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五月の太陽

索引 五月の太陽

五月の太陽(ごがつのたいよう、スペイン語: Sol de Mayo)とはアルゼンチン、及びウルグアイの国章の一つであり、両国の国旗にもあしらわれている。インカ帝国の太陽神インティを象徴している。太陽-五月の太陽-は1813年に承認された、アルゼンチンの最初の硬貨(8エスクードの価値があった)の模様を模している。太陽はそれぞれ16の直線と曲線からなる光線を発している。 1978年に内側の直径が10cm、外側の直径が25cm、太陽の色がや山吹色(amarillo oro)になるよう指定された(太陽の直径は白い帯の高さの5/6になる。太陽の顔の部分は高さの2/5となる)。交互に続く16本の曲線と16本の直線からなる、32本の光線によって特徴づけられ、1978年から「公式儀礼旗」としてそのように刺繍されなければならなくなった。 「五月」とは1810年5月18日から25日までの一週間の間に勃発した五月革命(リオ・デ・ラ・プラタ副王領を構成していた諸国がスペインからの独立を開始するきっかけとなった)を参照している。 Sol de Mayo-Bandera de Argentina.svg|1818年のアルゼンチンの国旗における五月の太陽 sol de mayo moneda.png|1813 年から1991年アルゼンチンの硬貨における五月の太陽 Sun_of_May_(Peru,_1822-1825).svg|1822年から1825年からペルーの国旗における五月の太陽 Sol de Mayo 1828 (Uruguay).svg|1828年から1830年までのウルグアイの国旗における五月の太陽 Sol de Mayo-Bandera de Uruguay.svg|1830年のウルグアイの国旗における五月の太陽.

12 関係: 太陽の島五月革命 (アルゼンチン)ペルーの国旗リオ・デ・ラ・プラタ副王領アルゼンチンアルゼンチンの国旗インティインカ帝国ウルグアイウルグアイの国旗スペインスペイン語

太陽の島

島のテラス 太陽の島(たいようのしま、Isla del Sol)とは、チチカカ湖のボリビア領内にある島。およそ21km2ある。この島はインカ帝国の発祥の地と信じられている。近隣には「月の島 (Isla de la luna)」もある。現在、島は観光地として有名で、チチカカ湖畔のコパカバーナ (Copacabana)から観光船がでており、ラパスからはこの観光船を利用するバスのツアーが出ている。島の内部には、ティワナク期(西暦400年ころから1200年頃)やインカ時代(15世紀から1532年頃)の遺跡が残っている。また、テラス(段々畑)が広がっている。 この島に人が住み始めたのは、おおよそ紀元前2000年頃とされている (Stanish et al. 2002)。Chucaripupataと呼ばれる島の遺跡は、ティワナク期以前に建設されたが、その後、ティワナク期において重要な遺跡となったことが近年の調査からわかってきた。その後、後期中間期と呼ばれるティワナク崩壊後からインカによる太陽の島への侵入までの時期 (A.D.1200年頃からA.D.1470年頃) には、現在の島にあるインカの遺跡が聖域として利用された。 スペイン人による征服時の記録によると、この島は、インカの宗教的な巡礼地として有名だったことが記されている。本来、現地住民などの巡礼地であった場所を、インカが利用して国家の宗教施設として取り込んだといわれている。 同じことはスペイン人たちも行なっており、コパカバーナは今ではキリスト教の巡礼地となっている。 太陽の島は、植民地時代にチャリャ (あるいはチャヤChalla) とユマーニ (Yumani) という2つのアシエンダに分けられており、チャリャ(領主はペルー人)が島の北部、ユマーニ(領主はボリビア人)が島の南部にあった。 太陽の島はチチカカ湖の中にあり、周りの湖水によって寒さが抑えられる(昼間に熱を吸収した湖水が、夜間は暖かい蒸気となって島を覆う)ため、暖かく農耕にも適している。ただし、テラスが広がっているのは水源地近くから下部にかけてであり、冬場になると水源地より上部はほとんど植物が育たなくなる。 ここでは、ジャガイモなどの塊茎類やキヌア、そしてトウモロコシまでも栽培ができる。トウモロコシの栽培は、ほとんどのアルティプラーノではその寒さのため不可能であるが、太陽の島やスリキ島など、チチカカ湖内部にある島では、栽培できるところがある。 また、牛や豚、クイなどの家畜も飼育されている。このほか、漁猟も重要な生業となっている。 しかし、生業としては、近年は観光が重要になってきている。世界銀行は、チャリャパンパ (あるいはチャヤパンパChallapampa) コミュニティーへ出資して共同センター (Communal Center) を建設している。.

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五月革命 (アルゼンチン)

五月革命(スペイン語:Revolución de Mayo)は、1810年5月18日から25日までブエノスアイレスで起こった一週間にわたる一連の出来事を指す。ブエノスアイレスは当時リオ・デ・ラ・プラタ副王領の首都であった。この結果、5月25日に、副王バルタサール・イダルゴ・デ・シスネロスが失脚し、現地の政府プリメラ・フンタが樹立した。これらの出来事はアルゼンチンで「五月の週」(スペイン語 Semana de Mayo)として祝賀されている。 五月革命は、その2年前からのナポレオンに対するスペイン独立戦争への直接の反応であった。1808年、ナポレオンが王座を与えた彼の兄のジョゼフ・ボナパルトを跡継ぎにして、スペイン王フェルナンド7世は退位した。スペイン最高中央評議会はジョゼフの政府とフランスのスペイン占領への抵抗を率いたが、最終的には国の北半分を失った一連の反撃に苦しんだ。1810年2月1日、フランス軍はセビリアを占領しアンダルシーア地方のほとんどを支配下におさめた。最高評議会はカディスに撤退した後に解体し、「スペイン・インディアス摂政委員会」に置き代えられた。これらの事件のニュースは、英国船がスペインや他の欧州から運んだ新聞により、5月18日にブエノスアイレスに届けられた。 シスネロス副王は現状の政治体制を維持するためにこのニュースを隠そうとしたが、5月22日にはクリオーリョの法律家と軍将校の一団が、副王領の将来を決定するために、カビルド・アビエルト(市の有力者による臨時参事会)を組織した。参事会はスペインの摂政委員会の承認を否決し、シスネロスを副王に任命した政府がもはや存在しないので、彼に代わる統治委員会(フンタ)を設立した。継続の感覚を維持するためにシスネロスは当初フンタの議長に任命されたが、このことがかなりの大衆の不安を招いたため、5月25日にシスネロスは圧力のもと辞任した。新たに創設されたプリメラ・フンタは、当初ブエノスアイレス出身の代議員のみで構成されたが、その後副王領の他の都市にも参加するよう招待した。これがブエノスアイレスでの事件の結果を受け入れる地域とそうではない地域の間の戦争の勃発を引き起こした。 この時正式な独立宣言が布告されることはなく、またプリメラ・フンタは退陣させられたフェルナンド7世の名のもとに統治し続けたとはいえ、五月革命はの出発点と見られる。最高中央評議会の解体のニュースが到達した時に、スペイン領南アメリカの多くの他の都市でも同様の事件が発生したことから、五月革命はの出発点の一つとしても見ることができる。正式な独立宣言は1816年7月9日ので最終的に布告された。.

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ペルーの国旗

ペルーの国旗は、ペルー政府によって1825年に承認された。赤は勇気と愛国心を、白は平和と名誉を象徴する。なお、6月7日(の日)が国旗の日となっている。 Flag of Peru (state).svg| 政府機関の使用及び軍艦旗 縦横比.

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リオ・デ・ラ・プラタ副王領

リオ・デ・ラ・プラタ副王領(リオ・デ・ラ・プラタふくおうりょう、Virreinato del Río de la Plata)は、スペインが中南米の植民地化の間に作った4つのうちの最後の副王領である Encyclopadia Britannica.

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アルゼンチン

アルゼンチン共和国(アルゼンチンきょうわこく、República Argentina)、通称アルゼンチンは、南アメリカ南部に位置する連邦共和制国家である。西と南にチリ、北にボリビア・パラグアイ、北東にブラジル・ウルグアイと国境を接し、東と南は大西洋に面する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が大きく、世界全体でも第8位の領土面積を擁する。首都はブエノスアイレス。 チリと共に南アメリカ最南端に位置し、国土の全域がコーノ・スールの域内に収まる。国土南端のフエゴ島には世界最南端の都市ウシュアイアが存在する。アルゼンチンはイギリスが実効支配するマルビナス諸島(英語ではフォークランド諸島)の領有権を主張している。また、チリ・イギリスと同様に南極の一部に対して領有権を主張しており、アルゼンチン領南極として知られる。 2005年と2010年に債務額を大幅にカットする形で債務交換を強行し、9割以上の債務を再編した。これはアメリカ合衆国との国際問題に発展した。.

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アルゼンチンの国旗

アルゼンチンの国旗は、横に青白青の三層で中央に太陽のシンボル。この色は1810年5月のリオ・デ・ラ・プラタ副王領政府に対するポルテーニョ(ブエノスアイレス市民)民兵隊の蜂起(五月革命)の際に使われた帽章の色に由来し、旗そのものはマヌエル・ベルグラーノ将軍がロサリオでのスペイン軍との戦いの後、両軍の旗が同じ色(スペインの血と金=赤と黄色の旗)であることに気付いて戦闘終了後に作成した。 この蜂起の日付(5月25日)を記念して、中央の太陽は「五月の太陽」と呼ばれ、古代インディオの、つまりインカ帝国の独立の象徴である太陽神インティを表し、当時のラ・プラタ地域で流通していた8エスクード硬貨の意匠があしらわれた。スペイン統治時代は、スペインの国旗が掲げられた。 徽章等に使用されるときは「五月の太陽」が省略されるときがある。.

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インティ

インティ(Inti)は、インカ帝国の伝説上の太陽神。太陽と虹の神ともいわれる。.

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インカ帝国

インカ帝国(インカていこく、スペイン語:Imperio Inca、ケチュア語:タワンティン・スウユ(Tawantinsuyo, Tahuantinsuyo))は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が築いた国。文字を持たない社会そして文明であった。 首都はクスコ。世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」から、さらに千メートル程高い3,400mの標高にクスコがある。1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった。 前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていたことが遺跡および遺留品から判明している。 インカ帝国は、アンデス文明の系統における最後の先住民国家である。メキシコ・グアテマラのアステカ文明、マヤ文明と対比する南米の原アメリカの文明として、インカ文明と呼ばれることもある。その場合は、巨大な石の建築と精密な石の加工などの技術、土器や織物などの遺物、生業、を含めたすぐれた統治システムなどの面を評価しての呼称である。なお、インカ帝国の版図に含まれる地域にはインカ帝国の成立以前にも文明は存在し、プレ・インカと呼ばれている。 インカ帝国は、被征服民族についてはインカ帝国を築いたケチュア族の方針により比較的自由に自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていた。.

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ウルグアイ

ウルグアイ東方共和国(ウルグアイとうほうきょうわこく、通称ウルグアイ)は、南アメリカ南東部に位置する共和制国家である。首都はモンテビデオ。北と東にブラジルと、西にアルゼンチンと国境を接しており、南は大西洋に面している。スリナムに続いて南アメリカ大陸で二番目に面積が小さい国であり、コーノ・スールの一部を占める。 面積や総人口は南米の国家としては小規模だが、チリに続いてラテンアメリカで二番目に生活水準が安定しているとされ、政治や労働は南米で最高度の自由を保っている。.

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ウルグアイの国旗

ウルグアイの国旗は、1830年7月11日に制定された。それまでの国旗は1828年12月16日に制定された17本の縞を持つものであったが、1830年に9本縞のものに変更された。青と白の9本の縞は当時のウルグアイの九つの県を、カントンの五月の太陽はアルゼンチンの国旗と同じく、当時のラ・プラタ地域の硬貨の意匠から取られており(の定めた東方州の旗の中に既に出てくるモチーフである)、古代インディオ、つまりインカ帝国の独立の象徴を意味すると言われている。 Presidential Standard of Uruguay (At Sea).svg|海上用大統領旗 Naval Jack of Uruguay.svg|軍艦用国籍旗.

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スペイン

ペイン王国(スペインおうこく、Reino de España)、通称スペインは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリリャ、アルボラン海のアルボラン島を領有している。首都はマドリード。.

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スペイン語

ペイン語(スペインご、)もしくはカスティーリャ語(カスティーリャご、)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語。略して西語とも書く。.

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