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ウェスタンアプローチ管区

索引 ウェスタンアプローチ管区

ウェスタンアプローチ管区(-かんく、Western Approaches Command)は、第二次世界大戦中のイギリス海軍の管区の一つである(訳注:管区は担当地域の防衛と、艦隊の支援に当たる組織。日本海軍の鎮守府に相当する)。その主要任務はウェスタンアプローチにおける船舶の安全の確保であった。 1939年9月に第二次世界大戦が始まった際、ウェスタンアプローチ管区はプリマスに司令部を置いており、司令長官はマーチン・ダンバーナスミス大将だった。管区の主な任務は、北大西洋からウェスタンアプローチ南部・アイルランド南部を航行する輸送船団の保護である。1940年6月にフランスが降伏すると、大西洋を通る輸送船団の主要航路は、前述のものからウェスタンアプローチ北部-北アイルランドを通過する航路へと変化した。この変更された主要航路を効率よく管制するためと、ドイツ軍の空襲を避けるために、1940年の終わりには司令部をリバプールに移転することが決定された。1941年2月7日、ウェスタンアプローチ管区は分割され、司令部はプリマスからリバプールのダービーハウスに移転した。同時にイギリス空軍の沿岸軍団(en)も、リバプールに移転している。ダンバーナスミス大将はプリマスに残り、新設のプリマス管区の指揮を執った。2月17日にパーシー・ノーブル大将が、新しいウェスタンアプローチ管区の司令長官に補職された。 この後ほぼ2年に渡り、ノーブル大将はグリーノック、ロンドンデリー、リバプールにあった輸送船団の護衛部隊基地を拡充し、リバプールに対潜戦術学校を設立するなど、大西洋の戦いの勝利の基礎となった施設を整備した。また、それまで船団護衛部隊は、手すきの艦艇を寄せ集め臨時に一つの部隊としたものばかりであったが、ノーブル大将はこれを変革し、各護衛艦がチームワークを発揮して協同作戦が可能なよう、護衛部隊をある程度固定編成にするとともに、各部隊に共同訓練を行わせた。 1942年11月19日、ウェスタンアプローチ管区の司令長官はノーブル大将からマックス・ホートン大将に替わった。ホートン大将は戦争が終わり管区が役目を終える1945年8月15日までその地位にあった。 ホートン大将のリーダーシップはUボートの脅威を撃ち破るために、重要な役割を果たした。彼は輸送船団を直接護衛する護衛部隊に加えて、「サポートグループ」と呼ばれる部隊を組織した。サポートグループは基本的には輸送船団に同行するが、直接護衛にあたる部隊と違い、個々の船団の安全に責任を負っていなかった。このためサポートグループは、偵察やHF/DF(敵の電波を探知する装置)によって標定された敵潜水艦を攻撃するために艦艇を分派した際、大きな戦術的柔軟性を得ることが出来た。このような場合、通常の直接護衛部隊はある程度のところで攻撃を切り上げ、船団の元へ戻らなければならなかったが、サポートグループは敵潜水艦に止めを刺すまで、長時間攻撃を続けることが出来たのである。また、他の船団が重大な脅威に直面したときは、管区司令部からの命令でその船団の支援にあたることもあった。.

15 関係: 大西洋大西洋の戦い (第二次世界大戦)大日本帝国海軍リヴァプールロンドンデリープリマスフランスアイルランドイギリス空軍イギリス海軍ウェスタンアプローチグリーノック第二次世界大戦鎮守府 (日本海軍)Uボート

大西洋

大西洋(たいせいよう、Atlantic Ocean、Oceanus Atlanticus)は、ヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、アメリカ大陸の間にある海である。なお、大西洋は、南大西洋と北大西洋とに分けて考えることもある。おおまかに言うと、南大西洋はアフリカ大陸と南アメリカ大陸の分裂によって誕生した海洋であり、北大西洋は北アメリカ大陸とユーラシア大陸の分裂によって誕生した海洋である。これらの大陸の分裂は、ほぼ同時期に発生したと考えられており、したがって南大西洋と北大西洋もほぼ同時期に誕生したとされる。.

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大西洋の戦い (第二次世界大戦)

大西洋の戦い(たいせいようのたたかい、英:Battle of the Atlantic, 独:Atlantikschlacht)は、第二次世界大戦中に大西洋全域で行われた連合国と枢軸国の戦い。1939年にヨーロッパでの戦争勃発と同時に始まり、100以上の輸送船団と約1,000隻の艦船が戦闘に巻き込まれた。1940年6月にイタリアが参戦し、1940年の中期から1943年の後期にかけて山場を迎えた。双方で新型兵器の開発と新しい戦術、対抗策が開拓されたため、1945年にナチス・ドイツが降伏するまでの6年の間に渡って戦術的優位は両者を行き来し、第二次世界大戦で最も長い戦いとなった。 北アメリカや南大西洋からイギリスやロシアに向かう輸送船団をドイツ海軍が阻止しようとしたが、これを見たイギリス海軍は徐々にドイツ海軍を圧倒するようになり、1941年の中期までにドイツ海軍の水上艦(戦艦、ポケット戦艦、巡洋艦)を封じ込め、1943年の3月から5月にかけて行われた輸送作戦においてUボートを駆逐した。 なお、「Battle of the Atlantic」は1941年春にイギリスの首相であるチャーチルが名付けた名前であるが、ここでは広義の大西洋の戦いについてとりあげる。.

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大日本帝国海軍

大日本帝国海軍(だいにっぽんていこくかいぐん、旧字体:大日本帝國海軍、英:Imperial Japanese Navy)は、1872年(明治5年) - 1945年(昭和20年)まで日本(大日本帝国)に存在していた軍隊(海軍)組織である。通常は、単に日本海軍や帝国海軍と呼ばれた。戦後からは、別組織であるもののその伝統を重んじる傾向にある海上自衛隊との区別などのため、旧日本海軍もしくは旧帝国海軍とも呼ばれる。.

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リヴァプール

リヴァプール(Liverpool)は、イギリス・イングランド北西部マージーサイド州の中心都市である。面積は111.84平方キロメートル、2015年の人口は47万8580人。かつてはイギリスの主要な港湾都市であったが、世界的ロック・バンドであるザ・ビートルズの出身地であることから、いまでは観光都市として知られる。2008年の欧州文化首都の一つ。.

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ロンドンデリー

デリー (Derry、)、公式にはロンドンデリー (Londonderry、)とは北アイルランドで2番目に大きいかつ、アイルランド島において4番目に大きい都市でもある。デリーと言う名は「オークの森」を意味するアイルランド語の「Daire」もしくは「Doire」をしたものである。1613年、ジェームズ1世の勅許状により都市になることが承認され、デリーの前に「ロンドン」を付ける形で市名がロンドンデリーに変更された。デリーという都市名がより一般的に知られているが、ロンドンデリーという都市名も一般的に使用されていて、法的名称として残っている。 フォイル川西川岸にある古い城壁都市は2つの道路橋と1つの歩道橋が架かっているが、現在両川岸とも市内(西の「シティサイド」と東の「」)に入っている。また都市区域は南東の農村部にも及んでいる。デリー区が管轄していて、とを抱えている。 市から約30km圏内にの大デリー地域の人口は23万7000人である。この地域はデリー・シティととの一部、ドニゴール州東部(とを含む)やで構成されている。 また、ドニゴール州とで接していて、多世紀に渡って親密な関係となっている。デリーの創設者は伝統的にコルムシルという聖人と見なされていて、コルムシルはからやってきた聖者で、ティアコネルは現在のドニゴール州のほぼ全ての地域(1610年以前はフォイル川西岸も一部だった)の古名である。 2013年、ロンドンデリーは2010年7月にに選出された。.

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プリマス

プリマス(Plymouth)は、イングランド南西部のデヴォン州にある港湾都市で、行政はシティかつ単一自治体 (Unitary Authority)である。 17世紀、ピューリタン(清教徒)を含んだピルグリム・ファーザーズの一団、102名はこの港からメイフラワー号に乗船し、新大陸に向かった。その到着地点となった海岸部が、現在のアメリカ東部マサチューセッツ州の都市プリマスに当たる(彼らが出発地と同じ名を名づけたとよく言われるが、実際は同名の地に偶然到着したのである)。現在はイギリス国内有数の港湾都市、およびイギリス海軍の重要な軍港として知られている。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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アイルランド

アイルランド、またはアイルランド共和国(-きょうわこく)は、北西ヨーロッパ、北大西洋のアイルランド島の大部分を領土とする立憲共和制国家。首都はダブリン。島の北東部はイギリスのカントリーの一つである北アイルランドと接している。 独立前より北アイルランドも自国の領土であると主張し、イギリスとの対立と抗争を繰り返してきたが、1998年のベルファスト合意により領有権を放棄した。 2005年、『エコノミスト』の調査では最も住みやすい国に選出されている。.

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イギリス空軍

イギリス空軍旗 王立空軍(おうりつくうぐん、Royal Air Force)は、イギリスの保有する空軍。略称としてRAFやR.A.F.という表記がある。日本語ではイギリス空軍、英国空軍とも表記される。 1918年4月1日にイギリス軍の一部として独立した。RAFは世界で最も長い歴史を持つ空軍であり、約793機の航空機と、34,200人の兵力を保有している。 国防省の目的を達成することが任務であるが、具体的には、イギリスと海外領土を確実に保障防衛すること、特に国際的な平和と保障を進める際に政府の外交政策を支えること、それらのために必要とされる能力を提供することである。.

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イギリス海軍

王立海軍(おうりつかいぐん、Royal Navy)は、イギリスの海軍。イギリス海軍、英国海軍などとも表記される。.

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ウェスタンアプローチ

ウェスタンアプローチ(Western Approaches)は、グレートブリテン島西岸の大西洋に拡がる長方形の海域である。この海域はイギリス西岸とほぼ同じで、グレートブリテン島の西岸から始まり、おおよそアイスランドに至る。大規模な港湾が多くあるため、特にイギリスにとって重要な海域である。 この語は主に海戦について論じるときに用いられる。特に、第一次世界大戦と第二次世界大戦の際にドイツ海軍がUボートを使ってイギリスを封鎖しようとして試みた「大西洋の戦い」について語られるときに使われる。これは、イギリス発の商船のほとんどがこの海域を通るため、Uボートの好狩場であると同時に、イギリス海軍による重大な防護が成される地域でもあったからである。.

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グリーノック

リーノック (Greenock) は、スコットランドのタウンで、地方自治体インヴァークライドの行政上の中心である。.

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第二次世界大戦

二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.

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鎮守府 (日本海軍)

鎮守府(ちんじゅふ)は、かつて日本海軍の根拠地として艦隊の後方を統轄した機関。その前身は1871年(明治4年)に兵部省内に設置された海軍提督府である。 各鎮守府は、所轄海軍区の防備、所属艦艇の統率・補給・出動準備、兵員の徴募・訓練、施政の運営・監督にあたった。鎮守府司令長官(海軍大将・中将)は、軍政に関して海軍大臣、作戦計画に関して海軍軍令部長(軍令部総長)、からそれぞれ指示を受けた。.

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Uボート

Uボート(、)は、ドイツ海軍の保有する潜水艦の総称。一般的には特に第一次世界大戦から第二次世界大戦の時期のものをいう。 ドイツ潜水艦隊の華々しい活躍により、Uボートの名はドイツ潜水艦の代名詞として広く普及した。第一次大戦では、約300隻が建造され、商船約5,300隻を撃沈する戦果を上げた。第二次大戦では、1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈する戦果をあげ、引き換えに849隻のUボートの損失を出した。 後に連合国が有効な対策を編み出した事もあり、全ドイツ軍の他のあらゆる部隊よりも高い死亡率であった「ナチス潜水艦U745の謎」ナショナルジオグラフィックチャンネル。 U9(1914年).

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