ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

戦史叢書

索引 戦史叢書

『戦史叢書』(せんしそうしょ、英題Senshi sôsho)とは防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)によって1966年(昭和41年)から1980年(昭和55年)にかけて編纂され、朝雲新聞社(あさぐもしんぶんしゃ)より刊行された公刊戦史である。A5版、各巻500-600頁、定価2200~4200円。.

1010 関係: 加賀 (空母)加藤良之助加来止男労山 (運送艦)城英一郎原忠一原剛 (軍事史家)原田宇一郎厳島 (敷設艦)い号作戦十・十空襲十勝連隊区占守 (海防艦)占守島の戦い千代田 (空母)千鳥 (隼型水雷艇)千葉県の軍事遺跡一覧千葉連隊区千歳 (空母)南号作戦南寧作戦南京城攻略要領南京事件 (1937年)南京戦南雲忠一南機関南方作戦叢雲 (吹雪型駆逐艦)叢書古賀峯一古鷹 (重巡洋艦)台湾沖航空戦友知 (海防艦)名古屋連隊区吹雪 (吹雪型駆逐艦)吹雪型駆逐艦坊ノ岬沖海戦堺連隊区堀内豊秋堀栄三塩屋 (軽質油運搬艦)塘沽協定壱岐 (戦艦)壱岐 (海防艦)多号作戦多摩 (軽巡洋艦)夏島 (敷設艇)夏島型敷設艇大川内傳七大井篤...大井海軍航空隊大分連隊区大刀洗陸軍飛行学校大田実大牟田空襲大鳳 (空母)大鷹 (空母)大阪連隊区大陸打通作戦大林末雄大東 (海防艦)大東亜戦争大正12年度艦艇補充計画大泊 (砕氷艦)大津 (海防艦)大津連隊区大湊海軍航空隊大指 (標的艦)大日本帝国陸軍連隊一覧大日本帝国海軍大日本帝国海軍艦艇要目解説天城 (雲龍型空母)天城 (未成空母)天龍 (軽巡洋艦)天龍型軽巡洋艦天津風 (陽炎型駆逐艦)太原作戦太平洋戦争夕張 (軽巡洋艦)夕凪 (2代神風型駆逐艦)夕立 (白露型駆逐艦)夕雲型駆逐艦奈良連隊区奈良海軍航空隊奄美 (海防艦)姫路連隊区姫路海軍航空隊宝塚海軍航空隊室蘭艦砲射撃室津 (海防艦)室戸 (給炭艦)室戸型給炭艦宮城事件宮崎連隊区宿毛海軍航空隊宜昌作戦宇佐海軍航空隊宇都宮連隊区宇都宮陸軍飛行学校安里寧海 (巡洋艦)対馬 (海防艦)対馬丸富山連隊区小川貫爾小倉連隊区尻矢 (給油艦)尖閣諸島戦時遭難事件山口連隊区山形連隊区山風 (海風型駆逐艦)山本善雄岐阜連隊区岐阜陸軍飛行学校岐阜陸軍航空整備学校岡山連隊区岡崎海軍航空隊岡新岩国連隊区岩淵三次峯風型駆逐艦島風 (島風型駆逐艦)崑崙関の戦い川井巌川内 (軽巡洋艦)川内型軽巡洋艦巨済 (敷設艇)上阪香苗上海派遣軍戦闘序列上海海軍特別陸戦隊上海海軍航空隊帝洋丸 (タンカー)師団師管師管区司令部師管区部隊中原会戦中山定義中津連隊区中澤佑中支那方面軍戦闘序列串本海軍航空隊常徳殲滅作戦万朶隊三式戦闘機三隈 (重巡洋艦)三船殉難事件三重海軍航空隊下志津陸軍飛行学校下村正助一式機動四十七粍速射砲一刀正伝無刀流一〇〇式司令部偵察機九九式襲撃機平島 (敷設艇)平島型敷設艇平戸 (海防艦)平海 (巡洋艦)幹部候補生 (日本軍)久留米連隊区乙型魚雷艇京都連隊区広安門事件広島連隊区井上仁郎井浦祥二郎廊坊事件仙台連隊区仙台陸軍飛行学校伊号第十三潜水艦伊号第十二潜水艦伊号第十五潜水艦 (2代)伊号第十五潜水艦 (初代)伊号第十四潜水艦伊号第三百七十四潜水艦伊号第三百五十一潜水艦伊号第三百五十二潜水艦伊号第一潜水艦 (2代)伊号第一潜水艦 (初代)伊号第二百七潜水艦伊号第二百三潜水艦伊号第二百一潜水艦伊号第二百二潜水艦伊号第二百五潜水艦伊号第二百八潜水艦伊号第二百六潜水艦伊号第二百四潜水艦伊号第四百七潜水艦伊号第四百二潜水艦伊号第四百五潜水艦伊号第四百四潜水艦伊四百型潜水艦伊良湖 (給糧艦)伊集院松治伏見宮博恭王弥生 (睦月型駆逐艦)弘前連隊区佐多 (給油艦)佐世保海軍航空隊佐伯海軍航空隊佐賀連隊区佐藤康夫佐渡 (海防艦)御蔵 (海防艦)徳島連隊区徳島海軍航空隊後套進攻作戦保科善四郎志自岐 (給油艦)土浦海軍航空隊地区特設警備隊北橘村北支那方面軍戦闘序列ナーワル (潜水艦)ナボイの戦いペダル作戦ミンドロ島の戦いミンダナオ島の戦いミッドウェー海戦ミ船団ノモンハン事件マリアナ・パラオ諸島の戦いマリアナ諸島空襲マリアナ沖海戦マル1計画マル2計画マル3計画マル4計画マル5計画マル6計画マル追計画マル臨計画マル急計画マレー作戦ノーチラス (潜水艦)マーシャル・ギルバート諸島機動空襲マニラの戦い (1945年)マキン奇襲バンパー (潜水艦)バーニー作戦ポートモレスビー作戦メリディアン作戦モロタイ島の戦いラバウル空襲ラムリー島の戦いラビの戦いラエ・サラモアの戦いリンガ泊地ルンガ沖航空戦ルソン島の戦いレイテ沖海戦ロブソン作戦ボルネオの戦いボーフィン (潜水艦)トランサム作戦トラック島空襲ブーゲンビル島の戦いパラオ大空襲パルラーダ (防護巡洋艦)ヒ40船団ヒ71船団ヒ81船団ヒ86船団ヒ87船団ヒ船団ビルマの戦いビアク島の戦いビコール支隊ビスマルク海海戦ビサヤ諸島の戦いテ04船団フロリダ諸島の戦いフィリピンの戦い (1941-1942年)フィリピンの戦い (1944-1945年)ドイッチュラント (装甲艦)ドイッチュラント級装甲艦ニューギニアの戦いニュージョージア島の戦いホーランジアの戦いダニエルズ・プランベラ湾夜戦初島型電纜敷設艇初鷹 (急設網艦)初鷹型急設網艦初雪 (吹雪型駆逐艦)初春型駆逐艦善通寺連隊区呉海軍航空隊和歌山連隊区和浦丸アメリア・イアハートアルゴノート (SS-166)アンガウルの戦いアッツ島の戦いアッツ島沖海戦アドミラルティ諸島の戦いアイタペの戦いアストリア (重巡洋艦)イラワジ会戦イル川渡河戦インディペンデンス (CVL-22)インディアナポリス (重巡洋艦)ウェーク島の戦いウォッチタワー作戦エンプレス・オブ・エイジアエセックス (空母)オンボード作戦カボット (空母)カディーブ・イスマイルガダルカナル島の戦いギルバート諸島沖航空戦クラ湾夜戦クレヴァル (潜水艦)クレ環礁グラニオン (潜水艦)グロスター岬ケ号作戦コロンバンガラ島沖海戦ショートランド諸島シッタン作戦シ江作戦ジャンボリー作戦スペードフィッシュ (潜水艦)スマラン事件スラバヤ沖海戦スールー諸島の戦いスカベンジャー作戦スケート (潜水艦)ソロモン諸島の戦いタ弾サラワケット越えサボ島沖海戦冬季攻勢 (1939-1940年)冲鷹 (空母)冀察政務委員会冀東防共自治政府出水海軍航空隊函館連隊区八丈 (海防艦)八代連隊区八八艦隊案八六艦隊案八四艦隊案八重山 (敷設艦)六六艦隊計画六郷飛行場六連 (海防艦)兵学光延東洋前島 (敷設艇)前橋連隊区剣埼 (給油艦)剣埼型潜水母艦剣号作戦勝力 (敷設艦)国後 (海防艦)国民義勇隊四式肉薄攻撃艇四式戦闘機倉橋 (海防艦)倉敷海軍航空隊矢風 (標的艦)矢野志加三知床 (給油艦)知床型給油艦石埼 (敷設艇)石垣 (海防艦)石廊 (給油艦)石見 (戦艦)球磨 (軽巡洋艦)球磨型軽巡洋艦睦月型駆逐艦硫黄島の戦い磯風型駆逐艦神威 (水上機母艦)神川丸 (特設水上機母艦)神風型駆逐艦 (2代)神鷹 (空母)神重徳神戸連隊区祥鳳 (空母)福山連隊区福岡大空襲福岡連隊区福島連隊区福井重記福井連隊区福知山連隊区福田良三福江 (海防艦)秘匿飛行場秋田連隊区秋月 (駆逐艦)竹一船団竹永事件笠置 (空母)第102師団 (日本軍)第105師団 (日本軍)第10飛行師団 (日本軍)第13飛行師団 (日本軍)第161師団 (日本軍)第1航空軍 (日本軍)第1挺進集団第2飛行師団 (日本軍)第2航空軍 (日本軍)第3503船団第3530船団第3飛行師団 (日本軍)第3航空軍 (日本軍)第41軍 (日本軍)第4611船団第4飛行師団 (日本軍)第4航空軍 (日本軍)第59師団 (日本軍)第5飛行師団 (日本軍)第5航空軍 (日本軍)第6飛行師団 (日本軍)第6航空軍 (日本軍)第7飛行師団 (日本軍)第96師団 (日本軍)第十号海防艦第十三号駆潜艇第十三号輸送艦第十一号海防艦第十一航空隊第十九号掃海艇第十二号海防艦第十二航空隊第十五号駆潜艇第十八号海防艦第十六号輸送艦第十六号海防艦第十四号駆潜艇第十四号海防艦第七号駆潜艇第七号輸送艦第七号海防艦第七三二海軍航空隊第七六三海軍航空隊第七六二海軍航空隊第七六五海軍航空隊第七〇六海軍航空隊第三十七号哨戒特務艇第三十三号哨戒特務艇第三十一号哨戒特務艇第三十一航空隊第三十一戦隊第三十二号哨戒特務艇第三十八号哨戒特務艇第三十六航空隊第三十四号哨戒特務艇第三号哨戒特務艇第三号海防艦第三三二海軍航空隊第三一海軍航空隊第三二一海軍航空隊第三二海軍航空隊第三五二海軍航空隊第三八一海軍航空隊第三〇二海軍航空隊第一号型哨戒特務艇第一号型駆潜特務艇第一号型魚雷艇第一号型掃海特務艇第一号型敷設特務艇第一号哨戒特務艇第一号駆潜特務艇第一号輸送艦第一号海防艦第一吉田丸第一七一海軍航空隊第一三三海軍航空隊第一三二海軍航空隊第一三海軍航空隊第一一海軍航空隊第一二海軍航空隊第一五三海軍航空隊第一四一海軍航空隊第一次ベララベラ海戦第一次長沙作戦第九十号哨戒特務艇第九十三号哨戒特務艇第九十一号哨戒特務艇第九十二号哨戒特務艇第九号駆潜艇第九号海防艦第九三一海軍航空隊第九三八海軍航空隊第九五八海軍航空隊第二十号掃海艇第二十号海防艦第二十七号哨戒特務艇第二十一号掃海艇第二十二号掃海艇第二十二号海防艦第二十五号哨戒特務艇第二十六号哨戒特務艇第二号哨戒特務艇第二号駆潜特務艇第二号輸送艦第二号海防艦第二一〇海軍航空隊第二二一海軍航空隊第二五六海軍航空隊第二五四海軍航空隊第二六三海軍航空隊第二六一海軍航空隊第二六五海軍航空隊第二〇五海軍航空隊第二航空戦隊第二次上海事変第二次世界大戦第二次世界大戦の影響第二次ロンドン海軍軍縮会議第二次ベララベラ海戦第二次ソロモン海戦第二次長沙作戦第五十一戦隊第五十五号哨戒特務艇第五十八号駆潜艇第五十四号哨戒特務艇第五号駆潜艇第五号海防艦第五三一海軍航空隊第五二三海軍航空隊第五二一海軍航空隊第五〇三海軍航空隊第五〇二海軍航空隊第五軍戦闘序列第五航空隊第八十五号哨戒特務艇第八十六号哨戒特務艇第八十四号哨戒特務艇第八号駆潜艇第八号輸送艦第八号海防艦第六十号型駆潜艇第六十号駆潜艇第六十三号駆潜艇第六十一号駆潜艇第六十五号哨戒特務艇第六十六号哨戒特務艇第六十四号哨戒特務艇第六号駆潜艇第六号海防艦第六三一海軍航空隊第六五二海軍航空隊第六〇一海軍航空隊第四十航空隊第四号哨戒特務艇第四号駆潜艇第四号海防艦第百十号哨戒特務艇第百十一号哨戒特務艇第百七十七号哨戒特務艇第百七十三号哨戒特務艇第百七十三号駆潜特務艇第百七十九号哨戒特務艇第百七十五号哨戒特務艇第百七十八号哨戒特務艇第百七十六号哨戒特務艇第百七十四号哨戒特務艇第百三十七号哨戒特務艇第百三十九号哨戒特務艇第百三十五号哨戒特務艇第百三十八号哨戒特務艇第百三十六号哨戒特務艇第百三十四号哨戒特務艇第百三号型駆潜特務艇第百一号型掃海特務艇第百一号輸送艦第百一航空戦隊第百九十三号哨戒特務艇第百九十一号哨戒特務艇第百九十二号哨戒特務艇第百二十三号哨戒特務艇第百二十二号哨戒特務艇第百五十号特設輸送艦第百五十三号哨戒特務艇第百五十二号哨戒特務艇第百五十五号哨戒特務艇第百五十六号哨戒特務艇第百五十四号哨戒特務艇第百八十号哨戒特務艇第百八十一号哨戒特務艇第百八号哨戒艇第百六十三号哨戒特務艇第百六十五号哨戒特務艇第百六十六号哨戒特務艇第百六十四号哨戒特務艇第百六号哨戒艇第百四十号哨戒特務艇筑波海軍航空隊篠山連隊区築城海軍航空隊粟国 (海防艦)網代 (敷設艇)美保海軍航空隊美濃部正翁英作戦翔鶴 (空母)真珠湾攻撃真鶴 (隼型水雷艇)猿島 (敷設艇)疾風 (2代神風型駆逐艦)瑞鳳 (空母)瑞鶴 (空母)生駒 (空母)田中頼三田結穣由利島 (敷設艇)甲型魚雷艇甲府連隊区甲木清実熊谷連隊区熊谷陸軍飛行学校熊本連隊区燕 (隼型水雷艇)燕 (敷設艇)燕型敷設艇照月 (駆逐艦)牧野明特別操縦見習士官特別攻撃隊特設警備隊特設護衛船団司令部特TL型独立混成第15連隊独立混成第44旅団 (日本軍)盛岡連隊区白城子陸軍飛行学校白神 (敷設艇)白菊 (航空機)白鷹 (水雷艇)白鷹 (急設網艦)白露型駆逐艦白雪 (吹雪型駆逐艦)白雲 (吹雪型駆逐艦)百団大戦百里原海軍航空隊隠岐 (海防艦)隠戸 (給油艦)隠戸型給油艦隼 (隼型水雷艇)隼 (鴻型水雷艇)隼型水雷艇芙蓉部隊鞍馬 (空母)鎮海海軍航空隊運航指揮官菊水作戦靖安軍青島 (運送艦)青森連隊区静岡連隊区風雲 (駆逐艦)飯田連隊区飛行場大隊飛行場設定隊飛龍 (空母)館山海軍航空隊館陶事件襟裳 (給油艦)西ノ宮海軍航空隊西浦進襄東会戦見島 (海防艦)香取 (練習巡洋艦)香椎 (練習巡洋艦)香港の戦い駐蒙兵団編組詫間海軍航空隊高岡連隊区高崎 (運送艦)高崎 (軽質油運搬艦)高知連隊区高田連隊区高瀬連隊区高松連隊区高波 (駆逐艦)警備隊区谷本馬太郎豊原連隊区豊田副武豊橋連隊区豊橋海軍航空隊鳥取連隊区鳩 (鴻型水雷艇)鳳翔 (空母)鳴戸 (給油艦)賓陽作戦賀谷與吉鴎 (隼型水雷艇)鴎 (敷設艇)鴻 (隼型水雷艇)鴻型水雷艇鴿 (隼型水雷艇)足摺 (軽質油運搬艦)鶴見 (給油艦)鶉 (隼型水雷艇)鷹島 (敷設艇)鷺 (隼型水雷艇)鷺 (鴻型水雷艇)鷂 (隼型水雷艇)鹿児島連隊区麻布連隊区軍学校黒島亀人龍田 (軽巡洋艦)龍田丸龍驤 (空母)龍鳳 (空母)追浜海軍航空隊錦江作戦能美 (海防艦)能登呂 (水上機母艦)舞鶴海軍航空隊舩坂弘航空兵団 (日本軍)鈴谷 (重巡洋艦)船舶運営会船舶警戒部蘭印作戦防備衛所防衛研究所防衛隊阿部善次赤城 (空母)赤城山丸鵯 (水雷艇)鵲 (隼型水雷艇)鵲 (鴻型水雷艇)鵜来 (海防艦)関東軍間宮 (給糧艦)葛城 (空母)葛城型スループ蒼鷹 (隼型水雷艇)蒼鷹 (急設網艦)蒼龍 (空母)那沙美 (敷設艇)那智 (重巡洋艦)蔚美 (海防艦)醍醐忠重野島 (給炭艦)野分 (陽炎型駆逐艦)野間 (給油艦)野村実野村直邦釧路連隊区臨時軍用気球研究会金沢連隊区長岡外史長崎連隊区長谷川清長野連隊区長良型軽巡洋艦長波 (駆逐艦)鉾田陸軍飛行学校若宮 (水上機母艦)若宮 (海防艦)若竹型駆逐艦若鷹 (急設網艦)若松連隊区雁 (隼型水雷艇)雁 (鴻型水雷艇)雲雀 (隼型水雷艇)雉 (隼型水雷艇)雉 (鴻型水雷艇)老河口作戦連隊区虎尾海軍航空隊陸軍兵器行政本部陸軍兵器本部陸軍管区表陸軍特殊船陸軍飛行戦隊陸軍航空審査部陸軍航空総監部陸軍航空通信学校陸軍航空技術研究所陸軍航空本部陸軍造兵廠陸軍機甲本部陸軍悪玉論陽炎型駆逐艦G14 (空母)GP55船団K作戦択捉 (海防艦)柏 (駆逐艦)柏飛行場柳 (桃型駆逐艦)柳澤蔵之助柳本柳作捷号作戦東京陸軍航空学校東光丸 (貨物船)松 (樺型駆逐艦)松型駆逐艦松山連隊区松山海軍航空隊松田千秋松輪 (海防艦)松輸送松江 (海防艦)松江連隊区杵埼 (給糧艦)杵埼型給糧艦村松連隊区杉 (松型駆逐艦)杉 (樺型駆逐艦)栗原悦蔵栄丸遭難事件桐 (樺型駆逐艦)桜型駆逐艦桃 (桃型駆逐艦)桃型駆逐艦桑名連隊区桂 (樺型駆逐艦)梅 (樺型駆逐艦)椿 (楢型駆逐艦)楠 (樺型駆逐艦)楢型駆逐艦楓 (樺型駆逐艦)榊 (樺型駆逐艦)榎 (楢型駆逐艦)榧 (松型駆逐艦)槇 (松型駆逐艦)槇 (楢型駆逐艦)横尾敬義横山一郎横山信義横須賀空襲横浜連隊区樫 (松型駆逐艦)樫 (桃型駆逐艦)樺 (樺型駆逐艦)樺型駆逐艦樺太の戦い (1945年)樅型駆逐艦樋口直橿丸橋本象造檜 (桃型駆逐艦)欅 (楢型駆逐艦)武蔵 (戦艦)武洲丸歩兵第170連隊歩兵第292連隊歩兵第293連隊歩兵第294連隊水戸連隊区江南作戦江南殲滅作戦江北作戦江北殲滅作戦江風型駆逐艦決号作戦河嶋修河和海軍航空隊河内 (戦艦)沖島 (海防艦)沖島 (敷設艦)沖縄 (海防艦)沖縄連隊区沖縄戦沖縄戦における集団自決波号第二百十七潜水艦波号第二百十三潜水艦波号第二百十一潜水艦波号第二百十九潜水艦波号第二百十二潜水艦波号第二百十五潜水艦波号第二百十八潜水艦波号第二百十六潜水艦波号第二百十四潜水艦波号第二百十潜水艦波号第二百七潜水艦波号第二百三十七潜水艦波号第二百三十三潜水艦波号第二百三十一潜水艦波号第二百三十九潜水艦波号第二百三十二潜水艦波号第二百三十五潜水艦波号第二百三十八潜水艦波号第二百三十六潜水艦波号第二百三十四潜水艦波号第二百三十潜水艦波号第二百三潜水艦波号第二百一潜水艦波号第二百九潜水艦波号第二百二十七潜水艦波号第二百二十三潜水艦波号第二百二十一潜水艦波号第二百二十九潜水艦波号第二百二十二潜水艦波号第二百二十五潜水艦波号第二百二十八潜水艦波号第二百二十六潜水艦波号第二百二十四潜水艦波号第二百二十潜水艦波号第二百二潜水艦波号第二百五潜水艦波号第二百八潜水艦波号第二百六潜水艦波号第二百四十七潜水艦波号第二百四十六潜水艦波号第二百四十潜水艦波号第二百四潜水艦波号第百十一潜水艦波号第百十二潜水艦波号第百十潜水艦波号第百七潜水艦波号第百三潜水艦波号第百一潜水艦波号第百九潜水艦波号第百二潜水艦波号第百五潜水艦波号第百八潜水艦波号第百六潜水艦波号第百四潜水艦津軽 (敷設艦)津軽要塞津連隊区洲埼 (給油艦)洲埼 (軽質油運搬艦)洲埼型給油艦淡路 (海防艦)渡野喜屋事件測天 (初代測天型敷設艇)測天 (敷設艇)測天型敷設艇済州 (敷設艇)湊慶譲満州 (通報艦)満州事変満州里会議満月 (駆逐艦)漢口大空襲漢口空襲 (1939年10月)漢水作戦澎湖 (敷設艇)服部卓四郎朝顔 (駆逐艦)朝雲新聞朝潮 (朝潮型駆逐艦)朝潮型駆逐艦木梨鷹一本土決戦本郷連隊区札幌連隊区挺進連隊有馬正文成生 (敷設艇)戦術戦闘詳報戸塚道太郎明号作戦明野陸軍飛行学校春風 (2代神風型駆逐艦)昭南 (海防艦)昭和2年度艦艇補充計画浦和連隊区浦風 (浦風型駆逐艦)浦波 (吹雪型駆逐艦)浦戸海軍航空隊浮島 (敷設艇)海の牙城海上護衛総司令部海上護衛隊海上機動旅団海風 (海風型駆逐艦)海風型駆逐艦海軍対潜学校海軍乙航空隊海軍国防政策委員会・第一委員会海軍設営隊海軍陸戦隊海軍根拠地隊海防艦海拉爾要塞浜田連隊区浜松連隊区浜波 (駆逐艦)新南 (海防艦)新井埼 (敷設艇)新竹空襲新発田連隊区新見政一日号作戦日ソ国境紛争日進 (水上機母艦)日本軍日本海軍空挺部隊日振 (海防艦)日昌丸早鞆 (給油艦)早潮 (駆逐艦)旭川連隊区摩耶 (重巡洋艦)改マル5計画散開線敦賀連隊区敷香町扶桑 (戦艦)所沢陸軍飛行学校怒和島 (敷設艇)時津風 (磯風型駆逐艦)1937年 インデックスを展開 (960 もっと) »

加賀 (空母)

加賀(かが)は、大日本帝国海軍の航空母艦#ポケット海軍年鑑(1935)p.42『航空母艦"加賀 かが" 全要目.

新しい!!: 戦史叢書と加賀 (空母) · 続きを見る »

加藤良之助

加藤 良之助(かとう りょうのすけ、1901年(明治34年)1月1日 - 1944年(昭和19年)5月31日公式には6月25日。)は、日本の海軍軍人。加藤は潜水艦を専門とする士官で、甲標的の開発にあたって性能実験を、また初期講習員に対しては技術指導を行った。太平洋戦争において潜水隊司令を歴任し、あ号作戦に関連した作戦行動でナ散開線にあった際に乗艦を撃沈され戦死。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と加藤良之助 · 続きを見る »

加来止男

加来 止男(かく とめお、1893年(明治26年)11月8日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。空母「飛龍」艦長をつとめ、ミッドウェー海戦で戦死した。.

新しい!!: 戦史叢書と加来止男 · 続きを見る »

労山 (運送艦)

労山(ろうざん/らうざん)は、日本海軍の運送艦。艦名は中国山東半島南岸の勞山湾に由来する。.

新しい!!: 戦史叢書と労山 (運送艦) · 続きを見る »

城英一郎

城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と城英一郎 · 続きを見る »

原忠一

原 忠一(はら ちゅういち、1889年(明治22年)3月15日 - 1964年(昭和39年)2月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と原忠一 · 続きを見る »

原剛 (軍事史家)

原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、日本の軍事史研究者、陸上自衛官。防衛省防衛研究所図書館調査員、軍事史学会副会長。最終階級は1等陸佐。専攻は日本軍事史(特に国土防衛史)。.

新しい!!: 戦史叢書と原剛 (軍事史家) · 続きを見る »

原田宇一郎

原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)10月16日 - 1973年(昭和48年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と原田宇一郎 · 続きを見る »

厳島 (敷設艦)

厳島 (いつくしま)は、日本海軍の敷設艦。 日本海軍の制式な名称では旧字体の嚴を使用するが#海軍制度沿革(巻8、1940)p.202『◎敷設艦嚴島命名ノ件 昭和二年十一月一日(達一二九)昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手スヘキ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 嚴イツク島シマ』、本項では厳島とする。.

新しい!!: 戦史叢書と厳島 (敷設艦) · 続きを見る »

い号作戦

い号作戦(いごうさくせん)とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第十一航空艦隊と第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。4月7日に実施された空襲は、大本営発表によってフロリダ沖海戦と呼称された。作戦名はいろは順の最初の文字にあやかって付けられた。.

新しい!!: 戦史叢書とい号作戦 · 続きを見る »

十・十空襲

十・十空襲(じゅう・じゅうくうしゅう)または沖縄大空襲(おきなわだいくうしゅう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)後期の1944年(昭和19年)10月10日に南西諸島の広い範囲でアメリカ海軍機動部隊が行った大規模な空襲。所在の日本軍艦船などに甚大な損害を与えるとともに、那覇市の市街地の大半が焼失するなど民間人にも大きな被害が出た。那覇市の空襲被害を特に那覇空襲と呼ぶこともある。日本軍の防衛態勢は不十分で、アメリカ艦隊に対する有効な反撃も行えなかった。.

新しい!!: 戦史叢書と十・十空襲 · 続きを見る »

十勝連隊区

十勝連隊区(とかちれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は十勝大隊区である。北海道の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は十勝連隊区司令部が執行した。1898年(明治31年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と十勝連隊区 · 続きを見る »

占守 (海防艦)

軍艦占守(しむしゅ)は、日本海軍の海防艦補助艦艇奮戦記242-244頁『占守(しむしゅ)』#達昭和14年11月p.10『達第百九十號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及昭和十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ海防艦一隻及驅逐艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年十一月六日 海軍大臣 吉田善吾  株式會社玉造船所ニ於テ建造 海防艦 占守(シムシユ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 浦風(ウラカゼ)』。.

新しい!!: 戦史叢書と占守 (海防艦) · 続きを見る »

占守島の戦い

占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 - 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された。.

新しい!!: 戦史叢書と占守島の戦い · 続きを見る »

千代田 (空母)

千代田(ちよだ)は、旧日本海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の二番艦として開発、後に甲標的母艦に改装し1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: 戦史叢書と千代田 (空母) · 続きを見る »

千鳥 (隼型水雷艇)

千鳥(ちどり)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の4番艇である。同名艇に千鳥型水雷艇の「千鳥」があるため、こちらは「千鳥 (初代)」や「千鳥I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と千鳥 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

千葉県の軍事遺跡一覧

千葉県の軍事遺跡一覧(ちばけんのぐんじいせきいちらん)は、かつて千葉県に存在していた軍事遺跡の一覧である。.

新しい!!: 戦史叢書と千葉県の軍事遺跡一覧 · 続きを見る »

千葉連隊区

千葉連隊区(ちばれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は佐倉大隊区である。千葉県全域の徴兵・召集等兵事事務を担任した。佐倉連隊区の名称で発足したが、1931年(昭和6年)からは千葉連隊区に改称された。1945年(昭和20年)、同域に千葉地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と千葉連隊区 · 続きを見る »

千歳 (空母)

千歳(ちとせ)は、大日本帝国海軍の水上機母艦、航空母艦。千歳型水上機母艦の一番艦として建造され、1943年に航空母艦に改造され、瑞鳳型航空母艦に加わった。.

新しい!!: 戦史叢書と千歳 (空母) · 続きを見る »

南号作戦

南号作戦(なんごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期に日本海軍の実施した資源輸送作戦のことである#叢書79中国方面海軍作戦(2)459-460頁『南号作戦』。1945年(昭和20年)1月下旬から3月下旬まで、シンガポール方面から日本本土へ向けて、10隊以上の護送船団を航行させたが、撃沈された船舶や艦艇も多い。.

新しい!!: 戦史叢書と南号作戦 · 続きを見る »

南寧作戦

南寧作戦(なんねいさくせん)とは、日中戦争中の1939年11月15日から12月1日までの間、「援蒋ルート」の遮断を目的として広西省の南寧を攻略した日本軍の作戦である。中国側呼称は桂南会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と南寧作戦 · 続きを見る »

南京城攻略要領

南京城攻略要領(なんきんじょうこうりゃくようりょう)は、支那事変中の1937年(昭和12年、民国25年)12月7日、中支那方面軍が南京攻略戦にあたり隷下の部隊へ示達した文である。不法行為を厳禁し、諸外国の権益の保護することなどを求めている。.

新しい!!: 戦史叢書と南京城攻略要領 · 続きを見る »

南京事件 (1937年)

南京事件(なんきんじけん)は、1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。「名称の種類と変遷」節で述べるように、南京大虐殺、南京大虐殺事件、南京虐殺事件など多様な呼称がある。 南京事件は、事件直後から欧米の報道機関によって報道されており、日本政府や日本軍の保存した公式文書の中にも事件直後に行為を認知したとことを傍証する文書が存在している。終戦後に行われた南京軍事法廷や極東国際軍事裁判では南京事件について裁かれた。その後も南京事件論争で述べるように、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している。 日本政府は、被害者の具体的な人数について政府としてどれが正しい数かを認定することは困難ではあるものの、日本軍の南京入城(1937年)後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないという歴史認識を示している。この事件については、事件の規模、虐殺の存否、戦時国際法違反か、犠牲者数などさまざまな論争が存在している(南京事件論争)。事件の真相はいまだ不明でありDavid M. Kennedy,,The Atlantic Monthly 281 (4): pages 110–116,April 1998.

新しい!!: 戦史叢書と南京事件 (1937年) · 続きを見る »

南京戦

南京戦(ナンキンせん、、英語:Battle of Nanking)は、日中戦争における戦闘の1つで、1937年(昭和12年)8月以降の上海戦の戦線が拡大し、12月に中華民国の首都南京で展開した。日本軍は中国軍を追撃し、南京を陥落させた。日本軍からは南京攻略戦。中国側からみて上海戦と南京戦を併せて上海南京保衛戰とする研究もある。 この戦闘の最中に南京事件(南京大虐殺)が発生したとされ、戦後南京軍事法廷や東京裁判で訴追された。ただし、事件の内実については論争がある(南京事件論争)。.

新しい!!: 戦史叢書と南京戦 · 続きを見る »

南雲忠一

南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。サイパン島の戦闘で自決し、一階級特進により、最終階級は海軍大将。.

新しい!!: 戦史叢書と南雲忠一 · 続きを見る »

南機関

南機関(みなみきかん)は、1941年から1942年にかけて存在した日本軍の特務機関の1つ。 機関長は鈴木敬司陸軍大佐である。ビルマ(現在のミャンマー)の独立運動の支援を任務とし、ビルマ独立義勇軍の誕生に貢献した。今日の日本とミャンマーとの友好関係の基礎を築いたとも評価される。.

新しい!!: 戦史叢書と南機関 · 続きを見る »

南方作戦

太平洋戦争開戦直前の各国の勢力圏 日本軍へ降伏するシンガポールのパーシヴァル司令官 日本軍の空襲を受け炎上する戦艦アリゾナ 南方作戦経過要図 南方作戦(なんぽうさくせん、Southern Operations)は、太平洋戦争緒戦における日本軍の東南アジア及び太平洋各地への攻略作戦である。1941年12月8日の英領マレーへの奇襲上陸をもって開始され、1942年5月のビルマ制圧をもって完了した。南方作戦はバターン半島でのアメリカ軍の抵抗を除けば計画を上回る早さで進行し、日本軍は作戦目標を完全に達成した。.

新しい!!: 戦史叢書と南方作戦 · 続きを見る »

叢雲 (吹雪型駆逐艦)

叢雲(むらくも)は大日本帝国海軍の吹雪型駆逐艦5番艦。叢雲の艦名は、帝国海軍の艦船として東雲型駆逐艦・叢雲に続いて2代目である。1929年(昭和4年)5月に竣工した。同型5-8番艦は艦名に雲がつき(叢雲、東雲、薄雲、白雲)、4隻は吹雪型駆逐艦の「雲級」とも呼ばれた。1942年(昭和17年)10月、サボ島沖海戦で沈没した重巡洋艦古鷹の乗員捜索後に米軍機の空襲を受けて大破し、雷撃処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と叢雲 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

叢書

叢書(そうしょ)とは、本のシリーズのことである。.

新しい!!: 戦史叢書と叢書 · 続きを見る »

古賀峯一

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。.

新しい!!: 戦史叢書と古賀峯一 · 続きを見る »

古鷹 (重巡洋艦)

古鷹(ふるたか)は大日本帝国海軍の古鷹型重巡洋艦1番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.2『軍艦|巡洋艦|一等|古鷹型|古鷹、加古』。艦名は江田島の海軍兵学校そばにある古鷹山に由来する。平賀譲造船官が設計し、世界で最初に20cm砲を搭載した巡洋艦となった#ポケット海軍年鑑(1935)p.27『一等巡洋艦"古鷹 ふるたか" 飛躍的進歩を遂げた我が造艦技術は、今や世界の驚異とされ1隻の艦艇が我に出現すれば忽ちそれは世界列強の注目研究するところとなる。就中この古鷹の出現ほど世界をあつと云はせたものはあるまい。實にこの艦の計畫された時などは外國人は口を揃へて、「わずか7,100噸の排水量の艦に20糎砲が6門その上に魚雷發射管が12門も積めるわけがない」と云つて信じなかつたものである。が「これですつかり出來上つたから見て呉れ」とばかりに大正15年3月竣工した古鷹を見せつけられた世界は二度吃驚した。計畫通りの兵装が施されてゐるばかりでなく、それまでの巡洋艦型を美事に脱却したスマートさ。即ち古鷹の出現は世界巡洋艦に大革新を齎したと共に日本人の偉大さを世界に再認識せしめたのである。』。1942年10月、サボ島沖海戦で沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と古鷹 (重巡洋艦) · 続きを見る »

台湾沖航空戦

台湾沖航空戦(たいわんおきこうくうせん、1944年10月12日 - 10月16日)は、太平洋戦争中の捷号作戦準備中に、台湾から沖縄にかけての航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊を、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。.

新しい!!: 戦史叢書と台湾沖航空戦 · 続きを見る »

友知 (海防艦)

友知(ともしり)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は御蔵型海防艦の19番艦艦艇類別等級別表上の通算番数。友知が艦艇類別等級に登載された1945年3月5日時点で淡路、日振、草垣の3隻が同表から削除済みのため、法令を厳密に捉えるなら16番艦だが、これら3隻を含めると通算で19番艦となる。。友知は、日立造船桜島造船所が手がけた最後の海防艦となった日立造船で建造が予定されていた予定艦名七発、鹿久居など11隻は、起工前に建造中止となった。(『日立造船百年史』、p.

新しい!!: 戦史叢書と友知 (海防艦) · 続きを見る »

名古屋連隊区

名古屋連隊区(なごやれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は名古屋大隊区である。当初は愛知県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は名古屋連隊区司令部が執行した。岐阜県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に名古屋地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と名古屋連隊区 · 続きを見る »

吹雪 (吹雪型駆逐艦)

吹雪(ふぶき)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 吹雪(フブキ)トス』。重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基と61センチ3連装魚雷発射管を中心に配備し9本の予備魚雷も搭載した)で凌波性に優れた本型の出現は、当時の列強海軍に衝撃をあたえた。吹雪は吹雪型(特型)駆逐艦の一番艦で、同時に「雪級」の一番艦。この名を持つ日本海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦の吹雪)。 吹雪は1942年10月11日のサボ島沖海戦で沈没し、吹雪型は「白雪型駆逐艦」と改名された#内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』。その後、「初雪型駆逐艦」として再登録された#内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』。.

新しい!!: 戦史叢書と吹雪 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

吹雪型駆逐艦

吹雪型駆逐艦(ふぶきがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。同型艦24隻。特型駆逐艦の名でも知られる。.

新しい!!: 戦史叢書と吹雪型駆逐艦 · 続きを見る »

坊ノ岬沖海戦

坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)は、1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和と護衛艦艇をアメリカ軍の空母艦載機との間で発生した戦闘昭和天皇実録九、636頁(戦艦大和沈没)。日本海軍が発動した天一号作戦の一環として第一遊撃部隊(第二艦隊のうち、戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、アメリカ海軍第58任務部隊の空母艦載機がそれを迎撃した。大和以下6隻が沈没(沈没〈大和・矢矧・朝霜・浜風〉・自沈〈磯風・霞〉)。日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。.

新しい!!: 戦史叢書と坊ノ岬沖海戦 · 続きを見る »

堺連隊区

堺連隊区(さかいれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。大阪府・兵庫県・和歌山県の一部の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は堺連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)、大阪連隊区に統合され廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と堺連隊区 · 続きを見る »

堀内豊秋

堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年(明治33年)9月27日 - 1948年(昭和23年)9月25日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と堀内豊秋 · 続きを見る »

堀栄三

堀 栄三(ほり えいぞう、1913年(大正2年)10月16日 - 1995年(平成7年)6月5日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。階級は陸軍中佐、陸将補。 正確な情報の収集とその分析という過程を軽視する大本営にあって、情報分析によって米軍の侵攻パターンを的確に予測したため、「マッカーサー参謀」とあだ名された。戦中の山下奉文陸軍大将、そして戦後海外の戦史研究家にもその能力を高く評価されている。 参議院議員、国土交通大臣(2011年4月 - 2012年6月)の前田武志は堀の甥である。.

新しい!!: 戦史叢書と堀栄三 · 続きを見る »

塩屋 (軽質油運搬艦)

塩屋(しおや)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である足摺型給油艦の2番艦。艦名は福島県小名浜港の北東にある塩屋埼による。.

新しい!!: 戦史叢書と塩屋 (軽質油運搬艦) · 続きを見る »

塘沽協定

塘沽協定(とうこきょうてい)は、1933年(昭和8年)5月31日、河北省塘沽において日本軍と中国軍との間に締結された停戦協定である。これにより柳条湖事件に始まる満州事変の軍事的衝突は停止された。塘沽停戦協定とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と塘沽協定 · 続きを見る »

壱岐 (戦艦)

壱岐(いき)は、日本海軍の戦艦(のち海防艦)#海軍制度沿革(巻8、1940)第199コマ『◎戰利軍艦石見壹岐沖島見島命名ノ件 明治三十八年六月六日(達七三) 戰利軍艦「アリヨール」外三隻左ノ通命名セラル|戰艦「アリヨール」 石イハ見ミ|戰艦「インペラートルニコライ」第一世 壹イ岐キ|海防艦「ゲネラルアドミラル、アプラキシン」 沖オキノ島シマ|海防艦「アドミラル、セニヤーウヰン」 見ミ島シマ』#海軍制度沿革(巻8、1940)第53コマ『◎艦艇類別等級 明治三十八年十二月十二日(達一八二)艦艇類別等級別表中左ノ通定ム(別報)|軍艦|海防艦|一等|鎮遠、壹岐、|』。 艦名は、旧国名「壱岐国」に因む#幕末以降帝国軍艦写真と史実第67コマ(原本100頁)『壹岐(いき) 艦種二等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、壹岐國に採る。艦歴舊露國軍艦、艦名「インペラートル・ニコライ」第一世。露國聖夜得堡造船所建造、明治21年進水。日露戰役中「バルチック」艦隊の一艦として、日本海々戰に戦果、明治38年5月28日竹島の南南西約18浬の地點に於て我が艦隊之を捕獲す、露國第三艦隊第三戰隊司令官「ネボガトフ」少将の旗艦たり。同年6月6日帝國海軍艦と定め「壹岐」と命名、同年12月一等海防艦に編入、大正4年5月1日除籍。― 要目 ― 長333.4呎/幅67.0呎/吃水24.0呎/排水量9,672噸/機關 直立三聯成機2基 ベルビル罐/馬力8,000/速力15.5/乗組人員600/船材 鋼(甲帶14吋)/兵装 12吋砲2/6吋砲6/4.7吋砲6/其他輕砲|起工(記載なし)/進水 明治23-10/竣工(記載なし)/建造所 露國セント・ピータースブルグ』。日本海軍の法令上は旧字体の壹岐だが、本項目では壱岐と表記する。 1915年(大正4年)10月4日、裕仁親王(のち昭和天皇)および東郷平八郎元帥が観戦する中(御召艦榛名)、標的艦として撃沈処分された#東郷全集1巻コマ319-320(原本613-614頁)『此の時第一艦隊は、伊勢灣外に於て廢艦壹岐(元の露艦「ニコライ」一世にして、日本海々戰の際我に降伏したるものなり。其の排水量噸數九六七二。)を標的として戰闘射撃を試みることゝなり東宮殿下には之を臺覽あらせらるゝ爲め、同月一日鶴駕東京を發し、熱田神宮に御参拝の後名古屋沖に碇泊せる第一艦隊の巡洋戰艦榛名はるな(排水量噸數二七五〇〇、速力二七、五)に御乗艦遊ばされ、供奉員の外に東郷元帥も小笠原幹事と共に之に陪乗せり。』#東郷全集1巻コマ319-320(原本613-614頁)『射撃は四日午前に於て遺憾なく施行せられたり。之に先だつて標的艦壹岐は他艦に曳かれつゝ御召艦の近傍を過ぎ行きぬ。時に殿下は武官等を随へ給ひて後甲板にあらせられしが、東郷總裁は恭しく御前に進み、重々しき口を開きて、壹岐の前身たる露艦「ニコライ」一世の日本海に於ける戰況、竝に遂に鬱陵島附近に於て我が艦隊の爲めに包圍せられ、他の三艦と共に降旗を掲げたる其の顛末を御説明申上げ、猶ほ同艦は皇國の艦籍に入りてより盡す所尠からず、今は亦射撃の標的となり、實驗上に貢献する所あらんとする旨を言上せり 此の時元帥は思はず海戰當時を追憶してや、沈箸なる其の面上にも痛烈の氣漂ひ、三笠艦上に立てる面影を髣髴し來れり。(以下略)』。.

新しい!!: 戦史叢書と壱岐 (戦艦) · 続きを見る »

壱岐 (海防艦)

壱岐(いき)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の6番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の10番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、ロシアからの戦利艦である戦艦壱岐に続いて二代目。.

新しい!!: 戦史叢書と壱岐 (海防艦) · 続きを見る »

多号作戦

多号作戦(たごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)終盤のフィリピンの戦いで戦史叢書54巻445頁「一 全般経過の概要」「米軍レイテ、ミンドロに上陸」、日本陸軍と日本海軍が協同で実施したレイテ増援輸送作戦のこと戦史叢書93巻51頁「レイテ戦局の悪化と第一師団の緊急輸送/レイテ増援輸送作戦を多号作戦と呼称」日本水雷戦史548-549頁「多号第二~四次船団」。 主な揚陸地の名をとりオルモック輸送作戦とも呼ばれる。連合国側の名称はオルモック湾海戦。 1944年(昭和19年)10月末から12月上旬まで、レイテ島地上戦にともなうレイテ島西岸オルモックへの増援部隊輸送を第1次(当初は鈴二号作戦と呼称)から第9次作戦まで繰り返した戦史叢書54巻448-449頁「増援兵力の輸送」。第10次作戦も予定していたが、12月15日の連合軍ミンドロ島上陸にともなうミンドロ島地上戦の生起により、多号作戦は中止された。.

新しい!!: 戦史叢書と多号作戦 · 続きを見る »

多摩 (軽巡洋艦)

多摩(たま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦 (軽巡洋艦)。 球磨型の2番艦。 その艦名は、多摩川に因んで命名された#艦船名考(1928)pp.236-237。.

新しい!!: 戦史叢書と多摩 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

夏島 (敷設艇)

夏島(なつしま#海軍制度沿革8(1971)p.379、昭和7年8月1日達第106号『艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦二隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス(中略)敷設艇 石川島造船所ニ於テ建造 夏島(ナツシマ)』(妙録))は、日本海軍の敷設艇。夏島型敷設艇の1番艇。艇名は夏島 (二等敷設艇)に続いて2代目#銘銘伝2014pp.545-546。夏島は横須賀軍港にあった島。.

新しい!!: 戦史叢書と夏島 (敷設艇) · 続きを見る »

夏島型敷設艇

夏島型敷設艇(なつしまがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇。同型3隻。.

新しい!!: 戦史叢書と夏島型敷設艇 · 続きを見る »

大川内傳七

大川内 傳七(おおかわち でんしち、1886年(明治19年)9月2日 - 1958年(昭和33年)2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県塩田町出身。.

新しい!!: 戦史叢書と大川内傳七 · 続きを見る »

大井篤

大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校51期。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: 戦史叢書と大井篤 · 続きを見る »

大井海軍航空隊

大井海軍航空隊(おおいかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。偵察機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。.

新しい!!: 戦史叢書と大井海軍航空隊 · 続きを見る »

大分連隊区

大分連隊区(おおいたれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は大分大隊区である。大分県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は大分連隊区司令部が執行した。熊本県・宮崎県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に大分地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と大分連隊区 · 続きを見る »

大刀洗陸軍飛行学校

大刀洗陸軍飛行学校(たちあらいりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。飛行機操縦に従事する少年飛行兵となる生徒および少年飛行兵、あるいは特別幹部候補生その他を教育する飛行学校である。主として飛行機の基本操縦教育を行った。1940年(昭和15年)10月に設立され、1945年(昭和20年)2月に航空師団の一部に改編のため閉鎖された。学校本部および本校は福岡県三井郡大刀洗村に置かれ、ほかに各地に分教所または教育隊があった。.

新しい!!: 戦史叢書と大刀洗陸軍飛行学校 · 続きを見る »

大田実

大田 實(おおた みのる、1891年(明治24年)4月7日 - 1945年(昭和20年)6月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。千葉県長生郡長柄町出身。.

新しい!!: 戦史叢書と大田実 · 続きを見る »

大牟田空襲

大牟田空襲(おおむたくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年から1945年にかけてアメリカ軍によって福岡県大牟田市へ行われた空襲である。九州北西部に位置し島原湾に面する同地は石炭、石炭製品、化学肥料、爆薬などを生産する重要な化学工業地帯や、国内最大級の石炭港を有していたことから攻撃目標となった。度重なる空襲により市街地が焼失するなど約4万人の市民が被害を受け、工場機能も停止した。.

新しい!!: 戦史叢書と大牟田空襲 · 続きを見る »

大鳳 (空母)

大鳳(たいほう)は、日本海軍の航空母艦。日本の空母としては初めて飛行甲板に装甲を張るなど技術的に最も発達を遂げた艦であったが、1944年6月19日のマリアナ沖海戦においてアメリカ海軍の潜水艦の雷撃で損傷した後に航空用ガソリンタンクから漏洩し、引火したため大爆発を起こして沈没した。わずか3カ月の艦歴だった。.

新しい!!: 戦史叢書と大鳳 (空母) · 続きを見る »

大鷹 (空母)

大鷹(たいよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.39「達第二百四十四號 特設航空母艦春日丸及八幡丸ヲ帝国艦艇籍ニ編入シ左ノ通命名セラル|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 大鷹(タイヨウ) (特設航空母艦 春日丸)|軍艦 雲鷹(ウンヨウ) (特設航空母艦 八幡丸)」。.

新しい!!: 戦史叢書と大鷹 (空母) · 続きを見る »

大阪連隊区

大阪連隊区(おおさかれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は大阪大隊区である。当初は大阪府の一部、後に同府全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。兵庫県の一部を管轄した時期もあった。実務は大阪連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に大阪地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と大阪連隊区 · 続きを見る »

大陸打通作戦

大陸打通作戦(たいりくだつうさくせん英語 operation ichi-go)は、日中戦争中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称(日本側作戦名)は一号作戦。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。 日本軍の目的は、当時日本海軍の艦船や台湾を攻撃していた爆撃機を阻止するために、中国内陸部の連合国軍の航空基地を占領することと、日本の勢力下にあるフランス領インドシナへの陸路を開くことであった。日本側の投入総兵力50万人、800台の戦車と7万の騎馬を動員した作戦距離2400kmに及ぶ大規模な攻勢作戦で、日本陸軍が建軍以来行った中で史上最大規模の作戦であった。 計画通りに日本軍が連合国軍の航空基地の占領に成功し勝利を収めた、その後連合国軍が航空基地をさらに内陸部に移動させたことや、作戦中にアメリカ軍によりマリアナ諸島が陥落し、本州がボーイングB-29の作戦範囲内になったことから戦略目的は十分には実現できなかった。.

新しい!!: 戦史叢書と大陸打通作戦 · 続きを見る »

大林末雄

大林 末雄(おおばやし すえお、1895年(明治28年)3月8日 - 1983年(昭和58年)4月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。愛知県宝飯郡上佐脇出身。.

新しい!!: 戦史叢書と大林末雄 · 続きを見る »

大東 (海防艦)

大東(だいとう)は、日本海軍の海防艦。普遍的には日振型海防艦の2番艦とされており、本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、海軍省が定めた艦艇類別等級では御蔵型海防艦の9番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と大東 (海防艦) · 続きを見る »

大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

新しい!!: 戦史叢書と大東亜戦争 · 続きを見る »

大正12年度艦艇補充計画

大正12年度艦艇補充計画(たいしょう12ねんどかんていほじゅうけいかく)は、日本海軍の軍備計画。ワシントン軍縮条約の結果を受けた補助艦艇建造計画で、1923年(大正12年)度からの6年計画で計71隻が建造された。主な建造艦艇は妙高型重巡洋艦、吹雪(吹雪型駆逐艦)などである。また未成艦の赤城、加賀が空母に改装された。.

新しい!!: 戦史叢書と大正12年度艦艇補充計画 · 続きを見る »

大泊 (砕氷艦)

大泊(おおとまり/おほとまり大正10年5月30日付 海軍大臣達 第104号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070078800 で閲覧可能。おおどまりではない。)は日本海軍の砕氷艦。日本で建造された最初の砕氷艦でもある。艦名は亜庭湾北部の大泊港にちなむ。同型艦はない。.

新しい!!: 戦史叢書と大泊 (砕氷艦) · 続きを見る »

大津 (海防艦)

大津(おおつ/おほつ)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は御蔵型海防艦の18番艦艦艇類別等級別表上の通算番数。大津が艦艇類別等級に登載された1945年3月5日時点で淡路、日振、草垣の3隻が同表から削除済みのため、法令を厳密に捉えるなら15番艦だが、これら3隻を含めると通算で18番艦となる。。艦名は、山口県の大津島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と大津 (海防艦) · 続きを見る »

大津連隊区

大津連隊区(おおつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は大津大隊区である。滋賀県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は大津連隊区司令部が執行した。三重県の一部を管轄した時期もあった。1925年(大正14年)に廃止となり、1941年(昭和16年)に再設置された。1945年(昭和20年)、同域に大津地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と大津連隊区 · 続きを見る »

大湊海軍航空隊

大湊海軍航空隊(おおみなとかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。大湊要港部および千島列島~三陸沖の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。.

新しい!!: 戦史叢書と大湊海軍航空隊 · 続きを見る »

大指 (標的艦)

大指(おおさし/おほさし)は、日本海軍の未成特務艦(標的艦)。普遍的には大濱型標的艦の2番艦とされているが、法令上は艦型名が存在しない。終戦時未成で、戦後事故により沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と大指 (標的艦) · 続きを見る »

大日本帝国陸軍連隊一覧

大日本帝国陸軍連隊一覧(だいにっぽんていこくりくぐんれんたいいちらん)は、大日本帝国陸軍の連隊を一覧形式でまとめたものである。.

新しい!!: 戦史叢書と大日本帝国陸軍連隊一覧 · 続きを見る »

大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と大日本帝国海軍 · 続きを見る »

大日本帝国海軍艦艇要目解説

大日本帝国海軍艦艇要目解説(だいにほんていこくかいぐんかんていようもくかいせつ)は、日本海軍艦艇の主要目や性能諸元で使われる各項目の解説。.

新しい!!: 戦史叢書と大日本帝国海軍艦艇要目解説 · 続きを見る »

天城 (雲龍型空母)

天城(あまぎ)は、日本海軍の航空母艦。雲龍型の2番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と天城 (雲龍型空母) · 続きを見る »

天城 (未成空母)

天城(あまぎ)は、日本海軍の未成航空母艦#日本空母物語52-54頁『巨艦赤城と加賀』。.

新しい!!: 戦史叢書と天城 (未成空母) · 続きを見る »

天龍 (軽巡洋艦)

天龍(てんりゅう#銘銘伝2014pp.142-143、天竜(てんりゅう)/てんりう)は、日本海軍の二等巡洋艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』(軽巡洋艦)で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である。艦名は遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた#日本海軍艦船名考pp.51-52、天龍(てんりゆう)。帝国海軍の軍艦としては初代天龍(木造巡洋艦)に続き2隻目となる。 戦後、海上自衛隊の訓練支援艦「てんりゅう」が就役した。.

新しい!!: 戦史叢書と天龍 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

天龍型軽巡洋艦

天龍型軽巡洋艦(てんりゅうがた けいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦。同型艦2隻。日本海軍初めての軽巡洋艦になる。.

新しい!!: 戦史叢書と天龍型軽巡洋艦 · 続きを見る »

天津風 (陽炎型駆逐艦)

天津風(あまつかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和14年8月p.30『達第百三十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ砲艦一隻及驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年八月二十五日 海軍大臣米内光政|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 隅田(スミダ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 天津風(アマツカゼ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 時津風(トキツカゼ)』。 艦名は初代天津風の襲用#海軍制度沿革(巻8、1940)コマ64(原本88-89頁)『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』。天を吹く風の意味から。.

新しい!!: 戦史叢書と天津風 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

太原作戦

太原作戦(たいげんさくせん)とは、日中戦争中の1937年(昭和12年)9月から11月までの間、日本の北支方面軍及び関東軍部隊によって行われた、山西省太原への進攻作戦である。太原攻略戦、山西作戦(さんせいさくせん)などとも呼ばれる。中国側呼称は太原会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と太原作戦 · 続きを見る »

太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう、Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国やドイツ国など枢軸国と、連合国(主にイギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた(昭和16年12月12日 閣議決定)、国立国会図書館リンク切れ --> - 国立国会図書館リサーチ・ナビ(2012年12月20日版/2016年9月16日閲覧)。 日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。.

新しい!!: 戦史叢書と太平洋戦争 · 続きを見る »

夕張 (軽巡洋艦)

夕張(ゆうばり / ゆふばり#海軍制度沿革8(1971)p.364『 大正十年十二月二十三日(達二二二) 軍備補充費ヲ以テ大正十年度佐世保海軍工廠ニ於テ建造ニ著手スヘキ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 夕(ユウ) 張(バリ) 』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 艦名は、夕張川(石狩川の支流)に由来する#日本海軍艦船名考pp.264-265幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ135(原本216頁)『夕張(ゆふばり) 艦種二等巡洋艦 艦名考川名に採る、夕張川は北海道石狩國夕張山勇拂境の山中に發する諸川の集合に名づく、下流は石狩川に會す。艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長齋藤二郎)。本艦は輕巡洋艦として最小の艦型にて最大の武力を有する艦である、球磨級以後の輕巡洋艦14隻が何れも排水量5,000噸以上で速力30節を有するのに對し、本艦は3,000噸に充たざる排水量を以て同一速力38節を出だし、武力は14糎砲1門を減じて6門を装備す、これら主砲は凡て艦首尾線上にありて兩舷に發射し得るのみならず、二聯装砲塔2基を備ふるなど、世界海軍國を驚かしたる艦にて實に造艦上劃期的のものである。―要目― 長132.59米/幅12.04米/喫水3.58米/排水量2,890噸/機關タルビン3基 艦本式罐8臺/馬力57,000/速力33/兵装 14糎砲6/8糎高角砲1/發射管4 起工 大正11-6-5/進水 同12-3-5/竣工 同12-7-31/建造所 佐世保工廠』。 同型艦はない軽巡二十五隻335-336頁『夕張型(一隻)夕張(ゆうばり)』。 主砲、発射管を全て中心線上に配置し、2890トンの船体に5500トン型の軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備え、速力も同等だったポケット海軍年鑑(1935)コマ38(原本58-59頁)『二等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目 由良又は鬼怒などの輕巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ輕快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』。 当時、世界の海軍から注目され、設計者の平賀譲大佐(当時のち将官)の名を一躍有名にした。.

新しい!!: 戦史叢書と夕張 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

夕凪 (2代神風型駆逐艦)

夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕凪ユフナギ トス』。神風型(2代目)の9番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 建造時の艦名は第十七号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』-『(驅逐艦名)夕凪ユフナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)記載なし』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕凪」#達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』に続いて2隻目。.

新しい!!: 戦史叢書と夕凪 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

夕立 (白露型駆逐艦)

夕立(ゆうだち/ゆふだち)は、日本海軍の駆逐艦。白露型の4番艦である。艦名は夕立に由来し、この名を受け継ぐ日本の艦艇としては旧海軍神風型駆逐艦 (初代)「夕立」に続き2代目に当たる。 艦名は海上自衛隊の護衛艦「ゆうだち(初代)」、「ゆうだち(2代)」に継承された。.

新しい!!: 戦史叢書と夕立 (白露型駆逐艦) · 続きを見る »

夕雲型駆逐艦

夕雲型駆逐艦(ゆうぐもかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦の艦級#内令昭和16年2月p.18『内令第百三十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|驅逐艦、一等陽炎型ノ項中「萩風」ノ下ニ「、舞風」ヲ加ヘ同項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |夕雲型|夕雲| 潜水艦、一等伊九型ノ項中「伊號第十」ノ下ニ「、伊號第十一」ヲ加フ|駆潜艇第十三號型ノ項中「第十六號」ノ下ニ「、第十七號」ヲ加フ』である。同形艦19隻。陽炎型駆逐艦の改良型で、同型と本型を合わせて甲型駆逐艦とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と夕雲型駆逐艦 · 続きを見る »

奈良連隊区

奈良連隊区(なられんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。奈良県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は奈良連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に奈良地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と奈良連隊区 · 続きを見る »

奈良海軍航空隊

奈良海軍航空隊(ならかいぐんこうくうたい)及びその前身組織・三重海軍航空隊奈良分遣隊(みえかいぐんこうくうたい ならぶんけんたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。天理教の教庁がある奈良県山辺郡丹波市町の街中に建ち並ぶ信者詰所20数箇所に分散して宿舎・練兵場を設置し、教育・訓練を施した。.

新しい!!: 戦史叢書と奈良海軍航空隊 · 続きを見る »

奄美 (海防艦)

奄美(あまみ)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の3番艦。1945年4月に竣工し、太平洋戦争を生き延びて復員輸送に従事した後、1947年に賠償艦としてイギリスに引き渡されたが、売却解体された。艦名は、鹿児島県の奄美大島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と奄美 (海防艦) · 続きを見る »

姫路連隊区

姫路連隊区(ひめじれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は姫路大隊区である。兵庫県・鳥取県・岡山県・香川県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は姫路連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)に神戸連隊区に統合され廃止となった。.

新しい!!: 戦史叢書と姫路連隊区 · 続きを見る »

姫路海軍航空隊

姫路海軍航空隊(ひめじかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。攻撃専修搭乗員の教育を推進するため、攻撃機に搭乗するまでの実機練習を推進した。しかし決戦体制に移行した昭和20年3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。 .

新しい!!: 戦史叢書と姫路海軍航空隊 · 続きを見る »

宝塚海軍航空隊

宝塚海軍航空隊(たからづかかいぐんこうくうたい)及びその前身組織・滋賀海軍航空隊宝塚分遣隊(しがかいぐんこうくうたい たからづかぶんけんたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。戦時統制の中で活動自粛・閉鎖に追い込まれた宝塚歌劇団の本拠地宝塚大劇場を借り受け、校舎・宿舎に充てて教育・訓練を施した。.

新しい!!: 戦史叢書と宝塚海軍航空隊 · 続きを見る »

室蘭艦砲射撃

室蘭艦砲射撃(むろらんかんぽうしゃげき)は、太平洋戦争末期の1945年7月15日にアメリカ海軍艦艇が北海道室蘭市一帯に行った艦砲射撃のこと。 1時間に渡る砲撃で860発の砲弾が発射され、その6割以上が市街地に着弾し、御崎町や御前水町、輪西町、中島本町を中心に485人(うち市民439人)の死傷者を出した。.

新しい!!: 戦史叢書と室蘭艦砲射撃 · 続きを見る »

室津 (海防艦)

室津(むろつ)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は鵜来型海防艦の13番艦艦艇類別等級別表上の通算番数。室津が艦艇類別等級に登載された1945年5月5日時点で屋久が同表から削除済みのため、法令を厳密に捉えるなら12番艦だが、屋久を含めると通算で13番艦となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と室津 (海防艦) · 続きを見る »

室戸 (給炭艦)

室戸(むろと)は日本海軍の給炭艦で、室戸型給炭艦の1番艦。艦名は室戸岬による。1944年に潜水艦の雷撃により沈没。.

新しい!!: 戦史叢書と室戸 (給炭艦) · 続きを見る »

室戸型給炭艦

室戸型給炭艦(むろとがたきゅうたんかん)は、日本海軍の給炭艦。同型艦2隻。第一次大戦後に補助艦として建造され、石炭を運送する目的のために建造された。石炭のほかに軍需品なども輸送した。.

新しい!!: 戦史叢書と室戸型給炭艦 · 続きを見る »

宮城事件

宮城事件(きゅうじょうみやぎではない。じけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(1948年7月1日以前の皇居の呼称)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。 日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、一部は自殺もしくは逮捕された。これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。.

新しい!!: 戦史叢書と宮城事件 · 続きを見る »

宮崎連隊区

宮崎連隊区(みやざきれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は宮崎大隊区である。宮崎県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は宮崎連隊区司令部が執行した。大分県・鹿児島県の一部を管轄した時期もあった。1907年(明治40年)から1941年(昭和16年)までの名称は都城連隊区であった。1945年(昭和20年)、同域に宮崎地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と宮崎連隊区 · 続きを見る »

宿毛海軍航空隊

宿毛海軍航空隊(すくもかいぐんこうくうたい)および昭和19年1月1日に改称した第四五三海軍航空隊(だい453かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。水上機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。.

新しい!!: 戦史叢書と宿毛海軍航空隊 · 続きを見る »

宜昌作戦

宜昌作戦(ぎしょうさくせん)とは、日中戦争中の1940年(昭和15年)5月から6月まで湖北省で行われた日本軍の作戦である。日本軍の第11軍が、中国軍第5戦区軍の撃破と宜昌の攻略を目的として実行した。中国側の呼称は棗宜会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と宜昌作戦 · 続きを見る »

宇佐海軍航空隊

宇佐海軍航空隊(うさかいぐんこうくうたい)は、現在の大分県宇佐市の柳ヶ浦地区に開隊された大日本帝国海軍航空隊の部隊の一つであり、航空母艦に搭載する艦上爆撃機・艦上攻撃機の搭乗員と偵察員の延長教育を実施する航空隊であった。太平洋戦争開戦時には、日本国内で唯一の艦上爆撃機の搭乗員と偵察員の延長教育を行なう航空隊であり、艦上攻撃機の搭乗員と偵察員の延長教育を行なう航空隊としても最大の規模であった。その後、艦上爆撃機と艦上攻撃機の搭乗員と偵察員の延長教育を行なう部隊として、名古屋海軍航空隊と百里原海軍航空隊が開隊されるものの、航空隊の規模としては宇佐海軍航空隊を上回ることはなかった。 太平洋戦争末期の沖縄戦において、保有する航空機と搭乗員において神風特別攻撃隊「八幡護皇(はちまんごおう)隊」を編成して沖縄本島西方沖の連合軍艦艇に特攻攻撃を実施した。.

新しい!!: 戦史叢書と宇佐海軍航空隊 · 続きを見る »

宇都宮連隊区

宇都宮連隊区(うつのみやれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は宇都宮大隊区である。栃木県全域の徴兵・召集等兵事事務を担任した。茨城県の一部を管轄した時期もあった。実務は宇都宮連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に宇都宮地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と宇都宮連隊区 · 続きを見る »

宇都宮陸軍飛行学校

宇都宮陸軍飛行学校(うつのみやりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。飛行機操縦に従事する少年飛行兵となる生徒および少年飛行兵、あるいは将校・下士官学生その他に対し、主として飛行機の基本操縦教育を行った。1940年(昭和15年)10月に設立され、1944年(昭和19年)10月に廃止となった。学校本部および本校は栃木県芳賀郡清原村(現在の宇都宮市清原地区)に置かれ、ほかに各地に分教所があった。.

新しい!!: 戦史叢書と宇都宮陸軍飛行学校 · 続きを見る »

安里

安里(あさと、琉球語:アサトゥ)琉球語発音のカナ表記は『沖縄県の地名』に準拠。は、沖縄県那覇市の地名で、かつての安里村。郵便番号は902-0067。 かつての安里村は現在の住所表記では、安里1 - 3丁目、おもろまち1丁目、大道、松川1丁目、三原1 - 3丁目に当たるため、歴史的に安里村、真和志村、真和志市時代に類する記述は本稿で行う。.

新しい!!: 戦史叢書と安里 · 続きを見る »

寧海 (巡洋艦)

寧海(ニンハイ、NING HAI)は、中華民国海軍の寧海級巡洋艦の1番艦。日中戦争で日本海軍航空隊の空襲を受け、揚子江で擱座。後に日本海軍に捕獲・修理され、海防艦五百島(いほしま/いおしま)となった#S19達6月p.1『昭和十九年六月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 海防艦 五百島(イホシマ)(舊艦名寧海) 海防艦 八十島(ヤソシマ)(舊艦名平海)』。.

新しい!!: 戦史叢書と寧海 (巡洋艦) · 続きを見る »

対馬 (海防艦)

対馬(つしま)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の7番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の11番艦。太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事し、賠償艦として中華民国に引き渡された。以降は敷設艦に改造されるなどして1963年まで現役だった。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、新高型防護巡洋艦対馬に続いて二代目。.

新しい!!: 戦史叢書と対馬 (海防艦) · 続きを見る »

対馬丸

対馬丸(つしままる)は、日本郵船のT型貨物船の一隻で、総トン数6,754トンの貨物船喪失一覧(3)p.10『昭和19年8月(1944年)B |22|a|對馬丸|6,754|日本郵船|雷撃|29-30N 129-30E 』。旧字体の表記は對馬丸。日本郵船所有船としては初代にあたる。 太平洋戦争中の1944年(昭和19年)8月22日、政府命令による学童疎開輸送中にアメリカ海軍の潜水艦の攻撃を受け沈没。犠牲者数1,476名を出した。 二代目は1979年(昭和54年)にパナマ船籍タンカー「ゴールデン・ウィスタリア」 (Golden Wistaria) を購入して改名したもので、総トン数87,516トン。1981年(昭和56年)からは藤栄海運との共有船になったが、1982年(昭和57年)以降はブルネイで係船された。.

新しい!!: 戦史叢書と対馬丸 · 続きを見る »

富山連隊区

富山連隊区(とやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は富山大隊区である。富山県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。岐阜県の一部を管轄した時期もあった。実務は富山連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に富山地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と富山連隊区 · 続きを見る »

小川貫爾

小川 貫爾(おがわ かんじ、1893年(明治26年)9月10日 - 1973年(昭和48年)1月23日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。広島県広島市中区出身。.

新しい!!: 戦史叢書と小川貫爾 · 続きを見る »

小倉連隊区

小倉連隊区(こくられんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は小倉大隊区である。福岡県・大分県・山口県の一部の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は小倉連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)、福岡連隊区に統合され廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と小倉連隊区 · 続きを見る »

尻矢 (給油艦)

尻矢(しりや)は日本海軍の給油艦。知床型の6番艦で、艦名は青森県・下北半島北東の尻矢埼による。.

新しい!!: 戦史叢書と尻矢 (給油艦) · 続きを見る »

尖閣諸島戦時遭難事件

アメリカ軍機の乗員が撮影した攻撃を受けつつある友福丸(「第一千早丸」)と一心丸(「第五千早丸」)。 尖閣諸島戦時遭難事件(せんかくしょとうせんじそうなんじけん)あるいは尖閣列島戦時遭難事件(せんかくれっとうせんじそうなんじけん)は、太平洋戦争末期の1945年7月に日本の小型船2隻がアメリカ軍機の攻撃を受け、当時、無人島だった尖閣諸島に漂着した事件である。約50日後に救出されたが、戦闘と飢餓などにより50人以上が死亡した。石垣島から台湾へ民間人を疎開させる途中に遭難したもので、対馬丸以外に沖縄県からの疎開船が撃沈破された数少ない事例である。台湾疎開石垣町民遭難事件、あるいは遭難船名に由来して一心丸・友福丸事件とも呼ばれる琉球新報 1983年12月14日。。.

新しい!!: 戦史叢書と尖閣諸島戦時遭難事件 · 続きを見る »

山口連隊区

山口連隊区(やまぐちれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は山口大隊区である。山口県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は山口連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に山口地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と山口連隊区 · 続きを見る »

山形連隊区

山形連隊区(やまがたれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は山形大隊区である。山形県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は山形連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に山形地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と山形連隊区 · 続きを見る »

山風 (海風型駆逐艦)

山風(やまかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で#海軍制度沿革8(1971)p.372、達第123号『三菱長崎造船所ニ於テ製造スヘキ甲號大驅逐艦ヲ 山風(ヤマカゼ) ト命名ス』、海風型駆逐艦の2番艦である。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「山風」があるため、こちらは「山風 (初代)」や「山風I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と山風 (海風型駆逐艦) · 続きを見る »

山本善雄

山本 善雄(やまもと よしお、1898年(明治31年)6月20日 - 1978年(昭和53年)11月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県鶴岡市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と山本善雄 · 続きを見る »

岐阜連隊区

岐阜連隊区(ぎふれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は岐阜大隊区である。当初は岐阜県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。愛知県の一部を管轄した時期もあった。実務は岐阜連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に岐阜地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と岐阜連隊区 · 続きを見る »

岐阜陸軍飛行学校

岐阜陸軍飛行学校(ぎふりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。操縦候補生および飛行機操縦に従事する下士官候補者を教育した。1940年(昭和15年)8月に開設され、 1943年(昭和18年)4月に廃止となった。学校本部および本校は岐阜県稲葉郡鵜沼村(現在の各務原市東部)に置かれ、ほかに分教所があった。.

新しい!!: 戦史叢書と岐阜陸軍飛行学校 · 続きを見る »

岐阜陸軍航空整備学校

岐阜陸軍航空整備学校(ぎふりくぐんこうくうせいびがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつである。主として少年飛行兵となる生徒に対し、航空兵器の整備に関する教育を行った。1943年(昭和18年)4月に開設され、学校本部および本校は岐阜県稲葉郡(現在の各務原市東部)に置かれたほか、奈良県奈良市に同校の奈良教育隊があった。 1945年(昭和20年)2月、岐阜陸軍航空整備学校は第4航空教育団に改編され、同年8月太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦により第4航空教育団は廃止となった。ここでは第4航空教育団についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と岐阜陸軍航空整備学校 · 続きを見る »

岡山連隊区

岡山連隊区(おかやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は岡山大隊区である。当初は岡山県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は岡山連隊区司令部が執行した。鳥取県の一部を管轄した時期もあった。1898年(明治31年)に廃止となり、1907年(明治40年)に再設置された。1945年(昭和20年)、同域に岡山地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と岡山連隊区 · 続きを見る »

岡崎海軍航空隊

岡崎海軍航空隊(おかざきかいぐんこうくうたい)は、大日本帝国海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦に向けての出師準備の一環として、急増した整備要員の大量養成を図るために設置した。増員が困難になった河和海軍航空隊の分遣隊から発展した「第一岡崎海軍航空隊」、その第一岡崎空の分遣隊から派生した「第二岡崎海軍航空隊」は、もっぱら実際に機体を整備する兵・下士官の養成に振り向けられた。さらにまったく系統が異なる陸上機搭乗員の練成部隊も追加され、「第三岡崎海軍航空隊」と呼称した。.

新しい!!: 戦史叢書と岡崎海軍航空隊 · 続きを見る »

岡新

岡 新(おか あらた、1890年(明治23年)7月16日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、日本の海軍軍人。海兵40期、海大甲種第22期、海軍砲術学校高等科第18期(首席)。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と岡新 · 続きを見る »

岩国連隊区

岩国連隊区(いわくにれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、山口県・広島県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と岩国連隊区 · 続きを見る »

岩淵三次

岩淵 三次(いわぶち さんじ、1895年(明治28年)3月2日 - 1945年(昭和20年)2月26日)は、日本の海軍軍人。海兵43期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と岩淵三次 · 続きを見る »

峯風型駆逐艦

峯風型駆逐艦(みねかぜがたくちくかん)は、八四艦隊計画、八六艦隊計画に基づいて1917年(大正6年)から1918年(大正7年)にかけて15隻が建造された日本海軍の一等駆逐艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|峯風型|峯風、澤風、沖風、島風、灘風、矢風、羽風、汐風、秋風、夕風、太刀風、帆風、野風、波風、沼風』。大正7年度計画艦のうち、第13番艦以降の最後の3隻は兵装の配置を変更したため、非公式に野風型或いは峯風改型と呼ばれる事もある。一番艦の就役開始は1920年(大正9年)3月16日、最後の艦の除籍は1947年(昭和22年)。.

新しい!!: 戦史叢書と峯風型駆逐艦 · 続きを見る »

島風 (島風型駆逐艦)

島風(しまかぜ)は#達昭和17年5月(1)pp.39-40『達第百五十七號 昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、潜水艦三隻、驅潜艇五隻及掃海特務艇一隻ヲ左ノ通命名ス|昭和十七年五月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 新月(ニイヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 島風(シマカゼ)|(以下略)』、1941年(昭和16年)に起工した大日本帝国海軍の一等駆逐艦。島風型駆逐艦は次世代の艦隊型駆逐艦として、16隻の建造が決定していた高速で重雷装の艦隊型駆逐艦であった。だが太平洋戦争開戦による戦術の変更や水雷戦自体の可能性の低さ、手間のかかる生産から計画は放棄され、秋月型駆逐艦や丁型(松型駆逐艦)へと移行し、結局島風1隻のみとなった。計画時の分類は丙型駆逐艦(へいがた―)#舞廠造機部241-243頁『40ノット艦―島風〔II〕(丙型)』。.

新しい!!: 戦史叢書と島風 (島風型駆逐艦) · 続きを見る »

崑崙関の戦い

崑崙関の戦い(こんろんかんのたたかい)とは、日中戦争中の1939年(昭和14年)12月17日から1940年(昭和15年)1月中旬頃までの間、広西省の崑崙関周辺の陣地をめぐっておこなわれた戦闘である。南寧奪回を目指す中国軍の攻勢を受け、日本軍は激戦の末に崑崙関から後退したが、南寧への進攻は食い止めた。.

新しい!!: 戦史叢書と崑崙関の戦い · 続きを見る »

川井巌

川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と川井巌 · 続きを見る »

川内 (軽巡洋艦)

川内 (せんだい)は#達大正10年3月p.14『達第四十三號 軍備補充費ヲ以テ大正十年度ニ於テ建造ニ着手スヘキ二等巡洋艦四隻ニ左ノ通命名セラル|大正十年三月十九日 海軍大臣 男爵 加藤友三郎|加古カコ 那珂ナカ 川内センダイ 神通ジンツウ』、14隻建造された日本海軍の5500トン型軽巡洋艦の最終型(3番目)である川内型軽巡洋艦の1番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と川内 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

川内型軽巡洋艦

川内型軽巡洋艦(せんだいがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦3隻。いわゆる5500トン型軽巡洋艦の第3グループ(最終グループ)にあたる#東・石橋(1990)川内型p.22。.

新しい!!: 戦史叢書と川内型軽巡洋艦 · 続きを見る »

巨済 (敷設艇)

巨済(きょさい)は、日本海軍の敷設艇。測天型敷設艇の3番艇。艇名は、当時日本統治下にあった巨済島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と巨済 (敷設艇) · 続きを見る »

上阪香苗

上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年(明治25年)10月8日 - 1974年(昭和49年)12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と上阪香苗 · 続きを見る »

上海派遣軍戦闘序列

上海派遣軍戦闘序列(シャンハイはけんぐんせんとうじょれつ)は、上海派遣軍が編成されたとき(1937年9月11日)の戦闘序列。 臨参命第百一号 昭和十二年九月十一日.

新しい!!: 戦史叢書と上海派遣軍戦闘序列 · 続きを見る »

上海海軍特別陸戦隊

ヴィッカース・クロスレイ装甲車や三年式機関銃を中心に上海で交戦中の海軍陸戦隊。 上海海軍特別陸戦隊(シャンハイかいぐんとくべつりくせんたい、旧字体:上海特別陸戰隊)とは、大日本帝国海軍が上海に権益保護のために駐留させていた陸戦隊のことである。第一次上海事変、第二次上海事変で激しい市街戦を行った。1932年(昭和7年)以降、日本海軍唯一の常設の陸上戦闘部隊となった。略称は上陸(シャンりく)。.

新しい!!: 戦史叢書と上海海軍特別陸戦隊 · 続きを見る »

上海海軍航空隊

上海海軍航空隊(シャンハイかいぐんこうくうたい)および前身組織大井海軍航空隊上海分遣隊(おおいかいぐんこうくうたい シャンハイぶんけんたい)は、日本海軍の部隊の一つ。偵察機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。.

新しい!!: 戦史叢書と上海海軍航空隊 · 続きを見る »

帝洋丸 (タンカー)

帝洋丸(ていようまる)は、かつて日本タンカーが所有・運航したタンカー。なお同名で帝国船舶の帝洋丸(元ドイツ貨客船)が存在するが、ここではタンカーの帝洋丸について解説する。.

新しい!!: 戦史叢書と帝洋丸 (タンカー) · 続きを見る »

師団

師団(しだん、Division)は、軍隊の部隊編制単位の一つ。旅団・団より大きく、軍団・軍より小さい。師団は、主たる作戦単位であるとともに、地域的または期間的に独立して、一正面の作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位とされることが多い。多くの陸軍では、いくつかの旅団・団または連隊を含み、いくつかの師団が集まって軍団・軍等を構成する。 師団の編制については、国や時期、兵科によって変動が大きいが、21世紀初頭現代の各国陸軍の師団は、2~4個連隊または旅団を基幹として、歩兵、砲兵、工兵等の戦闘兵科及び兵站等の後方支援部隊などの諸兵科を連合した6千人から2万人程度の兵員規模の作戦基本部隊である。多くの国において師団長には少将が補せられるが、日本やブラジル等中南米の幾つかの国のように中将が補せられる国もあり、またソ連・ロシアや東ドイツ等の旧東欧諸国では大佐が務める例も見られる。 師団は、幕僚部(師団参謀部・師団副官部・師団法務部など)を固有する、最小の部隊でもある。.

新しい!!: 戦史叢書と師団 · 続きを見る »

師管

師管(しかん)は、1873年から1945年まで、日本の陸軍が、軍の行政・警備のために設けた地域区分である。日本の内地を分割して設けられた。軍管・軍管区の下、旅管・連隊区・大隊区の上にあたる。連隊・旅団の管轄区だった初期を除き、師団に対応する管轄区域である。徴兵制が適用されない植民地の台湾・朝鮮には長く置かれなかったが、朝鮮にだけは、1941年に内地と性格が異なる師管が置かれた。朝鮮の師管は、軍管区の下、兵事区の上にあたる。1945年4月に師管区への改編により師管は廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と師管 · 続きを見る »

師管区司令部

師管区司令部(しかんくしれいぶ)は、1945年4月に日本陸軍が日本と朝鮮の各地に置いた師管区部隊の司令部である。以前の留守師団司令部を改称して作られた。軍管区司令部の隷下にあって、師管区における軍の行政的業務、動員、地域防衛を掌った。8月15日の敗戦後も残務処理のためしばらく存続したが、同年11月に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と師管区司令部 · 続きを見る »

師管区部隊

師管区部隊(しかんくぶたい)は、1945年(昭和20年)に大日本帝国陸軍が徴兵・動員と地域防衛のために置いた部隊の一種である。従来の留守師団を改称したもので、師管区司令官・師管区司令部が指揮し、補充隊その他の部隊からなった。第2次世界大戦末期の1945年4月1日に設けられ、8月の敗戦まで4か月半存在した。.

新しい!!: 戦史叢書と師管区部隊 · 続きを見る »

中原会戦

中原会戦(ちゅうげんかいせん)とは、日中戦争中の1941年(昭和16年)5月から6月の間、山西省南部で行われた日本軍と中国軍の戦闘である。北支那方面軍が中国第1戦区軍の包囲殲滅を狙い、大きな戦果を上げた。百号作戦とも呼ばれる。中国側の呼称は中条山戦役、または晋南会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と中原会戦 · 続きを見る »

中山定義

中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日朝日新聞大阪版 1995年1月18日 25面。)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵54期恩賜。第4代海上幕僚長。 島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。.

新しい!!: 戦史叢書と中山定義 · 続きを見る »

中津連隊区

中津連隊区(なかつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、大分県・福岡県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と中津連隊区 · 続きを見る »

中澤佑

中澤 佑(なかざわ たすく、1894年(明治27年)6月28日 - 1977年(昭和52年)12月22日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大26期。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と中澤佑 · 続きを見る »

中支那方面軍戦闘序列

中支那方面軍戦闘序列(ちゅうしなほうめんぐんせんとうじょれつ)は、中支那方面軍が編制されたとき(1937年12月1日)の戦闘序列。 大陸命第七号 昭和十二年十二月一日 1937年12月1日.

新しい!!: 戦史叢書と中支那方面軍戦闘序列 · 続きを見る »

串本海軍航空隊

串本海軍航空隊(くしもとかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。大阪警備府および熊野灘~紀伊水道口の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。.

新しい!!: 戦史叢書と串本海軍航空隊 · 続きを見る »

常徳殲滅作戦

常徳殲滅作戦(じょうとくせんめつさくせん)とは、日中戦争中の1943年11月から12月の間に行われた、湖南省北部での日本軍と中国軍の戦闘である。常徳を拠点とする中国国民党軍の第6戦区軍に、日本の第11軍が相当の打撃を加えた。日本軍の秘匿名はよ号作戦。中国側での名称は常徳会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と常徳殲滅作戦 · 続きを見る »

万朶隊

万朶隊(ばんだたい。萬朶隊)は、日本陸軍航空隊初の特別攻撃隊である。1944年(昭和19年)10月21日、鉾田教導飛行師団で編成された。装備機種は九九式双発軽爆撃機。.

新しい!!: 戦史叢書と万朶隊 · 続きを見る »

三式戦闘機

三式戦闘機(さんしきせんとうき)は第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発し、1943年(昭和18年)に制式採用された戦闘機である。開発・製造は川崎航空機により行われた。設計主務者は土井武夫、副主任は大和田信である。 ドイツの液冷航空エンジンDB601を国産化したハ40を搭載した、当時の日本唯一の量産型液冷戦闘機である。防弾装備のない試作機は最高速度590km/hを発揮したが、防弾装備や燃料タンク等を追加した量産機では鈍重な戦闘機になり下がり、アメリカ軍に「もっとも食いやすい(つまりアメリカ軍にとっては攻撃し易い)戦闘機」という印象を与えている。基礎工業力の低かった当時の日本にとって不慣れな液冷エンジンハ40は生産・整備ともに苦労が多く、常に故障に悩まされた戦闘機としても知られる。ハ40の性能向上型であるハ140のエンジン生産はさらに困難であり、これを装備する予定であった三式戦闘機二型はわずか99機しかエンジンが搭載できず、工場内に首無しの三式戦闘機が大量に並ぶ異常事態が発生した。そこで星型空冷エンジンを急遽搭載した日本陸軍最後の制式戦闘機、五式戦闘機が生産された。.

新しい!!: 戦史叢書と三式戦闘機 · 続きを見る »

三隈 (重巡洋艦)

大破した三隈 三隈(みくま)は#達昭和7年8月p.7『達第百五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和六年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦二隻ニ左ノ通命名セラル|昭和七年八月一日 海軍大臣岡田啓介|呉海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 最上モガミ|三菱長崎造船所ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 三隈ミクマ』、旧日本海軍の重巡洋艦で古村啓蔵ほか、重巡十八隻346頁『三隈(みくま)』、最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の2番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と三隈 (重巡洋艦) · 続きを見る »

三船殉難事件

三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、第二次世界大戦末期(日本の降伏文書への調印予告、および軍隊への停戦命令布告後)の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本の船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(Ⅼ12号・Ⅼ19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。三船遭難事件とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と三船殉難事件 · 続きを見る »

三重海軍航空隊

三重海軍航空隊(みえかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争の開戦に伴い、海軍航空兵力の増強を図るため、搭乗・整備に至る前の予科練の練成を行うべく発足した。.

新しい!!: 戦史叢書と三重海軍航空隊 · 続きを見る »

下志津陸軍飛行学校

下志津陸軍飛行学校(しもしづりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として空中偵察に関する各種の教育と研究を行った。1921年(大正10年)4月、陸軍航空学校下志津分校として開設され、1924年(大正13年)5月、下志津陸軍飛行学校として独立した。学校本部および本校は千葉県都村(現在の千葉市若葉区若松町)に置かれ、ほかに同県の海上郡(同銚子市)および八街町(同八街市)、広島県広島市に分教場、分教所があった。 1944年(昭和19年)6月、下志津陸軍飛行学校は下志津教導飛行師団に改編され、さらに下志津教導飛行師団は1945年(昭和20年)7月に改編され教導飛行師団第5教導飛行隊となったのち、同年8月太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦により解散した。ここでは下志津教導飛行師団等についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と下志津陸軍飛行学校 · 続きを見る »

下村正助

下村 正助(しもむら しょうすけ、1885年(明治18年)1月9日 - 1953年(昭和28年)7月30日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。山形県米沢市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と下村正助 · 続きを見る »

一式機動四十七粍速射砲

一式機動四十七粍砲(いっしききどうよんじゅうななみりほう)は、1940年(昭和15年)前後に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。通称は一式機動四十七粍速射砲(いっしききどうよんじゅうななみりそくしゃほう)。 九四式三十七粍砲の後継対戦車砲として、太平洋戦争(大東亜戦争)中後期に使用された。.

新しい!!: 戦史叢書と一式機動四十七粍速射砲 · 続きを見る »

一刀正伝無刀流

一刀正傳無刀流(いっとうしょうでんむとうりゅう)は、明治時代初期に山岡鉄舟が開いた一刀流流派の一つである。.

新しい!!: 戦史叢書と一刀正伝無刀流 · 続きを見る »

一〇〇式司令部偵察機

一〇〇式司令部偵察機(ひゃくしきしれいぶていさつき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の偵察機(司令部偵察機)。キ番号(試作名称)はキ46。愛称は新司偵(しんしてい)。略称・呼称は一〇〇式司偵、一〇〇偵、一〇〇司、ヨンロクなど。連合軍のコードネームはDinah(ダイナ)。開発・製造は三菱重工業。設計主務者は久保富夫。 九七式司令部偵察機の後継機として1939年(昭和14年)に初飛行、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦前の1941年(昭和16年)から配備が行われ、1945年(昭和20年)の敗戦に至るまで帝国陸軍の主力戦略偵察機として使用された。本機は画期的な開発思想や高性能をもつ後の「戦略偵察機」の先駆的存在であり、また、そのスタイルの美しさから「第二次大戦で活躍した軍用機のうちで最も美しい機体の一つ『世界の傑作機』 p.14 - p.15("One of the most elegant aircraft of World War Two")」と評されている。.

新しい!!: 戦史叢書と一〇〇式司令部偵察機 · 続きを見る »

九九式襲撃機

九九式襲撃機(きゅうきゅうしきしゅうげきき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の襲撃機(攻撃機)。キ番号(試作名称)はキ51。略称・呼称は九九襲、九九襲撃など。連合軍のコードネームは Sonia(ソニア)。開発・製造は三菱重工業。本機の派生型として戦術偵察機である九九式軍偵察機(きゅうきゅうしきぐんていさつき。キ番号は同じくキ51。略称・呼称は九九式軍偵、九九軍偵など)が存在し、本項ではその両機について詳述する。.

新しい!!: 戦史叢書と九九式襲撃機 · 続きを見る »

平島 (敷設艇)

平島(ひらしま)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の1番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と平島 (敷設艇) · 続きを見る »

平島型敷設艇

平島型敷設艇#海軍造船技術概要(1987)上巻p.662(ひらしまがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇。同型艦10隻(うち1隻建造取り止め)艦艇及特務艦艇類別等級別表では、網代以外は「測天型」に、網代は「網代型」に分類されている。。.

新しい!!: 戦史叢書と平島型敷設艇 · 続きを見る »

平戸 (海防艦)

平戸(ひらと)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の9番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の13番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、防護巡洋艦平戸に続いて二代目。.

新しい!!: 戦史叢書と平戸 (海防艦) · 続きを見る »

平海 (巡洋艦)

平海(ピンハイ、PING HAI)は、中華民国海軍の軽巡洋艦軽巡二十五隻343頁『八十島(やそしま)』。日中戦争で日本海軍航空隊により撃破されて鹵獲、1944年(昭和19年)6月に海防艦八十島(やそしま)として再就役補助艦艇奮戦記262頁『八十島(やそしま)』。同年9月に二等巡洋艦八十島となった。.

新しい!!: 戦史叢書と平海 (巡洋艦) · 続きを見る »

幹部候補生 (日本軍)

日本陸軍における幹部候補生(かんぶこうほせい)とは、中等教育以上の学歴がある志願者の中から選抜され、比較的短期間で兵科または各部の予備役将校、あるいは兵科または各部の予備役下士官になるよう教育を受ける者陸軍での正式な呼称は1937年2月の陸軍武官官等表改正(勅令第12号)まで各部の高等官は「将校相当官」であり、兵科、各部ともに下士官は1931年11月の陸軍武官官等表改正(勅令第270号)まで「下士」であったが、便宜上ここでは時代にかかわらず「将校」と「下士官」で統一する。。場合により幹候と略されることもある。日本陸軍では下士官以上が部隊の幹部という位置づけであった。 1927年(昭和2年)12月に一年志願兵制度を改めて幹部候補生制度が定められ、1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終結まで存在した。制定当初は主として予備役将校の養成を目的としたが、1933年(昭和8年)5月の制度改正以後は予備役将校となる教育を受ける甲種幹部候補生と、予備役下士官となる教育を受ける乙種幹部候補生に修業期間の途中で区分された。ここでは幹部候補生の前身である一年志願兵と、1944年(昭和19年)に一般の幹部候補生制度から派生した特別甲種幹部候補生についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と幹部候補生 (日本軍) · 続きを見る »

久留米連隊区

久留米連隊区(くるめれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。福岡県・大分県・熊本県の一部、佐賀県の一部または全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は久留米連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と久留米連隊区 · 続きを見る »

乙型魚雷艇

乙型魚雷艇(おつがたぎょらいてい)は日本海軍の魚雷艇。戦時中に大量建造を計画したが専用エンジン製造の遅れから多種の航空用エンジンを搭載し、多くの型が存在する。ここでは乙型として一括して記述する。また『世界の艦船 日本海軍特務艦船史』では一号型魚雷艇(T-1型)も乙型に含めている。.

新しい!!: 戦史叢書と乙型魚雷艇 · 続きを見る »

京都連隊区

京都連隊区(きょうとれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は京都大隊区である。当初は京都府の一部、後に同府全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。奈良県・滋賀県の一部を管轄した時期もあった。実務は京都連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に京都地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と京都連隊区 · 続きを見る »

広安門事件

広安門事件(こうあんもんじけん)は、日中戦争初期(北支事変)の1937年(昭和12年)7月26日、中華民国冀察政務委員会の支配地域であった北平(北京市)で起きた国民革命軍第二十九軍による日本軍への襲撃事件。この7月には7日に盧溝橋事件、25日に廊坊事件という別の衝突事件が起きていた。.

新しい!!: 戦史叢書と広安門事件 · 続きを見る »

広島連隊区

広島連隊区(ひろしまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は広島大隊区である。当初は広島県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は広島連隊区司令部が執行した。愛媛県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に広島地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と広島連隊区 · 続きを見る »

井上仁郎

井上 仁郎(いのうえ にろう、1864年6月27日(元治元年5月24日) - 1920年1月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と井上仁郎 · 続きを見る »

井浦祥二郎

井浦 祥二郎(いうら しょうじろう、1902年(明治35年)3月31日 - 1965年(昭和40年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: 戦史叢書と井浦祥二郎 · 続きを見る »

廊坊事件

廊坊事件(ろうぼうじけん)は、1937年(昭和12年)7月25日から26日に中華民国の北平(北京市)近郊の廊坊にある廊坊駅(現在の廊坊北駅)で発生した日中間の武力衝突。郎坊事件と表記される場合もある。.

新しい!!: 戦史叢書と廊坊事件 · 続きを見る »

仙台連隊区

仙台連隊区(せんだいれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。宮城県の徴兵・召集等兵事事務に係る区域で、事務は仙台連隊区司令部が執行した。前身は1888年(明治21年)に設置された仙台大隊区で、初めは福島県の一部も含んでいた。1945年(昭和20年)に同域に仙台地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任する。.

新しい!!: 戦史叢書と仙台連隊区 · 続きを見る »

仙台陸軍飛行学校

仙台陸軍飛行学校(せんだいりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として航空関係の予備役兵科将校となる甲種幹部候補生の教育と、航空関係の現役兵科将校となる学生の地上勤務者教育を行った。1938年(昭和13年)7月、航空通信、機上射撃、火器の取扱い等に関する教育と研究等を行う水戸陸軍飛行学校として開設され、1940年(昭和15年)8月に航空通信の教育と研究を他校へ移管し、1943年(昭和18年)9月、宮城県に移転し仙台陸軍飛行学校と改称した。1944年(昭和19年)5月、仙台陸軍飛行学校は甲種幹部候補生、少尉候補者等の教育を主とする学校となり、1945年(昭和20年)8月、太平洋戦争(大東亜戦争)の終結により閉校された。 学校本部および本校は水戸陸軍飛行学校時代は茨城県那珂郡(現在のひたちなか市)に、仙台陸軍飛行学校となってからは宮城県名取郡(現在の名取市東南部から岩沼市東北部)に置かれた。ここでは前身の水戸陸軍飛行学校についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と仙台陸軍飛行学校 · 続きを見る »

伊号第十三潜水艦

伊号第十三潜水艦(いごうだいじゅうさんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の1番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の5番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第十三潜水艦 · 続きを見る »

伊号第十二潜水艦

伊号第十二潜水艦(いごうだいじゅうにせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。計画名は巡潜甲型改一(じゅんせんこうがたかいいち)で、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の4番艦。通商破壊戦に従事し、貨物船1隻を撃沈したが、1945年1月15日、マーシャル諸島近辺で消息不明となった。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第十二潜水艦 · 続きを見る »

伊号第十五潜水艦 (2代)

伊号第十五潜水艦(2代)本来の艦名表記は伊號第十五潛水艦。(いごうだいじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の3番艦とされているが、法令上は伊九型潜水艦の8番艦艦艇類別等級別表上の番数。本艦が艦艇類別等級別表に登載された1944年1月25日時点で伊号第九潜水艦が同表から削除済み、伊号第一潜水艦 (2代)が同表未登載であるため、これら2隻を含めると通算8番艦となる。。艦名は伊号第十五潜水艦 (初代)の襲用。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第十五潜水艦 (2代) · 続きを見る »

伊号第十五潜水艦 (初代)

伊号第十五潜水艦(初代)(いごうだいじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊十五型潜水艦の1番艦である。1942年12月、ソロモン諸島海域で喪失と認定。 本艦の除籍後、伊十三型潜水艦の3番艦が本艦の艦名を襲用し、川崎重工業で建造されたが未成に終わった。こちらの詳細は伊号第十五潜水艦 (2代)を参照のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第十五潜水艦 (初代) · 続きを見る »

伊号第十四潜水艦

伊号第十四潜水艦(いごうだいじゅうよんせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の2番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では伊九型潜水艦の6番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第十四潜水艦 · 続きを見る »

伊号第三百七十四潜水艦

伊号第三百七十四潜水艦本来の艦名表記は伊號第三百七十四潛水艦。(いごうだいさんびゃくななじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。普遍的には伊三百七十三型潜水艦(丁型改)の2番艦とされているが、法令上は伊三百六十一型潜水艦の14番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第三百七十四潜水艦 · 続きを見る »

伊号第三百五十一潜水艦

伊号第三百五十一潜水艦(いごうだいさんびゃくごじゅういちせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦。いわゆる潜水タンカー。計画名は潜補型、補給潜戦史叢書『海軍軍戦備(1)』、pp.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第三百五十一潜水艦 · 続きを見る »

伊号第三百五十二潜水艦

伊号第三百五十二潜水艦本来の艦名表記は伊號第三百五十二潛水艦。(いごうだいさんびゃくごじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊三百五十一型潜水艦の2番艦。建造中に被爆し沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第三百五十二潜水艦 · 続きを見る »

伊号第一潜水艦 (2代)

伊号第一潜水艦(2代)本来の艦名表記は伊號第一潛水艦。(いごうだいいちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。普遍的には伊十三型潜水艦の4番艦とされているが、法令上は伊九型潜水艦の1番艦艦艇類別等級別表上の番数。本艦が艦艇類別等級別表に登載された1944年3月15日時点で伊号第九潜水艦が同表から削除されているため、厳密には伊十型潜水艦の1番艦。。艦名は伊号第一潜水艦 (初代)の襲用。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第一潜水艦 (2代) · 続きを見る »

伊号第一潜水艦 (初代)

伊号第一潜水艦(初代)(いごうだいいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊一型潜水艦(海軍大型七十四型、大型七十四型、伊号型巡潜型、巡潜型、巡潜一型)の1番艦である。1943年(昭和18年)ガダルカナル島への輸送任務中に沈没。 本艦の除籍後、伊十三型潜水艦の4番艦が本艦の艦名を襲用し、川崎重工業で建造されたが未成に終わった。こちらの詳細は伊号第一潜水艦 (2代)を参照のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第一潜水艦 (初代) · 続きを見る »

伊号第二百七潜水艦

伊号第二百七潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百七潛水艦。(いごうだいにひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の7番艦。太平洋戦争後に解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百七潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百三潜水艦

伊号第二百三潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百三潛水艦。(いごうだいにひゃくさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊二百一型潜水艦の3番艦。太平洋戦争末期に竣工したが訓練に終始し、戦後アメリカに引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百三潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百一潜水艦

伊号第二百一潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百一潛水艦。(いごうだいにひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊二百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争末期に竣工したが訓練に終始し、戦後アメリカに引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百一潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百二潜水艦

伊号第二百二潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百二潛水艦。(いごうだいにひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊二百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争末期に竣工したが竣工したが訓練に終始し、戦後アメリカに引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百二潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百五潜水艦

伊号第二百五潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百五潛水艦。(いごうだいにひゃくごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の5番艦。建造中に沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百八潜水艦

伊号第二百八潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百八潛水艦。(いごうだいにひゃくはちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の8番艦。太平洋戦争後に解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百八潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百六潜水艦

伊号第二百六潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百六潛水艦。(いごうだいにひゃくろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の6番艦。太平洋戦争後に解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百六潜水艦 · 続きを見る »

伊号第二百四潜水艦

伊号第二百四潜水艦本来の艦名表記は伊號第二百四潛水艦。(いごうだいにひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊二百一型潜水艦の4番艦。建造中に沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第二百四潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四百七潜水艦

伊号第四百七潜水艦"伊号第四百七潜水艦"の名は、仮称艦名第5238号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第五二三八号艦、第五二三八号艦、あるいは第5238号艦とすべきところだが、Wikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(いごうだいよんひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊四百型潜水艦の1隻。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第四百七潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四百二潜水艦

伊号第四百二潜水艦昭和19年5月20日付 海軍大臣達 第169号。四〇二ではない。(いごうだいよんひゃくにせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の三番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第四百二潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四百五潜水艦

伊号第四百五潜水艦本来の艦名表記は伊號第四百五潛水艦。(いごうだいよんひゃくごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊四百型潜水艦の1隻。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第四百五潜水艦 · 続きを見る »

伊号第四百四潜水艦

伊号第四百四潜水艦本来の艦名表記は伊號第四百四潛水艦。(いごうだいよんひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊四百型潜水艦の4番艦。太平洋戦争後に解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と伊号第四百四潜水艦 · 続きを見る »

伊四百型潜水艦

伊四百型潜水艦(いよんひゃくがたせんすいかん)は、太平洋戦争中の大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。別名潜特型(せんとくがた)とも呼ばれる。なお、本型の計画縮小の補填として、巡潜甲型を改造した伊十三型潜水艦があり外形が似ている。.

新しい!!: 戦史叢書と伊四百型潜水艦 · 続きを見る »

伊良湖 (給糧艦)

伊良湖(いらこ)は#達昭和16年2月(1)pp.3-4『達第二十四號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ一等驅逐艦二隻、一等潜水艦一隻、驅潜艇一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 舞風(マヒカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 夕雲(ユフグモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十一潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 第十七號驅潜艇|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 運送艦 伊良湖(イラコ)』、日本海軍の特務艦(運送艦)#内令昭和16年2月pp.18-19『内令第百三十四號 特務艦類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年二月五日 海軍大臣及川古志郎|運送艦ノ項中「宗谷」ノ下ニ「、伊良湖」ヲ加フ』。.

新しい!!: 戦史叢書と伊良湖 (給糧艦) · 続きを見る »

伊集院松治

伊集院 松治(いじゅういん まつじ、1893年(明治26年)4月21日 - 1944年(昭和19年)5月24日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍中将。男爵。.

新しい!!: 戦史叢書と伊集院松治 · 続きを見る »

伏見宮博恭王

伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう、1875年(明治8年)10月16日 - 1946年(昭和21年)8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。伏見宮貞愛親王王子。議定官、軍令部総長を務めた。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。 日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う。また艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富であった。.

新しい!!: 戦史叢書と伏見宮博恭王 · 続きを見る »

弥生 (睦月型駆逐艦)

彌生(やよい/やよひ)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 彌生(ヤヨヒ)トス』。睦月型駆逐艦の3番艦である。艦名は旧暦で3月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「弥生」に続いて2代目。なお日本海軍の登録上は旧字の「彌生」#内令昭和17年10月(4)pp.9-10『内令第千九百三十二號 佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 彌生 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十一潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 特務艦 樫野 右帝国特務艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎』だが、ここでは「弥生」と表記する。.

新しい!!: 戦史叢書と弥生 (睦月型駆逐艦) · 続きを見る »

弘前連隊区

弘前連隊区(ひろさきれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は青森大隊区である。青森県の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は弘前連隊区司令部が執行した。岩手県・秋田県の一部を管轄した時期もあった。1925年(大正14年)5月、青森連隊区に統合され廃止となった。.

新しい!!: 戦史叢書と弘前連隊区 · 続きを見る »

佐多 (給油艦)

佐多(さた)は日本海軍の給油艦。知床型の4番艦。鹿児島県の佐多岬より名称が取られる。.

新しい!!: 戦史叢書と佐多 (給油艦) · 続きを見る »

佐世保海軍航空隊

佐世保海軍航空隊(させぼかいぐんこうくうたい)は日本海軍の部隊の1つ。横須賀海軍航空隊に次いで開かれた二番目の海軍航空隊である。 研究・教育機能を持つ横空と違い、純然たる水上機基地として機能しており、西日本近海の哨戒や佐世保鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。昭和19年12月15日に、西日本の哨戒航空隊を統合した第九五一海軍航空隊(だい951かいぐんこうくうたい)の主力隊に変容した。本稿では統合後の九五一空も合わせて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と佐世保海軍航空隊 · 続きを見る »

佐伯海軍航空隊

佐伯海軍航空隊(さえきかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つである。.

新しい!!: 戦史叢書と佐伯海軍航空隊 · 続きを見る »

佐賀連隊区

佐賀連隊区(さがれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は佐賀大隊区である。佐賀県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は佐賀連隊区司令部が執行した。福岡県・長崎県の一部を管轄した時期もあった。二度廃止され、三度設置されている。1945年(昭和20年)、同域に佐賀地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と佐賀連隊区 · 続きを見る »

佐藤康夫

佐藤 康夫(さとう やすお、1894年3月31日 - 1943年3月3日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と佐藤康夫 · 続きを見る »

佐渡 (海防艦)

佐渡(さど)は、日本海軍の海防艦#達昭和17年8月pp.19-22『達第二百三十三號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦五隻、海防艦四隻、掃海艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 若月(ワカツキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十潜水艦 伊號第四十一潜水艦 伊號第四十二潜水艦 伊號第五十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百九潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 海防艦 擇捉(エトロフ) 特務艦 白埼(シラサキ)|三井造船株式會社玉工場ニ於テ建造 海防艦 松輪(マツワ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 佐渡(サド)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 海防艦 隠岐(オキ)|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第二十三號掃海艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 第二十六號掃海艇』。 普遍的には択捉型海防艦の3番艦とされているが補助艦艇奮戦記246頁『佐渡(さど)』、海軍省が定めた艦艇類別等級では占守型海防艦の7番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と佐渡 (海防艦) · 続きを見る »

御蔵 (海防艦)

御蔵本来の艦名表記は御藏。 (みくら)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の1番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と御蔵 (海防艦) · 続きを見る »

徳島連隊区

徳島連隊区(とくしまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は徳島大隊区である。徳島県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は徳島連隊区司令部が執行した。高知県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に徳島地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と徳島連隊区 · 続きを見る »

徳島海軍航空隊

徳島海軍航空隊(とくしまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。戦闘機専修搭乗員の教育を推進するため、実用機練習を推進した。しかし決戦体制に移行した昭和20年3月以降は、特攻実施部隊となって沖縄戦に参加した。 .

新しい!!: 戦史叢書と徳島海軍航空隊 · 続きを見る »

後套進攻作戦

後套進攻作戦(こうとうしんこうさくせん)とは、日中戦争中の1940年(昭和15年)1月から3月までの間、日本の駐蒙軍により二次に亘って行われた、綏遠省後套地区(五原地方)への進攻作戦である。当初の作戦秘匿名は八号作戦。別名の五原作戦(ごげんさくせん)でも知られる。.

新しい!!: 戦史叢書と後套進攻作戦 · 続きを見る »

保科善四郎

保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。.

新しい!!: 戦史叢書と保科善四郎 · 続きを見る »

志自岐 (給油艦)

志自岐(しじき)は、日本海軍の運送船(給油船)、沈没後に運送艦(給油艦)に類別。艦名は長崎県平戸島の志々岐埼による#日本海軍艦船名考p.204#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)p.585。「志自岐」は1915年(大正4年)以前の水路図誌での表記。 日本海軍が初めて建造した給油船(現在のタンカーに相当)で、1919年にタラカンからの重油輸送中に遭難、沈没し多くの殉職者を出した。.

新しい!!: 戦史叢書と志自岐 (給油艦) · 続きを見る »

土浦海軍航空隊

土浦海軍航空隊(つちうらかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。予科練の練成を行ってきた霞ヶ浦海軍航空隊を初歩練習・実用練習部隊に改編させるため、予科練習部を独立移転させる形で発足した。太平洋戦争開戦とともに、全国各地に後発の予科練航空隊が林立したが、そのルーツともいえる教育部隊である。.

新しい!!: 戦史叢書と土浦海軍航空隊 · 続きを見る »

地区特設警備隊

地区特設警備隊(ちくとくせつけいびたい)とは、日本陸軍が太平洋戦争末期の本土決戦に備えて編成した臨時の部隊。連隊区・兵事区の組織を基礎とし、緊急時に防衛召集によって一時的に集めた兵員を充当する。軍民一体となった地域の防衛のため、国民戦闘組織の中核に予定された。樺太の戦いにおいて実戦に参加している。.

新しい!!: 戦史叢書と地区特設警備隊 · 続きを見る »

北橘村

北橘村(きたたちばなむら)は、群馬県の中央部、勢多郡の人口約1万の村であった。赤城山南西麓に位置し、村の西を流れる利根川を挟み渋川市と相対する。村の最南部の利根川沿いを国道17号が走る。また、最北部には国道353号が通り、共に橋が架けられ渋川市へと通じる。 1889年に当初、南勢多郡北橘村として発足し、1896年に南勢多郡は東群馬郡とともに勢多郡と改められた。2006年2月20日に渋川市、北群馬郡伊香保町、小野上村、子持村、勢多郡赤城村とともに新設合併し、消滅した。 村名としての「北橘」は、「きたたちばな」と読むが、しばしば「ほっきつ」の読みが使われた。この地名は、明治時代の末に「橘山」(現在の前橋市北西にある小山)を境として橘村を南北をそれぞれ「北橘村」、「南橘村」としたことに始まる(南橘村は、1954年に前橋市に編入されている)。2006年2月20日に市町村合併により渋川市となり、北橘村地域は北橘町(ほっきつまち)として残る。.

新しい!!: 戦史叢書と北橘村 · 続きを見る »

北支那方面軍戦闘序列

北支那方面軍戦闘序列(きたしなほうめんぐんせんとうじょれつ)は、北支那方面軍が臨時編成されたとき(1937年8月31日)の戦闘序列。 臨参命第八十二号 昭和十二年八月三十一日 1937年8月31日.

新しい!!: 戦史叢書と北支那方面軍戦闘序列 · 続きを見る »

ナーワル (潜水艦)

ナーワル (USS Narwhal, SS-167) は、アメリカ海軍の潜水艦。ナーワル級潜水艦の一隻であり、の一つ。艦名は北極海に生息するマイルカ科のイッカクに因んで命名された。その名を持つ艦としては2隻目。当初の艦名はV-5 (SC-1)であった。.

新しい!!: 戦史叢書とナーワル (潜水艦) · 続きを見る »

ナボイの戦い

ナボイの戦い(ナボイのたたかい、日本側呼称)またはコイアリ襲撃(Koiari Raid、アメリカ側呼称)とは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月29日にブーゲンビル島ナボイ(コイアリ)において、アメリカ軍と日本軍の間で行われた戦闘。ブーゲンビル島の戦いの一部であり、1個大隊規模のアメリカ海兵隊が日本軍の反撃を妨害する目的で上陸戦を仕掛けた。予想より有力な日本軍の抵抗を受けてアメリカ軍の作戦は失敗し、海兵隊は全く目的を達成できないまま撤退した。.

新しい!!: 戦史叢書とナボイの戦い · 続きを見る »

ペダル作戦

ペダル作戦(ペダルさくせん、Operation Pedal)は、第二次世界大戦後期の1944年6月にイギリス海軍東洋艦隊が実行した、アンダマン諸島の日本軍拠点ポートブレアに対する空襲。 作戦には次の艦艇が参加した。.

新しい!!: 戦史叢書とペダル作戦 · 続きを見る »

ミンドロ島の戦い

ミンドロ島の戦い(ミンドロとうのたたかい、Battle of Mindoro)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1944年12月13日から2月下旬にかけて、日本軍とアメリカ軍により、フィリピン北部のミンドロ島で行われた戦闘である。アメリカ軍の作戦目的は、ルソン島の戦いの準備として作戦拠点を確保すること、及び全フィリピン諸島を日本軍から解放する一環としてのミンドロ島自体の奪還にあった。圧倒的に優勢なアメリカ軍の攻撃により、日本軍守備隊は全滅した。.

新しい!!: 戦史叢書とミンドロ島の戦い · 続きを見る »

ミンダナオ島の戦い

ミンダナオ島の戦い(ミンダナオとうのたたかい)は、太平洋戦争中の1945年3月10日から終戦までフィリピン諸島ミンダナオ島で行われた、日本軍とアメリカ軍及びフィリピン人ゲリラの間の戦いである。アメリカ軍側からみるとフィリピン解放作戦の一環として行われ、サンボアンガに上陸する「ヴィクター4号」と、残るダバオなどの制圧作戦である「ヴィクター5号」からなっていた。すでにレイテ島の戦いなどで消耗しきっていた日本軍は、苦戦を強いられることになった。この戦いの結果、南部フィリピンの主要部は連合軍によって確保された。.

新しい!!: 戦史叢書とミンダナオ島の戦い · 続きを見る »

ミッドウェー海戦

ミッドウェー海戦(ミッドウェーかいせん; Battle of Midway)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)6月5日(アメリカ標準時では6月4日)~7日(6月3日から5日とする場合もある)、ミッドウェー島付近での海戦。同島攻略をめざす日本海軍をアメリカ海軍が迎え撃つ形で発生、日本海軍の機動部隊と米国の機動部隊及び同島基地航空部隊との航空戦の結果、日本海軍は航空母艦4隻とその艦載機多数を一挙に喪失する大損害を被り、この戦争における主導権を失った。ミッドウェー海戦はMI作戦の一部であり、この敗北で同作戦は中止された。.

新しい!!: 戦史叢書とミッドウェー海戦 · 続きを見る »

ミ船団

ミ船団(ミせんだん) またはミ号船団(ミごうせんだん)とは、日本が太平洋戦争後期に日本本土とボルネオ島ミリとの間で運航した一連の護送船団である。中小型のタンカーを主力に日本本土への石油輸送を主任務とした。戦況の悪化により航路やミリの危険が増えたため、開設から半年余りの1944年11月末に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書とミ船団 · 続きを見る »

ノモンハン事件

ノモンハン事件(ノモンハンじけん)は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に日本(大日本帝国)とソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。.

新しい!!: 戦史叢書とノモンハン事件 · 続きを見る »

マリアナ・パラオ諸島の戦い

マリアナ・パラオ諸島の戦い(マリアナ・パラオしょとうのたたかい英語 Mariana and Palau Islands campaign)は、太平洋戦争中に日本軍とアメリカ軍の間でマリアナ諸島、パラオ諸島をめぐり行われた戦闘である。太平洋方面では連合軍の反攻により日本軍は後退が続いていたが、日本が『絶対確保を要する圏域』としたマリアナ諸島、パラオ諸島にも連合軍は進攻を開始した。これは最終目標の日本本土進攻に向けて新たな基地を確保するためで、島を防衛する日本軍との間で熾烈な戦闘が行われた。また、海上でも大規模な海戦が発生した。.

新しい!!: 戦史叢書とマリアナ・パラオ諸島の戦い · 続きを見る »

マリアナ諸島空襲

マリアナ諸島空襲(マリアナしょとうくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年2月23日にアメリカ海軍機動部隊が行った、マリアナ諸島の日本軍に対する航空攻撃である。開戦以来初めてのアメリカ軍によるマリアナ諸島に対する航空作戦として、トラック島空襲に続いて行われ、日本軍の基地航空部隊に一方的に大打撃を与えた。.

新しい!!: 戦史叢書とマリアナ諸島空襲 · 続きを見る »

マリアナ沖海戦

マリアナ沖海戦(マリアナおきかいせん)は、太平洋戦争においてあ号作戦として1944年6月19日から6月20日にかけてマリアナ諸島沖とパラオ諸島沖で行われた日本海軍とアメリカ海軍空母機動部隊の海戦。アメリカ軍側の呼称はフィリピン海海戦(Battle of the Philippine Sea)である。アメリカ側の作戦名は、海上作戦を含むサイパン島攻略作戦全体についてフォレージャー作戦(「掠奪者作戦」の意味)と命名されていた。 マリアナ諸島に侵攻するアメリカ軍を日本軍が迎撃した本作戦では、日本はアウトレンジ戦法による航空作戦を行うが、アメリカから「マリアナの七面鳥撃ち(Great Marianas Turkey Shoot)」と揶揄されるほどの一方的な敗北となり、日本海軍は空母3隻と搭載機のほぼ全てに加えて出撃潜水艦の多くも失う壊滅的敗北を喫し、空母部隊による戦闘能力を喪失した。マリアナ諸島の大半はアメリカ軍が占領することとなり、西太平洋の制海権と制空権は完全にアメリカの手に陥ちた。.

新しい!!: 戦史叢書とマリアナ沖海戦 · 続きを見る »

マル1計画

①計画(まるいちけいかく)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。正式名称は第一次補充計画であり、通称として○の中に数字を入れてマル1(まるいち)計画と呼ばれた。ロンドン海軍軍縮条約締結に対応した建艦計画の第一弾である。.

新しい!!: 戦史叢書とマル1計画 · 続きを見る »

マル2計画

マル2計画(まるにけいかく)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。正式名称は第二次補充計画であり、通称として○の中に数字を入れてマル2(まるに)計画と呼ばれた。ロンドン海軍軍縮条約締結に対応した建艦計画の第二弾であり、マル1計画と合わせてロンドン条約の保有量を満たすことを目的とした。.

新しい!!: 戦史叢書とマル2計画 · 続きを見る »

マル3計画

マル3計画(まるさんけいかく)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。正式名称は第三次海軍軍備補充計画だが、通称として○の中に数字を入れてマル3(まるさん)計画と呼ばれた。軍縮条約から脱退後、初の建艦計画であり、海軍国防所要兵力整備十年構想の前半四ヵ年計画にあたるものである。.

新しい!!: 戦史叢書とマル3計画 · 続きを見る »

マル4計画

マル4計画(まるよんけいかく)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。正式名称は第四次海軍軍備充実計画だが、通称として○の中に数字を入れてマル4(まるよん)計画と呼ばれた。海軍国防所要兵力整備十年構想の後半六ヵ年計画にあたるものである。.

新しい!!: 戦史叢書とマル4計画 · 続きを見る »

マル5計画

マル5計画(まるごけいかく)は、大日本帝国海軍の艦艇建造計画。正式には、第五次海軍軍備充実計画だが、通称として○の中に数字を入れてマル5(まるご)計画と呼ばれた。昭和16年に計画され、昭和17年から25年までの9ヶ年間で実行される予定であった。.

新しい!!: 戦史叢書とマル5計画 · 続きを見る »

マル6計画

マル6計画(まるろくけいかく)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。正式名称は第六次海軍軍備充実計画だが、通称として○の中に数字を入れてマル6(まるろく)計画と呼ばれた。.

新しい!!: 戦史叢書とマル6計画 · 続きを見る »

マル追計画

マル追計画(まるついけいかく)は、日本海軍の戦備計画。1941年に計画された不足潜水艦の追加建造計画。標的艦1隻を含む33隻が計画され11隻が竣工した。.

新しい!!: 戦史叢書とマル追計画 · 続きを見る »

マル臨計画

マル臨計画(まるりんけいかく)は、日本海軍の戦備計画。正式名称は「情勢ニ応ズル軍備欠陥補充」だが、通称として漢字の「臨」のまわりをマルで囲って「マル臨計画」と呼ばれた。艦艇55隻の建造が計画され52隻が竣工した。.

新しい!!: 戦史叢書とマル臨計画 · 続きを見る »

マル急計画

マル急計画(まるきゅうけいかく)は、日本海軍の戦備計画。出師準備計画要領に示された戦時艦船急速建造計画と航空増勢計画を指す『日本海軍史』第4巻、54–55頁。。急速に実施する戦時計画ということで、「急」のまわりをマルで囲って「マル急計画」と呼ばれた。.

新しい!!: 戦史叢書とマル急計画 · 続きを見る »

マレー作戦

マレー作戦(マレーさくせん、馬来作戦、日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。 太平洋戦争(大東亜戦争)における最初の作戦である(つまり、「真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった」という一部の記事にある記述は誤りである)。世界史的には、本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパやアフリカのみならずアジア太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。 1941年12月8日にマレー半島北端に奇襲上陸した日本軍は、イギリス軍と戦闘を交えながら55日間で1,100キロを進撃し、1942年1月31日に半島南端のジョホール・バル市に突入した。これは世界の戦史上まれに見る快進撃であった。作戦は大本営の期待を上回る成功を収め、日本軍の南方作戦は順調なスタートを切った。.

新しい!!: 戦史叢書とマレー作戦 · 続きを見る »

ノーチラス (潜水艦)

ノーチラス は、アメリカ海軍の潜水艦。ナーワル級潜水艦の一隻であり、の一隻。艦名はオウムガイ科に属する頭足類の総称に因む。その名を持つ艦としては5隻目。.

新しい!!: 戦史叢書とノーチラス (潜水艦) · 続きを見る »

マーシャル・ギルバート諸島機動空襲

マーシャル・ギルバート諸島機動空襲(マーシャル・ギルバートしょとうきどうくうしゅう)とは、太平洋戦争初期の1942年(昭和17年)2月1日にアメリカ海軍の空母機動部隊が行った、マーシャル諸島およびギルバート諸島の日本軍に対する航空攻撃である。緒戦で打撃を受けたアメリカ海軍が、使用可能な空母を活用して一撃離脱を仕掛けた。同様の機動空襲の最初の事例であり、太平洋戦争におけるアメリカ海軍の最初の積極的作戦行動であった。.

新しい!!: 戦史叢書とマーシャル・ギルバート諸島機動空襲 · 続きを見る »

マニラの戦い (1945年)

マニラの戦い(マニラのたたかい)は、第二次世界大戦末期の1945年2月3日から同年3月3日までフィリピンの首都のマニラで行われた日本軍と連合軍の市街戦のことを指す。日本軍は敗れ、三年間に及んだ日本のフィリピン支配は幕を閉じた。 70万人の市民が残留したままで行われた戦いは太平洋戦争では最大規模となる市街戦となり、10万人の市民が巻き添えで死亡した。.

新しい!!: 戦史叢書とマニラの戦い (1945年) · 続きを見る »

マキン奇襲

マキン奇襲(まきんきしゅう)とは、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)8月17日から翌日にかけて、ギルバート諸島ブタリタリ環礁(当時の呼称はマキン環礁)で、アメリカ軍が日本軍に対して行ったコマンド作戦である。アメリカ軍は潜水艦で海兵隊を送りこみ、マキンに駐屯していた日本海軍陸戦隊を壊滅させて引き上げた。.

新しい!!: 戦史叢書とマキン奇襲 · 続きを見る »

バンパー (潜水艦)

バンパー (USS Bumper, SS-333) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名のBumperは、一般的には北米両岸に生息するクラカケヒラアジ属2種を指す。アメリカ公文書はインド洋に生息する魚を指定しているが、クラカケヒラアジ属はインド洋には生息していない。.

新しい!!: 戦史叢書とバンパー (潜水艦) · 続きを見る »

バーニー作戦

バーニー作戦(バーニーさくせん, Operation Barney)は、太平洋戦争末期の1945年6月にアメリカ海軍の潜水艦部隊が行った日本海での通商破壊作戦である。対馬海峡から日本軍の機雷を回避して潜入し、日本に残された数少ないシーレーンを襲って複数の商船を撃沈することに成功したものの損失も受けた。.

新しい!!: 戦史叢書とバーニー作戦 · 続きを見る »

ポートモレスビー作戦

ポートモレスビー作戦(ポートモレスビーさくせん)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍とがポートモレスビーの支配を巡って行った戦闘。当時はスタンレー作戦と呼ばれ、連合軍側の名称を和訳して、前半をココダ道の戦い (Kokoda Track campaign)、後半をブナとゴナの戦い (Battle of Buna-Gona)とも呼ぶ。.

新しい!!: 戦史叢書とポートモレスビー作戦 · 続きを見る »

メリディアン作戦

メリディアン作戦 (Operation Meridian) は、第二次世界大戦中にイギリス海軍が実行した、日本軍占領下のスマトラ島パレンバン近くの製油所空爆。スマトラ島パンカラン・ブランダンの製油所攻撃(ロブソン作戦、レンティル作戦)に続き実行された作戦で、1945年1月24日と29日に攻撃が行われた。この攻撃により、一時的にではあるがパレンバンの精油機能は完全に停止した戦史叢書『第三航空軍の作戦』、661頁。。製油所の航空燃料の生産量は75パーセント減少した。.

新しい!!: 戦史叢書とメリディアン作戦 · 続きを見る »

モロタイ島の戦い

モロタイ島の戦い(モロタイとうのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)後期にインドネシア東部モルッカ諸島のモロタイ島で守備する日本軍と上陸したアメリカ軍主力の連合国軍の間で行われた戦いである。 アメリカ軍の作戦名はトレードウィンド作戦(Operation Tradewind)。 アメリカ軍は、フィリピン反攻作戦の第一歩として、モロタイ島を占領し飛行場など大規模な基地を建設した。.

新しい!!: 戦史叢書とモロタイ島の戦い · 続きを見る »

ラバウル空襲

ラバウル空襲(ラバウルくうしゅう)は、第二次世界大戦中にラバウルで日本軍と連合国軍との戦闘で行われた空襲。1942年のラバウル攻略時に日本軍が実施した空襲をはじめ、1943年に連合国軍がブーゲンビル島の戦いの援護を目的として実施した大規模な空襲などがある。 ラバウルにおける航空隊についてはラバウル航空隊を参照。.

新しい!!: 戦史叢書とラバウル空襲 · 続きを見る »

ラムリー島の戦い

ラムリー島の戦い(ラムリーとうのたたかい)は、太平洋戦争中の1945年1月21日に、ビルマ(現ミャンマー)のラムリー島を奪還するためにイギリス軍が上陸し、日本軍と戦った戦闘。約1ヶ月の戦闘で日本軍は敗れて撤退し、イギリス軍が島を占領した。島には飛行場が整備され、イギリス軍のラングーン侵攻作戦などに活用された。.

新しい!!: 戦史叢書とラムリー島の戦い · 続きを見る »

ラビの戦い

ラビとポートモレスビー、ソロモン諸島の位置関係 ラビの戦い(ラビのたたかい・連合軍呼称:ミルン湾の戦いBattle of Milne Bay)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年8月下旬から9月初旬に渡り、東部ニューギニアのミルン湾ラビにおいて、日本軍とオーストラリア・アメリカ連合軍との間で行われた戦闘である。連合軍が建設した飛行場に対し、日本軍が海軍陸戦隊を上陸させて占領を試みたが敗退した。.

新しい!!: 戦史叢書とラビの戦い · 続きを見る »

ラエ・サラモアの戦い

ラエ・サラモアの戦い(ラエ・サラモアのたたかい、Battle of Lae-Salamaua, 1943年1月7日 - 9月16日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線における戦闘の1つ。ニューギニア島東部の要地ラエとサラモアを占領していた日本軍を、オーストラリア軍を主体とする連合軍が攻撃し、ラエとサラモアを奪還した。日本軍は標高4,100メートルのサラワケット山系を越えて撤退した。.

新しい!!: 戦史叢書とラエ・サラモアの戦い · 続きを見る »

リンガ泊地

リンガ泊地(リンガはくち)は、シンガポールの南80浬のリンガ諸島とスマトラ島との間に設けられていた艦艇停泊地であり、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の根拠地としてトラック諸島と並んで重要であった。「リンガ作業地」という呼称も使われたことがある『第十六戦隊戦時日誌』。.

新しい!!: 戦史叢書とリンガ泊地 · 続きを見る »

ルンガ沖航空戦

ルンガ沖航空戦(ルンガおきこうくうせん)とは、1943年6月16日に日本海軍がガダルカナル島のルンガ岬付近で連合軍の輸送船団に対して行った航空戦である。ソロモン諸島方面における敵航空機の撃滅を目指した「ソ」作戦に続く「セ」作戦として実施されたが、大本営発表時にルンガ沖航空戦の名称が付けられた。開戦以来、日本海軍は航空機のみの攻撃でも海戦と呼称していたが、本戦闘で初めて航空戦という名称が採用された。「ソ」作戦を含む六〇三作戦の一環として実施されたが、連合軍の航空機、艦船に大きな損害を与えることができずに、自軍の航空戦力を消耗した。.

新しい!!: 戦史叢書とルンガ沖航空戦 · 続きを見る »

ルソン島の戦い

ルソン島の戦い(ルソンとうのたたかい)は、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。.

新しい!!: 戦史叢書とルソン島の戦い · 続きを見る »

レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

新しい!!: 戦史叢書とレイテ沖海戦 · 続きを見る »

ロブソン作戦

ブソン作戦 (Operation Robson) は、1944年12月にイギリス軍により実行された、スマトラ島の製油所攻撃を目的とした作戦。 作戦参加部隊は以下の通りであった。.

新しい!!: 戦史叢書とロブソン作戦 · 続きを見る »

ボルネオの戦い

ボルネオの戦いの作戦図 ボルネオの戦い(ボルネオのたたかい)は、太平洋戦争中に、日本軍の守るボルネオ島と付属島嶼へ、オーストラリア軍を主力とした連合軍が侵攻して起きた戦い。連合軍が勝利したが、戦略的に大きな影響はなかった。.

新しい!!: 戦史叢書とボルネオの戦い · 続きを見る »

ボーフィン (潜水艦)

ボーフィン (USS Bowfin, SS/AGSS-287) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級の一隻。1944年8月22日、沖縄からの学童疎開船「対馬丸」を撃沈した潜水艦である。艦名はアメリカ東部に生息する淡水魚ボーフィン(アミア・カルヴァ)に因む。.

新しい!!: 戦史叢書とボーフィン (潜水艦) · 続きを見る »

トランサム作戦

トランサム作戦(Operation Transom)は、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)5月17日に行われたアメリカ海軍とイギリス海軍の合同機動部隊によるジャワ島スラバヤの日本軍に対する航空攻撃。日本軍の航空機や艦船、陸上施設に打撃を与えることに成功した。.

新しい!!: 戦史叢書とトランサム作戦 · 続きを見る »

トラック島空襲

トラック島空襲(トラックとうくうしゅう)は、太平洋戦争中の1944年2月17日-18日にアメリカ軍機動部隊が実施した日本軍の拠点トラック島への空襲である。 アメリカ軍の作戦名はヘイルストーン作戦(Operation Hailstone)で、エニウェトク環礁攻略を目的としたキャッチポール作戦(Operation Catchpole)の支作戦であった。日本ではこの空襲の被害を海軍丁事件(かいぐんていじけん)と呼称した。この攻撃により日本軍は多数の艦船と航空機を失い、トラック島は無力化されたが、アメリカ軍は攻略にかかる手間を避けて進攻を行ったため、敵中で孤立したまま終戦まで日本軍の拠点として残った。.

新しい!!: 戦史叢書とトラック島空襲 · 続きを見る »

ブーゲンビル島の戦い

ブーゲンビル島の戦い(ブーゲンビルとうのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦闘の一つである。日本軍が占領したブーゲンビル島で、アメリカ軍が上陸した1943年11月1日から停戦の1945年8月21日まで戦われた。.

新しい!!: 戦史叢書とブーゲンビル島の戦い · 続きを見る »

パラオ大空襲

パラオ大空襲(パラオだいくうしゅう)は、太平洋戦争後期の1944年3月30日-3月31日にアメリカ海軍の空母機動部隊が行った、パラオの日本軍に対する大規模な航空攻撃である。4月1日にかけてヤップ島・ウォレアイ環礁・ウルシー環礁も同時に攻撃目標とされた。アメリカ海軍の作戦名はディセクレイト・ワン作戦()。 アメリカ軍の目的はニューギニア島のホーランジア上陸作戦の準備として、ホーランジアに近いパラオの日本側の航空、海上戦力を制圧することであった。パラオは日本海軍の重要泊地であったが、碇泊中の輸送船・支援艦船多数が撃沈され、機能を喪失した。復旧妨害のため、史上初の空母搭載機による機雷敷設も行われた。本空襲は、古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職する海軍乙事件の発端ともなり、その後の日本海軍の作戦計画に多大な悪影響を残した。.

新しい!!: 戦史叢書とパラオ大空襲 · 続きを見る »

パルラーダ (防護巡洋艦)

パルラーダ、パルヲーダ#津軽引揚及回航pp.1-2『第九章津輕(元「パルヲーダ」)引揚及ヒ回航 第一節 損害程度及ヒ沈没原因』、パルラダ、パラーダ(ロシア語:Палладаパルラーダまたはパラーダ)は、ロシア帝国海軍のヂアーナ級防護巡洋艦である。 旅順攻囲戦で日本海軍に鹵獲(戦利艦)、二等巡洋艦「津軽」として再就役した#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.71『津輕(つがる) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用) 艦名考海峡名なり、津輕海峡に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「パルラダ」、明治32年露國「グレルヌイ」島海軍工廠にて進水。同37年2月日露戰役の劈頭、我が驅逐隊襲撃に於て先づ傷き、後ち8月10日の海戰に参加、其の後旅順港内に破壊沈没、同38年1月1日(旅順の露軍降伏開城の日之が収容引揚に着手、同年8月22日帝國軍艦と定め「津輕」と命名。大正9年敷設艦に編入。同11年4月1日除籍。 ―要目― 長 416呎/幅 55呎/喫水 21.0呎/排水量 6,630噸/機關 横置三汽筒三聯成汽罐3基、ベルビル罐24臺/馬力 11,600/速力 20/乗組人員 532/船材 鋼(シーズド式)/兵装 15栂砲8 8栂砲12 機砲2 發射管3|起工 明治29/進水 同32-8-28/竣工 同35|建造所 露國グレルヌイ海軍工廠』。.

新しい!!: 戦史叢書とパルラーダ (防護巡洋艦) · 続きを見る »

ヒ40船団

ヒ40船団(ヒ40せんだん)は、太平洋戦争中の1944年2月に運航された日本の護送船団の一つである。日本本土へ石油を輸送するためタンカーを中心に編成された重要船団だったが、アメリカ海軍の潜水艦の攻撃で全てのタンカーを撃沈された。ヒ40船団の壊滅は日本海軍に衝撃を与え、日本が海上護衛戦術を大船団主義に転換するきっかけとなった。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ40船団 · 続きを見る »

ヒ71船団

ヒ71船団(ヒ71せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年8月-9月に日本からシンガポールへ航海した日本の護送船団である。高速タンカーが中心の優秀輸送船20隻を空母を含む艦隊で護衛した、日本としては最大級の護送船団であったが、アメリカ海軍潜水艦の襲撃で大損害を出した。日本側の死者は乗船中の陸軍将兵ら約8000人に上った。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ71船団 · 続きを見る »

ヒ81船団

ヒ81船団(ヒ81せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年11月-12月に日本からシンガポールへ航海した、日本の護送船団である。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ81船団 · 続きを見る »

ヒ86船団

ヒ86船団(ヒ86せんだん)は、太平洋戦争後期の1945年1月に運航された日本の護送船団の一つである。連合国軍のフィリピン反攻で南方航路が閉塞に向かうなか、有力な護衛の下に日本本土への石油輸送を試みたが、アメリカ海軍の機動部隊による空襲と遭遇し、護衛艦の一部を残して全滅した。日本の護送船団で最悪の被害を出した事例の一つに数えられ、日本が大規模船団方式の護衛戦術を放棄する転換点となった。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ86船団 · 続きを見る »

ヒ87船団

龍鳳」。 ウルシー泊地付近を航行中の第38任務部隊第3群。(1944年12月) ヒ87船団(ヒ87せんだん)は、太平洋戦争後期の1944年12月-1945年1月に門司からシンガポールへ航海した日本の護送船団である。貴重な大型タンカーを中心に編成され、石油の積み取りを任務とした。フィリピン反攻作戦のため行動中のアメリカ海軍機動部隊により空襲され、壊滅的損害を被った。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ87船団 · 続きを見る »

ヒ船団

当時の日本の典型的な大型タンカーだった極東丸。同様の1万トン級タンカーがヒ船団の主力で、「極東丸」もヒ71船団に参加している。 ヒ船団(ヒせんだん) / ヒ号船団(ヒごうせんだん)は、日本(大日本帝国)が太平洋戦争後半において日本本土とシンガポール間で運航した一連の護送船団である。主な任務は、日本占領下のオランダ領東インドから産出する石油を、日本本土に輸送することであった。大型高速のタンカーを中心に構成され、フィリピン方面へ増援部隊を送る軍隊輸送船も多く加入した。戦略的に重要な船団として優先的に護衛されたが、アメリカ海軍の潜水艦や航空機による攻撃で大きな損害を受け、沖縄へのアメリカ軍上陸が迫った1945年(昭和20年)3月に運航停止となった。.

新しい!!: 戦史叢書とヒ船団 · 続きを見る »

ビルマの戦い

ビルマの戦い(ビルマのたたかい、Burma Campaign)は、太平洋戦争(大東亜戦争)の局面の1つ。イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、イギリス軍・アメリカ軍・中華民国国民党軍とが戦った。戦いは1941年の開戦直後から始まり、1945年の終戦直前まで続いた。 地名の表記については「地名の表記について」を参照。.

新しい!!: 戦史叢書とビルマの戦い · 続きを見る »

ビアク島の戦い

1944年4月時点での豪北方面における日本軍の態勢 ビアク島及びスピオリ島全図 ビアク島の戦い(ビアクとうのたたかい, Battle of Biak, 1944年5月27日 - 8月20日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線における戦闘の1つ。 アメリカ軍は、マリアナ諸島への進攻に先立ち、飛行場確保などを目的としてニューギニア北西部のビアク島へ上陸した。これに対して日本軍の守備隊は「北のアッツ、南のビアク」と呼ばれるほどの抵抗を続け、1か月以上も飛行場の使用開始を許さなかった。しかしこの善戦はマリアナ沖海戦の結果には結びつかなかった。.

新しい!!: 戦史叢書とビアク島の戦い · 続きを見る »

ビコール支隊

ビコール支隊(ビコールしたい)は、大日本帝国陸軍の集成支隊の一つ。1945年(昭和20年)3月19日に第41軍(振武集団)命令によって、フィリピンのルソン島のビコル半島(当時は「ビコール」と呼称)およびサマール島、カプル島に配置されていた陸軍部隊をもって編成された。.

新しい!!: 戦史叢書とビコール支隊 · 続きを見る »

ビスマルク海海戦

日本軍の行動図 ビスマルク海海戦(ビスマルクかいかいせん、Battle of Bismarck Sea)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)3月2日から3月3日に、ビスマルク海からダンピール海峡にかけての海域で、連合国軍が日本軍の輸送船団に対し航空攻撃を行ったことで発生した戦闘のこと昭和天皇実録九巻42頁『(昭和十八年三月)三日 水曜日(第五十一師団輸送船団壊滅)』。.

新しい!!: 戦史叢書とビスマルク海海戦 · 続きを見る »

ビサヤ諸島の戦い

フィリピン戦開始時の日本軍配置図。ビサヤ諸島には第102師団しかなく、以後さらに減少した。 ビサヤ諸島の戦い(ビサヤしょとうのたたかい)は、太平洋戦争末期のフィリピン・ビサヤ諸島において行われた、アメリカ軍を主力とする連合国軍と日本軍の戦いである。すでに占領されていたレイテ島以外のビサヤ諸島の各地に残る日本軍が連合軍による掃討作戦を受けて敗北した。.

新しい!!: 戦史叢書とビサヤ諸島の戦い · 続きを見る »

テ04船団

テ04船団(テ04せんだん)は、太平洋戦争中に日本が運航した護送船団の一つで鉄鉱石輸送のため1944年(昭和19年)4月30日に海南島から日本へ出航したが、5月4日にアメリカ海軍の潜水艦の攻撃でほぼ全滅した。.

新しい!!: 戦史叢書とテ04船団 · 続きを見る »

フロリダ諸島の戦い

フロリダ諸島の戦いとは、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年8月7日から1942年8月8日の間にフロリダ諸島内のツラギ島、、(現在のソロモン諸島)で行われた日本軍守備隊と米軍との間の戦闘のことである。.

新しい!!: 戦史叢書とフロリダ諸島の戦い · 続きを見る »

フィリピンの戦い (1941-1942年)

1941年から1942年のフィリピンの戦い(フィリピンのたたかい, Battle of the Philippines, 比島作戦, 日本側作戦名「M作戦」, 1941年12月8日 - 1942年5月10日)は、太平洋戦争緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦である。 本間雅晴中将の指揮する第14軍主力は12月22日にルソン島に上陸し、1月2日には首都マニラを占領した。しかし、アメリカ極東陸軍のダグラス・マッカーサー司令官はバターン半島に立てこもる作戦を取り粘り強く抵抗した。45日間でフィリピン主要部を占領するという日本軍の予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島の攻略までに150日もかかるという結果になった。.

新しい!!: 戦史叢書とフィリピンの戦い (1941-1942年) · 続きを見る »

フィリピンの戦い (1944-1945年)

1944年から1945年のフィリピンの戦い(フィリピンのたたかい)は、第二次世界大戦後期において、フィリピン奪回を目指す連合国軍と、防衛する日本軍との間で行われた戦闘である。日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づいて防衛を試みたが、アメリカ軍を中心とする連合軍が勝利を収めた。.

新しい!!: 戦史叢書とフィリピンの戦い (1944-1945年) · 続きを見る »

ドイッチュラント (装甲艦)

ドイッチュラント(独:Deutschland)は、ドイツ海軍が第二次世界大戦で運用した1万トン級の軍艦。ドイッチュランドと表記する資料もある(戦史叢書等)。.

新しい!!: 戦史叢書とドイッチュラント (装甲艦) · 続きを見る »

ドイッチュラント級装甲艦

ドイッチュラント級装甲艦(Deutschland-Klasse)級は、ドイツ海軍が第二次世界大戦で運用した軍艦。同型艦3隻。.

新しい!!: 戦史叢書とドイッチュラント級装甲艦 · 続きを見る »

ニューギニアの戦い

ニューギニアの戦い(ニューギニアのたたかい, New Guinea Campaign)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中期以降、ニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍との間で行われた一連の戦闘である。.

新しい!!: 戦史叢書とニューギニアの戦い · 続きを見る »

ニュージョージア島の戦い

青い矢印が米軍の進路 ムンダ飛行場 ニュージョージア島の戦い(ニュージョージアとうのたたかい)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中のソロモン諸島を巡る戦闘の一つで1943年6月30日に米軍が上陸して始まった。周辺海域は日本軍の駆逐艦による輸送作戦が大きな被害を出したため“駆逐艦の墓場”と呼ばれた。ここでは同じニュージョージア諸島のレンドバ島・コロンバンガラ島・ベララベラ島での戦いも記述する。.

新しい!!: 戦史叢書とニュージョージア島の戦い · 続きを見る »

ホーランジアの戦い

ホーランジアの戦い(ホーランジアのたたかい、Battle of Hollandia)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1944年4月下旬から6月下旬に、日本軍とアメリカ軍の間で、ニューギニア島北岸の町ホーランジア(現在のジャヤプラ)で行われた戦闘である。アメリカ軍の作戦名はレックレス作戦(Operation Reckless)である。.

新しい!!: 戦史叢書とホーランジアの戦い · 続きを見る »

ダニエルズ・プラン

ダニエルズ・プランは、アメリカ海軍の建艦計画。当時の海軍長官ジョセファス・ダニエルズの名前からこう呼ばれ、また3カ年の計画年度から三年計画 (Three years fleet plan)の別称でも知られる。 計画規模・時期の符合により日本海軍の八八艦隊とよく対比される。第一次世界大戦への参戦により進捗は遅れ、ワシントン海軍軍縮条約により大半の主力艦は建造中止となった。.

新しい!!: 戦史叢書とダニエルズ・プラン · 続きを見る »

ベラ湾夜戦

ベラ湾夜戦(ベラわんやせん)は、太平洋戦争中の1943年8月6日、ソロモン諸島ベラ湾で生起した日本軍とアメリカ軍との間で行われた海戦である。日本軍のコロンバンガラ島への輸送部隊がアメリカ軍の攻撃で壊滅した。アメリカ軍側の呼称はヴェラ湾海戦(Battle of Vella Gulf)。なお、ここでは海戦前の7月23日夜および8月1日夜に行われたコロンバンガラ島への輸送作戦および、日本海軍駆逐艦天霧と後のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディ中尉が艇長の魚雷艇「」との衝突についても簡単に述べる。.

新しい!!: 戦史叢書とベラ湾夜戦 · 続きを見る »

初島型電纜敷設艇

初島型電纜敷設艇 (はしまかたでんらんふせつてい)は、日本海軍の電纜敷設艇。同型艦4隻。日本海軍で最初の電纜敷設艇#写真日本の軍艦第14巻pp.95-97その他に特設電線敷設船「春島丸」などがあった(#S18.7-8内令3巻/昭和18年7月(3)画像48-50、S18内令1440)。#終戦時の日本海軍艦艇p.110によると「春島丸」は電纜敷設艇に編入し「春島」に改名したという。。.

新しい!!: 戦史叢書と初島型電纜敷設艇 · 続きを見る »

初鷹 (急設網艦)

初鷹(はつたか)は、日本海軍の敷設艦(急設網艦)#達昭和14年1月p.41『達十號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十二年度及昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、驅逐艦一隻及潜水艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年一月二十日 海軍大臣 米内光政|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 初鷹(ハツタカ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 砲艦 伏見(フシミ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 雪風(ユキカゼ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦』#艦艇類別等級表(昭和18年3月)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|敷設艦| |初鷹型|初鷹、蒼鷹、若鷹|』。 初鷹型敷設艦の1番艦。急設網艦に分類する文献もあるが#日本補助艦艇物語53頁『(8) 初鷹はつたか型(急設網艦)』、日本海軍の法令上は敷設艦である#海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十四年一月二十日(内令四七)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|軍艦ノ部中敷設艦ノ項中沖島ノ下ニ「、初鷹」ヲ加ヘ、砲艦熱海型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ|伏見型|伏見| 驅逐艦ノ部中陽炎型ノ項中初風ノ下ニ「、雪風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部中伊七號型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |伊十五型|伊號第十五|』。.

新しい!!: 戦史叢書と初鷹 (急設網艦) · 続きを見る »

初鷹型急設網艦

初鷹型急設網艦(はつたかがたきゅうせつもうかん)は、日本海軍の敷設艦(急設網艦)。同型艦3隻。 急設網艦#日本補助艦艇物語53頁『(8) 初鷹はつたか型(急設網艦)』は、防潜網の急速展開を主任務にする#日本海軍特務艦船史(1997)p.71いわゆる防潜網敷設艦(net leyer#海軍造船技術概要(1987)上巻p.795)に当たる。機雷の敷設も考慮されており#写真日本の軍艦第14巻p.36、日本海軍の艦艇類別等級では(機雷)敷設艦(mine layer)と合わせて敷設艦とする#海軍制度沿革8(1971)pp.93-94、昭和4年3月23日(内令67)『艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 別表軍艦ノ部中急設網艦ノ項ヲ削リ敷設艦ノ項中「厳島」ノ下ニ「、白鷹」ヲ加フ』。 このため法令上本型は敷設艦となる。.

新しい!!: 戦史叢書と初鷹型急設網艦 · 続きを見る »

初雪 (吹雪型駆逐艦)

初雪(はつゆき)は大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|(略)第三十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 初雪(ハツユキ)トス』。 特型(一等駆逐艦吹雪型)の3番艦。 雪級の3番艦。 「吹雪、白雪」沈没後は『初雪型駆逐艦』の1番艦(ネームシップ)である#内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』。当初の艦名は、第37号駆逐艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「初雪」に続いて2隻目。戦後、はつゆき型護衛艦「はつゆき」としてその名は受け継がれた。.

新しい!!: 戦史叢書と初雪 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

初春型駆逐艦

初春型駆逐艦(はつはるがたくちくかん)は日本海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。吹雪型(特型)駆逐艦の次の艦隊型駆逐艦として計画されたが、小排水量に過大な武装を盛り込んだ本型は復元性能や船体強度に問題を生じ、建造は6隻で中止された#写真日本の軍艦第11巻p.14。 なお、建造途中で設計変更を行って竣工した有明と夕暮は、有明型駆逐艦(ありあけがたくちくかん)に類別されていた時期があった。.

新しい!!: 戦史叢書と初春型駆逐艦 · 続きを見る »

善通寺連隊区

善通寺連隊区(ぜんつうじれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、香川県・徳島県・愛媛県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と善通寺連隊区 · 続きを見る »

呉海軍航空隊

呉海軍航空隊(くれかいぐんこうくうたい)および前身組織の佐世保海軍航空隊広分遣隊(させぼかいぐんこうくうたい ひろぶんけんたい)は日本海軍の部隊の一つ。横須賀海軍航空隊・佐世保海軍航空隊に次いで開かれた三番目の海軍鎮守府直率の海軍航空隊である。研究・教育機能を持つ横空と違い、純然たる水上機基地として機能しており、瀬戸内海・土佐湾沖・山陰地方沖の哨戒や呉鎮守府に所属する艦艇の艦載機調達に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と呉海軍航空隊 · 続きを見る »

和歌山連隊区

和歌山連隊区(わかやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は和歌山大隊区である。和歌山県の大部分または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は和歌山連隊区司令部が執行した。兵庫県・奈良県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に和歌山地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と和歌山連隊区 · 続きを見る »

和浦丸

和浦丸(かずうらまる)は、三菱商事船舶部が1938年に建造した貨物船。太平洋戦争中には日本陸軍に徴用されて軍隊輸送船や病院船として運航、「対馬丸」が撃沈された際の同行船でもあった。終戦直前に釜山港沖で機雷に接触して擱座した。戦後に韓国により復旧されて船名をコリア(고려、コリョ、高麗)へ改称、1952年に韓国船として史上初の太平洋横断を行うなど初期の韓国海運の主力として使用された。.

新しい!!: 戦史叢書と和浦丸 · 続きを見る »

アメリア・イアハート

アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart 、1897年7月24日 - 1937年7月2日)は、アメリカの飛行士。姓の表記は「エアハート」がより原語の発音に近い。.

新しい!!: 戦史叢書とアメリア・イアハート · 続きを見る »

アルゴノート (SS-166)

アルゴノート (USS Argonaut, SM-1/SF-7/SS-166/APS-1) は、アメリカ海軍の潜水艦。の一隻で同型艦は無い。艦名はカイダコ科(貝殻の名称ではアオイガイ科)に属するタコの総称に因んで命名された。当初の艦名はV-4だった。.

新しい!!: 戦史叢書とアルゴノート (SS-166) · 続きを見る »

アンガウルの戦い

日本軍の陣地とアメリカ軍の侵攻図 アンガウルの戦い(アンガウルのたたかい、Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。 飛行場の建設を意図したアメリカ軍は、ペリリュー島にアメリカ軍が上陸した2日後の9月17日に上陸戦を開始した。圧倒的な兵力差のもと、9月30日に島を全面占領した。.

新しい!!: 戦史叢書とアンガウルの戦い · 続きを見る »

アッツ島の戦い

青い矢印が米軍の進路、赤い矢印は29日の日本軍最後の反撃の進路 アッツ島の戦い(アッツとうのたたかい、Battle of Attu)は、1943年(昭和18年)5月12日にアメリカ軍のアッツ島上陸によって開始された日本軍とアメリカ軍との戦闘である。山崎保代陸軍大佐の指揮する日本軍のアッツ島守備隊は上陸したアメリカ軍と17日間の激しい戦闘の末に玉砕した。太平洋戦争において、初めて日本国民に日本軍の敗北が発表された戦いであり、また第二次世界大戦で唯一、北アメリカで行われた地上戦である。.

新しい!!: 戦史叢書とアッツ島の戦い · 続きを見る »

アッツ島沖海戦

アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)は、第二次世界大戦中にコマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)#モリソンの太平洋海戦史218頁。.

新しい!!: 戦史叢書とアッツ島沖海戦 · 続きを見る »

アドミラルティ諸島の戦い

アメリカ軍の作戦計画 アドミラルティ諸島の戦い(あどみらるてぃしょとうのたたかい)とは、太平洋戦争中の1944年2月末から5月を中心にアドミラルティ諸島で行われた、連合国軍と日本軍の戦いである。ニューギニア戦線における飛び石作戦の一環としてアメリカ軍・オーストラリア軍が侵攻し、日本軍守備隊は全滅した。.

新しい!!: 戦史叢書とアドミラルティ諸島の戦い · 続きを見る »

アイタペの戦い

アイタペの戦い(あいたぺのたたかい)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中のニューギニア戦線における日本軍とアメリカ・オーストラリア軍との間の戦闘である。パプアニューギニア北岸のアイタペ東方において、1944年7月10日から同年8月上旬まで行われた。アメリカとオーストラリアの連合国軍側が勝利した。.

新しい!!: 戦史叢書とアイタペの戦い · 続きを見る »

アストリア (重巡洋艦)

アストリア (USS Astoria, CA-34) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ニューオーリンズ級重巡洋艦の2番艦。艦名はオレゴン州アストリアに因む。その名を持つ艦としては2隻目。ニューオーリンズ級重巡洋艦は、もともとはアストリアがネームシップとなる予定だった。しかし、アストリアの竣工がニューオーリンズ (USS New Orleans, CA-32) より遅れたため、ネームシップの座もニューオーリンズに譲らざるを得なかった。.

新しい!!: 戦史叢書とアストリア (重巡洋艦) · 続きを見る »

イラワジ会戦

イラワジ会戦は1944年12月から1945年3月28日にかけて行われた日本軍とイギリス連邦軍との戦い。英軍が勝利した。イラワジ会戦は狭義ではメイクテーラ会戦を含まないが、本稿ではメイクテーラ会戦も併せて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書とイラワジ会戦 · 続きを見る »

イル川渡河戦

イル川渡河戦(イルがわとかせん、Battle of the Ilu River)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)8月21日、ガダルカナル島において日本軍とアメリカ合衆国海兵隊を主力とする連合国軍との間に起きた陸上戦闘。テナルの戦い(Battle of the Tenaru)、アリゲーター・クリークの戦い(Battle of Alligator Creek)とも呼ばれ、ガダルカナル島の戦いにおける日本軍最初の大規模反攻でもあった。 アレクサンダー・ヴァンデグリフト少将を指揮官とする米海兵隊第一海兵師団は、1942年8月7日ガダルカナル島に上陸し、ルンガ岬に日本軍が建設中であったヘンダーソン飛行場を奪取してこの防衛にあたっていた。一方、同飛行場の奪還と、ガダルカナル島からの連合軍一掃のための先遣隊として派遣された一木清直大佐率いる一木支隊第1梯団は8月19日未明に同島に上陸、このときガダルカナル島全体の連合軍側の戦力はおよそ11,000名であったが日本軍側はこれを2,000名程度と少なく見積もっていた。一木支隊は上陸地点のタイボ岬から西進し、20日深夜にルンガ東部のイル川(米軍呼称:アリゲーター・クリーク)西岸に陣を構えていた米海兵隊に遭遇、21日未明から戦闘が始まったが、兵数・火力に圧倒的な差があり一木支隊は多大な損害を被った。さらに米海兵隊は夜明けを待って残存兵を包囲殲滅し、21日午後一木支隊は壊滅した。この戦いで917名いた一木支隊第1梯団のうち、生き残ったのは後方に待機させ戦闘に直接参加しなかった約100名を含む128名だけであった。指揮官一木大佐も死亡したが、最後の状況については諸説あり定かではない。 日本軍はこの戦いの後、上陸したガダルカナル島の連合軍戦力が当初の想定を超える規模であることを知り、ヘンダーソン飛行場奪還のため逐次部隊を送り込んでいった。.

新しい!!: 戦史叢書とイル川渡河戦 · 続きを見る »

インディペンデンス (CVL-22)

インディペンデンス(USS Independence, CV/CVL-22)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦のネームシップ。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: 戦史叢書とインディペンデンス (CVL-22) · 続きを見る »

インディアナポリス (重巡洋艦)

インディアナポリス(USS Indianapolis, CA-35)は、アメリカ海軍のポートランド級重巡洋艦。1945年7月26日にテニアン島へ原子爆弾を運んだ後、7月30日フィリピン海で日本の潜水艦伊58(回天特別攻撃隊・多聞隊)の雷撃により沈没した。第二次世界大戦で敵の攻撃により沈没した最後のアメリカ海軍水上艦艇である。.

新しい!!: 戦史叢書とインディアナポリス (重巡洋艦) · 続きを見る »

ウェーク島の戦い

ウェーク島の戦い(ウェークとうのたたかい、Battle of Wake Island)は第二次世界大戦における日本軍とアメリカ軍の戦い。なお、戦いの後のウェーク島日本軍部隊の状況についても記す。.

新しい!!: 戦史叢書とウェーク島の戦い · 続きを見る »

ウォッチタワー作戦

ウォッチタワー作戦(ウォッチタワーさくせん, Operation Watchtower)は、第二次世界大戦前半においてアメリカ軍統合参謀本部が決定した対日反攻作戦の第1段作戦の名称である。望楼作戦と訳されることもある。.

新しい!!: 戦史叢書とウォッチタワー作戦 · 続きを見る »

エンプレス・オブ・エイジア

ンプレス・オブ・エイジア(RMS Empress of Asia、エンプレス・オブ・アジア)は、1913年竣工のカナダの客船。第二次世界大戦中にイギリスの軍隊輸送船として使用され、1942年に日本軍包囲下のシンガポールへ最後の増援部隊を輸送しようとしたが、空襲により撃沈された。乗船者約1900人のほとんどは救助された。.

新しい!!: 戦史叢書とエンプレス・オブ・エイジア · 続きを見る »

エセックス (空母)

ックス(USS Essex, CV/CVA/CVS-9)は、アメリカ海軍のエセックス級航空母艦のネームシップ。艦名はマサチューセッツ州エセックス郡に因む。その名を持つ艦としては4隻目。.

新しい!!: 戦史叢書とエセックス (空母) · 続きを見る »

オンボード作戦

ンボード作戦 (Operation Onboard) は、1945年3月にインド洋で実施されたイギリス軍による日本船舶攻撃作戦。 トランスポート作戦後損傷した駆逐艦ラピッドが抜け、ヴィジラントとヴィラーゴが加わったフォース70(駆逐艦ソーマレズ、ヴォレージ、ヴィジラント、ヴィラーゴ)が3月25日にアキャブから出撃した。3月26日、アンダマン海で小型商船2隻と駆潜艇2隻から成る日本の護送船団を発見、攻撃した。 この輸送船団は、貨物船利水丸(1500トン)、貨物船天塩丸(397トン)、第34号駆潜艇、第63号駆潜艇で、アンダマン諸島への緊急輸送のため3月20日にシンガポールを出港し、27日ポートブレア入港の予定で航行中だった。フォース70は天塩丸、第34号駆潜艇、第63号駆潜艇を沈めた。利水丸はB-24爆撃機が爆撃で沈めたが、その爆撃機も利水丸に接触して墜落した。この戦闘でイギリス側は4.7インチ砲弾3160発と18本の魚雷を消費しており、海軍本部はこの戦闘について不満足であったとイギリス公式戦史では述べられている。 生存者の救助後、フォース70は3月28日にトリンコマリーに帰投した。なお、日本側は船団からの通信が途絶したために零式水上偵察機2機をポートブレアから飛ばして捜索し、31日に洋上に油の浮遊を発見して船団の全滅を知った。この2機は船団の入港時の対潜護衛のため、ポートブレアへ臨時派遣されていたものだった。.

新しい!!: 戦史叢書とオンボード作戦 · 続きを見る »

カボット (空母)

ボット(USS Cabot, CV/CVL-28)は、アメリカ海軍の航空母艦。インディペンデンス級航空母艦の7番艦。艦名は15世紀の航海家ジョン・カボットに因む。その名を持つ艦としては2隻目にあたる。.

新しい!!: 戦史叢書とカボット (空母) · 続きを見る »

カディーブ・イスマイル

ディーブ・イスマイル(SS Khedive Ismail、ケディブ・イスメイル防衛研修所戦史室(1972年)、660頁。)は、1922年竣工のエジプト王国の客船。第二次世界大戦中にイギリスの軍隊輸送船として使用されたが、1944年にインド洋で日本の潜水艦に撃沈されて約1300人の戦死者を出した。イギリス軍輸送船の死者数としては3番目に多い。元はチリ船籍で旧船名はアコンカグア(SS Aconcagua)。.

新しい!!: 戦史叢書とカディーブ・イスマイル · 続きを見る »

ガダルカナル島の戦い

ダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。 また、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため国力が大きく減少した。.

新しい!!: 戦史叢書とガダルカナル島の戦い · 続きを見る »

ギルバート諸島沖航空戦

ルバート諸島沖航空戦(ギルバートしょとうおきこうくうせん)は、第二次世界大戦中の1943年11月下旬に、日本海軍航空隊とアメリカ海軍機動部隊の間に発生した航空戦である。タラワの戦い・マキンの戦い支援のため、ギルバート諸島付近に展開したアメリカ海軍第50任務部隊に対し、日本海軍の基地航空隊が4次に渡り攻撃を行った。日本軍は大戦果を報じたが、アメリカ艦隊の損害は小さかった。.

新しい!!: 戦史叢書とギルバート諸島沖航空戦 · 続きを見る »

クラ湾夜戦

ラ湾夜戦(クラわんやせん、Battle of Kula Gulfポッター, 369ページ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、ソロモン諸島で1943年7月5日 - 6日に生起した日本軍とアメリカ軍との間の海戦のこと。なお、ここではクラ湾夜戦の前夜にクラ湾で行われた水上戦闘についても合わせて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書とクラ湾夜戦 · 続きを見る »

クレヴァル (潜水艦)

レヴァル (USS Crevalle, SS/AGSS-291) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級の一隻。艦名はギンガメアジ属の一種ムナグロアジに因む。.

新しい!!: 戦史叢書とクレヴァル (潜水艦) · 続きを見る »

クレ環礁

レ環礁(クレかんしょう、Kure Atoll、; Mokupāpapa)はアメリカ合衆国ハワイ州の島。Ocean Islandとも呼ばれる。研究員以外は住民がおらず半無人島となっている。.

新しい!!: 戦史叢書とクレ環礁 · 続きを見る »

グラニオン (潜水艦)

ラニオン (USS Grunion, SS-216) は、アメリカ海軍のガトー級潜水艦の5番艦。艦名はアメリカ西海岸に生息するトウゴロイワシ目の複数種の総称グラニオン(グルニオン)に由来する。同形艦シルバーサイズの由来となったトウゴロウイワシ目全体の総称であるSilversideよりも限定された種を表す。.

新しい!!: 戦史叢書とグラニオン (潜水艦) · 続きを見る »

グロスター岬

ター岬(グロスターみさき、Cape Gloucester)は、パプアニューギニア、ニューブリテン島西端の北側にある岬 - Pacific Wrecks 。ビスマルク海に面し、ダンピア海峡に近い。 太平洋戦争中、日本軍はニューブリテン島を占領し、岬付近に戦前からあった飛行場を使用するとともに、原住民を使って新たにもう1つ飛行場を建設した。1943年12月26日、カートホイール作戦の一環として、米第1海兵師団が岬付近に上陸した。この地を守備していた日本陸軍第17師団松田支隊は山中に籠って持久戦を行なったが、1ヶ月後ラバウルへの転進命令が出て戦闘は終結した。戦時中の日本の記録ではグロセスター岬と表記される事もあり、またこの地域一帯の呼称は近隣の村の名前からツルブと表記されることが多い。.

新しい!!: 戦史叢書とグロスター岬 · 続きを見る »

ケ号作戦

号作戦(ケごうさくせん)は第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)2月1日から7日にかけて行われた、日本軍のガダルカナル島撤退作戦。作戦名の由来はによる。作戦は3回に分けて行われ、沈没艦は駆逐艦1隻のみで日本軍の撤退は成功した。撤退中に発生した戦闘についてはイサベル島沖海戦と呼称されることが多い。撤退により救出された日本軍は1万名余りだった。 なお、キスカ島からの撤退作戦もケ号作戦(作戦名の由来はより)というが、これについてはキスカ島撤退作戦を参照。.

新しい!!: 戦史叢書とケ号作戦 · 続きを見る »

コロンバンガラ島沖海戦

ンバンガラ島沖海戦(コロンバンガラとうおきかいせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1943年7月12日にソロモン諸島コロンバンガラ島沖で発生した海戦のこと。日本海軍のコロンバンガラ島への輸送部隊とアメリカ海軍、ニュージーランド海軍が交戦し、日本軍は軽巡洋艦1隻が沈没、アメリカ軍は駆逐艦1隻が沈没し、軽巡洋艦3隻が大破した。アメリカ軍およびニュージーランド軍側の呼称はコロンバンガラ海戦(Battle of Kolombangara)。なお、ここではコロンバンガラ島沖海戦前の7月9日に行われた輸送作戦、および海戦後の7月19日から20日にかけて行われた第七戦隊などの出撃と輸送作戦についても合わせて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書とコロンバンガラ島沖海戦 · 続きを見る »

ショートランド諸島

ョートランド諸島(Shortland Islands)はソロモン諸島 西部州に属する諸島。位置は。ソロモン諸島の北西端にあり、パプアニューギニアのブーゲンビル島に近い。最大の島はショートランド島で、その他にオヴァウ島(Ovau Island)、ピルメリ島(Pirumeri Island)、マグサイアイ島(Magusaiai Island)、ファウロ島(Fauro Island)、バラレ島などがある。 1788年にオーストラリアへの第1回移民輸送を行ったジョン・ショートランドが輸送終了後に広東へ向かう途中に発見した。また1900年まではドイツが領有権を主張していた。.

新しい!!: 戦史叢書とショートランド諸島 · 続きを見る »

シッタン作戦

ッタン作戦(シッタンさくせん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月から終戦にかけて、ビルマ戦線において日本軍とイギリス軍の間で行われた戦闘である。日本の第28軍がシッタン川を越えてビルマ東部へ撤退しようとして発生した。日本兵34000人のうち、終戦までにシッタン川東岸の友軍部隊に収容されたのは15000人にとどまり、残りの多数が死亡した。日本側の作戦名は邁作戦(まいさくせん)。また、日本軍が撤退援護のために行ったシッタン川の湾曲部(ベンド)における戦闘をシッタン・ベンド作戦とも呼ぶ。.

新しい!!: 戦史叢書とシッタン作戦 · 続きを見る »

シ江作戦

芷江作戦(しこうさくせん)とは、日中戦争中の1945年4月から6月の間に行われた、湖南省西部・芷江への日本軍の進攻作戦である。正式名称は二十号作戦。中国側の呼称は湘西会戦、雪峰山戦役。 1944年に実施した大陸打通作戦において、日本軍は連合国軍の飛行場の制圧による制空権奪取と日本本土空襲の阻止を目標のひとつとしていた。大陸打通作戦の結果、日本軍は各地の連合国軍飛行場の占領には成功したものの、連合国側はさらに奥地の湖北省老河口および湖南省芷江付近のなどの飛行場を整備し、航空作戦を継続できた。そのため、日本軍の支那派遣軍は、再び飛行場の制圧を目的とした老河口作戦と芷江作戦を実施することにした。芷江作戦では湖南-広西間の鉄道の確保も目的とされた。また日本軍は重慶や成都の侵攻を目標とする四川作戦の実行を諦めておらず、作戦の進展次第では四川作戦を実行するつもりでいた。 1945年4月から、日本軍は第20軍(坂西一良中将)を投じて芷江作戦を開始した。作戦としては第116師団と二個大隊及び一個連隊からなる関根支隊と一個大隊及び一個連隊からなる重広支隊で三方から進撃し、遅れて第47師団が進撃する予定であった。占領と掃討作戦も同時に行うため2個師団と4個旅団等も警備部隊として参加した。 序盤は順調に進撃できたものの、まもなく連合国側の激しい反撃が始まり、4月25日頃には前進困難となった。中国軍の装備はアメリカからの兵器供与により以前よりも改善されており、またアメリカ陸軍航空軍による支援爆撃や航空輸送も十分に受けることができたためである。中国軍は次々と増援部隊を集結させ、第3方面軍・第4方面軍・第10方面軍などの計28個師団で迎撃していた。険しい地形も防衛戦に適していた。他方、日本側は太平洋方面への戦力抽出で部隊の質がかなり低下していたうえ、制空権を失っているために昼間行動は困難、兵站線も空襲で寸断された。 5月9日、日本側の総指揮を執る支那派遣軍総司令官岡村寧次大将は、作戦の中止を決断した。日本軍は撤退を開始し、連合国軍は追撃に移った。各地で包囲を受けた日本軍は損害が続出し、各部隊の戦死傷は2万8000人に達していたが、撤退の決断が手遅れになる前に出されていたおかげで、かろうじて脱出に成功した。6月上旬までに日本軍は出撃地点へと帰還した。 日本軍はこれ以後、敗戦まで中国戦線で攻勢を行うことは無く、これが最後の攻勢作戦となった。.

新しい!!: 戦史叢書とシ江作戦 · 続きを見る »

ジャンボリー作戦

ャンボリー作戦(ジャンボリーさくせん, Operation Jamboree)は、太平洋戦争末期の1945年2月にアメリカ海軍の空母機動部隊が関東地方周辺の日本軍航空基地及び航空機工場を標的として行った航空攻撃作戦である。硫黄島の戦いの援護及び日本軍航空戦力の減殺を目的として実行され、日本軍航空隊と工場設備に相当の被害を与えた。ドーリットル空襲や島嶼部の事例を除けば、初めての空母による日本本土空襲であった。.

新しい!!: 戦史叢書とジャンボリー作戦 · 続きを見る »

スペードフィッシュ (潜水艦)

ペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻である。スペードフィッシュの艦名はマンジュウダイ科に属する種の総称で、大西洋西部に生息するその種類に因んで命名された。 スペードフィッシュは大戦終盤に就役し、太平洋戦線での1年の戦いで21隻の船と数多くのトロール船、計88,091トンの戦果を上げた。.

新しい!!: 戦史叢書とスペードフィッシュ (潜水艦) · 続きを見る »

スマラン事件

マラン事件(スマランじけん)とは、第二次世界大戦直後の1945年10月15日から10月19日にかけてジャワ島スマランで起きた、日本軍とインドネシア独立派の間の武力衝突事件である。日本軍が保有する武器の引き渡しを巡って対立が生じ、インドネシア側民兵が拘束した日本の民間人多数を処刑、日本軍が戦闘の末にインドネシア側を制圧した。インドネシア側に1000〜2000人、日本側にも民間人を含め200人以上の死者・行方不明者が出た。インドネシアでは五日間戦争(Pertempuran lima hari)として知られる。.

新しい!!: 戦史叢書とスマラン事件 · 続きを見る »

スラバヤ沖海戦

ラバヤ沖海戦(スラバヤおきかいせん)は、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)2月27日から3月1日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦のことである。日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島上陸・占領が進むこととなった。.

新しい!!: 戦史叢書とスラバヤ沖海戦 · 続きを見る »

スールー諸島の戦い

B-25爆撃機。 現在のバシラン島付近の海。 スールー諸島の戦い(スールーしょとうのたたかい)は、太平洋戦争末期にフィリピンのスールー諸島で行われた日本軍と連合軍の戦闘である。アメリカ軍を主体とする連合軍が勝利し、日本軍は文字通り全滅した。.

新しい!!: 戦史叢書とスールー諸島の戦い · 続きを見る »

スカベンジャー作戦

ベンジャー作戦(スカベンジャーさくせん, Operation Scavenger)は、太平洋戦争中の1944年8月初旬にアメリカ海軍機動部隊が行った、小笠原諸島に対する攻撃作戦である。第4804船団(だい4804せんだん)の壊滅など日本軍の艦船や航空機に相当の損害を与えた。.

新しい!!: 戦史叢書とスカベンジャー作戦 · 続きを見る »

スケート (潜水艦)

ート (USS Skate, SS-305) は、アメリカ海軍の潜水艦。バラオ級潜水艦の一隻。艦名はガンギエイ目に属するエイの総称であるスケートに因む。その名を持つ艦としては2隻目であり、初代スケートは第一次世界大戦に参加、1915年8月31日に戦没している。.

新しい!!: 戦史叢書とスケート (潜水艦) · 続きを見る »

ソロモン諸島の戦い

モン諸島の戦い(ソロモンしょとうのたたかい)は、第二次世界大戦中に日本軍と連合軍の間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり行われた戦闘である。一連の戦闘の中で大きなものはガダルカナル島の戦いとブーゲンビル島の戦いであるが、このほかにも多くの陸海空の戦闘が行われた。.

新しい!!: 戦史叢書とソロモン諸島の戦い · 続きを見る »

タ弾

タ弾(タだん)は、次の2つの意味を持つ。.

新しい!!: 戦史叢書とタ弾 · 続きを見る »

サラワケット越え

ラワケット越えの経路 サラワケット越え( ‐ ごえ)は、太平洋戦争(大東亜戦争)のニューギニア戦役における、日本軍第51師団のラエからの転進作戦である。 1943年9月、ラエで包囲された第51師団は、標高4100メートルのサラワケット山系を越えて転進した。転進には成功したものの、約1か月をかけた山越えは数多くの犠牲者を伴った。.

新しい!!: 戦史叢書とサラワケット越え · 続きを見る »

サボ島沖海戦

ボ島沖海戦(サボとうおきかいせん)は、第二次世界大戦のガダルカナル島周辺において1942年(昭和17年)10月11日深夜〜12日に日本軍とアメリカ軍の間で行われた海戦である。連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)。 なおサボ島沖海戦の2ヶ月前に行われた別海戦で、日本軍側が第一次ソロモン海戦と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Savo Island」と呼んでいる。.

新しい!!: 戦史叢書とサボ島沖海戦 · 続きを見る »

冬季攻勢 (1939-1940年)

冬季攻勢(とうきこうせい)とは、日中戦争中の1939年(昭和14年)12月上旬から1940年(昭和15年)2月頃までの間、中国のほぼ全戦線にわたって行われた中国国民革命軍の攻勢である。この攻勢の規模や中国軍の戦意は日本軍の予想を遥かに上回るものであった。支那派遣軍はこの攻勢に持ちこたえることはできたが、中国軍の抗戦意思と戦力が軽視できないものであると見直す結果になり、各地で反撃作戦を実施することになる。.

新しい!!: 戦史叢書と冬季攻勢 (1939-1940年) · 続きを見る »

冲鷹 (空母)

母改装前の新田丸(1940年) 冲鷹(ちゅうよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和17年8月p.21「達第二百三十四號 呉海軍工廠ニ於テ艤装中ノ汽船新田丸ヲ左ノ通命名セラル 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 冲鷹(チュウヨウ)」。.

新しい!!: 戦史叢書と冲鷹 (空母) · 続きを見る »

冀察政務委員会

冀察政務委員会(きさつせいむいいんかい)は1935年11月25日に中華民国北部に成立した地方政権、冀東防共自治政府の機関。同政府は戦争前、中国華北にあった日中間の緩衝政権である。1937年8月20日に解散した。.

新しい!!: 戦史叢書と冀察政務委員会 · 続きを見る »

冀東防共自治政府

冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)は、1935年から1938年まで中国河北省に存在した政権。当時の日本側の認識によると、地方自治を求める民衆を背景に殷汝耕の指導により成立したとされるが、中国側からは当時から現代に至るまで日本側の特務機関の工作活動により設立された傀儡政権であると主張されており陳暁清「殷汝耕」『民国人物伝 第11巻』 中国社会科学院近代史研究所 中華書局 2002年 p.467; 『二十一世紀』網絡版総第49期、2006.4赵竞存.

新しい!!: 戦史叢書と冀東防共自治政府 · 続きを見る »

出水海軍航空隊

出水海軍航空隊(いずみかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦後の航空要員大量養成のため、初歩練習部隊として設置した。翌年には整備訓練航空隊を増設した。前述の航空隊を「第一出水海軍航空隊」、後述の航空隊を「第二出水海軍航空隊」と呼称した。なお、本稿では第一出水航空隊が移転して初歩訓練任務を継承した「光州海軍航空隊(こうしゅうかいぐんこうくうたい)」もあわせて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と出水海軍航空隊 · 続きを見る »

函館連隊区

函館連隊区(はこだてれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は函館大隊区である。北海道の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は函館連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に函館地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と函館連隊区 · 続きを見る »

八丈 (海防艦)

八丈(はちじょう/はちぢゃう)は、日本海軍の海防艦#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾 |横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津輕(ツガル)|鶴見製鐵造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 國後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチヂャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』。.

新しい!!: 戦史叢書と八丈 (海防艦) · 続きを見る »

八代連隊区

八代連隊区(やつしろれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、熊本県・鹿児島県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と八代連隊区 · 続きを見る »

八八艦隊案

八八艦隊案(はちはちかんたいあん)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。 八八艦隊整備計画の最終段階である。 ただし本案成立時には、帝国海軍はすでにさらなる拡充計画として八八八艦隊計画を構想していた。.

新しい!!: 戦史叢書と八八艦隊案 · 続きを見る »

八六艦隊案

八六艦隊案(はちろくかんたいあん)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。 八八艦隊整備計画の第2段階である。.

新しい!!: 戦史叢書と八六艦隊案 · 続きを見る »

八四艦隊案

八四艦隊案(はちよんかんたいあん)は、大日本帝国海軍の海軍軍備計画。 八八艦隊整備計画の第1段階である。.

新しい!!: 戦史叢書と八四艦隊案 · 続きを見る »

八重山 (敷設艦)

八重山(やへやま/やえやま)は#達昭和5年6月(2)p.21『達第七十六號 艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和五年六月十二日 海軍大臣 財部彪  呉海軍工廠ニ於テ建造 八ヤ重ヘ山ヤマ』、日本海軍の小型敷設艦。日本海軍が電気熔接を全面的に取り入れた最初の軍艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と八重山 (敷設艦) · 続きを見る »

六六艦隊計画

六六艦隊計画(ろくろくかんたいけいかく)は、大日本帝国海軍が1896年(明治29年)から1905年(明治38年)にかけて推進した海軍軍備計画。第一期拡張計画並びに第二期拡張計画により構成され、帝国海軍対露戦備の中核を為した。.

新しい!!: 戦史叢書と六六艦隊計画 · 続きを見る »

六郷飛行場

六郷飛行場(ろくごうひこうじょう)は、太平洋戦争末期に陸軍が秋田県六郷町(現在の美郷町)に整備していた秘匿飛行場である。地域では明田地飛行場(みょうでんじひこうじょう)とも呼ばれている。.

新しい!!: 戦史叢書と六郷飛行場 · 続きを見る »

六連 (海防艦)

六連(むつれ)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の5番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の9番艦。太平洋戦争中、最初に沈没した海防艦。.

新しい!!: 戦史叢書と六連 (海防艦) · 続きを見る »

兵学

兵学(へいがく)とは軍事や国防、特に近世以降、近代以前の日本における戦略や戦術などの用兵を研究する学問を言うことが多かった。軍事学とその内容を厳密に区別して使われることはあまりない。.

新しい!!: 戦史叢書と兵学 · 続きを見る »

光延東洋

光延 東洋(みつのぶ とうよう、1897年(明治30年)10月9日 - 1944年(昭和19年)6月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と光延東洋 · 続きを見る »

前島 (敷設艇)

前島(まえしま)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の9番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と前島 (敷設艇) · 続きを見る »

前橋連隊区

前橋連隊区(まえばしれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は高崎大隊区である。主に群馬県の徴兵・召集などの兵事事務を担任した。埼玉県の一部を管轄した時期もあった。実務は前橋連隊区司令部が執行した。1896年(明治29年)の創設以来高崎連隊区(たかさき-)と称していたが、1941年(昭和16年)に改称した。1945年(昭和20年)、同域に前橋地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と前橋連隊区 · 続きを見る »

剣埼 (給油艦)

剣埼(つるぎざき)大正5年達103号の命名では劍埼(劍は剣の異字体の一つ)となっているが、以下本文は全て剣埼とする。は、日本海軍の給油船/運送艦(給油艦)。艦名は三浦半島東南端の「剣埼」による#日本海軍艦船名考pp.206-207。 「志自岐」に続いて日本海軍の保有した2隻目のタンカー。 港内での重油補給を任務とした小型給油艦で、日本海軍初のディーゼル推進艦となった。.

新しい!!: 戦史叢書と剣埼 (給油艦) · 続きを見る »

剣埼型潜水母艦

剣埼型潜水母艦(つるぎざきがたせんすいぼかん)は、日本海軍の潜水母艦。同型艦2隻。うち1隻は建造中より航空母艦に改造されて竣工、もう1隻もその後航空母艦に改造された。その後については瑞鳳型航空母艦を参照のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と剣埼型潜水母艦 · 続きを見る »

剣号作戦

イスリー飛行場(日本側呼称:アスリート飛行場)に駐機中のB-29群 剣号作戦(けんごうさくせん)あるいは剣作戦とは、太平洋戦争末期に日本軍が立案した、マリアナ諸島のアメリカ軍基地に対するエアボーン攻撃計画である。当初は海軍陸戦隊250人が乗った航空機を強行着陸させB-29爆撃機を破壊する計画であったが、後に原子爆弾の制圧も目標に加えられ、陸軍空挺部隊300人も参加することになった。烈作戦(れつさくせん)と称する支援空襲も同時に実施する計画だった。使用予定の航空機がアメリカ軍機動部隊の空襲で破壊されたため延期となり、発動直前に終戦の日を迎えて中止となった。 なお、烈号作戦の作戦名は、同時期に別に計画中だった沖縄のアメリカ軍飛行場を攻撃目標とした陸軍空挺部隊によるグライダー降下作戦の名称にも用いられている。.

新しい!!: 戦史叢書と剣号作戦 · 続きを見る »

勝力 (敷設艦)

勝力(かつりき)は、日本海軍の敷設艦#達大正4年12月p.19『達第百七十八號 臨時軍事費ヲ以テ呉海軍工廠ニ於テ製造スヘキ二千噸級水雷敷設船ヲ 勝カツ力リキ ト命名ス 大正四年十二月十日 海軍大臣 加藤友三郎』。太平洋戦争中、特務艦(測量艦)に艦種変更された#補助艦艇奮戦記284頁『勝力(かつりき/測量艦)』#内令昭和17年7月(3)p.19『内令第千三百十七號 特務艇類別表中左ノ通改正ス 昭和十七年七月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|運送艦ノ部中「伊良湖」ノ下ニ「、大瀬」ヲ、測量艦ノ項中「筑紫」ノ下ニ「、勝力」ヲ、標的艦ノ項中「攝津」ノ下ニ「、矢風」ヲ加フ』。.

新しい!!: 戦史叢書と勝力 (敷設艦) · 続きを見る »

国後 (海防艦)

国後本来の艦名表記は國後。以下「国後」の表記部について同じ(くなしり)は、日本海軍の海防艦補助艦艇奮戦記243頁『国後(くなしり)』#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾 |横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津輕(ツガル)|鶴見製鐵造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 國後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』。 艦名は運送船「国後丸」(くなじりまる)日露戦争時の鹵獲汽船アポロ号に次いで2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と国後 (海防艦) · 続きを見る »

国民義勇隊

52軍による訓練の様子(1945年(昭和20年)) 国民義勇隊(こくみんぎゆうたい)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月に、防空および空襲被害の復旧などに全国民を動員するために作られた組織。 第二次世界大戦における日本の郷土防衛隊組織であり、主に本土決戦に備えるものであった。.

新しい!!: 戦史叢書と国民義勇隊 · 続きを見る »

四式肉薄攻撃艇

四式肉薄攻撃艇(よんしきにくはくこうげきてい)は、第二次世界大戦時に大日本帝国陸軍が開発・実戦投入した小型肉薄攻撃艇戦史叢書81巻、72-73頁「肉薄攻撃艇」戦史叢書102巻、387頁「まるはち」。 秘匿呼称は連絡艇(れんらくてい)で、頭文字をとって符号とし、〇の中に「レ」か「れ」を書いたマルレ、マルレ艇の通称で広く知られる(戦史叢書では「マルレ」を用いる)。改良型をマルニ(〇の中に「ニ」か「に」と表記)とする。軍需動員主務者の秘匿名称は「V1」。 大日本帝国海軍が開発した特攻艇震洋は「マル四」と呼称されていたため、大本営陸軍部・海軍部は四式肉薄攻撃艇/マルレ(陸軍)とマル四(海軍)をあわせてマル八(○の中に漢数字の「八」と表記)と呼称した戦史叢書81巻、131-132頁「捷号作戦準備の進捗状況/マル八運用に関する陸海軍中央協定の指示」。.

新しい!!: 戦史叢書と四式肉薄攻撃艇 · 続きを見る »

四式戦闘機

四式戦闘機(よんしきせんとうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ84。愛称は疾風(はやて)。呼称・略称は四式戦、四戦、ハチヨン、大東亜決戦機、決戦機など。連合軍のコードネームはFrank(フランク)。開発・製造は中島飛行機。.

新しい!!: 戦史叢書と四式戦闘機 · 続きを見る »

倉橋 (海防艦)

倉橋(くらはし)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の5番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事したのち解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と倉橋 (海防艦) · 続きを見る »

倉敷海軍航空隊

倉敷海軍航空隊(くらしきかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。4500人もの志願者を募った予科練乙飛第22期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために農地・集落を収用し、3ヶ月で兵舎・教育施設の落成に漕ぎつけた。.

新しい!!: 戦史叢書と倉敷海軍航空隊 · 続きを見る »

矢風 (標的艦)

(やかぜ)は、日本海軍 の標的艦。竣工時は峯風型駆逐艦の6番艦。戦後解体。艦名は矢が飛んでいるときに生じる風のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と矢風 (標的艦) · 続きを見る »

矢野志加三

野 志加三(やの しかぞう、1893年(明治26年)8月5日 - 1966年(昭和41年)1月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と矢野志加三 · 続きを見る »

知床 (給油艦)

知床(しれとこ)は日本海軍の給油艦、給炭油艦とも呼ばれる。知床型給油艦の1番艦で、艦名は北海道知床岬による。戦艦の主砲塔を運べるよう改装された特務艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と知床 (給油艦) · 続きを見る »

知床型給油艦

知床型給油艦(しれとこがたきゅうゆかん)は、大日本帝国海軍の給油艦。能登呂型給油艦または襟裳型給油艦とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と知床型給油艦 · 続きを見る »

石埼 (敷設艇)

石埼(いしざき)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の3番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と石埼 (敷設艇) · 続きを見る »

石垣 (海防艦)

石垣(いしがき)は、日本海軍の海防艦#達昭和15年7月(2)p.2『達第百四十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ海防艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年七月二十五日 海軍大臣 吉田善吾  株式會社玉造船所ニ於テ建造 海防艦 石垣(イシガキ)』補助艦艇奮戦記244-245頁『石垣(いしがき)』。.

新しい!!: 戦史叢書と石垣 (海防艦) · 続きを見る »

石廊 (給油艦)

石廊(いろう/いらう)は日本海軍の給油艦。知床型給油艦の7番艦で、艦名は静岡県・伊豆半島の石廊埼による。.

新しい!!: 戦史叢書と石廊 (給油艦) · 続きを見る »

石見 (戦艦)

石見(いはみ/いわみ)は、かつて大日本帝国海軍に所属した前弩級戦艦#海軍制度沿革(巻8、1940)第199コマ『◎戰利軍艦石見壹岐沖島見島命名ノ件 明治三十八年六月六日(達七三) 戰利軍艦「アリヨール」外三隻左ノ通命名セラル|戰艦「アリヨール」 石イハ見ミ|戰艦「インペラートルニコライ」第一世 壹イ岐キ|海防艦「ゲネラルアドミラル、アプラキシン」 沖オキノ島シマ|海防艦「アドミラル、セニヤーウヰン」 見ミ島シマ』。 日本海軍の類別は戦艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ69(原本105頁)『石見(いはみ) 艦種一等戰艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考國名なり、山陰道石見國に採る。艦歴舊露國軍艦、艦名「アリヨール」、明治35年進水、明治37・8年戰役中「バルチック」艦隊の一艦として、日本海々戰に参加、同38年5月28日日本海中の孤島竹島の南南西約18海浬の地點に於て我が艦隊之を捕獲す、同年6月6日帝國軍艦と定め「石見」と命名、同12月戰艦の等級を廢止せらる。 大正元年一等海防艦に編入、同3年乃至9年戰役に從軍:同3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(艦長大佐小林惠吉郎)、同9年堪奈加方面警備(艦長大佐白根熊三)、同10年11年西比利亞方面警備、同11年9月1日除籍。― 要目 ― 長397呎/幅76呎/吃水26呎/排水量13,516噸/機關 直立四汽筩三聯成汽機2基、ベルビル25臺/馬力16,500/速力18/乗組人員730/船材 鋼(甲帶227粍)/兵装 30拇砲 4/20拇砲 6/8拇 16/5拇 2/機砲 4/發射管2/起工 明治33-6-11/進水 同35-7-19/竣工 同37-9/建造所 露國ガラーニイ』。 艦名は現島根県の西部にあった日本の旧国名「石見国」に由来する。 本艦の守護神として同県の大田市にある物部神社 (大田市)から宇摩志麻遅命の神像が奉られていた。この神像は後に物部神社へ奉納された。.

新しい!!: 戦史叢書と石見 (戦艦) · 続きを見る »

球磨 (軽巡洋艦)

球磨(くま#海軍制度沿革8(1971)p.362、大正6年(1917年)8月20日附達第97号『軍備補充費ヲ以テ建造ニ著手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル 横須賀海軍工廠ニ於テ製造 戰艦 陸(ム)奥(ツ) 佐世保海軍工廠ニ於テ製造 二等巡洋艦 球(ク)磨(マ) 三菱合資會社長崎造船所ニ於テ製造 二等巡洋艦 多(タ)摩(マ)』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 球磨型の1番艦である。 その艦名は、熊本県を流れる球磨川にちなんで命名された#艦船名考(1928)p.224。 帝国海軍の命名慣例については日本艦船の命名慣例を参照のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と球磨 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

球磨型軽巡洋艦

球磨型軽巡洋艦(くまがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦5隻。いわゆる5500トン型軽巡洋艦の第1グループにあたる#日本巡洋艦史(2011)p.82。.

新しい!!: 戦史叢書と球磨型軽巡洋艦 · 続きを見る »

睦月型駆逐艦

月型駆逐艦(むつきがたくちくかん、Mutsuki Class Destroyers)は日本海軍の駆逐艦の艦級。同型艦12隻。 日本駆逐艦としては初めて61cm魚雷を搭載した。 「睦月型」命名前(後述)の呼称は第十九号型駆逐艦。 ネームシップの「睦月」沈没後、卯月型駆逐艦と改定された。.

新しい!!: 戦史叢書と睦月型駆逐艦 · 続きを見る »

硫黄島の戦い

硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争末期に東京都硫黄島村に属する小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦()。.

新しい!!: 戦史叢書と硫黄島の戦い · 続きを見る »

磯風型駆逐艦

磯風型駆逐艦(いそかぜかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の駆逐艦の艦級#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.95『磯風型(四隻) 艦種一等驅逐艦 磯風(いそかぜ) 昭和10年4月除籍 濱風(はまかぜ) (同上) 天津風(あまつかぜ) (同上) 時津風(ときつかぜ) 大正7年3月九州宮崎沖に坐礁、舞鶴にて大修理。昭和10年4月除籍』。日本海軍の正式類別は天津風型駆逐艦(あまつかぜがたくちくかん)#海軍制度沿革(巻8、1940)p.64『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|天津風型|天津風、磯風、濱風、時津風』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年四月一日(内令一三六) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、海防艦ノ項中「日進、」ヲ削ル|驅逐艦、一等ノ部中天津風型及谷風ノ項ヲ削リ、同二等ノ部中椿ノ項ヲ削ル|潜水艦、二等ノ部中海中三型ノ項中「呂號第二十三、呂號第二十四、ヲ削ル』。.

新しい!!: 戦史叢書と磯風型駆逐艦 · 続きを見る »

神威 (水上機母艦)

威当時は「神」は旧字体により「示+申」と表記された。(かもい/かもゐ)は、日本海軍の運送艦(給油艦)、のち水上機母艦。 アメリカ合衆国で建造幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ118(原本190頁)『神威(かもゐ) 艦種 水上機母艦  艦名考 岬名なり、後志國神威岬に採る、神威岬は方俗古來御オカ神ムイと云ふ。  艦歴 此艦は所謂米國式の實費計算に據り米國へ註文したるものにして、我海軍に於て目下電氣推進による唯一の船なり。大正11年12月15日横須賀着。元特務艦(運送船)なりしも、昭和9年6月1日軍艦に編入、水上機母艦となる。昭和6・7年事變(日支)從軍:同8年2月熱河方面作戰に協力(艦長大佐竹田六吉)  ―要目― 長さ 151.18米/幅 20.42米/吃水 8.43米/排水量 17,000噸/機關 電氣推進2軸/馬力 8,000/速力 15節/兵装 14糎砲2門 8糎高角砲2門/起工 大正10-9-14/進水 同11-6-8/竣工 同11-9-12/建造所 紐育シップビルヂング社』。 太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった日本空母物語358-361頁『神かも威い』魚雷艇をのぞく。また太平洋戦争中の日本海軍は、ドイツで建造された空母神鷹《改造当初は電気推進式艦》や、鹵獲艦艇の第102号哨戒艇《元アメリカ駆逐艦スチュアート》等の海外建造艦艇を保有した。。 艦名は北海道(後志国)積丹半島の「神威岬」による。.

新しい!!: 戦史叢書と神威 (水上機母艦) · 続きを見る »

神川丸 (特設水上機母艦)

川丸(かみかわまる)とは、川崎汽船の神川丸型級貨物船のネームシップ。日中戦争から太平洋戦争にかけて特設水上機母艦、特設航空機運搬艦として運用された。 なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)のネームシップとして同名の二代目船が建造された。1951年(昭和26年)に竣工後、北米航路で活躍。1972年(昭和47年)にパナマ企業に売却後、1979年(昭和54年)に解体された。また川崎汽船グループの川崎近海汽船が2002年(平成14年)にRO-RO船となる三代目船を建造し、現在は大阪港と釧路港の間を運航している。.

新しい!!: 戦史叢書と神川丸 (特設水上機母艦) · 続きを見る »

神風型駆逐艦 (2代)

型駆逐艦(かみかぜかたくちくかん)は、日本海軍の駆逐艦の艦級。同型艦9隻。.

新しい!!: 戦史叢書と神風型駆逐艦 (2代) · 続きを見る »

神鷹 (空母)

鷹(しんよう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和18年12月p.30「達第三百十一號 汽船「シャルンホルスト」呉海軍工廠ニ於テ改造中ノ處完成ニ付左ノ通命名セラル 昭和十八年十二月十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 神鷹(シンヨウ)」空母29隻(2016)325-326頁「神鷹(しんよう)」。.

新しい!!: 戦史叢書と神鷹 (空母) · 続きを見る »

神重徳

重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。.

新しい!!: 戦史叢書と神重徳 · 続きを見る »

神戸連隊区

戸連隊区(こうべれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は神戸大隊区である。当初は兵庫県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は神戸連隊区司令部が執行した。大阪府の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に神戸地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と神戸連隊区 · 続きを見る »

祥鳳 (空母)

300px 祥鳳(しょうほう/しやうほう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和16年12月(2)p.14『達第三百九十六號 潜水母艦劍埼改造ニ付左ノ通命名ス 昭和十六年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎 航空母艦 祥鳳(シャウホウ)』《註》本来の文字は「示羊」だが機種依存文字のため「祥」とする。『○艦名誤記ニ關スル件照合 客年十二月二十二日軍艦劍埼ハ軍艦祥鳳ト改名セラレタル處新艦名ヲ翔鳳或ハ鳳翔ト誤記スル尚有之爲ニ本艦宛郵便物ハ他ニ誤送セラレ又ハ延着、未着等事務遂行上支障多キニ付發送ニ當リテハ特ニ注意相成度(軍艦祥鳳)』。 剣埼型潜水母艦剣埼(つるぎざき)として建造され#補助艦艇奮戦記169頁『剣埼(つるぎさき)』、のちに航空母艦へ改造された。 太平洋戦争開戦後の1941年(昭和16年)12月22日、航空母艦として竣工#航跡9-10頁。この時に「祥鳳」と改名した。第四航空戦隊に編入される。 1942年(昭和17年)5月、祥鳳は南洋部隊(指揮官井上成美中将、第四艦隊司令長官)の指揮下でポートモレスビー攻略作戦に参加。同作戦従事中の5月7日、米海軍機動部隊艦載機の攻撃で撃沈された(珊瑚海海戦)。本艦は、太平洋戦争の戦闘で最初に失われた日本海軍の空母となった。.

新しい!!: 戦史叢書と祥鳳 (空母) · 続きを見る »

福山連隊区

福山連隊区(ふくやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は尾ノ道大隊区(尾道連隊区)である。広島県・岡山県・愛媛県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は福山連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)、広島連隊区に統合され廃止となった。.

新しい!!: 戦史叢書と福山連隊区 · 続きを見る »

福岡大空襲

戦災記念碑 福岡大空襲(ふくおかだいくうしゅう)は、1945年6月19日から翌6月20日までアメリカ軍により行われた空襲。福岡県福岡市の市街地を標的にした。これにより1,000人以上が死亡・行方不明となった。.

新しい!!: 戦史叢書と福岡大空襲 · 続きを見る »

福岡連隊区

福岡連隊区(ふくおかれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は福岡大隊区、久留米連隊区(第一次)である。福岡県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は福岡連隊区司令部が執行した。佐賀県の全域または一部、長崎県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に福岡地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と福岡連隊区 · 続きを見る »

福島連隊区

福島連隊区(ふくしまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は福島大隊区である。当初は福島県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は福島連隊区司令部が執行した。宮城県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に福島地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と福島連隊区 · 続きを見る »

福井重記

福井 重記(ふくい しげき、1879年(明治12年) - 1932年(昭和7年)11月23日)は、日本の陸軍軍人。見習士官時代に雪中行軍福島隊に参加。のち参謀本部初代航空班長を務める。予備役後は朝鮮で干拓事業に従事した。正五位勳三等功三級。最終階級は陸軍歩兵大佐。.

新しい!!: 戦史叢書と福井重記 · 続きを見る »

福井連隊区

福井連隊区(ふくいれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は福井大隊区で、名称は敦賀連隊区(第一次)、鯖江連隊区を経て福井連隊区となった。当初は福井県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。岐阜県の一部を管轄した時期もあった。実務は福井連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に福井地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と福井連隊区 · 続きを見る »

福知山連隊区

福知山連隊区(ふくちやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は福知山(宮津)大隊区である。京都府・兵庫県・福井県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は福知山連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と福知山連隊区 · 続きを見る »

福田良三

福田 良三(ふくだ りょうぞう、1889年(明治22年)11月1日 - 1980年(昭和55年)3月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と福田良三 · 続きを見る »

福江 (海防艦)

福江(ふかえ) は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の10番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の14番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と福江 (海防艦) · 続きを見る »

秘匿飛行場

匿飛行場(ひとくひこうじょう)は、太平洋戦争末期に本土決戦のため整備された特攻部隊の発進基地である。.

新しい!!: 戦史叢書と秘匿飛行場 · 続きを見る »

秋田連隊区

秋田連隊区(あきたれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は秋田大隊区である。一時期を除いて秋田県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は秋田連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に秋田地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と秋田連隊区 · 続きを見る »

秋月 (駆逐艦)

秋月(あきづき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和16年5月(1)pp.48-49『達第一五六號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及驅潜艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 若鷹(ワカタカ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋月(アキヅキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十六潜水艦(以下略)』。秋月型一等駆逐艦の1番艦である。艦名は片桐大自の研究によれば秋の月の意味。対空能力に優れた防空型駆逐艦として開発され、太平洋戦争(大東亜戦争)後半の艦隊防空を担当した。ソロモン諸島を巡る戦いでは、水雷戦隊旗艦として行動する事も多かった。 戦後、海上自衛隊の護衛艦として「あきづき(初代)」、「あきづき(2代)」が就役した。.

新しい!!: 戦史叢書と秋月 (駆逐艦) · 続きを見る »

竹一船団

竹一船団(たけいちせんだん)は戦史叢書75巻、422-423頁「竹一船団の遭難と西部ニューギニア防備対策」、太平洋戦争中に存在した日本軍の護送船団のひとつである。.

新しい!!: 戦史叢書と竹一船団 · 続きを見る »

竹永事件

捕虜となった竹永隊の将兵(後列)と、オーストラリア軍の兵士たち(前列)。アイタペに空輸される前に撮影された写真。左から3人目のオーストラリア軍人が、小隊長のC・H・マイルズ中尉。 竹永事件(たけながじけん)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月3日に竹永正治中佐が率いる日本軍部隊が、東部ニューギニア(当時はオーストラリア領、現在のパプアニューギニア)でオーストラリア軍に集団降伏した出来事である。捕虜となることを極度に嫌った当時の日本軍において、きわめて珍しい組織的な降伏の事例だった。.

新しい!!: 戦史叢書と竹永事件 · 続きを見る »

笠置 (空母)

置(かさぎ)#昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)p.33、達第二九三號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ軍艦三隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年九月五日 海軍大臣|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 軍艦 笠置(カサギ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 軍艦 阿蘇(アソ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 軍艦 生駒(イコマ)』は、日本海軍の未成航空母艦#海軍軍備(4)p.18『新艦|笠置(三〇二型)|二〇.六.末|(未完三四%)|一九.一〇.一九進水 二〇.四.一工事中止指令』。雲龍型航空母艦の4番艦。第5004号艦。.

新しい!!: 戦史叢書と笠置 (空母) · 続きを見る »

第102師団 (日本軍)

102師団(だいひゃくにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第102師団 (日本軍) · 続きを見る »

第105師団 (日本軍)

105師団(だいひゃくごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 1944年(昭和19年)5月に策定された「十一号作戦準備」(「準備」)に基づき、フィリピンにおいて独立混成旅団4個を基幹に各々師団に改編して編成した内の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第105師団 (日本軍) · 続きを見る »

第10飛行師団 (日本軍)

10飛行師団(だいじゅうひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団のひとつ。主として京浜地区の防空にあたった。.

新しい!!: 戦史叢書と第10飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第13飛行師団 (日本軍)

13飛行師団(だいじゅうさんひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第13飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第161師団 (日本軍)

161師団(だいひゃくろくじゅういちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第161師団 (日本軍) · 続きを見る »

第1航空軍 (日本軍)

1航空軍(だいいちこうくうぐん、第一航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は燕、軍隊符号は1FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第1航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第1挺進集団

1挺進集団(だいいちていしんしゅうだん、第一挺進集団)は、大日本帝国陸軍の空挺部隊。挺進集団は既存の挺進団(挺進連隊・滑空歩兵連隊)などを掌握する師団に準ずる部隊であり、旧日本軍の空挺部隊としては最大であった。集団としてまとまって運用される機会は無く、分割されてフィリピンの戦いなどに参加した。 帝国陸軍における挺進集団(第1挺進集団)の軍隊符号はRD(1RD)、通称号(兵団文字符)は鸞(らん)。.

新しい!!: 戦史叢書と第1挺進集団 · 続きを見る »

第2飛行師団 (日本軍)

2飛行師団(だいにひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。関東軍飛行隊を嚆矢とし、1942年に第2飛行師団と改称した。.

新しい!!: 戦史叢書と第2飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第2航空軍 (日本軍)

2航空軍(だいにこうくうぐん、第二航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は羽、軍隊符号は2FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第2航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第3503船団

3503船団(だい3503せんだん)は、太平洋戦争中の1944年5月3日に横浜沖からサイパン島へ出発した、日本の護送船団である。マリアナ諸島やパラオへ増援部隊や軍需物資などを輸送する任務を負っていた。サイパンまで軽い損害でたどり着いたが、その先さらにパラオに向かった輸送船はアメリカ海軍潜水艦の攻撃で全滅した。なお、船団命名方式の性質上、同一名の船団が別の年にも運航されている可能性があるが岩重(2011年)、71頁。、本項では1944年の船団を扱う。.

新しい!!: 戦史叢書と第3503船団 · 続きを見る »

第3530船団

3530船団(だい3530せんだん)は、太平洋戦争中の1944年5月30日に東京湾からサイパン島へ出発した、日本の護送船団である。サイパン島守備隊の主戦力である第43師団の第二陣を輸送する任務を負った重要船団であったが、アメリカ海軍潜水艦の激しい攻撃で軍隊輸送船をことごとく沈められ、サイパン島の戦いにおいて日本軍が短期間で敗れる一因となった。なお、命名方式の関係で別年度に同一名称の船団が存在する可能性があるが、本項目では1944年の船団について解説する。.

新しい!!: 戦史叢書と第3530船団 · 続きを見る »

第3飛行師団 (日本軍)

3飛行師団(だいさんひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。前身は1939年に創設された第3飛行集団で、1942年に第3飛行師団に改称されたものである。.

新しい!!: 戦史叢書と第3飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第3航空軍 (日本軍)

3航空軍(だいさんこうくうぐん、第三航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は司、軍隊符号は3FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第3航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第41軍 (日本軍)

41軍(だいよんじゅういちぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。 編成当初は振武集団(しんぶしゅうだん)という第14方面軍指揮下の第8師団を基幹とした集成集団であったが、1945年(昭和20年)3月19日に第41軍に昇格し、第14方面軍の戦闘序列に組み込まれた。.

新しい!!: 戦史叢書と第41軍 (日本軍) · 続きを見る »

第4611船団

4611船団(だい4611せんだん)は、太平洋戦争中の1944年6月11日にサイパン島から日本本土へ出発した、日本の護送船団である。アメリカ軍によるサイパン島攻略作戦の事前空襲から逃れようとした日本船団で最大のものであったが、アメリカ海軍機動部隊に捕捉され、輸送船のほとんどは撃沈された。 なお、命名方式の関係で同名の船団が別年度にも運航されている可能性があるが、本項では1944年の船団を解説する。.

新しい!!: 戦史叢書と第4611船団 · 続きを見る »

第4飛行師団 (日本軍)

4飛行師団(だいよんひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。前身は1942年に創設された第4飛行集団で、同年に第4飛行師団に改称されたものである。.

新しい!!: 戦史叢書と第4飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第4航空軍 (日本軍)

4航空軍(だいよんこうくうぐん、第四航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は真、軍隊符号は4FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第4航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第59師団 (日本軍)

59師団(だいごじゅうきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第59師団 (日本軍) · 続きを見る »

第5飛行師団 (日本軍)

5飛行師団(だいごひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。前身は1940年に創設された第5飛行集団で、1942年に第5飛行師団に改称されたものである。.

新しい!!: 戦史叢書と第5飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第5航空軍 (日本軍)

5航空軍(だいごこうくうぐん、第五航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は隼、軍隊符号は5FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第5航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第6飛行師団 (日本軍)

6飛行師団(だいろくひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第6飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第6航空軍 (日本軍)

6航空軍(だいろくこうくうぐん、第六航空軍)は、大日本帝国陸軍の航空軍の一つ。通称号は靖、軍隊符号は6FA。.

新しい!!: 戦史叢書と第6航空軍 (日本軍) · 続きを見る »

第7飛行師団 (日本軍)

7飛行師団(だいななひこうしだん)は、日本陸軍の航空師団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第7飛行師団 (日本軍) · 続きを見る »

第96師団 (日本軍)

96師団(だいきゅうじゅうろくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。太平洋戦争の末期に済州島の防備強化を目的に編成された師団である。.

新しい!!: 戦史叢書と第96師団 (日本軍) · 続きを見る »

第十号海防艦

十号海防艦本来の艦名表記は第十號海防艦。(だいじゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の5番艦。船団護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十号海防艦 · 続きを見る »

第十三号駆潜艇

十三号駆潜艇本来の艇名表記は第十三號驅潛艇。(だいじゅうさんごうくせんてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜艇)、駆潜艇。第十三号型駆潜艇の1番艇。船団護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十三号駆潜艇 · 続きを見る »

第十三号輸送艦

十三号輸送艦本来の艦名表記は第十三號輸送艦(1945年12月20日以降は輸第十三號)。以下、「第十三号」の表記部について同じ。(だいじゅうさんごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の13番艦。離島に対する輸送作戦を幾度も成功させて太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事したのち、賠償艦としてソビエト連邦に引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十三号輸送艦 · 続きを見る »

第十一号海防艦

十一号海防艦本来の艦名表記は第十一號海防艦。(だいじゅういちごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型)の6番艦。多号作戦で損傷し、処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十一号海防艦 · 続きを見る »

第十一航空隊

十一航空隊 (だいじゅういちこうくうたい) は、日本海軍の部隊の一つ。1936年9月に発生した北海事件に対応して臨時編制された。 隊名が類似している第一一海軍航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十一海軍航空隊」、または「第一一航空隊(一一空)」としている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第十一航空隊 · 続きを見る »

第十九号掃海艇

十九号掃海艇 (だいじゅうきゅうごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十九号型掃海艇の1番艇。姉妹艇とは一度も行動をともにすることなく、太平洋戦争の緒戦で被爆し放棄された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十九号掃海艇 · 続きを見る »

第十二号海防艦

十二号海防艦本来の艦名表記は第十二號海防艦(1945年12月20日から1946年6月30日までの間と、1946年8月1日以降は海第十二號)。(だいじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の6番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第十二号海防艦 · 続きを見る »

第十二航空隊

十二航空隊内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号付与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号付与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り、漢数字の「百」や「十」は使用しない。 (だいじゅうにこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。爆撃機・攻撃機・戦闘機からなる特設の戦爆連合部隊として編制され、日中戦争序盤に華中方面で戦闘・爆撃に従事した。 隊名が類似している第一二海軍航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十二海軍航空隊」、または「第一二航空隊」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第十二航空隊 · 続きを見る »

第十五号駆潜艇

十五号駆潜艇本来の艇名表記は第十五號驅潛艇(1945年12月20日以降は驅潛第十五號)。(だいじゅうごごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。第十三号型駆潜艇の3番艇。太平洋戦争を生き延びたが、復員輸送や掃海に使われること無く解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十五号駆潜艇 · 続きを見る »

第十八号海防艦

十八号海防艦本来の艦名表記は第十八號海防艦。(だいじゅうはちごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の9番艦。船団護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十八号海防艦 · 続きを見る »

第十六号輸送艦

十六号輸送艦本来の艦名表記は第十六號輸送艦(1945年12月20日以降は輸第十六號)。以下、「第十六号」の表記部について同じ。(だいじゅうろくごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の16番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1944年9月1日時点では14番艦。その後同表に第14号輸送艦と第15号輸送艦が登載されたため、それら含めると通算で16番艦。。離島に対する輸送作戦に従事した。太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事したのち、賠償艦として中華民国に引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十六号輸送艦 · 続きを見る »

第十六号海防艦

十六号海防艦本来の艦名表記は第十六號海防艦(1945年12月20日から1947年8月14日までは海第十六號)。(だいじゅうろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の8番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第十六号海防艦 · 続きを見る »

第十四号駆潜艇

十四号駆潜艇本来の艇名表記は第十四號驅潛艇。(だいじゅうよんごうくせんてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜艇)、駆潜艇。第十三号型駆潜艇の2番艇。太平洋戦争の終戦直前に被爆して行動不能となり、戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と第十四号駆潜艇 · 続きを見る »

第十四号海防艦

十四号海防艦本来の艦名表記は第十四號海防艦(1945年12月20日から1947年7月6日までの間は海第十四號)。(だいじゅうよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の7番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事。1947年に賠償艦として引き渡されてから1982年まで現役だった。.

新しい!!: 戦史叢書と第十四号海防艦 · 続きを見る »

第七号駆潜艇

七号駆潜艇本来の艇名表記は第七號驅潛艇。以下、「第七号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいななごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の4番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の7番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第七号駆潜艇 · 続きを見る »

第七号輸送艦

七号輸送艦 (だいななごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の7番艦。離島への輸送任務中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第七号輸送艦 · 続きを見る »

第七号海防艦

七号海防艦本来の艦名表記は第七號海防艦。(だいななごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型)の4番艦。輸送船団を護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第七号海防艦 · 続きを見る »

第七三二海軍航空隊

七三二海軍航空隊(だい732かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。蘭印防衛を主眼とした陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争後期に爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第七三二海軍航空隊 · 続きを見る »

第七六三海軍航空隊

七六三海軍航空隊(だい763かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン防衛の主力爆撃隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・爆撃・雷撃・特攻に従事した。七六三空。.

新しい!!: 戦史叢書と第七六三海軍航空隊 · 続きを見る »

第七六二海軍航空隊

七六二海軍航空隊(だい762かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン・台湾・沖縄防衛の主力爆撃隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・爆撃・雷撃に従事した。通称は「輝」部隊。「T攻撃部隊」としても運用された。.

新しい!!: 戦史叢書と第七六二海軍航空隊 · 続きを見る »

第七六五海軍航空隊

七六五海軍航空隊(だい765かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で偵察・爆撃・雷撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第七六五海軍航空隊 · 続きを見る »

第七〇六海軍航空隊

七〇六海軍航空隊(だい706かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で爆撃・雷撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第七〇六海軍航空隊 · 続きを見る »

第三十七号哨戒特務艇

三十七号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十七號哨戒特務艇。(だいさんじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の17番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は14番艇、これら3隻を含めると通算で17番艇となる。。横須賀空襲で沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十七号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三十三号哨戒特務艇

三十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十三號哨戒特務艇。(だいさんじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の15番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三十一号哨戒特務艇

三十一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十一號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第三十一號)。(だいさんじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の13番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は12番艇、第27号哨戒特務艇を含めると通算で13番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三十一航空隊

三十一航空隊内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号付与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号付与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り、漢数字の「百」や「十」は使用しない。(だいさんじゅういちこうくうたい)及び昭和17年(1942年)11月1日に改称した第九五四海軍航空隊(だい954かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争序盤から終盤までマニラを拠点にフィリピン航路の防衛を担当し、時はゲリラの掃討にも従事した。 隊名が類似している第三一海軍航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第三十一海軍航空隊」、または「第三一航空隊」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十一航空隊 · 続きを見る »

第三十一戦隊

三十一戦隊(だい31せんたい)とは、日本海軍の戦隊の一つ。太平洋戦争後期、敵潜水艦を積極的に発見・攻撃するための対潜機動部隊として戦史叢書45巻、359-360頁「対潜機動部隊を新編す」、1944年(昭和19年)8月20日に編制された戦史叢書45巻、361-364頁「第三十一戦隊の新編」戦史叢書37巻、76-78頁「対潜撃滅戦隊の創設」。レイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では小沢機動部隊に所属して戦闘に参加、以後は多号作戦や礼号作戦など、通常の水雷戦隊任務にも投入された。戦争末期には本土決戦に備えて敵上陸船団に対する水上戦闘任務に転用された(海上挺進部隊)。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十一戦隊 · 続きを見る »

第三十二号哨戒特務艇

三十二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十二號哨戒特務艇。(だいさんじゅうにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の14番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は13番艇、第27号哨戒特務艇を含めると通算で14番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三十八号哨戒特務艇

三十八号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十八號哨戒特務艇。(だいさんじゅうはちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の18番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は15番艇、これら3隻を含めると通算で18番艇となる。。太平洋戦争の終戦時未成で、戦後漁船として竣工した。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十八号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三十六航空隊

三十六航空隊内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号附与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号附与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り漢数字の「百」や「十」は使用しない。 (だい36こうくうたい)および昭和17年11月1日に改称した第九三四海軍航空隊(だい934かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争序盤から中盤にボルネオ島から西ニューギニアにかけての東インドネシア航路の防衛を担当し、ダーウィンを基地とする連合軍航空部隊の哨戒・迎撃にも従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十六航空隊 · 続きを見る »

第三十四号哨戒特務艇

三十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三十四號哨戒特務艇。(だいさんじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の16番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第三十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三号哨戒特務艇

三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第三號哨戒特務艇。(だいさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の3番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第三号海防艦

三号海防艦本来の艦名表記は第三號海防艦。(だいさんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型)の2番艦。戦争末期、作戦行動中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第三号海防艦 · 続きを見る »

第三三二海軍航空隊

三三二海軍航空隊(だい332かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。本土防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に阪神上空の迎撃・戦闘行動に従事した。通称「虹部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第三三二海軍航空隊 · 続きを見る »

第三一海軍航空隊

三一海軍航空隊昭和19年3月1日付 海軍内令 第372号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070199100 で閲覧可能。(だいさんひとかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。予科練卒業生の初歩機上練習を進めるための練習航空隊として編制された。 隊名が類似している第三十一航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第三十一海軍航空隊」、または「第三十一航空隊(三十一空)」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第三一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三二一海軍航空隊

三二一海軍航空隊(だい321かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で迎撃・哨戒行動に従事した。通称は「鵄とび部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第三二一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三二海軍航空隊

三二海軍航空隊昭和19年3月1日付 海軍内令 第372号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070199100 で閲覧可能。(だいさんふたかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。予科練卒業生の初歩機上練習を進めるための練習航空隊として編制された。 隊名が類似している第三十二航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第三十二海軍航空隊」、または「第三十二航空隊(三十二空)」などとしている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第三二海軍航空隊 · 続きを見る »

第三五二海軍航空隊

三五二海軍航空隊(だい352かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。本土防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に九州上空の迎撃・戦闘行動に従事した。通称「草薙部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第三五二海軍航空隊 · 続きを見る »

第三八一海軍航空隊

三八一海軍航空隊(だい381かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。蘭印防衛の主力戦闘隊として、太平洋戦争後半に防空に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第三八一海軍航空隊 · 続きを見る »

第三〇二海軍航空隊

三〇二海軍航空隊(だい302かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争における関東防空の主力戦闘機隊として迎撃・戦闘行動に従事した。通称、「厚木航空隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第三〇二海軍航空隊 · 続きを見る »

第一号型哨戒特務艇

一号型哨戒特務艇(だいいちごうがたしょうかいとくむてい、旧字体:第一號型哨戒特務艇)は、日本海軍の哨戒特務艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号型哨戒特務艇 · 続きを見る »

第一号型駆潜特務艇

一号型駆潜特務艇(だいいちごうがたくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号型駆潜特務艇 · 続きを見る »

第一号型魚雷艇

一号型魚雷艇は日本海軍の魚雷艇。同型艇6隻。計画番号はT-1で、T-1型とも称される。『世界の艦船 日本海軍特務艦船史』では乙型に分類しているが、『昭和造船史』では乙型としていない。 同じ図面で建造された151号型についても記述する。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号型魚雷艇 · 続きを見る »

第一号型掃海特務艇

一号型掃海特務艇(だいいちごうがたそうかいとくむてい)は、日本海軍の掃海特務艇。船体が漁船形状であり漁掃とも呼ばれた。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号型掃海特務艇 · 続きを見る »

第一号型敷設特務艇

一号型敷設特務艇 (だいいちごうがたふせつとくむてい)は、日本海軍の敷設特務艇。同型艇4隻。従来型の補助として建造された漁船タイプの敷設艇で漁敷とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号型敷設特務艇 · 続きを見る »

第一号哨戒特務艇

一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第一號哨戒特務艇。(だいいちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の1番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第一号駆潜特務艇

一号駆潜特務艇本来の艇名表記は第一號驅潛特務艇(1945年12月20日以降は驅潛特第一號)。(だいいちごうくせんとくむてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜特務艇)。第一号型駆潜特務艇の1番艇。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事したのち海上保安庁の巡視船となった。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号駆潜特務艇 · 続きを見る »

第一号輸送艦

一号輸送艦(だいいちごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の1番艦。全21隻中最初に竣工し、最初に沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号輸送艦 · 続きを見る »

第一号海防艦

一号海防艦本来の艦名表記は第一號海防艦。以下、「第一号海防艦」の表記部について同じ。(だいいちごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型海防艦)の1番艦。戦争末期、輸送船団を護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第一号海防艦 · 続きを見る »

第一吉田丸

一吉田丸(だいいちよしだまる)は、1919年(大正8年)に浅野造船所で竣工し、山下汽船が保有して運航した貨物船。太平洋戦争では日本陸軍により徴用され、1944年(昭和19年)に竹一船団へ加入中にアメリカ海軍潜水艦により撃沈され、2500人以上の死者を出した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一吉田丸 · 続きを見る »

第一七一海軍航空隊

一七一海軍航空隊(だい171かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力偵察機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で哨戒・偵察・対艦攻撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一七一海軍航空隊 · 続きを見る »

第一三三海軍航空隊

一三三海軍航空隊(だい133かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力夜間戦闘機機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で防空・偵察・対地攻撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一三三海軍航空隊 · 続きを見る »

第一三二海軍航空隊

一三二海軍航空隊(だい132かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力偵察機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で哨戒・偵察・対艦攻撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一三二海軍航空隊 · 続きを見る »

第一三海軍航空隊

一三海軍航空隊昭和19年5月1日付 海軍内令 第621号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070199600 で閲覧可能。 (だいひとさんかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争後期に技量低下が著しい第一南遣艦隊所属の陸上攻撃機搭乗員を養成するため編制したものだが、船団護衛や対潜哨戒任務にも従事した。最終的には実施部隊に改編された。 隊名が類似している第十三航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十三海軍航空隊」、または「第十三航空隊(十三空)」としている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第一三海軍航空隊 · 続きを見る »

第一一海軍航空隊

一一海軍航空隊(だいひとひとかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争後期に技量低下が著しい第一南遣艦隊所属の戦闘機搭乗員を養成するため編制したもの。 隊名が類似している第十一航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十一海軍航空隊」、または「第十一航空隊(十一空)」としている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第一一海軍航空隊 · 続きを見る »

第一二海軍航空隊

一二海軍航空隊昭和19年5月1日付 海軍内令 第621号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070199600 で閲覧可能。(だいひとふたかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争後期に技量低下が著しい第一南遣艦隊所属の艦上爆撃機搭乗員を養成するため編制したものだが、末期に近づくにつれて船団護衛や対潜哨戒任務にも駆り出され、末期には練習艦攻隊に改編された。 隊名が類似している第十二航空隊とは関連が無い。本航空隊の呼称を「第十二海軍航空隊」、または「第十二航空隊(十二空)」としている文献があるが、これらの呼称は誤りである。.

新しい!!: 戦史叢書と第一二海軍航空隊 · 続きを見る »

第一五三海軍航空隊

一五三海軍航空隊(だい153かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。蘭印防衛を主眼とした偵察機部隊として、太平洋戦争後期に偵察・迎撃行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一五三海軍航空隊 · 続きを見る »

第一四一海軍航空隊

一四一海軍航空隊(だい141かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の1つ。フィリピン防衛の主力偵察隊として、太平洋戦争終盤に哨戒・索敵に従事した。なお、一四一空は昭和19年7月10日の航空隊大改編の際に、同じ日に編成された夜間戦闘機隊の第三二二海軍航空隊(だい322かいぐんこうくうたい)を編入している。三二二空の主力機であった月光は、陸上偵察機として設計されていたため、編入後も支障なく混用されていた。本稿では三二二空も含めて記述する。.

新しい!!: 戦史叢書と第一四一海軍航空隊 · 続きを見る »

第一次ベララベラ海戦

一次ベララベラ海戦(だいいちじベララベラかいせん、Battle off Horaniu)は、太平洋戦争中の1943年8月17日にソロモン諸島ベラ湾で発生した海戦である。アメリカ軍側の呼称は、ウィキペディア英文版では前記のようにホラニウ海戦としているが、特に記していない資料もある。.

新しい!!: 戦史叢書と第一次ベララベラ海戦 · 続きを見る »

第一次長沙作戦

一次長沙作戦(だいいちじちょうささくせん)とは、日中戦争中の1941年9月18日から10月6日の間に湖南省の長沙周辺で行われた日本陸軍の作戦である。長沙を拠点とする中国軍第9戦区軍に、日本の第11軍が打撃を与えた。当初の作戦呼称は加号作戦(後に長沙作戦と命名)『香港・長沙作戦』、376頁。。中国側呼称は第二次長沙戦役(または第二次長沙会戦)。また、日本軍の長沙方面への作戦に対して中国軍は宜昌方面への総反攻を発動、日本軍は苦戦の末撃退した。.

新しい!!: 戦史叢書と第一次長沙作戦 · 続きを見る »

第九十号哨戒特務艇

九十号哨戒特務艇本来の艇名表記は第九十號哨戒特務艇。(だいきゅうじゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の38番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は35番艇、これら3隻を含めると通算で38番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第九十号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第九十三号哨戒特務艇

九十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第九十三號哨戒特務艇。(だいきゅうじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の41番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は38番艇、これら3隻を含めると通算で41番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第九十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第九十一号哨戒特務艇

九十一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第九十一號哨戒特務艇。(だいきゅうじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の39番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は36番艇、これら3隻を含めると通算で39番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第九十一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第九十二号哨戒特務艇

九十二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第九十二號哨戒特務艇。(だいきゅうじゅうにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の40番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は37番艇、これら3隻を含めると通算で40番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第九十二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第九号駆潜艇

九号駆潜艇本来の艇名表記は第九號驅潛艇(1945年12月20日以降は驅潛第九號)。(だいきゅうごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の6番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の9番艇。 戦後は特別輸送艦として使用され、賠償艦として中華民国に引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と第九号駆潜艇 · 続きを見る »

第九号海防艦

九号海防艦本来の艦名表記は第九號海防艦。(だいきゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型)の5番艦。戦争末期、輸送船団を護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第九号海防艦 · 続きを見る »

第九三一海軍航空隊

九三一海軍航空隊(だい931かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争後期の1944年に、シーレーン防衛専門の航空部隊として編成された。従来の基地航空隊とは違い、船団に随伴して対潜護衛を行うために航空母艦に便乗し、前路哨戒・対潜掃討を担う艦上機部隊として誕生した。しかし、護衛空母の随伴は年末を待たず断念され、ごく一般的な陸上基地航空隊として対潜掃討作戦に従事した。また、末期には数少ない艦上攻撃機部隊であったことから、沖縄戦(菊水作戦)に際しては、特攻を行なわない通常攻撃隊(雷撃隊)として参加した。.

新しい!!: 戦史叢書と第九三一海軍航空隊 · 続きを見る »

第九三八海軍航空隊

九三八海軍航空隊(だい938かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中盤にソロモン諸島防衛・哨戒に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第九三八海軍航空隊 · 続きを見る »

第九五八海軍航空隊

九五八海軍航空隊(だい958かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中盤にソロモン諸島防衛・哨戒に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第九五八海軍航空隊 · 続きを見る »

第二十号掃海艇

二十号掃海艇 (だいにじゅうごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十九号型掃海艇の2番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十号掃海艇 · 続きを見る »

第二十号海防艦

二十号海防艦本来の艦名表記は第二十號海防艦。(だいにじゅうごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の10番艦。船団護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十号海防艦 · 続きを見る »

第二十七号哨戒特務艇

二十七号哨戒特務艇本来の艇名表記は第二十七號哨戒特務艇。(だいにじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の12番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十七号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第二十一号掃海艇

二十一号掃海艇 (だいにじゅういちごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十九号型掃海艇の3番艇。同型17隻中、戦後まで残存した2隻のうちの1隻。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十一号掃海艇 · 続きを見る »

第二十二号掃海艇

二十二号掃海艇 (だいにじゅうにごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第十九号型掃海艇の4番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十二号掃海艇 · 続きを見る »

第二十二号海防艦

二十二号海防艦本来の艦名表記は第二十二號海防艦(1945年12月20日から1946年6月30日までの間と、1946年8月1日以降は海第二十二號)。(だいにじゅうにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の11番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十二号海防艦 · 続きを見る »

第二十五号哨戒特務艇

二十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第二十五號哨戒特務艇。(だいにじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の10番艇。戦後、台風により遭難沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第二十六号哨戒特務艇

二十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第二十六號哨戒特務艇。1947年1月12日以降は哨特第二十六號。(だいにじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の11番艇。太平洋戦争の終戦直前に竣工し、戦後漁船として再就役した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第二号哨戒特務艇

二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第二號哨戒特務艇。(だいにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の2番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第二号駆潜特務艇

二号駆潜特務艇本来の艇名表記は第二號驅潛特務艇。(だいにごうくせんとくむてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜特務艇)。第一号型駆潜特務艇の2番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第二号駆潜特務艇 · 続きを見る »

第二号輸送艦

二号輸送艦(だいにごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の2番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と第二号輸送艦 · 続きを見る »

第二号海防艦

二号海防艦本来の艦名表記は第二號海防艦。以下、「第二号」の表記部について同じ。(だいにごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型海防艦)の1番艦。 艦名を「海防艦二号」などと表記する文献もあるが、艦名は「第二号海防艦」である。.

新しい!!: 戦史叢書と第二号海防艦 · 続きを見る »

第二一〇海軍航空隊

二一〇海軍航空隊(だい210かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。本土防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に中京上空の迎撃・戦闘行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二一〇海軍航空隊 · 続きを見る »

第二二一海軍航空隊

二二一海軍航空隊(だい221かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。フィリピン防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に戦闘・特別攻撃に従事した。通称「嵐部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第二二一海軍航空隊 · 続きを見る »

第二五六海軍航空隊

二五六海軍航空隊(だい256かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。華中防衛の主力戦闘機隊、揚子江・黄海シーレーン護衛隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・偵察行動に従事した。二五六空。.

新しい!!: 戦史叢書と第二五六海軍航空隊 · 続きを見る »

第二五四海軍航空隊

二五四海軍航空隊(だい254かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。華南防衛の主力戦闘機隊、南シナ海シーレーン護衛隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・偵察行動に従事した。二五四空。 なお、本稿では、二五四空が進駐した海南島に設置されていた練習航空隊の「海口海軍航空隊」・「三亜海軍航空隊」・「黄流海軍航空隊」も併せて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と第二五四海軍航空隊 · 続きを見る »

第二六三海軍航空隊

二六三海軍航空隊(だい263かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。通称は「豹部隊」。戦闘機隊として絶対国防圏防衛に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二六三海軍航空隊 · 続きを見る »

第二六一海軍航空隊

二六一海軍航空隊(だい261かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・戦闘行動に従事した。通称「虎部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第二六一海軍航空隊 · 続きを見る »

第二六五海軍航空隊

二六五海軍航空隊(だい265かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力戦闘機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で護衛・迎撃・戦闘行動に従事した。通称「狼部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第二六五海軍航空隊 · 続きを見る »

第二〇五海軍航空隊

二〇五海軍航空隊(だい205かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。南西諸島防衛の主力偵察機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で戦闘・対地銃撃・対艦攻撃に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二〇五海軍航空隊 · 続きを見る »

第二航空戦隊

二航空戦隊(だいにこうくうせんたい)とは、日本海軍の航空戦隊。1934年(昭和9年)11月15日に開隊し、マリアナ沖海戦後の1944年(昭和19年)7月10日に解隊。.

新しい!!: 戦史叢書と第二航空戦隊 · 続きを見る »

第二次上海事変

二次上海事変(だいにじシャンハイじへん)は、1937年(昭和12年)宮崎水兵事件、大山事件に端を発する、8月13日からの中華民国軍の「日本租界」上海共同租界と隣接地区のうち閘北、虹口、楊浦などの俗称。当時の上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた。進駐とそれに続く日本軍との軍事衝突である同事変の間、両国は互いに宣戦布告を行わなかった。。中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。。中国側の呼称は淞滬會戰(淞沪会战)。 盧溝橋事件(7月7日)により始まった華北(北支)での戦闘は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾した。いったんは停戦協定が結ばれたものの、7月25日の廊坊事件で停戦が破られると、26日の広安門事件で日本人に犠牲者が発生し、29日の通州事件では民間人を含む230名が虐殺されたことにより、武藤章や田中新一ら拡大派が、石原莞爾や河辺虎四郎ら不拡大派を押し切った。この事件以後華中(中支)において交戦が拡大することになった。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次上海事変 · 続きを見る »

第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次世界大戦 · 続きを見る »

第二次世界大戦の影響

二次世界大戦の影響の項目では、第二次世界大戦の結果により各国・地域に起きた大きな変化を記述する。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次世界大戦の影響 · 続きを見る »

第二次ロンドン海軍軍縮会議

二次ロンドン海軍軍縮会議(だいにじロンドンかいぐんぐんしゅくかいぎ)は、1935年12月9日にイギリスのロンドンで開かれた国際会議。1930年に締結されたロンドン海軍軍縮条約の改正を目的としたが、1934年に行われた予備交渉が不調に終わった為、日本は軍縮条約からの脱退を決意。1934年12月、ワシントン海軍軍縮条約の条約破棄を通告(破棄通告後二年間は有効)。1936年(昭和11年)1月15日に本会議を脱退、イタリアもエチオピア侵略の為脱退し、最終的に英・米・仏の三国のみで1936年3月25日に第二次ロンドン海軍軍縮条約が締結された。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次ロンドン海軍軍縮会議 · 続きを見る »

第二次ベララベラ海戦

二次ベララベラ海戦(だいにじベララベラかいせん、Battle of Vella Lavella)は、太平洋戦争中の1943年10月6日にソロモン諸島のベララベラ島沖で発生した海戦である。日本軍のベララベラ島撤収部隊とアメリカ軍が交戦し、双方駆逐艦1隻が沈没した。アメリカ軍側の呼称はベララベラ海戦。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次ベララベラ海戦 · 続きを見る »

第二次ソロモン海戦

二次ソロモン海戦(だいにじソロモンかいせん)は、第二次世界大戦中、1942年8月24日にソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍との間の海戦。連合軍側の呼称は東部ソロモン海戦。日本海軍は空母1隻を喪失、ガダルカナル島への兵員輸送にも失敗して敗北した。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次ソロモン海戦 · 続きを見る »

第二次長沙作戦

二次長沙作戦(だいにじちょうささくせん)とは、日中戦争中の1941年12月24日から1942年1月16日まで、湖南省の長沙周辺で行われた日本陸軍の作戦である。太平洋戦争の開戦により始まった香港攻略作戦(第23軍)を支援する目的で前回の第一次長沙作戦の3分の2の兵力である第11軍が実施した。広東方面へ南下した中国軍を牽制するのが当初の目的だったが、長沙攻略戦へと発展した。しかし、日本軍は第一次長沙作戦が事前から周到に計画準備された作戦であったの対し、今回の作戦は咄嗟に決心されたものであり、弾薬・食料・医療品・輸送手段などの十分な準備もないまま長沙への進攻を開始したため長沙周辺で準備していた敵の頑強な抵抗を受け、その後反転して引きあげたため中国側は戦勝を喧伝した戦史叢書 『香港・長沙作戦』、546-547頁。佐々木、189頁。。 当初の作戦呼称はさ号作戦。中国側呼称は第三次長沙会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と第二次長沙作戦 · 続きを見る »

第五十一戦隊

五十一戦隊(だい51せんたい)とは、日本海軍の戦隊の一つ。太平洋戦争中に、新造護衛艦艇の教育訓練部隊である対潜訓練隊を発展させるかたちで編成された。訓練のかたわら日本本土での実戦任務にも従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第五十一戦隊 · 続きを見る »

第五十五号哨戒特務艇

五十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第五十五號哨戒特務艇。(だいごじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の25番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は22番艇、これら3隻を含めると通算で25番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第五十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第五十八号駆潜艇

五十八号駆潜艇本来の艇名表記は第五十八號驅潛艇。以下、「第五十八号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいごじゅうはちごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第二十八号型駆潜艇の最終艇(31番艇)とされているが、海軍省が定めた艦艇類別等級では第十三号型駆潜艇の46番艇本艇が艦艇類別等級別表に登載された1943年8月31日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第55号駆潜艇、第56号駆潜艇、第57号駆潜艇の3隻が艦艇類別等級別表未登載のため法令上は第十四号型の40番艇である。これら6隻を含めた場合、本艇は第十三号型の通算46番艇となる。。基本計画番号K8Bによる駆潜艇の建造は本艇を最後として終了し各建艦計画の仮称艦名順で見た場合の「最後」。日付順ならば函館船渠建造分の第57号駆潜艇が起工竣工ともに基本計画番号K8Bの最終艇となる。、以後の建造は簡易化をさらに推進した基本計画番号K8C(第5341号艦型)に移行した。.

新しい!!: 戦史叢書と第五十八号駆潜艇 · 続きを見る »

第五十四号哨戒特務艇

五十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第五十四號哨戒特務艇。(だいごじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の24番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は21番艇、これら3隻を含めると通算で24番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第五十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第五号駆潜艇

五号駆潜艇本来の艇名表記は第五號驅潛艇。以下、「第五号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいごごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の2番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の5番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第五号駆潜艇 · 続きを見る »

第五号海防艦

五号海防艦本来の艦名表記は第五號海防艦。(だいごごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第一号型海防艦(丙型)の3番艦。輸送船団を護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第五号海防艦 · 続きを見る »

第五三一海軍航空隊

五三一海軍航空隊(だい531かいぐんこうくうたい)日本海軍の部隊の一つ。最前線の内南洋防衛の主力雷撃機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で雷撃・爆撃・哨戒行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第五三一海軍航空隊 · 続きを見る »

第五二三海軍航空隊

五二三海軍航空隊(だい523かいぐんこうくうたい)、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で雷撃・爆撃・哨戒行動に従事した。通称は「鷹部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第五二三海軍航空隊 · 続きを見る »

第五二一海軍航空隊

五二一海軍航空隊(だい521かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤にマリアナ・パラオ戦線で哨戒・攻撃行動に従事した。通称は「鵬部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と第五二一海軍航空隊 · 続きを見る »

第五〇三海軍航空隊

五〇三海軍航空隊(だい503かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤に最前線で爆撃・哨戒行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第五〇三海軍航空隊 · 続きを見る »

第五〇二海軍航空隊

五〇二海軍航空隊(だい502かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤に北方戦線で哨戒行動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第五〇二海軍航空隊 · 続きを見る »

第五軍戦闘序列

五軍戦闘序列(だいごくんせんとうじょれつ)は、第五軍が第一次編成されたとき(1937年12月7日)の戦闘序列。.

新しい!!: 戦史叢書と第五軍戦闘序列 · 続きを見る »

第五航空隊

五航空隊(だい5こうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。最前線の水上基地で運用する戦闘・偵察部隊として、太平洋戦争中盤に北方戦線で護衛・迎撃・戦闘行動に従事した。1942年11月1日、第四五二海軍航空隊(だい452かいぐんこうくうたい)に改称。.

新しい!!: 戦史叢書と第五航空隊 · 続きを見る »

第八十五号哨戒特務艇

八十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第八十五號哨戒特務艇(1947年1月11日から4月15日までの間は哨特第八十五號)。(だいはちじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の37番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は34番艇、これら3隻を含めると通算で37番艇となる。。太平洋戦争の終戦時は未成で、戦後漁船となった。.

新しい!!: 戦史叢書と第八十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第八十六号哨戒特務艇

八十六号哨戒特務艇本艇が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や特務艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第二二〇六号艦、第二二〇六号艦、あるいは第2206号艦とすべきところだが、復員庁が作成あるいは調整した文書中では本艇を「哨戒特務艇八六」「哨特八六」と記述していること、参考文献として用いた世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』では「第86号哨戒特務艇(未成)」と記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(だいはちじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の1隻だが、実際には命名された事実は無く、特務艇類別等級別表にも登載されていない。.

新しい!!: 戦史叢書と第八十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第八十四号哨戒特務艇

八十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第八十四號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第八十四號)。(だいはちじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の36番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は33番艇、これら3隻を含めると通算で36番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第八十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第八号駆潜艇

八号駆潜艇本来の艇名表記は第八號驅潛艇。以下、「第八号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいはちごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の5番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の8番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第八号駆潜艇 · 続きを見る »

第八号輸送艦

八号輸送艦 (だいはちごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の8番艦。離島への輸送任務中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第八号輸送艦 · 続きを見る »

第八号海防艦

八号海防艦本来の艦名表記は第八號海防艦(1945年12月以降は海第八號)。(だいはちごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の4番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第八号海防艦 · 続きを見る »

第六十号型駆潜艇

六十号型駆潜艇(だい60ごうがたくせんてい)は日本海軍の駆潜艇。同型3隻。第二十八号型駆潜艇よりも簡易化を進めたものとされる。なお、「第六十号型」の艇型名は「第二十八号型」と同様、海軍省が定めた艦艇類別等級別表上存在せず、全艇が「第十三号型昭和18年5月1日付 内令第838号による艦艇類別等級別表の改正で「第十三号型」の艇型名は「第十四号型」に改定されているため、厳密には「第十四号型」。」に含まれる。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十号型駆潜艇 · 続きを見る »

第六十号駆潜艇

六十号駆潜艇本来の艇名表記は第六十號驅潛艇(1945年12月20日以降は驅潛第六十號)。(だいろくじゅうごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第28号型の32番艇、あるいは第60号型の1番艇とされているが、法令上は第13号型の47番艇本艇が艦艇類別等級別表に登載された1943年10月20日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第56号駆潜艇と第57号駆潜艇の2隻が艦艇類別等級別表未登載のため、1943年10月20日時点で法令上は第十四号型の42番艇である。これら5隻を含めた場合、本艇は第十三号型の通算47番艇となる。。基本計画番号K8Cの1番艇。太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十号駆潜艇 · 続きを見る »

第六十三号駆潜艇

六十三号駆潜艇本来の艇名表記は第六十三號驅潛艇。(だいろくじゅうさんごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第28号型の34番艇、あるいは第60号型の3番艇とされているが、法令上は第13号型の49番艇本艇が艦艇類別等級別表に登載された1944年1月25日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第56号駆潜艇と第57号駆潜艇の2隻が艦艇類別等級別表未登載のため、1944年1月25日時点で法令上は第十四号型の44番艇である。これら5隻を含めた場合、本艇は第十三号型の通算49番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十三号駆潜艇 · 続きを見る »

第六十一号駆潜艇

六十一号駆潜艇本来の艇名表記は第六十一號驅潛艇。(だいろくじゅういちごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第28号型の33番艇、あるいは第60号型の2番艇とされているが、法令上は第13号型の48番艇本艇が艦艇類別等級別表に登載された1943年12月22日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第56号駆潜艇と第57号駆潜艇の2隻が艦艇類別等級別表未登載のため、1943年12月22日時点で法令上は第十四号型の43番艇である。これら5隻を含めた場合、本艇は第十三号型の通算48番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十一号駆潜艇 · 続きを見る »

第六十五号哨戒特務艇

六十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第六十五號哨戒特務艇。(だいろくじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の29番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は26番艇、これら3隻を含めると通算で29番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第六十六号哨戒特務艇

六十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第六十六號哨戒特務艇。(だいろくじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の30番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は27番艇、これら3隻を含めると通算で30番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第六十四号哨戒特務艇

六十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第六十四號哨戒特務艇(1947年1月27日から4月15日の間は哨特第六十四號)。(だいろくじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の28番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は25番艇、これら3隻を含めると通算で28番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第六十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第六号駆潜艇

六号駆潜艇本来の艇名表記は第六號驅潛艇。以下、「第六号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいろくごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の3番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の6番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第六号駆潜艇 · 続きを見る »

第六号海防艦

六号海防艦本来の艦名表記は第六號海防艦。(だいろくごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の3番艦。太平洋戦争の終戦直前、輸送任務中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と第六号海防艦 · 続きを見る »

第六三一海軍航空隊

六三一海軍航空隊(だい631かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争末期にパナマ運河爆撃を目指して編制し、実施に至ることなく終戦を迎えた。.

新しい!!: 戦史叢書と第六三一海軍航空隊 · 続きを見る »

第六五二海軍航空隊

六五二海軍航空隊(だい652かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の航空隊。あ号作戦に参戦した機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として編成され、マリアナ沖海戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。.

新しい!!: 戦史叢書と第六五二海軍航空隊 · 続きを見る »

第六〇一海軍航空隊

六〇一海軍航空隊(だい601かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争中に機動部隊の一翼を担う航空母艦飛行隊として整備され、マリアナ沖海戦・硫黄島の戦い・沖縄地上戦・関東防空戦で敵機動部隊への攻撃と防空を担当した。.

新しい!!: 戦史叢書と第六〇一海軍航空隊 · 続きを見る »

第四十航空隊

四十航空隊内令、達号、辞令公報ほか「海軍省が発行した公文書」では、海軍航空隊番号附与標準制定(1942年11月1日)前の2桁番号名航空隊は航空隊名に「海軍」の文字が入らず漢数字の「十」を使用する。海軍航空隊番号附与標準制定後の2桁番号名航空隊は他の3桁番号名航空隊と同様、航空隊名に「海軍」の文字が入り漢数字の「百」や「十」は使用しない。(だい40こうくうたい)および1942年11月1日に改称した第九三六海軍航空隊(だい936かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争全期間でシンガポールを拠点にマラッカ海峡航路の防衛を担当し、一時期はベンガル湾の哨戒・迎撃にも従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第四十航空隊 · 続きを見る »

第四号哨戒特務艇

四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第四號哨戒特務艇。(だいよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の4番艇。戦後、漁船として竣工した。.

新しい!!: 戦史叢書と第四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第四号駆潜艇

四号駆潜艇本来の艇名表記は第四號驅潛艇。以下、「第四号駆潜艇」の表記部について同じ。(だいよんごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の1番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の4番艇。太平洋戦争の終戦直前に戦没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第四号駆潜艇 · 続きを見る »

第四号海防艦

四号海防艦本来の艦名表記は第四號海防艦。(だいよんごうかいぼうかん)は、日本海軍の海防艦。第二号型海防艦(丁型)の2番艦。太平洋戦争の終戦直前に沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第四号海防艦 · 続きを見る »

第百十号哨戒特務艇

十号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百十號哨戒特務艇。(だいひゃくじゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の46番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は43番艇、これら3隻を含めると通算で46番艇となる。。艤装中に被爆し沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百十号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百十一号哨戒特務艇

十一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百十一號哨戒特務艇。(だいひゃくじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の47番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は44番艇、これら3隻を含めると通算で47番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百十一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十七号哨戒特務艇

七十七号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十七號哨戒特務艇。(だいひゃくななじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の71番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十七号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十三号哨戒特務艇

七十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十三號哨戒特務艇。(だいひゃくななじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の67番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は63番艇、これら4隻を含めると通算で67番艇となる。なお、第86号哨戒特務艇(仮称艦名第2206号艦)と第166号哨戒特務艇は特務艇類別等級別表に登載されていないため、法令上の「何番艇」に含めることが出来ない。。竣工3日後に沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十三号駆潜特務艇

七十三号駆潜特務艇本来の艇名表記は第百七十三號驅潛特務艇(1945年12月20日以降は驅潛特第百七十三號)。(だいひゃくななじゅうさんごうくせんとくむてい)は、日本海軍の特務艇(駆潜特務艇)。第一号型駆潜特務艇の123番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年4月5日時点で、第一号型駆潜特務艇は11隻が同表から削除済みのため、法令上は112番艇。削除済みの艇を含めると、通算で123番艇。。太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事したのち海上保安庁の巡視船となった。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十三号駆潜特務艇 · 続きを見る »

第百七十九号哨戒特務艇

七十九号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十九號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百七十九號)。(だいひゃくななじゅうきゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の72番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は66番艇、これら6隻を含めると通算で72番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十九号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十五号哨戒特務艇

七十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十五號哨戒特務艇。(だいひゃくななじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の69番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は65番艇、これら4隻を含めると通算で69番艇となる。。海上保安庁の掃海船として行動中に遭難沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十八号哨戒特務艇

七十八号哨戒特務艇本艇が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や特務艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第二二九八号艦、第二二九八号艦、あるいは第2298号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』では「第178号哨戒特務艇(未成)」と記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(だいひゃくななじゅうはちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の1隻だが、実際には命名された事実は無く、特務艇類別等級別表にも登載されていない。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十八号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十六号哨戒特務艇

七十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十六號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百七十六號)。(だいひゃくななじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の70番艇。太平洋戦争後に掃海艦として就役したが、掃海作業中に遭難した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百七十四号哨戒特務艇

七十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百七十四號哨戒特務艇。(だいひゃくななじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の68番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は64番艇、これら4隻を含めると通算で68番艇となる。。潜水艦の攻撃により沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百七十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十七号哨戒特務艇

三十七号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十七號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十七號)。(だいひゃくさんじゅうななごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の55番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は52番艇、これら3隻を含めると通算で55番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存したが、戦後の掃海作業中に座礁し放棄された。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十七号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十九号哨戒特務艇

三十九号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十九號哨戒特務艇(1946年2月1日以降は哨特第百三十九號)。(だいひゃくさんじゅうきゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の57番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は54番艇、これら3隻を含めると通算で57番艇となる。。太平洋戦争後に掃海艦として就役した。その後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十九号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十五号哨戒特務艇

三十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十五號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十五號)。(だいひゃくさんじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の53番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は50番艇、これら3隻を含めると通算で53番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十八号哨戒特務艇

三十八号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十八號哨戒特務艇(1946年2月1日以降は哨特第百三十八號)。(だいひゃくさんじゅうはちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の56番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は53番艇、これら3隻を含めると通算で56番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十八号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十六号哨戒特務艇

三十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十六號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十六號)。(だいひゃくさんじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の54番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は51番艇、これら3隻を含めると通算で54番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三十四号哨戒特務艇

三十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百三十四號哨戒特務艇(1945年12月20日以降は哨特第百三十四號)。(だいひゃくさんじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の52番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は49番艇、これら3隻を含めると通算で52番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百三号型駆潜特務艇

三号型駆潜特務艇(だいひゃくさんごうがたくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。旧オランダ海軍B1級哨戒艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第百三号型駆潜特務艇 · 続きを見る »

第百一号型掃海特務艇

一号型掃海特務艇(だいひゃくいちごうがたそうかいとくむてい)は、日本海軍の鹵獲艦艇の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と第百一号型掃海特務艇 · 続きを見る »

第百一号輸送艦

一号輸送艦本来の艦名表記は第百一號輸送艦(1944年9月4日以前は第百一號特設輸送艦)。以下、「第百一号」の表記部について同じ。(だいひゃくいちごうゆそうかん)は、日本海軍の輸送艦。第百一号型輸送艦の1番艦。多号作戦で沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百一号輸送艦 · 続きを見る »

第百一航空戦隊

一航空戦隊(だい101こうくうせんたい)とは、日本海軍の輸送機部隊。.

新しい!!: 戦史叢書と第百一航空戦隊 · 続きを見る »

第百九十三号哨戒特務艇

九十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百九十三號哨戒特務艇。(だいひゃくきゅうじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の77番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は71番艇、これら6隻を含めると通算で77番艇となる。で、法令上の同型最終艇。戦後、台風により沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百九十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百九十一号哨戒特務艇

九十一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百九十一號哨戒特務艇(1946年8月15日以降は哨特第百九十一號)。(だいひゃくきゅうじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の75番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は69番艇、これら6隻を含めると通算で75番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存したが、朝鮮戦争で遭難し沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百九十一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百九十二号哨戒特務艇

九十二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百九十二號哨戒特務艇。(だいひゃくきゅうじゅうにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の76番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は70番艇、これら6隻を含めると通算で76番艇となる。。竣工艇中では、本艇が第一号型の最終艇となる。.

新しい!!: 戦史叢書と第百九十二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百二十三号哨戒特務艇

二十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百二十三號哨戒特務艇。(だいひゃくにじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の50番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は47番艇、これら3隻を含めると通算で50番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百二十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百二十二号哨戒特務艇

二十二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百二十二號哨戒特務艇。(だいひゃくにじゅうにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の49番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は46番艇、これら3隻を含めると通算で49番艇となる。。艤装中に被爆し沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百二十二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百五十号特設輸送艦

五十号特設輸送艦本来の艦名表記は第百五十號特設輸送艦。(だいひゃくごじゅうごうとくせつゆそうかん)は、日本海軍の特設輸送艦。最初の作戦輸送で沈没した。 普遍的には第百一号型輸送艦の6番艦狭義の第百一号型(SB艇D)としての番数。、あるいは37番艦命名取りやめの艦を除く仮称艦名上の番数。とされているが、輸送艦籍に入らず鎮守府所管の定めを解かれたため、法令上は第百一号型輸送艦に分類されたことはない。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十号特設輸送艦 · 続きを見る »

第百五十三号哨戒特務艇

五十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百五十三號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百五十三號)。(だいひゃくごじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の60番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は57番艇、これら3隻を含めると通算で60番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百五十二号哨戒特務艇

五十二号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百五十二號哨戒特務艇(1945年12月1日以降は哨特第百五十二號)。(だいひゃくごじゅうにごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の59番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は56番艇、これら3隻を含めると通算で59番艇となる。。太平洋戦争の終戦時に残存し、戦後は所属と艇名を変えながら一貫して掃海に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十二号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百五十五号哨戒特務艇

五十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百五十五號哨戒特務艇。(だいひゃくごじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の62番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は59番艇、これら3隻を含めると通算で62番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百五十六号哨戒特務艇

五十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百五十六號哨戒特務艇。(だいひゃくごじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の63番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百五十四号哨戒特務艇

五十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百五十四號哨戒特務艇(1946年12月25日以降は哨特第百五十四號)。(だいひゃくごじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の61番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は58番艇、これら3隻を含めると通算で61番艇となる。。太平洋戦争後に掃海艦として就役したが、掃海作業中に触雷し沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百五十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百八十号哨戒特務艇

八十号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百八十號哨戒特務艇。(だいひゃくはちじゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の73番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は67番艇、これら6隻を含めると通算で73番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百八十号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百八十一号哨戒特務艇

八十一号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百八十一十號哨戒特務艇。(だいひゃくはちじゅういちごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の74番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇、第176号哨戒特務艇、第177号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は68番艇、これら6隻を含めると通算で74番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百八十一号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百八号哨戒艇

八号哨戒艇昭和19年7月31日 海軍大臣 逹 第243号。(だいひゃくはちごうしょうかいてい)とは大日本帝国海軍の鹵獲艦艇の一つ。元はオランダ領東インド政府の哨戒艇「Arend(アーレンド)」。.

新しい!!: 戦史叢書と第百八号哨戒艇 · 続きを見る »

第百六十三号哨戒特務艇

六十三号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百六十三號哨戒特務艇。(だいひゃくろくじゅうさんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の64番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は60番艇、これら4隻を含めると通算で64番艇となる。。太平洋戦争後、触雷し擱座した。.

新しい!!: 戦史叢書と第百六十三号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百六十五号哨戒特務艇

六十五号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百六十五號哨戒特務艇。(だいひゃくろくじゅうごごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の66番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は62番艇、これら4隻を含めると通算で66番艇となる。。戦後沈没した本艇の沈没時の状況は、沈没場所が昭和22年2月1日付 二復総第49号で「横須賀」とある以外不明。世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p.

新しい!!: 戦史叢書と第百六十五号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百六十六号哨戒特務艇

六十六号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百六十六號哨戒特務艇。(だいひゃくろくじゅうろくごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の1隻世界の艦船『日本海軍護衛艦艇史』p.

新しい!!: 戦史叢書と第百六十六号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百六十四号哨戒特務艇

六十四号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百六十四號哨戒特務艇。(だいひゃくろくじゅうよんごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の65番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇、第156号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は61番艇、これら4隻を含めると通算で65番艇となる。。太平洋戦争中、座礁し放棄された。.

新しい!!: 戦史叢書と第百六十四号哨戒特務艇 · 続きを見る »

第百六号哨戒艇

六号哨戒艇(だいひゃくろくごうしょうかいてい)は、日本海軍の鹵獲艦艇の一つ。終戦時改造工事未了。元オランダのヴァン・ガレン級駆逐艦バンケルト (HNLMS Banckert) 。.

新しい!!: 戦史叢書と第百六号哨戒艇 · 続きを見る »

第百四十号哨戒特務艇

四十号哨戒特務艇本来の艇名表記は第百四十號哨戒特務艇。(だいひゃくよんじゅうごうしょうかいとくむてい)は、日本海軍の未成特務艇(哨戒特務艇)。第一号型哨戒特務艇の58番艇本艇が特務艇類別等級別表に登載された1944年11月5日時点で、第27号哨戒特務艇、第33号哨戒特務艇、第34号哨戒特務艇が同表未登載のため、1944年11月5日時点で法令上は55番艇、これら3隻を含めると通算で58番艇となる。。.

新しい!!: 戦史叢書と第百四十号哨戒特務艇 · 続きを見る »

筑波海軍航空隊

筑波 海軍航空隊(つくば かいぐんこうくうたい)は、大日本帝国海軍航空隊の部隊の一つ。戦闘機専修搭乗員を育成するため、筑波山地近くの飛行場で実機訓練を担った。太平洋戦争後期、絶対国防圏策定後の昭和19年(1944年)以降は日本本土防空部隊となった。戦争末期には特別攻撃隊を編成し、沖縄戦で特攻作戦に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と筑波海軍航空隊 · 続きを見る »

篠山連隊区

山連隊区(ささやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、兵庫県・大阪府の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と篠山連隊区 · 続きを見る »

築城海軍航空隊

築城海軍航空隊(ついきかいぐんこうくうたい)および昭和19年2月20日に改称した第五五三海軍航空隊(だい553かいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。戦闘機の搭乗員の教育を推進するため、生徒・学生・練習生への実機練習を推進した。築城空は二代あり、初代は北方戦線の哨戒任務を負う実用機部隊に変貌した。二代は中間練習部隊として編成され、実用機訓練の前段階を担った。また、昭和8年より造成を開始した富高飛行場に分遣隊を設置し、並行して訓練を実施した。.

新しい!!: 戦史叢書と築城海軍航空隊 · 続きを見る »

粟国 (海防艦)

粟国本来の艦名表記は粟國。以下、「粟国」の表記部について同じ。(あぐに)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の4番艦。1944年12月に竣工し、太平洋戦争を生き延びたものの、行動不能状態で終戦を迎え、1945年11月に除籍された。2015年現在確認可能な太平洋戦争の戦闘記録上において、アメリカ軍が使用した誘導爆弾が命中した唯一の日本艦とされる。艦名は、沖縄県の粟国島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と粟国 (海防艦) · 続きを見る »

網代 (敷設艇)

網代(あじろ)は、日本海軍の敷設艇。艇名は神奈川県三浦半島の南部、相模灘に臨む網代埼による#聯合艦隊軍艦銘銘伝p.573。。ただ徳島県南東部や岡山県牛窓港口の前島にも網代埼が、岡山県水島港沖に網代島がある。 日本海軍が定めた艦艇類別等級(別表)では網代型敷設艇の1番艇で、網代が測天型や平島型に含まれたことはない。.

新しい!!: 戦史叢書と網代 (敷設艇) · 続きを見る »

美保海軍航空隊

美保海軍航空隊(みほかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。30000人もの大量の志願者を募った予科練甲飛第13期の生徒を教育するため増設された予科練教育航空隊である。美保飛行場は昭和14年秋から造成が始まったが、昭和17年頃までは工事が進捗しなかった。予科練航空隊増設を機に、呉海兵団を投入して突貫工事を進めたが、開隊までには完工にいたらず、入隊したばかりの甲飛13期生も残工事に借り出された。当初は練習機を備えて機上練習も可能だったが、昭和19年1月に初歩練習隊として第二美保海軍航空隊(だい2みほかいぐんこうくうたい)として独立した。第二美保空は昭和20年2月11日をもって奈良県の柳本飛行場に移転し、「大和海軍航空隊(やまとかいぐんこうくうたい)」となる。本稿では、第一・第二美保空に加え、転出後の大和空も併記する。.

新しい!!: 戦史叢書と美保海軍航空隊 · 続きを見る »

美濃部正

美濃部 正(みのべ ただし、旧姓:太田(おおた)、1915年 - 1997年6月12日)は、旧日本海軍軍人、航空自衛官である。愛知県出身。海兵64期。最終階級は海軍において少佐、自衛隊において空将。.

新しい!!: 戦史叢書と美濃部正 · 続きを見る »

翁英作戦

翁英作戦(おうえいさくせん)とは、日中戦争中の1939年(昭和14年)12月24日から翌年1月14日まで広東省で行われた日本陸軍の作戦である。日本軍第21軍が広東北方の翁源、英徳まで進攻し、所在の中国軍に打撃を与えて反転した。.

新しい!!: 戦史叢書と翁英作戦 · 続きを見る »

翔鶴 (空母)

翔鶴(しょうかく/しやうかく)は、大日本帝国海軍の航空母艦(空母)#達昭和14年5月p.11『達第七十號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年五月十六日 海軍大臣 米内光政 航空母艦 翔鶴(シヤウカク)』。翔鶴型航空母艦の1番艦。1944年6月19日にマリアナ沖海戦で撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と翔鶴 (空母) · 続きを見る »

真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図 大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾"Pearl Harbor"を「真珠湾」と訳すことには異論もある。詳細は真珠湾を参照。にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争における南方作戦の一環として、開戦劈頭でマレー作戦に次いで実施された。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。.

新しい!!: 戦史叢書と真珠湾攻撃 · 続きを見る »

真鶴 (隼型水雷艇)

真鶴(眞鶴、まなつる、まなづる)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の3番艇である。同名艇に千鳥型水雷艇の「真鶴」があるため、こちらは「真鶴 (初代)」や「真鶴I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と真鶴 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

猿島 (敷設艇)

猿島(さるしま)は、日本海軍の敷設艇。夏島型敷設艇の1隻。猿島は横須賀港第5区、記念館「三笠」の沖に浮かぶ島の名前#銘銘伝2014p.534。.

新しい!!: 戦史叢書と猿島 (敷設艇) · 続きを見る »

疾風 (2代神風型駆逐艦)

(はやて)は、日本海軍の神風型駆逐艦(2代目)7番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.48『一等驅逐艦 疾風(はやて) 基準排水量1,270噸、長さ97,54米、幅9,14米、平均吃水2,92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正11年11月11日、進水大正14年3月23日、竣工大正14年12月21日、建造所石川島造船所―朝凪と同型。この級の最後の艦、その後は1,315噸型驅逐艦が盛んに建造されるやうになつた。』 。同名の日本海軍艦船は1907年(明治40年)に竣工した駆逐艦疾風に次いで2隻目。1941年(昭和16年)12月11日の第一次ウェーク島攻略作戦で陸上砲台の砲撃を受け、太平洋戦争で初めて戦没した日本の駆逐艦となった。.

新しい!!: 戦史叢書と疾風 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

瑞鳳 (空母)

鳳(ずいほう/ずゐほう)は、日本海軍の航空母艦。瑞鳳型航空母艦の一番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と瑞鳳 (空母) · 続きを見る »

瑞鶴 (空母)

(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦#達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦で沈没。.

新しい!!: 戦史叢書と瑞鶴 (空母) · 続きを見る »

生駒 (空母)

生駒(いこま)は日本海軍の未成航空母艦。雲龍型航空母艦の6番艦(第5007号艦)。.

新しい!!: 戦史叢書と生駒 (空母) · 続きを見る »

田中頼三

中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と田中頼三 · 続きを見る »

田結穣

結 穣(たゆい みのる, 1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と田結穣 · 続きを見る »

由利島 (敷設艇)

由利島(ゆりじま)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の7番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と由利島 (敷設艇) · 続きを見る »

甲型魚雷艇

型魚雷艇は日本海軍の魚雷艇。計画番号はT-51a(10号型)とT-51b(11号型)に2分されるが、ここでは甲型として一括して扱う。同型艇計8隻。.

新しい!!: 戦史叢書と甲型魚雷艇 · 続きを見る »

甲府連隊区

府連隊区(こうふれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は横浜大隊区である。初めは山梨県の全部と神奈川県の一部を管轄区域として徴兵・召集等兵事事務を担任し、名称を横浜連隊区としていたが、後に甲府連隊区と名称を変え最終的には山梨県のみが管轄となる。1945年(昭和20年)に設けられた甲府地区司令部は同域の防衛を担当した部署で、甲府連隊区司令部要員が双方を兼務した。戦後に執筆された書籍でも旧表記である"聯"の字を用いて甲府聯隊区と表記している例が多い。.

新しい!!: 戦史叢書と甲府連隊区 · 続きを見る »

甲木清実

木 清實(かつき きよみ、1919年(大正8年)4月10日 - )は、日本海軍の水上機操縦員。「ジェロニモ」の異名を持つエース・パイロットで、日本海軍で2名しかいない水上機エースのうちの1人。 零式観測機に搭乗し、南方戦線で戦果を挙げた。実戦部隊では零式観測機を皮切りに幾多の機種に搭乗した。各地を転戦しつつ太平洋戦争を生き延びた。.

新しい!!: 戦史叢書と甲木清実 · 続きを見る »

熊谷連隊区

谷連隊区(くまがやれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、埼玉県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と熊谷連隊区 · 続きを見る »

熊谷陸軍飛行学校

谷陸軍飛行学校(くまがやりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として飛行機操縦に従事する航空兵科下士官となる生徒、少年飛行兵、あるいは将校、下士官の操縦学生などに対し、飛行機操縦の基本教育を行った。1935年(昭和10年)12月に開設され、1945年(昭和20年)2月に第52航空師団の一部に改編のため閉鎖された。学校本部および本校は埼玉県大里郡(現在の熊谷市西部)に置かれ、ほかに各地に分教場または分教所があった。.

新しい!!: 戦史叢書と熊谷陸軍飛行学校 · 続きを見る »

熊本連隊区

本連隊区(くまもとれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は熊本大隊区である。熊本県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は熊本連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に熊本地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と熊本連隊区 · 続きを見る »

燕 (隼型水雷艇)

燕(つばめ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の8番艇である。同名艇に燕型敷設艇の「燕」があるため、こちらは「燕 (初代)」や「燕I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と燕 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

燕 (敷設艇)

燕(つばめ)は、日本海軍の敷設艇。燕型敷設艇の1番艇。艇名としては隼型水雷艇の8番艇「燕」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と燕 (敷設艇) · 続きを見る »

燕型敷設艇

燕型敷設艇(つばめがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇。同型艦2隻。日本海軍の近代型敷設艇のプロトタイプとなった艇#日本海軍護衛艦艇史p.84。.

新しい!!: 戦史叢書と燕型敷設艇 · 続きを見る »

照月 (駆逐艦)

照月(てるづき)は#達昭和16年10月(2)p.11『達第三百二十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦一隻及駆潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 照月(テルヅキ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 巻波(マキナミ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十七潜水艦|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十九號駆潜艇』、大日本帝国海軍の駆逐艦。 秋月型駆逐艦(一等駆逐艦)の2番艦である#内令昭和16年10月(3)p.37『内令第千二百八十三號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年十月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等夕雲型ノ項中「風雲」ノ下ニ「、巻波」ヲ加ヘ、同秋月型ノ項中「秋月」ノ下ニ「、照月」ヲ加フ(以下略)』。 艦名は片桐大自の研究によれば「照りかがやく月」の意味。.

新しい!!: 戦史叢書と照月 (駆逐艦) · 続きを見る »

牧野明

牧野 明(まきの あきら、1922年(大正11年)頃 - 2007年(平成19年)5月)は、大日本帝国海軍の衛生兵。太平洋戦争中にフィリピンで生体解剖へ関与していたと、初めて証言した人物である。.

新しい!!: 戦史叢書と牧野明 · 続きを見る »

特別操縦見習士官

特別操縦見習士官(とくべつそうじゅうみならいしかん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)終盤の日本陸軍航空において、高等教育機関の卒業生・在学生中の志願者を予備役将校操縦者として登用した制度あるいは登用された者を指す。しばしば特操と略され、。1-4期生が養成され、1,2期生は特攻に動員されて多数の戦死者を出した。戦争末期の飛行機・ガソリン不足のため、3,4期生は十分な訓練を受けることができず、ために大部分が生き残った。.

新しい!!: 戦史叢書と特別操縦見習士官 · 続きを見る »

特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗) 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 彗星(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)。突入後アメリカ軍が回収した遺品により搭乗員が特定された例の一つ。 フォーミダブルに特攻機(零戦)が1機突入、56名が死傷し11機の艦載機が炎上 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、「特別に編成された攻撃部隊」。略称は「特攻隊」(とっこうたい)。当記事では、攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても記述する。 語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からである。同戦争の末期には、爆弾や爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器、もしくは専用の特攻兵器を使用して体当たりし自爆するといった戦死を前提(後者)とするものが中心となった。海外の例では、第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベがある。.

新しい!!: 戦史叢書と特別攻撃隊 · 続きを見る »

特設警備隊

特設警備隊(とくせつけいびたい)とは、日本陸軍が太平洋戦争中に日本本土の沿岸警備や軍事施設の損害復旧のために編成した臨時の部隊である。少数の基幹要員のみを常置し、必要が生じた場合に、防衛召集の一種である警備召集により一時的に兵員を動員して充足した。沖縄戦と樺太の戦い、ソ連の満州侵攻で地上戦に参加した。.

新しい!!: 戦史叢書と特設警備隊 · 続きを見る »

特設護衛船団司令部

特設護衛船団司令部(とくせつごえいせんだんしれいぶ)とは、日本海軍が太平洋戦争中に大規模な護送船団の指揮のために編成した部隊である。司令官のほかに固有の幕僚・戦闘兵力を持たない点が特色で、船団の運航に際して臨時の参謀を加え、適宜集められた護衛艦艇を指揮下に入れた。本項目では、固有の戦闘兵力を有する発展的な護衛専門部隊として編成された部隊番号100番台の戦隊についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と特設護衛船団司令部 · 続きを見る »

特TL型

特TL型(とくTLがた)とは、第二次世界大戦中に日本で建造された、航空母艦機能を有するタンカーの型式である。戦時標準船の一種であるTL型タンカーを原型として設計された。特TL船とも。.

新しい!!: 戦史叢書と特TL型 · 続きを見る »

独立混成第15連隊

立混成第15連隊(どくりつこんせいだい15れんたい、独立混成第十五聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。.

新しい!!: 戦史叢書と独立混成第15連隊 · 続きを見る »

独立混成第44旅団 (日本軍)

立混成第44旅団(どくりつこんせいだい44りょだん、独立混成第四十四旅団)は、大日本帝国陸軍の旅団のひとつ。「独立」は師団所属でないこと、「混成」は諸兵科連合であることを表す。.

新しい!!: 戦史叢書と独立混成第44旅団 (日本軍) · 続きを見る »

盛岡連隊区

盛岡連隊区(もりおかれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は盛岡大隊区である。当初は岩手県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。宮城県の一部を管轄した時期もあった。実務は盛岡連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に盛岡地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と盛岡連隊区 · 続きを見る »

白城子陸軍飛行学校

白城子陸軍飛行学校(はくじょうしりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として航空航法の教育と研究を行った。1939年(昭和14年)7月に設立され、学校本部は設立当初埼玉県所沢町(現在の所沢市並木)に、のちに満州国(現在の中国東北部)白城子近郊の平台に置かれた。 1944年(昭和19年)6月、白城子陸軍飛行学校は栃木県芳賀郡(現在の宇都宮市の一部)に移転し、宇都宮教導飛行師団に改編された。1945年(昭和20年)7月、宇都宮教導飛行師団は教導飛行師団司令部と同師団の第6教導飛行隊に改編され、同年8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終戦によって、ともに解体された。ここでは宇都宮教導飛行師団等についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と白城子陸軍飛行学校 · 続きを見る »

白神 (敷設艇)

白神(しらかみ)は、日本海軍の敷設艇。測天型敷設艇の2番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と白神 (敷設艇) · 続きを見る »

白菊 (航空機)

徳島海軍航空隊所属の白菊 緑十字飛行に使用された白菊 白菊(しらぎく)は、第二次世界大戦中期から日本海軍で使用された機上作業練習機である。開発・製造は九州飛行機で、機体略番はK11W。九〇式機上作業練習機の後継機として昭和17年に制式採用され終戦まで使用された。大戦末期には特攻機として使用された機体もあった。.

新しい!!: 戦史叢書と白菊 (航空機) · 続きを見る »

白鷹 (水雷艇)

白鷹(しらたか)は日本海軍の水雷艇。艦名は羽毛が白みを帯びた鷹の総称を意味する。.

新しい!!: 戦史叢書と白鷹 (水雷艇) · 続きを見る »

白鷹 (急設網艦)

白鷹 (しらたか)は、日本海軍の敷設艦(急設網艦)#海軍制度沿革(巻8、1940)p.202『◎急設網艦命名ノ件 昭和二年十一月一日(達一三〇) 昭和ニ年度艦艇製造費ヲ以テ建造ニ着手ノ急設網艦一隻ニ左ノ通命名ス 株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 白シラ鷹タカ』。 日本海軍が保有した最初の急設網艦(同時期に燕型敷設艇も就役)#日本補助艦艇物語51-52頁『(7) 白鷹しらたか(急設網艦)』。 純粋な防潜網敷設艦(net layer)としての世界最初の建造にもなる#海軍造船技術概要上巻p.795。.

新しい!!: 戦史叢書と白鷹 (急設網艦) · 続きを見る »

白露型駆逐艦

白露型駆逐艦(しらつゆかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦の艦級である。初春型駆逐艦の準同型艦ともいえる艦級であった。なお、一番艦の白露から五番艦の春雨までは有明型駆逐艦(ありあけがたくちくかん)に類別されていた時期もあった。.

新しい!!: 戦史叢書と白露型駆逐艦 · 続きを見る »

白雪 (吹雪型駆逐艦)

白雪(しらゆき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十六號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 白雪(シラユキ)トス』。特型駆逐艦こと一等駆逐艦吹雪型(白雪型・初雪型)の2番艦。 雪級(ゆきクラス)の1隻。 当初の艦名は第三十六号駆逐艦。白雪の名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「白雪」に続いて2隻目。名称ははつゆき型護衛艦(現:しまゆき型練習艦)2番艦「しらゆき」に受け継がれている。.

新しい!!: 戦史叢書と白雪 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

白雲 (吹雪型駆逐艦)

白雲(しらくも)は、日本海軍の吹雪型駆逐艦8番艦。1928年(昭和3年)7月に竣工した。日本海軍の艦船名としては1902年(明治35年)竣工の白雲型駆逐艦白雲に続いて2隻目。1944年(昭和19年)3月、船団護衛中に釧路沖の太平洋で米潜水艦の雷撃を受け沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と白雲 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

百団大戦

団大戦(ひゃくだんたいせん)は、日中戦争中の1940年8月から12月にかけ、山西省・河北省周辺一帯において、中華民国国民革命軍に参加中の中国共産党軍と、大日本帝国陸軍の間で起きた一連の戦い。「百団大戦」は中国側の呼称で、中国共産党軍の参加兵力が約100個の「団」(連隊に相当)とされることに由来する。小部隊でのゲリラ戦を得意とした中国共産党の八路軍が、初めて行った大規模な攻勢である。日本側は、第一期・第二期晋中作戦などの掃討作戦を発動して対抗した。中国共産党軍は日本軍の警備部隊や施設に損害を与える一定の戦術的成功を収めたが、作戦の戦略的意義については評価が分かれている。.

新しい!!: 戦史叢書と百団大戦 · 続きを見る »

百里原海軍航空隊

里原海軍航空隊(ひゃくりはら かいぐん こうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。攻撃専修搭乗員の教育を推進するため、攻撃機に搭乗するまでの実機練習を推進した。しかし絶対国防圏策定後の昭和19年以降は哨戒実施部隊となった。末期には特別攻撃隊を編成し、沖縄方面の特攻作戦に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と百里原海軍航空隊 · 続きを見る »

隠岐 (海防艦)

岐(おき)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の4番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の8番艦。太平洋戦争を生き延びて戦後は復員輸送に従事し、賠償艦として中華民国に引き渡されたが、国共内戦で中国人民解放軍の手に落ち、その後中国人民解放軍海軍に所属して、1982年まで現役だった。.

新しい!!: 戦史叢書と隠岐 (海防艦) · 続きを見る »

隠戸 (給油艦)

戸(おんど)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の1番艦。艦名は広島県呉市の「音戸瀬戸」にちなんで名づけられた片桐, 578ページ。「隠戸」は「音戸」の別表記であり、「隠渡」とも書かれた。.

新しい!!: 戦史叢書と隠戸 (給油艦) · 続きを見る »

隠戸型給油艦

戸型給油艦(おんどがたきゅうゆかん)は、日本海軍の運送艦(給油艦)。.

新しい!!: 戦史叢書と隠戸型給油艦 · 続きを見る »

隼 (隼型水雷艇)

(はやふさ、はやぶさ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の1番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「隼」があるため、こちらは「隼 (初代)」や「隼I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と隼 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

隼 (鴻型水雷艇)

(はやぶさ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の3番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「隼」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と隼 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

隼型水雷艇

型水雷艇(はやふさがたすいらいてい)は日本海軍の水雷艇。同型艇15隻。.

新しい!!: 戦史叢書と隼型水雷艇 · 続きを見る »

芙蓉部隊

芙蓉部隊(前2列目中央無帽の人物が美濃部) 芙蓉部隊(ふようぶたい)とは太平洋戦争末期における、日本海軍第一三一航空隊所属の3個飛行隊(戦闘八〇四飛行隊、戦闘八一二飛行隊、戦闘九〇一飛行隊)の通称である。関東海軍航空隊の指揮下にあったが、実質的に一三一空所属の美濃部正少佐が指揮を取っていた。芙蓉部隊は戦闘機隊とはいえ、沖縄方面の敵飛行場・艦船に対する爆撃、機動部隊に対する索敵を主体とし、特攻が主体になっていた当時において、夜襲戦法を用いて活躍した。芙蓉部隊所属の搭乗員は、フヨウの花の色である薄紅色のマフラーを着用していた。.

新しい!!: 戦史叢書と芙蓉部隊 · 続きを見る »

鞍馬 (空母)

鞍馬(くらま)は大日本帝国海軍が建造を予定していた航空母艦。艦名は京都府北部にある鞍馬山による。海軍達号で本艦の命名にかかるものは存在せず、艦名は予定艦名であり、他の候補名として開聞(かいもん)があった。.

新しい!!: 戦史叢書と鞍馬 (空母) · 続きを見る »

鎮海海軍航空隊

鎮海海軍航空隊(ちんかいかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。鎮海要港部・鎮海警備府に属し、朝鮮半島沿岸・黄海・対馬海峡の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。.

新しい!!: 戦史叢書と鎮海海軍航空隊 · 続きを見る »

運航指揮官

運航指揮官(うんこうしきかん)は、日本海軍が太平洋戦争中に護送船団を現場で指揮統制するために設置した役職である。主に予備役の大佐が任命され、数名の通信兵から成る運航指揮班を率いて乗船指揮した。初期には運航統制官と称した。.

新しい!!: 戦史叢書と運航指揮官 · 続きを見る »

菊水作戦

アメリカ海軍の高速空母部隊(第38任務部隊)、先頭は軽空母ラングレー 菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期、連合国軍の沖縄諸島方面への進攻(沖縄戦)を阻止する目的で実施された日本軍の特攻作戦である。作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。 作戦は第一号(1945年4月6日-11日)から第十号(6月21日-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。 特攻作戦と連動して、艦上攻撃機「天山」や陸上爆撃機「銀河」、海軍指揮下の陸軍雷撃隊に所属する四式重爆撃機「飛龍」(海軍名:「靖国」)などによる夜間雷撃や、艦上爆撃機「彗星」12型などを主力とする芙蓉部隊、水上偵察機(実質的には水上爆撃機)「瑞雲」による夜間爆撃なども実施された。また、菊水1号作戦時には、航空総攻撃に呼応して、戦艦大和の水上特攻が実施された(詳細は坊ノ岬沖海戦を参照)。.

新しい!!: 戦史叢書と菊水作戦 · 続きを見る »

靖安軍

靖安軍(せいあんぐん)は、満州国軍の軍のひとつ。編成当初の名称は靖安遊撃隊(せいあんゆうげきたい)。満州事変の直後に関東軍の指導のもとで編成された日本人・満州人混成の部隊である。満州各地で匪賊の討伐作戦に従事した。日中戦争においては華北に外征し、のち国防軍として第1師に改編された。.

新しい!!: 戦史叢書と靖安軍 · 続きを見る »

青島 (運送艦)

青島(せいとう/せいたう)は、日本海軍の運送艦。艦名は本艦の前身だった貨物船が自沈していた中国山東省の港湾「青島港」にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と青島 (運送艦) · 続きを見る »

青森連隊区

青森連隊区(あおもりれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。当初は青森県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。岩手県の一部を管轄した時期もあった。実務は青森連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に青森地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と青森連隊区 · 続きを見る »

静岡連隊区

静岡連隊区(しずおかれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は静岡大隊区である。当初は静岡県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。神奈川県の一部を管轄した時期もあった。実務は静岡連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に静岡地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と静岡連隊区 · 続きを見る »

風雲 (駆逐艦)

雲(かざぐも)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和16年9月p.7『達第二百七十七號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦二隻、駆潜艇及掃海特務艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年九月十日 海軍大臣 及川古志郎|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 風雲(カザグモ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第四十五潜水艦(以下略)』。一等駆逐艦夕雲型の3番艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と風雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

飯田連隊区

飯田連隊区(いいだれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、長野県・愛知県・岐阜県の各一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と飯田連隊区 · 続きを見る »

飛行場大隊

飛行場大隊(ひこうじょうだいたい)とは、日本陸軍の部隊編制の一つで、航空機の整備・補給や飛行場の警備などの航空部隊の後方支援を任務とした大隊のことである。.

新しい!!: 戦史叢書と飛行場大隊 · 続きを見る »

飛行場設定隊

飛行場設定隊(ひこうじょうせっていたい)とは、大日本帝国陸軍の部隊編制の一つで、戦時における飛行場の建設や修復工事を任務とした部隊である。主に太平洋戦争中に編成された。作業の機械化も試みられたが、工業力の低さから大きな成果は得られなかった。.

新しい!!: 戦史叢書と飛行場設定隊 · 続きを見る »

飛龍 (空母)

飛龍(ひりゅう/ひりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦#達昭和10年11月p.6『達第百三十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年十一月二十二日 海軍大臣大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 航空母艦 飛龍ヒリュウ』。1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦にて沈没した。.

新しい!!: 戦史叢書と飛龍 (空母) · 続きを見る »

館山海軍航空隊

山海軍航空隊(たてやまかいぐんこうくうたい)は日本海軍の部隊の一つ。横須賀海軍航空隊の機能分散を図るため、関東各地に設置された初期の航空隊のひとつで、東日本の近距離哨戒・近距離対艦迎撃のために設置された。に次いで開かれた。1944年(昭和19年)12月15日に、東日本の哨戒航空隊を統合した第九〇三海軍航空隊(だい903かいぐんこうくうたい)の主力隊に変容した。また、九〇三空に統一された後にも、二代目の館山空が設置された。本稿では統合後の九〇三空と二代目館山空も合わせて述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と館山海軍航空隊 · 続きを見る »

館陶事件

陶事件(かんとうじけん、たてとうじけん)とは、日中戦争中の1942年(昭和17年)12月27日から28日に、中国の館陶県に駐留中の日本軍部隊で発生した上官暴行、抗命事件である。兵士6人が飲酒のうえ所属中隊の幹部らを暴行し、銃を乱射するなどした。軍法会議で兵士2名が死刑となり、上司の中隊長は責任をとって自殺した。日本軍では類例のない不祥事として問題となった。.

新しい!!: 戦史叢書と館陶事件 · 続きを見る »

襟裳 (給油艦)

襟裳(えりも)は日本海軍の給油艦。知床型給油艦の3番艦で、艦名は北海道の襟裳岬による。.

新しい!!: 戦史叢書と襟裳 (給油艦) · 続きを見る »

西ノ宮海軍航空隊

西ノ宮海軍航空隊(にしのみやかいぐんこうくうたい)及びその前身組織・三重海軍航空隊/滋賀海軍航空隊西ノ宮分遣隊(みえかいぐんこうくうたい/しがかいぐんこうくうたい にしのみやぶんけんたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。戦時統制の中で戦争協力を推進していた関西学院の本拠地関西学院大学上ヶ原校地を借り受け、校舎・宿舎に充てて教育・訓練を施した。.

新しい!!: 戦史叢書と西ノ宮海軍航空隊 · 続きを見る »

西浦進

西浦 進(にしうら すすむ、1901年(明治34年)12月4日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍士官学校34期(恩賜)、陸軍大学校42期(首席)。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された。主に陸軍省軍務局に属して軍政に従事、太平洋戦争開戦前後には東條英機首相兼陸軍大臣の大臣秘書官を務めた。戦後は太平洋戦争史の調査研究に注力し、防衛庁防衛研修所戦史室の初代室長として『戦史叢書』の編纂を進めた。.

新しい!!: 戦史叢書と西浦進 · 続きを見る »

襄東会戦

襄東会戦(じょうとうかいせん)とは、日中戦争中の1939年5月1日から5月20日まで、湖北省の襄東地区で行われた日本陸軍と国民革命軍による戦闘である。反攻を企図して集結した中国軍を日本軍が撃滅しようとした。襄東とは、襄河(漢水の別称)以東の地域を指す。作戦名称は「そ号作戦」。中国側の呼称は随棗会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と襄東会戦 · 続きを見る »

見島 (海防艦)

見島(みしま)は#海軍制度沿革(巻8、1940)第199コマ「◎戰利軍艦石見壹岐沖島見島命名ノ件 明治三十八年六月六日(達七三) 戰利軍艦「アリヨール」外三隻左ノ通命名セラル|戰艦「アリヨール」 石イハ見ミ|戰艦「インペラートルニコライ」第一世 壹イ岐キ|海防艦「ゲネラルアドミラル、アプラキシン」 沖オキノ島シマ|海防艦「アドミラル、セニヤーウヰン」 見ミ島シマ」、日本海軍の海防艦。 後日、砕氷艦日本補助艦艇物語230-231頁「(2)二等海防艦 見島」。 その後、潜水艦母艇として運用された。 艦名は山口県の沖、日本海に浮かぶ見島からとられる幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ68(原本102頁)「見島(みしま)艦種海防艦二等 二檣(戰闘檣あり)艦名考島峡名に採る、見島は長門國阿武郡に属す、高山岬の西微北20浬、萩の北微西に當る。艦歴明治29年露國「ニュー・アドミラルチー」造船所にて進水したる舊露國軍艦、原名「アドミラル・セニヤーウヰン」。明治37・8年日露戰役中、「バルチック」艦隊の一艦として日本海々戰に参加、同38年5月28日竹島(日本海の孤島)の南西沖合に於て、我が艦隊之を捕獲す、同年6月6日帝國軍艦と定め「見島」と命名す。大正3年乃至9年戰役(日獨)從軍:同13年8月第二艦隊第二戰隊に属し、膠州灣封鎖哨戒勤務に從事(艦長中佐坂本重國)、同8年2月砕氷艦に改装、同9年2月第三艦隊第五戰隊に属し、北樺太竝に沿海州に出動、警備任務に從事(艦長大佐坂本貞二)、同11年4月1日軍艦籍より除かれ、更に潜水艦母艇として佐世保防備隊に附属せしめらる。―要目― 長264呎/幅52呎/吃水18呎/排水量4,200噸/機關 三聯成汽罐2基 ベルビル罐8臺/馬力5,000/速力16/乗組人員400/船材 鋼|兵装 9吋砲4/12拇砲4/8拇砲4/發射管4/起工 明治26/進水 同27/竣工 /建造所 露國ニュー・アドミラルチー」。 元はロシア海軍の海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」だった。 海防艦「沖島」は同型艦。.

新しい!!: 戦史叢書と見島 (海防艦) · 続きを見る »

香取 (練習巡洋艦)

香取(かとり)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』。 香取型練習巡洋艦の1番艦である#艦艇類別等級表(昭和17年6月30日)p.4『軍艦|練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』。.

新しい!!: 戦史叢書と香取 (練習巡洋艦) · 続きを見る »

香椎 (練習巡洋艦)

香椎(カシヒ/かしい)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和15年8月p.19「達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日 海軍大臣 吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇」。香取型練習巡洋艦の3番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5「練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎」。その艦名は、福岡県の香椎宮に由来している#三菱、20話27頁「船名の由来は神社の名前から」。.

新しい!!: 戦史叢書と香椎 (練習巡洋艦) · 続きを見る »

香港の戦い

香港の戦い(ホンコンのたたかい、Battle of Hong Kong, 1941年12月8日 - 12月25日)は、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の香港における、日本軍と香港を植民地としていたイギリス軍の戦い。日本側作戦名は「C作戦」。 日本軍では九龍半島の攻略に数週間を見込んでいたが、準備不足のイギリス軍は城門貯水池の防衛線を簡単に突破され九龍半島から撤退した。香港島への上陸作戦は18日夜から19日未明にかけて行われた。島内では激戦となったが、イギリス軍は給水を断たれ25日に降伏した。日本軍はわずか18日間で香港攻略を完了し、東南アジア戦線における日本軍の優位が確定した。.

新しい!!: 戦史叢書と香港の戦い · 続きを見る »

駐蒙兵団編組

蒙兵団編組(ちゅうもうへいだんへんそ)は、駐蒙軍が編成されたとき(1938年1月4日)の戦闘序列。 大陸命第四十二号 昭和十三年一月四日 1938年1月4日.

新しい!!: 戦史叢書と駐蒙兵団編組 · 続きを見る »

詫間海軍航空隊

詫間海軍航空隊(たくまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。当初は水上機の実機練習部隊として訓練に従事していたが、沖縄戦に備えて飛行艇実施部隊・特攻作戦基地として偵察・攻撃に従事した。本稿では、詫間空の分遣隊として設置され、のちに独立した西条海軍航空隊(さいじょうかいぐんこうくうたい)・天草海軍航空隊(あまくさかいぐんこうくうたい)についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と詫間海軍航空隊 · 続きを見る »

高岡連隊区

岡連隊区(たかおかれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、富山県・石川県の各一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と高岡連隊区 · 続きを見る »

高崎 (運送艦)

崎(たかさき)#特務艦要目画像5など「髙崎」としている場合もあるが、大正4年達第110号の命名は「高崎」となっているは、日本海軍の特務艦(運送艦)。類別は運送艦であるが1915年より水上機を搭載し水上機母艦として艦隊演習に参加した。また艤装も水上機母艦「若宮」と同様の改装を受けている。 艦名は初代。浅井将秀『日本海軍艦船名考』によると対馬舟志湾内の高崎鼻による『聯合艦隊軍艦銘銘伝』pp.589,607によると高須広一「旧日本海軍・海上自衛隊艦船名考」(「世界の艦船」No202〜233連載)昭49〜51では島根県隠岐西ノ島の岬の名としている。。.

新しい!!: 戦史叢書と高崎 (運送艦) · 続きを見る »

高崎 (軽質油運搬艦)

崎(たかさき)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である洲埼型給油艦の2番艦。 艦名は3代目。由来は島根県隠岐西ノ島の岬の名、また対馬舟志湾内の高崎鼻によるという2つの説がある。.

新しい!!: 戦史叢書と高崎 (軽質油運搬艦) · 続きを見る »

高知連隊区

知連隊区(こうちれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は高知大隊区である。高知県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は高知連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に高知地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と高知連隊区 · 続きを見る »

高田連隊区

連隊区(たかだれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は柏崎大隊区(柏崎連隊区)である。新潟県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は高田連隊区司令部が執行した。長野県の一部を管轄した時期もあった。1941年(昭和16年)4月、新発田連隊区と統合され新潟連隊区となり消滅した。.

新しい!!: 戦史叢書と高田連隊区 · 続きを見る »

高瀬連隊区

連隊区(たかせれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、熊本県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と高瀬連隊区 · 続きを見る »

高松連隊区

松連隊区(たかまつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は丸亀大隊区(丸亀連隊区)である。香川県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は高松連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に高松地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と高松連隊区 · 続きを見る »

高波 (駆逐艦)

波(たかなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和17年1月pp.24-25『達第十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦四隻、掃海艇一隻、敷設艇二隻及掃海特務艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 涼月(スズツキ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 高波(タカナミ)|(以下略)』。一等駆逐艦夕雲型の6番艦である。艦名は高波に由来し、海上自衛隊の護衛艦に継承された。.

新しい!!: 戦史叢書と高波 (駆逐艦) · 続きを見る »

警備隊区

警備隊区(けいびたいく)は、大日本帝国陸軍の陸軍管区の一つ。主な離島防衛のため配置された対馬、小笠原、佐渡、隠岐、大島、五島、沖縄の警備隊管轄地(予定地)に設置された。区域内の徴兵・召集に関する事務、区域内に所在する予備・後備将校及び相当官の異動等届出などを所掌した。各警備隊区の名称は地名を冠した名称で、対馬のみ警備隊区司令部を有した。.

新しい!!: 戦史叢書と警備隊区 · 続きを見る »

谷本馬太郎

谷本 馬太郎(たにもと またろう、1889年(明治19年)4月20日 - 1942年(昭和17年)11月11日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と谷本馬太郎 · 続きを見る »

豊原連隊区

豊原連隊区(とよはられんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。樺太(南樺太)全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は豊原連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に豊原地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と豊原連隊区 · 続きを見る »

豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。.

新しい!!: 戦史叢書と豊田副武 · 続きを見る »

豊橋連隊区

豊橋連隊区(とよはしれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は豊橋大隊区である。愛知県・静岡県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は豊橋連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)、名古屋連隊区に統合され廃止となった。.

新しい!!: 戦史叢書と豊橋連隊区 · 続きを見る »

豊橋海軍航空隊

豊橋海軍航空隊(とよはしかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機要員の練成部隊として開かれたが、急遽実施部隊に変更され、太平洋戦争終盤に最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1944年(昭和19年)2月20日に、第七〇一海軍航空隊(だい701かいぐんこうくうたい)(二代目)に改称されている。なお、初代豊橋空が実施部隊に変貌したのちに、再び豊橋に練成部隊として二代豊橋空が設置されている。.

新しい!!: 戦史叢書と豊橋海軍航空隊 · 続きを見る »

鳥取連隊区

鳥取連隊区(とっとりれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。鳥取県の全域または一部の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。岡山県・兵庫県の一部を管轄した時期もあった。実務は鳥取連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に鳥取地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と鳥取連隊区 · 続きを見る »

鳩 (鴻型水雷艇)

鳩(はと)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の8番艇。艦艇名として漢字は異なるが同音同義の隼型水雷艇「鴿」を初代として2代目とされる場合がある。.

新しい!!: 戦史叢書と鳩 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

鳳翔 (空母)

鳳翔(ほうしょう/ホウシヤウ。命名に係る本令達における「ほうしょう」の標記は「ホウシヤウ」である。)は、日本海軍初の航空母艦。 起工時から航空母艦として設計されて完成した世界初の新造空母。.

新しい!!: 戦史叢書と鳳翔 (空母) · 続きを見る »

鳴戸 (給油艦)

戸(なると)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の3番艦。艦名は「鳴門海峡」にちなんで名づけられた片桐, 594ページ。「鳴戸」は「鳴門」の古表記である。.

新しい!!: 戦史叢書と鳴戸 (給油艦) · 続きを見る »

賓陽作戦

賓陽作戦(ひんようさくせん)とは、日中戦争中の1940年(昭和15年)1月28日から2月13日までの間、広西省の南寧・賓陽付近で行われた日本軍の作戦である。日本軍第21軍が、南寧方面に攻勢をかけた中国軍を撃退した。中国側の呼称は桂南会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と賓陽作戦 · 続きを見る »

賀谷與吉

賀谷 與吉 / 与吉(かや よきち、1899年(明治32年)5月20日『日本陸軍将官辞典』226頁。 - 1945年(昭和20年)6月10日)は、日本の陸軍軍人。生前の最終階級は中佐(戦死後、特進により少将)。沖縄戦において第62師団歩兵第63旅団独立歩兵第12大隊(通称:賀谷支隊)を率いた事跡で知られる。.

新しい!!: 戦史叢書と賀谷與吉 · 続きを見る »

鴎 (隼型水雷艇)

鴎(鷗、かもめ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の13番艇である。同名艇に燕型敷設艇の「鴎」があるため、こちらは「鴎 (初代)」や「鴎I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と鴎 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鴎 (敷設艇)

鴎(かもめ)は、日本海軍の敷設艇。燕型敷設艇の2番艇。艇名としては隼型水雷艇の13番艇「鴎」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と鴎 (敷設艇) · 続きを見る »

鴻 (隼型水雷艇)

鴻(おほとり、おおとり)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の15番艦である。同名艦に1936年10月10日に竣工した鴻型水雷艇のネームシップ「鴻」がある。.

新しい!!: 戦史叢書と鴻 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鴻型水雷艇

鴻型水雷艇(おおとりがたすいらいてい)は日本海軍の水雷艇。同型艇8隻。.

新しい!!: 戦史叢書と鴻型水雷艇 · 続きを見る »

鴿 (隼型水雷艇)

鴿(はと)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の7番艇である。.

新しい!!: 戦史叢書と鴿 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

足摺 (軽質油運搬艦)

足摺(あしずり)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である足摺型給油艦の1番艦。艦名は高知県にある足摺岬による。.

新しい!!: 戦史叢書と足摺 (軽質油運搬艦) · 続きを見る »

鶴見 (給油艦)

見(つるみ)は日本海軍の給油艦。知床型の5番艦で艦名は大分県・鶴見半島先端の鶴見埼による。.

新しい!!: 戦史叢書と鶴見 (給油艦) · 続きを見る »

鶉 (隼型水雷艇)

鶉(うづら、うずら)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の12番艇である。.

新しい!!: 戦史叢書と鶉 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鷹島 (敷設艇)

鷹島(たかしま)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の4番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と鷹島 (敷設艇) · 続きを見る »

鷺 (隼型水雷艇)

鷺(さぎ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の11番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「鷺」があるため、こちらは「鷺 (初代)」や「鷺I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と鷺 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鷺 (鴻型水雷艇)

鷺(さぎ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の7番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「鷺」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と鷺 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

鷂 (隼型水雷艇)

鷂(はしたか)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の14番艇である。.

新しい!!: 戦史叢書と鷂 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鹿児島連隊区

鹿児島連隊区(かごしまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は鹿児島大隊区である。鹿児島県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は鹿児島連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に鹿児島地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と鹿児島連隊区 · 続きを見る »

麻布連隊区

麻布連隊区(あざぶれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は麻布大隊区である。始め東京府の一部と神奈川県の一部の徴兵・召集等兵事事務を担任し、後に神奈川県の一部が埼玉県の一部に変わり、1941年(昭和16年)廃止される。以後東京府は東京連隊区が、埼玉県は浦和連隊区が執り行った。この項目では東京連隊区についても扱うものとする。.

新しい!!: 戦史叢書と麻布連隊区 · 続きを見る »

軍学校

軍学校(ぐんがっこう)とは、軍隊など軍事組織の学校である。学校の形態、制度等は時代や国あるいは軍事組織の種類によって異なるが、大別すると軍人(またはそれに類する者)を補充するための養成教育を主とする学校と、より高度な技能や知識の教育を主とする学校がある。ただし同一の学校で複数の機能を備える場合もあり、すべてを明確に区別することは困難である『事典 昭和戦前期の日本 制度と実態』332頁。.

新しい!!: 戦史叢書と軍学校 · 続きを見る »

黒島亀人

黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と黒島亀人 · 続きを見る »

龍田 (軽巡洋艦)

龍田(たつた)は、日本海軍の二等巡洋艦。天龍型の2番艦で、「天龍」と共に日本海軍初の軽巡洋艦になる。艦名は奈良県の竜田川から名づけられた#日本海軍艦船名考pp.70-71、龍田(たつた)。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目にあたる。.

新しい!!: 戦史叢書と龍田 (軽巡洋艦) · 続きを見る »

龍田丸

龍田丸(たつたまる)は、日本郵船が保有していた貨客船。本船は浅間丸・秩父丸と姉妹船で、いずれの船も神社名にちなんだ命名であった。.

新しい!!: 戦史叢書と龍田丸 · 続きを見る »

龍驤 (空母)

龍驤(りゅうじょう/りうじやう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。.

新しい!!: 戦史叢書と龍驤 (空母) · 続きを見る »

龍鳳 (空母)

新造時の潜水母艦大鯨(後の空母龍鳳)。1935年春頃、呉#海軍艦艇史3p.290の写真解説。 龍鳳(りゅうほう/りうほう)は、日本海軍の航空母艦。瑞鳳型航空母艦の一つ。潜水母艦大鯨(たいげい)として竣工し#達昭和8年5月p.11「達第五十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和八年度ニ於テ建造ニ着手ノ潜水母艦一隻驅潜艇二隻ニ左ノ通命名セラル 昭和八年五月二十三日 海軍大臣 大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 潜水母艦 大鯨タイゲイ/浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅潜艇 第一號驅潜艇/株式會社石川島造船所ニ於テ建造 驅潜艇 第二號驅潜艇」、後に航空母艦「龍鳳」へ改装された。.

新しい!!: 戦史叢書と龍鳳 (空母) · 続きを見る »

追浜海軍航空隊

追浜海軍航空隊()は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦に向けての出師準備の一環として、急増すると予想される整備要員の大量養成を図るために横須賀海軍航空隊から分離設置した。もっぱら機体整備を指導する士官の養成に振り向けられ、相模野・知多にも分派遣隊を置いた。本稿では、追浜空と同時に整備兵・下士官養成のために開かれた「第一相模野海軍航空隊」、追浜空の分遣隊を前身とする「第二相模野海軍航空隊」についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と追浜海軍航空隊 · 続きを見る »

錦江作戦

錦江作戦(きんこうさくせん)とは、日中戦争中の1941年3月15日から4月2日までの間、江西省贛江の支流・錦江周辺で行われた日本軍の作戦である。上高を拠点とする中国軍に打撃を与えるため出撃した日本軍が、反撃を受けて撃退された。この戦闘の中国側の呼称は上高会戦。.

新しい!!: 戦史叢書と錦江作戦 · 続きを見る »

能美 (海防艦)

能美(のうみ)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の4番艦。船団護衛中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と能美 (海防艦) · 続きを見る »

能登呂 (水上機母艦)

能登呂(のとろ)は、日本海軍の運送艦(給油艦)、後に水上機母艦に改造された。 艦名は宗谷岬に相対している樺太(現在のサハリン)南端の西能登呂岬による。.

新しい!!: 戦史叢書と能登呂 (水上機母艦) · 続きを見る »

舞鶴海軍航空隊

舞鶴海軍航空隊(まいづるかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。軍都・舞鶴の防衛及び日本海側の各都市の防空のために設置された防衛部隊。.

新しい!!: 戦史叢書と舞鶴海軍航空隊 · 続きを見る »

舩坂弘

舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年10月30日 - 2006年2月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人名としては唯一「戦史叢書」に名前が載っている。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。.

新しい!!: 戦史叢書と舩坂弘 · 続きを見る »

航空兵団 (日本軍)

航空兵団(こうくうへいだん)は、大日本帝国陸軍の兵団の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と航空兵団 (日本軍) · 続きを見る »

鈴谷 (重巡洋艦)

鈴谷(すずや)は、日本海軍の重巡洋艦#達昭和8年8月(1)p.1『達第七十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和八年度ニ於テ建造ニ着手ノ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和八年八月一日 海軍大臣 大角岑生 横須賀海軍工廠ニ於テ建造 八千五百噸級巡洋艦 鈴スズ谷ヤ』。 最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の3番艦である#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|最上型|最上、三隈、鈴谷、熊野』。その艦名は、樺太の鈴谷川から取って名付けられた#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ90『鈴谷(すずや)【初代】 艦種通報艦 一檣(信號用) 艦名考川名にして樺太「コルサコフ」に近接する川に採る。艦歴舊露國軍艦、原名「ノーヴヰック」、明治23年獨逸「シーショウ」造船所にて進水。排水量僅かに3,000噸にして場力20,000、速力25浬、謂近世軽巡洋艦の鼻祖と見るべきものなり。日露戦役中明治37年8月20日「コルサコフ」港に於て我が艦隊(千歳・對馬)の爲めに撃破せられ擱座しありしが、後ち之を収容、同39年7月13日引揚を了し、同39年8月20日帝國軍艦と定め「鈴谷」と命名、大正元年二等海防艦に編入、同2年4月1日除籍。(要目略)』。 日本海軍の軍艦としては、通報艦(防護巡洋艦)鈴谷(旧ロシア帝国軍艦ノーヴィック)に続いて二代目。 15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。日本海軍の書類上の分類は、戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった。.

新しい!!: 戦史叢書と鈴谷 (重巡洋艦) · 続きを見る »

船舶運営会

船舶運営会(せんぱくうんえいかい)は、1942年(昭和17年)から1950年(昭和25年)まで存在した日本の海運統制組織である。国家総動員法18条(条文)で認められていた特別法人として、戦時海運管理令に基づき設立された。「戦時に於ける海運の総力を最も有効に発揮せしむる為、海運事業の統制の為にする経営を為し、且つ海運に関する国策の遂行に協力すること」が目的とされ、太平洋戦争中から戦後の占領期まで、商船の運航を管理した。構成員は日本船舶の船主と、船主団体で逓信大臣の指定するものとされ、原則として強制加入団体であった。 本項では後身の商船管理委員会(CMMC)についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と船舶運営会 · 続きを見る »

船舶警戒部

船舶警戒部(せんぱくけいかいぶ)とは、大日本帝国海軍が、海上交通保護のために民間船舶に派遣されて自衛戦闘を行う船舶警戒隊の管理運営や、民間船員の自衛活動の指導を任務として設置した機関である。太平洋戦争後期に創設され、海上護衛総司令部の下に置かれた。.

新しい!!: 戦史叢書と船舶警戒部 · 続きを見る »

蘭印作戦

蘭印作戦(らんいんさくせん、Dutch East Indies campaign, 日本側作戦名「H作戦」, 1942年1月11日 - 3月9日)は、太平洋戦争初期における日本軍の蘭印(オランダ領東インド)への進攻作戦である。 日本軍は1月11日にタラカンとメナド、1月25日にバリクパパン、1月31日にアンボン、2月14日にパレンバンと快進撃を続け、3月1日に最終目標のジャワ島に上陸した。ジャワ島の連合軍は3月9日に降伏した。大本営の事前の予想では開戦から蘭印軍降伏まで120日間とされていたが、92日間という電撃的な早さで作戦は完了した。.

新しい!!: 戦史叢書と蘭印作戦 · 続きを見る »

防備衛所

加計呂麻島の金子手崎防備衛所の遺構。同防備衛所は奄美大島との間の大島海峡を担当するために置かれた。現在は安脚場戦跡公園の一部。 防備衛所(ぼうびえいしょ)とは、大日本帝国海軍が、重要港湾・海峡などへの敵潜水艦侵入を阻止するために設置した陸上拠点のことである。施設だけを指す場合には俗称として水中聴音所、水中聴測所とも呼ばれる。海底に水中聴音機(パッシブ・ソナー)などのセンサーを配置して敵潜水艦を探知し、味方の対潜部隊に通報したり、事前に敷設された管制機雷をタイミングを合わせて起爆して攻撃したりする。.

新しい!!: 戦史叢書と防備衛所 · 続きを見る »

防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies: NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と防衛研究所 · 続きを見る »

防衛隊

防衛隊(ぼうえいたい)とは、第二次世界大戦後期の日本で地域防衛のため現地在住の男性により組織された軍事集団の総称。在郷軍人会が中核となった義勇兵部隊と、防衛召集された陸海軍将兵という性格の異なった2種類を含んでいる。特に沖縄戦に参加したものを指すことが多い。.

新しい!!: 戦史叢書と防衛隊 · 続きを見る »

阿部善次

阿部 善次(あべ ぜんじ、1916年(大正5年)8月18日 - 2007年(平成19年)4月6日)は、日本の海軍軍人。海兵64期。最終階級は、海軍では海軍少佐、空自では一等空佐。ペンネームは阿部善朗(あべ ぜんろう)。.

新しい!!: 戦史叢書と阿部善次 · 続きを見る »

赤城 (空母)

赤城(あかぎ)は、日本海軍の航空母艦。.

新しい!!: 戦史叢書と赤城 (空母) · 続きを見る »

赤城山丸

赤城山丸(あかぎさんまる)は、三井物産船舶部(後の三井船舶)が1924年(大正13年)に竣工させた日本最初のディーゼルエンジン搭載の航洋商船。貨物船として北米航路に就航、レシプロエンジン搭載の姉妹船との運航実績比較により、ディーゼル船の優れた経済性を実証した。太平洋戦争時には軍隊輸送船として徴用され、1944年(昭和19年)にレイテ島の戦いで強行輸送のため擱座した後、アメリカ軍機の空襲で破壊された。.

新しい!!: 戦史叢書と赤城山丸 · 続きを見る »

鵯 (水雷艇)

鵯(ひよどり)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の2番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と鵯 (水雷艇) · 続きを見る »

鵲 (隼型水雷艇)

鵲(かささき、かささぎ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の2番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「鵲」があるため、こちらは「鵲 (初代)」や「鵲I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と鵲 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

鵲 (鴻型水雷艇)

鵲(かささぎ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の4番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「鵲」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と鵲 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

鵜来 (海防艦)

来本来の艦名表記は鵜來。以下、「鵜来」の表記部について同じ。(うくる)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の1番艦。1944年7月に竣工し、太平洋戦争を生き延び、戦後は掃海に従事したのち、最終的に海上保安庁の巡視船さつま (PL-104)となり、1965年に退役した。艦名は、高知県の鵜来島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と鵜来 (海防艦) · 続きを見る »

関東軍

関東軍(かんとうぐん、)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。.

新しい!!: 戦史叢書と関東軍 · 続きを見る »

間宮 (給糧艦)

鳳翔。 間宮(まみや)は、日本海軍の給糧艦(運送艦)補助艦艇奮戦記278-279頁『間宮(まみや/給糧艦)』。 その艦名は、樺太の間宮海峡から採られた#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.192『間宮(まみや) 艦種特務艦(運送艦) 艦名考岬名に採る。間宮海峡は樺太韃靼海峡の最狭部なり。 ―要目― 長114.78米/幅18.59米/吃水8.43米/排水量15,820噸/機關 直立三聯機2軸/馬力10,000/速力14/兵装 14糎砲2 8糎高角砲2/起工 大正11-10-25/進水 同12-10-26/竣工 13-7-15/建造所 神戸川崎造船所』。 給糧艦とは艦艇に食糧を供給する補給艦のことである。.

新しい!!: 戦史叢書と間宮 (給糧艦) · 続きを見る »

葛城 (空母)

葛城 (かつらぎ)は、大日本帝国海軍の航空母艦#達昭和18年12月p.42「達第三百十八號 呉海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦 葛城(カツラギ)」#空母二十九隻329-330頁「葛城(かつらぎ)」。 第二次世界大戦末期に量産された雲龍型航空母艦の3番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と葛城 (空母) · 続きを見る »

葛城型スループ

葛城型スループ(かつらぎがたスループ)は日本海軍のスループ。同型艦3隻。大和、武蔵の2艦は測量艦として長年貢献した。.

新しい!!: 戦史叢書と葛城型スループ · 続きを見る »

蒼鷹 (隼型水雷艇)

蒼鷹(あをたか、あおたか)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の6番艇である。同名艦艇に初鷹型急設網艦の「蒼鷹」があるため、こちらは「蒼鷹 (初代)」や「蒼鷹I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と蒼鷹 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

蒼鷹 (急設網艦)

蒼鷹(あをたか/あおたか)は、日本海軍の敷設艦(急設網艦)#達昭和14年12月p.36『達第二百六十三號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻及運送艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十四年十二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 蒼鷹(アヲタカ)|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 運送艦 樫野(カシノ)』#補助艦艇奮戦記175頁『蒼鷹(あおたか/急設網艦)』。 初鷹型敷設艦の2番艦#艦艇類別等級表(昭和18年3月)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|敷設艦| |初鷹型|初鷹、蒼鷹、若鷹|』。急設網艦に分類する文献もあるが#日本補助艦艇物語53頁『(8) 初鷹はつたか型(急設網艦)』、日本海軍の法令上は敷設艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と蒼鷹 (急設網艦) · 続きを見る »

蒼龍 (空母)

蒼龍(そうりゅう / さうりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。二航戦1942年6月5日にミッドウェー海戦で沈没。.

新しい!!: 戦史叢書と蒼龍 (空母) · 続きを見る »

那沙美 (敷設艇)

那沙美(なさみ)は、日本海軍の敷設艇。夏島型敷設艇の3番艇昭和7年12月10日付 海軍内令 第413号。(特務艇類別等級別表敷設艇二等ノ項中「夏島」ノ下ニ「、猿島、那沙美」ヲ加フ)。 那沙美の名は広島湾北部に大那沙美島・小那沙美島があり、明治時代の雑役船に「那沙美丸」の名もあった#銘銘伝2014p.545。海上自衛隊の掃海母艇「なさみ」は水道名になる。.

新しい!!: 戦史叢書と那沙美 (敷設艇) · 続きを見る »

那智 (重巡洋艦)

那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型重巡洋艦の2番艦である。那智級と表記された事もある。命名の由来は和歌山県の那智山に依る。艦内神社も熊野那智大社から分祀された。.

新しい!!: 戦史叢書と那智 (重巡洋艦) · 続きを見る »

蔚美 (海防艦)

蔚美(うるみ)は、日本海軍の未成海防艦。法令上は鵜来型海防艦の12番艦艦艇類別等級別表上の番数。。.

新しい!!: 戦史叢書と蔚美 (海防艦) · 続きを見る »

醍醐忠重

醍醐 忠重(だいご ただしげ、明治24年(1891年)10月15日 - 昭和22年(1947年)12月6日)は、日本の海軍軍人、貴族院議員。爵位は侯爵。.

新しい!!: 戦史叢書と醍醐忠重 · 続きを見る »

野島 (給炭艦)

野島(のしま)#T06達12月(1)p.8『達第百四十七號 臨時軍事費ヲ以テ三菱長崎造船株式會社神戸造船所ニ於テ建造ノ六千噸積運送船(第二隻目)ヲ野ノ島シマト命名ス 大正六年十二月十五日 海軍大臣 加藤友三郎』は日本海軍の給炭艦で、室戸型給炭艦の2番艦。艦名は野島崎(千葉県安房郡の白浜町)による#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.191『野島(のじま) 艦種特務艦(運送艦) 艦名岬名に採る。野島崎は千葉縣安房郡白濱村の南岬なり。 ―要目― 長 105.16米/幅 15.24米/喫水 7.29米/排水量 /8,213噸/馬力 /速力 12.5/兵装 12糎砲2/起工 大正7-7-16/進水 同8-2-3/竣工 同8-3-31/建造所 三菱神戸造船所』。 1943年(昭和18年)3月3日、航空機の攻撃により沈没(ビスマルク海海戦)。.

新しい!!: 戦史叢書と野島 (給炭艦) · 続きを見る »

野分 (陽炎型駆逐艦)

野分(のわき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日海軍大臣吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式会社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鉄造船株式会社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の第15番艦である#艦艇類別等級(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。ミッドウェー海戦では空母赤城を雷撃で処分した。1944年10月下旬、比島沖海戦で重巡筑摩の救援中に沈没した。艦名は初代「野分」(初代神風型駆逐艦)に続いて2代目。野分とは台風の旧名であり、初風から舞風のうち野分のみ「風」の字が付かないが、風の名前に由来している。.

新しい!!: 戦史叢書と野分 (陽炎型駆逐艦) · 続きを見る »

野間 (給油艦)

野間(のま)は、大日本帝国海軍の給油艦。艦名は、鹿児島県野間半島西端の野間岬から採られた『日本海軍艦船名考』、p.220。。.

新しい!!: 戦史叢書と野間 (給油艦) · 続きを見る »

野村実

野村 実(野村 實 のむら みのる、1922年(大正11年)4月16日 - 2001年(平成13年)5月18日)は、日本の海軍軍人、軍事史研究者。専門は日本海軍史。.

新しい!!: 戦史叢書と野村実 · 続きを見る »

野村直邦

野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18年)5月15日 - 1973年(昭和48年)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。.

新しい!!: 戦史叢書と野村直邦 · 続きを見る »

釧路連隊区

釧路連隊区(くしろれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は根室大隊区である。名称は根室連隊区を経て釧路連隊区となった。北海道の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は釧路連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に釧路地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と釧路連隊区 · 続きを見る »

臨時軍用気球研究会

臨時軍用気球研究会(りんじぐんようききゅうけんきゅうかい)は、日本の陸海軍が設置した気球と飛行機の軍事利用の研究会である。.

新しい!!: 戦史叢書と臨時軍用気球研究会 · 続きを見る »

金沢連隊区

金沢連隊区(かなざわれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は金沢大隊区である。石川県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は金沢連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に金沢地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と金沢連隊区 · 続きを見る »

長岡外史

長岡 外史(ながおか がいし、安政5年5月13日(1858年6月23日) - 昭和8年(1933年)4月21日)は明治、大正期の陸軍軍人、政治家。 陸士旧2期・陸大1期。栄典は正三位勲一等功二級。最終階級は陸軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と長岡外史 · 続きを見る »

長崎連隊区

長崎連隊区(なかさきれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は長崎大隊区で、1896年(明治29年)から1941年(昭和16年)までの名称は大村連隊区である。長崎県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は長崎連隊区司令部が執行した。佐賀県の一部を管轄した時期もあった。1945年(昭和20年)、同域に長崎地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と長崎連隊区 · 続きを見る »

長谷川清

長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。.

新しい!!: 戦史叢書と長谷川清 · 続きを見る »

長野連隊区

長野連隊区(ながのれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は長野大隊区である。長野県の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。長野連隊区として発足したが、一時期長野県は松本連隊区、飯田連隊区、高田連隊区の三区に分かれた。1945年(昭和20年)には同域で長野地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。この項目では松本連隊区についても扱うものとする。.

新しい!!: 戦史叢書と長野連隊区 · 続きを見る »

長良型軽巡洋艦

長良型軽巡洋艦(ながらがたけいじゅんようかん)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。同型艦6隻。いわゆる5,500トン型軽巡洋艦のひとつで、球磨型に続く第2グループにあたる。.

新しい!!: 戦史叢書と長良型軽巡洋艦 · 続きを見る »

長波 (駆逐艦)

長波(ながなみ)は、日本海軍の駆逐艦。夕雲型の4番艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と長波 (駆逐艦) · 続きを見る »

鉾田陸軍飛行学校

鉾田陸軍飛行学校(ほこたりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として軽爆撃機あるいは襲撃機による攻撃に関する教育と研究等を行った。1940年(昭和15年)12月、静岡県の浜松陸軍飛行学校内に開設され、1941年(昭和16年)1月、茨城県に移転した。学校本部および本校は茨城県鹿島郡(現在の鉾田市)に置かれ、福島県相馬郡(現在の南相馬市)に原ノ町分教所があった。 1944年(昭和19年)6月、鉾田陸軍飛行学校は改編され鉾田教導飛行師団となり、さらに1945年7月、鉾田教導飛行師団は教導飛行師団 第3教導飛行隊と第26飛行団司令部に分離改編された。同年8月、太平洋戦争(大東亜戦争)終戦により教導飛行師団 第3教導飛行隊と第26飛行団司令部はともに解体された。ここでは鉾田教導飛行師団等についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と鉾田陸軍飛行学校 · 続きを見る »

若宮 (水上機母艦)

若宮 (わかみや)は、日本海軍の水上機母艦。日本海軍初の水上機母艦であり、第一次世界大戦において日本初の航空作戦を実施している。 艦名は壱岐国(長崎県壱岐諸島)若宮島から採る。.

新しい!!: 戦史叢書と若宮 (水上機母艦) · 続きを見る »

若宮 (海防艦)

若宮(わかみや)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の8番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の12番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、水上機母艦若宮に続いて二代目。.

新しい!!: 戦史叢書と若宮 (海防艦) · 続きを見る »

若竹型駆逐艦

若竹型駆逐艦(わかたけかたくちくかん)は、日本海軍の二等駆逐艦、同型艦8隻。.

新しい!!: 戦史叢書と若竹型駆逐艦 · 続きを見る »

若鷹 (急設網艦)

若鷹(わかたか)は、日本海軍の敷設艦#達昭和16年5月(1)pp.48-49『達第一五六號 昭和十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、一等驅逐艦一隻、一等潜水艦一隻及驅潜艇二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 敷設艦 若鷹(ワカタカ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦 秋月(アキヅキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十六潜水艦(以下略)』。 初鷹型敷設艦の3番艦#内令昭和16年5月(2)p.9『内令第五百三十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十六年五月十五日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、敷設艦ノ項中「蒼鷹」ノ下ニ「、若鷹」ヲ加フ|驅逐艦、一等夕雲型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |秋月型|秋月|(以下略)』#艦艇類別等級表(昭和18年3月)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|敷設艦| |初鷹型|初鷹、蒼鷹、若鷹|』。 急設網艦に分類する文献もあるが#日本補助艦艇物語53頁『(8) 初鷹はつたか型(急設網艦)』、日本海軍の法令上は敷設艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と若鷹 (急設網艦) · 続きを見る »

若松連隊区

若松連隊区(わかまつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、福島県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と若松連隊区 · 続きを見る »

雁 (隼型水雷艇)

雁(かり)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の5番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「雁」があるため、こちらは「雁 (初代)」や「雁I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と雁 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

雁 (鴻型水雷艇)

雁(かり)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の6番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「雁」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と雁 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

雲雀 (隼型水雷艇)

雲雀(ひばり)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の9番艇である。.

新しい!!: 戦史叢書と雲雀 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

雉 (隼型水雷艇)

雉(きじ)は、日本海軍の水雷艇で、隼型水雷艇の10番艇である。同名艇に鴻型水雷艇の「雉」があるため、こちらは「雉 (初代)」や「雉I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と雉 (隼型水雷艇) · 続きを見る »

雉 (鴻型水雷艇)

雉(きじ)は、日本海軍の水雷艇。鴻型の5番艇。艦艇名としては隼型水雷艇「雉」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と雉 (鴻型水雷艇) · 続きを見る »

老河口作戦

老河口作戦(ろうかこうさくせん)とは、日中戦争中の1945年4月から6月の間に行われた、河南省西部および湖北省北部での日本軍と中国軍の攻防戦である。中国側呼称は豫西鄂北会戦。日本軍は老河口飛行場の占領に成功して戦略目標を達成したが、中国軍から激しい反撃を受けた。.

新しい!!: 戦史叢書と老河口作戦 · 続きを見る »

連隊区

連隊区(れんたいく)は、大日本帝国陸軍の陸軍管区の一つ。師管または師管区内を数個の連隊区に分けて置かれた。各連隊区は地名を冠した名称で、連隊区司令部を有し、この司令部が区域内の徴兵・召集・在郷軍人会に関する事務を所掌した。 元の用字は「聯隊區」であり、「連」は代用表記による書換えたもの。防衛庁防衛研究所による戦史叢書等、幾つかの史料・書籍は一貫して旧表記を用いている。.

新しい!!: 戦史叢書と連隊区 · 続きを見る »

虎尾海軍航空隊

虎尾海軍航空隊(こびかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦後の航空要員大量養成のため、初歩練習部隊として設置した。.

新しい!!: 戦史叢書と虎尾海軍航空隊 · 続きを見る »

陸軍兵器行政本部

軍兵器行政本部(りくぐんへいきぎょうせいほんぶ)は、日本陸軍の兵器について、製造・補給、研究開発・試験、教育を一元的に統括する機関で、陸軍省の外局である。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍兵器行政本部 · 続きを見る »

陸軍兵器本部

軍兵器本部(りくぐんへいきほんぶ)は、日本陸軍の兵器製造と補給を統括する機関で、陸軍省の外局である。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍兵器本部 · 続きを見る »

陸軍管区表

軍管区表(りくぐんかんくひょう)は、1888年から1945年まで、日本陸軍の管区を公表した法令である。この管区は、平時の担当地域を指すもので、戦時の作戦地域・配置を示すものではない。また1939年までは内地のみで植民地には及ばなかった。1945年の敗戦とともに意義を失ったが、法令としては1946年まで形式的に存続した。 密接に関連する法令として、平時における陸軍の部隊の所在地を記した陸軍常備団隊配備表があった。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍管区表 · 続きを見る »

陸軍特殊船

特種船(とくしゅせん)は、大日本帝国陸軍が建造・運用した揚陸艦(上陸用舟艇母船)の総称。俗称は特殊船。 陸軍船舶部隊には狭義の特種船であるドック型揚陸艦や強襲揚陸艦相当の大型船のほか、戦車揚陸艦相当の小型船も存在したが、本項では主に前者について説明する。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍特殊船 · 続きを見る »

陸軍飛行戦隊

飛行戦隊(ひこうせんたい、飛行戰隊)は、陸軍航空部隊こと大日本帝国陸軍の航空部隊における部隊編制単位の一つ。通称は戦隊。帝国陸軍における軍隊符号中の略字はFRないしF。 1930年代後半に従来の飛行連隊から飛行戦隊へ改編されて以降、支那事変(日中戦争)・ノモンハン事件・太平洋戦争(大東亜戦争)を経て敗戦に至るまで、陸軍航空部隊(ほかに陸軍航空隊・陸空軍・空軍・陸鷲とも呼称)において中核となる実戦部隊編制単位であった。 なお、「飛行戦隊」はあくまで「陸軍航空部隊」において基本となった「編制単位」であり、「陸軍航空部隊」自体にはほかにも独立飛行中隊といった各「飛行部隊」が多数存在している。そのため、「帝国陸軍の航空戦力自体」を指し示す場合は「陸軍航空部隊」と呼称することが適当となる。本項では「飛行戦隊」のみならず他関連部隊など、「陸軍航空部隊」自体について詳述する。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍飛行戦隊 · 続きを見る »

陸軍航空審査部

軍航空審査部(りくぐんこうくうしんさぶ)は、軍用機を筆頭とする各種航空兵器の審査を行った大日本帝国陸軍の組織(官衙)。本項では陸軍航空審査部の前身である飛行実験部(ひこうじっけんぶ)についても詳述する。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍航空審査部 · 続きを見る »

陸軍航空総監部

軍航空総監部(りくぐんこうくうそうかんぶ)は、日本陸軍における中央統轄機関のひとつ。直接天皇に隷属し隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁、主として陸軍における航空関係の教育を統御、管理した。1938年(昭和13年)12月に設立され、1945年(昭和20年)4月に「当分のうち」という条件で閉鎖となり、同年8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終結に続く陸軍解体のため再開されることはなかった。 陸軍航空総監部の人員は、長官である陸軍航空総監をはじめ大部分が陸軍航空本部との兼務であった。庁舎は陸軍航空本部とともに東京市麹町区におかれ、1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦と同時に同市牛込区の陸軍士官学校跡へ移転した。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍航空総監部 · 続きを見る »

陸軍航空通信学校

軍航空通信学校(りくぐんこうくうつうしんがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として航空通信に関する教育と研究等を行った。1940年(昭和15年)8月、水戸陸軍飛行学校内で開設され、同年10月近隣の新築施設に移転した。移転後の学校本部および本校は茨城県東茨城郡(現在の水戸市住吉町)に置かれ、兵庫県加古郡の加古川教育隊など各地に教育隊があった。 1945年(昭和20年)5月、陸軍航空通信学校は水戸教導航空通信師団に、加古川教育隊をはじめとする4個教育隊は加古川教導航空通信団に改編され、同年8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終戦により、ともに廃止された。ここでは水戸教導航空通信師団等についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍航空通信学校 · 続きを見る »

陸軍航空技術研究所

軍航空技術研究所(りくぐんこうくうぎじゅつけんきゅうじょ)は、日本陸軍の研究機関のひとつである。陸軍航空本部の下部組織として航空関係の器材「器材」の表記は参考文献と資料に従った、以下同じ。、燃料の考案、審査、あるいは航空技術の調査研究や試験を行った。1935年(昭和10年)8月、陸軍航空本部技術部が昇格独立して設立された。所在地は東京府立川町(1940年より立川市)に本部が置かれたほか、各地に出張所が設置された。 1942年(昭和17年)10月、陸軍航空技術研究所内の各部がそれぞれ独立し、第1陸軍航空技術研究所から第8陸軍航空技術研究所までの各陸軍航空技術研究所となった。1945年(昭和20年)8月の太平洋戦争(大東亜戦争)終結につづく陸軍解体で、各陸軍航空技術研究所はすべて廃止された。ここでは前身である陸軍航空本部技術部その他についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍航空技術研究所 · 続きを見る »

陸軍航空本部

軍航空本部(りくぐんこうくうほんぶ)は、大日本帝国の陸軍大臣に隷属隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁する機関のひとつであり、陸軍省の下部組織である。陸軍における航空関係の軍事行政と教育を統御、管理した。1919年(大正8年)4月に陸軍航空部として設立、1925年(大正14年)5月に陸軍航空本部となり段階的に権限が強化され、1936年(昭和11年)8月より陸軍省の外局となった。1938年(昭和13年)12月に陸軍航空総監部が設立されて以後、航空関係教育は陸軍航空本部の担当外となったが、陸軍航空総監部は構成員の大部分が陸軍航空本部との兼務であった。 所在地は当初「三宅坂」と通称される東京市麹町区隼町にあり、1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争開戦とともに同市牛込区の陸軍士官学校跡地へ移転した。そのほか研究機関、関係工場等との連絡のため各地に出張所があった。 1945年(昭和20年)11月、太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦後の陸軍解体にともない陸軍航空本部は廃止された。ここでは前身である陸軍航空部とともに述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍航空本部 · 続きを見る »

陸軍造兵廠

軍造兵廠(りくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の機関の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍造兵廠 · 続きを見る »

陸軍機甲本部

軍機甲本部(りくぐんきこうほんぶ)は、大日本帝国の陸軍大臣に隷属隷属(れいぞく)とは固有の上級者の指揮監督下に入ること。単に指揮系統だけでなく、統御、経理、衛生などの全般におよぶ。『帝国陸軍編制総覧 第一巻』61頁する機関のひとつ。陸軍省の外局として、陸軍における機甲部隊および騎兵部隊に関する教育、編制、技術開発を統御、管理した。1941年(昭和16年)4月に設立され、太平洋戦争(大東亜戦争)敗戦につづく陸軍解体にともない、1945年(昭和20年)11月に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍機甲本部 · 続きを見る »

陸軍悪玉論

軍悪玉論(りくぐんあくだまろん)とは、大日本帝国陸軍に第二次世界大戦にかけての日本の軍国主義化、日中戦争(支那事変)の拡大、国際政治における孤立、および太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦と敗戦の全責任があるという主張。これに関連して大日本帝国海軍が歯止めとなり、太平洋戦争開戦についても消極的であったとする見方の海軍善玉論(かいぐんぜんだまろん)も主張される。 しかしながら歴史研究や理解の進んだ現在においては、陸軍の再評価ならびに海軍善玉論の見直しがされていることもあり、陸軍悪玉論・海軍善玉論は一方的に偏った不正確な主張として傍流となっている。.

新しい!!: 戦史叢書と陸軍悪玉論 · 続きを見る »

陽炎型駆逐艦

陽炎型駆逐艦(かげろうがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』の艦級である。全19隻が建造された。一番艦である陽炎の沈没後、書類上不知火型駆逐艦(しらぬいがたくちくかん)と改定された。 次級の夕雲型駆逐艦と合わせて甲型駆逐艦と呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と陽炎型駆逐艦 · 続きを見る »

G14 (空母)

G14は、大日本帝国海軍が計画した航空母艦である。大鳳に次ぐ2クラス目の装甲空母であるとされる。.

新しい!!: 戦史叢書とG14 (空母) · 続きを見る »

GP55船団

GP55船団(GP55せんだん)は、太平洋戦争中期の1943年6月に、シドニーからブリスベンへ運航された連合国軍の護送船団である。当時、オーストラリア東海域で一連の通商破壊を実行中だった日本潜水艦に襲撃され、輸送船2隻が沈没・大破する損害を受けた。同船団は日本潜水艦の襲撃を警戒して従来の2倍の数の護衛艦が付いていたが、被害を防げなかった。同船団の被害は、オーストラリア東海域における日本潜水艦による連合国艦船被害の最後の事例となった。.

新しい!!: 戦史叢書とGP55船団 · 続きを見る »

K作戦

K作戦(けーさくせん)とは、第二次世界大戦中に日本海軍が実施した二式飛行艇(二式大艇)を使用したアメリカのハワイ準州に対する航空作戦戦史叢書80巻183頁「K作戦」。第一次は真珠湾に対する空襲を企図した。この作戦は二式大艇の初の実戦となった。第二次はミッドウェー作戦のため、ハワイにいると思われる敵機動部隊に対する偵察を企図した。.

新しい!!: 戦史叢書とK作戦 · 続きを見る »

択捉 (海防艦)

択捉(えとろふ、旧字体:擇捉)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の1番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の5番艦。艦名は運送船択捉丸日露戦争時の鹵獲汽船アフロダイト号に次いで2代目。なお、常用漢字の制定後も資料(戦史叢書等)によっては、当時の命名時、その他法令令達上で使用された、旧字体の「擇捉」で表記されることも多い海上護衛戦(戦史叢書)211頁『海防艦』。.

新しい!!: 戦史叢書と択捉 (海防艦) · 続きを見る »

柏 (駆逐艦)

柏(かしわ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の7番艦である。.

新しい!!: 戦史叢書と柏 (駆逐艦) · 続きを見る »

柏飛行場

柏飛行場略図 柏飛行場(かしわひこうじょう)は、かつて千葉県東葛飾郡田中村大字十余二(現:柏市柏の葉)に存在した大日本帝国陸軍の軍用飛行場。別名「東部第105部隊」。.

新しい!!: 戦史叢書と柏飛行場 · 続きを見る »

柳 (桃型駆逐艦)

柳(やなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「柳」があるため、こちらは「柳 (初代)」や「柳I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と柳 (桃型駆逐艦) · 続きを見る »

柳澤蔵之助

柳澤 蔵之助(やなぎさわ くらのすけ、1898年(明治31年)2月20日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。海兵46期、海大29期(首席)。最終階級は海軍少将。長野県佐久市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と柳澤蔵之助 · 続きを見る »

柳本柳作

柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と柳本柳作 · 続きを見る »

捷号作戦

捷号作戦(しょうごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中に日本の大本営が立案した作戦計画の1つである。.

新しい!!: 戦史叢書と捷号作戦 · 続きを見る »

東京陸軍航空学校

東京陸軍航空学校(とうきょうりくぐんこうくうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。東航校または東航と略される場合がある。航空兵科現役下士官となる少年飛行兵を志願した10代の生徒に基本教育を行った。1937年(昭和12年)12月に設立され、学校本部および本校は東京府北多摩郡(現在の武蔵村山市)に置き、生徒数の増加に対応するため1942年(昭和17年)10月、滋賀県大津市に大津教育隊を置いた。 1943年(昭和18年)4月、東京陸軍航空学校は東京陸軍少年飛行兵学校と改称し、同時に大津教育隊は独立して大津陸軍少年飛行兵学校となった。同年9月、さらなる生徒増のため東京陸軍少年飛行兵学校は大分県大分市に教育隊を設置し、翌年5月に大分教育隊は大分陸軍少年飛行兵学校となった。1945年(昭和20年)8月、東京、大津、大分の各陸軍少年飛行兵学校は太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦により閉校した。ここでは陸軍少年飛行兵学校についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と東京陸軍航空学校 · 続きを見る »

東光丸 (貨物船)

東光丸(とうこうまる)は、日本近海汽船所属の小型貨物船である。太平洋戦争末期の1945年4月16日に八丈島から本州へ疎開する民間人や傷病兵を移送中に、アメリカ海軍潜水艦の攻撃を受けて沈没し、乗船者の9割近い149人が死亡した。.

新しい!!: 戦史叢書と東光丸 (貨物船) · 続きを見る »

松 (樺型駆逐艦)

松(まつ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の8番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「松」があるため、こちらは「松 (初代)」や「松I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と松 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

松型駆逐艦

松型駆逐艦(まつがたくちくかん)は、日本海軍の一等駆逐艦。 丁型駆逐艦とも呼ばれる#主要々目及特徴一覧表p.11「(艦種)駆逐艦|(艦名):(丁)竹|(基準△)1,260|(公試△)1,530|(主要寸法)(LWL)98.0/(B)935/(D)5,70/(d)3,30|(速力)27,8|(SHP)19,000|(航續力)18k-3,500|(主要兵装)/(砲)12,7(高角連装)×1、12,7(高角単装)×1/(機銃)25(三連装)×4 25(単装)×12/(魚雷)四連装×1(4)|(爆雷)36/(探信)九三式×1/(水聴)九三式×1/(電探)二二号×1/(其他)小発×2|(機関)タービン×2 缶×2|(軸数)2|(防禦)/|(隻数)18|摘要(特徴)(略)」。 日本海軍の公的な名称ではないが、竹級駆逐艦(丁型駆逐艦)とする文献(戦史叢書等)もある海上護衛戦(戦史叢書)、330-332頁「第三十一戦隊の編成」。昭和天皇への説明でも用いられた。 松型は、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)から建造した戦時量産型駆逐艦である。神風型駆逐艦(初代)と並ぶ日本海軍最多の建造数(32隻)と最短の建造日数(約5ヶ月)を記録。そして最後に量産化された駆逐艦でもある。 なお、橘以降の艦は橘型/改松型/松型改/改丁型/丁型改などとして区別されるが#海軍軍備(5)40頁「駆逐艦(丁)(中略)|(備考)松型改」#主要々目及特徴一覧表p.11「(艦種)駆逐艦|(艦名):(丁改)橘|(基準△)1,350|(公試△)1,640|(主要寸法)(LWL)98.0/(B)9,35/(D)5,80/(d)3,41(速力)27,3|(SHP)19,000|(航續力)18k-3,500|(主要兵装)/(砲)12,7(高角連装)×1、12,7(高角単装)×1/(機銃)25(三連装)×4 25(単装)×12/(魚雷)四連装×1(4)|(爆雷)36/(探査)三式一型×1/(水聴)四式×1/(電探)二二号×1 一三号×1/(其他)小発×2|(機関)タービン×2 缶×2|(軸数)2|(防禦)/|(隻数)19年度16 20年度40|摘要(特徴)(略)」、 艦艇類別等級表では松型と橘型を区別しておらず、艦型名は全隻とも松型駆逐艦としている#昭和19年8月〜9月秘海軍公報9月(1)p.19「内令第一〇一六號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十九年九月一日 海軍大臣|驅逐艦、一等松型ノ項中「楓」ノ下ニ「、欅、橘」ヲ加フ(以下略)」#秘海軍公報昭和20年8月(2)p.27「内令第七二八號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年八月十日 海軍大臣|軍艦、敷設艦初鷹型ノ項中「初鷹、」ヲ削ル|驅逐艦、一等不知火型ノ項中「、天津風」ヲ、同松型ノ項中「、櫻」「、橘」ヲ削ル(以下略)」。なおここでは艦艇類別等級表に基づく松型駆逐艦全般を取り扱う。.

新しい!!: 戦史叢書と松型駆逐艦 · 続きを見る »

松山連隊区

松山連隊区(まつやまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は松山大隊区である。愛媛県の一部または同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は松山連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に松山地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と松山連隊区 · 続きを見る »

松山海軍航空隊

松山海軍航空隊(まつやまかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。一挙に増加した予科練甲飛第13・14期の生徒を教育するために新設された予科練教育航空隊である。松山といえば、源田実司令率いる第三四三海軍航空隊の印象が強いが、北側の予科練「松山海軍航空隊」と南側の飛行場である「松山海軍航空基地」は完全に別個の施設で、しばしば誤って混同されている事が多い。なお、本稿では松山空の分遣隊として開かれた宇和島海軍航空隊(うわじまかいぐんこうくうたい)についても述べたい。.

新しい!!: 戦史叢書と松山海軍航空隊 · 続きを見る »

松田千秋

松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と松田千秋 · 続きを見る »

松輪 (海防艦)

松輪(まつわ)は、日本海軍の海防艦#達昭和17年8月pp.19-22『達第二百三十三號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦五隻、海防艦四隻、掃海艇二隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年八月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 若月(ワカツキ)|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十潜水艦 伊號第四十一潜水艦 伊號第四十二潜水艦 伊號第五十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 呂號第百九潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 海防艦 擇捉(エトロフ) 特務艦 白埼(シラサキ)|三井造船株式會社玉工場ニ於テ建造 海防艦 松輪(マツワ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 佐渡(サド)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 海防艦 隠岐(オキ)|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第二十三號掃海艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 第二十六號掃海艇』。 普遍的には択捉型海防艦の2番艦とされているが補助艦艇奮戦記245頁『松輪(まつわ)』、海軍省が定めた艦艇類別等級では占守型海防艦の6番艦。.

新しい!!: 戦史叢書と松輪 (海防艦) · 続きを見る »

松輸送

松輸送(まつゆそう)は、太平洋戦争中の1944年前半に日本軍が行った中部太平洋方面への増援部隊輸送作戦である。絶対国防圏と位置付けられたマリアナ諸島などの守備隊を強化するため、満州などから転用された地上部隊や軍需物資が松船団と総称される11回の護送船団で運ばれた。アメリカ海軍は潜水艦で妨害を試みたが、日本側の損害は少なく一応の成功を収めた。松輸送で運ばれた部隊が、サイパンの戦いやペリリューの戦いで日本軍守備隊の主力となった。.

新しい!!: 戦史叢書と松輸送 · 続きを見る »

松江 (海防艦)

松江(まつえ)は、日本海軍の海防艦、後に運送船から運送艦、更に測量艦となった。艦名は中国東北部を流れ、アムール川に合流する同河川最大の支流「スンガリ」、日本名は「松花江(しょうかこう)」といい、そこから「松江(まつえ)」の名が付けられた。.

新しい!!: 戦史叢書と松江 (海防艦) · 続きを見る »

松江連隊区

松江連隊区(まつえれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。島根県の一部または全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。鳥取県・岡山県・広島県の一部を管轄した時期もあった。実務は松江連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に松江地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と松江連隊区 · 続きを見る »

杵埼 (給糧艦)

杵埼(きねさき)は、日本海軍の特務艦(運送艦)法令上給糧艦は存在せず運送艦だが、Wikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名は「(給糧艦)」とする。なお給糧艦の名称は戦時編制上、あるいは軍隊区分編成上の補給種別として存在する。。杵埼型運送艦の1番艦。当初は雑役船として計画され竣工したが、太平洋戦争中に特務艦となった。太平洋戦争末期、輸送任務中に撃沈された。.

新しい!!: 戦史叢書と杵埼 (給糧艦) · 続きを見る »

杵埼型給糧艦

杵埼型給糧艦(きねさきがたきゅうりょうかん)は、日本海軍の給糧艦。同型艦4隻。.

新しい!!: 戦史叢書と杵埼型給糧艦 · 続きを見る »

村松連隊区

村松連隊区(むらまつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、新潟県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と村松連隊区 · 続きを見る »

杉 (松型駆逐艦)

杉(すぎ)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の7番艦として藤永田造船所で建造された。艦名としては樺型駆逐艦の9番艦「杉」に続いて2代目。 太平洋戦争ではレイテ沖海戦、多号作戦、礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事した。その後、国府海軍(のちの台湾海軍)に引き渡され、「恵陽(フェイヤン)」と命名された。.

新しい!!: 戦史叢書と杉 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

杉 (樺型駆逐艦)

杉(すぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の9番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「杉」があるため、こちらは「杉 (初代)」や「杉I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と杉 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

栗原悦蔵

栗原 悦蔵(くりはら えつぞう、1894年(明治27年)3月31日 - 1987年(昭和62年)9月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。群馬県前橋市出身。.

新しい!!: 戦史叢書と栗原悦蔵 · 続きを見る »

栄丸遭難事件

栄丸遭難事件(さかえまるそうなんじけん)は、太平洋戦争終戦直後の1945年(昭和20年)11月1日に、台湾から宮古島へ向かった密航船「栄丸」がエンジン故障のため座礁沈没し、台湾疎開からの帰還者ら約100人が死亡した海難事故である。日本が連合国の占領下に置かれて沖縄への引き揚げ事業が実施できない間に、民間の自力引き揚げの過程で発生した事件であった。.

新しい!!: 戦史叢書と栄丸遭難事件 · 続きを見る »

桐 (樺型駆逐艦)

桐(きり)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の10番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「桐」があるため、こちらは「桐 (初代)」や「桐I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と桐 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

桜型駆逐艦

桜型駆逐艦(さくらかたくちくかん)は、日本海軍の二等駆逐艦。.

新しい!!: 戦史叢書と桜型駆逐艦 · 続きを見る »

桃 (桃型駆逐艦)

桃(もも)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の1番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「桃」があるため、こちらは「桃 (初代)」や「桃I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と桃 (桃型駆逐艦) · 続きを見る »

桃型駆逐艦

桃型駆逐艦(ももかたくちくかん)は、日本海軍の2等駆逐艦。同型艦4隻。.

新しい!!: 戦史叢書と桃型駆逐艦 · 続きを見る »

桑名連隊区

桑名連隊区(くわなれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、三重県・愛知県・岐阜県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と桑名連隊区 · 続きを見る »

桂 (樺型駆逐艦)

桂(かつら)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「桂」(未成艦)があるため、こちらは「桂 (初代)」や「桂I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と桂 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

梅 (樺型駆逐艦)

梅(うめ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の5番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「梅」があるため、こちらは「梅 (初代)」や「梅I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と梅 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

椿 (楢型駆逐艦)

椿(つばき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の3番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「椿」があるため、こちらは「椿 (初代)」や「椿I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と椿 (楢型駆逐艦) · 続きを見る »

楠 (樺型駆逐艦)

楠(くすのき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の6番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「楠」があるため、こちらは「楠 (初代)」や「楠I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と楠 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

楢型駆逐艦

楢型駆逐艦(ならかたくちくかん)は、日本海軍の2等駆逐艦。同型艦6隻。.

新しい!!: 戦史叢書と楢型駆逐艦 · 続きを見る »

楓 (樺型駆逐艦)

楓(かえで)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の3番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「楓」があるため、こちらは「楓 (初代)」や「楓I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と楓 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

榊 (樺型駆逐艦)

榊(さかき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の2番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「榊」(未成艦)があるため、こちらは「榊 (初代)」や「榊I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と榊 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

榎 (楢型駆逐艦)

榎(えのき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の6番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「榎」があるため、こちらは「榎 (初代)」や「榎I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と榎 (楢型駆逐艦) · 続きを見る »

榧 (松型駆逐艦)

榧(かや)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の11番艦として舞鶴海軍工廠で建造された。艦名は樅型駆逐艦の2番艦「榧」に続いて2代目。 太平洋戦争では礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事、のちにソ連に引き渡された。.

新しい!!: 戦史叢書と榧 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

槇 (松型駆逐艦)

槇(まき)は日本海軍の駆逐艦#陽炎型、2014333頁『槇(まき)』#達昭和19年6月pp.3-4『達第百八十一號 昭和十八年度及昭和十九年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦二隻及海防艦九隻ニ左ノ通命名ス 昭和十九年六月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 杉(スギ) 第三十六號海防艦 第四十號海防艦|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 槇(マキ) 第六十一號海防艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 樅(モミ) 伊號第三百七十二潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四百四潜水艦|日立造船所株式會社ニ於テ建造 海防艦 大東(ダイトウ)』。艦名は楢型駆逐艦の4番艦「槇」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と槇 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

槇 (楢型駆逐艦)

槇(まき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「槇」があるため、こちらは「槇 (初代)」や「槇I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と槇 (楢型駆逐艦) · 続きを見る »

横尾敬義

横尾 敬義(よこお たかよし、1880年(明治13年)10月5日『日本の歴代市長』526-527頁 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、第九代佐賀市長。その提案した「魚雷肉攻案」は特殊潜航艇、別名甲標的の開発につながった。最終階級は海軍大佐。.

新しい!!: 戦史叢書と横尾敬義 · 続きを見る »

横山一郎

横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。.

新しい!!: 戦史叢書と横山一郎 · 続きを見る »

横山信義

横山 信義(よこやま のぶよし、1958年 - )は、日本の小説家。長野県出身。東京工業大学卒業。.

新しい!!: 戦史叢書と横山信義 · 続きを見る »

横須賀空襲

横須賀空襲(よこすかくうしゅう)横須賀市 2014、647頁横須賀市 2012、672頁は、太平洋戦争の最中にアメリカ軍により行われた神奈川県横須賀市に対する空襲である。横須賀は横浜市のように市街地を焼き払う絨毯爆撃を受けることはなかったが、横須賀軍港などの日本海軍の施設が1942年(昭和17年)にはドーリットル空襲を受け、1945年(昭和20年)2月から8月にかけて艦載機による攻撃を受けた。.

新しい!!: 戦史叢書と横須賀空襲 · 続きを見る »

横浜連隊区

横浜連隊区(よこはまれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1941年(昭和16年)の一府県一連隊区制によって神奈川県を管轄区域に設置され、その徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は横浜連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に横浜地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と横浜連隊区 · 続きを見る »

樫 (松型駆逐艦)

樫(かし)は日本海軍の駆逐艦、松型駆逐艦の10番艦として藤永田造船所で建造された。艦名は桃型駆逐艦2番艦「樫」に続いて2代目。 太平洋戦争では礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事、のちにアメリカに引き渡されたが解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と樫 (松型駆逐艦) · 続きを見る »

樫 (桃型駆逐艦)

樫(かし)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の2番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「樫」があるため、こちらは「樫 (初代)」や「樫I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と樫 (桃型駆逐艦) · 続きを見る »

樺 (樺型駆逐艦)

樺(かば)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樺型駆逐艦の1番艦である。同名艦に橘型駆逐艦の「樺」があるため、こちらは「樺 (初代)」や「樺I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と樺 (樺型駆逐艦) · 続きを見る »

樺型駆逐艦

樺型駆逐艦(かばかたくちくかん)は、日本海軍の二等駆逐艦の艦級である。同型艦は、10隻存在した。 第一次世界大戦への参戦により、外洋で作戦活動が行える艦が必要になった日本海軍が急遽建造した中型駆逐艦である。日本海軍で運用されたものの他、本艦型を元にフランス海軍が発注した「アラブ級駆逐艦」が12隻建造されている。.

新しい!!: 戦史叢書と樺型駆逐艦 · 続きを見る »

樺太の戦い (1945年)

樺太の戦い(からふとのたたかい)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ、日本の内地であった樺太南部で、日本とソビエト連邦の間で行われた戦闘である。 1945年8月9日に対日参戦したソ連は、8月11日に南樺太の占領作戦を開始した。その目的は南樺太の獲得と、次に予定された北海道侵攻の拠点確保だった。ソ連軍は北樺太から陸上侵攻する歩兵師団・歩兵旅団・戦車旅団各1個が攻撃の中心で、補助攻勢として北太平洋艦隊と歩兵旅団1個による上陸作戦が実施された。日本軍は、歩兵師団1個を中心に応戦し、国境地帯ではソ連軍の拘束に成功した。 8月15日に日本のポツダム宣言受諾が布告されて、太平洋戦争は停戦に向かったが、樺太を含めてソ連軍の侵攻は止まらず、自衛戦闘を命じられた日本軍との戦闘が続いた。樺太での停戦は8月19日以降に徐々に進んだものの、ソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあった。8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し、8月25日の大泊占領をもって樺太の戦いは終わった。 当時、南樺太には40万人以上の日本の民間人が居住しており、ソ連軍侵攻後に北海道方面への緊急疎開が行われた。自力脱出者を含めて10万人が島外避難に成功したが、緊急疎開船3隻がソ連軍に攻撃されて約1,700名が死亡した(三船殉難事件)。陸上でもソ連軍の無差別攻撃がしばしば行われ、約2,000人の民間人が死亡した。.

新しい!!: 戦史叢書と樺太の戦い (1945年) · 続きを見る »

樅型駆逐艦

樅型駆逐艦(もみかたくちくかん)は、大日本帝国海軍の2等駆逐艦、同型艦21隻。.

新しい!!: 戦史叢書と樅型駆逐艦 · 続きを見る »

樋口直

樋口 直(ひぐち なおし、1924年-   )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。神奈川県横浜市磯子区出身。.

新しい!!: 戦史叢書と樋口直 · 続きを見る »

橿丸

橿丸(かしまる)は、1940年(昭和15年)に大阪造船所で建造された日本の小型貨物船。太平洋戦争中にニュージョージア島沿岸で空襲により撃沈され、残骸はスクーバダイビングスポットになっている。.

新しい!!: 戦史叢書と橿丸 · 続きを見る »

橋本象造

橋本 象造(はしもと しょうぞう、1894年(明治27年)1月31日 - 1973年(昭和48年)8月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と橋本象造 · 続きを見る »

檜 (桃型駆逐艦)

檜(ひのき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、桃型駆逐艦の3番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「檜」があるため、こちらは「檜 (初代)」や「檜I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と檜 (桃型駆逐艦) · 続きを見る »

欅 (楢型駆逐艦)

欅(けやき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、楢型駆逐艦の5番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「欅」があるため、こちらは「欅 (初代)」や「欅I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と欅 (楢型駆逐艦) · 続きを見る »

武蔵 (戦艦)

300px 武蔵(むさし)は、大日本帝国海軍の大和型戦艦の二番艦である。当時は武藏と表記された#達昭和15年11月(1)p.1『達第二百四十一號 三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造中ノ戦艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十五年十一月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 戦艦 武藏(ムサシ)』。この名を持つ大日本帝国海軍の艦船としては3隻目にあたる#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ33(原本39頁)『武藏(むさし) 艦種巡洋艦 三檣「バーク」 艦名考國名に採る。 艦歴明治27・8年戰役從軍:同27年8月威海衛砲撃に、同11月大連港及旅順國占領に從事、同28年2月威海衛總攻撃及同占領に從事、同31年月三等海防艦に編入、同37・8年戰役に從軍:大正元年8月二等海防艦に列す。同3年乃至9年戰役に從軍:露領沿岸警備に從事、11年4月1日軍艦籍より除き、更めて特務艦(測量艦)と定めらる。昭和3年4月1日除籍。(備考)尚ほ此の外に幕末に初代の軍艦とも云ふ可き「武藏」あり、同艦は明治元年11月外國人より購入(製造場所、竣工年月日、及原名等不詳)のものにして、同2年2月品海碇泊中火を失して焼く、同3年安芸、焼残船體を大蔵省に交付す。(要目略)』。大日本帝国海軍が建造した最後の戦艦でもあった。.

新しい!!: 戦史叢書と武蔵 (戦艦) · 続きを見る »

武洲丸

武洲丸(ぶしゅうまる)は、日之出汽船(現:NYKバルク・プロジェクト貨物輸送)が保有した貨物船である。1918年に進水し、初期は若葉丸の船名で佐藤商店が船主だった。太平洋戦争中の1944年9月25日に徳之島から本土に疎開する民間人ら200人以上を乗せて航行中、アメリカ海軍の潜水艦により撃沈されて乗船者の8割以上が死亡した。南西諸島からの疎開船のうち、対馬丸以外で潜水艦に撃沈された唯一の船でもある、川内博史衆議院議員および大槻勝啓政府参考人(厚生労働省大臣官房審議官)の発言。航空機による被害としては、一心丸が撃沈されて50人以上が死亡した尖閣諸島戦時遭難事件がある。。.

新しい!!: 戦史叢書と武洲丸 · 続きを見る »

歩兵第170連隊

歩兵第170連隊(ほへいだい170れんたい、歩兵第百七十聯隊)は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。太平洋戦争中の1942年(昭和17年)、乗船中の輸送船が撃沈された際に軍旗を喪失し、その後の戦闘で大打撃を受けると解隊された。.

新しい!!: 戦史叢書と歩兵第170連隊 · 続きを見る »

歩兵第292連隊

歩兵第292連隊(ほへいだい292れんたい、歩兵第二百九十二聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と歩兵第292連隊 · 続きを見る »

歩兵第293連隊

歩兵第293連隊(ほへいだい293れんたい、歩兵第二百九十三聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と歩兵第293連隊 · 続きを見る »

歩兵第294連隊

歩兵第294連隊(ほへいだい294れんたい、歩兵第二百九十四聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊の一つ。.

新しい!!: 戦史叢書と歩兵第294連隊 · 続きを見る »

水戸連隊区

水戸連隊区(みとれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は水戸大隊区である。当初は茨城県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を担任した。実務は水戸連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)に設けられた水戸地区司令部は同域の防衛を担当した部署で、水戸連隊区司令部要員が双方を兼務した。戦後に執筆された書籍でも旧表記である"聯"の字を用いて水戸聯隊区と表記している例が多い。.

新しい!!: 戦史叢書と水戸連隊区 · 続きを見る »

江南作戦

江南作戦(こうなんさくせん)は、日中戦争中の1940年(昭和15年)10月に安徽・江蘇両省境付近の長江南岸行われた日本軍の作戦である。第13軍が占領地の安定を図るため、所在の中国第3戦区軍部隊の撃破をねらって実施した。.

新しい!!: 戦史叢書と江南作戦 · 続きを見る »

江南殲滅作戦

江南殲滅作戦(こうなんせんめつさくせん)とは、日中戦争中の1943年4月から6月の間に行われた、湖北省西部での日本軍と中国軍の戦闘である。湖北作戦とも。中国側呼称は鄂西会戦。同時に行われた日本海軍側の作戦名はG作戦。 日本の第11軍(司令官:横山勇中将)が、洞庭湖西方の長江南岸地域に侵攻し、所在の中国軍の撃滅を図った。.

新しい!!: 戦史叢書と江南殲滅作戦 · 続きを見る »

江北作戦

江北作戦(こうほくさくせん)は、日中戦争中の1941年(昭和16年)5月に湖北省で行われた、日本軍と中国軍の戦闘である。予南作戦に続く短切的な作戦として、華北の中原会戦に呼応した第11軍が実戦訓練を兼ねて計画した。.

新しい!!: 戦史叢書と江北作戦 · 続きを見る »

江北殲滅作戦

江北殲滅作戦(こうほくせんめつさくせん)とは、日中戦争中の1943年2月から3月の間に行われた、湖北省南部での日本軍と中国軍の戦闘である。日本の第11軍が、長江と漢水に挟まれた水郷地帯に侵攻し、中国軍の守備隊を壊滅させて占領した。.

新しい!!: 戦史叢書と江北殲滅作戦 · 続きを見る »

江風型駆逐艦

江風型駆逐艦(かわかぜかたくちくかん)は、日本海軍の一等駆逐艦。同型艦2隻。.

新しい!!: 戦史叢書と江風型駆逐艦 · 続きを見る »

決号作戦

決号作戦(けつごうさくせん)は、大東亜戦争(太平洋戦争)において日本軍が立案した日本本土における防衛作戦の呼称。ポツダム宣言受諾のため、この作戦が発動されることはなかった。厳密には「帝國陸海軍作戦計画大綱」での陸軍案の名称であるが、ここでは陸海双方について記述する。.

新しい!!: 戦史叢書と決号作戦 · 続きを見る »

河嶋修

河嶋 修(かわしま おさむ、1893年1月12日 - 1958年9月26日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と河嶋修 · 続きを見る »

河和海軍航空隊

河和海軍航空隊(こうわかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦に向けての出師準備の一環として、急増すると予想される整備要員の大量養成を図るために設置した。もっぱら実際に機体を整備する兵・下士官の養成に振り向けられ、相模野・出水に続く三番目の整備訓練航空隊として開かれた。さらにまったく系統が異なる水上機搭乗員の練成部隊も追加された。前述の航空隊を「第一河和海軍航空隊」、後述の航空隊を「第二河和海軍航空隊」と呼称した。.

新しい!!: 戦史叢書と河和海軍航空隊 · 続きを見る »

河内 (戦艦)

河内(かわち/かはち)は、日本海軍の戦艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実第88コマ(原本138頁)『河内(かはち) 艦種戰艦 二檣(三脚式)(信號用) 艦名考國名にして畿内五箇國の一に採る。艦歴明治42年4月1日起工、同45年3月31日竣工、攝津(二代)と姉妹艦なり。大正三年乃至九年戰役(日獨)從軍(第一艦隊第一戰隊、艦長海軍大佐町田駒次郎):同7年9月17日徳山沖に於て爆沈。(備考)幕末に「河内」と名くる汽船あり、明治元年12月米國人より購入したるものして長さ138呎、幅29呎、原名「カンキーナ」、後「河内」と命名す、其製造所竣工年月等不明、明治2年8月岡山藩に管せしむ、其後の艦歴亦詳ならず。―要目― 長500呎/幅84呎/喫水28呎/排水量20,800噸/機關 カーチス式タルビン3軸 宮原式罐16臺/馬力25,000/速力20/乗組人員960/船材 鋼(甲帶12吋)/兵装 12吋砲12/6吋砲10/4.7吋砲8/12听砲16/機關砲4/發射管5/起工 明治42-4-1/進水 同43-10-15/竣工 45-3-31/建造所 横須賀工廠』。 河内型戦艦1番艦である。姉妹艦は「摂津」(旧字体では攝津)。 艦名は幕末期の汽船「河内」に続いて2代目。「河内国」に由来する。長官公室には楠木正成(大楠公)の像が飾られていた。 1918年(大正7年)7月12日、火薬庫爆発事故により爆沈した『○軍艦沈没 軍艦河内ハ徳山灣碇泊中七月十二日午後三時五十七分中央部ニ爆發ヲ起シ約四分ノ後沈没セリ』。.

新しい!!: 戦史叢書と河内 (戦艦) · 続きを見る »

沖島 (海防艦)

沖島(おきのしま)は、日本海軍の海防艦。艦名は対馬海峡の沖、玄界灘に浮かぶ沖ノ島から命名と推測される#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.68『沖島(おきのしま)【初代】 艦種二等海防艦 二檣(戰闘檣あり) 艦名考島峡名に採る、沖島は筑前國宗像郡に属す、鐘岬の西北西凡そ40浬に在り、小呂島の北凡そ27浬、長門國豊浦郡神田埼の西凡そ42浬に當り、對馬と馬關海峡の間にあり。艦歴明治29年露國聖被得堡造船所にて進水したる舊露國軍艦、原名「ゲネラル・アドミラル・アプラキシン」、日露戰役中、「バルチック」艦隊の一艦として日本海々戰に参加、同38年5月28日竹島(日本海の孤島)の南西沖合にて我が艦隊之を捕獲、同年6月6日帝國軍艦と定め「沖島」と命名、大正3年乃至9年戰役(日獨)從軍:同年3年8月第二艦隊第二戰隊に属し青島戰に参加(艦長中佐鍵和田 専太郎)、同11年4月1日除籍。』。 ちなみに艦名は初代であり、2代目は敷設艦「沖島」である。 海防艦「見島」は同型艦。.

新しい!!: 戦史叢書と沖島 (海防艦) · 続きを見る »

沖島 (敷設艦)

沖島(おきのしま)は、日本海軍の敷設艦(機雷敷設艦)。本艦に改良を加えた準同型艦に「津軽」がある#日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』。.

新しい!!: 戦史叢書と沖島 (敷設艦) · 続きを見る »

沖縄 (海防艦)

沖縄本来の艦名表記は沖繩。(おきなわ)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の2番艦。1944年8月に竣工し、1945年7月に舞鶴港で空襲を受け、被爆沈没した。艦名は、沖縄県の沖縄本島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と沖縄 (海防艦) · 続きを見る »

沖縄連隊区

沖縄連隊区(おきなわれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は沖縄警備隊区である。沖縄県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は沖縄連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に沖縄地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と沖縄連隊区 · 続きを見る »

沖縄戦

沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう。.

新しい!!: 戦史叢書と沖縄戦 · 続きを見る »

沖縄戦における集団自決

沖縄戦における集団自決(おきなわせんにおけるしゅうだんじけつ)では、第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))時において、沖縄県で発生したとされる集団自決を扱う。(それ以外の時・場所で発生したものについては集団自決を参照。).

新しい!!: 戦史叢書と沖縄戦における集団自決 · 続きを見る »

波号第二百十七潜水艦

波号第二百十七潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十七潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の17番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十七潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十三潜水艦

波号第二百十三潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十三潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の13番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十三潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十一潜水艦

波号第二百十一潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十一潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の11番艦。太平洋戦争の終戦時未成だったが処分のため建造を続行し、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十一潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十九潜水艦

波号第二百十九潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十九潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の19番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十九潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十二潜水艦

波号第二百十二潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十二潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の12番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十二潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十五潜水艦

波号第二百十五潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十五潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の15番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十五潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十八潜水艦

波号第二百十八潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十八潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の18番艦。戦後遭難し、のち解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十八潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十六潜水艦

波号第二百十六潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十六潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の16番艦。太平洋戦争の終戦後本記事では、ポツダム宣言の受諾を連合国側へ通告した1945年8月14日の翌日以後のことを指す。なお、終戦時に未成だった全ての艦艇に対して工事中止が発令されるのは1945年8月17日のことである。に竣工し、海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十六潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十四潜水艦

波号第二百十四潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十四潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の14番艦。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十四潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百十潜水艦

波号第二百十潜水艦本来の艦名表記は波號第二百十潛水艦。(はごうだいにひゃくじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の10番艦。太平洋戦争末期に竣工したが実戦に参加することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百十潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百七潜水艦

波号第二百七潜水艦本来の艦名表記は波號第二百七潛水艦。(はごうだいにひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の7番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百七潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十七潜水艦

波号第二百三十七潜水艦"波号第二百三十七潜水艦"の名は、仮称艦名第4947号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四七号艦、第四九四七号艦、あるいは第4947号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第237」と、福井静夫の各著作で「ハ237」「波号第237」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十七潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十三潜水艦

波号第二百三十三潜水艦"波号第二百三十三潜水艦"の名は、仮称艦名第4943号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四三号艦、第四九四三号艦、あるいは第4943号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第233」と、福井静夫の各著作で「ハ233」「波号第233」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十三潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十一潜水艦

波号第二百三十一潜水艦本来の艦名表記は波號第二百三十一潛水艦。(はごうだいにひゃくさんじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十一潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十九潜水艦

波号第二百三十九潜水艦"波号第二百三十九潜水艦"の名は、仮称艦名第4949号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四九号艦、第四九四九号艦、あるいは第4949号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第239」と、福井静夫の各著作で「ハ239」「波号第239」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十九潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十二潜水艦

波号第二百三十二潜水艦本来の艦名表記は波號第二百三十二潛水艦。(はごうだいにひゃくさんじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十二潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十五潜水艦

波号第二百三十五潜水艦"波号第二百三十五潜水艦"の名は、仮称艦名第4945号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四五号艦、第四九四五号艦、あるいは第4945号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第235」と、福井静夫の各著作で「ハ235」「波号第235」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十五潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十八潜水艦

波号第二百三十八潜水艦"波号第二百三十八潜水艦"の名は、仮称艦名第4948号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四八号艦、第四九四八号艦、あるいは第4948号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第238」と、福井静夫の各著作で「ハ238」「波号第238」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十八潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十六潜水艦

波号第二百三十六潜水艦"波号第二百三十六潜水艦"の名は、仮称艦名第4946号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四六号艦、第四九四六号艦、あるいは第4946号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第236」と、福井静夫の各著作で「ハ236」「波号第236」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十六潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十四潜水艦

波号第二百三十四潜水艦"波号第二百三十四潜水艦"の名は、仮称艦名第4944号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九四四号艦、第四九四四号艦、あるいは第4944号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第234」と、福井静夫の各著作で「ハ234」「波号第234」と、近畿海軍監督部が調製した目録で「波号二三四潜水艦」と、大阪警備府が調製した目録で「波號二三四號潜水艦」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくさんじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十四潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三十潜水艦

波号第二百三十潜水艦本来の艦名表記は波號第二百三十潛水艦。(はごうだいにひゃくさんじゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後遭難し、のち解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三十潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百三潜水艦

波号第二百三潜水艦本来の艦名表記は波號第二百三潛水艦。(はごうだいにひゃくさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の3番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習用として用いられ、戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百三潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百一潜水艦

波号第二百一潜水艦本来の艦名表記は波號第二百一潛水艦。(はごうだいにひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百一潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百九潜水艦

波号第二百九潜水艦本来の艦名表記は波號第二百九潛水艦。(はごうだいにひゃくきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の9番艦。太平洋戦争末期に竣工したが終戦直前に触雷して行動不能となり、戦後に爆破処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百九潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十七潜水艦

波号第二百二十七潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十七潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の27番艦。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十七潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十三潜水艦

波号第二百二十三潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十三潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうさんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の23番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1945年6月7日時点で、波号第218潜水艦と波号第219潜水艦が同表未登載のため、1945年6月7日時点で法令上は21番艦、これら2隻を含めると通算で23番艦となる。。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十三潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十一潜水艦

波号第二百二十一潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十一潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の21番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1945年6月7日時点で、波号第218潜水艦と波号第219潜水艦が同表未登載のため、1945年6月7日時点で法令上は19番艦、これら2隻を含めると通算で21番艦となる。。戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十一潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十九潜水艦

波号第二百二十九潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十九潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうきゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の28番艦昭和20年7月27日付艦艇類別等級別表の改正で、本艦は波号第227潜水艦の下に加えられたため、同日時点で艦艇類別等級別表上の序列は「(前略)、波号第227潜水艦、波号第229潜水艦、波号第228潜水艦」の順となり、本艦は法令上波二百一型の通算29番艦とはならない。。戦後遭難し、のち解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十九潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十二潜水艦

波号第二百二十二潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十二潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の22番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1945年6月7日時点で、波号第218潜水艦と波号第219潜水艦が同表未登載のため、1945年6月7日時点で法令上は20番艦、これら2隻を含めると通算で22番艦となる。。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十二潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十五潜水艦

波号第二百二十五潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十五潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうごせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の25番艦。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十五潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十八潜水艦

波号第二百二十八潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十八潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうはちせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の29番艦本艦は、1945年7月18日付で一度は波二百一型の28番艦となったが、同年7月27日付艦艇類別等級別表の改正により波号第229潜水艦が波号第227潜水艦の下に加えられたため、同日時点で艦艇類別等級別表上の序列は「(前略)、波号第227潜水艦、波号第229潜水艦、波号第228潜水艦」の順となり、波号第228潜水艦は法令上波二百一型の通算28番艦とはならない。。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十八潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十六潜水艦

波号第二百二十六潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十六潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の26番艦。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十六潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十四潜水艦

波号第二百二十四潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十四潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の24番艦。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十四潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二十潜水艦

波号第二百二十潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二十潛水艦。(はごうだいにひゃくにじゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の20番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1945年6月7日時点で、波号第218潜水艦と波号第219潜水艦が同表未登載のため、1945年6月7日時点で法令上は18番艦、これら2隻を含めると通算で20番艦となる。。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二十潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百二潜水艦

波号第二百二潜水艦本来の艦名表記は波號第二百二潛水艦。(はごうだいにひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百二潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百五潜水艦

波号第二百五潜水艦本来の艦名表記は波號第二百五潛水艦。(はごうだいにひゃくごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の5番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百五潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百八潜水艦

波号第二百八潜水艦本来の艦名表記は波號第二百八潛水艦。(はごうだいにひゃくはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の8番艦。太平洋戦争末期に竣工したが外海に出撃することなく、戦後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百八潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百六潜水艦

波号第二百六潜水艦本来の艦名表記は波號第二百六潛水艦。(はごうだいにひゃくろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の6番艦。太平洋戦争後2回沈没し、最後は調査のうえ解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百六潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百四十七潜水艦

波号第二百四十七潜水艦"波号第二百四十七潜水艦"の名は、仮称艦名第4957号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九五七号艦、第四九五七号艦、あるいは第4957号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第247」と、福井静夫の各著作で「ハ247」「波号第247」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくよんじゅうななせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百四十七潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百四十六潜水艦

波号第二百四十六潜水艦"波号第二百四十六潜水艦"の名は、仮称艦名第4956号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九五六号艦、第四九五六号艦、あるいは第4956号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第246」と、福井静夫の各著作で「ハ246」「波号第246」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくよんじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百四十六潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百四十潜水艦

波号第二百四十潜水艦"波号第二百四十潜水艦"の名は、仮称艦名第4950号艦の予定艦名。本艦が命名された事実は無く、仮定本籍の設定や艦艇類別等級別表への登載も行われていない。このことから記事名は、本来ならば仮称艦名第四九五〇号艦、第四九五〇号艦、あるいは第4950号艦とすべきところだが、参考文献として用いた世界の艦船『日本潜水艦史』で「波号第240」と、福井静夫の各著作で「ハ240」「波号第240」とそれぞれ記述していること、そしてWikipedia:記事名の付け方に鑑み、記事名を標記のとおりとする。(はごうだいにひゃくよんじゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波二百一型潜水艦の1隻。戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百四十潜水艦 · 続きを見る »

波号第二百四潜水艦

波号第二百四潜水艦本来の艦名表記は波號第二百四潛水艦。(はごうだいにひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波二百一型潜水艦の4番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習用として用いられ、戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第二百四潜水艦 · 続きを見る »

波号第百十一潜水艦

波号第百十一潜水艦本来の艦名表記は波號第百十一潛水艦。(はごうだいひゃくじゅういちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の11番艦。太平洋戦争末期に竣工して特殊潜航艇隊の訓練に従事し、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百十一潜水艦 · 続きを見る »

波号第百十二潜水艦

波号第百十二潜水艦本来の艦名表記は波號第百十二潛水艦。(はごうだいひゃくじゅうにせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波百一型潜水艦の12番艦。太平洋戦争後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百十二潜水艦 · 続きを見る »

波号第百十潜水艦

波号第百十潜水艦本来の艦名表記は波號第百十潛水艦。(はごうだいひゃくじゅうせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。波百一型潜水艦の10番艦。太平洋戦争後に海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百十潜水艦 · 続きを見る »

波号第百七潜水艦

波号第百七潜水艦本来の艦名表記は波號第百七潛水艦。(はごうだいひゃくななせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の7番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習任務に従事し、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百七潜水艦 · 続きを見る »

波号第百三潜水艦

波号第百三潜水艦本来の艦名表記は波號第百三潛水艦。(はごうだいひゃくさんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の3番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百三潜水艦 · 続きを見る »

波号第百一潜水艦

波号第百一潜水艦本来の艦名表記は波號第百一潛水艦。(はごうだいひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百一潜水艦 · 続きを見る »

波号第百九潜水艦

波号第百九潜水艦本来の艦名表記は波號第百九潛水艦。(はごうだいひゃくきゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の9番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1944年9月1日時点で、波号第108潜水艦が同表未登載のため、1944年9月1日時点で法令上は8番艦、1944年10月5日に同表に登載された波号第108潜水艦を含めると通算で9番艦となる。。太平洋戦争末期に竣工して特殊潜航艇隊の訓練に従事し、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百九潜水艦 · 続きを見る »

波号第百二潜水艦

波号第百二潜水艦本来の艦名表記は波號第百二潛水艦。(はごうだいひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百二潜水艦 · 続きを見る »

波号第百五潜水艦

波号第百五潜水艦本来の艦名表記は波號第百五潛水艦。(はごうだいひゃくごせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の5番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百五潜水艦 · 続きを見る »

波号第百八潜水艦

波号第百八潜水艦本来の艦名表記は波號第百八潛水艦。(はごうだいひゃくはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の8番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習任務に従事し、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百八潜水艦 · 続きを見る »

波号第百六潜水艦

波号第百六潜水艦(はごうだいひゃくろくせんすいかん、旧字体:波號第百六潛水艦)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の6番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百六潜水艦 · 続きを見る »

波号第百四潜水艦

波号第百四潜水艦本来の艦名表記は波號第百四潛水艦。(はごうだいひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の4番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。.

新しい!!: 戦史叢書と波号第百四潜水艦 · 続きを見る »

津軽 (敷設艦)

津軽(つがる)は、日本海軍の敷設艦#日本補助艦艇物語50-51頁『(6) 津軽(二代)』#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.3『軍艦|敷設艦|勝力、常磐、嚴島、白鷹、八重山、沖島、津輕』。 この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。日本海軍の法令上は旧字体の津輕を用いるが、本記事では津軽とする#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津輕(ツガル)|鶴見製鐡造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 國後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』。.

新しい!!: 戦史叢書と津軽 (敷設艦) · 続きを見る »

津軽要塞

津軽要塞の御殿山第二砲台跡 津軽要塞(つがるようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞の一つ。1896年(明治29年)北海道の函館港及び函館湾守備を目的に計画され、1902年(明治35年)に完成した函館要塞が前身で、昭和になって津軽要塞と改称され、津軽海峡も守備範囲に加わった。2001年(平成13年)10月「函館山と砲台跡」として北海道遺産に選定された。.

新しい!!: 戦史叢書と津軽要塞 · 続きを見る »

津連隊区

津連隊区(つれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は津大隊区である。当初は三重県の一部、後に同県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は津連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に津地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と津連隊区 · 続きを見る »

洲埼 (給油艦)

洲埼(すのさき)は、日本海軍の給油船/運送艦(給油艦)。同型艦はない。艦名は千葉県房総半島南西端にある岬の名(現在は洲崎と表記)、東京湾の入口に当たる。艦名は後に洲埼型給油艦1番艦に引き継がれた#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.587-588。.

新しい!!: 戦史叢書と洲埼 (給油艦) · 続きを見る »

洲埼 (軽質油運搬艦)

洲埼(すのさき)は、日本海軍の給油艦。軽質油運搬艦である洲埼型給油艦の1番艦。艦名は千葉県房総半島南西の洲崎による。艦名は大正時代の給油艦「洲埼」に続いて2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と洲埼 (軽質油運搬艦) · 続きを見る »

洲埼型給油艦

洲埼型給油艦(すのさきがたきゅうゆかん)は日本海軍の給油艦。空母への航空機用軽質油(ガソリン)補給艦。同型艦2隻。.

新しい!!: 戦史叢書と洲埼型給油艦 · 続きを見る »

淡路 (海防艦)

淡路(あわじ/あはぢ)は、日本海軍の海防艦。御蔵型海防艦の3番艦。船団護衛中に撃沈されたが、それは船団に向けて放たれた魚雷から船団を守るための身を挺した行動とされている駒宮『戦時輸送船団史』、p.

新しい!!: 戦史叢書と淡路 (海防艦) · 続きを見る »

渡野喜屋事件

渡野喜屋事件 (とのきやじけん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1945年5月12日に、沖縄県大宜味村塩屋の渡野喜屋で起きた日本軍による民間人殺害事件。.

新しい!!: 戦史叢書と渡野喜屋事件 · 続きを見る »

測天 (初代測天型敷設艇)

測天(初代)(そくてん)は、日本海軍の雑役船(大型敷設艇)、特務艇(二等敷設艇、敷設艇)。普遍的には通称測天型敷設特務艇の1番艇とされているが、測天は敷設特務艇となる前に除籍されており、さらに特務艇類別等級表や特務艇類別等級別表上での序列は同型艇中6番目である。太平洋戦争の開戦前に同型艇中最初に除籍された。 本艇の除籍後、昭和12年度計画(マル3計画)に基づく基本計画番号H11の1番艇が艇名を襲用した。こちらは測天 (敷設艇)を参照のこと。.

新しい!!: 戦史叢書と測天 (初代測天型敷設艇) · 続きを見る »

測天 (敷設艇)

測天(そくてん)は、日本海軍の敷設艇。測天型敷設艇の1番艇。艦名としては2代目。.

新しい!!: 戦史叢書と測天 (敷設艇) · 続きを見る »

測天型敷設艇

測天型敷設艇(そくてんがたふせつてい)は、日本海軍の敷設艇。同型艦5隻。 法令上(特務艇類別等級)はマル3計画艦5隻とマル4計画艦9隻を合わせて測天型としているが、このページではマル3計画艦5隻のみを扱う。マル4計画艦は平島型敷設艇を参照。.

新しい!!: 戦史叢書と測天型敷設艇 · 続きを見る »

済州 (敷設艇)

済州(さいしゅう)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の5番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と済州 (敷設艇) · 続きを見る »

湊慶譲

湊 慶譲(みなと けいじょう、1896年(明治29年)8月30日 - 1982年(昭和57年)10月19日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と湊慶譲 · 続きを見る »

満州 (通報艦)

満州(まんしゅう)は、日本海軍の通報艦。後に海防艦となる。艦名は現在の中国東北部の名称の満州からとられた。.

新しい!!: 戦史叢書と満州 (通報艦) · 続きを見る »

満州事変

満州事変(まんしゅうじへん、)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍満洲駐留の大日本帝国陸軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件石原莞爾と板垣征四郎は否定したが、極東国際軍事裁判の田中隆吉の証言と、当時関東軍司令部付であった花谷正の手記という形の原稿「満洲事変はこうして計画された」(別冊『知性』昭和31年12月号)により関東軍の関与が明らかとなった。ただし、南満州鉄道の日本爆破説の真偽を確証できないと主張するものもある(中西輝政・北村稔『歴史通』2011年3月号『さきに「平和」を破ったのは誰か』))に端を発し、関東軍による満州(中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。この博物館には事件の首謀者としてただ2人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。 関東軍はわずか5か月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。.

新しい!!: 戦史叢書と満州事変 · 続きを見る »

満州里会議

満州里会議(まんしゅうりかいぎ、マンチューリかいぎ)は、モンゴル人民共和国と満州国の国境問題解決のため、1935年から1937年にかけて、数回に亘り満州里で開かれた一連の外交会合である。モンゴル人民共和国と満州国の政府代表が出席する形式で、両国の背後のソビエト連邦政府と日本政府の影響下で外交交渉が行われたが、具体的成果の無いまま途絶した。満蒙会議(まんもうかいぎ)とも呼ばれる。.

新しい!!: 戦史叢書と満州里会議 · 続きを見る »

満月 (駆逐艦)

満月本来の艦名表記は滿月。(みちつき)は、日本海軍の未成駆逐艦。秋月型駆逐艦の12番艦本艦が艦艇類別等級別表に登載された1945年2月5日時点で秋月、照月、初月、新月、若月、霜月の6隻が艦艇類別等級別表から削除されているため、1945年2月5日時点では6番艦、通算では12番艦となる。秋月型駆逐艦の、1945年2月5日時点での艦艇類別等級別表上の序列は涼月、冬月、春月、宵月、夏月、満月、花月の順である。。太平洋戦争中に建造中止となり、戦後解体された。.

新しい!!: 戦史叢書と満月 (駆逐艦) · 続きを見る »

漢口大空襲

漢口大空襲(かんこうだいくうしゅう)は、太平洋戦争・日中戦争後期の1944年12月17日に、アメリカ陸軍航空軍が日本勢力下の漢口(現武漢市の一部)に対して行った航空攻撃である。戦闘の結果、日本陸軍の防空戦闘機隊は大きな損害を受け、漢口の市街地の半分が焼失した。アメリカ軍がB-29爆撃機と焼夷弾による大規模な都市爆撃を行った最初の事例であり、その後の日本本土空襲において焼夷弾を使った絨毯爆撃戦術を導入する参考にもなった。.

新しい!!: 戦史叢書と漢口大空襲 · 続きを見る »

漢口空襲 (1939年10月)

1939年10月の漢口空襲(かんこうくうしゅう)は、日中戦争前期に、中華民国とソビエト連邦の連合航空隊が、日本占領下の漢口(現武漢市の一部)に対して行った航空攻撃である。中ソ連合航空隊は3回に渡って漢口の日本軍航空基地を奇襲し、うち2回の戦闘で日本軍の航空機多数を破壊して塚原二四三少将らを死傷させた。日本軍航空隊は日中戦争開始以来初めての大きな損害を被った。.

新しい!!: 戦史叢書と漢口空襲 (1939年10月) · 続きを見る »

漢水作戦

漢水作戦(かんすいさくせん)とは、日中戦争中の1940年11月24日から12月2日までの間、湖北省中部の漢水周辺で行われた日本軍の作戦である。作戦の秘匿名称は二号作戦。.

新しい!!: 戦史叢書と漢水作戦 · 続きを見る »

澎湖 (敷設艇)

澎湖(ほうこ)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の2番艇。艦名の由来は、澎湖諸島から。.

新しい!!: 戦史叢書と澎湖 (敷設艇) · 続きを見る »

服部卓四郎

服部 卓四郎(はっとり たくしろう、1901年(明治34年)1月2日 - 1960年(昭和35年)4月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。山形県出身。陸士34期、陸大42期(優等)。.

新しい!!: 戦史叢書と服部卓四郎 · 続きを見る »

朝顔 (駆逐艦)

朝顔(あさがお/あさがほ)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の5番艦である。大正年間製造の旧式艦ながら、戦時中に計98回の護衛活動に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と朝顔 (駆逐艦) · 続きを見る »

朝雲新聞

朝雲(あさぐも)は、防衛省・自衛隊関連のニュースを主とする日本の新聞。朝雲新聞社が発行している。.

新しい!!: 戦史叢書と朝雲新聞 · 続きを見る »

朝潮 (朝潮型駆逐艦)

朝潮(あさしお / あさしほ)は、大日本帝国海軍に所属した駆逐艦#達昭和10年9月p.4『達第百七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十年九月六日 海軍大臣 大角岑生|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 朝アサ潮シホ|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 驅逐艦 大オホ潮シホ』。.

新しい!!: 戦史叢書と朝潮 (朝潮型駆逐艦) · 続きを見る »

朝潮型駆逐艦

朝潮型駆逐艦(あさしおかたくちくかん)は大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦の艦級である。同型艦10隻。一番艦の「朝潮」沈没後は、満潮型駆逐艦と改定された。.

新しい!!: 戦史叢書と朝潮型駆逐艦 · 続きを見る »

木梨鷹一

木梨 鷹一(きなし たかかず、1902年(明治35年)3月7日 - 1944年(昭和19年)7月26日)は、日本の海軍軍人(海兵51期卒)。太平洋戦争において日本海軍を代表する潜水艦長のひとり。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少将。.

新しい!!: 戦史叢書と木梨鷹一 · 続きを見る »

本土決戦

本土決戦(ほんどけっせん)とは、第二次世界大戦(太平洋戦争)において想定された日本本土への連合軍陸上戦闘に対する日本側の呼称である。アメリカ軍とイギリス軍を中心とした連合国軍は1945年秋以降に「ダウンフォール作戦」として実施を予定し、日本軍はすべてを決するという意味で「決号作戦」と称する防衛作戦を計画していた。1945年(昭和20年)8月に日本がポツダム宣言を受諾して降伏したため、本土決戦は行われることがなかった。.

新しい!!: 戦史叢書と本土決戦 · 続きを見る »

本郷連隊区

本郷連隊区(ほんごうれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は本郷大隊区である。東京府の一部と埼玉県の一部の徴兵・召集等兵事事務を担任した。1941年(昭和16年)一府県一連隊区制に伴い廃止され、以後東京府は東京連隊区が、埼玉県は浦和連隊区が執り行った。.

新しい!!: 戦史叢書と本郷連隊区 · 続きを見る »

札幌連隊区

札幌連隊区(さっぽろれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は札幌大隊区である。北海道の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は札幌連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に札幌地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と札幌連隊区 · 続きを見る »

挺進連隊

挺進連隊(ていしんれんたい、挺進聯隊)とは、大日本帝国陸軍の部隊編制(連隊)の一つで、空挺作戦用の空挺部隊(落下傘部隊)である。第二次世界大戦時に創設されパレンバン空挺作戦(パレンバン降下作戦)などを行った。通称は挺進部隊、陸軍落下傘部隊、陸軍空挺部隊など。愛称は空の神兵。 挺進連隊は、複数個連隊や支援部隊を合わせた旅団に相当する団である挺進団(ていしんだん)を構成し戦闘序列に編入され、大戦後期には更なる上級部隊として師団に相当する集団である挺進集団(ていしんしゅうだん)が編成された。帝国陸軍における挺進連隊の軍隊符号はRi、挺進団はRB、挺進集団はRD。 本項ではグライダー空挺部隊である滑空歩兵連隊(かっくうほへいれんたい、Ki)についても詳述する。.

新しい!!: 戦史叢書と挺進連隊 · 続きを見る »

有馬正文

有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28年)9月25日 - 1944年(昭和19年)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と有馬正文 · 続きを見る »

成生 (敷設艇)

成生(なりゅう)は、日本海軍の敷設艇。測天型敷設艇の4番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と成生 (敷設艇) · 続きを見る »

戦術

戦術(せんじゅつ、Tactics)は、作戦・戦闘において任務達成のために部隊・物資を効果的に配置・移動して戦闘力を運用する術である。そこから派生して言葉としては競技や経済・経営、討論・交渉などの競争における戦い方をも意味するようになる。理論的・学問的な側面を強調する場合は戦術学とも言う。.

新しい!!: 戦史叢書と戦術 · 続きを見る »

戦闘詳報

戦闘詳報(せんとうしょうほう)とは、日本海軍、日本陸軍の部隊・艦船が作戦、戦闘を行った後、上級の司令部に提出していた報告書である。海外でも戦闘詳報に相当する記録をつける制度はあり、アメリカ海軍の場合はアクションレポート(Action Report)がこれに相当する。.

新しい!!: 戦史叢書と戦闘詳報 · 続きを見る »

戸塚道太郎

戸塚 道太郎(とづか みちたろう、1890年(明治23年)4月21日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と戸塚道太郎 · 続きを見る »

明号作戦

明号作戦(めいごうさくせん、Operation Bright Moon, Combats en Indochine)は、1945年3月9日にフランス領インドシナ(仏印)において日本軍が実行した作戦。仏印武力処理、あるいは三・九クーデター(さんきゅうクーデター)とも呼称される。 太平洋戦争末期、対米戦での協力を拒否した仏印に駐留するヴィシー・フランス軍を日本軍が攻撃し、名目上は共同統治であったインドシナを完全な支配下に収めた。.

新しい!!: 戦史叢書と明号作戦 · 続きを見る »

明野陸軍飛行学校

明野陸軍飛行学校(あけのりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。主として戦闘機の空中射撃、空中戦闘に関する教育と研究等を行った。1921年(大正10年)4月、陸軍航空学校明野分校として開設され、1924年(大正13年)5月、明野陸軍飛行学校として独立した。学校本部および本校は三重県度会郡(現在の伊勢市小俣町)に置かれ、1943年(昭和18年)7月には茨城県那珂郡(現在のひたちなか市)に明野陸軍飛行学校分校を開設したほか、各地に分教所があった。 1944年(昭和19年)6月、明野陸軍飛行学校は明野教導飛行師団に、茨城県の明野陸軍飛行学校分校は常陸教導飛行師団に改編された。さらに1945年(昭和20年)7月、明野教導飛行師団は教導飛行師団第1教導飛行隊と飛行第111戦隊に改編分離され、常陸教導飛行師団は教導飛行師団第2教導飛行隊と飛行第112戦隊に改編分離されたのち、同年8月太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦によりそれぞれ解隊した。ここでは明野教導飛行師団、および明野陸軍飛行学校分校、常陸教導飛行師団等についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と明野陸軍飛行学校 · 続きを見る »

春風 (2代神風型駆逐艦)

春風(はるかぜ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月p.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 春風ハルカゼ トス』。神風型駆逐艦(2代目)の3番艦である。 当初の艦名は第五駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表 |驅逐艦名前|春風ハルカゼ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第五號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)第五驅逐艦』。続いて第五号駆逐艦と改名。最終的に「春風」となった。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「春風」に続いて2隻目#除籍駆逐艦(3)p.2-3『舊春風(千噸以下)』。後に初の国産護衛艦である「はるかぜ」に引き継がれた。.

新しい!!: 戦史叢書と春風 (2代神風型駆逐艦) · 続きを見る »

昭南 (海防艦)

昭南(しょうなん/せうなん)は、日本海軍の海防艦。普遍的には日振型海防艦の3番艦とされており、本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、法令上は御蔵型海防艦の11番艦。1944年7月に竣工し、1945年2月に船団護衛中に撃沈された。艦名は、当時日本が占領中であった昭南島(シンガポール島)にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と昭南 (海防艦) · 続きを見る »

昭和2年度艦艇補充計画

昭和2年度艦艇補充計画(しょうわ2ねんどかんていほじゅうけいかく)は、日本海軍の軍備計画。1927年(昭和2年)度からの5か年で艦艇27隻が建造された。主な艦艇は高雄型重巡洋艦、空母龍譲など。 前年(1926年(大正15年))度で予算の成立した艦艇についても記す。.

新しい!!: 戦史叢書と昭和2年度艦艇補充計画 · 続きを見る »

浦和連隊区

浦和連隊区(うらわれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。埼玉県全域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は浦和連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に浦和地区司令部が設けられ、地域防衛を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と浦和連隊区 · 続きを見る »

浦風 (浦風型駆逐艦)

浦風(うらかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。浦風型駆逐艦の1番艦ただし2番艦「江風」が建造中にイタリアに譲渡され、日本海軍内で同型艦が無くなったため、1926年に類別等級で駆逐艦の艦型(艦級、クラスに相当)が決められた時も浦風型は制定されなかった(#海軍制度沿革8(1971)pp.88-92、大正15年11月29日附内令第238号、艦艇類別等級表。種別:駆逐艦、等級:一等、艦(艇)型:(空白)、艦艇名:浦風。)。艦名は「浦辺に吹く風」の意味#日本海軍艦船名考p.202。艦名は、陽炎型駆逐艦「浦風」に引継がれた。.

新しい!!: 戦史叢書と浦風 (浦風型駆逐艦) · 続きを見る »

浦波 (吹雪型駆逐艦)

浦波(うらなみ)は日本海軍の駆逐艦(2代目)#達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第四十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 浦ウラ波ナミ トス』#達昭和2年4月pp.45-46『達第五十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和二年度ニ於テ建造ニ着手スベキ一等驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス 昭和二年四月二十六日 海軍大臣 岡田啓介|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 第三十八號驅逐艦|藤永田造船所ニ於テ建造 第三十九號驅逐艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 第四十四號驅逐艦』。 吹雪型駆逐艦の10番艦#海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、朝凪、夕凪/睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月/吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波| 同部中「第二號型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |若竹型|若竹、呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱| 掃海艇ノ部中「浦波型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |第七號型|第七號、第八號、第九號、第十號、第十一號、第十二號| 備考第二號中但書ヲ削リ第四號ヲ左ノ如ク改ム  四 掃海艇ヲ稱呼スルニハ「第何號掃海艇」ヲ以テス 同五號中「「第三十五號型驅逐艦」、」ヲ削ル。 特型駆逐艦の波級。 浦波級として紹介されたこともある。 当初の艦名は第四十四号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊對照表』。 「磯波」までの特I型と煙突基部の缶室給気路が改正され異なっており、特改I型と呼ばれる場合がある(日本海軍の法令上は吹雪型駆逐艦。吹雪型1番艦吹雪と吹雪型2番艦白雪沈没後は初雪型駆逐艦)。.

新しい!!: 戦史叢書と浦波 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

浦戸海軍航空隊

浦戸海軍航空隊(うらどかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。20000人にも及ぶ空前の志願者を募った予科練甲飛第14期の生徒を教育するため、最後に新設された予科練教育航空隊である。緊急に開隊するために耕作地を収用し、飛行場とバラック兵舎を林立させたものの、正規カリキュラムに移行するまで1ヶ月かかり、その間は生徒も施設構築に従事した。.

新しい!!: 戦史叢書と浦戸海軍航空隊 · 続きを見る »

浮島 (敷設艇)

浮島(うきしま)は、大日本帝国海軍の敷設艇。測天型の5番艇である。横須賀防備隊に所属し、太平洋戦争中は主に長浦港を拠点として船団護衛、機雷・防潜網の敷設に当たった。.

新しい!!: 戦史叢書と浮島 (敷設艇) · 続きを見る »

海の牙城

『海の牙城』(うみのがじょう)は横山信義作の架空戦記、全5巻。『遠き曙光』(全4巻)の続編である。.

新しい!!: 戦史叢書と海の牙城 · 続きを見る »

海上護衛総司令部

海上護衛総司令部(かいじょうごえいそうしれいぶ)とは大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。設置は1943年11月15日、廃止は1945年8月25日。正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊(かいじょうごえいそうたい)とも呼ばれ、また海護総隊(かいごそうたい)とも略称された。.

新しい!!: 戦史叢書と海上護衛総司令部 · 続きを見る »

海上護衛隊

海上護衛隊(かいじょうごえいたい)は、旧日本海軍の部隊編制の一つで、太平洋戦争中に四個部隊が編制された。ここでは第一海上護衛隊を再編した第一護衛艦隊についても述べる。各部隊・艦隊の符号は、第一海上護衛隊が1KEg、第二海上護衛隊が2KEg、第一護衛艦隊が1EF。.

新しい!!: 戦史叢書と海上護衛隊 · 続きを見る »

海上機動旅団

海上機動旅団(かいじょうきどうりょだん)は、太平洋戦争中の大日本帝国陸軍の部隊編制の一つ。島嶼戦に対応した上陸作戦の専門部隊として計画され、4個旅団が編成された。.

新しい!!: 戦史叢書と海上機動旅団 · 続きを見る »

海風 (海風型駆逐艦)

海風(うみかぜ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、海風型駆逐艦のネームシップである。同名艦に白露型駆逐艦(海風型駆逐艦 / 改白露型駆逐艦)の「海風」があるため、こちらは「海風 (初代)」や「海風I」などと表記される。.

新しい!!: 戦史叢書と海風 (海風型駆逐艦) · 続きを見る »

海風型駆逐艦

海風型駆逐艦(うみかぜかたくちくかん)は、日本海軍の一等駆逐艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ94(原本150頁)『海風型〔二隻〕 艦種一等驅逐艦 艦名考風の種類に採る。以下風に因める驅逐艦總て然り。海風(うみかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。山風(やまかぜ) 艦歴大正3-9年役從軍:南洋群島占領に参加、昭和5年除籍。 ―要目― 長94.49米/幅8.56米/吃2.74米/排水量1,030噸/機關 パーソンタルビン3軸 艦本式罐8/馬力 20,500/速力33/乗組人員140/船材 銅/兵装 12糎砲2/機砲5/發射管4/探照燈2|海風 (起工)明治42-11-23 (進水)明治43-10-10 (竣工)44-9-28 (建造所)舞鶴工廠/山風 (起工)明治43-6-1 (進水)明治44-1-21 (竣工)44-10-21 (建造所)三菱造船所』。.

新しい!!: 戦史叢書と海風型駆逐艦 · 続きを見る »

海軍対潜学校

海軍機雷学校(かいぐんきらいがっこう)および同校から1944年(昭和19年)3月25日に改名した海軍対潜学校(かいぐんたいせんがっこう)は、大日本帝国海軍における機雷や防潜網の敷設・管制・掃海術、対潜哨戒・対潜掃討術、水中探索術の習得者を養成する教育機関(軍学校)のことである。海軍水雷学校普通科修了者を中心に、普通科・高等科・特修科・専攻科を設置した。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍対潜学校 · 続きを見る »

海軍乙航空隊

海軍乙航空隊(かいぐんおつこうくうたい)は、日本海軍の部隊の通称。航空機を用いて作戦を実施する「甲航空隊」とは対極をなし、基地防衛や輸送・移動用の最低限の航空機しか持たず、航空基地を防衛し、支援システムを保有する陸上部隊である。 ただし乙航空部隊とは便宜上の区分名で正式呼称ではない。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍乙航空隊 · 続きを見る »

海軍国防政策委員会・第一委員会

海軍国防政策委員会・第一委員会(かいぐんこくぼうせいさくいいんかい・だいいちいいんかい)とは、大日本帝国海軍の中で国家総力戦に向けての準備をするために軍令部と海軍省の課長級スタッフで構成されて作られた組織横断的なタスクフォースである『日本海軍400時間の証言』pp.115-118「第一委員会の闇」。。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍国防政策委員会・第一委員会 · 続きを見る »

海軍設営隊

海軍設営隊(かいぐんせつえいたい)とは、日本海軍に属した基地施設建築や陣地築城を任務とした部隊である。太平洋戦争中に200隊以上が編成され、南方の最前線を含め各地で飛行場などの建設を行った。初期には設営班(せつえいはん)と呼ばれた。軍属主体であったが、徐々に軍人による編制が増えた。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍設営隊 · 続きを見る »

海軍陸戦隊

海軍陸戦隊(かいぐんりくせんたい)は日本海軍が編成した陸上戦闘部隊である。単に陸戦隊と呼ぶこともある。元々は常設の部隊ではなく、艦船の乗員などの海軍将兵を臨時に武装させて編成することを原則としたが、1930年代には常設的な部隊も誕生した。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍陸戦隊 · 続きを見る »

海軍根拠地隊

海軍根拠地隊(かいぐんこんきょちたい)とは、大日本帝国海軍の陸上部隊の一つで、占領地などに置かれた臨時の海軍基地を防衛・管理するための部隊である。第二次世界大戦期には、特設根拠地隊と特別根拠地隊の2種類が存在した。広義の海軍陸戦隊の一種といえる。.

新しい!!: 戦史叢書と海軍根拠地隊 · 続きを見る »

海防艦

海防艦(かいぼうかん)は、戦闘用艦艇の一種コマ55(原本58頁)『海コースト防デフェンス艦シップ 海防艦ハ海岸防禦ニ必要ナル軍艦ニシテ戰艦ト等シク攻撃防禦ノ兩力ヲ完全ニ備フルヲ要ス然レモ遠ク外國ニ派遣セラレザル爲メ石炭積載量及ビ速力ハ多キヲ要セズ而シテ喫水ヲ成ルベク淺ク製造スルハ之レヲ淺水中ニ利用シテ敵艦ニ當ラシムニアリ實ニ此艦ハ水雷艇、布設水雷及ビ海岸砲臺等ノ如キ防港機關ノ補助ヲ得テ自國ノ海岸ヲ防禦スルノ任務ヲ盡スベキモノトス』。.

新しい!!: 戦史叢書と海防艦 · 続きを見る »

海拉爾要塞

海拉爾要塞(はいらるようさい)は、大日本帝国陸軍の要塞。満州国(中華人民共和国東北部)西北のハイラル市街地の周囲に作られ、満州国の西部方面からのソビエト軍の侵攻に備えた。.

新しい!!: 戦史叢書と海拉爾要塞 · 続きを見る »

浜田連隊区

浜田連隊区(はまだれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は松江大隊区である。主に島根県の徴兵・召集などの兵事事務を担任した。広島県の一部を管轄した時期もあった。1941年(昭和16年)に廃止され松江連隊区に統合された。.

新しい!!: 戦史叢書と浜田連隊区 · 続きを見る »

浜松連隊区

浜松連隊区(はままつれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。1907年(明治40年)に設置され、静岡県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱った。1925年(大正14年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と浜松連隊区 · 続きを見る »

浜波 (駆逐艦)

浜波(濱波、はまなみ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和17年9月p.34「達第二百六十號 昭和十六年度及昭和十七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦六隻、驅潜艇二隻及特務艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和十七年九月二十五日 海軍大臣 嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 濱波(ハマナミ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第四十三潜水艦/呂號第四十二潜水艦|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第百八十三潜水艦/呂號第百八潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第百八十四潜水艦|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 呂號第三十六潜水艦|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 第四十二驅潜艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第四十三號驅先帝|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 洲埼(スノサキ)|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 特務艦 風早(カザハヤ)」。 夕雲型駆逐艦の13番艦である。 日本海軍の法令上は旧字体の濱波を使用し、戦闘詳報#S1812二水戦日誌(4)p.6「(3)下旬 2sd(鳥海)「パラオ」ニ在リ二十五日敵KdB見ユノ報ニ依リ濱波ニ将旗ヲ移揚シ出撃セルモ誤報ナルニ依リ歸投ス」や戦史叢書でも「濱波」を使用するが、本記事では浜波とする秋月型(2015潮書房)225-226頁「浜波(はまなみ)」。.

新しい!!: 戦史叢書と浜波 (駆逐艦) · 続きを見る »

新南 (海防艦)

新南(しんなん)は、日本海軍の海防艦。鵜来型海防艦の5番艦。太平洋戦争を生き延びて戦後は掃海に従事し運輸省の定点観測船、次いで海上保安庁の巡視船、最後は石油開発公団の宿泊船となった。.

新しい!!: 戦史叢書と新南 (海防艦) · 続きを見る »

新井埼 (敷設艇)

新井埼(にいざき)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の6番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と新井埼 (敷設艇) · 続きを見る »

新竹空襲

新竹空襲(しんちくくうしゅう)とは、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)11月25日に、アメリカ陸軍航空軍と中国国民革命軍の連合部隊が、当時日本領だった台湾新竹市の日本軍基地に対して行った航空攻撃である。連合国軍による奇襲が成功し、日本軍は多数の航空機を失った。中国大陸から日本領に対して行われた初めての本格的空襲であり、日本軍が大陸打通作戦を実行する一因となった。.

新しい!!: 戦史叢書と新竹空襲 · 続きを見る »

新発田連隊区

新発田連隊区(しばたれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。前身は新発田大隊区である。新潟県の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は新発田連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)4月、高田連隊区と統合され新潟連隊区となり消滅した。本項では新潟連隊区についても扱うものとする。.

新しい!!: 戦史叢書と新発田連隊区 · 続きを見る »

新見政一

新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。.

新しい!!: 戦史叢書と新見政一 · 続きを見る »

日号作戦

日号作戦(にちごうさくせん)は、太平洋戦争末期に日本が陸海軍合同で行った日本海における戦略物資の海上輸送作戦のことである。食糧事情が悪化する中、本土決戦に備え、日本海航路の遮断前に満州及び朝鮮半島から日本本土へ可能な限りの食糧などを輸送するために実行された。.

新しい!!: 戦史叢書と日号作戦 · 続きを見る »

日ソ国境紛争

日ソ国境紛争(にっそこっきょうふんそう)は、1930年代後半を中心に満州で起きた、大日本帝国とソビエト連邦間の国境紛争である。形式的には満州国とソ連、あるいはその衛星国のモンゴル人民共和国の国境が係争地のため、満ソ国境紛争や満蒙国境紛争とも呼ばれる。なお、日本及びソ連では一般に紛争にとどまるものととらえているが、モンゴルではノモンハン事件については戦争と評価している。.

新しい!!: 戦史叢書と日ソ国境紛争 · 続きを見る »

日進 (水上機母艦)

日進(にっしん)は、日本海軍の水上機母艦(甲標的母艦)#達昭和14年9月pp.19-20『達第百六十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、砲艦一隻、潜水艦三隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾|呉海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 日進(ニッシン)|株式會社大阪鐡工所ニ於テ建造 砲艦 橋立(ハシダテ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第二十一潜水艦|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十四潜水艦|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艦 浮島(ウキシマ)』。 同型艦は無いが、日進型という表現も使われた#S1709日進詳報(2)pp.35-36『(ヘ)現今輸送ヲ重視スベキ時代ニ於テ日進型ノ極メテ調法ナルヲ痛感ス大ナル搭載量及クレーン航續力高速等概ネ現時ノ要求ニ適應スル恰好ノ性能ヲ有セシモノト認ム然レドモ之ガ使用ニ當リテハ主トシテ内地前進根據地間ノ往復ニ當テ爾後第一線基地間ノ輸送ニハ小型高速加及的大ナル搭載力防空力ヲ有スル船艇ヲ用スルヲ原則トスルヲ要ス』。.

新しい!!: 戦史叢書と日進 (水上機母艦) · 続きを見る »

日本軍

日本軍(にほんぐん、にっぽんぐん)は、広義には日本が有する軍隊のことであるが、狭義には第二次世界大戦以前(以下戦前)の日本が保持していた軍隊(帝国陸軍と帝国海軍の両軍)を指す。第二次世界大戦の敗戦により軍は解体されたため、戦後は旧日本軍(きゅうにほんぐん、きゅうにっぽんぐん)、旧軍(きゅうぐん)などと略称する。また、戦前からの名称・呼称としては陸海軍(りくかいぐん)、帝国陸海軍(ていこくりくかいぐん)、国軍(こくぐん)、皇軍(こうぐん、すめらみいくさ)、官軍(かんぐん)などがある。 戦後、日本の防衛組織として創設された「自衛隊」については、日本国内では「日本軍」と称されることはほとんどない。日本語以外の言語地域では正式には英語名称で「Japan Self-Defense Forces」など「自衛隊」に相当する語で表現するが、「日本軍」に相当する語(「Japanese military」、「Japan Armed Forces」など)で表す場合もある。本項では「旧日本軍」について詳述する。.

新しい!!: 戦史叢書と日本軍 · 続きを見る »

日本海軍空挺部隊

日本海軍空挺部隊(にほんかいぐんくうていぶたい)項目では、大日本帝国海軍がエアボーン/空挺作戦用に編成した海軍特別陸戦隊について解説する。太平洋戦争(大東亜戦争)初期の蘭印作戦#タラカンの戦い・メナドの戦い/メナド攻略戦にて、パラシュート降下にて実戦使用された。.

新しい!!: 戦史叢書と日本海軍空挺部隊 · 続きを見る »

日振 (海防艦)

日振 (ひぶり)は、日本海軍の海防艦。普遍的には日振型海防艦の1番艦とされており、本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、海軍省が定めた艦艇類別等級では御蔵型海防艦の8番艦。1944年6月に竣工し、同年8月被雷沈没した。艦名は愛媛県の日振島にちなむ。.

新しい!!: 戦史叢書と日振 (海防艦) · 続きを見る »

日昌丸

日昌丸(にっしょうまる)は、南洋海運が1939年に建造した貨客船。日本の大型外航貨客船のうち病院船以外で太平洋戦争を生き残った唯一の船である。1956年には戦後初の巡航見本市船として東南アジア各地を回り、記念切手も発行された。.

新しい!!: 戦史叢書と日昌丸 · 続きを見る »

早鞆 (給油艦)

早鞆(はやとも)は、大日本帝国海軍の特務艦で、隠戸型給油艦の2番艦。艦名は関門海峡の最も狭い「早鞆瀬戸」にちなんで名づけられた。.

新しい!!: 戦史叢書と早鞆 (給油艦) · 続きを見る »

早潮 (駆逐艦)

早潮(はやしお/はやしほ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』。 陽炎型駆逐艦の5番艦である#昭和16年12月31日現在艦艇類別等級p.8『驅逐艦|一等|陽炎型|陽炎、不知火、黒潮、親潮、早潮、夏潮、初風、雪風、天津風、時津風、浦風、磯風、濱風、谷風、野分、嵐、萩風、舞風、秋雲』。1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した。戦後、艦名は海上自衛隊のはやしお型潜水艦「はやしお」、はるしお型潜水艦「はやしお」に継承された。.

新しい!!: 戦史叢書と早潮 (駆逐艦) · 続きを見る »

旭川連隊区

旭川連隊区(あさひかわれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。北海道の一部地域の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。一時、樺太を管轄した。実務は旭川連隊区司令部が執行した。1945年(昭和20年)、同域に旭川地区司令部が設けられ、地域防衛体制を担任した。.

新しい!!: 戦史叢書と旭川連隊区 · 続きを見る »

摩耶 (重巡洋艦)

摩耶(まや)は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦(重巡洋艦)高雄型の4番艦である昭和3年11月7日付 海軍内令 第313号。#聯合艦隊軍艦銘銘伝110頁。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工#昭和12年12月1日現在艦船要目公表範囲p.4『摩耶|一等巡洋艦|(艦諸元略)|神戸川崎造船所|3-12-4|5-11-8|7-6-30|(装備略)』。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。.

新しい!!: 戦史叢書と摩耶 (重巡洋艦) · 続きを見る »

改マル5計画

改マル5計画(かいまるごけいかく)は、大日本帝国海軍の軍備計画。昭和16年度に計画されたマル5計画を太平洋戦争の開戦と戦局の変化に対応し改定したもの。昭和17年9月にマル5計画を改定する計画を改マル5計画と略称することとなった。.

新しい!!: 戦史叢書と改マル5計画 · 続きを見る »

散開線

散開線(さんかいせん)とは、海戦術において、潜水艦が敵艦船を待ち受ける際に、敵艦船の予想進路に対して交差する一本の直線を描くように潜水艦を間隔を開けて広範囲に配置した線のことである。日本海軍が太平洋戦争中に多用したが、前線の実情に合わない散開線運用が潜水艦の損害を増加させる原因になったとの批判もある。.

新しい!!: 戦史叢書と散開線 · 続きを見る »

敦賀連隊区

敦賀連隊区(つるがれんたいく)は、大日本帝国陸軍の連隊区の一つ。福井県・滋賀県・岐阜県の一部の徴兵・召集等兵事事務を取り扱った。実務は敦賀連隊区司令部が執行した。1941年(昭和16年)に廃止された。.

新しい!!: 戦史叢書と敦賀連隊区 · 続きを見る »

敷香町

敷香町(しすかちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。 当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を、現状に関してはサハリン州の項目を参照の事。現在、この地域にはロシア連邦がサハリン州ポロナイスク市を設置している。ただし、敷香町とポロナイスク市の領域は一致しない。現状については、「ポロナイスク」の項目を参照。.

新しい!!: 戦史叢書と敷香町 · 続きを見る »

扶桑 (戦艦)

扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦#達大正3年4月p.3『達第五十七號 呉海軍工廠ニ於テ建造ノ第三號戰艦ヲ扶桑ト命名セラル 大正三年三月二十八日 海軍大臣 男爵 斎藤實』。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の由来は日本の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1879年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。.

新しい!!: 戦史叢書と扶桑 (戦艦) · 続きを見る »

所沢陸軍飛行学校

所沢陸軍飛行学校(ところざわりくぐんひこうがっこう)は、日本陸軍の軍学校のひとつ。飛行機操縦のほか、航空に関する各種の教育と研究を行った。1919年(大正8年)に開設された陸軍航空学校を1924年(大正13年)所沢陸軍飛行学校に改編し、1937年(昭和12年)に廃止された。本部および本校は埼玉県所沢町(現在の所沢市並木)に置かれ、ほかに分校または分教場があった。ここでは前身の陸軍航空学校、および陸軍航空初期の飛行機操縦教育についても述べる。.

新しい!!: 戦史叢書と所沢陸軍飛行学校 · 続きを見る »

怒和島 (敷設艇)

怒和島(ぬわじま)は、日本海軍の敷設艇。平島型敷設艇の8番艇。.

新しい!!: 戦史叢書と怒和島 (敷設艇) · 続きを見る »

時津風 (磯風型駆逐艦)

時津風(ときつかぜ)は、日本海軍の駆逐艦#達大正4年7月p.44『達第九十七號 軍備補充費ヲ以テ製造スヘキ驅逐艦八隻左ノ通命名ス 大正四年七月十日 海軍大臣 八代六郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 一等驅逐艦二隻.

新しい!!: 戦史叢書と時津風 (磯風型駆逐艦) · 続きを見る »

1937年

記載なし。

新しい!!: 戦史叢書と1937年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »