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原爆下の対局

索引 原爆下の対局

原爆下の対局(げんばくかのたいきょく)は、1945年(昭和20年)8月6日に行われた囲碁の第3期本因坊戦第2局のこと。対局者は橋本宇太郎本因坊と挑戦者岩本薫七段(いずれも当時)。この対局は広島市郊外の佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区吉見園)において行われた。対局中にアメリカ軍の広島市への原子爆弾投下があり、対局者が被爆したことで知られる。原爆対局(げんばくたいきょく)、原爆の碁(げんばくのご)ともいう。 対局が行われていた五日市町吉見園は爆心地から5キロメートルほど離れていたものの、爆風により障子襖などが破壊され対局は一時中断された。混乱はあったが午前中に対局は再開され、原爆投下当日中に終局して白番の橋本本因坊の五目勝となった。.

10 関係: 岩本薫中島町 (広島市)広島市への原子爆弾投下五日市町 (広島県)囲碁の歴史第3期本因坊戦瀬越憲作青木重臣橋本宇太郎本因坊

岩本薫

岩本薫(いわもと かおる、1902年(明治35年)2月5日 - 1999年(平成11年)11月29日)は、大正・昭和の囲碁棋士。第3、4期本因坊で本因坊薫和と号する。島根県益田市出身、広瀬平治郎八段門下。 中盤の戦いに強く、序盤はあちこちに散在する石が徐々に関連して相手に圧力をかけてくるところから「豆まき碁」と呼ばれた。 1945年の第3期本因坊戦での橋本昭宇本因坊との挑戦手合において、広島市郊外の五日市(現佐伯区五日市町)で行われた6番勝負の第2局は原爆下の対局として有名。 1948年から日本棋院理事長、1954年から中央会館館長を歴任。 囲碁の海外普及に尽力し、また私財を投じた岩本基金により、サンパウロ、アムステルダム、ニューヨーク、シアトルの囲碁会館設立に多大な貢献をした。 日本における七大タイトル獲得経験者では最年長にあたる。.

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中島町 (広島市)

原爆投下前の広島市中央部(航空写真) / 同心円の中心が爆心地であり、現在の中島町は元安川を隔てて至近距離に位置している。 中島町(なかじまちょう)は広島市中区の中心部に位置する町であり、広島平和記念公園の所在地として知られる。中国地方や九州で中島は清音のなかしまと読む人名・地名が多いが、こちらはなかじまと濁音である。 この項目では主として、かつて繁華街であった中島町(旧町名は中島本町(なかじまほんまち)・材木町(ざいもくちょう)・天神町(てんじんまち / てんじんちょう)・元柳町(もとやなぎちょう)・木挽町(こびきちょう)・中島新町(なかじましんまち)の6町)の歴史について述べる。.

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広島市への原子爆弾投下

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五日市町 (広島県)

五日市町(いつかいちちょう)は、かつて広島県佐伯郡に存在した町である。.

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囲碁の歴史

狩野永徳による囲碁の絵 この項目では、囲碁の歴史(いごのれきし)について解説する。.

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第3期本因坊戦

3期本因坊戦(だい3きほんいんぼうせん) 第3期の本因坊戦は、第2期本因坊戦の終了後の1943年(昭和18年)から1946年(昭和21年)にかけて行われ、挑戦者岩本薫が、第2期本因坊昭宇(橋本宇太郎)と挑戦手合六番勝負、及び決戦三番勝負を行い、岩本薫が第3期本因坊となり本因坊薫和を号した。戦時下の厳しい環境で行われ、広島市郊外で行われた六番勝負第2局は原爆下の対局として知られる。 棋士の中には徴兵された者も少なくなく、参加した棋士は24名。また第2期の期間中の1942年に、それまで空位になっていた八段位に推薦によって瀬越憲作、鈴木為次郎、加藤信、及び大手合によって木谷實、呉清源が昇段しており、八段級予選が新たに実施された。 戦時下にあって新聞の紙数も縮小されていき、予選実施中に新聞の囲碁欄はなくなってしまっていた。また日本棋院や毎日新聞社の記録も空襲で残っておらず、多くの記録が消失している。.

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瀬越憲作

越 憲作(せごえ けんさく、1889年(明治22年)5月22日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、大正、昭和時代の囲碁棋士。広島県佐伯郡能美村(現広島県江田島市)出身。方円社、日本棋院などに所属、名誉九段。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。.

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青木重臣

青木 重臣(あおき しげとみ、1900年〈明治33年〉8月6日 - 1982年〈昭和57年〉4月21日)は、日本の内務・警察官僚、初代愛媛県公選知事(1期)。.

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橋本宇太郎

橋本宇太郎(はしもと うたろう、1907年〔明治40年〕2月27日 - 1994年〔平成6年〕7月24日)は、昭和の囲碁棋士。第2、5、6期本因坊で本因坊昭宇と号する。大阪府出身、瀬越憲作名誉九段門下。1950年に関西棋院を率いて日本棋院から独立した。才気と闘志溢れる碁風で「天才宇太郎」「火の玉宇太郎」のニックネームを持つ。 1950年7月から1994年7月まで関西棋院総帥、1986年5月から1994年4月まで同棋院理事長。 1945年の第3期本因坊戦での岩本薫七段との挑戦手合において、広島市郊外の五日市町(現:広島市佐伯区)で行われた第2局は原爆下の対局として有名。 2014年7月18日、囲碁殿堂入り(第11回囲碁殿堂表彰)。.

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本因坊

一世本因坊算砂旧跡、京都市左京区仁王門通東大路西入南側寂光寺前 囲碁本因坊発祥の地、京都市中京区寺町通夷川上る東側 本因坊(ほんいんぼう).

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