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ロームルス

索引 ロームルス

ームルス(Romulus、紀元前771年 - 紀元前717年7月5日)は、ローマの建国神話に登場するローマの建設者で、伝説上の王政ローマ建国の初代王である。レムスの双子の兄弟。ロムルスとも呼ばれる。 ラテン人貴族の子としてアルバ・ロンガに生まれ、叔父アムーリウスを倒して祖父ヌミトルをアルバ王に復位させるなど、様々な冒険を経てローマを建国した。最初の国王として元老院や軍団(レギオー)、七つの丘の城壁など古代ローマの根幹となる概念を整備した。 また勇敢な王として他のラテン都市やサビニ都市を征服して国を豊かにしたが、同時に強権的な王として元老院とは対立したという。.

134 関係: ASローマ古代ローマ古代ローマの人名史学史双子の有名人の一覧双生児対比列伝一騎討ち伝承上におけるブリタニア王の一覧マルクス・フリウス・カミッルスマルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前232年の執政官)マルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラマルクス・ウァレリウス・ラエウィヌスマールスポメリウムメネスメンフィス (エジプト)メッティウス・クルティウスユリウス・プロクルスラレースラピス・ニゲルラテン人ラティヌスラウィニウムリュカーオーンリエーティルパルキウス・ムナティウス・プランクスルキウス・アエミリウス・パプスルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前195年の執政官)ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前261年の執政官)レムスレア・シルウィアロミュラン人ロムルス (衛星)ロムルス (曖昧さ回避)ロムルス・アウグストゥルスローマローマの建国神話ローマ建国紀元ローマ建築ローマ・エトルリア戦争ローマ・サビニ戦争ローマ王ローマ神話ローマ軍団ローマ暦ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂ローマ法...ロームルスとレムスヴィテルボのアンニウスヌミトルヌマ・ポンピリウストゥッルス・ホスティリウストゥイストートクセウスヘルシリアヘルシリア (小惑星)プルタルコスプレブスプロカプブリウス・ウァレリウス・フラックスプブリウス・ウァレリウス・ファルトパラティーノテヴェレ川テーセウスティトゥス・タティウスティベリヌス・シルウィウスディオネの地形一覧フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリアファウストゥルスフィデナエフィデナエの戦い (紀元前8世紀)フォロ・ロマーノホスティウス・ホスティーリウスアムーリウスアルバ・ロンガアルバ王アントニヌス・ピウスアヴェンティヌスアイネイアースアウルス・コルネリウス・コッススアエネーイスアエネアス (小惑星)アセナアサシン クリード ブラザーフッドインテルレクスイタリアの歴史ウゥルカーヌスウェイイウェイイとの戦い (紀元前8世紀)ウェイイ包囲戦 (紀元前396年)ウェスタオウィディウスオオカミクゥイリーヌスグラン=プラス (ブリュッセル)コンモドゥスコーンススゴッド・オブ・ローマシルヴィア (小惑星)シルウィウスジョルジュ・デュメジルスポリア・オピーマスムマーヌスタルペーイアターザンターザン・シリーズサビニの女たちサビニの女たちの略奪凱旋式凱旋式のファスティ全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言元老院王政ローマ神君神武天皇即位紀元第6軍団フェッラタ紀元前8世紀羊飼い聖闘士星矢Ω登場人物一覧貴種流離譚野生児週刊 歴史のミステリーFate/Grand Order捨て子月 (暦)惑星Zi戦車競走日比谷公園3月1日4月21日 インデックスを展開 (84 もっと) »

ASローマ

ッパ・イタリア優勝杯を受け取る、キャプテンのトッティ(2007-08シーズン) アッソチアツィオーネ・スポルティーバ・ローマ(Associazione Sportiva Roma)は、イタリア・ローマを本拠地とするサッカークラブチームである。単にローマとも表記される。.

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古代ローマ

古代ローマ(こだいローマ、Roma antiqua)は、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家の総称である。当時の正式な国号は元老院ならびにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)であり、共和政成立から使用されて以来滅亡まで体制が変わっても維持された。伝統的には476年のロムルス・アウグストゥルスの退位をもって古代ローマの終焉とするのが一般的であるが、ユスティニアヌス1世によってイタリア本土が再構成される554年までを古代ローマに含める場合もある。ローマ市は、帝国の滅亡後も一都市として存続し、世界帝国ローマの記憶は以後の思想や制度に様々な形で残り、今日まで影響を与えている。.

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古代ローマの人名

古代ローマの人名(こだいローマのじんめい)について解説する。共和政ローマの時代までと、ローマ帝国(帝政ローマ)の時代を通して、古代ローマの男性市民は3つの名前(tria nomina)を持っていた。 さらに第四名(アグノーメン、agnomen)として添え名がつくこともあった。上記スッラは自ら「幸運の人」フェリクス (Felix) を付け加えた。氏族名は常に世襲され、後には第三名も(家族名となって以降)世襲されるようになった。女性は通常、個人名と添え名を持たなかった。.

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史学史

史学史(しがくし、historiography、history of historical writing;Historiographie)とは、歴史学の研究史である。具体的には、歴史事実研究に関する歴史意識と学説の歴史、また、歴史観の変遷に関する歴史のことである。.

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双子の有名人の一覧

双子の有名人の一覧(ふたごのゆうめいじんのいちらん)は、双生児である有名人(双方共に有名人である場合に限る)の人名の一覧である。 左が兄・姉、右が弟・妹。.

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双生児

ウィリアム・ブーグロー 双生児(そうせいじ)は同じ母親の胎内で同時期に発育して生まれた2人の子供である。いわゆる双子(ふたご)のことであり、多胎児の一種である。多胎児の中では一番多い。 受胎時の受精卵の数により、一卵性双生児(いちらんせいそうせいじ)と二卵性双生児(にらんせいそうせいじ)に大別される。 出産の時には数分程度の時間差で産まれることが多いが、中には数時間から数十日の間隔で生まれる場合もある(双子が一度の分娩で生まれるとは限らない)ので、誕生日・誕生年が異なってしまう兄弟姉妹もいる。 また日本では、かつて後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習があったが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっている。 双子は多くの哺乳類(猫や羊、フェレットなど)で一般的に観察される出生形態の一つであり、例えば牛の双子発生率は1%から4%程度ある。ただし一般に犬猫の一腹の仔は双子等とは呼ばれず、単に兄弟として扱われる。双子受胎時の困難さを克服できる、あるいは管理することが出来ればより高利益を確保できるため、双子率を上昇させる研究も行なわれている。ただし、類人猿(ヒト上科)の多胎妊娠および多胎出産は非常に珍しい。.

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対比列伝

1470年に出版された対比列伝 『対比列伝』(たいひれつでん、Vitae Parallelae、Βίοι Παράλληλοι)は、ローマ帝国の著述家プルタルコスが著した古代ギリシア・ローマの著名な人物の伝記である。日本語訳名は『英雄伝』、『プルターク英雄伝』(プルタークはプルタルコスの英語名)で多く呼ばれる。.

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一騎討ち

一騎討ち 一騎討ち(いっきうち)とは、戦争状態にある戦場において戦士同士が一対一を原則として決着をつける戦闘手法である。一騎打ち(いっきうち)とも表記される。.

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伝承上におけるブリタニア王の一覧

伝承における古代ブリタニア王の一覧(でんしょうにおけるこだいぶりたにあおうのいちらん、List of legendary kings of Britain)では中世時代に編纂された神話的な歴史書『ブリタニア列王伝』(Historia Regum Britanniae)を中心とする、ブリタニア王の一覧について記述する。.

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マルクス・フリウス・カミッルス

マルクス・フリウス・カミッルス(Marcus Furius Camillus, 紀元前446年 - 紀元前365年)は、共和政ローマの軍人・政治家。独裁官に5回推薦された。ロムルスに次ぐローマ第二の創建者と謳われる。.

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マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)

マルクス・アエミリウス・レピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus、 - 紀元前152年)は共和政ローマのパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前187年と紀元前175年に執政官(コンスル)、紀元前179年に監察官(ケンソル)、紀元前180年から没するまでは最高神祇官(ポンティフェクス・マクシムス)を務めた。執政官時代、リグリアに対して何度も勝利を収めている。筆頭元老院議員に6回連続で(30年間)記録されており、死ぬまでの数十年間はローマで最も影響力のある政治家の一人であった。.

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マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前232年の執政官)

マルクス・アエミリウス・レピドゥス(Marcus Aemilius Lepidus、- 紀元前216年)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前232年と紀元前221年に執政官(コンスル)を務めた。.

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マルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ

マルクス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ(Marcus Valerius Maximus Messalla、生没年不詳)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前226年に執政官(コンスル)を務めた。.

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マルクス・ウァレリウス・ラエウィヌス

マルクス・ウァレリウス・ラエウィヌス(Marcus Valerius Laevinus、- 紀元前200年)は紀元前3世紀後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前220年と紀元前210年に執政官(コンスル)を務めた。.

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マールス

マルス マールス(ラテン語:Mārs) は、ローマ神話における戦と農耕の神マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル 『ギリシア・ローマ神話事典』 大修館書店。日本語では「マルス」や「マーズ」と呼ばれる。英語読みは「マーズ」(Mars)である。.

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ポメリウム

ポメリウム(pomerium、pomoerium)とは、ローマの中心部を定める境界線。古代ローマでは法的にはポメリウムの内側だけが「ローマ」本体であり、その周辺の土地は単なるローマの領土とされていた。.

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メネス

メネス(مينا、Μήνης、Edwards 1971: 11、エジプト語:Meni)は、エジプト初期王朝時代のファラオである。上下エジプトを統一し、エジプト第1王朝を創設したとされている。 メネスの実在については、2017年現在でも議論の対象であるが、エジプト学の主流では、歴史学、考古学的な様々な証拠に基づいてメネスを第1王朝の最初のファラオであるナルメルと同一であると見なしているEdwards 1971: 13Lloyd 1994: 7Cervelló-Autuori 2003: 174。.

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メンフィス (エジプト)

メンフィス メンフィス (منف; Μέμφις) とは、現代で言うエジプト・アラブ共和国北東部の都市ギーザの20キロメートル南、現在の近郊に位置する古代都市の遺跡である。かつての下エジプト第1州イネブ・ヘジ(Aneb-Hetch、Ineb-Hedj)の首都であった。 古代エジプトの歴史家マネトによって伝えられた伝説によると、この都市はメネス王によって建設された。古王国時代、エジプトのであり、古代の地中海の歴史を通じて重要な都市であり続けた。メンフィスはナイル川河口付近のデルタ地帯という戦略的要衝に形成された都市であり、各種の社会生活の拠点として栄えていた。メンフィスの主たる港であるペル・ネフェル(Peru-nefer)には数多くの工房、工場、倉庫が存在し、王国全体に食料や商品を流通させていた。その黄金時代の間、メンフィスは商業、貿易、宗教の地域的中心地として繁栄した。 メンフィスは職人の守護神プタハの加護の下にあると信じられていた。その偉大な、フウト・カ・プタハ(Hut-ka-Ptah プタハ神の魂の館)は、この都市で特に有名な建造物の1つであった。古代の歴史家マネトはこの神殿の名称をアイギュプトス(Aί γυ πτoς (Ai-gy-ptos))とギリシア語訳しており、これが現代の英語の地名であるEgypt(エジプト)の語源であると考えられている。 メンフィスの歴史はと密接に関係している。メンフェスは最終的に、同じくナイル川のデルタ地帯で、かつ、地中海沿岸でもある位置に形成された都市であるアレクサンドリアの発展によって、古代末期にその経済的重要性を喪失したために滅亡したと考えられている。その宗教的重要性もまた、以後古代の信仰が放棄されるにつれて失われた。 このかつての首都の遺跡は、その過去について断片的な証拠を提供している。これらはギーザのピラミッド群と共に世界遺産として1979年から保存されている(メンフィスとその墓地遺跡)。遺跡は野外博物館として一般公開されている。.

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メッティウス・クルティウス

メッティウス・クルティウス (Mettius Curtius) は、ローマの建国伝説に登場するサビニ人(en)の隊長。フォルム・ロマヌムにあるラクス・クルティウス(クルティウス沼)の名称のいくつかある由来の一つとなっている。 伝承によれば、ロムルスによるサビニ女性の略奪に対して報復のためサビニ人はティトゥス・タティウスを指導者としてローマに戦争を仕掛けた。サビニ人はタルペーイアの裏切りでカピトリウムを占拠し、この丘に陣を構えた。一方ローマ人はパラティウムを拠点としこの2つの丘の間の後のフォルム・ロマヌムとなる平地で両軍は激突した。サビニ側の有力者であったメッティウス・クルティウスはタティウスに代わって前線の指揮を担当し、騎乗した姿でサビニ側の先頭に立っていた。 この戦争は、ローマ側の前線指揮官ホスティウス・ホスティリウスが戦死するなど前半はサビニ人が優勢に戦いを進め、対して後半はロムルスによるユピテルへの祈願の後ローマ側が優位に立ったと伝えられている。 プルタルコスによると数日前の川の氾濫によってできていた沼に馬に乗ったままのクルティウスがはまり、馬を棄てることでどうにか脱出したという。このエピソードはサビニ側の優位の状況に置かれ、このとき周囲ではクルティウスを守ろうとして激戦となりサビニ側が優勢に戦いを進めたとされる。 ティトゥス・リウィウスではフォルムまで攻め下りたサビニ人に対して、ロムルスによるユピテルへの祈願後ローマ側が反撃する状況でこのエピソードは挿まれている。敗走する途中クルティウスは乗馬のまま沼にはまり、何とか脱出するもその後も戦闘はローマ側が優勢であったという。 いずれにしても、乗馬のままクルティウスがはまった沼がクルティウス泉(ラクス・クルティウス)と呼ばれるようになったという。ラクス・クルティウスの名前の由来はこのほかにもマルクス・クルティウスやガイウス・クルティウスに由来するとの伝承もあり、メッティウス・クルティウスはこうした沼の名前を説明のための人物の一人であった。 Category:ローマ神話 Category:王政ローマ.

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ユリウス・プロクルス

ユリウス・プロクルス(Julius Proculus)は、王政ローマの初代王ロムルスの死後、ロムルスが神になったことを証言した人物。ユリウス氏族の祖先ともいわれる。プロクルス・ユリウスとも。 紀元前715年(または紀元前716年)7月7日のロムルスの死についてはいくつか伝承があるがそのいずれも突如として姿を消したというものであった。ある伝承ではカンプス・マルティウスのカプラ沼の付近で閲兵中に姿を消したとされ、また別の伝承では元老院の議場の神殿で突然消えたとされる。ロムルスが消えた時には同時に嵐や雷が起こり、ロムルスが姿を消した直後居合わせた元老院議員や市民達はロムルスが神になったと信じたという。しかし実際には元老院が邪魔な王を殺害したのではないかとの噂も起こり、元老院議員たちを疑う声も上がるようになっていった。 プロクルスはこのような状況で現れる。誠実でロムルスの友人でもあったというプロクルスは市民達の前で誓いを立て、自分は死んだロムルスに出会ったと語った。ロムルスは生前よりも大きく輝いた姿で現れ、自らがクィリヌスという神になったことを語り天上へと上っていったという。 この話を聞いた市民達はロムルスが神になったことを信じ、その後ローマの支配は元老院議員たちによる持ち回りの中間王期を経て次の王に選出されたヌマ・ポンピリウスに委ねられた。 プルタルコスによると市民によって王に選出されたヌマを説得するためにプロクルスはウェレススと共にクレスへ向かったという。プロクルスはローマ人の中で王に相応しい者とみなされており、ウェレススも同様にローマのサビニ人の中では王に相応しい者とみなされていたという。しかしヌマはこの説得を一度は断り、その後父や親戚の説得を受け王位につくことを承諾した。 プルタルコスではプロクルスは王の友人であるなど王政期の有力なローマ人として描かれている。加えてプロクルスはアルバ・ロンガからの移住者であったとされ、同じくアルバ・ロンガからローマに移ったユリウス氏族によって自分達の祖先として利用されたとも考えられる。 プルタルコスらより時代がさかのぼるマルクス・トゥッリウス・キケロでは、プロクルスは有力な人物などではなく農夫であったとされている。プロクルスはロムルス殺害を疑われた元老院議員たちに頼まれ、クィリナリスでロムルスに出会って、自身はクィリヌスとなりローマ人に自分の神殿を建てるように言われたと証言したという。 Category:王政ローマの人物.

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ラレース

ラールのブロンズ像。紀元1世紀。ローマ カピトリーノ美術館 ラレース(Lares、古い綴りは Lases)は、古代ローマ時代の守護神的な神々(複数)である。単数形はラール(Lar)。その起源はよくわかっていない。家庭、道路、海路、境界、実り、無名の英雄の祖先などの守護神とされていた。共和政ローマの末期まで、2体の小さな彫像という形で祭られるのが一般的だった。 ラレースは、その境界内で起きたあらゆることを観察し、影響を与えると考えられていた。家庭内のラレース像は、家族が食事中はそのテーブル上に置かれた。家族の重要な場面では、ラレース像が必須となっていたと見られている。このため古代の学者らはこれを「家の守護神」に分類していた。古代ローマの作家の記述を見ると、ラレースと同様の家の守護神とされていたペナテースを混同している場合もある。ローマ神話の主な神々に比べると守備範囲も力も小さいが、ローマの文化には深く根付いていた。アナロジーから、本国に戻るローマ人を ad Larem (ラレースに)戻ると称した。 ラレースはいくつかの公けの祭りで祝福され礼拝された。中には vici (行政区)全体を守護するとされたラレースもある。また、ラレースを祭った交差点や境界線にある祠(コンピタレス; Compitales)は、宗教、社会生活、政治活動の自然な焦点となっていた。これらの文化はローマ帝国初期の宗教・社会・政治改革に取り込まれた。ラレースを家庭内に祭るという文化は変化しなかったようである。これらは少なくとも紀元4世紀まで持ちこたえた。.

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ラピス・ニゲル

存する最古のラテン語の金石文。ラピス・ニゲル発掘調査で出土 ラピス・ニゲル(Lapis Niger)は、床面を黒い大理石で覆われ周囲をコンクリートで囲まれた遺跡で、古代ローマの記念碑または神殿である。ユリウス・カエサルがフォルムとコミティウムの再編工事の際に作ったか、トゥッルス・ホスティリウスがクリア・オスティリア建設の際に作ったと考えられている。この神殿の一部は、さらに古い祭壇や人工物のあった古代の聖域の上に築かれた。名称は「黒い石」を意味し、古い祭壇と共に見つかった最古のラテン語が書かれた黒い石碑を指している可能性がある。ローマのクリア・ユリアの前のコミティウムにあり、ローマ帝国期の建設ラッシュ時もその後の帝国の終焉期の混乱でも破壊されることなく、数世紀に亘ってそのまま残った。 共和政ローマからローマ帝国初期にかけて、フォルム・ロマヌムに関する文献の多くで言及されている。時代によってその意義は変化したが、常にローマ人にとって大きな意味を持つ場所として言及されていた。19世紀末、イタリアの考古学者 Giacomo Boni がラピス・ニゲルを再発見した。現存する最古のラテン語の碑文が見つかった場所である。.

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ラテン人

ラテン人(ラテン語:Latini)は、イタリック語派に属する古代民族で、イタリア中西部のラティウム・ベトゥスに居住した勢力を指す。紀元前1000年頃から居住を開始したラテン人は、後に世界帝国へ躍進するローマ文明の礎を築いたことで知られている。 また彼らの使用した言語(ラテン語)はロマンス諸語の母体となり、多大な文化的影響を残している。.

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ラティヌス

ラティヌス(Lătīnŭs)はラテン人の起源神話に登場する神で、ローマ神話やローマ建国神話に登場するラテン人の王。 ヘーシオドスが書き残したギリシャ神話についての伝承である『神統記』においても神々の一人として登場する。.

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ラウィニウム

中世の城壁が残る村プラティカ・ディ・マーレの門。古代のラウィニウムの中心に位置する。見えている建築物の年代は様々である。左にそびえているのが Castello Borghese でローマ時代の要塞の一部とされている。発掘が行われているのは、ここから左に行ったところ。ポメーツィアの町と博物館は撮影者の背後にある。 ラウィニウム(Lāuīnĭum)はかつてラティウムに存在した港湾都市で、ローマから南に19km、テヴェレ川沿いのオスティアとアンツィオの中間あたりにあった。当時はそのあたりに海岸線があったが、今はかなり内陸になっている。ラウィニウムは丘の上にあり、北には Silva Laurentina という月桂樹の深い森があり、南には Pontine Marshes という広大なマラリアの発生する湿地帯があった。Numicus または Numicius という川の河口があったため、オスティアとアンツィオの間で唯一の港となった。背後には Alban hills と呼ばれる山がある。.

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リュカーオーン

リュカーオーン(Λυκάων, )は、ギリシア神話の人物である。長母音を省略してリュカオンとも表記される。同名の人物が複数知られ、.

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リエーティ

リエーティ(Rieti)は、イタリア共和国ラツィオ州にある都市で、その周辺地域を含む人口約4万8000人の基礎自治体(コムーネ)。リエーティ県の県都である。.

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ルパ

ルパ(lupa)はラテン語で狼をいうlupusの女性形でメスの狼をいう。.

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ルキウス・ムナティウス・プランクス

ルキウス・ムナティウス・プランクス(Lucius Munatius Plancus、紀元前87年頃 - 紀元前15年)はプレブス(平民)出身の共和政ローマの政治家・軍人。ガイウス・ユリウス・カエサルの親戚で、紀元前42年に執政官(コンスル)、紀元前22年に監察官(ケンソル)を務めた。18世紀の政治家タレーランは、絶えず忠誠を尽くす相手を変えることによって、非常に危険な状況を生き残った、古典的な例の一つであると述べている。.

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ルキウス・アエミリウス・パプス

ルキウス・アエミリウス・パプス(Lucius Aemilius Papus)は共和政ローマのパトリキ(貴族)出身の政治家・軍人。紀元前225年に執政官(コンスル)を務め、テラモンの戦いでガリア人に勝利した。紀元前220年には監察官(ケンソル)に就任している。.

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ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前195年の執政官)

ルキウス・ウァレリウス・フラックス(Lucius Valerius Flaccus、紀元前240年頃 - 紀元前180年)は紀元前3世紀後期から紀元前2世紀前半の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前195年に執政官(コンスル)を務めた。.

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ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前261年の執政官)

ルキウス・ウァレリウス・フラックス(Lucius Valerius Flaccus)は共和政ローマ中期の政治家・将軍で紀元前261年にティトゥス・オタキリウス・クラッススと共に執政官(コンスル)に選出された。.

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レムス

『ロームルスとレムス』(カルロ・ブロギ) レムス(, 紀元前771年 – 紀元前753年)は、ローマの建国神話に登場するローマの建設者でロームルスの双子の兄弟。.

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レア・シルウィア

マルスとレア・シルウィア レア・シルウィア (Rhea Silvia) はローマの建国伝説に登場する女性でローマの建設者ロームルスとレムスの母。イリア (Ilia) とも呼ばれる。.

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ロミュラン人

ミュラン人(ロミュランじん、Romulan)は、SFテレビドラマ・映画『スタートレック』シリーズに登場する架空のヒューマノイド型異星人。惑星連邦、クリンゴン帝国に隣接し、ベータ宇宙域に広がる星間国家のひとつ、ロミュラン星間帝国 (Romulan Star Empire) を支配している。『宇宙大作戦』初登場時の日本語訳ではロミュラス星人、ノベライズ『宇宙大作戦』シリーズでは当初はロムラン人、ロムラン帝国と表記されていた。.

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ロムルス (衛星)

ムルス ((87) Sylvia I Romulus) は、小惑星 (87) シルヴィアの第1衛星。二つ見つかっている衛星のうち、外側の軌道を回っている。なお、ロムルス (10386 Romulus) という同名の小惑星がある。 2001年2月に、アメリカの天文学者マイケル・ブラウンとフランスの天文学者ジャン=リュック・マーゴットが、マウナケア天文台群のケックII望遠鏡による観測で発見した。2005年にレア・シルウィアの双子の息子の一人でローマの建国者とされるロームルスに因んで名付けられた。 シルヴィアと二つの衛星は同じ衝突によって形成されたラブルパイルであり、衛星の密度やアルベドはシルヴィアと同じだと考えられている。 ロムルスの軌道はヒル球のかなり内側で(ヒル半径の約50分の1)、シルヴィアの自転に同期する軌道よりもかなり外側に位置し、非常に安定していると考えられている。 ロムルスの地表からのシルヴィアの見かけの大きさは 16°×10°である。レムスの見かけの大きさは 0.62°から 0.19°までの間で変化する。.

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ロムルス (曖昧さ回避)

ムルス、ロミュラス.

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ロムルス・アウグストゥルス

ムルス・アウグストゥルス(Romulus Augustulus, 460年 - 511年~536年)は、西ローマ帝国最後の皇帝(在位:475年 - 476年)。ホノリウス帝から数えて13人目の皇帝である。.

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ローマ

ーマ(Roma、Roma)は、イタリアの首都。欧州有数の世界都市であり、ラツィオ州の州都、ローマ県のコムーネの一つで、ローマ県の県都でもある。英語とフランス語の表記は「Rome」。.

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ローマの建国神話

ーマの建国神話(ローマのけんこくしんわ)は古代ローマが誕生するまでの伝承や神話である。主な内容としてアイネイアースの伝承や、ロームルスのローマ建国などが挙げられる。建国伝承以外のローマ神話はローマ神話等を参照。.

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ローマ建国紀元

ーマ建国紀元(ローマけんこくきげん、Ab urbe condita, AVC/AUC, a.v.c./a.u.c.)は、初代ローマ王ロームルスが古代ローマを建国したとされる、西暦換算で紀元前753年を元年(紀元)とする紀年法である。古代ローマで使われていた暦法であるローマ暦(ロームルス暦)とは異なる。 西暦2000年はAUC 2753年、東ローマ帝国が滅んだ西暦1453年はAUC 2206年となる。.

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ローマ建築

ーマ建築(ローマけんちく、Roman Architecture)は、古代ローマの文化、芸術を代表する建築。共和政ローマ、そしてローマ帝国の支配地域に広く残る遺跡と、ウィトルウィウスの残した『建築について』の存在により、ルネサンスに始まる古典主義建築の源泉となった。 ヨーロッパをはじめとする西方世界において、極めて重要な位置を占めるローマ建築は、エトルリア建築、そしてギリシア建築の影響を受けつつ発展していった。古代ローマにおいてギリシア美術の影響は特に強いものとなったが、古典期のギリシア建築がほとんどひとつの彫刻のように捉えられ、自己完結的であるのに対し、ローマ建築では、建築物相互の関係性、社会的要求、美的要求、その他の要素が複合して成り立っていると考えられている。そのため、ギリシア建築といえばすぐに周囲から孤立した神殿を思い浮かべるが、ローマ建築では神殿でなく、神殿やバシリカなどを包含したフォルム、円形闘技場、公共浴場などの公共施設が想起される。 また、精密に構築されたローマ水道、水道を架けるためのアーチ、建築物の天井を覆うヴォールト、ドームなどの優れた土木・建築工学は、古代ローマの文化水準の高さを物語っている。 パンテオンの内部.

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ローマ・エトルリア戦争

ーマ・エトルリア戦争(ローマ・エトルリアせんそう)は、古代ローマ(王政ローマ、共和政ローマ)とエトルリアの都市国家群との間に起こった一連の戦いの総称である。ローマの歴史の初期に行われた戦争であり、資料は多くない。エトルリアはローマの北側に位置する地域であり、そこに居住したエトルリア人はいくつもの都市国家を成し、内12の都市は「エトルリア同盟」を結成していた。しかし、エトルリア全体が連合してローマと戦ったことはなく、ローマに個別に撃破された。最終的にはローマが勝利し、エトルリアはローマ文化に組み込まれて同化し、共和政末期にはエトルリア人はローマ市民権を得た。.

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ローマ・サビニ戦争

ーマ・サビニ戦争(ローマ・サビニせんそう)は、古代ローマ初期の拡大期における、北隣のサビニ族とのイタリア中央部での一連の戦争である。紀元前509年の共和政ローマ設立以前の話が主であり、半ば伝説的なものと考えられる。.

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ローマ王

ーマ王は、古代ローマや神聖ローマ帝国における君主の呼称である。神聖ローマ帝国のローマ王はドイツ王とも通称される。.

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ローマ神話

ーマ神話(ローマしんわ)とは、古代ローマで伝えられた神話である。そのうちローマの建国に関する部分について、歴史的事実を反映したものとして解釈した場合の詳細は王政ローマを参照のこと。.

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ローマ軍団

14軍団ゲミナ(2004年のポーランドにおける再現イベント) ローマ軍団(古典ラテン語:legio、レギオー)は、古代ローマにおける軍隊(excercitus)のうち陸軍の基本的な編成単位のことである。軍団はローマ市民権を有する者だけで構成されていた。 1つの軍団は、時代によっても異なるが、帝政ローマ時代では1つの軍団は10のコホルス(大隊)から構成され、騎兵200強を含めたおよそ5,000から6,000人の軍団兵がいた。古代ローマ史上を通じて名前や番号をもった通算約50個の軍団が創設されたが、それらの多くが長い歴史の間で全滅・解散されており必ずしも存続しえたわけではなかった。.

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ローマ暦

ーマ暦(ローマれき)は、古代ローマで使用されていた暦法。狭義には、古代ギリシア暦を元にしてつくられた暦法を言う。ローマ建国紀元とは異なる。広義には、改暦されたユリウス暦もローマ暦に含める。さらに広義には、ユリウス暦を改暦して使用されたグレゴリオ暦も含む。本項では、ユリウス暦より以前のローマ暦について述べる。.

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ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂

ーマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(ローマれきしちく、きょうこうりょうとサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラだいせいどう)は、イタリアのローマおよびバチカンにあるユネスコの世界遺産の登録物件。登録は1980年で、ヴェネツィア広場を中心としたエリアが登録されている。1990年には、アウグストゥスの霊廟、ハドリアヌス帝の霊廟などが拡張登録されている。また、同じく世界遺産に登録されている「バチカン市国」とも隣接し、こちらと一体となった保全活動が実施されている。.

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ローマ法

ーマ法(ローマほう、römisches Recht、droit romain、Roman law、dreptul roman、derecho romano)とは、狭義には古代ローマや中世の東ローマ帝国の法体系であり、広義には中世の西ヨーロッパで復活し発展した普通法(ユス・コムーネ)としてのローマ法も含む。古代ギリシア哲学やキリスト教とともに、ヨーロッパ文明を特徴付ける一大要素である。.

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ロームルスとレムス

ームルスとレムス 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像 ロームルス (Romulus) とレムス (Remus) は、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟で、ローマの建設者。 ローマ市は紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。 この双子は、軍神マルスとレア・シルウィア(アルバ・ロン.

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ヴィテルボのアンニウス

ヴィテルボのアンニウス(Annius of Vitero, 1432年 - 1502年11月13日)あるいはアンニオ・ダ・ヴィテルボ(Annio da Viterbo)、ヨアンネス・アンニウス・ウィテルベンシス(Joannes Annius viterbensis)は、イタリアのドミニコ会修道士で、学者、歴史家。ヴィテルボ出身で、ジョヴァンニ・ナンニ(Giovanni Nanni)として生まれた。現在では偽書制作者として知られている。.

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ヌミトル

ヌミトル (Numitor) はローマの建国伝説に登場するアルバ・ロンガの王。ロームルスとレムスの祖父。 伝承によれば13代目のアルバ・ロンガの王プロカの息子でアムーリウスの兄。ロームルス、レムスの母レア・シルウィアの父であり、他に息子ラウススがいた。 父王プロカの死後、本来継ぐはずであった王位を弟アムーリウスに簒奪され、さらにヌミトルの子孫による王位の奪還を防ぐためアムーリウスによってラウススも殺害された。加えて娘レア・シルウィアも処女が義務付けられているウェスタの巫女とされた。 それでもレア・シルウィアはマールスが父とされる双子を懐妊し出産する。しかしこの双子はアムーリウスによってティベリス川に流された。 流された双子はアムーリウスの牧夫ファウストゥルスに拾われ、ロームルスとレムスと名付けられ立派な若者に成長する。成長した二人はパラティヌスの牧夫たちの指導者となっていた。 ヌミトルはパラティヌスに南のアウェンティヌスに土地と牧夫たちを持ちつづけていたが、この牧夫たちはアムーリウスの牧夫たちと争いを起こしていた。あるときヌミトルの牧夫たちはレムスを拉致し、ヌミトルの元につれてきた。ヌミトルはアムーリウスにレムスを訴え身柄を引き渡したが、すぐにアムーリウスはレムスをヌミトルに渡しその処分を任せた。 ヌミトルはレムスの堂々とした容姿を見て、二人きりになるとその生まれを訪ねた。レムスは自分たちがファウストゥルスの本当の子供ではなく川に流されていたことを語るとヌミトルは自分の孫が生きていたことを知った。 その後アムーリウスから使者が送られたが、この使者からアムーリウスも双子の生存を知ったことを知らされる。これを契機としてヌミトルらはアムーリウス打倒に蜂起し、ロームルスらによってアムーリウスは殺された。 ヌミトルがアルバ・ロンガ王に復位したのち、ロームルスとレムスは新たな都市を築くためアルバを去る。ヌミトルはこの双子の企てを支援したという。 ヌミトルの死後アルバ・ロンガの王位はローマの王となっていたロームルスに渡ったという。.

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ヌマ・ポンピリウス

ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius, 紀元前750年 - 紀元前673年)は、王政ローマにおける第2代の王。この時代のローマは史料に乏しく、一般的には伝説上の存在だと考えられている人物である。戦争に次ぐ戦争でローマを拡大した初代王ロムルスとは異なり、43年におよぶ治世中に一度も戦争をせずに内政を充実させたとされている。.

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トゥッルス・ホスティリウス

トゥッルス・ホスティリウス(Tullus Hostilius, 紀元前710年 - 紀元前641年)は、王政ローマにおける第3代の王。王政ローマの他の諸王と同じく、一般的には伝説上の人物と見なされることが多い。その後もローマで元老院会議場として長らく使われた「ホスティリウスの会議場」を建設したとされているが、元々は会議場の名前が先にあって、後に伝説の王の名前に転用されたのではないかと唱える歴史家もいる。.

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トゥイストー

ルマニアの地理的範囲内とその周辺における主なゲルマン民族のおおよその居住地域を示した地図。タキトゥスの著書『ゲルマニア』での記述に基づく トゥイストー(またはトゥイスト。Tuisto)、もしくはトゥイスコー(Tuisco) は、タキトゥスの『ゲルマーニア』第2章で「すべてのゲルマン民族の祖先」として紹介される神の名である。 より広義のにおいて、トゥイストーはインド神話またはヴェーダ神話の神トヴァシュトリと同一視される。.

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トクセウス

トクセウス(Τοξεύς, )は、ギリシア神話の人物である。主に、.

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ヘルシリア

ヘルシリア(Hersilia)は、ローマ神話に登場する王政ローマ初代王ロムルスの妻。.

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ヘルシリア (小惑星)

ヘルシリア (206 Hersilia) は、小惑星帯に位置する、とても大くて暗い小惑星の一つである。原始的で炭素に富んでおり、C型小惑星に分類される。 1879年10月13日にアメリカ合衆国の天文学者、クリスチャン・H・F・ピーターズによりニューヨーク州クリントンで発見された。 古代ローマ(王政ローマ)を建国したロムルスの妻ヘルシリアにちなんで命名された。.

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プルタルコス

プルタルコス像 プルタルコス(Πλούταρχος、羅:Plutarchus、46年から48年頃 - 127年頃)は、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のプルターク(Plutarch )でも知られる。.

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プレブス

プレブス(古典ラテン語:プレープス)とは古代ローマ社会における階級のひとつである。主にパトリキと対比して用いられる。日本語では「平民」と訳されることが多い。主にローマ社会での中流以下の階級を指したが、共和政後期からその意味は次第に薄れていった。 日本語への音写では「プレブス」と表記されることが多いが、古典ラテン語では s の直前の b は と発音され、また長母音と短母音の区別が失われるのは俗ラテン語の時期まで待たなければならず、この plebs の e は長母音であるため「プレープス」という表記の方が原音に近い。.

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プロカ

プロカ (Proca) はローマの建国神話に登場するアルバ・ロンガの13代目の王。プロカス (Procas) とも。アヴェンティヌスの子で、ヌミトルとアムリウスの父ティトゥス・リーウィウス、1巻3。。ローマの建国者ロムルスの曽祖父にあたる。 伝承によれば、先代の王アウェンティヌスは二人の息子のうち兄のヌミトルには王位を、弟のアムリウスには財産と領土を遺した。しかし後にアムリウスはヌミトルの王位を簒奪し自らがアルバ・ロンガの王位についた。.

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プブリウス・ウァレリウス・フラックス

プブリウス・ウァレリウス・フラックス(Publius Valerius Flaccus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期から後期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前227年に執政官(コンスル)を務めた。.

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プブリウス・ウァレリウス・ファルト

プブリウス・ウァレリウス・ファルト(Publius Valerius Falto、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前238年に執政官(コンスル)を務めた。.

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パラティーノ

パラティーノ(Palatinus, パラティヌス、Palatino)、パラティーノの丘(Mons Palatinus モンス・パラティヌス)は、ローマの七丘のうちの一つ。最も歴史が古いといわれている。 パラティヌスの丘には、パラティウム(Palatium)とケルマヌス(Cermalus)の二つの頂があるが、紀元前3世紀頃以降は、パラティウムはパラティヌスの丘全体のことを指すようになる。 フォルム・ロマヌムとキルクス・マクシムス(大競技場)の間にある。古代にはローマ建国の英雄ロムルスとレムスがかつて住んだとされ、その後貴族の邸宅が建てられ、のちに初代皇帝アウグストゥスを筆頭に歴代の皇帝の宮殿が建てられたため、イタリア語や英語で宮殿(Palazzo, Palace)を意味する語の語源となった。.

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テヴェレ川

テヴェレ川の流路 テヴェレ川(Tevere)は、イタリアで3番目に長い川。エミリア・ロマーニャ州のアペニン山脈からトスカーナ州、ウンブリア州を経由し、ラツィオ州でティレニア海に注いでいる。流域面積は17,374.996km2でイタリアで2番目である。 ローマ市内を流れていることで有名な河川で、中州にはティベリーナ島(Tiberina、面積2.4km2)がある。 古代ローマ時代には「澄んでない川」を語源とするティベリス川(Tiberis flumen ラテン語)と呼ばれていた。日本語では、西欧諸語経由などで表記のゆれが激しく、イタリア語(Tevere)経由によるテーヴェレ川・テベレ川、英語(Tiber)経由によるティベル川、タイバー川、チベル川など、さまざまな表記がある。 ローマ皇帝ティベリウスなど古代ローマ時代の男性個人名「ティベリウス」や、イタリア人の個人名「ティベリオ」は、この川の名前に由来している。 伝説では、ローマの創始者であるロムルスが双子の弟レムスと共にこの川に流された事になっている。 テヴェレ川はモンテ・フマイオーロの近隣にある二つの泉を水源としている。水源の周辺にはブナ林が広がっている。ベニート・ムッソリーニは、1930年代に、その水源とされる場所に、頂点に鷲が象られた、大理石で作られた古風なローマ様式の柱を立てた。その柱には、ここがテヴェレの生まれた場所であるという意味の文字が刻まれている。 また、尖角状三角州を河口に形成している事でも有名である。.

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テーセウス

テーセウス(Θησεύς)は、ギリシア神話に登場する伝説的なアテーナイの王、そして国民的英雄である。長母音を省略してテセウスとも表記される。 ミーノータウロス退治などの冒険譚で知られ、ソポクレースの『コローノスのオイディプース』では憐み深い賢知の王として描かれる。ヘーラクレースほどではないが、大岩を持ち上げるほどの怪力を誇る。プルタルコスの『英雄伝』では古代ローマの建国の父ロームルスと共に、アテーナイを建国した偉大な人物として紹介されている。 マラトンの戦いでは、アテーナイ軍の先陣に立ってペルシア軍に突っ込み、アテーナイ軍の士気を大いに高めたという伝説がある。.

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ティトゥス・タティウス

ティトゥス・タティウス(Titus Tatius)は、ローマの建国伝説に登場するサビニ人の王。のちにロムルスと共治する王政ローマの王となった。.

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ティベリヌス・シルウィウス

ティベリヌス・シルウィウス(Tiberinus Silvius)はローマ神話に登場する伝説上の王で、カペートゥスの子、アグリッパの父。.

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ディオネの地形一覧

ディオネの地形一覧では、土星の衛星ディオネ上にあり、名前が与えられている地形の一覧を示す。.

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フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア

フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア(Fulco VIII, Principe Ruffo di Calabria, 1884年8月12日 - 1946年8月23日)は、イタリア王国の軍人、貴族で第一次世界大戦におけるイタリア空軍のエース・パイロット。ルッフォ・ディ・カラブリア公フルコ8世とも。 娘のパオラがベルギー王アルベール2世と結婚しており、現国王であるフィリップの祖父にあたる。.

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ファウストゥルス

双子を拾うファウストゥルスとアッカ・ラーレンティア(ピエトロ・ダ・コルトーナ画) ファウストゥルス(Faustulus)は、ローマの建国神話に登場する豚飼いで、ローマの建国者ロムルスの養い親。妻は。 伝承によればアルバ・ロンガ王アムリウスの豚飼いで、ローマの七つの丘の一つであるパラティヌス周辺に暮らしていた。 アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪し、その娘レア・シルウィアを処女が義務付けられたウェスタの巫女としていた。にもかかわらずレア・シルウィアは妊娠し、双子を出産した。アムリウスはこの双子をティベリス川に流すように命じ、双子はかごに入れられ流された。 双子のかごは川に浮かべられたもののほどなく岸に流れ着き、雌狼の乳やキツツキのもたらす食料で双子は命をつないだ。この双子を通りかかったファウストゥルスが見つけ、家へと連れて帰った。 ファウストゥルスのもとで双子は「ロムルス」と「レムス」と名付けられ、やがて立派な若者に成長した。成長した二人は周囲の牧夫たちの指導者的立場に立つようになったが、アウェンティヌスのヌミトルの羊飼い達と諍いが起こるようになった。あるとき、ヌミトルの羊飼い達によってレムスは拉致されヌミトルのもとに連れ去られた。ロムルスはレムスを奪還しようとしたが、その前にファウストゥルスは双子が実はヌミトルの孫であることを教えた。出生の秘密を知ったロムルスは、共にアムリウスを倒すべく本当の祖父のもとへと赴いた。 一説によると、ファウストゥルスはアムリウスの召使が双子のかごを流しに行く際立会っており、このため自分が拾った子供達がヌミトルの孫であることを知っていたという。 残されたファウストゥルスも双子の出生の証拠となるかごをヌミトルらに見せるべくアルバへ向かった。しかしアルバではヌミトルに会う前にアムリウス側に拘束され、アムリウスにレア・シルウィアの子供達が生きていることを言わねばならなかった。それでも双子がすでにヌミトルのもとにいることは隠し、まだパラティヌスで仕事をしていると偽った。 その後、双子とヌミトルによってアムリウスは討たれ、ヌミトルが王位についた。双子は自分達が育った地に新たな都市を作ることを王に提案し、最初の植民者と共にパラティヌスへ帰ってきた。しかし都市の建設に関してロムルスとレムスの間で争いが生じた。一説ではこの戦いの中にファウストゥルスは武器もつけず飛び込み命を落としたという。また、このときファウストゥルスの弟で共に双子を育てたというプリスティヌスも同時に死んだとプルタルコスは伝えている。 Category:ローマ神話 Category:王政ローマ.

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フィデナエ

フィデナエ(Fidenae)はラティウム北端、ローマの北方8キロメートルに位置するエトルリア人古代都市で、後にローマの都市となった。ローマからティベリス川に沿って走るサラリア街道上にある。ティベリス川はラティウムとエトルリアの国境となされていたが、フィデナエがその左岸のラティウム側に建設されていることは、エトルリアのラティウムへの拡張を示している。ローマ以前の城壁都市は、現在はローマ市内となっているヴィラ・スパダ(it)の丘の上にあったと想定されるが、建物や城壁の痕跡も見ることは出来ない。ローマ以前の墓地が街の北側にある。ローマ時代の街は丘の東の麓にあり、フィデナエ元老院からマルクス・アウレリウス帝への奉献碑文がある集会所(クリア)が1889年に発掘されている。ローマ時代の建物の遺跡も見ることが出来る。.

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フィデナエの戦い (紀元前8世紀)

フィデナエの戦い(フィデナアエのたたかい)は、王政ローマ初代の王ロームルスの治世の時代の、ローマとフィデナエの戦いである。半ば伝説的なものであり、ローマが勝利した。.

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フォロ・ロマーノ

フォロ・ロマーノ(伊:Foro Romano)は、ローマにある古代ローマ時代の遺跡。観光地として有名である。フォロ・ロマーノは、ラテン語の古名フォルム・ロマヌム(Forum Romanum)のイタリア語読みである。 紀元前6世紀頃からローマ帝国がテトラルキアを採用する293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。 フォロ・ロマーノの発掘は、19世紀から本格的に行われるようになったが、帝政時代初期までに開発が繰り返されており、遺構も様々な時代のものが混在しているので、発掘調査は難しい。現在の遺跡は、大部分が帝政時代以降のものである。.

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ホスティウス・ホスティーリウス

ホスティウス・ホスティリウス(Hostius Hostilius)は、ローマの建国伝説に登場するローマ人の隊長。王政ローマの第3代の王トゥッルス・ホスティリウスの祖父。 ホスティリウスは建設直後のローマの枢要な人物の一人で、一つの伝承では略奪されたサビニ女性のうち唯一の既婚女性であったヘルシリアの夫となったとされる。このヘルシリアは別の伝承ではロムルスの妻になったとされている。 その後のサビニ人(en)との戦争ではローマ軍の前線の指揮を執り、タルペーイアの裏切りで奪われたカピトリウムの奪回を図り攻撃を仕掛けた。しかし丘の上のサビニ人に対して不利な下方から攻めたローマ軍は苦戦し、ホスティリウスもこの戦いで戦死した。 ホスティリウスの死後、ローマ軍の指揮はロムルスが行い、戦線を盛り返した。最終的には略奪されたサビニ女性たちが両軍の間に入り、ローマとサビニは停戦し統合した。 ロムルスの次の王ヌマの死後、統合したローマの王にホスティウス・ホスティリウスの孫トゥッルス・ホスティリウスが就任した。 Category:王政ローマの人物.

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アムーリウス

アムーリウス (Amulius) はローマの建国神話に登場するアルバ・ロンガの王。生まれたばかりのロームルスとレムスを川に流すように命じた。 伝承によれば13代目のアルバ・ロンガの王プロカの息子でヌミトルの弟。ヌミトルはローマの建国者ロームルスの祖父であり、アムーリウスはロームルスの大叔父にあたる。娘にアントがいる。 アムーリウスは父から財宝と領土を受け継ぎ、兄ヌミトルは王位を継承した。しかしアムーリウスは自らが受け継いだ財を背景に力でもって兄から王位を簒奪し、不当にも自らがアルバ・ロンガの王となった。アムーリウスはヌミトルを隠棲に追いやり、将来自らの王位を脅かしかねない正当な王位の継承者であるヌミトルの男子は狩猟の最中に殺害した。さらにヌミトルの娘であるレア・シルウィアを強制的にウェスタの巫女とすることで、新たに正当な王位の継承権を持つヌミトルの子孫が生まれることを防止した。ウェスタの巫女となった女性には処女が義務付けられ、子を作ることは許されていなかった。 しかしそれからしばらくするとレア・シルウィアは懐妊する。交わった相手はマールスとする伝承が最もよく知られているが、アムーリウス自身がシルウィアと交わったとする説もある。 懐妊を知ったアムーリウスはシルウィアを幽閉し、監視をつけた。その後レア・シルウィアが双子を出産するとこの赤子たちをティベリス川に流すよう配下に命じた。 こうしてアムーリウスは赤子の殺害を果たしたはずであったが、双子は流されることなく岸に漂着し雌狼の乳を飲み生存していた。アムーリウスの牧夫ファウストゥルスに拾われた双子はロームルスとレムスと名付けられ、王の知らぬまま立派な若者に成長していった。 ロームルス、レムスらとヌミトルの羊飼い達との間で諍いの生じた結果、レムスはヌミトルの許に連れ去られ、そこで祖父と孫とは真実を知る。同じ頃ロームルスも養い親から誕生を聞かされ、自身がヌミトルの孫であることを知る。ファウストゥルスはレムスにも同じことを伝えようとしてアルバへ向かうが、怪しまれアムーリウスの許へ連れ出される。そしてついにアムーリウスもヌミトルの孫が生きていたことを知る。 アムーリウスはヌミトルを召還しようと使者を派遣する。しかしこれをきっかけにヌミトルらは蜂起し、アルバのうちからはレムスが、外からはロームルスが攻め立て、アムーリウスは討たれた。 アムーリウスの後のアルバ王にはヌミトルが即位した。.

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アルバ・ロンガ

アルバ・ロンガ (Alba Longa) は、古代イタリア半島中部のラティウム地方にあったとされるラテン人の都市国家。ローマの南東アルバーノ山地(en)に位置したと考えられている。 その名はラテン語で「長く白い都市」を意味する。.

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アルバ王

アルバ・ロンガ王 (kings of Alba Longa)は、ローマ神話に登場する君主。 ローマ文明の創出者であるロームルスが属したシルウィウス家が中心となった王家で、後期の王の幾人かは実在した者と考えられている。.

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アントニヌス・ピウス

ティトゥス・フルウィウス・アエリウス・ハドリアヌス・アントニヌス・アウグストゥス・ピウス(Titus Fulvius Aelius Hadrianus Antoninus Augustus PiusWeigel, Antoninus Pius、86年9月19日 - 161年3月7日)は、第15代ローマ皇帝で、ネルウァ=アントニヌス朝の第4代皇帝。彼はアウレリウス氏族の出身者として最初の皇帝であり、また皇妃大ファウスティナを通じてネルウァ=アントニヌス朝と外戚関係を持っていたBowman, pg.

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アヴェンティヌス

アヴェンティヌス(Aventinus)はローマ神話に登場する伝説上の王で、アルディウスの子、プロカスの父ティトゥス・リーウィウス、1巻3。。.

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アイネイアース

負傷して手当てを受けるアイネイアース(アエネアース)、傍らには泣くアスカニオス(ユールス)と彼らを見守るアプロディーテー(ウェヌス) アイネイアース(Αἰνείας, Aineiās)あるいはアイネアース(Αἰνέας, Aineās)は、ギリシア神話およびローマ神話に登場する半神の英雄である。ラテン語ではアエネーアース(Aenēās)と表記される。日本語では長音記号を省略しアイネイアス、アイネアス、アエネアスとも呼ばれる。 トロイア王家の人物アンキーセースと女神アプロディーテー(ウェヌス)の息子。トロイアの王プリアモスの娘クレウーサを妻とし、息子アスカニオス(アスカニウス、別名ユールス、イウールス)をもうけた。 アイネイアースはトロイア戦争におけるトロイア側の武将で、トロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて後のローマ建国の祖となったといわれる。古代ローマでは敬虔な人物として知られていた。彼を主人公とした作品に詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』がある。.

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アウルス・コルネリウス・コッスス

アウルス・コルネリウス・コッスス(Aulus Cornelius Cossus, 生没年不詳)は紀元前5世紀後半、共和政ローマのパトリキ出身の政治家・軍人。紀元前428年には執政官(コンスル)を務めた。.

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アエネーイス

『アエネーイス』()は、古代ローマの詩人ウェルギリウス(前70年–前19年)の叙事詩。全12巻。イーリオス(トロイア)滅亡後の英雄アエネーアース(Aenēās、ギリシア語ではアイネイアース Αἰνείας)の遍歴を描く。アエネーイスは「アエネーアースの物語」の意。 ウェルギリウスの最後にして最大の作品であり、ラテン文学の最高傑作とされる。この作品の執筆にウェルギリウスは11年(前29年–前19年)を費やした。最終場面を書き上げる前に没したため未完である。彼は死の前にこの草稿の焼却を望んだが、アウグストゥスが刊行を命じたため世に出ることになった。『アエネーイス』以後に書かれたラテン文学で、この作品を意識していないものはない。.

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アエネアス (小惑星)

アエネアス (1172 Aneas) は木星の後方トロヤ群に属する小惑星である。1933年にカール・ラインムートがハイデルベルクで発見した。 トロイア王家の傍流で、ローマを建国したロムルスとレムスの先祖とされている半神の英雄、アエネアスに因んで名付けられた。.

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アセナ

1925年に選ばれたトルコの国章候補。この案は赤い盾の中に白でテュルクの民の象徴であるアセナを描かれている アセナ(Asena、アシナ)はテュルク神話に登場する雌狼、および、雌狼の生んだ10人の息子のうちの一人の名前。オオカミはテュルクの神話で重要な役割を果たし、現在もトルコではトルコ民族を象徴する存在とされている。 アセナの登場する神話には様々な形がある。ひとつは次のようなものである。テュルクの祖先は大きな戦いに敗れ、少年一人だけが生き残った。アセナという名の、空のように青いたてがみをしたメスのオオカミが傷ついた彼を助け傷をいやした。やがてオオカミと少年の間に10人の子供たちが生まれた。オオカミと人間の血をひく、アセナに率いられたこの子供たちがやがてアシナ氏族(阿史那氏)を築き、突厥帝国(Göktürk)の中核となったという。この神話はウイグル人の民話など、他のテュルク系民族の神話とも共通する。同様の神話は司馬遷の「史記」にも登場する。 また次のような形もある。テュルク人の村が中国の軍に襲われ全員が殺された。司令官は唯一残った赤ん坊を憐れみ、手足を切ってオオカミの住む草むらに投げ捨てた。しかし司令官は後でこの判断を悔やみ、置いてきた赤ん坊を殺そうとしたが、赤ん坊はすでに空色のたてがみをしたアセナという名の雌狼に助けられていた。アセナはこの赤ん坊の傷をいやし、やがて大きくなった赤ん坊とアセナの間に阿史那氏の祖先となる子供が生まれた。 またアセナはエルゲネコン伝説とも結びついている。テュルクの祖先がモンゴル人との戦いに敗れ、一握りの生き残りがアルタイ山中の奥深くにある細道を抜け、豊かな谷間・エルゲネコン(Ergenekon)にたどりつき、そこで数世代にわたり暮らして勢力を回復した。やがてエルゲネコンから外の世界へ出ようとした子孫らは出口の細道が分からずに行き先を見失うが、そこに現れたメスオオカミの導きでエルゲネコンから出ることができ、モンゴル人を打ち負かしたという。 アセナは近代のトルコにおいてもトルコ民族の象徴として広く親しまれている。一方で、トルコ民族・トルコ国家のナショナリズムとも結び付いている。トルコ民族主義を主張する極右政党・民族主義者行動党の青年組織・「灰色の狼」の名前とシンボルマークはアセナからインスパイアされたほか、キプロス島におけるトルコ系住民の極右組織もオオカミの図像を用いている。.

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アサシン クリード ブラザーフッド

『アサシン クリード ブラザーフッド』(Assassin's Creed: Brotherhood)は、ユービーアイソフトモントリオールスタジオ制作のステルスゲーム。.

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インテルレクス

インテルレクス(、複数形: )とは、文字通り中間王()の事であり、王政並びに共和政ローマ時代に存在した、ごく短期間限定の摂政の一種である。.

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イタリアの歴史

イタリアの歴史(イタリアのれきし)では、地中海に面したイタリア半島およびその周辺地域における歴史について記載する。 イタリア上空からの衛星画像。「イタリアとは地理的名称に過ぎない」(クレメンス・メッテルニヒ)と言われるように、歴史上「統一国家としてのイタリア」の誕生は近代になってからである。.

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ウゥルカーヌス

バーミングハム市から贈られたもの。 ウゥルカーヌス(Vulcānus)はローマ神話に登場する火の神高津 1960, p. 60.

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ウェイイ

ウェイイの位置 ウェイイ(Veii、Veius)は、ローマの北北西16kmの地点にあったエトルリア人の重要な古代都市。イタリア語ではヴェイオ (Veio) と呼ぶ。現在のローマ県ローマ市の第20区にあるイソラ・ファルネーゼという集落付近にあたる。都市国家ウェイイと関連の深い遺跡はローマのすぐ北でローマ県の別のコムーネであるフォルメッロにもある。フォルメッロの名は、ウェイイ人が建設した排水路に因んでいる。 ウェイイはエトルリアの南端に位置する裕福な都市だった。300年以上にわたって共和政ローマと戦争と同盟を繰り返した。最終的に紀元前396年、ローマのマルクス・フリウス・カミルスの軍がウェイイを陥落。その後もローマ支配下でウェイイは存続し、トランクィッルスによればリウィアの邸宅もそこにあった。間もなくウェイイはローマに同化し、学術文献ではそれまでを "Etruscan Veii"、それ以降を "Roman Veii" として区別する。ローマ帝国時代には Municipium Augustum Veiens と呼ばれた。ウェイイは彫刻で有名であり、ティベリウス像(現在はバチカンにある)、Apollo of Veii(ヴィラ・ジュリア国立博物館所蔵)などが特に知られている。ローマが征服した後、ウェイイは徐々に衰退していった。中世になるまでに廃墟と化し、価値のあるものは全て持ち去られた。最終的に耕地となって忘れ去られていたが、17世紀の古代史研究家 Raffaello Fabretti が再発見した。 都市の遺構以外に神殿と思われる遺構も見つかっている。また石工の跡のある墳丘墓や墓も見つかっている。1843年に発見された石室墓 Grotta Campana からは現存する最古のエトルリア式フレスコが見つかっている。市内の丘に通じる長いトンネルも見つかっており、リウィウスがウェイイとの戦いでローマが勝利した要因にあげたトンネルを使った奇襲の証拠ではないかと言われている。 グレゴリウス16世がウェイイから運ばせたものである。.

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ウェイイとの戦い (紀元前8世紀)

一次ウェイイの戦い(だいいちじウェイイとのたたかい)は、初代ローマ王ロームルスの治世に発生した、ローマとウェイイとの戦いである。ローマが第一次フィデナエの戦いに勝利すると、その近隣のエトルリア都市であるウェイイもローマに敵対した。ウェイイはローマ占領下のフィデナエに軍を進めたが敗北、逆にローマ軍はウェイイまで攻め込み、領土割譲と講和を強要した。.

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ウェイイ包囲戦 (紀元前396年)

ウェイイ包囲戦(ウェイイほういせん)は、紀元前396年頃に発生した共和政ローマとウェイイの戦いであり、ローマが勝利した。実際には数年に渡る包囲戦であり、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』が主な資料である。.

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ウェスタ

ウェスタ()は、ローマ神話に登場する女神で竃の神、転じて家庭の守護神。処女神とされ、のちにギリシア神話のヘスティアーと同一視された。俗ラテン語・英語などでの発音はヴェスタ(ベスタ)。.

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オウィディウス

プーブリウス・オウィディウス・ナーソー(Publius Ovidius Naso,; 紀元前43年3月20日 - 紀元後17年又は18年)は、帝政ローマ時代最初期の詩人の一人。共和政末期に生まれ、アウグストゥス帝治下で平和を享受し繁栄するローマにて詩作を行った。エレギーア形式で詠まれた『』や『』などの恋愛詩集や、叙事詩の形式で詠まれた『変身物語』などがよく知られている。『変身物語』は15巻12000行あまりの大作で、韻律としてヘクサメトロスを用い、神話伝説上の数々の変身譚を語る。一般にの集大成と受け取られている。 存命中から絶大な人気を博したオウィディウスであったが、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により黒海に面した僻地に追放され、そこで生涯を閉じた。追放の理由はよくわかっておらず、文学史上最も不可解な事件の一つである。オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤(carmen et error)に帰す」とだけ書いた。その言葉の選びようが意味深長であるからかえって、その意図するところをめぐって、後代の学者たちが膨大な議論を積み重ねることになった。 ラテン文学史上は「黄金の時代」の掉尾を飾る詩人とされる。オウィディウスの詩作品は後期古代から中世にかけての時代に多くの詩人に模倣され、西洋美術とに絶大な影響を与えた。ウェルギリウスやホラティウスよりは一世代若い世代に属する。彼らの時代から下ること数十年後の修辞学者クインティリアヌスはオウィディウスを最後のラテン恋愛悲劇作家と評したQuint.

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オオカミ

ミ(狼、lupus、wolf)は、ネコ目(食肉目)イヌ科イヌ属に属する哺乳動物。広義には近縁種も含めることがあるが、通常はタイリクオオカミ(ハイイロオオカミ、Canis lupus)一種を指す。多数の亜種が認められている。同属の近縁種としてアメリカアカオオカミ、コヨーテ、アビシニアジャッカル(エチオピアオオカミ)などがいる。.

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クゥイリーヌス

クィリーヌス (Quilinus) は、ローマ神話の神である。長母音を省略してクィリヌスとも表記される。妻は女神ホーラ。クィリーヌスはサビニ人由来の神とされるが詳細は不明であり、のちに古代ローマの建国者ロームルスが神格化された姿とされ、これが一般的になった。カピトーリウム3主神(ユーピテル、ユーノー、ミネルウァ)に先立って信仰の中心となっていた3主神(ユーピテル、マールス、クィリーヌス)の1つ。例祭は2月17日のクィリーナーリア祭。 伝承によるとクィリーヌスはローマ人とサビニ人が和解したさい、ロームルスとともに共治の王となったサビニのティトゥス・タティウスによって招来されたという。クィリーヌスという名前の語源もサビニ人の町でタティウスの母市クレースに由来するとローマ人は考えていた。 ローマ人はクィリーヌスをしばしば平和時におけるマールスと考えたが、クィリーヌスは市民を意味するクィリテスと語源を等しくし、市民が軍人(ミーリテース)でもある古代ローマの社会制度の特徴から、平和を司るクィリーヌスを平和時のマールスと同一視したと考えられる。 しかしながらこうした本来のクィリーヌスの性格は早い段階に失われてしまい、歴史時代にはすでにローマ人の間でもその本来の性格は忘れられていた。これはおそらくユーピテルやマールスといった同じく古くからの似た性格を持つ神に吸収されていったのだと考えられている。 代わってクィリーヌスにはロームルスの神格化した姿という属性が与えられた。伝承では市民の前から突然姿を消したロームルスは後日ユリウス・プロクルスの前に姿を現し、自らがクィリーヌスとして神になったと伝えたという。このようにロームルスがクィリーヌスと同一視されるようになるとロームルスの妻であったヘルシリアもクィリーヌスの妻ホーラとして同一視されるようになった。またローマの七丘の一つクィリーナーリスの名祖とされた。この他、ギリシア人はクィリーヌスをエニューアリオス(軍神アレースの別名)とした。 クィリーヌスは歴史時代には本来の性格が失われてしまったが、古くはユーピテル、マールスとともにカピトーリウム丘で主神として祭祀された。これら3主神は国家的な神官を持ち(3大フラーメン)、クィリーヌスの神官であるフラーメン・クィリナーリスは、祭祀王、フラーメン・ディアーリス(ユーピテルのフラーメン)、フラーメン・マルティアーリス(マールスのフラーメン)についで第4位に位置した。 フラーメン・クィリナーリスが関与する3つの祭、麦の病気の神ロービーグスの祭(4月25日)、穀物神コーンススの祭(8月21日)、伝説的な遊女アッカ・ラーレンティアの祭(12月23日)はいずれも豊饒あるいは地下と関係があり、2月17日の例祭は穀物を焙じるフォルナーカーリア祭と重なっている。また豊饒の女神オプスとの関係もうかがわれる。 これらの特徴からジョルジュ・デュメジルは前カピトーリウムの3主神はローマ人とサビニ人の合一によって偶然に生まれたのではなく、それ以前に先行する形態(印欧語族に共通の3機能イデオロギー)として保存されていたものであり、クィリーヌスは豊饒や富を司る第3機能神と捉えている。 くういりぬす.

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グラン=プラス (ブリュッセル)

ラン=プラス(フランス語:Grand-Place, オランダ語:Grote Markt)は、ベルギーのブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつといわれている。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。.

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コンモドゥス

ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス(Lucius Aurelius Commodus Antoninus, 161年8月31日 - 192年12月31日、在位期間180年 - 192年)は、第17代ローマ皇帝。ネルウァ=アントニヌス朝としては最後の皇帝である。たびたび改名を重ねたことから全名は一定しないが、公文書などでは「ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス」と記された場合が多い。 先帝マルクス・アウレリウスの嫡男(第十一子で六男)であるため、ティトゥス帝以来となる父子間の帝位継承を果たした。加えてアウレリウス・コンモドゥスは紫の皇子の渾名で呼ばれた最初の皇帝だった。紫とはローマの皇帝権を指し、在位中の皇帝を父に生まれたという意味である。.

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コーンスス

コーンスス(Consus)は、ローマ神話の穀物の神。例祭のコーンスアーリア祭は8月21日、12月15日。 サビニ人の女たちの誘拐は8月21日の祭の日に行われたという。ロムルスはローマ人に妻となる女性が不足していたため、コーンスス神の祭にサビニ人を招待し、女たちをさらった。これが原因でローマ人とサビニ人との間に長い戦争が起こったとされる。 パラティヌス丘の麓の大円形競技場キルクス・マクシムスの中央地下にコーンススの祭壇があり、祭の日のみ掘り出された。祭ではウェスタの巫女とクゥイリーヌスのフラーメンが犠牲を捧げ、初穂の奉納と競技、ラバによる競馬が行われ、祭のあいだ馬とロバには休みが与えられた。 またコーンスアーリア祭で競馬が行われたため、コーンススはネプトゥーヌス(つまり馬の神ポセイドーン)と同一視された。 こんすす.

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ゴッド・オブ・ローマ

『ゴッド・オブ・ローマ』(英:GODS OF ROME)はゲームロフトが開発・配信している対戦型格闘ゲーム。.

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シルヴィア (小惑星)

ルヴィア (87 Sylvia) は、火星と木星の間の小惑星帯にある、大型の小惑星である。非常に暗い色をしており、原始太陽系の頃に形成された小惑星と考えられる。メインベルトよりも遠くの軌道を周回していることから、キュベレー族に分類される。複数の衛星を持つことが確認された初の小惑星である。 シルヴィアは1866年5月16日、イギリスの天文学者ノーマン・ポグソンによって発見された。ポグソンは当時、インドのマドラスで観測を行っていた。命名理由に関してポグソンは、この小惑星の発見報告論文において、古代ローマの女神であり、森のレアを意味する「レア・シルウィア」に因んで名づけたと説明している。 日本では、2014年に掩蔽が観測され、楕円の形状が明らかとなっている。.

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シルウィウス

ルウィウス(Silvius、シルビウスとも)はローマ神話に登場する伝説上の王で、トロイアの騎士アエネーイスとラテン王女ラヴィニアの子、若しくはアスカニウスの子。 ヴェリギリウスによると、アエネーイスの長男でトロイア王女クレウーサの子アスカニウスとは異母兄弟で、兄の死後にアルバ王位を継承したとされる。ティトゥス・リウィウスによると二人ともラヴィニアを母とする兄弟とされ、親子関係であったとする説もある。.

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ジョルジュ・デュメジル

ョルジュ・デュメジル(Georges Dumézil, 1898年3月4日 - 1986年10月11日)はフランスの比較神話学者、言語学者。インド・ヨーロッパ語族における比較神話学の構造的体系化を行い、クロード・レヴィ=ストロースの構造主義に大きな影響を与えた。.

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スポリア・オピーマ

ニナ王の鎧を神に捧げるロームルス(ドミニク・アングル) スポリア・オピーマ()とは、古代ローマの軍人が受けた最高にして最も神聖な栄誉・勲章リウィウス『ローマ建国史』第1巻第10章プルタルコス『対比列伝』ロームルス伝。他部族の王もしくは最高指揮官を一騎討ちで倒したローマの軍人(正式には最高指揮官)に認定され、相手の将軍からはぎとった鎧そのものを勲章とし、主神ユーピテル、特にカピトリヌスの丘に祀られるユーピテル・フェレトリウス()という神格に奉献された。 公式にこの栄誉を顕彰された軍人は、伝説を含めてもわずか3人で、実在が確実な人物は紀元前3世紀の「ローマの剣」マルクス・クラウディウス・マルケッルスただ一人である。公的には認知されていないものの、紀元前1世紀のマルクス・リキニウス・クラッスス(同名の大政治家の孫)も同様の功績を残しているカッシウス・ディオ『ローマ史』第51巻第23-24章。.

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スムマーヌス

スムマーヌス(Summanus)は、ローマ神話における夜の電光の神。長母音を省略してスムマヌスとも表記される。 サビーニ人の王であるティトゥス・タティウスがロームルスとともにローマを治めた時期に伝えられた神々の一人。 Category:ローマ神話の神 Category:雷神.

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タルペーイア

19世紀末ごろに描かれたタルペーイア タルペーイア(またはタルペイア。Tarpeia)は、ローマの建国伝説に登場する、ローマを裏切りサビニ人に砦を明渡した女性。国家犯罪者の処刑に使われたタルペーイアの岩に名前が残った。 伝承によると、ロームルスのサビニ女性の略奪の結果、建設直後のローマの女性不足は解消したもののサビニ人との戦争が引き起こされた。当時のローマの防備はパラティウムの他にはカピトリウムに砦(アルクス)があるのみでサビニ人はまずこの砦の攻略を試みた。タルペーイアはこの砦の責任者の娘で一説ではウェスタの巫女であったという。しかし処女(未婚女性)であったタルペーイアはローマを裏切り、サビニ人の王ティトゥス・タティウスに砦を明け渡した。 20世紀前半に描かれたタルペーイア 一般的な伝承ではタルペーイアは金銭を目的にローマを裏切り、サビニ人が左腕につけていた金の指輪や腕輪を報酬に要求した。タティウスが要求を受け入れると、タルペーイアは砦の門へと続く道を明かしたため、サビニ人は砦への侵入を果たした。その後タルペーイアが約束していた報酬を求めるとタティウスは腕輪を外し、同じく左腕に持っていた盾と共にタルペーイアに投げつけた。他のサビニ兵もそれに倣い腕輪と盾を投げつけ、その重さでタルペーイアは圧死したという。 別の伝承ではタルペーイアは偶然目撃した敵将タティウスに一目惚れし、その恋心からローマを裏切ったとされる。しかし裏切り行為は歓迎しても裏切り者は憎むといった感情を持っていたタティウスによってやはり砦の制圧後タルペーイアは殺害された。この恋愛説に従ってプロペルティウスは詩を残している。 さらに別の伝承ではタルペーイアはサビニ人から左手のものを要求しながら実は指輪や腕輪でなく盾を取り上げることを目論んでいたとされる。この伝承のタルペーイアは完全な裏切り者ではなく金銭による裏切りを装った計略を用いていたことになる。報酬としてタティウスが腕輪を渡そうとしたところタルペーイアは盾を要求し、その計略に気付いたタティウスはサビニ人に盾を投げつけさせタルペーイアを圧殺したという。 タルペーイアは殺害された場所に埋葬され、その場所はタルペイウスと呼ばれていたという。しかしのちにタルクィニウスがその地をユーピテルに献じた際、遺骸は移されタルペイウスの名も失われた。ただカピトリウムの岩に「タルペーイアの岩」としてその名前は残り、古代ローマにおいて国家犯罪者をここから突き落とす処刑の場として使われていた。この他タルペーイアの岩の近くにはタルペーイアの墓があったといい一年に一度祭祀が行われていたという。.

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ターザン

ターザン(英:Tarzan)は、アメリカの小説家エドガー・ライス・バローズが創造した架空のキャラクター。小説ターザン・シリーズ、及び映画化作品の主人公を務めるが、脇役として登場する事もある。 本項では、まず小説版について説明する。映画版については、#映画、TVのターザン以降を参照。なお、日本語表記はハヤカワ文庫特別版SFに準じる。.

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ターザン・シリーズ

ターザン・シリーズは、エドガー・ライス・バローズによるアメリカのSF冒険小説のシリーズ名。主にターザンを主役とする。 本項での日本語表示は、早川書房版に準ずる。.

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サビニの女たち

『サビニの女たち』(Les Sabines. 、『サビニの女たちの仲裁』とも) は、フランス、新古典主義の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1799年に描いた油彩絵画で、古代ローマ創世時のサビニの女たちの略奪という伝説的エピソードを題材としている。 ダヴィッドがこの作品の構想を練り始めたのは、1795年彼がリュクサンブール宮殿に収監されている時だった。 フランスは、恐怖政治とテルミドールのクーデターに至る内戦を経た末に、他のヨーロッパ諸国と交戦中で、この時期ダヴィッドは、ロベスピエールを支持したため収監されていた。 ダヴィッドは、サビニの女たちを主題にするか、ホメーロスがギリシア人に詩句を暗唱している場面にするかで迷っていた。 最終的に彼は、サビニの女たちがローマ人とサビニ人の間に割って入る場面を選び、ニコラ・プッサンの『サビニの女たちの略奪』の「その後」を描写することにした。 1796年、別居中の妻が刑務所に彼を訪ねた後、ダヴィッドは絵の作成に取りかかった。 彼は妻に敬意を表するため、愛は対立に勝るという主題を物語るという着想を得た。 フランス革命で血が流された後に、人々が和解するという願いを読み取ることもできる。 彼はその実現に4年を要した。 この作品は、サビニ王ティトゥス・タティウスの娘でロームルスの妻にされたヘルシリアが、乳飲み子を連れて夫と父の間に割り入る場面を描いている。 強健なロームルスは、後退しかけたタティウスを槍で突こうとするが、躊躇している。 背景に露出しているのはタルペーイアの岩で、反逆罪にはこの岩から投げ落とすのが処罰だったことから、内戦に関連している。 伝説によれば、タティウスがローマを攻撃した時、カピトリヌスの丘の砦の長官スプリウウス・タルペーイアの娘でウェスタの処女のタルペーイアが裏切ったため、あと少しでローマは占領されるところだったという。 タルペーイアは「サビニ人が腕に着けているもの」の見返りに都市の扉をサビニ人に開いた。彼女は金の腕輪を得るつもりだった。 代わりにサビニ人は、自分たちの腕に着けた盾で彼女を圧殺し、岩から投げ落とした。 これにより岩は、タルペーイアの名で呼ばれるようになった。 1799年、ダヴィッドは『サビニの女たち』をルーヴル宮殿で展示した。 1805年までに大勢の訪問客が、代価を払ってこの絵を鑑賞した。 ダヴィッドを含めた画家たちがルーヴル宮から追放された後、作品はクリュニーの古い教会に納められていた。 ダヴィッドはこの教会をアトリエとして使っていた。 1819年、彼は『サビニの女たち』と『テルモピュライのレオニダス』を王立博物館に10,000フランで売却した。 1977年初頭、フランスはダヴィッドの描いたヘルシリアの顔を描いた普通切手のシリーズを発行した。.

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サビニの女たちの略奪

ャンボローニャ作「サビニの女たちの略奪」。フィレンツェのロッジア・ディ・ランツィにある。 サビニの女たちの略奪(サビニのおんなたちのりゃくだつ、The Rape of the Sabine Women)とは、古代ローマの伝説的挿話の1つである。なお、この場合の "rape" はラテン語の "Raptio" にあたり、「強姦」よりも「誘拐」などに近い意味合いである。日本語では他に、サビニ女性の略奪、サビニの娘たちの掠奪、サビニ族の女達の誘拐、サビニのおとめの拉致、などともいう。 ローマがロームルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。子孫を残し国を維持するためには多数の未婚女性が必要だった。ローマ人はそれを近隣国に多く住み勇敢な部族であったサビニ人に求めたが、交渉は不首尾に終わった。そこでローマ人はサビニ人に奸計を仕掛け、大量の未婚女性を略奪した。不法にローマに拉致されたサビニ人女性たちはローマ人の妻になることを強要され、ローマ人の子を産むこととなった。こうしてサビニ人女性を誘拐婚することにより、ローマは国を維持発展させるための次世代を得ることに成功した。後にサビニは女性たちを奪回するためにローマと戦争を起こすが、既に子を産んでいたサビニ人女性たちは子供と引き離されることを拒み、戦争の中止を訴えた。 ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』やプルタルコスの『対比列伝』(II、15 および 19)で語られており、ルネサンス期以降の芸術作品の主題として好んで使われた。これは、この挿話が古代ローマ人の大胆さと勇気を示す例であるとともに、女性の受難場面や、半裸の群像が強烈な激情を発して苦闘する様を描くという芸術的挑戦として捉えられたためである。似たような古典古代の主題としては、ラピテースとケンタウロスの戦い、テーセウスのアマゾーンとの戦いなどがある。.

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凱旋式

ーマの凱旋式(がいせんしき、triumphus)は古代ローマにおける市民儀式、および宗教的典礼であり、民衆の前で国家の勝利に貢献した司令官を讃えた。 凱旋式の日、将軍はレガリア(王位の象徴)として月桂樹の冠をかぶり、金糸で刺繍した紫色のトガを着用した。これはその将軍が、半ば神聖で、君主に近い存在と認められていたためであり、その顔を(神であることを示す)赤く塗ることも知られている。凱旋将軍は4頭立ての戦車に乗り、非武装の兵士、捕虜、戦利品を従えてローマ市内を行進した。最後にカピトリヌスの丘のユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿で、神々に対して犠牲と勝利の証拠を捧げた。共和政ローマ時代の「父祖の遺風」(モス・マイオルム)に従い、このような特別な時間であるにも関わらず、将軍はローマ元老院、市民、神々の代理として、威厳を持ちかつ謙虚に振舞った。同時に、凱旋式は宗教的および軍事的儀式としてだけでなく、自己宣伝のための特別な機会を提供した。 ほとんどのローマの祭日は暦で決まっていたが、凱旋式を行う日は自由であり、勝利からできるだけ早く実施された。パレードの他に祝宴、競技会なども開催された。共和政後期になると、ローマの拡張に従って各将軍が競い合うようになり、凱旋式は長期間かつ豪華になり、数日間にわたり公共の競技会や祭りが続くこともあった。帝政が始まると、凱旋式は帝国の秩序を反映し、皇帝家族のみが実施できるものとなった(他の将軍は凱旋将軍顕彰を授与されるのみ)。 凱旋式の様式は、中世以降にヨーロッパの王族が真似るようになった。.

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凱旋式のファスティ

凱旋式のファスティ(がいせんしきのファスティ、ファスティ・トリウムファレス、またはアクタ・トリウムファリア:Fasti Triumphales、Acta Triumphalia)は、アウグストゥス帝統治下の紀元前12年頃にフォルム・ロマヌムに建てられた石版である。石版には凱旋式を実施した将軍の名前、父と祖父の名前、勝利した相手または場所、凱旋式実施日、が記録されている。一部の欠損はあるが、紀元前753年の半ば神話的なロームルスの凱旋式から、紀元前19年のプロコンスル(執政官代理)であるルキウス・コルネリウス・バルブスの凱旋式までが記載されている。 ローマ帝国崩壊後は地中に埋もれていたが、16世紀の中頃におそらくは偶然に発見され、修復が進められた。現在はカピトリーノ美術館に展示されている。4つの石版から構成されており、それぞれローマ建国紀元元年-452年、453年-532年、533年-625年、628年-735年に実施された凱旋式が記録されている。 なお、一部に欠損部分があるが、他の資料で凱旋式実施が確認できるものは罫線で囲んで示した。.

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全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言

『生命の木』(1595年)に掲載された聖マラキの予言の一部 全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言(すべてのきょうこうにかんするだいしきょうせいマラキのよげん、Prophetia S. Malachiae, Archiepiscopi, de Summis Pontificibus)は、12世紀北アイルランドの都市アーマーの大司教聖マラキ(マラキアス)が行ったとされている、歴代ローマ教皇に関する予言であるprophetiaの語源(「代わりに語る」)を尊重し記事名では「預言」を使うが、後述するように偽書であることが定説化しており、その立場ではマラキ本人が神の啓示を受けて記述したとは見なされていないので、以下の文中では「予言」で統一する。。本記事名は現在確認されている範囲での初出に当たる『生命の木』(1595年)に採録されたときのものだが、一般には単に「聖マラキの予言」「教皇(について)の予言」などと呼ばれる。実際には1590年に作成された偽書と見なすのがほぼ定説となっており、その立場からは「偽マラキの予言」アルブロンは la prophétie pseudo-malachienne と表記している。また、参考文献のひとつとして、アレクサンドル・ブルーの La pseudo-prophétie de Malachie (マラキの偽予言)という文献も挙げている(Halbronn (2005) pp.75, 135)。と呼ばれることもある。.

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元老院

フォロ・ロマーノに復元されたローマ時代の元老院議事堂「クリア・ユリア」 元老院(げんろういん、senatus)は、王政ローマにおける王の助言機関、また、後の共和政ローマにおける統治機関、更に、後のローマ帝国皇帝の諮問機関を指す語である。また現在では、多くの国が上院の呼称に用いる語でもある。senatusに由来する名称の機関は必ずしも「元老院」と訳されるわけではないが、本項では便宜上「元老院」と表記する。.

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王政ローマ

王政ローマ(おうせいローマ、羅:Regnum Romanum)は、古代ローマ最初期の政体である王政期を指す。のちに共和政ローマ、そして帝政ローマへと変遷する。.

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神君

君(しんくん)は、偉大な君主を称えて呼ぶ名である。これは、「神々の君主」という意味ではなく「神格化された君主」という意味に当たる。 日本の場合、江戸時代は、特に徳川家康を意味したが源頼朝を指すこともあり家康を東照神君、頼朝を鎌倉神君と呼び分けることもある。古代ローマ帝国においては、カエサルやアウグストゥスらが神格化された。中国などでは、歴代の皇帝たちが信仰の対象となった。.

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神武天皇即位紀元

武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)または神武紀元は、『日本書紀』の記述をもとに設定された日本の紀年法である。古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位は、日本書紀に「辛酉の年」とある。それが、江戸前期の暦学者渋川春海の編纂による「日本長暦」において(西暦でいう)紀元前660年と比定され、また渋川の推理による当時の暦によるその1月1日が、現在の暦(グレゴリオ暦)の2月11日と比定されたものが、そもそも神代のことであり、特に改める必要もないとしてそのまま通用している(詳細は注および後述)。この即位年を明治に入り神武天皇即位紀元の元年と制定した。 異称は皇紀(こうき)、即位紀元、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、日紀(にっき)等。 西暦#time: Y年(本年)は、神武天皇即位紀元年に当たる。.

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第6軍団フェッラタ

6軍団フェッラタ (Legio VI Ferrata) は、ローマ軍団のひとつ。紋章はカエサル創設の印である牡牛、しかし母狼とロームルスとレムスも紋章として使われた。.

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紀元前8世紀

ピトリヌスの雌狼」(カピトリーノ美術館蔵)。狼の乳を飲むロームルスとレムスの銅像。ロームルスは伝承上の都市国家ローマの建国者。 「ディピュロンのアンフォラ」。ギリシア陶器の幾何学様式後期を代表する名品で現在はアテネ国立考古学博物館が所蔵している。 Milwaukee Art Museum蔵)。 ウラルトゥ王国の繁栄と凋落。ウラルトゥの王サルドゥリ2世の時に勢力が最大となったが、隣国アッシリアに攻め込まれて衰退した。画像はウラルトゥの主神ハルディの像(アルメニア・エレバン・エレブニ要塞博物館蔵)。 ドゥル・シャルキン。アッシリア王サルゴン2世の時代に造営された都で10年余ほど用いられた後、ニネヴェに改めて遷都され放棄された。保存状態は悪くなく多くの浮彫で飾られた宮殿の城壁が発掘されている。画像はサルゴン2世と家臣の浮彫(ルーヴル美術館蔵)。 紀元前8世紀(きげんぜんはちせいき、きげんぜんはっせいき)は、西暦による紀元前800年から紀元前701年までの100年間を指す世紀。.

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羊飼い

羊飼い(英語:shepherd、発音: 、もしくはsheepherder)とは、羊を保護し飼育し放牧する労働者である。シェパード(shepherd)という言葉は「Sheep Herder(羊の牧畜民)」を縮めて作られたものである。.

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聖闘士星矢Ω登場人物一覧

聖闘士星矢Ωの登場人物一覧(セイントセイヤオメガのとうじょうじんぶついちらん)は、車田正美の漫画作品『聖闘士星矢』を原作としたテレビアニメ『聖闘士星矢Ω』の登場人物を列挙する。 ※ 各人の行動は第1話〜第27話を序章として基礎部分とし、28話〜51話を【十二宮編】52話〜77話を【新生聖衣編】78話〜97話は【Ω覚醒編】の見出しを付け記述する。.

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貴種流離譚

貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)とは、物語の類型の一種であり、折口学の用語の一つ。若い神や英雄が他郷をさまよいながら試練を克服した結果、尊い存在となるとする説話の一類型。貴種漂流譚(きしゅひょうりゅうたん)とも。折口信夫が一連の「日本文学の発生」をめぐる論考のなかで、日本における物語文学(小説)の原型として論じた概念である。その説くところは時期によって細部が異なるが、基本的には「幼神の流浪」をその中核に据える。.

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野生児

野生児(やせいじ、feral child)とは、なんらかの原因により人間社会から隔離された環境で育った少年・少女のこと。野生人(やせいじん、feral man)とも。特に狼に育てられたと伝えられる事例は多く、wolf child(日本では狼少年、狼少女、狼っ子(おおかみっこ))といわれる。.

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週刊 歴史のミステリー

『週刊 歴史のミステリー』(しゅうかん れきしのミステリー)とは、デアゴスティーニ・ジャパンが発行している週刊誌。2008年1月15日創刊、1月29日から2009年12月22日まで毎週火曜日に発刊され(最終の101号のみ12月26日の土曜日刊行)、2012年5月15日より「改訂版」として再刊されている。A4変型のオールカラー32ページ構成。全101号(101号は索引)。定価は税込で560円(創刊号のみ190円)。 通説となっている歴史上の事柄について、根拠となる歴史書の信憑性が疑われるもの、多くが謎に包まれているものなどを、新旧の学説を交えて解説。.

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Fate/Grand Order

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捨て子

捨て子(すてご。英語:foundling、abandoned child)とは、様々な事情によって、病院、路上、他人の家、児童養護施設などにこっそり置き去られた子供を指す。棄児(きじ)ともいう。 日本のマスコミでは、差別用語に当たるとして「捨て子」という表現を避け、赤ちゃん置き去りと言うことが多い。尚、英語で捨て子を意味する「foundling」は、直訳すると「発見された者」を意味する。.

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宮本武蔵が槍で鵺と戦う画(画:歌川国芳) 槍(やり)は刺突を主目的とする猟具、武器・武具の一種。投擲することを目的としたものは投槍という。有史以前から人類が使用し続け、銃剣に代替されるまで長く戦場で使われ続けた。鎗、鑓とも書く。 現代中国語で、「槍」(qiang)という漢字は銃を表す(本来の槍と区別するために銃を「火槍」と表記することもある)。.

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月 (暦)

月(つき、がつ、げつ、month)は、時間の単位の一つ。年と日の中間にある単位で岡田ら (1994)、pp.70-72、四季と暦、月と暦、一年を12分した日数である。現在世界で標準的に用いられるグレゴリオ暦は修正元のユリウス暦の月を汲み、1か月の日数は30もしくは31日を基本とし、2月のみ通常は28日、4年に1度(ただし400年間に3回例外を置く)の閏年には29日としている池内 (1999)、3.俺は北極星のように不動だ、pp.44-47、改暦の歴史。.

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惑星Zi

惑星Zi(わくせいズィー)はゾイドに登場する架空の惑星。.

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戦車競走

戦車競走の再現(2004年) 戦車競走(せんしゃきょうそう、英語:chariot racing)とは、古代ギリシアおよびローマ帝国において人気のあったスポーツの一つである。御者および馬にとって重傷を負ったり死に至ったりすることさえ珍しくない危険な競技であり、現代においてモータースポーツが人々の大きな関心を集めることに類似している。 戦車競走の組織的側面は、ある部分において今日のプロスポーツにも似ている。ローマ時代の戦車競走では、財政支援を行なうグループごとにそれぞれチームがあり、ことに優秀な御者をめぐってはその雇用についての争いもあった。こうしたチームは観客の間に熱烈な支持を集め、異なるチームのファン同士の間で騒動が起こる要因ともなった。 戦車競走が単なるレースにとどまらない、社会全体に影響を与える存在となるにつれ、このようなファン同士のもめごとが政治問題化するようにもなった(例えばニカの乱)。ローマ帝国やのちの東ローマ帝国の皇帝たちがこれらのチームを統制し、彼らを監視する役職をおいたのもそうしたことが理由である。 戦車競走は西欧では西ローマ帝国の滅亡にともなってその重要性を失った一方、東ローマ帝国で存続した。今日の繫駕速歩競走の元となっている。また、ドイツのボードゲーム・アベ・カエサルは、戦車競走を基にして生み出された。.

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日比谷公園

日比谷公園(ひびやこうえん)は、東京都千代田区に所在する公園、および同公園を町域とする千代田区の町名である。郵便番号は、100-0012。 公園の土地の一部は国有地である。東京都建設局が所管する都立公園であり、東京都公園協会に管理を委託している。都市計画法第11条(都市施設)に基づく名称は、北の丸公園、皇居外苑の一部と合わせて「東京都市計画公園第5・8・23号中央公園」である。.

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3月1日

3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.

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4月21日

4月21日(しがつにじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から111日目(閏年では112日目)にあたり、年末まではあと254日ある。誕生花はミヤコワスレ、ムルチコーレ。.

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