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1943年の日本公開映画

索引 1943年の日本公開映画

『1943年の日本公開映画』 (1943ねんのにほんこうかいえいが) は、1943年 (昭和18年) 1月1日から1943年12月31日までに日本で公開された映画の一覧である。一般劇場公開のみで、映画祭などイベント上映を除く。.

24 関係: 劇場くもとちゅうりっぷ姿三四郎 (映画)世界に告ぐ年度別日本公開映画ハナ子さんサヨンの鐘無法松の一生熱風 (1943年の映画)阿片戦争 (1943年の映画)桃太郎の海鷲歌行燈決戦の大空へ成吉思汗 (1943年の映画)映写映画映画史映画祭昭和海軍 (映画)日本12月31日1943年1月1日

劇場

プロセニアム・シアター(宝塚大劇場) 劇場(げきじょう)とは、演劇や歌舞伎、舞踊、オペラ、バレエ、コンサートなどを観客に見せるための施設。 オペラを上演するための劇場は歌劇場、日本の能楽では能舞台と称することが多い。また主に中小の劇団が公演を行う小規模な劇場を特に芝居小屋(しばいごや)と呼ぶことがあり、大きな劇場であっても演劇関係者は業界用語としてこれを「小屋」と呼ぶことがある。近年では、演劇が倉庫で上演されたり、小さなコンサートや大道芸が路上で行われたりすることもあるが、これらの場所は演出空間ではあっても劇場とは呼ばない。 演劇は日本では芝居と呼ばれ、古くから庶民の娯楽であり、各地に数多くの小規模な劇場が建設された。これらの劇場は各地域の芸能ばかりではなく、「ドサ回り」と呼ばれる地方を巡回して劇を行う旅芸人が、劇を行う場でもあった。後にこれらの劇場の多くは映画を上映する設備を備えるようになり、地方巡業の演芸者が減少するにつれて映画館へと役割を変えていった。このため、演劇を上演しない映画館であっても「劇場」と名付けられているものが多く残っている。。 現代においても、映画館を指して「劇場」と表現する場合は多い。テレビドラマやテレビアニメ等の映画化作品を「劇場版」と銘打つ、映画を放送するテレビ番組のタイトルに「…洋画(/邦画/映画)劇場」などと名付ける、といった例も挙げられる。.

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くもとちゅうりっぷ

『くもとちゅうりっぷ』は、1943年4月15日に松竹動画研究所によって製作・公開された日本の白黒アニメーション映画である。原作は横山美智子の童話集『よい子強い子』(1939年、文昭社)の中の一編。.

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姿三四郎 (映画)

『姿三四郎』(すがたさんしろう)は、富田常雄の小説『姿三四郎』を原作とする映画である。これまでに5度映画化されている。.

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世界に告ぐ

『世界に告ぐ』(せかいにつぐ、)は、1941年にドイツで製作された伝記映画。監督はハンス・シュタインホフ。第二次ボーア戦争を題材にした作品であり、イギリスがボーア人に対し残虐行為をしたとして宣伝する一種の国策映画として制作された。劇中では南アフリカの政治家、ポール・クリューガーの生涯とトランスヴァール共和国の崩壊を描いている。.

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年度別日本公開映画

年度別日本公開映画(ねんどべつにほんこうかいえいが)は、日本で商業公開された映画をおもな対象とする各年度別の一覧、本項はその一覧である。.

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ハナ子さん

『ハナ子さん』(-こ-)は、東宝が1943年(昭和18年)に製作した日本の長篇劇映画、ミュージカル映画である。.

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サヨンの鐘

ヨンの鐘(サヨンのかね)は1938年に起きた事故に関連して台湾台北州蘇澳郡蕃地(現・宜蘭県南澳郷)に設置された鐘、およびその事故のことを歌った渡辺はま子の歌(西條八十作詞、古賀政男作曲)、また、その事故を題材として1943年に封切られた李香蘭主演の松竹映画。.

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無法松の一生

『無法松の一生』(むほうまつのいっしょう)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。 1938年(昭和13年)に『富島松五郎伝』の題名で脱稿し、『改造』の懸賞小説に応募して佳作入選した。翌1939年(昭和14年)に『九州文学』10月号に掲載、中央文壇の目にとまり、1940年(昭和15年)に『オール讀物』6月号に掲載され、第10、11回直木賞候補作となった(本賞受賞できず)。 1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。 1959年(昭和34年)、北九州市小倉区古船場町に「無法松の碑」が建てられた。.

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熱風 (1943年の映画)

『熱風』(ねっぷう)は、1943年10月7日に公開された東宝映画制作の日本映画。戦時下において、福岡県北九州市にある八幡製鉄所を舞台に増産を阻む魔の溶鉱炉に挑む人々を描く。.

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阿片戦争 (1943年の映画)

『阿片戦争』(あへんせんそう)は、1943年(昭和18年)1月14日に公開された東宝映画製作の日本映画である。.

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桃太郎の海鷲

『桃太郎の海鷲』(ももたろうのうみわし)は、日本政府より国策アニメ映画製作の命を受け、1942年に藝術映画社で製作され、戦時下の1943年3月25日に公開されたアニメ映画。日本初の長編映画といわれることがある。 海軍省が製作協力とテロップ表記があるが実際は「軍事機密」を理由に、この作品ではほぼ協力は得られていない。 日本海軍がハワイを奇襲した真珠湾攻撃をモデルにしており、桃太郎を隊長とする機動部隊が鬼ヶ島へ「鬼退治(空襲)」を敢行し、多大な戦果を挙げるという内容である。 撮影では当時、国内では先駆けて藝術映画社が導入した四段マルチプレーン撮影台が駆使され持永只仁『アニメーション日中交流記 持永只仁自伝』東方書店、2006年、雲の中を軍用機が飛ぶシーンなど立体的な構図を可能にした。 当時の子供たちである少国民を対象に戦意高揚目的に制作された映画ではあるものの、随所に平和への願いが暗示されている箇所がある。また、この時の興行収入は64万円であった。(当時の米一升が公定価0.5円) 姉妹編に『桃太郎 海の神兵』(1945年)がある。 制作前、瀬尾は海軍将校から制作の参考のためとして(日本軍が占領地で接収した)ディズニー映画を鑑賞する機会を持ったが、生き生きとしたキャラクターの動きやカラー製作、当時の日本とは比べようもない制作技術の高さに衝撃を受け「これは勝てない」と考えたという手塚治虫『観たり撮ったり映したり』キネマ旬報社、1987年『その時歴史が動いた』第十三回。 スタッフであった持永只仁は、『桃太郎の海鷲』完成後に、瀬尾より海軍省の試写室で『ファンタジア』などを見た旨の話を聞いたと記している。.

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歌行燈

『歌行燈』(うたあんどん)は、泉鏡花が1910年に発表した小説。.

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決戦の大空へ

『決戦の大空へ』(けっせんのおおぞらへ)は、1943年(昭和18年)に公開された日本の戦争映画。.

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成吉思汗 (1943年の映画)

『成吉思汗』(じんぎすかん)は、1943年(昭和18年)1月3日公開の日本映画である。大映製作、映画配給社(白系)配給。監督は牛原虚彦。モノクロ、スタンダード、67分(現存)。 蒙古聯合自治政府の後援の元、自治政府および内蒙軍の全面協力の下で総勢86名での現地ロケを敢行した大作。紀元1838年(西暦1178年)のモンゴル高原を舞台に、チンギス・カンことテムジンが、群雄割拠するモンゴルで幾多の困難を乗り越え、モンゴルを統一してモンゴル帝国を築く姿を描く。冒頭の年表記をはじめ、プロパガンダ色の強い作品である。現存するフィルムでは、タイトルロール後に「第一部 蒙古の嵐」とある。失われたフィルムに「第二部」などの表記があったのかは不明。.

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映写

映写(えいしゃ、projection)とは、写真や映画をスクリーンに映すことである。特に、映画を映画館などで公に写すことを上映(じょうえい)という。ここでは、映写を行うのに必要な映写装置と、それを扱う映写技師についても述べる。 映写機はフィルムに現像された静止画に光を当て、その透過光をレンズを用いてスクリーンに映像として映し出す。映画の場合には、残像効果を利用して、動きおよびコンティニュイティ(連続性)の錯覚を引き起こす速さで断続的に映し出し、動画としてみせる。サイレント映画時代の映像は毎秒16フレーム(16コマ)で行われていたが、のちに、サウンドが加えられ、現在は動きが滑らかで音質も優れた毎秒24フレーム(24コマ)で行われている。.

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映画

映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれている。.

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映画史

映画史(えいがし)は、映画がどのような経緯をもって誕生し、世界で発展してきたかという歴史である。映画史を研究する学問もあり、映画史の研究者を映画史家(えいがしか)と呼ぶ。.

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映画祭

映画祭(えいがさい)とは、特定の場所で期間限定で開催される映画関連のイベント。通常、年に一度など定期的な開催サイクルを持ち、名称は(ベルリン国際映画祭などのように)開催地の地名を冠したものである事が多い。映画の上演が主となるが、加えてエントリー作品の審査及び賞の授与や、映画に関するイベント(講演会、研修会、見学会、レセプション、等)を含むこともある。 最も有名なのは国際映画祭であるが、ファンタスティック映画祭、ドキュメンタリー映画祭、女性映画祭などテーマ別の映画祭も多数ある。複合的に国際アニメーション映画祭といった名称・分類もあり、東京国際映画祭の協賛企画として東京国際女性映画祭が開かれる場合などもある。作品上映の前後に、監督や出演者などの舞台挨拶、ティーチイン(観覧者との質疑応答)などが行われる事も多い。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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海軍 (映画)

『海軍』(かいぐん)は、日本映画。1943年(昭和18年)に松竹、1963年(昭和38年)に東映で、それぞれ製作された。ここでは双方について記述する。原作は岩田豊雄(獅子文六)の小説『海軍』。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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12月31日

12月31日(じゅうにがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦において年始・1月1日から365日目(閏年においては366日目)にあたり、12月の末日、1年の最終日(大晦日)である。この日の23時59分を過ぎると翌日0時0分から翌年1月1日となる。.

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1943年

記載なし。

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1月1日

1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.

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