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学位と進士 (日本)

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学位と進士 (日本)の違い

学位 vs. 進士 (日本)

学位(がくい、degree)とは、大学など高等教育機関や国家の学術評価機関等において、一定の教育課程の修了者又はそれと同等の者に対して学術上の能力または研究業績に基づき授与される栄誉称号を言う学位を栄誉称号と規定する出典としては国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)177頁、相賀徹夫編著『日本大百科全書5』(小学館、1985年) 13頁、14頁を参照。その他、新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)495頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)439頁なども参照。。 学位は(1)一定の教育課程を履修し、かつ試験に合格して学業を修めた者(2)学術上価値のある研究を修め、論文または著書を公刊した者(3)学術上または教育上、功績があると認められた者―に授与される称号であり、取得学位(課程博士など)、研究学位(論文博士など)、名誉学位の類型があるほか、国や大学によって博士、修士、学士の学位のほか、短期大学士、専門職学位その他各種の階梯・称号が制定されている相賀徹夫前掲書(小学館、1985年) 13頁、14頁参照。但し、名誉学位については名誉称号としてのみ有効であり、学歴はもちろんのこと、学術上の業績や研究能力の証明にはならない。。 ちなみに学位は大学院の修了資格と不可分の関係にあり、大学院の修了はその大学院の課程が定める特定の学位の取得を意味していた。しかし、今日ではその大学院の修士課程、専門職学位課程、博士課程の定める学位の他に、大学が提携する他大学特に外国にある大学の学位の取得も可能になるダブルディグリー・プログラムや学位の取得はできない代わりに知識や技術の修得のみに徹するノンディグリー・プログラムという教育課程もできるなど、大学院の修了資格としての学位のあり方も変わりつつある。 なお、同時に2つ以上の学位取得する制度として複数学位(ダブル・ディグリー)、共同学位(ジョイント・ディグリー)がある。いずれも複数の学位の取得を意味する点では同義である。但し制度としての複数学位とは、複数の大学が協定を結び、当該大学の課程を修了した者には修了した大学及び協定校の学位も同時に授与される制度をいう。これに対して、共同学位とはひとつの教育課程で複数の学位の授与を目指し教育を施す制度をいう。特に修士号を2つ取得することをダブルマスターと呼ぶことがあるが、高等な学位にいくに従い、こうした制度が年々充実・発展を遂げている。. 進士(しんし)とは、律令制において式部省が行った秀才・明経に次ぐ第三の官吏登用試験。進士試(しんしし)とも。 博く群書に通じ才学の高い人物を登用するため、「治国之要務」(時事問題)を問う時務策と呼ばれる論文が2題と『文選』の中から7首、『爾雅』の中から3首、合計10首の帖試(本文を暗記させて、出題者が示した空白部分を暗唱させる課題)を課した。甲乙丙の3段階で評価され、甲第と乙第に評定されると及第とされ、前者は従八位下、後者は大初位上に叙された。だが、及第には論文2題がともに文章・論旨ともに適格とされて合格と判断され、かつ帖試は甲第が全問、乙第が6問以上の正答を必要としたため、極めて難問であった。歴史上、甲第として知られる例は716年(霊亀2年)に遣唐留学生に選ばれた下道真備(吉備真備)など数少ない。また庶民から進士に合格し下級官人となり、最終的に貴族にまでなった人物として勇山文継が知られている。 秀才などに比較して及第者に対する叙位が低い一方で、出題が難問であったために志願者が少なく、平安時代の貞観年間に廃止され、「進士」の呼称は漢文作成の試験で選抜された紀伝道学生である文章生に対する別称となった。.

学位と進士 (日本)間の類似点

学位と進士 (日本)は(ユニオンペディアに)共通で5ものを持っています: 大学寮律令制科挙秀才 (日本)進士

大学寮

大学寮(だいがくりょう)は、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関である。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行った。唐名は「国子監」又は「国子寺」。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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科挙

科挙の合格者発表(放榜) 貢院の号舎 科挙(かきょ、)とは、中国で598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である。.

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秀才 (日本)

才(しゅうさい)とは、律令制において式部省が行った最高の官吏登用試験。秀才試(しゅうさいし)とも。後に紀伝道の学生である最優秀者である文章得業生のみが受験できるようになり、また本来は秀才の解答論文を指した「対策」の名称が広く用いられるようになり、秀才は文章得業生の別称となった。.

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進士

明代の進士服 進士(しんし、満州語:dosikasi)とは、隋から北宋中期にかけては科挙の六科の一つ。王安石の改革で進士科以外が廃止された後は、科挙の登第者(合格者)を指し、以降の南宋から清まで続いた制度である。.

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学位と進士 (日本)の間の比較

進士 (日本)が19を有している学位は、195の関係を有しています。 彼らは一般的な5で持っているように、ジャカード指数は2.34%です = 5 / (195 + 19)。

参考文献

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