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三正

索引 三正

三正(さんせい)とは、中国戦国時代に唱えられた、中国暦の年始をどこに置くかについての3種類の考え方である。.

29 関係: 十二支古六暦夏 (三代)太初暦子 (十二支)中国中国暦センギョク暦冬至前漢月 (暦)戦国時代 (中国)1月 (旧暦)

十二支

十二支(じゅうにし)は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の総称である(それぞれ音訓2通りの読み方がある:下表参照)。十干を天干というのに対して、十二支を地支(ちし)ともいう。 十二支と太極の彫刻 子の像(愛知県新城市・鳳来寺山).

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right 卯(う、ぼう)は十二支のひとつ。いわゆる「うさぎ」。通常十二支の中で第4番目に数えられる。前は寅、次は辰である。.

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right 午(うま、ご)は、十二支のひとつ。通常十二支の中で第7番目に数えられる。前は巳、次は未である。.

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古六暦

古六暦(こりくれき)とは、中国暦の中で漢代に伝わっていた黄帝暦・顓頊暦・夏暦・殷暦・周暦・魯暦という帝名や国名を冠した六つの古暦の総称。いずれも太陰太陽暦に属する。甲骨文・金文などに見られる実際の殷・周の暦とは異なっており、戦国時代以降、仮託して作られたものである。 19年に7閏月を設ける章法(メトン周期)が取り入れられ、1太陽年を(=365.25)日、1朔望月を(≒)日とする四分暦であった。よって、後漢の四分暦に対して、古六暦を古四分暦とも言う。 顓頊暦は秦から前漢の太初元年(紀元前104年)の改暦にいたるまで使われた。 また戦国各国は多く建寅の月を正月とする夏暦の夏正を採用し、漢の太初暦以降、歴代の暦でもほとんどが夏正を採用したため、夏暦は中国の伝統的な太陰太陽暦を総称する言葉ともなった。.

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夏 (三代)

夏(か、紀元前1900年頃 - 紀元前1600年頃 )は、中国の史書に記された最古の王朝。夏后ともいう。夏・殷・周を三代という。『史記』『竹書紀年』などの史書には初代の禹から末代の桀まで14世17代、471年間続いたと記録されている。殷に滅ぼされた。従来、伝説とされてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在の可能性もある。.

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太初暦

太初暦(たいしょれき)は中国暦の一つで、漢の武帝、太初元年(紀元前104年)の改暦によって採用された太陰太陽暦の暦法。治暦者の鄧平や方士の落下閎らによって編暦され、秦代から使われていた顓頊暦を改めた。太初暦は三統暦の補修を経ながら、後漢の章帝元和二年(85年)の改暦に至るまで190年間、施行された。 19年7閏月の章法を採用し、1太陽年を(≒)日とし、1朔望月を(≒)日とする八十一分法を採用している。 太初暦の特徴は、音律と暦を結びつけて理論構築されている点にあり、黄鍾(音程名)の律管(音程を調律する竹管)の容積81寸から、日法である1朔望月の日数の分母81が導き出されている。よって、太初暦を八十一分律暦とも言う。 また顓頊暦が10月を年始としていたのを、太初暦では立春正月を年始とすることに改め、冬至を11月に固定して中気のない月を閏月とする歳中閏月法を採用した。 なお『史記』の著者、司馬遷も初期の改暦議論に参加しており、『史記』暦書・暦術甲子篇に載せられている四分暦は、この時、司馬遷が編纂して採用されなかった暦ではないかと考えられている。.

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子 (十二支)

子(ね、し)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第1番目に数えられる。子年(ねずみどし)とも言う。前は亥、次は丑である。.

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right 寅(とら、いん)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第3番目に数えられる。前は丑、次は卯である。.

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right 巳(み、し)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第6番目に数えられる。它年(へびどし)とも言う。前は辰、次は午である。.

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中国

中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.

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中国暦

中国暦(ちゅうごくれき)では、中国の伝統的な暦法を総合して説明する。中国では伝統的な暦法のことを夏暦(かれき)・農暦(のうれき)・陰暦(いんれき)・旧暦(きゅうれき)などと呼んでいる。また、ベトナムなどのように黄暦(こうれき)と呼称する国・地域もある。さらに日本では、中国から輸入した暦のことを漢暦(かんれき)と呼んでいた(日本の暦については「太陰太陽暦#日本」も参照)。 夏暦とはもともと古六暦の一つであるが、辛亥革命以後に太陽暦(グレゴリオ暦)が採用されるようになると、それまでの伝統的な太陰太陽暦を総称する言葉となった。これは、中国の太陰太陽暦が建寅の月を年始とする夏正であったためである。また、一般的に農暦と呼ばれるようになったのは、農村で今でも広く使われているからである。2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産に登録された。.

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丑(うし、ちゅう)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第2番目に数えられる。前は子、次は寅である。.

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right 亥(い、がい)は十二支のひとつ。いわゆる「いのしし」。通常十二支の中で第12番目に数えられる。前は戌、次は子である。.

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周(しゅう、、紀元前1046年頃 - 紀元前256年)は、中国古代の王朝。殷を倒して王朝を開いた。紀元前771年の洛邑遷都を境に、それ以前を西周、以後を東周と、2つの時期に区分される。国姓は姫(き)。周代において中国文明が成立したとみられる。.

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センギョク暦

顓頊暦(せんぎょくれき)は中国暦の一つで、秦から前漢の元封6年(紀元前105年)まで使われていた太陰太陽暦の暦法。顓頊は古代の帝王の名。漢に伝わっていたとされる古暦、古六暦の一つ。 秦のいつから施行されたかには諸説あり、戦国時代末期から始皇帝による統一(紀元前221年)の間であると考えられている。前漢王朝でも太初の改暦に至るまで102年間、踏襲して使用された。 19年7閏月の章法を採用し、1太陽年を(=365.25)日、1朔望月を(≒)日とする四分暦であった。 また10月を年始とし、閏月を年末である9月の後(後9月)に置く歳末置閏法をとっていた。ただし、10月は10月と呼び、正月と呼んだりしなかった。正月は立春の月であり、二十四節気の起点とした。また正確には始皇帝の諱である政を避諱して端月と呼んでいた。 従来、顓頊暦には不明な点が多かった。例えば『新唐書』歴志には一行の言として「顓頊暦上元甲寅歳正月甲寅晨初合朔立春」と述べ、甲寅歳の正月(夏正では寅月)甲寅の朔日、寅の刻に太陽と月が合朔する年が暦元(基準年)であるとして紀元前366年が暦元であると述べてこの説が長年信じられてきたが、実際の同年の正月甲寅の日の合朔は巳の刻に発生する計算となり、この説は成立しない。 1972年、山東省臨沂県(りんぎけん)から出土した銀雀山漢簡によって多くのことが解明された。.

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冬至

冬至(とうじ、winter solstice)は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日の出から日没まで)の時間が短い。十一月中(旧暦11月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで12月22日ごろ。恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。定気と恒気で一致する唯一の節気である。暦ではそれが起こる日を冬至とするが、天文学においては、太陽黄経が270度となる瞬間を「冬至」と定義している。この場合、冬至の瞬間を含む日を冬至日(とうじび)と呼ぶ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。 西洋占星術では、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。.

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前漢

前漢(ぜんかん、紀元前206年 - 8年)は、中国の王朝である。秦滅亡後の楚漢戦争(項羽との争い)に勝利した劉邦によって建てられ、長安を都とした。 7代武帝の時に全盛を迎え、その勢力は北は外蒙古・南はベトナム・東は朝鮮・西は敦煌まで及んだが、14代孺子嬰の時に重臣の王莽により簒奪され一旦は滅亡。その後、漢朝の傍系皇族であった劉秀(光武帝)により再興される。前漢に対しこちらを後漢と呼ぶ。 中国においては東の洛陽に都した後漢に対して西の長安に都したことから西漢と、後漢は東漢と称される。前漢と後漢との社会・文化などには強い連続性があり、その間に明確な区分は難しく、前漢と後漢を併せて両漢と総称されることもある。この項目の社会や文化の節では前漢・後漢の全体的な流れを記述し、後漢の項目では明確に後漢に入って流れが変化した事柄を記述する。 漢という固有名詞は元々は長江の支流である漢水に由来する名称であり、本来は劉邦がその根拠地とした漢中という一地方をさす言葉に過ぎなかったが、劉邦が天下統一し支配が約400年に及んだことから、中国全土・中国人・中国文化そのものを指す言葉になった(例:「漢字」)。 文中の単位については以下の通り。距離・1里=30歩=1800尺=415m 面積・1畝=1/100頃=4.65a 重さ・1/120石=1斤=16両=384銖.

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(しん、、紀元前778年 - 紀元前206年)は、中国の王朝。周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。統一から滅亡までの期間(紀元前221年 - 紀元前206年)を秦朝、秦代と呼ぶ。国姓の本姓は、氏は趙。統一時の首都は咸陽。.

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right 申(さる、しん)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第9番目に数えられる。前は未、次は酉である。.

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right 辰(たつ、しん)は十二支のひとつである。通常十二支の中で第5番目に数えられる。前は卯、次は巳である。.

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right 酉(とり、ゆう)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第10番目に数えられる。前は申、次は戌である。.

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暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。 細分すると、.

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殷(いん、、紀元前17世紀頃 - 紀元前1046年)は、中国の王朝である。文献には天乙が夏を滅ぼして王朝を立てたとされ、考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝である。商(しょう、)、商朝ともよばれる。紀元前11世紀に帝辛の代に周によって滅ぼされた(殷周革命)。.

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right 未(ひつじ、み)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第8番目に数えられる。前は午、次は申である。.

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月 (暦)

月(つき、がつ、げつ、month)は、時間の単位の一つ。年と日の中間にある単位で岡田ら (1994)、pp.70-72、四季と暦、月と暦、一年を12分した日数である。現在世界で標準的に用いられるグレゴリオ暦は修正元のユリウス暦の月を汲み、1か月の日数は30もしくは31日を基本とし、2月のみ通常は28日、4年に1度(ただし400年間に3回例外を置く)の閏年には29日としている池内 (1999)、3.俺は北極星のように不動だ、pp.44-47、改暦の歴史。.

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朔(さく、英語:new moon)とは、月と太陽の視黄経が等しくなること、また、その時刻のことである。現代的な定義での新月(しんげつ)と同義である。 地球から見て月と太陽が同じ方向となり、月から反射した太陽光が地球にほとんど届かないことと、強い太陽光の影響とで地上からは月が見にくい。黄道と白道が極めて近いか重なる地点(月の交点)で朔となった場合に食である日食が起こる。皆既日食や金環日食時に新月の輪郭を見ることができるほか、地球照によっても新月を観察可能である。.

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戦国時代 (中国)

中国の戦国時代(せんごくじだい)は、春秋時代に続く時代で、紀元前403年に晋が韓・魏・趙の3つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による中国統一がなされるまでをいう。この名前は『戦国策』から取られている。 どの時点をもって春秋と戦国の境目とするかは、歴史家の間でも意見が分かれている。詳しくは春秋戦国時代の項目を参照。.

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right 戌(いぬ、じゅつ)は十二支のひとつ。通常十二支の中で第11番目に数えられる。前は酉、次は亥である。.

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1月 (旧暦)

旧暦1月(きゅうれきいちがつ)は、旧暦(太陰太陽暦)の年初から1番目の月である。 天保暦よりも前の定義では、雨水を含む月を1月とする。新暦では1月下旬から3月上旬ごろに当たる。 1月の別名は睦月(むつき)である。名前の由来は1月を参照のこと。 東洋の太陰太陽暦では月の日数である大小(大月30日、小月29日)が年により異なるため、1月29日までで1月30日は存在しない年もある。.

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