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発勁

索引 発勁

勁(はっけい)とは、中国武術における力の発し方の技術のこと。元々中国語には発勁という熟語はないが、発と勁で「激しく力を発する。」という意味ともとれる。楊式太極拳の第三代伝人の楊澄甫の弟子である鄭曼青によれば「左莱蓬老師曰く『力は骨より発し、勁は筋より発する』」と主張している。この論は形意拳大師の郭雲深の『三歩功夫』にも重なる論である。 専門的に中国武術を修したことが無い者は『勁』は気の力(超能力)と主張するが、武術(中国の武術以外にも気は存在する)における「気」とは、体の「伸筋の力」、「張る力」、「重心移動の力」などを指し、超常のものではない。勁を鍛えるため、様々な鍛錬(中国武術では練功という)を行う。また、「力む」と屈筋に力が入ってしまい、「張る力」を阻害するため逆効果であるともされる。 なお、「発剄」や「発頸」は誤字である。.

35 関係: 劈掛掌太極拳太気拳孫禄堂中国語中国武術中部大学丹田弾丸形意拳体当たり心意六合拳化勁ブルース・リーインチオーバースローキャッチボール八卦掌八極拳BABジャパン練気柔真法蟷螂拳詠春拳震脚郭雲深野球陳家太極拳松田隆智格闘技楊式太極拳楊澄甫殴打技水銀澤井健一

劈掛掌

劈掛掌(ひかしょう)とは河北省滄州を発祥地とする中国武術の1つであり、別名劈掛拳とも呼ばれる。門派名の由来は腕全体を上から切り下ろす動作『劈』と下から打ち上げる動作『掛』の名前と、ほとんどの技法を掌で行なうことに起因する。 有名な使い手に黄林彪や馬鳳図、その弟である馬英図などがいる。 なお、日本語中の漢字としての「劈」には「ひ」という読み方はなく、「へき」と読むべきであるが、中国語の読み方「pi」を受けた「ひ」という読み方が、日本においては長年使われており、本項はその慣例に従う。.

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太極拳

太極拳(たいきょくけん)は、中国武術の一派。東洋哲学の重要概念である太極思想を取り入れた拳法で、形意拳、八卦掌と並んで内家拳の代表的な武術として知られる。.

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太気拳

太気拳(たいきけん)、1947年に日本で創始された中国武術。正式名称は太氣至誠拳法(たいきしせいけんぽう)。.

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孫禄堂

孫 禄堂(そん ろくどう)は清末民初の武術家。形意拳、八卦掌の達人、孫式太極拳の創始者。諱は福全。字は禄堂。道号は涵斎。 郭雲深、尚雲祥と共に、後世の人々に形意拳の近世三大名手の一人と賞賛され、 内家三拳(形意拳・八卦掌・太極拳)の融合論を説いた内家拳を代表する達人の一人である。 幼い頃より武術を好み初学は李魁元(李奎垣)より形意拳を学ぶ。 その後、李魁元が一身上の理由から閉門すると、李の師である郭雲深より形意拳を学び、郭の友人であった程廷華からも八卦掌を学び大成する。 楊健侯の太極拳に感動し、武式太極拳の達人郝為真の太極拳を学んだ。 形意拳、八卦掌、太極拳の精髄を融合し、日々練習を重ね、独自の孫式太極拳を創造した。 これにより孫は形意・八卦・太極の三門の求めるところ同じであるとの認識を得て、 内家三拳の合一論を提唱するようになる。 1928年には、内家拳で最高の達人であるとの評価を得て、 中国武術の全国的統一組織であった南京中央国術館に、武当門(内家拳)門長として招聘されるが、間もなくそれを辞して江蘇省国術館に退き、副館長兼教務主任に就任した。 著書には「形意拳学」、「八卦掌学」、「太極拳学」、「拳意述真」などがある。 その弟子には孫剣雲(長女)、孫存周(二男)、胡鳳山などが著名である。.

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寸(すん)は、尺貫法における長さの単位であり、日本では約 30.303 mmである。尺の10分の1と定義される。寸の10分の1が分(ぶ)である。平安時代には「す」と書かれることもある。古代の文献では訓で「き」と呼ぶこともある。.

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中国語

記載なし。

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中国武術

朝に上海の広場で健康体操の簡化太極拳をしている人々 中国武術(ちゅうごくぶじゅつ)とは、中国大陸に起源を持つ武術の総称。「中国武術」は中華人民共和国(中国大陸)では単に武術(ウーシュー、wǔshù)、中華民国(台湾)では國術(グォーシュー、guóshù、日本国でこれから転じて国術)、広東省など両広地方では功夫 とも呼ばれる。また、中国で単に「武術」というと世界中の武術、武道、格闘技全般を指すこともある。.

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中部大学

記載なし。

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丹田

丹田(たんでん)は、内丹術で気を集めて煉ることにより霊薬の内丹を作り出すための体内の部位。下丹田は東洋医学における関元穴に相当し、へその下3寸(へそと恥骨稜の間を5寸とする骨度法による)に位置する。英語圏では、日本の禅僧によって坐禅瞑想が紹介された経緯から、下丹田を hara と呼ぶこともある。.

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弾丸

弾丸(だんがん)は、銃や砲に使用され、それらから発射・推進して主に目標に物理的損傷を与えるもの。材質や形状は用途により多岐にわたるが、基本的に鉛合金の弾芯に銅合金の被甲をかぶせた構造である。発射薬や銃用雷管と共に薬莢に収められたものは実包、弾薬という。なお、弾丸を実際に発射することを発砲(はっぽう)という。.

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形意拳

形意拳(けいいけん、Xingyiquan)は、中国武術の一派。.

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体当たり

体当たり(たいあたり)は、自分の体をぶつける事により相手を突き飛ばす行為、技術である。突進(とっしん)、ぶちかまし、タックル(Tackle)、チャージ(Charge)、プッシュ(Push)とも呼ばれる。 相手に対する攻撃や護身として使用される他にプロレス、相撲をはじめとする格闘技、その他にスポーツの技術としても使用される。また、動物の習性においても見られる。 一般社会における使用は相手、自分ともに怪我、死亡の危険性があり、暴力行為とされて犯罪行為となる。.

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心意六合拳

心意六合拳(しんいりくごうけん・しんいろくごうけん・心意陸合拳・心意拳XinYiquan)は、内家拳に分類される中国武術の一派であり、主に中国河南省に在住するイスラム教を信仰する(回族)の人々の間で発展した武術である。(六合拳と呼ばれる武術は複数あり、注意を要する。) その技法内容は、十大形(龍形拳、虎形拳、猴形拳、馬形拳、鶏形拳、鷂形拳、燕形拳、蛇形拳、鷹形拳、熊形拳)と称される十種類の動物の象形と意を表した単式拳と、四把捶などの数種の套路(伝承されている套路は四把捶のみという派も多い。)、槍術、大型のヌンチャクである長梢子棍・二節棍などの武器術などから構成されている。同じ回族系拳法の八極拳と同様に強大な発勁で知られる拳である。心意六合の「六合」とは、「心と意・意と気・気と力」からなる内三合と「手と足・肘と膝・肩と股」からなる外三合を合わせたものである。 心意拳を大別すると、河南省伝来の回族に起源のある派を心意六合拳と呼び、山西省の漢族に起源のある派を六合心意拳と呼ぶ。両者は伝承する民族の特徴・思想的・宗教的差異を武術に反映し、お互いが独自に発達した為、現代では技法体系に相違する部分も多数あるが、共にそのルーツは山西省出身の武術家の姫際可が創始した心意拳に由来するとされる。姫は心意拳の創始後、次なる優れた伝承者を探して失伝することも厭わず国内広くを探し求めたが、姫の技を継承出来た者は河南省洛陽在住の高級官僚であった曹継武ただ一人であった。心意拳はこの曹から回族の馬学礼と、漢族の戴龍邦のふたりに伝えられ、それぞれが現在に伝わる心意六合拳と六合心意拳へと独自に発展した。.

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化勁

化勁(かけい)とは、中国武術において相手の攻撃力を吸化、あるいはベクトルをコントロールする身法のことをいう。 太極拳などでは、敵の勁を、こちらの掤勁により吸化すること、あるいは掤勁を保ったまま接触面に纏絲を纏うことでその勁の方向性を逸らし、攻撃の軌道を変化させてやることで敵の技を無効にし反撃に繋げるテクニック全般を指し、現在では化勁というとこちらの方の意味が一般的であるが、形意拳では独自の解釈があり(三段功夫)、形意拳修行者が第一段階で学ぶ明勁(剛的な発勁)、第二段階で学ぶ暗勁(柔的な発勁。ちなみに八極拳では寸勁・分勁など、接近距離での比較的発勁の動作が表に現れ難い打突のことを暗勁と称している。)の先の段階にある剛柔が相済された、より進化した勁の運用のことを称しており、かつてはこちらの意味で用いる方が一般的であった。形意拳にはこの化勁よりも先の段階にあるものとして「無勁」という概念もある。.

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ブルース・リー

ブルース・リー(李小龍、出生名: 李振藩、Bruce Lee、 1940年11月27日 - 1973年7月20日)は、香港の中国武術家、武道家、俳優、脚本家、映画プロデューサーである。截拳道(ジークンドー)を創始したマーシャルアーティストとしても知られる。墓碑銘は『FOUNDER OF JEET KUNE DO』。リンダ・エメリーとの間に一男一女。息子はブランドン・リー、娘はシャノン・リー。.

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インチ

インチ(inch、記号:in)は、ヤード・ポンド法の長さの単位である。国際インチにおける1インチは正確に25.4ミリメートルと定められている。1インチは1国際フィート(.

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オーバースロー

ーバースロー(over-throw)とは、野球の投手の投法の一つである。 明確な定義はないが、一般にボールが投手の手を離れた(リリース)時に、ボールを持つ手が水平面を上回る角度である場合、その投げ方をオーバースローと呼ぶ。日本語では(余り使われないが)上手投げと呼ぶ。オーバースローの中でも、やや腕が下がり気味のフォームを区別してスリークォーターと呼ぶ場合がある。現在のプロ野球では肩への負担が少ないことなどを理由に、純粋なオーバースローでなく、ややスリークォーター気味に投げる投球フォームが主流である。 オーバースローはほとんどの投手があてはまるため、オーバースローの代表的な投手を挙げることは難しい。 この投法では直球の速度が出やすい。また、腕の角度が上向きであるので、フォークボールやカーブのうち縦の回転が強いドロップと呼ばれた縦に変化する球種などが投げやすい。しかしシンカーなどは回転を与え難く投げるのが難しい。 なお、「オーバースロー」を「上手投げ」の意味で用いるのは和製用法であり、英語ではoverarm pitch という。英語におけるover-throwは暴投を意味する用語である。.

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キャッチボール

ャッチボールとは、2人、もしくはそれ以上が相互に投球・捕球を繰り返す行為である。野球では練習、家庭では親子のコミュニケーションの手段として行われることも多い。キャッチボール(catchball)をするは“play catch”である。.

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八卦掌

八卦掌(はっけしょう、Bāguázhǎng)とは、中国武術の一派。 太極拳、形意拳と並んで内家拳の代表格とされる中国武術である。その名の通り八卦に基づいた技術理論、一般的な流派と違い拳より掌を多用する点、一見して舞踊のように見える動作が特徴であり、達人でもそれを自認している者は多い。名称からわかるように、動作の根本原理を易経の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。 基本歩型『擺歩』『邁歩』『扣歩』を始めとする様々な歩法の習得が重要視されており、里進外扣、平起平落、趟泥歩で円周上を歩く『走圏』を基本とする。套路の内容は門派によって異なるが、8種類の基本的な套路に始まって様々な套路・対練(約束組手)を学び、修業者はそれらを組み合わせるなどして習得してゆく。各種槍、刀、剣、棍、鉞など様々な武器術も存在する。 清朝後期(19世紀の前半)、紫禁城の宦官であった董海川によって創始されたとされており、八卦掌という名称は後世になってから定着したものと考えられている。尹福の創始した尹派八卦掌、程廷華の創始した程派八卦掌、梁振圃の創始した梁派八卦掌を初めとして、多くの門派が存在する。.

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八極拳

八極拳(はっきょくけん、)とは、清代の中国河北省滄州の孟村に発祥したと伝えられる中国武術である。また、半歩拳法という別名も持つ。 その理念は、「八極(『淮南子』にある八紘より外のこと)すなわち八方の極遠にまで達する威力で敵の門(防御)を打ち開く(破る)」というものである。 中国拳法の中でも屈指の破壊力を誇る。.

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BABジャパン

BABジャパン(ビーエービージャパン)は、日本の出版社である。 専門雑誌6誌と、それに関連する書籍やDVD、ビデオを制作販売している。所在地は東京都渋谷区笹塚1の30の11。.

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練気柔真法

練気柔真法(れんきじゅうしんほう)とは島田明徳によって創始された修練法。 自然の法則と調和した心身をつくることを目的とする。武道の根幹をなす極意を中枢として構築された達人養成システムであると称している。 陳式太極拳と合気道をベースとしている。.

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蟷螂拳

蟷螂拳(とうろうけん)とは中国武術の門派の一つである。 蟷螂拳、螳螂拳の二つの表記が有るが、どちらも誤りではない。しかし中国語圏での表記のほとんどは螳螂拳である(中国の簡体字には「蟷」の字が無いため)。英語では「Mantis Boxing」と呼ばれることがある。 蟷螂拳には、大別すると中国の山東省に起源のある北派少林拳系(道教系)の北派蟷螂拳と、広東省・福建省など中国南方地域を中心に伝承されている、南派少林拳系の周家蟷螂拳や朱家蟷螂拳などの南派蟷螂拳が存在し、ここでは両者の混同を避けるために日本人にもよく知られており、世界全域に広く普及している北派蟷螂拳を解説する。.

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詠春拳

詠春拳(えいしゅんけん、咏春拳、英:Wing Chun)は、広東省を中心に伝承されていた徒手武術を主とする中国武術。少林武術を祖とし、一般的には短橋(腕を短く使い)狭馬(歩幅が狭い)の拳法とされており、200年から300年の歴史があると考えられている。拳術を中心技術として刀術と棍術とを含むが、伝承された型によると、むしろ刀術を基礎として、それを徒手拳術に応用した部分も多く見受けられる。練習に人を象った木の人形(、もくじんとう、もくじんしょう)を使用する。 手技に特徴があり、香港映画や、最近ではハリウッド映画などにもそのアクションの中で詠春拳の手技が見られることが多い。根本的に飛んだり跳ねたりということを一切しない、実用を重視した拳法体系である。 現在ほとんどの詠春拳の伝承には、小念頭、尋橋、標指、と呼ばれる(またはそれに相当する)3つの套路(空手でいう形)と、木人樁法、八斬刀や奪命雙刀と呼ばれる刀術、そして六點半棍、行者棒などと呼ばれる棍術が含まれるが、伝承によってはそれ以外の拳套や武器術も伝わっており、全てが短橋狭馬の技術というわけでもない。 古来より永春拳とも咏春拳とも呼ばれ、またこれまでに多くの分派が生じており、近年「咏春白鶴拳」や「紅船咏春拳」、「詠春拳」はそれぞれ別門派として扱われるようになっている。異なる点として、古いものほど洪家拳に近い趣があること、古い「咏春拳」には詠春三大手と呼ばれる基本手型が存在しないことなどがあり、他の南派少林拳発生との関連もあいまって、定義することは難しい。ただし「永春拳」と称していたものから「言」偏のついた「詠春拳」と称するようになったのは、詠春拳王と呼ばれた広東省佛山の武術家及び湯液家、梁贊より以降に限られており、この系統での套路(形)を、小念頭、尋橋、標指の三つに梁贊がまとめたからだと考えられる。これについては後から他門派の技法や形を取り入れている混合的な流儀も存在する。 ブルース・リーによって葉問派詠春拳が世界的に有名になってからは、世界各地に伝えられ最も多く練習される中国武術の一つになったが、ブルース・リー以前にも華僑によって東南アジア方面にも伝承されており、それぞれに独自のスタイルを形成している。.

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震脚

震脚(しんきゃく)とは、中国武術の用語で、足で地面を強く踏み付ける動作のこと。日本の武道では「踏鳴(ふみなり)」と呼び、剣道や銃剣道のような得物をもちいる武道で多用される。映画『少林寺』にもみられるように中国河南省嵩山にある嵩山少林寺には少林拳の鍛錬により套路(連続して行う型の事)の歩幅のままへこんだ床が残されている。 発勁法によっては、震脚を用いない事があるが、多くの門派で使用される。また、ほとんどの門派において、地面を踏み付ける動きから、踏み締めるような動作に変化し、大きな音を発しなくなる。 しんきやく.

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郭雲深

郭 雲深(かく うんしん・Guo Yunshen、推定1820年 - 1901年ごろ)は、中国の武術家。形意拳の達人。諱は峪生、字を雲深。 河北省深県馬荘の人。一説によれば、貧しい鋳物鍛冶の子として生まれたといい、若年から好んで拳術を学んだが、数年学んだものの、何ら得るところが無かったという。後に李能然に遭遇し、語り合ったところ、形意拳は形式が極めて簡素ながら、その道の奥深いことを知り、郭雲深は形意拳に憧れを抱くようになったという。こうして李能然は郭雲深に真誠の心があると見て、その門下に収め、自ら親しく教授することとなる。 郭雲深は李能然の教えを受けても自ら悟ることがあり、いよいよ練功に励みて、数十年の間、朝夕欠かさず修練を続けたという。 李能然が郭雲深に教えた手法とは、たとえば2人で対練した時など、一瞬の間に二丈の外に投げ飛ばされてしまう、だが、そこには苦痛は無く、あたかも手を軽々と一振りするだけかのようであるのに、身体が浮かされてしまうのである。その後郭雲深は何を学んでもその極意に達しないものは無かったといわれ、南北各地の同道の士と交流すること広く、体験することも多かったという。郭雲深の練った道理とは、つまるところ腹は実を極め、心は虚を極めることにあったと知られ、また兵書を好んで熟読し、奇門遁甲にすぐれていた。 郭雲深の生涯は波瀾と数多くの伝説に彩られ、敵に半歩進んで五行拳の崩拳の一打を発すると敵は皆倒れた為、人々は「半歩崩拳、あまねく天下を打つ」と賞賛を惜しまなかったという。 また彼の最も有名な俗説に、試合で相手を誤って打ち殺した故に、殺人の罪により監獄に収監され、そこで手枷足枷を付けられたまま虎形拳を練り、虎撲子の一手を編み出したという逸話があるが、これは門内の人間からは全くの誤りであると指摘されている。郭雲深は確かに人を殺め、3年間を獄で過ごしてはいるが、これは義憤に駆られた郭雲深が、ある土地で民衆を苦しめる匪賊の首領の館に害意をもって招かれ、彼にピストルで襲われた際に、愛用の月牙剣(鹿角刀)をもってこれを殺傷して、人々の賞賛を浴びたからであり、また獄での郭雲深は、彼に同情的な官警の者たちの配慮と、彼の義挙に感銘を受けた人々からの多額な献金により、獄での3年間を何不自由なく過ごしたという。 郭雲深は超絶の技法を誇る奇才であったが、時運には恵れず彼の多くの子弟たちとは異なり、世俗での立身出世は叶わず、北方数省で多数の門弟を教授したのみだったという。後に故郷に隠棲し81歳でその生涯を終えた。 その弟子には、李魁元、錢硯堂、閉門弟子で意拳を創始した王郷斎、孫式太極拳を創始した孫禄堂、「半歩崩拳」の呼び名を継承した尚雲祥などがいる。;※正確には孫禄堂は郭の得意門徒(最も優れた弟子)であった李魁元の入室門徒(内弟子)であり、尚雲祥は郭の教授を受けたが、李存義の得意門徒である。同様に劉奇蘭の弟子である李存義も郭の教授を受けている。.

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野球

本塁に突入する走者と阻もうとする捕手 野球(やきゅう)は、フィールドと呼ばれる屋外球技場(もしくはそれを模した屋内球技場)で行われる集団球技のスポーツである。 「野球」と言う言葉は、明治期に日本で中馬庚が作った和製漢語である。英語のベースボール (baseball) を指す。.

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陳家太極拳

右 右 陳家太極拳(ちんかたいきょくけん、陳氏太極拳・陳式太極拳)は、中国河南省温県陳家溝在住の陳氏一族を中心に伝承されている中国武術。 陳家太極拳は現在分派した全ての太極拳の源流であり、その動作は剛柔相済、快慢兼備を理想とし、太極拳に特徴的な柔軟さや緩やかな動作だけではなく、跳躍動作や震脚(全身を沈め、大地を強く足で踏む動作)など激しく剛猛な動作をも含んでいる。発勁(中国武術でいう全身を協調一致させて威力を発する技術)は太極拳の得意とする暗勁(大きな動作を伴わない発勁法)ばかりではなく、明勁(大きな動作を伴う発勁法)をも得意とし、纏絲勁(纏絲精・らせん状の捻りを伴った勁)によって全身の勁力を統一的に運用することが他派の太極拳に比べ特異である。 一般的な太極拳のイメージからすると豪快な印象を持たれやすいが、慢練(型をゆっくりと練習すること)や、高齢の達人の拳風は剛柔が相済され、和(か)式太極拳や楊式太極拳を連想させるかのように柔らかく緩やかである。 楊式太極拳の祖、楊露禅は陳長興(陳氏十四世)に陳家太極拳を学び、陳発科、杜毓沢は陳延煕(陳氏十六世)に学んだとされる。 異説はあるが20世紀に入り、陳発科が北京で大架式系統を教授してから、一般に普及しはじめたといわれる。.

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松田隆智

松田 隆智(まつだりゅうち、1938年6月6日 - 2013年7月24日)は、愛知県岡崎市出身の中国武術研究家。本名は松田 鉦(まつだ まさし)。「隆智」は真言宗東寺派僧侶としての法名。.

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格闘技

格闘技(かくとうぎ、挌闘技とも)は、主に自分の体での攻撃、防御を行う技術、もしくはスポーツ、あるいはそれを基にした興行のことである。また単に格闘(かくとう)、格技(かくぎ) 、体技(たいぎ)、マーシャルアーツ(martial arts)とも呼ばれる。 狭義では、素手で組み合ったり、手足で打ち合ったりする形式の競技(:en:Hand to hand combat)のことである。ルールが明文化され近代スポーツとしての体裁を整えた主として武術由来の試合競技を指す。武術というと武器を使用する技術の体系が含まれるが徒手のそれもあり、ほぼ格闘技と重なる。.

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楊式太極拳

右 楊式太極拳(ようしきたいきょくけん)とは、中国武術の一門派(流派)であり、伝統太極拳の中でも代表的一派である。 その起源は河南省陳家溝在住の武術家陳長興について陳家太極拳を学んだ楊露禅が、大成の後に独自の創意工夫を施して創始されたものといわれる。 その後、楊露禅の孫である、楊澄甫が陳氏の拳法の剛の一面を取り除いて柔の特徴を主とした「楊氏太極拳」を確立したとされている。この楊澄甫が改編した「楊氏太極拳」が現代において「楊式太極拳」と呼ばれているものである。 露禅は実戦名手として「楊無敵」と讃えられ、その評判故に請われて清朝の王族、貴族の多くの者に教授した。その拳は非常に柔らかな動きで、「綿拳」あるいは「化拳」とも称されたと伝えられる。その後も露禅の子、孫と3代にわたって楊式は改変され、現在最も普及しているスタイルは露禅の孫、楊澄甫が伝えた大架式の套路(型)である。楊式太極拳の理論書としては、楊班侯伝の『太極拳九訣』や楊澄甫伝の『太極拳老譜三十二解』がある。 楊一族のみ、なぜあれほどの無敵の強さを誇ったかについては、元来楊一族のみ伝えられていた拳(緩急自在・剛強な拳風 )を家伝の秘拳とし秘密裏に練習・伝承し他には伝えなかった為、文人向けに伝えた軟弱な套路を他に伝える派のみが増えていったとする説がある。 楊式太極拳にも比較的素早く細密な動作を含む、楊家小架式及び楊家二路砲捶など特殊な套路が存在するが、最も普及した澄甫の大架式の動作はのびのびとして緩やかで、発勁は暗勁で老若男女を問わず練習がし易く、最も広く行われている。 健康法として有名な簡化二十四式太極拳などの制定太極拳はこの楊式を一番の土台として、各派の太極拳の要領をも加味して構成されている。 主要な楊式太極拳の套路には、創始者楊露禅により武当太極拳を編成した一〇八式、それを孫である楊澄甫が改編した八十五式があり、八十五式は 制定拳の二十四式及び八十八式の元になっている。八十五式は古式楊式太極拳として武当派などに伝承されている。.

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楊澄甫

楊 澄甫(よう ちょうほ、Yang Cheng fu、1883年 - 1937年)は、楊氏三世。中国武術である太極拳の楊式太極拳中興の祖。 北京出身。祖籍は河北省永年県。本名は楊兆清。字は澄甫。子に楊振銘(守中)、楊振基、楊振鐸、楊振国がいる。親戚の趙斌、傅鐘文にも武術を教えた。 父楊健侯に幼い頃より武術を教わり、日々練習を重ね、後年には祖父の「小架子」、父が改良した「中架子」に、さらに健康への要求を考慮した「大架子(楊露禅の108式に対し、一般に85式と呼ばれる)」を完成した。また、太極拳の功夫のポイントとして「十三要點」を残す。 父健侯と共に北京で指導し、健侯の死後は、武漢、南京で武術を教えた。1912年頃に許禹生から要請され、北平体育研究社で指導した。1928年には張之江から強く要請され、南京中央国術館の武当門門長に就任した。その後も、杭州、上海、広州などで指導した。各地へ出向いて楊式太極拳の発展に尽力し、現在の世界規模での普及の基礎を作った。 現在の制定拳の簡化24式、48式、88式太極拳は、楊澄甫の楊式太極拳を基礎に陳式、呉式、孫式などの太極拳の特長を付加して整理創作された。 著書に「太極拳体用全書」(1934年)がある。 Category:中国武術家 Category:太極拳 Category:北京出身の人物 う ちようほ Category:1883年生 Category:1937年没.

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殴打技

殴打技(おうだわざ)とは、武術・格闘技において、様々な方向へ腕を繰り出すことにより、手や拳など腕の一部による打撃により攻撃・防御を行う技術であり、腕を使った打撃技の総称である。殴り技(なぐりわざ)、打突技(だとつわざ)、手技(てわざ)などとも呼ばれる。.

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水銀

水銀(すいぎん、mercury、hydrargyrum)は原子番号80の元素。元素記号は Hg。汞(みずがね)とも書く。第12族元素に属す。常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素で、銀のような白い光沢を放つことからこの名がついている。 硫化物である辰砂 (HgS) 及び単体である自然水銀 (Hg) として主に産出する。.

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澤井健一

澤井 健一(さわい けんいち、1903年12月 - 1988年7月16日)は、日本人武道家、中国武術家。太氣至誠拳法の創始者.

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