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カイエ・デュ・シネマ

索引 カイエ・デュ・シネマ

『カイエ・デュ・シネマ』(Les Cahiers du cinéma)は、フランスの映画批評誌である。初代編集長アンドレ・バザン提唱の「作家主義」、および同誌の執筆者からヌーヴェルヴァーグの映画作家たちを生んだことで知られる。.

40 関係: 山田宏一作家主義マーティン・スコセッシバーベット・シュローダーポール・ヴェキアリラ・ルヴュ・デュ・シネマラ・ガゼット・デュ・シネマリュック・ムレル・モンドロッテ・アイスナーヴィム・ヴェンダースヌーヴェルヴァーグパスカル・ボニゼールビートたけしピエール・カストフランスフランソワ・トリュフォーアレクサンドル・アストリュックアンドレ・バザンアンドレ・テシネアンドレ・S・ラバルトエリック・ロメールオリヴィエ・アサヤスクロード・シャブロルシネクラブ・デュ・カルティエ・ラタンジャン・ドマルキジャン・ドゥーシェジャン・オーレルジャン=リュック・ゴダールジャン=ジョルジュ・オリオールジャック・ランシエールジャック・リヴェットジャック・ドニオル=ヴァルクローズジョゼフ=マリー・ロ・デュカセルジュ・トゥビアナセルジュ・ダネー勁草書房篠崎誠青山真治梅本洋一 (映画評論家)

山田宏一

山田 宏一(やまだ こういち、1938年9月13日- )は、日本の映画評論家、翻訳家。.

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作家主義

作家主義(さっかしゅぎ、Politique des auteurs)は、 映画を、美術、音楽、文学などの芸術作品にはそれぞれ「美術作家(画家、彫刻家等)」、「作曲家」、「小説家」という個人作業の表現主体が存在するように、映画監督(作家)による個人の表現手段、表現物と見なすべきだとする考え、主張をもった「カイエ・デュ・シネマ」の映画批評理論であるキネマ旬報『現代映画用語辞典』、キネマ旬報社、P.55。 。したがって「作家主義」の考え方によれば、「映画」における表現主体は、出演している俳優やシナリオ・脚本やその他スタッフなどではなく、映画監督という名の唯一の個性を有した「作家」個人のみだということになる。この語、およびこの政策は、「カイエ・デュ・シネマ」初代編集長アンドレ・バザンの考えとアレクサンドル・アストリュックの「カメラ=万年筆」(1948年)とを映画評論の思想的源泉に、1958年から1963年間の評論家の撮った映画の運動であるヌーヴェルヴァーグ前夜の1955年2月、映画作家デビュー(短編)直後の評論家フランソワ・トリュフォーが、「カイエ」誌上に『アリババと「作家主義」』(Ali Baba et la "Politique des Auteurs)を書いたことから始まる。トリュフォーは「良質の伝統」と「作家の映画」を対立させ、「作家の映画」を支持する考え方を「作家主義」とした。 (ヌーヴェルヴァーグという語自体は1957年のジャーナリストが雑誌記事で特集を組んだのが始まりである。)『世界映画史』、フィルムアート社、P.134。 またそれに先行する1954年1月、同誌に掲載された『フランス映画のある種の傾向』という論文において、トリュフォーは、脚本ユニット「オーランシュ=ボスト」を「作家の映画」と相容れない「脚本家の映画」、「良質の伝統」の推進者だとして、脚本創作を徹底的に排撃し、否定している。「カイエ」の批評家たちは「作家主義」を支持し、自分たちのことを「ヒッチコック=ホークス主義者」と称していた。二人の職人監督は文学性などとはなんの関係もない純粋な娯楽映画作りに徹することで、逆に、真の映画表現の本質をきわめてしまったとし、どんな映像作品にもまぎれもない刻印をしるす映画監督こそが「作家」の名に値すると考えた。 同様に、フランスの監督ではサシャ・ギトリやマルセル・パニョルという「国民的映画監督」の「作家性」を認め、再評価した。 作家主義はディレクター・システムとアート・フィルムのイデオロギーであり、映画政策の補助金の対象、主要な映画祭の主催者側や映画評論家の好む映画的傾向となっている反面、ディレクター・システムは現実には零落しプロデューサー・システムへ移行しており、いわゆる作家主義映画は興行市場における業績は往々にして芳しくなく、作家を自称する監督個人の独善に終わりやすい。  .

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マーティン・スコセッシ

マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese, 1942年11月17日 - )は、アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。.

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バーベット・シュローダー

バーベット・シュローダー(Barbet Schroeder、1941年8月26日 テヘラン - )は、イラン・テヘランで生まれたフランス国籍のスイス人(ドイツ系)で、フランスやアメリカで活躍する映画プロデューサー、映画監督、俳優。フランス語読みのバルベ・シュローデルの名で、エリック・ロメールとともに映画製作会社レ・フィルム・デュ・ロザンジュを創立したことで知られる。.

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ポール・ヴェキアリ

ポール・ヴェキアリ(Paul Vecchiali、1930年4月28日 アジャクシオ - )は、フランスのシネアスト(映画監督、脚本家)である。.

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ラ・ルヴュ・デュ・シネマ

『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』(仏語:La Revue du cinéma、1928年 - 1931年/1946年 - 1950年)は、かつて存在したフランスの映画雑誌。ヌーヴェルヴァーグを生んだ雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の前身となった雑誌として知られる。.

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ラ・ガゼット・デュ・シネマ

『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』(仏語:La Gazette du cinéma、1950年5月 - 11月)は、かつて存在したフランスの映画雑誌。.

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リュック・ムレ

リュック・ムレ(Luc Moullet、1937年10月14日 パリ - )は、フランスの映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。リュック・ムーレとも。ヌーヴェルヴァーグの映画作家である。.

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ル・モンド

ル・モンド(Le Monde)は、フランスの新聞(夕刊紙)。発行部数は約29万2054部(2015年)。紙名はフランス語で「世界」を意味する。判型はベルリナー判。.

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ロッテ・アイスナー

ッテ・アイスナー(Lotte Henriette Eisner、1896年3月5日 ベルリン - 1983年11月25日 ヌイイ=シュル=セーヌ)は、ドイツ・フランスの映画批評家、歴史家、著述家、詩人である。.

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ヴィム・ヴェンダース

ヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders, 1945年8月14日 - ) は、ドイツの映画監督。.

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ヌーヴェルヴァーグ

ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)は、1950年代末に始まったフランスにおける映画運動。ヌーベルバーグ、ヌーヴェル・ヴァーグとも表記され、「新しい波」を意味する。.

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パスカル・ボニゼール

パスカル・ボニゼール(Pascal Bonitzer、1946年2月1日 パリ - )は、フランスの脚本家、映画監督、映画批評家、俳優。La Fémis(フランス国立映像音響芸術学院、旧IDHEC)教授。『カイエ・デュ・シネマ』誌のコラムで数年にわたり執筆をしていたことでも同様に知られる。日本での表記は初期にパスカル・ボニツェールとされていた時期があが、本人への確認でボニゼールが好ましいということで変更(祖先にオーストリア人がいる関係でドイツ系な名前となっているが、自分はフランス人なのでツェとする必要はないとのこと)。.

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ビートたけし

ビートたけし(1947年1月18日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、映画監督である。本名:北野 武(きたの たけし)。東京都足立区島根出身。 タモリ、明石家さんまと共に、日本のお笑いBIG3の一角を担う。日本国外では本名北野 武で、映画監督として知られる。.

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ピエール・カスト

ピエール・カスト(Pierre Kast、1920年9月22日 パリ - 1984年10月20日)は、フランスの映画監督、脚本家。ヌーヴェルヴァーグの映画作家のひとりとして知られる。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランソワ・トリュフォー

フランソワ・ロラン・トリュフォー(François Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日)は、フランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。映画作家・理論家のアレクサンドル・アストリュックがトリュフォーを「愛のシネアスト(cinéaste)」と定義した。。.

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アレクサンドル・アストリュック

アレクサンドル・アストリュック(Alexandre Astruc、1923年7月13日 - 2016年5月19日)は、フランスの映画監督、脚本家、批評家、作家。「カメラ=万年筆」論の提唱者として、およびヌーヴェルヴァーグの先駆的作品『恋ざんげ』の監督として知られる。.

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アンドレ・バザン

アンドレ・バザン(André Bazin、1918年4月18日 アンジェ - 1958年11月11日 ノジャン=シュル=マルヌ)は、戦後フランスで影響力の非常に大きかった映画批評家である。「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」と称されることもある。.

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アンドレ・テシネ

アンドレ・テシネ (André Téchiné, 1943年3月13日 - ) は、フランスの映画監督、脚本家。.

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アンドレ・S・ラバルト

アンドレ・S・ラバルト(André S. Labarthe, 本名:アンドレ・シルヴァン・ラバルト (André-Sylvain Labarthe)、1931年12月18日 オロロン=サント=マリー - 2018年3月5日)は、フランスの批評家、映画プロデューサー、映画監督、脚本家、俳優である。伝説的テレビドキュメンタリー『われらの時代のシネアストたち』のプロデューサー、監督として知られる。.

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エリック・ロメール

リック・ロメール(Éric Rohmer、本名ジャン=マリ・モリス・シェレール(Jean-Marie Maurice Schérer)、1920年3月21日(3月20日、4月4日説もあり) - 2010年1月11日)は、フランスの映画監督。ヌーヴェル・ヴァーグのいわばトリであり、この映画運動を代表する映画人のうちでは名声を確立したのが最もおそい。男女の恋愛模様を軽快なタッチで描く一方、文芸作品などにも取り組む。.

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オリヴィエ・アサヤス

リヴィエ・アサヤス(Olivier Assayas、1955年1月25日 - )は、フランス・パリ出身の映画監督・脚本家。オリヴィエ・アサイヤスとも表記される。.

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クロード・シャブロル

ード・シャブロル(Claude Chabrol, 1930年6月24日 - 2010年9月12日)は、フランスの映画監督・映画プロデューサー・脚本家。.

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シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン

ネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン(Le Ciné-club du Quartier latin)は、フランス・パリにかつて存在したシネクラブ。エリック・ロメールが主宰し、10代のジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォー、ジャック・リヴェットが在籍した集団として知られる。.

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ジャン・ドマルキ

ャン・ドマルキ(Jean Domarchi)は、フランスの映画批評家、編集者である。ヌーヴェルヴァーグのゆりかごとなったシネクラブ「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」に参加、『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』誌(エリック・ロメール編集)、つづいて創刊された『カイエ・デュ・シネマ』誌で活躍、ジャン=リュック・ゴダールのデビュー長編『勝手にしやがれ』に出演したことで知られる。ディジョン大学教授。.

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ジャン・ドゥーシェ

ャン・ドゥーシェ(Jean Douchet、1929年1月19日 - ) は、フランスの映画監督、映画批評家、映画教育者、俳優。.

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ジャン・オーレル

ャン・オーレル(Jean Aurel、1925年11月6日 ルーマニア・ラストリッツァ - 1996年8月26日 パリ)は、フランスの映画監督、脚本家。フランソワ・トリュフォーの脚本家として知られる。.

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ジャン=リュック・ゴダール

ダールのサイン ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard, 1930年12月3日 - ) は、フランス・スイスの映画監督、編集技師、映画プロデューサー、映画批評家、撮影監督、俳優である。パリに生まれる。ソルボンヌ大学中退。ヌーヴェルヴァーグの旗手。.

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ジャン=ジョルジュ・オリオール

ャン=ジョルジュ・オリオール(Jean-George Auriol, 1907年1月8日 - 1950年4月2日)は、フランスのプロデューサー、脚本家、雑誌編集者、批評家である。ヌーヴェルヴァーグを生んだ雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の母体となった雑誌『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』を創刊、戦後の復刊とともに「呪われた映画祭」開催に尽力したことで知られる。本名はジャン・ユオ(Jean Huyot)、表記「Jean-Georges Auriol」は誤り。.

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ジャック・ランシエール

ャック・ランシエール ジャック・ランシエール(Jacques Rancière, 1940年 -)フランスの哲学者。パリ第八大学名誉教授。.

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ジャック・リヴェット

ャック・リヴェット(Jacques Rivette, 1928年3月1日 - 2016年1月29日) は、フランスの映画監督、脚本家、映画批評家、雑誌編集者。『カイエ・デュ・シネマ』誌元編集長であり、ヌーヴェルヴァーグの中心的人物である。.

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ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ

ャック・ドニオル=ヴァルクローズ(Jacques Doniol-Valcroze、1920年5月15日 パリ - 1989年10月6日 カンヌ)は、フランスのジャーナリスト、映画批評家、映画監督、俳優、脚本家。.

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ジョゼフ=マリー・ロ・デュカ

ョゼフ=マリー・ロ・デュカ(Joseph-Marie Lo Duca、本名Giuseppe Maria Lo Duca、ジュゼッペ・マリア-、1910年 ミラノ - 2004年8月6日 フォンテーヌブロー)は、フランス・イタリアの著述家である。ヌーヴェルヴァーグを育んだ映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の設立者のひとりとして知られる。.

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セルジュ・トゥビアナ

ルジュ・トゥビアナ(Serge Toubiana、1949年8月15日 - )は、フランスの映画評論家。シネマテークフランセーズのディレクターである。.

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セルジュ・ダネー

ルジュ・ダネー(Serge DANEY、1944年6月4日 - 1992年6月12日)は、フランスの映画評論家である。『カイエ・デュ・シネマ』誌と『リベラシオン』誌の映画評論として知られている。映画批評から始まり、晩年にはテレビのイメージを通じて新たな批評理論の発展に寄与した。1992年6月12日にエイズのため、48歳で死去した。.

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勁草書房

株式会社 勁草書房(けいそうしょぼう)は、東京都文京区水道に本社を置く出版社。.

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篠崎誠

崎 誠(しのざき まこと、1963年 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画批評家。 立教大学映像身体学科教授。映画美学校フィクション・コース講師。.

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青山真治

青山 真治(あおやま しんじ、1964年7月13日 - )は、日本の映画監督、小説家、音楽家、映画批評家。多摩美術大学教授。妻は女優のとよた真帆。.

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梅本洋一 (映画評論家)

梅本 洋一(うめもと よういち、1953年1月9日 - 2013年3月12日 朝日新聞 2013年3月12日閲覧)は、日本の映画批評家、編集者、横浜国立大学教授(映画論、フランス演劇史)である。長期留学中に、パリ大学(第8大学)で芸術学博士を授与。帰国後、文学博士(早稲田大学)を授与。また、当初の執筆書籍には芸術学博士と書いていたことも多かったようだ。.

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