ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

寺石正路

索引 寺石正路

寺石 正路(てらいし まさみち、1868年10月17日(慶應4年9月2日) - 1949年(昭和24年)12月23日)は、高知県の郷土史家。考古学者。作家。.

12 関係: 南方熊楠坂本龍馬宮地茂秋宮地茂春岡田以蔵中山高陽北代堅助第一高等学校 (旧制)の人物一覧高知県立高知小津高等学校長宗我部氏松岡時敏明神善秀

南方熊楠

南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)は、日本の博物学者、生物学者、民俗学者。 生物学者としては粘菌の研究で知られているが、キノコ、藻類、コケ、シダなどの研究もしており、さらに高等植物や昆虫、小動物の採集もおこなっていた。そうした調査に基づいて生態学ecologyを早くから日本に導入したことが注目される。民俗学研究上の主著として『十二支考』『南方随筆』などがある。その他にも、投稿論文、ノート、日記のかたちで学問的成果が残されている。英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。熊楠の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。.

新しい!!: 寺石正路と南方熊楠 · 続きを見る »

坂本龍馬

坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 - 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。 諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬「りゅうま」「りょうま」「りゅうめ」などと読み得るが、岩崎弥太郎など同時代人の日記や書簡に「良馬」と記されているし、龍馬自身も書簡の中で「りよふ」と自署しているので「りょうま」と読まれていたと考えられている。なお、「竜」は「龍」の常用漢字表に採用された字体で、江戸時代以来一般には「龍」の略字として認識されていたが、本は古字である。学校教育では、「坂本龍馬」という表記と、「坂本竜馬」という表記の両方が使われているが、どちらでもよい。前者の例としては、平成11年(1999年)3月実施北海道 公立高校 入学試験の社会の大問4問5(2)の選択肢: 「ア 木戸孝允 イ 坂本龍馬 ウ 西郷隆盛 エ 徳川慶喜」などがあり、後者は、『中学社会 歴史』(教育出版。平成8年2月29日文部省検定済。教科書番号: 17教出・歴史762)p.181, 『社会科 中学生の歴史』(帝国書院。平成17年3月30日文部科学省検定済。教科書番号:46帝国 歴史-713)p.144, 『新しい社会 歴史』(東京書籍。平成13年3月30日検定済。教科書番号: 2 東書 歴史702)p.120などで使われている。 。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある (手紙と変名の項を参照)。 土佐郷士株を持つ裕福な商家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。.

新しい!!: 寺石正路と坂本龍馬 · 続きを見る »

宮地茂秋

宮地 茂秋(みやじ しげあき、1886年(明治19年) - 1977年(昭和52年))は、明治・大正・昭和の実業家。自由民権活動家・宮地茂春の長男。坂本龍馬・板垣退助両家の血統を引く人物。妻は福岡孝弟の孫娘。.

新しい!!: 寺石正路と宮地茂秋 · 続きを見る »

宮地茂春

宮地 茂春(みやじ しげはる、1860年(安政6年) - 1895年(明治28年)6月11日)は、江戸時代末期の土佐藩白札郷士。自由党員。自由民権活動家。幼名は桃太郎(ももたろう)。.

新しい!!: 寺石正路と宮地茂春 · 続きを見る »

岡田以蔵

岡田 以蔵(おかだ いぞう、天保9年1月20日(1838年2月14日) - 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日))は、江戸時代末期の土佐藩郷士。 司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。諱は宜振(読みについては「よしふる」の他「たかのぶ」、「のぶたつ」等諸説あり不明)。幕末の四大人斬りの一人。.

新しい!!: 寺石正路と岡田以蔵 · 続きを見る »

中山高陽

中山 高陽(なかやま こうよう、享保2年(1717年) - 安永9年3月12日(1780年4月16日))は、江戸時代中期の日本の南画家、書家、漢詩人。 土佐国堺町(現高知県高知市堺町)の豪商「阿波屋」の次男として生まれる。元の姓は中山田氏で、香宗我部氏の子孫とされる。名は象先(ぞうせん)、土佐仲延沖(とさちゅうえんちゅう)、延冲(のぶおき)。字は、汝玄、子達、延冲(のぶおき)、子和。幼名は松之助、のちに清右衛門。通称、阿波屋清右衛門。号は、高陽山人(こうようさんじん)、玩世道人(げんせいどうじん)、酔墨山人(すいぼくさんじん)、酔墨子(すいぼくし)、松石斎(しょうせきさい)など。.

新しい!!: 寺石正路と中山高陽 · 続きを見る »

北代堅助

北代 堅助(きただい けんすけ、1833年(天保4年) - 1868年3月16日(慶応4年2月23日))は、江戸時代土佐藩の郷士、足軽。折衝隊六番隊士。堺事件十一烈士の一人。諱は堅勝、通称は堅介、北代健助とも書かれる。.

新しい!!: 寺石正路と北代堅助 · 続きを見る »

第一高等学校 (旧制)の人物一覧

一高等学校の人物一覧(だいいちこうとうがっこうのじんぶついちらん)では、第一高等学校 (旧制)の主な出身者・教員・関係者などを記述する。.

新しい!!: 寺石正路と第一高等学校 (旧制)の人物一覧 · 続きを見る »

高知県立高知小津高等学校

知県立高知小津高等学校(こうちけんりつ こうちおづこうとうがっこう、Kochi Prefectural Kochi Ozu High School)は、高知県高知市城北町にある県立高等学校。.

新しい!!: 寺石正路と高知県立高知小津高等学校 · 続きを見る »

長宗我部氏

長宗我部氏(ちょうそかべし)は、日本の武家の一つ。平安時代末から戦国時代の武家。戦国時代に土佐を統一し四国に進出した戦国大名、長宗我部元親で有名。長曽我部・長曾我部とも記される。 本姓は秦氏を称した。家紋は「七つ酢漿草かたばみ」。室町時代以降、通字に「親」を用いた。 現・当主は長宗我部(ちょうそ'''が'''べ)友親。.

新しい!!: 寺石正路と長宗我部氏 · 続きを見る »

松岡時敏

松岡 時敏(まつおか ときとし、1815年2月4日(文化11年12月26日)- 1877年(明治10年)11月6日『三百藩家臣人名事典 6』 546頁。)は、幕末から明治期の土佐藩士、法制学者、文部官僚。元老院議官。初名・敏『明治過去帳』新訂初版、111頁。。字・欲訥『明治維新人名辞典』 913-914頁。。号・毅軒、毅堂。通称・七助。.

新しい!!: 寺石正路と松岡時敏 · 続きを見る »

明神善秀

明神 善秀(みょうじん よしひで、生年不詳 - 1864年12月29日(元治元年12月1日))は、江戸時代後期の土佐藩上士。幼名は民之助。通称は明神源八。前諱は信貞。.

新しい!!: 寺石正路と明神善秀 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »