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大舘尚氏と大舘氏

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大舘尚氏と大舘氏の違い

大舘尚氏 vs. 大舘氏

大舘 尚氏(おおだち ひさうじ)は、室町時代後期(戦国時代)の武将。大舘教氏(のりうじ、「教」字は足利義教の偏諱)の子。叔母に大舘佐子。初名は重信(しげのぶ)、のち尚氏に改名。また、法名の常興(じょうこう)でも知られている。. 別紋:酢漿草 大舘氏館跡。 大舘氏(おおだちし)は、日本の姓氏のひとつ。大館氏とも表記する。”おおだて”と読む場合もある。.

大舘尚氏と大舘氏間の類似点

大舘尚氏と大舘氏は(ユニオンペディアに)共通で15ものを持っています: 吉川弘文館大舘常興日記大舘常興書札抄大舘佐子大舘晴光奉公衆室町幕府上杉謙信代官伊予国足利義輝足利義政治部省有職故実新人物往来社

吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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大舘常興日記

大舘常興日記(おおだちじょうこうにっき)は、室町時代後期から戦国時代にかけての室町幕府幕臣大舘尚氏の日記(「大館」とも表記、常興は法号)。『大舘記』とも呼ばれる。 大舘氏は室町幕府奉公衆を務めており、特に尚氏は当時としては稀に見る長寿で足利義政から義晴までの代々の将軍に仕えていた老臣であり、武家故実に深く通じた人物であった。戦国時代の室町幕府の状況や幕府料所荘園の状況などを知る貴重な史料となっている。また、『大舘常興書札抄』を著すなど、書札礼にも関心が深く、書信の写しなども記述されている。 現在、天文9年(1540年)4月と同10年10-12月、同11年2-5・8-9月の9冊(9ヶ月分)の自筆本が天理図書館に所蔵されている。また、内閣文庫には天文7年9月より天文11年9月までのうち24冊分の写本が存在している。.

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大舘常興書札抄

大舘常興書札抄(おおだちじょうこうしょさつしょう)は、室町時代後期から戦国時代にかけての室町幕府幕臣大舘尚氏の書札礼書(「大館」とも表記、常興は法号)。原題は現存写本の内題にある「書札之事」とみられている、現在の書名は『群書類従』によるもので写本によって題名が異なる。戦国時代初期の永正・大永年間の著作とされている。原本は存在せず、複数の写本が残されているが題名や一部内容が異なるものがある。 大舘尚氏が「九郎」と呼ばれる人物のために書き与えたとされている。この人物は尚氏の子弟か近親者と推定されている(なお、宮内庁書陵部所蔵松岡本は宛先を息子の大舘晴光とするが、晴光が九郎の名乗りを用いた記録は無く、別人の可能性が高い)。 室町幕府申次衆などを務め、将軍と諸権門との連絡役を務めることが多かった大舘氏当主が将軍・公卿以下の公家、門跡以下の僧侶、管領以下の守護大名、室町幕府の諸役人や諸大名の家臣などに出す場合の書札礼を差出対象ごとに分けた上で実際の書札を例に取りながら注記を加えたものである。その後に諸種の脇付や上所の高低を示す。幕臣である大舘氏の立場で書かれた書札礼で一般的な書札礼を論じた著作ではないものの、武家故実に優れた大舘尚氏の書札礼として後世に重んじられた。.

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大舘佐子

大舘 佐子(おおだち さこ・さんこ・さんご、生没年不詳)は、室町時代の女性。.

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大舘晴光

大舘 晴光(おおだち はるみつ、生年不詳 - 永禄8年4月28日(1565年6月6日))は、戦国時代の武将。室町幕府幕臣。大舘尚氏(常興)の子。 家の慣例により、室町幕府第12代将軍足利義晴より偏諱を受け、晴光と名乗る。のちに、弟の藤安(ふじやす)と嫡男の輝光(てるみつ)も第13代将軍足利義輝(初め義藤、義晴の子)から偏諱の授与を受けている。 大舘氏(「大館」とも表記する)は足利氏と同族の新田氏支族であり、代々室町幕府の重職を務めてきた家柄で、父は有職故実の専門家として知られていた。また、姉(または妹)が将軍足利義晴の側室であった事から足利将軍家の覚えもめでたく、永禄2年(1559年)には従四位下に叙せられ、左衛門佐・上総介・陸奥守などを歴任した。 将軍義輝が最も重要視していた越後の長尾景虎(上杉謙信)との交渉の責任者であり、永禄2年(1559年)に景虎が上洛した際には接待役に任じられている。また、成功はしなかったものの、義輝の命により景虎と北条氏康との和睦交渉の仲介役にあたった。 Category:室町幕府奉公衆 Category:戦国武将 はるみつ Category:生年不明 Category:1565年没.

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奉公衆

奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである。将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた。番衆(小番衆)とも。 鎌倉時代の御所内番衆の制度を継承するもので、一般御家人や地頭とは区別された将軍に近侍(御供衆)する御家人である。奉行衆が室町幕府の文官官僚であるとすれば、奉公衆は武官官僚とも呼ぶべき存在であった。後年、豊臣秀吉も奉公衆の制度を設けている。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。最強の戦国武将の1人といわれ、後世、軍神や越後の虎、越後の龍と称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)。1561年(景虎31歳)、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られ(「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられ)上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが48歳で志半ばで死去した。兜は、飯綱明神前立鉄錆地張兜。謙信には実子がおらず、謙信の死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発した。 謙信は、「義」を重んじ、戦乱の世にあっても侵略のための戦いはしない一方、他国から救援を要請されると出兵し、「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」(私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す)『白河風土記』と述べている。また、謙信が敵将武田信玄の領国甲斐が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれた。.

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代官

代官(だいかん)とは、君主ないし領主に代わって任地の事務を司る者又はその地位をいう。日本では、武家政権における役職の1つとなった。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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足利義輝

足利 義輝(あしかが よしてる)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:天文15年(1546年) - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))。.

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足利義政

足利 義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。初名は足利 義成(- よししげ)。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。.

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治部省

治部省(じぶしょう)は律令制における八省のうちのひとつ。和名は「おさむるつかさ」。.

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有職故実

有職故実(ゆうそくこじつ)とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究すること。.

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新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

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大舘尚氏と大舘氏の間の比較

大舘氏が125を有している大舘尚氏は、78の関係を有しています。 彼らは一般的な15で持っているように、ジャカード指数は7.39%です = 15 / (78 + 125)。

参考文献

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