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吉阪隆正

索引 吉阪隆正

吉阪 隆正(よしざか たかまさ、1917年2月13日 - 1980年12月17日)は、日本を代表する建築家。.

63 関係: 吉阪俊蔵坂倉建築研究所多磨霊園大学セミナー・ハウス大竹十一大竹康市大観峰駅大江宏学校法人アテネ・フランセ富山市立呉羽中学校小石川区建築をめざしてモデュロールル・コルビュジエル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-ヴェネツィア・ビエンナーレトランソニックアテネ憲章内藤廣前川國男国立西洋美術館秀島乾箕作家箕作佳吉箕作元八田中希代子田中泯相模書房DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築芸術選奨象設計集団黒部平駅鈴木基紀鈴木恂SD選書U研究室柴田南雄東京都出身の人物一覧東京都選定歴史的建造物武基雄江津市波多江健郎涸沢ヒュッテ渡邊洋治滝沢健児本村佳久望月真一戦災復興都市計画浦太郎海星中学校・高等学校 (長崎県)...新建築住宅設計競技日本の建築家一覧日本の都市計画家一覧日本建築学会日本建築学会賞早稲田大学の人物一覧早稲田大学芸術学校12月17日1917年1950年代の建築1960年代の建築1980年の日本2月13日 インデックスを展開 (13 もっと) »

吉阪俊蔵

吉阪 俊蔵(よしざか しゅんぞう、1889年9月10日 - 1958年7月14日)は、日本の男性官僚。商工省・内務省で活動した。.

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坂倉建築研究所

坂倉建築研究所(さかくらけんちくけんきゅうじょ)とは、近代建築における巨匠ル・コルビュジエの弟子で日本の近代建築において活躍したのうちの1人である、坂倉準三が1940年に創設した坂倉準三建築研究所が、坂倉準三の死去に伴い1969年に株式会社化し設立した建築設計事務所。 会長は坂倉竹之助。 建築・プロダクトの分野において多くの著名人を輩出しており、巨大プロジェクトをおこなう組織系建築設計事務所としても、小物のようなスケールの物までデザインするアトリエ系建築設計事務所としても受け止められる、希有な社会的評価を得ている。 馬場璋造著「日本の建築スクール」においては、OBの日本建築学会賞受賞数などにおいて抜きん出ている設計事務所であり、建築スクールとしては最大最強として坂倉スクールの紹介がなされている。.

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多磨霊園

噴水塔 多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128万0237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当する。 関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。 長い歴史を持ち緑の多い公園墓地であり、著名人の墓地も多数所在する。.

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大学セミナー・ハウス

本館 図書館セミナー室(左)、講堂(右) 松下館 ユニットハウス 大学セミナーハウス(だいがくセミナーハウス、Inter-University Seminar House)は関東地方の複数の大学、企業、各種研究会などがセミナーなどに使用している施設。 1999年に日本の近代建築20選(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)に選ばれた。.

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大竹十一

大竹 十一(おおたけ じゅういち、1921年 - 2005年)は、日本の建築家。 宮城県生まれ。第一早稲田高等学院から、早稲田大学理工学部建築学科に進学。早稲田大学で会津八一に師事。卒業後、佐藤武夫の建築設計事務所(現・佐藤総合計画)を経て、梓建築事務所(現・梓設計)を共同で設立。 その後1952年から早稲田大学へ戻り武基雄の作品に尽力。1954年、吉阪隆正に請われて建築設計事務所の吉阪研究室(のちのU研究室)創設に参加。同研究室の番頭となる。ヴェニス・ビエンナーレ・日本館の設計など吉阪作品に携わるかたわら、メンバーを指導。1976年ごろ病を患いしばらく設計活動から遠ざかるがのち復職。1980年の吉阪亡き後もU研究室で設計活動を続けた。.

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大竹康市

大竹 康市(おおたけ こういち、1938年5月2日 - 1983年11月20日)は、日本の建築家。都市計画家。象設計集団創設者の一人で中心的存在。宮城県仙台市生まれ。 東北学院中学校・高等学校に進学し、高校では陸上競技とサッカーでインターハイに出場する。1962年、東北大学工学部建築学科卒業。卒業設計は全国優秀賞を受賞する。その後早稲田大学大学院に進学し同大学院修士課程修了。 1964年、吉阪隆正が主宰する建築設計事務所U研究室に入所し、大学セミナーハウス、大島元町復興計画(計画書、大島中学校体育館、吉谷公園、大島参道など)生駒山宇宙科学館、相模湖総合復興計画などを担当する。 1971年、象設計集団設立。同時に早稲田大学産業技術専修学校の講師を務める。 1977年、今帰仁村中央公民館で、芸術選奨文部大臣新人賞受賞。沖縄の一連の都市計画業績に対し日本都市計画学会石川賞受賞。 1982年、名護市庁舎で日本建築学会学会賞。1983年、サッカーの試合中に心臓の発作で倒れて急逝。.

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大観峰駅

大観峰駅(だいかんぼうえき)は、富山県にある立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)の鉄道駅及び同社立山ロープウェイの索道駅。.

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大江宏

大江宏(おおえ ひろし、1913年(大正2年)6月14日 - 1989年(平成元年)3月3日)は、日本の建築家。秋田県秋田市生まれ。モダニズムと日本の伝統様式の高次元な融合を図った建築意匠で知られる。また、教育者として法政大学建築学科の礎を築き、多くの後進を育成した。主な作品に法政大学、丸亀武道館、普連土学園、国立能楽堂など。日本芸術院会員。勲三等旭日中綬章叙勲。父の大江新太郎は明治神宮造営技師を務め、日光東照宮の修理、および明治神宮宝物殿、神田明神の設計を手がけた建築家。長男の大江新は建築家・法政大学名誉教授。.

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学校法人アテネ・フランセ

学校法人アテネ・フランセ (Athénée Français)は、東京都千代田区神田駿河台に本部をおく準学校法人である。2013年9月以前の運営形態は財団法人アテネ・フランセ。.

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富山市立呉羽中学校

富山市立呉羽中学校(とやましりつ くれはちゅうがっこう)は、富山県富山市にある市立中学校。.

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小石川区

小石川区(こいしかわく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の文京区の西部に位置していた。.

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建築をめざして

『建築をめざして』(仏:Vers une architecture)は、フランスの建築家ル・コルビュジエが初期に執筆した代表的な著作。原著は『エスプリ・ヌーヴォー』誌等の記事をまとめ、1923年に出版されたものである。 日本語訳は、『建築をめざして』(吉阪隆正訳、鹿島出版会:SD選書)と、大判の新訳版『建築へ』(樋口清訳、中央公論美術出版、2003年)が出版されている(ただし、後者は抄訳)。本書中の「住宅は住むための機械である」という言葉は、余りにも有名である。.

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モデュロール

モデュロール(Modulor)とは、フランスの建築家ル・コルビュジエが、人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法の数列である。Modulorは、フランス語のmodule(モジュール・寸法)とSection d'or(黄金分割)から作ったル・コルビュジエによる造語である。.

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ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ(Le Corbusier発音およびカタカナ表記の揺れは名前の表記を参照。、1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレジャンヌレとも表記される。=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。 フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)。.

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ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-

ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―(ル・コルビュジエのけんちくさくひん―きんだいけんちくうんどうへのけんちょなこうけん―)は、20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件である。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象となっており、大陸を跨ぐ初の世界遺産登録となった。 世界遺産の暫定リストに当初記載されていた名称はル・コルビュジエの建築と都市計画であった。2009年の第33回世界遺産委員会で「情報照会」と決議された後、構成資産見直しの過程で現在の名称へと改名され、第40回世界遺産委員会(2016年)にてその名称で世界遺産リストに登録された。なお、登録名称の日本語訳に使われている「-」は、外務省や文化庁の発表では全角マイナスが使われている。.

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ヴェネツィア・ビエンナーレ

ャルディーニ(ビエンナーレ公園)のビエンナーレ看板 海から見たジャルディーニ アルセナーレ(旧国立造船所) ヴェネツィア・ビエンナーレ(Biennale di Venezia, 英語: Venice Biennale / Venice Biennial)は、イタリアのヴェネツィアで1895年から開催されている現代美術の国際美術展覧会。イタリア政府が後援するNPOであるヴェネツィア・ビエンナーレ財団が主催し、二年に一度、奇数年に、6月頃から11月頃まで開催されている。ビエンナーレとはイタリア語で「二年に一度」を指す。 この展覧会は、万国博覧会や近代オリンピックのように国が出展単位となっており、参加各国はヴェネツィア市内のメイン会場となる公園やその周囲にパビリオンを構えて国家代表アーティストの展示を行う。国同士が威信をかけて展示を行い賞レースをすることから、「美術のオリンピック」とも称される。 ビエンナーレには美術部門(Esposizione_internazionale_d'arte_di_Venezia)だけでなく、映画部門・建築部門・音楽部門・演劇部門・舞踊部門がある。毎年ヴェネツィアで開催されているヴェネツィア国際映画祭と国際演劇祭、美術と同じ会場で偶数年に開催されている国際建築展覧会・ヴェネツィア建築ビエンナーレ、フェニーチェ劇場で行われる国際音楽祭(ヴェネツィア国際現代音楽祭)、国際舞踊祭(コンテンポラリー・ダンス国際フェスティヴァル)もヴェネツィア・ビエンナーレの一部である。.

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トランソニック

『トランソニック』は、1973年から1976年にかけて12回にわたり『季刊トランソニック』として全音楽譜出版社より出版された、作曲家のための音楽雑誌である。.

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アテネ憲章

アテネ憲章(アテネけんしょう、The Athens Charter)とは近代建築運動の中、「機能的都市」を議題とした1933年のCIAM(近代建築国際会議)で採択された都市計画及び建築に関する理念。近代都市のあるべき姿を提案している。全95条からなる。.

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内藤廣

内藤 廣(ないとう ひろし、1950年(昭和25年) - )は、日本の建築家。株式会社内藤廣建築設計事務所代表。東京大学名誉教授。 海の博物館の設計で日本建築学会賞、第18回吉田五十八賞、芸術選奨新人賞美術部門などを受賞、牧野富太郎記念館で第13回1999年度村野藤吾賞を受賞。 土木、建築、都市計画、造園、インダストリアルデザインなどの都市景観に関連した異なる職域によるデザイン・コラボレーションを提唱し、2003年には織部賞を受賞。2005年に「GSデザイン会議」(GSはグラウンドスケープの略)を篠原修らと発足、同代表。 国土交通省東日本大震災復興都市デザイン検討会委員、岩手県津波防災技術専門委員会委員。 空間デザインコンペティション、建築環境デザインコンペティション、トウキョウ建築コレクション2009、同2010、新国立競技場国際デザイン・コンクールなど、各コンペティションで審査員、及び審査委員長を歴任。.

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前川國男

前川 國男(まえかわ くにお、1905年5月14日 - 1986年6月26日)は日本の建築家である。.

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国立西洋美術館

国立西洋美術館(こくりつせいようびじゅつかん、The National Museum of Western Art、National Museum of Western Art)は、東京都台東区の上野公園内にある、西洋の美術作品を専門とする美術館である。独立行政法人国立美術館が運営している。本館は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界文化遺産に登録されている。.

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秀島乾

島 乾(ひでしま かん(本名:つとむ)、1911年 - 1973年)は、日本の都市計画家。 戦後すぐに日本最初の都市計画のコンサルタントとして活躍した人物。 旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、早稲田大学理工学部建築学科に入学し佐藤武夫に師事。佐藤は戦時中満州の調査研究を熱心に行い、影響を受ける。大学卒業後、満州国民政部技師。新京都市計画全般に携わるほか、満州における満州集団住区制理論、都市計画と集団住区制、住宅傾向などについて研究発表する。満州集団住区制理論は1942年の都邑計画法全面改正の際に法制化した。また戦後、大規模住宅団地開発の構成理論として普及する。 1946年、吉阪隆正、武基雄、大林新らと渋谷・銀座消費観興地区計画設計競技に参加し一等入選。また早稲田文教地区計画を設計担当。戸山キャンパスを生む。しばらくして民間の都市コンサルタント会社を立ち上げ、また早稲田大学で、吉田享二の没後1951年から石川栄耀と都市計画の講義をはじめる。 1962年、松戸常盤平住宅団地計画で竹重貞蔵、波辺孝夫、田住満作らと昭和37年度日本都市計画学会石川賞論文調査部門受賞。.

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箕作家

箕作家(みつくりけ)は、親族に学者が多いことで知られる日本の家系のひとつ。 学者一族としての箕作家は近世の蘭学者箕作阮甫から始まる。阮甫の子孫や婿の系列にも著名な学者も多い。 なお、現在の箕作家当主は学者ではなく、箕作本家の学者一家の伝統は途切れている。.

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箕作佳吉

箕作 佳吉(みつくり かきち、1858年1月15日(安政4年12月1日)- 1909年(明治42年)9月16日)は明治時代の日本の動物学者。理学博士。.

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箕作元八

箕作 元八(みつくり げんぱち、文久2年5月29日(1862年6月26日)- 大正8年(1919年)8月9日)は、美作国(岡山県)津山生まれの日本の男性歴史学者。.

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田中希代子

中 希代子(たなか きよこ、1932年2月5日 - 1996年2月26日)は、戦後昭和時代に活躍した日本のピアニスト、ピアノ教育者。 田中は、ジュネーヴ国際音楽コンクール(第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール(第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール(第5回1955年)の3つの国際コンクールの日本人初入賞者として知られる。 30歳代後半に難病により引退したが、その後は後進の育成に努めた。また、現役時代から当時の皇太子妃(現美智子皇后)から慕われたピアニストとしても知られる。.

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田中泯

中 泯(たなか みん、1945年3月10日 - )は、独特のダンス活動を行い世界的な評価を持つ日本のダンサー・舞踊家である。 近年では俳優としても著名だが、本人は「オドリは個人に所属できません。私は名付けようもないダンスそのものでありたいのです。」と語り「舞'''踏'''家」や「俳優」などと肩書きがつくのを「間違い」「誤解」としている。.

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相模書房

模書房(さがみしょぼう)は、日本の出版社。主に建築に関する書籍を刊行している。.

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DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築

DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築(ドコモモ ジャパンせんてい にほんにおけるモダン・ムーブメントのけんちく)は、DOCOMOMO Japanが現存する近代建築として選定した184件の建築である。.

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芸術選奨

芸術選奨(げいじゅつせんしょう)は、文化庁第18回まで文部省。主催の芸術家の顕彰制度。1950年(昭和25年)度発足。 各年度毎に芸術各分野において優れた業績をあげた人物に対し「芸術選奨文部科学大臣賞」が、またその業績により新生面を開いた人物に対し「芸術選奨文部科学大臣新人賞」が贈られる。.

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象設計集団

象設計集団(ぞう せっけいしゅうだん)は、日本の建築家集団である。1971年に、吉阪隆正の下にいた大竹康市と樋口裕康、富田玲子、重村力、有村桂子の5名によって発足された。代表作品には、日本建築学会賞を受賞した沖縄県の名護市庁舎がある。.

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黒部平駅

黒部平駅(くろべだいらえき)は、富山県中新川郡立山町にある立山黒部貫光黒部ケーブルカー(鋼索線)の鉄道駅及び同社立山ロープウェイの索道駅。.

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鈴木基紀

鈴木 基紀(すずき もとき、1955年9月29日 - )は建築家。北海道旭川市生まれ、勇払原野育ち。 苫小牧市立勇払小学校で教諭笠原紀久恵から教えを受ける。 函館ラ・サール高等学校(今野敏、のむらしんぼらと同期)、早稲田大学理工学部建築学科を1979年に卒業(大塚聡、高橋真、葭内博史らと同期)。 在学中、ラーメン屋台を描きデザインコンペに入賞。卒業後、ヨーロッパ・北アフリカを放浪後、建築家・鈴木恂(吉阪隆正の系譜を引く建築家)に6年間師事する。鈴木恂のアトリエでGAギャラリー、桂離宮作図、二川幸夫邸などを担当。 独立後の代表作としてIZVI(静岡県伊豆市姫の湯)、UMI(鹿児島県喜界島)など。.

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鈴木恂

鈴木 恂(すずき まこと、1935年4月28日 - )は、日本の建築家。AMSアトリエ主宰。早稲田大学名誉教授。.

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SD選書

SD選書 は鹿島出版会から出版されている建築・建築史を中心とした選書シリーズで1965年に発足。 国内外の建築家・都市研究者の論考・伝記を広く紹介する役割を果たしている。また芸術学・美術史関連も刊行されている。.

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U研究室

U研究室(ゆうけんきゅうしつ)は、アトリエ系建築設計事務所の名称。 主宰者は吉阪隆正であるが、実質のリーダーは大竹十一が務めた。現在は三宅豊彦が務めている。.

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柴田南雄

柴田 南雄(しばた みなお、1916年(大正5年)9月29日 - 1996年(平成8年)2月2日)は日本の作曲家、音楽評論家、音楽学者。.

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東京都出身の人物一覧

東京都出身の人物一覧(とうきょうとしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する東京都出身の人物(公人・文化人・芸能人・スポーツ選手など)の一覧表である。 東京府・東京市が廃止されて東京都になったのは1943年7月からであるが、ここでは便宜的に1943年7月以前に生まれた人物も含む。.

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東京都選定歴史的建造物

東京都選定歴史的建造物(とうきょうとせんていれきしてきけんぞうぶつ)とは、東京都景観条例に基づいて選定される建造物である。 選定基準は、1.原則として建築後50年を経過していること 2.東京の景観づくりにおいて重要なものであること 3.できるだけ建築当時の状態で保存されていること 4.外観が容易に確認できること の4点である。選定された建造物は、建造物周辺の歴史的景観保全の指針が適用される。 文化財保護法または東京都文化財保護条例に基づき、日本国または東京都の文化財に指定または登録された建造物は選定の対象とならない(条例第22条第1項)。ただし選定対象外の建造物・史跡・名勝で特に歴史的景観の形成上重要なものは「景観上重要な歴史的建造物等」に指定して歴史的景観保全の指針を適用する(条例第32条第1項)。また重要文化財など文化財指定に伴い選定解除になった建造物にも、歴史的景観保全の指針は引き続き適用される。 また、東京都にはこれとは別に東京都指定文化財がある。.

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武基雄

武 基雄(たけ もとお、1910年3月22日 - 2005年10月8日)は、日本の建築家。早稲田大学名誉教授。武建築設計研究所を主宰し、多くの優れた建築作品を残す。元新建築家技術者集団代表幹事。鎌倉彫の武登苑は夫人。日本画家福永晴帆は義父。長崎市生まれ。 1937年 早稲田大学理工学部建築学科卒。1937年から1940年の間石本喜久治の石本建築事務所勤務。同僚の立原道造、海老原一郎、西山卯三らや、立原の友人丹下健三らと知己になる。 1940年から1979年まで、早稲田大学で教鞭をとる。藤井博巳、菊竹清訓ら多くの俊英を育てる。戦災復興都市計画では、吉阪隆正らと主に広島県呉市を担当。1950年、建築設計事務所・武建築設計研究所を開設。 主な作品に長崎水族館、長崎市公会堂と古川市民会館(宮城県。現大崎市民会館)(DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築)、島原文化会館、諫早市民センター、島原図書館、鎌倉商工会議所会館、など多数。 著書に、『現代木造住宅のディテール 基本と応用』(監修) 、『市民としての建築家』(相模書房/1983) 、『都市は「ふるさと」か』(F.レンツ.

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江津市

大崎鼻から敬川・都野津・江津市街地方面を望む 江津市(ごうつし)は、島根県西部の日本海に面した市。山陰地方の中では最も人口が少なく、県内で最も面積が狭い市である。 東京からの移動時間距離が全国で一番遠い都市(2007年現在)として知られており高等学校「地理A」の教科書やテレビ番組でも取り上げられた。.

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波多江健郎

波多江 健郎(はたえ たけお 大正11年(1922年)1月11日-平成27年(2015年)10月25日 )は、日本の建築家。都市計画家。都市研究者。波多江健郎建築研究所を主宰。工学院大学名誉教授。社団法人大都市圏研究開発協会「リバーブル21東京」研究委員会委員長。 東京生まれ。1948年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。日本放送協会NHK建築部勤務を経て1952年渡米し米国ワシントン州立大学建築学部を卒業し米国建築学士修得。その後ハーバード大学デザイン大学院にて修士課程を修了し米国建築修士修得。大学院在学中にボストンやニューヨーク・タイムズスクエアエリア、スプリングフィールドなどの中心市街地の都市再開発に携わる。 帰国後に工学院大学勤務。1966年に教授就任。その後テキサス州立大学フルブライト交換教授を歴任する。 代表作品に、工学院大学富士吉田セミナー校舎は第二回ビエンナーレ国際建築コンクール特別賞受賞。1967年に竣工した矢吹町矢吹統合中学校は日本建築家協会JIA再生部会の未来に残したい20世紀の建築リストに掲載されていたが、隣接地に新校舎が建てられ、旧校舎は解体。この他、とどろきの家(東京都世田谷区等々力、1978年)、富士サンロククリニック、富士桜高原の家(1981年)、東林間の家(1981年) などがある。 アーバンデザイン・都市関係では兵庫県姫路市や東京都三鷹市などの再開発計画がある。研究としては岩手県の村落・居住地の構成に関する研究や都市周辺に於ける住宅都市の研究など。長野県信濃町では観光診断調査及び計画報告を1978年に環境デザインフォーラムとして代表委員の吉阪隆正や池原義郎、宮本忠長らとともに参画。ほか広域観光計画では他にモロッコ・タンジィール中心施設計画を通してのレクリェーション計画、ラング・ドック・ルシオン沿岸総合計画、四国地域観光開発の基本構想計画などがある。.

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涸沢ヒュッテ

涸沢ヒュッテ(北穂高岳中腹から撮影・2007年8月) 涸沢ヒュッテ(からさわヒュッテ)とは長野県松本市安曇の山中の穂高岳(奥穂高岳等)の東側にある氷河圏谷、涸沢の標高2309メートルのモレーンに建つ山小屋である。.

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渡邊洋治

渡邊洋治(わたなべ ようじ、1923年6月14日 - 1983年11月2日)は、新潟県直江津市(現:上越市)出身の建築家。 陸軍船舶兵出身で随所にその影響がうかがえる独特のデザインの建築物を手がける。狂気の建築家、異端の建築家と呼ばれた。代表作に第3スカイビル(鉄のマンション)。この東京都新宿区職安通り沿いに残る通称「軍艦マンション」第3スカイビルなどの建築のほか、黒マジックペンを使用し背景を黒くして描かれる数々のコンペ案のドローイングで著名。そのため勤務していた大学の大学院生らに「マジラ」とあだ名をつけられ、また師の吉阪隆正によると、万博会館コンペ審査で浦辺鎮太郎から「鬼軍曹」と命名されたという。 建築設計事務所をはじめた当初は日本古来の木造工法を用いた作品を多く発表。コンクリート造では大スパン工法を用いていた。その後ユニット型・カプセル形式の建築を手がけ始め、晩年は龍や虎を模したものや渦巻き型の建築プランを嗜好した。.

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滝沢健児

滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年 - 2013年5月2日)は、日本の建築家。 長野県更埴市(現千曲市)出身。早稲田大学大学院修了後、吉阪隆正主宰のU研究室の創設メンバーとして1954年から1964年まで在籍。この時期に関わった代表作に「浦邸」(『吉阪隆正の方法 浦邸1956』斉藤祐子編著、住まい学大系064:住まいの図書館出版局、1994に詳しい)がある。ほかに、「ヴィラ・クゥクゥ」、「富山市立呉羽中学校旧校舎」、「大学セミナー・ハウス」などを担当した。 1965年に自身の建築設計事務所を開設、更埴市庁舎などを設計している。国士舘大学教授も務めた。著書に、『図面と表現・建築』、『すまいの明暗』、『木とけとき』などがある。 2013年5月2日、肺炎のため死去。85歳没。.

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本村佳久

本村 佳久(もとむら よしひさ)は日本の建築家。一級建築士、広島女学院大学人間生活学部教授。東京都出身。.

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望月真一

望月 真一(もちづき しんいち、1949年 - )は、日本の建築家、都市プランナー、アーバンデザイナー、環境デザイナー、都市コンサルタント。埼玉大学大学院、宇都宮大学、早稲田大学芸術学校非常勤講師を務める。東京生まれ。.

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戦災復興都市計画

戦災復興都市計画(せんさいふっこうとしけいかく)は、太平洋戦争後の日本において空襲等を受けて破壊された都市の復興のため、戦災復興土地区画整理事業等によって進められた都市計画事業である。 空襲で破壊された都市の復興のために策定された。書籍等では単に「戦災復興」や「戦災復興計画」などと呼ばれることもあるが、「戦災復興都市計画の再検討に関する基本方針」(昭和24年6月24日 閣議決定)、「戦災復興都市計画の促進について」(昭和24年10月4日 閣議決定)を踏まえ、本稿では「戦災復興都市計画」を用いる。.

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浦太郎

浦 太郎(うら たろう、1920年7月22日 - )は、日本の数学者。.

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海星中学校・高等学校 (長崎県)

海星中学校・高等学校(かいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう, Kaisei Junior and Senior High School)は、長崎県長崎市東山手町にある私立中高一貫校。 フランス系カトリック・マリア会によって運営されているミッションスクールである。2017年に創立125周年を迎えた。.

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新建築住宅設計競技

新建築住宅設計競技(しんけんちくじゅうたくせっけいきょうぎ)は、世界的な建築家を審査員に迎え、毎年行われる建築設計競技。.

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日本の建築家一覧

日本の建築家一覧(にほんのけんちくかいちらん)は、日本の建築家の一覧である。掲載順は、姓の五十音順。.

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日本の都市計画家一覧

日本の都市計画家一覧(にほんのとしけいかくかいちらん)は、日本の都市計画をする者、都市計画家(Urban planner)についての一覧である。.

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日本建築学会

一般社団法人日本建築学会(いっぱんしゃだんほうじんにほんけんちくがっかい、英称:Architectural Institute of Japan、略称 AIJ)は、建築に関する学術・技術・芸術の進歩発達をはかることを目的とし、1886年(明治19年)に設立された日本の学会。日本学術会議協力学術研究団体。.

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日本建築学会賞

1996年 植村直己冒険館のレリーフ 日本建築学会賞(にほんけんちくがっかいしょう)は、一般社団法人日本建築学会が設けている国内で最も権威のある建築の賞。日本国内における建築・建設分野で功績をあげた個人・団体を称え授与される。.

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早稲田大学の人物一覧

早稲田大学の人物一覧(わせだだいがくのじんぶついちらん)は、早稲田大学に関係する人物の一覧記事。(※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く))。.

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早稲田大学芸術学校

早稲田大学芸術学校(わせだだいがくげいじゅつがっこう)は、東京都新宿区大久保(早稲田大学西早稲田キャンパス内)に所在する専門学校(産業技術専門課程)。かつての前身校では元日本建築学会会長の建築家吉阪隆正が校長を務めていた。現在は建築科、建築都市設計科の2学科が設置されている。2011年度までは都市デザイン科、2010年度までは空間映像科があり、建築、都市デザイン、映像の3分野を学ぶ4学科があった。姉妹校の早稲田大学川口芸術学校は2015年3月に閉校した。.

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12月17日

12月17日(じゅうにがつじゅうななにち、じゅうにがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から351日目(閏年では352日目)にあたり、年末まであと14日ある。.

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1917年

記載なし。

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1950年代の建築

1950年代の建築についての概要である。.

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1960年代の建築

1960年代の建築についての概要である。.

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1980年の日本

1980年の日本(1980ねんのにほん)では、1980年(昭和55年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.

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2月13日

2月13日(にがつじゅうさんにち)は、グレゴリオ暦で年始から44日目にあたり、年末まであと321日(閏年では322日)ある。.

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