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トゥンジェリ県

索引 トゥンジェリ県

トゥンジェリ県(Tunceli)はトルコ中央東部にある東アナトリア地方の県。この地方はかつてザザキ語やクルド語で「銀の門」を意味する「デルスィム」(Dersim) と呼ばれていたが、1936年にトゥンジェリ県に改められた。ただし、今でもデルスィムの名を使う人もいる。北にエルズィンジャン東にビンギョル、南にエラズー、西にマラティア。 この地域の人口はイスラム教スンナ派が多数を占めるトルコにおいて少数派であるアレヴィー派の信徒が多く、民族的にはザザ人が圧倒的に多い。人口密度がトルコ一小さく、9.8人/km2 ほどしかない。 県都は県名と同じくトゥンジェリである。もともとはカランという名前の町だったが、県名にあわせて改名されている。 トゥンジェリは多くのモスクなどの歴史的景観と自然景観、特にムンズル川国立公園で知られる。しかし、19世紀末にアルメニア人を鎮圧していたオスマン帝国の不正規軍ハミディエと、1936年から1937年にかけてのトルコ共和国正規軍によるアレヴィー派自治政権指導者(デレベイ)の鎮圧(デルスィム反乱)による破壊も受けている。.

27 関係: マラティヤ県ハミディイェモスクトルコトルコ語トゥンジェリビンギョル県デルスィムダレイオス1世アルメニア人アレヴィー派イスラム教エラズーエラズー県エルズィンジャン県クラウディオス・プトレマイオスクルド語ザザ人ザザキ語スンナ派東アナトリア地方1936年1937年1979年1980年19世紀2008年

マラティヤ県

マラティヤ県はトルコ東部、東アナトリア地方の県。 北から時計回りにスィヴァス、エルズィンジャン、東にエラズー、南東にディヤルバクル、南にアドゥヤマン、西にカフラマンマラシュと接している。 多くが山岳地帯である。県都はマラティアであり、住人92万人のうち38万人がこの街に住んでいる。アンズで有名。2000年からの6年間で人口がおおよそ7万人増えている。.

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ハミディイェ

クルド人のハミディイェ騎兵 ハミディイェ(ハミディエ、Hamidiye)は、オスマン帝国がアナトリア東部の治安維持のためにクルド人、トルコ人、トルクメン人、ヨリュク人などの遊牧民・半遊牧民を集めて結成した非正規の騎兵部隊。ハミディイェという名は、1890年にこの部隊を設立したスルタン・アブデュルハミト2世にちなむ。 ハミディイェは、ロシア帝国のコサック兵に範をとったもので、ロシアとの衝突に備えてロシアとの国境地帯を警備することが目的であった。特に、ロシア領からオスマン領にかけてはアルメニア人が多く住み、アルメニア民族主義が燃え上がっていた。オスマン帝国は東部のアルメニア人らがロシアに味方することを危惧しており、ハミディイェはアルメニア人に対する牽制や警戒を行い、その弾圧に乗り出すこととなる。特に1894年から1896年にかけてはオスマン帝国とアルメニア人の間で暴力の応酬が起こり、ハミディイェは多数のアルメニア人を虐殺()して西欧諸国からの非難を浴びた。 青年トルコ人革命により1909年にアブデュルハミト2世が廃位されると、スルタンに個人的忠誠を誓う非正規兵という時代遅れのハミディイェは廃止されるが、クルド人部隊を正規軍に編入すること、さらにそれを東部国境に置くことは、治安上の理由から避けられることになった。1912年からのバルカン戦争ではクルド人らによる軽騎兵の民兵隊が復活し、第一次世界大戦やトルコ革命などで戦うことになる。 トルコ独立後は、トルコ軍などに散らばるハミディイェ出身者は、「」(自由)と呼ばれる秘密の組織を結成して、クルドの独立・トルコ共和国の世俗化への反感・イスラムの大義などをもとに結集し、1925年から1930年にかけてトルコ政府に対して、など一連のを起こすことになる。指導者のは、イスラム神秘主義教団のひとつナクシュバンディー教団のシャイフであった。 Category:オスマン帝国の部隊と編成 Category:クルド人の歴史 Category:遊牧 Category:騎兵.

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モスク

モスク(mosque)は、イスラム教の礼拝堂のことである。 アラビア語ではマスジド(, masjid, 「ひざまずく場所」(サジダ を行う場所)の意)といい、マスジドの訛った語で、イスラーム帝国がスペイン地方を占領したときマスジドがスペイン語でメスキータ (mezquita) となり、それが英語ではさらに訛ってモスク (mosque) となった。中国ではモスクを清真寺(せいしんじ、清真はイスラム教の中国での通称)と呼んでいる。 モスクは欧米、日本、韓国などにおける呼び名である。しばしばイスラーム寺院または回教寺院と訳されるが、モスクの中には崇拝の対象物はなく、あくまで礼拝を行うための場である。.

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トルコ

トルコ共和国(トルコきょうわこく、Türkiye Cumhuriyeti)、通称トルコは、西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。 北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリア、ギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニア、アゼルバイジャン、イラン、イラク、シリアと接する。.

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トルコ語

トルコ語(トルコご、)は、アゼルバイジャン語やトルクメン語と同じチュルク諸語の南西語群(オグズ語群)に属する言語。.

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トゥンジェリ

トゥンジェリ(Tunceli)は、トルコの都市。トゥンジェリ県の県都である。2009年国勢調査時点での人口は3万1599人。 旧名称はカラン(Kalan)。もともと、トゥンジェリを中心とする一帯はザザキ語・クルド語を語源とするデルスィムという地名であったが、1935年12月25日にトゥンジェリ県の行政に関する法律 (2884 sayılı Tunceli Vilayeti'nin İdaresi Hakkında Kanun) に基づき、トルコ語で似た意味を持つトゥンジェリ (青銅 Tunçと地方 Eliから。TunçeliやTunceliと表記されていたが1972年にTunçeliの表記はメディアから無くなった)に改称され、県庁所在地カランも県名と同じ名称となり、1937年1月4日にトゥンジェリ県が設置された。 1937年とその翌年にはムスタファ・ケマル・アタテュルクの命により「トゥンジェリ作戦」という作戦が遂行され、数千人の住民が死亡した (デルスィム反乱)。 トルコ東部の中ほどに位置し、トロス山脈を構成するムンズル山脈にいだかれている。トゥンジェリの民にとって、ムンズル山脈はムンズル川などと同じく聖なるものとされる。この地方ではさまざまな文明が興亡してきたが、そのなかではユーフラテス川上流部で興ったものが最も古い。中世に築かれたペルテク城は現在もよい状態で残されており、ムンズル渓谷国立公園も一見の価値がある。.

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ビンギョル県

ビンギョル県はトルコ、東アナトリア地方の県。県都はビンギョル。北部をエルズィンジャン、エルズルム、東部をムシュ、南部をディヤルバクル、西部をエラズー、トゥンジェリの各県と接している。 この県は1946年にエラズー県、エルズィンジャン県の地域を再編して作られた。多数派民族はザザ人。トルコ語、クルド語に基づいているザザキ語を使っている。.

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デルスィム

デルスィム、英国ワン副領事L・モリニュー=スィール大尉が1911年に踏破した道を示した地図Cap. L. Molyneux-Seel, "A Journey in Dersim", ''Geographical Journal'', 44/1 (1914), s. 49-68. デルスィム(Dersim, درسم, Dêsım / Dêsim 1847年以前は دسمMehmet Yıldırım,, Tunceli Üniversitesi Sosyal Bilimler Dergisi Cilt 1, Sayı 1, Güz 2012, s. 23-37.

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ダレイオス1世

ダレイオス1世(古代ペルシア語:Dārayavau - ダーラヤワウ、Darius I、前550年頃 - 前486年)は、アケメネス朝の王(在位:紀元前522年 - 紀元前486年)。一般にキュロス2世から数えて第3代とされるが、ダレイオス1世自身の言によれば第9代の王である。僭称者とされるスメルディス(ガウマータ)を排除して王位に就き、王国の全域で発生した反乱をことごとく鎮圧して、西はエジプト、トラキア地方から東はインダス川流域に至る広大な領土を統治した。彼は自らの出自、即位の経緯、そして各地の反乱の鎮圧などの業績をベヒストゥン碑文として知られる碑文に複数の言語で記録させており、これは近代における楔形文字と古代ペルシア語解読のための貴重な資料を提供した。また、今日にもその遺跡が残されているペルセポリスの建設を開始した王でもある。.

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アルメニア人

アルメニア人の分布 色が濃い国ほどアルメニア人居住者が多い アルメニア人(アルメニアじん)は、アルメニアの主要民族。インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用している。アルメニア人の6割はアルメニア共和国の外に暮らすディアスポラである。自称は「ハイ」(Հայ)。.

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アレヴィー派

アレウィー派(Alevî)は、トルコおよびブルガリアのトルコ人・クルド人の間にみられるイスラム教(イスラーム)の一派。第4代正統カリフのアリーを崇敬するため、「アリーに従う者」を意味するアレウィーと呼ばれる。同一語源の名を持つシリアのアラウィー派との関係については不明の点も多い。 アリーをはじめ十二イマームを崇拝するものの、アレウィー派がシーア派からどのように分派してきたか、あるいはそもそもシーア派に連なる宗派なのかは明らかではない。トルコやバルカン半島に広がり、一般には神秘主義教団に分類されるベクタシュ教団と教義などの面で共通するところが多く、ベクタシュとアレウィーはアナトリア半島の土俗的なイスラム信仰を同一の根源とする一体のセクトであるとも考えられる。 アレウィー派はアナトリア東南部を中心に一定の勢力を保っており、その信者数はトルコ国民の1割あるいは2割を占めるとされる。オスマン時代にさまざまな弾圧を受けたほか、現在のトルコ共和国でも多数派のスンナ派から異端視されることがしばしばあり、1993年7月2日、スィワァスで開催されたピール・スルタン・アブダル祭に招待された知識人たちが滞在していたマドゥマク・ホテルが、反アレウィー派のデモ隊により放火され、33名の招待客、2名のホテル従業員、2名のデモ参加者の計37名が焼死するという事件も起こっている。 アレウィー派はトルコにおいては宗教的・民族的マイノリティであることから、共和人民党などの世俗主義派や改革派を支持する傾向がある。トルコにはアレウィー派を巡る政治問題も存在し、と呼ばれるアレヴィー派の宗教施設の法的地位や、学校の必修科目である宗教科目の扱いなどが課題となっている。.

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イスラム教

イスラム教(イスラムきょう、イスラーム教、イスラーム、和名・漢字圏名:回教)は、唯一絶対の神(アラビア語でアッラー)を信仰し、神が最後の預言者を通じて人々に下した(啓示した)とされるクルアーンの教えを信じ、従う一神教である。 ユダヤ教やチゲリスト教の影響を受けた唯一神教で、偶像崇拝猶、いわゆる『偶像崇拝』が神像を用いた礼拝と同義であるのかを巡っては、宗教や個人により大きな開きがあるを徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。アッラーを崇拝するが、アッラーとは、もともとアラビアの多神教の神々の中の一人であったが、ムハンマドがメッカを占領すると、他の多神教の神々の像は全て破壊され、そして作ることや描くことも禁止され、その神だけを崇拝するようになった。.

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エラズー

ラズー()は、東アナトリア地方にあるトルコの街であり、エラズー県の県都である。2010年の国勢調査では、人口は33万1479人であった。街が広がる平野は、標高1067mにある。 エラズーは、歴史上の都市であるカーバード(Harput)から発展したものである。この都市は丘の上に位置し、冬季は近づくのが難しい場所にあった。.

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エラズー県

ラズー県はトルコ、東アナトリアの県。県都はエラズー。この県はユーフラテス川の水源を含んでいる。また、人口は2006年統計で59.5万人であり、2000年の57万人、1990年の50万人から急スピードで増加している。県域のおおよそ10%は自然湖である。 北にトゥンジェリ、東にビンギョル、南にディヤルバクル、西にマラティヤの各県と接している。.

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エルズィンジャン県

ルズィンジャン県はトルコ、東アナトリア地方の県。県都はエルズィンジャン。1939年の12月27日にM7.9のエルズィンジャン地震によって破壊されたが、その後復興している。.

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クラウディオス・プトレマイオス

André_Thevet作。 クラウディオス・プトレマイオス(Κλαύδιος Πτολεμαῖος, Claudius Ptolemaeus, 83年頃 - 168年頃)は、数学、天文学、占星学、音楽学、光学、地理学、地図製作学など幅広い分野にわたる業績を残した古代ローマの学者。エジプトのアレクサンドリアで活躍した。『アルマゲスト』、『テトラビブロス』、『ゲオグラフィア』など、古代末期から中世を通して、ユーラシア大陸の西半分のいくつかの文明にて権威とみなされ、また、これらの文明の宇宙観や世界観に大きな影響を与えた学術書の著者である。英称はトレミー (Ptolemy)。.

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クルド語

ルド語(クルドご、クルド語:كوردی、Kurdî、Кöрди)は、トルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニア、アゼルバイジャンなどのクルド人の間で話されている言語。言語学的にはインド・ヨーロッパ語族イラン語派西イラン語群に属す言語の一つである。西イラン語群に属すという点で、バローチ語、ギラキ語、タリシュ語、ペルシア語といったイラン・イスラーム共和国領内で話されている言語に近い。.

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ザザ人

300px ザザ人(Zaza people)とは、主にトルコ東部に住むイラン語群のザザキ語を話し、約半数はイスラム教の一派であるアレヴィー派を信奉し、残りはスンナ派を信奉する人々。トルコ国内に数十あるといわれる少数民族の一つである。100から200万人いるとされる。.

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ザザキ語

語(ザザキご; Zazaki)とは主にトルコ東部で用いられるイラン語群の言語である。カッパドキアなどに住むザザ人が使用する。現在ザザキ語を話す人は150万から200万人いるといわれている。ザザキはザザ人のザザからきた名称である。ザザ語とも呼ばれる。.

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スンナ派

ンナ派(アラビア語:(أهل السنة (والجماعة 、ラテン文字転写:Ahl as-Sunnah (wa’l-Jamā‘ah))、あるいはスンニ派(日本では報道などでこちらが一般的に知られる)は、イスラム教(イスラーム)の二大宗派のひとつとされる。他のひとつはシーア派である。イスラームの各宗派間では、最大の勢力、多数派を形成する。.

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東アナトリア地方

東アナトリア地方の位置 東アナトリア地方はトルコ東部の地方。1941年の最初のトルコの地理学会議で決定された。平均高度がトルコ一高く、広い面積でありながら人口は少ない。 東アナトリア地方はトルコのアナトリア半島の東部にある。北に黒海地方、西に中央アナトリア地方、地中海地方、南に南東アナトリア地方、イラク、東にイラン、ナヒチェヴァン自治共和国、アルメニアと接している。面積は171.061 km²であり、トルコの面積の21%を占めている。.

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1936年

記載なし。

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1937年

記載なし。

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1979年

記載なし。

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1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

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19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

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2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

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