ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
インストール
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ヤルムーク川

索引 ヤルムーク川

ヤルムーク川(ヤルムークかわ、Yarmouk、Yarmuk、アラビア語:ナハル・アル=ヤルムーク, نهر اليرموك, Nahr Al-Yarmuk, ヘブライ語:ネハル・ハ・ヤルムーク, נהר הירמוך, Nehar HaYarmukh, ギリシャ語:ヒエロマス, Hieromax)は、ヨルダン川最大の支流で、シリア・ヨルダン・イスラエルの三カ国を流れている。 ヨルダン川には、ガリラヤ湖と死海の間で東から三本の大きな支流が流入し、それぞれが大きな険しい渓谷を形成している。北から順に、ヤルムーク川、ヤボク川(ザルカ川、Jabbok/Zarqa)、アルノン川(ワジ・ムジブ、Arnon/Wadi Mujib)である。ヤルムーク川はシリア南西部に発し、ゴラン高原の東から南へ回り込んでヨルダンとシリアの国境を形成し、次いでヨルダンとイスラエルの国境となり、ヨルダン川に流れ込んでいる。ヨルダン北部の大きな都市イルビド、古代都市ガダラの遺跡(現ウンム・カイス)や温泉リゾートのハマト・ガデルなどはヤルムーク川渓谷付近にある。 ヤルムーク川はゴラン高原の南の境界線にもなっている。正統カリフに率いられたアラブ人のイスラム国家が東ローマ帝国を破ったヤルムークの戦いは、636年にヤルムーク川の南で起こっている。.

11 関係: マルティナ (東ローマ皇后)ハマト・ガデルヤルムークの戦いヨルダン川イルビドイギリス委任統治領パレスチナカーディシーヤの戦いギレアドザルカ川国別最低標高地点の一覧聖書に登場する地名一覧

マルティナ (東ローマ皇后)

マルティナ(Martina, 生年不明 - 641年以降)は東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の初代皇帝ヘラクレイオス(在位:610年 - 641年)の2度目の后妃。ヘラクレイオスの妹マリアが、マルティヌスという人物ともうけた娘であり、したがってヘラクレイオス帝は姪と再婚したことになる。.

新しい!!: ヤルムーク川とマルティナ (東ローマ皇后) · 続きを見る »

ハマト・ガデル

日中のハマト・ガデル 夜間のハマト・ガデル ハマト・ガデル(ヘブライ語:חמת גדר)はイスラエルのティベリアス湖に近いヤルムーク川にある温泉保養地。イスラエル、ヨルダン、シリアの国境が交わる地点に位置し、イスラエル領となっている宇野「ハマットガデル」『世界地名大事典』3、770頁。その名の『ガダラの温泉』は50℃以下の鉱物泉が複数あることに由来する。ガダラは現在のヨルダン領ウンム・カイス(Umm Qais)であり、ここから4kmの距離にある。アラビア語では「温泉」を意味する「ハンマ(al-Hanma)」と呼ばれている。.

新しい!!: ヤルムーク川とハマト・ガデル · 続きを見る »

ヤルムークの戦い

ヤルムークの戦い (アラビア語:نهر اليرموك、ヘブライ語: נהר הירמוך)は、東ローマ帝国とその同盟国のが、正統カリフ勢力のアラブ軍とヨルダン川の支流のヤルムーク川で激突した戦い。この戦いに完勝した正統カリフ勢力によって東ローマ帝国のシリア支配は終わりを告げ、預言者ムハンマドの死後始まったイスラームの「大征服」時代の幕開けとなった。これ以後、キリスト教の影響が強かったレバント地方は急速にイスラーム化が進む。 ヤルムークの戦いでの勝利は、「アッラーの剣」の異名を持つアラブ軍の指揮官の一人ハーリド・イブン・アル=ワリードの代表的な軍事的功績とされている。この戦勝で、ハーリドは偉大な戦術家、卓越した騎兵指揮官としての名声を確立した。.

新しい!!: ヤルムーク川とヤルムークの戦い · 続きを見る »

ヨルダン川

ヨルダン川(נָהָר יַרְדֵּן Nehar ha-Yarden 、 Nahr al-Urdunn)は、中東の国際河川。「下降する川」を意味する。.

新しい!!: ヤルムーク川とヨルダン川 · 続きを見る »

イルビド

イルビド(, Irbid、イルビット、イルビッドとも)はヨルダン北西部の都市でイルビド県の県都。首都アンマンの北70kmにあり、ヨルダン川東岸の険しい台地ギレアド(ギレアデ、Gilead)の北の縁に位置し、シリアとの国境の近くにある。イルビドは古代はアラベラ(アルベラ、Arabella)と呼ばれていた。1992年の国勢調査によれば人口は208,329人であるが、2007年の推計では327,543人となっており、ヨルダンでもアンマン、ザルカに次ぐ第3の都市である。またイルビド県も、ヨルダンでは2番目に人口の多い県である。イルビドの住民にはパレスチナ人難民も多い。 イルビドは、ベイト・ラス(Biet Ras)、(古代のガダラ)などデカポリスの古代都市とは等距離にあり、これらの遺跡を巡る観光客の拠点となっている。また周囲の町や農村の農産物の集散地であり、南のアンマン、東のマフラク、北のシリア方面(ダルアーを経由しダマスカス)への公共交通の中心地でもある。 イルビド周辺にはいくつかの大学があり、そのうちヨルダン科学技術大学とヤルムーク大学が重要な存在である。.

新しい!!: ヤルムーク川とイルビド · 続きを見る »

イギリス委任統治領パレスチナ

イギリス委任統治領パレスチナ(イギリスいにんとうちりょうパレスチナ、British Mandate for Palestine、الانتداب البريطاني على فلسطين、המנדט הבריטי על פלשתינה א"י)は、国際連盟によりパレスチナに創設された、イギリスが統治を行う委任統治領である。パレスチナは、16世紀以来この地を治めていたオスマン帝国から、第一次世界大戦後にイギリス帝国の委任統治下に入った領土である。イギリスは1918年にこの地の占領統治を開始し、1920年から高等弁務官による民政を開始して実質的に植民統治を開始していた。 委任統治領パレスチナの決議案は1922年7月24日に国際連盟理事会で公式に承認され、1923年9月26日に発効した.

新しい!!: ヤルムーク川とイギリス委任統治領パレスチナ · 続きを見る »

カーディシーヤの戦い

ーディシーヤの戦い(アラビア語: معركة القادسيّة;)は、636年に(現在のイラク・ナジャフ市の東)で、正統カリフ時代のイスラーム勢力(アラブ軍)とサーサーン朝との間に起きた戦い。この戦いに大勝したイスラーム勢力はイラクを掌握し、その後のペルシア征服につながった。続くニハーヴァンドの戦い(641年)で敗れたサーサーン朝は、滅亡した。.

新しい!!: ヤルムーク川とカーディシーヤの戦い · 続きを見る »

ギレアド

レアドの丘 ギレアド(Gilead)はヨルダン川東の山地の名称である。日本語への音写ではこの他にギリアデ、ギレアデ、ギリアドの例がある。.

新しい!!: ヤルムーク川とギレアド · 続きを見る »

ザルカ川

ルカ川(Zarqa、アラビア語:ナハル・エッ=ザルカー, نهر الزرقاء, Nahr ez-Zarqa)はヨルダン西部を流れる川でヨルダン川の支流。険しく深い渓谷をなし、ヤルムーク川、アルノン川などと並ぶヨルダン川東岸の大きな支流の一つ。ザルカ川とは「青い川」の意味であるが、ダマスカスとメッカを結ぶ道の途中にあるザルカの砦の近くを通るからともされる。 旧約聖書にも登場するヤボク川(Jabbok、ヘブライ語:נחל יבוק)は、現在のザルカ川に同定されている。 ザルカ川(ヤボク川)の源流はヨルダンの首都アンマン付近にあり、北へ流れた後、西へ向きを変える。ヨルダン川東岸の険しい山地(旧約聖書ではギレアド Gilead またはギレアデと呼ばれる)の東部に発しその中を東西に貫くザルカ川(ヤボク川)は、途中キング・タラール・ダムで人工湖を形成した後、ステップ地帯の中の険しい渓谷を抜けヨルダン川沿いの盆地に出て、ゲネサレトと死海の間でヨルダン川に合流する。長さ100km余りのザルカ川(ヤボク川)はヨルダンの重要な水源だが、水量の減少や汚染などの問題を抱える。.

新しい!!: ヤルムーク川とザルカ川 · 続きを見る »

国別最低標高地点の一覧

この項目は国別最低標高地点の一覧(くにべつさいていひょうこうちてんのいちらん)である。海に面する多くの国は海抜0mが最低標高地点であるため、最低標高が0mの国はこの一覧から除外してある。海などの水に覆われていない自然地形のみを対象としており、人工的に変化させられた地形(掘削により-12,261mに到達したロシアのコラ半島超深度掘削坑など)は含めない。イスラエルとヨルダンにまたがる死海は-418mにあり、地表でもっとも低い地点である。なお、南極のベントリー氷河底地溝は氷河に覆われているが、死海より遥かに低い-2,555mであり、海水に覆われていない地点としては地球上でもっとも標高が低い地点である。この一覧は2007年のCIA World Factbookに基づいている。.

新しい!!: ヤルムーク川と国別最低標高地点の一覧 · 続きを見る »

聖書に登場する地名一覧

聖書に登場する地名一覧(せいしょにとうじょうするちめいいちらん)では、聖書に登場する地名を五十音順に挙げる。.

新しい!!: ヤルムーク川と聖書に登場する地名一覧 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

ヤルムク川

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »