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古琴

索引 古琴

100px 古琴(こきん、クーチン、)は、中国の古い伝統楽器。七弦琴(しちげんきん)とも呼ぶ。3000年の歴史がある撥弦楽器で、八音の「糸」に属し、7本の弦を持つ。箏などと違い、琴柱(ことじ)はなく徽(き)と呼ばれる印が13あり、これに従い、左指で弦を押さえて右指で弾く。古琴演奏技は、2003年、ユネスコの無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、2009年9月に無形文化遺産として正式登録された。 古琴は中国の文人が嗜むべきとされた“琴棋書画”の一番目である。孔子、諸葛孔明、竹林の七賢の嵆康、陶淵明、白居易など、歴史上著名な多くの文人によって演奏された。日本でも菅原道真、重明親王が学んだことが知られる。「君子左琴」「右書左琴」「伯牙絶弦」「知音」など、琴にまつわる故事成語も多い。 ボイジャーのゴールデンレコードには管平湖による古琴の演奏が収められている。.

96 関係: 厳島神社うつほ物語南北朝時代 (中国)叢書 (漢籍)台湾史記司馬相如吏部王記坂田古典音楽研究所大通 (梁)太宗 (宋)孔子宋 (王朝)岸辺成雄中国中国網中華人民共和国世説新語平安時代平重衡人民網五音音階伏羲伝統御堂関白記徳川義直北京市ポルタメントロバート・ファン・ヒューリックボイジャーのゴールデンレコードトウヒ属フラジオレットフレット列子分数和琴アオギリギターケイ康八音前漢国宝国立歴史民俗博物館国立故宮博物院国際連合教育科学文化機関琴棋書画碣石調幽蘭第五...神農竹林の七賢管平湖純正律紅楼夢無形文化遺産熊沢蕃山白居易芸文類聚荻生徂徠菅原道真馬王堆漢墓詩経諸葛亮黄帝郭店一号楚墓開放弦蔡ヨウ蔡エン重要文化財重明親王至徳 (唐)雅楽陶淵明枕草子揚雄東京国立博物館東皐心越楊宗稷楽器正倉院江戸時代法隆寺献納宝物源氏物語朱権戦国時代 (中国)浦上玉堂文人日本三代実録撥弦楽器懐風藻曾侯乙墓 インデックスを展開 (46 もっと) »

厳島神社

境内 全景(弥山中腹より) 2016年G7広島外相会合における平舞台での雅楽。 厳島神社(いつくしまじんじゃ、公式表記:嚴島神社)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社。式内社(名神大社)、安芸国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」。 古くは「伊都岐島神社」とも記された。全国に約500社ある厳島神社の総本社である。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されている。.

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うつほ物語

文化3年絵入本 『うつほ物語』(うつほものがたり、宇津保物語)は、日本の平安時代中期に成立した長編物語。全20巻。著者は不明だが源順説などがある。『竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の長編物語である。 写実的な描写などは『源氏物語』の成立へ影響を与えたと言われている。当時の貴族にとって、その演奏が教養でもあった楽器のひとつ「琴(きん)」の音楽をめぐって物語が展開していく。当時の年中行事を記した日記的な記述が多くみられる点も特徴のひとつである。 『枕草子』に源涼と藤原仲忠の優劣論争が記され、『源氏物語』の「絵合」巻に「『うつほ』の俊蔭の物語絵」が見えている。.

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南北朝時代 (中国)

北魏と宋 北魏と南斉 東西魏と梁 北周、北斉と後梁、陳 中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。 この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。.

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叢書 (漢籍)

叢書(そうしょ)は、漢籍の分類のひとつで、多くの書物をひとつにまとめたものをいう。 『四庫全書総目提要』では叢書のための特別な分類は存在せず、いくつかの叢書を子部の雑家類に分類している。現在でもこの方式に従うこともあるが、四部分類のほかに叢書部を立てることも多い。 『十三経注疏』『二十四史』なども定義上は叢書と言えるが、分類上は叢書でなく経部や史部に入れられる。.

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台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

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史記

『史記』(しき)は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。 二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。 日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。.

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司馬相如

司馬 相如(しば しょうじょ、紀元前179年 - 紀元前117年)は、中国の前漢の頃の文章家である。蜀郡成都の人。字は長卿(ちょうけい)。名は、もと犬子(けんし)と言った。 賦の名人として知られ、武帝に仕え、その才能を高く評価された。また妻である卓文君との恋愛も有名である。.

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吏部王記

吏部王記(りほうおうき/りぶおうき)は、醍醐天皇第四皇子重明親王の日記で、平安時代中期の政務や朝儀を理解する上での重要な史料である。 本書は、重明親王の極官が式部卿であったため、式部の唐名「吏部」に因んで名付けられた。本書の書名は、『李部王記』『吏部記』『李部記』『重明親王記』『重明記』『重記』等多数の記載方法がある。 本書は逸文しか残っていないが、これらを蒐集すると、延喜20年(920年)正月14日条から、天暦7年(953年)2月23日条までの34年間に亙って記録されていることがわかる。ただ、これはあくまでも逸文蒐集によって得られた結果であるため、正確なところは明瞭でない。日記終了の下限とされる天暦7年2月23日は、親王薨去の1年6ヶ月前(親王は天暦8年9月14日に薨去)であるため、その間の日記が存在しなかったとは考えがたい(同時代の公卿で親王の舅でもある藤原師輔は、薨去2日前まで日記を筆録している。詳しくは『九暦』の項を参照のこと)。『北山抄』によると「見吏部王(重明親王)天暦七年菊合日記」(括弧は筆者註)とあり、天暦7年の菊合の御遊は、10月13日に行われている(『古今著聞集』)。これらのことから、親王は天暦7年10月13日迄日記を筆録していたことがわかるが、いつを下限とするかは明確ではない。 刊本について、古代学協会編『吏部王記』(史料拾遺3、臨川書店、昭和44年〈1969年〉)や、米田雄介・吉岡真之編『吏部王記』(史料纂集、続群書類従完成会、昭和49年〈1974年〉)が、本書の逸文を収録した活字本である。        Category:平安時代の日記 Category:10世紀の書籍 Category:逸書.

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坂田古典音楽研究所

坂田古典音楽研究所(さかたこてんおんがくけんきゅうじょ)は、東京都にある音楽団体。和漢洋(日本・中国のほかに主にヨーロッパ)の古典音楽の研究調査、復元演奏・指導、レクチャーコンサートなどを行っている。.

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堯(尭、ぎょう)は中国神話に登場する君主。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいう。儒家により神聖視され、聖人と崇められた。.

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大通 (梁)

大通(だいつう)は、南朝梁の武帝蕭衍の治世に行われた3番目の元号。527年 - 529年。大通3年は10月に改元されて中大通元年となった。.

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太宗 (宋)

太宗(たいそう)は、北宋の第2代皇帝(在位:976年11月15日 - 997年5月8日)。太祖趙匡胤の弟。諱は元は匡義であったが、兄帝の名を避諱して光義、即位してからは炅(日の下に火)に改めた。.

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孔子

孔夫子の像 孔子(こうし、くじ、、공자〈〉、蔵: ;、紀元前552年9月28日‐紀元前479年3月9日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。ヨーロッパではラテン語化された"Confucius"(孔夫子の音訳、夫子は先生への尊称)の名で知られている。読みの「こうし」は漢音、「くじ」は呉音。 有力な諸侯国が領域国家の形成へと向かい、人口の流動化と実力主義が横行して旧来の都市国家の氏族共同体を基礎とする身分制秩序が解体されつつあった周末、魯国に生まれ、周初への復古を理想として身分制秩序の再編と仁道政治を掲げた。孔子の弟子たちは孔子の思想を奉じて教団を作り、戦国時代、儒家となって諸子百家の一家をなした。孔子と弟子たちの語録は『論語』にまとめられた。 3000人の弟子がおり、特に「身の六芸に通じる者」として七十子がいた。そのうち特に優れた高弟は孔門十哲と呼ばれ、その才能ごとに四科に分けられている。すなわち、徳行に顔回・閔子騫・冉伯牛・仲弓、言語に宰我・子貢、政事に冉有・子路、文学(学問のこと)に子游・子夏である。その他、孝の実践で知られ、『孝経』の作者とされる曾参(曾子)がおり、その弟子には孔子の孫で『中庸』の作者とされる子思がいる。 孔子の死後、儒家は八派に分かれた。その中で孟軻(孟子)は性善説を唱え、孔子が最高の徳目とした仁に加え、実践が可能とされる徳目義の思想を主張し、荀況(荀子)は性悪説を唱えて礼治主義を主張した。『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』といった周の書物を六経として儒家の経典とし、その儒家的な解釈学の立場から『礼記』や『易伝』『春秋左氏伝』『春秋公羊伝』『春秋穀梁伝』といった注釈書や論文集である伝が整理された(完成は漢代)。 孔子の死後、孟子・荀子といった後継者を出したが、戦国から漢初期にかけてはあまり勢力が振るわなかった。しかし前漢・後漢を通じた中で徐々に勢力を伸ばしていき、国教化された。以後、時代により高下はあるものの儒教は中国思想の根幹たる存在となった。 20世紀、1910年代の新文化運動では、民主主義と科学を普及させる観点から、孔子及び儒教への批判が雑誌『新青年』などで展開され、1949年に成立した中華人民共和国では、1960年代後半から1970年代前半の文化大革命において、毛沢東とその部下達は批林批孔運動という孔子と林彪を結びつけて批判する運動を展開。孔子は封建主義を広めた中国史の悪人とされ、林彪はその教えを現代に復古させようと言う現代の悪人であるとされた。近年、中国では、中国共産党が新儒教主義また儒教社会主義を提唱し(儒教参照)、また、「孔子」がブランド名として活用されている(孔子鳥、孔子学院を参照)。.

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宋 (王朝)

宋(そう、拼音 Sòng、960年 - 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建国した。国号は宋であるが、春秋時代の宋、南北朝時代の宋などと区別するため、帝室の姓から趙宋とも呼ばれる。国号の宋は趙匡胤が宋州(河南省商丘県)の帰徳軍節度使であったことによる。通常は、金に華北を奪われ南遷した1127年以前を北宋、以後を南宋と呼び分けている。北宋、南宋もともに、宋、宋朝である。首都は開封、南遷後の実質上の首都は臨安であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分し易い歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区別し難い分野を本記事で解説する。.

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岸辺成雄

岸辺 成雄(きしべ しげお、1912年6月16日 - 2005年1月4日)は、日本の音楽学者。東京大学名誉教授。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国網

中国網(チャイナネット)は、中国共産党中央直属の中国外文出版発行事業局(略称:中国外文局、別名:中国国際出版集団)が管理・運営するニュースサイト。.

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中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

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世説新語

『世説新語』(せせつ しんご)とは、中国南北朝の宋の劉義慶が編纂した、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集めた小説集。今日『四部叢刊』に収めるものは上中下三巻に分かつが、テクストによってその巻数は二、三、八、十、十一等の異同がある。『隋書』「経籍志」によれば、もとは単に『世説』と称したようであるが、『宋史』「芸文志」に至ってはじめて『世説新語』の称が現れた。『世説新書』とも呼ばれる。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平重衡

東大寺盧舎那仏像 神戸市須磨区にある平重衡捕らわれの遺跡 平 重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の平家の武将・公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。三位中将と称された。 平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、南都衆徒の要求で引き渡され、木津川畔で斬首された。その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという。.

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人民網

人民網(じんみんもう)は、中国共産党中央委員会の機関紙『人民日報』で知られる中華人民共和国のメディア、人民日報社が1998年12月1日に開設したニュースサイトで、日本語版と日本版の2つのサイトがある。 日本語版では中国で発生した重大ニュース、中国の経済、社会、科学教育、文化、観光などの情報を日本語で提供するニュースサイト、いっぽう日本版は日本・中日関係の報道を専門に中国語で提供するニュースサイトである。特に政治欄では、米国や日本の動きについて、頻繁に言及しており中国の立場の正当性を主張あるいは正当化する姿勢を一貫している。.

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五音音階

五音音階(ごおんおんかい)は、1オクターブに5つの音が含まれる音階のこと。ペンタトニックスケールとも呼ばれる。スコットランド民謡などにあらわれる。日本の民謡や演歌にみられるヨナ抜き音階も五音音階の一つである。.

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伏羲

伏羲氏と女媧氏 馬麟画) 伏羲(ふっき・ふくぎ、- Fu Hsi または Fu Xi)は古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。宓羲・庖犧・包犧・伏戯などとも書かれる。伏義、伏儀という表記も使われる。三皇の一人に挙げられる事が多い。姓は風。兄妹または夫婦と目される女媧(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれることがある。.

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伝統

伝統(でんとう)は、信仰、風習、制度、思想、学問、芸術などの様々な分野において、古くからのしきたり・様式・傾向、血筋、などの有形無形の系統を受け伝えることをいう。.

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御堂関白記

『御堂関白記』(みどうかんぱくき)は、平安時代の貴族の摂政太政大臣・藤原道長が著した日記。『法成寺摂政記』『法成寺入道左大臣記』『御堂御記』『入道殿御日記』『御堂御暦』などとも称される。 「御堂」とは、藤原道長建立の法成寺無量寿院を指している。しかし、道長は生前、一度として関白となっておらず、御堂関白記の名称は後世付けられたものである。 道長は、政権を獲得した長徳元年(995年)から日記を記し始め、何回かの中断を経た後、寛弘元年(1004年)からは継続的に書き続けている。現存するものは、長徳4年(998年)から治安元年(1021年)の間の記事である。近衛家の陽明文庫が所蔵する自筆本十四巻、古写本十二巻が伝わり、国宝に指定されている。 『御堂関白記』は、意味不明な文章や、誤字・文法的誤りが多く、解釈が難しい。これは同じ藤原摂関家の藤原忠実による『殿暦』、藤原師通による『後二条師通記』にも見られる。また、当時の読み癖を窺うことができる。 道長が『御堂関白記』を記した契機として、「子供に対する意識」があったためであったという。同時代の貴族が記した日記、『小右記』(藤原実資)、『権記』(藤原行成)とともに、当時の貴族社会を知る上で、重要な意味を持つ史料である。 なお、寛弘5年12月20日(1009年1月18日)条の裏書には近衛道嗣の日記、『後深心院関白記』(『愚管記』とも)が抜書されている。これを記したのは近衛信尹とされ、折状の状態にしていた自筆本のうち寛弘5年(1008年)の裏にだけ日記を写したうえで、元の巻子本に戻し、表紙を付けた。嗣子の近衛信尋がこれを発見し、景紙の外題に「裏信尹公手跡/自延文元至三年抜書」と書き付けたという。 平成23年(2011年)5月、ユネスコ記憶遺産(世界の記憶)に推薦され、平成25年(2013年)6月18日に登録された。.

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徳川義直

徳川 義直(とくがわ よしなお)は、江戸時代初期の大名。徳川家康の9男。尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖である。新陰流第4世。.

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北京市

北京市(ペキンし、、)は、中華人民共和国の首都である。 行政区画上は直轄市であり、中国の華北の中央に位置する。人口は2152万(2014年)であり、中国では上海に次ぐ第二の都市。世界有数のメガシティであり、高い影響力を有する世界都市でもある。古くは大都・燕京・北平とも呼ばれた。.

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ポルタメント

ポルタメント (portamento) は、ある音から別の音に移る際に、滑らかに徐々に音程を変えながら移る演奏技法である。イタリア語の"portar' la voce "、フランス語の"port de voix "(いずれも「声を運ぶ」の意味)に由来し、声楽やヴァイオリンなど擦弦楽器の表現方法であった。現在は管楽器や電子楽器でも使用される。旋律を情感豊かに歌うために使用されるが、乱用は悪趣味であるとされる『標準音楽辞典』音楽之友社、1966年。.

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ロバート・ファン・ヒューリック

バート・ハンス・ファン・ヒューリック(Robert Hans van Gulik、1910年8月9日 - 1967年11月24日)は、オランダの外交官、東洋学者、推理小説家。ヴァン・グーリック、ファン・フーリク、ファン・フーリック等の表記もある。.

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ボイジャーのゴールデンレコード

ボイジャーのゴールデンレコード ボイジャーのゴールデンレコードのジャケット ジャケットに描かれた図の解説 ボイジャーのゴールデンレコード (Voyager Golden Record)、またはボイジャー探査機のレコード盤とは、1977年に打ち上げられた2機のボイジャー探査機に搭載されたレコードである。パイオニア探査機の金属板に続く、宇宙探査機によるMETI(Messaging to Extra-Terrestrial Intelligence).

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トウヒ属

hondoensis の葉 Picea maximowiczii の葉 トウヒ属(唐檜属、spruce(スプルース)、学名:)は、マツ科トウヒ属の常緑針葉樹の総称。.

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フラジオレット

フラジオレットまたはフラジョレット は、西洋音楽において、楽器のフラジオレットのような柔和な音を出すべく、(フラジオレット以外の)楽器を通常でない方法で奏することにより、特定の倍音が浮き立つように発生させ、それを基音のように聞かせることで通常の奏法とは異なった音色をかもし出す特殊な奏法、あるいはその特殊な奏法により出される音である。 特殊な環境下で倍音が発生するよう発音していることから、英語ではハーモニクス、日本語では倍音奏法とも言う。 様々な楽器においてそれぞれ独特のフラジオレットがあり、それは古くから、楽器の表情を多彩にするためのあまりにも基本的な特殊奏法であったことから、特殊奏法とは呼ばないほど、奏者が必ず身に着けなければならない基本的な奏法として普及し定着している。.

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フレット

フレット(Fret)とは、ある種の弦楽器が持つ構造で、ネック(棹)にある突起であり、弦の出す音の高さを変えるための仕組みのひとつである。撥弦楽器に多いが、擦弦楽器にも見られることがある。一般にフレットと呼び、フレットのある楽器のことをフレッテッド、フレッテド(Fretted)と呼ぶが、琵琶では柱(じ)と呼んでいる。.

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列子

『列子』(れっし)は、春秋戦国時代の人、列禦寇(河南鄭州人)の尊称(「子」は「先生」というほどの意)だが、一般的には、列禦寇の著書とされる道家の文献を指す。別名を『冲虚至徳真経』ともいう。.

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分数

分数(ぶんすう、fraction)とは 2 つの数の比を用いた数の表現方法のひとつである。.

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和琴

和琴(わごん)は、雅楽の国風歌舞でもちいられる日本固有の弦楽器で、日本最古の楽器。大和琴(やまとごと)、東琴(あずまごと)とも。 現在日本でよく知られる箏は大陸からの渡来楽器が基となっており、和琴とは起源や系統が異なる。 なお、和琴の起源は神代紀の「天沼琴」(あめのぬごと)である。「天石窟(あめのいわや)前で天香弓六張をならべ弦を叩いて音を調べた」とある。.

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アオギリ

アオギリ(青桐、梧桐、学名: )は、アオイ科(従来の分類ではアオギリ科)アオギリ属の落葉高木。.

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ギター

ター(Guitar)は、リュート属に分類される弦楽器。指、またはピックで弦を弾くことにより演奏する撥弦楽器である。 クラシック音楽、フラメンコのほか、ジャズ、ロック、フォルクローレ、ポピュラー音楽など幅広いジャンルで用いられる。 ギターの演奏者をギタリスト(Guitarist)という。 また、エレクトリック・ギター(エレキギター)を単にエレキ、もしくはギターと呼ぶ場合も多い。.

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ケイ康

嵆 康(けい こう、224年 - 262年あるいは263年)は、中国三国時代の魏の文人。字は叔夜。豫州譙国銍県(現在の安徽省濉渓県)の人。竹林の七賢の一人で、その主導的な人物の一人。子は嵆紹・女子一人。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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八音

八音(はちおん)とは、特に儒教音楽で使われる、八種類の楽器を表す語。これとは別に『五楽』があり、木(春)―琴、火(夏)―笙、土(季夏)―塤、金(秋)―鐘、水(冬)―磬、に分けられる。 古代中国では、楽器は金、石、糸、竹、匏、土、革、木(きん、せき、し、ちく、ほう、ど、かく、ぼく)の八種類の素材からつくられると考えられ、区分されていた。楽器の総称を表す「金石糸竹」という四字熟語はこれに由来する。.

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前漢

前漢(ぜんかん、紀元前206年 - 8年)は、中国の王朝である。秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦によって建てられ、長安を都とした。 7代武帝の時に全盛を迎え、その勢力は北は外蒙古・南はベトナム・東は朝鮮・西は敦煌まで及んだが、14代孺子嬰の時に重臣の王莽により簒奪され一旦は滅亡。その後、漢朝の傍系皇族であった劉秀(光武帝)により再興される。前漢に対しこちらを後漢と呼ぶ。 中国においては東の洛陽に都した後漢に対して西の長安に都したことから西漢と、後漢は東漢と称される。前漢と後漢との社会・文化などには強い連続性があり、その間に明確な区分は難しく、前漢と後漢を併せて両漢と総称されることもある。この項目の社会や文化の節では前漢・後漢の全体的な流れを記述し、後漢の項目では明確に後漢に入って流れが変化した事柄を記述する。 漢という固有名詞は元々は長江の支流である漢水に由来する名称であり、本来は劉邦がその根拠地とした漢中という一地方をさす言葉に過ぎなかったが、劉邦が天下統一し支配が約400年に及んだことから、中国全土・中国人・中国文化そのものを指す言葉になった(例:「漢字」)。 文中の単位については以下の通り。距離・1里=30歩=1800尺=415m 面積・1畝=1/100頃=4.65a 重さ・1/120石=1斤=16両=384銖.

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国宝

建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.

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国立歴史民俗博物館

国立歴史民俗博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん)は、千葉県佐倉市城内町にある、大学共同利用機関法人人間文化研究機構が運営する博物館。日本の考古学、歴史、民俗について総合的に研究・展示する博物館である。通称、歴博(れきはく)。佐倉城趾の一角にある。 法的根拠は、国立大学法人法第2条第3項及び第4項並びに第5条である。.

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国立故宮博物院

国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、中華民国の台北市にある博物館である。この博物館は、中華民国の国立博物館のうちの1つであり、最大のもので、697,000個以上の古代の中国の人工品および美術品を所蔵している.

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国際連合教育科学文化機関

フランス、パリのユネスコ本部庁舎と平和の庭園(日本庭園) 日本ユネスコ国内委員会が入居する東京都の霞が関コモンゲート東館(右側) 国際連合教育科学文化機関(こくさいれんごうきょういくかがくぶんかきかん、Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la culture、United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCO ユネスコ)は、国際連合の経済社会理事会の下におかれた、教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関である。 1945年11月に44カ国の代表が集い、イギリス・ロンドンで開催された国連会議 "United Nations Conference for the establishment of an educational and cultural organization" (ECO/CONF)において11月16日に採択された 「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)に基づいて1946年11月4日に設立された。 分担金(2016年現在)の最大の拠出国はアメリカ合衆国(22%)、2位は日本(9%)である(米国は拠出金支払いを全額停止しているため、実質的に最大の拠出国は日本であるなおアメリカは2018年12月31日付でのユネスコ脱退を表明している。)。.

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(きん、こと)とは、日本の伝統楽器。日本で「こと」と呼ばれる楽器は、(1)琴(きん)、(2)箏(そう)、(3)和琴 (わごん)、(4) 一絃琴 (須磨琴)、(5) 二絃琴 (八雲琴) がある。 (1)琴(きん)と(2)箏(そう)は混同されることがあるが、両者の違いは、(1)琴は弦を押さえる場所で音程を決める(和琴は柱を使う)。(2)箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節する。いずれも、指にはめた爪(ピック)または指(あるいは手の爪)で弦を弾いて音を出す。.

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琴棋書画

棋書画(きんきしょが)とは、文人、士大夫が嗜むべきとされた芸。四芸。.

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碣石調幽蘭第五

『碣石調幽蘭第五』(けっせきちょう ゆうらん だいご)は、現存する最古の古琴の楽譜。通常の漢字を使った「文字譜」という方式で記している唯一の例でもある。 中国で失われ、日本にのみ残る佚存書である。.

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神農

農 神農(しんのう)、炎帝神農(えんていしんのう)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという。神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされている。薬王大帝(やくおうたいてい)、五穀仙帝(ごこくせんてい)とも。.

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竹林の七賢

竹林の七賢(ちくりんのしちけん)とは、3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した、下記の七人の称。.

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筑(ちく)は、古代中国の打弦楽器。現在は使われていない。.

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箏(そう)は、日本の伝統楽器。十三本の糸を有するが、十七絃箏など種々の多絃箏がある。箏は一面、二面(いちめん、にめん)と数える。弦楽器のツィター属に分類される。 一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。 箏 総象牙巻繰り甲の箏(金子誠次作).

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管平湖

管平湖(かん へいこ、1897年3月4日-1967年3月28日)は、中国近代の古琴家と画家である。名は平、字は吉庵と仲康、號は平湖。管平湖の父は清の時代の画家管念慈,出身は蘇州。少年の頃、管平湖は北京に移住して、北京を中心に活動した。金紹城について中国絵画を学んでいる,秀威資訊科技股份有限公司,ISBN 9789862216354。また古琴を楊宗稷、悟澄、秦鶴鳴に学んでいる。1977年、管平湖の演奏した「流水」がボイジャーのゴールデンレコードに収められた。.

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純正律

純正律(じゅんせいりつ Just intonation)は、周波数の比が単純な整数比である純正音程のみを用いて規定される音律である。 例えば純正律による長調の全音階は、純正完全5度(3/2)と純正長3度(5/4)を用いて各音が決定される。 すなわち、Cを基準とした場合、Cの3度上がE、5度上がG、次にGの3度上がB、5度上がD、さらにCの5度下がF、Fの3度上がAとなり、これらを1オクターヴ内に配列することでハ長調の全音階が得られる。 上述の音階を以下に示す。大文字のTは大全音(9/8)、小文字のtは小全音(10/9)、sは半音(16/15)の音程を表す。 純正律の長所は、倍音のうなりを伴わない、単純な整数比による純正な和音が得られることである。 上記の例であれば、C-E-G、F-A-C、G-B-Dの三和音は4:5:6の比となり、三和音として最も単純な比を持つ。 短所は、音の組によっては、純正音程から著しく外れることである。上記の例ではD-Aの音程は純正完全5度(3/2)よりも81/80(シントニックコンマ)狭い40/27となり、この音程を含む和音は非常に響きが悪くなる。そのため純正律では転調や移調が困難である。 もう一つの短所は、旋律の演奏に際しては、純正律では大全音(9/8)と小全音(10/9)の2種類の全音が存在するため、音階が不均等な印象を与え、また演奏が難しいことである。.

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紅楼夢

紅楼夢(こうろうむ、)は、清朝中期乾隆帝の時代(18世紀中頃)に書かれた中国長篇白話小説。原本の前80回はなお残っており、完本は114回達しなかったと推定される。今流通している前80回が曹雪芹(そう・せつきん)の原文、後40回は高鶚(こう・がく)の続作といわれている。『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』とともに旧中国の傑作古典小説に数えられ、『中国四大名著』とも言われる。石頭記(せきとうき・いしき)ともいう。.

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無形文化遺産

無形文化遺産(むけいぶんかいさん、)は、民族文化財、フォークロア、口承伝統などの無形文化財を保護対象とした、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の事業の一つ。2006年に発効した無形文化遺産の保護に関する条約に基づく。無形文化遺産に対して、ユネスコの世界遺産は建築物など有形文化財を対象とする。関係して2001年から3回行われた傑作宣言による90件を引き継いて含まれる。 これまでに対象とされた無形文化遺産は、各国の音楽、舞踏、祭り、儀式のほか、インドのヨーガ(2016年)、日本の和紙(2014年)、和食(2013年)など伝統習慣、工芸など多岐にわたる。.

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熊沢蕃山

沢 蕃山(くまざわ ばんざん、元和5年(1619年) - 元禄4年8月17日(1691年9月9日))は江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介(一説には良介)、通称は次郎八、後助右衛門と改む、蕃山と号し、又息遊軒と号した。.

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白居易

白 居易(はく きょい、772年2月28日(大暦7年1月20日) - 846年9月8日(会昌6年8月14日))は、中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。.

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芸文類聚

『芸文類聚』(げいもんるいじゅう)とは、中国の唐代初期に成立した類書である。武徳7年(624年)、歐陽詢らが、高祖の勅を奉じて撰した。100巻。『北堂書鈔』・『初学記』・『白氏六帖』と共に、「唐代四大類書」と称せられる。.

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荻生徂徠

荻生 徂徠(おぎゅう そらい、正仮名遣:をぎふそらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日)は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は双松(なべまつ)、字・実名は「茂卿」で、実名としては「しげのり」、字としては「もけい」と読む。通称は総右衛門。徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、又蘐園と号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「物茂卿」とも号した。父は5代将軍・徳川綱吉の侍医・荻生景明。弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓。その弟の影響を受けて、『明律国字解』を著している。.

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菅原道真

菅原道真(すがわら の みちざね / みちまさ / どうしん、承和12年6月25日(845年8月1日) - 延喜3年2月25日(903年3月26日))は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。 忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ)され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 小倉百人一首では菅家。.

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馬王堆漢墓

王堆漢墓(まおうたいかんぼ)は、湖南省長沙市芙蓉区にある紀元前2世紀の墳墓。利蒼(- 紀元前186年)とその妻子を葬る。1972年の発掘時、利蒼の妻の遺体が未だ生けるが如き状態だったことで知られる。また副葬品にも貴重な工芸品や帛書が含まれ、中国古代史研究にとって多くの重要な資料を提供した。.

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詩経

『詩経』(しきょう、)は、中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。 西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという。孔子刪詩説には疑問も多いが、論語・為政篇にも孔子自身が詩句を引用していることから、その時代までには主な作品が誦詠されていたことが窺い知れる。 現行本『詩経』のテキストは毛亨・毛萇が伝えた毛詩(もうし)である。そのため現行本に言及する場合、『毛詩』と呼ぶことも多い。または詩三百・詩三百篇・或いはただ単に三百篇・三百五篇・三百十一篇とも呼ばれる。.

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諸葛亮

諸葛 亮(しょかつ りょう、、181年 - 234年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師。字は。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。今も成都や南陽には諸葛亮を祀る武侯祠があり、多くの観光客が訪れている。 妻は黄夫人。子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸葛瞻。孫には同じく蜀漢に仕え父と共に綿竹で戦死した諸葛尚や、西晋の江州刺史になった諸葛京がいる。親族として従父(叔父)の豫章太守諸葛玄、同母兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、同母弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。.

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黄帝

帝(こうてい)は、神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年).

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郭店一号楚墓

郭店一号楚墓(かくてんいちごうそぼ)とは、中国湖北省荊門市にある陵墓。 1993年に発掘調査が行われ、大量の竹簡が発見された(郭店楚簡)。その中には、儒家にかかわる未発見の文献や『老子』などが含まれており、中国思想の常識を覆すものであった。 出土した器物の特徴などの観点からみて、紀元前300年頃の楚の貴族の墓である。 また、1994年香港のブラックマーケットに出現した竹簡(「上海博物館蔵戦国楚竹書」。放射性炭素による年代測定の結果は紀元前308年±65年とされる)も、郭店一号楚墓から盗掘されたものとの考えもあるが、詳細は不明である。.

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舜。 舜(䑞、しゅん)は中国神話に登場する君主。五帝の一人。姓は姚(よう。子孫は媯水のほとりに住み媯(ぎ)を姓とした)、名は重華(ちょうか)、虞氏(ぐし)または有虞氏(ゆうぐし)と称した。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。また、二十四孝として数えられている。瞽叟の子。商均の父。 舜は顓頊(せんぎょく)の7代子孫とされる。母を早くになくして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。 堯は舜の人格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人を舜に降嫁させた。舜の影響によりこの娘達も非常に篤実となり、また舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所は3年で都会になるほどだった。 そんな中で舜の家族達は相変わらず舜を殺そうとしており、舜に屋根の修理を言いつけた後に下で火をたいて舜を焼き殺そうとした。舜は2つの傘を鳥の羽のようにして逃れた。それでも諦めずに井戸さらいを言いつけ、その上から土を放り込んで生き埋めにしようとした。舜は横穴を掘って脱出した。この様な事をされていながら舜は相変わらず父に対して孝を尽くしていた。 この事で舜が気に入った堯は舜を登用し、天下を摂政させた。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。それから20年後、堯は舜に禅譲した。 帝位についた舜は洪水を治めるために禹を採用し、禹はこれに成功するなど上手く世の中を治め、その後39年間、帝位にあって最後は禹に禅譲して死去した。なお、舜の子孫は周代に虞に封ぜられている。 南風歌という歌を作ったと言われている。 陳の陳氏の祖とされ、陳からわかれた田斉の祖でもある。 ちなみに白川静は舜は元々帝嚳の事であって殷の始祖とされていたと言う説を挙げている。.

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開放弦

開放弦(かいほうげん)は弦楽器を演奏する際、指で弦を押さえずに音を出すこと、または指で弦を押さえていない状態そのものをいう。弦を抑えた状態と音色が異なるため、意図的に利用されたり、回避されたりする。 一般に弦は、他の条件が同じであれば、弦の長さに弦の振動の周波数が反比例する。すなわち、弦を短くすることで音を高くすることができる。この仕組みを楽器の奏法に取り入れた楽器は多くあり、ヴァイオリンやチェロなどのヴァイオリン属、ギター、三味線などの有棹弦楽器では、指を指板と呼ばれる板に押さえつけることによって振動する弦の長さを短くする。また、ハープなどでも、音の高さを半音ないし全音高めるために、振動する弦の長さを短くする仕組みを持っている。このような楽器にあって、弦を短くしない、すなわち振動する弦の長さを最大にとった状態を開放弦と呼ぶ。 開放弦は弦の振幅が大きいために、他のどの音よりも豊かな響きが得られる。また、他の弦を弾いた音が開放弦と同音やその倍音関係にある場合、共振して響く役割も持っている。.

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蔡ヨウ

蔡 邕(さい よう、132年または133年 - 192年)は、中国後漢末期の政治家・儒者・書家。字は伯喈(はくかい)。兗州陳留郡圉県の人。父は蔡棱。娘は蔡琰。従弟は蔡谷。外孫は羊徽瑜(西晋の景献皇后)・羊祜。.

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蔡エン

蔡琰 蔡 琰(さい えん、177年(熹平6年)? - 249年(嘉平元年)?後述))は、中国後漢末期から三国時代の魏にかけての詩人。字は文姫、元々の字は昭姫(後述)。兗州陳留郡圉県(現在の河南省杞県)の出身。父は蔡邕。甥は羊祜。才女の誉高く、博学かつ弁術に巧みで音律に通じ、数奇な運命を辿った。.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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重明親王

重明親王(しげあきらしんのう、延喜6年(906年) - 天暦8年9月14日(954年10月13日))は、平安時代の皇族。醍醐天皇の第四皇子。官位は三品・式部卿。別名吏部王(式部卿の唐名)。.

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至徳 (唐)

至徳(しとく)は中国・唐代の元号。756年(天宝)7月に粛宗の即位と同時に改元され、用いられた。756年 - 758年。.

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雅楽

御前での胡蝶の舞、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版 雅楽(ががく)は、中国、朝鮮半島を経て、日本で花開いた伝統的な音楽の一つ(ベトナムについてはベトナムの雅楽を参照)。世界最古のオーケストラと言われる。以下、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽(重要無形文化財、ユネスコの無形文化遺産→2007年)を中心に述べる。.

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陶淵明

陶 淵明(とう えんめい、365年(興寧3年)沈約『宋書』隠逸伝の記述より。ただし生年および死亡時の年齢については多くの異説がある。 - 427年(元嘉3年)11月)は、中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。.

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枕草子

王子猷(王羲之の子)が竹を「此君」と呼んだ事に因む。 『枕草子』(まくらのそうし)とは、平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたという。「枕草紙」、「枕冊子」、「枕双紙」とも表記され、古くは『清少納言記』、『清少納言抄』などとも称された。.

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揚雄

揚 雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳5年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。.

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東京国立博物館

東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)は、日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館である。館長は銭谷真美。 1872年(明治5年)に創設された、日本最古の博物館である。東京都台東区の上野恩賜公園内にある。本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館その他の施設からなる。2017年3月31日時点で、国宝88件、重要文化財636件を含む収蔵品の総数は117,190件(2017年11月時点では国宝89件、重文640件)。これとは別に、国宝55件、重要文化財258件を含む総数3,075件の寄託品を収蔵している。2017年度の陳列総件数は約7,200件。2016年度の来館者数は約191万人である。.

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東皐心越

東皐心越(とうこう しんえつ、崇禎12年(1639年) - 元禄9年9月30日(1696年10月25日))は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧。 俗姓は蒋氏、名は初め兆隠のちに興儔、心越は字、東皐は号で別号に樵雲・越道人がある。 詩文・書画・篆刻など中国の文人文化、なかんずく文人の楽器である古琴を日本に伝え、日本の琴楽の中興の祖とされる。また独立性易とともに日本篆刻の祖とされる。.

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楊宗稷

楊宗稷(よう そうしょく、ヤン ゾンジー、1863年 - 1931年)は、中国近代の古琴家である。名は宗稷、字は時百、号は九嶷山人。寧遠県清水橋の人。広陵派を参考にして、「九嶷派」を創立した。 20歳になると本格的に古琴の勉強を始めた。1908年、黄勉之について「吟猱の法」を習た。36歳で北京に居宅を定め、弟子を取った。古琴家として有名な管平湖は彼の門下生である。楊宗稷『琴学叢書』は琴の理論や琴曲32曲を含む総合的な書物である。楊宗稷の子楊葆元も古琴家になっていた。.

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楽器

楽器(がっき、musical instrument)とは一般的には「音楽の素材としての音を発するための道具の総称下中直也(編) 『音楽大事典』 全6巻、平凡社、1981年」「音楽に使用される音を出す器具『音楽中辞典』 音楽之友社、1979年」とされる。.

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正倉院

正倉院正倉 正倉院(しょうそういん)は、奈良県奈良市の東大寺大仏殿の北北西に位置する、校倉造(あぜくらづくり)の大規模な高床式倉庫。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品をはじめとする、天平時代を中心とした多数の美術工芸品を収蔵していた建物で、1997年(平成9年)に国宝に指定され、翌1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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法隆寺献納宝物

法隆寺献納宝物(ほうりゅうじけんのうほうもつ)は、奈良県斑鳩町にある法隆寺に伝来し、1878年(明治11年)、当時の皇室に献納された、300余件の宝物(文化財)の総称である。第二次大戦後は大部分が東京国立博物館の所蔵となっている。正倉院宝物よりも一時代古い、飛鳥時代から奈良時代前期を中心とする工芸品、仏像等を多数含み、歴史的・文化的に価値が高い。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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朱権

朱 権(しゅ けん、1378年 - 1448年)は、明の皇族。初代皇帝・朱元璋(洪武帝)の十七男。母は楊妃。第3代皇帝・永楽帝の異母弟。.

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戦国時代 (中国)

中国の戦国時代(せんごくじだい)は、春秋時代に続く時代で、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による中国統一がなされるまでをいう。この名前は『戦国策』から取られている。 どの時点をもって春秋と戦国の境目とするかは、歴史家の間でも意見が分かれている。詳しくは春秋戦国時代の項目を参照。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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浦上玉堂

浦上玉堂(うらかみ ぎょくどう、延享2年(1745年) - 文政3年9月4日(1820年10月10日))は、江戸時代の文人画家、備中鴨方藩士。諱は孝弼(たかすけ)、字は君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門。35歳の時、「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」と号した。父は宗純。.

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文人

文人(ぶんじん)とは、中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問を修め文章をよくする人」の意である。.

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日本三代実録

『日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)は、日本の平安時代に編纂された歴史書。六国史の第六にあたり、清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の3代である天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う。延喜元年(901年)に成立。編者は藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平。編年体、漢文、全50巻。.

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撥弦楽器

撥弦楽器(はつげんがっき)とは、何らかの方法で弦をはじく(撥)ことによって音を出す楽器の総称である。共鳴胴を利用して音を増幅させる構造の物が多い。ギターのように抱えて演奏するものや、琴のように置いた状態で演奏するものなどがあり、それぞれが地域によって改良・発展をしているためにバリエーションは多い。広義においては、チェンバロ等も含まれる。.

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懐風藻

『懐風藻』(かいふうそう)は、現存する最古の日本漢詩集。撰者不明の序文によれば、天平勝宝3年11月江口, 2000.

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曾侯乙墓

曾侯乙墓(そうこういつぼ)あるいは擂鼓墩1号墓(らいことんいちごうぼ)は、中国の湖北省随県(現在の随州市曽都区)で発見された戦国時代初期の諸侯の墓。「卜」字形の竪穴墓で、南北16.5メートル、東西21メートル。.

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