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ヴァスィリキーウ

索引 ヴァスィリキーウ

ヴァスィリキーウ(Василькíв)はウクライナ・キエフ州の市である。ステューフナ川に面し、ヴァスィリキーウ地区(ru)の中に位置するが、同地区には含まれない独立市である。人口は2001年ウクライナ国勢調査の時点で39700人だった。.

6 関係: ポロシエキエフ州キエフ・ルーシ期の都市キエフ県 (ロシア帝国)ステューフナ川空軍基地の一覧

ポロシエ

ポロシエ(Поросье)とは、ステューフナ川とローシ川の間の地域を指す、キエフ・ルーシ期の歴史的地域区分である。家畜のための肥沃な牧草地帯であり、また南部からキエフへの侵入を防ぐための、軍事的入植地が構築された地域でもあった。 (留意事項)「ポリーシャ」は、各国語表記とその日本語表記によっては本頁のポロシエと名称が類似するが、両者は別の地域である。 ポロシエ地域への最初の移民は、ポリャーネ族とドゥレーブィ族である可能性が高い。しかし遊牧民・ペチェネグ族の到来により、ポリャーネ族はより北方へと追いやられた。キエフ大公ウラジーミル1世はこれらの遊牧民と戦い、ポロシエに最初の軍事的入植地であるロデニの建設に着手した。また、キエフ南方のこの地域への進出には、ヤロスラフ1世が最も積極的に取り組んだ。ヤロスラフは多くの軍事的入植地(沿ローシ川防衛線)を建設し、チョールヌィエ・クロブキ(オグズ族、トルク族、ベレンデイ族等の遊牧民の総称)の地に、リャフ人(ru)などを移住させた。 11世紀末から、ポロヴェツ族の侵入が始まり、ポロシエの大部分はポロヴェツ族の領域となった。しかし12世紀初頭からは再びルーシ側の勢力が優位に立ち、新たな軍事的入植地が築かれた。年代記には、中心的都市であったトルチェスクをはじめ、ユーリエフ(現ビーラ・ツェールクヴァ)、ヴァシリエフ(現ヴァスィリキーウ)、トレポリ(現トリピーッリャ)、ウラセン、ヴァリン、スヴャトポルチ、ハレパ、ミハイロフ、ザルブ、カネフ(現カニウ)、ロストヴェツ、ヤチン、ヴォロダレフ(現ヴォロダルカ)、ボロヴォエという街の名前が記されている。.

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キエフ州

フ州はドニプロ・ウクライナの北部、ドニプロ川の流域の中部に位置する。.

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キエフ・ルーシ期の都市

本頁はキエフ・ルーシ期の都市についてまとめたものである。おおよそ、時代としてはキエフ大公国の成立から滅亡(9世紀 - 1240年)、地域としてはキエフ大公国の全盛期の領域に相当する。 (留意事項):本頁においては、便宜上、広く用いられているもの以外の歴史的用語の日本語転写元はロシア語に統一している。またキリル文字表記はロシア語表記を用いている。.

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キエフ県 (ロシア帝国)

フ県(Киевская губерния)は帝政ロシア、後にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の県(グベールニヤ)である。1708年に設立され、幾度かの区分変更を経たのち、1925年に廃止された。県庁はキエフに置かれた。.

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ステューフナ川

テューフナ川(Стугна)はウクライナのドニプロ高地を流れる、ドニエプル川右岸の支流である。長さ68km、流域面積785k㎡。川幅は平均10mほどだが、渓谷は2.5kmに及ぶところがある。流域の市にはヴァスィリキーウ、がある。.

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空軍基地の一覧

軍基地の一覧は、各国の空軍基地の一覧である。.

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