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佐藤金兵衛

索引 佐藤金兵衛

佐藤金兵衛(さとうきんべい、1925年1月5日 - 1999年1月21日)は日本の武術家。福島県いわき市出身。開業医(産婦人科)を営む傍ら、日本武道および中国武術各派を修め、日本兵法大和道を創始する。昭和の日本に中国武術の内家拳の普及に努めた武道家。武号は柔心斎。 幼少から祖父より大和流柔術(ただし、二代目柔心斎を襲名した佐藤の息女は大和流弓術としている)の指導を受ける。中学卒業後に満州へ渡り、国立医科大学の医学生となったが終戦後帰国。帰国後、東北大学医学部に進み、この頃より影山流剣術、柔術各派(八光流柔術、合気道、武田流合気之術、大東流合気柔術(山本角義の系統)、天神真楊流柔術、荒木新流柔術、一天柳心冑介流柔術、柳生心眼流兵術(東北伝)、浅山一伝流体術(上野貴の系統)、神道天心流拳法、卜伝流柔術、高木楊心流柔術・九鬼神流棒術、義鑑流骨法術)、神道自然流空手術 等を学ぶ。 昭和29年(1954年)からは、警察大学校で逮捕術の講師を務めた。 昭和33年(1958年)に医学博士の学位を得る。同年に上京し、医業の傍ら道場を開く。翌年以降、台湾から来日した王樹金より形意拳、太極拳、八卦掌を学ぶ。この頃に全日本中国拳法連盟を設立し、その後も各種中国武術の武術家を招聘し、拳法や擒拿術を学び、また普及に努めた。八卦掌では三世伝人の李子鳴から四世伝人を受けている。 自らが修行した柔術各流派の技を集大成し、一部に中国武術を加味して「日本兵法大和道」を創始した。ただし、大和道のみを教える形態はとらず、門人に柔術を教授する際には、大和道と柳生心眼流を並行して指導した。.

43 関係: いわき市卜伝流台湾号 (称号)合気道大和道大東流合気柔術天神真楊流太極拳山本角義中国武術弓術形意拳影山流内家拳八卦掌八光流柔術王樹金神道天心流神道自然流福島県義鑑流骨法術終戦荒木新流高木流警察大学校逮捕術柳生心眼流柔術東北大学武道武術満州昭和浅山一伝流日本擒拿1925年1954年1958年1999年1月21日1月5日

いわき市

いわき市(いわきし)は、福島県浜通りの南部に位置する市である。福島県内で最大の人口および面積を持ち、中核市に指定されている。 仙台市に次いで東北地方で2番目に人口の多い都市である。.

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卜伝流

卜伝流(ぼくでんりゅう)は、塚原卜伝を開祖とする武術の流派。同じく塚原卜伝を開祖とする新当流の別名でもある。各地に様々な内容の卜伝流が存在した。.

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台湾

台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.

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号 (称号)

号(ごう)とは、称号の略。本名とは別に使用する名称。.

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合気道

合気道(あいきどう・合氣道)は、武道家・植芝盛平が大正末期から昭和前期にかけて創始した武道。植芝盛平が日本古来の柔術・剣術など各流各派の武術を研究し、独自の精神哲学でまとめ直した、体術を主とする総合武道である。 (植芝盛平が創始したもの以外の「合気道」は→“「合気道」の名称について” にて詳述。).

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大和道

大和道(だいわどう)とは、佐藤金兵衛(武号 柔心斎)が自らが学んだ柔術諸流派の技を集大成し、中国武術も一部加味して開いた流派。正式には日本兵法大和道という。棒術は九鬼神流より採用している。昭和二十年代後半に大東流から創始した大和武道とはまったく別の体系となっている。 佐藤金兵衛は、鈴木専作より柳生心眼流兵術、山本角義より大東流合気柔術、植芝盛平より合気道、奥山龍峰(初代)より八光流柔術、大庭一翁より武田流合気之術、上野貴より浅山一伝流体術と神道天心流拳法と卜伝流柔術、宮本半蔵より天神真楊流柔術、大倉忠吾より荒木新流柔術、小野惣吉より一天柳心冑介流柔術、高松寿嗣より高木楊心流柔術・九鬼神流棒術と義鑑流骨法術、というように多くの師範から柔術諸流派を学ぶ。 さらに空手(神道自然流)や中国武術(形意拳、八卦掌、太極拳、金鷹拳、擒拿術など)も学んだ。 佐藤は自らが修行した柔術各流派の技を体系化し、一部に中国武術も加味して大和道を創始した。ただし、大和道創始後も柔術を選択した門人には大和道のみを指導するのではなく必ず柳生心眼流を並行して指導した。 Category:柔術 Category:合気系武術 Category:明治以降に創始された日本武術の流派.

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大東流合気柔術

大東流合気柔術(だいとうりゅうあいきじゅうじゅつ)は日本武術の一派、中興の祖とされる武田惣角により広められた。 陸奥会津藩の殿中武術を参考に編纂された武術とされている。 略称で合気柔術と呼ばれることが多い。.

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天神真楊流

天神真楊流柔術(てんじんしんようりゅう)とは、磯又右衛門柳関斎源正足が開いた柔術の流派。起倒流とともに講道館柔道の基盤となった流派として知られる。.

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太極拳

太極拳(たいきょくけん)は、中国武術の一派。東洋哲学の重要概念である太極思想を取り入れた拳法で、形意拳、八卦掌と並んで内家拳の代表的な武術として知られる。.

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山本角義

山本 角義(やまもと かくよし、1914年3月3日 - 1982年1月30日)は日本の武術家。 大東流合気柔術中興の祖、武田惣角の直弟子。無限神刀流居合術流祖。 秋田県出身。本職は板前。大東流合気柔術を武田惣角に学び教授代理の資格を印可される。大東流合気柔術総主を名乗ることを武田惣角に許された。.

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中国武術

朝に上海の広場で健康体操の簡化太極拳をしている人々 中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国大陸に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中華人民共和国(中国大陸)では単に武術(ウーシュー、wǔshù)、中華民国(台湾)では國術(グォーシュー、guóshù、日本国でこれから転じて国術)、広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の武術、武道、格闘技全般を指すこともある。.

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弓術

弓術(きゅうじゅつ)は、弓を用いて矢で的を射る技術、武術である。以降は日本古来の武術、弓の中でも長弓に分類される和弓を用いて矢を射る日本の弓術のことを述べ、またこれを指して弓術とする。 日本の弓術は独自の発展を遂げ、ヨーロッパでの短弓を用いる技術体系を元に成立した現代スポーツのアーチェリー等とは全く異なり、日本独特の技法・文化・歴史を持つ。歴史的にはほぼ同義語的に弓術、射術、射芸等とも呼ばれていたが、現在では日本における伝統的な弓射文化を総称して「弓道」と呼称されており、「弓術」とは「弓道」へ改称する以前の古武術との意味合いで使われることが多い。ただし現在でも「弓術」を名乗り古流を厳格に維持する流派や、また古流を維持しながらも「弓道」とする流派・団体も有り、「弓道」「弓術」の境界は必ずしも明確にあるものではなく、思想・技術面から見ても明確に分類できるものではない。本項では、現代武道としての弓道の母体となった日本古来の弓射技術・文化を指して「弓術」とし、明治維新までを中軸とした一部弓道改称時点までの事情を記述する。.

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形意拳

形意拳(けいいけん、Xingyiquan)は、中国武術の一派。.

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影山流

影山流(かげやまりゅう)は日本の古武道の流派の一つ。影山神伝流剣術、居合、棒術、小具足(柔術)などが伝えられていた。 当流の伝承では、丹波の影山善賀入道は新当流剣術、静流薙刀術、三徳流三道具術、真極流柔術のほか28流の武術を修め、慶長年間に伯耆と備前の境付近の山中に籠もり、居合(当流では抜剣と呼ぶこともある)を加えて影山流を開いたとされる。ただし、この伝承に出てくる三徳流や真極流をはじめ、ほとんどの流派は江戸中期以降の付加伝である。 慶長年間に肥前国佐賀出身の佐賀重保が伊達政宗に仕え、伊達家の家臣に影山流を指南した。その後、主命により名字を「坂」に改め、坂家は代々仙台藩の影山流師範役を務めた。 この他、仙台には、影山流と鈴鹿流薙刀術を伝え、仙台藩に仕官した関口勝義の系統もある。 現在、居合と杖がわずかに伝承されており、日本古武道振興会の古武道大会などで演武されている。.

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内家拳

内家拳(ないかけん)または内家とは、太極拳・形意拳・八卦掌などを指す、中国武術の専門用語である。 これらの武術は道教の聖地のひとつの武当山で、創始されたという伝説もある為に、別名を武当拳(武当派)ともいう。 内家拳と称する拳法は総じて太祖長拳など、その成立年代が明代初頭にまで遡れる歴史の古い拳法や、少林寺に源を発すると称する少林拳各派と比較すると、成立年代は総じて明朝後期から清朝末期と歴史が新しく、古くから存在する門派への対抗上、武当山の道士であった張三豊が創始したとする伝説がある「内家拳」の名を借りて、自らの拳法を他の拳法と区別したのではないかとする説がある。 また、少林寺の僧が練習していた拳法を総称して「少林拳」と言い、僧は出家しているので「外家拳」と呼ばれるが、それと区別するために、僧ではない在家の人々が練習していた拳法を「内家拳」と呼んだとする説もある。 この説では、道教の僧が練習していた拳法である武当拳の分類は今後の研究課題である。 又は張三豊は少林寺にいた頃は禅宗の僧として修行したから「内家」又は「内道」といい、それ以外を「外家」又は「外道」といっており、少林寺から武当派に道教の道士となった頃に、少林寺は「外家」であり、自らの武術を「内家」と呼んだ説もある。この下りは黄宗羲が書き残した墓誌銘「王征南墓志銘」の冒頭にも記載されている。道教においては修行者を道家というため、このようにして少林拳などを外家拳、自らの武術である太極拳法などを内家拳と称したといわれている。 中国の武当山には、現在も武当拳を練習して人々がいるが、その拳法は太極拳、形意拳、八卦掌とは異なっている。.

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八卦掌

八卦掌(はっけしょう、Bāguázhǎng)とは、中国武術の一派。 太極拳、形意拳と並んで内家拳の代表格とされる中国武術である。その名の通り八卦に基づいた技術理論、一般的な流派と違い拳より掌を多用する点、一見して舞踊のように見える動作が特徴であり、達人でもそれを自認している者は多い。名称からわかるように、動作の根本原理を易経の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。 基本歩型『擺歩』『邁歩』『扣歩』を始めとする様々な歩法の習得が重要視されており、里進外扣、平起平落、趟泥歩で円周上を歩く『走圏』を基本とする。套路の内容は門派によって異なるが、8種類の基本的な套路に始まって様々な套路・対練(約束組手)を学び、修業者はそれらを組み合わせるなどして習得してゆく。各種槍、刀、剣、棍、鉞など様々な武器術も存在する。 清朝後期(19世紀の前半)、紫禁城の宦官であった董海川によって創始されたとされており、八卦掌という名称は後世になってから定着したものと考えられている。尹福の創始した尹派八卦掌、程廷華の創始した程派八卦掌、梁振圃の創始した梁派八卦掌を初めとして、多くの門派が存在する。.

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八光流柔術

八光流柔術(はっこうりゅうじゅうじゅつ)は、大東流合気柔術をもとに初代・奥山龍峰(1901年 - 1986年)によって創始された護身術である。正しくは、日本武芸司護身道八光流柔術という。「刀法」と呼ばれる剣術も伝えられているが、刀法の教伝を受けることができた者は極めて少ない。.

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王樹金

王 樹金(おう じゅきん、Wang Shu Jin、1905年 - 1981年)は、中国河北省天津出身の中国武術家。 日本において初めて公式に中国武術の本格的指導を行った真のパイオニア的人物(合計21回来日)。 太極拳・形意拳・八卦掌を教授した。 教義に仏教思想をも内包する道教系、「一貫道」(天道)の幹部信徒(第三位階)、菜食主義者であった。 初学は河北派形意拳の大家として知られる、八卦掌の開祖・董海川の最晩年の弟子であった張占魁に就いて関門弟子(最後の弟子)となり、形意拳及び八卦掌を教授される。張の紹介により1934年(民国23年)王向斉から「大成拳樁法」を教授される。 張占魁は晩年に弟子達を当時天津滞在中の王向斉の下でも学ばせた。その中には心会掌創始者・趙道新や銭樹樵などがいる。 1939年(民国28年)には、張占魁の薦めにより、当時天津にあった第一国術館の八卦掌教官蕭海波に指導を受け、八卦秘掌を伝授される。 共産党による南京制圧間際の1949年には、台湾に渡り、台中市に「誠明国術館」(現在の「中華武術国際誠明総会」の前身)を設立。この頃の王は台湾の武術家を相手に積極的に比武を行ったと言われている。 また、誠明太極拳(南京中央国術館式太極拳、九十九式太極拳、王式太極拳とも言われている。)、形意拳、八卦掌などの武術を指導した。 1958年(昭和33年)に蒋介石の国民党政府の要請により渡日、合計21回来日し、中国武術の教授を行う。 1960年に陳泮嶺が設立した「中国太極拳倶楽部(台湾政府直轄の太極拳団体である中華民国太極拳総会の前身。)」に韓慶堂や中国国民党・蒋介石の総統府侍衛隊の武術教官であり武壇国術推広中心代表だった劉雲樵らとともに参加した。 王の教授した門弟は多数に及び、現代においても日本の武術・武道界に巨大な影響を残している。 我が国において王の技は1958年(昭和33年)に佐藤金兵衛が広めた。現在では、王樹金後継者の王福来(中華武術国際誠明総会)、地曳秀峰(全日本柔拳連盟)や、拝師弟子の河野義勝(義誠国術館)、中華武術国際誠明総会の日本人教練達の手によって後進に教授され続けている。 王樹金が伝えた武術については以下の通りである。 誠明気功(第一段~第五段) 太極拳 誠明太極拳(百勢 第一段~第七段) 誠明太極剣 「誠明太極拳」は、日本では「正宗太極拳」と呼ばれているが、王福来が代表を務める中華武術国際誠明総会では、「誠明太極拳」と呼んでいる。 形意拳 1.五行拳(劈、蹦、鑚、炮、横) 2.十二形拳(龍、虎、猴、馬、鶏、鷂、燕、𩿡、鷹、熊、蛇、鼉) 3.五行相生 4.五行相剋 5.閃電手 6.連環拳 7.把勢 8.十二横捶 9.八式拳 10.雜式捶(一路) 11.雜式捶(二路) 12.七星捶 13.形意剣 14.形意刀 15.形意棍 16.形意五郎棍 17.二十四拐 18.純陽剣 19.形意槍(第一~第五) 八卦掌 1.八母掌 2.八卦単操 3.連環掌 4.遊身掌 5.変幻掌 6.風雲掌 7.六十四掛 8.六十四勢 9.五行掌 10.八字掌 11.鑚天遊龍 12.龍形八勢 13.八卦秘掌 14.八卦双剣 15.八卦刀 16.八卦棍 17.陰陽鉞 これ以外にも七星刀や形意槍型などがある。 王樹金は張占魁に「形意拳は習ったが、八卦掌を習っていない。八卦掌は陳泮嶺から習ったもので、王樹金の八卦掌は程派八卦掌」と紹介されているものも見受けられるが、張占魁は形意八卦を合わせて一門としていたため、弟子には形意拳のみを教えて八卦掌を教えないということはなかった。 形意拳や八卦掌についても陳泮嶺のものと型が類似している理由は、王樹金は、台湾在住中に陳泮嶺と交流を持ち、互いに技量を持ち合い共に武術の研究をしていたためであり、共通の型が多い。 また、王樹金は自著「八卦連環掌」の中で、「渡台後に陳泮嶺師兄に再会し、太極拳を学び、それは既に(張占魁より)習得していた「四連拳」に似ていた。」とも明記している。 王樹金の門派は終南門と呼ばれているが、王の生前は武当派太極拳、終南派形意拳、峨嵋派八卦掌と山の名前で呼んでいたことに由来する。 中華武術国際誠明総会は今や台湾はもとよりイスラエルをはじめ、フランス、イタリア、アメリカ、アルゼンチン、オーストラリア等の国々や日本にも分館を持つ国際組織となっている。これも王樹金の功績と言えよう。.

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神道天心流

道天心流(しんとうてんしんりゅう)は、上野貴が大倉伝浅山一伝流を基に空手や諸流の柔術の技を学んで再編成した戦後の日本武術の流派。戦後は天心古流と改称した。なお、当流では各武術の総称として拳法と称する。 上野貴は、小西康裕(神道自然流空手術開祖)、船越義珍(松濤館流空手道開祖)、摩文仁賢和(糸東流空手道開祖)などの空手家と交流を持った。そして、空手で基礎を作り、その後に柔術などに進む稽古体系を採用した。逆に、摩文仁賢和は神道天心流を学び、空手と併習することを門弟にも勧めた。 また、上野貴は杖術に優れ、その技は他流から「上野の杖」と恐れられた。 上野貴の弟子には、日森定雄、姉川勝義や佐藤金兵衛(中国拳法、大和道開祖)、初見良昭(戸隠流忍法を称する)、竹内信義(武風流骨法を称する)らがいる。 ----; 初代; 二代; 三代.

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神道自然流

道自然流空手術(しんどうじねんりゅう からてじゅつ)は、小西康裕(本名:良助)が創始した空手道の流派。.

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福島県

福島県(ふくしまけん)は、日本の都道府県の一つ。県庁所在地は福島市。 東北地方の南部(南東北)に位置し、東北で宮城県に次ぐ2番目の人口と県内総生産を擁する。面積は北海道、岩手県に次ぐ全国3位、都道府県別の人口は全国21位、人口密度は全国40位である(いずれも2015年10月1日時点の国勢調査および全国都道府県市区町村別面積調による)。 市町村別では概ね、日本海側に面積の4割弱と人口の15%弱が、太平洋側に面積の6割強と人口の85%以上が分布する。.

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義鑑流骨法術

義鑑流(ぎかんりゅう)とは、瓜生判官義鑑房を開祖とする日本の徒手武術の流派。 義鑑流は、永承年間(1046~1052)伊賀に逃れし唐の異勾より伝えられ、牙門道士-牙龍道士-八龍道士-戸沢白雲斎・・・と代々伝えられ、後にこれを玉虎流と称された。戸沢白雲斎より十三代目の僧玉観律師はこの玉虎流を広く伝えたと云う。 また一説に、義鑑流の遠祖は、姚玉虎なりとの説がある。その子孫張武勝は、天智天皇二年(663年)九月、百済より逃れ伊賀山中に住した。張武勝の子孫坂上太郎国重は玉虎流の開祖となった。その臣坂東小太郎正秀は僧玉観律師にその伝を伝えたとも云う。 僧玉観律師は、伊賀上野出身の秋元義昭こと後の河内守義鑑に伝え、義鑑は天文年間(1532~1555)に、河内瓜生城の城主であった瓜生判官義鑑房に伝授した。永禄年間(1558~1569)、義鑑房は己の工夫を加え、一拳太刀をも折る術をあみ出し、義鑑流と称した。義鑑房は、骨法術・飛鳥術・銑盤投(鉄板投)の達人で武骨一辺倒の士であった。元来戦うことを好まず、常に和を以て君国の為に尽くさんとする勤皇の士で、「武風に先手無し」と戒め、「三寶心を貴び不動心を知れ」と訓えた。 元来義鑑流骨法術は、代々一子相伝の不伝の術とされていたが、文久三年(1863)八月、石谷松太郎隆景は、十代瓜生義鑑房より伊賀においてその伝を受け十一代目を継承し、明治年間、高松壽嗣にその伝を授けた。高松壽嗣は義鑑流を高弟の秋元文夫に伝授したが、先に死去したため、改めて佐藤金兵衛に対し、昭和二十七年(1952)六月に皆伝を授け、昭和三十八年(1963)一月に第十三代目宗家を継承させた。義鑑流の術技内容は一切公開された事がなく、伝書も佐藤金兵衛以外に伝授された者はなく、巷間「幻の義鑑流」と言われていた。種村匠刀は、平成元年十一月吉日、義鑑流の術技及び伝書・巻物の全てを佐藤金兵衛より伝授され、第十四代目宗家を継承した。 流儀内容としては、起本型(二十四本)、初伝型(二十六本)、中伝型(二十四本)、奥伝型(二十本)、免許・皆伝型、九字秘法伝、一子相伝の口伝等々がある。 きかんりゆう.

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終戦

終戦(しゅうせん)とは、戦争を終えること。国際法としては、戦争の終結が当事者双方の間で成立した状態を指す。対義語は開戦。.

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荒木新流

荒木新流(あらきしんりゅう)とは、荒木武左衛門尉久勝が開いた流派。 荒木武左衛門尉久勝は、武州八王子中野村出身の3代目で、荒木無人斎の子孫である。寛永3年(1626年)、捕手81手からなる荒木新流を開き、代々武左衛門を名乗る子孫が流儀を継承した。その後、越後新発田藩系の服部広次郎が第14代を継承。上京した15代阪本謹吾は明治43年(1910年)、講武館を設立した。.

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高木流

木流には三つの系統がある。.

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警察大学校

警察大学校(けいさつだいがっこう、National Police Academy)は、警察法第27条を設置根拠とする警察庁の附属機関、教育訓練施設である。略称は警大。.

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逮捕術

逮捕術(たいほじゅつ)は、日本の警察官、皇宮護衛官、海上保安官、麻薬取締官、麻薬取締員、自衛隊警務官などの司法警察職員、または入国警備官などの法律上は司法警察職員ではないが司法警察職員に準じた職務を行う公務員が、被疑者や現行犯人などを制圧・逮捕・拘束・連行するための術技のことである。また、職務を行う者の受傷事故を防ぐための護身術としての意義もある。.

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柳生心眼流

柳生心眼流(やぎゅうしんがんりゅう)は、日本の伝統武術の流派とされている。.

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柔術

柔術(じゅうじゅつ)は、徒手あるいは短い武器による攻防の技法を中心とした日本の武術である。相手を殺傷せずに捕らえたり、身を護ること(護身)を重視する流儀の多いことは、他国の武術と比較して大きな特徴である。このような技法は広く研究され、流派が多数存在した。.

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東北大学

記載なし。

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武道

武道(ぶどう)は、広義には古武道を含むが、狭義には明治維新以降に古武道から発展したもので、人を殺傷・制圧する技術に、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす、といった道の理念が加わったもの。古武道と明確に区別する場合、現代武道と呼ぶ。道の追求という点については、残心(残身、残芯)などの共通する心構え所作などから茶道や日本舞踊、芸道ともかかわりを持つ。また、乱取りや自由組手などを行うことからスポーツとの共通点がある。 武道の理念は時代あるいは組織や個人により様々であり、正反対の考え方さえ存在しているが、主要武道9連盟が加盟する日本武道協議会は「武道は、武士道の伝統に由来する我が国で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、柔道、空手道、剣道、相撲、弓道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道などを修錬して心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、国家、社会の平和と繁栄に寄与する人間形成の道である。」と制定している。.

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武術

武術(ぶじゅつ).

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満州

満洲(まんしゅう、マンジュ、拼音:Mǎnzhōu、英語:Manchuria)は、現在中華人民共和国において「中国東北部」と呼ばれる地域およびロシア連邦において「極東」と呼ばれる地域の一部を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。渤海・金朝・後金・清朝を建国した満洲民族や、夫余・高句麗を建国した濊貊族、鮮卑・烏桓・契丹・奚などモンゴル民族の故地である。なお、漢字表記は法令や一部の文献では「満洲」が用いられるものの、一般には「満州」が用いられることが多い。 「満洲」という言葉は、もともとは12世紀にはおもに民族名を指していた。しかし19世紀の日本では満洲、満洲国とは地域をさし、民族は「満洲族」と呼ぶようになった。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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浅山一伝流

浅山一伝流(あさやまいちでんりゅう、旧字表記では「淺山一傳流」)は日本の古武道の流派の1つ。「浅山流」あるいは「一伝流」と略して呼ばれることも多い。剣術、居合、棒術、柔術、陣鎌(鎌術)などを含む総合武術である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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擒拿

擒拿(きんな )は中国武術で用いられる関節技の総称である。 擒拿術(きんなじゅつ)あるいは擒拿法(きんなほう)とも呼ばれる。 敵を掴んで捉え、梃子の原理を用いた技法で、四肢や頚部の関節を攻撃して挫き受傷させる、日本の古流柔術でいう「逆技」に相当する技法である。また擒拿を用いる場合は経絡・経穴を攻撃する「点穴法」、血脈(血管・神経)を攻撃し分断させる「截脈法」、気道を圧迫して攻撃し呼吸を困難とさせる「閉気法」、打撃を用いて攻撃し関節を挫く「鉄歯法」などと併用されることが多く、広義の意味では、これらの技法も含めて擒拿と総称されて呼ばれることもある。 擒拿術の要素はあらゆる中国武術門派の技法の中に含まれるが、とくに優れた擒拿術を誇る門派としては鷹爪翻子拳が有名である。 「擒」、「拿」の漢字には共に相手を捕まえるといった意味のある言葉で、「擒」には捉える、罠に掛ける、「拿」には手指を用いて掴むといった意味がある。 category:中国武術門派 category:中国武術.

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1925年

記載なし。

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1954年

記載なし。

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1958年

記載なし。

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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1月21日

1月21日(いちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から21日目に当たり、年末まであと344日(閏年では345日)ある。.

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1月5日

1月5日(いちがついつか)はグレゴリオ暦で年始から5日目に当たり、年末まであと360日(閏年では361日)ある。誕生花はミスミソウ。.

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