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井上成美

索引 井上成美

井上 成美(いのうえ しげよし/せいび、1889年(明治22年)12月9日 - 1975年(昭和50年)12月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。海軍大将となった最後の軍人。.

236 関係: 加賀 (空母)加野厚志城英一郎原忠一卯月 (睦月型駆逐艦)南雲忠一及川古志郎古賀峯一吉田学吉田善吾坊ノ岬沖海戦坂野常善堀内豊秋堀悌吉塚原二四三多号作戦多磨霊園多田武雄大川内傳七大井篤大角岑生大日本帝国海軍軍人一覧天龍 (軽巡洋艦)太田質平外交官夕張 (軽巡洋艦)夕凪 (2代神風型駆逐艦)夕暮 (初春型駆逐艦)夕月 (駆逐艦)如月 (睦月型駆逐艦)実松譲宮城県仙台第二高等学校人物一覧宮城県出身の人物一覧宗谷 (船)宗谷 (防護巡洋艦)宇野正美寺島健対支一撃論小林登小松 (料亭)小松輝久小沢治三郎山口多聞山下知彦山梨勝之進山本五十六岡田貞外茂岡敬純岩下保太郎岩村清一...島津信夫嶋田繁太郎川井巌工藤美知尋中山定義中村俊久常磐 (装甲巡洋艦)三羽烏二・二六事件井上秀二井上達三仁科関夫仲谷昇仙台の著名人一覧伏見宮博恭王弥生 (睦月型駆逐艦)佐藤正四郎保科善四郎國川丸 (特設水上機母艦)マル5計画マーシャル・ギルバート諸島機動空襲ハンモックナンバーラバウルの戦いラエ・サラモアへの空襲レイテ沖海戦フィリピンの戦い (1944-1945年)ドルトン・プランドーリットル空襲ニューギニア沖海戦利根 (重巡洋艦)制帽呂号第六十六潜水艦アドルフ・ヒトラーウェーク島の戦いオーガスタ (重巡洋艦)セオドア・S・ウィルキンソンソロモン諸島の戦い光延東洋前坂俊之勲一等旭日大綬章国分正三矢田稔矢野志加三石川信吾石川義光石井義太郎珊瑚海海戦睦月 (駆逐艦)睦月型駆逐艦神威 (水上機母艦)神川丸 (特設水上機母艦)神重徳祥鳳 (空母)秋津洲 (水上機母艦)竹間忠三第三艦隊 (日本海軍)第一航空艦隊第一次ソロモン海戦第二航空戦隊第二次世界大戦に関連する人物の一覧第五航空戦隊第四航空戦隊第四艦隊 (日本海軍)筑紫 (測量艦)筑摩 (重巡洋艦)米内光政練習艦隊美濃部正翔鶴 (空母)疾風 (2代神風型駆逐艦)瑞鶴 (空母)田結穣田村丕顕特別攻撃隊百武源吾芙蓉部隊聯合艦隊司令長官 山本五十六聖川丸 (特設水上機母艦)荒城二郎草鹿任一菊月 (睦月型駆逐艦)青葉 (重巡洋艦)須賀彦次郎衣笠 (重巡洋艦)風間万年飯倉貞造飛龍 (空母)西 (横須賀市)親任官香取 (練習巡洋艦)駐在武官高橋三吉高木武雄高木惣吉鮫島具重豊田副武豊田貞次郎鹿島 (練習巡洋艦)軍事参議院軍事指揮官の一覧軍務局黒島亀人辻政信近衛文麿近藤信竹迅鯨 (潜水母艦)震洋鈴木貫太郎阿川弘之阿部孝壮阿部信行薄雲 (吹雪型駆逐艦)蒼龍 (空母)野村直邦重慶爆撃金城山丸金剛丸 (特設巡洋艦)金龍丸 (特設巡洋艦)長井海の手公園 ソレイユの丘長谷川清艦政本部陸軍悪玉論K作戦柳葉敏郎柳澤蔵之助柳本柳作柴崎恵次架空戦記提督の決断IV条約派東京都の軍事遺跡一覧東郷平八郎松田千秋杉崎善冶郎栗原悦蔵槇智雄横山一郎横山信義横須賀市樋口修一郎樋口直橋本象造武部鷹雄毎日出版文化賞比叡 (戦艦)永野修身治憲王沖島 (敷設艦)法政大学の人物一覧津留雄三津軽 (敷設艦)朝凪 (駆逐艦)朧 (吹雪型駆逐艦)木幡行末次信正有職読み有馬正文有明 (初春型駆逐艦)望月 (駆逐艦)戦藻録我が闘争海にかける虹〜山本五十六と日本海軍海上護衛隊海軍大学校卒業生一覧海軍大将海軍左派海軍兵学校 (日本)海軍兵学校卒業生一覧 (日本)海軍省海軍航空本部海軍機関科問題海軍戦争検討会議記録浅水鉄男新見政一日下敏夫日独伊三国同盟日本における英語日本最後の一覧旗風 (駆逐艦)支那方面艦隊時雨 (白露型駆逐艦)12月15日12月9日1880年代1889年1975年 インデックスを展開 (186 もっと) »

加賀 (空母)

加賀(かが)は、大日本帝国海軍の航空母艦#ポケット海軍年鑑(1935)p.42『航空母艦"加賀 かが" 全要目.

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加野厚志

加野厚志(かの あつし、男性、1945年12月20日 - ) は、日本の時代小説作家。本名は加藤厚(かとう あつし)。主に時代・歴史小説で知られる。社団法人・日本推理作家協会会員。作家阿野冠の父親。.

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城英一郎

城 英一郎(じょう えいいちろう、1899年(明治32年)4月1日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵47期。最終階級は海軍少将。.

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原忠一

原 忠一(はら ちゅういち、1889年(明治22年)3月15日 - 1964年(昭和39年)2月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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卯月 (睦月型駆逐艦)

卯月(うづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 卯月(ウヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の4番艦である。艦名は旧暦で4月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「卯月」に続いて2代目。姉妹艦「睦月」の沈没に伴い、睦月型駆逐艦は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

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南雲忠一

南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。海兵36期。サイパン島の戦闘で自決し、一階級特進により、最終階級は海軍大将。.

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及川古志郎

及川 古志郎(おいかわ こしろう、1883年(明治16年)2月8日 - 1958年(昭和33年)5月9日)は、日本の海軍軍人。新潟県古志郡出身。海兵31期。海軍大学校13期。最終階級は海軍大将。第2次近衛内閣・第3次近衛内閣で海軍大臣。第18代軍令部総長。.

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古賀峯一

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。.

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吉田学

吉田 学(よしだ まなぶ、1927年(昭和2年)2月24日 - 2011年(平成23年)6月7日)は、日本の海軍軍人及び海上保安官、海上自衛官。第15代海上幕僚長。海上自衛隊におけるイージス艦導入を推し進めた人物。.

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吉田善吾

吉田 善吾(よしだ ぜんご、明治18年(1885年)2月14日 - 昭和41年(1966年)11月14日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。海軍大臣、連合艦隊司令長官を歴任した。.

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坊ノ岬沖海戦

坊ノ岬沖海戦(ぼうのみさきおきかいせん)は、1945年(昭和20年)4月7日に沖縄へ海上特攻隊として向かった戦艦大和と護衛艦艇をアメリカ軍の空母艦載機との間で発生した戦闘昭和天皇実録九、636頁(戦艦大和沈没)。日本海軍が発動した天一号作戦の一環として第一遊撃部隊(第二艦隊のうち、戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻・駆逐艦8隻からなる)は沖縄方面に出撃、アメリカ海軍第58任務部隊の空母艦載機がそれを迎撃した。大和以下6隻が沈没(沈没〈大和・矢矧・朝霜・浜風〉・自沈〈磯風・霞〉)。日本海軍による最後の大型水上艦による攻撃となった。.

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坂野常善

坂野 常善(さかの つねよし、1884年(明治17年)12月1日 - 1971年(昭和46年)9月21日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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堀内豊秋

堀内 豊秋(ほりうち とよあき、1900年(明治33年)9月27日 - 1948年(昭和23年)9月25日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍大佐。熊本県熊本市出身。.

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堀悌吉

堀 悌吉(ほり ていきち、1883年(明治16年)8月16日 - 1959年(昭和34年)5月12日)は日本の海軍軍人。大分県杵築市出身。 同期生の山本五十六、後輩の井上成美からの信頼が厚く、山本権兵衛、加藤友三郎らの系譜を継ぎ海軍軍政を担うと目されていたが、軍縮会議後の大角人事により中将で予備役に編入される。東條内閣の海相・嶋田繁太郎が、「堀が開戦前に海軍大臣であれば、もっと適切に時局に対処できたのではないか」と述べているように、その才幹を惜しまれた人物である。また"戦争自体は悪である"との持論を持っていた。.

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塚原二四三

塚原 二四三 (つかはら にしぞう、1887年(明治20年)4月3日 - 1966年(昭和41年)3月6日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

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多号作戦

多号作戦(たごうさくせん)は、太平洋戦争(大東亜戦争)終盤のフィリピンの戦いで戦史叢書54巻445頁「一 全般経過の概要」「米軍レイテ、ミンドロに上陸」、日本陸軍と日本海軍が協同で実施したレイテ増援輸送作戦のこと戦史叢書93巻51頁「レイテ戦局の悪化と第一師団の緊急輸送/レイテ増援輸送作戦を多号作戦と呼称」日本水雷戦史548-549頁「多号第二~四次船団」。 主な揚陸地の名をとりオルモック輸送作戦とも呼ばれる。連合国側の名称はオルモック湾海戦。 1944年(昭和19年)10月末から12月上旬まで、レイテ島地上戦にともなうレイテ島西岸オルモックへの増援部隊輸送を第1次(当初は鈴二号作戦と呼称)から第9次作戦まで繰り返した戦史叢書54巻448-449頁「増援兵力の輸送」。第10次作戦も予定していたが、12月15日の連合軍ミンドロ島上陸にともなうミンドロ島地上戦の生起により、多号作戦は中止された。.

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多磨霊園

噴水塔 多磨霊園(たまれいえん)は、東京都府中市および小金井市をまたいだ場所にある都立霊園。日本初の公園墓地であり、以後の日本の墓地のありかたのひな型となった。面積は都立霊園としては最大の128万0237平方メートルで、東京ドーム27個分に相当する。 関東大震災直前の1923年(大正12年)、東京市により、北多摩郡多磨村に開園。当初は多磨墓地といい、1935年(昭和10年)に多磨霊園と改称された。 長い歴史を持ち緑の多い公園墓地であり、著名人の墓地も多数所在する。.

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多田武雄

多田 武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

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大川内傳七

大川内 傳七(おおかわち でんしち、1886年(明治19年)9月2日 - 1958年(昭和33年)2月13日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。佐賀県塩田町出身。.

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大井篤

大井 篤(おおい あつし、1902年(明治35年)12月11日 - 1994年(平成6年)12月27日)は、日本の海軍軍人。海軍兵学校51期。最終階級は海軍大佐。.

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大角岑生

大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。.

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大日本帝国海軍軍人一覧

大日本帝国海軍軍人一覧(だいにっぽんていこくかいぐんぐんじんいちらん、)は、大日本帝国海軍軍人の階級別・昇進年月日順一覧(没後昇進を含む)。.

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天龍 (軽巡洋艦)

天龍(てんりゅう#銘銘伝2014pp.142-143、天竜(てんりゅう)/てんりう)は、日本海軍の二等巡洋艦#達大正5年5月p.12『達第七十八號 軍備補充費ヲ以テ本年度建造ニ着手スヘキ戰艦及二等巡洋艦ニ左ノ通命名セラル|大正五年五月十三日 海軍大臣加藤友三郎|呉海軍工廠ニ於テ建造 戰艦 長門ナガト|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 天龍テンリウ|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 二等巡洋艦 龍田タツタ』(軽巡洋艦)で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である。艦名は遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた#日本海軍艦船名考pp.51-52、天龍(てんりゆう)。帝国海軍の軍艦としては初代天龍(木造巡洋艦)に続き2隻目となる。 戦後、海上自衛隊の訓練支援艦「てんりゅう」が就役した。.

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太田質平

太田 質平(おおた しちへい、1883年(明治16年)6月16日 - 1941年(昭和16年)6月16日)は、日本の海軍軍人。日本海軍軍人の標語であった『スマートで目先が利いて几帳面 負けじ魂 これぞ船乗り』を創ったといわれる人物である。最終階級は海軍少将。.

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外交官

外交官(がいこうかん、)は、外交使節団の長および使節団の職員で外交官の身分を有する外交職員の総称。.

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夕張 (軽巡洋艦)

夕張(ゆうばり / ゆふばり#海軍制度沿革8(1971)p.364『 大正十年十二月二十三日(達二二二) 軍備補充費ヲ以テ大正十年度佐世保海軍工廠ニ於テ建造ニ著手スヘキ二等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 夕(ユウ) 張(バリ) 』)は、日本海軍の二等巡洋艦(軽巡洋艦)。 艦名は、夕張川(石狩川の支流)に由来する#日本海軍艦船名考pp.264-265幕末以降帝国軍艦写真と史実コマ135(原本216頁)『夕張(ゆふばり) 艦種二等巡洋艦 艦名考川名に採る、夕張川は北海道石狩國夕張山勇拂境の山中に發する諸川の集合に名づく、下流は石狩川に會す。艦歴昭和6・7年事變(日支)從軍:同7年1月上海及揚子江方面警備(艦長齋藤二郎)。本艦は輕巡洋艦として最小の艦型にて最大の武力を有する艦である、球磨級以後の輕巡洋艦14隻が何れも排水量5,000噸以上で速力30節を有するのに對し、本艦は3,000噸に充たざる排水量を以て同一速力38節を出だし、武力は14糎砲1門を減じて6門を装備す、これら主砲は凡て艦首尾線上にありて兩舷に發射し得るのみならず、二聯装砲塔2基を備ふるなど、世界海軍國を驚かしたる艦にて實に造艦上劃期的のものである。―要目― 長132.59米/幅12.04米/喫水3.58米/排水量2,890噸/機關タルビン3基 艦本式罐8臺/馬力57,000/速力33/兵装 14糎砲6/8糎高角砲1/發射管4 起工 大正11-6-5/進水 同12-3-5/竣工 同12-7-31/建造所 佐世保工廠』。 同型艦はない軽巡二十五隻335-336頁『夕張型(一隻)夕張(ゆうばり)』。 主砲、発射管を全て中心線上に配置し、2890トンの船体に5500トン型の軽巡洋艦と同等の砲備雷装を備え、速力も同等だったポケット海軍年鑑(1935)コマ38(原本58-59頁)『二等巡洋艦"夕張 ゆふばり" 全要目 由良又は鬼怒などの輕巡洋艦が申し合せたやうに同型艦として續々出現し、どれが由良か鬼怒か見分けがつかない思ひをしてゐる中へ大正12年7月忽然として現はれた甚だ輕快さうな巡洋艦、ナリは小さいが由良や鬼怒に比べて全然艦型を異にしたスマートな姿であつたから見る者凡てが目を瞠つた。それが夕張であつた。排水量僅かに2,890頓で上記の兵装も而もその悉くが首尾線上に装備されてゐるのみならず、14糎砲は各2門宛を砲塔式に即ち2連装砲塔として備へて、速力は5,000頓級と同じ33節である。全く素晴らしい進歩である。今後はこれだと人々に思はせたが果たせるかな後年になつて計畫されたのがあの7,100頓の加古級である。即ちこの夕張は現在の一等巡洋艦完成の手引であつたとも見られるものである。』。 当時、世界の海軍から注目され、設計者の平賀譲大佐(当時のち将官)の名を一躍有名にした。.

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夕凪 (2代神風型駆逐艦)

夕凪(ゆうなぎ / ゆふなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十七號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕凪ユフナギ トス』。神風型(2代目)の9番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』。 建造時の艦名は第十七号駆逐艦#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』-『(驅逐艦名)夕凪ユフナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十七號驅逐艦|(大正十三年四月二十三日以前ノ名稱)記載なし』。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「夕凪」#達大正13年12月p.1『達第百三十六號 驅逐艦 有明 同 吹雪 同 夕凪 同 時雨 同 追風 同 疾風 同 彌生 同 卯月 同 初春 右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪』に続いて2隻目。.

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夕暮 (初春型駆逐艦)

夕暮(ゆうぐれ/ゆふぐれ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)|舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇|三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)|株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』。 一等駆逐艦初春型の6番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』。.

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夕月 (駆逐艦)

夕月(ゆうづき/ゆふづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第三十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 夕月ユフヅキ トス』。.

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如月 (睦月型駆逐艦)

如月(きさらぎ)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第二十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 如月(キサラキ)トス』。睦月型駆逐艦の2番艦である。艦名は旧暦2月のこと。本艦は初代神風型駆逐艦の「如月」に続いて2代目。太平洋戦争緒戦のウェーク島攻略戦で撃沈され、睦月型最初の沈没艦となった。.

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実松譲

実松 譲(さねまつ ゆずる、1902年(明治35年)11月20日 - 1996年(平成8年)12月20日)は、日本の海軍軍人、著作家。米内光政海相時代の大臣秘書官や、駐米大使館附武官補佐官を務め、太平洋戦争においては情報解析に実績を残す。海軍大佐で終戦を迎え11年半の巣鴨プリズン生活をおくった後は主として海軍関係の書を著し、刊行数は100点近く『昭和史忘れ得ぬ証言者たち』「実松譲」におよんだ。.

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宮城県仙台第二高等学校人物一覧

宮城県仙台第二高等学校人物一覧(みやぎけんりつせんだいだいにこうとうがっこうじんぶついちらん) 宮城県仙台第二高等学校及びその前身校旧制仙台第二中学校の主な出身者・教員・関係者。.

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宮城県出身の人物一覧

宮城県出身の人物一覧(みやぎけんしゅっしんのじんぶついちらん)は、Wikipedia日本語版に記事が存在する宮城県出身の人物の一覧表である。.

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宗谷 (船)

宗谷(そうや)は、数奇な運命をたどった日本の砕氷船である。海上保安庁の巡視船としての船番号は PL107。昭和期の多くの歴史的事件に関わり、特に1956年から1962年まで南極観測船(初代)を務め日本の南極観測事業の礎を築いたことで知られる。海上保安庁の船としては現存する唯一の保存船で他に志賀があったが、1998年に解体されて現存しない。、1940年から1945年まで大日本帝国海軍の特務艦日本補助艦艇物語232-233頁『(4)運送艦(雑用)宗谷(二代)』として活躍した、現存する数少ない(見方によっては唯一の三笠は、ワシントン海軍軍縮条約によって軍艦籍から除かれた後、岸壁に固定され「工作物」の扱いとなっている。)帝国海軍艦船でもある。.

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宗谷 (防護巡洋艦)

宗谷」(そうや)は、大日本帝国海軍の保有した防護巡洋艦である。艦名は宗谷海峡に因む明治38年8月10日付 海軍大臣官房発行 官房第3040号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C06091630000 で閲覧可能。。日本海軍での公式類別は二等巡洋艦。元はロシア帝国の 1 等防護巡洋艦「ヴァリャーグ」で、日露戦争の際に日本軍によって捕獲された。.

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宇野正美

宇野 正美(うの まさみ、1942年 - )は、国際時事問題と「ユダヤ問題」を専門にした講演者、著述家。株式会社リバティ情報研究所及び中東問題研究センターの創設者。.

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寺島健

寺島 健(てらじま けん、1882年(明治15年)9月23日 - 1972年(昭和47年)10月30日)は、日本の海軍軍人、政治家。海軍中将で予備役となったのち、東條内閣で逓信大臣、鉄道大臣を務めた。.

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対支一撃論

対支一撃論(たいしいちげきろん)とは、 日中戦争初期に武藤章、田中新一らによって唱えられた事変拡大論で、「国民政府は日本軍による強力な一撃を加えるだけで屈服し、早期講和に持ち込める」と言うものである。.

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小林登

小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - )は、日本の医学者、小児科医。東京大学医学部名誉教授、国立小児病院名誉院長、医学博士。.

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小松 (料亭)

小松(こまつ)は、神奈川県横須賀市の米が浜通に存在した料亭である。1885年(明治18年)の開業以来、大日本帝国海軍の多くの海軍軍人に愛好された料亭として知られ、戦後は在日アメリカ海軍、海上自衛隊関係者に広く利用されてきた歴史から、海軍料亭小松と呼ばれていた。2016年5月16日に火災が発生し全焼した。.

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小松輝久

小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 伊勢神宮大宮司の小松揮世久は孫にあたる。.

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小沢治三郎

小沢 治三郎(小澤 治三郎, おざわ じさぶろう、1886年(明治19年)10月2日 - 1966年(昭和41年)11月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校37期生。第31代となる最後の連合艦隊司令長官を務めた。.

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山口多聞

山口 多聞(やまぐち たもん、1892年(明治25年)8月17日 - 1942年(昭和17年)6月6日)は、日本の海軍軍人。海兵40期次席、海大24期次席。ミッドウェー海戦において戦死。最終階級は海軍中将。.

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山下知彦

山下 知彦(やました ともひこ、1891年(明治24年)6月23日 - 1959年(昭和34年)5月2日)は、日本の海軍軍人、華族。山下源太郎の養嗣子で艦隊派の一員である海軍大佐、男爵である。.

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山梨勝之進

山梨 勝之進(やまなし かつのしん、1877年(明治10年)7月26日 - 1967年(昭和42年)12月17日)は、日本の海軍軍人。海兵25期次席。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 主だった軍歴を軍政部門に歩み、山本権兵衛・加藤友三郎の系譜を継ぐ人と目されていた、いわゆる条約派の1人。また帝国海軍の77名の大将のうち、艦隊司令長官職を経験していない9名のうちの1人である。.

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山本五十六

山本 五十六(やまもと いそろく、1884年(明治17年)4月4日 - 1943年(昭和18年)4月18日)は、日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。海軍兵学校32期生。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。旧姓は高野。.

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岡田貞外茂

岡田 貞外茂(おかだ さだとも、1908年(明治41年)3月4日 - 1944年(昭和19年)12月26日)は、日本の海軍軍人。海兵55期卒。太平洋戦争において前線視察中に搭乗機が墜落、戦死による一階級昇進で最終階級は海軍大佐。父は内閣総理大臣を務めた岡田啓介で、その長男である。妻は佐藤鉄太郎の娘・昭子。.

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岡敬純

岡 敬純(おか たかずみ、1890年(明治23年)2月11日 - 1973年(昭和48年)12月4日)は、昭和の海軍軍人、海軍中将、海兵39期、海大21期。.

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岩下保太郎

岩下 保太郎(いわした やすたろう、1887年(明治20年)6月10日 - 1937年(昭和12年)2月18日は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

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岩村清一

岩村 清一(いわむら せいいち、1889年(明治22年)9月14日 - 1970年(昭和45年)2月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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島津信夫

島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日 - 1990年(平成2年))は大正から昭和期の海軍軍人。正五位勲三等。最終階級は海軍大佐。 江田島海軍兵学校42期(大正2年・龍野中)。連合艦隊司令部付。中華民国国民政府軍事顧問。中華民国水路測量局軍事顧問。大日本武徳会弓道範士。播磨島津氏第29代当主。母は加西郡賀茂村山下(現在の加西市北条町山下)の中川八郎左衛門邦守の娘で、中川清秀の一族である。元阪神タイガースオーナー野田誠三の生家は中川家で、信夫の従兄弟である。.

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嶋田繁太郎

嶋田 繁太郎(しまだ しげたろう、1883年(明治16年)9月24日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵32期。最終階級は海軍大将。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。.

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川井巌

川井 巌(かわい いわお、1896年(明治29年)9月2日 - 1972年(昭和47年)5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。山形県山形市出身。.

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工藤美知尋

工藤 美知尋(くどう みちひろ、1947年4月29日 - )は日本の戦史研究者、青山IGC学院学院長。.

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中山定義

中山 定義(なかやま さだよし、1905年(明治38年)8月16日 - 1995年(平成7年)1月16日朝日新聞大阪版 1995年1月18日 25面。)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵54期恩賜。第4代海上幕僚長。 島根県出雲市出身。東京都目黒区在住であった。長男は第10代明治学院長の中山弘正。.

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中村俊久

中村 俊久(なかむら としひさ、1890年2月16日 - 1972年3月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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常磐 (装甲巡洋艦)

常磐(ときわ/ときは)は、大日本帝国海軍の装甲巡洋艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.60『常磐(ときは) 艦種一等巡洋艦 二檣(戰闘檣あり)淺間と姉妹艦なり。艦名考永久不變の義なり。(p.81) 艦歴明治32年5月18日英國にて竣工、同月19日英國出發、7月15日横須賀到着、淺間と姉妹艦なり。同33年北清事變に從軍:同33年5月太沽砲臺攻撃に從事(東郷司令長官旗艦、艦長大佐中山長明)、同37・8年戰役に從軍(第二戰隊):同37年8月蔚山沖海戦に参加(艦長大佐吉松茂太郎):同38年5月日本海々戰に参加、大正3年乃至9年戰役に從軍(第二艦隊第四戰隊):膠州灣封鎖に從事(艦長大佐片岡榮太郎)、同10月第三戰隊に属し、印度洋方面警備に從事、同4年2月北米沿岸通商保護に從事(第二艦隊第四戰隊、艦長大佐坂本則俊)、同4年12月浦鹽を経て加奈陀に回航、特別任務に從事(艦長同前)、同6年11月布哇及び南洋諸島警備に從事(艦長大佐森本義寛)、同10年一等海防艦に編入、同11年9月30日敷設艦に編入、昭和6・7年(日支)事變從軍:同7年1月第一遣外艦隊に属し、北支・上海方面警備に從事(艦長大佐山田定男、同大佐高須三二郎。)|要目其の他「淺間」に同じ 起工明治31-1-6 進水明治31-7-6 竣工名詞32-5-18 建造所英國安社』#日本補助艦艇物語47-48頁『(2)常磐ときわ』。 旧式化にともない機雷敷設艦に改造#日本軍艦集2600年版p.65『―敷設艦―常磐(ときは) 基準排水量9,240噸、長さ124.36米、幅20.45米、平均吃水7.42米、速力21.25節、備砲20糎砲2門、15糎砲8門、8糎砲2門、8糎高角砲1門、起工明治30年1月6日、進水明治31年7月6日、竣工明治32年5月18日、建造所英國アームストロング社―本艦は巡洋艦を改装したもの。なほ、ほかに勝力がある。』。 敷設艦として太平洋戦争に参加した#日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』。.

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三羽烏

三羽烏(さんばがらす)とは、ある特定の分野における優れた3名の人を指す。日本における証券用語では、株価チャートの一つであるローソク足において、3本連続で終値が始値より安くなる黒三兵のことを三羽烏とも呼ぶ。.

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二・二六事件

二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官兵を率いて起こした日本のクーデター未遂事件である。 この事件の結果岡田内閣が総辞職し、後継の廣田内閣が思想犯保護観察法を成立させた。.

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井上秀二

井上 秀二(いのうえ しゅうじ、1876年(明治9年)4月16日 - 1943年(昭和18年)4月4日。)は、日本の土木技術者。 井上成美海軍大将の実兄。井上秀二の家族関係については、井上成美#家族・親類関係を参照。 本記事の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、17-19頁。.

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井上達三

井上 達三(いのうえ たつぞう、1877年(明治10年) - 1950年(昭和25年))は、大日本帝国陸軍の軍人。陸軍中将。 井上成美海軍大将の実兄。妻は荒城二郎海軍中将(海兵29期、米内光政海軍大将山梨勝之進海軍大将、米内光政海軍大将は、いずれも、井上成美と志を同じくする「条約派」の海軍高級士官であった。とクラスメートかつ親友)の妹。井上達三の家族関係については、井上成美#家族・親類関係を参照。 本記事の出典は、特記ない限り、井上成美伝記刊行会編著 『井上成美』 井上成美伝記刊行会、1982年(昭和57年)、17-19頁。.

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仁科関夫

仁科 関夫(にしな せきお、1923年(大正12年)4月10日 - 1944年(昭和19年)11月20日)は、日本の海軍軍人。海兵71期。太平洋戦争(大東亜戦争)の末期、人間魚雷「回天」を創案するとともに自らも出撃して戦死した。最終階級は海軍少佐。.

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仲谷昇

仲谷 昇(なかや のぼる、1929年5月4日 - 2006年11月16日)は、日本の俳優である。東京府(現東京都)出身。本名は。.

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仙台の著名人一覧

仙台の著名人一覧(せんだいのちょめいじんいちらん)とは、宮城県仙台市出身の人物と仙台市にゆかりのある人物の一覧である。.

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伏見宮博恭王

伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう、1875年(明治8年)10月16日 - 1946年(昭和21年)8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。伏見宮貞愛親王王子。議定官、軍令部総長を務めた。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。 日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う。また艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富であった。.

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弥生 (睦月型駆逐艦)

彌生(やよい/やよひ)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第二十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 彌生(ヤヨヒ)トス』。睦月型駆逐艦の3番艦である。艦名は旧暦で3月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「弥生」に続いて2代目。なお日本海軍の登録上は旧字の「彌生」#内令昭和17年10月(4)pp.9-10『内令第千九百三十二號 佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 彌生 右帝国驅逐艦籍ヨリ除カル|佐世保鎮守府在籍 呂號第六十一潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|呉鎮守府在籍 特務艦 樫野 右帝国特務艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十月二十日 海軍大臣嶋田繁太郎』だが、ここでは「弥生」と表記する。.

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佐藤正四郎

佐藤 正四郎(さとう せいしろう、1886年(明治19年)10月25日 - 1958年(昭和33年)7月7日)は、日本の海軍軍人。二・二六事件において、東京に出動した海軍陸戦隊の指揮官を務めた海軍少将である。.

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保科善四郎

保科 善四郎(ほしな ぜんしろう、1891年(明治24年)3月8日 - 1991年(平成3年)12月25日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将。衆議院議員を4期務めた後、財団法人日本国防協会会長。.

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國川丸 (特設水上機母艦)

國川丸(くにかわまる)は、川崎汽船の神川丸型貨物船の四番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送船として運用された。 なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)の三番船として同名の二代目船が建造された。1952年(昭和27年)に竣工後、北米航路で活躍。1973年(昭和48年)にパナマ企業に売却後、1977年(昭和52年)に解体された。.

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マル5計画

マル5計画(まるごけいかく)は、大日本帝国海軍の艦艇建造計画。正式には、第五次海軍軍備充実計画だが、通称として○の中に数字を入れてマル5(まるご)計画と呼ばれた。昭和16年に計画され、昭和17年から25年までの9ヶ年間で実行される予定であった。.

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マーシャル・ギルバート諸島機動空襲

マーシャル・ギルバート諸島機動空襲(マーシャル・ギルバートしょとうきどうくうしゅう)とは、太平洋戦争初期の1942年(昭和17年)2月1日にアメリカ海軍の空母機動部隊が行った、マーシャル諸島およびギルバート諸島の日本軍に対する航空攻撃である。緒戦で打撃を受けたアメリカ海軍が、使用可能な空母を活用して一撃離脱を仕掛けた。同様の機動空襲の最初の事例であり、太平洋戦争におけるアメリカ海軍の最初の積極的作戦行動であった。.

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ハンモックナンバー

ハンモックナンバーとは、大日本帝国海軍における 『海軍兵学校の卒業席次』、または 『兵学校同期生間の先任順位』 の俗称。ここでは主に帝国海軍における先任順位について述べる。 ハンモックナンバー(兵学校同期生間の先任順位)は、兵学校の卒業席次やその後の勤務成績によって決められた。全現役海軍士官の先任順位は、毎年作成される「現役海軍士官名簿」で海軍部内や陸軍に公示された雨倉孝之 『海軍アドミラル軍制物語』 光人社、1997年、34頁。。同時に同階級に任じられ、同じ軍艦などで勤務する同期生の間にも、先任・後任の区別は厳然として存在し、軍令承行令による指揮系統の序列はもちろん、式典での整列の際などでもハンモックナンバーの順に並んだ。 本来、海事用語としての「ハンモックナンバー(釣床番号)」は、兵員が使用するハンモック(釣床)に書かれた番号を指す。例えば、兵員に割り当てられたハンモックに「三一八四」と記入されている場合、その兵員が「第三分隊 第十八班 第四部員」であることが明示され、艦内での戦闘配置などが自動的に決まる、といったシステムを構成する。.

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ラバウルの戦い

ラバウルの戦いは太平洋戦争(大東亜戦争)中、1942年(昭和17年)の1月から2月にかけてオーストラリア委任統治領ニューギニア(現パプアニューギニア、ビスマルク諸島)ニューブリテン島で行われた戦い。日本では「R作戦」の一環として知られており、隣のニューアイルランド島での戦いもこの戦闘の一部とされる。.

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ラエ・サラモアへの空襲

ラエ・サラモアへの空襲(ラエ・サラモアへのくうしゅう)とは、太平洋戦争初期の1942年(昭和17年)3月10日にニューギニア島東部のラエおよびサラモアへの上陸および占領を行った日本軍に対して、本来はラバウル攻撃を企図していたアメリカ海軍機動部隊が奇襲を仕掛け、ラエとサラモア沖に展開していた日本軍艦船に大打撃を与えた戦闘である。6月5日のミッドウェー海戦以前において、アメリカ機動部隊の攻撃によって受けた被害としては最大のものであり、南東方面における作戦進行に遅れをもたらす結果となった。日本軍はその痛手にもかかわらずラエとサラモアの航空基地を確保し、ポートモレスビー作戦の支援にあたった。 本項では3月10日の空襲を軸に、ラエとサラモアの攻略が開始された3月8日から、ラエからの航空作戦が開始された3月13日までの間の出来事とその背景を中心として解説する。.

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レイテ沖海戦

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、Battle of Leyte Gulf)は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピンおよびフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。当時の呼称でフィリピン沖海戦当時の戦闘詳報やそれを元にして戦後製作された戦史叢書では『フィリピン沖海戦』としている。「比島」「菲島」はフィリピン島の略字。実際当時の大本営による発表でもフィリピン沖海戦とされ、当時のニュース映像でもそう紹介されている。。.

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フィリピンの戦い (1944-1945年)

1944年から1945年のフィリピンの戦い(フィリピンのたたかい)は、第二次世界大戦後期において、フィリピン奪回を目指す連合国軍と、防衛する日本軍との間で行われた戦闘である。日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づいて防衛を試みたが、アメリカ軍を中心とする連合軍が勝利を収めた。.

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ドルトン・プラン

ドルトン・プラン (the Dalton Plan) またはダルトン・プランは、1920年代にアメリカのマサチューセッツ州のドルトンの小学校においてヘレン・パーカーストにより指導・実施された教育指導法である。パーカースト自身は、当初、ドルトン実験室案 (Dalton laboratory Plan) と呼んだ。.

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ドーリットル空襲

ドーリットル空襲(ドーリットルくうしゅう、英語:Doolittle Raid)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月18日に、アメリカ軍がアメリカ陸軍航空軍の爆撃機(航空母艦より発進)によって実施した日本本土に対する初めての空襲である。名称は爆撃機隊の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。.

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ニューギニア沖海戦

ニューギニア沖海戦(ニューギニアおきかいせん)は、太平洋戦争中の1942年2月下旬に発生した日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦#大東亜戦争記録画報前コマ51(原本94頁)『ニューギニア東北で敵航空母艦撃沈 帝國海軍航空隊の赫々たる戰果|ニューギニア島のラエ及びサラモアに敵前上陸して直に之を占領し、更に戰果を擴大し次いで首都ポートモレスビーを爆撃遂に之を攻略し、ニューギニヤを戡定したが、二月二十一日にはニューギニヤ島の東北海上に於て敵航空母艦を撃沈して赫々たる不滅の大戰果を擧げた。/即ち二月廿一日洋上に巡洋艦驅逐艦に護送せられたる二三の航空母艦を含む有力なる敵艦隊を發見したる帝國海軍航空部隊は機を逸せず敵上空に殺到、敵戰闘機群と壮烈なる空中戰を交へ、その一部は機體もろとも對當りを以て敵航空母艦を大破、大火災を生ぜしめて遂に撃沈し他の軍艦一隻に大損害を與へ、敵戰闘機十機を撃墜した。(以下略)』。 ラバウル沖航空戦という呼称もある戦史叢書80巻177-178頁『米空母機動部隊の機動/ラバウル沖航空戦』戦史叢書102巻、108頁「昭和17年(1942年)2月20日/ラバウル沖航空戦(海軍航空部隊、ラバウル東方に米機動部隊を発見し攻撃)」。.

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利根 (重巡洋艦)

利根(とね)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の1番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。その艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川からちなんで名づけられた。この名を持つ帝国海軍の艦船としては4隻目。艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。艦内神社は香取神宮である。艦名は海上自衛隊のあぶくま型護衛艦「とね」に継承された。.

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制帽

制帽(せいぼう)は帽子の定義の一つであり、軍人の軍服や警察官・消防士・準軍事組織構成員・駅員・船員・航空機パイロット・警備員などの制服、学生の学生服、スポーツ選手のユニフォームなど、ある一定の集団や組織の所属者が着ることを目的に規定された制服の一部として、被ることが制式化された帽子を示す。旧日本軍や自衛隊などで正帽と呼ばれるものは制帽の一種。.

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呂号第六十六潜水艦

呂号第六十六潜水艦(ろごうだいろくじゅうろくせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。呂六十型潜水艦(L4型)の7番艦。.

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アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首であり、国家と一体であるとされた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者。 1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。その冒険的な外交政策はドイツを第二次世界大戦へと導くことになった。また、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を主導したことでも知られる。敗戦を目の前にした1945年4月30日、自ら命を絶った。.

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ウェーク島の戦い

ウェーク島の戦い(ウェークとうのたたかい、Battle of Wake Island)は第二次世界大戦における日本軍とアメリカ軍の戦い。なお、戦いの後のウェーク島日本軍部隊の状況についても記す。.

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オーガスタ (重巡洋艦)

ーガスタ (USS Augusta, CL/CA-31) は、アメリカ海軍の重巡洋艦。ノーザンプトン級重巡洋艦の6番艦。艦名についてはジョージア州オーガスタまたはメイン州オーガスタのどちらが由来かという点で論争がある。「The Dictionary of American Naval Fighting Ships」によるとジョージア州オーガスタが由来とされる。その名を持つ艦としては4隻目。第二次世界大戦中、太平洋戦線に出動しなかったアメリカ海軍の大型艦の一隻。.

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セオドア・S・ウィルキンソン

“ピング”セオドア・スターク・ウィルキンソン(Theodore Stark Wilkinson, 1888年12月22日-1946年2月21日)はアメリカ海軍の軍人、最終階級は中将。名誉勲章受章者。1943年7月以降のソロモン諸島の戦いなどの上陸戦において、アメリカ海軍の両用戦部隊司令官の一人として活躍した。.

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ソロモン諸島の戦い

モン諸島の戦い(ソロモンしょとうのたたかい)は、第二次世界大戦中に日本軍と連合軍の間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり行われた戦闘である。一連の戦闘の中で大きなものはガダルカナル島の戦いとブーゲンビル島の戦いであるが、このほかにも多くの陸海空の戦闘が行われた。.

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光延東洋

光延 東洋(みつのぶ とうよう、1897年(明治30年)10月9日 - 1944年(昭和19年)6月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

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前坂俊之

前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家、歴史研究者(日本近現代史・日本政治思想史)。静岡県立大学名誉教授、立教大学社会学部講師。 株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。.

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勲一等旭日大綬章

防衛庁長官(左)から勲一等旭日大綬章を伝達されるデニス・C・ブレアアメリカ太平洋軍海軍大将(右)。 勲一等旭日大綬章(くんいっとう きょくじつだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1875年(明治8年)4月10日、勲章制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)に基づいて制定された。 大綬を右肩から左脇に垂れ、副章(勲二等旭日重光章の正章と同じ)を左胸に佩用する。2003年(平成15年)11月3日に漢数字による勲等表示が廃止され、同日以後に授与されるものは旭日大綬章と改められた。 受章者は合計で1220名(戦前810名、戦後410名)。叙勲対象者は男性とされていた。.

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国分正三

国分 正三(こくぶ しょうぞう、1891年(明治24年)4月25日 - 1974年(昭和49年)12月11日)は、日本の海軍軍人。 最終階級は海軍大尉。戦前のビルマにおいて諜報活動や、独立運動支援に従事した。.

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矢田稔

(やだ みのる、1931年4月27日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター、童謡歌手、元子役。日本俳優連合顧問。東京府(現:東京都)出身。1953年に劇団俳優座演劇研究所附属俳優養成所を卒業。俳優座スタジオ、劇団同人会、劇団河、三輪事務所、ALBAに所属後、現在はケッケコーポレーションに所属。血液型はO型。身長166cm、体重55kg。本名同じ。.

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矢野志加三

野 志加三(やの しかぞう、1893年(明治26年)8月5日 - 1966年(昭和41年)1月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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石川信吾

石川 信吾(いしかわ しんご、1894年(明治27年)1月1日 - 1964年(昭和39年)12月17日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。通称不規弾。.

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石川義光

石川 義光(いしかわ よしみつ)は、江戸時代の武士。仙台藩一門筆頭・角田石川氏第13代(陸奥石川氏第37代)当主。.

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石井義太郎

石井 義太郎(いしい よしたろう / ぎたろう、慶応2年7月27日(1866年9月5日) - 昭和2年(1927年)2月16日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

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珊瑚海海戦

海海戦 珊瑚海海戦(さんごかいかいせん、Battle of the Coral Sea)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤の1942年(昭和17年)5月上旬、ポートモレスビー攻略を目指す大日本帝国海軍(以下日本海軍)と戦史叢書80巻369-370頁「五 ポートモレスビー攻略作戦失敗/攻略作戦の概要/作戦準備」、それを阻止すべく邀撃した連合国(アメリカ合衆国・オーストラリア)軍の間で発生した海戦のひとつである戦史叢書80巻372-373頁「連合軍の作戦概況」。この海戦は対抗する両艦隊が互いに相手の艦を視界内に入れずに行われた、歴史上最初の海戦でもあるニミッツ、ポッター P.59。.

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睦月 (駆逐艦)

月(むつき)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第十九號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 睦月(ムツキ)トス』。睦月型駆逐艦の1番艦である。艦名は陰暦で1月のこと。ネームシップの睦月が第二次ソロモン海戦で沈没すると、睦月型は卯月型駆逐艦と改定された#内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十三号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦一等ノ部中「睦月型」ヲ「卯月型」ニ改メ同項中「睦月、」ヲ削リ、同吹雪型ノ項中「、朝霧」ヲ削ル』。.

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睦月型駆逐艦

月型駆逐艦(むつきがたくちくかん、Mutsuki Class Destroyers)は日本海軍の駆逐艦の艦級。同型艦12隻。 日本駆逐艦としては初めて61cm魚雷を搭載した。 「睦月型」命名前(後述)の呼称は第十九号型駆逐艦。 ネームシップの「睦月」沈没後、卯月型駆逐艦と改定された。.

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神威 (水上機母艦)

威当時は「神」は旧字体により「示+申」と表記された。(かもい/かもゐ)は、日本海軍の運送艦(給油艦)、のち水上機母艦。 アメリカ合衆国で建造幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ118(原本190頁)『神威(かもゐ) 艦種 水上機母艦  艦名考 岬名なり、後志國神威岬に採る、神威岬は方俗古來御オカ神ムイと云ふ。  艦歴 此艦は所謂米國式の實費計算に據り米國へ註文したるものにして、我海軍に於て目下電氣推進による唯一の船なり。大正11年12月15日横須賀着。元特務艦(運送船)なりしも、昭和9年6月1日軍艦に編入、水上機母艦となる。昭和6・7年事變(日支)從軍:同8年2月熱河方面作戰に協力(艦長大佐竹田六吉)  ―要目― 長さ 151.18米/幅 20.42米/吃水 8.43米/排水量 17,000噸/機關 電氣推進2軸/馬力 8,000/速力 15節/兵装 14糎砲2門 8糎高角砲2門/起工 大正10-9-14/進水 同11-6-8/竣工 同11-9-12/建造所 紐育シップビルヂング社』。 太平洋戦争前における、日本海軍最後の海外発注艦となった日本空母物語358-361頁『神かも威い』魚雷艇をのぞく。また太平洋戦争中の日本海軍は、ドイツで建造された空母神鷹《改造当初は電気推進式艦》や、鹵獲艦艇の第102号哨戒艇《元アメリカ駆逐艦スチュアート》等の海外建造艦艇を保有した。。 艦名は北海道(後志国)積丹半島の「神威岬」による。.

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神川丸 (特設水上機母艦)

川丸(かみかわまる)とは、川崎汽船の神川丸型級貨物船のネームシップ。日中戦争から太平洋戦争にかけて特設水上機母艦、特設航空機運搬艦として運用された。 なお、太平洋戦争後に川崎汽船の神川丸型貨物船(二代目)のネームシップとして同名の二代目船が建造された。1951年(昭和26年)に竣工後、北米航路で活躍。1972年(昭和47年)にパナマ企業に売却後、1979年(昭和54年)に解体された。また川崎汽船グループの川崎近海汽船が2002年(平成14年)にRO-RO船となる三代目船を建造し、現在は大阪港と釧路港の間を運航している。.

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神重徳

重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。.

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祥鳳 (空母)

300px 祥鳳(しょうほう/しやうほう)は、日本海軍の航空母艦#達昭和16年12月(2)p.14『達第三百九十六號 潜水母艦劍埼改造ニ付左ノ通命名ス 昭和十六年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎 航空母艦 祥鳳(シャウホウ)』《註》本来の文字は「示羊」だが機種依存文字のため「祥」とする。『○艦名誤記ニ關スル件照合 客年十二月二十二日軍艦劍埼ハ軍艦祥鳳ト改名セラレタル處新艦名ヲ翔鳳或ハ鳳翔ト誤記スル尚有之爲ニ本艦宛郵便物ハ他ニ誤送セラレ又ハ延着、未着等事務遂行上支障多キニ付發送ニ當リテハ特ニ注意相成度(軍艦祥鳳)』。 剣埼型潜水母艦剣埼(つるぎざき)として建造され#補助艦艇奮戦記169頁『剣埼(つるぎさき)』、のちに航空母艦へ改造された。 太平洋戦争開戦後の1941年(昭和16年)12月22日、航空母艦として竣工#航跡9-10頁。この時に「祥鳳」と改名した。第四航空戦隊に編入される。 1942年(昭和17年)5月、祥鳳は南洋部隊(指揮官井上成美中将、第四艦隊司令長官)の指揮下でポートモレスビー攻略作戦に参加。同作戦従事中の5月7日、米海軍機動部隊艦載機の攻撃で撃沈された(珊瑚海海戦)。本艦は、太平洋戦争の戦闘で最初に失われた日本海軍の空母となった。.

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秋津洲 (水上機母艦)

秋津洲(あきつしま)は、大日本帝国海軍の水上機母艦#達昭和16年6月pp.55-56「達第二百十九號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ水上機母艦一隻、驅潜艇二隻、敷設艇一隻及魚雷艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十六年六月三十日 海軍大臣及川古志郎|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 水上機母艦 秋津洲(アキツシマ)|株式會社播磨造船所ニ於テ建造 第二十三號驅潜艇|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 第二十六號驅潜艇|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 敷設艇 石埼(イシザキ)|株式會社横濱ヨット工作所ニ於テ建造 第一號魚雷艇 第二號魚雷艇 第三號魚雷艇」#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.2「軍艦|水上機母艦|能登呂、神威、千歳、千代田、瑞穂、日進、秋津洲」。 秋津洲型の1番艦(同型艦は建造されず)#海軍軍備(4)p.37「(イ)計畫の内容 飛行艇母艦|單艦屯數(基準排水量)四,六五〇|(隻数)三|(合計屯數)一三,九五〇|(艦型)秋津洲型|(速力/航續距離)三七.五/一四〜七,五〇〇|(主要兵装)十二.七糎二聯装砲 二/二十五粍三聯機銃 二/飛行機 一」。 日本海軍の類別上は水上機母艦だが#内令昭和16年6月(3)p.32〔内令第七百三十四號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和十六年六月三十日 海軍大臣 及川古志郎|軍艦、水上機母艦ノ項中「日進」ノ下ニ「、秋津洲」ヲ加フ|驅潜艇、第十三號型ノ項中「第二十二號」ノ下ニ「、第二十三號、第二十六號」ヲ加フ〕、実際には大型飛行艇への補給、整備を任務とする艦艇であり、飛行艇母艦と呼ばれる事もある#福井空母物語345-346頁「飛行艇母艦たる水上機母艦」。 艦名は明治期の防護巡洋艦秋津洲に続き2代目。秋津洲とは、日本の別称。.

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竹間忠三

竹間 忠三(ちくま ちゅうぞう『人間魚雷』55頁、生年不明 - 1945年(昭和20年)2月1日『日本潜水艦戦史』254頁日本側の認定日は2月21日。『艦長たちの軍艦史』では1月22日戦死となっている。)は、日本の海軍軍人。1943年(昭和18年)初め頃に魚雷を用いた肉弾攻撃構想を上申した『潜水艦隊』306頁『日本潜水艦戦史』209頁。「呂115」潜水艦長として戦死。最終階級は海軍少佐。.

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第三艦隊 (日本海軍)

三艦隊(だいさんかんたい)は、大日本帝国海軍の部隊の一つ。常設だった第一艦隊・第二艦隊と違い、必要に応じて編制・解散される特設艦隊であったため、日露戦争から太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。.

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第一航空艦隊

一航空艦隊(だいいちこうくうかんたい)とは、日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊。1941年(昭和16年)4月10日に新編された。この艦隊を中核に、他の艦隊から臨時編入された艦艇を組み合わせ、世界初の空母機動部隊として運用された。 太平洋戦争後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として作戦を行う機動航空部隊として運用された。.

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第一次ソロモン海戦

一次ソロモン海戦(だいいちじソロモンかいせん)は、太平洋戦争時の1942年8月8日 - 9日に日本海軍と連合国軍(アメリカ海軍、オーストラリア海軍)の間で行われた海戦で、連合軍側の呼称はBattle of Savo Island。 なお Battle of Savo Island と混同する、日本軍側で「サボ島沖海戦」と呼称する海戦のことを連合軍側は「Battle of Cape Esperance」と呼び、第一次ソロモン海戦から2か月後に行われている。.

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第二航空戦隊

二航空戦隊(だいにこうくうせんたい)とは、日本海軍の航空戦隊。1934年(昭和9年)11月15日に開隊し、マリアナ沖海戦後の1944年(昭和19年)7月10日に解隊。.

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第二次世界大戦に関連する人物の一覧

二次世界大戦に関連する人物の一覧(だいにじせかいたいせんにかんれんするじんぶつのいちらん)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)に関連する各国の人物の一覧である。.

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第五航空戦隊

五航空戦隊(だい5こうくうせんたい)とは、日本海軍の部隊の1つ。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)9月『世界の艦船 新版・連合艦隊華やかなりし頃』p.29-32「航空母艦」。に編成された空母機動部隊。略称は五航戦戦史叢書ミッドウェー海戦95頁「珊瑚海海戦」。.

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第四航空戦隊

四航空戦隊(だいよんこうくうせんたい)は、日本海軍の部隊の1つ。略称は四航戦。解隊と再編成を繰り返した部隊。.

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第四艦隊 (日本海軍)

四艦隊(だいよんかんたい)は、旧日本海軍の部隊の一つ。日露戦争末期に陸軍の樺太上陸支援のために編成された部隊と、1933年(昭和8年)より海軍大演習時の対抗部隊(赤軍)として臨時編制された部隊、日中戦争で増援のために編制され華北方面に進出した部隊、太平洋戦争時に南洋諸島防衛を目的に編制された部隊がある戦史叢書38巻72-73頁『第四艦隊誕生の経緯と艦隊編制の改定』。ここでは第四艦隊事件に遭遇した臨時編成の仮想敵部隊についても述べる。.

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筑紫 (測量艦)

筑紫(つくし)は日本海軍の測量艦#達昭和15年8月p.19『達第百六十七號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十四年度及同十五年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦一隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻、測量艦一隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年八月三十日 海軍大臣 吉田善吾|三菱重工業株式会社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香椎(カシヒ)|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 驅逐艦 谷風(タニカゼ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 野分(ノワキ)|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十三潜水艦|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第三十九潜水艦|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 測量艦 筑紫(ツクシ)|鶴見製鐡造船株式會社ニ於テ建造 第十六驅潜艇』。1943年カビエン沖で触雷沈没。艦名は九州全体の古称、または「筑前」「筑後」を合わせた国名による「聯合艦隊軍艦銘銘伝」48-49頁。。艦名は巡洋艦「筑紫」に続いて2代目。.

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筑摩 (重巡洋艦)

筑摩(ちくま)は、大日本帝国海軍の重巡洋艦#達昭和10年9月p.21『達第百十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年九月二十八日 海軍大臣大角岑生|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 八千五百頓級巡洋艦 筑摩(チクマ)』。利根型重巡洋艦(二等巡洋艦利根型)の2番艦#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.2『艦艇類別等級表|軍艦|巡洋艦|二等|利根型|利根、筑摩|』。 その艦名は、筑摩川(千曲川、信濃川の上流部)に因んで命名された#幕末以降帝国軍艦写真と史実139頁『筑摩(ちくま) 艦種二等巡洋艦 二檣(信號用)矢矧・平戸と姉妹艦なり 艦名考川の名、千曲川に採る、川名は又筑摩川・千阿川・知隈川等に作る、此艦名には筑摩の字を適用せられたるなり、川は信濃國作久村郡の渓谷に發源し、下流信濃川となりて新潟に於て海に注ぐ。艦歴(略)昭和6年4月1日除籍。(要目略)。この名を持つ帝国海軍の艦船としては筑摩型防護巡洋艦1番艦筑摩に続いて2隻目。 筑摩は真珠湾攻撃やミッドウェー海戦など太平洋戦争の重要な戦闘に参加し、レイテ沖海戦で沈没した。艦内神社は筑摩神社である。艦名は海上自衛隊の護衛艦に継承された。.

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米内光政

米内 光政(よない みつまさ、1880年(明治13年)3月2日 - 1948年(昭和23年)4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。第23代連合艦隊司令長官。第39-41、49-52代海軍大臣。第37代内閣総理大臣。.

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練習艦隊

練習艦隊(れんしゅうかんたい)とは、海軍(それに準じる組織を含む)の要員の訓練に特化した艦隊である。 多くの場合、下士官及び水兵の訓練は、術科学校を除いては教育隊や海兵団で行われるので、初任士官又は士官候補生の教育末期に行われる。乗船実習自体は、単艦でも行いうるが、戦術運動訓練、ハイライン訓練及び曳航被曳航訓練等の重要な訓練は2隻以上なければ実施できないため、小規模な艦隊を編成することが多い。.

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美濃部正

美濃部 正(みのべ ただし、旧姓:太田(おおた)、1915年 - 1997年6月12日)は、旧日本海軍軍人、航空自衛官である。愛知県出身。海兵64期。最終階級は海軍において少佐、自衛隊において空将。.

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翔鶴 (空母)

翔鶴(しょうかく/しやうかく)は、大日本帝国海軍の航空母艦(空母)#達昭和14年5月p.11『達第七十號 横須賀海軍工廠ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年五月十六日 海軍大臣 米内光政 航空母艦 翔鶴(シヤウカク)』。翔鶴型航空母艦の1番艦。1944年6月19日にマリアナ沖海戦で撃沈された。.

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疾風 (2代神風型駆逐艦)

(はやて)は、日本海軍の神風型駆逐艦(2代目)7番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.48『一等驅逐艦 疾風(はやて) 基準排水量1,270噸、長さ97,54米、幅9,14米、平均吃水2,92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正11年11月11日、進水大正14年3月23日、竣工大正14年12月21日、建造所石川島造船所―朝凪と同型。この級の最後の艦、その後は1,315噸型驅逐艦が盛んに建造されるやうになつた。』 。同名の日本海軍艦船は1907年(明治40年)に竣工した駆逐艦疾風に次いで2隻目。1941年(昭和16年)12月11日の第一次ウェーク島攻略作戦で陸上砲台の砲撃を受け、太平洋戦争で初めて戦没した日本の駆逐艦となった。.

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瑞鶴 (空母)

(ずいかく/ずゐかく/ズヰカク)は、大日本帝国海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦#達昭和14年9月p.19『達第百六十號 株式會社川崎造船所ニ於テ建造中ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十四年九月三十日 海軍大臣 吉田善吾 航空母艦 瑞鶴(ズヰカク)』。「ズイカク」とタイプされた物の「イ」に斜線を入れて手書きで「ヰ」に直されている。。1944年10月25日にエンガノ岬沖海戦で沈没。.

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田結穣

結 穣(たゆい みのる, 1890年(明治23年)1月20日 - 1977年(昭和52年)6月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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田村丕顕

村 丕顕(たむら ひろあき、1875年11月29日 - 1945年1月13日)は、一関田村家の14代当主である子爵。アナポリス海軍兵学校出身の日本の海軍軍人である。最終階級は海軍少将。.

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特別攻撃隊

ミズーリに突入直前の神風特別攻撃隊第5建武隊の零式艦上戦闘機(石野節雄二飛曹搭乗) 一式戦闘機「隼」(穴沢利夫少尉搭乗)と、それを見送る知覧町立高等女学校(現鹿児島県立薩南工業高等学校)「なでしこ隊」の女学生達 彗星(山口善則一飛曹・酒樹正一飛曹搭乗)。突入後アメリカ軍が回収した遺品により搭乗員が特定された例の一つ。 フォーミダブルに特攻機(零戦)が1機突入、56名が死傷し11機の艦載機が炎上 レキシントン博物館。レキシントンが1944年11月5日に受けた特攻の説明(旭日旗の箇所に特攻機が命中。) 特別攻撃隊(とくべつこうげきたい)は、「特別に編成された攻撃部隊」。略称は「特攻隊」(とっこうたい)。当記事では、攻撃自体を指す特別攻撃(とくべつこうげき)およびその略称の特攻(とっこう)についても記述する。 語源は太平洋戦争の緒戦に日本海軍によって編成された特殊潜航艇「甲標的」の部隊に命名された「特別攻撃隊」の造語からである。同戦争の末期には、爆弾や爆薬等を搭載した軍用機、高速艇、潜水艇等の各種兵器、もしくは専用の特攻兵器を使用して体当たりし自爆するといった戦死を前提(後者)とするものが中心となった。海外の例では、第二次世界大戦末期の独空軍におけるゾンダーコマンド・エルベがある。.

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百武源吾

武 源吾(ひゃくたけ げんご、1882年(明治15年)1月28日 - 1976年(昭和51年)1月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第7代九州帝国大学総長。佐賀県出身。兄・三郎と源吾は海軍兵学校を首席卒業し、ともに海軍大将となった日本海軍史上唯一の兄弟である。.

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芙蓉部隊

芙蓉部隊(前2列目中央無帽の人物が美濃部) 芙蓉部隊(ふようぶたい)とは太平洋戦争末期における、日本海軍第一三一航空隊所属の3個飛行隊(戦闘八〇四飛行隊、戦闘八一二飛行隊、戦闘九〇一飛行隊)の通称である。関東海軍航空隊の指揮下にあったが、実質的に一三一空所属の美濃部正少佐が指揮を取っていた。芙蓉部隊は戦闘機隊とはいえ、沖縄方面の敵飛行場・艦船に対する爆撃、機動部隊に対する索敵を主体とし、特攻が主体になっていた当時において、夜襲戦法を用いて活躍した。芙蓉部隊所属の搭乗員は、フヨウの花の色である薄紅色のマフラーを着用していた。.

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聯合艦隊司令長官 山本五十六

『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実-』(れんごうかんたいしれいちょうかん やまもといそろく たいへいようせんそうななじゅうねんめのしんじつ)は、2011年(平成23年)12月23日に公開された日本映画。.

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聖川丸 (特設水上機母艦)

聖川丸(きよかわまる)は、川崎汽船の神川丸型貨物船の二番船。太平洋戦争では特設水上機母艦、特設運送艦として運用され、戦争末期および戦後すぐに損傷、沈没したものの復旧して、再び貨物船として活躍した。.

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荒城二郎

荒城 二郎(あらき じろう、1880年(明治13年)11月6日 - 1952年(昭和27年)6月3日)は、北海道出身『日本海軍史 第9巻 将官履歴』(本籍は東京都)の海軍軍人(中将)。兄の卓爾は陸軍少将。妹は井上達三の妻で、井上成美とは縁戚関係にあった。.

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草鹿任一

草鹿 任一(くさか じんいち、1888年(明治21年)12月7日 - 1972年(昭和47年)8月24日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。勲等は勲一等。.

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菊月 (睦月型駆逐艦)

菊月(きくづき)は日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|第三十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 菊月(キクヅキ)トス』。一等駆逐艦睦月型の9番艦である。艦名は旧暦で9月のこと。艦名は初代神風型駆逐艦の「菊月」に続いて2代目。珊瑚海海戦の前哨戦で撃沈された。艦名は海上自衛隊の護衛艦「きくづき」に継承された。.

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青葉 (重巡洋艦)

青葉(あおば/あをば)は#達大正12年9月p.1『達第百九十一號 艦艇製造費ヲ以テ大正十二年度ニ於テ長崎三菱造船所ニテ建造ニ着手スヘキ一等巡洋艦一隻ニ左ノ通命名セラル 大正十二年九月十八日 海軍大臣財部彪 七千百頓級巡洋艦 青葉アヲバ』、日本海軍の重巡洋艦。 青葉型重巡洋艦(青葉型一等巡洋艦)の1番艦。 三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された#艦船要目公表範囲(昭和12年12月1日)p.4『青葉|一等巡洋艦|(艦諸元略)|三菱長崎造船所|大正13-2-4|大正15-9-25|昭和2-9-20|(装備略)』。 その艦名は、京都府加佐郡に位置する青葉山から因んで名付けられた。艦内神社は青葉山の青葉神社。.

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須賀彦次郎

賀 彦次郎(すが ひこじろう、1889年(明治22年)3月4日 - 1941年(昭和16年)2月5日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。三重県松阪市出身。.

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衣笠 (重巡洋艦)

衣笠(きぬがさ/きぬかさ)は日本海軍の青葉型重巡洋艦2番艦。 1927年(昭和2年)9月に竣工した。1942年(昭和17年)11月、第三次ソロモン海戦で空襲を受け沈没した。.

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風間万年

間 万年なにわ会の資料では「風問万年」、「風間万年」と表記が分かれているが、他の資料では「風間万年」である。(かざま まんねん、生年不明 - 1945年(昭和20年)1月3日または1月4日)は、日本の海軍軍人。神風特別攻撃隊旭日隊の指揮官であり、特攻により戦死したが、その作戦行動については資料によって異同がある。二階級特進により最終階級は海軍少佐。.

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飯倉貞造

飯倉 貞造(いいぐら ていぞう『62.飯倉大尉欧米出張ノ件』、1886年(明治19年)11月23日 - 1970年(昭和45年)4月20日)は、日本の海軍軍人。海軍航空草創期の搭乗員で、第一次世界大戦において展開された日本海軍初の航空作戦に参戦した一人である。最終階級は海軍少将。.

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飛龍 (空母)

飛龍(ひりゅう/ひりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦#達昭和10年11月p.6『達第百三十九號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ航空母艦一隻ニ左ノ通命名セラル|昭和十年十一月二十二日 海軍大臣大角岑生|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 航空母艦 飛龍ヒリュウ』。1942年(昭和17年)6月、ミッドウェー海戦にて沈没した。.

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西 (横須賀市)

横須賀市西部地区 (よこすかしせいぶちく)は、神奈川県横須賀市の相模湾に面する地域の総称。市内で唯一相模湾に面する地域である。 横須賀市西行政センターが担当している秋谷、芦名、太田和、荻野、子安、佐島、佐島の丘、湘南国際村、須軽谷、武、長井、長坂、林、御幸浜、山科台の15地区を指す。これは横須賀市編入前の旧三浦郡長井町・武山村・大楠町の区域に当たる。 北は三浦郡葉山町と横須賀市衣笠に接し、南は三浦市に接する。地域の人口は43,464人。.

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親任官

親任官の位置づけ 親任官(しんにんかん)は、大日本帝国憲法下における官吏の階級の一つ。明治憲法下の官僚制度での最高の位置付けで、天皇の親任式を経て任命される。親任官と勅任官に対しては、敬称に閣下を用いた。 なお、日本国憲法下においても、内閣総理大臣と最高裁判所長官は親任式で天皇から任命されるが、同憲法施行に伴って親任官・勅任官などの区分が廃止されたため、現在「親任官」と呼ばれる官等は存在しない。.

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香取 (練習巡洋艦)

香取(かとり)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』。 香取型練習巡洋艦の1番艦である#艦艇類別等級表(昭和17年6月30日)p.4『軍艦|練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』。.

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駐在武官

在武官(ちゅうざいぶかん)とは、在外公館に駐在して軍事に関する情報交換や情報収集を担当する武官のことである。通常は軍人としての身分(軍服を着用して帯剣し階級を呼称する)と外交官としての身分(外交官として外交特権を有する)を併有する,立川京一,防衛研究所紀要 第17巻第1号,P123-159,2014年10月。軍事アタッシェやミリタリーアタッシェ(Military attache / Military attaché / Defense Attaché)あるいは軍人外交官ともいわれる。 日本では、第二次世界大戦以前は帝国陸軍・海軍から派遣され、「○○国在勤帝国大使館附陸軍武官」及び「○○国在勤帝国大使館附海軍武官」等と呼称した。 1954年(昭和29年)以降現在の日本では、防衛省(旧:防衛庁)からの自衛官の派遣となり、現在は「防衛駐在官」と呼称する。.

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高橋三吉

橋 三吉(たかはし さんきち、明治15年(1882年)8月24日 - 昭和41年(1966年)6月15日)は、大正から昭和期の日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

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高木武雄

木 武雄(たかぎ たけお、1892年(明治25年)1月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。福島県石城郡大野村(現・いわき市)出身 。磐城中学校(現福島県立磐城高等学校)卒。海軍兵学校(39期)、海軍大学校(23期)卒業。幼少のころから頭脳明晰で、同期中最年少の少尉任官であった『太平洋戦争海藻録』「高木武雄」。海軍兵学校同期に伊藤整一、遠藤喜一、阿部弘毅、岡敬純、角田覚治、原忠一などがいる。.

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高木惣吉

木 惣吉(たかぎ そうきち、1893年(明治26年)8月9日 - 1979年(昭和54年)7月27日)は、日本の海軍軍人。海兵43期、海大25期首席。最終階級は海軍少将。東久邇宮内閣の内閣副書記官長を務めた。 旧制中学校への進学が叶わない貧しい家に生まれ、働きながら独学で海軍兵学校への入校を果たし、海軍大学校を首席で卒業する。健康に恵まれず、海上勤務は少なかったが、軍政方面で活躍。海軍部外に幅広い人脈を有し、ブレーントラストを組織した。太平洋戦争の戦局悪化に伴い首相・東條英機の暗殺計画を立案したが決行直前に東條内閣が瓦解し未遂に終わる。その後は米内光政、井上成美の密命により終戦工作に従事。各方面と連携をとりながらの終戦への基盤づくりを行った功績は大きいとされる。.

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鮫島具重

鮫島 具重(さめじま ともしげ、1889年4月8日 - 1966年9月13日)は、日本の海軍軍人。階級は海軍中将。爵位は男爵。.

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豊田副武

豊田 副武(とよだ そえむ、1885年(明治18年)5月22日 - 1957年(昭和32年)9月22日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。第29代・第30代連合艦隊司令長官。最後となる第19代軍令部総長を務めた。.

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豊田貞次郎

豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等。.

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鹿島 (練習巡洋艦)

鹿島(かしま)は、日本海軍の練習巡洋艦#達昭和14年3月(2)p.23『達第四十八號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度ニ於テ建造ニ着手ノ練習巡洋艦二隻、驅逐艦一隻及敷設艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十四年三月三十一日 海軍大臣 米内光政|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 練習巡洋艦 香取(カトリ) 練習巡洋艦 鹿島(カシマ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 早潮(ハヤシホ)|株式會社石川島造船所ニ於テ建造 敷設艇 巨濟(キョサイ)』。香取型練習巡洋艦の2番艦#艦艇類別等級表(昭和17年6月30日)p.4『軍艦|練習巡洋艦|香取、鹿島、香椎』。艦名は茨城県の鹿島神宮に由来する。 ここでは、戦後海上自衛隊公称鹿島1号となった搭載内火艇についても説明する。.

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軍事参議院

軍事参議院(ぐんじさんぎいん)とは、大日本帝国において、帷握の下に在って重要軍務につき天皇の諮詢に応じる国家機関である。1903年(明治36年)に設置され、1945年(昭和20年)に廃止された。 軍事参議院は、天皇の諮詢を待って、参議会を開き、意見を上奏するものとされて、独自に活動することを禁じられた。なお、陸海軍互に相関繋しない事項については陸軍または海軍のみの参議官を以って参議会を開くことが認められていた。.

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軍事指揮官の一覧

軍事指揮官の一覧(ぐんじしきかんのいちらん)は、歴史上の軍事指揮官の一覧。軍事指揮官とは、単なる軍人ではなく、一定数以上の兵員によって構成される部隊を率いた軍人をさす。また、部隊を直接指揮しなくとも参謀や軍師のように間接的に指揮した人物も含む。軍事指揮官のうち、多大な功績を立てたものは名将と呼ばれ、致命的な損失を招いたものは愚将と呼ばれる。将才に準じて、猛将、智将、勇将、謀将、良将等の呼称をされる場合もある。 特定の時代に関する人物については関連項目を参照。.

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軍務局

軍務局(ぐんむきょく)は、日本の陸軍省・海軍省に設置されていた軍政担当部局。.

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黒島亀人

黒島 亀人(くろしま かめと、1893年(明治26年)10月10日 - 1965年(昭和40年)10月20日)は、日本の海軍軍人。海兵44期卒業。最終階級は海軍少将。.

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辻政信

辻 政信(つじ まさのぶ、1902年(明治35年)10月11日 - 1968年(昭和43年)7月20日)は、日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての最終階級は陸軍大佐。 ノモンハン事件、太平洋戦争中のマレー作戦、ポートモレスビー作戦、ガダルカナル島の戦いなどを参謀として指導し、軍事作戦指導では「作戦の神様」と讃えられた。 その一方で、指揮系統を無視した現場での独善的な指導、部下への責任押し付け、自決の強要、戦後の戦犯追及からの逃亡などについて批判がある。 敗戦後は数年間を国内外で潜伏したのち戦記を上梓し、ベストセラーとなった。政治家に転身し衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)を歴任した。参議院議員在任中の1961年(昭和36年)4月に視察先のラオスで行方不明となり、1968年(昭和43年)7月20日に死亡宣告がなされた。.

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近衛文麿

近衞 文麿(このえ ふみまろ、1891年(明治24年)10月12日 - 1945年(昭和20年)12月16日)は、日本の政治家。栄典は勲一等公爵。 貴族院議員、貴族院副議長(第10代)、貴族院議長(第9代)、内閣総理大臣(第34・38・39代)、外務大臣(第57代)、拓務大臣(第13代)、班列、農林大臣(臨時代理)、司法大臣(第43代)、国務大臣、大政翼賛会総裁(初代)などを歴任した。.

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近藤信竹

近藤 信竹(こんどう のぶたけ、1886年(明治19年)9月25日 - 1953年(昭和28年)2月19日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

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迅鯨 (潜水母艦)

迅鯨(じんげい)は、大日本帝国海軍の潜水母艦。迅鯨型潜水母艦の1番艦。.

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震洋

震洋(しんよう)は、太平洋戦争(大東亜戦争)で日本海軍が開発・使用した特攻兵器(小型特攻ボート)戦史叢書102巻、357頁「震洋(まるよん艇)」。構造が簡単で、大量生産された。.

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鈴木貫太郎

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級・栄典は海軍大将従一位勲一等功三級男爵。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めた。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、第二次世界大戦を終戦に導いた。.

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阿川弘之

阿川 弘之(あがわ ひろゆき、1920年(大正9年)12月24日 - 2015年(平成27年)8月3日)は、日本の小説家、評論家。 広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作(海軍提督三部作)『山本五十六』『米内光政』『井上成美』など。 自身は『私の履歴書』では、〔私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している。法学者の阿川尚之は長男、タレント・エッセイストの阿川佐和子は長女。.

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阿部孝壮

阿部 孝壮(あべ こうそう、1892年3月24日 - 1947年6月19日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍中将。.

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阿部信行

阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年(明治8年)11月24日 - 1953年(昭和28年)9月7日)は、日本の陸軍軍人、政治家。 陸軍士官学校9期、陸軍大学校19期(恩賜)、陸軍大将。位階は正二位。勲等は勲一等。 予備役編入後、内閣総理大臣(第36代)、外務大臣(第59代)、翼賛政治会総裁(初代)、貴族院議員、朝鮮総督(第9代)などを歴任した。.

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薄雲 (吹雪型駆逐艦)

薄雲(うすぐも)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型駆逐艦)の7番艦。雲級(くもクラス)の1隻。当初の艦名は、第41号駆逐艦#達昭和3年6月pp7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第四十一號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 薄雲(ウスグモ)トス』。この名を持つ日本海軍の艦船としては東雲型駆逐艦「薄雲」に続いて2隻目。.

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蒼龍 (空母)

蒼龍(そうりゅう / さうりう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。二航戦1942年6月5日にミッドウェー海戦で沈没。.

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野村直邦

野村 直邦(のむら なおくに、1885年(明治18年)5月15日 - 1973年(昭和48年)12月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。東條英機内閣の海軍大臣。.

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重慶爆撃

重慶を爆撃する日本軍の爆撃機を写した空中写真(1940年) 重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。.

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金城山丸

金城山丸(きんじょうさんまる)は、かつて三井物産船舶部(現:商船三井)が運航していた貨物船。金城山丸級2隻の1番船で、同型船は金峰山丸。.

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金剛丸 (特設巡洋艦)

この項目における金剛丸(こんごうまる Kongo Maru)は、かつて国際汽船が運航していた貨物船で、太平洋戦争では特設巡洋艦として運用されたが、比較的早い時期に戦没した。.

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金龍丸 (特設巡洋艦)

金龍丸(きんりゅうまる)は、.

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長井海の手公園 ソレイユの丘

長井海の手公園 ソレイユの丘(ながいうみのてこうえん ソレイユのおか)は、神奈川県横須賀市にある、農業体験型総合公園のことである。通称は「ソレイユの丘」。.

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長谷川清

長谷川 清(はせがわ きよし、1883年(明治16年)5月7日 - 1970年(昭和45年)9月2日)は、日本の海軍軍人。最終階級は正三位 勲一等 功一級 海軍大将。福井県足羽郡社村(現・福井市)出身。.

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艦政本部

海軍艦政本部(かいぐんかんせいほんぶ)とは、海軍大臣に隷属し、造艦・造兵・造機に係わる事務を司った大日本帝国海軍の官衙(官庁)であり、海軍省の外局の一つ。艦政本部長には、原則として海軍中将が就任した。1923年(大正12年)以降は研究機関として海軍技術研究所を併設。また欧米の海軍技術研究や国内造船造兵企業の指導監督のために造船造兵監督長・造船造兵監督官を派遣した。1945年(昭和20年)11月の海軍省廃止と共に廃止された。.

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陸軍悪玉論

軍悪玉論(りくぐんあくだまろん)とは、大日本帝国陸軍に第二次世界大戦にかけての日本の軍国主義化、日中戦争(支那事変)の拡大、国際政治における孤立、および太平洋戦争(大東亜戦争)の開戦と敗戦の全責任があるという主張。これに関連して大日本帝国海軍が歯止めとなり、太平洋戦争開戦についても消極的であったとする見方の海軍善玉論(かいぐんぜんだまろん)も主張される。 しかしながら歴史研究や理解の進んだ現在においては、陸軍の再評価ならびに海軍善玉論の見直しがされていることもあり、陸軍悪玉論・海軍善玉論は一方的に偏った不正確な主張として傍流となっている。.

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K作戦

K作戦(けーさくせん)とは、第二次世界大戦中に日本海軍が実施した二式飛行艇(二式大艇)を使用したアメリカのハワイ準州に対する航空作戦戦史叢書80巻183頁「K作戦」。第一次は真珠湾に対する空襲を企図した。この作戦は二式大艇の初の実戦となった。第二次はミッドウェー作戦のため、ハワイにいると思われる敵機動部隊に対する偵察を企図した。.

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柳葉敏郎

柳葉 敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント。愛称はギバちゃん、ジョニー、柳葉リーダー。 秋田県大仙市出身・在住。融合事務所所属。趣味は、ボウリング、ゴルフ、スキー、テニス、野球。身長171cm、体重60kg、血液型:O型。.

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柳澤蔵之助

柳澤 蔵之助(やなぎさわ くらのすけ、1898年(明治31年)2月20日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。海兵46期、海大29期(首席)。最終階級は海軍少将。長野県佐久市出身。.

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柳本柳作

柳本 柳作(やなぎもと りゅうさく、1894年(明治27年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

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柴崎恵次

柴崎 恵次(しばざき けいじ、1894年(明治27年)4月9日 - 1943年(昭和18年)11月25日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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架空戦記

架空戦記(かくうせんき)は、小説、漫画等の戦記の一ジャンルである。仮想戦記(かそうせんき)もしくはIF戦記(イフせんき)、バーチャル戦記(-せんき)などとも呼ばれる。 基本的に過去の戦争に関連した歴史や、その転換点となった戦いの推移・結果が史実と異なっていたらどうなっていたであろうか、という架空の歴史を前提に描かれるものと、未来の戦争をシミュレーションするものの二系統がある。前者は「日本軍が史実と異なる第二次世界大戦で活躍する、もしくは勝利する」作品で、劇画調の戦闘シーンを描いた表紙絵で装丁された若年者向けライトノベルが多い。 過去の歴史を題材とした作品には、実在する歴史的な、特に計画資料などで、もしやもするとそれが実行されていたかもしれない事件、事由、それらに準じた作者自身の学術的歴史分析や、仮定の歴史と、実際の歴史を比較する比較論的結果を題材にしたものと、まったくの作者自身の想像によるようなものがある。前者の場合には学術的な資料的価値が高いものもあるため、一概にひとくくりに論じることはできない。また、後者の例に多いが、一時のブームに乗ってゲーム作家など異業種からの参入が相次いだことや、現実にはありえない超兵器が登場したり、未来のテクノロジーを過去へ持ち込んだりなど、荒唐無稽な作品も数多い。.

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提督の決断IV

『提督の決断IV』(ていとくのけつだん・フォー)は、コーエー(現・コーエーテクモゲームス)から発売されたウォー・シミュレーションゲーム。第二次世界大戦を題材にした「WWIIゲームシリーズ」の第5弾シリーズ「提督の決断シリーズ」の第4作。音楽は寺嶋民哉が担当。 2018年2月現在、シリーズ最新作である。.

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条約派

条約派(じょうやくは)とは、大日本帝国海軍内の派閥の一つ。 ロンドン海軍軍縮条約締結により、「条約妥結やむなし」とする条約派(海軍省側)とこれに反対する艦隊派(軍令部側)という対立構造が生まれ、後に統帥権干犯問題に発展した。 具体的には、財部彪、谷口尚真、山梨勝之進、左近司政三、寺島健、堀悌吉、下村正助等をさす。これらの条約派本来の顔触れは、艦隊派の要求に屈した大角岑生によって、条約締結後数年の間に軒並み予備役に編入された(大角人事)。 ただし、鎮守府長官で政治的判断の立場にない米内光政や、政治的には微力だが、海軍省に対して軍令部を強化する「軍令部条例並に省部事務互渉規定」改定に頑強に抵抗した井上成美を条約派に含める事もある。定義によっては日独伊三国同盟反対派や対米避戦派など、軍縮会議以降の対立で生じた派閥のメンバーを含める事もある(古賀峯一・長谷川清など)。この様に「条約派」・「艦隊派」の名は広く知られているものの、明確な定義はない。山本五十六は戦後、三国同盟反対・対米避戦の主張や米内・井上との盟友関係から条約派とされることが多いが、海軍の次席随員として参加したロンドン軍縮会議では最も強硬に対米7割を主張して若槻禮次郎全権を困らせ、艦隊派に近いと見られていた。他に条約派とされる者に坂野常善、岩村清一、杉山六蔵、小林仁がいる。.

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東京都の軍事遺跡一覧

東京都の軍事史跡一覧(とうきょうとのぐんじしせきいちらん)は、かつて東京都にあった軍事施設や史跡の一覧である。.

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東郷平八郎

東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、弘化4年12月22日(1848年1月27日) - 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士、軍人。階級は元帥海軍大将。日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り日本海海戦での完勝により英雄視され、「陸の大山 海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。世界三大提督(ジョン・ポール・ジョーンズ、ホレーショ・ネルソン、東郷平八郎)の1人。各地の東郷神社に名を残す。位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。.

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松田千秋

松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。.

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杉崎善冶郎

杉崎 善冶郎(すぎさき ぜんじろう、1927年-2013年 )は、日本の農学研究者。東京理科大学名誉教授。農学博士。千葉県野田町(現野田市)出身。.

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栗原悦蔵

栗原 悦蔵(くりはら えつぞう、1894年(明治27年)3月31日 - 1987年(昭和62年)9月18日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。群馬県前橋市出身。.

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槇智雄

槇 智雄(まき ともお、1891年(明治24年)12月12日 - 1968年(昭和43年)10月3日)は、日本の政治学者。保安大学校長・初代防衛大学校長、白梅学園短期大学学長。防衛大学校名誉教授。専門はイギリス憲法史、政治制度史。登山家の槇有恒は実弟。.

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横山一郎

横山 一郎(よこやま いちろう、1900年(明治33年)3月1日 - 1993年(平成5年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。1945年(昭和20年)9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ上で行われた降伏文書調印式に出席した人物でもある。.

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横山信義

横山 信義(よこやま のぶよし、1958年 - )は、日本の小説家。長野県出身。東京工業大学卒業。.

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横須賀市

横須賀市(よこすかし)は神奈川県南東部の三浦半島に位置する都市である。中核市に指定されている。.

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樋口修一郎

樋口 修一郎(ひぐち しゅういちろう、1888年(明治21年)1月18日 - 1949年(昭和24年)11月24日)は、日本の海軍軍人。海軍潜水学校校長を務めた海軍中将である。.

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樋口直

樋口 直(ひぐち なおし、1924年-   )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大尉。神奈川県横浜市磯子区出身。.

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橋本象造

橋本 象造(はしもと しょうぞう、1894年(明治27年)1月31日 - 1973年(昭和48年)8月20日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。.

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武部鷹雄

武部 鷹雄(たけべ たかお、生年不明 - 1915年(大正4年)3月6日)は、日本の海軍軍人で海軍航空草創期の搭乗員。第一次世界大戦において、日本海軍機の初出撃を行った五名のうちの一人である。のち試験飛行中に殉職。最終階級は海軍大尉。.

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毎日出版文化賞

毎日出版文化賞(まいにちしゅっぱんぶんかしょう)は、毎日新聞社が主催(特別協力大日本印刷株式会社)する、優秀な出版物を対象とした文学・文化賞である。1947年に創設。毎年11月に受賞者が発表され、授賞式が東京で行われる。.

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比叡 (戦艦)

比叡 (ひえい)は、大日本帝国海軍(以下日本海軍)の巡洋戦艦、戦艦、練習戦艦。.

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永野修身

永野 修身(ながの おさみ、1880年(明治13年)6月15日 - 1947年(昭和22年)1月5日)は、日本の海軍軍人、教育者。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。最終階級および栄典は元帥海軍大将従二位勲一等功五級。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍の三顕職である連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長を全て経験した唯一の軍人。千葉工業大学の創設発案者。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。.

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治憲王

治憲王(はるのりおう、1926年7月3日 - 2011年6月5日)は、日本の旧皇族、外交官。賀陽宮恒憲王の第2王子。海軍兵学校75期。.

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沖島 (敷設艦)

沖島(おきのしま)は、日本海軍の敷設艦(機雷敷設艦)。本艦に改良を加えた準同型艦に「津軽」がある#日本補助艦艇物語43-45頁『わが敷設艦の概要』。.

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法政大学の人物一覧

法政大学の人物一覧(ほうせいだいがくのじんぶついちらん)は、法政大学(東京法学校・東京仏学校・和仏法律学校)に関係する人物の一覧記事である。.

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津留雄三

津留 雄三(つる ゆうぞう、1880年(明治13年)『兵学校生徒定期大試験成績表及延期修学并差免及医事に関する等の件(1)』より算出。 - 1930年(昭和5年)8月7日)は、日本の海軍軍人。日露戦争では海軍重砲隊に属し旅順要塞攻略戦に参戦。第一次世界大戦にも出征し、正五位勲三等功五級に叙せられた海軍大佐である。その話術と奇行から海軍部内で"大名士"として知られた。.

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津軽 (敷設艦)

津軽(つがる)は、日本海軍の敷設艦#日本補助艦艇物語50-51頁『(6) 津軽(二代)』#艦艇類別等級表(昭和15年12月25日)p.3『軍艦|敷設艦|勝力、常磐、嚴島、白鷹、八重山、沖島、津輕』。 この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。日本海軍の法令上は旧字体の津輕を用いるが、本記事では津軽とする#達昭和15年2月pp.44-45『達第三十一號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十三年度及同十四年度ニ於テ建造ニ着手ノ敷設艦一隻、海防艦二隻、驅逐艦二隻、潜水艦二隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス 昭和十五年二月二十三日 海軍大臣 吉田善吾|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 敷設艦 津輕(ツガル)|鶴見製鐡造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 國後(クナシリ)|佐世保海軍工廠ニ於テ建造 海防艦 八丈(ハチジャウ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 嵐(アラシ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 驅逐艦 萩風(ハギカゼ)|三菱重工業株式會社神戸造船所ニ於テ建造 伊號第二十五潜水艦|呉海軍工廠ニ於テ建造 伊號第二十七潜水艦|鶴見製鉄造船株式會社ニ於テ建造 第十三號驅潜艇』。.

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朝凪 (駆逐艦)

朝凪(あさなぎ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第十五號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 朝凪アサナギ トス』#艦艇・駆逐艦(1)p.2『驅逐艦改稱新舊名稱對照表|(驅逐艦名)朝凪アサナギ|(昭和三年七月三十一日以前ノ名稱)第十五號驅逐艦』。神風型(2代目)の8番艦である。.

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朧 (吹雪型駆逐艦)

朧(おぼろ)は日本海軍の駆逐艦。一等駆逐艦吹雪型(特型)の17番艦。朧型(吹雪型後期型)の1番艦#幕末以降帝国軍艦写真と史実p.160『吹雪型(十六隻) 艦種 一等驅逐艦 艦名考 風波等気象に採る。|朧型(八隻)/朧(おぼろ)【二代】、曙(あけぼの)【二代】、潮(うしほ)【二代】、漣(さざなみ)【二代】、響(ひびき)【二代】、雷(いかづち)【二代】、電(いなづま)【二代】、暁(あかつき)【二代】 (要目建造日略)』。特II型の7番艦。この名を持つ日本海軍の艦船としては、雷型駆逐艦「朧」に続いて2隻目。.

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木幡行

木幡 行(こわた つよし、1887年6月2日 - 1977年8月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。福島県出身。従四位勲三等功四級。.

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末次信正

末次 信正(すえつぐ のぶまさ、1880年(明治13年)6月30日同年3月2日に米内光政(29期)、6月15日に永野修身(28期)が誕生。米内は中学卒業と同時に兵学校入校である。末次は19歳7月で兵学校を卒業している。同期生で20歳未満で卒業したのは10人に満たない。 - 1944年(昭和19年)12月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍大将、従二位・勲一等。第1次近衛内閣の内務大臣。坊の岬沖海戦で戦死した末次信義海軍中佐は長男。.

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有職読み

有職読み(ゆうそくよみ)は、日本において古来からの慣例に従って、漢字で書かれた語を特別な読み方で読むこと。.

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有馬正文

有馬 正文(ありま まさふみ、1895年(明治28年)9月25日 - 1944年(昭和19年)10月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。.

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有明 (初春型駆逐艦)

有明(ありあけ)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和7年12月(5)pp.6『達第百七十五號 艦艇製造費ヲ以テ昭和七年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻潜水艦三隻水雷艇二隻掃海艇二隻敷設艦二隻ニ左ノ通命名ス 昭和七年十二月十日 海軍大臣岡田啓介|驅逐艦 浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 初霜(ハツシモ)/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 有明(アリアケ)/舞鶴要港工作部ニ於テ建造 夕暮(ユフグレ)|潜水艦 株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第六潜水艦/佐世保海軍工廠ニ於テ建造 伊號第七十潜水艦/株式會社川崎造船所ニ於テ建造 伊號第七十一潜水艦|水雷艇 舞鶴要港部工作部ニ於テ建造 友鶴(トモヅル)/株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 初雁(ハツカリ)|掃海艇 株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 第十五號掃海艇/三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ建造 第十六號掃海艇|敷設艇 横濱船渠株式會社ニ於テ建造 猿島(サルシマ)/株式會社播磨造船所ニ於テ検図 那沙美(ナサミ)』#海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦初霜外二隻伊號第六潜水艦外二隻水雷艇友鶴外一隻命名ノ件』。 初春型駆逐艦(一等駆逐艦)の5番艦である#艦艇類別等級表(昭和16年12月31日)p.8『驅逐艦|一等|初春型|初春、子日、若葉、初霜、有明、夕暮』。有明型駆逐艦に類別されていた時期もあった。.

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望月 (駆逐艦)

望月(もちづき)は、日本海軍の駆逐艦#達昭和3年6月pp.7-8『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス|昭和三年六月二十日 海軍大臣岡田啓介|(略)第三十三號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 望月(モチヅキ)トス』。睦月型駆逐艦の11番艦である。艦名は旧暦15日の月(満月)のこと。艦名は海上自衛隊のたかつき型護衛艦「もちづき」に継承された。.

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戦藻録

『戦藻録』(せんそうろく)は宇垣纏が記した陣中日誌。副題は「大東亜戦争秘記」。 日本海軍作戦の第一級史的資料戦争文学とも見られる。.

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我が闘争

『我が闘争』(わがとうそう、Mein Kampf)とは、ナチ党指導者のアドルフ・ヒトラーの著作である。第1巻は1925年、第2巻は1926年に出版された。ヒトラーの自伝的要素と政治的世界観 (Weltanschauung) の表明などから構成されている。.

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海にかける虹〜山本五十六と日本海軍

『海にかける虹〜山本五十六と日本海軍』(うみにかけるにじ やまもといそろくとにっぽんかいぐん)は、1983年(昭和58年)1月2日にテレビ東京の『12時間超ワイドドラマ』(のちの新春ワイド時代劇)で放送されたテレビドラマである。全6部。 後に、1985年から1986年に同局で放送された『金曜特選劇場』(金曜20:04 - 21:51)内で、6分割して再放送された。.

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海上護衛隊

海上護衛隊(かいじょうごえいたい)は、旧日本海軍の部隊編制の一つで、太平洋戦争中に四個部隊が編制された。ここでは第一海上護衛隊を再編した第一護衛艦隊についても述べる。各部隊・艦隊の符号は、第一海上護衛隊が1KEg、第二海上護衛隊が2KEg、第一護衛艦隊が1EF。.

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海軍大学校卒業生一覧

海軍大学校卒業生一覧(かいぐんだいがっこうそつぎょうせいいちらん)は、日本海軍の海軍大学校卒業生の一覧である。.

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海軍大将

海軍大将(かいぐんだいしょう)は、海軍の階級の一。海軍中将の上に位置する。一般に将官の最高位であり、海軍軍人の最高位である。 英呼称である“admiral”はアラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・アルハル“amīr al-baḥr”に由来する。.

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海軍左派

海軍左派(かいぐんさは)とは、ワシントン軍縮条約締結時の締結反対派(艦隊派)に対する賛成派(条約派)。または、日独伊三国同盟締結・対米開戦に真っ向から反対した立場・親英米派としての「左派」であり(対米強硬派・親独派としての「右派」に対する)、いわゆるマルクス主義とは何ら関係がない(思想的にはむしろ、西園寺公望や若槻礼次郎のようなオールド・リベラリストに近い)。海軍良識派、海軍穏健派とも言う。 往年の主流派であった加藤友三郎、岡田啓介ら「条約派」の流れに属するが、大角岑生がロンドン海軍軍縮会議後に堀悌吉ら条約派の主要提督を軒並み予備役に編入した(大角人事)ために、昭和10年代に入ると弱体化した。 この流れを汲む人物には、長谷川清、古賀峯一、高木惣吉、実松譲、大井篤、中山定義、内田一臣などがいた。特に米内光政・山本五十六・井上成美の三人を指して「(海軍)左派トリオ」もしくは「海軍三羽烏」と呼ばれることもある。皇族では、高松宮宣仁親王がこの派閥に当てはまる。 左派とはいうものの、陸軍の統制派や皇道派に見られる露骨な派閥的動向はなかった。なお、山本と井上の存在によって混同されがちであるが、海軍左派.

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海軍兵学校 (日本)

海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関である。.

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海軍兵学校卒業生一覧 (日本)

海軍兵学校卒業生一覧 (日本)(かいぐんへいがっこうそつぎょうせいいちらん(にほん))は、海軍兵学校 (日本)の卒業生・修了生の一覧である。なお、原則としてWikipediaに記事が存在する人物を掲載する。 各人名の表記方法の意味については次の例示を参照のこと。なお同期、同階級については五十音順に配列する。.

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海軍省

海軍省(かいぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国海軍の軍政機関。主任大臣は海軍大臣。軍令は最高司令官である天皇に直属する軍令部が担当する。.

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海軍航空本部

海軍航空本部(かいぐんこうくうほんぶ)は、日本の海軍省の外局の一つ。通称、航本。航空機や航空兵器の研究・計画・審査を管掌し、航空要員の教育も担当した。長は本部長であり、原則海軍中将が就任した。1927年(昭和2年)4月に設立、1945年(昭和20年)11月の海軍省廃止と共に解体された。.

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海軍機関科問題

イギリス海軍の駆逐艦母艦「タイン」で作業中の機関科特務士官(Engine Room Artificer, ERA)。1941年撮影。 海軍機関科問題(かいぐんきかんかもんだい)とは、海軍の士官制度において、兵科の士官と機関科の士官に設けられた区別に関する対立のことである。19世紀前半の蒸気推進軍艦導入以降、海軍には動力装置を操作する機関要員が必要になったが、その幹部である機関科士官は、制度上で戦闘要員である兵科士官と区別されることがあった。指揮権の有無や階級制度、給与、養成課程など様々な面において異なった取り扱いがされていたが、軍艦における動力装置の重要度の高まりや機関科士官らの抗議などにより制度変更が行われた。教育制度を中心とした兵科・機関科の制度統合のことを兵機一系化(へいきいっけいか)ともいう。.

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海軍戦争検討会議記録

海軍戦争検討会議記録(かいぐんせんそうけんとうかいぎきろく)とは、1945年(昭和20年)12月22日から翌1946年(昭和21年)1月23日にかけて、第二復員省(旧海軍省)に太平洋戦争開戦前後の日本海軍の首脳メンバーが一堂に会し、4回にわたって「特別座談会」という名の会議をひらき、開戦の経緯を中心に戦争の総括をおこなった際の記録。のちに新名丈夫が編纂して出版された。.

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浅水鉄男

浅水 鉄男(あさみず てつお、1908年(明治41年) 3月28日 - 1934年(昭和9年)9月7日)は、日本の海軍軍人。五・一五事件の海軍側被告人を裁いた軍法会議において被告特別弁護人を務める。操縦員として夜間訓練中に殉職。最終階級は海軍大尉。.

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新見政一

新見 政一(にいみ まさいち、1887年(明治20年)2月4日 - 1993年(平成5年)4月2日)は、日本の海軍軍人、戦史研究家。最終階級は海軍中将。.

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日下敏夫

日下 敏夫(くさか としお、1904年(明治37年)6月28日 - 1999年(平成11年)8月)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争においてほとんどの期間を潜水艦艦長として終始し、主として交通破壊戦に戦果を挙げた。最終階級は海軍中佐。.

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日独伊三国同盟

日独伊三国同盟(にちどくい さんごく どうめい、Dreimächtepakt、Patto tripartito)は、1940年(昭和15年)9月27日に日本、ドイツ、イタリアの間で締結された日独伊三国間条約(にちどくい さんごくかん じょうやく、旧字体:日獨伊三國閒條約)に基づく日独伊三国の同盟関係。第二次世界大戦における枢軸国の原型となり、その後複数の枢軸側に与した国や友好国も加盟した。.

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日本における英語

本項目では、(アルファベットを含む)日本における英語(にっぽん、にほんにおけるえいご)について解説する。.

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日本最後の一覧

日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。 なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事も含めるが、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。.

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旗風 (駆逐艦)

旗風(はたかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。神風型一等駆逐艦(2代目)の5番艦である#艦艇類別等級表(1939年6月1日)p.3『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、疾風、朝凪、夕凪』日本軍艦集2600年版p.47『一等驅逐艦 神風(かみかぜ) 基準排水量1,270噸、長さ97.54米、幅9.14米、平均吃水2.92米、速力34節、備砲12糎砲4門、魚雷發射管6門、起工大正10年12月15日、進水大正11年9月25日、竣工大正11年12月28日、建造所三菱長崎造船所―同型艦に春風、朝風、松風、旗風、追風、夕凪及び次に出てくる朝凪、疾風がある。』。.

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支那方面艦隊

支那方面艦隊(しなほうめんかんたい)とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。.

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時雨 (白露型駆逐艦)

時雨(しぐれ)は、日本海軍の駆逐艦。白露型駆逐艦(白露型一等駆逐艦)の2番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては神風型駆逐艦 (初代)「時雨」に続いて2隻目。「呉の雪風、佐世保の時雨」と並び称された武勲艦でもあった。.

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12月15日

12月15日(じゅうにがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から349日目(閏年では350日目)にあたり、年末まであと16日ある。.

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12月9日

12月9日(じゅうにがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から343日目(閏年では344日目)にあたり、年末まであと22日ある。.

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1880年代

1880年代(せんはっぴゃくはちじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1880年から1889年までの10年間を指す十年紀。.

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1889年

記載なし。

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1975年

記載なし。

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