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17cm mMW

索引 17cm mMW

a/A model in transport mode, with wheels attached n/A model with long barrel, at the オーストリア戦争博物館, Canberra 17cm mMW (17 cm mittlerer Minenwerfer)とは第一次世界大戦でドイツ帝国が使用した重迫撃砲(臼砲)である。 1905年の日露戦争での旅順攻囲戦で防御力の高い陣地を破壊するためにこのクラスの火砲が有効であることが判明した。 この火砲は工兵部隊によって運用されるために開発された。標準的な前装式の液圧式駐退機を持つ臼砲として開発された。 50Kgの榴弾を発射する。低い初速とシェルの薄い砲弾は不足するTNTの代わりに黒色火薬の使用も考慮にいれていた。.

12 関係: ミーネンヴェルファーラインメタルトリニトロトルエンオクラホマ (曖昧さ回避)第一次世界大戦駐退機黒色火薬迫撃砲臼砲榴弾日露戦争旅順攻囲戦

ミーネンヴェルファー

7.58cmミーネンヴェルファー 14cmミーネンヴェルファーM15 26cmミーネンヴェルファーM17 ミーネンヴェルファー(Minenwerfer)とは第一次世界大戦時にドイツが開発・運用した火砲の一種である。日本語に訳すなら「爆薬投射機」となるが、主に迫撃砲の一種として扱われることが多い。オーストリア=ハンガリー帝国でも開発、運用されていた。 ドイツ軍においてはミーネンヴェルファーは工兵科の管轄であり、砲兵科管轄の物はMörser(臼砲)と呼んでいた。 ミーネンヴェルファー(爆薬投射機)という名称は工兵が爆薬を投射するための道具であり、砲兵科管轄の砲弾ではないとするための名称であった。 そのため、実質的には臼砲と同じ構造をしている物も多く、区別は構造や原理によるものではなく、管轄兵科によるものである。 構造はストークス・モーター式の迫撃砲に比べて複雑で精密で重量も重い。カノン砲や榴弾砲のようにライフリングのある砲身や駐退機を装備しており、照準装置も精密射撃を前提とした物である。運用方法も迫撃砲のように弾薬をばらまいて弾幕を張るような物ではなく、臼砲のように着弾修正をしながら正確に目標に命中させる方式だった。そのため、発射速度は遅く最大でも毎分6発程度が限界だった。 構造が複雑で高価、重いミーネンヴェルファーは簡単・軽量・安価の三拍子が揃ったストークス・モーター型の迫撃砲にとって代わられ、第二次世界大戦のころには使われなくなった。 ドイツのEhrhardt & Sehmer社が火薬を使わずに圧縮空気の力で砲弾を飛ばすルフトミーネンヴェルファー(空気爆薬投射機)を開発して、オーストリア=ハンガリー帝国で使用されている。ドイツ軍は採用しなかったようである。.

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ラインメタル

ラインメタル(Rheinmetall AG)は、ドイツ・デュッセルドルフに本社を置くエンジニアリング・グループである。軍需・防衛分野の製造が中心となってきたが、現在ではグループ会社としてRheinmetall Automotive AGを持ち、自動車部品や電子部品を併せて製造している。フランクフルト証券取引所上場企業()。.

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トリニトロトルエン

トリニトロトルエン(trinitrotoluene、略称TNT)は、トルエンのフェニル基の水素のうち3つをニトロ基 (-NO2) で置換した化学物質。いくつかの構造異性体があるが、単にトリニトロトルエンといえば通常 2,4,6-トリニトロトルエン (2,4,6-trinitrotoluene) のことである。化学式は C7H5N3O6、示性式は C6H2CH3(NO2)3 である。別名、トリニトロトルオール。.

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オクラホマ (曖昧さ回避)

ラホマ (Oklahoma).

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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駐退機

退機(ちゅうたいき)は、大砲を発射した際に生じる反動(recoil)を砲身のみを後座させることによって軽減するための装置である。通常、後座した砲身を元の位置に戻す復座機と一体化して駐退復座機として用いられる。.

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黒色火薬

黒色火薬(こくしょくかやく、)は、可燃物としての木炭と硫黄、酸化剤としての硝酸カリウム(硝石)の混合物よりなる火薬の一種である。硝酸カリウムの代わりに硝酸ナトリウムを使用する場合もある。この3成分の配合比率は品種によって異なる。反応時にはかなり大量の火薬滓と白煙を発生させる。.

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迫撃砲

迫撃砲(はくげきほう、mortar)は、簡易な構造からなる火砲で、高い射角をとることから砲弾は大きく湾曲した曲射弾道真空中であれば砲弾は放物線を描くが、迫撃砲は最も強く空気抵抗の影響を受けるため砲弾の落下角度は垂直に近くなる。詳しくは斜方投射を参照を描く。 少人数で運用でき操作も比較的簡便なため、砲兵ではなく歩兵の装備であることが一般的で、最前線の戦闘部隊にとっては数少ない間接照準による直協支援火器の一つである。 射程を犠牲にして砲口初速砲口初速(muzzle velocity)とは、砲身から射出された直後の砲弾の飛翔速度のこと。単に初速ともいう。砲弾が砲身内を進んでいる間は装薬の燃焼ガスによる圧力で加速し続けるため、長砲身であるほど初速は高くなる(ただしバランスがあり、砲身長が長ければ長いほど良いとは限らない)を低く抑えているため、各部の必要強度を抑えられ、全体を小型化かつ軽量化できる。また、射撃時の反動は地面に吸収させる方式によるため駐退機や復座機といった反動制御機構を省略し、機構を簡素化することができる。多くは砲口装填式(前装式)のため閉鎖機も不要であり、同口径「口径」には二通りの意味があり、ストレートに砲口直径が何mmであるかを指す場合(例えば「口径155mm」と表記)と、砲身長が砲口直径の何倍であるかを指す場合(例えば「71口径88mm砲」と表記)がある。後者は「口径長」を略した「口径」である。紛らわしいのが拳銃や小銃・機関銃などの口径表記で、例えば30口径は銃身長ではなく口径7.62mmを指す。50口径なら12.7mmで、これは1インチ(25.4mm)の0.3倍、0.5倍であることから。.30.50」と表記することもあるの榴弾砲と比べ極めて軽量・コンパクトである。小中口径迫撃砲は分解して担いででも携行でき、120mmクラスの重迫撃砲も小型車輌で牽引できるなど可搬性に優れる。 低い命中精度や短い射程といった短所もあるが、軽量で、大きな破壊力をもち、速射性に優れ、安価で生産性に優れるなど、多くの長所を有している。そのため、かつて師団砲兵の標準的な装備の一つであった105-122mmクラスの榴弾砲が近年では120mm迫撃砲に更新されつつあり、このことも本砲の有用性を示している。 本稿では、最も一般的な81mm及び120mmクラスの(自走式でない)迫撃砲を中心に、その他の迫撃砲、他の火砲との比較、更に古代の曲射弾道兵器から迫撃砲に至る発展の歴史などについても敷衍する。.

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臼砲

臼砲の断面図18世紀フランスのもの 臼砲(きゅうほう)とは火砲の一種で、曲射砲の一つである。.

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榴弾

榴弾(りゅうだん、High Explosive、HE)は、狭義には、砲弾の種類。爆発によって弾丸の破片が広範囲に飛散するように設計されている。 広義には、成形炸薬弾である対戦車榴弾や粘着榴弾など、着弾時に火薬の効果を用いる砲弾や、砲弾に限らず爆弾の内部に炸薬を詰めたものも指す。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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旅順攻囲戦

3軍の旅順への前進 第3軍による旅順包囲 攻撃準備中の日本軍 砲撃によって生じた黄金山麓石油庫の火災 旅順攻囲戦(りょじゅんこういせん、Siege of Port Arthur, 1904年(明治37年)8月19日 - 1905年(明治38年)1月1日)とは、日露戦争において、ロシア帝国の旅順要塞を、日本軍が攻略し陥落させた戦いである。.

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