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哲學大辭書

索引 哲學大辭書

哲學大辭書(てつがくだいじしょ、)は、『大日本百科辭書』に属する一編であり哲学・心理学に関連する分野の項目を編纂した日本の百科事典である。 また各項目の終わりには執筆者の名前も掲載されている。初版初刷の価格は1冊あたり4円50銭(計31円50銭)である。.

118 関係: 加藤玄智博士(文学)南条文雄吉田熊次吉田静致坪井正五郎大塚保治 (美学者)大島正徳大谷大学大槻快尊大正大学姉崎正治学士(文学)学習院宗教学宗教家小倉進平小柳司気太小林一郎島地大等島地黙雷上野陽一中島力造中島徳蔵中国哲学常盤大定三並良乙骨三郎人類学広島高等師範学校井上哲次郎仏教伝記得能文心理学ペーパーバックハードカバーインド哲学キリスト教コプト正教会哲学哲学史哲学者円 (通貨)内務省児童学元良勇次郎前田慧雲回教倫理学...倉橋惣三石原謙社会学神道立正大学第七高等学校第一高等学校 (旧制)精神病理学紀平正美美学生理学生物学田中義能田中茂穂 (生物学者)百科事典Doctor of Philosophy遠藤隆吉荻原雲来飯塚啓駒澤大学言語学認識論高島平三郎高楠順次郎論理学谷本富鷲尾順敬鹿児島師範学校関野貞藤岡勝二藤井健治郎速水滉MA東京大学東京音楽学校 (旧制)東京高等師範学校東洋大学松本亦太郎松本文三郎村田勉桑田芳蔵桑木厳翼椎尾弁匡樋口龍峡永井潜波多野精一法哲学深作安文渡辺海旭朝永三十郎浮田和民日本哲学日本語早稲田大学早稲田大学高等師範部教育学慶應義塾大学12月28日1909年1910年1911年1912年1月28日3月15日6月30日8月20日8月5日 インデックスを展開 (68 もっと) »

加藤玄智

加藤 玄智(かとう げんち、1873年6月17日 - 1965年5月8日)は、日本の宗教学者、文学博士。正四位、勲三等、瑞宝章。紫綬褒章。.

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博士(文学)

博士(文学)(はくし ぶんがく)は、人文科学(哲学、史学、文学を含む広義での文学)に関する専攻分野を修めることによって、1991年以降に日本で授与されている博士の学位である。.

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南条文雄

南條 文雄(なんじょう ぶんゆう、嘉永2年5月12日(1849年7月1日) - 昭和2年(1927年)11月9日)は、日本の明治・大正期に活躍した仏教学者・宗教家。南条文雄とも表記される。字は碩果、松坡。 近代以前からの伝統的な仏教研究の上に、西洋近代の実証的・客観的な学問体系と方法論を初めて導入した。早い時期から仏典の原典であるサンスクリット(梵語)テキストの存在に注目。主要な漢訳経典との対校を行なうとともに、それらの成果をヨーロッパの学界に広く紹介するなど、近代的な仏教研究の基礎形成に大きな役割を果たした。.

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吉田熊次

吉田 熊次(よしだ くまじ、1874年(明治7年)2月27日 - 1964年(昭和39年)7月15日)は、日本の教育学者。東京帝国大学教授。文学博士。.

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吉田静致

吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。.

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坪井正五郎

坪井 正五郎(つぼい しょうごろう、文久3年1月5日(1863年2月22日) - 大正2年(1913年)5月26日)は、日本の自然人類学者。.

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大塚保治 (美学者)

大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日(1869年2月1日) - 1931年(昭和6年)3月2日)は日本の美学者、東京帝国大学教授。夏目漱石との交友でも知られる。.

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大島正徳

大島 正徳(おおしま まさのり、1880年11月11日 - 1947年4月21日)は、日本の哲学者、教育家。.

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大谷大学

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大槻快尊

大槻 快尊(おおつき かいそん、1880年4月13日 - 1936年6月2日)は日本の心理学者。かつ真言宗智山派の僧である。.

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大正大学

記載なし。

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姉崎正治

姉崎 正治(あねさき まさはる、1873年7月25日 - 1949年7月21日)は、日本の文筆家・評論家・宗教学者(インド宗教・神道・仏教・キリスト教・新宗教)。ペンネームは姉崎 嘲風(あねさき ちょうふう)。別名姉嵜正治。.

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学士(文学)

学士(文学)(がくし ぶんがく)は、日本の学士の学位の一つである。.

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学習院

学習院初代校舎 学習院(がくしゅういん)は、旧宮内省の外局として設置された国立学校。1947年(昭和22年)に廃止・民営化され、新たに私立学校として再出発した。.

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宗教学

宗教学(しゅうきょうがく、)は、経験科学の様々な手法を用いて宗教を研究する学際的な学問である。ドイツ語圏では“”、オランダ語では“”、英語圏の国々においては、、またはという名称の下に近代の大学制度に成立するが、近年は、が用いられることが多い。 もともとは神学の一部であったが独立し、キリスト教の神学以外の分野を対象とするかたちで、民俗宗教から新宗教まで、幅広く研究する学問分野である。現在では研究手法により、宗教社会学・比較宗教学・宗教心理学・宗教人類学・宗教民俗学などと分類される。特定宗教の教義の研究を行う神学・教学・宗学、あるいは宗教哲学とは区別される。広義の宗教学では、これらを含める場合もある。宗教学は経験科学の範囲内のみとするか、形而上学的範囲を含めるかは課題である。 宗教学は19世紀後半にヨーロッパにおいて成立した。欧米における経験科学の発達、および、植民地支配等による様々な宗教との接触が発生の背景にある。 宗教学研究の初期の段階では、キリスト教と他の宗教を比較検討することにより、宗教の一般的要素、普遍的要素の追求や進化・発展過程の研究が行われた。マクス・ミュラーによるインドの宗教研究に基づいた東洋と西洋の宗教の比較や、ジェームズ・フレイザーによる古代ギリシア・古代ローマの宗教、ヨーロッパ民間信仰、原始宗教の比較研究がこれにあたる。 また、社会学・心理学の発展において宗教はその研究対象となった。社会学の例として、エミール・デュルケームの『宗教生活の原初形態』や、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』があげられる。 また、心理学においても、スターバックの宗教心理学や、ウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』が19世紀末から20世紀はじめにかけて発表されている。また、文化人類学や民族学、民俗学においては、成立時より、多くの研究領域が重なっているといえる。 このように宗教学は、「宗教」という研究対象に対し、様々な研究方法を用いて研究が進められている。個々の研究は宗教学の研究であると同時に社会学・心理学・文化人類学等それぞれの研究であるとも言える。.

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宗教家

宗教家(しゅうきょうか)は、特定の宗教に深く通じ、その研究や普及活動に従事する者.

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小倉進平

小倉 進平(おぐら しんぺい、1882年6月4日 - 1944年2月8日)は、日本の言語学者。朝鮮語研究、日本語研究。日本語研究にも多くの業績があるが、特に朝鮮語研究においてその後の研究の礎を築いた。.

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小柳司気太

小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治3年11月3日)- 1940年(昭和15年)7月18日)は、日本の中国文学者、道教の研究者。新潟県出身。東京帝国大学選科卒。旧姓は熊倉。.

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小林一郎

小林 一郎(こばやし いちろう).

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島地大等

島地 大等(しまじ だいとう、1875年10月8日 - 1927年7月4日)は、浄土真宗の僧侶。旧姓は姫宮、幼名は等。新潟県頸城郡三郷村(現・上越市)出身。 1902年に島地黙雷の養嗣子(法嗣)となり、黙雷亡き後盛岡の願教寺住職となる。曹洞宗大学(現駒澤大学)、日蓮宗大学(現立正大学)、東洋大学などで教え、1919年東京帝国大学講師として死去までインド哲学を教えた。数え53歳で死去し、後を子の島地黙猊が継ぎ、『天台教学史』など多くの遺稿が刊行された。.

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島地黙雷

島地 黙雷(しまじ もくらい、天保9年2月15日(1838年3月10日) - 明治44年(1911年)2月3日)は、明治時代に活躍した浄土真宗本願寺派の僧。周防国(山口県)和田で専照寺の四男として生まれる。雨田、北峰、六々道人などと号す。西本願寺の執行長。.

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上野陽一

上野 陽一(うえの よういち、1883年10月28日 - 1957年10月15日)は日本の経営学者、産業心理学者。産業能率短期大学の創始者。フレデリック・テイラーによる科学的管理法を「能率学」と名付け邦訳し、日本における経営学の端緒を開き「能率の父」と呼ばれる。位階勲等は正四位勲二等。.

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中島力造

中島 力造(なかじま りきぞう、安政5年1月8日(1858年2月21日) - 大正7年(1918年)12月21日)は倫理学者。同志社英学校最初の学生のひとりで開校当初元良勇次郎、上野栄三郎とともに真っ先に駆けつけた。.

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中島徳蔵

中島 徳蔵(なかじま とくぞう、文久4年2月2日(1864年3月9日) - 昭和15年(1940年)5月31日)は、日本の教育者。.

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中国哲学

中国哲学(ちゅうごくてつがく)は、中国思想の文脈で書かれた哲学。中国の伝統哲学の多くは「諸子百家」の時代として知られる春秋戦国時代にまで起源を遡る。諸子百家は顕著な知的・文化的発展によって特徴づけられる。中国哲学の多くは戦国時代に始まったが、その構成要素は数千年にわたって存在してきた。『易経』(変化の書)は古代の卜占の概要をまとめたもので少なくとも紀元前672年にまで起源を遡るが、この書物にそういう構成要素を見出すことができる戦国時代にこそ中国の大哲学派、つまり、儒家、墨家、法家、そして道家が農家、陰陽家、名家のような後に勢いを失う学派とともに生まれたのである。 秦王朝が倒れた後に、儒学は中国で支配的な学派となった。漢王朝以前、儒学の主要な論争相手は法家と墨家だった。歴史的に存在する学派としての法家は始皇帝の評判の悪い権威主義的な法律のために概して消えていったが、法家の思想・制度の多くは辛亥革命で帝政が終わるまで中国哲学に影響を与え続けた。墨家は有名であるが最初に兄弟愛を強調したために秦王朝が奉じた法家と争い、後に漢王朝の時代に政治的正当性を獲得した儒家と争って支持を失っていった。六朝時代には玄学が起こり、中国仏教が盛んになった。仏教は後漢王朝の時代にインドから中国へ入ってきた。唐王朝の時代には仏教がインドから中国に到来してから500年がたっていたが、中国仏教は中国独自の宗教哲学へと完全に姿を変えていた。中国仏教では禅宗が優位を占めた。新儒学が宋・明の時代に大きな支持を集めたが、それは主に儒学と禅哲学とを融合させたことによる。 儒教は中国の賢人孔子の教えを集めたものである。孔子は紀元前551年から紀元前479年まで生きた人である。彼の哲学の関心は倫理学と政治学にあり、個人及び政府の倫理、関係の正しさ、正義、伝統の墨守、誠実さを重視した。論語は儀式の重要さだけでなく「仁」の重要性も強調している。仁は大まかに訳すと「人の心」となる。儒教は、法家とともに、世界で最初に生まれたメリトクラシー、つまり人の財産は家柄、財産、コネよりもむしろ教育と徳性によって決められるべきだという思想の原因である。儒教は中国の文化、国家、さらに東南アジアの国々にも大きな影響を与えたし、現在も与え続けている。 19世紀および20世紀に、中国哲学は西洋哲学の概念と統合した。辛亥革命に参加した反清革命派は西洋哲学を伝統哲学に取って代わるものとみなした。五四運動を学んだ者は中国の古い皇帝制やその実践を完全に廃することを求めた。この時期、中国の学者は民主主義、マルクス主義、社会主義、自由主義、共和主義、それにナショナリズムのような西洋哲学のイデオロギーを中国哲学に組み入れようとした。その最たる例は孫文の三民主義や、マルクス・レーニン主義の変種である毛沢東のマオイズムである 。現代の中華人民共和国では公式のイデオロギーは鄧小平の「社会主義市場経済」である。 中華人民共和国は歴史的に古代中国哲学と敵対してきたが、後者の影響は中国文化に今も非常に深く染み込んでいる。ポスト改革開放の時代には現代中国哲学は「新儒家」のような形をとって再登場した。日本と同様に、中国において哲学は思想のるつぼとなってきた。新しい概念も受け入れるが一方でそれと古い思想を調和させようともする。中国哲学は東アジア、さらに東南アジアの人々に強い影響を与え続けている。.

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常盤大定

常盤 大定(ときわ だいじょう、1870年5月8日(明治3年4月8日) - 1945年(昭和20年)5月5日)は、仏教研究者、浄土真宗大谷派の僧。 磐城国伊具郡大張村(現宮城県伊具郡丸森町)出身。号・榴邱。1898年東京帝国大学文科大学哲学科卒業。真宗大谷派講師。1907年東京帝大印度哲学講師、1921年文学博士、1925年教授。1931年定年退官、東洋大学教授、東方文化学院東京研究所研究員・評議員。晩年は浅草本願寺の輪番を務めた。 1917年から1929年の間に五度中国に渡り、仏教・儒教・道教に関する文化史跡を踏査、関野貞との共著『支那仏教史蹟』『支那文化史蹟」を著した。.

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三並良

三並 良(みなみ はじめ、1865年11月20日(慶応元年10月3日) - 1940年(昭和15年)10月27日)は日本のドイツ哲学者、牧師である。 慶応元年(1865年)伊予国松山(現愛媛県松山市)の漢学者・歌原邁の子に生まれ、長じて母方の三並家を継ぐ。同郷の正岡子規の母の従弟であり、松山中学時代の子規が「五友」の一人に数えるなど交流があった。明治16年(1883年)に東京で獨逸学協会学校に入学する。ドイツ普及福音教会のウィルフリード・スピンナーの感化を受ける。明治20年(1887年)に新教神学校に入学する。卒業後、向軍治、丸山通一と共に普及福音教会を設立する。そして、教会の機関紙「真理」の編集に携わる。 明治24年(1891年)に壱岐坂教会の牧師になるが、その後普及福音協会を離れて、ユニテリアンに加わる。明治33年(1900年)に日本ゆにてりあん協会機関紙「六合雑誌」の編集長を務める。後に、ユニテリアンの牧師になり、日本ゆりてりあん協会の会長を務める。第一高等学校、松山高等学校のドイツ語の教授も務めた。 大正8年(1919年)に日本ホーリネス教会の中田重治、無教会派の内村鑑三が起こした再臨運動に対して、日本組合基督教会の海老名弾正らと共に反対論を展開する。 1935年三並の呼びかけにより、普及福音協会創立50周年記念会が開催される。.

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乙骨三郎

乙骨 三郎(おっこつ さぶろう、1881年(明治14年)5月17日 - 1934年9月19日)は、日本の作詞家、音楽教育者。東京都出身。 東京音楽学校教授や國學院大學講師として西洋音楽の普及、教育に努めた。また『日の丸の旗』『浦島太郎』『池の鯉』といった唱歌の作詞者としても知られる。.

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人類学

人類学(じんるいがく、anthropology)とは、人類に関しての総合的な学問である。生物学的特性について研究対象とする学問分野を形質人類学もしくは自然人類学と呼び、言語や社会的慣習など文化的側面について研究する学問分野を文化人類学もしくは社会人類学と呼ぶ。さらに言語学や考古学、民俗学や民族学、芸能も包括する。.

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広島高等師範学校

かつての校地である広島大学東千田キャンパス内に立つ「廣島高等師範學校・廣島文理科大學校發祥之地」碑 広島高等師範学校(ひろしまこうとうしはんがっこう)は、1902年(明治35年)4月に広島県広島市に設置された、官立の中等学校男子教員養成機関。略称は「広島高師(ひろしまこうし)」。.

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井上哲次郎

井上 哲次郎(いのうえ てつじろう、1856年2月1日(安政2年12月25日) - 1944年(昭和19年)12月7日)は明治時代の日本の哲学者であり、欧米哲学を多く日本に紹介し、帝国大学で日本人で初めて、哲学の教授となった。また、新体詩運動の先駆者でもある。号は巽軒。通称「井の哲(イノテツ)」。筑前国生まれ。大東文化学院総長(第2代)などを歴任した。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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伝記

伝記(でんき)とは、広義には書き記された記録の総称だが、狭義には個人の事績の記録を指す。現代においては、狭義に使われることが多い。以下にそれぞれについて記す。英語名は biography である。 語源である中国語(中期漢語)としての伝記については伝(儒教における伝記)の記事を参照。.

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得能文

得能 文(とくのう ぶん、1866年10月5日(慶応2年8月27日) - 1945年(昭和20年)2月8日)は、日本の哲学者。 越中国(現富山県)生まれ。1892年東京大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校、東洋大学、日本大学、東京帝国大学講師、東京高等師範学校教授。1927年定年。.

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心理学

心理学(しんりがく、psychology)とは、心と行動の学問であり、科学的な手法によって研究される。そのアプローチとしては、行動主義のように行動や認知を客観的に観察しようとするものと、一方で、主観的な内面的な経験を理論的な基礎におくものとがある。研究法を質的研究と量的研究とに大別した場合、後者を主に学ぶ大学では、理数系として心理学を位置付けている例がある。 起源は哲学をルーツに置かれるが、近代の心理学としては、ドイツのヴィルヘルム・ヴントが「実験心理学の父」と呼ばれ、アメリカのウィリアム・ジェームズも「心理学の父」と呼ばれることもある。心理学の主な流れは、実験心理学の創設、精神分析学、行動主義心理学、人間性心理学、認知心理学、社会心理学、発達心理学である。また差異心理学は人格や知能、性などを統計的に研究する。 20世紀初頭には、無意識と幼児期の発達に関心を向けた精神分析学、学習理論をもとに行動へと関心を向けた行動主義心理学とが大きな勢力であったが、1950年代には行動主義は批判され認知革命がおこり、21世紀初頭において、認知的な心的過程に関心を向けた認知心理学が支配的な位置を占める。.

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ペーパーバック

ペーパーバック()もしくはソフトカバー()とは、安価な紙に印刷され、ハードカバーの様に皮や布や厚紙による表紙を用いていない形態の本のことである。並製本(なみせいほん)、仮製本、ペーパーカバーともいう。.

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ハードカバー

ハードカバー()は、硬いカバーの表紙で覆われた本のことである。上製本・本製本・厚表紙本・ハードバックと表記されることもある。 ハードカバーの表紙は、厚紙や布や皮などの材質で作られる。最近の商業的なハードカバーの書籍は、ペーパーバックの書籍と同じく、背表紙の部分を接着剤で固めた、無線綴じと言う手法を使用している。昔の書籍では、背表紙の部分を糸や針金を用いて綴じる手法である、糸かがり綴じが使用されている。本来、ハードカバーの表紙は印刷技術がない当時、羊皮紙を使用し、高価で作成が大変であった書籍を保護するために使用されたものである。その際に、表紙を装飾するために様々な装飾が芸術として発展した。 ハードカバー本は、本文のページ、表紙、裏表紙、表紙のカバーより構成される。本文のページは2枚の厚い表紙の間に綴じられており、表紙には、紙やプラスチックなどによるカバーがかけられることが多い。このように、製本の手間と表紙の材料にコストがかかるため、ハードカバーの本はペーパーバックの本より高価になる傾向がある。そのため、より高額の料金を払ってでも購入する人がいると考えられる書籍がハードカバーで出版される。例えば、著名な作家の小説やエッセイ、高級感がある方が売れる様な百科事典の様な書籍がそれに当たる。 ハードカバーで出版された書籍で良く売れたものは、しばらく後にペーパーバックで出版されることが多い。.

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インド哲学

インド哲学(インドてつがく、darsana、ダルシャナ)は、哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。しかし、伝統的に宗教的な人々は哲学的な議論をしてその宗教性を磨いている伝統がある。 古来の伝統と思われる宗教会議が現在も各地で頻繁に行われている様子で、会議では時には宗派を別にする著名な人々が宗教的な議論を行う。これは数万人の観衆を前にして行われることもあり、白熱した議論が数日にかけて、勝敗が明らかになるまで行われることもある。この場合、判定をする人物がいるわけではなく、議論をする当人が議論の成行きをみて、自らの負けを認める形を取るようである。 インドの宗教、哲学はこのような伝統の中で磨かれたものと思われる。 インド哲学の研究、特にインド仏教学(チベット仏教学も内包する)では、第二次世界大戦前にはドイツがリードしていたが、現代では日本の学会が世界の研究をリードしている。.

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キリスト教

リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.

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コプト正教会

プト正教会(コプトせいきょうかい、コプト語:、英語:Coptic Christianity、Coptic Orthodox Church)は、キリスト教・非カルケドン派(東方諸教会)の一つで、エジプトで発展した。北アフリカがイスラム化した後もエジプトに暮らすキリスト教徒(コプト)の教会。コプト教会とも。 なお、カトリック・コプト教会は東方典礼カトリック教会であって別の組織である。.

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哲学

哲学(てつがく、Φιλοσοφία、philosophia、philosophy、philosophie、Philosophie)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。日本語辞典の広辞苑では、次のように説明している。 観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。もある。.

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哲学史

哲学史(てつがくし、history of philosophy; theory of knowledge)は、哲学の歴史、およびその研究のこと。.

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哲学者

哲学者とは、広義に、哲学を研究する者のことである。「哲学者(フィロソファー)」という語は、「知恵を愛する者」を意味する古代ギリシャ語のφιλόσοφος(フィロソフォス)に由来する。ギリシャの思想家ピタゴラスによって導入された。.

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円 (通貨)

円(えん)は、日本の通貨単位。通貨記号は¥(円記号)、ISO 4217による通貨コードはJPY。旧字体では圓、ローマ字ではyenと表記する。しばしば日本円(にほんえん)ともいう。 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)により「通貨の額面価格の単位は円とし、その額面価格は一円の整数倍とする。」と定められている(通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第2条第1項)。.

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内務省

内務省(ないむしょう、Ministry of Home Affairs、Ministry of Interior など)は、地方行政や国内の治安、出入国管理などの内政を担当する省の訳語として用いられる。.

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児童学

児童学(じどうがく、)は、子供の行動や発達に関する学問。児童心理学や教育心理学に隣接した領域であるが、芸術や教育学とは区別される。.

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元良勇次郎

元良 勇次郎(もとら ゆうじろう、安政5年11月1日(1858年12月5日) - 大正元年(1912年)12月13日)は、日本最初の心理学者である。旧姓は杉田、1881年に元良家の養子となる。墓所は青山霊園。.

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前田慧雲

前田 慧雲(恵雲、まえだ えうん、安政2年1月14日(1855年3月2日) - 昭和5年(1930年)4月29日)は、伊勢国桑名(現・三重県桑名市)出身の浄土真宗本願寺派の学僧(文学博士・三重県初、東洋大学長、龍谷大学長)。含潤、止舟斎と号す。.

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回教

回教(かいきょう、ピンイン:Huíjiào【ホイチャオ】)は、イスラム教(イスラーム)を指して中国や日本などの漢字文化圏で伝統的に使われてきた言葉である。回回教(フイフイきょう)という場合もある。回教は、回回教がつづまったものとみられる。 この名称の起源については正確にはわかっていないが、回回とは、中国では北宋の時代に現在の新疆ウイグル自治区、甘粛省に居住していたウイグル(回鶻、回紇)を指して用いられていた。ここから転じて、ウイグルの居住地方の方面から東アジアへ訪れるイスラム教徒(ムスリム)まで回回と呼ばれるようになったと考えられている。他に、イスラム教徒がメッカを巡礼する際にカアバ神殿内を回ることから回回と呼ばれるようになったという説や、スーフィズムにおける回旋舞踊から回回と呼ばれるようになったという説もある。 これと前後して地理的、民族的な概念としての回回が次第に拡大し、元の頃までにウイグルの向こう側のトルキスタンにいるムスリムを指すようになった。当時のウイグルはもっぱら仏教やマニ教を信仰していたので、ここに至って「ウイグル」と「回回」は別々の意味の言葉となる。 明代には、回回(ムスリム)が信じる教え(イスラム教)を回教という用法が定着し、清代には中国の領内に居住し中国語を話すムスリムを「回民」、同じ時期には中央アジアに居住しテュルク系言語を話すムスリムが「回部」と呼びわけた。なお、20世紀になって回部はウイグル人と自称・他称するようになっている。 現在日本や中国ではこの名称が使われることは減少してきており、現在の日本では「イスラム教」ないし「イスラーム(教)」という語が広く定着し、かつ日本においてイスラム教徒のことを以前は「回教徒」と称していたが、現在の日本語で「回教徒」と称することはまずない。イスラム教、又はその信者が多い中東地域に起因する服装、建築様式などの文化を「回教系」と表現する事は少なくない。また、中国では「イスラーム」の音訳である「伊斯蘭教」(イースーランジャオ、Yīsīlánjiào)の名称が現在では一般的である。ベトナムでは現在も回教(Hồi giáo)と呼ぶ。 かつては、イスラム教を国教としている国が国名としている「-イスラム共和国」を「回教共和国」と称することもあった(例:パキスタン、イラン)。現在は用いられることはめったにない。.

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倫理学

倫理学(りんりがく、Ηθική、ethica、ethics)あるいは道徳哲学(どうとくてつがく、moral philosophy)とは一般に行動の規範となる物事の道徳的な評価を理解しようとする哲学の研究領域の一つである。 法哲学・政治哲学も規範や価値をその研究の対象として持つが、こちらは国家的な行為についての規範(法や正義)を論ずることとなる。ただしこれら二つの学問分野が全く違う分野として扱われるようになったのは比較的最近である。.

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倉橋惣三

倉橋 惣三(くらはし そうぞう、1882年(明治15年)12月28日 - 1955年(昭和30年)4月21日)は大正時代から昭和時代にかけての日本の教育者。.

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石原謙

石原 謙(いしはら けん、1882年8月1日 - 1976年7月4日)は、キリスト教史学者。東京生まれ。日本学士院会員。.

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社会学

会学(しゃかいがく、sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロレベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする学問である。.

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神道

道(しんとう)は、日本の宗教。教典や具体的な教えはなく、開祖もおらず、神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとずく多神教。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。 天照大御神の孫であるニニギノミコトが降臨した高千穂河原 樹齢約3000年の武雄神社の御神木.

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立正大学

立正大学は日蓮教学のひとつ、すなわち立正(正しき教えを立て国と社会の安寧や和平のために尽くす)の精神に学ぶことを建学の理念とする。また立正精神は次の三つの誓いに現されている。.

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第七高等学校

七高等学校(だいななこうとうがっこう、だいしちこうとうがっこう):.

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第一高等学校 (旧制)

東大駒場Iキャンパス1号館 第一高等学校(だいいちこうとうがっこう、英語: First Higher School, Japan)は、現在の東京大学教養学部および、千葉大学医学部、同薬学部の前身となった旧制高等学校である。「旧制一高」とも呼ばれる。.

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精神病理学

精神病理学(せいしんびょうりがく、 )とは、主として精神疾患の精神症状を記述・分類して、その機構を明らかにし、その経過を究明する学問である。精神疾患の心理的側面を明らかにするのが目的で、異常心理学、病跡学とも関係が深い。精神医学の基礎領域。 精神症状の記述、命名、分類を行って精神疾患の疾病分類に寄与する記述的精神病理学と、症状内容や患者の内的心理を考察する力動的、あるいは人間学的精神病理学に分かれる。.

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紀平正美

紀平 正美(きひら ただよし、1874年4月30日 - 1949年9月19日)は、日本の哲学者。元学習院教授、国民精神文化研究所所員。文学博士。三重県出身。日本におけるヘーゲル哲学研究の先駆者。.

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美学

美学(びがく、aesthetics、またæsthetics、estheticsとも、Αισθητική (本文の2. 名称の項、参照)、「感性の学問」)とは美の本質や構造を、その現象としての自然・芸術及びそれらの周辺領域を対象として、経験的かつ形而上学的に探究する哲学の一領域である。森鴎外により「審美学」という訳語が与えられた美学が日本に輸入された際の訳語の確定までの経緯については、浜下昌宏「森鴎外『審美学』の研究(1)ー序説」, "Studies" 45(1), pp.69-78 (神戸女学院大学, 1998年7月) を参照。西周、中江兆民らも各々「善美学」「佳趣論」等の訳語を創出した。なお、明治14年(1881年)初版の井上哲次郎編『哲学字彙』(東洋館)では、美学の訳語として「美妙学」が採用されていた。が、現在では美学と呼称される。.

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生理学

生理学(せいりがく、physiology)は、生命現象を機能の側面から研究する生物学の一分野。フランスの医師、生理学者であるによりこの用語が初めて導入された。.

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生物学

生物学(せいぶつがく、、biologia)とは、生命現象を研究する、自然科学の一分野である。 広義には医学や農学など応用科学・総合科学も含み、狭義には基礎科学(理学)の部分を指す。一般的には後者の意味で用いられることが多い。 類義語として生命科学や生物科学がある(後述の#「生物学」と「生命科学」参照)。.

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田中義能

中 義能(たなか よしとう、1872年10月14日(明治5年9月12日) - 1946年(昭和21年)3月4日)は、神道学者。 山口県出身。1903年東京帝国大学文科大学哲学科卒。東洋大学教授、第五高等学校教授、國學院大學教授を歴任。1920年東京帝国大学文学部助教授、神道学講座を担当。1933年定年退官、帝国女子専門学校校長。のちの相模女子大学の設立に努めるが急死。神道学会、神道青年連盟協会を設立。女婿は国文学者の次田真幸。.

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田中茂穂 (生物学者)

中 茂穂(たなか しげほ、1878年8月16日 - 1974年12月24日)は、日本の魚類学者であり、東京帝国大学の動物学の教授である。「近代魚類分類学の父」として知られる。魚類やサメに関する多くの論文を発表し、著名なアメリカ人科学者であるデイビッド・スター・ジョーダンおよびとともに日本の魚類に関する書籍を共著し、一般性の高い地方名に基づく標準和名を提唱した。.

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百科事典

科事典(ひゃっかじてん、encyclopaedia)とは、あらゆる科目にわたる知識を集め、これを部門別やアルファベット順・五十音順などに配列し、解説を記した書物のこと広辞苑 第五版 p.2272 百科辞典・百科事典。「百科」と略記されることもある。 thumb.

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Doctor of Philosophy

1861年にイェール大学で授与された学位記。ラテン語で Philosophiae Doctoris と書かれているのが見える。 Doctor of Philosophy(ドクター・オブ・フィロソフィー)はおもに英語圏で授与されている博士水準の学位である。直訳では「哲学博士」となることから分かるように、基本的にはあくまで、伝統4学部のうち職業教育系の神学・法学・医学を除いた「哲学部(ないし教養部)」のリベラル・アーツ系の学位である。 ラテン語の Philosophiae Doctor を略して Ph.D.(ピー・エイチ・ディー)ともいう。イギリス式ではピリオドを打たず PhD とも表記するが、同じイギリスでもオックスフォード大学、サセックス大学、ヨーク大学などでは英語表記の略を用いた D.Phil.

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銭(せん、錢/钱 チエン、전 チョン)は、東アジアのいくつかの国の通貨である。 「銭」(旧字体「錢」)は元は農具の「鋤」を意味する漢字だったが、鍬形の貨幣があったことから貨幣の意味に転じた。通貨としては複数の意味があるが、主に.

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遠藤隆吉

遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年10月2日 - 1946年2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。文学博士。群馬県前橋市出身。私立巣鴨学園の創設者である。妻は初代東京音楽学校(現東京芸術大学)校長を務めた、貴族院議員・伊沢修二の長女夏。法学者の近藤英吉は娘婿である。.

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荻原雲来

荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869年3月22日) - 昭和12年(1937年)12月20日)は、和歌山県生まれの浄土宗の僧侶、仏教学者・サンスクリット学者。日本のサンスクリット語研究、サンスクリット文献に基づいた仏教研究の先駆者であり、大成者である。.

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飯塚啓

飯塚 啓(いいづか あきら、慶応4年6月16日(1868年8月4日) - 昭和13年(1938年)12月10日)は、日本の動物学者。元学習院大学教授。環虫類の世界的権威として知られた。特に、ゴカイの研究は世界のトップと言っても過言ではなかった。著書「海産動物学」は、名テキストとして長く使用された。また、東京科学博物館動物学部長としても活躍した。息子は飯塚浩二。.

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駒澤大学

記載なし。

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言語学

言語学(げんごがく)は、ヒトが使用する言語の構造や意味を科学的に研究する学問である。.

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認識論

認識論(にんしきろん、Erkenntnistheorie、Epistemology、Épistémologie)は、認識、知識や真理の性質・起源・範囲(人が理解できる限界など)について考察する、哲学の一部門である。存在論ないし形而上学と並ぶ哲学の主要な一部門とされ、知識論(theory of knowledge)とも呼ばれる。日本語の「認識論」は独語の訳語であり、日本ではヒト・人間を考慮した場合を主に扱う。英語と仏語の語源は「知」(epistēmē) + 「合理的な言説」(logos)。フランスでは「エピステモロジー」という分野があるが、20世紀にフランスで生まれた科学哲学の一つの方法論ないし理論であり、日本語では「科学認識論」と訳される。 哲学はアリストテレス以来その領域を諸科学によって置き換えられていったが、最後に狭い領域が残り、それが大きく認識論と存在論に大別され、現在もこの分類が生きている。認識論ではヒトの外の世界を諸々の感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にあり、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることが存在論である。しかし、哲学における方法論は思弁に尽きるため、仮説を立て実験によって検証するという科学的方法論は長年取り入れられることはなかった。哲学論は基本的に仮設の羅列に過ぎず、単に主観的な主張であった。客観性の保証が全くない内観法が哲学者の主たる武器であった。19世紀末ごろ、認識論の一部が哲学の外に出て心理学という学問を成立させるが、初期にはもっぱら内観や内省を方法論とし、思弁哲学と大差はなかったため、のちにアームチェア心理学と呼ばれた。やがて、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとに実験心理学が登場し、認識の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などがその研究対象になった。実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。それを嫌い人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。このため、認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。しかし、脳科学の進歩によって急速に、認識論と存在論の2つの世界は大きく浸食されつつある立花隆『脳を究める』(朝日新聞社 2001年3月1日)。.

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高島平三郎

島 平三郎(たかしま へいざぶろう、1865年11月18日(慶応元年10月1日) - 1946年2月15日)は、日本の教育者、心理学者、体育学者、社会教育活動家で、東洋大学学長などを務めた。号は蜻州、字は士信。.

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高楠順次郎

楠 順次郎(たかくす じゅんじろう、1866年6月29日(慶応2年5月17日) - 1945年(昭和20年)6月28日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の仏教学者、インド学者。文学博士。号は雪頂。 東京帝国大学(東京大学の前身)文学部教授、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)校長、東洋大学学長、武蔵野女子学院高等女学校(武蔵野女子学院中学校・高等学校の前身)および千代田女子専門学校(旧武蔵野女子大学短期大学部、武蔵野大学の前身)校長を歴任した。.

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論理学

論理学(ろんりがく、)とは、「論理」を成り立たせる論証の構成やその体系を研究する学問である。.

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谷本富

谷本 富(たにもと とめり、1867年11月12日(慶応3年10月17日) - 1946年(昭和21年)2月1日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育学者。号は梨庵。 はじめヘルバルト主義教育を紹介、その後国家主義教育、新教育、実験主義教育などを提唱した。.

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鷲尾順敬

鷲尾 順敬(わしお じゅんきょう、慶応4年3月18日(1868年4月10日) - 昭和16年(1941年)1月13日)は、摂津国(大阪府)出身の仏教史学者。 東洋大学卒業後、曹洞宗大学林、その後身の駒澤大学、東洋大学にて教授。明治25年(1892年)、境野黄洋、村上専精と協力して溯源窟を興し『仏教史林』を刊行。.

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鹿児島師範学校

鹿児島師範学校 (かごしましはんがっこう) は、1943年(昭和18年)に鹿児島県に設置された官立の師範学校である。 本項は鹿児島県師範学校・鹿児島県女子師範学校などの前身諸校を含めて記述する。.

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関野貞

関野 貞(せきの ただし、慶応3年12月15日(1868年1月9日) - 昭和10年(1935年)7月29日)は、日本の建築史学者、東大教授。文化財の保存に努めたことで知られる。.

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藤岡勝二

藤岡 勝二(ふじおか かつじ、1872年8月12日 – 1935年2月28日)は、日本の言語学者。上田萬年を継いで東京帝国大学言語学教授をつとめた。.

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藤井健治郎

藤井 健治郎(ふじい けんじろう、1872年10月12日(明治5年9月10日) - 1931年(昭和6年)1月15日)は、日本の倫理学者。 山形県出身。旧姓は石川。号は館山。東京帝国大学卒。早稲田大学教授を経て、1913年、京都帝国大学教授。.

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速水滉

速水 滉(はやみ ひろし、1876年12月23日 - 1943年6月27日)は、日本の心理学者。 岡山県出身。東京帝国大学卒業。旧制山口高等学校、第一高等学校教授、1924年京城帝国大学教授、のち総長。.

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MA

MA、Ma、ma、mA.

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東京大学

記載なし。

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東京音楽学校 (旧制)

東京音楽学校(とうきょうおんがくがっこう)は1887年、東京府下谷区に設立された官立(唯一)の音楽専門学校である。.

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東京高等師範学校

東京文理科大学附置時代の東京高等師範学校 / 両校が共有していた大塚校地は、戦後の東京教育大学本部(大塚)キャンパス時代を経て現在は筑波大学東京キャンパス文京校舎および教育の森公園となっている。 東京高等師範学校(とうきょうこうとうしはんがっこう)は、1886年(明治19年)4月、東京市神田区(現在の東京都文京区)に設立された官立の高等師範学校(旧制教育機関)である。略称は「東京高師」(とうきょうこうし)。 この項目では、その前身であり、1872年(明治5年)に設立された「(東京)師範学校」についても扱う。.

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東洋大学

記載なし。

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松本亦太郎

松本 亦太郎(まつもと またたろう、1865年11月3日(慶応元年9月15日) - 1943年(昭和18年)12月24日)は、日本の心理学者。旧姓は飯野、1879年松本家の養子となる大泉溥 編 『日本心理学者事典』クレス出版 (2003) ISBN 4-87733-171-9。.

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松本文三郎

松本 文三郎(まつもと ぶんざぶろう、1869年(明治2年5月) - 1944年12月18日)は、インド文化・仏教美術史学者。 加賀国金沢(現石川県金沢市)生まれ。1893年帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)を卒業後、第一高等学校教授、1899年文学博士。1906年京都帝国大学文科大学インド哲学史教授、1908年〜1915年文科大学長、1929年定年退官、名誉教授。1919年帝国学士院会員。1938年東方文化研究所所長。「日本大蔵経」の編集、インド・中国の仏教遺跡調査にあたった。.

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村田勉

村田 勉(むらた つとむ、1909年6月3日的川泰宣「」 - 宇宙航空研究開発機構 - 2000年1月?)は、日本の技術者、実業家。火薬の専門家として知られ、日本海軍では艦砲の火薬や固体燃料ロケットの研究をおこない、戦後は日本油脂に勤務し、糸川英夫のペンシルロケットに推進剤を提供した。のちに日本油脂の社長・会長を務める。.

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桑田芳蔵

桑田 芳蔵(くわだ よしぞう、1882年7月11日 - 1967年10月10日)は、日本の心理学者(民族心理学専攻)、東京帝国大学および大阪大学名誉教授。.

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桑木厳翼

桑木 厳翼(くわき げんよく、1874年(明治7年)6月25日 - 1946年(昭和21年)12月15日『日本人名大辞典』710頁。)は、日本の哲学者。文学博士。.

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椎尾弁匡

椎尾 弁匡(しいお べんきょう、1876年7月6日 - 1971年4月7日)は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶・政治家。大正大学学長や大本山増上寺法主などを歴任した。.

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樋口龍峡

樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。.

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永井潜

永井 潜(ながい ひそむ、1876年11月14日 - 1957年5月17日)は日本の医学者、生理学者。.

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波多野精一

波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。 西田幾多郎とならぶ京都学派の立役者。早大での教え子には村岡典嗣、東大での教え子には石原謙、安倍能成、京大での教え子には田中美知太郎、小原国芳らがいる。また指導学生ではないが、波多野の京大での受講者で波多野から強い影響を受けたとされる人物に三木清がいる。.

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法哲学

法哲学(ほうてつがく、Philosophy of law、Rechtsphilosophie)とは、法に関して、その制定および運用や様ざまな人の法観念・法感覚、また、法現象とよばれる社会現象等に視点をあてて、哲学的に、平たく言えば、既存の諸概念にとらわれることなく考察する学問分野である。そのため、具体的な内容について研究者間の見解の相違が大きく、法の一般的定義は困難となっている。.

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深作安文

深作 安文(ふかさく やすふみ、1874年9月13日 - 1962年12月9日)は、倫理学者。 茨城県出身。帝国大学文科大学卒。1912年、東京帝国大学文学部倫理学科助教授、のち教授。1935年、東京商科大学(現・一橋大学)講師。井上哲次郎の学統を受けて水戸学を研究、国民道徳論を提唱。.

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渡辺海旭

渡辺 海旭(わたなべ かいきょく、明治5年1月15日(1872年2月23日) - 昭和8年(1933年)1月26日)は、東京・浅草出身の学僧。浄土宗の僧侶。社会事業家。阿雷狂史・壺月と号す。.

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朝永三十郎

朝永 三十郎(ともなが さんじゅうろう、明治4年2月5日(1871年3月25日) - 昭和26年(1951年)9月18日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授(西洋哲学)。京都学派を代表する人物の一人。子に物理学者の朝永振一郎。.

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浮田和民

浮田 和民(うきた かずたみ、安政6年12月28日(1859年1月20日) - 昭和21年(1946年)10月28日)は、日本の思想家・政治学者。法学博士、早稲田大学高等師範部長。同志社英学校最初の卒業生。熊本バンドの一人。 軍人の石光真清、石光真臣兄弟は従兄弟にあたる。先妻・末、後妻・五女は共に下村孝太郎の妹である。長女・操は原安三郎の妻、次女・恵美子の子は若林貴世志、三女・東子の子は浮田克躬.

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日本哲学

日本哲学(にほんてつがく)は、日本の哲学・思想のこと。歴史的には土着の神道と大陸からやってきた思想、例えば仏教や儒教との混淆であった。かつて中国哲学とインド哲学の両方から影響を受けた水戸学や禅のように、今日より近代の日本哲学も西洋哲学の影響を受けている。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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早稲田大学高等師範部

早稲田大学高等師範部(わせだだいがくこうとうしはんぶ)は、かつて日本に存在した高等教育機関。早稲田大学教育・総合科学学術院の前身。.

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教育学

250px 教育学(きょういくがく、、)は、教育に関する研究、または教育という事象を対象とする学問。.

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慶應義塾大学

記載なし。

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12月28日

12月28日(じゅうにがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から362日目(閏年では363日目)にあたり、年末まであと3日ある。.

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1909年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1911年

記載なし。

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1912年

記載なし。

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1月28日

1月28日(いちがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から28日目に当たり、年末まであと337日(閏年では338日)ある。.

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3月15日

3月15日(さんがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から74日目(閏年では75日目)にあたり、年末まであと291日ある。.

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6月30日

6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.

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8月20日

8月20日(はちがつはつか、はちがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から232日目(閏年では233日目)にあたり、年末まであと133日ある。.

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8月5日

8月5日(はちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から217日目(閏年では218日目)にあたり、年末まであと148日ある。.

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