247 関係: おとぎ電車、ぶらぶらサタデー、こうじょう雅之、かおり風景100選、十円硬貨、印相、古寺巡礼 (土門拳の写真集)、古都京都の文化財、吾妻子の滝、壁画、多気城 (常陸国)、大宮長興、大嶽丸、大仏様、大和絵、大阪府北部地震、天妙国寺、天ヶ瀬ダム、天喜、太陽が丘線、奈良線、定朝、定朝様、宮城俊作、宮次男、家領、官文庫、宇宙からのメッセージ、宇治の宝蔵、宇治上神社、宇治市、宇治市立宇治中学校、宇治市立菟道小学校、宇治市植物公園、宇治神社、宇治町、宇治駅 (京阪)、宇治駅 (JR西日本)、宇治茶、宇治郵便局 (京都府)、宅磨為成、宅磨派、寝殿造、寺院、小場恒吉、小林文次、小松茂美、山城国、山城国一揆、山城国分寺跡、...、山口晃、工藤圭章、巨椋池、中尊寺金色堂、中野玄三、七宝焼き、万里小路藤房、三野郷、一万円紙幣、九鬼隆一、九条政忠、平安仏教、平等、平等院テンプル、平等院鳳翔館、平野 (大阪市)、平野庄、平泉、平清盛 (NHK大河ドラマ)、京都定期観光バス、京都市、京都府、京都府にある建造物の重要文化財一覧、京都府の観光地、京都府の重要文化財一覧、京都府立莵道高等学校、京都府道248号平等院線、京阪宇治線、仏壇、仏教絵画、以仁王の挙兵、伊藤久右衛門、伊藤延男、強訴、伽藍、後白河天皇、後醍醐天皇、保元の乱、信濃村上氏、修学旅行、俺の屍を越えてゆけ、念仏、園城寺、ナイト=ゴーント、レゴランド・ジャパン、パーサくん、別荘、喜撰山ダム、善導寺 (郡山市)、和様建築、イーゴリ・ストラヴィンスキー、カリフォルニア小町、シカゴ万国博覧会 (1893年)、セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん、ゆく年くる年、円 (通貨)、円浄、内原智史、光源氏物語本事、勝川春亭、国宝、国宝への旅、国宝彫刻の一覧、国宝絵画の一覧、国宝探訪、国際博覧会、国風文化、皇覚、知られざる物語 京都1200年の旅、石井梅蔵、灯籠、神宮徴古館、神仏霊場巡拝の道、禅定寺 (京都府宇治田原町)、秋山光和、空から日本を見てみよう、縣神社 (宇治市)、織姫神社 (足利市)、義経 (NHK大河ドラマ)、義経=ジンギスカン説、羽柴誠三秀吉、翼、翼廊、県祭り、生長の家宇治別格本山、無量寿院、無量光院跡、白川金色院、花山院師賢、荘園整理令、菊池契月、青木香雪、頼政神社、行尊、飛天、西川新次、高野切、高陽院 (邸宅)、鳳凰、鳳凰殿、近畿の史跡一覧、近畿百景、鈴木嘉吉、阿弥陀堂、阿弥陀如来、関野貞、門跡、藤原家成、藤原秀衡、藤原頼通、致平親王、金鶏山、酒呑童子、通圓、耕三寺、院、院覚、院政期文化、JAL音舞台シリーズ、林修のニッポンドリル、東武ワールドスクウェア、東海中学校・高等学校、板戸、格子戸、栗生明、栗林公園、栄山寺、梵鐘、森巌寺 (世田谷区)、森万里子、椎本、極める、武田五一、死生観、殿下渡領、水野敬三郎、江里佐代子、治承・寿永の乱、法成寺、深谷光軌、渡辺競、源宗綱、源仲家、源仲綱、源兼綱、源兼行、源融、源頼朝、源頼政、源重信、源氏物語の写本、滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線、持仏堂、朝霧橋、朝日山、木食応其、木村徳応、木村徳栄、截金、明尊、春日神木、浄土式庭園、浄土院、浄土教、浄瑠璃寺、文化遺産保護制度、文化財、日向廃寺跡、日本の寺院一覧、日本の世界遺産、日本の仏教、日本の建築家一覧、日本の国宝一覧、日本の硬貨、日本の美、日本の観光地一覧、日本の文化、日本三大一覧、日本庭園、日本建築史、日本国指定名勝の一覧、日本美術、日本美術史、日本美術全集、日本芸術院賞、日本銀行券、日本遺産、日本文化私観、拍板、智満寺の十本スギ、1053年、1156年、11世紀、12月15日、1月16日、3月4日 (旧暦)、9月29日。 インデックスを展開 (197 もっと) »
おとぎ電車
おとぎ電車(おとぎでんしゃ)は、1950年代、京都府の宇治川沿いに観光目的で運行された遊覧鉄道である。元は発電所建設の資材運搬用に建設された専用鉄道であった。地方鉄道法や軌道法に基づく鉄道事業ではなく、遊戯施設として認可を受けて運行していた。 なお、「おとぎ電車(列車)」の愛称で呼ばれた鉄道としてはほかにかつての西武山口線があるが、これについては該当項目を参照されたい。.
ぶらぶらサタデー
『ぶらぶらサタデー』は、2012年4月7日からフジテレビおよび一部の系列局で毎週土曜日の12:00 - 13:30に放送されている旅・バラエティ番組。2015年3月28日までは毎週枠であったが、2015年4月から2016年3月までは「タカトシ&温水が行く小さな旅シリーズ」を放送する場合に、『ぶらぶらサタデー・タカトシ&温水の路線バスの旅』の二重冠での月1回の放送に移行していたが、2016年4月2日から1年ぶりに毎週土曜日の12:00 - 13:30で放送中である。.
新しい!!: 平等院とぶらぶらサタデー · 続きを見る »
こうじょう雅之
ムネイル こうじょう雅之(こうじょうまさゆき、1978年7月24日 - )は京都府宇治市出身の武人画アーティストである。2018年4月より、宇治市観光大使に就任する。.
新しい!!: 平等院とこうじょう雅之 · 続きを見る »
かおり風景100選
かおり風景100選(かおりふうけいひゃくせん)は、2001年(平成13年)10月に環境省が日本各地の自然や生活、文化に根ざした香りのある地域を全国から募集し、応募された600件の中から100件を選定したものである。.
新しい!!: 平等院とかおり風景100選 · 続きを見る »
十円硬貨
十円硬貨(じゅうえんこうか)とは、日本国政府が発行する、額面10円の硬貨である。通称十円玉(じゅうえんだま)。.
印相
印相(いんそう、いんぞう、mudrā)は、仏教において、手の指で様々な形を作り、仏・菩薩・諸尊の内証を標示するもの。印(いん)、印契(いんげい)、密印、契印ともいう。修行者が本尊と渉入し融合するために、その本尊の印相を結ぶこともある。もともとは、印相に関する定まった軌則は無かったが、密教の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった。儀軌の成立した時代の違いや地方の別によって、印相には差異がある。.
古寺巡礼 (土門拳の写真集)
『古寺巡礼』(こじ じゅんれい)は、日本の写真家である土門拳が、1950年代から1970年代にかけて、日本各地の古い寺院や仏像などを撮影した写真をまとめた、全五冊からなる写真集である。1963年から1975年にかけて、美術出版社から限定出版され、後年には英文解説を加えた国際版(英文タイトル:A Pilgrimage to Ancient Temples)も出版された。今日「古寺巡礼」は、土門拳の代表作と位置付けられている。.
新しい!!: 平等院と古寺巡礼 (土門拳の写真集) · 続きを見る »
古都京都の文化財
古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)(こときょうとのぶんかざい(きょうとし、うじし、おおつし))は、その名が示すように京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市の2県3市に点在する構成資産17件から成るユネスコの世界遺産リスト登録物件(文化遺産)である。1994年に日本で5件目の世界遺産として登録された。 正式名称には3市の名前が含まれており、文化庁の表記や日本ユネスコ協会連盟の表記はそうなっているが、しばしば市名の部分を省略して、単に「古都京都の文化財」と呼ばれる。.
新しい!!: 平等院と古都京都の文化財 · 続きを見る »
吾妻子の滝
吾妻子の滝(あづまこのたき)は、広島県東広島市西条町御薗宇にある滝。「東子の滝」とも書く。.
壁画
壁画(へきが)は、建築物や洞窟の壁・天井などに描かれた絵画。 人類の最も古い絵画は、洞窟の凹凸を利用して描いた壁画(洞窟壁画)であり、人類が建物を作るようになって以後もその壁面に絵画が描かれるなど、絵画は居住空間や神聖な空間の壁と切り離せない存在だった。絵画は次第に洞窟や建物の壁面から離れ、独立した板や布(タブロー)に描かれるようになった。しかし、多くの人が同時に見ることができ、しかも空間全体を変容させて見る人を包み込む効果のある壁画・天井画は、今でも数多く制作されている。.
多気城 (常陸国)
多気城(たきじょう石橋・関口(2002):「報告書抄録」・たけじょう石橋・広瀬(2003):「報告書抄録」)は、常陸国筑波郡多気(現在の茨城県つくば市北条小字多気)にあった日本の城。多気山城(たきさんじょう)・城山城(じょうやまじょう)とも称する茨城城郭研究会(2006):198ページ。現存する史料や遺物が少なく、謎の城とされてきた。.
新しい!!: 平等院と多気城 (常陸国) · 続きを見る »
大宮長興
大宮 長興(おおみや ながおき、応永19年(1412年)-明応8年10月24日(1499年11月26日))は、室町時代後期の官人。小槻氏系大宮官務家当主。左大史・大宮為緒の子。初名は時繁。号は喜弥軒、後に文決軒。法号は寿官。官位は正四位上・治部卿。.
大嶽丸
歌川国芳画『東海道五十三対 土山』 左より鈴鹿山の鬼神、鈴鹿御前、坂上田村麻呂 大嶽丸(おおたけまる)は、伊勢国と近江国の国境にある鈴鹿山に住んでいたと伝わる鬼神あるいは鬼神魔王。文献によっては大竹丸、大武丸、大猛丸などとも記されている。山を黒雲で覆って暴風雨や雷鳴、火の雨など神通力を操ったという。.
大仏様
大仏様(だいぶつよう)は、日本の伝統的な寺院建築様式の一つ。かつては天竺様と呼ばれていた。 平重衡らによる南都焼討で焼け落ちた東大寺の再建の際、入宋経験のある僧重源によってもたらされた建築様式。従来の寺院建築様式である和様、また鎌倉時代後期から禅宗寺院に採用された禅宗様に対する言葉。禅宗様とは共通する部分も多く、あわせて鎌倉新様式または宋様式と総称される。.
大和絵
源氏物語絵巻(東屋)徳川美術館蔵 大和絵(やまとえ)は日本絵画の様式概念の1つ。中国風の絵画「唐絵」(からえ)に対する呼称であり平安時代の国風文化の時期に発達した日本的な絵画のこと。「やまと絵」「倭絵」「和絵」などとも表記され、「日本画」と書いて「やまとえ」と読むこともある。源氏物語絵巻などの絵巻物に典型的に見られる。土佐派などの流派に受け継がれ、近代・現代の日本画にも影響を及ぼしている。狩野派は大和絵の伝統と、中国の水墨画の技法・主題を統合したと評される。.
大阪府北部地震
大阪府北部地震(おおさかふほくぶじしん)は、2018年(平成30年)6月18日7時58分頃、日本の大阪府北部を震源として発生した地震。地震の規模はj 6.1で、震源の深さは13 km(ともに暫定値)。最大震度6弱を大阪府大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市の5市区で観測した。.
新しい!!: 平等院と大阪府北部地震 · 続きを見る »
天妙国寺
天妙国寺(てんみょうこくじ)は、東京都品川区南品川にある、顕本法華宗の別格山。山号は鳳凰山。.
天ヶ瀬ダム
天ヶ瀬ダム(あまがせダム)は京都府宇治市、一級河川・淀川本川中流部、通称宇治川と呼ばれる流域に建設されたダムである。 国土交通省近畿地方整備局が管理する国土交通省直轄ダムで、西日本屈指の大河川・淀川本流に建設された唯一のダム。高さ73.0メートルのアーチ式コンクリートダムで、淀川の治水と宇治市への上水道供給、総出力59万8,000キロワットにも及ぶ水力発電を目的とした特定多目的ダムである。現在ダム機能の強化を目的にバイパストンネル建設を柱とするダム再開発事業を実施中である。ダムによって形成された人造湖は鳳凰湖(ほうおうこ)と命名され、平等院鳳凰堂などと共に宇治地域の主要な観光地となっている。.
天喜
天喜(てんぎ)は、日本の元号のひとつで永承の後、康平の前。1053年〜1058年の期間を指す。この時代の天皇は後冷泉天皇。.
太陽が丘線
太陽が丘線(たいようがおかせん)とは、京阪宇治交通・京阪バスが1982年より運行開始した路線である。一時期は3社運行であったが、その後京阪宇治バスと京阪シティバスの2社による運行を経て、現在は2014年4月1日から両社を合併した京都京阪バスの単独運行となっている。 本項では太陽が丘線の前身である1981年1月7日より運行の琵琶台線、1995年4月10日より運行開始の支線である宇治友が丘線(現・立命館宇治高校線)及びその関連系統である宇治市内循環線、立命館宇治高校直通便についても記述する。又、1997年より2年弱運行されていた、太陽が丘線と天ヶ瀬線(当時設定されていた宇治川線の派生路線でもある)を直通するガーデンズ天ヶ瀬へのアクセスバスの一つ「ビールオムニバス」の内のG48/G77/G78系統、「ビールシャトルバス」の全系統(G44/G45)、及び明星町線、東宇治線、京都線の関連する部分に付いても記述する。.
奈良線
奈良線(ならせん)は、京都府木津川市の木津駅から京都府京都市下京区の京都駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。正式な起点は木津駅であるが、京都駅から木津駅へ向かう列車を「下り」としている。以下特記なければ、京都駅から木津駅(および奈良駅)へ向かう方向に記述する。.
定朝
定朝(じょうちょう、生年不明 - 天喜5年8月1日(1057年9月2日))は平安時代後期に活躍した仏師。寄木造技法の完成者とされる。.
定朝様
平安時代を代表する平等院鳳凰堂は定朝様の彫刻群で知られる 定朝様(じょうちょうよう)は、平安時代の仏師・定朝にはじまる和様の仏像彫刻様式。密教仏、木彫仏、木心乾漆仏、檀像などの多様な造仏技術を集大成し独自の様式を完成した。 定朝様の影響が指摘される東寺薬師如来.
宮城俊作
宮城 俊作(みやぎしゅんさく、1957年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。ランドスケープアーキテクチュア研究家。奈良女子大学大学院教授。東京藝術大学デザイン科非常勤講師。農学博士。1992年より吉村純一とランドスケープデザイン設計組織PLACEMEDIA(プレイスメディア)パートナー。要職は宇治市観光案内サイン整備計画策定委員会委員ほか。実家は宇治平等院で住職のひとり。京都府宇治市生まれ。.
宮次男
宮 次男(みや つぎお、1928年6月2日 - 1994年2月20日)は、日本の美術史家。専門は日本中世絵画史。.
家領
家領(けりょう)とは中世の権門が代々伝領してきた所領・荘園などのこと。 奈良時代末期から平安時代初期に皇親・貴族が所有して家牒・家符・家印などを用いた命令文書で家司などに命じて経営させた初期荘園を「○○家領」「××家田」などと呼称したのが最初と考えられている。 平安時代中期以後、藤原北家などの藤原氏一族が更に細分化され、九条流・小野宮流・閑院流などが成立し、やがて九条流から派生した御堂流が摂家としての地位を確立した。その過程でそれぞれの氏や家に附属する所領や荘園、持仏堂などの施設が一族内部を統制する機能を持ち、氏長者や家長などの本主によって管理されるようになった。そうした所領や荘園をそれぞれの本主の官職・位階に基づいて区別し、本主の政所によって統括され、家司を預所に補任して荘務を行わせた。家領の権利書である公験は家記などとともに代々嫡男などの後継者に継承された。 権門の中でも最大の家領を有していたのは、御堂流摂関家であった。元は藤氏長者としての所領を中核としていたが、後には氏院である勧学院や同流ゆかりの寺院である法成寺や平等院などの寺院領が摂関家の家領として扱われるようになった。その後、摂関家の分立に伴ってこうした家領は渡領(殿下渡領)として摂関・藤氏長者の地位とともに移動し、院政期以後に摂関家の財産となった所領・荘園は近衛家・九条家などに分割され、後に5つに分立したそれぞれの摂関家固有の家領として確立されることになった。.
官文庫
官文庫(かんぶんこ)とは、平安時代以来代々官務を務めてきた小槻氏嫡流・壬生官務家の文庫。官庫・官務文庫とも。.
宇宙からのメッセージ
『宇宙からのメッセージ』(うちゅうからのメッセージ、Message from Space)は、1978年の日本映画。1980年度・サターン賞の最優秀外国映画賞ノミネート作品。カラー・ワイド・ビスタ・サイズ。.
新しい!!: 平等院と宇宙からのメッセージ · 続きを見る »
宇治の宝蔵
宇治の宝蔵(うじのほうぞう)は、中世日本の御伽草子などの説話に現れる架空の経蔵。京都府宇治市にある平等院の阿弥陀堂南西にあったと推定される。.
宇治上神社
宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。式内社で、旧社格は村社。隣接する宇治神社とは対をなす。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されている。.
宇治市
朝日山から宇治市市街地 宇治市(うじし)は、日本の近畿地方中部、京都府の南端近くに所在する市。京都盆地の東南部に位置し、京都市や大津市と隣接する。京都市に次いで京都府内第2位の人口を擁する都市である。 ユネスコ世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で知られる。西側に非常に大きな巨椋池があったが、豊臣秀吉により干拓地となり、現在は農地と住宅街になっている。京都市への通勤率は29.1%(平成22年国勢調査)。.
宇治市立宇治中学校
宇治市立宇治中学校(うじしりつ うじちゅうがっこう)は、京都府宇治市宇治矢落にある公立中学校。府の総合庁舎や市役所、簡易裁判所などの官公庁がある宇治市中心部に立地し、校区には世界遺産に登録されている平等院などの観光地も持ち合わせている。略称は「宇治中」。.
新しい!!: 平等院と宇治市立宇治中学校 · 続きを見る »
宇治市立菟道小学校
宇治市立菟道小学校(うじしりつ とどうしょうがっこう)は、京都府宇治市宇治塔川にある公立小学校。.
新しい!!: 平等院と宇治市立菟道小学校 · 続きを見る »
宇治市植物公園
宇治市植物公園(うじししょくぶつこうえん)は、京都府宇治市にある植物園。面積10ヘクタールの敷地に約1,450種類、約3,200本の植物が植えられている。山野草展、木の実展、春蘭展など、植物に関するさまざまな展示会を年間25回展示開催している。.
新しい!!: 平等院と宇治市植物公園 · 続きを見る »
宇治神社
宇治神社(うじじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。式内社で、旧社格は府社。隣接する宇治上神社とは対をなす。.
宇治町
宇治町(うじちょう)は、京都府久世郡にあった町。現在の宇治市の中心部、宇治川の左岸にあたる。.
宇治駅 (京阪)
プラットホーム 宇治駅(うじえき)は、京都府宇治市にある、京阪電気鉄道宇治線の駅。宇治線の終着駅である。駅番号はKH77。 西日本旅客鉄道(JR西日本)に同名の駅があることから便宜上、京阪宇治駅と呼ばれることが多い。なお、両駅間は宇治川を挟んで、約890mの距離がある。 休日には観光客で賑わう。また、時期によっては混雑するため駅前ロータリーに臨時の切符売場が設けられる。.
新しい!!: 平等院と宇治駅 (京阪) · 続きを見る »
宇治駅 (JR西日本)
宇治駅(うじえき)は、京都府宇治市宇治宇文字にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線の駅である。駅番号はJR-D09。.
新しい!!: 平等院と宇治駅 (JR西日本) · 続きを見る »
宇治茶
宇治茶(うじちゃ)は、日本の緑茶。京都府・奈良県・滋賀県・三重県の4府県産茶を、京都府内業者が京都府内において、京都府南部の宇治地域に由来する製法により仕上加工したもの(ただし京都府内産を優先する)。 静岡茶、狭山茶と並んで日本三大茶といわれ、生産量の少ない狭山茶を除いて、静岡茶とともに日本二大茶ともいわれている。.
宇治郵便局 (京都府)
宇治郵便局(うじゆうびんきょく)は、京都府宇治市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。.
新しい!!: 平等院と宇治郵便局 (京都府) · 続きを見る »
宅磨為成
平等院鳳凰堂 中品上生 東扉(部分) 宅磨 為成(たくま ためなり、生没年未詳)は、平安時代後期の絵仏師。藤原為成とも記される。宅磨為氏の子。子(または弟子)に宅磨為遠がいる。絵所長者。.
宅磨派
宅磨派(たくまは)とは、平安時代後期から南北朝時代まで続いた絵師・絵仏師の流派で巨勢派と併称される。絵仏師としては鎌倉時代初期の宅間勝賀が平安仏画様式から肥痩抑揚線を特色とする宋画風の仏画を確立して詫磨栄賀まで続いた。また、勝賀の弟詫摩為久が鎌倉で作画し、後の澤間長祐を中心とした関東詫磨派もある。宅間、詫磨、詫摩、詫麻、琢摩、琢磨、澤間、多倶摩とも記す。藤原氏。.
寝殿造
寝殿造(しんでんづくり)とは、平安時代から中世にかけての上層住宅の建築様式である。 かつては東西に立派な対、南に大きな池を持つ左右対称の豪華の屋敷と考えられていたが、それは江戸時代の故実家の想像に過ぎず、その実態は階層により、時代により甚だ変化のあるものと見られている。 寝殿造は中世に様々な技術の進歩や社会生活の変化の影響を受け、室町時代末から桃山時代に書院造へと変化し、現在の和風住宅の源流でもある。.
寺院
日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.
小場恒吉
小場恒吉(おば つねきち、1878年(明治11年)1月25日 - 1958年(昭和33年)5月29日)は日本の紋様学者、美術史家、画家。.
小林文次
小林 文次(こばやし ぶんじ、1918年4月19日 - 1983年8月28日)は、日本の建築史家、工学博士。福島県伊達郡桑折町生まれ。日本大学理工学部で建築史研究室を主宰。建築史とくに近代建築史を教える。門下には望月照彦、近江榮、山本理顕、椎名英三などがいる。 1941年、東京帝国大学卒業、同大学院に進学。大学院生時代は平等院の研究をてがける。その後、フルブライト制度でアメリカ合衆国に留学。アメリカ合衆国近代建築史を研究。慶應義塾大学予科教授を経て、1949年日本大学旧工学部(現理工学部)へ。メソポタミア文明の建築の文献学的研究で学位を授与。ICOMOS理事など海外でも活躍し、1961年日本建築学会賞論文賞受賞。 1983年、直腸癌のため65歳で死去。従五位、勲四等旭日小綬章が追贈された。.
小松茂美
小松 茂美(こまつ しげみ、男性、1925年3月30日 - 2010年5月21日)は、古筆学者、美術史学者。.
山城国
山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
山城国一揆
山城国一揆(やましろのくにいっき)は、文明17年(1485年)、山城国(現在の京都府南部)南半の上三郡(久世郡、綴喜郡、相楽郡)で国人や農民が協力し、守護大名畠山氏の政治的影響力を排除し、以後8年間自治を行った事をいう。 一般的に国人が起こした一揆のことを国一揆というが、山城国一揆は惣の農民らが参加している点で惣国一揆ともいうことができる。 ○国人・・・室町時代の「在地領主」で多くの場合、守護の家臣になっていない、その国「はえぬきの武士」(地侍など).
山城国分寺跡
山城国分寺跡(やましろこくぶんじあと、山背国分寺跡)は、京都府木津川市加茂町にある古代寺院跡。恭仁宮跡と重複し、合わせて国の史跡に指定されている(指定名称は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」)。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、山城国(当時は山背国)国分僧寺の寺院跡にあたる。本項では山城国分尼寺(山背国分尼寺)の推定地についても解説する。.
新しい!!: 平等院と山城国分寺跡 · 続きを見る »
山口晃
山口 晃(やまぐち あきら、1969年8月2日 - )は、日本の画家、現代美術家。.
工藤圭章
工藤 圭章(くどう よしあき、1929年1月18日-2008年)は、日本の建築史学者。 青森県生まれ。1954年横浜国立大学工学部建築学科卒、1959年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了、65年「ナラの街区変遷過程の研究」で工学博士。1956年奈良国立文化財研究所に入る。1980年文化庁文化財保護部文化財調査官、85年建造物課長、87年文化財鑑査官、1989年沼津工業高等専門学校校長。別府大学教授。.
巨椋池
巨椋池(おぐらいけ)は、京都府の南部、現在の京都市伏見区・宇治市・久御山町にまたがる場所にかつて存在した池。規模からいえば池よりも「湖」と呼ぶ方がふさわしく、現在「池」と呼んでいる最大の湖沼である湖山池よりも広かった。 豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより時代によって姿を変え、最終的には1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて行われた干拓事業によって農地に姿を変えた。干拓前の巨椋池は周囲約16キロメートル、水域面積約8平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であった。.
中尊寺金色堂
金色堂覆堂(国宝の金色堂は覆堂内にある) 中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。堂の所有者は宗教法人金色院である。なお、中尊寺の歴史や金色堂以外の建築、文化財等については別項「中尊寺」を参照。.
新しい!!: 平等院と中尊寺金色堂 · 続きを見る »
中野玄三
中野 玄三(なかの げんぞう、1924年1月1日 - 2014年4月21日)は、日本の美術史学者。嵯峨美術短期大学名誉教授。.
七宝焼き
安藤重兵衛率いる安藤七宝作。1910年ごろ 七宝焼き(しっぽうやき、enamel)とは、金属工芸の一種で伝統工芸技法のひとつ。金属を素地にした焼物ともいえる。金、銀、銅、鉄、青銅などの金属素地に、釉薬(ゆうやく)を摂氏800度前後の高温で焼成することによって、融けた釉薬によるガラス様あるいはエナメル様の美しい彩色を施す。日本語の七宝焼の名称の由来には、宝石を材料にして作られるためという説と、桃山時代前後に法華経の七宝ほどに美しい焼き物であるとしてつけられたという説がある。英語圏ではenamelと呼称されるが、有線七宝については「区切りをつける」という意味のフランス語由来のCloisonnéが用いられている。鉄に釉薬を施したものを日本国内では主に琺瑯(ほうろう)と呼び、中国では琺瑯(ほうろう/読み:ファーラン)という。 紀元前のエジプトを起源とされ中近東2006年6月に行われた早稲田大学の宇田教授らによるツタンカーメンの黄金の仮面の調査によれば、髭の部分の灰緑色の物質は長石や珪酸ナトリウムを主成分とする人工ガラスであり、七宝の釉薬に似た材料が用いられていたことが証明されている。(雑誌「金属」Vol.77 No.9〜12)で技法が生まれ、シルクロードを通って、中国に伝わり、さらに日本にも伝わったというのが通説である。日本においては明治時代の一時期に爆発的に技術が発展し欧米に盛んに輸出された。特に京都の並河靖之、東京の濤川惣助、尾張の七宝家らの作品が非常に高い評価を得て高額で取引されたが、社会情勢の変化により急速にその技術は失われた。ブローチやペンダントなどの比較的小さな装身具から巨大な壺まで、さまざまな作品が作られる。大きなものには専用の窯が必要になるが、小さなものなら家庭用の電気炉や、電子レンジを用いたマイクロウェーブキルンでも作成できるため、現在では趣味として楽しむ人も多い。七宝焼きの釉薬は二酸化ケイ素を主成分とする鉱物資源から製作されたフリットを砂状、粉末状にしたものを使用することが多い。砂状、微粉末にした釉薬は、水と糊(フノリなど)を合わせて、または、ペースト状にしたものを使うことが多い。.
万里小路藤房
万里小路 藤房(までのこうじ ふじふさ)は、鎌倉時代末から南北朝時代にかけての公卿。大納言万里小路宣房の一男。後醍醐天皇の側近として倒幕運動に参画し、建武政権では要職を担ったが、政権に失望して出家した。藤原藤房とも言う。 江戸時代の儒学者安東省菴によって、平重盛・楠木正成とともに日本三忠臣の1人に数えられている。.
新しい!!: 平等院と万里小路藤房 · 続きを見る »
三野郷
三野郷(みのごう)は、大阪府八尾市、東大阪市の旧地域名。東大阪市においては概ね東大阪市立花園中学校の学区にあたる。本項では概ね同地域にあった中河内郡三野郷村(みのごうむら)についても述べる。 概ね八尾市福万寺町、福万寺町北、福万寺町南、上之島町北、上之島町南、福栄町、上尾町、東大阪市花園西町、花園本町、花園東町、玉串町西、玉串元町、玉串町東の各町丁に相当する。 旧村域が南北に長く、自治体成立以前は市場、福万寺、上之島、玉井新田の4か村があった。市場村はさらに花園と玉串の集落に別れていた。市場村、玉井新田は岩田村(→玉川町)や吉田村(→英田村)との結びつきが強く、福万寺村、上之島村は八尾中野村(→八尾町)や万願寺村(→高安村)との結びつきが強かった。そのため、他の市町村との合併時に市場村、玉井新田は河内市となり、福万寺地区、上之島地区が八尾市と合併した。.
一万円紙幣
一万円紙幣(いちまんえんしへい)とは、日本銀行券の1つ。一万円券、一万円札、万札とも呼ばれる。額面である10000円は日本銀行券で最高額である。現在発行されている一万円紙幣は、2004年(平成16年)から発行されている福澤諭吉の肖像のE号券である。 ほかに、かつて発行されたC号券とD号券があり、これまでに発行された一万円紙幣は全部で3種類存在する。.
九鬼隆一
九鬼 隆一(くき りゅういち、嘉永5年8月7日(1852年9月12日)? - 昭和6年(1931年)8月18日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の官僚、政治家。旧綾部藩士。男爵。号は成海。 摂津国三田出身。慶應義塾に学んだのち文部省に出仕し、若くして文部少輔(現在の事務次官)にまで栄進。1884年(明治17年)、駐米特命全権公使に転じ、1888年(明治21年)に帰国すると図書頭、臨時全国宝物取調委員長、宮中顧問官、帝国博物館総長を歴任。美術行政に尽力した。また貴族院議員、次いで枢密顧問官を兼任。1900年(明治33年)に総長を退いてからは枢密顧問官を長く務めた。1914年(大正4年)には郷里に三田博物館を設立し、自らの美術コレクションを展示・公開している。四男は哲学者の九鬼周造。.
九条政忠
九条 政忠(くじょう まさただ)は、室町時代の関白。 関白九条満家の子。弟に九条政基・尋実がいる。子に政超(室町幕府第6代将軍足利義教の猶子・権僧正)・忠厳(准三宮・東大寺別当)・桓昭(法成寺平等院執印)・忠承(延暦寺大僧正)がいる。 室町幕府第8代将軍足利義成から偏諱「成」を与えられ成家(しげいえ)と名乗る。のちに義成が「義政」に改名すると、重ねて「政」の字を与えられて政忠と名乗った。普門寺と号す。 宝徳3年(1451年)12歳で従三位に叙せられる。康正2年(1456年)正二位に昇叙される。25歳で内大臣となるが、弟の政基との間に家督争いが生じ、隠居を余儀なくされる(公卿補任)。その後宮廷に復帰して、長享元年(1487年)関白に就任、長享2年(1488年)に藤氏長者となるが、同年8月23日に49歳で薨去した。.
平安仏教
平安仏教(へいあんぶっきょう)とは、平安時代より興隆した日本仏教の宗派である。具体的には真言宗、天台宗の二宗をさすことが多い。場合によっては融通念仏宗も含める。 桓武天皇による平安遷都(794年)の背景の一つには、奈良仏教(南都六宗)の専横の問題があった。孝謙女帝が僧・道鏡を寵愛し、あわよくば道鏡が天皇にまでなろうとして和気清麻呂に阻止された経緯があり、朝廷の保護の下、力を持ちすぎた奈良仏教の影響を排除することが長岡京、平安京への遷都の一つの動機である。 桓武天皇・嵯峨天皇は奈良仏教に対抗しうる新しい仏教として、最澄が唐から持ち帰った天台宗や空海が持ち帰った真言宗を保護した。 特に最澄は奈良仏教に対抗意識を持っており、法相宗の僧侶・徳一と激しい論争をした。一方で、空海は奈良仏教に対し、融和的な態度をとった。 特徴は一つに山岳仏教の発展である。奈良仏教が都市仏教であったのに対し、最澄は比叡山に延暦寺を、空海は高野山に金剛峯寺を開いた。 もう一つの特徴は加持祈祷を行なう密教を持っていたことである。真言宗の密教は東密(京では東寺が中心であったため)、天台宗の密教は台密と呼ばれ覇を競った。これらの特色によって、平安仏教は皇室や貴族の現世利益をかなえる性格が強くあった。基本的に皇室や藤原氏などの貴族仏教としての性格を持つ。 平安中期になると、天台宗の源信らにより死後の阿弥陀如来による救いを説く、浄土教が大きな力を持ってくる。宇治平等院鳳凰堂は、当時の貴族らの浄土信仰の代表的遺構である。融通念仏宗もその文脈で出てくる。やがて武家勢力の台頭と併せ、平安末期に法然の専修念仏が広まり、民衆全体への広がりを見せ鎌倉新仏教のさきがけとなって行った。.
平等
平等(びょうどう、equality)とは、偏りや差別が無く、みな等しいこと。.
平等院テンプル
平等院テンプル(びょうどういんテンプル、Byodo-In Temple)は、アメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島・カネオヘにある仏教施設。日本の宇治市にある平等院鳳凰堂を模した建築物である。コオラウ山脈の麓に位置する民営の公園墓地、バレー・オブ・ザ・テンプルズ・メモリアルパーク内に位置する。 本項では同メモリアルパークについても言及する。.
新しい!!: 平等院と平等院テンプル · 続きを見る »
平等院鳳翔館
外観 平等院鳳翔館(びょうどういんほうしょうかん)は京都府宇治市の平等院の敷地内にある博物館。2001年3月1日に開館した。「宗教法人としては初」となる総合登録博物館とうたわれている。.
新しい!!: 平等院と平等院鳳翔館 · 続きを見る »
平野 (大阪市)
平野(ひらの)は、大阪府大阪市平野区の地区名。広義には平野区全体を指す場合もあるが、地区名としてはかつて環濠都市・自治都市を形成していた平野郷の本郷7町だった地区を指す。 本項では大阪市編入以前の東成郡平野郷町(ひらのごうちょう)についても述べる。.
新しい!!: 平等院と平野 (大阪市) · 続きを見る »
平野庄
平野庄(ひらのしょう)は、中世に日本に存在した荘園。.
平泉
平泉(ひらいずみ)は、日本の東北地方、岩手県南西部(古代の陸奥国磐井郡)にある古くからの地名であり、現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部にあたる。 この地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、2011年(平成23年)6月26日(現地時間:6月25日)にユネスコの世界遺産リストに登録された(岩手県教育委員会)。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり自然遺産も含めた全体では16番目。同じ年に「小笠原諸島」も登録されたが、世界遺産センターの公式発表は、小笠原諸島が6月24日、平泉が6月25日である(cf.
平清盛 (NHK大河ドラマ)
『平清盛』(たいらのきよもり)は、2012年1月8日から12月23日まで放送されたNHK大河ドラマ第51作である。平清盛の生涯を中心に、壇ノ浦の戦いまでの平家一門の栄枯盛衰を語り部・源頼朝の視点を通して描く。 2005年(平成17年)の『義経』以来となる平安時代を描いた作品であるとともに、1972年(昭和47年)の『新・平家物語』以来40年ぶりに平清盛を主役とした作品となった。松山ケンイチのNHK大河ドラマ初主演作。.
新しい!!: 平等院と平清盛 (NHK大河ドラマ) · 続きを見る »
京都定期観光バス
京都定期観光バス(きょうとていきかんこうバス。英称:Kyoto Regular Tour Bus)は、京阪バスをはじめとして、期間と路線を限定して近江鉄道・奈良交通・丹後海陸交通が京都市域ならびにその周辺地域で運行している定期観光バスである。 本項では、かつて設定していたびわ湖定期観光バスについてもこの項にて紹介する(びわ湖定期観光バスについては江若交通も運行に参加していた時期もあった。現在も運行自体は行っているものの、京都定期観光バスに統合され、びわ湖定期観光バスの名称は使用されていない)。京阪バスのみが運行していた当時のびわ湖定期観光バスは、京都駅に立ち寄らずに、大津駅や浜大津駅を発着するものもあった。 また、JTB主催のサンライズツアーの一環として運行される外国人向けコース、合同会社京都まちづくり研究所との共同企画で運行されている『京都観光よるバス』ならびに『京都ひるバス』、JTB・日の丸自動車・京阪バス・明星観光バスで構成されるスカイバス実行委員会が運営するスカイバス京都についても本項にて紹介する。.
新しい!!: 平等院と京都定期観光バス · 続きを見る »
京都市
京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.
京都府
京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.
京都府にある建造物の重要文化財一覧
京都府にある建造物の重要文化財一覧(きょうとふにあるけんぞうぶつのじゅうようぶんかざいいちらん)は、重要文化財の建造物のうち、京都府にあるものの一覧である。 文化財保護法では重要文化財は大きく「建造物」と「美術工芸品」の2つの部に分かれているが、本記事では建造物のみを扱う。なお重要文化財のうち特に価値の高いものは国宝に指定されており、国宝も重要文化財の一種である。 京都府には、293件が指定されている(うち国宝50件)。.
新しい!!: 平等院と京都府にある建造物の重要文化財一覧 · 続きを見る »
京都府の観光地
東寺 京都タワー 京都府の観光地(きょうとふのかんこうち)は、京都府内の主要な観光地等に関する項目である。.
新しい!!: 平等院と京都府の観光地 · 続きを見る »
京都府の重要文化財一覧
京都府の重要文化財一覧(きょうとふのじゅうようぶんかざい いちらん) 本項は、日本国の文化財保護法に基づき同国の文部科学大臣が指定した重要文化財(美術工芸品)の一覧である。本項には京都府所在分を収録する。.
新しい!!: 平等院と京都府の重要文化財一覧 · 続きを見る »
京都府立莵道高等学校
京都府立莵道高等学校(きょうとふりつ とどうこうとうがっこう、英語表記:Kyoto Prefectural Todoh Senior High School)は、京都府宇治市にある府立高等学校。1985年(昭和60年)4月1日に開校した。.
新しい!!: 平等院と京都府立莵道高等学校 · 続きを見る »
京都府道248号平等院線
京都府道248号平等院線(きょうとふどう248ごう びょうどういんせん)は、京都府宇治市宇治蓮華の平等院前を起点に宇治橋西詰交点に至る一般府道である。.
新しい!!: 平等院と京都府道248号平等院線 · 続きを見る »
京阪宇治線
→SVG版) 京都伏見付近拡大図 宇治線(うじせん)は、京都府京都市伏見区の中書島駅から京都府宇治市の宇治駅までを結ぶ京阪電気鉄道の鉄道路線である。 京都・大阪から宇治周辺の名所への行楽路線であり、また京都市伏見区・山科区南部や宇治市北部の宇治川右岸と京都市中心部や大阪方面を結ぶ通勤・通学路線でもある。六地蔵 - 宇治間が西日本旅客鉄道(JR西日本)の奈良線と並行している。.
仏壇
仏壇(ぶつだん)とは、.
仏教絵画
仏教絵画(ぶっきょうかいが)とは、仏教を題材とした絵画である。寺院の壁画、絹、紙、板に描いた絵画、版画等を含む。.
以仁王の挙兵
以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)は、治承4年(1180年)に高倉天皇の兄宮である以仁王と、源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した事件。 計画は準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、早期に鎮圧された。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まる。以仁王の乱、源頼政の挙兵とも呼ばれる。.
新しい!!: 平等院と以仁王の挙兵 · 続きを見る »
伊藤久右衛門
株式会社伊藤久右衛門(いとうきゅうえもん)は、京都府宇治市に本社をおく企業。.
新しい!!: 平等院と伊藤久右衛門 · 続きを見る »
伊藤延男
伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015年10月31日)は、日本の建築史学者、文化財保護者、文化功労者。 愛知県名古屋市出身。1947年東京帝国大学工学部建築学科卒業後、国立博物館に入り、奈良国立文化財研究所建造物研究室長、1961年「中世和様建築の研究」で東京大学工学博士。1971年文化庁文化財保護部建造物課長、1978年東京国立文化財研究所所長。87年定年退官、名誉研究員、神戸芸術工科大学教授、同名誉教授。2004年文化功労者。2012年ガッゾーラ賞受賞。 文化財保護振興財団理事、文化財建造物保存技術協会理事長。国際記念物遺跡会議(イコモス)副会長。文化財の保存修復に関する国際交流にも尽力、文化財保存と研究で国際交流を進めた。.
強訴
強訴(ごうそ)とは強硬な態度で相手に訴えかける行動を指す。「嗷訴」とも。とくに、平安時代中期以後、僧兵・神人らが仏神の権威を誇示し、集団で朝廷・幕府に対して行なった訴えや要求、江戸時代に農民が領主に対して年貢減免などを要求したことを指す。.
伽藍
法隆寺西院伽藍。正面が中門 伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。サンスクリット語のの音写で、「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」「僧伽藍」が略されて「伽藍」と言われた。漢訳の場合は「衆園(しゅおん)」「僧園(そうおん)」などと訳された例があるが、通常「伽藍」とのみ呼ばれる。.
後白河天皇
後白河天皇(ごしらかわてんのう、大治2年9月11日(1127年10月18日) - 建久3年3月13日(1192年4月26日)、在位:久寿2年7月24日(1155年8月23日) - 保元3年8月11日(1158年9月5日))は平安時代末期の第77代天皇。諱は雅仁(まさひと)。鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、異母弟・近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、譲位後は34年に亘り院政を行った。その治世は保元・平治の乱、治承・寿永の乱と戦乱が相次ぎ、二条天皇・平清盛・木曾義仲との対立により、幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権を果たした。政治的には定見がなくその時々の情勢に翻弄された印象が強いが、新興の鎌倉幕府とは多くの軋轢を抱えながらも協調して、その後の公武関係の枠組みを構築する。南都北嶺といった寺社勢力には厳しい態度で臨む反面、仏教を厚く信奉して晩年は東大寺の大仏再建に積極的に取り組んだ。和歌は不得手だったが今様を愛好して『梁塵秘抄』を撰するなど文化的にも大きな足跡を残した。.
後醍醐天皇
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.
保元の乱
保元の乱(ほうげんのらん)は、平安時代末期の保元元年(1156年)7月に皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変である。この公家の内部抗争の解決に武士の力を借りたため、武士の存在感が増し、後の約700年に渡る武家政権へ繋がるきっかけの一つとなった。.
信濃村上氏
信濃村上氏(しなのむらかみし)は、戦国時代の村上義清に代表される河内源氏の庶流村上氏の嫡流を指す。.
修学旅行
修学旅行(しゅうがくりょこう)は、日本において小学校、中学校、高等学校の教育や学校行事の一環として、教職員の引率により児童・生徒が団体行動で宿泊を伴う見学・研修のための旅行。特に「宿泊を伴うこと」「行き先がある程度遠隔地であること」で遠足や社会見学とは区別され、「宿泊施設が野営地ではないこと」で野外活動と区別される。 修学旅行の風景の一例(山口県・秋吉台).
俺の屍を越えてゆけ
『俺の屍を越えてゆけ』(おれのしかばねをこえてゆけ)は、1999年にソニー・コンピュータエンタテインメントより発売されたPlayStation用ロールプレイングゲーム。通称「俺屍(オレシカ)」。ゲームデザインは桝田省治、開発はアルファ・システム。 平安時代の日本をベースとした独特の世界観やキャラクター、健康度に代表される独自のゲームシステムで知られる。タイトルの由来は、週刊少年ジャンプの読者コーナーを担当している「どんちゃん」(井沢ひろし)が、桝田と喫茶店かどこかで打ち合わせをしているときに、「なんていうかもう、俺の屍を越えてゆけって感じですよ!」とか話しているのを聞いて、「あ、そのフレーズいいな。頂き」というわけで付けたタイトル名とのこと。 2007年2月22日からはゲームアーカイブスでダウンロード販売(当初はPSPのみ対応、4月26日よりPLAYSTATION 3に追加対応)されている。2011年11月10日に、PS版のスタッフによるPSP版リメイクが発売された。2014年7月17日には続編の『俺の屍を越えてゆけ2』が発売された。.
新しい!!: 平等院と俺の屍を越えてゆけ · 続きを見る »
念仏
念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"buddha-anusmRti"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。日本では一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称える「称名念仏」を指すことが多い。.
園城寺
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市園城寺町にある、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。 開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩である。日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所である。また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。 なお一般には「三井寺(みいでら)」として知られるため、本文では「三井寺」の呼称を用いる。.
ナイト=ゴーント
『ナイト=ゴーント』は著者・篠山半太、イラスト・倦怠類のライトノベル。はやぶさ書房よりAmazon Kindleにて発売されている。Kindle unlimited対象作品。第八回集英社スーパーダッシュ文庫小説新人賞最終選考作。.
新しい!!: 平等院とナイト=ゴーント · 続きを見る »
レゴランド・ジャパン
レゴランド・ジャパンは、名古屋市港区金城ふ頭二丁目にあるレゴブロックのテーマパーク。世界で8番目に開業したレゴランドである。.
新しい!!: 平等院とレゴランド・ジャパン · 続きを見る »
パーサくん
パーサくんは、Jリーグチーム京都サンガF.C.のマスコットである。本項目においては、同じく京都サンガF.C.のマスコットであるコトノちゃんについても説明する。.
別荘
別荘(べっそう、英語:cottage、villa、ラテン語:vīlla)とは、普段生活している家とは別に、比較的短期的な避暑・避寒・保養・休養などの目的で気候や風景のよい土地、温泉地などに作られた一戸建ての家。本質は日常生活を送る住居ではなく、余暇のためのレジャー施設である。 現代日本語の場合、集合住宅の形をとる別荘をリゾートマンションと呼ぶ。.
喜撰山ダム
喜撰山ダム(きせんやまダム)は、京都府宇治市、淀川水系寒谷川に建設されたダム。 高さ91メートルのロックフィルダムで、関西電力(関電)の揚水式水力発電所・喜撰山発電所の上池を形成。下池・天ヶ瀬ダム(鳳凰湖)との間で水を往来させ、最大46万6,000キロワットの電力を発生する。.
善導寺 (郡山市)
善導寺(ぜんどうじ)は、福島県郡山市清水台に所在する浄土宗の寺院。正式には光明山悟真院善導寺。.
新しい!!: 平等院と善導寺 (郡山市) · 続きを見る »
和様建築
西明寺本堂(滋賀県、国宝) 鎌倉時代初期 側柱を長押で固め、蔀戸を多用した典型的な和様仏堂 霊山寺(奈良県、国宝)弘安6年(1283年)伝統的な和様を順守した保守的な建築。 霊山寺本堂の細部 組物は尾垂木付きの二手先とする。頭貫の木鼻には大仏様の要素がみられる 和様建築(わようけんちく)とは、鎌倉時代に中国から伝わった建築様式(大仏様、禅宗様)に対して、それまで日本で寺院建築に用いられてきた寺院建築の様式を指す。単に和様(わよう)とも呼ばれた場合には和様建築のことを指す場合もある。.
イーゴリ・ストラヴィンスキー
イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー(И́горь Фёдорович Страви́нский、1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシアの作曲家。 同じくロシアの芸術プロデューサーであるディアギレフから委嘱を受け作曲した初期の3作品(『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』)で知られるほか、指揮者、ピアニストとしても活動した。20世紀を代表する作曲家の1人として知られ、20世紀の芸術に広く影響を及ぼした音楽家の1人である。ニューヨークで没した。.
新しい!!: 平等院とイーゴリ・ストラヴィンスキー · 続きを見る »
カリフォルニア小町
リフォルニア小町(かりふぉるにあこまち)は、ナタリー、ジゼル、ローラ、アシュレー、ジャクソンによる5人組のインディーズサーカス団。略称は「カリコマ」。.
新しい!!: 平等院とカリフォルニア小町 · 続きを見る »
シカゴ万国博覧会 (1893年)
博覧会場。西洋建築の各パビリオンに囲まれた池の浮島に日本館が見える。 フェリスが設計した大観覧車 アメリカ初披露となったベリー・ダンスも人気を集めた シカゴ万国博覧会(シカゴばんこくはくらんかい、World's Columbian Exposition、Expo 1893)は、1893年5月1日から10月3日までアメリカ合衆国イリノイ州のシカゴで開催された国際博覧会である。中心テーマは、科学技術の発展と工業への応用岩本裕子、駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会、1993-04。コロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念して催されたため、シカゴ・コロンブス万国博覧会とも呼ばれる。19ヶ国が参加し、会期中2750万人が来場した。正式名称のWorld's Columbian Expositionは、閣龍世界博覧会、世界コロンビア博覧会などと訳されている。.
新しい!!: 平等院とシカゴ万国博覧会 (1893年) · 続きを見る »
セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん
『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(セクシーコマンドーがいでん すごいよ!!マサルさん)は、うすた京介による日本の漫画作品である。.
新しい!!: 平等院とセクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん · 続きを見る »
ゆく年くる年
台本内の絵コンテとコメント例。鐘のタイミングなどが事前に決められている 『ゆく年くる年』(ゆくとしくるとし)は、年末年始の12月31日23:45から翌年1月1日0:15まで(一部例外あり)NHKで生放送されている年越し番組である。同じタイトルで民放各局が共同ないしは独自に放送する番組もあるが、ここではNHKの番組について言及する。.
新しい!!: 平等院とゆく年くる年 · 続きを見る »
円 (通貨)
円(えん)は、日本の通貨単位。通貨記号は¥(円記号)、ISO 4217による通貨コードはJPY。旧字体では圓、ローマ字ではyenと表記する。しばしば日本円(にほんえん)ともいう。 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)により「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする。」と定められている(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第1項)。.
新しい!!: 平等院と円 (通貨) · 続きを見る »
円浄
圓淨(えんじょう、文治5年(1189年) - 建長8年4月19日(1256年5月15日))は平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての天台宗の僧。近衛基通の子。円満院僧正と称された。 恒恵のもとで受戒し、円満院に入る。建仁2年(1202年)5月17日に権少僧都から権大僧都に昇進。その後権僧正に進み、安貞2年(1228年)11月、後堀河天皇の護持僧となる。貞永元年(1232年)10月2日、僧正に任ぜられ、園城寺の長吏となる。嘉禎2年(1236年)10月7日には四条天皇の護持僧に補され、寛元5年(1247年)平等院執印となった。建長8年(1256年)4月19日、68歳で入寂。.
内原智史
内原智史(うちはら さとし、1958年6月1日 - )は、日本のライティングデザイナー。京都府出身。多摩美術大学デザイン科卒。内原智史デザイン事務所・所長。 六本木のクリスマスイルミネーション、表参道ヒルズ、羽田空港ターミナルの照明、金閣寺、銀閣寺、平等院鳳凰堂のライトアップなどを手がけ、『光の魔術師』と呼ばれるプロフェッショナル 仕事の流儀2006年5月18日放送より 。福島市飯坂温泉の十綱橋のライトアップも指導した。 建物を照らさず本質を照らす事を信念とし、建物だけでなく周囲の街を自らの足で入念にリサーチし照明方法を決める。 この信念にたどり着いた転機は平等院鳳凰堂の仕事をした際。初めは鳳凰堂自体を照らそうと思ったが、悠久の歴史をなんとか表現できないかと考え、鳳凰堂の前の池に照明を当てた。池に反射された光により浮かび上がる鳳凰堂を見た時、自らが一番に見とれてしまい、建物ではなくその奥の本質を照らすことが大切という考えに到達したという。 羽田空港のターミナルは敢えて暗い空間を作ることにより旅人に安らぎを与え、マンションの玄関の照明を決める際は終電の時間まで調べ、時間帯により照明の色、質を変えた(早い時間は住民が集ったり来客を迎えるような明るい華やいだ色であり、終電後は仕事帰りの人がホッとするような抑え目の照明で奥が照らされている)。 仕事に対する姿勢として、冷静でいながら熱くなれるかが大事だと語っている。.
光源氏物語本事
『光源氏物語本事』(ひかるげんじものがたりほんのこと)とは、『源氏物語』の注釈書(より厳密には注釈書『幻中類林』の中から本文や写本に関する事項を抄出した書物)である。.
新しい!!: 平等院と光源氏物語本事 · 続きを見る »
勝川春亭
勝川 春亭(かつかわ しゅんてい、生年不詳 - 文政7年11月9日〈1824年12月28日〉)とは、江戸時代後期の浮世絵師。.
国宝
建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.
国宝への旅
『国宝への旅』(こくほうへのたび)は、1986年から1989年までの毎年上半期の木曜日にNHK総合テレビで放送された、日本各地の国宝を紹介する番組である。主にNHK大阪放送局が製作した。.
国宝彫刻の一覧
本項では、日本国の文化財保護法により1951年以降に国宝に指定された彫刻作品を国宝彫刻の一覧(こくほうちょうこくのいちらん)として概説する。 6世紀半ばの百済から日本への仏教公伝は、それまで停滞していた日本の彫刻に新風をもたらした。百済から渡来した僧侶、技術者、学者たちは朝廷があった大和国周辺に居住し、地元の職人らに新しい技術を伝えていった。その結果、飛鳥文化期(7世紀前半)の初期仏教彫刻群には、朝鮮半島を経由してもたらされた、中国南北朝時代の彫刻様式の影響がみられる。飛鳥寺本尊釈迦如来像(現存するが補修が甚大、重要文化財)、法隆寺金堂の『銅造釈迦如来及両脇侍像』を造った鞍作止利は渡来人系の仏師である。止利およびその工房の作風を止利式といい、杏仁形(アーモンド形)の目、仰月形(口角が上がった三日月形)の唇、左右対称の衣文(衣のひだ)などに中国、特に北魏後期様式からの色濃い影響が見られる。法隆寺夢殿の『木造観音菩薩立像(救世観音)』は、止利様式に似るが、衣の下の肉体の把握などに止利派とは異なった感覚が認められる。同じ法隆寺の『木造観音菩薩立像(百済観音)』は7世紀半ば頃の作品とされるが、止利派とは全く異なる作風を示すものである。以上のことから、飛鳥時代の彫刻には、北魏のみならず、中国、朝鮮半島のさまざまな彫刻様式が混在していると考えられる。 7世紀半ばから平城京に遷都する710年頃までの時代を日本美術史では飛鳥時代後期(白鳳文化期)または奈良時代前期という(「白鳳時代」とも)。この時代にはそれまで彫刻の素材として主流だった銅や木材に加えて、乾漆像や塑像も造られるようになる。当時の中国の王朝だった唐の初期には、豊麗な姿形、細い切れ長の目、柔和な表情、緩やかな衣服、腕輪や装飾類など、より写実的な様式が発展していった。この初唐様式の影響を受けた日本の彫刻としては、法隆寺大宝蔵院の『銅造観音菩薩立像(夢違観音)』及び『銅造阿弥陀如来及び両脇侍像(橘夫人念持仏)』、當麻寺の『塑造弥勒仏坐像』、興福寺の『銅造仏頭』(旧山田寺薬師如来像頭部)が挙げられる 。 奈良時代(710年から794年)に、朝廷は東大寺など各所に仏教彫刻を制作する施設である造仏所を設立し、これを庇護した。聖武天皇は仏教に深く帰依し、造寺、造仏、写経を勧め、「奈良の大仏」として知られる東大寺の銅造盧舎那仏坐像を造立した。造仏所では彫刻制作に銅だけではなく粘土(塑造)、乾漆、木材も使用していた。この頃の彫刻には盛唐の様式による影響が見られ、自然な人体把握、均整のとれた造形、そして天部像などにみられる現実感のある描写が特徴的である。この時期の代表作として、東大寺法華堂の『乾漆不空羂索観音立像』をはじめとする諸像、同寺戒壇堂の『塑造四天王立像』、興福寺旧西金堂の『乾漆八部衆立像』『乾漆十大弟子立像』、唐招提寺の『乾漆盧舎那仏坐像』『乾漆鑑真和上坐像』などがある。薬師寺の『銅造薬師如来及び両脇侍像』『銅造観音菩薩(聖観音)立像』については、様式と技法から、奈良時代作・飛鳥時代後期(白鳳期)作の両説がある。 平安時代には官製の造仏所ではなく寺院や市井の工房が仏像製作を担い、木材が主要な素材となるとともに、日本独自様式の彫刻が制作されるようになっていった。奈良時代以前に多くみられた銅造や塑造の仏像はまれになり、乾漆も木彫像の目鼻立ちや衣文などの細部表現に補助的に用いられることが多くなった。 9世紀末頃までの平安時代初期(かつては弘仁・貞観期とも称された)の彫刻作品と10世紀以降の平安時代後期(藤原時代)の彫刻作品には大きな違いがある。平安時代初期の仏像には、主要部分を一本の木材から制作し(一木造)、眼、唇などを除いて彩色を施さない檀像様と呼ばれる様式のものと、木彫に乾漆を併用した様式のものの、2つの大きな流れがある。前者の代表例には新薬師寺『木造薬師如来坐像』、神護寺『木造薬師如来立像』、法華寺『木造十一面観音立像』などがあり、後者の代表例には観心寺『木造如意輪観音坐像』、東寺講堂諸像などがある。作風は量感を強調した肉身表現、神秘的な面相、深く鋭利な衣文表現などに特色があり、衣文には太い波と細く鋭利な波を交互に表した翻波式(ほんぱしき)衣文、衣の端を渦状に表現した渦文などが現れる。この時代には近畿以外の地方にも仏像の遺例がみられるようになり、福島・勝常寺『木造薬師如来及び両脇侍像』はその代表例である。 10世紀半ば以降には、より穏やかで優美な表現の彫刻が見られるようになり、11世紀にはこの傾向が一段と強まる。この頃の仏師としては11世紀の定朝が最も重要で、頭・胴・脚部など像の主要部をそれぞれ複数の木材を組み合わせて制作する技法である寄木造を完成させた。定朝はその後発展する仏教彫刻の三流派、円派、院派、慶派の祖といえる。しかしながら、確実に定朝作と見なされている作品は平等院鳳凰堂本尊の『木造阿弥陀如来坐像』しか現存していない。 慶派の活躍により、日本の彫刻は鎌倉時代に大きな変革期を迎えた。一部に宋の影響を受け、精巧な頭部の巻髪、宝飾、波打つような衣服といった写実的な表現が特徴である。素材としては木材が主流だったが、青銅も使用されていた。また新しい要素として、著名な仏僧の肖像彫刻が仏像の脇侍として制作されたことがあげられる。 日本では1897年から特に優れた文化財を「国宝」に指定してきた。「国宝」という用語は1897年施行の古社寺保存法で初めて用いられた。古社寺保存法およびそれを継いだ国宝保存法に基づいて指定された「国宝」(いわゆる旧国宝)は現行法の「重要文化財」に相当する。1950年に施行された文化財保護法により、それまでに指定された「国宝」は「重要文化財」とされ、重要文化財の中で特に重要なものがあらためて国宝(いわゆる新国宝)に指定されるようになった。現在の国宝彫刻は文部科学大臣が「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(文化財保護法第27条第2項)として指定したもので、新制度による最初の国宝指定は1951年6月9日に行われた。 彫刻作品として、7世紀の飛鳥時代から13世紀の鎌倉時代までの作品128件が国宝指定されている。ただし、複数の彫刻で1件として国宝指定されているものも存在するため、実際の作品数は128件よりも多い。国宝指定されている彫刻は仏教や神道の創始者や神々を表現したもので、その中には直接中国から輸入された彫刻も含まれている小川ら (2009)。.
新しい!!: 平等院と国宝彫刻の一覧 · 続きを見る »
国宝絵画の一覧
本項では、日本国の文化財保護法により1951年以降に国宝に指定された絵画作品を国宝絵画の一覧(こくほうかいがのいちらん)として概説する。 日本では1897年以来、特に優れた有形文化財を「国宝」として指定してきた。国宝の定義、評価基準は年代とともに変化し、1950年に施行された文化財保護法のもと、それまでの国宝は重要文化財となり、重要文化財の中からあらためて国宝が指定されるようになった。同法に基づく国宝(いわゆる「新国宝」)の最初の指定は1951年6月9日に行われた。 国宝絵画は譲渡が制限されており、日本国外への輸出は文化財保護法第44条で禁止されている -->。所有者は絵画が損傷、紛失した場合には公表する義務があり、所有者の変更や、絵画の修復に必要な移動であっても、許可を得る必要がある 。 国宝は「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」として文部科学大臣が指定するもので、国宝絵画は8世紀の奈良時代から19世紀の江戸時代までの159件となっている(2012年9月指定分まで)。絵画で国宝指定されているのは159件だが、これは作品点数ではなく、文化財としての指定件数である。『十二天像』のように、複数の作品が1件の国宝に指定されている場合もあるため、実際の作品点数は159よりも多い。描かれている題材は、仏教画、山水画、肖像画、風俗画などがあり『源氏物語絵巻(隆能源氏)』のように特定の文学作品に取材した作品もある。中国から伝来した絵画も国宝に指定されている。国宝指定名称としての各絵画の題名は、『凍雲篩雪図』(浦上玉堂筆)など一部を除いて作者によるものではなく、各絵画の内容に基づいて後に命名されたものである。 6世紀半ばに百済から日本へ仏教が伝来し、同時に中国から仏教画ももたらされた。飛鳥時代前期から後期(白鳳期)にかけて(7世紀末頃まで)の日本絵画の遺品はきわめて少なく、法隆寺にある玉虫厨子(工芸品部門の国宝)の装飾画、絵画的表現を有するものとして中宮寺の天寿国繍帳(工芸品部門の国宝)などが挙げられるにすぎない。これら最初期の仏教画には中国の作風、特に南北朝時代から隋(581年 - 618年)の仏教画の影響がみられる。白鳳期から奈良時代(7世紀末から8世紀)に日本で描かれた絵画には唐(615年 - 907年)の影響が見られ、『'''高松塚古墳壁画'''』や『麻布著色吉祥天像』などは、典型的な唐様式の絵画となっている。奈良時代に描かれた現存する絵画のほとんどは仏教を主題としており、その作者は不明なものがほとんどである。奈良時代の芸術作品は、彫刻の現存するものが比較的多いのに対し、絵画の現存例は少ない。法隆寺金堂壁画(重要文化財)はこの期の作品であったが1949年に焼損した。9世紀はじめの平安時代以降、中国風の絵画は「唐絵」として日本絵画の中で一つの様式を形成するにいたった。。 8世紀から9世紀の平安時代初期には純粋密教である真言宗、密教の要素をもつ天台宗がそれぞれ空海と最澄によって唐からもたらされ、曼荼羅が多く描かれるようになる。浄土教の発展は来迎図の様式を発達させ、1053年に平等院の『鳳凰堂中堂壁扉画』に描かれた「九品来迎図」に見られるように、西方浄土の阿弥陀如来を題材とした絵画も多く描かれるようになった。平安時代中期にはそれまでの唐絵から、襖絵や屏風絵に見られるように日本独自の「大和絵」が主流になっていく。平安時代末期の1185年ごろには、大和絵が絵巻物の挿絵として描かれることが盛んになった。『源氏物語』を題材にした『源氏物語絵巻』が特に有名で、他にも応天門の変を描いた『伴大納言絵詞』などの歴史的事件を題材にしたものや『紙本著色餓鬼草紙』のように宗教を題材とした絵巻物が存在する。絵巻物は鎌倉時代(1185年頃 - 1333年)になるまで作成されていたが、奈良時代と同様に絵画よりも彫刻のほうが芸術作品としては好まれていた。 その後、宋、元の影響を受けた、墨のみの単色で描かれた水墨画が、それまでの多色絵巻物よりも隆盛を見せ始める。室町時代の14世紀終わりには、中国で様式が完成された山水画が、画僧によって日本独自の発展を遂げた。国宝指定の『竹斎読書図』、『山水図(水色巒光図)』の作者に帰される室町時代の禅僧の周文と、その弟子で『四季山水図巻(山水長巻)』ほか6点が国宝絵画に指定されている雪舟が、もっともよく知られる当時の画僧である。初期の日本絵画と同様に水墨画の多くは寺院のために描かれたものであったが、室町時代後期の1573年ごろには禅寺から散逸し、狩野派の画家たちの手本となっていった。 それまでの時代と対照的に、安土桃山時代(1568年 - 1603年)の絵画は金銀箔を大量に使用した、極彩色で雄大なものである。大規模な絵画が戦国大名の城郭の装飾として用いられた。この時代以降、有力武家の保護を受けた狩野派は300年にわたって日本絵画の主流を占めることになる。大規模で多色使いの絵画の流行は江戸時代(1603年 - 1868年)になっても続き、俵屋宗達、尾形光琳を代表とする琳派は、平安時代の古典的日本文学を主題とした題材を鮮やかな色使いで描き出している。18世紀には宋の文人画が日本にもたらされ、南画として成立した。南画の代表的な画家としては池大雅、与謝蕪村があげられる。.
新しい!!: 平等院と国宝絵画の一覧 · 続きを見る »
国宝探訪
『国宝探訪』(こくほうたんぼう)は、2000年4月1日から2003年4月5日までNHK教育テレビで放送されていた教養番組である。 毎回様々な国宝の魅力を、時代背景・風土・作者の意図といった多彩な視点から紹介していた。.
国際博覧会
国際博覧会(こくさいはくらんかい、, )は、国際博覧会条約(BIE条約)に基づいて行われる複数の国が参加する博覧会である。万国博覧会(ばんこくはくらんかい)とも呼ばれ、略称は国際博、万国博、万博(ばんぱく)など。.
国風文化
国風文化(こくふうぶんか)とは、日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中心とする文化であり、12世紀の院政期文化にも広く影響を与えた。 江戸時代から用例はあるが、「国風文化」という用法は小島憲之の『国風暗黒時代の文学』により国文学史の分野で一般的となり、その後歴史や美術史へ転用された。原義の「国風」とはくにぶり(地方の習俗)の意味であり「雅(みやび)」に対置される概念であるが、日本での国風文化は雅風への展開という意味合いで使われている。.
皇覚
皇覚(こうかく、生没年未詳)は、平安時代後期の天台宗の僧。歌人として著名な藤原基俊の子。法橋。.
知られざる物語 京都1200年の旅
『知られざる物語 京都1200年の旅』(しられざるものがたり きょうとせんにひゃくねんのたび)とはBS朝日で、2011年10月11日から2014年9月30日まで火曜日22:00 - 22:54に放送されていた紀行番組である。.
新しい!!: 平等院と知られざる物語 京都1200年の旅 · 続きを見る »
石井梅蔵
石井 梅蔵(いしい うめぞう、1896年 - 1976年)は、日本の篤農家・発明家・実業家・工芸家。酒田市局惣田に『石井梅蔵記念館』がある。石井製作所(創業者)。.
灯籠
篭(香川県/琴平町)1865年(慶応元年)完成で三階建て。重要有形民俗文化財 灯籠(とうろう)は、日本の伝統的な照明器具の一つ。「灯」を旧字体で「燈」、「籠」を異体字で「篭」と表記する場合もある。本項では固有名詞以外は「灯籠」の表記で統一する。.
神宮徴古館
宮徴古館(じんぐうちょうこかん)は、伊勢神宮の公益事業であり、神宮の宗教法人としての規則である神宮規則第63条によると、「神宮の由緒並びに日本文化の変遷を徴する資料を陳列保存して一般の観覧に供する外産業の振興発展に資する事業を行い、文化の向上を図るを目的」とし、神宮崇敬の歴史および日本の文化を展示する「歴史と文化の総合博物館」である。 付随する神宮農業館(じんぐうのうぎょうかん、農業館とも)は同規則の第63条によると、「農業、水産、林業等に関する資料を陳列保存して一般の観覧に供する外産業の振興発展に資する事業を行い、文化の向上を図るを目的」とし、「自然の産物がいかに役立つか」を主題とし、伝統的な稲作などに関する物品の収集保管、展示公開を行なっている。 敷地内には芸術家から伊勢神宮へ奉納された作品を収蔵・展示するための式年遷宮記念神宮美術館(しきねんせんぐうきねんじんぐうびじゅつかん、美術館とも)もある。同規則の第63条の2によると、「神宮美術館は、式年遷宮ごとに当代一流の美術品を収集及び保管展観するとよもに、わが国の美術工芸を研究し、日本文化の発展に資するを目的とする」。 現在の建物は、徴古館が1953年(昭和28年)に復旧、農業館が1996年(平成8年)に縮小移設されたもので、1909年(明治42年)の開館当初のものとは一部異なる。.
神仏霊場巡拝の道
仏霊場巡拝の道(しんぶつれいじょうじゅんぱいのみち)とは、伊勢神宮(特別参拝)、および近畿地方の150の社寺を巡る霊場である。 宗教学者の山折哲雄の提唱により、明治維新以前の神仏同座、神仏和合の精神の復活を目指し、近畿を中心とした125の社寺により、平成20年(2008年)3月2日に神仏霊場会が設立され(初代会長は東大寺長老の森本公誠)、その後、151の社寺に拡大した上で、同年9月8日に伊勢神宮にて発足奉告式典が行われた。.
新しい!!: 平等院と神仏霊場巡拝の道 · 続きを見る »
禅定寺 (京都府宇治田原町)
禅定寺(ぜんじょうじ)は京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺にある曹洞宗の寺院である。山号は補陀洛山、院号は観音妙智院。開山は平崇。本尊は十一面観音。宇治田原町の郊外、滋賀県境に近い位置にある。近世以降は曹洞宗の禅寺となっているが、元は東大寺の末寺であり、平等院や藤原摂関家ともゆかりの深い寺院で、本尊十一面観音立像をはじめ、平安時代にさかのぼる仏像群を有する。.
新しい!!: 平等院と禅定寺 (京都府宇治田原町) · 続きを見る »
秋山光和
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者、東京大学名誉教授。日本美術史専攻。.
空から日本を見てみよう
『空から日本を見てみよう』(そらからにほんをみてみよう)は、テレビ東京系列で放送されたバラエティ番組・紀行番組である。 本項では、BSジャパンで、続編として現在放送されている『空から日本を見てみよう plus』(そらからにほんをみてみよう プラス、以下『plus』と表記)、外編として放送されていた『くもじいの休日 空から伊勢志摩を見てみよう』(くもじいのきゅうじつ そらからいせしまをみてみよう、以下『くもじいの休日』と表記)についても記述する。それらの内容は共通のものが多いが、「地上波レギュラー時代」と示した場合はテレビ東京系列で放送されていた内容のみに対する記述である。.
新しい!!: 平等院と空から日本を見てみよう · 続きを見る »
縣神社 (宇治市)
縣神社(あがたじんじゃ)は、京都府宇治市宇治蓮華にある神社である。社格は旧村社。.
新しい!!: 平等院と縣神社 (宇治市) · 続きを見る »
織姫神社 (足利市)
織姫神社から眺めた足利市街地と渡良瀬川 織姫神社(おりひめじんじゃ)は、栃木県足利市西宮町にある神社である。.
新しい!!: 平等院と織姫神社 (足利市) · 続きを見る »
義経 (NHK大河ドラマ)
『義経』(よしつね)は、2005年1月9日から12月11日に放送された44作目のNHK大河ドラマである。原作は宮尾登美子で、脚本は金子成人が手掛けた。.
新しい!!: 平等院と義経 (NHK大河ドラマ) · 続きを見る »
義経=ジンギスカン説
義経=チンギス・ハン説(よしつね=チンギス・ハンせつ)は、モンゴル帝国の創始者で、イェスゲイの長男といわれているチンギス・ハーン(成吉思汗)(1155年以降1162年までの間 - 1227年8月12日)と、衣川の戦いで自害したという源義経(1159年 - 1189年6月15日)が同一人物であるという仮説、伝説である。信用に足らない俗説・文献が多く、源義経=チンギス・ハン説は否定されているが、関連する文献には信用・信頼できるものとできないものがあり、整理と注意を要する。.
新しい!!: 平等院と義経=ジンギスカン説 · 続きを見る »
羽柴誠三秀吉
羽柴 誠三 秀吉(はしば せいぞう ひでよし)や羽柴 秀吉名義の政治活動で知られる三上 誠三(みかみ せいぞう、1949年10月11日 - 2015年4月11日)は、日本の実業家、政治活動家である。 羽柴企業グループ社主として羽柴観光小田川温泉株式会社(旅館「秀吉のやかた」)や東北興産建設株式会社などを経営していた。また、公認候補者として所属した自由連合では幹事を務めた。.
新しい!!: 平等院と羽柴誠三秀吉 · 続きを見る »
翼
メの翼。揚力を発生させる構造を見ることが出来る 翼(つばさ)は、鳥や航空機などの飛翔体が備え、空気中での飛行のために使用される構造。さらに広義の用法もある。文脈によっては「ヨク」とも読む。.
翼廊
翼廊(よくろう)とは、翼のように飛び出した形で、主屋に対して付加された建造物。回廊の一種ともされる。.
県祭り
梵天渡御(都年中行事画帖 1928年) 県祭り(あがたまつり)は、毎年6月5日から翌6日にかけて行われる京都府宇治市の祭。灯火を消した暗闇のなかで行なわれる暗闇祭のひとつ。.
生長の家宇治別格本山
生長の家宇治別格本山(せいちょうのいえうじべっかくほんざん)は京都府宇治市にある宝蔵神社を中心とする生長の家の別格本山。.
新しい!!: 平等院と生長の家宇治別格本山 · 続きを見る »
無量寿院
無量寿院(むりょうじゅいん)は阿弥陀仏(無量寿仏)に由来する寺院の称号。この号を持つ寺院は各地に存在、またはかつて存在したが、なかでも藤原道長が寛仁4年(1020年)に建立した無量寿院(法成寺阿弥陀堂)と、12世紀に元海が開いた醍醐寺五門跡の一である無量寿院が著名である。.
無量光院跡
無量光院跡 (2016年6月撮影) 無量光院跡(むりょうこういんあと)は、岩手県平泉町にある史跡である。 無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院であった。当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院であったが、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみである。 寺院跡は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されている2004年(平成16年)9月30日および2006年(平成18年)1月26日追加指定。。2011年(平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。.
白川金色院
白川金色院(しらかわこんじきいん)は京都府宇治市白川にあった寺院。1102年に藤原頼道の娘の四条宮寛子によって平等院の奥院として建立されたため、白川別所とも呼ばれる。1460年に放火によって焼失し、再興されたものの明治の廃仏毀釈により廃寺となった。1993年から宇治市による発掘調査が行われており、現在は惣門と九重石塔が現存している。.
花山院師賢
花山院 師賢(かざんいん もろかた)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。内大臣花山院師信の二男で、母は僧恵一(五辻忠継の子)の女である。後醍醐天皇の討幕計画に参加したが、幕府に拘束されて配所の下総で没した。.
荘園整理令
荘園整理令(しょうえんせいりれい)は、平安時代に発布された一連の法令のこと。 特に有名なものは、1069年(治暦5年.
菊池契月
菊池 契月(きくち けいげつ、1879年11月14日 - 1955年9月9日)は、明治後期から昭和中期にかけての日本画家。本名菊池(旧姓細野)完爾。.
青木香雪
青木 香雪(あおき こうせつ、本名:青木 徳太郎、1895年8月2日 - 1978年12月30日)は、日本の仏師。愛称は人形徳さん。.
頼政神社
政神社(よりまさじんじゃ)は、茨城県古河市錦町(観音寺町)にある神社。旧社格は村社である。もとは古河城南端の立崎曲輪(頼政曲輪とも言う)にあったが、 渡良瀬川の河川改修工事のため、大正元年(1912年)に古河城北端の現在地に移転された。.
行尊
行尊(ぎょうそん、天喜3年(1055年)- 長承4年2月5日(1135年3月21日))は、平安時代後期の天台宗の僧侶・歌人。平等院大僧正とも呼ばれる。.
飛天
飛天(法界寺) 薬師寺東塔水煙(模型) 飛天(ひてん)とは仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し、礼賛する天人。仏像の周囲(側壁や天蓋)に描写されることが多い。.
西川新次
西川 新次(にしかわ しんじ、1920年12月11日-1999年9月18日)は、日本彫刻史学者。 福井県武生市生まれ。1943年慶應義塾大学文学部哲学科(芸術学専攻)卒業、東京帝室博物館に採用、列品課勤務(技術雇員)。47年5月国立博物館陳列課勤務(文部技官)。 50年9月文化財保護委員会保存部美術工芸課に配置換。1962年8月文化庁文化財保護部美術工芸課修理主査。67年東京国立博物館学芸部資料課長。69-71年文化庁文化財保護部美術工芸課長。1971年慶應義塾大学文学部教授、86年定年退職、名誉教授。84-91年山梨県立美術館長。佐野美術館館長、醍醐寺霊宝館館長。.
高野切
野切(こうやぎれ)は、『古今和歌集』の現存する最古の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史、日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である。.
高陽院 (邸宅)
陽院(かやのいん)は、平安京にあった里内裏のひとつ。賀陽院(かやのいん)ともいう。西洞院大路の西・大炊御門大路の北に位置する、南北4町の大規模な邸宅だった。.
新しい!!: 平等院と高陽院 (邸宅) · 続きを見る »
鳳凰
鹿苑寺金閣屋上の鳳凰像。 紫禁城の鳳凰像。 中国 広西チワン族自治区の都市 南寧にある鳳凰の像。 鳳凰(ほうおう)は、中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。鳳皇とも。日本や朝鮮など東アジア全域にわたって、装飾やシンボル、物語・説話・説教などで登場する。.
鳳凰殿
鳳凰殿(ほうおうでん)は、1893年のシカゴ万博(コロンブス世界博覧会、閣龍世界博覧会)で、日本が平等院鳳凰堂をモデルに建築した建造物。.
近畿の史跡一覧
近畿の史跡一覧(きんきのしせきいちらん)は、近畿地方にある史跡を一覧形式でまとめたものである。.
新しい!!: 平等院と近畿の史跡一覧 · 続きを見る »
近畿百景
近畿百景(きんきひゃっけい)は、郵政省近畿郵政局が1985年(昭和60年)7月10日から9月10日までの2か月間実施した、公募による観光地選定事業。一般市民によるハガキでの投票で、約130万票(1,297,498)の応募があり、その票数に基づいて決定された。 最多となる56,776票を集めた「五老ヶ岳からの舞鶴湾」が1位に選出された。2位の兵庫県辰鼓楼との差は、10,295票だった。.
鈴木嘉吉
鈴木 嘉吉(すずき かきち、1928年12月23日- )は、日本の建築史学者。 東京出身。1952年東京大学工学部建築学科卒業。1961年「遺構の復原を主とした奈良時代寺院僧房の研究」で工学博士。奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長。文化庁文化財保護部建造物課長。同文化財監査官。奈良国立文化財研究所長。(財)文化財建造物保存技術協会理事。.
阿弥陀堂
阿弥陀堂(あみだどう、 阿彌陀堂) は、阿弥陀如来を本尊とする仏堂のこと。平安時代からの浄土信仰に伴って数多く建てられた。 阿弥陀堂の形式は大別して2つある。1つは、現世に阿弥陀仏を見て、かつ来世に極楽往生を遂げるために、主に修行を目的として造られたものであり、天台宗の常行堂(常行三昧堂)に始まる。もう1つは、この世に阿弥陀仏の極楽世界と、その荘厳を想像して造られたものであり、平等院鳳凰堂がその例である。.
阿弥陀如来
阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.
関野貞
関野 貞(せきの ただし、慶応3年12月15日(1868年1月9日) - 昭和10年(1935年)7月29日)は、日本の建築史学者、東大教授。文化財の保存に努めたことで知られる。.
門跡
跡(もんせき、もんぜき)は、皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職のことである。寺格の一つ。元来は、日本の仏教の開祖の正式な後継者のことで「門葉門流」の意であった(この場合は門主とも)。鎌倉時代以降は位階の高い寺院そのもの、つまり寺格を指すようになり、それらの寺院を門跡寺院と呼ぶようになった。 浄土宗の知恩院門跡は浄土門主(もんす)という。 浄土真宗本願寺派の本願寺住職は門主(もんしゅ)、真宗大谷派の僧侶及び門徒の代表者は門首(もんしゅ)と書き、いずれも親鸞の子孫の大谷家から出ている。.
藤原家成
藤原 家成(ふじわら の いえなり)は、平安時代末期の公家。参議・藤原家保の三男。官位は正二位・中納言。中御門を号す。.
藤原秀衡
藤原 秀衡(ふじわら の ひでひら)は、平安時代末期の武将。奥州藤原氏第3代当主。鎮守府将軍、陸奥守。藤原基衡の嫡男。.
藤原頼通
藤原 頼通(ふじわら の よりみち)は、平安時代中期から後期にかけての公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。 父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇・後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。現代に残るその栄華の象徴が頼通が造営した平等院鳳凰堂である。 しかし、天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったばかりか、刀伊の入寇・平忠常の乱・前九年の役など戦乱が相次ぐなど、朝廷の内外からそれまでの絶対的な権力体制を揺さぶられる事態が生じた。そこに加えて晩年には頼通と疎遠な後三条天皇が即位したこともあり、摂関家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士の台頭の時代へと移ることになる。.
致平親王
致平親王(むねひらしんのう、天暦5年(951年)- 長久2年2月20日(1041年3月24日))は、平安時代の皇族。村上天皇の第三皇子、母は更衣正妃(左大臣藤原在衡女)。冷泉天皇・円融天皇らの異母兄弟。同母兄弟姉妹に保子内親王(藤原兼家室)・昭平親王がいた。子に源成信(藤原道長の養子)、源致信、永円(園城寺平等院大僧正)。妻は源雅信の娘。法名は悟円。 康保2年(965年)、清涼殿において元服。このときの加冠を中納言源兼明が、理髪を頭中将源延光がそれぞれ務めた。同年、上野太守になる。康保4年、四品に叙される。安和2年(969年)帯剣を許される。天禄2年(971年)兵部卿に任ぜられる。貞元元年(976年)大宰帥になる。981年(天元4年)に園城寺の余慶に従って出家し、智弁に師事した。法名を悟円といい、明王院宮・法三宮と呼ばれた。出家に際し、徽子女王や中務から歌を贈られている。長久2年2月、91歳で薨去した。.
金鶏山
金鶏山(きんけいざん、きんけいさん).
酒呑童子
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「酒顚童子」 酒呑童子(しゅてんどうじ)は、丹波国の大江山、または山城国京都と丹波国の国境にある大枝(老の坂)に住んでいたと伝わる鬼の頭領、あるいは盗賊の頭目。酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた。文献によっては、酒顛童子、酒天童子、朱点童子などとも記されている。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、数多くの鬼共を部下にしていたという。.
通圓
通圓(つうえん)は、京都府宇治市にある茶屋。平治2年(1160年)創業。.
耕三寺
耕三寺(こうさんじ)は、広島県尾道市(生口島)に所在する浄土真宗本願寺派の仏教寺院。山号は潮声山(潮聲山)。1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」とも呼ばれる。このうち、山門・本堂をはじめ15の建造物が国の登録有形文化財として登録されている。また、仏像、書画、茶道具などの美術品・文化財を多数所蔵し、寺全体が博物館法による博物館となっている。.
院
院(いん)は、元の意味は高い垣に囲まれた大きな建築物のことで、そこから以下のような意味を表す。.
院覚
院覚(いんかく、生没年不詳) は、平安時代後期の院派仏師。院助の実子または弟子。.
院政期文化
『'''普賢菩薩像'''』(東京国立博物館蔵)普賢菩薩は法華経信者を守護するため白い象に乗って東方より現れると説かれていた。彩色や截金の美麗さに加え余白の情感が幻想的で優美だとされる。銀泥も素材の仲間入りをするが、酸化して黒ずんで見える。国宝。12世紀制作。 院政期文化(いんせいきぶんか)または平安末期文化(へいあんまっきぶんか)とは、平安時代末葉の11世紀後半から鎌倉幕府成立に至る12世紀末にかけての日本の文化。院政期は、日本社会史上、貴族勢力の衰退と武士勢力の伸長という過渡期に位置しており、文化の面でもこのような時代の気風を反映した新しい動きがみられた。.
JAL音舞台シリーズ
音舞台シリーズ(じゃるおとぶたいしりーず)は、毎年9月頃に京都・奈良の歴史建造建物である寺院を舞台に、国内・海外の一流アーティストを招いて行われるコンサートである。2010年から2011年までは10月開催となり、2012年以降からは9月上旬または8月末の開催となる。 主催は京都仏教会、毎日放送。 協賛は第1回から長年に渡り日本航空だったが、経営悪化などに伴い2009年までとなり、2012年以降、協力に留まっている。2010年からは大和証券グループが協賛を務める。2010年のみ東レも協賛に参加し、2011年のみLIXILも協賛に参加。.
新しい!!: 平等院とJAL音舞台シリーズ · 続きを見る »
林修のニッポンドリル
『林修のニッポンドリル』(はやしおさむのニッポンドリル)は、フジテレビ系列で2018年4月25日から毎週水曜日 19:57 - 21:00(JST)に放送されているクイズバラエティ番組である。東進ハイスクールの講師である林修の冠番組となる。 レギュラー開始前、2018年1月6日にパイロット版が放送された。.
新しい!!: 平等院と林修のニッポンドリル · 続きを見る »
東武ワールドスクウェア
ウェルカムスクウェア(園内入場口)に設置されているミュージックモニュメント。20分おきに開閉してバンドが演奏を行う。 東武ワールドスクウェア 世界建築博物館(とうぶワールドスクウェア せかいけんちくはくぶつかん、Tobu World Square)は、栃木県日光市鬼怒川温泉にある世界各国の遺跡や建築物を再現した日本のミニチュアパークである。.
新しい!!: 平等院と東武ワールドスクウェア · 続きを見る »
東海中学校・高等学校
東海中学校・高等学校(とうかいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、愛知県名古屋市東区に所在し、学校法人東海学園が運営する私立男子中学校・高等学校。高等学校は、中学校から内部進学した生徒と外部から入学した生徒を第2学年から混合してクラスを編成する、併設混合型中高一貫校(詳細は#その他を参照)。浄土宗教校の一つである。.
新しい!!: 平等院と東海中学校・高等学校 · 続きを見る »
板戸
板戸(いたど)は建具の一種で、板で作られた戸、扉。主に木の板で作られるが、一部にガラスや布・紙などを用いるものもある。.
格子戸
格子戸(こうしど)は、格子状の引き戸若しくは扉。 「格子」は古文書では、「隔子」と書かれていることが多く、元慶七年(884年)河内国観心寺縁起資財帳によると、如法堂の正面に「隔子戸」四具が建てられていたとある。 戸とあるから、蔀(しとみ)ではなく大陸様式の開き戸であったと考えられる。 寺院建築の正面には扉形式の格子戸が多用されるようになり、さらに『多武峰略記』によると、天禄三年に建立された双堂形式の講堂の内陣の正面に格子戸五間を建て込み、内陣と外陣の間仕切りに格子戸三具を建て込んでいた。 平安時代後期になると、引き違いの格子戸が広く使用されるようになった。 『源氏物語絵巻』『年中行事絵巻』などには、黒漆塗りの格子戸を引き違いに使ったり、嵌め込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。 天喜元年(1053年)藤原頼通が建立した、平等院鳳凰堂は四周の開口部には扉を設けているが、その内側に格子遣戸もあわせ用いている。 このような格子遣戸の用い方は、隔ての機能を果たしながら、採光や通風を得ることができる。機能としては、明かり障子の前身ともいうべきものである。 こうしと こうしど.
栗生明
栗生 明(くりゅう あきら、1947年11月22日 - )は、日本の建築家。栗生総合計画事務所・代表。千葉大学工学部デザイン工学科建築系名誉教授。.
栗林公園
栗林公園(りつりんこうえん)は、香川県高松市に所在し、国の特別名勝に指定された回遊式大名庭園(日本庭園)である『特別名勝 栗林公園』の栞、栗林公園観光事務所、2017年2月版。。県立の都市公園(歴史公園)として運営されている。.
栄山寺
栄山寺(えいさんじ)は、奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺院。藤原武智麻呂により創建された。山号は学晶山(がくしょうさん)。本尊は薬師如来。奈良時代の建築である八角堂(国宝)があることで知られる。.
梵鐘
滋賀・園城寺(三井寺)の「弁慶引き摺り鐘」(奈良時代) 梵鐘(ぼんしょう)は、東アジアの寺院などで使用される仏教法具としての釣鐘(つりがね)。撞木(しゅもく)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴。一般には除夜の鐘で知られる。 「梵」は梵語(サンスクリット)の Brahma (神聖・清浄)を音訳したものである。作られた国によって中国鐘、朝鮮鐘(高麗鐘・新羅鐘)、和鐘(日本鐘)と呼ばれる。別名に大鐘(おおがね)、洪鐘(おおがね、こうしょう)、蒲牢(ほろう)、鯨鐘(げいしょう)、巨鯨(きょげい)、華鯨(かげい)などがある。 法要など仏事の予鈴として撞(つ)くという、仏教の重要な役割を果たす。朝夕の時報(暁鐘 - ぎょうしょう、昏鐘 - こんしょう)にも用いられる。ただし、梵鐘は単に時報として撞かれたものではなく、その響きを聴く者は一切の苦から逃れ、悟りに至る功徳があるとされる。こうした梵鐘の功徳については多くの鐘の銘に記されている。 青銅製が多いが、小型のものにはまれに鉄製もある。小型のもの(一説には直径1尺7寸以下)は半鐘(喚鐘、殿鐘)といい、高い音で、用途も仏事以外に火事などの警報目的でも使われる。 響きをよくするために鋳造の際、指輪(金)を入れることがあるといわれ、江戸時代には小判を鋳込んだ例もある。雅楽と鐘の関係を記す文献もある。.
森巌寺 (世田谷区)
森巌寺(しんがんじ)は、東京都世田谷区代沢にある寺院。浄土宗に属し、1608年(慶長13年)に結城秀康の位牌所として建立された。江戸時代には灸と針供養、そして富士講で名高い寺として知られ、多くの参詣者で賑わったと伝わる Portal Tokyo、2013年9月29日閲覧。。毎年2月8日に行われる「森巌寺の針供養」は、世田谷区指定無形民俗文化財(風俗慣習)に指定されている。2006年(平成18年)には、境内にあった富士塚の発掘調査が実施された『森巌寺富士塚』、2頁。。この寺院の界隈は、「淡島の灸の森巌寺」として1984年(昭和59年)に「せたがや百景」に選定されている『せたがや百景』、23頁。『せたがや百景』、89頁。 世田谷区役所ウェブサイト013年10月5日閲覧。。.
新しい!!: 平等院と森巌寺 (世田谷区) · 続きを見る »
森万里子
森 万里子(もり まりこ、1967年 - )は、日本の美術家。.
椎本
椎本」(しいがもと)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第46帖。第三部の一部「宇治十帖」の第2帖にあたる。巻名は、薫が故八の宮を偲んで詠んだ和歌「立ち寄らむ陰とたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな」に因む。 この帖に登場する夕霧所有の別荘は、宇治川の岸辺、京の向こう岸にあることから平等院がモデルというのが通説となっている。.
極める
『極める』(きわめる)は、テレビ東京系列局ほかで放送されていたグレートデン製作の教養番組である。テレビ東京とテレビ愛知では1986年(昭和61年)から1995年(平成7年)まで、毎週金曜 22:00 - 22:30 (日本標準時)に放送。現在は、ヒストリーチャンネル(CS 342ch)で『極める 日本の美と心』が放送されている。 日本の文化財を紹介する番組で、奈良岡朋子と安田正利がナレーターを務めていた。放送当時は数少なかった文字多重放送による字幕放送を実施していた。 本項では、DVD版の新作である『新極める 日本の仏像百選』(しんきわめる にほんのぶつぞうひゃくせん)についても取り扱うこととする。.
武田五一
武田 五一(たけだ ごいち、1872年12月15日(明治5年11月15日) - 1938年(昭和13年)2月5日)は、日本の建築家・建築学者。.
死生観
死生観(しせいかん)とは、死を通した生の見方をいう。宗派によっては生死観(しょうじかん)ともいう。.
殿下渡領
殿下渡領(でんかわたりりょう)とは、藤原氏の氏長者である藤氏長者の地位に付随して伝領される所領のこと。摂籙渡荘(せつろくわたりしょう)とも。.
水野敬三郎
水野 敬三郎(みずの けいざぶろう、1932年3月29日- )は、日本の仏像美術史学者、東京芸術大学名誉教授、新潟県立近代美術館名誉館長。 東京生まれ。東京大学教養学部卒。同大学院人文科学研究科美術史に学ぶ。東京国立博物館学芸部美術課勤務、東京芸術大学美術学部教授、96年定年退官、名誉教授。新潟県立近代美術館館長、名誉館長。.
江里佐代子
江里 佐代子(えり さよこ、1945年7月19日 - 2007年10月3日)は日本の截金師。2002年に諸工芸の截金の分野で3人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。夫は仏師の江里康慧、子は同じく截金師の左座朋子。.
治承・寿永の乱
治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。古代最後の内乱であり中世最初の内乱である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至る。 一般的には「源平合戦(げんぺいかっせん、げんぺいがっせん)」あるいは「源平の戦い(げんぺいのたたかい)」などの呼称が用いられることがあるが、こうした呼称を用いることは適当でないとする議論がある(詳しくは後述)。また、奥州合戦終結までを治承寿永の乱に含めるという見解もある。.
新しい!!: 平等院と治承・寿永の乱 · 続きを見る »
法成寺
法成寺址、京都市上京区 荒神口通寺町通東入ㇽ北側 荒神町 法成寺(ほうじょうじ)は、平安時代中期に藤原道長によって創建された、摂関期最大級の寺院。道長の主邸土御門殿の東にあたる鴨川西岸(東京極大路の東)に建てられ、京極御堂とも称され、道長の異称「御堂殿」「御堂関白」やその子孫御堂流の由来ともなった。現在の京都市上京区東端にあった。荒神口通寺町東入の路傍、京都府立鴨沂高等学校校庭の塀際に法成寺跡を示す石標が立てられている。.
深谷光軌
深谷光軌(ふかや こうき、1926年 - 1997年)は、日本の造園家、作庭家。実家は寺で、得度し僧籍に入る。後住職を辞し、1962年、36歳になってから本格的に庭園の作庭を開始した。.
渡辺競
渡辺 競(わたなべ きおう/きそう)は、平安時代末期の武将。源頼政の家臣。.
源宗綱
源 宗綱(みなもと の むねつな、生年不明 - 治承4年5月26日(1180年6月20日))は、平安時代末期の摂津源氏の武将。源仲綱の嫡男。源頼政の嫡孫。官職は従五位下、左衛門尉、肥後守。源宗仲の父。 治承4年(1180年)5月、祖父・頼政、父・仲綱らは以仁王を擁して平家に叛旗を翻す(以仁王の挙兵)。宗綱はこの戦いに一家の嫡男として参加し奮戦するが、やがて衆寡敵せず敗北し、宇治平等院にて一族もろとも自害して果てた。 宗綱本人は若くして死去したが、孫の源宗重(蓮位)が親鸞の弟子となったことを契機に、その子孫は本願寺の重臣下間氏として発展する。戦国時代には一向一揆において中心的役割を果たし、さらに降って江戸時代には一族から池田重利が出て一万石を領し、大名に列した。 むねつな Category:下間氏 Category:平安時代の武士 Category:生年不明 Category:1180年没 Category:切腹した人物.
源仲家
源 仲家(みなもと の なかいえ)は、平安時代末期の河内源氏の武将。八条院蔵人。帯刀先生・源義賢の嫡男。源義仲(木曾義仲)の異母兄。源頼朝・義経の従兄弟にあたる。 久寿2年(1155年)、父・義賢が大蔵合戦で甥の源義平に襲撃され戦死すると、父と共に大蔵にいた2歳の異母弟・駒王丸(義仲)は逃れて中原氏に庇護される。母と共に京にいたと思われる仲家は摂津源氏の源頼政に保護され、その養子となって京で成長した。朝廷の官職として八条院蔵人をつとめていた。ただし『平家物語』は六条院蔵人としている。 治承4年(1180年)5月、以仁王と養父・頼政による挙兵計画が露見して、仁和寺にこもった際に、嫡男の仲光とともに馳せ参じた。のち以仁王らと奈良へ向かったが、5月17日、宇治平等院のあたりで平家の追討軍に追いつかれて仲光ともども戦死した。.
源仲綱
源 仲綱(みなもと の なかつな)は、平安時代末期の武将・歌人。源頼政の嫡男。母は源斉頼女。官位は正五位下、隠岐守、伊豆守。.
源兼綱
源 兼綱(みなもと の かねつな)は、平安時代末期の武将。丹後守源頼行の次男(あるいは三男、五男)。源頼政の養子。.
源兼行
源 兼行(みなもと の かねゆき、生没年不詳)は、平安時代中期の能書家。陽成源氏で、上総介・源延幹の子。子に兼任がいた。官位は正四位下・大和守。.
源融
源 融(みなもと の とおる)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。嵯峨天皇の皇子(嵯峨第十二源氏)。嵯峨源氏融流初代。.
源頼朝
源 頼朝(みなもと の よりとも)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。 河内源氏の源義朝の三男として生まれる。父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると、北条時政、北条義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。 これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれ、後に鎌倉幕府とよばれた。 頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。.
源頼政
源 頼政(みなもと の よりまさ)は、平安時代末期の武将・公卿・歌人。兵庫頭源仲政の長男。朝廷で平家が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称された。また、父と同じく「馬場」を号とし馬場頼政(ばば の よりまさ)ともいう。 保元の乱と平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として中央政界に留まった。平清盛から信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に昇り公卿に列した。だが、平家の専横に不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで挙兵を計画し、諸国の源氏に平家打倒の令旨を伝えた。計画が露見して準備不足のまま挙兵を余儀なくされ、そのまま平家の追討を受けて宇治平等院の戦いに敗れ自害した(以仁王の挙兵)。.
源重信
源 重信(みなもと の しげのぶ)は、平安時代中期の公卿。宇多天皇の皇子である式部卿・敦実親王の四男。官位は正二位・左大臣、贈正一位。六条左大臣と号す。.
源氏物語の写本
本記事では、源氏物語の写本について説明する。.
新しい!!: 平等院と源氏物語の写本 · 続きを見る »
滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線
滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線(しがけんどう・きょうとふどう3ごう おおつなんごううじせん)は、滋賀県大津市松原国道口交点を起点に京都府宇治市宇治橋西詰交点に至る主要地方道である。.
新しい!!: 平等院と滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線 · 続きを見る »
持仏堂
持仏堂(じぶつどう)は、日常的に礼拝する仏像(念持仏)や位牌を安置する堂(建物、部屋)。念誦堂(ねんずどう)とも呼ばれ、僧侶のみが礼拝する場合は内持仏堂とも呼ぶ。一般世人の家では、仏像や位牌を安置する仏間、あるいは仏壇を指して持仏堂と言うこともある。.
朝霧橋
朝霧橋(あさぎりばし)は、京都府宇治市にあり、1972年に宇治川に架けられた長さ74mの橋。平等院と宇治神社を繋いでいる。正しくは、宇治神社側から橘島までで、その続きは橘橋になる。.
朝日山
朝日山(あさひやま).
木食応其
木食応其(もくじきおうご、天文5年(1536年)- 慶長13年10月1日(1608年11月8日))は、安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名(法諱)を応其(應其)、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称。.
木村徳応
木村 徳応(きむら とくおう、文禄2年(1593年) - 没年不詳)は、日本の江戸時代前期に活躍した絵仏師。.
木村徳栄
木村 徳栄(きむら とくえい、生没年不詳)は、日本の江戸時代前期の絵仏師。.
截金
截金(きりかね、切金)は、細金(ほそがね)とも呼ばれ金箔・銀箔・プラチナ箔を数枚焼き合わせ細く直線状に切ったものを、筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法である。細い線状の截金と、三角形・菱形・丸型などの形に切った截箔・切箔(きりはく)、箔をある形に截り透かした裁文(さいもん)、これらを単独あるいは組み合わせて表した文様を截金文様と呼ぶ。日本においては特に仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するために発達してきた。現代では工芸品として利用されることも多く、京都市の伝統産業として京の手しごと工芸品に認定されている 。.
明尊
明尊(みょうそん、天禄2年(971年)- 康平6年6月26日(1063年7月24日))は、平安時代後期の天台宗の僧。父は兵庫頭・小野奉時で、三蹟・小野道風は祖父にあたる。.
春日神木
春日大社中門・御廊 春日神木(かすがのしんぼく)とは、奈良春日大社において、榊(もしくは梛)の枝に春日明神の御神体(依代)である神鏡を付けて注連をかけて神木とした物。強訴の際の神威として掲げられることも多かった。.
浄土式庭園
平等院庭園 浄土式庭園(じょうどしきていえん)とは、平安時代から鎌倉時代にかけて築造された日本庭園の形式である。学術論文ではよく「浄土庭園」という名称が用いられる。この方式の庭園は、仏教の浄土思想の影響を大きく受けたものであり、平等院鳳凰堂に代表されるように、極楽浄土の世界を再現しようとしたため金堂や仏堂をはじめとした寺院建築物の前に園池が広がる形をとっており、寝殿造形庭園、書院造庭園とともに、自然風景式庭園に分類される庭園形式である。.
浄土院
浄土院、淨土院(じょうどいん).
浄土教
浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.
浄瑠璃寺
浄瑠璃寺(じょうるりじ)は、京都府木津川市加茂町西小札場(にしお ふたば)にある真言律宗の寺院。山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人である。寺名は薬師如来の居所たる東方浄土「東方浄瑠璃世界」に由来する長谷川周、2000、『仏塔巡礼 西国編』、東京書籍 ISBN 4487795966 p.34。 本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)の通称があり、古くは西小田原寺とも呼ばれた。緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。本堂は当時京都を中心に多数建立された九体阿弥陀堂の唯一の遺構として貴重である。堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。.
文化遺産保護制度
アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されているフィラデルフィアの第一合衆国銀行 平等院鳳凰堂 日本の特別名勝に指定されている天橋立 文化遺産保護制度(ぶんかいさんほごせいど)では、公的機関による文化遺産の保護に関する制度について述べる。.
新しい!!: 平等院と文化遺産保護制度 · 続きを見る »
文化財
文化財(ぶんかざい)は、.
日向廃寺跡
日向廃寺跡(ひゅうがはいじあと)は、常陸平氏本流の多気氏が建立した阿弥陀堂建築の遺跡である。 12世紀後半から13世紀初頭に多気義幹によって、現在の茨城県つくば市北条に建立された日向廃寺は、当時の多気氏の隆盛を物語っている。間口三間に奥行四間の本堂の左右に翼廊がとりつく宇治平等院鳳凰堂の形式であり、軒丸瓦は三ツ巴文、軒平瓦は剣頭文であり、当時京都で生産されていた瓦の紋様の影響を受けている。 1979年(昭和54年)と翌年に発掘調査され、東西約40メートル、南北約10〜20メートルの範囲で、基壇上に建つ東西3間、南北4間の中央堂とその東西に翼廊を持つ礎石建築物跡として発見された。.
日本の寺院一覧
日本の寺院一覧(にほんのじいんいちらん)は、日本にある主要な仏教寺院の一覧である。 近世以前に成立した仏教各宗派の総本山・大本山級の寺院、日本の歴史、仏教史、文化史、美術史上重要な寺院、国宝などの重要な文化財を有する寺院、広く信仰を集め、日本の文化に重大な影響を与えた寺院などを取り上げている。.
新しい!!: 平等院と日本の寺院一覧 · 続きを見る »
日本の世界遺産
日本の世界遺産位置図 日本の世界遺産(にっぽんのせかいいさん、にほんのせかいいさん)は、ユネスコの世界遺産に登録されている日本国内の文化・自然遺産の一覧。:Category:日本の世界遺産に索引がある。.
新しい!!: 平等院と日本の世界遺産 · 続きを見る »
日本の仏教
日本の仏教(にほんのぶっきょう)について解説する。約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。伝統的な仏教の13宗は、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗である。幕末まで、日本は仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代であった。.
日本の建築家一覧
日本の建築家一覧(にほんのけんちくかいちらん)は、日本の建築家の一覧である。掲載順は、姓の五十音順。.
新しい!!: 平等院と日本の建築家一覧 · 続きを見る »
日本の国宝一覧
日本の国宝一覧(にほんのこくほういちらん)は、日本の国宝の一覧である。.
新しい!!: 平等院と日本の国宝一覧 · 続きを見る »
日本の硬貨
日本の硬貨(にほんのこうか)では、日本で流通している(若しくは過去に流通していた)硬貨について解説する。.
日本の美
日本の美(にほんのび)は、NHKで放送されていたテレビ番組。.
日本の観光地一覧
日本の観光地の一覧(にほんのかんこうちのいちらん)は、日本における観光地を地方行政単位ごとに分類した一覧である。.
新しい!!: 平等院と日本の観光地一覧 · 続きを見る »
日本の文化
本項では日本の文化全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。 分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。.
日本三大一覧
日本三大一覧(にほんさんだいいちらん)は、日本を代表する三つのものの一覧。.
新しい!!: 平等院と日本三大一覧 · 続きを見る »
日本庭園
庭式枯山水(龍安寺方丈石庭) 池泉回遊式(後楽園) 日本庭園(にほんていえん)とは、日本の伝統的な庭園である。和風庭園(わふうていえん)ともいう。.
日本建築史
日本建築史(にほんけんちくし)では、日本における建築の歴史を記述する。 住宅について詳しくは日本の住宅、神社については神社建築を参照。.
日本国指定名勝の一覧
日本国指定名勝の一覧(にほんこくしていめいしょうのいちらん)は、国(文部科学大臣)が文化財保護法に基づいて指定した名勝の一覧である。 特別名勝は太字で表記する。.
新しい!!: 平等院と日本国指定名勝の一覧 · 続きを見る »
日本美術
仏教美術(興福寺の阿修羅、734年) 日本美術には実に多様な種類がある。陶磁器、彫刻、絵画など、その種類は非常に多い。また長い歴史をもっており、日本に人間が住み始めた紀元前10000年頃から現在まで継承されている。.
日本美術史
日本美術史(にほんびじゅつし)とは、日本の美術の流れ、様式の変遷、各時代の代表的な作品や作家の研究、相互の影響関係、作品や作家を生んだ時代背景(政治、経済、信仰、風俗、社会、文学などとの関連)などについて述べたもの、またはそうした分野を研究する学問のこと。 本項では日本美術史の概観を述べるにとどめ、各時代の美術についてはそれぞれ別項目を設けて詳説する(予定)。.
日本美術全集
『日本美術全集』(にほんびじゅつぜんしゅう)は、1990年から1994年に講談社から刊行された日本美術史に関する全集。.
新しい!!: 平等院と日本美術全集 · 続きを見る »
日本芸術院賞
日本芸術院賞(にほん げいじゅついん しょう、旧字体:藝術院)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。卓越した芸術作品を作成した者または芸術の進歩に貢献した者に対して授与される。戦前は帝國藝術院賞(ていこく げいじゅついん しょう)といった。 昭和16年度にあたる1942年(昭和17年)の第1回から、第二次世界大戦の末期と直後(1945年 - 1947年)を除いて毎年授与されている。昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からは受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対して「恩賜賞」を授与するようになった。 恩賜賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賞状・賞牌・賞金が贈呈される。 授賞式は、天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、毎年6月に挙行される。 日本芸術院賞を受けると、その多くの者は後日、日本芸術院会員に推される。ただし日本芸術院会員は終身制で定員120と定められているため、日本芸術院賞受賞者全員が会員になれるとは限らない。.
新しい!!: 平等院と日本芸術院賞 · 続きを見る »
日本銀行券
壱万円券 日本銀行券(にほんぎんこうけん、にっぽんぎんこうけん)は、日本の中央銀行である日本銀行が発行する紙幣である。日本の法定通貨(円)である。.
日本遺産
日本遺産(にほんいさん、Japan Heritage)は、文化庁が認定した、地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーである。.
日本文化私観
『日本文化私観』(にほんぶんかしかん)とは、堕落論と並び称される坂口安吾によるエッセイの代表作。太平洋戦争下、超国家主義や伝統が盛んに叫ばれていた頃、伝統や国民性という概念の形骸や欺瞞に対して「法隆寺も平等院も焼けてしまつて一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい」、「やむべからざる実質がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。」と言い切った。桂離宮も見たことがなく、玉泉も大雅堂も竹田も鉄斎も知らず、日本の古代文化についてほとんど知識を持っていないと述べる安吾が日本文化とは何なのかを説く一冊。.
新しい!!: 平等院と日本文化私観 · 続きを見る »
拍板
説唱で使用される拍板 拍板(はくばん、パイバン)は中国の伝統的打楽器。八音では「木」に属する。数片の硬材や竹片からなり、相互に打ち鳴らし音を出す。材料には竹のほか、紫檀、紅木、花梨木などが使われ、2枚の板材を紐で結んで利用する。 その歴史は唐代まで遡ることができ西方からの流入ともいわれる。当時の民間楽「散楽」に使われ、五代の壁画では宮廷楽に使用されていたことが確認されている。 拍板は広範に民間の音楽、説唱、器楽合奏、劇音楽などに使用されている。 しばしば単皮鼓という鼓と組み合わせて使用され、「鼓板」と総称する。ひとりの奏者が右手で鼓をたたきながら左手で拍板を奏する。.
智満寺の十本スギ
智満寺の十本スギ(ちまんじのじゅっぽんスギ)は、静岡県島田市千葉の千葉山山中に散在するスギ(杉)の巨木10本の総称である 文化遺産オンライン、2013年12月8日閲覧。『天然記念物事典』、113頁。『日本の天然記念物5』、145-147頁。。千葉山の山中にある智満寺(天台宗)の開山や再建などの際に植栽されたものとの言い伝えがあり、推定の樹齢は1200年(開山スギ)、850年以上(他の9本)といわれる牧野(1988)、136-138頁。。1962年(昭和37年)に10本一括で国の天然記念物に指定されたが、指定後に「開山スギ」と「子持スギ」の2本が枯死している『自然紀行 日本の天然記念物』 193頁。高橋(2009)、78-80頁。高橋(2008)、60頁。。2012年(平成24年)9月、残る8本のうち「頼朝スギ」の倒木が報道された 静岡空港シティニュース、2013年12月15日閲覧。 月刊杉 web版、2013年12月15日閲覧。高橋(2014)、66-67頁。。.
新しい!!: 平等院と智満寺の十本スギ · 続きを見る »
1053年
記載なし。
1156年
記載なし。
11世紀
トスカーナ女伯マティルデ(右)とクリュニー修道院長(左)。 ウィリアム1世になる。 マーストリヒト大聖堂宝物室の写本外装。聖遺物崇敬の高まりとともにモザン美術と呼ばれるマース川流域の低地地方で生み出された金銀やエナメルの細工も巧緻なものとなった。この11世紀に造られた写本外装は現在はルーヴル美術館にある。 藤原道長。御堂関白とも通称された道長の時代に摂関政治は頂点に達した。画像は『紫式部日記』藤田家本第5段から1008年の一条天皇の土御門邸行幸に備え、新造の竜頭鷁首の船を検分する道長。 紫式部と『源氏物語』。かな文字の発達は日本独特の女流文学の発展を促した。画像は12世紀初頭に描かれた『源氏物語絵巻』「竹河」(徳川美術館蔵)。 宇治の平等院鳳凰堂。末法思想の高まりとともに阿弥陀仏の極楽浄土に往生すること(浄土思想)が求められた。平等院は関白藤原頼通によって建てられたもので、中心の鳳凰堂には仏師定朝の手による阿弥陀仏が安置されている。 遼の応県木塔。山西省応県の仏宮寺釈迦塔のことで章聖皇太后の弟蕭孝穆により建立された中国最古の木造の塔とされる。 仁宗の時期までに北宋は国制を整え、遼や西夏とは和平関係を結び、安定期を現出した。画像は仁宗の皇后曹氏(慈聖光献曹皇后)の肖像(台湾故宮博物院蔵)。 北宋の宰相・王安石。慢性的な財政難を克服するため神宗皇帝の熙寧年間に大改革を行った王安石だったが、司馬光らとの党争を惹起し、国内を混乱させることともなった。 山水画の大成。唐末五代から著しい進展を見せた山水画は北宋の李成・范寛・郭熙らの名手により高い技術と深い精神性を得ることになった。画像は台北国立故宮博物院蔵の郭熙の「早春図」。 敦煌楡林窟第3窟壁画「文殊菩薩」。仏教信仰に熱心だった西夏支配の敦煌では最後の繁栄の時代を迎えていた。 チャンパ王国の発展。11世紀初頭にヴィジャヤに遷都した王国はこの地に独特の文化を花開かせた。画像はビンディン省タイソン県にあるズオン・ロン塔で「象牙の塔」の名でも知られている。 カジュラーホーのパールシュバナータ寺院の塔(シカラ)。チャンデーラ朝のダンガ王と続く歴代の王によって建立された。 マフムードの宮廷。 『シャー・ナーメ(王書)』。11世紀初めにフェルドウスィーによってまとめられた長大なペルシア民族叙事詩。画像はサファヴィー朝時代の『シャー・ナーメ』の写本。 イブン・スィーナー。『医学典範』を著した博学な医師であると同時に東方イスラム世界を代表する哲学者としても多くの仕事を残した。 「ハラガーン双子塔」。1067年に建てられたこの建築は、セルジューク朝の二人の王子の墓廟であり、二つの塔にわかれているのでこの名がある。この塔のあるガズヴィーンはイランのカスピ海南岸の街で、近郊には「暗殺教団」ニザール派のアラムート要塞もある。 商業都市フスタート。ファーティマ朝の政治的な首都はカイロであったが、その近郊にあったフスタートが商工業の中心地であり貿易の中心地でもあった。画像はフスタートの工房で造られたラスター彩陶器で独特な色彩と光沢が特徴的である(メリーランド州ボルチモアのウォルターズ美術館蔵)。 Astrolabio de al-Sahlî」(スペイン国立考古学博物館蔵)。 コンスタンティノス9世の肖像。この皇帝の時代に東西教会分裂につながる相互破門事件が発生している。 アレクシオス1世の戦略。混迷の帝国にあって軍事貴族から身を起こし、帝位に就いたのがアレクシオス1世である。ノルマン人やクマン人といった外敵を互いに競わせ、或いは懐柔する巧みな外交手腕を駆使したことで有名である。しかしセルジューク族を排除するため西欧諸国から援軍を募ろうとして大きな誤算を生むのである。 エルサレム攻囲戦の細密画。 トゥーラ・シココティトラン。10世紀から11世紀に栄えたメキシコの後古典期の遺跡で、伝承ではトルテカ帝国の都だとされている。 11世紀(じゅういちせいき、じゅういっせいき)とは、西暦1001年から西暦1100年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最初の世紀である。.
12月15日
12月15日(じゅうにがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日ある。.
新しい!!: 平等院と12月15日 · 続きを見る »
1月16日
1月16日(いちがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から16日目に当たり、年末まであと349日(閏年では350日)ある。誕生花はデンドロビューム、ラッパズイセン、ジンチョウゲ、黄色のヒヤシンス。.
3月4日 (旧暦)
旧暦3月4日(きゅうれきさんがつよっか)は旧暦3月の4日目である。六曜は赤口である。.
新しい!!: 平等院と3月4日 (旧暦) · 続きを見る »
9月29日
9月29日(くがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から272日目(閏年では273日目)にあたり、年末まであと93日ある。.
ここにリダイレクトされます:
Byodo in、宇治平等院、平等院鳳凰堂、朝日山平等院、鳳凰堂。