16 関係: 史記、婦好、宮城谷昌光、小乙、傅説、祖己、祖庚、祖甲、竹書紀年、甲骨文字、盤庚、言語障害、殷、殷墟、漢字、易経。
史記
『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。 二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。 日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。.
婦好
殷墟の婦好墓 婦好(ふこう)は殷第23代王武丁の妻の一人。名は好、婦は一種の親族呼称であり、諡号は母辛、姓氏は不詳。中国史に登場する最初の女性政治家、軍事家。 武丁の在位中は周辺国家・部族に対し戦闘が行われており、婦好も数多く兵を率いて出兵した。巴方、土方、夷方などの征伐におもむき、羌人征伐のときには13,000もの軍勢を指揮している。また、祭祀を担当し、祭天、祭祖先、祭神泉などの儀式を執り行った。武丁の寵愛を受け封地を冊封されている他、婦好に関する甲骨卜辞は170件以上にものぼる。 甲骨文字には武丁が婦好の懐妊に際し男児か女児かを占った内容のものが残されている。 武丁に先立ち死去した婦好は殷墟の宮殿宗廟区内にある婦好墓(河南省安陽市)に埋葬された。殷王族の墓の中では唯一盗掘をまぬがれ、1976年に発見された。墓内からは婦好が軍事権を握っていたことを示す鉞や、殷代には珍しい銅鏡、方鼎や長方彜など1,928件の文物が出土している。.
宮城谷昌光
宮城谷 昌光(みやぎたに まさみつ、1945年2月4日 - )は、日本の小説家、歴史小説・時代小説作家である。古代中国の偉人にスポットを当てた作品を得意とする。代表作に『重耳』、『孟嘗君』など。本名は宮城谷 誠一(みやぎたに せいいち)。.
小乙
小乙(しょういつ)は殷朝の第21代王。小辛の弟。 Category:殷の君主.
傅説
傅 説(ふ えつ)は、殷の武丁(高宗)の宰相と伝えられる伝説的な人物。伊尹や呂尚と並んで、名臣の代表としてしばしばあげられる。 星になったと言われ、星の名前にも傅説がある。尾宿に属する。.
祖己
己(そき)は殷の王。 殷王の系譜で、中国の歴史書『史記』にも見え、同時代史料である甲骨文の研究から、第22王武丁の次に即位した王であることが明らかになっている。 この発見は日本の研究者である島邦男によるものであり、島は甲骨文の時代区分のうち武丁の第1期に続く第2期は、祖己を加えた祖庚・祖甲の三者の時代に相当するとした。なお中華民国の甲骨学者董作賓は祖庚・祖甲を第2期と区分した。 同じ日本の研究者である落合淳思は、前述の島の説を受けた上で、董作賓が第4期と分類した甲骨文のうち、「歴組」と呼ばれるものについて、祖己の時代に相当するとして「一二間期」と呼んでいる。それに続く第2期は董作賓の区分と同じとしている。.
祖庚
祖庚(そこう)は殷朝の第23代王。 Category:殷の君主.
祖甲
祖甲(そこう)は殷朝の第24代王。祖庚の弟。 『史記』では、暴虐な性格のために殷が衰える原因となったとされている。 一方で、神話上の先祖へ生贄を捧げる古来の儀式を取りやめ、より政治を理性的にしようとした。この時に取り止められたものは、森や川のほか、武丁の想像によって増やされた物が多くあった。 Category:殷の君主.
竹書紀年
『竹書紀年』(ちくしょきねん)とは、中国の編年体の歴史書。伝説時代から魏の襄王に至るまでを著述している。作者は不明。 この書物は漢代には既に散逸していたが、西晋の279年に現在の河南省にあった魏の襄王の墓を盗掘した際に大量の文字を記した竹簡が出土し、整理した中の一つがこの本である。竹に書かれていたことから『竹書紀年』の名がある。 『史記』などには登場しないエピソードも見えており、またこの書物を元に『史記』の年表における誤りの修正が為されている。 北宋代には再び散逸し、はるか後世の中華民国の時代になってから唐の司馬貞の『史記索隠』から引用された文献から『竹書紀年』を復元する試みが行われ、大きな成果を上げ、現在でも続いている。 明代に別の『竹書紀年』が出現したが、これは偽作であり、本来の方を「古本」・偽作のほうを「今本」と呼んでいる。.
甲骨文字
文字(こうこつもじ)とは、中国・殷(商)時代の遺跡から出土する古代文字。 漢字の原初形態であり、現在確認できる漢字の最古の祖形を伝えている。古代中国で生まれ発達してきた文字(漢字)と獣骨を用いる占卜とが結びついて文字記録となったものである。亀甲獣骨文字、甲骨文ともいう。 殷後期(第22代殷王武丁以降)の考古学資料が小屯村(殷墟)で大量に出土した。亀の甲羅(腹甲)や牛や鹿の骨(肩胛骨)に刻まれた。 2017年、ユネスコが主催する世界記録遺産にも登録された。.
盤庚
庚(ばんこう)は殷朝の第19代王。陽甲の弟。 董作賓による卜辞の研究において、盤庚の治世中の『二十六年第三月甲午十六日』に月食の記録があった事を発見し、それを天文学によって割り出した結果、紀元前1373年3月27日の事と割り当てている。更にこの月食は殷墟がある安陽では見られず、地方からの報告によって記録されたものであり、当時の殷の支配地域がかなり広い範囲に及んでいた事が判明している。.
言語障害
言語障害(げんごしょうがい、英:Language disorder)とは、言語の適切な理解と表現が困難な病態(状態)を言う。『DSM‒5』では言語症も併記されている。 言語障害には、「音声機能の障害」と「言語機能の障害」とがある。前者は、音声、発音、話し方についてであり、後者は、表現や理解についてである。.
殷
殷(いん、、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は、中国の王朝である。文献には天乙が夏を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である。商(しょう、)、商朝ともよばれる。紀元前11世紀に帝辛の代に周によって滅ぼされた(殷周革命)。.
殷墟
殷墟(いんきょ)は古代中国殷王朝後期の首都の遺構。中華人民共和国河南省安陽市の市街地西北郊、殷都区に位置する。.
漢字
漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.
易経
『易経』(えききょう、正字体:易經、)は、古代中国の書物。『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。易経は儒家である荀子の学派によって儒家の経典として取り込まれた。現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。著者は伏羲とされている。 中国では『黄帝内經』・『山海經』と合わせて「上古三大奇書」とも呼ぶ。.