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アイヌとユーカラ

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アイヌとユーカラの違い

アイヌ vs. ユーカラ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。. ユーカラは、アイヌ民族に伝わる叙事詩の総称。アイヌ語で「叙事詩」を意味する。カナ表記は統一されていないが、カタカナを用いる場合、萱野茂は「ユカラ」とした方がより忠実としている。またラテン文字表記 (yukar) は知里真志保の表記法による。「ユカラ」ではなく「ユーカラ」と表記されるのはアイヌ語学者金田一京助の影響が大きいと思われる。金田一は第1音節の高アクセントに対応する日本語の表記として長音表記をえらんだ。.

アイヌとユーカラ間の類似点

アイヌとユーカラは(ユニオンペディアに)共通で8ものを持っています: アイヌ神謡集アイヌ語アイヌ文化ウエペケレカムイ知里幸恵萱野茂金田一京助

アイヌ神謡集

アイヌ神謡集(あいぬしんようしゅう)は、知里幸恵が編纂・翻訳したアイヌの神謡(カムイユカラ)集。 1920年11月、知里幸恵が17歳の時に、金田一京助に勧められて幼い頃から祖母モナシノウクや叔母の金成マツより聞いていた「カムイユカラ」を金田一から送られてきたノートにアイヌ語で記し始める。翌年、そのノートを金田一京助に送る。1922年に『アイヌ神謡集』の草稿執筆を開始。金田一の勧めにより同年5月に上京。金田一家で『アイヌ神謡集』の原稿を書き終える。校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げたが、同年9月18日、心臓麻痺により急逝。翌年の1923年に金田一の尽力によって『アイヌ神謡集』を上梓し、郷土研究社から発行された。.

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アイヌ語

アイヌ語(アイヌご、Aynu itak、アイヌ語仮名表記:アイヌ・イタㇰ)は、現在、北海道島や本州島北東地域やロシア極東地域等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。 話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。言語学では「孤立した言語」である。国際連合教育科学文化機関によって、2009年2月に「極めて深刻」な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である。危険な状況にある日本の8言語のうち唯一最悪の「極めて深刻」に分類された。.

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アイヌ文化

アイヌ文化(アイヌぶんか)とは、アイヌが13世紀(鎌倉時代後半)ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在では、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日本においては日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中、アイヌとしての意識は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。アイヌとしての生き方はアイヌプリとして尊重されている。アイヌ独特の文様(アイヌ文様)や口承文芸(ユーカラ)は、北海道遺産として選定されている。前時代の擦文文化とアイヌ文化の違いについては、「蝦夷#えぞ」の項を参照。.

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ウエペケレ

ウエペケㇾ (uepeker) とは、アイヌに伝承される口承文芸である。日本語では「民話」や「昔話」などと訳されることがしばしばある。伝えられる物語の分野は多岐にわたり、先祖の実体験に基づいた物語もあれば、内地の民話によく似た形式のものもある。.

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カムイ

ムイ(kamuy)日本語での地名表記などにおいては、漢字を当て、神威、神居としばしば表記される。は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のこと。アイヌ民族の伝統的信仰は日本神道に近いとする説もあり、その場合多神教に分類される。カムイが日本語のカミと共通起源の語彙であるとする説もある。 日本語の「カミ」と同様、「霊」や「自然」と表現してもおかしくない(キリスト教の神のような唯一絶対の存在ではない)。日本神道の「八百万の神」も、アイヌの信仰文化と同様の「アニミズム」の特徴があるという説もある。.

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知里幸恵

知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年(明治36年)6月8日 - 1922年(大正11年)9月18日)は、北海道登別市出身のアイヌ人女性。19年という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ民族・アイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。 近年、マスコミや各地のセミナー等でその再評価の声が高まっており、また幸恵への感謝から「知里幸恵」記念館の建設運動が活発化している。2008年10月には、NHKの『その時歴史が動いた』で幸恵が詳細に取り上げられ、インターネット書店「アマゾン」の「本のベストセラー」トップ10に『アイヌ神謡集』が入った。また、『アイヌ神謡集』は、フランス語・英語・ロシア語にも翻訳されており、2006年1月には、フランス人作家ル・クレジオが、そのフランス語版の出版報告に幸恵の墓を訪れている。 なお、弟に言語学者でアイヌ人初の北海道大学教授となった知里真志保がおり、幸恵の『アイヌ神謡集』の出版以降、大正末期から昭和にかけて、新聞・雑誌などからはこの姉弟を世俗的表現ながらも「アイヌの天才姉弟」と評された。他の弟の知里高央(真志保の長兄)も、教師をつとめながらちりアイヌ語の語彙研究に従事した。.

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萱野茂

萱野 茂(かやの しげる、1926年6月15日 - 2006年5月6日)は、日本のアイヌ文化研究者(博士(学術))であり、彼自身もアイヌ民族である。アイヌ文化、およびアイヌ語の保存・継承のために活動を続けた。二風谷アイヌ資料館(シシリムカ二風谷アイヌ資料館)を創設し、館長を務めた。政治活動面ではアイヌ初の日本の国会議員(1994年から1998年まで参議院議員)。在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。 息子の萱野志朗は、萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、世界先住民族ネットワーク・AINU代表、FMピパウシ運営者、世界先住民族サミット2008の実行委員会最高責任者。.

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金田一京助

金田一 京助(きんだいち きょうすけ、1882年(明治15年)5月5日 - 1971年(昭和46年)11月14日)は、日本の言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長(二代目)。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。 長男の春彦、孫の真澄や秀穂も言語学者。.

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上記のリストは以下の質問に答えます

アイヌとユーカラの間の比較

ユーカラが25を有しているアイヌは、284の関係を有しています。 彼らは一般的な8で持っているように、ジャカード指数は2.59%です = 8 / (284 + 25)。

参考文献

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