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日本の書道史と書道

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日本の書道史と書道の違い

日本の書道史 vs. 書道

日本の書道史(にほんのしょどうし)では、有史以来、現在までの日本における書道の歴史を記述する。この記事では時代ごとに、その背景・書風・筆跡・書人・教育など書に関連した事跡を記す。. 京都・東寺蔵 『蘭亭序』(部分)王羲之 書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。 本項では主に中国語圏及び日本語圏の書道について述べる。その他の文字・地域における書道は他の文字による書道を参照。.

日本の書道史と書道間の類似点

日本の書道史と書道は(ユニオンペディアに)共通で75ものを持っています: 即非如一千字文墨 (書道雑誌)奈良時代寺子屋小学校小野道風巻菱湖巌谷一六中学校中国の書家一覧中国の書道史中林梧竹世尊寺行能市河米庵三筆三跡平安時代二玄社仮名 (文字)後漢チョ遂良初唐の三大家嵯峨天皇和様光明皇后王羲之禅林墨跡空海筆跡...篆刻篆書体米フツ美術隠元隆き隷書体草書体行書体顔真卿西川寧貫名菘翁趙孟フ黄庭堅近衛信尹蘇軾藤原伊行藤原佐理藤原行成藤原教長虞世南東寺東京堂出版松花堂昭乗楷書体橘逸勢欧陽詢正倉院比田井天来漢字木庵性トウ木村卜堂本阿弥光悦文人日展日下部鳴鶴日比野五鳳日本と中国の書史日本書作家協会日本書鏡院手島右卿書学書道史学会書家書体書道展書道界 インデックスを展開 (45 もっと) »

即非如一

即非如一(そくひ にょいつ、万暦44年5月14日(1616年6月27日)- 寛文11年5月20日(1671年6月26日))は、江戸時代前期中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。福建省福州府福清県の出身。俗姓は林氏。字は即非。.

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千字文

『千字文』(せんじもん)(中国語ピンイン:qianziwen)は、子供に漢字を教えたり、書の手本として使うために用いられた漢文の長詩である。1000の異なった文字が使われている。.

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墨 (書道雑誌)

『墨』(すみ)は、芸術新聞社発行の隔月刊書道専門誌。 1976年7月に創刊(発行人は小針代助)され、2009年9月で200号を迎えた。現在の発行人は相澤正夫。タイトルロゴは米フツの「墨」の字。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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寺子屋

寺子屋(てらこや)とは、江戸時代の上方において、寺院で手習師匠が町人の子弟に読み書き・計算等を教えた学問施設である。「寺子屋」の名称は上方で用いられ、江戸における町人の子弟の学問施設は「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれた。 これは、寺子屋の「子屋」が「こや(小屋)」に通じることや、「屋」が屋号に通じることが、学問の場の名称として適切ではない、と考えられていたからである。なお、現代では、「寺小屋」と表記することもある。.

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小学校

小学校(しょうがっこう)は、初等教育を施し、学校系統上最も基礎的な段階をなす学校であり、一般的にISCED-1に分類される。 英語表記には、米国式のElementary Schoolと英国式のPrimary Schoolがあるが、いずれも「初等学校」という意味であり、日本の文部科学省では米国式のElementary Schoolという表記を用いている。 どこまでを小学校と区切るかは様々であり、6・3制もあれば、4・3・2制も存在し、一方で15歳までの小中一貫教育を行う国もある。.

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小野道風

小野 道風(おの の みちかぜ/とうふう)は、平安時代中期の貴族・能書家。参議・小野篁の孫で、大宰大弐・小野葛絃の三男。 それまでの中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いた人物と評されている。後に、藤原佐理と藤原行成と合わせて「三跡」と称され、その書跡は野跡と呼ばれる。.

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巻菱湖

巻 菱湖(まき りょうこ、安永6年(1777年) - 天保14年4月7日(1843年5月6日))は、江戸時代後期の書家。越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に生まれる。姓は池田、後に巻を名襲名。名は大任、字は致遠または起巌、菱湖は号で、別号に弘斎。通称は右内と称した。.

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巌谷一六

巖谷 一六(いわや いちろく、天保5年2月8日(1834年3月17日) - 明治38年(1905年)7月12日)は、近江国(滋賀県)出身の書家、官僚、漢詩人。本名は修(しゅう)(幼名は辨治、ついで迂也)、字は誠卿。特に書家として名高く、一六(一六居士)はその号で、別号に迂堂・古梅・金粟道人などがある。日本近代児童文学の創始者と評される巖谷小波はその三男。.

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中学校

中学校(ちゅうがっこう)は、日本における前期中等教育段階の学校。修業年限は3年間で義務教育期間(9年間)の最後の3年間にあたる 国立教育政策研究所 2018年月14日閲覧。就学については原則として満12歳となった最初の4月1日を基準とする年齢主義がとられている。 日本の中学校の制度上の正式な英語表記はLower Secondary Schoolである。一般にみられるJunior High SchoolやJ.H.S.との訳は米国の古い方式による名称である。 なお、日本の学制改革以前の中学校については旧制中学校を、中等教育機関については高等小学校・国民学校、旧制中等教育学校を参照。.

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中国の書家一覧

中国の書家一覧(ちゅうごくのしょかいちらん)は、中国の能書家を時代別に分類した一覧である。現存する書家は掲載しない。.

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中国の書道史

『蘭亭序』(部分)王羲之 中秋帖』王献之書 中国の書道史(ちゅうごくのしょどうし)では、有史以来、清代までの中国における書の歴史について、その背景・書体の変遷・書風・筆跡・書人・書論など書に関連した事跡を記す。.

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中林梧竹

中林 梧竹(なかばやし ごちく、文政10年4月19日(1827年5月14日) - 大正2年(1913年)8月4日)は、日本の書家。明治の三筆の一人。名を隆経、通称は彦四郎、字は子達。梧竹は号である。また剣閣主人ともいった。家は代々鍋島藩の支藩小城藩の家臣であった。.

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世尊寺行能

世尊寺 行能(せそんじ ゆきよし、治承3年(1179年) - 建長7年(1255年)?)は、鎌倉時代前期の公卿・能書家・歌人。太皇太后宮亮・藤原伊経の長男。母は法橋増宗の娘。法号は寂然。世尊寺家の第8代目当主。「世尊寺」の家名は行能の代より用いられたとされている。官位は従三位・右京大夫。.

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市河米庵

市河 米庵(いちかわ べいあん、安永8年9月16日(1779年10月25日) - 安政5年7月18日(1858年8月26日))は、江戸時代後期の日本の書家、漢詩人。 名は三亥、字は孔陽、号は米庵のほかに楽斎・百筆斎・亦顛道人・小山林堂・金洞山人・金羽山人・西野子など。通称は小左衛門。.

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三筆

空海(三筆の領袖神田喜一郎 p.21) 三筆(さんぴつ)とは、日本の書道史上の能書のうちで最も優れた3人の並称であり、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢の3人を嚆矢とする春名好重 pp.106-107。その他、三筆と尊称される能書は以下のとおりであるが、単に三筆では前述の3人を指す。.

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三跡

三跡(さんせき)は、書道の大御所三人のこと。三筆は各時代にいるが、この三跡ほどの影響を後世まで与えた人物はいない。字は三蹟とも表記する。また、入木道の三蹟(じゅぼくどうのさんせき)とも言う。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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二玄社

二玄社(にげんしゃ/英記 Nigensha Co, Ltd)は、日本の出版社。書道等の東洋美術専門の出版社として設立された。自動車雑誌「カーグラフィック」創刊以降は、「書道・美術部門」と「自動車関係部門」の2部門を特徴としていたが、『NAVI(ナビ)』誌の休刊と『カーグラフィック』誌の移管以降は美術関連のみ取り扱っている。.

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仮名 (文字)

仮名(かな)とは、漢字をもとにして日本で作られた文字のこと。現在一般には平仮名と片仮名のことを指す。表音文字の一種であり、基本的に1字が1音節をあらわす音節文字に分類される。漢字に対して和字(わじ)ともいう。ただし和字は和製漢字を意味することもある。.

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後漢

後漢(ごかん、東漢、、25年 - 220年)は、中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。.

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チョ遂良

雁塔聖教序』(部分、拓本) 褚 遂良(ちょ すいりょう、596年 - 658年)は、唐代の政治家、書家。初唐の三大家の一人。字は登善。河南県公から河南郡公に封ぜられたため褚河南と呼ばれることもある。太宗に仕えて諫言をよくし、後の高宗の教育にもあたった。しかし武則天を皇后に立てることに反対したために左遷された。.

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初唐の三大家

九成宮醴泉銘』(部分)欧陽詢筆 褚遂良筆 初唐の三大家(しょとうのさんたいか)とは、中国の初唐時代、太宗に仕えた書の大家3人(虞世南・欧陽詢・褚遂良)を称していう。.

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嵯峨天皇

嵯峨天皇(さがてんのう、延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))は、日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月18日) - 弘仁14年4月16日(823年5月29日))。 諱は神野(賀美能・かみの)。 桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。 嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り.

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和様

和様(わよう)とは、日本風あるいは、日本様式の事物を意味し、中国風・中国様式を意味する唐様に対して用いられる。狭義では和様建築を指して用いられる場合が多いが、書道をはじめとして絵画や彫刻など、日本美術史において日本風が顕著になった平安時代中期から後期にかけての作品に対して広く用いられる用語である。ただし、和様とされるものの多くは純粋な意味での日本古来のものではなく、その原形は飛鳥・奈良時代に唐から受容された文物を日本の風土と日本人の感性に合わせる形で改良することによって成立した文化様式である。 9世紀半ば以後、中国を支配してきた唐の衰退に伴って遣唐使が派遣されることが無くなり(894年に正式に廃止)、代わって日本独自の文化(国風文化)が登場するようになった。特に日本語表記が確立された点が大きく、平仮名の使用は長い間女性に限定されていたと言われてきたが、実際には和歌を中心として男性が非公式の場において平仮名を用いる事もあり、日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』も平仮名交じりの文体が採用されている。日本語の表記において漢字と仮名が交用されていく中で漢字の点画も平仮名のような曲線を帯びるようになっていった。こうした中で書道において、和様の書道が形成されるようになる。王羲之の書法を範としながらも新たな書法を生み出した小野道風をはじめ、藤原行成・藤原佐理らによって上代風とも呼ばれる新たな書風を生み出し、後に法性寺流・世尊寺流などの和様書法が出現した。また、大仏様などの大陸の影響を受けた寺院の建築様式に代わって日本独自の要素を取り込んだ和様建築が出現するようになった。.

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光明皇后

光明皇后(こうみょうこうごう、大宝元年(701年) - 天平宝字4年6月7日(760年7月27日))は、奈良時代の聖武天皇の皇后。藤原不比等と県犬養橘三千代の女子で、聖武天皇の母である藤原宮子は異母姉。諱は安宿媛(あすかべひめ)。通称に光明子(こうみょうし)、藤三娘(とうさんじょう)。 正式な尊号は天平応真仁正皇太后(てんぴょう おうしん にんしょう こうたいごう)。皇族以外から立后する先例を開いた。.

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王羲之

王羲之 王 羲之(おう ぎし、、303年 - 361年)は、中国東晋の政治家・書家。字は逸少。右軍将軍となったことから世に王右軍とも呼ばれる。本籍は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の出身である。 曾祖父は王覧(王祥の弟)、祖父は王正、父は王曠(東晋の淮南郡太守)。子に王玄之(長男)、王凝之(次男)、王渙之(三男)、王粛之(四男)、王徽之(五男)、王操之(六男)、王献之(七男)がいる。子孫に王楨之(徽之の子)、智永らがいる。.

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禅林墨跡

圜悟克勤筆、東京国立博物館蔵、国宝) 虚堂智愚筆、東京国立博物館蔵、国宝) 与円爾印可状』(無準師範筆、東福寺蔵、国宝) 宗峰妙超筆、妙心寺蔵、国宝) 禅林墨跡(ぜんりんぼくせき)とは、禅林高僧の真跡のこと。印可状・字号・法語・偈頌・遺偈・尺牘などがある。単に墨跡ともいい、墨蹟・墨迹とも書く。 墨跡という語は中国では真跡全般を意味するが、日本においては禅僧の真跡という極めて限った範囲にしか使わない習慣がある。その二義を区別するため、近年、後者を多くは禅林墨跡といい、その書風を禅宗様という(本項で単に墨跡は禅林墨跡を指す)中西慶爾 p.595峯岸佳葉(決定版 中国書道史) pp..127-128小松茂美 pp..26-27。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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筆跡

跡(ひっせき)とはワードプロセッサなどを介さずに、筆、ペンなどの筆記用具を用いて人の手によって直接書かれた文字のこと。または、その書き方の癖などを指す言葉。 古代では、亀の甲羅や動物の骨に対して、先を鋭利に尖らせた石などで、これに天と地や農作物などを象形化した甲骨文といわれる文字を「ひっかき」、占いの道具として使用するために用いられたのが最初の筆跡といわれている。.

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篆刻

仏法僧宝」印影 篆刻(てんこく)とは、印章を作成する行為である。中国を起源としており、主に篆書を印文に彫ることから篆刻というが、その他の書体や図章の場合もある。また金属(銅・金など)を鋳造して印章を作成する場合も篆刻という。その鋳型に彫刻を要するからである。書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。.

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篆書体

書体(てんしょたい)は漢字の書体の一種。「篆書」「篆文」ともいう。 広義には秦代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には周末の金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれに関係する書体を指す。 公式書体としての歴史は極めて短かったが、現在でも印章などに用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中では最も息が長い。.

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米フツ

米 芾(べい ふつ、皇祐3年(1051年) - 大観元年(1107年)生卒年に異説あり。『宋史』に「卒,年四十九。」とある(宋史列伝(米芾))。)は、中国の北宋末の文学者・書家・画家・収蔵家・鑑賞家であり、特に書画の専門家として活躍した。 初名は黻、字は元章(げんしょう)、官職によって南宮(なんぐう)、住拠によって海岳(かいがく)と呼ばれ、号は襄陽漫仕(じょうようまんし)・海嶽外史(かいがくがいし)・鹿門居士(ろくもんこじ)などがあり、室名を宝晋斎といった。子の米友仁に対して大米と呼ぶ。湖北襄陽の人で、後に潤州に居を定めた(現在の江蘇鎮江)。 呉江舟中詩巻』(部分)米芾書.

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美術

美術(びじゅつ)は、視覚によってとらえることを目的として表現された造形芸術(視覚芸術)の総称。英語ではファインアート、ビジュアルアート、あるいは アート。.

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隠元隆き

元隆琦の上陸地に建つ記念碑(右) - 京都府宇治市 隠元 隆琦(いんげん りゅうき、特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師、勅賜として真空大師、華光大師、万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉)は、明末清初の禅宗の僧。日本黄檗宗の祖。福建省福州福清県の生まれで、その俗姓は林である。 隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をした。 なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元豆の名称に名を残し、日本における煎茶道の開祖ともされる。.

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隷書体

隷書体(れいしょたい)は、漢字の書体のひとつ。八分隷・八分・分書とも呼ばれる。古文に対して今文と呼ばれる。画像は『西嶽華山廟碑』(拓本、部分)。.

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草書体

草書体(そうしょたい)は、漢字の書体の一つ。.

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行書体

行書体(ぎょうしょたい)とは、.

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顔真卿

『晩笑堂竹荘畫傳』より 顔真卿(がん しんけい、 709年(景龍3年) - 785年(貞元元年))は、唐代の政治家、書家。字は清臣。中国史でも屈指の忠臣とされ、また当代随一の学者・芸術家としても知られる。.

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西川寧

西川 寧(にしかわ やすし、1902年(明治35年)1月25日 - 1989年(平成元年)5月16日)は、20世紀を代表する日本の書家、金石学者、中国文学者、文学博士(慶應義塾大学)。字は安叔。号は靖闇。贈正三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。.

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貫名菘翁

貫名菘翁(ぬきな すうおう、安永7年3月(1778年) - 文久3年5月6日(1863年6月21日))は江戸時代後期の儒学者、書家、文人画家。江戸後期の文人画家の巨匠で、とりわけ書は幕末の三筆として称揚される。 姓は吉井、後に家祖の旧姓貫名に復する。名は直知・直友・苞(しげる)。字は君茂(くんも)・子善。通称は政三郎、のちに省吾さらに泰次郎と改める。号は海仙・林屋・海客・海屋・海屋生・海叟・摘菘人・摘菘翁・菘翁・鴨干漁夫など多数。室号に勝春園・方竹園・須静堂・須静書堂・三緘堂。笑青園などと名のっている。海屋・菘翁が一般に知られている。.

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趙孟フ

『鵲華秋色図』 趙 孟頫(Zhào Mèngfǔ、ちょう もうふ、1254年(宝祐2年) - 1322年(至治2年))は、南宋から元にかけての政治家、文人(書家、画家)。字は子昂、号は松雪。呉興(現在の浙江省湖州市呉興区)の人。出自は宋の宗室で、南宋の2代皇帝孝宗の兄の趙伯圭の玄孫である。字から趙子昂、号から趙松雪と呼ばれることも多い。 妻のも画家として有名である。父は趙与訔。兄は趙孟頔、趙孟頒、趙孟碩、趙孟頌、趙孟頖、趙孟顥。弟は趙孟龥ら。王蒙は外孫にあたる。.

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黄庭堅

庭堅・『晩笑堂竹荘畫傳』より 黄 庭堅(こう ていけん、慶暦5年(1045年) - 崇寧4年9月30日(1105年11月8日))は、中国北宋時代の書家、詩人、文学者である。洪州分寧県(現在の江西省修水県)の人。 字は魯直(ろちょく)、号は山谷道人(さんこくどうじん)、涪翁(ふうおう)などがある。黄山谷と呼ばれることが多い。宋代の詩人においては蘇軾・陸游と並び称され、書家としては蘇軾、米芾、蔡襄とともに宋の四大家に数えられる。「詩書画三絶」と讃えられ、師の蘇軾と名声を等しくして蘇黄と呼ばれた。子孫に清代の詩人、黄景仁がいる。.

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近衛信尹

近衛 信尹(このえ のぶただ、旧字:近衞信尹)は、安土桃山時代の公家。近衛前久の子。母は波多野惣七の娘。初名、信基、信輔。号は三藐院(さんみゃくいん)。.

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蘇軾

蘇 軾(そ しょく、、景祐3年12月19日(1037年1月8日) - 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は、中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、とも呼ばれる。字は。蘇洵の長子、弟は蘇轍であり、この3人に韓愈・柳宗元・欧陽脩・曽鞏・王安石を加えた8人を「古文」の唐宋八大家という興膳(2008年)182ページ。子に蘇邁、蘇迨、蘇過、蘇遯ら。曾孫は蘇公弼(威州刺史)、玄孫娘に耶律楚材の夫人(蘇公弼の娘、耶律鋳の生母)がいる。.

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藤原伊行

藤原 伊行(ふじわら の これゆき、保延5年(1139年)? - 安元元年(1175年)?)は、平安時代後期の能書家。書の家柄である世尊寺流の6代目。宮内権大輔・藤原定信の子。官位は従五位上・宮内少輔。.

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藤原佐理

藤原 佐理(ふじわら の すけまさ/さり)は、平安時代中期の公卿・能書家。太政大臣・藤原実頼の孫。左近衛少将・藤原敦敏の長男。三跡の一人で草書で有名。.

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藤原行成

藤原 行成(ふじわら の ゆきなり/こうぜい)は、平安時代中期の廷臣。藤原北家、右少将・藤原義孝の長男。官位は正二位・権大納言。一条朝四納言(「寛弘の四納言」)の一。世尊寺家の祖。 当代の能書家として三蹟の一人に数えられ、その書は後世「権蹟」(ごんせき)と称された。書道世尊寺流の祖。.

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藤原教長

藤原 教長(ふじわら の のりなが)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家難波家・飛鳥井家始祖、大納言・藤原忠教の次男。官位は正三位・参議。.

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虞世南

虞 世南(ぐ せいなん / Yú Shìnán、558年 - 638年)は、唐代の書家、政治家。字は伯施。越州余姚県(現・浙江省余姚市)の人。初唐の三大家の一人。.

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東寺

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.

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東京堂出版

株式会社 東京堂出版(とうきょうどうしゅっぱん)は、東京都千代田区にある日本の出版社。.

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松花堂昭乗

松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう、天正10年(1582年) - 寛永16年9月18日(1639年10月14日))は、江戸時代初期の真言宗の僧侶、文化人。俗名は中沼式部。堺の出身。豊臣秀次の子息との俗説もある。 書道、絵画、茶道に堪能で、特に能書家として高名であり、書を近衛前久に学び、大師流や定家流も学び,独自の松花堂流(滝本流ともいう)という書風を編み出し、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」と称せられた。なお松花堂弁当については、その名が昭乗に間接的に由来するとする説がある。.

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楷書体

楷書体(かいしょたい)とは、漢字の書体の一つ。『手書き書体』と『印刷書体』の二種類に分かれ、。.

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橘逸勢

橘 逸勢(たちばな の はやなり、延暦元年(782年)? - 承和9年8月13日(842年9月24日))は、平安時代初期の書家・貴族。参議・橘奈良麻呂の孫。右中弁・橘入居の末子。官位は従五位下・但馬権守、贈従四位下。書に秀で空海・嵯峨天皇と共に三筆と称される。.

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欧陽詢

欧陽詢(おうよう じゅん、557年 - 641年)は、唐代の儒家、書家。字は信本。潭州臨湘(現在の湖南省長沙市)に生まれ、安徽で死去した。.

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正倉院

正倉院正倉 正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。.

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比田井天来

比田井天来(ひだい てんらい、1872年3月2日(明治5年1月23日) - 1939年1月4日)は、日本の書道家。「現代書道の父」と呼ばれる。本名・鴻。雅号は天来、別号の画沙(かくさ)、大朴(たいぼく)も用いる。.

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漢字

漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.

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木庵性トウ

木庵性瑫(もくあん しょうとう、万暦39年2月3日(1611年3月16日)- 貞享元年1月20日(1684年3月6日))は、江戸時代前期に明国から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。俗姓は呉氏。福建省泉州府晋江県の出身。勅諡号は慧明国師。.

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木村卜堂

木村 卜堂(きむら ぼくどう、1905年12月19日 - 1975年8月9日)は、栃木県足利市生まれの書家。本名は信太郎、卜堂は号。木村東道は長男。.

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本阿弥光悦

本阿弥光悦 本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) - 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。.

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文人

文人(ぶんじん)とは、中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問を修め文章をよくする人」の意である。.

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日展

日展(にってん)は官展の流れを汲む日本最大の総合美術展覧会である。名称の意味は「日本美術展覧会」であることが公式サイト上で説明されている。 また同展覧会を年1回で通年主催する団体名が展覧会通称と同じ日展の名を冠するため、ここでは開催団体の歴史的変遷と美術展覧会の開催歴を合わせて解説する。.

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日下部鳴鶴

日下部 鳴鶴(くさかべ めいかく、天保9年8月18日(1838年10月6日) - 大正11年(1922年)1月27日)は日本の書家である。本名は東作。字は子暘。別号に東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、鶴叟などがある。.

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日比野五鳳

日比野 五鳳(ひびの ごほう、1901年2月20日 - 1985年1月27日)は、日本の書家。昭和の三筆の一人。息子の日比野光鳳も書家。.

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日本と中国の書史

『日本と中国の書史』(にほんとちゅうごくのしょし)は、社団法人 日本書作家協会発行による木村卜堂の著書。1971年初版発行。日本と中国の書跡を年代順に解説している。.

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日本書作家協会

公益社団法人日本書作家協会(にほんしょさっかきょうかい)は、書道の普及事業などを実施している公益法人。元文部科学省所管。1959年に中央区京橋に開設し、1973年に社団法人の認可を得る。書道通信教育講座、文化庁と毎日新聞社の後援(2008年第49回展実績)による新興書道展、協賛する書人による書作家展等を実施している。略称は、書作家協会。.

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日本書鏡院

日本書鏡院は、1933年(昭和8年)に、長谷川耕南によって創設された書道団体。道の芸術性と実用性の両面を通じて、理想的人間関係並びに人間形成に努め、年令層を問わず創造性と個性に富む書道教育を目的としている。本部は、東京都品川区。2代目会長は、長谷川耕生。現会長は、3代目の長谷川耕史である。.

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手島右卿

手島 右卿(てしま ゆうけい、1901年(明治34年)11月3日 - 1987年(昭和62年)3月27日)は、日本の書家、文化功労者。高知県出身。本名・南海巍(なみき)。昭和の三筆の一人。ニックネームは、「ライオンの右卿」。 妻は仮名書家の手島小華、長弟と次弟は、いずれも書家の高松慕真と南不乗。宗教家の岡田晃弥は子。元プロサッカー選手でガイナーレ鳥取GMの岡野雅行は孫。 1915年(大正4年)、川谷尚亭の門をたたき、師逝去の後は1935年(昭和10年)に上京、比田井天来の門下となる。その後、大日本書道院第1回展では天来の単独審査を手伝うなど、次第に頭角を現し、以後日展の参事や審査員、文部省指導書編集委員などを歴任。 常々、「書は人間の霊知の所産である」として、東洋的な精神性と現代感覚を融合した「象書」を創始。空海などの古法を基に確立された小字数書の能書家である。1958年(昭和33年)、ブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」に日本代表として富岡鉄斎、梅原龍三郎、井上有一とともに指定出品された「抱牛」は、最高殊勲金星を受け、一躍世界の注目を集め、書道芸術の国際的評価を高めるきっかけとなる。1985年(昭和60年)、中国・北京革命歴史博物館にて「日本手島右卿書法展」を開催、観客11万人を動員。 専修大学教授、日本書道専門学校初代校長。高知県名誉文化賞・安芸市名誉市民・文化功労者。 片山子鶴など多くの弟子が書き人として活躍する。.

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書学書道史学会

書学書道史学会(しょがくしょどうしがっかい)は、書学書道史とこれに関連する文化に関する研究の発展向上、国際交流の促進を図ることを目的として1990年に設立された学会。 本部事務局を東京都渋谷区桜丘町29-35美術新聞社内に置いている。.

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書家

『蘭亭序』(部分)神龍半印本 王羲之 宸筆 書譜』(部分)孫過庭書 書家(しょか)は、書における高度な技術と教養を持った専門家のこと。日本では書人ともいい、近年、異称であるが書道家ともいわれるようになった。中国語では、書法家(繁体字)という。独自の感性で墨文字アート、墨象画を手掛けている書き手は、書家とは異なる。.

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書体

書体(しょたい)とは、一定の文字体系のもとにある文字について、それぞれの字体が一貫した特徴と独自の様式を備えた字形として、表現されているものをいう。基礎となる字体の特徴、およびその字形の様式から導かれる、形態の差異によって分類される。例えば、漢字という文字体系のもとにある書体として、篆書・隷書・楷書・行書・草書の五体に加え、印刷用の書体(明朝体やゴシック体など)がある。これらはいずれも共通の文字集合から生まれながら、時代・地域・目的などにより、その形態を変化させていったものである。 英語の typeface の訳語としても用いられる。この場合は、広義における活字とその意匠についての概念として扱われる。 近年ではフォントと同義に用いられることがあり、フォントの使用ライセンスの単位として、1書体、2書体と数えることもある。しかし本来、書体は文字に通底する概念であって、金属活字の字面や写真植字の文字盤、またデジタルフォントのアウトラインデータそれ自体を指すものではない。 以下は字形から見た書体の類別(組版の視点から見た分類)に従って叙述する。.

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書道展

書道展(しょどうてん)は、書の展覧会のこと。書展、書作展ともいう。書道団体による公募展や企画展などがある。美術館で開催されることが多いが、2000年ごろからインターネット上での書道展も開催されるようになった。個展や遺墨展も含まれる。.

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書道界

書道界(しょどうかい)とは、書を専門とする者(書家)とそれに関係する者の社会のこと。日本では書壇ともいう。中国語では書法界(繁体字)という。日本では昭和時代から安定した大きな書道団体が創立されたが、それ以降の書家だけによって造られた純粋な書道界を書壇という場合が多い。.

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日本の書道史と書道の間の比較

書道が223を有している日本の書道史は、633の関係を有しています。 彼らは一般的な75で持っているように、ジャカード指数は8.76%です = 75 / (633 + 223)。

参考文献

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