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陳那

索引 陳那

陳那(じんな、ちんな、दिग्नाग, Dignāga, ディグナーガ、480年頃-540年頃)は、唯識の立場からの新しい仏教論理学(.

29 関係: 大乗仏教宇井伯寿岩波書店中観派世界大百科事典世親仏 (曖昧さ回避)バラモンコトバンク唯識因明因明正理門論犢子部現量経典瑜伽行中観派瑜伽行唯識学派聖教量部派仏教量 (仏教)集量論比量法称清弁悟り1958年480年540年

大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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宇井伯寿

宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。.

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岩波書店

株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.

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中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama) もしくは中道 (madhyamā pratipat) の立場を重んじる中村・2005年 250頁。.

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世界大百科事典

世界大百科事典(せかいだいひゃっかじてん)は、平凡社が出版する百科事典のひとつ。最新版は2007年9月に発売された『改訂新版 世界大百科事典』であり、全35巻、総項約24,900、総項目数約9万、索引項目数約49万である。最新版の編集長は、加藤周一。.

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世親

世親(せしん、वसुबन्धु vasubandhu)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。.

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仏 (曖昧さ回避)

佛がもとの漢字。国語国字改革以後は「仏」(当用漢字、常用漢字)。.

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バラモン

バラモン階級の人々(インド・カルナータカ州) バラモン(brāhmaṇa、婆羅門)とは、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。ブラフミン(brahmin)ともいう。.

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コトバンク

kotobank(コトバンク)は朝日新聞社が主体となってとりまとめたインターネット百科事典。新聞社が提供するウェブサイトの特色として報道記事中の用語解説を強化し、朝日新聞サイト掲載記事にリンクする朝日新聞「新用語解説サイト「kotobank」(コトバンク)を4月23日に開設 - asahi.com提供サービス」2009年4月22日 。 2009年4月23日の正式発足時は、同社と講談社、小学館、朝日新聞出版の各社が提供するものを核とした44辞書・事典の計43万項目を網羅する。VOYAGE GROUPがサイト構築と運営を担当し、オーバーチュアの検索エンジンとインターネット広告システムを利用、検索連動型広告(キーワード広告)を収益源とする。 2011年3月より朝日新聞とジェネシックスがiPhone向け電子辞書プラットフォームアプリ「kotobank for iPhone」の配信を開始ECナビ「」2011年3月29日。.

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唯識

唯識(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。 あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。.

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因明

因明(いんみょう、サンスクリット:हेतुविद्या hetu-vidyā)とは、インドでおこなわれていた広義の論理学を指すものの仏教での表現で、近年は仏教論理学などとも言われる。五明(声明・工巧明・医方明・因明・内明)の一つとされ、独立した学問分野として重視された。.

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因明正理門論

『因明正理門論』(いんみょうしょうりもんろん、Nyāya-mukha, ニヤーヤ・ムカ)は、5世紀頃のインドの仏教論理学者・認識論者である陳那(Dignāga, ディグナーガ)が著わした仏教論理学(因明)の論書である。 この論書は、玄奘と義浄によって中国にもたらされ、それぞれ『因明正理門論本』と『因明正理門論』として漢訳された。また、『因明正理門論』と言いながら、実際に研究されたのは玄奘訳のテキストである。 しかし、中国や日本では、陳那が仏教の、ことに唯識思想に裏付けられた認識論・論理学の主要命題が忘れられ、主に他派との論義の際の論理的過ちを検証する道具としてのみに注目することとなった。そのために、陳那に続く商羯羅主が著わした『因明入正理論』に着目し、ほとんどの因明の研究は、この入正理論の研究となり、ほとんど正理門論の研究は行われなかった。.

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犢子部

子部(とくしぶ、Vātsīputrīya, ヴァートシープトリーヤ)は、釈迦の没後300年頃に分派した、部派仏教の一派である。上座部系の説一切有部から分派した。 この派は、輪廻の主体としての人格的主体である補特伽羅(ほとがら、Pudgala, プドガラ)を、五蘊のほかに想定したことが特徴である。その理由は、生命とは五蘊の仮和合(けわごう)によって構成された仮の存在で実体を持たない(無我)という説と、人間が死んだ後に輪廻するという、二つの説を説明するためであると考えられる。 「主体が存在しない輪廻」の理解に苦しんだ後代の仏教徒が、無我説と輪廻説をつなぎ合わせるために、苦肉の策として、無自性である五蘊の他に、死後も存続する補特伽羅を想定した。この説は、輪廻に主体を想定するため、補特伽羅という名称で常住の主体(アートマン)を認めることになる。結果、常住論に陥るため、理論上、輪廻の解脱を語ることができなくなってしまう。.

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現量

量(げんりょう、pratyakṣa-pramāṇa)とはインドの認識論における用語で、判断規範の一つ。もしくは唯識の3つの判断規範の一つ。直接知、直接知覚とも訳される。 現実を認識すること。 凡夫の、煩悩により曇らされた認識によって知られることと、瑜伽行者の、煩悩によって曇らされていない認識によって知られることの二つがある。後者は色等の諸法に向かって、現実にその自相のままを了知し、みじんも分別推求の念がないもの。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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瑜伽行中観派

伽行中観派(ゆがぎょうちゅうがんは、)とは、大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)の教説を中観派へと吸収・統合することを志向した、後期中観派スヴァータントリカ(自立論証派)の総称。チベット仏教に多大な影響を与えた。 なお、同じくスヴァータントリカ(自立論証派)で経量部に近接していると見られた人々は「経量(行)中観派」「経部行中観派」(Sautrāntika-Mādhyamaka)と呼ばれたりもした。.

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瑜伽行唯識学派

伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。.

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*木と目をあわせた会意文字。目が木に向かい合う事から、よく見て調べる事を意味する。また向かい合う事から、「互いに」「助ける」という意味を生じた。.

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聖教量

聖教量(しょうぎょうりょう、Śabda-pramāṇa, शब्दप्रमाण)。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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量 (仏教)

仏教(ことに漢語)における量(pramāṇa)とは、知識根拠・軌範のことをいう。インドの瑜伽行唯識学派などで主に自らの認識を判定するために、この量の考察が深められた。原語は、測定・目盛り・基準などの意味を持っている。.

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集量論

『集量論』(Pramāṇa-samuccaya, プラマーナ・サムッチャヤ)は、中世初期のインド大乗仏教唯識派の論理学者・認識論者である陳那(Dignāga, ディグナーガ)の主著であり、陳那の認識論的業績の中心的論書であり、仏教教義に沿って知識の確実性を論究しようとした。この論書によって、仏教としての認識論・論理学(因明)が完成したとみられている。 原題は、「プラマーナ」(pramāṇa)が「量」、「サムッチャヤ」(samuccaya)が「集」、合わせて「集量論」となる。 本文は偈頌と長行の典型的なインド哲学の論書の形態をとり、6章の構成となっている。 『集量論』は、玄奘によって中国に持ち込まれたことは判明しているが漢訳されず、後に義浄によって漢訳されたことが判明しているが、すぐに散佚してしまっている。現在、2種類のチベット訳によって伝わっているのみである。ただ、現在この集量論のきわめて詳細な註釈(ジネードラブッディのPramāṇa-samuccaya-Ṭīkā)の梵本写本の校訂が進められており、同時に梵本の想定作業も進行している。現代語訳としては、まとまったものとして服部による第1章全体の英訳、北川による第2,3,4,6章のそれぞれ自説部分の和訳、Hayesによる5章の英訳があるが、部分的な英訳、和訳などもいくつかの論文に見ることができる。.

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比量

比量(ひりょう、Anumāna)とは、主にインド哲学や仏教における量説の一つで、推論の意味である。.

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法称

法称 法称(ほっしょう、 〈ダルマキールティ〉)は、7世紀中葉のインド仏教最大の知識論の学問僧。唯識派に分類される。デカン地方の出身とされるが、生没年は不詳である。活動期は、インドに留学した玄奘と義浄との中間にあたる。.

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清弁

清弁 清弁(しょうべん、Bhāviveka, バーヴィヴェーカ、Bhavya, バヴィヤ、Bhāvaviveka, バーヴァヴィヴェーカ)は、490年頃から570年頃のインド仏教の中観派の学者である。 唯識派の陳那の影響を受け、龍樹の『中論』に表れる空の思想を論理学的な推論式によって積極的に論証するという方法を確立した。しかしその論理学的方法は、後に月称(7世紀)によって批判された。 チベット仏教の教学においては、この月称による批判をもって中観派は自立論証派(スヴァータントリカ)と帰謬論証派(プラーサンギカ)に分裂したとする。.

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悟り

悟り(さとり、bodhi)とは、迷いの世界を超え、真理を体得すること。覚、悟、覚悟、証、証得、証悟、菩提などともいう。仏教において悟りは、涅槃や解脱とも同義とされる。 日常用語としては、理解すること、知ること、気づくこと、感づくことなどを意味する。.

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1958年

記載なし。

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480年

記載なし。

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540年

記載なし。

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