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巡回伝道者

索引 巡回伝道者

巡回伝道者(じゅんかいでんどうしゃ)は、キリスト教のメソジスト派などの年会で教会監督より直接任命を受け、教会を巡回する伝道者のことである。 巡回(circuit)は、メソジストの祖であるジョン・ウェスレーの野外説教に共鳴した人々の集団(society)を地区ごとに数個にまとめて、これを彼の補助説教者に巡回管理させたことが始まりである。カナダを含む、イギリスのメソジスト諸教会ではその伝道を守っている。 巡回伝道者になるには、試用伝道師(Probationer)になり、数年の経験と年会の審査を経て、執事の按手礼を受けた後、数年後に長老の按手を受けることでなることができる。 伝道者は年会のたびに監督より任命をうけて任地に赴くことを原則とするので短期間で、教会を異動することになる。日本のメソジスト教会でも明治時代にはその制度が存在した。.

21 関係: きくちいま千葉勇五郎堀内文一多辻春吉奥野昌綱川添万寿得中田重治土肥修平石原保太郎福澤満雄秋山由五郎羽鳥明眞嶋慶三郎益富政助白井慶吉貴山幸次郎東洋宣教会聖書学院武本喜代蔵永野武二郎本田弘慈戸川安宅

きくちいま

きくち いま(本名:菊池 衣麻(読み同じ)、1973年10月7日 - )は、日本の随筆家。イラストレーター。山形県東根市出身。現在山形県村山市在住。家族は両親・夫・2男1女。.

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千葉勇五郎

千葉 勇五郎(ちば ゆうごろう、1870年9月8日(明治3年8月13日) - 1946年4月21日)は、日本の牧師、教育者。日本のバプテスト派の指導者、関東学院名誉院長。.

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堀内文一

堀内 文一(ほりうち ぶんいち、1875年8月1日 - 1940年1月13日)は、日本の牧師、伝道者、日本伝道隊の指導者。奈良県大和郡山生まれ。.

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多辻春吉

多辻春吉(たつじ はるきち、1876年-1945年)は日本の牧師、巡回伝道者である。 1876年(明治9年)に東京に生まれる。柏木聖書学院を卒業した後に、山形県で伝道した。その後、中央福音伝道館で中田重治監督の協力者として働いた。 明治時代後期より、広島の日本アライアンス教団の牧師になり、大正期になると兄の秋山由五郎と共に巡回伝道者として活動する。 太平洋戦争時は福島県加納村に疎開し、そこで死去する。.

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奥野昌綱

奥野 昌綱(おくの まさつな、文政6年4月4日(1823年5月14日) - 明治43年(1910年)12月12日)は日本の牧師、横浜バンドの中心的メンバーの一人。文語訳聖書の翻訳や日本賛美歌のために大きな貢献をした。.

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川添万寿得

川添 万寿得(かわぞえ ますえ、1870年10月20日(明治3年9月26日) - 1938年(昭和13年)7月11日)は日本基督教会の牧師である。.

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中田重治

中田 重治(なかだ じゅうじ、1870年11月20日(明治3年10月27日)- 1939年(昭和14年)9月24日)は、明治、大正、昭和初期にかけて活躍した日本の教会監督、大衆伝道者、巡回伝道者、福音使(牧師)、神学校(柏木聖書学院)教師・院長(校長)、宗教家、説教家、翻訳家、賛美歌作家、実業家、ジャーナリスト、神学者、日ユ同祖論者である。 明治時代のメソジスト派の牧師中田久吉は実兄、日本を代表する教会音楽家の中田羽後は次男、日本アライアンス教団の大江寛人、日本基督教団の議長辻宣道、同じく日本基督教団の牧師有馬式夫は孫である。.

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土肥修平

土肥 修平(どい しゅうへい、安政5年9月19日(1858年10月25日) - 昭和20年(1945年)7月3日)は、日本のきよめ派の巡回伝道者。脩平とも表記する。.

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石原保太郎

石原 保太郎(いしはら やすたろう、1858年(安政5年) - 1919年(大正8年)8月12日)は、日本の牧師である。.

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福澤満雄

福澤 満雄(ふくざわ みつお、1937年-)は、日本の牧師、巡回伝道者。.

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秋山由五郎

秋山 由五郎(あきやま よしごろう、1865年8月5日(慶応元年6月14日) - 1948年(昭和23年)5月4日)は、日本伝道隊の巡回伝道者。ホーリネス・リバイバルの始まりに立会った中心人物。旧姓栗原。.

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羽鳥明

羽鳥 明(はとり あきら、1920年11月3日 - 2017年4月10日)は日本の福音派牧師、大衆伝道者、ラジオ牧師。羽鳥純二は実弟。.

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眞嶋慶三郎

嶋 慶三郎(まじま けいざぶろう、1883年 - 1934年)は日本の伝道者、牧師、教会の指導者。.

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益富政助

富 政助(ますとみ まさすけ、1878年7月7日 - 1976年4月16日)は、日本のキリスト教巡回伝道者。鉄道基督教青年会の創設者である。.

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白井慶吉

白井 慶吉(しらい けいきち、1882年5月15日 - 1985年6月2日)は、日本の牧師。日本基督教団第5代議長。クリスチャン政治家加藤勝弥の従兄。加藤俊子の甥にあたる。 廻船問屋白井勝太郎の3男として新潟に生まれる。1892年(明治5年)に両親が長老派の日本基督新潟教会(現・日本基督教団東中通教会)でキリスト教に入信すると、日本基督教会巡回牧師石原保太郎から長老派の幼児洗礼を受ける。 1899年(明治32年)に北越商興会付属新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)を卒業する。1899年の夏に信仰告白をし堅信礼を受け、日本基督新潟教会の日曜学校の教師になり、日曜学校で教える。 1906年(明治39年)に上京し、東京神学社本科に入学し、植村正久の薫陶を受ける。在学中から『福音新報』の編集を手伝う。1909年(明治42年)に東京神学社を卒業すると、函館教会(現・日本基督教団函館相生教会)に赴任する。そこで按手礼を受けて、1912年(明治45年)に出身教会の日本基督新潟教会(現・日本基督教団東中通教会)に赴任する。 1915年(大正4年)に、熊本教会の牧師になる。1920年(大正9年)に渡米して、サンアンセルモ神学校、マコーミック神学校、プリンストン神学校大学院で学ぶ。1924年(大正13年)帰国して、母校の東京神学社の教授に就任する。 同年、旧満州国大連西広場教会の牧師に就任し、満州中会の議長を務める。1945年(昭和20年)8月満州国大連市の大連西広場教会の牧師として、満州で終戦を迎える。 1947年(昭和22年)2月大連より引き上げる。1947年5月4日大連西広場教会の引揚者を中心として、30名の信徒で日本基督教団千代田教会を設立する。 1958年に日本基督教団第4代総会議長武藤健の後をついで第5代総会議長を務める。1977年(昭和52年)3月4日千代田教会を引退し、1985年(昭和60年)に103歳で死去する。.

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貴山幸次郎

貴山 幸次郎(きやま こうじろう、1865年4月27日(慶応元年4月3日) - 1940年(昭和15年)6月9日)は日本基督教会の牧師である。 1865年(慶応元年)伊予国吉田(現・愛媛県宇和島市)に生まれ、幼少期は吉田郷校(藩校文武館の後身)で学び、卒業後に同校の教師になる。1881年(明治14年)に宇和島に来た桜井昭悳の演説を聴いてキリスト教を知った。1885年(明治18年)に横井時雄の伝道説教を聞いてキリスト教信仰を持つ。 1885年に東京に移り津田仙の学農社で学び『農業雑誌』の編集を行う。植村正久の『真理一斑』を読んで信仰を強くし、1885年新栄教会で石原保太郎から洗礼を受ける。その後、献身し東京一致英和学校、東京一致神学校で学ぶ。1890年(明治23年)に明治学院神学部を卒業すると、石原保太郎の後任として新栄教会の牧師に就任する。 1897年(明治30年)9月より日本基督教会の巡回教師になり、各地を巡回する。1901年(明治34年)10月に日本基督教会伝道局の専任幹事になり、1920年(大正9年)まで日本本土、台湾、朝鮮、満州などにも巡回伝道を行う。 1919年(大正8年)にはアメリカ合衆国西海岸の日本人教会を訪問する。1920年からは満州奉天の奉天教会の牧師になる。また、撫順の教会も兼務する。1937年(昭和12年)に牧師を退職し、1940年(昭和15年)死去する。.

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東洋宣教会聖書学院

東洋宣教会聖書学院(とうようせんきょうかいせいしょがくいん)は、東洋宣教会の所有で、主に日本ホーリネス教会の教職養成のために、戦前に東京府豊多摩郡淀橋町柏木(現在の新宿区北新宿)にあった神学教育機関である。 文献では、聖書学院と言われることが多い。ごくまれに、東京聖書学院とも言われたが、日本ホーリネス教団の東京聖書学院とは別組織である。通称では柏木聖書学院と言われたこともあった。.

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武本喜代蔵

武本 喜代蔵(たけもと きよぞう、1872年12月16日(明治5年11月16日) - 1956年(昭和31年)6月26日)は日本の牧師、巡回伝道者である。 1872年(明治5年)鳥取県倉吉市に生まれる。1889年(明治22年)に日本組合教会の倉吉講義所(倉吉教会)でアメリカンボードのJ・H・ペティより洗礼を受ける。キリスト教徒になったことによる、家族の迫害を避けて、津山、岡山、倉敷に流転する。 1890年(明治23年)頃松江市で英国聖公会の宣教師B・F・バックストンに会い、バックストンに導かれ直接献身を決意するより、その後、バックストンと出雲地方での伝道を開始する。 1903年(明治36年)に日本組合基督教会の牧師に就任し、広島教会で牧会をする。1912年(大正元年)に日本基督伝道会社より台湾に派遣され、日本組合台北基督教会を設立する。 1914年(大正2年)には日本組合基督教会天満教会の牧師に就任する。1919年(大正8年)頃、同じく組合教会の伝道師木村清松と日本ホーリネス教会の中田重治監督、内村鑑三らによる再臨運動に協力する。 1923年(大正12年)には霊化運動を標榜して、日本組合基督教会の牧師牧師を辞任して東京に移り、霊化運動のための巡回伝道を行う。 太平洋戦争中には国家主義に迎合するが、戦後は『霊化』を再び始め、神癒に重点を置いて活動した。.

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永野武二郎

永野 武二郎(ながの たけじろう、1874年(明治7年) - 1946年(昭和21年)10月)は、日本聖公会の祭司である。 1874年(明治7年)島根県松江市に生まれる。聖公会の宣教師バークレー・バックストンにより1891年(明治24年)に洗礼を受ける。 1906年にバックストン家に滞在中に、イギリスを旅行中の中田重治に会う。献身し、1909年6月6日には執事の按手礼を受ける。1911年祭司の按手礼を受ける。自転車に乗り松江を中心とした山陰地方に巡回伝道をした。 1936年に奉天聖公会に赴任した。.

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本田弘慈

本田 弘慈(ほんだ こうじ、1912年3月31日 - 2002年4月6日)は、日本の牧師。.

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戸川安宅

戸川 安宅(とがわ やすいえ、安政2年10月22日(1855年12月1日)-大正13年(1924年)12月8日)は、江戸時代末期(幕末)の旗本で、明治時代の文学者、キリスト教プロテスタント系の日本基督教会の牧師である。名ははじめ隼人、のち達若といい、安宅に改めた。雅号は残花。別号として百合園主人。.

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