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マリ連邦

索引 マリ連邦

マリ連邦(マリれんぽう、フランス語:Fédération du Mali)は、旧フランス領西アフリカの一部であったスーダン共和国(現在のマリ共和国)とセネガル共和国が、1959年4月4日に合併して成立した連邦国家。1960年6月20日にフランスから独立した。しかし、同年8月20日にセネガルが分離独立し、残った旧スーダン共和国も同年9月22日にあらためてマリ共和国として独立したために消滅した。独立国としては2ヶ月のみ存在した短命国家である。 大統領にはモディボ・ケイタ、議会議長にはレオポール・セダール・サンゴールが就任した。.

29 関係: マリマリ共和国マリ共和国の国旗モディボ・ケイタフランス領スーダンダカールダカール・ニジェール鉄道アフリカの年アフリカ諸国連合アフリカ民主連合アザワドクワメ・エンクルマシカソスーダン (地理概念)セネガルセネガルの国旗セネガルの首相セネガル国営放送局国際連合安全保障理事会決議の一覧 (101-200)国際連合非自治地域リスト過去に独立していた国の旗一覧脱植民地化連邦汎アフリカ色消滅した政権一覧1960年の政治6月20日8月20日9月22日

マリ

マリ.

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マリ共和国

マリ共和国(マリきょうわこく)、通称マリは、西アフリカに位置する共和制国家。西をモーリタニア、北をアルジェリア、東をニジェール、南をブルキナファソ、コートジボワール、南西をギニア、西をセネガルに囲まれた内陸国である。首都はバマコ。 国土の北側3分の1はサハラ砂漠の一部であり、ちょうど中心を流れるニジェール川沿岸に農耕地が広がる。南部はやや降水量の多いサバンナ地帯である。.

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マリ共和国の国旗

マリ共和国の国旗(マリきょうわこくのこっき Flag of Mali)は、フランスの国旗をモデルとして汎アフリカ色である緑、黄、赤を等間隔に描いた縦三色旗。マリ連邦で用いられていた国旗から中央の人形の紋章(カナガ,kanaga)を除いたデザインでもある。マリ連邦から分離し、マリが単独独立することとなり、それに伴い1961年3月1日に制定された。 Flag of France.svg|フランス時代の旗 ファイル:Flag of French Sudan.svg|フランス領スーダンの旗 ファイル:Flag of Mali (1959-1961).svg| マリ連邦の国旗(1959年 - 1961年).

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モディボ・ケイタ

モディボ・ケイタ(Modibo Keïta、1915年6月4日 - 1977年5月16日)は、マリ共和国の政治家。イスラム教徒。パン・アフリカ主義を唱えてマリ連邦首相となり、マリ連邦の崩壊後はマリ共和国初代国家元首・大統領となった。.

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フランス領スーダン

フランス領スーダン(Soudan français, French Sudan)は、1890年-1902年および1920年-1960年の間、西アフリカにあったフランスの植民地。フランス領西アフリカの一部であり、現在のマリ共和国の領域を管轄としていた。.

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ダカール

ダカール(Dakar、現地ウォロフ語表記: Ndakaaru)は、セネガルの首都でありダカール州の州都。アフリカ大陸の西端に位置し大西洋横断貿易において重要な位置を占め、この地域の主要港湾であり、コートジボワールのアビジャンと並んでフランス語圏西アフリカの商業の中心都市である。ダカールの中心地はプラトー地区であり、政治及び商業の中心として機能している。人口2,098,648人(2004年)。 ダカール・ラリーの終着点だったことで知られている。.

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ダカール・ニジェール鉄道

ダカール・ニジェール鉄道(Chemin de fer Dakar-Niger)は、西アフリカのダカール(セネガル)とクリコロ(マリ)間を結ぶ鉄道路線。全長1287km。そのうち、641kmがマリ側路線である。なお、路線名にある「ニジェール」は、ニジェール共和国ではなく、ニジェール川を意味する。2013年のマリ共和国における旅客輸送は、バマコ-カイ間(、ディアム経由)をたったの3日間、運行したにすぎなかった。2014年に国際旅客輸送、つまり、マリとセネガルをまたぐ運行は行われなかった。ただし、セネガルにおいて、ダカール-ティエス間は旅客輸送が存在する。.

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アフリカの年

アフリカの年(アフリカのとし、Year of Africa)は、西暦1960年の有名な呼び方である。シャルル・ド・ゴール大統領の措置によって13カ国の独立が認められたフランスを主に、アフリカ大陸で17カ国が植民地からの独立を達成し、脱植民地化が進んだ。1960年のアフリカの急激な政治的変化は新たな時代の到来を予感させた。.

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アフリカ諸国連合

1アフリカ諸国連合の国旗(1958年から1961年まで) アフリカ諸国連合(アフリカしょこくれんごう)はマリ、ガーナ、ギニアの西アフリカ三ヵ国で1958年から1963年まで続いた国家連合。結成当初はガーナとセネガルとのガーナ・ギニア連合だったが1961年にマリが参加し、ガーナ・ギニア・マリ連合となっている。英語ではUnion of African Statesとなる。なお、アフリカ連合との混同を避けるため、西アフリカ諸国連合という名称もしばし使用される。.

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アフリカ民主連合

アフリカ民主連合(フランス語・Rassemblement Démocratique Africain、略称RDA)は、かつて存在したフランスの政党。フランス領西アフリカ及びフランス領赤道アフリカを基盤とし、同地域において圧倒的な勢力を誇った地域政党であった。.

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アザワド

アザワド(トゥアレグ語:,, Azawad)は、マリ共和国北部の地域。反政府勢力(Azawad National Liberation Movement、MNLA)をはじめとしたグループが2012年初頭からの紛争でマリ軍をトゥアレグ族が主張する領土から駆逐した後に、一方的に独立宣言を行った地域である。ただし国際的な国家の承認は得られていない。MNLAはマリの地方行政区画のうちトンブクトゥ州、キダル州、ガオ州、モプティ州の一部から成っていると主張している。南西をマリ、南をブルキナファソ、北西から西にかけてをモーリタニア、北をアルジェリア、東から南東にかけてをニジェールに囲まれている。サハラ砂漠とサヘルをまたがった地域に位置する。ガオが最大の都市であり暫定首都である。 2012年4月6日にMNLAがウェブサイトで、アザワドがマリから「取り消すことのできない」独立を行ったとの声明を出した。独立運動事務局長のは同日、ガオにて独立宣言に署名した。しかし、この宣言は未だ外国による承認を得ておらず、またMNLAが主張するアザワドにおける事実上の統治でさえ、マリ政府やMNLAとかつて共同戦線を組んでいたイスラム軍事組織アンサル・ディーンとは議論がある。 2012年5月26日にはMNLAとアンサル・ディーンが合同し、マリ北部にイスラム国家を建国することで合意したが後に両者の対立が鮮明となり、アンサル・ディーンはMNLAによるアザワド独立を却下。2012年6月27日のガオにおけるMNLAとアンサル・ディーン間の戦闘の結果、MNLAはガオより駆逐され、アンサル・ディーンはマリ共和国北部を支配下においたと宣言。アザワドは事実上崩壊した。.

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クワメ・エンクルマ

ワメ・エンクルマ(Kwame Nkrumah、本名:Francis Nwia Kofia Nkrumah、1909年9月21日 - 1972年4月27日)は、政治家。ガーナ初代大統領。ガーナの独立運動を指揮し、アフリカの独立運動の父といわれる。マルクス主義者。1958年、ガーナとギニアから成るアフリカ諸国連合を樹立した。「エンクルマ」は語頭で「ン」を発音することができない英語から入ってきた読み方。日本語ではすでにアフリカ専門家の書籍や事典などではンクルマと表記されることが多い(例『アフリカを知る事典』平凡社 2010)。.

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シカソ

(Sikasso)は、マリ共和国のシカソ州の州都。 2009年の人口は22万5753人。 近年の人口増加により、セグーを抜いてマリ第2の都市となった。.

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スーダン (地理概念)

ーダン(the Sudan)は、中世から近代の北アフリカおよびヨーロッパで西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南、かつイスラム教の影響下にある広いサバナ地域を漠然と指して使用された地域名称である。 現在の国家としてのスーダン共和国(北スーダン)および南スーダン共和国は近代までの地理概念の「スーダン」の東部に当たり、日本の学術分野では特に国家としてのスーダン共和国と区別するために歴史的スーダンの呼称が用いられる場合があるが、アフリカ史では単に「スーダン」とだけ記されることも少なくない。英語では地理概念としてのスーダン "The Sudan" または "the Sudan Region"(スーダン地方)と呼び、国家名としてのスーダンを "Sudan"(the をつけない)と読んで区別している。.

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セネガル

ネガル共和国(セネガルきょうわこく、République du Sénégal )、通称セネガルは、西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家。北東にモーリタニア、東にマリ、南東にギニア、南にギニアビサウと国境を接している。セネガルはガンビア川の岸に沿った細長い国土を持つガンビアとも国境を接し、三方から囲んでいる。これによってセネガルの南部のカザマンス地方は残りの地域から隔てられている。西は大西洋に面し、カーボベルデと海上の国境を接している。セネガルの経済的・政治的首都はダカールである。セネガルは旧世界(アフロ・ユーラシア)の大陸部における最西の国である。国名の由来は東と北の国境となるセネガル川にある。「Senegal」という名前はウォロフ語で「我々の船」を意味する「Sunuu Gaal」に由来する。 フランスと関係が深く、フランコフォニー国際機関に加盟している。 首都のダカールはかつてのパリ・ダカール・ラリーの終着点として知られている。また、領域にアフリカ大陸最西端のヴェルデ岬を抱えている。.

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セネガルの国旗

ネガルの国旗(セネガルのこっき)は、中央に緑色の星のあしらわれた垂直三色旗。1960年8月20日のマリ連邦からの分離独立時に制定された。 赤・黄・緑の汎アフリカ色を使用しており、旧マリ連邦の国旗と三色旗の色配分はほぼ同じである。マリ連邦の国旗にあった、中央の人形の紋章(カナガ,kanaga)が星に変更されている。マリの国旗も同じくマリ連邦構成国であったため、似たデザインの三色旗となっている。 ファイル:Flag of Mali (1959-1961).svg| マリ連邦の国旗 ファイル:Flag of Mali.svg|マリ共和国の国旗.

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セネガルの首相

ネガルの首相は、直接選挙で選出されるセネガル共和国大統領(任期:5年)に任命される。首相は大統領の諮問を受け閣僚を任命し組閣する。.

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セネガル国営放送局

ネガル国営放送局(Radiodiffusion Télévision Sénégalaise)は、セネガル共和国の公共放送を運営する放送局である。略称はRTS。.

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国際連合安全保障理事会決議の一覧 (101-200)

*0101.

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国際連合非自治地域リスト

国際連合非自治地域リスト(こくさいれんごうひじちちいきりすと、英語:United Nations list of Non-Self-Governing Territories)は、国際連合が選び出した世界の非自治地域の一覧である。 1946年、このリストは国際連合憲章第11章に従って、脱植民地化の過程を前提として準備された。国連では地域住民の権利の重要性に鑑み、これらの非自治地域を管理する国連加盟国に地域開発に関する年次報告の提出を義務づけている。 その後、(非植民地化特別委員会)の推薦を経て国際連合総会によって更新されている。典型的には地域が独立を果たした際や自治政府が確立された際などにリストから削除されたり、地域情勢の変化により再調査の上リストに追加された地域などがある。なお、このリストには有人地域のみが含まれる。.

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過去に独立していた国の旗一覧

過去に独立していた国の旗一覧(かこにどくりつしていたくにのはたいちらん)では、過去に独立していた(事実上を含む)国の旗を掲載している。現在独立運動で、あるいはその地域の当局により使用されている旗もある。.

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脱植民地化

1945年(第二次大戦後)時点の植民地(この図には本国も含まれている) 脱植民地化(だつしょくみんちか、英語:Decolonization)とは、植民地が宗主国からの独立を獲得する過程であり、植民地化に対立する概念である。非植民地化ともいう。 脱植民地化は独立の獲得、支配国や他の国家との統合、あるいは「自由連合」(free association)の状態を確立することによって達成される。国際連合は脱植民地化の過程においては人民の自決以外の原則はありえないことを明言している。脱植民地化は平和的かつ革命的に行われる場合もあれば、現地民による暴力的反乱を伴う場合もある。なお、厳密な意味では「脱植民地化」は帝国の崩壊による宗主国の消滅とは区別され、その時期は一般的に以下に示すヨーロッパ宗主国からの独立という二つの大きな波を指す。 18世紀末から19世紀にかけて、アメリカ独立戦争を皮切りに南北アメリカ大陸の脱植民地が起った。アメリカ独立戦争は現在のアメリカ合衆国である地域におけるイギリスの支配に対する入植者の反乱であり、その流れはラテンアメリカにおけるスペイン帝国、ポルトガル海上帝国の支配体制崩壊に至った。 一方、20世紀、21世紀の「脱植民地化」は、第二次世界大戦以後の、アジアおよびアフリカにおける多くのヨーロッパ諸国の植民地、保護国(従属国)の独立の達成を指すのが通常である。この流れはポストコロニアル理論と呼ばれる文芸批評運動とも連動している。1945年から1960年の間は、1947年のイギリスからのパキスタンとインドの独立をはじめとして、特に活発に脱植民地化が行われた時期であった。.

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連邦

連邦(れんぽう、)とは、2つ以上の国(州)が1つの主権の下に結合して形成する国家形態である。.

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汎アフリカ色

チオピアの国旗(伝統的なもの)は汎アフリカ色の三色を使用した 世界黒人開発協会アフリカ社会連合の旗 汎アフリカ色(はんアフリカしょく)はアフリカ諸国で主に国旗などに使用される三色の組み合わせ。通常、赤・黄・緑の三色の組み合わせを指す。 この三色は1798年よりエチオピアの国旗で使われ始めた。赤は殉教のために流された血、緑はアフリカの植生、黄はアフリカの富と繁栄を象徴している。アフリカ唯一の独立国であったエチオピアはアフリカの独立運動家から尊敬を集めた。宗主国からの独立に際してエチオピア国旗と同じ三色を国旗に使ったのは1957年のガーナが最初である。エチオピアを理想とするジャマイカのラスタファリ運動にもこの三色は影響を与えた。 世界黒人開発協会アフリカ社会連合(Universal Negro Improvement Association and African Communities League)によると、汎アフリカ色は赤・緑・黒であるという主張もある。アフリカ諸国の国旗にも黒を使用した国旗がいくつか存在する。 なお、ボリビアの国旗、リトアニアの国旗、ミャンマーの国旗、アフガニスタンの国旗なども赤・黄・緑、赤・黒・緑の三色を使用しているが、アフリカとは関連性は無い。.

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消滅した政権一覧

消滅した政権一覧では、人類の歴史上、かつて存在した国家もしくは政権を一覧する。現存する国家は、国の一覧を参照。 ----.

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1960年の政治

1960年の政治では、1960年(昭和35年)の政治分野に関する出来事について記述する。.

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6月20日

6月20日(ろくがつはつか、ろくがつにじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から171日目(閏年では172日目)にあたり、年末まであと194日ある。誕生花はオトメギキョウ、クリ。.

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8月20日

8月20日(はちがつはつか、はちがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から232日目(閏年では233日目)にあたり、年末まであと133日ある。.

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9月22日

9月22日(くがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から265日目(閏年では266日目)にあたり、年末まであと100日ある。.

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