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塘沽協定

索引 塘沽協定

塘沽協定(とうこきょうてい)は、1933年(昭和8年)5月31日、河北省塘沽において日本軍と中国軍との間に締結された停戦協定である。これにより柳条湖事件に始まる満州事変の軍事的衝突は停止された。塘沽停戦協定とも呼ばれる。.

48 関係: 十五年戦争塘沽区大東亜戦争外交官宋哲元岡村寧次中国の歴史中華共和国中華民国張慶余休戦協定佐々木丙二何応欽土肥原・秦徳純協定チャハル作戦冀察政務委員会冀東防共自治政府商震八・一宣言国共内戦犬養毅羅文幹熊斌盧溝橋事件遠藤三郎 (陸軍軍人)華北分離工作非武装地帯覇者の戦塵黄郛齋藤内閣近代から現代にかけての世界の一体化関麟徴蒋介石通州事件恵通航空梅津・何応欽協定殷同汪兆銘湯爾和満州事変満州国満州国の郵便史戦中昭和浜海新区日中戦争1933年5月31日

十五年戦争

十五年戦争(じゅうごねんせんそう)とは、1931年(昭和6年)の満州事変から1945年(昭和20年)ポツダム宣言受諾による太平洋戦争(太平洋以外の地域も含む、大東亜戦争)の終結に至るまでの約13年11か月にわたる紛争状態と戦争を、総称した呼称である。日本の先の戦争を、原因から結果まで総じて論じることが可能であるため、学者・有識者などによって便宜利用される。しかし途中に非戦争状態の時期がある不連続性(満州事変の終結、上海事変の勃発と終結、日中戦争の開始)という問題と、歴史学・政治学でしばしば用いられるような一定の観点に基づく概念にすぎないため、一つの戦争であるとの誤解を招くことから、現在学校教育ではこの語は用いられない。なお、満州事変・柳条湖事件は、関東軍の緻密かつ入念な事前の計画に基づくものである。これに対し、盧溝橋事件は偶発的な発砲が発端となり、松井=秦徳純協定により盧溝橋事件はいったん収拾した。それにもかかわらず、中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ、蒋介石による「最後の関頭」演説後の中国軍からの日本軍・日本人居留民に対する度重なる攻撃、第二次上海事変により日中戦争(支那事変)の戦闘は本格化した。したがって、日中戦争の始期を、柳条湖事件、盧溝橋事件、中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけのいずれと考えるかにより、1937年以降の日中間の戦争の歴史的な評価に重大な影響を与えることになろう。 十五年戦争の呼称は評論家の鶴見俊輔が1956年(昭和31年)に「知識人の戦争責任」(『中央公論』1956年1月号)のなかでこの言葉を使用したのが最初とされ、鶴見は3つの段階に分けている。満州事変から1942年(昭和17年)夏頃の太平洋戦争の戦況悪化までの期間を戦争景気と呼ぶことがある。.

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塘沽区

塘沽区(とうこ-く)は中華人民共和国天津市にかつて設置された市轄区。渤海の海岸に位置し、海河の河口がある。天津市中心部からは海河を50kmほど下った位置にあり、華北地区の重要港湾である天津港は塘沽の臨海地域を中心とされていた。 2009年9月、塘沽区、漢沽区、大港区の三市轄区は合併し、新たに副省級区である浜海新区の設置を決定、2010年に正式に設置された。.

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大東亜戦争

開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.

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外交官

外交官(がいこうかん、)は、外交使節団の長および使節団の職員で外交官の身分を有する外交職員の総称。.

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宋哲元

宋 哲元(そう てつげん)は中華民国の軍人。最初は北京政府、国民軍、後に国民革命軍(国民政府)の軍人となる。最終階級は陸軍上将。馮玉祥配下の「五虎将」(他は張之江・鹿鍾麟・鄭金声・劉郁芬)の1人と目された。字は明軒。.

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岡村寧次

岡村 寧次(おかむら やすじ、1884年(明治17年)5月15日 - 1966年(昭和41年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任し、官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛の娘と再婚する。陸軍三羽烏の一人。.

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中国の歴史

中国の歴史(ちゅうごくのれきし)、あるいは中国史(ちゅうごくし)とは、中国または中国大陸における歴史のこと。 中国の黄河文明は古代の世界四大文明の一つに数えられ、また、黄河文明よりもさらにさかのぼる長江文明が存在した。以降、現代までの中国の歴史を記す。 なお、その対象は、中国大陸の歴史であり、漢民族の歴史ではない。.

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中華共和国

中華共和国(ちゅうかきょうわこく)は、1933年に発生した福建事変(閩変)の際に、陳銘枢、李済深及びに十九路軍によって、福州で樹立された政権の名称。1933年11月22日に正式な成立を果たしたが、1934年1月13日に国民政府の中央軍が福州へ侵攻したため、政権の維持はわずか50数日であった。.

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中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

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張慶余

張 慶余(ちょう けいよ、1895年 - 1963年9月18日)は中華民国の軍人。冀東防共自治政府の保安総隊の指揮官で、通州事件を起こした人物である。.

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休戦協定

休戦協定(きゅうせんきょうてい)あるいは停戦協定(ていせんきょうてい、Armistice)とは、戦争や武力紛争を行う双方の勢力が戦闘を停止するための協定。英語の "Armistice" は、ラテン語の arma(兵器)と stitium(停止)から来ている。.

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佐々木丙二

佐々木 丙二(ささき へいじ、1899年(明治32年)3月15日 - 1945年(昭和20年)9月1日)は、大日本帝国海軍の軍人。海軍兵学校48期。第32特別根拠地隊ザンボアンガ派遣隊長兼第33警備隊副長として戦病死。最終階級は海軍中佐。五・一五事件を契機に予備役に編入され、満州国軍政部に籍を置いた時期もあった。.

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何応欽

何 応欽(か おうきん、1890年4月2日 - 1987年10月21日)は中華民国の軍人。字は敬之。貴州省興義府興義県出身。祖籍は江西省撫州府臨川県。 東京振武学校第11期、日本陸軍士官学校28期卒業。黔軍(貴州陸軍)出身で、後に孫文(孫中山)配下となり、国民革命軍創設に貢献した。孫死後はかねてから親しかった蒋介石を支え、その片腕と評されるまでになった。軍政部長を長期にわたり務め、日中戦争末期に連合国中国戦区陸軍総司令に就任、日本の降伏受諾任務にも携わる。しかし戦後は蒋との関係が悪化して一時冷遇され、国共内戦後半に復権して国防部長や行政院長も務めたが中国人民解放軍に敗北した。 青天白日勲章、勲一等旭日大綬章、バス勲章ナイト・コマンダー(KCB)受賞。.

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土肥原・秦徳純協定

土肥原賢二 土肥原・秦徳純協定(どいはら・しんとくじゅんきょうてい、中国語名:秦土協定)は1935年6月に発生した張北事件に端を発し、事件に関与した国民革命軍第二十九軍によるその他の問題を含めて同月27日に取り決められた日中間の協定である。日本側代表の土肥原賢二と中華民国側代表の秦徳純の名が協定名となった。.

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チャハル作戦

チャハル作戦(ちゃはるさくせん)とは、1937年(昭和12年)8月9日から10月17日にかけて行われた察哈爾省・綏遠省(現在の内モンゴル自治区)における日本軍の作戦である。 7月7日の盧溝橋事件から始まった日中戦争(支那事変)で、日本軍は7月末には北平・天津地方を制圧し、華北分離工作を完成させるため、8月には北支那方面軍を編成して河北省保定(パオティン)以北の制圧を実行に移そうとしたが、河北省南部に集結しつつある中国軍と衝突する恐れがあったため準備期間が必要となり一時延期され、代わりに行われた作戦である。「察哈爾作戦」とも表記される。.

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冀察政務委員会

冀察政務委員会(きさつせいむいいんかい)は1935年11月25日に中華民国北部に成立した地方政権、冀東防共自治政府の機関。同政府は戦争前、中国華北にあった日中間の緩衝政権である。1937年8月20日に解散した。.

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冀東防共自治政府

冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)は、1935年から1938年まで中国河北省に存在した政権。当時の日本側の認識によると、地方自治を求める民衆を背景に殷汝耕の指導により成立したとされるが、中国側からは当時から現代に至るまで日本側の特務機関の工作活動により設立された傀儡政権であると主張されており陳暁清「殷汝耕」『民国人物伝 第11巻』 中国社会科学院近代史研究所 中華書局 2002年 p.467; 『二十一世紀』網絡版総第49期、2006.4赵竞存.

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商震

商 震(しょう しん)は、中華民国の軍人。閻錫山率いる山西派の一員であり、また日中戦争(抗日戦争)期における国民革命軍の将軍として活躍した。最終階級は国民革命軍二級上将。字は啓予、起予。祖籍は浙江省紹興府紹興県。.

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八・一宣言

八・一宣言(はちいちせんげん)、正式名を「為抗日救国告全体同胞書(抗日救国の為に全同胞に告げる書)」は1935年(昭和10年)8月1日、モスクワにいた王明等、駐コミンテルン中国共産党代表団が、中国共産党と中華ソビエト共和国中央政府名義で発表した、中国共産党と中華ソビエト共和国中央政府が共同で日本の中国進出に対抗するよう要求した宣言のことである。日本に対する敵対宣言と謂えるものである。.

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国共内戦

国共内戦(こっきょうないせん、)は、当時複数存在した中華民国政府を自称する組織のうち、蒋介石率いる国民革命軍と共産党率いる中国工農紅軍との間で行われた内戦である。第一次国共合作の破綻によって生じた第一次国共内戦(1927年 - 1937年)と、第二次国共合作の破綻によって生じた第二次国共内戦(1945年 - )とに大別される。.

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犬養毅

養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。.

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羅文幹

羅 文幹(ら ぶんかん)は中華民国の政治家・弁護士・法学者。北京政府、国民政府において、司法行政・外交部門などの長をつとめた。字は鈞任。.

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熊斌

斌(ゆう ひん、)は、中華民国(台湾)の軍人・政治家。馮玉祥側近として国民軍で要職に就き、後に国民革命軍に合流した。また、塘沽協定締結の際の中国側首席代表としても知られる。字は哲明、哲民。.

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盧溝橋事件

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である7月7日に日中両軍が衝突した事実は全くない。衝突は7月8日午前5時30分からのことである(坂本夏男「盧溝橋事件勃発についての一検証」『芸林』40(1), p2-26, 1991-02)。。中国では一般的に七七事変と呼ばれる。英語ではMarco Polo Bridge Incident、Battle of Marco Polo Bridgeと呼ばれる。.

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遠藤三郎 (陸軍軍人)

遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1893年1月2日 - 1984年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

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華北分離工作

華北分離工作(かほくぶんりこうさく)とは、日本が北支五省(河北省・察哈爾省・綏遠省・山西省・山東省)で行った一連の政治的工作の総称である。 中国側の呼称は、華北事変で、『中華民国史大辞典』によれば、1935年5月以降の日本軍による一連の「華北自治運動」から、宋哲元をトップとする冀察政務委員会の設置までの期間が該当し、満洲事変・上海事変・盧溝橋事変(事件)と並ぶ「事変」として認識されている。.

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非武装地帯

かつての南北ベトナム間の軍事境界線と非武装地帯(灰色)。ベンハイ川を挟んで両側に広がる。「17度線」という俗称であったが、軍事境界線のうち北緯17度線上に位置するのはベンハイ川の河口付近のみで、それより西では境界線のほとんどは17度線以南を走っている。 非武装地帯(ひぶそうちたい、DMZ、demilitarized zone)とは、戦争・紛争状態あるいは停戦状態にある2つ以上の国家(または軍事勢力・同盟)の間に、平和条約・休戦協定などによって設けられる、軍事活動が許されない地域のことである。多くは、事実上の国境である停戦ライン(軍事境界線)の周辺に設けられる。非武装中立地帯(ひぶそうちゅうりつちたい)、中立地帯(ちゅうりつちたい、Neutral Zone)ともいう。 非武装地帯は居住したり開発したりするには危険であることから手つかずのまま放置され、いくつかの非武装地帯は意図せずして野生生物保護区のようになっている(軍事境界線 (朝鮮半島)を参照)。.

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覇者の戦塵

『覇者の戦塵』(はしゃのせんじん)は中央公論新社より刊行している谷甲州著作の架空戦記。当初は角川書店より出版されていたが6巻を刊行した時点で、中央公論新社へ出版先を変えることになった(その後、角川版6巻を3巻にし、短編を入れた中公版が刊行)。表紙・イラストは佐藤道明。 2016年1月現在、36巻刊行(中公版)。.

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黄郛

郛(こう ふ)は清末民初の政治家。北京政府、国民政府の要人。多くの重要な対日交渉に参与した。旧名は紹麟。字は膺白。原籍は浙江省嘉興府嘉興県。.

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齋藤内閣

記載なし。

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近代から現代にかけての世界の一体化

近代から現代にかけての世界の一体化では、第一次世界大戦勃発から超大国としてのアメリカ合衆国・ソビエト連邦の台頭、第二次世界大戦とヨーロッパ諸国の没落、アジア・アフリカ諸国の独立を取り扱う。 第一次世界大戦の終結において、初めて、民族名あるいは地域名を国家名に名乗らないソビエト連邦が結成された。また、戦場とならなかったアメリカ合衆国は第一次世界大戦を契機にヨーロッパ諸国に対して債権国へと成長を遂げた。 民族自決の原則がドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の旧領で適用されたが、東欧諸国の独立はソビエト連邦と西ヨーロッパ諸国との間の緩衝国としての役割を持ったにすぎず、独立した各国がそれぞれ民族問題を内包する結果となった。加えて、アジアやアフリカでは民族自決の原則が適用されず、多くの国の独立が第二次世界大戦終了を待たなければならなかった。 第二次世界大戦で勝利したアメリカとソ連は、全世界で冷戦と呼ばれる衝突を繰り返した。その中で展開されたベトナム戦争において、アメリカは経済的に日本と西ドイツの台頭を許す結果となった。1967年のヨーロッパ共同体(EC)結成を契機に、西側諸国は米欧日の三極構造へと徐々に変遷していく。また、ワルシャワ条約機構を中心に東側諸国を衛星国化したソ連もまた、中華人民共和国、ユーゴスラビアがソ連に対して離反する動きを見せ始めた時代であった。 第二次世界大戦以降、かつての植民地の多くが政治的に独立を達成していった。そのなかで、西側諸国の枠組みの中で、東南アジア諸国連合(ASEAN)が1967年に結成されるなど、各地域で政治的のみならず、経済的自立を模索する時代へと突入していった。.

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関麟徴

関 麟徴(かん りんちょう、1905年4月18日 - 1980年8月1日)は、中華民国の軍人。黄埔軍官学校第1期卒業生である国民革命軍の軍人で、日中戦争では日本軍からもその能力を高く評価された。旧名は志道、字は雨東。.

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蒋介石

蒋 介石(しょう かいせき、繁体字:蔣介石、1887年10月31日 - 1975年4月5日)は、中華民国の政治家、軍人。第3代・第5代国民政府主席、初代中華民国総統、中国国民党永久総裁。国民革命軍・中華民国国軍における最終階級は特級上将(大元帥に相当)。名は中正で、介石は字、。浙江省寧波府奉化県出身。日本・中国本土では蔣介石の呼び名で知られているが、台湾では蔣中正(チャン・チョンヂェン、蔣中正)の名称が一般的。英語ではChiang Kai-shek(チアン・カイシェック)と呼ばれる。 孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となる。1928年から1931年と、1943年から1975年に死去するまで国家元首の地位にあった。しかし、国共内戦で毛沢東率いる中国共産党に敗れて1949年より台湾に移り、その後大陸支配を回復することなく没した。.

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通州事件

通州事件(つうしゅうじけん)とは、日中戦争(支那事変・北支事変)の初期の1937年(昭和12年)7月29日に中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件中村 (1986)、pp.403-404(産経ニュース、2017年7月29日)。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた。通州虐殺事件とも呼ばれる。 通州は北平(現:北京市)の東約30kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、日本が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた。.

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恵通航空

恵通航空(けいつうこうくう)とは中華民国で短期間存在した航空会社である。.

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梅津・何応欽協定

梅津・何応欽協定(うめづ・かおうきんきょうてい、中国語名:何梅協定)は、1935年(昭和10年)6月10日天津の日本軍司令官梅津中将と北平軍事分会委員長何応欽との間に締結された協定である。.

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殷同

殷 同(いん どう)は、中華民国の政治家・軍人。北京政府、国民政府に属した。後に親日政権である中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)でも要人をつとめた。字は桐声。.

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汪兆銘

汪 兆銘(おう ちょうめい、1883年5月4日 - 1944年11月10日)は中華民国の政治家。字は季新。号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)。知日派として知られた。原籍は浙江省紹興府山陰県(現在の紹興市柯橋区)。.

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湯爾和

湯 爾和(とう じわ)は中華民国の政治家・医師。北京政府の要人。後に中華民国臨時政府に参加し、議政委員長などをつとめた。名は槱だが、字の爾和で知られる。別の字は調鼐。晩年は六松老人と号す。.

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満州事変

満州事変(まんしゅうじへん、)は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍満洲駐留の大日本帝国陸軍が南満州鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件石原莞爾と板垣征四郎は否定したが、極東国際軍事裁判の田中隆吉の証言と、当時関東軍司令部付であった花谷正の手記という形の原稿「満洲事変はこうして計画された」(別冊『知性』昭和31年12月号)により関東軍の関与が明らかとなった。ただし、南満州鉄道の日本爆破説の真偽を確証できないと主張するものもある(中西輝政・北村稔『歴史通』2011年3月号『さきに「平和」を破ったのは誰か』))に端を発し、関東軍による満州(中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変現在柳条湖の事件現場には九・一八歴史博物館が建てられている。この博物館には事件の首謀者としてただ2人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。 関東軍はわずか5か月の間に満州全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。.

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満州国

満洲国の地図 満州国(まんしゅうこく、、)は、1932年(大同元年元号は、 大同(1932年3月1日 - 1934年3月1日)、康徳(1934年3月1日 - 1945年8月18日))から1945年(康徳12年)の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。「洲」が常用漢字でないため、日本の教育用図書を含め一般的に「満州国」の表記が使われるが、日本の法令や一部の文献では「満洲国」が用いられる。 帝政移行後は「大満州帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満州帝国(滿洲帝國)」などと呼ばれていた。日本(朝鮮、関東州)および中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。日本の傀儡政権であるという意見もある。.

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満州国の郵便史

満洲国郵政旗 満州国の郵便史(まんしゅうこくのゆうびんし)では、1932年から1945年まで存在した、事実上日本の傀儡政権とされている満州国(満州帝国と呼称する場合もある)の郵便に関して記述する。.

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戦中

戦中(せんちゅう)とは、戦争が起こっている最中を指す語。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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浜海新区

浜海新区(ひんかいしんく)は天津市の副省級区。.

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日中戦争

日中戦争(にっちゅうせんそう)は、1937年(民国26年、昭和12年)から1945年まで、中華民国と大日本帝国の間で行われた戦争である。日本政府は、勃発当時は支那事変としたが、1941年12月の対英米蘭との開戦に伴い、支那事変から対英米蘭戦までを大東亜戦争とした。中華民国側は、抗日戦争と呼称している。.

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1933年

記載なし。

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5月31日

5月31日(ごがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から151日目(閏年では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の最終日である。誕生花はルピナス。.

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