目次
15 関係: 大日本帝国、三十一年式速射砲、ロシア帝国、フランス、ドイツ帝国、ドイツ陸軍、イギリス、オードナンス BL 15ポンド砲、クルップ、第一次世界大戦、駐退機、野砲、M1897 75mm野砲、M1900 76mm野砲、7.7cm FK 96 nA。
- 77mm砲
大日本帝国
大日本帝国(だいにほんていこく、だいにっぽんていこく、、Empire of Japan)とは、大日本帝国憲法時代に使用された日本の国号のこと。日本と海外領土等の総称あるいは別称としても使用された。 大日本帝国憲法は1890年(明治23年)11月29日に施行され、第二次世界大戦敗戦後の1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法の施行に伴い失効するまで効力を有した。国号は江戸時代末期(幕末)に外交文書に使用され始め、公式には1947年(昭和22年)まで使用されていた。ただし、現在まで一貫して日本の正式な国号は法的に確定しておらず、「大日本帝国」もまた正式国号ではない(後述)。 大日本帝国憲法下における日本の領土は、現在の日本国の領土に加えて、南樺太・千島列島・朝鮮・台湾などを含み、また関東州・南洋諸島などいくつかの租借地・委任統治領が存在した。
三十一年式速射砲
三十一年式速射砲(さんじゅういちねんしきそくしゃほう)は、日本陸軍が明治31年(1898年)に制式砲とした大砲。三十一年式野砲と三十一年式山砲の2種類がある。著名な銃砲設計者である陸軍中将有坂成章が開発したもので、別名「有坂砲」といわれる。日露戦争での主力砲として活躍した。 口径は7.5 cm、射程は野砲が7,800 m、山砲が4,300 mとなっていた。砲身に設けられた砲耳の先端が車軸を兼ねており、砲身と砲耳・車軸が十文字形を描くような構成となっている。ロシア軍の保有する野山砲に射程では見劣りしたものの、砲弾の性能や将兵の射撃技術はロシア軍を凌駕していた。野砲については、日露戦争中に仰角の修正や防楯の装備等改良を加え、性能を向上させている。日露戦争の陸戦の勝利には、この大砲と二十八サンチ榴弾砲、三十年式歩兵銃の貢献が大きかったといわれる。本砲は後継の野山砲に置き換えられて保管兵器となったが、のちの満州事変以降の兵器不足を補うために、歩兵砲として再び用いられるようになった。さらにインパール作戦では野砲兵第21連隊が、四一式山砲に加え、分解搬送が容易な三十一年式山砲を投入している。
ロシア帝国
ロシア帝国(ロシアていこく、Россійская Имперія、ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年11月から1917年9月まで存在した帝国である。現在のロシア連邦を始め、フィンランド、リヴォニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、コーカサス、中央アジア、シベリア、外満洲などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。 通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。
フランス
フランス共和国(フランスきょうわこく、)、通称フランス()は、西ヨーロッパに位置する共和制国家。首都はパリ 日本国外務省(2022年12月7日閲覧)。フランス・メトロポリテーヌ(本土)のほか、フランス植民地帝国の名残で世界各地にフランスの海外県・海外領土が点在する。独立した旧フランス領諸国とはフランコフォニー国際機関を構成している。 フランス本土は、北は北海、イギリス海峡、大西洋(ビスケー湾)に、南は地中海に面する。陸上では、東はベルギー、ルクセンブルク、ドイツ、スイス、イタリアと、西ではピレネー山脈でスペイン及びアンドラと国境を接するほか、地中海沿岸にミニ国家のモナコがある。 国際政治や安全保障、経済、文化において世界的な影響力を持つ民主主義の大国、先進国の一つである。
ドイツ帝国
ドイツ帝国(ドイツていこく、)は、1871年1月18日から1918年11月9日までドイツ国において存続した、プロイセン国王をドイツ皇帝に戴く体制を指す歴史的名称である。帝政ドイツ(ていせいドイツ)とも呼ばれる。
ドイツ陸軍
ドイツ陸軍(ドイツりくぐん)は、ドイツの地上軍の名称である。ここではドイツ統一後の各時代における陸軍について扱う。
イギリス
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland、英語略称: 、、)、通称イギリスは、ヨーロッパ大陸北西岸に位置し、グレートブリテン島、アイルランド島北東部その他多くの島々から成る立憲君主制国家。首都はロンドン。日本語における通称の一例として、英国(えいこく)がある(「国名」を参照)。 イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという歴史的経緯に基づく4つのカントリー(「国」)が、同君連合型の単一主権国家を形成している。また、2020年1月31日まで欧州連合(略称:EU)に属していたが離脱した (ブレグジットを参照)。イギリスは国際連合安全保障理事会常任理事国であり、G7・G20に参加する先進国である。また、経済協力開発機構、北大西洋条約機構、欧州評議会の原加盟国である。
オードナンス BL 15ポンド砲
オードナンス BL 15ポンド砲(Ordnance BL 15 pounder、または15 pounder 7 cwt)は第二次ボーア戦争中のイギリス陸軍の野砲で、一部は第一次世界大戦の主要でない戦域で限定的に使用された。
見る 7.7cm FK 96とオードナンス BL 15ポンド砲
クルップ
クルップ(Krupp)は、ドイツの工業地帯であるエッセンを地盤とする、ドイツの製鉄業、兵器製造企業として長い歴史を持つ、重工業企業である。 1999年にティッセン社と合併し、巨大工業コングロマリットのティッセンクルップとなった。
第一次世界大戦
第一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称:WWI)は、1914年(大正3年)7月28日から1918年(大正7年)11月11日にかけて、連合国と中央同盟国間で行われた世界規模の戦争である。 7000万人以上の軍人(うちヨーロッパ人は6000万人)が動員され、世界史上最大の戦争の一つとなった。第二次産業革命による技術革新と塹壕戦による戦線の膠着で死亡率が大幅に上昇し、ジェノサイドの犠牲者を含めた戦闘員900万人以上と非戦闘員700万人以上が死亡した。史上死亡者数の最も多い戦争の一つである。 戦争が長引いたことで、各地で革命が勃発し、4つの帝国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国)が崩壊した。終戦後(戦間期)も参戦国の間に対立関係が残り、その結果21年後の1939年に第二次世界大戦が勃発した。
駐退機
駐退機(ちゅうたいき)は、大砲を発射した際に生じる反動(recoil)を砲身のみを後座させることによって軽減するための装置である。通常、後座した砲身を元の位置に戻す復座機と一体化して駐退復座機として用いられる。
野砲
野砲(やほう、Field gun)は、大砲の一種。定義は時代により異なるが、口径100mmクラス以下の軽カノン砲(加農)。
M1897 75mm野砲
M1897 75mm野砲()は、フランスが1897年に採用した口径75mmの野砲である。 M1897は、しばしば“シュナイダー M1897”と呼ばれるが、フランスの国営兵器工廠が製造しておりシュナイダー社は開発に関与していないため、シュナイダー社が設計したM1912 75mm野砲やM1914 75mm野砲とは直接には関係ない。M1912やM1914はM1897用の砲弾と薬莢が使用可能であり、M1897よりも小型軽量であるが構造が複雑であった。
M1900 76mm野砲
M1900 76mm野砲 M1900 76mm野砲(ロシア語:76-мм пушка образца 1900 года)とは、1900年にロシア帝国が採用した野砲である。 M1900野砲はロシア帝国の火砲としては初めて口径76.2mmの砲弾を採用し、砲弾は改良されながらもZiS-3 76mm野砲のころまで使用され続けた。砲身に駐退復座機がないため、制式採用時点で旧式化してしまっていた。 本砲は、駐退複座機が実用化される以前の、過渡的な衝撃抑制機構を備えた火砲である。砲身と俯仰機構を組み込まれた架台が単脚のスライドレールに接合されており、単脚の中に衝撃を吸収するための発条が仕込まれている。この機構では発砲時の反動を完全に吸収することはできず、砲は発砲の度に動揺する。また揺架が無いため照準器は砲身についており、発砲の度に砲手は砲を離れ照準をやり直さなければならない事から、真の速射砲とは見なされない。この当時の火砲技術の進歩は早く、本砲に限らず他国でも駐退複座機を備えた新火砲に早期に交代している。
7.7cm FK 96 nA
7.7 cm FK 96 nA 7.7 cm FK 96 nA(7,7 cm Feldkanone 96 neuer Art、ズィーベン コンマ ズィーベン ツェンチミーター フェルトカノーネ ゼクス オン ノインツィヒ ノイアー アーチ)とは、第一次世界大戦でドイツ帝国が使用した野砲である。
参考情報
77mm砲
- 7.7cm FK 16
- 7.7cm FK 96
- 7.7cm FK 96 nA