10 関係: 南渓瑞聞、小野政直、井伊直宗、井伊直平、井伊直元 (戦国時代)、井伊直虎、井伊直満、井伊谷城、井伊氏、祐椿尼。
南渓瑞聞
南渓 瑞聞(なんけい ずいもん、生年不詳 - 天正17年9月28日(1589年11月6日))は、戦国時代の僧侶。臨済宗龍潭寺二世住職で、南渓和尚とも呼ばれる。今川義元の葬儀を取り仕切る安骨大導師なども務めた。井伊家出身で、女性の井伊直虎を同家当主に推薦したことから、当主不在時に井伊家を率いていた可能性が高い。.
小野政直
小野 政直「政直」の諱は一次史料には見られないが、『龍潭寺文書』のほか末裔に伝わる系譜史料に見られるという。(おの まさなお)は、戦国時代の武将。遠江国引佐郡井伊谷の国人・井伊氏の家老。.
井伊直宗
井伊 直宗(いい なおむね)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主・井伊直平の嫡男。.
井伊直平
井伊 直平(いい なおひら)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国の国人・井伊氏16代当主。井伊直虎・井伊直政の曾祖父。一説には、徳川家康の正室・築山殿の外祖父に当たると言われる。その場合、直平は松平信康の曾祖父になる。.
井伊直元 (戦国時代)
井伊 直元(いい なおもと)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主・井伊直平の五男。.
新しい!!: 井伊直義と井伊直元 (戦国時代) · 続きを見る »
井伊直虎
井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷の領主。「井伊直虎」という名の人物についての同時代史料は一通の書状しか存在しないが、通説では江戸時代に書かれた井伊氏の家伝、『井伊家伝記』において女性ながら井伊家当主になったと記載された井伊直盛の娘、次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。その存在については、様々な考察がなされている(#「直虎」と「次郎法師」との関係に関する議論参照)。 次郎法師は曾祖父は井伊直平、祖父は井伊直宗で、井伊直親と婚約したといわれるが、生涯未婚であった。徳川四天王・井伊直政(虎松)の養母と伝わる。 『井伊年譜』などでは「築山殿は井伊直平の孫娘」と記されており、その場合、築山殿は従叔母(いとこおば)に当たる。.
井伊直満
井伊 直満(いい なおみつ)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国引佐郡井伊谷城主井伊直平の次男または三男。.
井伊谷城
井伊谷城(いいのやじょう)は、遠江国の井伊谷(現在は静岡県浜松市北区引佐町)にあった日本の城である。浜松市指定史跡。.
井伊氏
井伊氏(いいし)は、日本の氏族。近江国彦根藩の主家である。.
祐椿尼
椿尼(ゆうちんに、生年不詳 - 天正6年7月15日(1578年8月28日))は、戦国時代の女性。遠江国引佐郡井伊谷の領主・井伊直盛の妻『大石』pp134-149。.