村氏の子孫を称した。.

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三島徳七

三島 徳七(みしま とくしち、1893年(明治26年)2月24日 - 1975年(昭和50年)11月19日)は、日本の冶金学者。産業技術進歩に大きな役割を果たしたMK鋼の発明者として知られる。東京大学名誉教授。.

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三上次男

三上 次男(みかみ つぎお、1907年(明治40年)3月31日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の東洋学者、考古学者。.

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三ヶ月章

三ヶ月 章(みかづき あきら、1921年6月20日 - 2010年11月14日)は、日本の法学者、弁護士(大江忠・田中豊法律事務所)、法務大臣(第56代)。専門は民事訴訟法。1991年日本学士院会員、2005年文化功労者、2007年文化勲章受章。.

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三谷太一郎

三谷 太一郎(みたに たいちろう、1936年9月29日 - )は、日本の政治学者・歴史学者。東京大学名誉教授、宮内庁参与、日本学士院会員。専門は日本政治外交史、特に大正デモクラシー期の日本政治史研究で知られる。 東京大学法学部学部長、東京大学大学院法学政治学研究科研究科長、成蹊大学特別任用教授などを歴任した。.

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三重県立上野高等学校

三重県立上野高等学校(みえけんりつ うえのこうとうがっこう)は、三重県伊賀市上野丸之内にある公立高等学校。略称は「上高」(うえこう)。.

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下村寅太郎

下村 寅太郎(しもむら とらたろう、1902年(明治35年)8月17日 - 1995年(平成7年)1月22日)は、日本の哲学者・科学史家。 科学史から芸術・美術史、精神史まで幅広い論考著述を行った。.

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一橋大学の人物一覧

一橋大学の人物一覧(ひとつばしだいがくのじんぶついちらん)は、一橋大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・総長・名誉教授・公職者等は除く)。.

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干潟龍祥

干潟 龍祥(ひかた りゅうしょう、1892年2月7日 - 1991年10月13日)は、日本のインド哲学者。 福井県小浜市生まれ。1917年東京帝国大学文学部哲学科卒。1937年東大講師、1940年九州帝国大学教授、1950年九州大学教育学部長。1950年「本生経類の思想史的研究」で東北大学文学博士。1955年九大を定年退官、名誉教授、福岡女子大学教授、1960年学長、1964年退任。1965年紫綬褒章、1966年勲二等瑞宝章受勲。1969年日本学士院会員。1990年仏教伝道文化賞功労賞受賞。.

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平場安治

平場 安治(ひらば やすはる、1917年3月30日 - 2002年6月27日)は、大阪府出身の法学者、弁護士。1993年日本学士院会員。京都大学名誉教授。従三位勲二等瑞宝章。.

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平岡武夫

平岡 武夫(ひらおか たけお、1909年12月10日 - 1995年5月31日)は、中国哲学者、専攻は儒教経典の成立史的研究など。京都大学名誉教授。 大阪出身。京都帝国大学文学部を卒業、東方文化研究所研究員、京大人文科学研究所助教授、1960年教授、71年付属図書館長。73年定年退官、名誉教授、日本大学教授。83年退職、日本学士院会員。.

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平川彰

平川 彰(ひらかわ あきら、1915年1月21日 - 2002年3月31日)は、仏教学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。.

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平井宜雄

平井 宜雄(ひらい よしお、1937年4月19日 - 2013年11月26日)は、日本の法学者。専門は民法及び法政策学。東京大学・専修大学名誉教授。前専修大学法科大学院院長。法制審議会委員。財団法人不動産適正取引推進機構会長。東京出身。.

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平井正穂

平井 正穂(ひらい まさお、1911年12月10日 - 2005年2月24日)は、日本の英文学者。 福岡県久留米市に生まれ、福岡市で育つ。旧制第八高等学校卒業後、1935年、東京帝国大学英文科卒業、大学院に進む。1937年、助手に採用される。1940年、旧制新潟高等学校教授、東大教授斎藤勇の女婿となる。1948年、東大英文科助教授、教授を務め、69年から71年まで文学部長、72年定年退官後は武蔵大学教授。日本英文学会会長を務めた。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 ジョン・ミルトン、T・S・エリオットなど英文学の正統的研究者。 小泉八雲、夏目金之助、斎藤勇に継いで東大英文科を担い、高橋康也、丸谷才一、宮崎雄行、冨山太佳夫、山内久明など、数多くの優秀な教え子を輩出した。篠田一士・高松雄一等による『ルネサンスの文学と思想  平井正穂教授還暦記念論文集』が、筑摩書房で1977年に刊行された。 教え子の高橋康也は文学部ではなく教養学部の教授となったが、この事については、高橋を自らより優秀であると評する平井が自らが高橋に抑えつけられることを恐れ、文学部での採用を見送ったことが原因であると主張している。.

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平野龍一

平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年9月29日 - 2004年7月16日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授・元総長。専門は刑事法。法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「刑事訴訟法」)。熊本県熊本市出身。.

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乾崇夫

乾 崇夫(いぬい たかお、1920年1月16日 - 2012年9月13日)は、日本の船舶工学者、文化功労者、東京大学名誉教授。.

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久城育夫

久城 育夫(くしろ いくお、1934年3月30日 - )は日本の地球科学者。東京大学名誉教授。専門は岩石学。理学博士。日本学士院会員。.

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久原躬弦

久原 躬弦(くはら みつる、1856年1月5日(安政2年11月28日) - 1919年(大正8年)11月21日)は明治時代から大正時代にかけての日本の化学者。理学博士。 第一高等学校(東京大学教養学部の前身)校長、東京化学会(日本化学会の前身の一つ)会長、京都帝国大学(京都大学の前身)理工科大学長・総長を歴任した。研究者としては有機化学を専門とし、特にベックマン転位の研究などで業績を挙げている。.

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久保亮五

久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学で教授、パリ大学、シカゴ大学、ペンシルベニア大学、ニューヨーク州立大学で客員教授を務めた。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 特に線形応答理論の構築に貢献し、彼の提案した理論は「久保理論」の名でも呼ばれている。 1997年に生前の業績を記念して井上科学振興財団が久保亮五記念賞を創設した。.

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久保田淳

久保田 淳(くぼた じゅん、1933年6月13日 - )は、国文学者、東京大学文学部名誉教授。東京生まれ。中世文学研究・和歌史研究。.

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久保正彰

久保正彰(くぼ まさあき).

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久保正彰 (西洋古典文学者)

久保 正彰 (くぼ まさあき、1930年10月10日 - )は、西洋古典学者。学士会理事長(第10代)、日本学士院院長(第24代)を務めた。広島県出身。.

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久留勝

久留 勝(くる まさる、1902年(明治35年)11月28日 - 1970年(昭和45年)9月8日)は、日本の医学者。医学博士。日本学士院会員。がんの外科学研究で知られる。.

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久野寧

久野 寧(くの やす、1882年(明治15年)3月30日 - 1977年(昭和52年)12月30日)は、日本の生理学者。発汗と体温調節の生理についての研究で知られる。日本学士院会員、文化勲章受章者。 1936年(昭和11年)、1938年(昭和13年)、1953年(昭和28年)と三たびにノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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久松碩次郎

久松 碩次郎(ひさまつ せきじろう)は、江戸時代の長崎の地役人。通称・定碩。長崎町年寄の久松家の8代目江越弘人著 『トピックスで読む 長崎の歴史』弦書房、242頁。。同じく町年寄の高島家の次男で、久松家の養子になった。長兄の高島弥三郎が文化14年(1817年)に没したため、実家の高島家は三男の高島秋帆が継いだ。.

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京都大学の人物一覧

京都大学の人物一覧(きょうとだいがくのじんぶついちらん)は、京都大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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京都市立西京高等学校・附属中学校

京都市立西京高等学校・附属中学校(きょうとしりつ さいきょうこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、京都府京都市中京区西ノ京東中合町に所在する市立中学校・高等学校。エンタープライジング科に附属中学校が設置されており、中高一貫教育が行われている。.

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京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧

京都府立洛北高等学校・附属中学校の人物一覧(きょうとふりつらくほくこうとうがっこうふぞくちゅうがっこうのじんぶついちらん)は、京都府立洛北高等学校・附属中学校の関係者一覧である。.

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京都産業大学の人物一覧

京都産業大学の人物一覧(きょうとさんぎょうだいがくのじんぶついちらん)は、京都産業大学に関係する人物の一覧記事。.

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京極純一

京極 純一(きょうごく じゅんいち、1924年〈大正13年〉1月26日 - 2016年〈平成28年〉2月1日)は、日本の政治学者。専門は政治意識論、日本政治論。東京大学教授、千葉大学教授、東京女子大学学長などを歴任した。文化功労者。日本学士院会員。.

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二木謙三

二木 謙三(ふたき けんぞう、1873年(明治6年)1月10日 - 1966年(昭和41年)4月27日)は、日本の細菌学者、医師。.

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広島県出身の人物一覧

広島県出身の人物一覧(ひろしまけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する広島県出身の人物の一覧表である。.

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広中平祐

広中 平祐(ひろなか へいすけ、正字体:廣中 平祐、1931年(昭和6年)4月9日 - )は日本の数学者。ハーバード大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。山口大学元学長。日本人で2人目のフィールズ賞受賞者である。専門は代数幾何学で、フィールズ賞受賞対象の研究は「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」。日本学士院会員。.

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井口洋夫

井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は日本の化学者。東京大学名誉教授。広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。父の井口豊八郎は広島高等工業学校教授を務めた。兄の井口牧郎は元名古屋高等裁判所長官。.

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井上明久

井上 明久(いのうえ あきひさ、1947年9月13日 - )は日本の金属学者。東北大学第20代総長、同総長特別顧問。専門は金属物性、無機材料・物性、構造・機能材料。アモルファス合金や金属ガラスに関する研究で知られるが研究不正が疑われている原田英美子.

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井筒俊彦

井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。 アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語、中東(特にイラン)等の30以上の言語を流暢に操り、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。.

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井藤半彌

井藤 半彌(いとう はんや、1894年9月14日 - 1974年2月6日)は日本の経済学者。専門は財政学。海軍経理学校教授、一橋大学学長、日本学士院会員、自治庁参与、大蔵省税制特別調査会会長、日本ホッケー協会理事、大学基準協会常任理事などを歴任した。経済学博士。.

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井村裕夫

井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月1日 - )は日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。.

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今井功 (物理学者)

今井 功(いまい いさお、1914年(大正3年)10月7日 - 2004年(平成16年)10月24日)は日本の物理学者で、文化勲章受章者。専門は流体力学で、特に航空機の飛行に関係した空気力学の基礎理論において大きな業績を上げた。.

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今村荒男

今村 荒男(いまむら あらお、1887年10月13日 - 1967年6月13日)は、内科学者。元大阪大学総長。奈良県安堵町生まれ。 大阪府から奈良県独立・再設置に導いた民権運動家であった今村勤三の次男。勤三の長男は大正 - 昭和時代前期の銀行家・今村幸男、三男は大日本紡績(現・ユニチカ)常務取締役・相談役を務めた今村奇男。天誅組の立役者であった今村文吾は勤三の伯父にあたる。.

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今村成和

今村 成和(いまむら しげかず、1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。北海道大学名誉教授。日本学士院会員。専門は行政法、経済法。法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。国家補償という概念を提案。京城(後の韓国ソウル)生まれ。柳宗悦は母方の伯父。.

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仁科芳雄

仁科 芳雄(にしな よしお、1890年(明治23年)12月6日 - 1951年(昭和26年)1月10日)は、日本の物理学者である。岡山県浅口郡里庄町浜中の出身。日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。日本の現代物理学の父である。 死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。この財団では毎年、原子物理学とその応用に関して著しい業績を上げた研究者に仁科記念賞を授与している。 ニールス・ボーアのもとで身に着けたその自由な学風は、朝永振一郎のひきいた東京文理科大学グループ(南部陽一郎、西島和彦ら)、および、坂田昌一の名大グループ(小林誠、益川敏英、坂田モデルにU(3)群を導入した大貫義郎ら)に伝えられ、素粒子論や物性などを日本に根付かせ世界レベルの研究が多く出た点でも名高い。.

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仁田勇

仁田 勇(にった いさむ、1899年(明治32年)10月19日 - 1984年(昭和59年)1月16日)は、日本の物理化学者。東京都文京区小石川生まれ。大阪大学名誉教授、関西学院大学名誉教授。.

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廣川信隆

廣川 信隆(ひろかわ のぶたか、1946年3月25日 - )は日本の分子生物学者、東京大学医学系研究科特任教授。キネシンスーパーファミリー (KIF) を中心に、細胞生物学、分子生物学、発生学、生物物理学の研究をしている。.

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伊原康隆

伊原 康隆(いはら やすたか、1938年 - )は、日本の数学者。中央大学21世紀COE教授、東大名誉教授、京大名誉教授。専門は整数論で多くの業績をあげている。.

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伊藤誠 (経済学者)

伊藤 誠(いとう まこと、1936年4月20日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。.

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伊藤貞夫

伊藤 貞夫(いとう さだお、1933年(昭和8年)11月20日 - )は、西洋史学者、東京大学名誉教授。専門は古代ギリシア史、特に紀元前4・5世紀のアテネ研究。東京生まれ。.

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伊藤貞市

伊藤 貞市(いとう ていいち、1898年9月27日 - 1980年10月10日)は日本の地球科学者。東京大学名誉教授。専門は鉱物学・結晶学。理学博士(東北帝国大学、1939年)。大阪市出身。シカゴ大学などに在籍し、鉱物学者として活躍した伊藤順は、貞市の子息である。.

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伊藤正己

伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。元最高裁判所判事、東京大学名誉教授、日本学士院会員(第2分科(法律学・政治学))。 弟に伊藤正元住友商事社長。名前の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。.

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伊藤正男 (生理学者)

伊藤 正男(いとう まさお、1928年(昭和3年)12月4日 - )は、日本の生理学者。小脳の研究における世界的な権威である。愛知県名古屋市出身。.

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伊藤清

伊藤 清(いとう きよし、1915年9月7日 - 2008年11月10日)は、日本の数学者。確率論における伊藤の補題(伊藤の定理)の考案者として知られる。第一回ガウス賞受賞者。.

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会津若松市

会津若松市(あいづわかまつし)は、日本の福島県会津地方に位置する都市で、会津地方の中心都市である。.

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住木諭介

住木 諭介(すみき ゆすけ、1901年(明治34年)2月10日 - 1974年(昭和49年)9月12日『』第9巻第2号。)は、日本の農芸化学者、放射線生物学者、農学博士。理化学研究所抗生物質研究室初代主任研究員、元理化学研究所副理事長、元東京大学農学部学部長、日本農芸化学会名誉会員、東京大学名誉教授。.

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佐久間鼎

佐久間 鼎(さくま かなえ、1888年9月7日 - 1970年1月9日)は日本の心理学者、言語学者、国語学者。千葉県の生まれ。第一高等学校を経て、1913年に東京帝国大学文科大学哲学科心理学専修を卒業、大学院に進んで日本語のアクセントを研究した。.

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佐々木毅

佐々木 毅 (ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15日 - )は、日本の政治学者、日本学士院会員、第27代東京大学総長、東京大学名誉教授、法学博士。専攻は政治学、西洋政治思想史。 秋田県仙北郡千屋村(美郷町)生まれ。弟の佐々木誠は秋田県庁に勤務し、秋田県知事公室長を務めた。.

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佐々木惣一

佐々木 惣一(ささき そういち、1878年(明治11年)3月28日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の憲法学者、行政法学者。法学博士。貴族院議員(勅選)。京都大学名誉教授。立命館大学学長。京都市名誉市民。文化功労者、文化勲章受章者。贈正三位、贈勲一等瑞宝章(没時追贈)。.

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佐藤三吉

佐藤 三吉(さとう さんきち、1857年12月30日(安政4年11月15日) - 1943年(昭和18年)6月17日)は明治〜昭和期の外科医、医学博士、貴族院議員。美濃国大垣藩(現岐阜県大垣市)出身。 東京帝国大学教授、東京帝国大学医科大付属医院長、東京帝国大学医科大学長として、同じ岐阜県出身の青山胤通とともに、日本近代医学の創生期に活躍した。.

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佐藤幸治 (憲法学者)

佐藤 幸治(さとう こうじ、1937年6月9日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学。京都大学名誉教授、日本学士院会員。学位は法学博士(京都大学・1990年)。司法制度改革、特に法科大学院創設を主導した。.

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佐藤幹夫 (数学者)

佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - )は、日本の数学者で佐藤超函数、概均質ベクトル空間、D加群の創始者。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。1992年退官。東京都出身。 東京大学理学部数学科で彌永昌吉に師事した後、一時期高校教師を務めるなど異色の経歴を持つ。ノーベル物理学賞受賞の物理学者朝永振一郎に学んだこともある。.

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佐藤彰一

佐藤 彰一(さとう しょういち、1945年7月28日 - )は、日本の歴史学者。フランク王国史を中心とする西洋中世史の研究で世界的に著名。名古屋大学名誉教授、日本学士院会員、フランス学士院碑文・美文アカデミー外国人連携会員。名古屋大学大学院教授、フランス社会科学高等研究院客員教授、コレージュ・ド・フランス招聘教授、パリ第1大学招聘教授、西洋中世学会会長などを歴任。日本学士院賞受賞。.

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佐藤勝彦 (物理学者)

佐藤 勝彦(さとう かつひこ、1945年8月30日 - )は、日本の宇宙物理学者。専門は、宇宙論。インフレーション宇宙論の提唱者として知られる。東京大学名誉教授、大学共同利用機関法人自然科学研究機構長、明星大学理工学部客員教授。日本学士院会員。 香川県坂出市出身。香川大学教育学部附属坂出中学校、香川県立丸亀高等学校を卒業後京都大学理学部に入学し、物理学科及び大学院理学研究科物理学第2専攻天体核物理学研究室で林忠四郎に師事した。.

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御牧克己

御牧 克己(みまき かつみ、1947年1月30日 - )は、日本の仏教学者。京都大学名誉教授。専門はチベット仏教。Ph.D.(パリ第三大学、1975年).

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御津町 (愛知県)

御津町(みとちょう)は愛知県南東部、宝飯郡にあった町である。豊川市に、音羽町も含めて編入合併を申し入れ、2008年1月15日、同町と共に編入された。 現在は、旧御津町域の住所表示を「豊川市御津町」とすることにより、旧町名を残している。.

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徳富蘇峰

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。 蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。字は正敬(しょうけい)。筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。 小説家の徳冨蘆花は弟。.

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後藤格次

後藤 格次 (ごとう かくじ、1889年3月4日 - 1969年11月29日)は、日本の農芸化学者。東京大学農学部教授。日本学士院会員。.

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侘美光彦

侘美 光彦(たくみ みつひこ、1935年1月26日 - 2004年6月20日)は、日本のマルクス経済学者。愛知県生まれ。.

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従二位

従二位(じゅにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。正二位の下、正三位の上に位する。.

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信夫淳平

信夫 淳平(しのぶ じゅんぺい、明治4年9月1日(1871年10月14日) - 昭和37年(1962年)11月1日)は、日本の外交官、国際法学者。法学博士。早稲田大学教授、学士院会員、中華民国顧問等を歴任。1943年学士院恩賜賞受賞、従三位勲一等瑞宝章。 父は信夫恕軒(鳥取士族猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)シ・九〇頁、漢学者、元東大講師)。信夫韓一郎(新聞記者、元朝日新聞専務)は長男、信夫清三郎(政治学者、名古屋大名誉教授、元日本政治学会理事長)は三男。.

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志賀潔

志賀 潔(しが きよし、1871年2月7日(明治3年12月18日) - 1957年(昭和32年)1月25日)は、日本の医学者・細菌学者である。 赤痢菌の発見者として知られ、朝鮮総督府医院長、京城医学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任した。.

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土居光知

土居 光知(どい こうち、1886年8月29日 - 1979年11月26日)は、日本の英文学者、古典学者。 高知県生まれ。東京帝国大学卒業。イギリス、フランス、イタリアに留学。立正大学教員、東京女子大学教授、東京高等師範学校教授を経て、1924年東北帝国大学教授、1948年東北大学退職。後に津田塾大学教授をつとめた。日本英文学会会長。1949年日本学士院会員。 専攻は英国浪漫主義で、ジェイムズ・ジョイス、D・H・ロレンス、オルダス・ハクスリーを紹介した。文化人類学、比較神話学を学び、古代文藝、東西比較文学などを行い、その『文学序説』は文学研究者の必読書だった。他に『古代伝説と文学』がある。.

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土屋喬雄

土屋 喬雄(つちや たかお、1896年(明治29年)11月21日 - 1988年(昭和63年)8月19日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。東京都生まれ。日本経済史専攻。.

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團勝磨

團 勝磨(だん かつま、1904年10月16日 - 1996年5月18日)は、日本の発生生物学者。東京都立大学名誉教授。理学博士。.

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化学遺産

化学遺産(かがくいさん)とは、社団法人日本化学会の化学遺産委員会が日本の化学分野の歴史資料の中でも特に貴重な資料を遺産として認定したものである。これらの資料を次世代に受け継いでいくと共に、化学分野の技術と教育の向上・発展に寄与する事を目的とし、2010年3月に制定された。第1回に6件が認定された。.

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化学新書

化学新書 (かがくしんしょ)は、川本幸民によりドイツのの『Die Schule der Chemie』のオランダ語訳版を原本として翻訳された化学書である。1861年に出版された、2017年7月15日閲覧。。 本書で化学という言葉が日本で初めて用いられた。 その内容は第1部が無機化学、第2部が有機化学となっており、全部で15巻あった。 印刷刊行はされず、幸民が教授職を務めていた蕃書調所において、その写本を教科書として使っていた。 明治時代になると、幸民は本書と他の化学書の内容を合わせて『化学通』を出版した。 宇田川榕菴の舎密開宗と並び江戸時代末期の代表的な化学書とされる。 舎密開宗と比較すると、原子や分子、化合物、化学反応式といったより最新の概念が紹介されている。 無機化学の巻においては、各元素や化合物についての各論が詳細に記述されていた。 それらの中には硫酸や塩酸といった酸や、ナトリウムやカリウムなどの軽金属、マンガンやコバルト、鉛といった重金属など、多くの元素やその化合物が網羅されていた。 幸民は各元素に水・炭・窒・酸 (それぞれH・C・N・O) などと漢字の元素記号を当て、分子式を例えばNO2は"窒酸二"のように表現していた。 化合物について記述する中で、原子の結合による分子形成の概念が図を用いて説明されていた。 ここでドルトンの原子説が初めて日本に移入された。 有機化学の巻では、植物成分は主に水素・炭素・窒素・酸素の4種類の元素からなると説明しており、分子式を用いた異性体の概念の説明も見られた。 更にタンパク質やアセチル、アルデヒド、ラジカルなど最新の有機化学の知見も多数含まれていた。 また酒の発酵に関して詳細に記述されていた。この知識を元に幸民は日本初のビールを醸造したのではないかと推定されている。 現在、日本学士院に『化学新書』を含む多数の関連する資料が所蔵されている。 これらの資料は2011年に日本化学会によって化学遺産として認定された。.

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北陸先端科学技術大学院大学

本節には、本大学の理念と目標を記述する。 本大学の公式サイトによると、大学全体の理念と目標は下記のように設定されている。 理念.

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北沢新次郎

北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 - 1980年1月3日)は、日本の経済学者、社会運動家、早稲田大学名誉教授。労働問題、社会政策を専門とし、東京経済大学学長なども務めた。.

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北海道大学の人物一覧

北海道大学の人物一覧(ほっかいどうだいがくのじんぶついちらん)は、北海道大学に関係する人物の一覧記事。.

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ペンシルベニア大学の人物一覧

ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)に関係がある人々の一覧。.

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マリウス・バーサス・ジャンセン

マリウス・バーサス・ジャンセン(Marius Berthus Jansen, 1922年4月11日 - 2000年12月10日)は、米国の日本研究者。プリンストン大学名誉教授。.

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ハース・ビジネススクール

リフォルニア大学バークレー校 ハース・スクール・オブ・ビジネス(英語:Haas School of Business, University of California Berkeley)はアメリカ合衆国のカリフォルニア大学バークレー校における経営学を中心とした教育機関、経営大学院。.

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メルヴィン・カルヴィン

メルヴィン・カルヴィン(Melvin Calvin, 1911年4月8日 – 1997年1月8日)はアメリカ合衆国の化学者。カルビン・ベンソン回路をとと共に発見し、それによって1961年にノーベル化学賞を受賞した。.

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ロナルド・ドーア

ナルド・フィリップ・ドーア(Ronald Philip Dore, CBE, 1925年2月1日 - )は、イギリスの社会学者。専攻は日本の経済および社会構造、資本主義の比較研究で、知日派として知られる。ロンドン大学名誉教授、同志社大学名誉文化博士。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス特別研究員、英国学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー会員、日本学士院客員。国際ビジネス学会の紹介によると、実地調査に基づく理論構築に優れ、社会学のみならず、経済学、人類学、歴史学、比較産業研究の各分野に貢献した。.

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トマス・メンデンホール

トマス・メンデンホール(Thomas Corwin Mendenhall、1841年10月4日-1924年3月23日)はアメリカ合衆国の物理学者、気象学者。オハイオ州生まれ。.

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フィリップ (エディンバラ公)

ディンバラ公フィリップ王配Princeの称号は必ずしも適当な訳語があるものではないが、外務省において「王配殿下」、宮内庁において「英国王配エディンバラ公フィリップ殿下」と呼称していることに鑑み、「王配」の訳を当てている。なお、エリザベス2世女王との間の息子らも同じ称号を名乗るが、この場合には同様の理由により「王子」の訳を当てている。イギリスにおけるPrinceという称号の意義についてはBritish princeを参照。(Prince Philip, Duke of Edinburgh、1921年6月10日 - )は、イギリス王室の成員、イギリス女王エリザベス2世の夫(王配)。次期王位継承者・チャールズの実父。爵位・称号は Prince of the United Kingdom、エディンバラ公爵、メリオネス伯爵、グリニッジ男爵、イギリス海陸空軍元帥、Lord High Admiral(:en:List of Lord High Admirals (United Kingdom)) 、日本学士院名誉会員。敬称は His Royal Highness(殿下)。 祖父にギリシャ王ゲオルギオス1世 、曾祖父にデンマーク王クリスチャン9世、高祖父にロシア皇帝ニコライ1世、高祖母にイギリス女王ヴィクトリアがいる。 イギリス海軍で第2次世界大戦に従軍後、当時即位前のエリザベスと結婚。女王即位後は海軍を退役し、長年女王を支えてきた。女王の公務の大半に同伴、単独での海外訪問も143カ国637回に上り、公務は単独でも65年間で2万2千件以上行った。現在も785団体の会長や支援者を務める読売新聞 東京本社版 2017年5月6日。 96歳と高齢になっていた2017年8月2日にバッキンガム宮殿でイギリス海兵隊を閲兵したのを最後に、全ての公務から引退した。.

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フィリップ・アンダーソン

フィリップ・ウォーレン・アンダーソン(Philip Warren Anderson、1923年12月13日 - )は、アメリカの物理学者。プリンストン大学教授。.

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ニホニウム

ニホニウム()は、原子番号113の元素。元素記号は Nh。2016年(平成28年)11月に正式名称が決定するまでは、暫定的に IUPAC の系統的命名法に則りウンウントリウムununtrium, Uutと呼ばれていた。 周期表で第13族元素に属し、タリウムの下に位置するため「エカタリウム」と呼ばれることもある。超ウラン元素では比較的長寿命とされ、278Nhの平均寿命は2ミリ秒であることがわかっている。.

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ダビッド・モルレー

ダビッド・モルレー(David Murray 、1830年10月15日 - 1905年3月6日)はアメリカ合衆国の教育者、教育行政官。オルバニー・アカデミー校長、ラトガース・カレッジ教授、日本国学監、ニューヨーク州大学校理事会事務局長を歴任した。明治初期に日本政府が招聘したお雇い外国人の一人であり、1873年(明治6年)から1878年(明治11年)まで文部省顧問として教育制度の整備に貢献。東京大学、東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)および同校附属幼稚園、教育博物館(国立科学博物館の前身)、東京学士会院(日本学士院の前身)の設立を助けたほか、中央集権的な「学制」改正案をまとめた。ダビット・モルレー、デイビッド・マレーなどとも表記される。.

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別府輝彦

別府 輝彦(べっぷ てるひこ、1934年3月9日 - )は、日本の応用微生物学者、東京大学名誉教授。 東京府出身。東京大学農学部卒。1961年同大学院科学系研究科博士課程修了、農学博士。1969年東大農学部助教授、1977年教授となり、1993年同大生物生産工学研究センター長を兼任。1994年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授。2006年総合科学研究所教授。1998年微生物機能の開発とその利用に関する基礎的研究で日本学士院賞(山田秀明との共同研究)。2004年日本学士院会員。2012年文化功労者。.

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喜田宏

喜田 宏(きだ ひろし、1943年12月10日 - )は、日本の獣医学者(獣医微生物学)。勲等は瑞宝重光章。学位は獣医学博士(北海道大学・1977年)。北海道大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 武田薬品工業株式会社光工場細菌部での勤務を経て、北海道大学獣医学部教授、北海道大学大学院獣医学研究科教授、北海道大学大学院獣医学研究科研究科長、北海道大学獣医学部学部長、北海道大学人獣共通感染症リサーチセンターセンター長、北海道大学ユニバーシティプロフェッサーなどを歴任した。.

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和算

和算(わさん)は、日本独自に発達した数学である。狭義には大いに発展した江戸時代の関孝和以降のそれを指すが、西洋数学導入以前の数学全体を指すこともある。.

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和田光史

和田 光史(わだ こうじ、1928年11月7日 - )は、日本の土壌学者。第19代九州大学総長。九州大学名誉教授。日本学士院会員。火山灰土壌を研究し、その理化学的な性質、生成過程、生産性などの解明・向上に貢献した。.

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和田英太郎

和田 英太郎(わだ えいたろう、1939年9月21日 - )は日本の地球化学者。京都大学名誉教授、総合地球環境学研究所名誉教授。独立行政法人海洋研究開発機構・地球環境フロンティアセンターの生態系変動予測プログラムディレクター。 大学院時代の窒素同位体測定からはじまり、同位体比の調査を行なう。安定同位体を切り口として、生物地球化学研究の基礎を構築した。のちに環境学などにも研究分野を広げ、現在では生態系変動予測モデルの研究を行なっている。 2008年、「流域単位の生態系の多様な構造の解明と環境変動への応答に関する研究」で日本学士院エジンバラ公賞を受賞。.

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和田清

和田 清(わだ せい、1890年11月15日 - 1963年6月22日)は、大正後期から昭和前期にかけての東洋史学者。 神奈川県高座郡鶴嶺村(現在の茅ヶ崎市)の豪農の家に生まれる。第一高等学校を経て、1915年に東京帝国大学文科大学史学科東洋史学専攻を卒業、大学院を経て、中央大学予科及び東京帝国大学講師となる。1924年から欧米や中国に留学、帰国の翌年の1927年に東京帝国大学助教授となった。折りしも、留学中に東京帝国大学における東洋史学の基礎を築いた白鳥庫吉・市村瓚次郎が定年退官を迎え、世代交代の最中にあった。和田は池内宏・加藤繁とともに新しい東洋史学科の中心的な地位に立つことになる。1933年に東京帝国大学教授となり、1939年には文学博士となった。また、東洋文庫の運営に参加して満洲語・蒙古語の資料収集に尽力し、後に専務理事を務めた。 池内・加藤より1世代若かった和田は戦時下で迎えた両者退官後の東洋史学科を支えた。また、1951年の定年退官後は東京大学名誉教授となり、次いで日本大学教授及び日本学士院会員となった。明清における中国の周辺地域、特に元滅亡後のモンゴルについての研究をライフワークとしていた。代表的な著作に『東亜史論藪』(1942年)、『中国史概説』(1950年)、『東亜史研究』満洲編(1955年)、同蒙古編(1959年)などがある。 1959年頃から体調を崩し、1961年には日本大学を退任し、1963年に死去。没後従三位勲二等が贈られ、故郷の墓所に葬られた。.

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和達清夫

和達 清夫(わだち きよお、1902年(明治35年)9月8日 - 1995年(平成7年)1月5日)は、愛知県生まれの地球物理学者、歌人。専門は気象学、地震学。子息に物理学者・和達三樹がいる。.

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和辻哲郎

和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年3月1日 - 1960年12月26日)は、日本の哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。日本倫理学会会員。.

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和栗雄太郎

和栗 雄太郎(わくり ゆうたろう、1928年7月7日 - 2014年4月1日)は、日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授。.

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和歌山県立桐蔭中学校・高等学校

和歌山県立桐蔭中学校・高等学校(わかやまけんりつとういんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、和歌山県和歌山市吹上五丁目に立地する県立の併設型中高一貫校。.

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イアン・ニッシュ

イアン・ニッシュ(Ian Hill Nish, 1926年6月3日 - )は、イギリスの歴史学者で、ロンドン大学名誉教授。専門は、日本外交史、日英関係史。 エディンバラ生まれ。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒業後、エディンバラ大学で修士号取得。シドニー大学(1957-1962)を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで教鞭を執り、1991年に退官。1991年、旭日章および国際交流基金賞を受賞。2007年に日本学士院名誉会員に選ばれた。.

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クラウス・シュテルン

ラウス・シュテルン(Klaus Stern, 1932年1月11日 - )は、ドイツの憲法学者。代表的著作の『国法学』(全5巻)は、ドイツにおける憲法学の基本的文献の一つとされており、日本語にも抄訳されている。.

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ケントの花

ントの花(ケントのはな、英:Flower of Kent)は、セイヨウリンゴの品種名である。1665年にアイザック・ニュートンが万有引力を発見したのは、この品種のリンゴが落果するのを見たのがその契機であると伝わり、「ニュートンのリンゴ」、「ニュートンのリンゴの木」などの別名でも知られる門倉、p.83大沼、pp.86-144.

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コロンビア大学の人物一覧

ンビア大学(Columbia University)に関係がある人々の一覧。.

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ジョージ・サンソム

ー・ジョージ・ベイリー・サンソム(Sir George Bailey Sansom、KCMG、1883年11月28日 - 1965年3月8日)は、イギリスの外交官で、前近代の日本に関する歴史学者。特に日本の文化に関する研究で知られる。.

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スウェーデン・アカデミー

ウェーデン・アカデミー(Svenska Akademien)は、グスタフ3世国王により1786年に設立された、スウェーデンの学士院(国立アカデミー)である。グスタフ3世がフランス文化の愛好者であったため、フランス学士院に倣っての設立であった。その大部分がグスタフ3世自身によって書かれた学士院規則にも、フランス学士院の影響が見られる。 スウェーデン・アカデミーはノーベル文学賞の選考委員会を兼ねることでも知られ、選考結果の発表には国内のみならず、海外からも多くのメディアが集まる。また、北欧諸国の作家を対象としたスウェーデン・アカデミー北欧賞(Svenska Akademiens nordiska pris)を主催している。.

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冲中重雄

冲中 重雄(おきなか しげお、1902年10月8日 - 1992年4月20日)は、内科学者。石川県金沢市生まれ。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章及び勲一等瑞宝章受章。.

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内田祥哉

内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - )は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。.

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内閣 (日本)

内閣(ないかく、Cabinet)は、日本の行政権を担当する合議制の機関である。内閣総理大臣と国務大臣で組織される。 現在の内閣は第4次安倍内閣である。.

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内藤多仲

内藤多仲(ないとう たちゅう、1886年6月12日 - 1970年8月25日)は日本の建築構造技術者・建築構造学者。一級建築士(登録番号第17200号)。「耐震構造の父」と評される。「塔博士」とも呼ばれている。.

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内村祐之

内村 祐之(うちむら ゆうし、1897年11月12日 - 1980年9月17日)は、日本の医学者、精神科医。専攻は臨床精神医学・神経病理学。東京大学名誉教授、日本学士院会員。プロ野球コミッショナー。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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入矢義高

入矢 義高(いりや よしたか、1910年〈明治43年〉12月13日 - 1998年〈平成10年〉6月30日)は中国古典文学研究者(文学博士)で、中国禅を中心とした仏教学者である。.

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入江文郎

入江 文郎(いりえ ぶんろう / ふみお、1834年5月16日(天保5年4月8日) - 1878年(明治11年)1月30日)は江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本のフランス学者。旧松江藩士。旧名・泉、字を原伯といい、観寮(かんりょう)と号した。本姓は劉。 幕末におけるフランス学先駆者の一人であり、幕府の蕃書調所(のち開成所)教授方となってフランス語の翻訳と指導に従事。明治に入ると新政府の大学教官としてフランスに派遣され、研究のかたわら留学生総代を務めたが、病のためパリで客死した。.

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八木秀次

八木 秀次(やぎ ひでつぐ、1886年(明治19年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月19日)は、日本の工学者(電気工学)、実業家、政治家。一般的に八木アンテナとして知られる八木・宇田アンテナの発明家として知られる。 東京工業大学学長、千葉工業大学顧問、内閣技術院総裁、大阪帝国大学総長、八木アンテナ株式会社社長、参議院議員、武蔵工業大学学長などを歴任した。 陸軍における階級は工兵軍曹。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章、文化勲章受章、贈勲一等旭日大綬章(没時陞勲)。.

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公職追放

公職追放(こうしょくついほう)は、政府の要職や民間企業の要職につくことを禁止すること。狭義には、日本が太平洋戦争に降伏後、連合国軍最高司令官総司令部の指令により、特定の関係者が公職に就くことを禁止されたことをいい、本項で扱う。.

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兵庫県立神戸高等学校の人物一覧

兵庫県立神戸高等学校人物一覧は、兵庫県立神戸高等学校(および前身である兵庫県立第一神戸中学校、兵庫県立第一神戸高等女学校)の出身者・関係者一覧。.

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前田專學

前田 專學(まえだ せんがく、1931年4月1日 - )は、インド哲学者、仏教学者、東京大学名誉教授。文学博士。公益財団法人中村元東方研究所理事長・東方学院長。.

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前田惠學

前田 惠學(まえだ えがく、1926年11月29日 - 2010年10月31日)は、日本の僧侶、仏教学者。文学博士。文化功労者。.

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前田憲一

前田 憲一(まえだ けんいち、1909年8月1日 - 1995年10月14日)は、日本の電波工学者。学位は工学博士(京都帝国大学)。京都大学名誉教授、元京都産業大学教授。 大阪府大阪市出身。 主に、電離層における電波の反射についての基礎研究を行った。なお、この研究成果は携帯電話に利用されている。.

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勝木保次

勝木 保次(かつき やすじ、1905年11月28日 - 1994年3月6日)は、生理学者、文化勲章受章者。聴覚の研究に大きく貢献した。.

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勝本正晃

勝本 正晃(かつもと まさあきら、1895年5月5日 - 1993年4月17日)は、大正時代から平成時代の法学者。法学博士(東京帝国大学).

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団藤重光

団藤 重光(だんどう しげみつ、正字体:團藤、1913年(大正2年)11月8日 - 2012年(平成24年)6月25日)は、日本の法学者。岡山県出身(ただし生まれは山口県)。東京大学名誉教授。1974–83年(昭和49–58年)最高裁判所判事。1981年(昭和56年)日本学士院会員。1987年(昭和62年)勲一等旭日大綬章。1995年(平成7年)文化勲章。.

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国士舘大学の人物一覧

国士舘大学の人物一覧(こくしかんだいがくのじんぶついちらん)は国士舘大学に関係する人物の一覧記事。.

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国立アカデミー

国立アカデミー(こくりつアカデミー、)とは、政府より金銭的支援や公認を受けており、学術的な研究活動や、学術分野における標準化を行っている学術団体。国により広く芸術・人文・科学分野をカバーしている国もあり、科学分野のみに集中している国もある。.

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国立科学博物館

国立科学博物館(こくりつかがくはくぶつかん、英称:National Museum of Nature and Science、略称:かはく、科博)は、独立行政法人国立科学博物館が運営する博物館施設。.

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皇室典範に関する有識者会議

皇室典範に関する有識者会議(こうしつてんぱんにかんするゆうしきしゃかいぎ)は、第87・88・89代内閣総理大臣・小泉純一郎の私的諮問機関。.

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矢島羊吉

島 羊吉(やじま ようきち、1907年(明治40年)2月5日 - 1986年(昭和61年)11月26日)は、日本の倫理学者。.

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矢内原忠雄

内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 - 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。無教会主義キリスト教の指導者としても知られる。.

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石原謙

石原 謙(いしはら けん、1882年8月1日 - 1976年7月4日)は、キリスト教史学者。東京生まれ。日本学士院会員。.

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石川千代松

石川 千代松(いしかわ ちよまつ、1860年1月30日(万延元年1月8日) - 1935年(昭和10年)1月17日)は、日本の動物学者。進化論を日本に紹介したことで知られる。 1909年には、琵琶湖岸の滋賀県水産試験場の池でコアユの飼育に成功し、全国の河川に放流する道を開いた。.

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石川県出身の人物一覧

石川県出身の人物一覧(いしかわけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する石川県出身の人物の一覧表である。.

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石川滋

石川 滋(いしかわ しげる、1918年(大正7年)4月7日 - 2014年(平成26年)1月4日)は、日本の経済学者。 専門は、開発経済学、中国経済研究。1998年(平成10年)より日本学士院会員。一橋大学名誉教授、青山学院大学名誉教授、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(:en:School of Oriental and African Studies)名誉客員教授(Honorary Fellow)、ハーバード・イェンチン研究所Visiting Scholar等を歴任。 生前、ノーベル経済学賞受賞者の、アマルティア・センとは、古くから深い親交があり、友人関係にあった。.

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石井寛治

石井 寛治(いしい かんじ、1938年2月3日 - )は、日本の経済学者、歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本経済史。経済学博士(東京大学、1974年)。東京府出身。妻は元恵泉女学園大学学長の石井摩耶子。.

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石井紫郎

石井 紫郎(いしい しろう、1935年5月31日 - )は、日本の法制史学者。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授、日本学士院会員。現在、日本学術振興会学術システム研究センター顧問、日本学術会議外部評価委員。専門は日本法制史。東京出身。.

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石井良助

石井 良助(いしい りょうすけ、1907年(明治40年)12月14日 - 1993年(平成5年)1月12日)は、日本の法制史学者。勲二等旭日重光章、文化功労者、文化勲章。贈従三位 勲一等瑞宝章(没時陞叙)。.

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石田幹之助

石田 幹之助(いしだ みきのすけ、1891年12月28日 - 1974年5月25日)は、日本の歴史学者、東洋学者。國學院大學や大正大学、日本大学などで教授をつとめた。芥川龍之介とは、一高同級生の友人だった。.

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石本泰雄

石本 泰雄(いしもと やすお、1924年(大正13年)12月5日 - 2015年(平成27年)12月8日)は、日本の法学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際法、特に戦争法研究。法学博士(東京大学、1962年)。2002年より日本学士院会員。和歌山県田辺市出身。.

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玉泉八州男

玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - )は、日本の英文学者。シェイクスピアとエリザベス朝演劇専攻。.

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獨協大学の人物一覧

協大学の人物一覧(どっきょうだいがくのじんぶついちらん)は、獨協大学に関係する人物の一覧記事。.

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獨協中学校・高等学校

協中学校・高等学校(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。。.

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磯村哲

磯村 哲(いそむら てつ、1914年12月9日 - 1997年8月23日)は、日本の法学者。京都大学名誉教授。法学博士(京都大学、1976年)(学位論文「市民法学-社会法学の展開と構造-」)。兵庫県出身。.

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神奈川県立湘南高等学校の人物一覧

奈川県立湘南高等学校人物一覧(かながわけんりつしょうなんこうとうがっこうじんぶついちらん) 神奈川県立湘南高等学校の主な出身者・教員・関係者など。.

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神川彦松

川 彦松(かみかわ ひこまつ、1889年12月23日 - 1988年4月5日)は、日本の国際政治学者。.

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神保道夫

保 道夫(じんぼう みちお、1951年11月28日 - )は日本の数学者。立教大学理学部教授。.

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神田喜一郎

喜一郎(かんだ きいちろう、1897年(明治30年)10月16日 - 1984年(昭和59年)4月10日)は、東洋学者、書誌学者。号を鬯盦、書室を佞古書屋と称した。.

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神田茂

茂(かんだ しげる、1894年2月21日 - 1974年7月29日)は、日本の天文学者。大阪府出身。アマチュア天文家の指導者として有名。.

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神谷宣郎

谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年7月23日 - 1999年1月10日)は日本の生物学者。専門は植物学、細胞生理学。.

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福山敏男

福山 敏男(ふくやま としお、1905年4月1日 - 1995年5月20日)は、建築史家。京都大学名誉教授。寺社建築に関する研究の第一人者。.

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福岡県立修猷館高等学校の人物一覧

福岡県立修猷館高等学校人物一覧(ふくおかけんりつしゅうゆうかんこうとうがっこうじんぶついちらん)では、福岡県立修猷館高等学校の主な出身者・教員・関係者などを列挙する。.

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福井市文化奨励賞

福井市文化奨励賞(ふくいしぶんかしょうれいしょう)は、福井市が1960年(昭和35年)に創設した賞。福井市内に在住し、文化・芸術等の分野において優れた活動と業績をあげた個人・団体の栄誉を称賛し、併せて文化創造を志す者の努力目標とせんとする賞。.

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福井伸二

福井 伸二(ふくい しんじ、明治41年(1908年)1月4日 - 平成2年(1990年)7月16日)は日本の機械工学者、金属工学者(冶金学者)。.

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福井県立藤島高等学校の人物一覧

福井県立藤島高等学校人物一覧 (ふくいけんりつふじしまこうとうがっこうじんぶついちらん) 福井県立藤島高等学校の主な出身者・関係者など。.

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福井謙一

福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。奈良県奈良市出生(大和郡山市出生の説もある)。大阪市西成区出身。 アジアで初のノーベル化学賞 (1981) を受賞した。勲等は勲一等旭日大綬章、文化勲章受章。.

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福田歓一

福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 2007年1月7日)は、日本の政治学者。専門は、西欧政治思想史。東京大学名誉教授。.

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福澤諭吉

福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、新字体:福沢 諭吉、天保5年12月12日(1835年1月10日)- 明治34年(1901年)2月3日)は、日本の武士(中津藩士のち旗本)、蘭学者、著述家、啓蒙思想家、教育者。慶應義塾の創設者であり、専修学校(後の専修大学)、商法講習所(後の一橋大学)、神戸商業講習所(後の神戸商業高校)、土筆ヶ岡養生園(後の北里研究所)、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所)の創設にも尽力した。新聞『時事新報』の創刊者。他に東京学士会院(現在の日本学士院)初代会長を務めた。そうした業績を元に明治六大教育家として列される。昭和59年(1984年)から日本銀行券一万円紙幣表面の肖像に採用されている。 諱は範(はん)。字は子囲(しい、旧字体:子圍)。揮毫の落款印は「明治卅弐年後之福翁」。雅号は、三十一谷人(さんじゅういっこくじん)。もともと苗字は「ふくさわ」と発音していたが、明治維新以後は「ふくざわ」と発音するようになった。 現代では「福沢諭吉」と表記されることが一般的である。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。.

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私の履歴書

私の履歴書(わたしのりれきしょ)は、日本経済新聞朝刊最終面(文化面)に掲載されている連載読み物である。1956年(昭和31年)3月1日にスタート。第1回は鈴木茂三郎で、3月1日から7日にかけて連載された。当初は連載期間が1週間と短かったが、その後次第に長くなり、1987年(昭和62年)からは、毎月1か月間(1日から末日)に渡って1人を取り上げるスタイルが定着。2017年(平成29年)現在も継続中である。これを原作として、テレビ東京・BSジャパンとラジオ日経で放送化されている。.

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秦佐八郎

佐八郎(はた さはちろう、1873年3月23日 - 1938年11月22日)は島根県美濃郡都茂村(現益田市)出身の細菌学者。学位は医学博士。当時難病であった梅毒の特効薬サルヴァルサン(砒素化合物製剤606号)をドイツのパウル・エールリヒ(1908年ノーベル生理学・医学賞受賞)と共に開発し、多くの患者を救ったことで知られる。 生前、1911年にノーベル化学賞と1912年・1913年にノーベル生理学・医学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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科学アカデミー

科学アカデミー(かがくアカデミー、英文:The Academy of Sciences)は、科学研究や振興を目的に各国に結成された学術団体である。 また、工学・技術分野の拡大・発展に伴って、いくつかの先進国では工学アカデミー(または技術アカデミー、英文:The Academy of Engineering (Sciences))が別に組織されるようにもなってきている。.

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秋山虔

秋山 虔(あきやま けん、1924年1月13日 - 2015年11月18日)は、日本の国文学者である。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。中古文学専攻。.

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秋田県立秋田高等学校の人物一覧

秋田県立秋田高等学校人物一覧(あきたけんりつ あきた こうとうがっこう じんぶついちらん)は、秋田県立秋田高等学校の出身者・関係者の人物一覧である。 ※数多くの出身者・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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秋本俊一

秋本 俊一(あきもと しゅんいち、1925年12月20日 - 2004年7月14日)は日本の地球物理学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。東京生まれ。 1958年 東京大学より理学博士 「岩石磁気の基礎としての造岩強磁性鉱物の磁気的性質 」 1976年 東京大学物性研究所教授、1986年 同名誉教授。1987年 岡山大学地球内部研究センター教授、1989年 センター長。地球内部にあるマントル間で観測される地震波の不連続性の理由を初めて実証した。 1973年に川井直人とともに研究題目「超高圧・高温下における地球物質の実験的研究」で日本学士院賞を受賞。1997年文化功労者。.

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竹島卓一

竹島 卓一(たけしま たくいち、1901年4月29日 - 1992年1月14日)は、建築史家。名古屋工業大学名誉教授。中国建築史に関する研究の第一人者。特に、北宋時代の建築書『営造法式』の研究で知られる。.

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竹市雅俊

竹市 雅俊(たけいち まさとし、1943年11月27日 - )は、日本の細胞生物学者、発生生物学者。細胞接着分子カドヘリンの発見者として知られる。2002年から2014年まで理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(CDB)のセンター長/グループディレクターを務めた。現在は同多細胞システム形成研究センター(CDB)チームリーダー。名古屋大学特別教授、京都大学名誉教授、日本学士院会員。京都大学理学博士。愛知県守山市(現名古屋市守山区)出身。.

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竹下守夫

竹下 守夫(たけした もりお、1932年5月18日 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は民事手続法。一橋大学名誉教授、学校法人駿河台大学顧問、日本学士院会員。法務省特別顧問。社団法人商事法務研究会理事。.

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竹内啓

竹内 啓(たけうち けい、1933年10月12日 - )は、日本の数理統計学者、経済学者、科学史家。東京大学名誉教授、明治学院大学名誉教授、日本学士院会員。専門分野数理統計学、計量経済学。専門以外の広範な分野における著作・論述も多数発表している。.

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竹内理三

竹内 理三(たけうち りぞう、1907年(明治40年)12月20日 - 1997年(平成9年)3月2日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所所長。東京大学名誉教授。文学博士。専門は日本古代史・中世史。号は竹犂(ちくり)。愛知県出身。.

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竹内昭夫

竹内 昭夫(たけうち あきお、1929年4月29日 - 1996年12月26日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授。 専攻は商法。消費者法という法分野を創設した。1996年日本学士院会員。愛知県出身。 昭和51年(1976年)、国会に招致され、「(公正なマルチとは)安全なペスト、無害なコレラと言うに等しい」と述べ、今でもマルチ商法否定派によって引用されている。.

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竹内敏雄

竹内 敏雄(たけうち としお、1905年7月11日 - 1982年12月12日)は、日本の美学者。東京大学名誉教授。愛知県豊橋市二川生まれ。.

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第三高等学校 (旧制)の人物一覧

三高等学校 (旧制)人物一覧(だいさんこうとうがっこうじんぶついちらん) 第三高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者など。.

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第二高等学校 (旧制)

片平にある煉瓦造りの校門と碑(東北大学片平キャンパス) 旧制第二高等学校(きゅうせいだいにこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)4月に宮城県仙台区(現・仙台市)に設立された旧制高等学校。略称は「二高」(にこう)である。.

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第五高等学校 (旧制)

本大学五高記念館(旧・第五高等中学校本館) 第五高等学校(だいごこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)5月熊本区(1889年以降は市制を施行して熊本市)に設立された官立高等中学校を母体とする旧制高等学校。略称は「五高」(ごこう)。.

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第四高等学校 (旧制)

本館 旧制第四高等学校(きゅうせいだいしこうとうがっこう)は、1887年(明治20年)4月金沢市に設立された官立旧制高等学校。略称は「四高(しこう)」。.

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筑波大学附属中学校・高等学校の人物一覧

筑波大学附属中学校・高等学校人物一覧(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこうじんぶついちらん) 筑波大学附属中学校・高等学校およびその前身校の主な卒業生・教員・関係者など。.

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箕作麟祥

箕作 麟祥(みつくり りんしょう / あきよし、1846年9月19日(弘化3年7月29日) - 1897年(明治30年)11月29日)は、明治時代の日本の洋学者、法学者、官僚。男爵、法学博士。 元老院議官、司法次官、貴族院勅選議員、行政裁判所長官、和仏法律学校(現・法政大学)初代校長を歴任し、民法・商法編纂委員、法律取調委員会委員、法典調査会主査委員を務めた。.

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築島裕

築島 裕(つきしま ひろし、1925年10月12日 - 2011年4月11日)は、日本の国語学者。東京大学文学部名誉教授。文学博士。日本学士院会員。鉄道切符の収集家。 訓点資料研究が専門。国語学の分野で功績を残した。.

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米内光政

米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。.

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米国科学アカデミー

米国科学アカデミー(べいこくかがくアカデミー、、)は、アメリカ合衆国の科学アカデミーであり、民間非営利団体に位置づけられる。全米アカデミーズの一員である。 アカデミー会員は、米国における科学、技術、医学におけるプロボノとしての活動を行っている。機関誌として『米国科学アカデミー紀要』を発行する。.

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細谷千博

細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。専門は外交史、国際関係論。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、元日本学士院会員、元英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。.

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緒方正規

緒方 正規(おがた まさのり、1853年12月5日(嘉永6年11月5日) - 1919年(大正8年)7月30日)は日本の衛生学者、細菌学者。東京帝国大学医科大学学長、東京帝大教授。日本における衛生学、細菌学の基礎を確立した。長男の緒方規雄は細菌学者、次男の緒方益雄は衛生学者。.

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織田敏次

織田 敏次(おだ としつぐ、1922年3月16日 - 2012年9月19日)は、日本の医学者。東京大学名誉教授、国立病院医療センター名誉院長、日本赤十字社医療センター名誉院長、日本学士院会員。石川県金沢市出身。旧制甲南高等学校を経て、東京大学医学部(現:医学部医学科)卒。.

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羽田亨

羽田 亨(はねだ とおる、1882年(明治15年)5月15日 - 1955年(昭和30年)4月13日)は東洋史学者。京都大学名誉教授。文化勲章受章者。 文学博士(京都帝国大学、1922年)。京都府峰山町(現・京丹後市)生まれ。.

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田宮博

宮 博(たみや ひろし、1903年(明治36年)1月5日 - 1984年(昭和59年)3月20日)は、日本の理学、植物博士。微生物学者。 大阪市出身。医学者の田宮猛雄の弟。また、チェロの演奏家でもあり、民谷宏の変名で、諸井三郎、河上徹太郎らとともに樂團スルヤを組織した。.

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田宮猛雄

宮 猛雄(たみや たけお、1889年(明治22年)1月31日 - 1963年(昭和38年)7月11日)は日本の医学者、衛生学者。日本医師会会長や日本医学会会長、東京大学医学部教授を務めた。 発疹チフスなどのリケッチア症の病原体や媒介動物などについて研究を行い、細菌学や免疫学を専門とした。 理学、植物博士で微生物学者の田宮博の兄。理学、医学博士で生化学者の田宮信雄の父。.

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田岡良一

岡 良一(たおか りょういち、1898年3月28日 - 1985年5月29日)は、日本の法学者。京都大学名誉教授。専門は国際法。法学博士(京都帝国大学、1940年)(学位論文「空襲と国際法」)。高知県生まれ。.

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田中二郎

中 二郎(たなか じろう、1906年7月14日 - 1982年1月16日)は、兵庫県出身の法学者。専門は行政法、租税法。1964年 - 1973年最高裁判所判事。1976年日本学士院会員、1980年文化功労者。.

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田中靖郎

中 靖郎(たなか やすお、1931年3月18日 - 2018年1月18日)は日本の宇宙物理学者。日本学士院会員。東京大学名誉教授。宇宙科学研究所名誉教授。X線天文学の分野で国際的な評価をうけている。.

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田中誠二 (法学者)

中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、日本の法学者。専門は商法。一橋大学名誉教授、初代法学部長。法学博士。1981年12月12日から1994年まで日本学士院会員。指導学生等に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、吉永榮助(一橋大学名誉教授)、加美和照(中央大学名誉教授)などがいる。.

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田中耕太郎

中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。.

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田中耕一

中 耕一(たなか こういち、1959年(昭和34年)8月3日 - )は、日本の化学者、エンジニア。東北大学名誉博士。ソフトレーザーによる質量分析技術の開発で文化功労者、文化勲章、ノーベル化学賞を受賞。受賞以降も、血液一滴で病気の早期発見ができる技術の実用化に向けて活躍中である。 株式会社島津製作所シニアフェロー、田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東京大学医科学研究所客員教授などにも就任している。日本学士院会員。.

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田代和生

代 和生(たしろ かずい、女性、1946年1月25日- )は、日本の歴史学者。専門は近世の日朝関係史。慶應義塾大学名誉教授、日本学士院会員。 札幌市出身。1968年中央大学文学部卒、同大学院修士課程修了、慶應義塾大学大学院博士課程満期退学、1979年「近世日朝通交貿易史の研究」で中大文学博士。慶大経済学部助教授、1981年博士論文を公刊したものにより日経・経済図書文化賞、1982年に義塾賞受賞、1988年慶大教授、1989年同大文学部教授、1993 - 1997年には国際日本文化研究センター運営評議員、2011年慶大を定年退任、名誉教授。2003年にアジア・太平洋賞受賞。2011年6月、紫綬褒章を受章。2014年日本学士院会員。.

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田仲一成

仲 一成(たなか いっせい、1932年11月5日 - )は、中国演劇の研究者、東京大学東洋文化研究所名誉教授、日本学士院会員、東洋文庫理事。 東京府生まれ。1955年東京大学法学部卒業、1962年同大学院人文科学研究科中国文学専攻博士課程単位取得満期退学、北海道大学文学部助手、1968年熊本大学法文学部講師、助教授、1971年日本中国学会賞受賞、1972年東大東洋文化研究所教授、1983年「中国祭祀演劇研究」で東大文学博士、1993年定年退官し名誉教授、金沢大学文学部教授、同年日本学士院賞受賞、1998年桜花学園大学教授、2000年退職、日本学士院会員。2007年勲三等瑞宝重光章受章。 中国演劇を祭祀の方面から研究し高い評価を受けている。岡山大を辞めた高島俊男が東大の図書室で『水滸伝』関係の本を探して見つからず、困惑してトイレに入っていると田仲が通りかかり、一瞥で高島を見つけ、一緒に探してくれたという心温まるエピソードがある(高島『水滸伝の世界』あとがき).

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田畑茂二郎

畑 茂二郎(たばた しげじろう、1911年3月22日 - 2001年3月8日)は日本の法学者。専門は国際法。京都府舞鶴市出身。.

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田辺市

龍神温泉 湯の峰温泉つぼ湯 田辺市(たなべし)は、近畿地方の南部、和歌山県の中南部に位置する市。 和歌山県南部の中心都市である。熊野古道の中辺路ルート、大辺路ルートの分岐点で、「口熊野」と称される。 近畿の市の中では面積は最大である(全国順位は20位).

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田村三郎

村 三郎(たむら さぶろう、1917年(大正6年)1月8日 - 2015年(平成27年)12月4日)は、日本の農芸化学者。専攻は生物有機化学。東京大学名誉教授。昆虫、高山植物、微生物の成長や性に関する生理活性物質の化学構造を決定した。 群馬県生まれ。東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。 1989年(平成元年)12月12日、日本学士院会員。1992年(平成4年)文化功労者。1999年(平成11年)文化勲章受章。 1956年(昭和31年)に東京大学運動会ア式蹴球部の監督を務めたが、関東2部リーグへと降格させてしまっている。 叙従三位。.

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甲陽学院中学校・高等学校

陽学院中学校・高等学校(こうようがくいんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県西宮市(阪神間)に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校。中高一貫制であるが、中学校と高等学校の所在地は異なっている。学校法人辰馬育英会(白鹿グループ)が運営する男子校である。.

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熊谷尚夫

谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年7月11日 - 1996年6月11日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。専門は厚生経済学、経済政策。経済学博士(大阪大学、1958年)(学位論文「資本主義経済と雇傭」)。岡山県岡山市生まれ。河合栄治郎門下。.

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熊谷英彦

谷 英彦(くまがい ひでひこ、1940年10月 - )は、日本の農芸化学者(醗酵学・応用微生物学・酵素工学)。学位は農学博士(京都大学・1969年)。京都大学名誉教授、石川県立大学学長・名誉教授。 京都大学農学部教授、京都大学大学院生命科学研究科教授、社団法人日本農芸化学会会長(第54代)、石川県農業短期大学教授などを歴任した。.

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畠山久尚

山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - 1994年2月11日)は、日本の気象学者。 新潟県出身。1928年東京帝国大学理学部卒、40年「地磁気及び地電流の湾型変化並に脈動に関する研究」で理学博士。中央気象台に入り、1944年日本学士院賞受賞。49年気象研究所長。58年東京管区気象台長、63年気象庁長官。65年退官、のち二松学舎大学教授、75年名誉教授。86年日本学士院会員。73年日本気象学会藤原賞受賞、75年勲二等旭日重光章受勲、77年交通文化賞、78年日本雪氷学会功績賞受賞。.

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牧野富太郎

牧野富太郎像(牧野植物園内) 牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年4月24日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知県高岡郡佐川町出身。 「'''日本の植物学の父'''」といわれ、多数の新種を発見し命名も行った近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定された。.

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特定秘密の保護に関する法律に対する声明の一覧

特定秘密の保護に関する法律に対する声明の一覧(とくていひみつのほごにかんするほうりつにたいするせいめいのいちらん)は、2013年12月6日に成立し、同年12月13日に公布された特定秘密の保護に関する法律に対して表明された声明、意見書の一覧である。.

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特別の機関

特別の機関(とくべつのきかん)とは、内閣府、各省、及びこれらに外局として設置されている委員会または庁に、特に必要がある場合に設置される機関の総称である。「の」を省いて「特別機関」と略する例はなく、必ず「特別の機関」と称される。 専門色が強く相当の規模を要する行政分野で「省」に格上げするほどでないものは「庁」として設置されるが、外局である「庁」とするまでに至らない「準外局」的な組織を設置したいときにこの「特別の機関」とすることが多い。このほか、委員会・審議会など合議制機関のうち特に重要なものを高い格付けにするために特別の機関とする例もある。.

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特別職

特別職(とくべつしょく)は、日本の公務員制度においては、国家公務員および地方公務員の職のうち、法令等により一般職とは区別される職すべてをいう語である。特別職である職に就いている公務員は、法令上「特別職の職員」と呼ばれ、日本国籍でなければならない。.

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益川敏英

川 敏英(ますかわ としひで、1940年2月7日 - )は、日本の理論物理学者。専門は素粒子理論。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長・特別教授、京都大学名誉教授、京都産業大学益川塾教授・塾頭。愛知県名古屋市出身。.

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目加田誠

加田 誠(めかだ まこと、1904年〈明治37年〉2月3日 - 1994年〈平成6年〉4月30日)は、古典中国文学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。.

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相良亨

良 亨(さがら とおる、1921年5月23日 - 2000年10月14日)は、日本の倫理学者。東京大学文学部名誉教授。日本学士院会員。.

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瀧川幸辰

1956年度京都大学入学式にて 瀧川 幸辰(たきがわ ゆきとき、1891年(明治24年)2月24日 - 1962年(昭和37年)11月16日)は、日本の法学者。法学博士。専門は刑法。岡山県出身。京都帝国大学教授。京都大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。たきがわ こうしんと呼ばれることもあった。.

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瀬川信久

川 信久(せがわ のぶひさ、1947年12月22日 - )は、日本の法学者。専門は民法。法学博士(東京大学)。早稲田大学大学院法務研究科教授、日本学士院会員。岐阜県高山市出身。 平井宜雄ほか『日本民法学の形成と課題 下巻』(有斐閣、1996年)809頁以下-->.

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登張正実

登張 正実(とばり まさみ、男性、1916年3月27日 - 2006年2月20日)は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 ドイツ文学者・登張信一郎(竹風)の子として宮城県に生まれる。1941年、東京帝国大学独文科卒業、1943年、広島高等学校教授、1951年、一橋大学助教授、1964年、「ドイツ教養小説の成立」で文学博士、東大文学部助教授、1967年、教授。1976年、定年退官後、成城大学教授。1988年、日本学士院会員、1990年、勲二等瑞宝章受章。.

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白い巨塔の登場人物

白い巨塔の登場人物(しろいきょとうのとうじょうじんぶつ)では、山崎豊子の小説『白い巨塔』に登場する架空の人物を列挙する。 なお、本項では同作を原作とした映像化作品についても併せて記述する。以下、原作とその後に作成されたメディア作品間の混同を避けるために、原作は(原作)、テレビ作品は作成年を、映画は(映画)、ラジオドラマは(ラジオ)と注意書きを個々に示す。.

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白川英樹

白川 英樹(しらかわ ひでき、1936年8月20日 - )は、日本の化学者。東京工業大学工学博士、筑波大学名誉教授、日本学士院会員。「導電性高分子の発見と発展」により、ノーベル化学賞を受賞した。.

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百人おどし

人おどし(ひゃくにんおどし)は、並んだ人々の人体に静電気を流して感電を体験する演示物理実験のことである。もともとは静電気を貯めるライデン瓶に、江戸時代の蘭学者である橋本宗吉が百人おどしまたは、百人おびえ、百人嚇(ひゃくにんおびえ)と訳語をあてたことに始まる。 ライデン瓶の発明以後、見世物としてヨーロッパ各地で行われた。日本では、江戸時代に橋本宗吉が書き残した『阿蘭陀始制エレキテル究理原』で図入りで詳しく記録を残している。その後、日本では1980年代に米村でんじろうが都立高校の教師時代に理科の授業で取り入れ、米村がテレビ出演やサイエンスショーの際に紹介して再び広く認知されるようになった。.

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芦部信喜

芦部 信喜(あしべ のぶよし、1923年9月17日 - 1999年6月12日)は、日本の法学者。専門は憲法学。学位は法学博士(東京大学・1962年)。1990年日本学士院会員、1993年文化功労者。1986年から1992年まで日本公法学会理事長。護憲派憲法学者団体の全国憲法研究会代表、国際人権法学会理事長等も歴任。著書『憲法』(岩波書店)は代表的な著作であり、ロングセラーとなっている。称号は東京大学名誉教授。軍在籍時の階級は陸軍少尉。 「自由の基礎法」として近代憲法を位置付け、日本国憲法における統治機構の原理及び人権保障のありかたを理論的に考察した。.

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花房秀三郎

花房 秀三郎(はなふさ ひでさぶろう、1929年12月1日 - 2009年3月15日)は日本のウイルス学者。アメリカ合衆国:ロックフェラー大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所名誉所長。.

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隅谷三喜男

隅谷 三喜男(すみや みきお、1916年(大正5年)8月26日 - 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。1982年日本学士院会員。東京大学名誉教授、北京大学名誉教授、遼寧大学名誉教授、東北師範大学名誉教授、中国社会科学院名誉高級研究員。1961年、東京大学経済学博士。博士論文は「日本賃労働史論」。キリスト教功労者。.

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荒井献

荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - )は、日本の新約聖書学者でグノーシス主義研究者である。神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)、東京大学及び恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。.

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荒田吉明

荒田 吉明(あらた よしあき、1924年5月22日 - 2018年6月5日)は、日本の金属工学者。工学博士。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。高温学会会長。世界的に未解明だった熱加工特性を解明し、国際的に新しい「高温科学」の体系を確立した人物。2004年、瑞宝重光章受章。2006年、文化勲章受章。京都府生まれ。.

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荒松雄

荒 松雄(あら まつお、1921年5月7日 - 2008年11月8日)は、日本の歴史学者(専攻はインド史・南アジア史)・推理作家(筆名は新谷識(しんたに しき))。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授、日本学士院会員。オール讀物推理小説新人賞を受賞。.

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菊井維大

菊井 維大(きくい つなひろ、旧姓田中、1899年2月19日 - 1991年11月15日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東京大学名誉教授。長崎県長崎市出身。.

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菊池勇夫 (法学者)

菊池勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 1975年7月13日)は、日本の法学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。.

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菊池正士

菊池 正士(きくち せいし、1902年(明治35年)8月25日 - 1974年(昭和49年)11月12日)は、日本の原子物理学の第一人者として知られた物理学者。元大阪大学教授。日本学士院会員。文化勲章、勲一等瑞宝章受章者。贈正三位(没時叙位)。.

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菅野和夫

菅野 和夫(すげの かずお、1943年3月31日 - )は、日本の労働法学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。労働政策審議会会長、中央労働委員会会長などを歴任。.

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萩原雄祐

萩原 雄祐(はぎはら ゆうすけ、1897年3月28日 - 1979年1月29日)は、日本の天文学者。大阪府大阪市南区(現中央区)出身『現代天文学講座 別巻 天文学人名事典』、284頁。。旧制第一高等学校を経て東京帝国大学理学部卒業。日本学士院会員。勲一等瑞宝章・文化勲章受章。贈正三位(没時叙位)。.

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青山秀夫

青山 秀夫(あおやま ひでお、1910年3月21日 - 1992年2月16日)は、日本の経済学者。岡山県出身。京都大学名誉教授。経済学博士、博士(社会学)社会学博士。京都大学経済学部教授のほか、同学部長、京都大学経済研究所所長、関西学院大学社会学部教授、摂南大学経営情報学部教授、同学部長などを歴任した。 専門は.

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青柳正規

青柳 正規(あおやぎ まさのり、1944年11月21日 - )は、日本の美術史学者、東京大学名誉教授。独立行政法人国立美術館理事長、国立西洋美術館館長、文化庁長官を歴任。2017年度から朝日賞選考委員、山梨県立美術館館長。.

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青木正児

青木 正児(あおき まさる、、1887年(明治20年)2月14日 - 1964年(昭和39年)12月2日)は、大正から昭和中期の中国文学者・中国学者。山口県下関市出身。.

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蝋山政道

蝋山 政道(ろうやま まさみち、1895年11月21日 - 1980年5月15日)は、日本の政治学者・行政学者、政治家、お茶の水女子大学名誉教授。民主社会主義の提唱者であり、行政学研究の先駆的存在である。.

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静岡大学の人物一覧

静岡大学の人物一覧は静岡大学および諸前身校に関係する人物の一覧記事。.

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静岡県立沼津東高等学校

静岡県立沼津東高等学校(しずおかけんりつ ぬまづひがしこうとうがっこう)は、静岡県沼津市岡宮にある県立高等学校。.

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静岡高等学校 (旧制)

旧制静岡高等学校(きゅうせいしずおかこうとうがっこう)は、1922年(大正11年)8月静岡市に設立された官立旧制高等学校。略称は「静高」(しずこう)。.

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須藤新吉

藤 新吉(すどう しんきち、1881年(明治14年)7月4日 - 1961年(昭和36年)12月21日)は、日本の哲学者。元第一高等学校第一文学科主任教授。.

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飯島澄男

飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、日本の物理学者および化学者。埼玉県越谷市出身。 文化功労者、恩賜賞・日本学士院賞受賞者、文化勲章受章者。日本学士院会員。名古屋大学高等研究院アカデミー会員、名古屋大学特別招聘教授。名城大学終身教授。 カーボンナノチューブの発見(1991年)と電子顕微鏡による構造決定の仕事で、世界的に有名になった。金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見(1984年)。 ノーベル化学賞・物理学賞の有力候補とも見られている。 名城大学終身教授、NEC特別主席研究員をはじめ多数の職を現職で兼任する。.

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飯高茂

飯高 茂(いいたか しげる、1942年5月29日 - )は、日本の数学者(理学博士)、学習院大学名誉教授。専門は代数幾何学。.

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館龍一郎

龍一郎(たち りゅういちろう 1921年9月11日 - 2012年2月11日)は、日本の経済学者。専門は金融政策論、財政学。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。日本学士院会員。.

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西塚泰美

西塚 泰美(にしづか やすとみ、1932年(昭和7年)7月12日 - 2004年(平成16年)11月4日 )は、日本の医学者、生化学者。神戸大学名誉教授、学長。医学博士(京都大学、1963年)。日本学士院会員。文化勲章受章者。兵庫県芦屋市生まれ、愛知県名古屋市育ち。熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)、京都大学医学部卒業。.

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西尾勝

西尾 勝(にしお まさる、1938年9月18日 - )は、日本の政治学・行政学者。専門は、行政学、地方自治論、都市行政論。辻清明に師事。東京大学名誉教授、日本学士院会員、日本行政学会理事長(1994年-1998年)。.

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西島和彦 (物理学者)

西島 和彦(にしじま かずひこ、1926年10月4日 - 2009年2月15日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。京都大学名誉教授。茨城県土浦市生まれ。 素粒子の新しい規則性となる「西島・ゲルマンの法則」(Gell-Mann–Nishijima formula)を発見する。生前、1960年と1961年、1964年、1966年にノーベル物理学賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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西周 (啓蒙家)

西周 西周 西 周 (にし あまね、文政12年2月3日(1829年3月7日) - 明治30年(1897年)1月31日) は、江戸時代後期から明治時代初期の日本の哲学者、教育家、啓蒙思想家、幕臣、官僚である。貴族院議員、男爵、錦鶏間祗候でもあった。西 周助ともいう。.

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西田龍雄

西田 龍雄(にしだ たつお、1928年11月26日 - 2012年9月26日)は、日本の言語学者、京都大学名誉教授、学術情報センター名誉教授、元日本学士院会員、文化功労者、日本学士院恩賜賞受賞。.

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西谷啓治

西谷 啓治(にしたに けいじ、1900年(明治33年)2月27日 - 1990年(平成2年)11月24日)は、日本の哲学者(宗教哲学)。京都学派に属する。京都大学文学部名誉教授、文化功労者。.

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西脇順三郎

西脇 順三郎(にしわき じゅんざぶろう、1894年(明治27年)1月20日 - 1982年(昭和57年)6月5日)は日本の詩人、英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイスム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。生前、ノーベル文学賞の候補に挙がっていたものの、翻訳の壁が大きな障害となり、受賞を逸している。.

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西野忠次郎

西野 忠次郎(にしの ちゅうじろう、1878年5月26日 - 1961年7月6日)は、医学博士、日本学士院会員、慶應義塾大学名誉教授。.

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西村和雄

西村 和雄(にしむら かずお、1946年10月11日 - )は日本の経済学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員。日本経済学教育協会会長、Econometric SocietyのFellow。専門は数理経済学、複雑系経済学。.

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西澤潤一

西澤 潤一(にしざわ じゅんいち、1926年(大正15年)9月12日 - )は、日本の工学者。上智大学特任教授。専門は電子工学・通信工学で、半導体デバイス、半導体プロセス、光通信の開発で独創的な業績を挙げる。東北大学総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長を歴任。東北大学名誉教授、日本学士院会員。 はとこに冨田勲がいる。.

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首藤伸夫

首藤 伸夫(しゅとう のぶお、1934年(昭和9年)9月10日 - )は、日本の土木工学者。東北大学名誉教授。.

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駒井卓

駒井 卓(こまい たく、1886年5月9日 - 1972年7月9日)は、動物学者、日本学士院会員。兵庫県姫路市に生まれる。旧姓・福田。東京高等師範学校卒、東京帝国大学選科修了。コロンビア大学留学ののち、1925年京都帝国大学、東京帝大兼任教授、1947年東大定年退官、1948年学士院会員、1949年国立遺伝学研究所部長。 1924年2月 東京大学 理学博士 「Studies on two aberrant ctenophores, Coeloplana and Gastrodes(二種の異状なる櫛水母シロープラナ及びガストロデスの研究)」。 動物遺伝学、動物系統学、進化論を研究。.

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訃報 2008年11月

本項訃報 2008年11月は、2008年11月中に物故した人物の一覧である。.

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訃報 2012年3月

本項訃報 2012年3月は、2012年3月に物故した人物の一覧である。.

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諸熊奎治

諸熊 奎治(もろくま けいじ、1934年(昭和9年)7月12日 - 2017年(平成29年)11月27日)は、大阪府泉佐野市出身の理論化学者、日本学士院会員。鹿児島県鹿児島市生まれ。男性。 自然科学研究機構分子科学研究所名誉教授。アメリカ合衆国エモリー大学名誉教授。京都大学福井謙一記念研究センターシニアリサーチフェロー、国際量子分子科学アカデミー前会長。.

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高垣寅次郎

垣 寅次郎(たかがき とらじろう、1890年2月26日 - 1985年8月25日)は、日本の経済学者。 広島県尾道市生まれ。東京高等商業学校(後の東京商科大学、一橋大学)において佐野善作に師事。門下に塩野谷九十九、鬼頭仁三郎、高橋泰蔵、新庄博、岡田俊平等がいる。彰化商業銀行董事長を務めた呉金川なども高垣ゼミ出身。 1943年に石橋湛山、山崎覚次郎らと金融学会を創立、1950年から31年あまり会長の任を果たした。一橋大学名誉教授、元拓殖大学学長、元成城大学学長、1976年勲一等瑞宝章受章。.

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高島善哉

島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。.

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高崎史彦

史彦(たかさき ふみひこ、1943年11月11日 - )は、日本の物理学者(高エネルギー物理学)。学位は理学博士(東京大学・1971年)。大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。本名の「」はいわゆる「はしごだか」であり、「」はいわゆる「たつさき」であるが、双方ともJIS X 0208に収録されていないため、高崎 史彦(たかさき ふみひこ)と表記されることも多い。 東京大学理学部助手、東京大学理学部附属高エネルギー物理学実験施設助手、高エネルギー物理学研究所トリスタン計画推進部衝突ビーム測定器研究系教授、高エネルギー物理学研究所物理研究部物理第二研究系教授、高エネルギー物理学研究所物理研究部物理第一研究系研究主幹、素粒子原子核研究所物理第一研究系教授、素粒子原子核研究所所長(第3代)、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構理事などを歴任した。.

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高柳広

柳 広(たかやなぎ ひろし、1965年10月7日 - )は、日本の医学者、整形外科医。東京医科歯科大学教授。骨免疫学(osteoimmunology)の開拓者であり、リウマチの研究でも名高い。東京都出身。.

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高柳真三

柳 真三(たかやなぎ しんぞう、1902年5月12日 - 1990年1月4日)は、日本の法制史学者、東北大学名誉教授。 石川県出身。東京帝国大学法学部卒。1941年、東北帝国大学教授。1958年、東北大学法学部長。1966年、定年退官、名誉教授、盛岡短期大学学長。東北学院大学教授。1976年、日本学士院会員。日本法制史。.

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高柳賢三

柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年5月11日 - 1967年6月11日)は、日本の英米法学者。東京大学名誉教授。成蹊大学名誉教授。貴族院勅選議員。 大正・昭和期の代表的英米法学者として知られる。.

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高松豊吉

豊吉に無機化学を教えたヘンリー・エンフィールド・ロスコー Carl Schorlemmer 高松 豊吉(たかまつ とよきち、1852年10月23日(嘉永5年9月11日) - 1937年(昭和12年)9月27日)は、東京の浅草阿部川町出身の化学技術者、応用化学者、工学博士 - コトバンク、2014年3月10日閲覧。。 1884年(明治14年)より東京大学教授を務め、1886年(明治16年)からは帝国大学の発足と共に東京帝国大学工科大学(現:東京大学)応用化学科の教授を日本人として初めて担当した。1888年(明治18年)工学博士修得。東京職工学校(後の東京工業大学)でも色染学について教鞭を執った。 1903年(明治36年)に教授を退職。同年、実業家で東京瓦斯株式会社初代社長を務めていた渋沢栄一から懇請されて東京ガスの常務取締役を務め、1909年(明治42年)から1914年(大正3年)まで第二代東京ガス社長に就任した。同年1914年に東京ガス社長を退職し、この頃農商務省に設置された化学工業調査会の筆頭委員となって化学工業の育成に尽力した。 1915年(大正4年)から1924年(大正13年)にかけては東京工業試験所の第二代所長を歴任した。 その他、理化学研究所や学術研究会議(後の日本学術会議)の設置に貢献。工業化学会(現:日本化学会)、日本薬学会などの会長や役員を務め、技術史学者の山崎俊雄は豊吉を「日本の工業化学の元老」と評した。また、技術評論家である星野芳郎は豊吉の生涯を「日本の化学技術界の教育、行政の発展そのものと言って良いほどである」とも評した。 1923年(大正12年)3月10日に学士院会員に選ばれた - 日本学士院公式サイト、2014年3月10日閲覧。。.

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高村象平

村 象平(たかむら しょうへい、1905年(明治38年)8月2日 - 1989年(平成元年)5月11日)は、第11代慶應義塾塾長、経済人類学研究者、ハンザ史研究者。中央教育審議会会長、日本学士院会員等を歴任。従三位勲一等瑞宝章。専攻はドイツ中世都市の研究、とくにドイツ・ハンザの研究。.

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高橋信次 (放射線医学者)

橋 信次(たかはし しんじ、1912年1月28日 - 1985年4月2日)は、日本の医学者、放射線科医。X線廻転(回転)撮影法・X線多色撮影法・X線拡大撮影法を開発し、放射線診断学の発展に大きく寄与した。 名古屋大学医学部教授、浜松医科大学副学長、愛知県がんセンター総長などを歴任。福島県二本松市出身。東北帝国大学医学部卒業。医学博士。文化勲章受章者。日本学士院会員。二本松市名誉市民。日本医師会医学賞、恩賜賞・日本学士院賞、スウェーデン王立科学アカデミーゴールドメダルなどを受賞。.

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高橋萬右衛門

橋 萬右衛門(たかはし まんえもん、1918年1月26日 - 2004年6月5日)は、日本の植物育種学者。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。岩手県水沢市生まれ。.

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高橋里美

橋 里美(たかはし さとみ、1886年(明治19年)11月28日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は男性の哲学者、東北大学名誉教授。文化功労者。.

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高橋泰蔵

橋 泰蔵(たかはし たいぞう、1905年10月9日 - 1989年5月22日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。元日本学士院会員。 静岡県出身。1929年東京商科大学(現一橋大学)学部卒。同期に深見義一一橋大名誉教授がいる。東京商大教授、戦後一橋大教授。1960-61年一橋大学附属図書館長。1961-64年学長。1981-1989日本学士院会員。近代経済学専攻。貨幣論、金融論。 佐藤定幸(一橋大学名誉教授)や、石川滋(一橋大学名誉教授)は高橋ゼミナール出身。.

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高木八尺

木 八尺(たかぎ やさか、1889年12月25日 - 1984年4月28日)は、日本の政治学者、アメリカ研究者、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 東京帝国大学教授、太平洋問題調査会常任理事、貴族院議員、東京大学教授などを歴任した。.

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高木貞二

木 貞二(たかぎ さだじ、1893年12月3日 - 1975年10月28日)は、日本の実験・動物心理学者、東京大学名誉教授。.

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護雅夫

護 雅夫(もり まさお、1921年3月30日 - 1996年12月23日)は、日本の東洋学者、歴史学者。専攻は古代東洋史(中央アジア・突厥民族研究)。.

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谷口知平

谷口 知平(たにぐち ともへい、1906年4月19日 - 1989年11月8日)は、日本の法学者。専門は民法。京都府出身。.

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谷一郎 (物理学者)

谷 一郎(たに いちろう、1907年5月20日 - 1990年5月28日)は、日本の流体力学者。.

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豊島久真男

豊島 久真男(とよしま くまお、1930年10月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。大阪大学名誉教授。専攻はウイルス学・腫瘍学。1969年に世界で初めてトリ肉腫ウイルスからガン遺伝子を発見。この分野の先駆けとしてその後のガン研究に大きな貢献をした。84~94年には「対ガン10カ年総合戦略」の研究総括。また、DNAのガイドライン策定に参加。ヒトクローン倫理問題でも総合科学技術会議文部科学省専門委員会の委員や科学技術・学術審議会生命倫理・安全部会 特定胚及びヒトES細胞研究専門委員会の主査などを務めた。1998(平成10)年文化功労者。2001(平成13)年文化勲章受章。医学博士(大阪大学、1959年)。大阪府出身。.

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貝塚啓明

貝塚 啓明(かいづか けいめい、1934年(昭和9年)2月16日 - 2016年(平成28年)10月25日 日本経済新聞 2016年11月1日付)は、日本の経済学者。経済学博士。専門は、財政学、金融論。東京大学名誉教授。日本学士院会員。元東京大学金融教育研究センター長。財務省財務総合政策研究所名誉所長。近年まで財政制度等審議会、金融審議会、社会保障審議会の会長を歴任。 京都府生まれ。歴史学者・貝塚茂樹の長男。地質学者・地理学者小川琢治の孫で、冶金学者・小川芳樹、物理学者・湯川秀樹、中国文学者・小川環樹の甥。 2016年10月25日、膀胱癌のため死去。82歳没。.

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鳥養利三郎

鳥養 利三郎(とりがい りさぶろう、1887年2月8日 - 1976年9月24日 )は、日本の電気工学者。元京都大学総長、京都大学名誉教授。従二位勲一等工学博士。元日本学士院会員。文化功労者。京都市名誉市民。徳島県生まれ。 黎明期の日本の電気工学界を支えた重鎮。高電圧過渡現象の測定や高周波焼入に関する研究で業績を挙げた。また、教育行政においても手腕を発揮し、京都大学総長・電気学会会長・大学基準協会副会長などを務めた。特に、京都大学総長としては、戦後の混乱期を支えた名総長として知られている。.

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鹿島守之助

鹿島 守之助(かじま もりのすけ、明治29年(1896年)2月2日 - 昭和50年(1975年)12月3日は、日本の外交官、実業家、政治家、外交史研究家。法学博士。鹿島建設会長。鹿島建設「中興の祖」。参議院議員を18年間務める。第1次岸内閣の国務大臣北海道開発庁長官。文化功労者。戦前よりアジアの地域統合「パン・アジア」(汎アジア)を提唱し、生涯にわたりその思想のもとに行動する。旧姓永富(ながとみ)。.

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麻生磯次

麻生 磯次(あそう いそじ、1896年(明治29年)7月21日 - 1979年(昭和54年)9月9日)は、日本の国文学者。.

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黒川利雄

黒川 利雄(くろかわ としお、1897年1月15日 - 1988年2月21日)は、臨床医学研究者。東北大学医学部で教授・学部長を務めた。同大学第10代総長。専門は内科学、消化器病学、特に胃がんの診断学。財団法人宮城県対がん協会を設立し、日本初のがん集団検診(胃がん)を行った。医学博士。正三位。北海道三笠市(旧空知郡三笠山村大字幾春別)出身。子息に黒川雄二。.

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龍田節

龍田 節(たつた みさお、1933年(昭和8年)9月6日 - )は、日本の商法学者。京都大学名誉教授。同志社大学大学院司法研究科特別客員教授。弁護士。日本学士院会員。指導教授は大隅健一郎。兵庫県神戸市出身。.

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辻直四郎

辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者・言語学者で、日本におけるインド古典学研究を開拓し、業績は海外の学会でも高く評価された。.

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辻村公一

辻村 公一(つじむら こういち、1922年2月18日 - 2010年5月28日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。 静岡県浜松市出身。京都帝国大学文学部で田辺元に学ぶ。1948年京都大学教養助教授、1967年文学部哲学科助教授、1974年「ハイデッガー論攷」で文学博士、教授、1982年定年退官、名誉教授。1993年日本学士院会員、1994年勲二等瑞宝章受章。 ハイデッガーを翻訳・研究した。尚その特徴として、それまで「存在と時間」として訳されていた「SEIN UND ZEIT」にたいし、「有と時」としたことが挙げられる。日本で数種類翻訳刊行されてきた同書において、この表題を使用しているのは辻村公一訳のみである。(「有」の使用については、翻訳書ではないが、辻村よりも以前に和辻哲郎が著書『倫理学』において、ハイデッガーを引用する際に「有」「現有」「世界内有」と訳している。).

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辻清明 (政治学者)

辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年7月30日)は、日本の政治学者、行政学者。.

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近世日本国民史

近世日本国民史(きんせいにほんこくみんし)は、1918年から第二次世界大戦後の1952年にかけて徳富蘇峰が著した、近世(安土桃山時代と江戸時代)以降の日本の通史。全100巻。.

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近藤平三郎

近藤 平三郎(こんどう へいざぶろう、1877年12月11日 - 1963年11月17日)は、日本の薬学者、薬化学者。薬学博士。 静岡県松崎町生まれ。本郷のドイツ語学校から東京帝国大学医科薬学科に進み、長井長義に師事。帝大卒業後は大学に籍を置きながらも陸軍薬剤官として入隊し、日露戦争に薬剤師として従軍。陸軍医学校教官を経て、ベルリン工科大学に留学して有機化学を専攻した。 1911年に帰国すると塩野義商店の塩野長次郎の懇請を受け、塩野義商店顧問に就任。この関係が発展して1915年には塩野の援助によって乙卯研究所を東京市に設立して所長となると共に、東京帝国大学教授にも就任した。以降はアルカロイド関係の薬剤開発に専心し、1928年学士院賞を受賞。日本薬学会会頭、日本薬剤師会会長を歴任した。1953年日本学士院会員。1958年文化勲章受章。.

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近藤鎮三

近藤 鎮三(こんどう やすぞう / ちんぞう、1849年5月28日(嘉永2年4月7日) - 1894年(明治27年)8月4日)は明治時代の日本の文部・司法官僚、検察官。字は昌綱上村(2001)、3頁。。.

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近藤淳

近藤 淳(こんどう じゅん、1930年2月6日 - )は、日本の男性物理学者。東京府出身。東邦大学名誉教授、産業技術総合研究所特別顧問。.

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錦城学園高等学校

錦城学園高等学校(きんじょうがくえんこうとうがっこう)は、東京都千代田区神田錦町三丁目にある日本の私立学校である。1880年5月5日、福澤諭吉の高弟である矢野文雄(号・龍渓)が、慶應義塾旧医学校跡に創設した、三田予備校を源流とする慶應義塾の関連校であった。全日制の男女共学校で、学校法人錦城学園が運営している。通称は、錦城(きんじょう)。 東京都小平市にある錦城高等学校は、同法人が運営する姉妹校である。兵庫県明石市にある兵庫県立錦城高等学校とは、一切関係がない。.

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茨木杉風

茨木 杉風(いばらぎ さんぷう、明治31年(1898年)2月8日 - 昭和51年(1976年)8月12日)は、近藤浩一路に師事した水墨画家。日本美術院院友を辞し『新興美術院』を創設した。.

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茅誠司

茅 誠司(かや せいじ、1898年(明治31年)12月21日 - 1988年(昭和63年)11月9日)は、日本の物理学者。第17代東京大学総長(1957年 - 1963年)。.

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能勢朝次

能勢 朝次(のせ あさじ、1894年(明治27年)4月1日 - 1955年(昭和30年)2月25日)は、日本の能楽研究者、国文学者。京都府北桑田郡山国村に生まれる。1923年(大正12年)京都帝国大学文学部国文科卒業。1924年(大正13年)大谷大学教授となる。以降、京都帝国大学、東京高等師範学校、東京文理科大学、東京教育大学などで教職につき、1954年(昭和29年)奈良学芸大学学長となった。1947年「能楽源流考」で東京文理科大学文学博士。 中世、近世文学研究を専門とし、とくに能楽研究の分野では膨大な史料を分析的に使う手法と卓抜した創見で斯界に一時代を画した。主著は1938年(昭和13年)に上梓された『能楽源流考』(岩波書店)。「平安時代の猿楽」「鎌倉吉野時代の猿楽」の2篇と附篇の「田楽攷」からなり、能の発生から戦国末期までの能楽史を網羅する。以後、能楽史研究においては、本著の学説をいかに乗り越えるかが目標とさえ言われている。この著書により1940年(昭和15年)、帝国学士院(現・日本学士院)の恩賜賞を受賞する審査要旨については(日本学士院公式サイト)を参照のこと。。 他に岩波で『世阿弥十六部集評釈』上下巻、名著刊行会で『三冊子評釈』などの著書がある。『能勢朝次著作集』全10巻が1981~85年に思文閣出版で刊行された。.

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都築忠七

都築 忠七 (つづき ちゅうしち、1926年9月18日 - ) は日本の社会思想史研究者。一橋大学名誉教授、オックスフォード大学博士、ケンブリッジ大学博士。 日本学士院賞・恩賜賞受賞。一橋大学社会学部長、ケンブリッジ大学海外招聘フェロー、オックスフォード大学客員教授、シェフィールド大学客員教授等を歴任し、イギリス労働運動史研究においてヨーロッパで高い評価を得た。.

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都留重人

都留 重人(つる しげと、1912年(明治45年)3月6日 - 2006年(平成18年)2月5日)は日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。 初代一橋大学経済研究所長、第6代一橋大学学長、ハーバード大学客員教授、イェール大学客員教授、国際経済学連合会長(日本人初)、日本学士院会員等を歴任した。日本人として2人目のハーバード大学名誉学位保持者。 国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。.

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舞出長五郎

舞出 長五郎(まいで ちょうごろう、明治24年(1891年)9月8日 - 昭和39年(1964年)7月15日)は、日本の経済学者。経済学博士。東京大学名誉教授。日本学士院会員。五女は政治評論家三宅久之の兄で元福島大学経済学部教授三宅皓士の妻。.

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鈴村興太郎

鈴村 興太郎(すずむら こうたろう、1944年(昭和19年)1月7日 - )は、日本の経済学者。専門は社会選択理論・厚生経済学。一橋大学名誉教授、早稲田大学栄誉フェロー、早稲田大学名誉教授、文化功労者、日本学士院会員、一橋大学経済学博士。 京都大学助教授、一橋大学教授、早稲田大学教授、社会選択・厚生学会(The Society for Social Choice and Welfare)会長、日本経済学会会長、日本学術会議副会長、を歴任。日本学士院賞受賞、紫綬褒章・瑞宝重光章受章。Fellow of the Econometric Society。.

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鈴木大拙

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)、1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。1949年に文化勲章、日本学士院会員。 名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。 生前、1963年にノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。.

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鈴木弘

鈴木 弘(すずき ひろし、1933年9月18日 - )は、日本の元競泳選手。1952年ヘルシンキオリンピック競泳男子100m自由形、男子800m自由形リレー銀メダリスト。.

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鈴木禄彌

鈴木 禄彌(祿彌、禄弥)(すずき ろくや、1923年(大正12年)4月4日 - 2006年(平成18年)12月22日)は、日本の法学者。東北大学名誉教授、東海大学客員名誉教授。専門は民法。 法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「居住権論」)。1998年(平成10年)より日本学士院会員。1967年(昭和42年)松永賞。1986年(昭和61年)紫綬褒章。.

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鈴木章

鈴木 章(すずき あきら、1930年9月12日 - )は、日本の化学者。パラジウムを触媒とする、芳香族化合物の炭素同士を効率よく繋げる画期的な合成法を編み出し(英語) - 北海道大学、1979年に「鈴木・宮浦カップリング」を発表、芳香族化合物の合成法の一つとしてしばしば用いられるようになり、2010年にノーベル化学賞を受賞。 現在、北海道江別市在住、むかわ町特別名誉町民。称号は北海道大学名誉教授、日本学士院会員。理学博士。 北海道胆振総合振興局管内鵡川町(現・むかわ町)出身。.

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鈴木竹雄

鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日)は、日本の商法学者。東京大学法学部名誉教授、法制審議会商法部会長、日本学士院会員。.

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鈴木鴻一郎

鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年(明治43年)5月23日 - 1983年(昭和58年)4月22日)は、日本の経済学者。山口県山口町出身。専攻はマルクス経済学の経済理論。宇野弘蔵の後継者。元東京大学名誉教授、金沢経済大学・帝京大学教授。彼が宇野から継承した宇野経済学は伊藤誠によって引き継がれることになる。.

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鈴木茂嗣

鈴木 茂嗣(すずき しげつぐ、1937年5月12日 - )は、日本の刑事訴訟法学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員。法学博士(京都大学、1980年)(学位論文「刑事訴訟の基本構造」)。東京都出身。.

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鈴木邦彦 (神経化学者)

鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1932年2月5日 - )は、日本の神経化学者 ・神経内科医。東京都出身。日本学士院会員。 先天性代謝異常のスフィンゴリピドーシスに関する研究で世界をリードした。クラベ病の病因酵素の異常を発見、疾患モデルマウスを作出した。東京大学医学部卒業。アルバート・アインシュタイン医科大学等を経て、ノースカロライナ大学チャペルヒル校神経科学センター名誉センター長・名誉教授。2002年日本学士院賞受賞。2008年日本学士院会員。.

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鈴木醇

鈴木 醇(すずき じゅん、1896年10月1日 - 1970年3月12日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・岩石学。栃木県宇都宮市生まれ。.

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鈴木雅洲

鈴木 雅洲(すずき まさくに、1921年(大正10年)5月21日 - 2015年(平成27年)11月23日)は、日本の産婦人科医、東北大学名誉教授。仙台市青葉区出身。 東京帝国大学医学部卒。1955年東北大学医学博士。東北大学医学部産婦人科教室、1964年新潟大学医学部教授、1970年東北大学医学部教授。1983年日本で初めて体外受精児の誕生に成功、1992年顕微鏡下での授精による出産を成功させる。1985年東北大退官、名誉教授、小山市民病院院長、1986年スズキ病院(現・スズキ記念病院)院長。 2015年、「ヒト体外受精・胚移植の確立と普及に関する研究」により日本学士院賞を受賞。.

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鈴木敬

鈴木 敬(すずき けい、1920年12月16日 - 2007年10月18日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。.

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興膳宏

興膳 宏(こうぜん ひろし、1936年10月25日 - )は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員。.

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阿部秋生

阿部 秋生(あべ あきお、1910年10月24日 - 1999年5月24日)は、日本の国文学者、中古文学専攻、東京大学名誉教授。妻は文学博士阿部俊子。.

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赤堀四郎

赤堀 四郎(あかほり しろう、1900年10月20日 - 1992年11月3日)は、日本の生化学者(生物有機学)。勲等は勲一等。学位は理学博士(東北帝国大学・1931年)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員、大阪大学総長、理化学研究所理事長などを歴任した。.

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赤崎勇

赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年1月30日 - )は、日本の半導体工学者。学位は工学博士(名古屋大学)。名城大学大学院理工学研究科終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー。京都大学名誉博士。文化功労者、文化勲章受章者、日本学士院会員。2014年『高輝度青色発光ダイオードの発明』でノーベル物理学賞を受賞。 株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。 「赤﨑」の「﨑」は山偏に竒(いわゆる「たつさき」)であるが、JIS X 0208に収録されていない文字のため、赤崎 勇と表記されることも多い。.

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鵜飼信成

信成(うかい のぶしげ、1906年3月9日 - 1987年5月10日)は、日本の法学者。学位は法学博士。専門は憲法、行政法。東京都出身。元日本学士院会員。.

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関谷剛男

関谷 剛男(せきや たかお、1939年11月18日 - )は、日本の分子生物学者。佐々木研究所所長。薬学博士。核酸の高次構造多型(SSCP)解析法の開発で知られる。がん遺伝子・がん抑制遺伝子の塩基配列異常をはじめ、多くのヒト遺伝病原因遺伝子解析に利用された。日本学士院会員。.

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関集三

関 集三(せき しゅうぞう、1915年5月21日 - 2013年12月24日)は、日本の物理化学学者。元大阪大学教授。元関西学院大学教授。日本学士院会員第4分科(理学) 。.

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関根正雄

関根 正雄(せきね まさお、1912年8月14日 - 2000年9月9日)は、キリスト教無教会主義の伝道者、旧約聖書研究者。.

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薮内清

薮内 清(やぶうち きよし、明治39年(1906年)2月12日 - 平成12年(2000年)6月2日)は、日本の天文学者・科学史学者(中国科学史)で、京都大学名誉教授。.

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薗田坦

薗田 坦(そのだ たん、1936年10月18日 - 2016年4月22日)は、日本の哲学者、宗教学者、京都大学名誉教授、日本学士院会員、元仁愛大学学長。.

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間野英二

間野 英二(まの えいじ、1939年2月7日 - )は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授、日本学士院会員。.

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藤原松三郎

藤原 松三郎(ふじわら まつさぶろう、1881年2月14日 - 1946年10月12日)は、日本の数学者・数学史家。第二次世界大戦前において、90編の欧文論文を著し、世界数学者会議で2度の学術講演を行うなど、当時の日本の数学界を代表する数学者であり、また日本数学史、中国数学史、朝鮮数学史をカバーする和漢数学史家としても大きな業績を残した。特に8000枚という膨大な遺稿「日本数学史」は『明治前日本数学史』全5巻(岩波書店、1955-1960)としてまとめられ、現在においても和算史を研究する上で最も重要かつ基本的な文献となっている。.

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藤田宙靖

藤田 宙靖(ふじた ときやす、1940年(昭和15年)4月6日 - )は、日本の法学者。元最高裁判所判事(2002年9月30日 - 2010年4月5日)。東北大学名誉教授、日本学士院会員。皇室会議議員。専門は行政法。法学博士(東京大学、1981年)。国立大学独立行政法人化の議論を深めた人物。東京都出身。.

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藤田貞資

藤田 貞資(ふじた さだすけ、享保19年9月16日(1734年10月12日) - 文化4年8月6日(1807年9月7日))は、江戸時代中期の和算家である。定資、定賢とも。通称は彦太夫、後に權平と改める。字は子證、雄山と号す。 武蔵国男衾郡本田村(現埼玉県深谷市)の本田家に生まれ、後に藤田定之の養子となる。宝暦12年(1762年)28歳の時に山路主住の作暦手伝となるが、明和4年(1767年)に眼病のため天文方手伝を退いた。翌年、久留米藩主で関流の和算家でもある有馬頼徸に召抱えられ二十人扶持を受けた。門人の神谷定令と共に主著『精要算法』を巡って会田安明と論争した。文化4年(1807年)病のため致仕、同年74歳で没している。 山路主住の高弟として天下第一人と称されており、ライバルである会田安明も「定資を讃えて海内の一人と云えり」と記している。しかし同門の安島直円が独創的な研究成果を残している一方で、藤田の研究業績はさして見るべきものがないと評されている。 弟子に米沢藩士の黒井忠寄がいる。.

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藤田昌久

藤田 昌久(ふじた まさひさ、1943年7月21日 - )は、日本の経済学者。独立行政法人経済産業研究所所長。京都大学名誉教授。専門は都市経済学、空間経済学。.

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藪田貞治郎

藪田 貞治郎(やぶた ていじろう、1888年(明治21年)12月16日 - 1977年(昭和52年)7月20日)は、日本の農芸化学者。東京帝国大学農学部教授、理化学研究所会長等を歴任する。1926年に黒沢英一が発見した植物ホルモン「ジベレリン」の構造化、単離結晶化の成功者。命名者。滋賀県出身者として最初の農学博士(博士登録番号42番)。.

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脇村義太郎

脇村 義太郎(わきむら よしたろう、1900年12月6日 - 1997年4月17日)は、日本の経済学者。専攻は経営史。1964年から日本学士院会員、1988年から1994年まで第20代日本学士院長を務める。1992年文化功労者。東京大学名誉教授。甥に神奈川県立湘南高等学校の甲子園(第31回全国高等学校野球選手権大会)での優勝チームのレギュラーメンバーであり、東大野球部主将、東洋紡役員等を経て日本高等学校野球連盟第5代会長を務めた脇村春夫(公益財団法人脇村奨学会代表理事)がいる。.

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野崎一

野崎 一(のざき ひとし、1922年 - )は日本の有機化学者。京都大学名誉教授、工学博士。.

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野中郁次郎

野中 郁次郎(のなか いくじろう, 1935年5月10日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、カリフォルニア大学バークレー校特別名誉教授、日本学士院会員。知識経営の生みの親として知られる。2002年に紫綬褒章受章。2017年、カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールから同大学最高賞の生涯功績賞を史上5人目として授与された。元組織学会会長。.

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野依良治

野依 良治(のより りょうじ、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した。 国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。日本学士院会員。.

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野副鉄男

野副 鉄男(のぞえ てつお、1902年5月16日 - 1996年4月4日)は、日本の化学者、理学博士。台北帝国大学教授を経て、戦後、東北大学理学部教授、同大学名誉教授。文化勲章受章者、日本学士院会員、仙台市名誉市民(本籍地は東京都新宿区)。.

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野村兼太郎

野村 兼太郎(のむら かねたろう、1896年3月20日 - 1960年6月22日)は、日本の経済学者。経済学博士、経済思想史研究者(江戸時代・経世論)、日本学士院会員。国文学研究資料館設立発起人。他、東洋貨幣協会名誉会員、社会経済史学会を創立し代表理事等を歴任。.

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金子武蔵

金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 1987年12月31日)は、日本の哲学者、倫理学者。.

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金倉円照

金倉 円照(金倉 圓照、かなくら えんしょう、1896年11月17日 - 1987年1月24日)は、インド哲学者、仏教学者。龍厳寺住職。 鹿児島県坊ノ津(現・南さつま市)生まれ。第七高等学校造士館、東京帝国大学卒。1923年、ヨーロッパへ留学し1926年帰国後、東北帝国大学教授。1931年東京大学文学博士 「ブリハダーラヌヤコーパニシヤツドバーシユヤの研究」1934年『西蔵(チベット)大蔵経総目録』を編纂、1939年『印度古代精神史』を刊行、戦後東北大学教授、1960年定年退官、1963年日本学士院賞受賞、同年日本学士院会員、1967年宮城教育大学学長、1985年に文化功労者となった。.

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金田一京助

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(二代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。.

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金谷治

金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は中国哲学、特に中国古代思想史。三重県伊賀市出身。.

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長尾真

長尾 真(ながお まこと、1936年(昭和11年)10月4日- )は、日本の情報工学者。京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学名誉教授。元京都大学総長、国際高等研究所所長、元独立行政法人情報通信研究機構理事長。前国立国会図書館長。.

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長尾雅人

長尾 雅人(ながお がじん、1907年8月22日 - 2005年3月13日)は、日本の仏教学者、チベット学者。京都大学名誉教授。日本学士院会員。仏典に対する文献学的な研究を推し進め、また、チベット学の樹立に対しても貢献した。仙台市出身(父雲龍は広島の寺院住職)。.

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長倉三郎

長倉 三郎(ながくら さぶろう、1920年10月3日 - )は、日本の化学者、文化勲章受章者。東京大学・岡崎国立共同研究機構分子科学研究所名誉教授。物理化学専攻。 日本人として初めてIUPAC(国際純正および応用化学連合)の会長を歴任したことで知られる。.

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長田重一

長田 重一(ながた しげかず、1949年(昭和24年)7月15日 - )は、日本の生物学者(分子生物学)である。京都大学大学院医学研究科医化学教授。.

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長谷川修一

長谷川修一(はせがわ しゅういち、1971年10月- )は、日本の聖書学者、歴史学者、考古学者、立教大学准教授。専門分野はオリエント史、旧約学、西アジア考古学。 埼玉県出身。立教大学文学部史学科卒業。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学。ハイデルベルク大学神学部博士課程に学び、テルアビブ大学(イスラエル)大学院ユダヤ史学科博士課程修了、Ph.D.。古代オリエント博物館共同研究員、盛岡大学文学部社会文化学科准教授、2014年、立教大学文学部准教授。2015年、日本学士院学術奨励賞受賞。.

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長谷部言人

長谷部 言人(はせべ ことんど、1882年6月10日 - 1969年12月3日)は東京市麹町区(現・東京都千代田区)出身の人類学者、解剖学者。日本学士院会員。.

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若山照彦

若山 照彦(わかやま てるひこ、1967年(昭和42年)4月1日 - )は、日本の生物学者。茨城大学農学部卒、東京大学博士(獣医学)。世界で初めてクローンマウスを実現した人物であり、マイクロマニピュレータの名手として知られる。2008年には16年間冷凍保存していたマウスのクローン作成に成功し、絶滅動物復活の可能性を拓いた。さらに2014年には妻の若山清香と共に、宇宙マウスの誕生にも成功した。また、2014年に騒動となった、STAP論文の共著者でもある。 ハワイ大学医学部助教授、京都大学再生医科学研究所客員准教授、理化学研究所CDBチームリーダーなどを経て、2012年より山梨大学生命環境学部教授、2014年より山梨大学附属発生工学研究センター長兼務。日本学術振興会賞、文部科学大臣表彰科学技術賞、材料科学技術振興財団山崎貞一賞などを受賞。.

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苧阪直行

苧阪 直行(おさか なおゆき、1946年12月16日 - )は、日本の心理学者(意識科学・認知脳科学・ワーキングメモリ)。文学博士(1979)。京都大学名誉教授、大阪大学脳情報通信融合センター招聘教授、日本学士院会員。父、良二は心理学者で京都大学名誉教授、妻、満里子も心理学者で大阪大学名誉教授。 追手門学院大学文学部助教授、京都大学大学院文学研究科助教授、京都大学大学院文学研究科教授、京都大学大学院文学研究科科長・文学部長、京都大学評議員、京都大学特任教授・副学長補佐、京都大学名誉教授、日本学術会議会員(20-21期)及び連携会員(22-24期)、日本学術会議『脳と意識分科会』委員長(2005年-)、文部科学省科・大学設置・学校法人審議会(大学設置分科会)委員、文部科学省科・科学技術・学術審議会『脳科学委員会』委員、国際高等研究所研究推進委員を歴任した。日本色彩学会会長、関西心理学会会長、日本ワーキングメモリ学会会長、日本学術振興会・学術システム研究センター・プログラムオフィサー、日本学術会議近畿地区会議代表幹事も務めた。2012年学士院会員(第1部第1分科・心理学・認知科学)、大阪大学脳情報通信融合研究センター招聘教授(2016年)、日本学士院学術奨励賞選考委員会委員長(2017年)。 日本人間工学会橋本賞、日本心理学会優秀論文賞、日本心理学会国際賞、日本ワーキングメモリ学会賞、日本色彩学会賞を受賞。2017年日本学術会議『脳と意識分科会』から『融合社会脳研究の創生と展開』を提言18年1月10日、皇居正殿松の間での「講書始の儀」で天皇皇后両陛下に「意識をつむぐワーキングメモリ」をご進講。.

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難波精一郎

難波 精一郎(なんば せいいちろう、1932年4月4日 - )は、日本の心理学者。専攻は音響心理学、環境心理学。文学博士。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。.

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雨宮敬作

宮 敬作(あまみや けいさく、明治12年(1879年)11月5日 - 昭和39年(1964年)7月21日)は、日本の教育者。山梨英和女学校における初の日本人校長。.

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速水融

速水 融(はやみ あきら、1929年10月22日 - )は、日本の経済学者。国際日本文化研究センター名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、麗澤大学名誉教授。経済学博士。歴史人口学、日本経済史専攻。文化勲章受章者。日本に歴史人口学を導入したことで知られる。また「勤勉革命」を唱え、世界における勤勉革命論のきっかけを作った。英文著作も刊行している。.

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院(いん)は、元の意味は高い垣に囲まれた大きな建築物のことで、そこから以下のような意味を表す。.

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TPPを考える国民会議

TPPを考える国民会議(てぃーぴーぴーをかんがえるこくみんかいぎ)は、日本の国民運動団体。.

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柏原正樹

柏原 正樹(かしわら まさき、1947年1月30日 - )は日本の数学者。京都大学名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。国際数学連合 元副総裁。理学博士(京都大学、1974年)。茨城県結城市出身。.

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柳田國男

柳田 國男(やなぎた くにお、1875年(明治8年)7月31日 - 1962年(昭和37年)8月8日)は、日本の民俗学者・官僚。現在の兵庫県神崎郡福崎町生まれで、最晩年に名誉町民第1号となった。没後に正三位勲一等。当時の池田勇人首相が「民間人とはいえ、これだけの人物に瑞宝章では軽い」と発言し旭日大綬章が供えられた。帝国憲法下の農務官僚で貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官に就いた牧田茂『柳田國男』(中公新書、1972年)。 「日本人とは何か」その答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行し、初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者で、多数の著作は今日まで重版され続けている。.

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柳瀬良幹

柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年11月17日 - 1985年2月18日)は、日本の行政法学者。東北大学名誉教授。行政法学から憲法の諸問題を研究する。その理詰めの論述は、ハンス・ケルゼンに通ずる。 法学博士(1952年)。和歌山県生まれ。.

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柴田雄次

柴田 雄次(しばた ゆうじ、1882年1月28日 - 1980年1月28日)は、東京府出身の化学者。東京大学名誉教授。正三位勲一等瑞宝章。.

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柴田承二

柴田 承二(しばた しょうじ、1915年(大正4年)10月23日 - 2016年(平成28年)7月12日)は日本の薬学者、東京大学名誉教授。東京都出身。薬学博士(1944年)。.

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林屋辰三郎

林屋 辰三郎(はやしや たつさぶろう、1914年4月14日 - 1998年2月11日)は、日本の歴史学者・文化史家。中世史の研究において大きな足跡を残した。.

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林巳奈夫

林 巳奈夫(はやし みなお、1925年5月9日 - 2006年1月1日)は、日本の考古学者。中国、特に青銅器・玉器を専攻とする。神奈川県出身。.

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林忠四郎

林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の宇宙物理学者2010年3月1日 アストロアーツ、産経ニュース,、2010.3.1 12:16、京都新聞, 2010年03月01日 12時43分、稲盛財団ニュース, No.71.

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掛川市

掛川市(かけがわし)は、静岡県西部の都市。.

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恩賜賞 (日本学士院)

恩賜賞(おんししょう)とは日本学士院の賞である。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。恩賜賞は日本学士院による賞の中でも特に権威あるもので、本来は日本学士院賞(帝国学士院賞)とは別個の賞であったが、1970年からは毎年9件以内授賞される日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に皇室の下賜金で授賞されるものとなっている。1911年創設。.

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恩賜賞 (日本芸術院)

恩賜賞(おんし しょう)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。 日本芸術院は、卓越した芸術作品を制作した者や芸術の進歩に貢献する業績があった者に対して毎年日本芸術院賞を授与しているが、昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からはその受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対してこの恩賜賞を授与するようになった。 日本芸術院賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賜品が贈呈される。 授賞式は天皇・皇后の臨席のもと、毎年6月に挙行される。.

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恒藤恭

恒藤 恭(つねとう きょう、男性、1888年12月3日 - 1967年11月2日)は、日本の法哲学者。大阪市立大学名誉教授。法学博士。従三位勲二等旭日重光章。学士院会員。芥川龍之介の親友、戦前における日本の代表的法哲学者として著名。また、京都帝国大学法学部教授時代に瀧川事件で辞任した教官の一人としても知られる。旧姓は井川。息子の恒藤敏彦は京都大学名誉教授(物理学)、恒藤武二は同志社大学法学部教授(法哲学と労働法担当)。.

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揖斐高

揖斐 高(いび たかし、1946年9月18日 - )は、近世日本文学の研究者。成蹊大学文学部名誉教授・日本学士院会員。近世漢詩、特に柏木如亭が専門。.

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李遠哲

李 遠哲(り えんてつ、1936年11月19日 - )は、台湾の化学者。学位は博士(カリフォルニア大学バークレー校)。名古屋大学高等研究院名誉院長。ローマ教皇庁科学アカデミー会員。日本学士院会員。 台湾出身者で初のノーベル化学賞(1986年)を受賞した(受賞時はアメリカ国籍も持っていた)。同年、アメリカ国家科学賞も受賞。.

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材料強度学

材料強度学(ざいりょうきょうどがく、)とは、固体材料に外力が加わったときの変形や破壊などの力学的な挙動を取り扱い、材料の強度を論じる学問である。日本の材料工学・機械工学者の横堀武夫により、材料強度と破壊の学問を体系化するものとして命名された。 材料力学との大きな違いは、量子論、原子論や結晶論(転位論)を意識しつつき裂(転位、空孔、結晶粒界などの材料の微小不連続的な原子の結合部位などもふくめ欠陥と称することが多い)が存在する場合の状態を考慮する事である。材料中にき裂や損傷が、発生・進展(成長)して破壊に至るまでの過程を扱う。 もう一つの大きな違いは、繰返し負荷や温度・湿度の影響によって生じる破壊・損傷を論じる事である。すなわち、引張り強度以下の負荷が与え続けられた場合の材料の破壊や、高温水蒸気中に放置された場合の損傷などである。.

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来栖三郎 (法学者)

来栖 三郎(くるす さぶろう、1912年1月1日 ‐ 1998年10月1日)は、台湾新竹州新竹市生まれの日本の民法学者。1983年から日本学士院会員。東京大学名誉教授。.

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東大阪市

東大阪市(ひがしおおさかし)は、大阪府中河内地域に位置する市である。人口は約50万人であり、大阪市および堺市の両政令指定都市に次ぐ府内第3位の人口を擁する中核市である。大阪都市圏の中心都市に属する。.

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東京大学の人物一覧

東京大学の人物一覧(とうきょうだいがくのじんぶついちらん)は、東京大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・総長・名誉教授・公職者等は除く)。.

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東京大学医科学研究所

初代所長・北里柴三郎 東京大学医科学研究所(とうきょうだいがくいかがくけんきゅうじょ、)は、東京大学の附置研究所(共同利用・共同研究拠点)であり、医科学の研究を行っている。略称は「医科研」、英語略称は「」となっている。「東大医科研」または「白金医科研」とも呼ばれる。場合にもよるが、旧名称である伝染病研究所から「伝研」という古い略称で呼ばれることもある。 研究所敷地内には附属病院がある。近代医科学記念館も設置されており、医科学に関する歴史的資料を保存・展示し、最新情報の提供も行っている。.

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東京学士会院

東京学士会院(とうきょうがくしかいいん)は、日本にかつて存在した政府機関。改組後は帝国学士院を経て、現在の日本学士院となっている。文部卿の西郷従道の発案に基づき秋山勇造「東京学士会院と『東京学士会院雑誌』」『人文研究』151集、神奈川大学人文学会、2003年12月24日、99頁。、1879年に設置された。その設置目的は、研究者による議論や評論を通じ学術の発展を図ることとされていた。.

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東京都の重要文化財一覧

東京都の重要文化財一覧(とうきょうとのじゅうようぶんかざい いちらん) 本項は、日本国の文化財保護法に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要文化財(美術工芸品)の一覧である。本一覧には東京都所在分を収録する。.

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東京都立西高等学校の人物一覧

東京都立西高等学校人物一覧(とうきょうとりつにしこうとうがっこうじんぶついちらん)では、東京都立西高等学校の著名な出身者・教員・関係者などを列挙する。.

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東京都立新宿高等学校の人物一覧

東京都立新宿高等学校人物一覧(とうきょうとりつしんじゅくこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立新宿高等学校の主な出身者・教員・関係者などの一覧。.

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東京都立日比谷高等学校の人物一覧

東京都立日比谷高等学校人物一覧(とうきょうとりつひびやこうとうがっこうじんぶついちらん)は、東京都立日比谷高等学校およびその前身校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。 ※全般的に多数につき各分野内において省略した。括弧内は卒業年。ただし、中途退学者等は例外あり。.

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東北大学の人物一覧

東北大学の人物一覧(とうほくだいがくのじんぶついちらん)は、東北大学に関係する人物の一覧記事。.

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東北大学大学院法学研究科・法学部

東北大学大学院法学研究科(とうほくだいがくいんほうがくけんきゅうか、英称:Graduate School of Law)は、東北大学大学院に設置される研究科の一つである。また、東北大学法学部(とうほくだいがくほうがくぶ、英称:School ofLaw)は、東北大学に設置される学部の一つである。.

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東北工業大学

記載なし。

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東畑精一

東畑 精一(とうばた せいいち、1899年(明治32年)2月2日 - 1983年(昭和58年)5月6日)は、日本の農業経済学者。農学博士。.

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東野治之

東野 治之(とうの はるゆき、1946年12月20日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本古代史、文化財史料学。奈良大学文学部名誉教授、東京国立博物館客員研究員、日本学士院会員、東京大学博士(文学)。紫綬褒章受章。.

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東洋大学京北中学高等学校

東洋大学京北中学高等学校(とうようだいがくけいほくちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山二丁目(東洋大学白山第2キャンパス跡地)に所在する私立中学校・高等学校。2015年に、名称を「京北中学校・高等学校」から変更した。高等学校では、中学校から入学した内部進学の生徒と高等学校から入学した外部進学の生徒との間で、第2学年から混合してクラスを編成する併設型中高一貫校である。.

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松尾浩也

松尾 浩也(まつお こうや、1928年(昭和3年)6月29日 - 2017年12月1日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授。元法務省特別顧問、検察官適格審査会会長。専門は刑事法。熊本県玉名郡荒尾町(現・荒尾市)出身。胆管がんにより死去。.

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松崎蔵之助

松崎 蔵之助(まつざき くらのすけ、1866年2月1日(慶応元年12月16日) - 1919年(大正8年)11月12日)は明治時代から大正時代にかけての日本の経済学者。法学博士。.

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松本信一

松本 信一(まつもと しんいち、1884年11月7日 - 1984年8月1日)は、日本の医学者、皮膚科医。京都帝国大学名誉教授、元大阪医科大学学長。福島県会津若松市生まれ。 再感染免疫をスピロヘータを使用した実験等、病理組織学や細胞免疫学の各方面から梅毒の研究を行う。1917年5月14日、医学博士の学位を受けた。1966年文化功労者、1976年勲一等瑞宝章。主著に『皮膚病学』等。.

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松本和子

松本 和子(まつもと かずこ、1949年10月27日 - )は、日本の化学者。専門は無機化学。東京都出身。父は山村昌(電気工学者、元日本学士院会員、東京大学名誉教授)。.

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村川堅太郎

村川 堅太郎(むらかわ けんたろう、1907年4月13日 - 1991年12月23日)は、西洋史学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 東京帝国大学教授・村川堅固の子として東京浅草に生まれる。成蹊中学、浦和高等学校を経て、1930年東京帝国大学西洋史学科卒、1940年東京帝国大学助教授、1947年教授。1968年定年退官し、名誉教授。日本における古代ギリシャ、ローマ研究の基礎を築いた。1959年、随筆『地中海からの手紙』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。.

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村上淳一

村上 淳一(むらかみ じゅんいち、1933年3月31日 -2017年10月24日)は日本の法学者。東京大学名誉教授。専門は比較法、ドイツ法。京都府生まれ。日本におけるドイツ法研究の第一人者。日本学士院会員。東京高等裁判所長官や最高裁判所長官を歴任した村上朝一の長男。.

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村松岐夫

村松 岐夫(むらまつ みちお、1940年1月3日 - )は、日本の政治学者(行政学・地方自治論)。勲等は瑞宝中綬章。学位は法学博士(京都大学・1984年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 京都大学法学部教授、京都大学評議員、京都大学大学院法学研究科教授、京都大学大学院法学研究科研究科長、京都大学法学部学部長、学習院大学法学部教授などを歴任した。.

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杉捷夫

杉 捷夫(すぎ としお、1904年2月27日 - 1990年12月10日)は、日本のフランス文学者、東京大学名誉教授。.

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杉村隆

杉村 隆(すぎむら たかし、1926年4月20日 - )は、日本の基礎医学研究者。国立がんセンター名誉総長、東邦大学名誉学長。国立がんセンター在職時に東京大学医科学研究所教授を併任。文化勲章受章者。日本学士院院長(第25代)、米国・スウェーデン・オランダ学士院外国会員。山形県鶴岡市および東京都武蔵野市名誉市民。癌医学界の重鎮として長年にわたって活躍している。東京都出身。.

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杉村惇

杉村 惇 (すぎむら じゅん、1907年9月7日 - 2001年8月13日) は、東京都出身の日本の洋画家である。.

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杉本栄一

杉本 栄一(すぎもと えいいち、1901年8月9日 - 1952年9月24日)は、日本の経済学者。.

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根岸隆

根岸 隆(ねぎし たかし、1933年(昭和8年)4月2日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。専門は経済理論、経済学史。 妻は森泰吉郎(経営学者、森ビル創業者)の長女。 すべての消費者の効用関数を内生的な個人重要度(所得の限界効用の逆数)で加重して集計した社会厚生関数の最大解と完全競争均衡との同値性を発見し証明した。 1993年にはEconometric Societyの会長を務め、同年日本学士院賞を受賞。2014年11月には文化勲章を親授された。.

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栄光学園中学校・高等学校

栄光学園中学校・高等学校(えいこうがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、神奈川県鎌倉市玉縄四丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。 高校からの生徒募集はしていない完全中高一貫校。カトリック修道会の一つであるイエズス会を教育母体とするミッションスクールである。 当校の指す「栄光」は AD MAIOREM DEI GLORIAM(より大いなる神の栄光のために)というイエズス会の標語から来ている。.

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栄誉会員

栄誉会員(えいよかいいん)とは、国の学術機関の栄誉称号。また、民間の名誉称号の一つであり、主に学会や業界団体などが定めている。.

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桜田一郎

桜田 一郎(さくらだ いちろう、1904年(明治37年)1月1日 - 1986年(昭和61年)6月23日)は、日本の化学者。京都府生まれ。京都帝国大学工学部工業化学科卒業。1931年(昭和6年)、工学博士。論文の題は「繊維素及其置換体ニ就テ」。京都大学名誉教授。元日本化学会会長。元日本学士院会員。文化勲章受章者。 1939年(昭和14年)に日本初の合成繊維であるポリビニルアルコール系合成繊維(ビニロン)を李升基、川上博(大日本紡績)らと共同開発した。このほか、桜田の粘度式を始めとして高分子に関する様々な研究を展開し、日本の高分子化学の基礎を築いた。高分子という日本語を定着させたのも彼である。 旧制第三高等学校(三高)時代にエスペラントを学び、エスペランティストでもあった。.

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桑田義備

桑田 義備(くわだ よしなり、1882年(明治15年)10月5日 - 1981年(昭和61年)8月13日)は、植物細胞学者。京都大学名誉教授。大阪府生まれ。 細胞の核分裂、稲の染色体数の決定や配列に関する研究を行う。 1918年に徳川義親により東京府荏原郡平塚村小山に設立された私立の徳川生物学研究所の所長を務める。 その後、京都帝国大学へ赴任。 1953年「染色体構造の研究」で日本学士院賞受賞、同年より日本学士院会員。 1962年文化勲章受章。主著に『染色体の構造』『細胞核の分裂』。.

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桂壽一

桂 壽一(桂 寿一、かつら じゅいち、1902年6月16日 - 1985年11月20日)は、日本の哲学者。専門は西欧近世哲学。 東京生まれ。1926年東京帝国大学卒。旧制新潟高等学校教授を経て、戦後東京大学教養学部教授を務め、1953年文学部哲学科教授、1963年定年退官、同年中央大学教授。1965年日本学士院会員。デカルトなど近世初期哲学を専攻。.

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梶田隆章

梶田 隆章(かじた たかあき、1959年3月9日 -)は、日本の物理学者、天文学者である。埼玉県東松山市出身。東京大学卓越教授、同大特別栄誉教授、東京大学宇宙線研究所長・教授、兼同研究所附属宇宙ニュートリノ観測情報融合センター長、東京大カブリ数物連携宇宙研究機構主任研究員、埼玉大学フェロー、東京理科大学理工学部物理学科非常勤講師。専門はニュートリノ研究。理学博士。ニュートリノ振動の発見により、2015年にアーサー・B・マクドナルドと共にノーベル物理学賞を受賞した。2017年度より朝日賞選考委員を務めている。.

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梅津八三

梅津 八三(うめづ はちぞう、1906年12月5日 - 1991年1月5日)は、日本の教育心理学者。東京大学文学部名誉教授。.

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森亘

森 亘(もり わたる、1926年1月10日 - 2012年4月1日)は、日本の病理学者、東京大学名誉教授・元総長。元国立大学協会会長。元日本医学会会長。医学博士(1957年)。東京生まれ。2012年4月1日、肺炎のために、東京大学附属病院で死去。。叙従三位.

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森田浩介

森田 浩介(もりた こうすけ、1957年1月23日 - )は、日本の物理学者(実験核物理学)。学位は博士(理学)(九州大学・1993年)。九州大学大学院理学研究院教授、国立研究開発法人理化学研究所仁科加速器研究センター超重元素研究グループディレクター。 また、これまでに独立行政法人理化学研究所サイクロトロン研究室先任研究員、独立行政法人理化学研究所仁科センター森田超重元素研究室准主任研究員などを歴任している。.

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森謙治

森 謙治(もり けんじ、1935年3月21日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。農学博士。専攻は有機合成化学、生物活性物質化学。元日本農芸化学会会長。元社団法人有機合成化学協会会長。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。.

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森重文

森 重文(もり しげふみ、1951年(昭和26年) 2月23日 - )は日本の数学者。理学博士(京都大学、1978年)、京都大学名誉教授。専門は代数幾何学における双有理幾何学で、代数幾何学での業績により1990年にフィールズ賞を受賞。名古屋大学教授、京都大学数理解析研究所教授、所長、名古屋大学特別教授、京都大学高等研究院特別教授、所長を歴任。ハーバード大学、プリンストン高等研究所、マックス・プランク研究所、コロンビア大学など、海外での研究経験も豊富であった。数学分野での国際的な協力を行う非政府組織であり、国際数学者会議の主催団体である国際数学連合の総裁にアジア人としては初めて選出された。愛知県名古屋市出身。.

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森本信男

森本 信男(もりもと のぶお、1925年2月9日 - 2010年9月13日)は、日本の地球科学者。専門は結晶学・鉱物学。大阪大学・京都大学名誉教授。理学博士。長野県北安曇郡大町(現・大町市)生まれ。.

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植木雅俊

植木 雅俊(うえき まさとし、1951年 - )は、日本の仏教学者。.

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検察官適格審査会

検察官適格審査会(けんさつかんてきかくしんさかい)は、日本の法務省に設置された審議会の1つ。 検察庁法第23条の規定によって設置されており、検察官の罷免の勧告や適格の審査を行う。会長は2014年7月27日現在、日本学士院会員の松尾浩也(東京大学名誉教授、上智大学教授、刑事法専攻)。.

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横田喜三郎

横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日 - 1993年(平成5年)2月17日)は、日本の国際法学者、第3代最高裁判所長官。学位は法学博士(東京帝国大学)。栄典は従二位・勲一等・文化勲章・文化功労者・紺綬褒章・江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。.

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樋口陽一

樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学、比較憲法学。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授。法学博士(東北大学、1964年)、パリ大学名誉博士。日本学士院会員。日本学士院賞受賞。宮城県仙台市出身。歳。妻は社会学者で元東北福祉大学教授の樋口晟子。立憲デモクラシーの会共同代表。.

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橋本宗吉

橋本 宗吉(はしもと そうきち、宝暦13年(1763年) - 天保7年5月1日(1836年6月14日))または橋本 鄭(はしもと てい)は日本の蘭方医、蘭学者である。曇斎(どんさい)、絲漢堂とも号した。医学、天文学、本草学の翻訳を手がけた。また蘭学書を読み解いてエレキテルを自作し、エレキテルおよび数々の実験についての記述を残している。これらの業績より、日本の電気学の学術的研究の祖であるとも評される。.

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橋本公亘

橋本 公亘(はしもと きみのぶ、1919年7月9日 - 1998年2月6日)は、日本の法学者。1990年まで中央大学法学部教授(法学部長等を歴任)。専攻は憲法、行政法。中央大出身者としての初の日本学士院会員(1992年12月14日から)。1962年から1964年まで第一次臨時行政調査会の臨時委員を務めた。.

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武居三吉

武居 三吉(たけい さんきち、1896年10月26日 - 1952年6月25日)は、日本の農芸化学者。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。旧制諏訪中学(長野県諏訪清陵高等学校)、第二高等学校を経て東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。 1922年から理化学研究所勤務。ハイデルベルク大学留学を経て、1928年京都帝国大学教授となる。1931年京都大学化学研究所所長に就任。1940年から1946年まで京都教育大学学長を務め、戦後は京都市の教育委員も務めたことがある。 主な研究内容としてはデリス根の有効成分ロテノンの化学構造を決定した。.

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武内義範

武内 義範(たけうち よしのり、1913年2月2日 - 2002年4月12日)は、京都府生まれの日本の宗教学者、浄土真宗僧侶、京都大学名誉教授。 西洋哲学の基礎の上に浄土教思想を考察し、さらに原始仏教など幅広く学際的な研究の基礎をうちたて、門下からは多様な研究者が育った。 1941年の著書『教行信証の哲学』は三木清の遺稿「親鸞」や田辺元の『懺悔道としての哲学』における親鸞解釈に影響を与えた。 父は武内義雄。.

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武内義雄

武内 義雄(たけうち よしお、1886年(明治19年)6月9日 - 1966年(昭和41年)6月3日)は、日本の東洋学者・中国哲学研究者。東北帝国大学名誉教授。三重県生まれ。.

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武田恒夫

武田 恒夫(たけだ つねお、大正14年(1925年)12月5日 - )は日本の美術史家。大阪大学名誉教授、大手前大学名誉教授。専門は日本絵画史。京都府生まれ。.

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武藤清

武藤 清(むとう きよし、1903年1月29日 - 1989年3月12日)は、日本の建築家、建築構造学者、構造家。千葉工業大学工学部建築学科の創設者。元鹿島建設副社長。兄は医学者の武藤完雄。.

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殿堂

殿堂(でんどう)とは、.

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水島三一郎

水島 三一郎(みずしま さんいちろう、1899年3月21日 - 1983年8月3日)は、日本の化学者。東京大学名誉教授。専門は構造化学・分子構造・分子科学。分子構造論の世界的先駆者。日本学士院会員。.

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水田洋

水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日『現代日本執筆者大事典 第4期』第4巻「水田洋 みずた・ひろし」 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞。名古屋大学特別教授、名誉教授。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している名古屋大学高等研究院アカデミー。 宮本憲一(環境経済学、大阪市立大名誉教授、日本学士院賞)や、安藤隆穂(思想史家、名古屋大名誉教授、日本学士院賞)、永井義雄(思想史家、名古屋大名誉教授、元一橋大教授)、植村邦彦(思想史家、関西大学教授)らは水田ゼミ出身。妻は水田珠枝安藤隆穂 名古屋大学附属図書館研究年報.

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永宮健夫

永宮 健夫(ながみや たけお、1910年6月1日 - 2006年6月3日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は固体物理学で、特に反強磁性体の理論の仕事は名高い。.

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永井博 (哲学者)

永井 博(ながい ひろし、1921年1月1日 - 2012年11月7日)は、日本の哲学者、筑波大学名誉教授、日本学士院会員。 愛知県出身。東京文理科大学卒。1959年「数理の存在論的基礎」で東京教育大学文学博士。東京教育大学助教授、筑波大学教授、1984年定年退官、名誉教授、東海大学教授。1963年の『現代自然哲学の研究』で田辺元賞受賞。1996年日本学士院会員。科学史・科学哲学専攻。.

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永井美之

永井 美之(ながい よしゆき、1939年8月18日 - )は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。名古屋大学医学部教授、東京大学医科学研究所教授、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター長などを歴任。専門はウイルス学。名古屋大学名誉教授。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。岐阜県土岐市出身。 センダイウイルスやエイズウイルスなどを研究し、ウイルスが病気を起こすメカニズムの解明に貢献。遺伝毒性のない (non-integrating) 広域、高発現細胞質RNAベクターの創始。2008年日本学士院賞を受賞。.

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永田菊四郎

永田 菊四郎(ながた きくしろう、1895年(明治28年)11月29日 - 1969年(昭和44年)9月18日)は、長崎県出身の民法学者。法学博士。弁護士。日本大学第5代総長、同名誉総長。.

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江崎玲於奈

江崎 玲於奈(えさき れおな、「崎」は清音、1925年(大正14年)3月12日 - )は、日本の物理学者である。国外においてはレオ・エサキ()の名で知られる。1973年(昭和48年)に日本人としては4人目となるノーベル賞(ノーベル物理学賞)を受賞した。文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。.

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江頭憲治郎

江頭 憲治郎(えがしら けんじろう、1946年11月3日 - )は、日本の法学者。東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。公益社団法人商事法務研究会会長。専門は商法。博士(法学)(東京大学、1996年)(学位論文「結合企業法の立法と解釈」)。日本学士院会員。兵庫県出身。.

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池原季雄

池原 季雄(いけはら すえお、1919年(大正8年)12月2日 - 2000年(平成12年)2月1日)は、日本の法学者。専門は国際私法。日本学士院会員。国際法協会日本支部副会長、国際私法学会理事長、国際法学会理事長等を歴任。万国国際法学会正会員。.

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沢田敏男

沢田 敏男(さわだ としお、1919年(大正8年)5月4日 - 2017年(平成29年)10月18日)は、日本の農学者、工学者。京都大学名誉教授・元総長。専門は農業土木、ダム工学。農学博士(京都大学、1955年)(学位論文「浸透水の流動に関する研究」)。文化勲章受章者。三重県伊賀市出身。2017年10月18日午後0時半に京都市内の病院で心不全のため死去。.

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河野六郎

河野 六郎(こうの ろくろう、1912年12月16日 - 1998年10月7日)は、日本の言語学者。東京教育大学名誉教授。専門は朝鮮語・中国語。1986年日本学士院会員。1993年文化功労者。兄に哲学者で翻訳家の河野与一がいる。.

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河本一郎

河本 一郎(かわもと いちろう、1923年(大正12年)2月27日 -2017年(平成29年)4月18日)は、大阪府出身の日本の法学者、弁護士(大阪弁護士会所属)。日本学士院会員。神戸大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。専攻は商法。法学博士(神戸大学、1975年)(学位論文「有価証券振替決済制度の研究 」)。.

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波多野精一

波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎とならぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。また指導学生ではないが、波多野の京大での受講者で波多野から強い影響を受けたとされる人物に三木清がいる。.

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法政大学

1889年(明治22年)5月、フランス法系の結集を図るため、東京法学校と東京仏学校の2校が合併して和仏法律学校と改称し、当時の司法次官(司法官僚トップ)で日本における「法律の元祖」 といわれる箕作麟祥が初代校長に就任した。以降、日本の現行諸法典を創った法典調査会の中心人物が校長に就任している。中でも、「日本民法典の父」 といわれる梅謙次郎は、20年間にわたり学監、校長、初代総理として、本学の発展に大きく貢献した。梅が校長を務めていた1903年(明治36年)に法政大学と改称(専門学校令準拠)、大学令が施行された翌年の1920年(大正9年)に旧制大学となり、1949年(昭和24年)より新制大学となって今に至っている。 File:Mitsukuri Rinsho 1888.jpg|司法次官時代に和仏法律学校初代校長に就任した箕作麟祥。日本で初めて「権利」「義務」「憲法」といった訳語を用いて近代法典を翻訳し、日本における「法律の元祖」と評された。後に校長と行政裁判所長官を兼任。 File:Ume_Kenjiro.jpg|学祖・梅謙次郎。和仏法律学校校長、のち法政大学初代総理。民法・商法起草者。東京帝国大学法科大学長、文部省総務長官。「法政大学」と名付けた人物であり、20年間にわたり無報酬で本学の発展に尽力した。 File:TOMII Masaaki.jpg|富井政章。和仏法律学校校長。帝国大学法科大学長。薩埵の義理の兄で、東京法学校時代から本学の発展に貢献した。梅とともに現行民法典を起草した三人のうちの一人。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 File:Yokota Kuniomi.jpg|司法次官時代に和仏法律学校校長に就任した横田国臣。法典調査会第三部長(刑法起草責任者)、検事総長、大審院院長(最高裁判所長官)。 File:Michel_Revon,_Professor_of_French_Law.jpg|和仏法律学校の第2代教頭に就任したミシェル・ルヴォン (Michel Revon) 。司法省名誉法律顧問。東京帝国大学法科大学教授。ボアソナードの後任者として梅謙次郎を支えた。帰国後、ソルボンヌ大学教授に就任。.

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津田左右吉

津田 左右吉(つだ そうきち、1873年(明治6年)10月3日 - 1961年(昭和36年)12月4日)は、20世紀前半の歴史学者である。『日本書紀』『古事記』を史料批判の観点から研究したことで知られる。栄典は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章。.

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深尾良夫

深尾 良夫(ふかお よしお、1943年11月13日 - )は、日本の地球科学者。日本学士院会員。専門は地震学。理学博士。.

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深谷賢治

深谷 賢治(ふかや けんじ、1959年3月12日 - )は日本の数学者。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授。日本学士院会員。 専門は幾何学で、リーマン多様体の崩壊、アーノルド予想の解決、ミラー対称性予想への貢献、深谷圏(A∞圏)の定義等の業績がある。.

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渡辺一夫

渡辺 一夫(渡邊 一夫、わたなべ かずお、1901年9月25日 - 1975年5月10日)は日本のフランス文学者。日本学士院会員。ルネサンス期フランスのフランソワ・ラブレーやエラスムスなどの研究、及び『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の日本語訳で知られる。.

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渡辺武男

渡邊 武男(わたなべ たけお、1907年6月23日 - 1986年12月18日)は日本の地球科学者。専門は鉱床学、鉱物学。東京牛込生まれ。父は陸軍中将だった渡辺寿(わたなべ ひさし)である。.

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渡辺浩 (政治学者)

渡辺 浩(わたなべ ひろし、1946年 - )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員。専門は日本政治思想史、アジア政治思想史。丸山眞男に師事。.

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清宮四郎

清宮 四郎(きよみや しろう、1898年5月23日 - 1989年10月22日)は、日本の憲法学者。東北大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。美濃部達吉門下。宮沢俊義とともに戦後の憲法学界をリードした。日本学士院会員。.

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湯川秀樹

湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の理論物理学者。 京都府京都市出身。 原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより、湯川の理論の正しさが証明され、これにより1949年(昭和24年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。 京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。.

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源了圓

源 了圓(みなもと りょうえん、1920年7月27日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本思想史。東北大学名誉教授。日本学士院会員。.

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満屋裕明

満屋 裕明(みつや ひろあき、1950年8月9日 - )は、日本のウイルス学者。熊本大学医学部内科学の教授。アメリカ国立がん研究所内科療法部門レトロウイルス感染症部部長。国立国際医療研究センター臨床研究センター長(2012年-)。HIV治療薬の研究を行っている。 1985年、アメリカ国立衛生研究所で世界初のHIV治療薬「AZT」を開発した。同年にAZT開発について論文発表をしたが、アメリカでの特許は、実験に協力していたバローズ・ウェルカム社が、満屋に無断で取得してしまった2011年2月15日の朝日新聞朝刊23面。満屋は同社が高価格でAZTを売り出したことに怒り、さらに新しいHIV治療薬の研究に励んだ。その結果、世界で2番目と3番目のHIV治療薬(「ddI (en:Didanosine)」と「ddC (en:Zalcitabine)」)も満屋が開発した。なお、満屋がライセンスを企業に与える際には、適切な価格での販売を条件にしている。 2006年には、アメリカの研究者との共同研究で開発したHIV治療薬「ダルナビル (en:Darunavir)」が、途上国が特許料を払わずに使える医薬品として世界で初めて国連の機関に登録された。 2007年には紫綬褒章を受勲、2015年には日本学士院賞を受賞。.

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滋賀秀三

滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年(大正10年)5月1日 - 2008年(平成20年)2月25日)は、日本の東洋史学者、法制史学者。 山口県出身。東京帝国大学卒。1959年東京大学法学部教授。62年「中国家族法の原理」で東大法学博士。69年「中国家族法の原理」で日本学士院賞受賞。82年定年退官、名誉教授、千葉大学教授。87年退任。94年日本学士院会員。中国法制史専攻。.

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滋賀県出身の人物一覧

滋賀県出身の人物一覧(しがけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する滋賀県出身の人物の一覧表である。旧近江国の出身者も合わせて記述する。.

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滋賀県立膳所高等学校

滋賀県立膳所高等学校(しがけんりつ ぜぜこうとうがっこう, Shiga Prefectural Zeze High School)は、滋賀県大津市に所在する県立の高等学校である。.

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澤瀉久敬

澤瀉 久敬(おもだか ひさゆき、1904年8月7日 - 1995年2月26日)は、フランス哲学者。大阪大学名誉教授。.

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濱清

濱 清(はま きよし、1923年1月14日 - )は、日本の神経解剖学者。元岡崎国立共同研究機構長。日本学士院会員。.

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服部宇之吉

服部 宇之吉(はっとり うのきち、慶応3年4月30日(1867年6月2日) - 昭和14年(1939年)7月11日)は、中国哲学者。東京大学卒。東京帝国大学教授、ハーバード大学教授、東方文化学院院長などを歴任。帝国学士院会員。福島県出身。.

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服部四郎

服部 四郎(はっとり しろう、1908年5月29日 - 1995年1月29日)は、日本の言語学者。東京大学名誉教授。.

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朝永振一郎

朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 - 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の物理学者。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。超多時間論を基に繰り込み理論の手法を生み出し、量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞した。また、非摂動論の一般理論である中間結合理論は、物性や素粒子の状態を調べる基本手法となった。東京生まれで京都育ち。なお、朝永家自体は長崎県の出身。武蔵野市名誉市民。.

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木原均

木原 均(きはら ひとし、1893年10月21日 - 1986年7月27日)は、日本の遺伝学者。京都大学名誉教授。元国立遺伝学研究所所長。理学博士(京都帝国大学、1924年)。.

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木村健二郎

木村 健二郎(きむら けんじろう、1896年5月12日 - 1988年10月12日)は、日本の分析化学者。.

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木村資生

木村 資生(きむら もとお、1924年11月13日 - 1994年11月13日)は、日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞している。また、パフィオペディラムの育種家としても知られる。.

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木村龜二

木村 龜二(木村 亀二、きむら かめじ、1897年11月5日 - 1972年3月15日)は、日本の法哲学者、刑法学者。東北大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。法学博士。兵庫県出身。.

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末川博

末川 博(すえかわ ひろし、1892年(明治25年)11月20日 - 1977年(昭和52年)2月16日)は、日本の民法学者。日本学士院会員。立命館大学名誉総長。京都帝国大学教授、戦後に立命館大学学長・学校法人立命館総長を歴任。立命館では末川を名誉総長として顕彰している。長男は立命館大学名誉教授で歴史学者の末川清。清の妻は日本画家・橋本関雪の孫娘。勲四等瑞宝章(1942年)、従四位(1945年)。.

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末延三次

末延三次(すえのぶ さんじ、1899年12月5日 - 1989年7月24日)は、熊本県熊本市出身の英米法学者、東京大学名誉教授。.

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末綱恕一

末綱 恕一(すえつな じょいち、1898年(明治31年)11月28日 - 1970年(昭和45年)8月6日)は、日本の数学者。東京大学教授、日本学士院会員。.

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末永雅雄

末永 雅雄(すえなが まさお、1897年(明治30年)6月23日 - 1991年(平成3年)5月7日)は、日本の考古学者。橿原考古学研究所初代所長。関西大学名誉教授。文学博士(龍谷大学、1948年、学位論文「近畿古文化の研究」)。大阪府南河内郡狭山村(現・大阪狭山市)生まれ。日本学士院会員。文化勲章受章者。大阪狭山市名誉市民。奈良県明日香村名誉村民。.

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本多健一

本多 健一(ほんだ けんいち、1925年8月23日 - 2011年2月26日)は、日本の電気化学者。.

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本庶佑

本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年1月27日 - )は、日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。勲等は文化勲章。学位は医学博士(京都大学・1975年)。京都大学名誉教授・高等研究院特別教授、公益財団法人先端医療振興財団理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、日本学士院会員、文化功労者。 京都大学医学部副手、東京大学医学部助手、大阪大学医学部教授、京都大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学大学院医学研究科研究科長、京都大学医学部学部長、内閣府総合科学技術会議議員、静岡県公立大学法人理事長(第3代)などを歴任した。.

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本庄栄治郎

本庄 栄治郎(ほんじょう えいじろう、1888年2月28日 - 1973年11月18日)は日本の経済学者。専門は日本経済史。京都大学名誉教授。黒正巌など多数の学者を送り出した日本経済史研究の権威であった。1948年日本学士院会員、1965年文化功労者。.

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有馬朗人

有馬 朗人(ありま あきと、1930年9月13日 - )は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。勲等は旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。.

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望月新一

望月 新一(もちづき しんいち、1969年3月29日 - )は、日本の数学者。京都大学数理解析研究所教授。専門は数論幾何学、遠アーベル幾何学。 東京都出身、本籍は世田谷区。.

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望月拓郎

望月 拓郎(もちづき たくろう、1972年 - )は、日本の数学者。京都大学数理解析研究所教授。専門は代数幾何学、微分幾何学。長野県長野市出身。.

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戸田正三

戸田 正三(とだ しょうぞう、1885年4月9日 - 1961年11月20日)は、日本の衛生学者である。.

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我妻栄

我妻 榮(わがつま さかえ、1897年(明治30年)4月1日 - 1973年(昭和48年)10月21日)は、山形県米沢市出身の日本の民法学者。法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。.

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星野英一

星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。.

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明六社

明六社(めいろくしゃ)は、明治時代初期に設立された日本最初の近代的啓蒙学術団体。 明六雑誌。1874年(明治7年)発行の第十号.

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明治大学の人物一覧

明治大学の人物一覧(めいじだいがくのじんぶついちらん)は、明治大学に関係する人物の一覧を記す。 ※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する。.

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春日偉知郎

春日 偉知郎(かすが いちろう、1949年3月9日 - )は、日本の法学者。関西大学法科大学院教授。専門は民事訴訟法、国際民事手続法。関西大学大学院法務研究科教授、元慶應義塾大学法科大学院教授、筑波大学名誉教授。カンボジア王国友好勲章受章。.

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斎藤常三郎 (法学者)

斎藤 常三郎(さいとう つねさぶろう、1878年(明治11年)11月20日 – 1951年(昭和26年)7月22日) は、日本の法学者。和議法、破産法の権威者で、神戸商大、京都帝大の各教授、会津短大学長を歴任した。「和議制度の研究」で京都帝大法学博士、日本学士院会員。.

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斎藤修 (一橋大学)

斎藤 修(さいとう おさむ、1946年 - )は、日本の経済学者。専門は比較経済史、歴史人口学。一橋大学名誉教授、アメリカ芸術科学アカデミー外国人名誉会員、日本学士院会員。 埼玉県秩父郡生まれ、東京都大田区出身。速水融門下で、慶應義塾大学助教授、一橋大学教授、ケンブリッジ大学客員教授、慶應義塾大学特別招聘教授、一橋大学特任教授等を歴任。2010年日本学士院賞および紫綬褒章受章、2014年文化功労者。.

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斎藤勇 (イギリス文学者)

斎藤 勇(さいとう たけし、1887年2月3日 - 1982年7月4日)は、日本の英文学者。文化功労者、日本学士院会員。日本英文学会第3代会長(1938年 - 1941年)。東京女子大学学長(1948年 - 1954年)。東京帝国大学名誉教授、国際基督教大学名誉教授。文学博士。.

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斎藤真

斎藤 真(斎藤 眞、さいとう まこと、1921年(大正10年)2月15日 - 2008年(平成20年)1月16日)は、日本の政治学者、東京大学名誉教授。専門はアメリカ政治史。.

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斯波義信

斯波 義信(しば よしのぶ、1930年10月20日 - )は日本の歴史学者。専門は中国史、特に宋代の商業史、華僑・華人研究など。財団法人東洋文庫特別顧問、大阪大学名誉教授。2003年日本学士院会員。2006年文化功労者。2017年文化勲章。2018年唐奨。.

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新関良三

新関 良三(にいぜき りょうぞう、1889年8月4日 - 1979年4月27日)は、ドイツ文学者、演劇研究者。文化功労者。文学博士。.

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新開陽一

新開 陽一(しんかい よういち、1931年10月3日 - )は日本の経済学者。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。専門はマクロ経済学と国際経済学。経済学博士(大阪大学)(1960年)。大阪府堺市出身。.

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新潟大学の人物一覧

新潟大学の人物一覧は新潟大学に関係する人物の一覧記事。.

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新潟県立新潟高等学校の人物一覧

新潟県立新潟高等学校の人物一覧(にいがたけんりつにいがたこうとうがっこうのじんぶついちらん)とは、新潟県立新潟高等学校の主な出身者・関係者の一覧である。.

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新明正道

新明 正道(しんめい まさみち、1898年2月24日 - 1984年8月20日)は、日本の社会学者。独自の立場から綜合社会学を創設。東北大学社会学講座主任教授として、長らく日本の社会学をリードした。家永三郎の義父。.

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文化庁保管文化財一覧

文化庁保管文化財一覧(ぶんかちょうほかんぶんかざいいちらん)は、日本国の文化財保護法に基づき国宝または重要文化財に指定されている有形文化財のうち、同国の文化庁が保管するものの一覧である。.

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文部科学省

文部科学省(もんぶかがくしょう、略称:文科省(もんかしょう)、Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology、略称:MEXT)は、日本の行政機関の一つである。 「教育の振興および生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、学術、スポーツおよび文化の振興並びに科学技術の総合的な振興を図るとともに、宗教に関する行政事務を適切に行うこと」を任務とする(文部科学省設置法3条)。 中央合同庁舎第7号館東館に所在している。2004年(平成16年)1月から2008年(平成20年)1月までの期間、新庁舎への建替え・移転のため丸の内の旧三菱重工ビルを「文部科学省ビル」と改称して仮庁舎としていた(その後、同ビルは丸の内二丁目ビルに改称され、みずほフィナンシャルグループの本社を経て、現在は東京商工会議所として使用されている)。.

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文部省

文部省(もんぶしょう、Ministry of Education, Science and Culture)は、かつて存在した日本の行政機関の1つで、教育、文化、学術などを担当していた。2001年(平成13年)の中央省庁再編にともない、総理府の外局であった科学技術庁と統合し文部科学省となった。日本以外の国で教育行政を担当する官庁は、文部省と訳されることがある。しかし、多くは「教育」と訳されることが多く「文部」が使われることはない(教育省を参照)。.

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日本の国家機関

ここでは日本の国家機関(にほんのこっかきかん)について説明する。.

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日本の行政機関

日本の行政機関(にほんのぎょうせいきかん)では、日本の国の行政事務を担当する行政機関について解説する。 国の行政機関としては、内閣府、省、'''委員会'''、庁などが挙げられる。国の行政機関は、地方公共団体(地方政府)と対比して、'''中央官庁'''、中央省庁(あるいは単に省庁)、府省と呼ばれる。.

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日本学士院

日本学士院(にっぽんがくしいん、)は、日本学士院法(以下「法」)に基づいて設置されている日本の国立アカデミーであり、文部科学省の特別の機関である。1879年に東京学士会院として発足し、その後帝国学士院に改組された。太平洋戦争後に日本学士院となり現在に至る。.

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日本学士院学術奨励賞

日本学士院学術奨励賞(にっぽんがくしいんがくじゅつしょうれいしょう)とは日本学士院の賞である。日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。日本学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。日本学士院学術奨励賞は若手研究者を顕彰して今後の研究を奨励することを目的として、2004年に創設された。受賞者は、独立行政法人日本学術振興会の日本学術振興会賞受賞者の中から選ばれる。.

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日本学士院エジンバラ公賞

日本学士院エジンバラ公賞(にほんがくしいんエジンバラこうしょう)とは日本学士院の賞である。自然保護、種の保全の基礎となる優れた学術研究に対して隔年に1件授与される。1987年創設。エジンバラ公フィリップ(当時イギリス女王エリザベス2世王配)が日本学士院の名誉会員となったことにちなんで創設された。 日本学士院は学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。学士院による賞は、日本の学術賞としては最も権威ある賞である。.

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日本学士院賞

日本学士院賞(にっぽんがくしいんしょう, Japan Academy Prize)は、日本学士院が授与する1911年創設の賞。日本の学術賞としては最も権威ある賞である。毎年9件以内授賞する。 日本学士院は、学術上特にすぐれた論文、著書その他の研究業績に対する授賞事業を行っている(日本学士院法第8条1項1号)。1947年の第37回まで名称は「帝国学士院賞」であった。本来は恩賜賞とは別個の賞であったが、1970年からは日本学士院賞の中から特に優れた各部1件乃至2件以内に恩賜賞も授賞されるものとなっている。.

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日本学術会議

日本学術会議(にほんがくじゅつかいぎ、英語:Science Council of Japan、略称:SCJ)は、日本の国立アカデミーであり、内閣府の特別の機関の一つである。日本の科学者の内外に対する代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする(日本学術会議法第2条)。.

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日本学術振興会賞

日本学術振興会賞(にほんがくじゅつしんこうかいしょう)は、日本学術振興会が運営する、若手科学者を対象とした賞。受賞者は大学等で基礎研究を行う研究者の中でも将来を嘱望されている層が多く、レベルが高い。日本IBM科学賞と受賞者層が重複しているが、日本IBM科学賞では対象となっていない人文・社会系や生物系も対象となっている。他に若手科学者向けの賞としては、文部科学大臣表彰の若手科学者賞というものもあるが、こちらは対象年齢が低く、まだ無名の研究者も多く含まれることから、受賞者層はかなり異なる。 例年春に推薦を募集しており、大学等の機関からの推薦と、個人研究者からの推薦が可能。受賞発表の資料によると、日本学術振興会の学術システム研究センターにおいて予備審査を行ったのち、審査会で本審査を行うとのことである。審査委員には、江崎玲於奈、野依良治などノーベル賞受賞者が名を連ね、将来のノーベル賞受賞者を発掘するという賞の意気込みが感じられる。 授賞式は、例年3月頃に日本学士院で行われており、秋篠宮文仁親王、同妃紀子が列席する。.

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日本工学アカデミー

公益社団法人日本工学アカデミー(にほんこうがくあかでみー、英文:The Engineering Academy of Japan、英語略称:EAJ)は、日本の学界、産業界、国の機関などで工学・科学技術に顕著な貢献をし、広範な識見を持つ指導的会員によって組織されていて、工学・科学技術全般の進歩に貢献するために1987年に設立された。 国際工学アカデミー連合(英文:International Council of Academies of Engineering and Technological Sciences Inc.、英文略称:CAETS)の会員である。.

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日本芸術院

日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術院、英語:The Japan Art Academy)は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関で、文化庁の特別の機関である。.

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日本数学会

一般社団法人 日本数学会(いっぱんしゃだんほうじんにほんすうがっかい、The Mathematical Society of Japan、略称: MSJ)は、1877年(明治10年)に設立された東京数学会社を起源とする1946年(昭和21年)に設立された学会である。数学の研究に関する交流の場であり、数学を一般社会へ普及することを図る。また、関係諸方面と協力して学術文化の向上発展に寄与することを目的とする。会員約 5,000 名を擁する組織である。日本国内および国際的に、数学の進歩・発展のために力をつくしている。.

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早石修

早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015年12月17日 朝日新聞 2015年12月19日閲覧)は、日本の医師、医学者。専門は生化学、医化学。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所理事長。医学博士(1949年、大阪大学)。アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。京都大学医学部医化学教室の主任教授として、多くの研究者を育てたことで知られる。.

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早稲田大学の人物一覧

早稲田大学の人物一覧(わせだだいがくのじんぶついちらん)は、早稲田大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く))。.

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早稲田大学大学院法務研究科

早稲田大学大学院法務研究科(わせだだいがく だいがくいんほうむけんきゅうか、英語: Waseda Law School)は、早稲田大学に設置されている法科大学院である。大学内での通称は法務研(ほうむけん)。高い法曹養成実績から、東京大学、京都大学、一橋大学、慶應義塾大学、中央大学、神戸大学とともに、トップスクール7校で先導的法科大学院懇談会(LL7)を構成している。.

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早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧

早稲田大学高等学院・中学部の人物一覧(わせだだいがくこうとうがくいんのじんぶついちらん) 早稲田大学高等学院・中学部の主な出身者・教員・関係者など。.

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愛知県立明和高等学校

愛知県立明和高等学校(あいちけんりつ めいわこうとうがっこう, Aichi Prefectural Meiwa High School)は、愛知県名古屋市東区白壁二丁目に所在する県立高等学校。.

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教育関係記事一覧

教育関係記事一覧 このページの目的は、教育に関係するすべてのウィキペディアの記事の一覧を作ることです。そういうわけですから、この話題に興味のある方はサイドバーの"リンク先の更新" をクリックすることで、教育関係の記事に与えられた変更を見ることが出来ます。 いささかなりとも教育に関するものは、全てこの一覧に載せられるべきです。ただし、下位の一覧系記事にある記事は関係が深い物以外は記載しませんし、リダイレクトも記載しませんので、個別の学校記事などのもっとよいリストについては、他の一覧を見てください。 一覧は、必ずしも完全ではなく、また古いものです──本来ここにあるべきなのに載せられていない(またはふさわしくないのに載せられている)記事を見つけたら、どうぞこのページに変更を加えてください。 Portal:教育/執筆依頼の「一般」と「教育史」はこの一覧の赤リンクと同じにしています。この一覧に追加した場合は、テンプレートにも追加をお願いします。 分類は、適宜、再編されて構いません。新しく記事を掲載しようとしたときに妥当な分類がない場合は、新しく作ってください。また自分で分類できない記事は、この一覧の末尾の未分類に登録してください。.

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教育関係記事一覧 (五十音順)

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慶應義塾大学の人物一覧

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手塚富雄

手塚 富雄(てづか とみお、1903年11月29日 - 1983年2月12日)は日本のドイツ文学者。.

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1879年

記載なし。

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1901年

20世紀最初の年である。.

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1947年

記載なし。

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