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共楽館

索引 共楽館

共楽館(きょうらくかん)は、茨城県日立市にある、日立鉱山の福利厚生施設として1917年(大正6年)に完成した劇場である。1967年(昭和42年)には日立鉱山から日立市に寄贈され、現在は日立武道館として使用されている。1999年(平成11年)に国の登録有形文化財に登録され、2009年(平成21年)には日立市の有形文化財に指定されている。なお当記事内では、共楽館と同様に日立鉱山の娯楽施設として建設された本山劇場と、日立鉱山の支山であった諏訪鉱山の娯楽施設であり、やはり日立鉱山が経営していた諏訪会館についても触れていく。.

4 関係: 小唄勝太郎日立市日立市立大雄院小学校日立鉱山

小唄勝太郎

1935年(昭和10年)、茨城県日立町(後の日立市)の「共楽館」で行われた公演光景。『史料集共楽館 地域と共に歩んだ五十年』(NPO法人共楽館を考える集い、1999年) 小唄 勝太郎(こうた かつたろう、1904年11月6日 - 1974年6月21日)は日本の女性歌手。本名は眞野 かつ。旧姓は佐藤。.

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日立市

日立市(ひたちし)は、茨城県の北東部にある太平洋に臨む市。市域の大半は旧多賀郡で一部は久慈郡である。総合電機メーカー・日立製作所の創業の地として知られる。.

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日立市立大雄院小学校

日立市立大雄院小学校(ひたちしりつ だいおういんしょうがっごう)は、1909年創立1979年廃校。70年間存在した小学校である。.

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日立鉱山

日立鉱山(ひたちこうざん)は茨城県日立市にあった鉱山で、主に銅と硫化鉄鉱を産出した。1905年(明治38年)以前は赤沢銅山と呼ばれていた小鉱山であったが、同年久原房之助が経営に乗り出し、日立鉱山と改名され本格的な開発が開始された。久原の経営開始以後大きく発展し、1905年(明治38年)から閉山となった1981年(昭和56年)までの76年間に、約3000万トンの粗鉱を採掘し、約44万トンの銅を産出した日本を代表する銅鉱山の一つとなった井上(2005)によれば日立鉱山における鉱石生産量は、日立鉱山や日本鉱業の各資料に記載されている数字が産出される粗鉱量であったり精錬所で精練が行われた精鉱量であったりして統一的な記載がなく、また各資料から導き出される数字に矛盾も見受けられるとする。実際、岩間(1983)のように日立鉱山での鉱石産出量を1000万トンとする研究者もいる。ここでは日本鉱業株式会社日立精錬所(1986)、鉱山の歴史を記録する市民の会(1988)、「阿武隈山地 日立鉱山」日本地質学会編(2008)など、広く採用されている3000万トンとした。。日立鉱山を母体として久原財閥が誕生し、久原財閥の流れを受けて日産コンツェルンが形成され、また日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生しており、日立鉱山は日本の近代産業史に大きな足跡を残している。 日立鉱山の南隣には硫化鉄鉱を主に産出した諏訪鉱山があり、1917年(大正6年)に久原鉱業によって買収された後は日立鉱山の支山となり、1965年(昭和40年)の閉山まで稼動が続けられた。ここでは日立鉱山とともに諏訪鉱山についても説明を行う。.

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日立武道館

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