ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

大谷内一夫

索引 大谷内一夫

大谷内 一夫(おおやうち かずお、1926年 - )は、日本の航空評論家。 東京生まれ。学歴不詳。PANA通信記者、日本AMF取締役、月刊誌「航空情報」「エアワールド」編集長、タイムライフ・ブックス日本支局顧問、航空ジャーナリスト協会会員。.

20 関係: さらわく丸吹雪 (吹雪型駆逐艦)山城 (戦艦)山雲 (駆逐艦)ビスマルク海海戦ろ号作戦アッツ島沖海戦サボ島沖海戦第二次ソロモン海戦真珠湾攻撃特別攻撃隊萩風 (駆逐艦)飢餓作戦西山浅次郎金剛 (戦艦)横森周信漢口大空襲朝雲 (駆逐艦)扶桑 (戦艦)時雨 (白露型駆逐艦)

さらわく丸

さらわく丸(さらわくまる)は、太平洋戦争中に日本で建造された戦時標準型タンカー。船主・運航は三菱汽船。.

新しい!!: 大谷内一夫とさらわく丸 · 続きを見る »

吹雪 (吹雪型駆逐艦)

吹雪(ふぶき)は、大日本帝国海軍の一等駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 吹雪(フブキ)トス』。重武装(砲塔式12.7cm連装砲3基と61センチ3連装魚雷発射管を中心に配備し9本の予備魚雷も搭載した)で凌波性に優れた本型の出現は、当時の列強海軍に衝撃をあたえた。吹雪は吹雪型(特型)駆逐艦の一番艦で、同時に「雪級」の一番艦。この名を持つ日本海軍の艦艇としては2隻目である(初代は春雨型駆逐艦の吹雪)。 吹雪は1942年10月11日のサボ島沖海戦で沈没し、吹雪型は「白雪型駆逐艦」と改名された#内令昭和17年11月(4)p.24『内令第二千百十五號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年十一月十五日海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「吹雪型」ヲ「白雪型」ニ改メ同項中「、吹雪」「、叢雲」「、朧」ヲ、同朝潮型ノ項中「、夏雲」ヲ削ル』。その後、「初雪型駆逐艦」として再登録された#内令昭和18年4月(1)p.20『内令第五百六十八號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等ノ部中「白雪型」ヲ「初雪型」ニ改メ同項中「白雪、」ヲ、同白露型ノ項中「、村雨」ヲ削リ同「朝潮型」ヲ「満潮型」ニメ同項中「、朝潮、大潮」「、「荒潮」「、峯雲」ヲ、同陽炎型ノ項中「時津風、」ヲ削ル(以下略)』。.

新しい!!: 大谷内一夫と吹雪 (吹雪型駆逐艦) · 続きを見る »

山城 (戦艦)

山城(やましろ)は、大日本帝国海軍(日本海軍)の戦艦。扶桑型戦艦の2番艦。.

新しい!!: 大谷内一夫と山城 (戦艦) · 続きを見る »

山雲 (駆逐艦)

山雲(やまぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、大日本帝国海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の6番艦である。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属しスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲雷撃を受けて沈没した。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦「やまぐも」に継承された。.

新しい!!: 大谷内一夫と山雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

ビスマルク海海戦

日本軍の行動図 ビスマルク海海戦(ビスマルクかいかいせん、Battle of Bismarck Sea)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)3月2日から3月3日に、ビスマルク海からダンピール海峡にかけての海域で、連合国軍が日本軍の輸送船団に対し航空攻撃を行ったことで発生した戦闘のこと昭和天皇実録九巻42頁『(昭和十八年三月)三日 水曜日(第五十一師団輸送船団壊滅)』。.

新しい!!: 大谷内一夫とビスマルク海海戦 · 続きを見る »

ろ号作戦

ろ号作戦(ろごうさくせん)は、第二次世界大戦中の1943年11月に実施された日本海軍による航空作戦である。連合軍によるモノ島上陸を発端に始まった戦闘中に発令され、日本は基地航空部隊と空母所属の第一航空戦隊をもって、ブーゲンビル島周辺に来襲した連合軍の上陸船団とそれを支援する艦隊に対して攻撃を行った。作戦名は「い号作戦」に続く作戦という意味(いろは順)で付けられた。連合国は大きな被害もなく上陸作戦に成功し、日本は航空戦力を大きく消耗した。 この作戦中に発生して事後も続いたブーゲンビル島沖航空戦については「ブーゲンビル島沖航空戦」を参照。.

新しい!!: 大谷内一夫とろ号作戦 · 続きを見る »

アッツ島沖海戦

アッツ島沖海戦(アッツとうおきかいせん)は、第二次世界大戦中にコマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦。連合国軍側の呼称はコマンドルスキー諸島海戦(Battle of the Komandorski Islands)#モリソンの太平洋海戦史218頁。.

新しい!!: 大谷内一夫とアッツ島沖海戦 · 続きを見る »

サボ島沖海戦

ボ島沖海戦(サボとうおきかいせん)は、第二次世界大戦のガダルカナル島周辺において1942年(昭和17年)10月11日深夜〜12日に日本軍とアメリカ軍の間で行われた海戦である。連合軍側の呼称はBattle of Cape Esperance (エスペランス岬沖海戦)。 なおサボ島沖海戦の2ヶ月前に行われた別海戦で、日本軍側が第一次ソロモン海戦と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Savo Island」と呼んでいる。.

新しい!!: 大谷内一夫とサボ島沖海戦 · 続きを見る »

第二次ソロモン海戦

二次ソロモン海戦(だいにじソロモンかいせん)は、第二次世界大戦中、1942年8月24日にソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍との間の海戦。連合軍側の呼称は東部ソロモン海戦。日本海軍は空母1隻を喪失、ガダルカナル島への兵員輸送にも失敗して敗北した。.

新しい!!: 大谷内一夫と第二次ソロモン海戦 · 続きを見る »

真珠湾攻撃

大日本帝国海軍艦隊の航跡図 大日本帝国海軍攻撃隊の侵入経路図 真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾"Pearl Harbor"を「真珠湾」と訳すことには異論もある。詳細は真珠湾を参照。にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争における南方作戦の一環として、開戦劈頭でマレー作戦に次いで実施された。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。.

新しい!!: 大谷内一夫と真珠湾攻撃 · 続きを見る »

特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗) 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 彗星(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)。突入後アメリカ軍が回収した遺品により搭乗員が特定された例の一つ。 フォーミダブルに特攻機(零戦)が1機突入、56名が死傷し11機の艦載機が炎上 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、「特別に編成された攻撃部隊」。略称は「特攻隊」(とっこうたい)。当記事では、攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても記述する。 語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からである。同戦争の末期には、爆弾や爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器、もしくは専用の特攻兵器を使用して体当たりし自爆するといった戦死を前提(後者)とするものが中心となった。海外の例では、第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベがある。.

新しい!!: 大谷内一夫と特別攻撃隊 · 続きを見る »

萩風 (駆逐艦)

萩風(はぎかぜ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津軽(ツガル)|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 国後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』。陽炎型駆逐艦の第17番艦である。1942年6月のミッドウェー海戦では空母加賀の乗組員を救助、赤城(南雲機動部隊旗艦)を雷撃で処分した。1943年8月のベラ湾夜戦で戦没した。.

新しい!!: 大谷内一夫と萩風 (駆逐艦) · 続きを見る »

飢餓作戦

Mk26機雷。 飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦 は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。日本の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日本の海運に影響を残した。.

新しい!!: 大谷内一夫と飢餓作戦 · 続きを見る »

西山浅次郎

西山 浅次郎(にしやま あさじろう、1926年5月20日 - )は、英文学者、慶應義塾大学名誉教授。 茨城県生まれ。1950年慶應義塾大学文学部英文科卒、1958年慶大法学部講師、64年助教授、71年教授、1989年定年退任、名誉教授、杏林大学教授。.

新しい!!: 大谷内一夫と西山浅次郎 · 続きを見る »

金剛 (戦艦)

金剛(こんごう/こんかう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦#達明治45年5月p.6『達第五十八號 英國ニ於テ建造ノ伊號装甲巡洋艦ヲ金剛ト命名セラル 明治四十五年五月十八日 海軍大臣 男爵 齋藤實』#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.5『艦艇類別等級表|軍艦|戦艦|金剛型|金剛、榛名、霧島』。イギリスに発注された最後の主力艦である。2度の改装後は高速戦艦として、大東亜戦争でも活躍した。なお金剛は、日本海軍が大東亜戦争で使用した唯一の外国製日本戦艦でもあったただし、前弩級戦艦であった敷島型戦艦朝日が工作艦として太平洋戦争に実戦参加。。.

新しい!!: 大谷内一夫と金剛 (戦艦) · 続きを見る »

横森周信

横森 周信(よこもり ちかのぶ、1925年(大正14年) -2015年(平成27年 )は、日本の医師、航空評論家。 東京生まれ。はじめ航空工学を学ぶがのち東京大学医学部卒業、1960年「皮膚ヒスタミンに関する研究」で医学博士。『航空情報』編集委員、日本テレビ健康管理室長。2004年航空功績賞受賞。 平成27年2月14日、肺炎のため死去。.

新しい!!: 大谷内一夫と横森周信 · 続きを見る »

漢口大空襲

漢口大空襲(かんこうだいくうしゅう)は、太平洋戦争・日中戦争後期の1944年12月17日に、アメリカ陸軍航空軍が日本勢力下の漢口(現武漢市の一部)に対して行った航空攻撃である。戦闘の結果、日本陸軍の防空戦闘機隊は大きな損害を受け、漢口の市街地の半分が焼失した。アメリカ軍がB-29爆撃機と焼夷弾による大規模な都市爆撃を行った最初の事例であり、その後の日本本土空襲において焼夷弾を使った絨毯爆撃戦術を導入する参考にもなった。.

新しい!!: 大谷内一夫と漢口大空襲 · 続きを見る »

朝雲 (駆逐艦)

朝雲(あさぐも)は#達昭和11年p.11『達第百六十四號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十一年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻工作艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十一年十月二十二日 海軍大臣永野修身|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 驅逐艦 朝雲(アサグモ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 山雲(ヤマグモ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 工作艦 明石(アカシ)』、日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦朝潮型(満潮型)の5番艦である。スラバヤ沖海戦、第三次ソロモン海戦、ビスマルク海海戦、キスカ島撤退作戦など太平洋戦争の数々の海戦に参加。1944年(昭和19年)10月下旬のレイテ沖海戦で西村艦隊に所属してスリガオ海峡へ突入、米艦隊の砲撃で撃沈された。艦名は海上自衛隊のやまぐも型護衛艦3番艦「あさぐも」に継承された。.

新しい!!: 大谷内一夫と朝雲 (駆逐艦) · 続きを見る »

扶桑 (戦艦)

扶桑(ふそう/ふさう)は、日本海軍の戦艦#達大正3年4月p.3『達第五十七號 呉海軍工廠ニ於テ建造ノ第三號戰艦ヲ扶桑ト命名セラル 大正三年三月二十八日 海軍大臣 男爵 斎藤實』。 扶桑型戦艦の1番艦。日本独自の設計による初の超弩級戦艦である。扶桑の由来は日本の古い異名の一つであり、同名を頂く艦としては二代目となる(初代扶桑は1879年竣工の装甲フリゲート)。 艦内神社は男山八幡宮(石清水八幡宮)および伊勢神宮。.

新しい!!: 大谷内一夫と扶桑 (戦艦) · 続きを見る »

時雨 (白露型駆逐艦)

時雨(しぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦(白露型一等駆逐艦)の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「時雨」に続いて2隻目。「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称された武勲艦でもあった。.

新しい!!: 大谷内一夫と時雨 (白露型駆逐艦) · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »