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オーボエとショーム

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オーボエとショームの違い

オーボエ vs. ショーム

ーボエ(オーボー、オーボワとも)は、木管楽器の一種であり、ダブルリードで発音する円錐管の楽器(複簧管楽器)である安藤由典 『新版 楽器の音響学』 音楽之友社、1996年、ISBN 4-276-12311-9。原義はフランス語のhaut bois(高い木)で、「高音(または大音量)の木管楽器」であるとされる下中直也(編)『音楽大事典』全6巻、平凡社、1981年。. ョーム(英:Shawm)はヨーロッパで13世紀後期から17世紀にかけて作られた、ルネッサンス期の木管楽器である。オリエントのズルナが進化したもので、現在のオーボエの祖先である。ショームはドイツ語ではシャルマイ(Schalmei)と呼ばれており、この語は葦や植物の茎を意味するラテン語のcalamusに由来すると言われている。しかし一方では、ヨーロッパのショームは十字軍の時代に近東からヨーロッパにもたらされた類似の楽器が進化したものと思われることから、エジプトの伝統的なオーボエの名であるアラビア語のsalamiyaあるいはsalameyaから来ているのではないかとする説もある。このことは、様々なヨーロッパの国々で伝統楽器として用いられている多くの民族的なショームが、非常に良く似た名で呼ばれていることからも証明される。例えばスペインのドゥルサイナ(w:dulzaina、チリミータchirimitaとも呼ばれる)、カタルーニャのショーム(w:Catalan shawm)(シリミアxirimia、ドルサイナdolçainaまたはグラリャgralla、ティブレtible、テノーラtenora)、ポルトガルのチャラメラ(charamela)、イタリアのチャラメッラ(ciaramella)などである。 ショームは長い直管にベル(朝顔)がついた楽器であった。管体は円錐管で、バスーンのリードを小さくしたようなダブルリードで演奏され、大きな音が出た。中世のショームと非常に良く似た楽器は、現在でもなお多くの国々で、ストリート・ミュージシャンや時には軍楽隊によって、演奏されているのを聴くことが出来る。軍楽隊での利用は、十字軍の兵士たちにとって馴染みの深いものであったろう。彼らはしばしば、ショームとネイカー(w:naker、中東地域の太鼓)によるイスラム教諸国の巨大な楽隊に直面していたからである。それは心理的な兵器として使われていたのであった。これは深い印象を与えたとみられ、ショームは軍事目的のみならずダンスのためにも、ヨーロッパ人たちにすぐに受容された。15世紀における標準的な屋外のダンスバンドは、流行歌の旋律を演奏する1本のスライド・トランペットと、これに即興で対旋律をつける2本のショームとで構成されていた。16世紀の初頭までには、ショームは顕著な進化を遂げた。当初の鋭い音色は、長さがほぼ倍になることによって柔らかなものとなり、倍音を変化させるために付加管が設けられた。とりわけそれなりの人数で合奏した際の大きく堂々とした音色が、都市当局者の要求にとても良く合致したために、ショームは都市の楽隊、すなわちウェイト(wait、英国の都市楽隊)に標準装備される楽器となった。ショームはウェイトと切っても切り離せないものになったために、ウェイト・パイプ(wait-pipe)とも呼ばれた。 ラウシュプファイフェ(w:rauschpfeife)は、リードにキャップがかぶせられた楽器で、ショームと近い同族関係にある。これはバグパイプやクルムホルンのように、歌口のキャップの中にダブルリードが納められており、奏者の口がリードに触れないようになっていた。 ショームの大規模な合奏は、実に壮麗な音色を持っていたにもかかわらず、とりわけ行進の際などには、構造的な欠陥を持っていた。ソプラノ・ショームは2フィート程の長さがあり、さらに低音の楽器はその比率で長くなって行き、バスは床にベルの端を置いて演奏しなければならないほどの巨大なものであったからである。とある機智に富んだ無名の作者が、1本の木材に2本の穴を開けて底の部分でこれを繋ぐという方法を発明し、オリジナルの半分の長さで持ち運びが容易な、屈曲式のショームを作り出した。この新しい楽器は英国ではカータル(curtal)あるいはダルシアン(w:dulcian)と呼ばれ、低音楽器として一般的に使われるポピュラーなものとなり、より高音のショームが不適当だとされるような上品な編成においてすら使用されていた。 オーボエはショームを元にして、17世紀の中頃にフランスの音楽家ジャン・オトテール(Jean Hotteterre)とミシェル・ダニカン・フィリドール(Michel Danican Philidor)によって改良が加えられ、より細い内径を持ち楽器の端のリードを奏者が唇でくわえる形で演奏する楽器として誕生した。.

オーボエとショーム間の類似点

オーボエとショームは(ユニオンペディアに)共通で6ものを持っています: チャルメラリード (楽器)ファゴットダブルリード木管楽器17世紀

チャルメラ

世界のチャルメラ(大阪府吹田市・国立民族学博物館) チャルメラとは、オーボエと同じ、2枚リードの木管楽器の一種である。チャルメルともいう。.

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リード (楽器)

リード は、楽器に用いられる薄片をいい、振動して音源となる。簧(した)ともいう。語源は、葦(reed)であり、今日の木管楽器のリードはその一種であるArundo donax、和名ダンチク(暖竹、葮竹、葦竹(よしたけ))製であることが多い。フリーリード(後述)は金属やプラスチックで作られる事が多い。また、薄片を用いない空気の渦流や、唇の振動を用いる振動気柱もリードと称することがある。.

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ファゴット

ファゴットは、木管楽器の一つで、オーボエと同様に上下に組み合わされた2枚のリードによって音を出すダブルリード(複簧)式の管楽器である安藤由典 『新版 楽器の音響学』 音楽之友社、1996年、ISBN 4-276-12311-9。低音〜中音部を担当し、実音で記譜される。低音域でも立ち上がりが速く、歯切れのよい持続音を出すことができる。英語に従い、バスーンとも呼ばれる。 16世紀中頃には使われていたといわれ、当初は2キーだったが、18世紀には3〜4キーとなった。外観が似ているカータル(ドゥルシアンとも)という楽器が直接の祖先とする説が有力であるアンソニー・ベインズ(著) 奥田恵二(訳) 『木管楽器とその歴史』 音楽之友社、1965年。.

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ダブルリード

ダブルリード(double reed)は、木管楽器につかわれるリードの一種。また、そのようなリードを用いた楽器の総称。複簧(ふくこう)とも呼ばれる。.

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木管楽器

木管楽器(もっかんがっき)は奏者の唇の振動によらない方法で発音する管楽器の総称であり、概ね日本語の「笛」に相当する。.

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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上記のリストは以下の質問に答えます

オーボエとショームの間の比較

ショームが27を有しているオーボエは、99の関係を有しています。 彼らは一般的な6で持っているように、ジャカード指数は4.76%です = 6 / (99 + 27)。

参考文献

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