385 関係: 加納宿、加賀藩、埼京線、埼玉県、垂井宿、はだか武兵、さいたま市、十条駅 (東京都)、南木曽町、可児郡、参勤交代、名古屋市、名神高速道路、坂本宿、塩名田宿、塩尻宿、塩尻市、大垣市、大垣駅、大宮宿、大府駅、大井宿、大井川、大和町 (板橋区)、大阪市、大津宿、大湫宿、太多線、太平洋、太田宿 (中山道)、夜明け前、奥州街道、奈良井宿、妻籠宿、姫街道、姫街道の一覧、宮宿、宮ノ越宿、宿場、守山宿、宇都宮市、安中宿、安中市、安倍川、小笠原氏、小田井宿、小諸市、山城国、山縣有朋、岐阜市、...、岐阜県、岐阜駅、岩村田、岩村田宿、島崎藤村、巣鴨、工部省、上尾宿、上信越自動車道、上田城、上野国、上野駅、上松宿、帝国議会、中央高地、中央自動車道、中央本線、中央新幹線、中山道69次資料館、中山道の一里塚一覧、中山道伝馬騒動、中山道六十九次、中津川宿、中津川市、布引電気鉄道、三留野宿、三重県、三条大橋、下諏訪宿、下諏訪町、一条秀子、久世広周、享保、京都、京都市、京都府、京都新聞、五街道、五条駅 (京都府)、今須宿、仲宿、建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画、建設技術研究所、伏見宿、伏見宿 (中山道)、佐久市、佐久市子ども未来館、彦根市、御守殿、御嶽宿、御嵩町、徳川家定、徳川秀忠、律令制、信越本線、信濃川、信濃国、信濃毎日新聞、志村 (板橋区)、志村坂上駅、志村警察署、土岐市、地方整備局、北区 (東京都)、北区立図書館、北区立滝野川第二小学校、北関東、北藤岡駅、北陸地方、北陸新幹線、分水界、和宮親子内親王、和田宿、和田峠、和田峠 (長野県)、内陸、入鉄炮出女、八幡宿、八高線、六角氏、国土交通省、国土開発幹線自動車道、国道122号、国道142号、国道151号、国道153号、国道17号、国道18号、国道19号、国道1号、国道20号、国道21号、国道22号、国道52号、国道8号、倉賀野宿、倉賀野バイパス、倉賀野駅、石神井川、碓氷峠、神戸駅 (兵庫県)、福島宿 (中山道)、立科町、第二次世界大戦、箱根峠、米原市、米原駅、米原警察署、細久手宿、総泉寺、織田信長、織田氏、美江寺宿、美濃国、美濃路、群馬県、群馬県道121号和田多中倉賀野線、群馬県道12号前橋高崎線、群馬県道133号元島名倉賀野線、群馬県道138号倉賀野停車場線、群馬県道173号金井倉賀野停車場線、群馬県道・埼玉県道13号前橋長瀞線、群馬県道・埼玉県道71号高崎神流秩父線、群馬県道・長野県道44号下仁田浅科線、真田昌幸、絹、産経新聞、甲州街道、甲府市、甲信地方、甲斐国、熊谷宿、熊谷市、熊谷駅、熱田駅、番場宿、畿内、直江津駅、白山通り、芦田宿、荒川 (関東)、草津宿、草津市、落合宿、須原宿、街道てくてく旅、飛騨国、西宮市、西巣鴨、西巣鴨駅、馬籠宿、馬籠峠、首都高速5号池袋線、首都高速中央環状線、諏訪市、高宮宿、高山本線、高島通り、高崎宿、高崎市、高崎バイパス、高崎線、高崎駅、高度経済成長、警視庁、豊島区、鳥居峠 (長野県)、鳥居本宿、鴻巣宿、贄川宿、越境合併、軽井沢宿、軽井沢町、軽井沢駅、追分宿、近畿地方、近江国、都市、都営地下鉄三田線、舟渡 (板橋区)、鈴鹿山脈、赤坂宿 (中山道)、鵜沼宿、関ヶ原の戦い、関ヶ原宿、関ケ原町、関越自動車道、関東大震災、関東地方、関所、藪原宿、醒井宿、野尻宿、重要伝統的建造物群保存地区、重要文化財、金森氏、蕨宿、長久保宿、長野県、長野県道147号芦田大屋停車場線、長野県道148号牛鹿望月線、長野県道151号湯沢望月線、長野県道166号東部望月線、長野県道40号諏訪白樺湖小諸線、長野県道9号佐久軽井沢線、長浜駅、Google マップ、柏原宿、恵那市、東山道、東京大学、東京大学本郷地区キャンパス、東京市、東京一極集中、東京都、東京都建設局、東京都道305号芝新宿王子線、東京都道311号環状八号線、東京都道317号環状六号線、東京都道318号環状七号線、東京都道420号鮫洲大山線、東京都道445号常盤台赤羽線、東京都道446号長後赤塚線、東京都道447号赤羽西台線、東信、東濃、東海地方、東海道、東海道本線、東海道新幹線、松井田宿、板鼻宿、板橋宿、板橋区、板橋区役所、板橋区役所前駅、板橋区立板橋第一小学校、板橋ジャンクション、板橋駅、板橋警察署、板橋郵便局、板橋本町駅、村落、桶川宿、横川駅 (群馬県)、武佐宿、武田氏、武豊線、武豊駅、武蔵国、水系、氷川神社 (板橋区氷川町)、江戸、江戸幕府、江戸藩邸、江戸時代、汐留、河渡宿、沓掛宿、洗馬宿、深谷宿、滝野川入口、滋賀県、木祖村、木曽の桟、木曽川、木曽町、木曽街道、木曽路、木曽郡、本山宿、本庄宿、本庄市、本郷 (文京区)、本郷通り (東京都)、本蓮沼駅、望月宿、戦国時代 (日本)、戸田橋、明治、明治維新、明治通り (東京都)、浦和宿、新名神高速道路、新幹線、新井白石、新町宿、新町駅、新板橋、新板橋出口、新板橋駅、新河岸川、文久、日光例幣使街道、日光街道、日本の交通、日本実業出版社、日本国有鉄道、日本鉄道、日本橋 (東京都中央区)、日本海、日本放送協会、旅籠、愛知川宿、敦賀駅、敦賀港駅、10月15日、11月25日、1600年、1601年、1716年、1861年、1869年、1870年、1871年、1875年、1876年、1882年、1883年、1884年、1885年、1886年、1889年、1890年、1909年、2005年、2015年の日本、3月10日、3月1日、4月16日、4月25日、5月25日、7月19日、7月1日、7月28日。 インデックスを展開 (335 もっと) »
加納宿
加納宿(かのうじゅく)は、中山道53番目の宿場(中山道六十九次)で、現在の岐阜市中心部(岐阜駅より南側、旧稲葉郡加納町)に当たる。 1861年に、皇女和宮親子内親王が宿泊している。.
加賀藩
金沢城石川門(重文) 加賀藩(かがはん)は、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。藩祖前田利家の妻である芳春院(まつ)の死後、芳春院の化粧料(婦女に対して生活補助として与えられた領地(石高))だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を飛び地として加える。.
埼京線
埼京線(さいきょうせん)は、東京都品川区の大崎駅から池袋駅まで山手線、池袋駅から赤羽駅まで赤羽線、赤羽駅から武蔵浦和駅を経由する東北本線支線(別線)を走行して埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅までを直通運転する、東日本旅客鉄道(JR東日本)の運転系統の通称である。駅ナンバリングで使われる路線記号はJA。.
埼玉県
埼玉県(さいたまけん)は、関東地方の中央西側内陸部に位置する県。県庁所在地はさいたま市。都道府県別の人口は東京、神奈川、大阪、愛知に次ぐ全国第5位。人口密度は東京、大阪、神奈川に次ぐ全国第4位である。県の愛称は「彩の国」。.
垂井宿
垂井宿(たるいじゅく)は中山道57番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡垂井村(現・岐阜県不破郡垂井町)に存在した。 西町・中町・東町の3町に分かれ、本陣は中町にあった。問屋場は3か所あった。毎月5と9の日に南宮神社鳥居付近で開かれた六斎市は大勢の人で賑わった。大垣・墨俣などを経由して東海道宮宿とを結ぶ脇往還美濃路との追分で、西美濃の交通の要衝であった。.
はだか武兵
はだか武兵(はだかぶひょう、生没年不詳)は、江戸時代後期の中山道の駕籠かき。疫病の人々を救ったという中津川の伝説的な人物。武兵衛ともいう。.
さいたま市
さいたま市(さいたまし)は、埼玉県の南部東寄りに位置する市。同県の県庁所在地。政令指定都市の一つであり、10の行政区を設置している。約129万人の人口を有し、日本で9番目に人口が多い市となっている。.
十条駅 (東京都)
十条駅(じゅうじょうえき)は、東京都北区上十条一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJA 14。 線路名称上の当駅を通る路線は赤羽線であるが、運転系統上は埼京線として案内される。特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。.
新しい!!: 中山道と十条駅 (東京都) · 続きを見る »
南木曽町
日本三百名山の一つである木曽山脈の南木曽岳 南木曽町(なぎそまち)は、長野県の南西部に位置する町。 妻籠宿及び三留野宿が、中山道の宿場町として発展した。また、面積の約94%を森林が占めている。 「日本で最も美しい村連合」の一つ。.
可児郡
*.
参勤交代
参勤交代(さんきんこうたい)とは、各藩の藩主を一年おきに江戸に出仕させる江戸幕府の法令のことである。参勤交替、参覲交代、参覲交替などとも書く。 藤堂様御国入行列附版画/伊賀文化産業協会蔵.
名古屋市
名古屋市(なごやし)は愛知県西部(尾張地方)にある市。政令指定都市であり、同県の県庁所在地である。全16区から構成される。.
名神高速道路
起点小牧IC航空写真。画面中央から左。右半分は東名。国土航空写真 終点西宮IC航空写真。画面右上から来て画面中央が終点である。右下から左上にのびるのは阪神高速3号神戸線。国土航空写真 名神の起点標識(小牧IC下り線本線上) 名神高速道路(めいしんこうそくどうろ、MEISHIN EXPRESSWAY)は、愛知県小牧市の小牧インターチェンジ (IC) を起点とし、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府を経由し兵庫県西宮市の西宮ICへ至る、高速道路(高速自動車国道)である。通称名神高速(めいしんこうそく、MEISHIN EXPWY)、名神(めいしん)、新名神高速道路と特に区別する場合には旧名神・現名神など。国土開発幹線自動車道および、高速自動車国道法に基づく法定路線名は中央自動車道西宮線であり、この一部区間である。なお、小牧IC - 吹田ジャンクション (JCT) 間はアジアハイウェイ1号線「AH1」にも指定されている。高速道路ナンバリングにおける路線番号は東名高速道路ともに「E1」が割り振られている。.
新しい!!: 中山道と名神高速道路 · 続きを見る »
坂本宿
坂本宿(さかもとしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十七番目の宿場。.
塩名田宿
塩名田宿(しおなだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場。 現在の長野県佐久市塩名田。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒あった。橋も掛けられたが洪水の度に流失し、船や徒歩で渡るのが専らであった。.
塩尻宿
塩尻宿(しおじりしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて三十番目にあたる宿場。.
塩尻市
塩尻市(しおじりし)は、長野県中部(中信地方)の市である。県央部における交通の要衝となっている。.
大垣市
大垣市(おおがきし)は、岐阜県の西濃地方に位置する市の一つ。県庁所在地の岐阜市に次いで、県内第2位の約16万人の人口を擁しているほか、西濃地域、特に揖斐郡と海津市とを除いた地域では中心的存在となっている。.
大垣駅
大垣駅(おおがきえき)は、岐阜県大垣市高屋町一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・樽見鉄道・養老鉄道の駅である。.
大宮宿
富士の眺望がひらけている。この風景は、現在、針ヶ谷の大橋陸橋交差点の小堂に納められている庚申塔(#東大成の庚申塔)あたりの、かつての様子である。もっとも、土手と田畑の高低差は実際これほどではなく、誇張して描かれている。 大宮宿(おおみや-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(または木曾街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて4番目の宿場(武蔵国のうち、第4の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡大宮宿。 現在の埼玉県さいたま市大宮区にあたる。.
大府駅
大府駅(おおぶえき)は、愛知県大府市中央町三丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。 当駅の所属線である東海道本線と、当駅を起点とする武豊線が乗り入れている。.
大井宿
大井宿(おおいじゅく)は中山道の46番目の宿場。美濃国恵那郡大井村(現・岐阜県恵那市)に存在した。 江戸方から、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5町があった。それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。 大井宿から槙ヶ根追分を経て、下街道を利用する旅人も多かった。なお、川越街道の大井宿(埼玉県ふじみ野市)とは別物である。.
大井川
大井川(おおいがわ)は、静岡県を流れる河川。一級水系大井川の本流。.
大和町 (板橋区)
大和町(やまとちょう)は、東京都板橋区の町名。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0012。.
新しい!!: 中山道と大和町 (板橋区) · 続きを見る »
大阪市
大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.
大津宿
大津宿(おおつしゅく、おおつじゅく)は東海道53番目(→東海道五十三次)の宿場で、現在は滋賀県大津市。東海道五十三次中最大の宿場。.
大湫宿
大湫宿(おおくてじゅく、大久手宿とも)は中山道の47番目の宿場。美濃国土岐郡大湫村(現・岐阜県瑞浪市)に存在した。 慶長9年(1604年)に新設された宿場で、尾張藩領であった。皇女和宮親子内親王の宿泊地となった。.
太多線
| 太多線(たいたせん)は、岐阜県多治見市の多治見駅から美濃加茂市の美濃太田駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。 中央本線と高山本線を結ぶ路線である。沿線は宅地化が進み、線内運転に限らず岐阜駅との直通列車が運転される通勤・通学路線となっている。 全区間を東海鉄道事業本部が管轄し、IC乗車カード「TOICA」の利用エリアに含まれている。当線内では多治見駅と美濃太田駅にのみ自動改札機が設置されており、途中駅では簡易改札機によって対応している。.
太平洋
太平洋(たいへいよう)は、アジア(あるいはユーラシア)、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれる、世界最大の海洋。大西洋やインド洋とともに、三大洋の1つに数えられる。日本列島も太平洋の周縁部に位置する。面積は約1億5,555万7千平方キロメートルであり、全地表の約3分の1にあたる。英語名からパシフィックオーシャン(Pacific ocean)とも日本語で表記されることもある。.
太田宿 (中山道)
太田宿(おおたじゅく)は中山道51番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国加茂郡太田村(現・岐阜県美濃加茂市)に存在した。 太田の渡しは、中山道の難所の1つであった。現在も宿場町の面影を残している。.
新しい!!: 中山道と太田宿 (中山道) · 続きを見る »
夜明け前
『夜明け前』(よあけまえ)は、島崎藤村によって書かれた長編小説。2部構成。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで知られる。.
奥州街道
奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋を起点として千住から白河へと至る街道である。下野国宇都宮宿以南の区間は日光街道と共用されており、宇都宮宿伝馬町の追分で日光街道と分岐していた。.
奈良井宿
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道34番目の宿場(→中山道六十九次)。現在の長野県塩尻市奈良井に位置する。.
妻籠宿
札場からの眺望 妻籠宿(つまごじゅく)は、中山道42番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。蘭川(あららぎがわ)東岸に位置する。隣接する馬籠宿(岐阜県中津川市)と、馬籠峠を越える旧中山道史蹟と合わせて木曽路を代表する観光名所として名高い。 経済成長に伴い全国の伝統的な町並みが姿を消してゆく中、いち早く地域を挙げて景観保全活動に取り組んだことが評価され、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれた。.
姫街道
姫街道(ひめかいどう)は、浜名湖の北側、本坂峠を経由して静岡県磐田市見付町(東海道見附宿)と愛知県豊川市御油町(東海道御油宿)を結ぶ街道である。道程約60キロメートル。古くは東海道の本道で、二見の道(ふたみのみち)と呼ばれていた。中世以降、浜名湖南岸の往来が盛んになると長距離を移動する利用者は減り、地震などで浜名湖南岸が通行不能になった後に迂回路としてよく利用された。本坂峠を経由したことから本坂越(ほんざかごえ)、本坂通(ほんざかどおし/ほんざかどおり)、本坂道(ほんざかみち)、本坂街道(ほんざかかいどう)などと呼ばれた。戦国時代に街道が整備され、江戸時代には東海道に付属する街道とされ、宿が置かれた。幕末頃から姫街道の呼称が定着し、明治以降、新道が出来て本坂峠はトンネルで通過するようになり、峠越えの道は廃道となっている。.
姫街道の一覧
姫街道(ひめかいどう)とは、江戸時代以前の徒歩時代における、主要街道の別ルートの一部に対する呼び名。.
新しい!!: 中山道と姫街道の一覧 · 続きを見る »
宮宿
宮宿(みやしゅく、みやじゅく、宮の宿、熱田宿)は、東海道五十三次の41番目の宿場である。中山道垂井宿にいたる脇街道美濃路や佐屋街道との分岐点でもあった。一般には宮の宿と呼ばれることが多かったが、幕府や尾張藩の公文書では熱田宿と書かれている。.
宮ノ越宿
宮ノ越宿(みやのこしじゅく)は中山道36番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡木曽町日義。 宿場関連の史跡よりも、木曾義仲関連の史跡が多い。かつては木曽川の水を使った用水が宿場内を流れていた。.
宿場
中山道妻籠宿 宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。 また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。.
守山宿
木曾街道六拾九次 守山(歌川広重画) 中山道沿いの風景 道標 土橋 天満宮 守山宿(もりやましゅく、もりやまじゅく)は近江国野洲郡にあった中山道67番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在の滋賀県守山市旧市街に当たる。.
宇都宮市
餃子像(JR宇都宮駅旧東口広場) 宇都宮中心市街地 宇都宮市(うつのみやし)は、栃木県の中部に位置する市で、同県の県庁所在地である。1996年4月1日より、中核市に指定されている。北関東最大の都市かつ、首都圏の都市としても10位の人口を擁する。本市を中心市とする宇都宮都市圏は、政令指定都市を除く都市圏として日本最大である。.
安中宿
木曾街道六拾九次 安中(歌川広重画) 安中宿(あんなかしゅく)とは、中山道六十九次の江戸(日本橋)から15番目の宿場町である。.
安中市
安中市中心部(中山道安中宿)周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。国土航空写真。 安中市(あんなかし)は群馬県南西部にある人口約6万人の市である。江戸時代に板鼻・安中・松井田・坂本が中山道の宿場町として栄え、また、江戸時代には安中藩の城下町であった。.
安倍川
安倍川(あべかわ)は、静岡県静岡市葵区および駿河区を流れる河川。一級水系安倍川の本流である。清流としても有名で、その伏流水は静岡市の水道水にも使われている。大河川でありながら本流・支流にひとつもダムが無い珍しい川である。 よく見聞きする表記として「安部川」や「あべがわ」があるが、これらは誤りである。 安倍川のたもとで売られている名物に「安倍川もち」があるが、地元以外では餅に黄な粉をまぶして食べる食べ方を単に「安倍川」と呼ぶことがある。.
小笠原氏
小笠原氏(おがさわらし、おがさわらうじ)は、日本の氏族。清和源氏の河内源氏の流れをくみ、武家の有職故実を伝える一族としても知られる。通字は、「長」・「貞」・「忠」などである。.
小田井宿
小田井宿(おたいしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十一番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡御代田町中心部にあたる。参勤交代などで大名が北国街道との分岐点でもあった追分宿で宿をとる際、小田井宿は姫君や側女たちの宿にあてられることが多く「姫の宿」とも呼ばれた。.
小諸市
小諸市(こもろし)は、長野県東部に位置する市。小諸藩の城下町であった。.
山城国
山城国(やましろのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.
山縣有朋
山県 有朋(やまがた ありとも、天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。 長州藩領内の蔵元仲間山縣三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、後に小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に副官である奇兵隊の軍監となる。 明治政府では軍政家として手腕をふるい、日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることのないように文官試験制度を創設し、後進を育成。山県が軍部・政官界に築いた幅広い人脈は「山県系」「山県閥」などと称される。 晩年も、陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。ただし国政に深く関与するようになってからも、自身では「わしは一介の武弁」と称するのが常であった。伊藤博文と並び、明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。 自身が得た最高位の階級は陸軍大将だが、元帥府に列せられ元帥の称号を得ており、元帥陸軍大将と呼称された。国外でも大英帝国のメリット勲章など、勲章を多数受章している。.
岐阜市
岐阜市(ぎふし)は、岐阜県の中南部に位置する中核市で、同県の県庁所在地である。旧稲葉郡・山県郡・本巣郡・羽島郡。.
岐阜県
岐阜県(ぎふけん)は、日本の中部地方に位置する県で内陸県の一つ。 日本の人口重心中央に位置し、その地形は変化に富んでいる。県庁所在地は岐阜市。.
岐阜駅
岐阜駅(ぎふえき)は、岐阜県岐阜市橋本町一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)の駅である。.
岩村田
岩村田(いわむらだ)は、長野県佐久市の北東部に存在する地域。宿場町、城下町、鳥居前町として発展した。「岩村田」の語源は「岩群れ田であり、岩石の多い所」だという。 岩村田駅、岩村田郵便局、佐久市立岩村田小学校、岩村田保育園などがある『佐久地方の地名と語源』郷土出版社、1988年(昭和63年)9月10日、83頁・85頁。.
岩村田宿
岩村田宿(いわむらだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場。 現在の長野県佐久市岩村田一帯。岩村田藩1万5千石の城下町であり商業の町であった。宿場の本陣は存在したが、大破し、その後も再建できず旅籠も最盛期で8軒と少なかった。.
島崎藤村
島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日(明治5年2月17日)- 1943年(昭和18年)8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。信州木曾の中山道馬籠2005年2月12日までは、長野県木曽郡山口村神坂馬籠。越境合併により、岐阜県中津川市馬籠となった。所属県が長野県から岐阜県に変更される事で、藤村の出身県を従来どおり長野県とするか、新たに岐阜県とするか、もしくは新旧両方併記するか、関係者の間で混乱が生じている。しかし藤村本人は、「信州人」意識を強く持っている。(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。 『文学界』に参加し、ロマン主義詩人として『若菜集』などを出版。さらに小説に転じ、『破戒』『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などがある。.
巣鴨
巣鴨(すがも)は、東京都豊島区の町名。現行行政地名は巣鴨一丁目から巣鴨五丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は、170-0002。 巣鴨駅には、東日本旅客鉄道(JR東日本)の山手線、東京都交通局(都営地下鉄)の三田線が走っている。また、近くに、東京都交通局都電荒川線の巣鴨新田停留場、庚申塚停留場、新庚申塚停留場がある。.
工部省
工部省 工部省(こうぶしょう)は、明治政府の官庁の1つで、太政官制度の下で近代国家のための社会基盤整備と殖産興業を推進した中央官庁である。.
上尾宿
供の2人連れ、一服しようと立ち寄る商人1人が見える。もっとも、実際の立場は、近くはあっても神社と隣接していたわけではなかった。また、街道筋の境内前に出張って唐箕を使うなど、ずいぶんおかしな光景には違いない。つまり、絵師は3つの画題を一画面に詰め込んだのであり、絵画的工夫の結果としてこの図がある。 上尾宿(あげおじゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて5番目の宿場(武蔵国のうち、第5の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡上尾宿。 現在の埼玉県上尾市にあたる。.
上信越自動車道
上信越自動車道(じょうしんえつじどうしゃどう、JOSHIN-ETSU EXPRESSWAY)は、群馬県藤岡市の藤岡ジャンクション (JCT) から長野県長野市を経て新潟県上越市の上越JCTに至る高速道路(高速自動車国道)である。東日本高速道路が管理・営業中である。略称は上信越道(じょうしんえつどう、JOSHIN-ETSU EXPWY)。高速道路ナンバリングによる路線番号は「E18」が割り振られている。.
新しい!!: 中山道と上信越自動車道 · 続きを見る »
上田城
上田城(うえだじょう)は長野県上田市二の丸(旧・信濃国小県郡上田)にあった日本の城である。なお、現在残っている城は、仙石忠政によって寛永年間に再建築城されたものである。.
上野国
上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 常陸国・上総国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であった類聚三代格。.
上野駅
上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。.
上松宿
上松宿(あげまつじゅく)は中山道38番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡上松町。 十王橋から上町、本町、仲町、下町。古い町並みが残るのは上町。.
帝国議会
帝国議会(ていこくぎかい)は、1889年(明治22年)の大日本帝国憲法(明治憲法)発布から1947年(昭和22年)の日本国憲法への改正まで設置されていた日本の議会である。公選の衆議院と非公選の貴族院から成る。「議会」もしくは「国会」と略称された『事典 昭和戦前期の日本』(吉川弘文館) 36頁。。1890年(明治23年)11月29日開会の第1回議会から、1947年(昭和22年)3月31日閉会の第92回議会まで行われた。今日の国会との連続性を持つ。.
中央高地
八ヶ岳から 中央高地(ちゅうおうこうち)は、中部地方の山岳地帯である。.
中央自動車道
井戸IC - 岡谷JCTを表す高速道路ナンバリング標識 中央自動車道(ちゅうおうじどうしゃどう、)は、中日本高速道路株式会社(NEXCO中日本)が管理している、東京都と山梨県富士吉田市、兵庫県西宮市、長野県長野市を連絡する国土開発幹線自動車道であり、これらのうち東京都杉並区と富士吉田市、および愛知県小牧市を結ぶ高速道路(高速自動車国道)である。略称は中央道(ちゅうおうどう、CHUO EXP)、中央高速。旧路線名は中央高速道路(1972年まで)であり、道路名を「○○高速道路」から「○○自動車道」へ変更した唯一の高規格幹線道路である。 高速道路ナンバリングによる路線番号は、高井戸IC - 岡谷JCT間が「E20」、岡谷JCT - 小牧JCT間が長野自動車道とともに「E19」、大月JCT - 河口湖IC間の富士吉田線が東富士五湖道路とともに「E68」、中部横断自動車道との重複区間となっている双葉JCT - 長坂JCT(計画中)が「E52」と各区間割り振られている。.
新しい!!: 中山道と中央自動車道 · 続きを見る »
中央本線
| 中央本線(ちゅうおうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から新宿区の新宿駅、長野県塩尻市の塩尻駅を経由して愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ鉄道路線(幹線)である。 このうち東京駅 - 塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、塩尻駅 - 名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となっている。なお、塩尻駅はJR東日本の管轄である。「中央東線」や「中央西線」、「中央線快速」など、区間や系統別に様々な呼称がある(後述)。 『鉄道要覧』上は、重複する東京駅 - 神田駅間は東北本線、代々木駅 - 新宿駅間は山手線となっている(詳しくは概要を参照)。 地域ごとの詳細については、以下の記事も参照。.
中央新幹線
中央新幹線(ちゅうおうしんかんせん)とは、東京都から大阪市に至る新幹線の整備計画路線である。 誘致側・マスコミ報道などでは「リニア中央新幹線」や「中央リニア新幹線」、さらに「リニア中央エクスプレス」、「中央リニアエクスプレス」と呼ばれることもあるが、国による整備計画では「中央新幹線」と称している。建設・営業主体の東海旅客鉄道(JR東海)は報道発表や沿線向けの説明資料では「中央新幹線」と称しているが、2018年4月5日に開設した一般向け解説サイトでは「リニア中央新幹線」を使用している。.
中山道69次資料館
中山道69次資料館(なかせんどう69つぎしりょうかん)は、長野県北佐久郡軽井沢町大字追分にある中山道に関する資料展示施設である。館長は岸本豊(『中山道69次を歩く』『北国街道を歩く』などの著書がある)。.
新しい!!: 中山道と中山道69次資料館 · 続きを見る »
中山道の一里塚一覧
中山道の一里塚一覧(なかせんどうのいちりづかいちらん)は中山道に設置された一里塚を一覧形式でまとめたものである。国指定の史跡が志村(3里)と垂井(112里)の二ヵ所ある。.
新しい!!: 中山道と中山道の一里塚一覧 · 続きを見る »
中山道伝馬騒動
中山道伝馬騒動(なかせんどう てんまそうどう)とは、江戸時代の一揆。明和元年(1764年)閏12月下旬から翌明和2年(1765年)年1月にかけて主要街道の一つであった中山道沿いで発生した一揆。 騒動が武蔵国を中心に上野国、信濃国と広範囲に及んだこと、領主側の立場でもある村役人が多数参画したこと、最終的には一揆の原因となった要求を幕府側が取り下げたことから、幕府の威信が低下する一因となった。.
新しい!!: 中山道と中山道伝馬騒動 · 続きを見る »
中山道六十九次
塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望』渓斎英泉筆。峠から氷結した諏訪湖を臨む。左手に見えるのは八ヶ岳連峰。 加納』歌川広重筆 中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。 中山道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。 もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。そこからは京までの区間を共有する。 また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。 中山道六十九次は天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により、名所絵(浮世絵風景画)『木曽海道六十九次』として描かれている 。.
新しい!!: 中山道と中山道六十九次 · 続きを見る »
中津川宿
中津川宿(なかつがわじゅく)は中山道の45番目の宿場。美濃国恵那郡中津川村(現・岐阜県中津川市)に存在した。 江戸方より淀川町・新町・本町・横町・下町と続き、本町に本陣と脇本陣があった。 近年、皇女和宮が江戸に降嫁される際、中津川宿で食べた料理の文献が見つかり、それを忠実に再現したものが市内の旅館で食べられる。.
中津川市
中津川市 中津川市(なかつがわし)は、岐阜県の南東部に位置する市である。長野県に隣接しており、古くより木曽谷や伊那谷との関係が深いが、近年は中京圏との関係が強くなってきている。市域を断層が縦横に走っているため山地が多く、木曽川に流れ込む河川はどれも小規模だが清流であり、木曽川水系においても水の綺麗さの点では有数の地である。.
布引電気鉄道
| 布引電気鉄道(ぬのびきでんきてつどう)は、かつて長野県北佐久郡小諸町(当時)から同県同郡川辺村(当時)を経て同県同郡北御牧村(当時)に至る鉄道路線を運営していた鉄道事業者である。 1920年に信越本線小諸駅から本牧村望月までを結ぶ目的で設立され、1926年に開業したが、経営不振が続き、わずか8年後の1934年には休業し、そのまま廃止となった。昭和初期の不況やバスの台頭によって休廃業した鉄道事業者の中でも「最も極端なケース」として紹介されることもある。 本項では、布引電気鉄道とほぼ同時期に近接地域において建設が計画され、当鉄道との路線共用を条件に免許交付を受けた佐久諏訪電気鉄道についても一部記述する。.
新しい!!: 中山道と布引電気鉄道 · 続きを見る »
三留野宿
三留野宿(みどのじゅく)は中山道41番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡南木曽町。南木曽駅の北が当時の宿場町の中心だが、1881年(明治15年)の大火で多くの建物が焼失したことに加え、鉄道が開通したため現在の町の賑わいは駅周辺に移っている。.
三重県
三重県(みえけん)は、日本の都道府県の一つで紀伊半島の東側に位置する。県庁所在地は県中部の津市。.
三条大橋
東海道五十三次 三条大橋』歌川広重筆。 弥次さんと喜多さんの像 駅伝発祥の碑 三条大橋(さんじょうおおはし)は、京都市にある三条通の橋。鴨川に掛かっている。 橋が架けられた時期は明らかではないが天正18年(1590年)、豊臣秀吉 の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱の橋に改修された。江戸時代においては、五街道のひとつ東海道につながる橋として、幕府直轄の公儀橋に位置付けられ、流出のたびごとに幕府の経費で架け替え・修復が行われた。現在の橋本体は2車線、歩道付のコンクリート製で1950年(昭和25年)に作られ、木製欄干は1973年(昭和48年)に更新されたが老朽化やシロアリなどの被害で劣化が激しく、橋を管理する京都市は欄干の取り換えだけで3億円、歩道の整備を含めると4億円が必要と見積もっており、費用の捻出に苦慮している。 橋の名は、三条通と鴨川左岸(東側)を走る川端通の交差点名にもなっている。.
下諏訪宿
下諏訪宿(しもすわしゅく)とは、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場。.
下諏訪町
下諏訪町(しもすわまち)は、長野県諏訪郡の町。平安時代には土武郷と呼ばれていた。 諏訪湖や八島ヶ原湿原、下諏訪温泉、諏訪大社などがある観光地かつ鳥居前町。かつては中山道、甲州街道が分岐する宿場として栄えていた。.
一条秀子
一条 秀子(いちじょう ひでこ、文政8年(1825年)10月 - 嘉永3年6月6日(1850年7月14日))は、後の江戸幕府第13代将軍・徳川家定がまだ家祥と名乗っていた将軍世子時代に迎えた二人目の御簾中(正室)。関白一条忠良の十四女。初名は寿明姫。院号は澄心院(ちょうしんいん)。.
久世広周
久世 広周(くぜ ひろちか)は、江戸時代末期の大名。下総関宿藩の第7代藩主。関宿藩久世家7代。.
享保
享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.
京都
京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.
京都市
京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.
京都府
京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.
京都新聞
京都新聞販売店例・河丸販売所、京都市上京区 京都新聞(きょうとしんぶん)は、京都府と滋賀県を中心に発行されている地方紙である。.
五街道
五街道(ごかいどう)は、江戸時代の江戸・日本橋を起点に伸びる東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つを指した陸上幹線道である。1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶ以下の5つの街道を整備し始め、2代将軍秀忠の代になって基幹街道に定められた。.
五条駅 (京都府)
五条駅(ごじょうえき)は、京都府京都市下京区大坂町にある、京都市営地下鉄烏丸線の駅。駅番号はK10。.
新しい!!: 中山道と五条駅 (京都府) · 続きを見る »
今須宿
今須宿(いますじゅく)は中山道の59番目の宿場。美濃国不破郡今須村(現・岐阜県不破郡関ケ原町)に存在した。.
仲宿
仲宿(なかじゅく)は、東京都板橋区の町名。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0005。.
建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画
建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画(けんせつをかいしすべきしんかんせんてつどうのろせんをさだめるきほんけいかく)とは、全国新幹線鉄道整備法 (昭和45年5月18日 法律第71号)第4条(基本計画)に基づき、国土交通大臣(当時は運輸大臣)が定め公示した、全国新幹線鉄道の基本計画のことである。.
新しい!!: 中山道と建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画 · 続きを見る »
建設技術研究所
一般財団法人建設技術研究所(けんせつぎじゅつけんきゅうじょ)は、土木技術・建設に関する技術及び事業の調査・研究を行っている法人。元文部科学省及び国土交通省の共同所管。なお、建設コンサルタントの最大手のひとつである株式会社建設技術研究所(本社:東京都中央区日本橋浜町、略称:建設技研、建技)は、財団の調査・設計部門を昭和38年4月に分離・独立したもので、現在はそれぞれが独立した活動を行っている。.
新しい!!: 中山道と建設技術研究所 · 続きを見る »
伏見宿
伏見宿.
伏見宿 (中山道)
伏見宿(ふしみじゅく)は中山道50番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡伏見村(現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。 現在は岐阜県可児郡御嵩町。 木曽川の流れの変化などにより、渡し場の位置が上流へ移動された。それまでの土田宿は廃宿となり、1694年(元禄7年)上流に位置する伏見に宿が誕生した。 現在は国道が貫いているため、宿場町の風情は失われている。.
新しい!!: 中山道と伏見宿 (中山道) · 続きを見る »
佐久市
佐久市(さくし)は、長野県東信地方の市であり、群馬県との県境に位置する。東信地方第二の都市、また佐久地域の中心都市である。 岩村田(いわむらだ)、中込(なかごみ)、野沢(のざわ)といった集落があり、中心街はそれぞれに分散する。古くは中山道と佐久甲州街道との交点であり、宿場町として発達し、岩村田藩ならびに田野口藩の陣屋町としての側面もあった。.
佐久市子ども未来館
佐久市子ども未来館(さくしこどもみらいかん)は、長野県佐久市にある科学館。地球科学、宇宙科学や生命科学の展示、プラネタリウムを有する。2001年の開館から2013年10月12日までの約13年半で、来館者が100万人に到達した。指定管理者は、一般社団法人佐久市振興公社。.
新しい!!: 中山道と佐久市子ども未来館 · 続きを見る »
彦根市
彦根市(ひこねし)は、滋賀県の北東部に所在する市である。滋賀県北部、東部の中心となる都市である。 旧坂田郡鳥居本村と旧愛知郡稲枝町を除き、かつては犬上郡に属していた。.
御守殿
御守殿(ごしゅでん)は、江戸時代において、三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称である。また、その居住する奥御殿を指す。他に、御守殿に仕えた女中とその髪結い、服装などの風俗(御守殿風)をも指す。.
御嶽宿
御嶽宿(みたけじゅく)は中山道49番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国可児郡御嵩村(現・岐阜県可児郡御嵩町)に存在した。 願興寺の門前町として発達した。中山道制定当初からの宿場。 御嵩宿制札、御嵩宿問屋千木秤は、御嵩町指定重要文化財となっている。.
御嵩町
御嵩町(みたけちょう)は、岐阜県可児郡の町である。.
徳川家定
徳川 家定(とくがわ いえさだ)は、江戸幕府の第13代征夷大将軍。.
徳川秀忠
徳川 秀忠(とくがわ ひでただ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍。.
律令制
律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.
信越本線
信越本線(しんえつほんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅から群馬県安中市の横川駅まで、長野県長野市の篠ノ井駅から長野駅まで、および新潟県上越市の直江津駅から新潟県新潟市中央区の新潟駅までの区間を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、越後石山駅 - 新潟貨物ターミナル駅間、上沼垂信号場 - 東新潟港駅間の貨物支線を持つ。.
信濃川
新潟市の河口部(写真左(西)は日本海)写真上(北)から、阿賀野川、信濃川、関屋分水。 信濃川(新潟県十日町市) 信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流である。新潟市で日本海に注ぐ。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼるとと呼称が変わる。この項目では千曲川と呼称される上流部を合わせ記述する。全長367キロメートルのうち、信濃川と呼ばれている部分が153キロメートルなのに対し、千曲川と呼ばれている部分は214キロメートルと千曲川の方が長い。ただし、河川法上では千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。 流域面積11,900km2は日本第3位。新潟、長野両県内でほとんどを占めるが、一次支川中津川の源流部が群馬県の野反湖付近にあり、水系流域としては群馬を含む3県に及ぶ。 千曲川(信濃川)は古くは万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市・小諸市周辺を島崎藤村(千曲川旅情のうた、小諸なる古城のほとり)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現:中野市)周辺を高野辰之(朧月夜、故郷)が歌にしている。.
信濃国
信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。.
信濃毎日新聞
信濃毎日新聞(しなのまいにちしんぶん、The Shinano Mainichi Shimbun)は、長野県の地方新聞である。 また同紙を発行する新聞社の名称。 朝刊と夕刊を発行しており、発行部数は約44万5000部、県内購読率は57パーセント(2014年上半期時点)。通称は信毎(しんまい)。.
新しい!!: 中山道と信濃毎日新聞 · 続きを見る »
志村 (板橋区)
志村(しむら)は、東京都板橋区の町名『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P795 『いたばしの地名』板橋区教育委員会、1995年、P189-190。現行行政地名は志村一丁目から三丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は174-0056。.
新しい!!: 中山道と志村 (板橋区) · 続きを見る »
志村坂上駅
坂上交差点側改札口(2007年8月) ホーム(2008年3月) 志村坂上駅(しむらさかうええき)は、東京都板橋区志村一丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 21。.
志村警察署
志村警察署(しむらけいさつしょ)は、日本の東京都にある警視庁が管轄する警察署の一つである。第十方面本部所属。 板橋区の東北部を管轄している。 署員数およそ270名、識別章所属表示はRE。.
土岐市
土岐市中心部。土岐プレミアムアウトレットより撮影。 土岐市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の8枚を合成作成。国土航空写真。 土岐市(ときし)は、岐阜県の南東部に位置する市である。 美濃焼の産地であり、「陶磁器生産日本一のまち」として知られる。また、織部焼発祥の地でもある。.
地方整備局
地方整備局(ちほうせいびきょく、英語表記:Regional Development Bureau,または Regional Bureau)とは、国土交通省の地方支分部局のひとつ。直轄の道路、河川、ダム、砂防、港湾の整備及び維持管理、空港基本施設の整備のほか、建設業や不動産業(宅地建物取引業)の許認可に関する業務や指導監督業務、建設関連の資格の取得に関わる行政機能などを所管している。.
北区 (東京都)
北区(きたく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡(北区、板橋区)。 郵便番号(上3桁)は、114・115。.
新しい!!: 中山道と北区 (東京都) · 続きを見る »
北区立図書館
北区立図書館(きたくりつとしょかん)は、東京都北区にある公共図書館。 北区が管理する図書館には、中央図書館をはじめ全部で14館あり、分室は中央図書館分室がある。全館の一般書の蔵書数は990,863冊である(2011年度統計)。 蔵書の一部は北区図書館共通資料として、特定の所蔵館を持たず返却された館の書架に置かれるようになっている。平成24年4月1日現在、北区図書館共通資料は「一般書」が278,380冊、「CD」が16,999巻となっており、これらは各図書館の蔵書数には含まれない。在住・在勤(在学)者でなくても、利用や借り出し利用カードを作成し、図書館資料を借りる(禁帯は除く)ことが出来る。.
新しい!!: 中山道と北区立図書館 · 続きを見る »
北区立滝野川第二小学校
北区立滝野川第二小学校(きたくりつ たきのがわだいにしょうがっこう)は、東京都北区滝野川にある、区立の小学校である。.
新しい!!: 中山道と北区立滝野川第二小学校 · 続きを見る »
北関東
北関東(きたかんとう)は、関東地方の北部を指す名称である。同じく関東地方の南部を指す呼称として南関東がある。.
北藤岡駅
北藤岡駅(きたふじおかえき)は、群馬県藤岡市立石(たついし)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。.
北陸地方
北陸地方(ほくりくちほう)は、本州中央部に位置する中部地方のうち日本海に面する地域である。新潟県、富山県、石川県、福井県の4県『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.1041 ISBN 4-09-523101-7、あるいは富山県、石川県、福井県の3県を指す。区別のため前者を「北陸4県」「新潟県を含む北陸地方」、後者を「北陸3県」などと表現することがある。北陸3県の繋がりについては「北陸3県について」の節を参照。 名称は、畿内から見て北方にある五畿七道の北陸道に由来し、中世以前では、この地域を北国(ほっこく)と称していた。.
北陸新幹線
北陸新幹線(ほくりくしんかんせん)は、上信越・北陸地方を経由して東京都と大阪市とを結ぶ計画の高速鉄道路線(新幹線)であり、整備新幹線5路線の一つである。 2015年(平成27年)3月14日現在、高崎駅 - 金沢駅間が開業している。また、高崎駅以東については、全列車が上越新幹線および東北新幹線を経由して東京駅まで乗り入れている。.
分水界
世界を分割する分水界 分水界(ぶんすいかい、drainage divide)とは、異なる水系の境界線を指す地理用語である。山岳においては稜線と分水界が一致していることが多く、分水嶺(ぶんすいれい)とも呼ばれる。.
和宮親子内親王
和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう、弘化3年閏5月10日(1846年7月3日) - 明治10年(1877年)9月2日)は、仁孝天皇の第八皇女。孝明天皇の異母妹。明治天皇は甥にあたる。江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室。品位は二品、薨後贈一品。 「和宮」は誕生時に賜わった幼名で、「親子」(ちかこ)は文久元年(1861年)の内親王宣下に際して賜わった諱である。家茂死後には落飾し、静寛院宮(せいかんいんのみや)と名乗った。.
新しい!!: 中山道と和宮親子内親王 · 続きを見る »
和田宿
和田宿(わだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十八番目の宿場。 現在の長野県小県郡長和町和田の中心部一帯。難所であった和田峠の入口にあたり、標高820メートル余りの高地にある静かな山里である。次の下諏訪宿まで五里十八町(約23km)と距離があったため、荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70軒ほどあった。現在も旧本陣や古い家屋が現存し、修理保全されている。宿周辺の産物に黒曜石がある。.
和田峠
和田峠(わだとうげ)は、峠の名前。.
和田峠 (長野県)
和田峠(わだとうげ)は中山道(中仙道)の峠で、長野県小県郡長和町と諏訪郡下諏訪町の間にある。最大標高1,531m。.
新しい!!: 中山道と和田峠 (長野県) · 続きを見る »
内陸
世界の内陸国 内陸(ないりく)は、海岸から離れた場所のこと。.
入鉄炮出女
入鉄炮出女(いりてっぽうとでおんな)は、江戸時代における交通政策の1つ。入り鉄砲出女、入り鉄炮出女とも表記される。.
八幡宿
八幡宿(やわたしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十四番目の宿場である。 現在の長野県佐久市八幡。千曲川の西岸にあたり、対岸の塩名田宿との距離は1里もないが、川止めになったときの待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された宿場である。.
八高線
八高線(はちこうせん)は、東京都八王子市の八王子駅から群馬県高崎市の倉賀野駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。実際の運行は、倉賀野駅を発着する全列車が隣駅である高崎線の高崎駅を起終点とする。路線名は、八王子の「八」と高崎の「高」に由来する。.
六角氏
六角氏(ろっかくし)は、日本の氏族。宇多源氏佐々木氏の流れで、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を中心に勢力を持った武家(守護大名)。藤原北家流の公家・六角家とは血の繋がりは無い。佐々木六角氏とも言う。.
国土交通省
国土交通省(こくどこうつうしょう、略称:国交省(こっこうしょう)、Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism、略称:MLIT)は、日本の行政機関の一つである。 「国土の総合的かつ体系的な利用、開発及び保全、そのための社会資本の整合的な整備、交通政策の推進、気象業務の健全な発達並びに海上の安全及び治安の確保を図ること」を任務とする(国土交通省設置法第3条)。.
国土開発幹線自動車道
国土開発幹線自動車道(こくどかいはつかんせんじどうしゃどう)(略語: 国幹道)とは、国土開発幹線自動車道建設法(以下「法」)に基づき建設することが予定されている道路である。高規格幹線道路の1つである。 法第1条で、「この法律は、国土の普遍的開発をはかり、画期的な産業の立地振興及び国民生活領域の拡大を期するとともに、産業発展の不可欠の基盤たる全国的な高速自動車交通網を新たに形成させるため、国土を縦貫し、又は横断する高速幹線自動車道を開設し、及びこれと関連して新都市及び新農村の建設等を促進する」とうたわれている。この法律は、1957年に国土開発縦貫自動車道建設法として公布・施行、6つの旧道路建設法を廃止して1966年に改正されたもので、全国の都道府県を結ぶ高速道路網として、32路線、総延長7,600kmの予定路線が定められた。1987年に第四次全国総合開発計画(四全総)に基づいて従前の路線を延伸、または新たな路線を追加した改正が行われ、現在の延長は11,520kmとなっている。 国幹道は、予定路線のうち基本計画が決定された区間から順次高速自動車国道法第4条第1項 の規定に基づく高速自動車国道の路線を指定する政令によって高速自動車国道とされる。2009年の第4回国土開発幹線自動車道建設会議までに、予定路線の92%にあたる延長10,623kmの区間が基本計画に、またうち9,428kmの区間が整備計画に策定されている。.
新しい!!: 中山道と国土開発幹線自動車道 · 続きを見る »
国道122号
栃木県日光市、起点の神橋交差点。写真中央下が0 kmポスト、国立公園サイン下に日光町道路元標がある(2005年4月) 群馬県桐生市、道の駅くろほね・やまびこ付近(2010年8月) さいたま市岩槻区中心部、旧道下り方面(2011年1月) さいたま市岩槻区、下り方面(右手は東北自動車道、2009年2月) 埼玉県川口市、上り方面(右手は東北自動車道) 北区、王子駅前(左後が国道122号、2005年10月) 国道122号(こくどう122ごう)は、栃木県日光市から群馬県東毛、埼玉県東部を経由して東京都豊島区に至る一般国道である。.
新しい!!: 中山道と国道122号 · 続きを見る »
国道142号
終点の大社通り交差点より少し東に進んだところから諏訪大社下社秋宮方面を見る 終点の大社通り交差点 国道142号(こくどう142ごう)は、長野県北佐久郡軽井沢町から同県諏訪郡下諏訪町に至る一般国道である。.
新しい!!: 中山道と国道142号 · 続きを見る »
国道151号
国道151号(こくどう151ごう)は、長野県飯田市から愛知県豊橋市に至る一般国道である。.
新しい!!: 中山道と国道151号 · 続きを見る »
国道153号
国道153号(こくどう153ごう)は、愛知県名古屋市から伊那谷を経由して長野県塩尻市に至る一般国道である。.
新しい!!: 中山道と国道153号 · 続きを見る »
国道17号
日本橋 日本国道路元標 国道17号(こくどう17ごう)は、東京都中央区から新潟県長岡市を経由して同県新潟市へ至る一般国道である。.
国道18号
国道18号(こくどう18ごう)は、群馬県高崎市から新潟県上越市に至る一般国道である。.
国道19号
浪市薬師町 国道19号(こくどう19ごう)は、愛知県名古屋市から長野県長野市へ至る一般国道である。この内、岐阜県恵那市から長野県塩尻市にかけて、旧中山道に相当する。高速道路では愛知県 - 岐阜県中津川市にかけて中央自動車道と、長野県内では塩尻市 - 安曇野市で長野自動車道と、鉄道では名古屋市 - 長野県塩尻市にかけて中央本線と、塩尻市 - 安曇野市で篠ノ井線と並走する。.
国道1号
国道1号(こくどう1ごう)は、東京都中央区から大阪府大阪市北区へ至る一般国道である。ルートは旧東海道をほぼ踏襲した現代の東海道となっている。.
国道20号
国道20号(こくどう20ごう)は、東京都中央区から千代田区を経由して長野県塩尻市へ至る一般国道である。.
国道21号
国道21号(こくどう21ごう)は、岐阜県瑞浪市から滋賀県米原市へ至る一般国道である。.
国道22号
熱田神宮南交差点(起点) 名古屋市西区栄生一丁目(菊ノ尾通) 一宮市両郷町 国道22号(こくどう22ごう)は、愛知県名古屋市から岐阜県岐阜市へ至る一般国道である。現在は全線が名岐バイパスなどとして多車線化されており、これらの名称で呼ばれることもある。.
国道52号
起点 静岡県・山梨県県境 (甲府方面) 富士川沿いを高架で走る国道52号 南巨摩郡身延町にて 身延町内 (甲府方面) 甲西道路(直進)と西郡路(左方面)の分岐 (甲府方面)案内標識には県道表示がないが、左側西郡路山梨県道42号韮崎南アルプス富士川線である。 富士川町内 (甲府方面) 相生地区を通る国道52号(美術館通り) 終点・甲府警察署前交差点(甲府市中央一丁目)。国道411号(画像左側:東方向)の終点、山梨県道6号甲府韮崎線(画像手前側:北方向)の起点でもある。 甲府警察署前交差点にある国道52号終点標識 (甲府市) 国道52号(こくどう52ごう)は、静岡県静岡市清水区から山梨県甲府市へ至る一般国道である。ほぼ全線が富士川に沿う。この道路と並走する形で中部横断自動車道が整備中で、山梨県内では一部区間が供用中である。.
国道8号
| 国道8号(こくどう8ごう)は、新潟県新潟市から滋賀県栗東市を経由して京都府京都市へ至る一般国道である。 新潟市から日本海沿いに北陸地方を縦断して滋賀・京都に至る幹線国道であり、かつての北陸道を継承するものである。新潟県 - 滋賀県にかけて北陸自動車道と、滋賀県 - 京都府にかけて名神高速道路と並走する。現在、新潟市内の新潟バイパス区間の交通量は、日本ではトップクラスとなっている。.
倉賀野宿
倉賀野宿(くらがのしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて12番目の宿場である。日光例幣使街道が分岐している。現在の群馬県高崎市倉賀野町に相当する。.
倉賀野バイパス
倉賀野バイパス(くらがのバイパス)は、群馬県高崎市倉賀野町から、高崎市和田多中町の区間を結ぶ国道17号のバイパスである。 旧道は群馬県道121号和田多中倉賀野線に降格された。.
新しい!!: 中山道と倉賀野バイパス · 続きを見る »
倉賀野駅
倉賀野駅(くらがのえき)は、群馬県高崎市倉賀野町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。 JR東日本の駅は倉賀野町1797番地に、JR貨物の駅は旅客駅の東側、東中里町65番地にある。.
石神井川
石神井川(しゃくじいがわ)は、東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。流路延長25.2km、流域面積61.6km2 。.
碓氷峠
碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町坂本と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である。標高は約960メートル (m) 。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である。峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる。 古代には碓氷坂(うすひのさか)、宇須比坂、碓日坂などといい、中世には臼井峠、臼居峠とも表記された。近世以降は碓氷峠で統一されている。「碓井峠」「碓水峠」は誤表記。.
神戸駅 (兵庫県)
北口 南口駅前ロータリー 神戸駅(こうべえき)は、兵庫県神戸市中央区相生町三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。駅番号はJR-A63。「JR神戸線」の愛称区間に含まれている。.
新しい!!: 中山道と神戸駅 (兵庫県) · 続きを見る »
福島宿 (中山道)
福島宿(ふくしまじゅく)は中山道37番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曾郡木曽町福島。 関所は、宿場の北入口にあった。.
新しい!!: 中山道と福島宿 (中山道) · 続きを見る »
立科町
立科町(たてしなまち)は、長野県中部に位置する北佐久郡の町。.
第二次世界大戦
二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.
新しい!!: 中山道と第二次世界大戦 · 続きを見る »
箱根峠
箱根峠(はこねとうげ)は、神奈川県足柄下郡箱根町と静岡県田方郡函南町の境に位置する峠。箱根山の外輪山を越え、標高は846m。.
米原市
米原市(まいばらし)は、滋賀県の北東部(湖北地域)に位置する市。旧坂田郡。 交通都市として知られ、古くから中山道と北陸道の分岐点として発達した。市の中心部である米原が北国街道の米原宿に当たり、市域南部を東西に通過する中山道には「番場の忠太郎」で有名な番場宿、醒井宿、柏原宿の3ヶ所の宿場町が置かれていた。また現在でも、国道8号と国道21号が分岐し、米原JCTでは、名神高速道路と北陸自動車道が分岐するなど、交通の結節点としての役割を果たしている。 滋賀県内で唯一、東海道新幹線の駅が設置されている。そのため、関西圏・中京圏ともにアクセスが良く、新幹線では米原駅から京都駅まで19分、新大阪駅まで35分、一方名古屋駅までは27分で到着する。 自然資源も豊富であり、日本百名山に数えられる高山植物の宝庫・伊吹山、ゲンジボタルの群生地として有名な天野川中流域と三島池、滋賀県・岐阜県にのみ生息する魚ハリヨや希少植物バイカモ(梅花藻)といった貴重な生物が見られる地蔵川などがある。市内の甲津原にスキー場がある。.
米原駅
米原駅(まいばらえき)は、滋賀県米原市(まいばらし)米原(まいはら)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・近江鉄道の駅である。駅番号はJR西日本がJR-A12、JR東海がCA83。.
米原警察署
米原警察署(まいばらけいさつしょ)は、滋賀県警察が管轄する警察署の一つである。.
細久手宿
細久手宿(ほそくてじゅく)は中山道48番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国土岐郡細久手村(現・岐阜県瑞浪市)に存在した。 慶長15年(1610年)に新設された宿場で、尾張藩領であった。.
総泉寺
総泉寺(そうせんじ)は、東京都板橋区にある曹洞宗系の単立寺院。山号は妙亀山。本尊は釈迦如来。.
織田信長
織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.
織田氏
家紋あげはちょう'''揚羽蝶''' 織田氏(おだし)は、日本の氏族・武家。斯波氏の家臣の家柄。家紋は揚羽蝶、織田木瓜など。通し字は嫡流・伊勢守家の「広」、大和守家の「定」、後に近世大名となる弾正忠家の「信」など。.
美江寺宿
美江寺宿(みえじじゅく)は中山道55番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国大野郡美江寺村(現・岐阜県瑞穂市)に存在した。 1589年(天正17年)、豊臣秀吉の下知により問屋場が設けられた。江戸時代になって中山道の宿場となったが、1637年(寛永14年)が公式の開設である。本陣は1669年(寛文9年)の開設で、以後、宿駅制が廃止まで、山本家が世襲した。 美江寺という名は、「美しき長江のごとくあれ」と祈念されて美江寺という寺院が建てられた事に始まる。719年(養老3年)創建の十一面観音を本尊とした寺院。 歌川広重の「木曽海道六十九次・みゑじ」の場所は、美江寺宿の南端から京へ1町ほど(.
美濃国
美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
美濃路
美濃路(みのじ)は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)である。.
群馬県
群馬県(ぐんまけん)は、日本の都道府県の一つ。関東地方の北西部に位置する。県庁所在地は前橋市。 米麦栽培・養蚕・繊維工業などの伝統産業に加え、畜産・野菜栽培・機械工業が盛んで、県北西部は温泉・保養地であるとともに、利根川上流ダム群による電力・上水道供給地となっている。県南東部は都市化が進み、首都圏整備法の都市開発区域に指定され、工業地域を形成している。.
群馬県道121号和田多中倉賀野線
群馬県道121号和田多中倉賀野線(ぐんまけんどう 121ごう わだたなかくらがのせん)は群馬県高崎市和田多中町から、同市倉賀野町に至る一般県道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道121号和田多中倉賀野線 · 続きを見る »
群馬県道12号前橋高崎線
前橋市・石倉町一丁目交差点(起点、2015年10月)↗方向(石倉アンダーパス)が県道12号、←↓方向が県道13号、→方向が市道である。 群馬県道12号前橋高崎線(ぐんまけんどう12ごう まえばしたかさきせん)は、群馬県前橋市から高崎市に至る主要地方道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道12号前橋高崎線 · 続きを見る »
群馬県道133号元島名倉賀野線
群馬県道133号元島名倉賀野線(ぐんまけんどう133ごう もとしまなくらがのせん)は、群馬県高崎市東部の京ヶ島地区から同市南西部の倉賀野地区に至る一般県道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道133号元島名倉賀野線 · 続きを見る »
群馬県道138号倉賀野停車場線
群馬県道138号倉賀野停車場線(ぐんまけんどう138ごう くらがのていしゃじょうせん)は、高崎市倉賀野町から、倉賀野駅前を結ぶ県道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道138号倉賀野停車場線 · 続きを見る »
群馬県道173号金井倉賀野停車場線
群馬県道173号金井倉賀野停車場線(ぐんまけんどう173ごう かないくらがのていしゃじょうせん)は、群馬県藤岡市金井から、高崎市倉賀野町を結ぶ県道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道173号金井倉賀野停車場線 · 続きを見る »
群馬県道・埼玉県道13号前橋長瀞線
前橋市・石倉三丁目交差点(起点、2015年10月)県道105号の終点でもある。↑方向(奥正面)が県道13号、←→方向が国道17号、↓方向(手前)が県道105号である。 長瀞町中野上地内 本庄市児玉町太駄地内 群馬県道・埼玉県道13号前橋長瀞線(ぐんまけんどう・さいたまけんどう13ごう まえばしながとろせん)は、群馬県前橋市から埼玉県秩父郡長瀞町に至る主要地方道である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道・埼玉県道13号前橋長瀞線 · 続きを見る »
群馬県道・埼玉県道71号高崎神流秩父線
群馬県道・埼玉県道71号高崎神流秩父線(ぐんまけんどう・さいたまけんどう71ごう たかさきかんなちちぶせん) は、群馬県高崎市若松町、新後閑町から多野郡神流町を経て、埼玉県秩父市を断続的に結ぶ県道(主要地方道)である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道・埼玉県道71号高崎神流秩父線 · 続きを見る »
群馬県道・長野県道44号下仁田浅科線
長野県と群馬県境 群馬県道・長野県道44号下仁田浅科線(ぐんまけんどう・ながのけんどう44ごう しもにたあさしなせん)は、群馬県甘楽郡下仁田町から長野県佐久市を結ぶ県道(主要地方道)である。.
新しい!!: 中山道と群馬県道・長野県道44号下仁田浅科線 · 続きを見る »
真田昌幸
真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。 甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。 軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像として現在でもよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。.
絹
絹 蚕の繭 絹(きぬ、sericum、Seide、silk、soie)は、蚕の繭からとった動物繊維である。独特の光沢を持ち、古より珍重されてきた。蚕が体内で作り出すたんぱく質・フィブロインを主成分とするが、1個の繭から約800 - 1,200メートルとれるため、天然繊維の中では唯一の長繊維(フィラメント糸)である。絹織物などに用いる。 蚕の繭(まゆ)を製糸し、引き出した極細の繭糸を数本揃えて繰糸の状態にしたままの絹糸を生糸(きいと)というが、これに対して生糸をアルカリ性の薬品(石鹸・灰汁・曹達など)で精練してセリシンという膠質成分を取り除き、光沢や柔軟さを富ませた絹糸を練糸(ねりいと)と呼ぶ。ただし、100%セリシンを取り除いたものは数%セリシンを残したものに比べ、光沢は著しく劣る。生糸は化学染料、練糸はいわゆる草木染めに向くが、歴史的に前者の手法が用いられはじめたのは明治維新以降であり、昔の文献や製品にあたる際、現在の絹織物とは別物に近い外観と性質をもつ。また、養殖(養蚕)して作る家蚕絹と野性の繭を使う野蚕絹に分けられる。.
産経新聞
旧題字の看板を掲示する販売店も存在する 産経新聞(さんけいしんぶん、題字は産經新聞、英称:THE SANKEI SHIMBUN)は、産業経済新聞社が発行する日本の新聞。 産業経済新聞社はフジテレビジョンやニッポン放送、ポニーキャニオンなどとともにフジサンケイグループに属する。 大阪新聞の僚紙である日本工業新聞(1933年(昭和8年)6月20日創刊)を前身とし、時事新報の流れを汲む。キャッチフレーズは「モノをいう新聞」。.
甲州街道
州街道(こうしゅうかいどう)は、甲斐国(山梨県)へつながる道。江戸幕府によって整備された五街道のひとつ。.
甲府市
府市(こうふし)は、山梨県の中部に位置する同県の県庁所在地。 市域は山梨県の中央を南北に三日月形に縦断しており、市街中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。山梨県は首都圏整備法上の首都圏に属する県であり、その位置関係から東の関東地方への志向性が強い。 甲府という名称は、1519年(永正16年)に甲斐国の守護大名武田信虎が、居館を石和(現在の笛吹市石和町)、次いで川田(現在の甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国の府中という意味から甲府と命名したことに始まるものである(律令制に基づく国衙が置かれたわけではない)。戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられる。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道の宿場町としても盛えた。近年では、宝石研磨産業が盛んである。 2000年(平成12年)11月1日に特例市に指定され、現在は施行時特例市として2019年4月の中核市移行を目指している。2016年7月現在、全国の県庁所在地の中で人口が最も少ない。.
甲信地方
信地方(こうしんちほう)とは、日本の地方区分の一つで、本州中部の内陸側にある、山梨県と長野県の総称である。 「甲信」の名称は、東山道の'''甲'''斐国と'''信'''濃国の頭文字を取ったものである。 気象関係の分野でよく使われ、関東地方と併せて関東甲信地方、または東海地方と併せて東海甲信地方と呼称することも多い。.
甲斐国
斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
熊谷宿
accessdate.
熊谷市
谷市(くまがやし)は、埼玉県北部にある人口約20万人の市である。.
熊谷駅
谷駅(くまがやえき)は、埼玉県熊谷市にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・秩父鉄道の駅である。 所在地はJR東日本が筑波二丁目、秩父鉄道が桜木町一丁目となっている。.
熱田駅
熱田駅(あつたえき)は、愛知県名古屋市熱田区森後町2丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。.
番場宿
場宿(ばんばしゅく、ばんばじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の62番目の宿場で、現在は滋賀県米原市番場。 飛鳥時代に「東山道」と呼ばれた頃以来の宿場。江戸時代の慶長16年(1611年)、番場宿から米原までの切通しと米原港が開設され、中山道から湖上の水運に乗り換えて京都へ結ぶ近道への分岐点となった。.
畿内
畿内(きない、きだい、うちつくに)とは、.
直江津駅
江津駅(なおえつえき)は、新潟県上越市東町にある、えちごトキめき鉄道・東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。.
白山通り
白山通り(はくさんどおり)は、都道301号白山祝田田町線の千代田区の平川門交差点から文京区の千石駅前交差点までと、国道17号の千石駅前交差点から豊島区の西巣鴨交差点までの、東京都の公式愛称である。共立女子大学神田一ツ橋キャンパス前から白山下交差点までと、千石駅前交差点から西巣鴨交差点までは都営地下鉄三田線が地下を通る。全線が東京都市計画道路幹線街路放射9号線の一部であり、車線構成が概ね片側3車線~片側4車線という広幅員の道路である。国道17号線内(千石駅前交差点以北)は都内で震度6弱以上を観測する地震が発生した場合、発生直後は緊急自動車専用路、その後緊急交通路となる。.
芦田宿
芦田宿(あしだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場。現在の長野県北佐久郡立科町芦田にあたる。難所であった笠取峠の東の入口にある。生糸の産地でもあった。.
荒川 (関東)
荒川(あらかわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ河川である。一級水系である荒川水系の本流で一級河川に指定されている。水系として、流路延長173 km、流域面積2,940km2。川幅(両岸の堤防間の距離)は御成橋(埼玉県鴻巣市・吉見町)付近で2,537 mになり、日本最大である。.
新しい!!: 中山道と荒川 (関東) · 続きを見る »
草津宿
歌川広重『東海道五十三次・草津』 歌川広重『木曽街道六十九次・草津』 草津宿(くさつしゅく、くさつじゅく、くさつやど)は、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する。現在は滋賀県草津市市街。本陣が現存し、国の史跡に指定されている。 東海道の江戸方からは、草津川を越えて、堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続き、中山道との合流点に至る。ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町である。中山道からは、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、トンネルができたのは明治19年(1886年)のことである。.
草津市
草津市(くさつし)は、近畿地方北東部、滋賀県の南西部に位置する市。滋賀県内では県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市である。 琵琶湖や山林の面積を除いた可住地面積人口密度は(3033.6人/km2、2017年10月)、人口集中地区 (DID) 人口密度は約7,090人/km2となり、大津市とほぼ同じである。.
落合宿
落合宿(おちあいじゅく)は中山道44番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国恵那郡落合村(現・岐阜県中津川市)に存在した。.
須原宿
原宿(すはらじゅく)は中山道39番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村。 木曽川の氾濫で流失し、享保2年(1717年)に現在地へ移転した。.
街道てくてく旅
街道てくてく旅(かいどうてくてくたび)とは、NHKBShiで2005年11月に放送開始された旅番組である。正式な番組名はシリーズによって異なる。海外でもNHKワールドを通じて放送された。街道てくてく旅はシリーズ化されており、旅人と旅程を変えたシリーズが2010年まで断続的にNHK-BSで放送された(総合テレビでも1週間のハイライトを放映している)。.
新しい!!: 中山道と街道てくてく旅 · 続きを見る »
飛騨国
飛騨国(ひだのくに、)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
西宮市
西宮市(にしのみやし)は、兵庫県の南東部にある人口約49万人の市である。中核市、保健所政令市の一つ。なお本項では市制前の名称である西宮町(にしのみやちょう)についても述べる。.
西巣鴨
西巣鴨(にしすがも)は、東京都豊島区の町名。現行行政地名は西巣鴨一丁目から四丁目。郵便番号は170-0001。.
西巣鴨駅
ホーム(2008年3月19日) 西巣鴨駅(にしすがもえき)は、東京都豊島区西巣鴨三丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 16。.
馬籠宿
渓斎英泉「木曽街道六十九次・馬籠」 馬籠宿付近の立体視画像(平行法)。赤線が中山道。右上北東が馬籠峠方向。狭い尾根を縦走する中山道両側に石垣を積み上げ、南西端の勾配の大きい地形を桝形に利用している。黄線が馬篭バスストップよりのアクセス道路。航空写真撮影時にはなかった谷底の堰堤上を、現在徒歩でアクセスできるように整備されている。航空写真は1977年撮影国土航空写真 馬籠宿(まごめじゅく)は、中山道43番目の宿場(→中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南の宿場町である。 かつては長野県木曽郡山口村に属したが、2005年(平成17年)2月の山口村の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。1895年(明治28年)と1915年(大正4年)の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失したが、その後復元され現在の姿となった。 石畳の敷かれた坂に沿う宿場で、馬籠峠を越えた信州側の妻籠宿(長野県木曽郡)とともに人気があり、多くの観光客が訪れる。石畳の両側にお土産物屋がならび、商いをしていない一般の家でも当時の屋号を表札のほかにかけるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。ほぼ中間地点に、旧本陣であった藤村記念館(島崎藤村生家跡)がある。.
馬籠峠
峠(まごめとうげ)は、長野県木曽郡南木曽町と岐阜県中津川市の境にある旧中山道の峠。標高801m。 妻籠宿と馬籠宿の両宿の間にあり、中山道の宿場町の中でも史蹟として保存状態の良い両宿を含めて観光地として訪れる人も多い。峠には「白雲や青葉若葉の三十里」という正岡子規の句碑が建っている。 かつては長野県内の峠だったが、山口村が中津川市と越県合併したことで県境の峠となった。峠道は中山道の旧道と岐阜県道・長野県道7号中津川南木曽線が並走し、分岐と交差を繰り返している。.
首都高速5号池袋線
首都高速5号池袋線(しゅとこうそく5ごういけぶくろせん)は、東京都千代田区の竹橋ジャンクション(JCT)で都心環状線と分岐し、埼玉県戸田市の美女木JCTへ至る首都高速道路の路線である。.
新しい!!: 中山道と首都高速5号池袋線 · 続きを見る »
首都高速中央環状線
首都高速中央環状線(しゅとこうそくちゅうおうかんじょうせん、Central Circular Route)は、東京都品川区の大井ジャンクション (JCT) から目黒区・渋谷区・中野区・新宿区・豊島区・板橋区・北区・足立区・葛飾区を経由して江戸川区の葛西JCTに至る、首都高速道路の路線である。略称は中環。 事業計画の路線名は、都道首都高速5号線(一部)・6号線(一部)・葛飾江戸川線・板橋足立線・目黒板橋線・品川目黒線・高速葛飾川口線(一部)に指定されている。 起点側から、中央環状品川線(大井JCT - 大橋JCT)・中央環状新宿線(大橋JCT - 熊野町JCT)・中央環状王子線(板橋JCT - 江北JCT)・東側区間(江北JCT - 葛西JCT)の4つの区間から構成されている。 路線番号はC2(Circle 2)である。.
新しい!!: 中山道と首都高速中央環状線 · 続きを見る »
諏訪市
諏訪市(すわし)は、長野県南信地方の市。.
高宮宿
宮宿(たかみやしゅく、たかみやじゅく)は近江国犬上郡にあった中山道の64番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市高宮町。.
高山本線
山本線(たかやまほんせん)は、岐阜県岐阜市の岐阜駅から高山駅、猪谷駅を経て富山県富山市の富山駅に至る鉄道路線(地方交通線)である。岐阜駅 - 猪谷駅(富山市)間は東海旅客鉄道(JR東海)、猪谷駅 - 富山駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっている。高山線とも呼ばれる。.
高島通り
島通り(たかしまどおり)は、東京都板橋区内を横断する東京都道の一般名称である。 西台駅付近にある西台駅南交差点で切り替わる。.
高崎宿
崎宿(たかさきしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて13番目の宿場。 また、高崎宿から三国街道が分岐しており、その起点の宿場である。現在の群馬県高崎市にあたる。.
高崎市
崎市(たかさきし)は、関東地方の北西部、群馬県中部よりやや南西に位置する中核市。1900年(明治33年)の市制施行当時の区域は旧:群馬郡。現在の市域は、旧:群馬郡・碓氷郡・甘楽郡・多野郡(多胡郡・緑野郡)の区域で構成される。中核市に指定されており、群馬県内では最大の人口を擁する都市である。.
高崎バイパス
崎バイパス(たかさきバイパス)は、群馬県高崎市和田多中町から群馬県高崎市並榎町の区間を結ぶ、国道17号のバイパスである。.
新しい!!: 中山道と高崎バイパス · 続きを見る »
高崎線
崎線(たかさきせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から群馬県高崎市の高崎駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線である。運賃計算上の区分は幹線。 運行系統・旅客案内上は、乗り入れ先の東北本線列車線、愛称宇都宮線の東京駅 - 大宮駅間を含む、東京駅 - 高崎駅間が「高崎線」と案内される。また、東京駅 - 大宮駅間で、宇都宮線と一体化されて「宇都宮・高崎線」と案内されることがある。.
高崎駅
西口 駅ビル・モントレー、ホテルメトロポリタン高崎(2009年1月2日) 高崎駅(たかさきえき)は、群馬県高崎市八島町(やしまちょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・上信電鉄の駅である。.
高度経済成長
度経済成長(こうどけいざいせいちょう)または、高度成長(こうどせいちょう)、高成長(こうせいちょう)とは、飛躍的に経済規模が継続して拡大することである。好景気時の実質経済成長率が約10%以上を表す.
新しい!!: 中山道と高度経済成長 · 続きを見る »
警視庁
警視庁(けいしちょう、Metropolitan Police Department、MPD)は、日本の東京都を管轄する警察組織、及び本部の名称である。 東京都内を10に分けた方面本部と102の警察署を配置し、2016年(平成28年)12月31日現在の所属警察職員は46,466人と、日本最大の職員数を誇る警察組織である。.
豊島区
豊島区(としまく)は、東京都西部に位置する特別区の一つ。.
鳥居峠 (長野県)
鳥居峠(とりいとうげ)は、長野県の塩尻市奈良井と木曽郡木祖村藪原を結ぶ峠。標高は1,197m。峠山の標高は約1,415.7m、旧中山道の難所であった。.
新しい!!: 中山道と鳥居峠 (長野県) · 続きを見る »
鳥居本宿
鳥居本宿(とりいもとじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道の63番目の宿場で、現在は滋賀県彦根市鳥居本町。 本陣は寺村家が務め、脇本陣と問屋は高橋家が務めた。本陣や脇本陣の建物こそ現存しないが、随所に重厚な家屋が残り、宿場の雰囲気が残されている。 鳥居本宿から朝鮮人街道が分岐した。.
鴻巣宿
富士の山が雄大な姿を現している。 鴻巣宿(こうのすじゅく、こうのすしゅく)は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場町である。中山道六十九次(木曽街道六十九次)の内江戸・日本橋から数えて7番目、すなわち武蔵国のうち第7の宿である(現在の埼玉県域では6番目)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡鴻巣宿。現在の埼玉県鴻巣市に当たる。なお、上方(京側)へ1つ先の熊谷宿との間には、間の宿であり日光裏街道との交差点でもある吹上宿がある藤島 1997、56-57頁。.
贄川宿
贄川宿(にえかわじゅく)は中山道33番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。 古くは温泉があって「熱川」と書かれた。温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。宿の創設は天文年間。木曽路最初の宿場で、北の入口に関所があり、福島関所の補助的役割をはたした。.
越境合併
越境合併(えっきょうがっぺい)とは市町村合併の内、都道府県の境界にわたる市町村の合併で越県合併または県境合併ともいう。.
軽井沢宿
軽井沢宿(かるいさわしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十八番目の宿場。.
軽井沢町
軽井沢町(かるいざわまち)は、長野県東信地方の町。北佐久郡に属する。.
軽井沢駅
軽井沢駅(かるいざわえき)は、長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・しなの鉄道長野県全駅、p.238。の駅である。事務管コードは▲510201を使用している。長野県内の鉄道駅では最東端に位置する。.
追分宿
追分宿 追分宿(おいわけしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡軽井沢町追分にあたる。北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来する。元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒を数え、飯盛女も最盛期には200~270人もいたとされるほど栄えた。また、民謡に多く見られる追分節の発祥の地である。旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造、室生犀星らに愛され、堀辰雄の小説『菜穂子』、『ふるさとびと』に登場する牡丹屋という旅館はこの油屋がモデルである。.
近畿地方
近畿地方の地形図 近畿地方(きんきちほう)は、本州中西部に位置する日本の地域である。かつての畿内とその周辺地域から構成される。難波宮、平城宮、平安宮、以降東京遷都までの王城の地で、現在は関東地方に次ぐ日本第二の都市圏・経済圏であり、西日本の中核である。 近畿地方の範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には大阪府・京都府・兵庫県・奈良県・三重県・滋賀県・和歌山県の2府5県(7府県)を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.408 ISBN 4-09-523101-7。構成府県については範囲節も参照。.
近江国
近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
都市
都市(とし、city)とは、商業、流通などの発達の結果、限られた地域に人口が集中している領域である。.
都営地下鉄三田線
三田線(みたせん)は、東京都品川区の目黒駅から板橋区の西高島平駅までを結ぶ、東京都交通局が運営する鉄道路線(都営地下鉄)。『鉄道要覧』には6号線三田線と記載されている「」では「三田線」と定められている。。開業当初は「都営6号線」と称した(後述)。基本的に都営三田線と呼ばれることが多い。 路線名の由来は名称制定時の終着駅である三田(みた)から。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「ブルー」(青)、路線記号は I mIta。Mが丸ノ内線(Marunouchi)で使われたため。東京の地下鉄において、他の路線との重複を避けるため、路線記号がローマ字表記の頭文字になっていないのは、半蔵門線と同様である。。.
新しい!!: 中山道と都営地下鉄三田線 · 続きを見る »
舟渡 (板橋区)
舟渡(ふなど)は、東京都板橋区の町名『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、P795 『いたばしの地名』板橋区教育委員会、1995年、P189-190。現行行政地名は舟渡一丁目から四丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は174-0041。.
新しい!!: 中山道と舟渡 (板橋区) · 続きを見る »
鈴鹿山脈
鈴鹿山脈(すずかさんみゃく)は、岐阜県及び三重県と滋賀県との県境沿いに位置する山脈。一般的には関ヶ原の南に位置する霊仙山から鈴鹿峠までの範囲を差す。南端の定義は、油日岳とするなどの諸説がある。.
赤坂宿 (中山道)
赤坂宿(あかさかじゅく)は中山道江戸から数えて56番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡赤坂村(現・岐阜県大垣市)に存在した。.
新しい!!: 中山道と赤坂宿 (中山道) · 続きを見る »
鵜沼宿
沼宿(うぬまじゅく)は、江戸・日本橋から52番目の中山道の宿場である(→中山道六十九次)。美濃国各務郡鵜沼村(現・岐阜県各務原市)に存在した。.
関ヶ原の戦い
関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある近衛前久書状(慶長5年9月20日付)、三河物語には「青野カ原ニテノ合戦」となっている。東照宮御実紀においては「関原青野が原に陣取て、関原の戦」と記載されている。また、吉川広家の書状や「慶長記略抄」所収の狂歌でも「青野か原」と記されている( 毎日新聞 2016年4月4日)。近衛前久書状では「大垣表」という記載もある。。 主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。.
新しい!!: 中山道と関ヶ原の戦い · 続きを見る »
関ヶ原宿
関ヶ原宿(せきがはらじゅく)は中山道58番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国不破郡関ケ原村(現・岐阜県不破郡関ケ原町)に存在した。 付近は壬申の乱・関ヶ原の戦いの舞台であり、関連の史跡が多い。.
関ケ原町
関ケ原町(せきがはらちょう)は、古代日本の壬申の乱や近世の関ヶ原の戦いの古戦場として有名な岐阜県不破郡の町。自治体名称の正式表記には小書きの「関ヶ原」ではなく「関ケ原」を採用している。.
関越自動車道
関越自動車道(かんえつじどうしゃどう、KAN-ETSU EXPRESSWAY)は、東京都練馬区の練馬インターチェンジ (IC) から埼玉県、群馬県を経由し新潟県長岡市の長岡ジャンクション (JCT) へ至る高速道路(高速自動車国道)である。略称は関越道(かんえつどう、KAN-ETSU EXPWY)、関越(かんえつ)。高速道路ナンバリングによる路線番号は「E17」が割り振られている。.
新しい!!: 中山道と関越自動車道 · 続きを見る »
関東大震災
関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.
関東地方
関東地方(かんとうちほう)は、日本の地域区分のひとつであり、本州の東部に位置している。その範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県を指して関東地方と呼ぶ『日本地名大百科』p.350。。 首都・東京を擁する関東地方は日本の政治・経済の中心となっており、日本の総人口の3分の1が集中している。 首都圏整備法が定義する「首都圏」には、関東地方に山梨県を加えた1都7県が含まれる。また、「関東地方知事会」には、首都圏1都7県に加えて、中部圏知事会議にも加わっている静岡県、長野県の両県知事がオブザーバー参加している。関東地方は人口・面積が多数・広大なので、利根川を境界線に北を北関東(茨城県・栃木県・群馬県)地方、南を南関東地方(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)に分割することもある。.
関所
関所の冠木門様式の門(石部宿場の里にて) 関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。単に関(せき)とも。陸路(街道)上に設置された関所は「道路関」、海路に設置された関所は「海路関」とも呼ばれる。陸路では、峠や河岸に設置されることが多い。.
藪原宿
藪原宿(やぶはらじゅく)は中山道35番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡木祖村。 お六櫛が特産品。宿場北部の中山道は鉄道で寸断されている。.
醒井宿
木曾街道六拾九次 醒井(歌川広重画) 加茂神社から醒井宿を俯瞰 地蔵川に架かる橋 サルスベリ(上)が咲く頃、地蔵川の中でバイカモの花が開く 醒井宿(さめがいしゅく、さめがいじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道61番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市醒井。.
野尻宿
野尻宿(のじりじゅく)は中山道40番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県木曽郡大桑村。寛政3年(1791年)に大火に遭っている。宿場通りの長さは奈良井宿に次いでおり、「七曲り」と呼ばれ町筋が曲がりくねっているのが特徴。.
重要伝統的建造物群保存地区
重要伝統的建造物群保存地区(じゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)は、日本の文化財保護法に規定する文化財種別のひとつ。日本の市町村が条例などにより決定した伝統的建造物群保存地区のうち、文化財保護法第144条の規定に基づき、特に価値が高いものとして国(文部科学大臣)が選定したものを指す。略称は重伝建地区(じゅうでんけんちく)、重伝建(じゅうでんけん)。.
新しい!!: 中山道と重要伝統的建造物群保存地区 · 続きを見る »
重要文化財
建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.
金森氏
金森氏(かなもりし)は、日本の氏族のひとつ。.
蕨宿
舟に乗り合い、白鷺が舞う戸田川を往く、天保の頃の人々ののどかな様子である。対岸の渡し場に続く道の左右には戸田村の家々が見える。渡船権はこの村が握っていた。 蕨宿(わらび-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて2番目の宿場(武蔵国のうち、第2の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡蕨郷(上蕨村、および、下蕨村)と称(「蕨市#歴史」も参照)。 現在の埼玉県蕨市中央5丁目から錦町5丁目までがこの地域にあたる。.
長久保宿
長久保宿(ながくぼしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて27番目の宿場。元々は長窪宿と表記していた。.
長野県
長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.
長野県道147号芦田大屋停車場線
長野県道147号芦田大屋停車場線(ながのけんどう147ごう あしたおおやていしゃじょうせん)は、長野県北佐久郡立科町と上田市を結ぶ一般県道。.
新しい!!: 中山道と長野県道147号芦田大屋停車場線 · 続きを見る »
長野県道148号牛鹿望月線
長野県道148号牛鹿望月線(ながのけんどう148ごう うしろくもちづきせん)は、長野県北佐久郡立科町と佐久市を結ぶ一般県道。.
新しい!!: 中山道と長野県道148号牛鹿望月線 · 続きを見る »
長野県道151号湯沢望月線
長野県道151号湯沢望月線(ながのけんどう151ごう ゆざわもちづきせん)は、長野県佐久市を通る一般県道。.
新しい!!: 中山道と長野県道151号湯沢望月線 · 続きを見る »
長野県道166号東部望月線
長野県道166号東部望月線(ながのけんどう166ごう とうぶもちづきせん)とは、長野県東御市の田中駅周辺から、長野県佐久市望月まで続く一般県道である。.
新しい!!: 中山道と長野県道166号東部望月線 · 続きを見る »
長野県道40号諏訪白樺湖小諸線
長野県道40号諏訪白樺湖小諸線(ながのけんどう40ごう すわしらかばここもろせん)は、諏訪市の国道20号を起点とし、八ヶ岳中信高原国定公園内を通過し、小諸市の国道141号に至る主要地方道。観光道路とともに、東信地方と諏訪地方を結ぶ主要路線でもある。実延長80km弱は長野県道として最も長い県道である。.
新しい!!: 中山道と長野県道40号諏訪白樺湖小諸線 · 続きを見る »
長野県道9号佐久軽井沢線
長野県道9号佐久軽井沢線(ながのけんどう9ごう さくかるいざわせん)は、長野県佐久市と同県北佐久郡軽井沢町を結ぶ主要地方道である。旧来は旧中山道を踏襲した路線であったが、現在は路線の改良によって旧中山道とは異なる区域もあり、軽井沢町では単独区間は存在しない。.
新しい!!: 中山道と長野県道9号佐久軽井沢線 · 続きを見る »
長浜駅
当駅から姫路方面へと折り返す新快速列車(2004年5月) 2006年に改築された駅舎は、初代駅舎のデザインを踏襲している。 長浜駅(ながはまえき)は、滋賀県長浜市北船町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅である。駅番号はJR-A09。.
Google マップ
Google マップ(グーグル マップ、)は、Googleがインターネットを通して提供している地図、ローカル(地域)検索サービス。広義で「GIS」という分野のソフト・サービスであり、その中のWebGISにあたる。.
新しい!!: 中山道とGoogle マップ · 続きを見る »
柏原宿
柏原宿(かしわばらしゅく、かしわばらじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道60番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市柏原。 『太平記』にすでに記載されている中世以来の宿場。艾(もぐさ)が特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったという。.
恵那市
恵那市(えなし)は、岐阜県南東部の市である。景勝地として有名な恵那峡がある。.
東山道
東山道(とうさんどう)は、五畿七道の一つ。本州内陸部を近江国から陸奥国に貫く行政区分、および同所を通る古代から中世にかけての幹線道路を指す。.
東京大学
記載なし。
東京大学本郷地区キャンパス
東京大学 本郷地区キャンパス(とうきょうだいがく ほんごうちくキャンパス)は、東京都文京区本郷・弥生に所在する東京大学のキャンパスの一つである。東京大学の本部が設置されており、同大学の駒場地区キャンパス・柏地区キャンパスと並ぶ規模をもつ。 「本郷キャンパス」あるいは「本郷地区」とも呼ばれる。なお、「本郷キャンパス」および「本郷地区」は、本郷地区キャンパスの一部である本郷キャンパス(後述)のみを指すこともあるので注意を要する。.
新しい!!: 中山道と東京大学本郷地区キャンパス · 続きを見る »
東京市
東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.
東京一極集中
朝夕のラッシュ時には、鉄道網が大混雑となる。 - 東京駅(朝の様子、2005年撮影) 東京一極集中(とうきょういっきょくしゅうちゅう)とは、日本において、政治・経済・文化・人口など、社会における資本・資源・活動が首都圏(特に東京都)に集中している状況を言う。.
新しい!!: 中山道と東京一極集中 · 続きを見る »
東京都
東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.
東京都建設局
東京都建設局(とうきょうとけんせつきょく、英称:Tokyo Metropolitan Government Bureau of Construction)は、東京都組織条例に基づいて東京都に置かれる局の一つで、知事部局である。 なお、現在、都市整備局にある市街地整備部は、2004年3月まで建設局に属していた。.
新しい!!: 中山道と東京都建設局 · 続きを見る »
東京都道305号芝新宿王子線
原宿付近(明治通り) 新宿区と豊島区の境で神田川を渡る(2004年12月) 東京都道305号芝新宿王子線(とうきょうとどう305ごう しばしんじゅくおうじせん)は、東京都港区と北区を結ぶ都道(主要地方道)である。南北に池袋・新宿・渋谷・恵比寿などの地域を結んでいる。.
新しい!!: 中山道と東京都道305号芝新宿王子線 · 続きを見る »
東京都道311号環状八号線
東急トランセ瀬田営業所)付近 内回り外回りは瀬田交差点を前に渋滞することが多い。 東京都杉並区高井戸駅より外回り。 東京都道311号環状八号線(とうきょうとどう311ごう かんじょうはちごうせん)は、東京都大田区羽田空港から、世田谷区、杉並区、練馬区、板橋区を経由して東京都北区赤羽に至る環状(実際には計画当初から半円状:後述)の都道(主要地方道)である。 路線名は、本路線の都市計画道路事業名である「東京都市計画道路幹線街路環状第8号線」に由来する。この道路は一般に「環状八号線」「環八通り(かんぱちどおり)」「環八」と呼ばれる。.
新しい!!: 中山道と東京都道311号環状八号線 · 続きを見る »
東京都道317号環状六号線
東京都道317号環状六号線(とうきょうとどう317ごう かんじょうろくごうせん)は、東京都品川区から、板橋区に至る主要地方道(都道)である。この道路は、通称山手通り(一部区間は「旧山手通り」および「海岸通り」)と呼ばれる。品川区東品川から板橋区仲宿までの全区間(支線を除く)が都市計画道路として東京都市計画道路幹線街路環状6号線に指定されている。.
新しい!!: 中山道と東京都道317号環状六号線 · 続きを見る »
東京都道318号環状七号線
世田谷区若林踏切(環七唯一の踏切・東急世田谷線を跨ぐ) 東京都道318号環状七号線(とうきょうとどう318ごう かんじょうななごうせん)は、東京都大田区平和島を基点に、世田谷区、杉並区、練馬区、北区、足立区、葛飾区などを経由して江戸川区臨海町に至る、主要地方道(都道)である。東京都市計画道路幹線街路環状第7号線(とうきょうとしけいかくどうろかんせんがいろかんじょうだい7ごうせん)として整備されたことから、環七通り(かんななどおり)あるいは環七(かんなな)の通称を持つ。東京23区の西側を半周する東京都道311号環状八号線(環八通り)は都心から見て本道路より外側を通っているが、23区内を環状に廻る一般道としては本道路が最も外側に位置する。.
新しい!!: 中山道と東京都道318号環状七号線 · 続きを見る »
東京都道420号鮫洲大山線
三宿交差点近くの8.3km距離標 三宿交差点。上は首都高速3号渋谷線、その下が国道246号、手前が本道である。 三宿交差点。上は首都高速3号渋谷線、その下が国道246号、手前から奥が本道である。 三宿交差点の標示。三宿通りの通称が公式でないせいか、表示がない。 三宿・池尻交差点。本道は手前から左に左折、支線が直進する。 池ノ上駅 駅前商店街 東北沢駅踏切。現在は立体交差化 完成直前の大山−笹塚間 渋谷区笹塚交差点。上から首都高速4号新宿線、国道20号幡ヶ谷陸橋、20号側道と本道の笹塚交差点。 笹塚交差点の標示。この地点から北が中野通りである。 中野駅付近の都道420号線。丸井の旧館が見えるがすでに解体され、2011年(平成23年)1月28日に、地上部分13階の複合ビル内で新装開店している。 東京都道420号鮫洲大山線(とうきょうとどう420ごう さめずおおやません)は、東京都品川区八潮橋交差点と板橋区仲宿交差点を結ぶ特例都道である。狭隘区間が多く残るが、おおむね東京都道317号環状六号線(山手通り)と東京都道318号環状七号線(環七通り)の中間を通り、それらを補完する役割を担っている。.
新しい!!: 中山道と東京都道420号鮫洲大山線 · 続きを見る »
東京都道445号常盤台赤羽線
東京都道445号常盤台赤羽線(とうきょうとどう445ごう ときわだいあかばねせん)は、東京都板橋区東新町から、東京都北区岩淵町に至る特例都道である。.
新しい!!: 中山道と東京都道445号常盤台赤羽線 · 続きを見る »
東京都道446号長後赤塚線
東京都道446号長後赤塚線(とうきょうとどう446ごう ちょうごあかつかせん)は、東京都板橋区を走る特例都道。.
新しい!!: 中山道と東京都道446号長後赤塚線 · 続きを見る »
東京都道447号赤羽西台線
東京都道447号赤羽西台線(とうきょうとどう447ごう あかばねにしだいせん)は、東京都北区と板橋区を結ぶ特例都道。板橋区内には支線も存在している。.
新しい!!: 中山道と東京都道447号赤羽西台線 · 続きを見る »
東信
東信.
東濃
東濃(とうのう)とは、岐阜県南東部の地域を指し、美濃東部の意味。 一般に多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市がある地方である。また、岐阜県では唯一、市だけで構成された地方でもある。.
東海地方
東海地方(とうかいちほう)は、本州中央部に位置し太平洋に面する地域である。愛知県、岐阜県、三重県、静岡県の4県、あるいは愛知県、岐阜県、三重県の3県を指す。区別のため前者を「東海4県」「静岡県を含む東海地方」、後者を「東海3県」「中京地方」などと表現することがある。後者の繋がりについては「東海3県」の項目を参照。 名称は、五畿七道の東海道に由来してこのように呼ばれている『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.768 ISBN 4-09-523101-7。.
東海道
東海道(とうかいどう、うみつみち)は、五畿七道の一つ。本州太平洋側の中部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から近世)を指す。.
東海道本線
東海道本線(とうかいどうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から兵庫県神戸市中央区の神戸駅までを結ぶJRの鉄道路線である。このほかに品川駅から西大井駅・武蔵小杉駅・新川崎駅・新鶴見信号場を経由して鶴見駅に至る支線(通称品鶴線、旅客案内上は横須賀線、湘南新宿ラインを構成する一部分として案内される)、大垣駅から美濃赤坂駅に至る支線(通称美濃赤坂線)、および多数の貨物支線を持つ。明治時代に初めて日本に鉄道が敷設されて以来、日本の鉄道交通・物流の大動脈を担い続けている。 東京駅から熱海駅までは東日本旅客鉄道(JR東日本)、熱海駅から米原駅までは東海旅客鉄道(JR東海)、米原駅から神戸駅間までは西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄となっている。支線については一部の貨物支線が日本貨物鉄道(JR貨物)の管轄であるほかは、接続する本線と同じ会社による管轄となっている(「路線データ」節を参照)。 なお、広義では東海道・山陽新幹線の東京駅から新神戸駅までの区間も東海道本線に含める場合がある(後述)が、本項目では在来線としての東海道本線全般の概要や沿革などについて記す。新幹線については「東海道新幹線」「山陽新幹線」を、また在来線の地域ごとの詳細については以下の記事も参照。.
東海道新幹線
東海道新幹線(とうかいどうしんかんせん)は、東京駅から新大阪駅までを結ぶ東海旅客鉄道(JR東海)の高速鉄道路線(新幹線)およびその列車である。 多くの列車が山陽新幹線に直通する運行体系がとられていることから、総称して「東海道・山陽新幹線(とうかいどう・さんようしんかんせん)」とも呼ばれる。.
新しい!!: 中山道と東海道新幹線 · 続きを見る »
松井田宿
松井田宿(まついだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて16番目の宿場。 現在の群馬県安中市松井田町にあたる。.
板鼻宿
板鼻宿(いたはなしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて14番目の宿場。.
板橋宿
子が馬のための草鞋を取り替えている。 板橋宿(いたばし-しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次のうち江戸・日本橋から数えて1番目の宿場名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。したがって、浦和宿は「第二」の図。(武蔵国のうち、第1の宿現在では、東京都に属する唯一の宿。)。 同時に、川越街道(川越・児玉往還)の起点でもある。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国豊島郡板橋郷下板橋村宝亀2年(西暦771年)10月27日以前は東山道武蔵国豊島郡広岡郷の一部。以後、東海道に属す。平安時代末期以降は板橋郷の一部。。 現在の住所では東京都板橋区本町、および、仲宿、板橋1丁目、3丁目にあたる。.
板橋区
板橋区(いたばしく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡。 郵便番号(上3桁)は、173・174・175。.
板橋区役所
板橋区役所(いたばしくやくしょ)は、特別地方公共団体(特別区)である板橋区の役所、およびその組織が入る施設である。首都高速道路・板橋ジャンクションのほぼ中央部に立地している。.
板橋区役所前駅
板橋区役所前駅(いたばしくやくしょまええき)は、東京都板橋区板橋二丁目と仲宿に跨る、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 18。 駅の正式な所在地は板橋区板橋二丁目である。.
新しい!!: 中山道と板橋区役所前駅 · 続きを見る »
板橋区立板橋第一小学校
板橋区立板橋第一小学校(いたばしくりつ いたばしだいいちしょうがっこう)は東京都板橋区にある公立小学校。板橋区で同区内紅梅小学校と並び最も歴史がある小学校であり、2014年(平成26年)に創立140周年を迎える。2013年度現在、児童数364人の中規模小学校(2クラス×6学年の12学級)。通称「板一小」。シンボルツリーは銀杏(いちょう)の木。.
新しい!!: 中山道と板橋区立板橋第一小学校 · 続きを見る »
板橋ジャンクション
首都高速中央環状線内回り分岐付近 首都高速5号池袋線下り分岐付近 板橋ジャンクション(いたばしジャンクション)は、東京都板橋区にある、首都高速道路5号池袋線と中央環状線を結ぶジャンクションである。 周辺の地名は板橋、仲宿、大山東町、大山金井町、氷川町である。板橋本町出入口 - 新板橋出口間は国道17号(中山道)、板橋本町出入口 - 熊野町JCT間は山手通り、熊野町JCT - 新板橋出口間は旧川越街道の上を通る。また都営地下鉄三田線板橋区役所前駅の真上にあり、板橋区役所はジャンクションの中に立地するような形となっている。.
新しい!!: 中山道と板橋ジャンクション · 続きを見る »
板橋駅
板橋駅(いたばしえき)は、東京都板橋区板橋1丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。駅番号はJA 13。 線路名称上の当駅を通る路線は赤羽線であるが、運行系統上は埼京線として案内される。特定都区市内制度における「東京都区内」に属する。.
板橋警察署
板橋警察署(いたばしけいさつしょ)は、日本の東京都にある警視庁が管轄する警察署の一つである。第十方面本部所属。署員数およそ380名の大規模警察署であり、署長は警視正。 板橋区の東南部を管轄している。 識別章所属表示はRD。.
板橋郵便局
板橋郵便局(いたばしゆうびんきょく).
板橋本町駅
ホーム(2007年8月) 板橋本町駅(いたばしほんちょうえき)は、東京都板橋区大和町と本町にまたがる、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 19。 駅の正式な所在地は板橋区大和町17番地とされている。.
村落
村落(そんらく、英語: village, hamlet)とは、人口や家屋の密度が小さく、第一次産業に従事する人の割合が高い集落を指す学術用語。一般的には農村などの呼称が用いられることが多い。対義語は都市。 地理学的概念である集落に対して、村落は、人間関係の社会的・文化的な統合状態に基づく社会学的概念である。広義では地縁集団にも含まれるが、村落は、地縁集団に比べて、人間関係の社会的、文化的な自律的統合単位でなければならず、政治的な単位として形成されている地域社会の一種として位置づけられる。.
桶川宿
桶川宿(おけがわじゅく、おけがわしゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて6番目の宿場(武蔵国のうち、第6の宿)。 所在地は、江戸期には東海道武蔵国足立郡桶川郷桶川宿。 現在の埼玉県桶川市にあたる。 そこそこの荷物を抱えて江戸・日本橋を出立した旅人がおよそ1日歩き通して日暮れどきを迎え、宿を求めるのがここ桶川あたりであったとされる。.
横川駅 (群馬県)
横川駅(よこかわえき)は、群馬県安中市松井田町横川にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。.
新しい!!: 中山道と横川駅 (群馬県) · 続きを見る »
武佐宿
武佐宿(むさしゅく、むさじゅく)は近江国蒲生郡にあった中山道の66番目の宿場で、現在は滋賀県近江八幡市。.
武田氏
武田氏(たけだし)は、平安時代末から戦国時代の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家である。安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国などにも庶流があったが、いずれも通字として「信」(のぶ)が使用されている。古代の国造である武田臣(皇別)の後裔が河内源氏義光流の棟梁と婚姻したという説も伝わっている。 河内源氏の名族の一つとして戦国時代には戦国大名化し、武田晴信(信玄)の頃には領国拡大し中央の織田・徳川勢力に対抗するが勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代には庶家だけがわずかに残った。 家宝は御旗(後冷泉天皇から下賜された日章旗)・楯無(楯無の鎧、源頼義が御旗とともに授けられたという)。.
武豊線
| 武豊線(たけとよせん)は、愛知県大府市の大府駅から同県知多郡武豊町の武豊駅に至る、東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。.
武豊駅
ホーム(2016年) 電化開業前のホーム(2007年) 線路終端(2011年8月) 武豊駅(たけとよえき)は、愛知県知多郡武豊町字金下(かなげ)にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線の駅である。.
武蔵国
武蔵国(むさしのくに、)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。東山道のち東海道に属する。.
水系
水系(すいけい、英語:drainage system)は、河川に関連する用語である。ある河川とそれに合流する他の河川や内水面(湖沼や池)、さらには分岐する河川を含めた、流路を部分的に共有する河川や湖沼全体を体系化した概念と、その概念に基づく分類をいう。 水系は分水界により区分される。ある水系に降水が流入する範囲を流域という。水系と流域は、よく似た概念だが、流域が面的な広がりを表すのに対し、水系は水の線的なつながりを表している。また、他に類似の言葉として流路形状がある。流路形状は、河川の流路の部分的な地形そのものを表す。つまり川筋の形のことである。一般的には、地表水のつながりのみを水系と考えられがちであるが、ある河川から別の河川へ地下を通じて水が移動(水文循環)することはよく見られることから、水系概念に地下水のつながりも含めるべきとされている。.
氷川神社 (板橋区氷川町)
氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都板橋区氷川町にある神社。現在は19の町を氏子区域とする。社殿は鉄筋コンクリート、流造。別当寺は真言宗豊山派勧明寺。.
新しい!!: 中山道と氷川神社 (板橋区氷川町) · 続きを見る »
江戸
江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.
江戸幕府
江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.
江戸藩邸
松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)模型 江戸藩邸(えどはんてい)は、江戸時代に江戸に置かれた藩邸(藩の屋敷)である。ただし、江戸時代当時の歴史的呼称ではなく、後世つくられた歴史用語である。当時は、単に武家屋敷もしくは江戸屋敷と呼ばれ、個別の屋敷は当該屋敷を使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
汐留
汐留(しおどめ)は、東京都港区の地区名・旧町名。現在ではおもに、汐留地区に建設された巨大複合都市“汐留シオサイト(siosite)”を指す。 かつての汐留(汐留町)は、現行行政地名では、東新橋の大部分と、海岸一丁目の一部にあたる。 シオサイト全景:左が北端のシティセンター、右が南端の汐留芝離宮ビル.
河渡宿
河渡宿(ごうどじゅく)は中山道54番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国方県郡河渡村(現・岐阜県岐阜市)に存在した。 加納宿から河渡宿へは長良川を渡る必要があったため、1881年(明治14年)に河渡橋が架けられるまでは「河渡の渡し」を利用していた。 河渡宿は、長良川右岸堤下から東町、中町、西町の三町で構成されるが、全長は三町なので、330mという短さである。「 本陣は水谷治兵衛、問屋は久衛門、庄屋は水谷徳兵衛が務めていた 」と徳川幕府太平の記録にある。.
沓掛宿
沓掛宿(くつかけしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて十九番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢にあたる。 古代の長倉牧の跡とされ、1535年に追分諏訪神社に奉納された大般若経にある「長倉沓懸」が初出。「沓掛」の名は、難所であり荒天時は人も荷も足止めされた碓氷峠の入口であることに由来し、両隣の軽井沢宿および追分宿と共に浅間三宿と呼ばれて栄えた。また、草津温泉に向かう分岐路もあった。甲府藩や小諸藩の領有を経て1716年以後は公儀御料となる。 1875年に借宿村との合併により長倉村、1889年に軽井沢村・峠町などと合併して東長倉村となるが、軽井沢が避暑地として著名となったために1923年の町制施行を機会に軽井沢町と改称した。この間の1910年に信越本線の沓掛駅が開業する。 しかし1951年の大火で町の殆どを焼失したため、往時の様子を伝えるものは殆ど残っていない。その後は1956年に沓掛駅が中軽井沢駅と改称したのを機に地名も中軽井沢と改称、以後別荘地や避暑地として発展している。.
洗馬宿
洗馬宿(せばじゅく)は中山道(中山道六十九次)にある宿場町。日本橋から31番目の宿場町である。また、北国西街道(別称:善光寺道)の起点である。.
深谷宿
深谷宿(ふかやじゅく、ふかやしゅく)とは、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて9番目の宿場。 現在の埼玉県深谷市にあたる。深谷宿は中山道で最大規模の宿場で、本陣1(飯島家)、脇本陣4、旅籠80余。商人が多く、また飯盛女も多く、遊郭もあり、江戸を出立して2番目の宿を求める人で大いに栄えた。 五の日、十の日に市が立った。(壬戌紀行).
滝野川入口
滝野川入口(たきのがわいりぐち)は、東京都北区にある首都高速中央環状線のインターチェンジである。板橋JCT方面の入口のみ設置されている。.
滋賀県
こちら) 滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国・近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地は大津市。.
木祖村
木祖村(きそむら)は、長野県にある村である。 村名は、木曽郡を縦断する木曽川の源流の地であることから、木曽の祖という意味を込めて名付けられた。木曽郡中北部の町村(木曽福島町、上松町、日義村、開田村、王滝村、三岳村)と合併協議していたが、2004年に合併の是非を問う住民投票を実施。結果は反対多数だったため当面は合併をせず自立を目指すことになった。.
木曽の桟
木曽の棧(きそのかけはし)は、長野県木曽郡上松町の旧国道19号(現上松町道)の下にある橋跡で、長野県の史跡、日本百名橋の番外の1つである。歌枕としても知られ、近くには「棧温泉」、木曽川右岸道路には「木のかけはし」がある。.
木曽川
木曽川(きそがわ)は、長野県から岐阜県、愛知県、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の本流で一級河川、いわゆる木曽三川の一つ。源流部では、「味噌川」(みそがわ)とも呼ばれる。.
木曽町
木曽町(きそまち)は、長野県木曽郡中央部にある町。「日本で最も美しい村連合」の一つ。.
木曽街道
木曽街道(きそかいどう)とは、京と江戸を美濃国および信濃国を経て結んでいた山道の俗称である。古代から中世の東山道、江戸時代の中山道のこと。当時は木曾街道と書いた。狭義には、中山道のうち、美濃国と信濃国の境界部に当たる木曽地方の一部区間を指した。贄川宿・奈良井宿・薮原宿・宮ノ越宿の上四宿、福島宿・上松宿・須原宿の中三宿、野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿の下四宿からなる11の宿場が設置された。 『日本鹿子』第八に『京より江戸まで木曾街道を行』とあるほか、『皇都午睡』三編中にも『板橋宿は、中仙道木曾街道の咽首なれど』とある。また、明治新政府が編纂した古事類苑地部では『木曾街道』の項を設け、主に木曽路(木曾路)について説明している。 『橘庵漫筆』二では、木曾街道は、かつては今のように人馬の通行は殆ど無く、昔は山姥に遭遇するなど通行困難な路であり、善光寺を詣でるにも、木曾街道を行けば百里で済むところ、命の方が大事と二百里もある北陸道を経る場合も多かったことや、かの平家でさえ京より関東に出るのに北陸道を用いたことを書いており、木曽路がたいへんに険しい道であったことを述べている。.
木曽路
木曽路(きそじ).
木曽郡
長野県木曽郡の範囲(1.上松町 2.南木曽町 3.木祖村 4.王滝村 5.大桑村 6.木曽町 薄緑:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入した区域) 木曽郡(きそぐん)は、長野県の郡。本項では発足時の名称である西筑摩郡(にしちくまぐん)についても述べる。 以下の3町3村を含む。.
本山宿
本山宿(もとやまじゅく)は中山道32番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。 1614年(慶長19年)、中山道のルート変更に伴い、塩尻宿・洗馬宿とともに設置された。そば切り発祥の地といわれるが、現在そばが食べられるのは「本山そばの里」だけ(後述)。.
本庄宿
1835-1837年)、渓斎英泉 画 宿より5.5キロ離れた神流川渡し場を題材としている。背景の山は上毛三山であり、右から赤城・榛名・妙義山である。土橋は初代戸谷半兵衛こと光盛が架けさせたものであり、長さ30間(約55メートル)、幅2間(約3.6メートル)。出水で橋が流された場合に備え、別に長さ5間5尺(10.6メートル)、幅7尺の渡し船も用意された。光盛は無賃渡しとする為に金100両を上納した『みて学ぶ埼玉の歴史』 みて学ぶ埼玉の歴史編集委員会編 山川出版社 2002年 p.084。また、右手前(および向こう岸)の常夜燈は3代目戸谷半兵衛こと光寿が寄進したものである(在地豪商である戸谷半兵衛家の経済力と影響力がうかがえる浮世絵となっている)。 本庄宿(ほんじょうじゅく、ほんじょうしゅく)は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数えて10番目の宿場。.
本庄市
本庄早稲田駅 本庄市(ほんじょうし)は、埼玉県の北西部に位置する市である。 中山道の宿場・本庄宿が置かれた。本庄宿は中山道の中で最大の宿場町として栄え、明治時代には本庄への遷都が推薦されていた事がある。.
本郷 (文京区)
本郷(ほんごう)は、東京都文京区の町名。または旧東京市本郷区の範囲を指す地域名である。.
新しい!!: 中山道と本郷 (文京区) · 続きを見る »
本郷通り (東京都)
本郷通り(ほんごうどおり)は、東京都千代田区神田錦町および内神田の神田橋交差点から北区滝野川の飛鳥山交差点に至る道路の通称である 東京都建設局 。全線が東京都市計画道路幹線街路放射第10号線の一部である。.
新しい!!: 中山道と本郷通り (東京都) · 続きを見る »
本蓮沼駅
ホーム(2007年8月) 本蓮沼駅(もとはすぬまえき)は、東京都板橋区蓮沼町にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 20。.
望月宿
望月宿(もちづきしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。.
戦国時代 (日本)
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.
新しい!!: 中山道と戦国時代 (日本) · 続きを見る »
戸田橋
東京側から見た戸田橋(2004年12月) 戸田橋(とだばし)は、東京都板橋区舟渡と埼玉県戸田市堤外の間で荒川に架かる国道17号(中山道)の橋である。.
明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
明治維新
Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.
明治通り (東京都)
明治通り路線図 明治通り(めいじどおり)は、東京都港区南麻布二丁目から、渋谷区、新宿区、豊島区、北区、荒川区、台東区、墨田区を経由して江東区夢の島に至る総延長約33.3kmの道路の通称である。.
新しい!!: 中山道と明治通り (東京都) · 続きを見る »
浦和宿
子と、後ろに付いて馬糞を掻き集める子供がいる。男は馬子唄を歌っているのであろうか。 浦和宿(うらわ しゅく)は、日本の近世にあたる江戸時代に整備され、栄えていた宿場町。 中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸・日本橋から数えて3番目の宿場(武蔵国のうち、第3の宿)。 また、北は日光街道と連絡し、南の府中通り大山道(相模大山および大山石尊〈現:大山阿夫利神社〉詣での道の一つ)とは荒川の渡し場2箇所、羽根倉の渡し(現・埼玉県志木市内)と秋ヶ瀬の渡し(現・埼玉県さいたま市内)によって繋がっていた。現在の埼玉県さいたま市浦和区(旧・浦和市)にあたる。.
新名神高速道路
新名神高速道路(しんめいしんこうそくどうろ、SHIN-MEISHIN EXPRESSWAY)は、三重県四日市市から滋賀県、京都府、大阪府を経由し兵庫県神戸市北区へ至る高速道路(高速自動車国道)である。略称は新名神高速(しんめいしんこうそく、SHIN-MEISHIN EXPWY)、新名神(しんめいしん)など。 高速道路ナンバリングによる路線番号は、新東名高速道路・伊勢湾岸自動車道ともに「E1A」が割り振られている。.
新しい!!: 中山道と新名神高速道路 · 続きを見る »
新幹線
500系、300系 E1系 旅客用時刻表に付属した、1964年10月1日より有効の英語版国鉄路線図。東海道新幹線が赤色の線で示されている 新幹線(しんかんせん)は、JRグループ各社当初はJR東日本、JR東海、JR西日本のみ。2004年(平成16年)からはJR九州、2016年(平成28年)からはJR北海道も運営開始。JR四国は新幹線を運営していない。が運営している日本の高速鉄道である。1987年(昭和62年)までは日本国有鉄道(国鉄)が運営していた。.
新井白石
新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。 学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。また詩人で多くの漢詩が伝わる。白石は号で、諱は君美(きみよし、きんみ)。.
新町宿
新町宿(しんまちしゅく)とは、江戸時代に指定された江戸から数えて11番目の中山道六十九次(木曽街道六十九次)の宿場町であった。.
新町駅
新町駅(しんまちえき)は、群馬県高崎市新町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)高崎線の駅である。 上野駅発着系統のほか、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車する。.
新板橋
新板橋(しんいたばし)は、東京都板橋区板橋区、氷川町および仲宿で石神井川に架かる、国道17号(中山道)および首都高速5号池袋線の橋である。.
新板橋出口
新板橋出口(しんいたばしでぐち)は、東京都板橋区板橋にある首都高速中央環状線のインターチェンジである。板橋JCT方面からの出口のみ設置されている。.
新板橋駅
ホーム(2016年6月) 新板橋駅(しんいたばしえき)は、東京都板橋区板橋一丁目にある、東京都交通局(都営地下鉄)三田線の駅である。駅番号はI 17。.
新河岸川
新河岸川(しんがしがわ、しんかしがわ、しんがしかわ)は、埼玉県及び東京都を流れる一級河川。荒川水系隅田川の支流である。.
文久
文久(ぶんきゅう)は日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.
日光例幣使街道
日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)は、江戸時代の脇街道の一つで、徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するための勅使(日光例幣使)が通った道である。倉賀野宿を起点とし、中山道と分岐、太田宿、栃木宿を経て、楡木(にれぎ)宿にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る。楡木より今市(栃木県日光市)までは壬生通り(日光西街道)と重複区間である。 現在、栃木県日光市から鹿沼市、栃木市、佐野市、足利市、群馬県太田市、伊勢崎市、高崎市に至る路線が「日光例幣使街道」または「例幣使街道」と呼ばれている。特に日光市から鹿沼市にかけての区間には日光杉並木が現存する。.
新しい!!: 中山道と日光例幣使街道 · 続きを見る »
日光街道
日光街道(にっこう かいどう)は、日本の江戸時代に設けられていた五街道の一つ。 江戸日本橋(武蔵国豊島郡日本橋、現在の東京都中央区日本橋)を起点とし、日光坊中(下野国都賀郡日光東照宮、現在の栃木県日光市山内)に至る街道。 道中には21の宿場が置かれていた。日本橋から宇都宮までの道程は奥州街道と共通であった。この区間にはもともと古道奥州道があったが、日光街道の開通とともに日光街道と称されるようになった。 現在も、国道4号の宇都宮市以南と、国道119号の通称として用いられる。.
日本の交通
新幹線 日本の交通(にほんのこうつう)では、日本の交通の歴史や状況などを述べる。.
日本実業出版社
日本実業出版社(にほんじつぎょうしゅっぱんしゃ)は、日本の出版社。 主に経営、経理、税務などのビジネス関係の書籍、また、資格・試験関係、サイエンス・理工書、自己啓発書等、幅広い出版活動を展開している。 Category:日本の出版社 Category:新宿区の企業.
新しい!!: 中山道と日本実業出版社 · 続きを見る »
日本国有鉄道
鉄道博物館所蔵) 日本国有鉄道(にほんこくゆうてつどう、にっぽんこくゆうてつどう鉄道総合技術研究所の提供する や、高橋政士『詳解 鉄道用語辞典』山海堂 2006年などでは「にほんこくゆうてつどう」で記載されているが、米国特許(US 3865202、US 3822375、US 4134342など)ではNippon Kokuyu Tetsudoで出願されている。、英称:、英略称: )は、日本国有鉄道法に基づき日本の国有鉄道を運営していた事業体である。 経営形態は政府が100%出資する公社(特殊法人)であり、いわゆる三公社五現業の一つ。通称は国鉄(こくてつ)。 鉄道開業以来、国営事業として政府官庁によって経営されていた国有鉄道事業を、独立採算制の公共事業として承継する国の事業体として1949年6月1日に発足した。すなわち、日本国有鉄道は当時の運輸省の外郭団体であった。 国鉄分割民営化によって発足した政府出資の株式会社(特殊会社)形態のJRグループ各社および関係法人に事業を承継させ、1987年4月1日に日本国有鉄道の清算業務を行なう日本国有鉄道清算事業団(1998年10月22日解散)に移行した。 鉄道事業の経営形態を示す広義の国有鉄道については国鉄を参照のこと。.
新しい!!: 中山道と日本国有鉄道 · 続きを見る »
日本鉄道
日本鉄道(にっぽんてつどう)は、日本初の私鉄であり、現在の東北本線や高崎線、常磐線など、東日本の東日本旅客鉄道(JR東日本)の路線の多くを建設・運営していた会社である。.
日本橋 (東京都中央区)
日本橋(にほんばし)は、東京都中央区の日本橋川に架かる橋、またはこの橋にちなむ東京都中央区の町丁、および同区北部の広域地名である。.
新しい!!: 中山道と日本橋 (東京都中央区) · 続きを見る »
日本海
日本海の位置 日本海(にほんかい)は、西太平洋の縁海で、日本列島、朝鮮半島、沿海州などに囲まれた海である。.
日本放送協会
日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).
新しい!!: 中山道と日本放送協会 · 続きを見る »
旅籠
赤坂宿 大橋屋(2007年) 旅籠(はたご)とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。旅籠屋(はたごや)の略。江戸時代以降も旅籠または旅籠屋の名称を宿やホテル一般的な名称として使う場合がある。本稿では主に江戸時代の日本の旅籠屋について詳述する。.
愛知川宿
歌川広重による愛知川の風景 愛知川宿(えちがわしゅく、えちがわじゅく)は、近江国神崎郡にあった中山道65番目の宿場(中山道六十九次)で、現在は滋賀県愛知郡愛荘町愛知川および中宿。愛知川の東岸に位置する。.
敦賀駅
敦賀駅(つるがえき)は、福井県敦賀市鉄輪町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。.
敦賀港駅
駅構内(2008年撮影) 駅構内(2007年撮影)左側に敦賀セメントへの廃トンネルが見える 敦賀港駅(つるがみなとえき)は、福井県敦賀市金ヶ崎町にある日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線)の終着駅である。 2009年3月末まで貨物列車の発着があったが、2009年(平成21年)4月より貨物列車がなくなり、駅設備の一部がオフレールステーションとなり敦賀港新営業所として営業している(後述)。.
10月15日
10月15日(じゅうがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から288日目(閏年では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。.
新しい!!: 中山道と10月15日 · 続きを見る »
11月25日
11月25日(じゅういちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から329日目(閏年では330日目)にあたり、年末まであと36日ある。.
新しい!!: 中山道と11月25日 · 続きを見る »
1600年
400年に一度の世紀末閏年(16世紀最後の年)である100で割り切れるが、400でも割り切れる年であるため、閏年となる(グレゴリオ暦の規定による)。。.
1601年
17世紀最初の年である。.
1716年
記載なし。
1861年
記載なし。
1869年
記載なし。
1870年
記載なし。
1871年
記載なし。
1875年
記載なし。
1876年
記載なし。
1882年
記載なし。
1883年
記載なし。
1884年
記載なし。
1885年
記載なし。
1886年
記載なし。
1889年
記載なし。
1890年
記載なし。
1909年
記載なし。
2005年
この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.
2015年の日本
2015年の日本(にせんじゅうごねんのにほん)では、2015年(平成27年)の日本の出来事・流行・世相などについてまとめる。.
新しい!!: 中山道と2015年の日本 · 続きを見る »
3月10日
3月10日(さんがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。.
3月1日
3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.
4月16日
4月16日(しがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から106日目(閏年では107日目)にあたり、年末まであと259日ある。誕生花はヤマブキソウ、ライラック、スノーフレークなど。.
4月25日
4月25日(しがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から115日目(閏年では116日目)にあたり、年末まではあと250日ある。誕生花はシャガ、モッコウバラ。.
5月25日
5月25日(ごがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から145日目(閏年では146日目)にあたる。年末まで220日ある。誕生花はアスパラガス。.
7月19日
7月19日(しちがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から200日目(閏年では201日目)にあたり、年末まであと165日ある。誕生花はトリカブト、ムギワラギク。.
7月1日
7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.
7月28日
7月28日(しちがつにじゅうはちにち)はグレゴリオ暦で年始から209日目(閏年では210日目)にあたり、年末まであと156日ある。誕生花はオシロイバナ、グロリオーサ。.
ここにリダイレクトされます:
旧中山道。