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エーヤワディー川

索引 エーヤワディー川

right エーヤワディー川(エーヤワディーがわ、Ayeyarwady)は、ミャンマー中央を流れる川。旧称イラワジ川(Irrawaddy)。 ミャンマーで最も重要な川であり、パテイン他多くの河川港を擁する水運の要である。流域は411,000平方キロメートル(158,700平方マイル)を覆い、全長は2,170km(1,350マイル)である。最大の支流は、エーヤワディーデルタ中央部で合流するチンドウィン川で、ミャンマー北東部のを水源としている。 ヒマラヤ山脈の南端を源泉として、ミャンマーを北から南に縦断し、9本に分かれて広大なデルタ地帯を形作りマルタバン湾に流れ込む。鉄道や道路が整備される前の植民地時代には、「マンダレーへの道」と呼ばれていた。 語源は、サンスクリット語で「象の川」を意味する airavati から来ていると推定されている。1989年に連邦政府は、この河川の英語表記を、の発音に由来する Irrawaddy から、現代ビルマ語の発音に近い Ayeyarwady に改称した。それに合わせて日本語での表記もイラワジ川からエーヤワディー川に変わりつつあり、または併記されることも多い。 川から名前を取られたイラワジイルカという種がある。.

73 関係: 宮崎繁三郎上ビルマ下ビルマ一式戦闘機九四式37mm速射砲仏塔使役動物地域別の川の一覧北緯16度線ペグー王朝ミャンマーミャンマーの国名ミャンマー関係記事の一覧ミッチーナーミイトキーナの戦いマンダレーマンダレー・セントラル駅マンダレイ・ベイチンドウィン川バガンモン州モン語ヤンゴンヘンリー・ヒューズ・ウィルソンパトカイ山脈パテインパガンの戦いパガン王朝ヒマラヤ山脈ビルマでの降伏日本軍人の抑留ビルマの戦いビルマ国民軍ビルマ族ピューピュー (曖昧さ回避)ピンヤ朝ピイベルモンド (企業)ベンガル湾アンリ・ドルレアン (1867-1901)アヴァ・ブリッジアヴァ王朝アジア大陸イラワジ会戦インドシナ半島インド洋エーヤワディ地方域エドワード・コルボーン・ベイバーカチン州カチン独立軍...カチン族カワゴンドウカイヤンシリアムシッタン川シッタン作戦ジャングルクルーズタビンシュエーティーサイクロン・ナルギスサガイン国の最北端一覧第38回世界遺産委員会第54師団 (日本軍)第55師団 (日本軍)田中新一馬徳新長さ順の川の一覧雲南省歩兵第60連隊江心坡清緬戦争木村兵太郎2009年の国際連合 インデックスを展開 (23 もっと) »

宮崎繁三郎

宮崎 繁三郎(みやざき しげさぶろう、明治25年(1892年)1月4日 - 昭和40年(1965年)8月30日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 長男は、陸軍士官学校出身で元明治大学総長の宮崎繁樹。.

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上ビルマ

上ビルマ(Upper Burma, အထက်မြန်မာပြည်)は、ミャンマー(ビルマ)の地域名でエーヤワディー川流域の平原部のうち上流域を指す。.

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下ビルマ

下ビルマ(Lower Burma, အောက်မြန်မာပြည်)はミャンマー(ビルマ)の地域名で、エーヤワディー川流域の平原部のうち下流域を指す。.

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一式戦闘機

一式戦闘機(いっしきせんとうき、いちしき-)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機二型の量産時点から立川でも生産されており、さらに三型の全ては立川で移管生産された。立川陸軍航空工廠では少数の一型が生産されている。。 四式戦闘機「疾風」(キ84)とともに帝国陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争(大東亜戦争)における事実上の主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位総生産機数日本軍第3位、陸軍機第2位は大戦後期の主力機である四式戦。。.

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九四式37mm速射砲

九四式三十七粍砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりほう)は、1930年代初中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。俗称は九四式三十七粍速射砲(きゅうよんしきさんじゅうななみりそくしゃほう)。 開発当初から発達しつつある装甲戦闘車両への対処に主眼が置かれており、帝国陸軍初の本格的な対戦車砲として日中戦争(支那事変)・ノモンハン事件・太平洋戦争(大東亜戦争)で使用された。.

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仏塔

仏塔(ぶっとう)とは、仏舎利(釈迦の遺体・遺骨、またはその代替物)を安置した仏教建築をいう。卒塔婆(そとば)、塔婆(とうば)、塔(とう)、ストゥーパ、供養塔とも呼ばれる。.

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使役動物

動力源として利用されるウマ 耕作のために鋤をウシに牽かせている例 使役動物(しえきどうぶつ)は、耕作や交通手段などの、人間の作業のために使われる動物である。盲導犬のように家族同然の動物であることもあれば、材木輸送に用いられる象のように半家畜化された動物であることもある。乳の使用もされ、またその動物が死亡すると肉や皮革なども利用される。 使役動物の歴史は農業よりも古い可能性があり、狩猟採集社会において犬が利用されていた可能性がある。世界中で数多くの動物が飼い主のために働いている。家畜となっている種、特に馬や犬などでは、特別な目的と環境に適するように品種改良が行われることがある。通常使役動物は農場で育てられるが、今でもイルカや象などは野生のものを捕獲して利用することもある(飼育下の繁殖率が高くないためである)。稀な例としては、野生のイルカと人間が協同して魚を追い込む漁法が、イラワジ川などで行われている。.

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地域別の川の一覧

地域別の川の一覧(ちいきべつのかわのいちらん)では、川を地域別に羅列する。以下に羅列されている基準は、流域面積2000km2以上又は幹線流路が130km以上のものに限定されている。 ただし日本国内の河川については、流域面積1200km2以上又は幹線流路が100km以上の一級河川も※を付与した上で記載する。.

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北緯16度線

北緯16度線(ほくい16どせん)は、地球の赤道面より北に地理緯度にして16度の角度を成す緯線。アフリカ、アジア、インド洋、太平洋、中央アメリカ、カリブ海、大西洋を通過する。 この緯度の下では、夏至点時の可照時間は13時間5分で、冬至点時は11時間11分である。.

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ペグー王朝

ペグー王朝は、13世紀末よりビルマ(ミャンマー)のペグー(バゴー)を首都としてエーヤワディー川流域の南部(下ビルマ)を支配した王朝。 建国者のワーレルーはシャン族の人間であるが、事実上モン族の国家と見なされている大野『謎の仏教王国パガン』、232頁の王朝。港市国家に分類される奥平「ペグーおよびインワ朝からコンバウン朝へ」『東南アジア史 東南アジア近世の成立』、263頁。この王朝を指す際に、ペグーの旧称であるハンターワディー(ハムサワティ)にちなんだハンターワディー王朝(ဟံသာဝတီ ပဲခူး တိုင်းပြည်、モン語: )の名称が使用されることも多い。 下ビルマには11世紀初頭までモン族の国家であるが存在していたが、タトゥン王国がビルマ族の国家であるパガン王朝によって征服された後、13世紀末にモン族の王朝が再興された経緯については不明な点が多いケーティーモン「モン世界」『ミャンマー概説』、184頁。遅くとも15世紀の時点のペグー王朝は、過去に存在したモン族の国家とは全く異なる性質を有していた。.

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ミャンマー

ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく、ပြည်ထောင်စု သမ္မတ မြန်မာနိုင်ငံတော်、Myanmar)、通称ミャンマー/ビルマは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家。独立した1948年から1989年までの国名はビルマ連邦。ASEAN加盟国、通貨はチャット、人口は 5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)。 南西はベンガル湾、南はアンダマン海に面する。南東はタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接する。インド東部とミャンマー南西部はベンガル湾をはさみ相対している。 多民族国家で、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ビルマ族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、独自の言語を持つ民族も多い(言語参照)。.

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ミャンマーの国名

日本語において一般的にミャンマー(英:Myanmar)、もしくはビルマ(英:Burma)と呼ばれている東南アジアの共和制国家の名称は、世界各国において正式名称と通称の両方でを受けてきた。このような国名の揺れは、同国の公用語であるビルマ語の国名が「ミャンマー」系と「ビルマ」系の2系統あり、文脈によって使い分けられることから生じている。 ミャンマー政府は1989年に公式の英語名称(外名)をUnion of BurmaからUnion of Myanmarへと変更し、さらに後になってRepublic of the Union of Myanmarへと変更した。日本国政府はこれに応じて日本語の正式名称を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」、さらに「ミャンマー連邦共和国」へと変更している。日本を含めてこれらの名称変更は論争を呼び続けており、どの呼称を受け入れるかの立場は様々である。.

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ミャンマー関係記事の一覧

ミャンマー関係記事の一覧(ミャンマーかんれんきじのいちらん)は、ミャンマーに関係する記事の一覧を50音順にまとめたものである。.

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ミッチーナー

ミッチーナー (Myitkyina)は、ミャンマー北部のカチン州の州都である。エーヤワディー川の河畔にある。人口約14万人。市名はビルマ語で「大河の辺り」という意味である。 表記として以下のように複数ある。 ミトキーナ、ミトーキナ、ミトキナー、ミットキーナ、ミチナ、ミッチナ、ミチーナ、ミチナー、ミチーナー、ミーチーナ、ミッチーナ、ミッチナー、ミットチナ、蜜支那、密支那 ビルマの戦いの戦場(ミイトキーナの戦い)となったことで知られ、第二次世界大戦中、日本ではミイトキーナと呼ばれていた。2001年には当時陸軍歩兵第114連隊(第18師団分遣)に所属していた坂口睦により、この地に散った上官水上源蔵ら戦友と巻き添えになったビルマ人らを供養するための涅槃像と仏塔が建立され、涅槃像の近くに坂口の銅像や戦死者の遺影も設置されている。この他にも市内には元日本兵らが建てた慰霊塔などが複数存在する。.

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ミイトキーナの戦い

ミイトキーナの戦いは、1944年にビルマのミイトキーナ(ミッチーナーに対する当時の日本での呼称)とその周辺地域をめぐって行われた戦闘。日本軍とアメリカ軍・国民革命軍とが戦った。 当初はゲリラ戦により守備隊側が優勢であったが、連合軍側との物量差に加え、増援部隊の派遣がままならなかったことで次第に窮地に陥り、最終的に制圧された。.

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マンダレー

マンダレー (Mandalay) は、ミャンマー(以前のビルマ)でヤンゴンに次ぐ第2の都市であり、人口は 927,000 人(2005年人口調査)、2014年の都市圏人口は 2,140,000 人に上る。イギリスにより併合されるまで、ビルマで独立を保った最後の王朝(コンバウン王朝)の首都(1860年~1885年)であった。また、現在のマンダレー地方域の区都である。マンダレーは国土のほぼ中央部に位置し、エーヤワディー川の東岸で、ヤンゴンの北716kmの乾燥地帯の中央にある。.

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マンダレー・セントラル駅

--> マンダレー・セントラル駅(マンダレーセントラルえき、英: 、緬: )は、ミャンマー連邦共和国マンダレー管区マンダレー市の商業地区にあるミャンマー鉄道の駅であり、ミャンマー最大の駅の一つである。.

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マンダレイ・ベイ

マンダレイ・ベイホテル本館 ストリップ最南端のホテルである Welcomeの看板。後にマンダレイ・ベイが見える マンダレイ・ベイ・リゾート アンド カジノ(Mandalay Bay Resort & Casino)は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにあるカジノホテルである。デラノホテル、およびフォーシーズンズホテルについてもこの項で記す。 マンダレイ・ベイは、東南アジアのリゾート地をモチーフにしたホテルである。名前はキプリングの詩「マンダレイ」に由来する。黄金色に輝く外観を持ち、北側を除き周囲には大型の建造物も無いため、遠くからでも非常によく目立つ存在である。.

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チンドウィン川

チンドウィン川(チンドウィンがわ、Chindwin Myit)は、ミャンマー(旧ビルマ)の川で、エーヤワディー川(旧イラワジ川)の最大の支流である。フーコン渓谷に発し、マンダレー近郊でエーヤワディー川に合流する。マニプリ語では「ニン・ティー川」と呼ばれる。.

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バガン

バガン(ビルマ文字: 、ラテン文字表記: Bagan)は、ミャンマー・マンダレー地方域にある地名で、旧名はパガン。カンボジアのアンコール・ワット、インドネシアのボロブドゥールとともに、世界三大仏教遺跡のひとつと称され、イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立している。バガンとは、広くこの遺跡群の存在する地域を指し、ミャンマー屈指の仏教聖地である。その一部の城壁に囲まれたオールドバガンは、考古学保護区に指定されている。点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、大きいものや小さいものがある。本来は漆喰により仕上げられた鮮やかな白色をしているが、管理者のない仏塔は漆喰が剥がれレンガの赤茶色の外観となる。仏塔の数は、3000を超えるといわれている。.

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モン州

モン州(モンしゅう)はミャンマーの行政区画の一。ミャンマー南東部に位置し、面積12,155平方キロ。西はアンダマン海に面しており、海岸線は566キロあり、海岸沿いに位置する島嶼群もモン州の一部である。日本では小説や映画で有名な「ビルマの竪琴」は、ムドン収容所が舞台である。.

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モン語

モン語はオーストロアジア語族のモン・クメール語派に属する言語である。話者はモン族の人々である。.

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ヤンゴン

ヤンゴン(ရန်ကုန်、Yangon)は、ミャンマーの旧首都で、ヤンゴン管区の州都。旧名称はラングーン。2006年より、ネピドーが首都となっている。.

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ヘンリー・ヒューズ・ウィルソン

軍元帥、初代準男爵サー・ヘンリー・ヒューズ・ウィルソン(Sir Henry Hughes Wilson, 1st Baronet, GCB, DSO、1864年5月5日 - 1922年6月22日)は、イギリスの陸軍軍人、政治家。.

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パトカイ山脈

パトカイ山脈(パトカイさんみゃく)は、ヒマラヤ山脈東端部から、南西方向インド洋方面に伸び、概ねインドとミャンマーの国境地帯を構成し、アラカン山脈へとつながる、アルプス・ヒマラヤ造山帯に属する褶曲山脈。 "パトカイ"は、アーホーム族(タイ族系シャン族の一つ)の言葉で、「鶏(Kai)を切る(pat)」に由来する。.

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パテイン

パテイン(ပုသိမ်မြို့、日本語ではパセインとも表記される)は、ミャンマーの港湾都市。旧称はバセイン(Bassein)。エーヤワディ地方域の州都に定められており、エーヤワディー川の支流であるパテイン川のほとりに位置する。ヤンゴンに次ぐ、ミャンマー第二の港湾都市に位置付けられている「バセイン市」『世界の地名・その由来 アジア篇』、112頁酒井「バセイン」『世界地名大事典』7巻、980頁。 内のに含まれ、区域内の中心地として機能している。パテインには、かつて下ビルマに存在していたモン族の国家の領土の一部が含まれているが、現在のパテインに居住するモン族はごく少数である。居住する民族はビルマ族、(インド系の移民)、カヤー族が多数を占めており、特筆すべき少数民族としてカレン族とが挙げられる。.

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パガンの戦い

パガンの戦いは、1287年にモンゴル帝国(大元ウルス)とビルマのパガン朝との間で行われた戦闘。この戦闘をもってパガン朝は実質滅亡し、元軍はパガン朝の首都パガンとその領土のほとんどを一時的に占領した。 バモーの戦いに敗北し、首都パガンからエーヤワディー川デルタにあるパテインに退避していたナラティーハパテ王は、ここに至ってようやく元への降伏を決意し、僧ディサープラモクを大都に派遣した。しかし、王の行動は怯懦であると捉えられ、王は庶子の一人ティーハトゥーに毒殺されてしまう。その後、王の息子チョウスワー王が即位したものの、実権はシャン人3兄弟に握られていた。 クビライの孫、梁王エセン・テムルはこのパガン国内の政治的混乱に目を付け、大軍をエーヤワディー川流域に展開した。パガン領を進んだ元軍は首都パガンを攻撃、これを攻略した。これによってパガン朝は実質滅亡した。.

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パガン王朝

パガン王朝(ပုဂံခေတ်)は現在のミャンマーに存在した、ビルマ族最初の王朝である。ビルマ語による年代記(ビルマ語王統史)での雅称はアリー・マッダナ・プーラ(征敵の都)である大野『謎の仏教王国パガン』、100頁。首都はパガン。「パガン」とは「ピュー族の集落」を意味する「ピュー・ガーマ」が転訛したものと考えられている。国王が55代続いたと言うことが一連の伝統的な王統史には書かれてあるが、出土品と碑文によってこの論はおおむね否定されている大野『謎の仏教王国パガン』、130頁。43代以前の王で唯一碑文に名前が刻まれているのはソー・ヤハンであるが、それでさえも彼が王であったことを実証しているとは言い難い。.

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ヒマラヤ山脈

国際宇宙ステーションから撮影したヒマラヤ山脈。チベット高原から南方を見た時の図。エベレストが中央付近に見える。 ヒマラヤ山脈(ヒマラヤさんみゃく、Himalayan Range)は、アジアの山脈で、地球上で最も標高の高い地域である。単にヒマラヤということもある。 ヒマラヤは、インド亜大陸とチベット高原を隔てている無数の山脈から構成される巨大な山脈である。西はパキスタン北部インダス川上流域から、東はブラマプトラ川大屈曲部まで続き、ブータン、中国、インド、ネパール、パキスタンの5つの国にまたがる。いずれも最大級の大河であるインダス川、ガンジス川、ブラマプトラ川、黄河、長江の水源となって数々の古代文明を育み、このヒマラヤ水系には約7億5千万人の人々が生活している(これにはバングラデシュの全人口が含まれる)。ヒマラヤは、広義の意味ではユーラシアプレートとインド・オーストラリアプレートの衝突によって形成された周辺の山脈である、カラコルム山脈、ヒンドゥークシュ山脈、天山山脈、崑崙山脈などを含む。 広義のヒマラヤには、最高峰エベレストを含む、地球上で最も高い14の8,000 m級ピークがあり、7,200 m以上の山が100峰以上存在する。一方で、アジアのこの地域以外には7,000 m以上の山は存在せず、アンデス山脈アコンカグアの6,961 mが最高標高である。 以下では狭義のヒマラヤについて解説する。.

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ビルマでの降伏日本軍人の抑留

終戦直後のラングーン ビルマでの降伏日本軍人の抑留(ビルマでのこうふくにほんぐんじんのよくりゅう)とは、ビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)に第二次世界大戦(大東亜戦争)終了後に、主に英国軍などの東南アジア連合国軍が降伏した日本軍人に行った“非人道的行為”(あるいは報復行為)について述べたものである。 戦後、英国軍主体の東南アジア連合国軍 (SEAC:South East Asia Command) の命令によって、“作業隊”とされた日本兵は速やかな復員(帰還)ができず、ビルマ各地の収容所において、「降伏日本軍人」(JSP:Japanese Surrendered Personnel) などとして取り扱われ、兵士は飢えと強制労働などで過酷な条件で抑留された。 ビルマで降伏した日本兵が辛酸を舐めたことは、京都大学名誉教授の会田雄次(西洋歴史学者)が1963年に『アーロン収容所』を著して紹介し、英国軍主体の連合国軍の、日本人への報復や人種差別が原因の捕虜虐待の歴史が21世紀になっても言及される。.

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ビルマの戦い

ビルマの戦い(ビルマのたたかい、Burma Campaign)は、太平洋戦争(大東亜戦争)の局面の1つ。イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、イギリス軍・アメリカ軍・中華民国国民党軍とが戦った。戦いは1941年の開戦直後から始まり、1945年の終戦直前まで続いた。 地名の表記については「地名の表記について」を参照。.

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ビルマ国民軍

大東亜会議に出席した各国首脳。前列左端がビルマ軍の軍装姿のバー・モウ。続いて、張景恵、汪兆銘、東條英機、ナラーティップポンプラパン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース ビルマ国民軍(ビルマこくみんぐん、Burma National Army, BNA / )あるいはビルマ国軍は、第二次世界大戦中に日本の指導下で「ビルマ国」の国軍として編成された軍事組織である。ビルマの戦いにおいて日本軍に協力することが期待されたが、枢軸国が劣勢になるとビルマ国政府に対して反乱を起こし、日本軍とも戦闘した。戦後のミャンマー軍の前身とみなされている。 本稿では、前身であるビルマ独立義勇軍(Burma Independence Army, BIA)およびビルマ防衛軍(Burma Defence Army, BDA)、反乱後に連合国指導下で活動した後身のビルマ愛国軍(Patriotic Burmese Forces, PBF, 直訳的にはビルマ人愛国者部隊)についても述べる。.

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ビルマ族

ビルマ族(ビルマぞく)は、ミャンマー人口の約7割を占める民族。自称はバマー(ビルマ文字:、Bamar)。.

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ピュー

ピュー(Pyu)とは、かつてミャンマー(ビルマ)のエーヤワディー川流域に居住していた民族集団である。本項ではピューの城郭都市についても述べる。 ピューは他称で、漢文史料の「驃」「剽」などの表記、ビルマ語のピュー(Pyu)に由来する伊東「ピュー」『新版 東南アジアを知る事典』新版、363頁。古くはPruと発音され、『ハンリン・タマイン(由来記)』には「微笑む」を意味するPrunに由来すると記されている服部「古代ビルマ概観」『大阪外国語大学学報』12巻、100頁。自称は古モン語の「ティルチュル(tircul、突羅成)」。 エーヤワディー川流域ではタイェーキッタヤー()、テーゴウン、ベイッタノー(ベイタノウ)、ワディー、マインモー、ハリン(ハリンジー)、ダガウンといった、10世紀以前に建設された7つのピューの城郭都市が発見されている。城郭都市と周辺の地域に共通する出土品から、かつてエーヤワディー川流域では一大文化圏が形成されていたと考えられており、その文化圏はピュー文化圏と呼ばれている。城郭都市の遺跡はエーヤワディー中流域にほぼ一直線に並んでおり、最南端のタイェーキッタヤーが最も新しい田村、松田『ミャンマーを知るための60章』、22-26頁。1-2世紀から3-4世紀にかけて存続していたベイッタノーが最古の城郭都市であるが、一部にはベイッタノーをピューの城郭都市と見なすことに疑問を投げかける意見もある。また、エーヤワディー流域以外に下ビルマの海岸地帯でもピューの城郭都市と同じ特徴を持つ遺跡が多く発見されている田村、根本『ビルマ』(暮らしがわかるアジア読本, 河出書房新社, 1997年2月)、94頁。 ピュー族の言語は完全に解読されておらず、歴史や社会の研究の大部分は考古学的発見と他民族が記した史料に依拠している。.

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ピュー (曖昧さ回避)

ピュー(Pew、Pyu、…etc.).

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ピンヤ朝

ピンヤ朝(ပင်းယခေတ)とは、1312年から1364年にかけて上ビルマ(ミャンマー北部)に存在していたシャン族の王朝である。.

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ピイ

ピイ(Pyay)は、ミャンマー中部バゴー地方域の都市。イラワジ川に面し、ヤンゴンの北西260kmに位置する。 の街として知られている。 人口は2014年時点で約25.1万人.

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ベルモンド (企業)

ベルモンド(Belmond Ltd.)は世界各国で高級ホテル、クルーズ、豪華列車を運営する会社。2014年現在、ラグジュアリー・ホテルを45軒、レストランを1軒、6つの豪華列車、3つのリバークルーズを22カ国で運営している。2014年7月に社名をオリエント・エクスプレス・ホテルズからベルモンド(ラテン語で美しい地の意)と変えた。 創始者は海運会社、シーコンテナ社社長ジェームス・シャーウッドで、代表的なロンドン - ヴェネツィア間を結ぶ豪華列車、ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスや、イギリス国内を走るベルモンド ブリティッシュ・プルマンとベルモンド ノーザンベル、スコットランドのロイヤル・スコッツマンを運営している。また、クスコ - マチュピチュ間を結ぶ列車ペルー・レイルも半分所有している。 また、、ミャンマーの中心を流れるエーヤワディー川(旧イワラジ川)のクルーズ ロード・トゥー・マンダレイ (Road to Mandalay) やフランスのアフロート・イン・フランス(Afloat in France)のフランチャイズを運営している。 レストランに関しては、ニューヨークの、21 クラブなどがある。 ヨーロッパに有するホテルの中では、ヴェネツィアのベルモンド ホテル・チプリアーニ(Hotel Cipriani)(オリエント・エクスプレス社は2006年に株の49%をハリーズ・バー(Harry's Bar) ロンドン支社に売却している)が有名である。2008年、ロンドンの裁判所にて名称を巡って争われたCipriani S.A.との訴訟に勝ち、Cipriani S.A.はロンドンにてチプリアーニを名乗ることが禁止された。その他ヨーロッパのホテルには、アマルフィー海岸にあるベルモンド カルーソや、フィレンツェにあるベルモンド ヴィラ・サン・ミケーレ、ロシアのサンクトペテルブルグにあるベルモンド グランド・ホテル・ヨーロッパなどがある。 南アメリカに有するホテルには、リオ・デ・ジャネイロのベルモンド コパカバーナ・パレス(Copacabana Palace)、ペルーにはクスコのベルモンド ホテル・モナステリオとオール・スイート様式のベルモンド パラシオ・ナザレナス、マチュピチュ遺跡近くのベルモンド サンクチュアリー・ロッジ、ウルバンバのベルモンド ホテル・リオ・サグラド、リマのベルモンド ミラフローレス・パークがあり、ブラジルにはイグアスの滝のあるイグアス国立公園内唯一のホテル、ベルモンド ホテル・ダス・カタラタスがある。 東南アジアに有するホテルには、バリのジンバランにあるベルモンド ジンバラン・プリ・バリ、カンボジアのシェムリアップにあるベルモンド ラ・レジデンス・アンコール、ミャンマーのヤンゴンにあるベルモンド ガバナーズ・レジデンス、ラオスのルアン・パバンの町にあるラ・レジデンス・プーバオ、タイのサムイ島にあるナパサイがある。.

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ベンガル湾

ベンガル湾(ベンガルわん、Bay of Bengal)は、インド洋の北東部分の湾。湾はほぼ三角形で、南方に開けた形となっている。東にマレー半島、西にインド亜大陸、北に名前の元となったインドの西ベンガル州およびバングラデシュに面している。南端はスリランカとアンダマン・ニコバル諸島連邦直轄地に面している。同諸島の東側の海域はアンダマン海と呼ばれる。 インドやバングラデシュの多くの川がベンガル湾に流れ込んでいる。北からはガンジス川、メグナ川とブラマプトラ川が流れ込み、南西の沿岸であるオリッサ州からはマハナディ川、ゴータヴァリー川、クリシュナ川、カヴェリ川が流れ込んでいる。湾の北端のインド領には、スンダルバンス国立公園があり、豊かなマングローブの林がある。ミャンマーのエーヤワディー川もベンガル湾に流れ込んでいる。 チェンナイ(旧名マドラス)やコルカタ(旧名カルカッタ)といった大都市がベンガル湾に接しており、古くから交易拠点として栄えてきた。.

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アンリ・ドルレアン (1867-1901)

アンリ・マリー・フィリップ・ドルレアン(Henri Philippe Marie d'Orléans, 1867年10月16日 - 1901年8月9日)は、フランスの探検家。旧王族オルレアン家の一員で、7月王政時代のフランス王ルイ・フィリップの曾孫。.

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アヴァ・ブリッジ

アヴァ・ブリッジ(、)は、ミャンマー連邦共和国マンダレー管区(旧・アヴァ)およびザガイン管区サガイン市の間にある、16スパンのカンチレバー橋である。 中央を走る鉄道路線の両側を、道路で挟む形の鉄道道路併用橋となっている。 当橋は、1934年にイギリス人によって架橋されたものである。 第二次世界大戦中に、ビルマ(現・ミャンマー)から退却するイギリス軍によって当橋が破壊されており、ビルマ独立後の1954年に当橋が再建された。 新しいなどの相次ぐ橋の建設が、ミャンマー連邦政府によって行われている最近まで、当橋がエーヤワディー川(旧・イラワジ川)を渡河する唯一の橋であった。.

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アヴァ王朝

アヴァ王朝(အင်းဝခေတ်、Ava Kingdom)は、14世紀半ばから16世紀半ばにかけて現在のミャンマー北部(上ビルマ)に存在したシャン族の国家(1364年 - 1555年)。首都はアヴァ(現在のインワ)(en:Inwa)。雅称はパーリ語で「宝石の都」を意味するラタナープラである大野『謎の仏教王国パガン』、225頁。日本語ではインワ朝、アワ朝とも表記される。長い間、「アヴァ」という呼称はビルマ全土を指す言葉として使われた。 シャン族がビルマに建てた王朝の中では最大のものであるが太田「アヴァ」『アジア歴史事典』1巻、実質的に王朝を支えていたのはビルマ族であった大野『謎の仏教王国パガン』、229頁。.

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アジア大陸

アジア大陸(アジアたいりく)は、巨大な大陸であるユーラシア大陸の東側の大きな部分を占める亜大陸である。西のヨーロッパ大陸とはウラル山脈を介して一体となっており、南のアフリカ大陸とはスエズ地峡でつながっている。周囲は、太平洋・インド洋の大洋、北極海・ヨーロッパ地中海・黒海・紅海・ペルシア湾などの地中海、ベーリング海・オホーツク海・東シナ海・黄海・日本海・アラビア海・ベンガル湾などの縁海などに面している。 大陸・亜大陸の定義は任意であるため、アジアとヨーロッパの境界は非常にあいまいなものであるが、ダーダネルス海峡、マルマラ海、黒海、カフカース山脈、カスピ海、ウラル川、ウラル山脈、ノヴァヤゼムリャを結んだ線上にあるとされている。 アジア大.

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イラワジ会戦

イラワジ会戦は1944年12月から1945年3月28日にかけて行われた日本軍とイギリス連邦軍との戦い。英軍が勝利した。イラワジ会戦は狭義ではメイクテーラ会戦を含まないが、本稿ではメイクテーラ会戦も併せて述べる。.

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インドシナ半島

インドシナ半島(インドシナはんとう、la Péninsule indochinoise、漢字表記:印度支那半島)は、中国の南、インド亜大陸の東にある東南アジアの半島である。ベトナム語では Bán đảo Đông Dương(チュハン:半島東洋)である。.

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インド洋

インド洋(印度洋、インドよう、英:Indian Ocean、羅:Oceanus Indicus オーケアヌス・インディクス)は、太平洋、大西洋と並ぶ三大洋の一つである。三大洋中最も小さい。面積は約7355万平方kmである。地球表面の水の約20パーセントが含まれる。インド洋の推定水量は292131000km³である。「インド洋」の名はインドに由来する。.

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エーヤワディ地方域

ーヤワディ地方域(—ちほういき)はミャンマーの行政区画である。 エーヤワディー川(イラワジ川)のデルタ地域に位置する。河川が多い地域だが、橋のインフラが発達しておらず物流環境は劣悪である。.

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エドワード・コルボーン・ベイバー

ドワード・コルボーン・ベイバー(Edward Colborne Baber、1843年4月30日 - 1890年6月16日)は、イングランドの東洋学者、旅行家。.

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カチン州

チン州(カチンしゅう)はミャンマーの行政区画である。.

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カチン独立軍

チン独立軍(カチンどくりつぐん)は、ミャンマー北部カチン州で活動する武装組織。カチン族による独立を目指し、武装闘争を含めた活動を行う。略称KIA。カチン州の町、ライザを拠点とし、構成人員は4,000人程度と小規模だが、山岳住民であるカチン族の特性を活かし、ゲリラ戦術を得意とする。 1948年、ミャンマー独立時から活動を開始。1994年には、一度はミャンマー政府と和解が成立し、目立った行動はみられなくなったが、2000年代の後半、エーヤワディー川にミッソンダムの建設話が浮上する頃からカチン独立機構(KIO)の軍事組織として活動が活発化。2011年6月にはカチン族の独立を掲げ武装闘争を再開した。ミャンマー政府は、国内の少数民族に対する和解交渉を進めていた時期でもあり、当初は州内で散発的な衝突が繰り返されてきたが、2012年末ころから、カチン側に対して政府軍が空爆を開始するなど規模がエスカレート。2013年、一時は中国も仲介に乗り出すなど和平が模索され始め、同年6月、政府とカチン族を代表するカチン独立機構(KIO)との間で停戦の署名がなされた。.

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カチン族

チン族 (Kachin) はミャンマー北部のカチン州 (Kachin State) およびシャン州 (Shan State) 北部に居住するミャンマー有数の民族の1つである。中華人民共和国雲南省徳宏タイ族チンポー族自治州に居住する景颇族 (Jingpo) および北東インドに居住するシンポー族 (Singpho) も同一民族である。.

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カワゴンドウ

ワゴンドウ(河巨頭、学名:)はクジラ目ハクジラ亜目マイルカ科カワゴンドウ属に属する海棲哺乳類である。イラワジイルカ(イラワジ海豚)とも呼ばれる。東南アジアの河川の河口などや海岸近くに棲息する。.

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カイヤン

イヤン(学名:Pangasianodon hypophthalmus)は、ナマズ目パンガシウス科に分類される魚類の一種。熱帯魚として飼育される他、食用魚として漁獲および養殖される。 サメに似た特徴がある。.

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シリアム

タンリン郡区(သန်လျင်မြို့ - Thanlyin Township、旧称:シリアム - Syrium)はミャンマー南部、ヤンゴン地方域にある港湾都市。.

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シッタン川

シッタン川(シッタンかわ、စစ်တောင်းမြစ် Sittang River)は、エーヤワディー川とサルウィン川の間を流れているミャンマー(ビルマ)の主要河川。総距離は約420km。シャン州のシャン台地を水源とし、シャン台地とペグー山脈の間に存在する狭い平野部を流れてマルタバン湾へと到っている。 Category:ミャンマーの河川.

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シッタン作戦

ッタン作戦(シッタンさくせん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)7月から終戦にかけて、ビルマ戦線において日本軍とイギリス軍の間で行われた戦闘である。日本の第28軍がシッタン川を越えてビルマ東部へ撤退しようとして発生した。日本兵34000人のうち、終戦までにシッタン川東岸の友軍部隊に収容されたのは15000人にとどまり、残りの多数が死亡した。日本側の作戦名は邁作戦(まいさくせん)。また、日本軍が撤退援護のために行ったシッタン川の湾曲部(ベンド)における戦闘をシッタン・ベンド作戦とも呼ぶ。.

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ジャングルクルーズ

ャングルクルーズ(Jungle Cruise)は、ディズニーパークに存在するアトラクションの名称。.

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タビンシュエーティー

タビンシュエーティー王(ビルマ語:တပင်‌ရွှေထီး、1516年4月16日 - 1550年4月30日)はビルマ人の王朝、タウングー王朝の王の一人(在位:1530年11月24日 - 1550年4月30日)。父王・が1503年に手に入れていたの土地がタビンシュエーティーの即位までに国土を潤わしていたため、タビンシュエーティーは即位後その力を存分に発揮し、ビルマ人の代表的な王の一人となった。.

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サイクロン・ナルギス

イクロン・ナルギス(Cyclone Nargis)は、2008年4月27日にベンガル湾中央部で発生した、発達したサイクロンである。最も勢力の大きい時点でのシンプソン・スケールはカテゴリー4だった。5月2日にミャンマーのエーヤワディー川デルタに上陸し甚大な被害をもたらし、5月3日にミャンマーとタイの国境付近で消滅した。 通常、ベンガル湾で発生するサイクロンは、北東貿易風の影響で東進する事は無く、多くがバングラデシュに、次いでカルカッタ付近やインド半島東岸に上陸する。ナルギスのように東に進んでミャンマーに上陸する事は稀であり、被害が拡大した大きな原因となった。 ミャンマー南西部エーヤワディ管区を中心に、ヤンゴン管区、バゴー管区、モン州などで大雨や洪水、強風による被害が発生した。.

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サガイン

イン ( Sagaing) は、ミャンマー北部ザガイン地方域の都市。エーヤワディー川沿岸に位置し、対岸の都市マンダレーの南西約15kmに存在する酒井「サガイン」『世界地名大事典』6巻、415頁。エーヤワディー川中流域の政治・経済・交通の中心地である。また、多くの僧院を擁する宗教都市でもある。 町にはとサガイン教育大学の本部が置かれている。.

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国の最北端一覧

以下は独立国家及び属領の最北端の場所をまとめた一覧である。係争地が含まれる場合はその国が実効支配している最北の場所を記載した。 なお、属領については独立国家と区別できるように太字で表す。.

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第38回世界遺産委員会

会場となったカタール・ナショナル・コンベンション・センター 第38回世界遺産委員会(だい38かいせかいいさんいいんかい)は、2014年6月15日から25日の間、カタールのドーハにあるカタール・ナショナル・コンベンション・センターで開催された。アラブ諸国での開催はマラケシュ(モロッコ)での第23回世界遺産委員会(1999年)以来であり、西アジアでの開催は初である第35回世界遺産委員会は当初バーレーンで開催予定だったが、2011年バーレーン騒乱によって会場変更となった。。文化遺産21件、自然遺産4件、複合遺産1件の計26件が新規登録された結果、世界遺産リスト登録物件の総数は1,007件となった。公式に1,000件目と発表された世界遺産はオカバンゴ・デルタである。.

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第54師団 (日本軍)

54師団(だいごじゅうよんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。.

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第55師団 (日本軍)

55師団(だいごじゅうごしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。四国四県を徴兵区とする常設師団として、1940年(昭和15年)7月10日に留守第11師団を基幹に善通寺で編成された。.

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田中新一

中 新一(たなか しんいち、1893年(明治26年)3月18日- 1976年(昭和51年)9月24日)は、大正・昭和時代の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。.

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馬徳新

徳新(ば とくしん、Ma Dexin、1794年 - 1874年)、字は復初、は雲南省における回族のウラマー(イスラム法学者)。アラビア語、ペルシア語、イスラム教に関する豊かな学識で知られた。.

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長さ順の川の一覧

長さ順の川の一覧(ながさじゅんのかわのいちらん)では、地球上の川を長さ順にまとめたものを記す。.

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雲南省

雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.

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歩兵第60連隊

歩兵第60連隊(ほへいだい60れんたい、歩兵第六十聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。.

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江心坡

台湾で発行されている中華民国地図。地図の下方(南方)にある雲南省内の緑色部分が、中華民国における江心坡である。 江心坡(こうしんは)は、1960年の中緬辺界条約において、中華人民共和国がビルマ(現ミャンマー)の領土として承認し、領有権を放棄した雲南省の一地域。中華民国は自国の主権が及ぶ「中国領土の一部分」であるとし、中華人民共和国とその周辺諸国が締結した条約による国境線の変更を公式に認めていない。 中国側の歴史的に確定している説によると、江心坡は雲南省の高黎貢山以西で、エーヤワディー川上流にあるメーカ川(中国名:恩梅開江)及びマリカ川(邁立開江)の間に位置する、狭く長い地域である。その北端はチベット自治区ニンティ市巴宜区と接し、南端はミャンマーの尖高山(せんこうざん)にまで到る。ミャンマーの行政区分では、カチン州(Kachin State)の一部となっている。 ただし江心坡を中国領土の一部分と考えている人々にとって、江心坡は通常、ミャンマー北部のミッチーナー以北のカチン州の大部分及びザガイン管区(Sagaing Division)の一部を占める地域であり、面積は約7万平方キロメートルである。その存在は、中華民国政府が発行する官製の中国地図「中華民國全圖」と、中華人民共和国の中国地図を比較した際に、雲南省の北西部で西方へと突出している地域として見出すことが出来る(ただし、2004年1月に中華民国行政院内政部は、中国大陸も領土範囲に含めた「中華民國全圖」を今後発行しない方針を決定している)。.

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清緬戦争

清緬戦争(しんめんせんそう、中国語: 淸緬戰爭)は、コンバウン王朝ミャンマー王国と清との間で行われた戦争で、乾隆帝の十全武功の一つでもある。.

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木村兵太郎

木村 兵太郎(きむら へいたろう、明治21年(1888年)9月28日 - 昭和23年(1948年)12月23日)は、日本の昭和期の陸軍軍人。太平洋戦争(大東亜戦争)後、A級戦犯として逮捕、極東国際軍事裁判にて死刑の判決を受け、絞首刑に処された。最終階級は陸軍大将。.

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2009年の国際連合

2009年の国際連合では、2009年(平成21年)の国際連合とその関係機関に関する出来事について記述する。.

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