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古河虎之助

索引 古河虎之助

古河 虎之助(ふるかわ とらのすけ、明治20年(1887年)1月1日 - 昭和15年(1940年)3月30日)は、日本の実業家。古河財閥創業者古河市兵衛の実子で、3代目当主。爵位は男爵。位階勲等は正四位勲三等瑞宝章。紺綬褒章受章。号は風可。古河財閥を多角化させ、総合財閥に発展させた。.

30 関係: 古河市兵衛古河財閥古河電気工業古河機械金属古河潤之助吉村萬治郎小林美登利帝国大学三田大講堂北区歴史と文化の八十八選北海道大学わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線コロンビア大学の人物一覧ジョサイア・コンドル秋田鉱山専門学校 (旧制)稲垣平太郎聖徳記念絵画館聖シルベストロ教皇騎士団勲章菅礼之助飛鳥山停留場西郷従道豊竹呂昇陸奥廣吉東京都立公園日本の華族一覧旧古河庭園慶應義塾大学の人物一覧慶應義塾普通部1910年代の建築1月1日

古河市兵衛

1871年器械をヨーロッパから輸入し、築地製糸場で初めての器械繰りの糸を作るhttps://kotobank.jp/word/%E7%AF%89%E5%9C%B0%E8%A3%BD%E7%B3%B8%E5%A0%B4-1369617 築地製糸場 つきじせいしじょうコトバンク。歌川芳虎による1872年の浮世絵。 古河 市兵衛(ふるかわ いちべえ、天保3年3月16日(1832年4月16日) - 明治36年(1903年)4月5日)は、日本の実業家で、古河財閥の創業者。京都出身。幼名は木村巳之助、幸助。陸奥宗光の二男の潤吉を養子とした。従五位。.

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古河財閥

古河財閥(ふるかわざいばつ)は、古河市兵衛が設立した財閥。十五大財閥の1つ。.

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古河電気工業

古河電気工業株式会社(ふるかわでんきこうぎょう、英文社名 Furukawa Electric Co., Ltd.)は、古河グループの光ファイバー・電線・ワイヤーハーネス等の製造を行なう非鉄金属メーカーである。 電線御三家(古河電工・住友電工・フジクラ)の一角。光ファイバーでは米コーニング、伊プリズミアンに次いで世界3位、電線では世界5位。自動車エアバッグ用ステアリング・ロール・コネクター(SRC)/世界首位。リチウムイオン電池材料/世界首位。ハードディスク用アルミ基板/世界首位。ETC用アンテナ/国内首位。最近では世界最高電圧の超電導線を開発した。 古河機械金属(旧・古河鉱業)、富士電機、富士通とともに古河グループの中核企業である。.

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古河機械金属

古河機械金属株式会社(ふるかわきかいきんぞく、、旧社名:古河鉱業)は、東京都千代田区丸の内2丁目に本社を置く非鉄金属・産業機械の大手メーカーである。また、東京日本橋の大型複合施設・コレド室町2(室町古河三井ビルディング、地上22階・地下4階・高さ116メートルの超高層ビル)の開発に参画するなど、メーカーでありながら不動産事業も行なっている。 創業は明治8年(1875年)で、創業者は古河市兵衛。古河電気工業、富士電機、富士通とともに「古河グループ(古河三水会)」の中核企業であり、旧・古河財閥の源流企業にして古河電工などの母体企業でもある。明治10年に足尾銅山の開発に着手、これが日本の銅産出量トップとなる(明治17年)など大鉱山に成長したことで古河財閥の礎を築く。その後、古河潤吉(2代目社長)・古河虎之助(3代・5代目社長)の下、足尾銅山を基盤に事業の近代化・企業の多角化を推進し、鉱山開発(古河機械金属)→電線製造(古河電工)→電気機器製造(富士電機)→通信機器製造(富士通)などと裾野を広げ、古河グループ各社が古河機械金属から様々な産業へと分社・独立していった(富士電機や富士通の「富士」は、古河の頭文字「ふ」とドイツ社シーメンスの「じ」に由来する)。また、急成長の過程で公害問題に直面したもののこれを克服し、近代日本産業の発展に大きく貢献した。 第二次世界大戦敗戦後の1946年(昭和21年)、持株会社整理委員会による指定(財閥解体)を受け古河財閥の持株会社としての機能を喪失、更に同年、岡田完二郎社長(のち富士通社長)や吉村萬治郎元社長、名取和作らがGHQの公職追放令に基づく追放指定(公職追放)を受けて重職を辞任させられるなど、終戦を境に再出発を図ることになった。1989年(平成元年)には「古河鉱業」から現社名に社名変更。元々は鉱業より発祥した企業であるが、石炭事業からの撤退や足尾銅山の閉山などを経て事業の多角化に成功し、現在では削岩機などの土木鉱山用機械のトップメーカーとして広く知られる。2005年、事業持株会社体制(事業持株会社である古河機械金属を中心に、子会社46社・関連会社17社で構成)へ移行した。東証1部に上場(日経225銘柄の1つ)、足尾銅山鉱毒事件の原因企業としても著名。.

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古河潤之助

古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年(昭和10年)12月5日 - 2018年(平成30年)3月3日)は、日本の実業家。古河財閥創業者古河市兵衛から数えて古河家5代目当主。元古河林業会長、元古河電気工業名誉顧問。妻は久邇宮朝融王の第五王女、典子.

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吉村萬治郎

吉村 万治郎(よしむら まんじろう、明治19年(1886年)3月22日 - 昭和44年(1969年)5月23日)は、古河合名会社(古河財閥)副総帥、古河鉱業社長、初代富士通社長・創業者。.

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小林美登利

小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- 1961年(昭和36年))は、日系ブラジル人の教育家、宗教家(プロテスタントの牧師)、剣道師範、音楽家、冒険家。考古学や探検にも携わった。大正年間にブラジルに移住し、同国を中心に活動した。.

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帝国大学

帝国大学(ていこくだいがく、旧字体:帝國大學)とは、1886年(明治19年)に公布された帝国大学令によって設立された旧制高等教育機関(大学)である。内地に7校(七帝大:北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)、外地に2校(京城、台北)が設置された。 この項目では、戦前における旧制教育機関の一種別としての帝国大学に加え、現行の新制大学における「大学群」の一種として、旧・内地にあたる日本国内で用いられる「旧帝国大学」(旧七帝大)についても扱う。.

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三田大講堂

三田大講堂(みただいこうどう)は、かつて東京府東京市港区三田の慶應義塾大学三田キャンパス内に存在した建築物である。正式名は慶應義塾大講堂(けいおうぎじゅくだいこうどう)。収容人数は、2,000席。1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲により焼失。.

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北区歴史と文化の八十八選

北区歴史と文化の八十八選(きたく れきしとぶんかのはちじゅうはちせん)は、北海道札幌市北区に残る歴史的建造物や文化遺産を、北区役所が88か所にわたり選定したもの。案内板の設置やガイドブックの配布によって啓蒙が図られている。 88か所の文化遺産は地区ごとに5つのコースに分けられている。案内板には1文字ずつキーワードが書かれており、順番どおりに並べるとコースごとに1つの文章になる。キーワードを正しく集めて、ガイドブックに記入することで、賞品や「北区もの知り博士」の称号が授与される。.

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北海道大学

記載なし。

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わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線

わたらせ渓谷線(わたらせけいこくせん)とは、群馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤駅に至るわたらせ渓谷鐵道が運営する鉄道路線。旧国鉄特定地方交通線の東日本旅客鉄道(JR東日本)足尾線を引き継いだ路線である。通称は「わた渓(わたけい)」、「わてつ」(呼称も参照)。.

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コロンビア大学の人物一覧

ンビア大学(Columbia University)に関係がある人々の一覧。.

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ジョサイア・コンドル

ョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) はイギリスのロンドン出身の建築家。お雇い外国人として来日し、新政府関連の建物の設計を手がけた。また工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として辰野金吾ら、創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。 のちに民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。日本女性を妻とし、河鍋暁斎に師事して日本画を学び、日本舞踊、華道、落語といった日本文化にも大いに親しみ、趣味に生きた人でもあった。 「コンドル」はオランダ風の読み方で、「コンダー」の方が英語に近い。著書『造家必携』(1886年)には「ジョサイヤ・コンドル」とあり、政府公文書では「コンダー」「コンドル」が混在しているが、一般には「コンドル先生」で通っている。「コンデル」とも呼ばれた。.

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秋田鉱山専門学校 (旧制)

秋田鉱山専門学校本館の外観を復元して建設された秋田大学百周年記念館 秋田鉱山専門学校(あきたこうざんせんもんがっこう)は、秋田県秋田市に1910年(明治43年)3月に設立された官立の旧制専門学校。 略称は「秋田鉱専」。英語名称は「Akita Mining College」。.

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稲垣平太郎

垣 平太郎(いながき へいたろう、1888年7月4日 – 1976年4月23日)は、日本の実業家・政治家。前参議院議員。 商工大臣(第33代)、通商産業大臣(初代)を歴任した。.

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聖徳記念絵画館

聖徳記念絵画館の中 ライトアップされた夜の絵画館 聖徳記念絵画館(せいとくきねんかいがかん)は、東京都新宿区の明治神宮外苑にある美術館。 神宮外苑の中心的な建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的にも貴重な絵画を展示している。維持管理は宗教法人明治神宮の予算で賄われており、他からの援助は一切受けていない。警察官により常に厳重に警備されている。.

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聖シルベストロ教皇騎士団勲章

聖シルベストロ教皇騎士団勲章(Ordo Sanctus Silvestri Papae)は、ローマ教皇から授与される騎士団勲章5つのうち1つ。名称は4世紀のローマ教皇、シルウェステル1世(シルベストロ1世、シルヴェストロ1世)に由来する。ヨーロッパ各国語での綴りに準じて、シルベスター、シルウェステル、シルベストルなどと表記する場合も多い。.

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菅礼之助

菅 礼之助(すが れいのすけ、1883年11月25日 - 1971年2月18日)は、日本の実業家、俳人。秋田県生まれ。旧制秋田中学、日本中学(現:日本学園)、東京高等商業学校(現:一橋大学)出身。古河鉱業(現古河機械金属)を経て、石炭庁長官、同和鉱業(現DOWAホールディングス)会長、昭和鉱業(現昭和KDE)会長、東京電力会長、経済団体連合会評議会議長等を務めた。1970年勲一等瑞宝章、1971年従三位勲一等。第九代、十代、十三代如水会理事長。初代日本相撲協会運営審議会会長。俳人としては裸馬と号し、俳誌「同人」を主宰した。.

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飛鳥山停留場

飛鳥山停留場(あすかやまていりゅうじょう)は、東京都北区滝野川一丁目にある都電荒川線(東京さくらトラム)の停留場である。駅番号はSA 17。.

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西郷従道

西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、天保14年5月4日(1843年6月1日) - 明治35年(1902年)7月18日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。兄の西郷隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ佐々木隆(2002)p.96。 文部卿(第3代)、陸軍卿(第3代)、農商務卿(第2代)、元老、海軍大臣(初・2・3・7・8・9・10代)、内務大臣(第4・5・18代)、貴族院議員を歴任した。.

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豊竹呂昇

豊竹 呂昇(とよたけ ろしょう)(1874年(明治7年)8月4日 - 1930年 (昭和5年)6月7日)は、女義太夫師。明治から大正にかけて女義太夫の頂点にいた。本名は永田なか。.

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陸奥廣吉

奥 廣吉(むつ ひろきち、1869年4月16日〈明治2年3月5日〉 - 1942年〈昭和17年〉11月19日)は、日本の華族、外交官、教育者。爵位は伯爵。駐ベルギー特命全権公使、鎌倉女学院校長。陸奥宗光の長男であり、次男・陸奥潤吉(後に古河潤吉、古河市兵衛の養子)、長女・陸奥清子の兄に当たる。妻は。.

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東京都立公園

東京都立公園(とうきょうとりつこうえん)は、東京都が所管する公園。狭義の都立公園は東京都建設局が所管する都市公園を指す。その他の東京都所管公園には、都立海上公園(港湾局)、都立自然公園・都民の森(環境局)などがある。設置場所・地域は国有地か都有地である(国有地は国が管理権を委託)。指定管理者制度の導入により、大部分が指定管理者に管理が委任されている。.

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日本の華族一覧

日本の華族一覧(にほんのかぞくいちらん)は日本に1869年から1947年まであった華族制度の叙爵者の一覧である。 ここでは五十音順で表記する。.

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旧古河庭園

旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)は、東京都北区にある都立庭園である。1919年(大正8年)に古河虎之助男爵の邸宅として現在の形(洋館、西洋庭園、日本庭園)に整えられた。現在は国有財産であり、東京都が借り受けて一般公開している。国の名勝に指定されている。東京のバラの名所として親しまれている。.

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慶應義塾大学の人物一覧

慶應義塾大学の人物一覧(けいおうぎじゅくだいがくのじんぶついちらん)は、慶應義塾大学に関係する人物の一覧記事。 ※数多くの卒業生・関係者が存在するためウィキペディア日本語版内に既に記事が存在する人物のみを記載する(創立者・役員・名誉教授・公職者等は除く)。.

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慶應義塾普通部

慶應義塾普通部(けいおうぎじゅく ふつうぶ、Keio Futsubu School)は、神奈川県横浜市港北区日吉本町一丁目にある、私立中学校。慶應義塾の一貫教育校の一つであり、男子校という特色を持つ(同じく系列の中学校である中等部、湘南藤沢中等部は男女共学の学校)。下末吉台地の上にあり、地震には強い立地と考えられる。尚、付近の避難所は、横浜市立日吉台小学校がある。広域避難場所は、慶應義塾大学日吉キャンパス。海抜は、34.28m(事務室前)。 生徒は、学力・面接・体育よりなる入学試験に合格した者と、系列小学校の幼稚舎から入学する者より構成される(慶應義塾は、内部推薦で最終的に大学まで進学が可能な、いわゆる「エスカレーター式」を採用している)。尚、幼稚舎からの内部推薦者は年度にもよるものの普通部の方が中等部よりも多くなっている.

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1910年代の建築

1910年代の建築についての概要である。.

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1月1日

1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.

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