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小原適

索引 小原適

小原 適(おはら ただし)は、幕末の日本の武士(大垣藩士)、明治時代の政治家。男爵。 「適」は「迪」と書かれる場合もある。.

61 関係: 南満州鉄道大垣共立銀行大垣藩天保宮内省官軍小原せん吉小原鉄心岐阜県上田聴秋幕末京都伯爵俳句北畠顕能北畠親房和歌山県公議所元和 (日本)男爵飛騨国貴族院 (日本)鳥羽・伏見の戦い近江国肺炎野村龍太郎検地武士江戸幕府江戸時代戊辰戦争戸田一西戸田氏定戸田氏信戸田氏長戸田氏鉄戸田氏英戸田氏教明和明治明治維新日本日本の国会議員慶応1622年1771年1842年1867年1868年...1869年1870年1871年1892年1900年1904年1910年2月26日 (旧暦)4月6日4月9日5月9日 インデックスを展開 (11 もっと) »

南満州鉄道

南満洲鉄道株式会社(みなみまんしゅうてつどう、、The South Manchuria Railway Co., Ltd.)は、1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)にポツダム宣言の受諾に伴って閉鎖された大日本帝国の特殊会社。南満州において鉄道運輸業を営んでいた。略称は満鉄(まんてつ)。 鉄道事業を中心として広範囲にわたる事業を展開し、日本軍による満洲経営の中核となった。本社は関東州大連市であるが、のちに満州国が成立すると満州国首都の新京特別市に本部が置かれ、事実上の本社となった。また、東京市麻布区麻布狸穴町に東京支社が置かれた。最盛期には80余りの関連企業を持った。.

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大垣共立銀行

株式会社大垣共立銀行(おおがききょうりつぎんこう、英称:The Ogaki Kyoritsu Bank, Ltd.)は、岐阜県大垣市に本店を置く地方銀行。 マス・リテール戦略に基づく、独自のあるいは全国初となるサービスが多い(後述)。ドライブスルー専用店舗の開設や女性行員によるアイドルユニット(OKB45)の結成など、色々な話題を提供する金融機関である。 2015年(平成27年)4月1日より岐阜県の指定金融機関になった。イメージキャラクターはパディントンベア。.

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大垣藩

大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した藩。藩庁は大垣城(現在の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。 江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田氏が10万石で入り、幕末・明治維新期まで存続した。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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宮内省

宮内省(くないしょう)は、1947年(昭和22年)まで日本に存在した官庁名。古代のものと近代のものがあり、近代のものが1949年(昭和24年)以降の宮内庁の前身となる。.

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官軍

官軍(かんぐん)は、君主に属する正規の軍のこと。日本においては天皇及び朝廷に属する軍を指す。.

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小原せん吉

小原 駩吉(おはら せんきち、1871年3月7日(明治4年1月17日『平成新修旧華族家系大成』上巻、401頁。) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、明治・大正・昭和戦前期の宮内官僚、貴族院議員、華族(男爵)。.

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小原鉄心

小原 鉄心(おはら てっしん)は、江戸時代後期(幕末)の美濃大垣藩の城代である。鉄心は号で、諱は忠寛(ただひろ)。.

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岐阜県

岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県で内陸県の一つ。 日本の人口重心中央に位置し、その地形は変化に富んでいる。県庁所在地は岐阜市。.

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上田聴秋

上田 聴秋(うえだ ちょうしゅう、嘉永5年2月24日(1852年3月14日) - 昭和7年(1932年)1月17日)は、明治期の俳人。聴秋は号で、本名は「上田肇」、俳号は不識庵、別名「花本聴秋」、花本流派の11世宗匠で明治から大正期に京都の俳壇で重きをなした。書家としても優れた作品を残している。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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伯爵

伯爵(はくしゃく、、)とは爵位の一つである。侯爵の下位、子爵の上位に相当する。もともとは古代中国で使われていた名称で、近代日本の華族の五爵第3位として採用され、転じてヨーロッパの貴族の称号の訳語にも用いられるようになった。.

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俳句

俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.

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北畠顕能

北畠 顕能(きたばたけ あきよし)は、南北朝時代の公卿・武将。准三后北畠親房の三男で、顕家や顕信の弟とするのが通説だが、一説には中院貞平の子で、親房の養子になったともいう。建武政権期に父兄とともに伊勢国へ下り、同国司に任じられた後、多気を拠点に退勢著しい南朝軍事力の支柱として武家方に対抗した。伊勢北畠氏の祖。.

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北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。.

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和歌山県

和歌山県(わかやまけん)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。県庁所在地は和歌山市。日本最大の半島である紀伊半島の西側に位置し、県南部には大規模な山地を有する。.

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公議所

公議所(こうぎしょ)は、明治初期に設けられた日本の立法府。.

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元和 (日本)

元和(げんな)は日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川秀忠、徳川家光。.

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男爵

男爵(だんしゃく、)は、爵位の一つである。古代中国と近代日本で用いられ、子爵の下位に相当する。ヨーロッパ諸国の最下位の貴族称号の日本語・中国語訳にも用いられ、イギリスのbaronの訳にはこの語が用いられる。.

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飛騨国

飛騨国(ひだのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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貴族院 (日本)

貴族院(きぞくいん)は、大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院である。1890年(明治23年)11月29日から1947年(昭和22年)5月2日まで存在した。貴院と略称された。衆議院とは同格の関係にあったが、予算先議権は衆議院が持っていた『事典 昭和戦前期の日本』 37頁。。 非公選の皇族議員・華族議員・勅任議員によって構成され、解散はなく、議員の多くが終身任期であった。その一方、有識者が勅任により議員となる制度が存在していた。.

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鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい、明治元年/慶応4年1月3日 - 6日(1868年1月27日 - 30日))は、戊辰戦争の初戦となった戦いである。 戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)、橋本(京都府八幡市)で行われた。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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肺炎

肺炎(はいえん、Pneumonia)とは、肺の炎症性疾患の総称である。 ある種の肺炎はワクチンによって予防可能である。他の方法には、手洗い、禁煙などがある。治療法はその原因によって異なり、細菌性のものであれば抗生物質が用いられる。重症の場合は一般的に入院となる。酸素レベルが低い場合は酸素吸入を行う。 肺炎は世界で年間4.5億人(人口の7%)が発症しており、うち400万人が死亡している。肺炎は19世紀にはウイリアム・オスラーに「男性死因の代表格」として描かれていたが、20世紀には抗生物質とワクチンの普及により生存率は改善された。しかしながら途上国では、現在も主要な死因の一つとされ、高齢者と若年者において代表的な慢性疾患である。しばしば肺炎は、死に近づいている者の象徴として描かれており「老人の友」と呼ばれている。.

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野村龍太郎

野村 龍太郎(のむら りゅうたろう、1859年2月27日(安政6年1月25日) - 1943年(昭和18年)9月18日)は、大正・昭和期の土木技術者・鉄道官僚・実業家。.

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検地

検地(けんち)とは中世から近世にかけて行われた田畑の面積と収量の調査のことである。現在の課税台帳整備に当たるもの。.

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武士

武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については大伴氏や物部氏の名に求めるなど諸説がある。 同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などさらには、「影武者」のように、本義のほかに一般用語としても使われるようになった語もある。)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士とは言え、呼ぶことが間違いというわけではない。はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする「女武士」や「姫武士」などという呼称は見られない。。 武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめ、古代を終焉させたとする理解が通常されている。旧来の政権を傀儡として維持したまま自らが実質的に主導する中世社会を構築した後は、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が参画する近代政府(明治政府)であった。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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戸田一西

戸田 一西(とだ かずあき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。近江大津藩主、同膳所藩初代藩主。大垣藩戸田家初代。多米戸田氏の戸田氏光の長男。.

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戸田氏定

戸田 氏定(とだ うじさだ、明暦3年3月30日(1657年5月13日) - (享保18年7月23日(1733年9月1日))は、江戸時代中期の大名。美濃大垣藩の第4代藩主。大垣藩戸田家5代。 第3代藩主・戸田氏西の長男。母は内藤忠政の娘。正室は藤井松平信之の娘。子に戸田氏長(次男)、戸田定浩(三男)、戸田氏房(五男)、娘(水野忠恒正室)、娘(太田資晴正室)。官位は従五位下、采女正。 明暦3年(1657年)3月30日生まれ。寛文11年(1671年)12月28日に従五位下采女正に叙任。貞享元年(1684年)6月7日父氏西の死没したため、8月に家督を継いだ。元禄元年(1688年)7月10日に弟戸田氏成に新田3000石を分知した。氏成の養父・戸田氏利の所領を合わせて1万石を超え、大名となり、分家の支藩(三河畑ヶ村藩(大垣新田藩)が誕生した。元禄7年(1694年)3月27日、飛騨国が高山藩主金森氏移封ののち幕領となったため、幕府より戸田が飛騨国検地総奉行に任じられた。 元禄14年(1701年)3月14日、母方の従弟にあたる播磨赤穂藩主浅野長矩が吉良義央に刃傷に及ぶ。実弟浅野長広は閉門となり、戸田や安部信峯ら従兄弟の大名達も連座して出仕を止められた。その後、赤穂城収城を前に浅野家筆頭家老大石良雄は、「我が藩は無骨な家臣どもばかりなので、上野介様への処断がはっきりしないと開城を納得させられない」といった、暗に吉良へのお仕置きを求める嘆願書を月岡治右衛門と多川九左衛門を使者にして幕府収城目付の荒木政羽と榊原政殊に出そうとした。しかし月岡と多川は収城目付と行き違いになったまま江戸へ到着、大石の「江戸家老には見せるな」という命令に背いて江戸家老安井彦右衛門にこれを相談してしまう。案の定、安井はすぐさま戸田にこれを報告した。驚いた戸田は「開城こそが公儀を重んじた内匠の意思のはず」といった内容の書を月岡と多川に渡して大石に届けさせた。こうして嘆願は失敗に終わる。 結局、赤穂藩内の論争はお家再興・かたき討ちを前提とした開城でまとまったため、赤穂城は無血で開城された。その後は戸田も浅野家再興のために尽力し、元禄14年(1701年)7月には大石良雄・小野寺秀和らを大垣に招いて浅野家再興について議した。しかし、功を奏せず、元禄15年(1702年)7月18日、浅野長広は安芸広島藩お預かりとなり、事実上再興の可能性はなくなった。その後、大石良雄らは吉良義央への仇討ち計画を本格化させ、年末には義央の首をあげて泉岳寺の長矩の墓前に捧げた後に切腹となった。 戸田自身は、その後平穏な人生を送り、享保8年(1723年)4月に次男の氏長に家督を譲って隠居し、享保18年(1733年)7月23日に死去。享年77。駒込蓮光寺に葬られた。法名は霊台院瑞誉松厳大居士。 Category:大垣藩主 Category:譜代大名 うしさた Category:赤穂事件関係人物 Category:1657年生 Category:1733年没.

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戸田氏信

戸田 氏信(とだ うじのぶ、慶長4年11月17日(1600年1月3日) - 天和元年11月14日(1681年12月23日))は江戸時代前期の大名。美濃大垣藩の第2代藩主。大垣藩戸田家3代。 大垣藩初代藩主・戸田氏鉄の長男。母は戸田康長の娘。正室は牧野忠成の娘。子に戸田氏西(長男)、戸田信言(次男)、戸田氏春(三男)、戸田氏利(四男)、戸田氏広(五男)、戸田信等(六男)、戸田氏方(七男)、娘(遠藤常友正室)、娘(板倉重常正室)、娘(高木貞長室)。官位は従四位下、采女正。 慶長4年(1599年)11月17日生まれ。幼名は新二郎。慶安4年(1651年)11月、父・氏鉄が隠居したため家督を継いだ。明暦元年(1655年)、氏鉄の遺言に従って弟の戸田氏経に4000石、四男の氏利に5000石をそれぞれ分与した。その後、幕命により二条城の石垣普請などで功を挙げた。また、父同様に藩政にも尽力し、藩政を安定化させた。 寛文11年(1671年)、家督を長男の氏西に譲って隠居した。寛文12年(1672年)、牧野氏菩提寺の大恩寺(愛知県豊川市御津町)に山門を建立した。 天和元年(1681年)11月14日に83歳という長寿をもって大垣にて死去した。法号は天誉逸閑興林院。.

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戸田氏長

戸田 氏長(とだ うじなが、貞享4年11月7日(1687年12月11日) - 享保20年8月10日(1735年9月26日))は、江戸時代中期の大名。美濃大垣藩の第5代藩主。大垣藩戸田家6代。 第4代藩主・戸田氏定の次男。母は藤井松平信之の娘。正室は土井利益の娘。子に戸田氏辰(長男)、戸田氏英(次男)、戸田英教(三男)。娘(藤井松平信将正室)。官位は従四位下、伊勢守、伊賀守。 貞享4年(1687年)11月7日生まれ。享保8年(1723年)4月23日、父より家督を譲られた。藩主時代には文学を奨励している。しかし父が長寿だったこともあり、それ以外にあまり藩政で見るべきところはない。 享保10年(1725年)7月27日、氏定の娘と信濃松本藩主水野忠恒の祝言が行われた。この氏長の義兄弟は翌28日、将軍徳川吉宗に婚儀報告を行うため江戸城に登城し報告を済ませた。その直後、江戸城松の廊下ですれ違った長府藩世子毛利師就に水野は斬りかかり、乱心ということで改易処分が下されている。 父の後を追うように享保20年(1735年)8月10日に49歳で大垣にて死去し、跡を次男の氏英が継いだ。法号は乾誉徹元享沢院。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。 Category:大垣藩主 Category:譜代大名 うしなか Category:1687年生 Category:1735年没.

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戸田氏鉄

戸田 氏鉄(とだ うじかね)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。近江膳所藩第2代藩主、摂津尼崎藩主、美濃大垣藩初代藩主。大垣藩戸田家2代。戸田一西の長男。.

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戸田氏英

戸田 氏英(とだ うじひで、享保14年12月11日(1730年1月29日) - 明和5年4月23日(1768年6月7日))は、美濃大垣藩の第6代藩主。大垣藩戸田家7代。 第5代藩主・戸田氏長の次男。母は氏長の側室・中村氏。正室は堀田正亮の娘。子に娘(大河内松平輝行正室)、娘(戸田氏教正室)、娘(板倉勝政正室)。官位は従五位下、采女正。 享保14年(1729年)12月11日生まれ。幼名は徳次郎。享保20年(1735年)、父が死去したためにわずか7歳で家督を継いだ。氏英は戸田氏の家臣団整理(延享の永御暇)などを行なっている。宝暦4年(1754年)には奏者番となっている。 明和5年(1768年)4月23日に大垣にて死去した。享年40。墓所は岐阜県大垣市西外側町の円通寺。跡を婿養子の氏教が継いだ。.

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戸田氏教

戸田 氏教(とだ うじのり)は、江戸時代中期から後期の大名。美濃国大垣藩第7代藩主。大垣藩戸田家8代。 藩主として善政を行うとともに、幕府老中として幕政に携わり、幕府財政改革に成功した他、ロシア船来航の折は外交問題にも関わり、国家の枢機に携わった。大垣藩政では教育・治水・藩の富強を図り、大垣中興の名主と評された。.

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明和

明和(めいわ)は日本の元号の一つ。宝暦の後、安永の前。1764年から1772年までの期間、施行された。この時代の天皇は後桜町天皇、後桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本の国会議員

衆議院会派別勢力図 (2017年(平成29年)10月23日現在 参議院会派別勢力図(2016年(平成28年)7月14日現在) 日本の国会議員(にほんのこっかいぎいん)では、日本国憲法下の日本の国会(衆議院・参議院)の議員について解説する。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1622年

記載なし。

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1771年

記載なし。

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1842年

記載なし。

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1867年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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1869年

記載なし。

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1870年

記載なし。

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1871年

記載なし。

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1892年

記載なし。

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1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

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1904年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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2月26日 (旧暦)

旧暦2月26日は旧暦2月の26日目である。六曜は先負である。.

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4月6日

4月6日(しがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から96日目(閏年では97日目)にあたり、年末まであと269日ある。誕生花はナスタチウム、スオウバナ。.

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4月9日

4月9日(しがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から99日目(閏年では100日目)にあたり、年末まではあと266日ある。誕生花はアカシア、ウォールフラワー。.

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5月9日

5月9日(ごがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から129日目(閏年では130日目)にあたり、年末まではあと236日ある。誕生花はクレマチス。.

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