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アドメトス (エピロス王)

索引 アドメトス (エピロス王)

アドメトス(希:Αδμητος, ラテン文字転記:Admetos, 紀元前5世紀)はエピロス王、モロシア人の王である。 アテナイの政治家テミストクレスが国を追われてエピロスに逃げ込んできた時、アドメトスは留守をしており、彼の王妃プティアがテミストクレスに会った。テミストクレスは彼女に庇護を求め、彼女は彼にアドメトスの子を抱いて炉に座るよう言い、彼はそれに従った。アドメトスが帰ってくるとテミストクレスは身分を明かし、かつてアドメトスの要請を断ることを自分が主張したからといって自分をアテナイに突き出すべきではないことを説いた。テミストクレスが彼の子を抱いていることもあって彼の主張はアドメトスによって認められた。このため、アドメトスはアテナイやスパルタの使者が来てもテミストクレスを引き渡さず、テミストクレスがペルシア領に亡命できるよう隣国のマケドニア王国のピュドナまで送ってやった。その後テミストクレスは無事ペルシア領に着き、小アジアの小領主として天寿を全うした。.

2 関係: エピロス王タリュパス

エピロス王

ピロス エピロス王は、紀元前6世紀頃より紀元前231年頃までエピロスを支配していた王。エピロスを支配したアイアコス王家は伝説上はアキレウスの息子ネオプトレモスに由来しているとされている。しかし、これはより進んだ文明を持っていた南方のギリシア人からバルバロイと言われて蛮族扱いされていたバルカンの現地住民の一つであったエピロス人が(源氏や平氏が天皇の子孫を称したように)自らをギリシアの名だたる英雄の末裔である正真正銘のギリシア人であるとしてアピールし、彼らの勢力と折り合いをつけ、その中に参入するための創作であったと考えられている。.

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タリュパス

タリュパス(希:Θαρύπας、ラテン文字転記:Tarypas、タリュポスとも、? - 紀元前390年)は、テスプロティア、エピロスの王であり、アレクサンドロス大王の祖先である。 タリュパスは次代の王アルケタス1世の父であり、先代の王はアドメトスである。 ペロポネソス戦争中の紀元前429年の夏、アテナイと同盟を結んでいたを攻撃するためにスパルタ側の諸国がアカルナニアに集まった中、エピロスからも軍が送られたが、当時タリュパスは幼少のため後見人のサビュリントスが軍を率いた。しかし、この作戦は失敗し、連合軍はそれぞれの国に解散した。また、タリュパスは子供の頃、教育を受けるために法制度や文化において先進国であったアテナイへと送られており、帰国後はアテナイでの勉強の成果を活かして後進地帯であったエピロスの法制度を整えた。.

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