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平岡威一郎

索引 平岡威一郎

平岡 威一郎(ひらおか いいちろう、1962年(昭和37年)5月2日 - )は、日本の元実業家「昭和63年9月9日」()。父は三島由紀夫。母は平岡瑤子。母親の死後は、母に代って三島の著作権保護に努め、三島の映画論をまとめた『三島由紀夫映画論集成』の監修などに携わった「奥付」()。.

26 関係: からっ風野郎博奕打ち 総長賭博三島由紀夫三島由紀夫文学館平岡平岡定太郎平岡紀子平岡瑤子平岡梓人斬り (映画)福島次郎竹下登美しい星 (小説)炎上 (映画)音楽 (小説)豊饒の海黒蜥蜴藤井浩明東海道四谷怪談 (1959年の映画)森田必勝潮騒 (1954年の映画)春の雪 (映画)憂国1998年の文学1999年の文学2000年の文学

からっ風野郎

『からっ風野郎』(からっかぜやろう)は、1960年(昭和35年)3月23日公開の日本映画。監督は増村保造。脚本は菊島隆三。製作は大映(大映東京撮影所)。作家の三島由紀夫が映画俳優として初主演した作品である「初出演の言葉」(大映映画プログラム 1960年3月)。、に所収藤井浩明「原作から主演・監督まで――プロデューサー藤井浩明氏を囲んで(聞き手:松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史)」()。「映画製作の現場から」としてに所収「第十章 映画『からっ風野郎』と俳優宣言」()。傾きかけた落ち目な組の二代目ヤクザが敵対する組の殺し屋に命を狙われる中、惚れた女の一途な純情にうたれ堅気になろうとした矢先に殺されてしまうという異色のヤクザ映画である「『からつ風野郎』の情婦論」(講談倶楽部 1960年4月号)。、に所収。公開当時は、映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号11655)の指定を受けた。 当時、既に高名な作家となっていた三島が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じ、相手役の若尾文子は激しく愛に生きるヒロインを好演して不慣れな三島をカバーした「第四章 著名人の時代」()。大映の専属俳優として正式契約し意気込んで華々しく映画デビューした三島だったが、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒット作となったものの俳優演技の難しさを痛感する経験となった「映画俳優オブジェ論」(京都新聞夕刊 1960年3月28日号)。、に所収。 しかし三島にとってこの苦い経験は、その後の写真集『薔薇刑』の静止被写体に繋がり、『憂国』の自主製作映画化の成功や、準主役で出演した時代劇映画『人斬り』での好演にも繋がっていくことになった平山城児「映画出演」()。 公開時の惹句は、「文壇の寵児三島の情熱か! 映画界の増村の才気が若尾文子と組んで放つ最大の話題作!」、「彼奴を殺ろせ! 出獄を待つ殺し屋の群れに挑戦する白いやくざ!」、「殺されるのは俺か! 恋人か! 怖るべき非情を爆発させる殺し屋の世界!」である。併映は、田中重男監督の『東京の女性』(出演:山本富士子)。 なお、映画公開から44年後の2004年(平成16年)の明治古典会七夕大入札会において、『からっ風野郎』の未発表写真(撮影:田島正)20枚とそのネガが出品された犬塚潔「『からっ風野郎』未発表写真」()。.

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博奕打ち 総長賭博

『博奕打ち 総長賭博』(ばくちうち そうちょうとばく)は、1968年1月14日に東映が製作した山下耕作監督、笠原和夫脚本、鶴田浩二主演の日本映画。95分。三島由紀夫が絶賛した事でも知られる、東映任侠映画の傑作。.

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三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型「第一章」()。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家である「第一回 三島由紀夫の誕生」()「十四 ノーベル文学賞の有力候補」()松永尚三「ヨーロッパ・フランス語圏における三島劇」()。『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた初の日本人で、国際放送されたTV番組に初めて出演した日本人でもある「三島由紀夫」()。 満年齢と昭和の年数が一致し、その人生の節目や活躍が昭和時代の日本の興廃や盛衰の歴史的出来事と相まっているため、「昭和」と生涯を共にし、その時代の持つ問題点を鋭く照らした人物として語られることが多い佐伯彰一「三島由紀夫 人と作品」(新潮文庫版『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』解説、1973年12月執筆)「不思議な共感」「三島由紀夫の生まれ育った時代」()。 代表作は小説に『仮面の告白』『潮騒』『金閣寺』『鏡子の家』『憂国』『豊饒の海』など、戯曲に『鹿鳴館』『近代能楽集』『サド侯爵夫人』などがある。修辞に富んだ絢爛豪華で詩的な文体、古典劇を基調にした人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴「第六回 舞台の多彩の魅力」()「各項〈作品解説〉」()。 晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監を監禁。バルコニーでクーデターを促す演説をした後、割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生まれるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした(詳細は三島事件を参照)。.

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三島由紀夫文学館

三島由紀夫文学館(みしまゆきおぶんがくかん)は、山梨県南都留郡山中湖村平野の山中湖文学の森公園内にある文学館。三島由紀夫唯一の文学館として、1999年(平成11年)7月3日に開館した。公的機関での三島資料の保存・利用を希望する三島の遺族の意向と、「山中湖文学の森公園」建設の構想が一致したことから、三島文学の研究と普及を基本理念として設立された。運営は山中湖村教育委員会。初代館長は佐伯彰一工藤正義「三島由紀夫文学館」()。2008年(平成20年)晩春からは松本徹。2017年(平成29年)5月からは佐藤秀明が館長である。三島由紀夫文学館は、フランス発行の『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2009』において2つ星となった。 館内には、三島由紀夫の全初版本をはじめ、直筆原稿、創作・取材ノート、肉筆資料、絵画、書簡、肖像写真、著書、研究書、翻訳書、初出誌、映画・演劇資料などが保管され、一部を展示している。映像や検索用パソコンなどによる資料写真や解説も紹介され、三島の生涯や文学を垣間見ることができる。 三島と山中湖は特に強い縁はないが、自衛隊の体験入隊では、山中湖近辺で山地踏破訓練をしており、小説『暁の寺(豊饒の海・第三巻)』『蘭陵王』『恋と別離と』『蝶々』などには山中湖が登場する。『暁の寺』創作・取材ノートでは、三島がスケッチした山中湖一帯の地図が描かれ、富士山、旧鎌倉往還(現在・国道138号線)、北富士演習場や周辺の地名が記されている。.

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平岡

平岡(ひらおか).

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平岡定太郎

平岡 定太郎(ひらおか さだたろう、文久3年6月4日(1863年7月19日) - 昭和17年(1942年)8月26日)は、日本の内務官僚。樺太庁長官(第3代)。福島県知事(第17代)。正三位勲三等。兵庫県平民『人事興信録.

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平岡紀子

平岡 紀子(ひらおか のりこ、1959年(昭和34年)6月2日 - )は、日本の演出家。父は三島由紀夫。母は平岡瑤子有元伸子「平岡家」()。結婚後は、冨田紀子となった「年譜 平成10年」()。三島没後20年に、三島の戯曲『葵上』『弱法師』の演出を手がけ「年譜 平成2年1月17日」()、母親の死後は、弟・威一郎と共に三島の著作権保護に努めた。.

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平岡瑤子

平岡 瑤子(ひらおか ようこ、1937年(昭和12年)2月13日 - 1995年(平成7年)7月31日)は、三島由紀夫の妻。杉山寧の娘。専業主婦として側面から三島の文筆活動を支え、未亡人となってからは、夫の書誌の編集や遺作の整理・保存、著作権保護に尽力し有元伸子「平岡家」()「三十三 『楯の会』の元会員らによる経団連襲撃事件」()、経団連襲撃事件の際には、犯人の元楯の会会員の説得にあたった「終章」()伊藤好雄「召命――隊長三島の決起に取り残されて」(大吼 2008年7月夏季号・第261号)。「エピローグ その後の楯の会」()。 なお、瑤子と新婚旅行中の三島が宿泊先の箱根の富士屋ホテルの便せんで、「私の妻瑤子は21歳の大学生です。彼女はとてもかわいくて、良い子(really cute and sweet)です」と、アメリカの出版社(英訳『仮面の告白』刊行)の社長宛てに近況報告していた手紙が、2015年(平成27年)に発見された。.

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平岡梓

平岡 梓(ひらおか あずさ、1894年(明治27年)10月12日 - 1976年(昭和51年)12月16日)は、日本の農商務官僚。内務官僚・平岡定太郎の長男。作家・三島由紀夫の父「II 三島由紀夫の祖先を彩る武家・華族・学者の血脈」()「三島由紀夫伝」(『現代日本文学館』文藝春秋、1966年8月)。有元伸子「平岡家」()。少年時代の三島の執筆活動に大反対し、あえて悪役を買って出たことで、三島の反骨精神を目覚めさせて作家としての成長を間接的に助けた「わが友・平岡梓」()越次倶子「平岡梓」()。息子・三島の死後は、その毒舌的なシニカルさや、ブラック・ユーモアの入り交ざった回想録『伜・三島由紀夫』を著し、貴重な三島資料を残したことで知られる。.

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人斬り (映画)

『人斬り』(ひときり)は、1969年(昭和44年)8月9日公開の時代劇映画。監督は五社英雄。製作はフジテレビジョン+勝プロダクション。配給は大映山中剛史「映画化作品目録――人斬り」()「第十一章 映画『人斬り』と昭和四十年代」()。司馬遼太郎の短編『人斬り以蔵』を参考文献にしたオリジナル作品で、脚本は橋本忍が担当した「第一章 映画『人斬り』と司馬遼太郎――岡田以蔵と武市半平太」()。この年に劇場用映画製作に進出したフジテレビが第1作『御用金』に続いて放った第2作目で「人斬り」()「御用金」()、勝プロダクション初の時代劇製作映画でもある。公開当時は映画倫理管理委員会より成人映画(映倫番号15909)の指定を受けた。 動乱の幕末を舞台に、下級武士出身ながらも京の都を震撼させ「人斬り以蔵」の名を轟かせた土佐最強の暗殺剣士・岡田以蔵の半生を、土佐勤皇党の党首・武市半平太との関係を基軸に描いた娯楽歴史劇である「二十四 『人斬り』で三大スタアと共演」()。キャストは勝新太郎、仲代達矢、三島由紀夫、石原裕次郎といった豪華な顔ぶれで、特に本業が俳優でない三島の起用が大きな話題を呼んだ「本職を忘れて役者に――『人斬り』に出演の三島由紀夫」(東京新聞夕刊 1969年6月10日号)。に一部抜粋。 同じく壮大なスケールの歴史劇で同年3月に封切られた三船敏郎率いる三船プロ製作の『風林火山』(東宝配給)との東西時代劇対決の様相ともなり、勝プロの『人斬り』はキネマ旬報ベストテンでは圏外の第14位で、三船の『風林火山』の第10位に敗れたものの、興行成績は1969年度(4月から12月)の興行ベストテン第4位に入る大ヒットとなった。また2004年(平成16年)発表のオールタイムベスト・テン時代劇のランキングでは第51位となった「ジャンル別オールタイムベスト・テン時代劇(日本映画)」()。 見どころはリアルな死闘の暗殺場面や豪快な殺陣の立ち回りで、以蔵扮する勝の人間臭い喜怒哀楽や、田中新兵衛役の三島の迫真の切腹演技も好評であった藤井浩明「原作から主演・監督まで――プロデューサー藤井浩明氏を囲んで(聞き手:松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史)」()。「映画製作の現場から」としてに所収。この約1年後に三島は実際に切腹死するが(詳細は三島事件を参照)、自決のわずか1年前の三島の姿がたっぷりと見られる映画として貴重な資料にもなっている品田雄吉「勝新の魅力と三島由紀夫の迫力」()。。 公開時の惹句は、「斬る!斬る!斬る! 問答無用でぶった斬る!!」、「勝が斬る!仲代が斬る!三島が斬る!裕次郎が斬る! 問答無用でぶった斬る!!」である。併映は井上芳夫監督の『女賭博師丁半旅』(出演:江波杏子、藤巻潤)である.

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福島次郎

福島 次郎(ふくしま じろう、1930年(昭和5年) - 2006年(平成18年)2月22日)は、熊本県出身の小説家。高校の国語教師。雑誌『詩と眞實』同人「序」()。その同人誌に掲載した短編小説『バスタオル』(1996年)で第115回芥川賞候補になったほか 、三島由紀夫との同性愛関係を取り混ぜた自伝的な実名小説『三島由紀夫――剣と寒紅』(1998年)を刊行したことで一時ジャーナリズムを騒がせ、三島関連界隈で名を知られるようになった人物である「第九章 福島次郎『三島由紀夫――剣と寒紅』は許されぬ書か?」()井上隆史「同性愛」()。.

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竹下登

竹下 登(たけした のぼる、1924年(大正13年)2月26日 - 2000年(平成12年)6月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 島根県議会議員(2期)、衆議院議員(14期)、内閣官房長官(第35・38代)、建設大臣(第38代)、大蔵大臣(第84・86・87・90代)、内閣総理大臣(第74代)、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第12代)などを歴任した。.

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美しい星 (小説)

『美しい星』(うつくしいほし)は、三島由紀夫の長編小説。三島文学の中では異色のSF的な空飛ぶ円盤や宇宙人を取り入れた作品で、執筆当時の東西冷戦時代の核兵器による人類滅亡の不安・世界終末観を背景に、宇宙的観点から見た人間の物語を描いている「『空飛ぶ円盤』の観測に失敗して――私の本『美しい星』」(読売新聞 1964年1月19日号)。に所収「世界の破滅に抗して」()。読みどころとなっている作中後半の、人類滅亡を願う宇宙人と、滅亡の危機を救おうとする宇宙人との論戦は「『美しい星』――人類滅亡を議論する思想小説」()、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章を意識していたことが、三島の創作ノートに記されている「『美しい星』創作ノート」()。三島自身が非常に愛着を持っていた小説でもある「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和39年5月27日付)。、に所収。 1962年(昭和37年)、文芸雑誌『新潮』1月号から11月号に連載され、同年10月20日に新潮社より単行本刊行された井上隆史「作品目録――昭和37年」()山中剛史「著書目録――目次」()。なお、この年には長男・威一郎が誕生している。 翻訳版は、スウェーデン(典題:Den vackra stjärnam)、中国(中題:美麗的星)などで行われている。三島は英訳を強く希望し、当時ドナルド・キーンに何度も翻訳依頼したが、キーンはこの小説を気に入らなかったために英訳は実現しなかった。.

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炎上 (映画)

『炎上』(えんじょう)は、1958年(昭和33年)8月19日公開の日本映画。製作は大映。三島由紀夫の長編小説『金閣寺』をもとに市川崑監督が映画化したモノクロ作品である藤井浩明「三島文学の映画化」()。市川崑にとり日活から大映に移籍してから5本目の大映作品で、主演は大映の時代劇俳優・市川雷蔵市川崑「『炎上』と雷ちゃん」()。デビューから4年目、48本目の映画となる雷蔵の初の現代劇主演作で、吃音症の青年を好演したことで数々の主演男優賞を受賞するなど俳優として高い評価を受けた背面解説藤井浩明「永遠なれ 市川雷蔵」()大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵」()「第七章 黄金時代の一九五〇年代――7 大映」()。 『炎上』は三島文学の映画化作の中でも特に評価が高いというだけでなく、白黒とシネスコで表現された見事な映像美などで映画史に残る傑作の一つとして位置づけられており「第六章 原作映画の世界 『炎上』――藤井浩明と三島文学の映画化」()、市川崑が第一級の監督として広く認められるきっかけとなった作品でもある。なお、映画では「金閣寺」が「驟閣寺」(しゅうかくじ)という名称になっている他、登場人物の名やあらすじの一部が原作と異なるものとなっている。 公開時の惹句は、「汚れた母、信頼を裏切った師、何が彼に放火させたのか、信じるものを失った青年の怒りと反抗!」、「三島、崑、雷蔵この異色トリオが放つ、本年度ベストワンを約束された文芸巨篇」、「金色の国宝に放火してまで、若い魂が反逆し続けたものは…」、「誰も知らない! 誰も解ってくれない! 何故おれが国宝に火をつけたかを…」である「」(1958年8月)。内。併映は、天野信監督の『消えた小判屋敷』(出演:梅若正二、美川純子)。.

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音楽 (小説)

『音楽』(おんがく)は、三島由紀夫の長編小説。精神分析医の「私」が、不感症に悩む或る女性患者の治療を通して、彼女の深層心理の謎を探っていく物語。サスペンス風の娯楽的な趣の中、精神分析という学問・世界観に対する疑問を呈しながら理論だけでは割り切れない「人間性の謎」や「人間精神の不条理さ」、「性の諸相」を描き出そうとした作品である澁澤龍彦「解説」()「第十回 神への裏階段」()。 1964年(昭和39年)、雑誌『婦人公論』1月号から12月号に連載され、翌年1965年(昭和40年)2月20日に中央公論社より単行本刊行された井上隆史「作品目録――昭和39年」()山中剛史「著書目録――目次」()。文庫版は新潮文庫で刊行されている。翻訳版はイタリア(伊題:Musica)、スペイン(西題:Musica)、中国(中題:音楽)で行われている。1972年(昭和47年)11月11日に黒沢のり子主演で映画化された山中剛史「映画化作品目録」()。.

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豊饒の海

『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の最後の長編小説。『浜松中納言物語』を典拠とした夢と転生の物語で「『豊饒の海』について」(毎日新聞夕刊 1969年2月26日号)。、『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻から成る。最後に三島が目指した「世界解釈の小説」「究極の小説」である「第十二回 究極の小説『豊饒の海』(一)」「第十三回 究極の始まり『豊饒の海』(二)」()。最終巻の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。 第一巻は貴族の世界を舞台にした恋愛、第二巻は右翼的青年の行動、第三巻は唯識論を突き詰めようとする初老の男性とタイ王室の官能的美女との係わり、第四巻は認識に憑かれた少年と老人の対立が描かれている。構成は、20歳で死ぬ若者が、次の巻の主人公に輪廻転生してゆくという流れとなり、仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬などの東洋の伝統を踏まえた作品世界となっている。また様々な「仄めかし」が散見され、読み方によって多様な解釈可能な、謎に満ちた作品でもある佐藤秀明「〈作品解説〉豊饒の海」()。 〈豊饒の海〉とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」(ラテン語名)の和訳で、〈月修寺〉のモデルとなった寺院は奈良市の「圓照寺」である。なお、最終巻の末尾と、三島の初刊行小説『花ざかりの森』の終り方との類似性がよく指摘されている「大団円『豊饒の海』」()井上隆史「豊饒の海」()。.

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黒蜥蜴

『黒蜥蜴』(くろとかげ)は、江戸川乱歩の長編探偵小説。および、作中に登場する女性盗賊の俗称。小説は1934年(昭和9年)、月刊誌『日の出』1月号から12月号に連載された。宝石等「美しいもの」を狙う美貌の女賊・黒蜥蜴と名探偵・明智小五郎が対決するトリッキイでアクロバティックな冒険物語である 江戸川乱歩「自註自解」(『黒蜥蜴』)。.

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藤井浩明

藤井 浩明(ふじい ひろあき、1927年(昭和2年)巻末 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の映画プロデューサー。日本映画プロデューサー協会会員藤井浩明「原作から主演・監督まで――プロデューサー藤井浩明氏を囲んで(聞き手:松本徹・佐藤秀明・井上隆史・山中剛史)」()。「映画製作の現場から」としてに所収。旧姓は、清水。 約20年間大映で企画を担当し、倒産に伴う退社後は独立プロダクション「行動社」を設立。通算、約200本近い数々の映画の企画・製作に携わり、映画監督の市川崑や増村保造らと組んで多くの名作を生み、市川雷蔵の主演映画や、作家の三島由紀夫の小説の映画化にも尽力した「第六章 原作映画の世界 『炎上』――藤井浩明と三島文学の映画化」()。.

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東海道四谷怪談 (1959年の映画)

『東海道四谷怪談』(とうかいどうよつやかいだん)は、1959年(昭和34年)7月14日に封切り公開された時代劇日本映画である。中川信夫監督、新東宝製作・配給、総天然色映画(フジカラー)、9巻 / 2,088メートル(1時間16分)。怪談映画の最高傑作として知られている。.

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森田必勝

森田 必勝(もりた まさかつ、1945年(昭和20年)7月25日 - 1970年(昭和45年)11月25日)は、日本の政治活動家。三島由紀夫が結成した「楯の会」の第二代学生長。三島と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした青年である(詳細は三島事件を参照)。 三島由紀夫の単なる伴走者や主従関係の「従」ではなく、むしろ森田必勝が「主」で、引っ張っていったのではないか、という見解もしばしば見受けられる「第三章 惜別の時」()堤堯「解説」()「第四章 その時、そしてこれから」()宮崎正弘「そして三十三年が経った」()。.

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潮騒 (1954年の映画)

『潮騒』(しおさい)は、三島由紀夫の小説『潮騒』を原作に谷口千吉が監督した1954年10月20日公開の日本映画。配給は東宝。モノクロ、スタンダード。惹句は、「夢と冒険に生きる十代の裸像を恋で彩る海の抒情詩!」である。原作者の三島がとても気に入っていた映画作品である「私の原作映画」(週刊朝日別冊・特集 日本映画 1956年10月10日号)。、に所収「第六章 原作映画の世界 『純白の夜』と『潮騒』――原作映画とシナリオ」()。昭和29年度のキネマ旬報ベストテンでは圏外の第19位で、『どぶ』と同位であった「昭和29年」()「昭和29年」()。.

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春の雪 (映画)

『春の雪』(はるのゆき)は、2005年(平成17年)10月29日に全国東宝洋画系にて公開された日本映画。惹句は、「永遠を約束されたはずのふたりに、その悲劇は静かに訪れる…」である。興行収入は12億7000万円。2005年度のキネマ旬報ベストテンでは圏外の第18位となった「平成17年」()「2005年」()。第18回東京国際映画祭、第10回釜山国際映画祭でも上映された。 原作は三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』4部作の第1部にあたる同名小説『春の雪』。小説は1965年(昭和40年)9月から1967年(昭和42年)1月にかけ月刊文芸雑誌『新潮』に連載発表後、1969年(昭和44年)1月に新潮社より単行本刊行されたもの。1970年(昭和45年)2月に吉永小百合と市川海老蔵(十二代目市川團十郎)主演でテレビドラマ化もされ、1969年(昭和44年)9月には市川染五郎(現・二代目松本白鸚)と佐久間良子主演で舞台化されている。映画化は行定勲監督の本作が初めてであった。 行定監督は、三島由紀夫と縁深い美輪明宏に完成した映画『春の雪』を逸早く見せた。行定は美輪による評価を恐れていたが絶賛され、何よりもそれが一番嬉しかったと述べている。 月修寺門跡を演じた若尾文子にとって18年ぶりの映画出演だった「第一章 映画女優 若尾文子」()。若尾文子は三島と『からっ風野郎』(1960年封切)で共演したが、『春の雪』を企画した藤井浩明は、月修寺門跡の役は若尾しかないと決めていた。.

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憂国

『憂国』(ゆうこく)は、三島由紀夫の短編小説。原題は旧漢字の『憂國』である。仲間から決起に誘われなかった新婚の中尉が、叛乱軍とされた仲間を逆に討伐せねばならなくなった立場に懊悩し、妻と共に心中する物語。三島の代表作の一つで、二・二六事件の外伝的作品である「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集6』講談社 ロマンブックス、1965年8月)。に所収。1961年(昭和36年)1月の小説発表の4年後には、三島自身が監督・主演などを務めた映画も制作され、ツール国際短編映画祭劇映画部門第2位を受賞した「製作意図及び経過」(『憂國 映画版』 新潮社、1966年4月)。藤井浩明「映画『憂国』の歩んだ道」(ブックレット内)。 大義に殉ずる者の至福と美を主題に、皇軍への忠義の元、死とエロティシズム、夥しい流血と痛苦をともなう割腹自殺が克明に描かれている「二・二六事件と私」(『英霊の聲』河出書房新社、1966年6月)。「世界の破滅に抗して」()。60年安保という時代背景と共に「精神と肉体、認識と行動の問題」をあらためて思考するようになっていた三島が、その反時代傾向を前面に露わにした転換的な作品である「第一章 哲学者の三島由紀夫論 5 エロティシズムの美学」()。.

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1998年の文学

1998年の文学は、1998年(平成10年)の文学についてまとめた記事である。.

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1999年の文学

1999年の文学は、1999年(平成11年)の文学についてまとめた記事である。.

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2000年の文学

2000年の文学は、2000年(平成12年)の文学についてまとめた記事である。.

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三島威一郎

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